狂気の光をかき集めた雪が淡く室内を照らしている。その光に急かされるかのように僕
は頁を繰る手を早めた。
今日はとても良い夜だ。昨晩から降り続けた雪のおかげで空気は澄み、雪に照り返す月
光とストーブの灯りだけの室内は幻想的に陰影を浮かばせる。聞こえる音といえば時折窓
を叩く雪風と、付けっぱなしのストーブが過酷な労働に不平を鳴らすかのように立てる重
い機械音くらいである。
時刻は既に草木も眠る丑三つ時、普段ならばこんな時間まで本を読んでいることはない。
本を読むのは昼の時間で、夜は本を書く時間だからである。既に今日の出来事は記し終え
ており、今読んでいる本も大変興味深いものの、夜を徹してまで読む必要があるとはいえ
ない。そんな僕が何故こんな時間まで起きているのかというと、それには訳がある。
寝るには惜しい程の良い夜だ、というのも一つの理由ではあるのだが、それ以上に今日
が特別な日だからである。
そう、今日は六十日に一度訪れる特別な夜なのだ。
*
「うん?」
睡魔を払拭するほど本の世界にのめり込んでいた僕に顔を上げさせたのは不審な物音だっ
た。家鳴りでも風の音でもないそれは玄関の方から聞こえたように思えた。まさかこんな
時間に訪れる客などいるわけが――いや、心当たりはないこともない。一瞬だけ泥棒とい
うことも考えたが、それこそまさかだろう。
僕は本を閉じ、店の方へと向かった。底冷えする店内に体を震わせながら灯りを点ける
と、薄暗い店内にモノトーンの人影が浮かび上がった。
「よう、こんな時間まで何をやっているんだ?」
「なんだ魔理沙か。帽子に雪が積もっているよ、店に入る前に外で払って来てくれ」
他にも色々と言うべきことはあったが、これだけ寒いと小言を言う気にもならない。帽
子を振って雪を落とした魔理沙を伴って僕は直ぐに居間へと戻った。
「それで、こんな時間に何の用だい?」
二人分のお茶を煎れると魔理沙はかじかんだ両手を暖めるように掌で湯飲みを包む。
「別に用はなかったんだがな。たまたま通りかかったら灯りが付いていたんで寄ってみた
んだ」
「たまたま通りかかるような時間じゃないよ。深夜徘徊は頂けないな」
「魔女らしかろ」
熱いお茶を冷ましながら魔理沙は得意気に笑う。いくら魔女でもこんな寒い時期に野外
でサバトをしないだろうはと思ったが、そんなことを彼女に言っても仕様がないだろう。
「香霖こそこんな時間まで起きていていいのか? 明日も店を開けるんだろう」
「それはそうだが、今日は朝まで起きている理由があるんだよ」
「別に夜更かしに理由なんていらないんじゃないか?」
と魔理沙は首を捻る。もしかして彼女も同じ理由で起きているのかとも思ったが、本当
に何も知らないようだ。まあ長く里から離れているのでこのような習慣は忘れてしまった
のだろう。
「今日が何の日か考えれば直ぐにわかるよ」
考え込む魔理沙だったが、そのまま放っておくと夜が明けてしまいそうだったので僕は
早々に答えを言うことにした。
本当に特に用事はないようだったが、魔理沙は完全にここに根を下ろすことに決めたみ
たいだった。上着と帽子をストーブの近くにかけると、図々しくも二杯目のお茶を要求し
てくる。とはいえお茶だけで過ごすには寂しい夜なので、特別に高い方の煎餅も付けてや
る。
「庚申待ちか。そういえばそんなことをしたような気もするな」
「魔理沙が生まれるずっと昔にはもっと大々的にやっていたんだけれどね。今では小さな
講がいくつか存在しているだけみたいだ」
といっても博麗大結界が張られる更に前の話なので、魔理沙にわからなくても仕様がな
いことではある。
「だが何でわざわざ夜更かしなんかするんだろうな」
「何だ、知らないのか。庚申待ちは宵庚申や庚申祭といった言い方をするように、歴とし
た祭りなんだよ」
庚申待ちとは元々大陸にあった信仰で、道教の伝説に端を発している。それによると人
間には三尸(さんし)と呼ばれる虫が頭・腹・足にいてその人間の行う悪行を監視してい
るというのだ。そして庚申の夜、宿主の人間が眠ると三尸はこっそり体を抜け出し天帝に
宿主の悪行を報告する。報告を受けた天帝はその内容を評定して、泰山府君に命じて悪行
を行った人の寿命を縮めてしまうのだ。
「泰山府君?」
「天帝と同じく道教の神様で、閻魔大王とも習合されている。そっちをイメージした方が
わかりやすいだろうね」
嘘を付いたら舌を抜かれるという俗信に現れているように、この国では悪行を裁くのは
閻魔様の役割だというのが一般的な認識だ。どのような人間であろうと全く悪行を行わず
に生きることは出来ないのだから人は庚申の夜を恐れたのだ。
だが何にでも抜け道というのはあるものだ。地獄の鬼に賄賂を贈ることで死を免れた人
間がいるように、神様が創ったシステムにだって問題がないわけではない。三尸の報告を
阻止することは実はとても簡単な方法で出来てしまう。
三尸は庚申の夜に宿主が眠った後に体を抜け出す。逆にいえば庚申の夜に眠りさえしな
ければ三尸に自らの悪行を報告されることもないのである。
「というわけで庚申待ちというのは魔理沙のいう"夜更かしをする行事"になったんだよ。
さっきも言ったように昔は幻想郷にも庚申講、庚申待ちをするグループのことだが、これ
が沢山あったんだ。六十日周期で眠らない夜を過ごすことは一般的なことだったのさ」
今でも庚申塔、または庚申塚とも呼ばれる石碑が彼方此方に残っている。これは庚申待
ちを一定期間続けた証として建てられる物だから、当時の信仰の普及具合が見て取れる。
とはいえ最近は殆ど建てられることもなくなってしまったみたいだが……。
「はひゃはひゃふぉふぇふふぇい……」
「喋るか食べるかどちらかにしなさい。行儀が悪いよ」
魔理沙は咀嚼していた煎餅をお茶で流し込む。割と良い煎餅なのだからもう少し味わっ
て食べて欲しいものだ。
「長々と御講釈を賜り実に無為な時間を過ごしてしまったわけだが、どうにも腑に落ちな
いぜ。そんな詰まらない風習を信じてわざわざ徹夜をするものか? 私は生まれてこの方
そんな虫が出てきた覚えは一度もないが」
「確かに信仰としての庚申待ちというのはそれほど篤いものではないのだろうね。神道で
は猿田彦大神、仏教では青面金剛が主な信仰対象となってはいるが、どちらもそれほど有
力な神ではない。申と猿との結びつきによって定められた神なのだから仕様がないのだろ
うが」
「ちょっと待て。天帝とやらに寿命を縮められない為だったんじゃないのか?」
「ああそうだね。そこがこの国の信仰の面白いところなのさ」
庚申の日には他にも意味合いがあり、庚(かのえ)も申(さる)も陰陽五行説では金性
に相当する。よってこの日には金気の物は避けるという習慣がある。陽の金と陽の金が重
なることによって人の心が冷酷になり易く、刃傷沙汰を避ける為の意味合いがあるのだろ
う。他にも男女間の交わりを禁忌とする俗信など多々の風習があったのだが、結局残った
のは寝ずに夜を明かすという一点のみなのだ。
また近世に山王信仰などと集合することによって信仰としても大きく変化をしており、
猿を共通項とした神仏を祀ることにより災厄から逃れようとする現世利益優先の信仰になっ
てしまった結果が、先ほど上げた神様である。つまり大陸から伝わってきた風習は今では
殆ど原型を残してないといってしまってもいいだろう。
「他所から取り入れた文化を尊重しながらも、いつの間にか自らに合う形に変えてしまう。
この国ではよくあることさ」
「何がなんだかわからないぜ。結局は何がしたいんだ?」
あくび交じりで聞き返してくる魔理沙は余り考えるつもりはないようだ。
「庚申待ちというのは実に幻想郷に合った風習だということだよ」
神道では神に捧げた御饌を後に食べることによってその力にあやかろうとする。また祭
りとは神と一体となって遊ぶことである。つまり一定の場所に集まり、飲んで食べて一夜
を過ごす庚申待ちという信仰はその両方を兼ね備えており、わかりやすく言い換えるなら
それは宴会のことに相違ないのだ。
古くは平安の貴族の時代から、また現在の民衆の間で行われていることも、畢竟信仰の
名の下の遊行または息抜きの酒盛りに過ぎないといえる。それならば何かにつけて騒ぎた
がる幻想郷には打ってつけだろう。
それなのにどうして彼女達はあやかろうとしなかったのかと不思議なくらいだったのだ
が、魔理沙は僕の自説を笑い飛ばした。
「なるほど。庚申待ちが廃れた理由がよくわかったぜ」
「何故だい?」
「決まっている。六十日に一度何て――宴会のペースには遅すぎるからな」
結局のところ、僕も信仰心から夜を明かそうとしているのではない。物事には何事にも
回り道というものが必要で、高尚なものになればその道のりも長くなる。最も美しい月が
心の中にあるように、花を愛でる為に書物の扉を開くように、信仰について考えるには日
を選ぶ必要があったというだけのことである。
魔理沙との会話は意外と実のある無駄話となったが、このまま居座られるとちっとも本
を読み進められない。そろそろ追い出そうかと思った矢先、
「おい香霖。ストーブが消えちまってるぜ」
「本当だ。また燃料はあったと思ったんだけど」
立ち上がりかけた僕はふと違和感に気が付いた。火が消えて幾許も経っていないという
のに異常な程に底冷えする雰囲気が立ち込めている。いつの間にか窓を叩く雪風も完全に
凪いでしまっており、耳鳴りがする程の静寂が部屋を包み込んでいた。
「な、なんなんだ?」
帽子と箒を手に取った魔理沙が一つ大きく震えた。それは寒さの為か、それとも本能的
な恐怖を感じ取ったのか。僕と魔理沙は互いに顔を見合わせると、そろりそろりと店の入
り口へと足を進めた。
「庚申待ちってのは虫が抜け出す日なんだろう?」
「さあ、魔理沙の悪行が余りにも酷いものだから直々に天罰を下しにでも来たのかな」
互いに軽口を叩きながらも、僕達の表情は暗く、重い。わかっていることは唯一つ。
――何か恐ろしいものが近付いている
それが僕達の共通認識だった。扉の前で勇ましく箒を構える魔理沙だったが、背後から
みる彼女の体は余りにも小さい。耳鳴りは煩いほどの心音にかき消され、足元がどうして
か覚束ない。
「香霖っ!」
魔理沙に呼ばれて意識が現実へと回帰する。今まさに扉が軋みを上げて開かれんとする
ところだった。
果たしてその行動にはどのような意味があったのだろうか。こみ上げる恐れから逃れる
為だったのか、それとも小さな彼女を守りたかったのだろうか。後になってはもうわから
ないことだったが、僕は咄嗟に魔理沙を抱き寄せていた。
*
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。僕の膝は寒さと痺れに限界に達しようとし
ていた。視線だけを横に向けると魔理沙も辛そうな顔をしている。きっと僕も似たような
表情を浮かべていることだろう。
「聞いているんですかっ!?」
頭上から落とされる怒声に僕は力なく頷いた。
「全く、珍しく信仰を保っている者がいると思い訪ねてみれば……なんですか貴方達は!」
目の前の少女の説教は留まることを知らず、立て板に水といった風に淀みない。恐らく
日常に説教が組み込まれているのだろう。それもそのはず、その少女こそが楽園の最高裁
判長こと四季映姫・ヤマザナドゥその人なのだ。
店に入った瞬間のどこか嬉しそうな顔が、間の抜けた表情で立ち尽くす僕と魔理沙を一
瞥した後に一転した様子は忘れられそうにない。その次の瞬間から今に至るまで、僕と魔
理沙は板張りの床の上で正座をさせられ、無限とも思えるほど長い説教を受け続けている。
「信仰を持っていないだけなら私も口煩くいう気はありません。しかし、です。今日とい
う日にその……異性と不純に交遊するということの意味がわかっているのですか!? 子
が盗人になってしまうのですよ!?」
彼女は先ほどからずっとこうなのだ。いくら誤解だといっても聞き入れてくれないので
途中からは聞き流すようにしていたのだが、終わりの見えない説教に僕も少なからず苛立
ちが溜まっていたのだろう。決して口答えをしようと思ったのではなかったが、つい思っ
たことを口にしてしまっていた。
「……どちらにしても魔理沙との子なら泥棒になりそうなものだけれど」
しまったと口を押さえた時にはもう遅い。始めは何を言われたのかわからなかったよう
に呆然としていた映姫だったが、次第に上気したかのように顔が朱に染まっていく。笏を
持つ手は傍から見てもわかるほどに震えていた。
思わず魔理沙を見てしまったのも間違いだった。僕の視線に悪戯な笑みを返す魔理沙を
止める間があればこそ。伸ばした腕も虚しく、朗々とした彼女の声が店内に響き渡ってい
た。
「子供は立派な泥棒に育てるぜ!」
それが映姫の我慢の限界だったのだろう。前後の見境をなくした彼女の説教はまるで鉄
砲水のような勢いで雪崩れ込んでくる。混乱の最中にいつの間にか魔理沙は姿を消してお
り、その恐るべき説教を僕は一身に受けることになった。
僕がその説教地獄から解放されたのは、明けた日がまた沈んだ後のことになる。
は頁を繰る手を早めた。
今日はとても良い夜だ。昨晩から降り続けた雪のおかげで空気は澄み、雪に照り返す月
光とストーブの灯りだけの室内は幻想的に陰影を浮かばせる。聞こえる音といえば時折窓
を叩く雪風と、付けっぱなしのストーブが過酷な労働に不平を鳴らすかのように立てる重
い機械音くらいである。
時刻は既に草木も眠る丑三つ時、普段ならばこんな時間まで本を読んでいることはない。
本を読むのは昼の時間で、夜は本を書く時間だからである。既に今日の出来事は記し終え
ており、今読んでいる本も大変興味深いものの、夜を徹してまで読む必要があるとはいえ
ない。そんな僕が何故こんな時間まで起きているのかというと、それには訳がある。
寝るには惜しい程の良い夜だ、というのも一つの理由ではあるのだが、それ以上に今日
が特別な日だからである。
そう、今日は六十日に一度訪れる特別な夜なのだ。
*
「うん?」
睡魔を払拭するほど本の世界にのめり込んでいた僕に顔を上げさせたのは不審な物音だっ
た。家鳴りでも風の音でもないそれは玄関の方から聞こえたように思えた。まさかこんな
時間に訪れる客などいるわけが――いや、心当たりはないこともない。一瞬だけ泥棒とい
うことも考えたが、それこそまさかだろう。
僕は本を閉じ、店の方へと向かった。底冷えする店内に体を震わせながら灯りを点ける
と、薄暗い店内にモノトーンの人影が浮かび上がった。
「よう、こんな時間まで何をやっているんだ?」
「なんだ魔理沙か。帽子に雪が積もっているよ、店に入る前に外で払って来てくれ」
他にも色々と言うべきことはあったが、これだけ寒いと小言を言う気にもならない。帽
子を振って雪を落とした魔理沙を伴って僕は直ぐに居間へと戻った。
「それで、こんな時間に何の用だい?」
二人分のお茶を煎れると魔理沙はかじかんだ両手を暖めるように掌で湯飲みを包む。
「別に用はなかったんだがな。たまたま通りかかったら灯りが付いていたんで寄ってみた
んだ」
「たまたま通りかかるような時間じゃないよ。深夜徘徊は頂けないな」
「魔女らしかろ」
熱いお茶を冷ましながら魔理沙は得意気に笑う。いくら魔女でもこんな寒い時期に野外
でサバトをしないだろうはと思ったが、そんなことを彼女に言っても仕様がないだろう。
「香霖こそこんな時間まで起きていていいのか? 明日も店を開けるんだろう」
「それはそうだが、今日は朝まで起きている理由があるんだよ」
「別に夜更かしに理由なんていらないんじゃないか?」
と魔理沙は首を捻る。もしかして彼女も同じ理由で起きているのかとも思ったが、本当
に何も知らないようだ。まあ長く里から離れているのでこのような習慣は忘れてしまった
のだろう。
「今日が何の日か考えれば直ぐにわかるよ」
考え込む魔理沙だったが、そのまま放っておくと夜が明けてしまいそうだったので僕は
早々に答えを言うことにした。
本当に特に用事はないようだったが、魔理沙は完全にここに根を下ろすことに決めたみ
たいだった。上着と帽子をストーブの近くにかけると、図々しくも二杯目のお茶を要求し
てくる。とはいえお茶だけで過ごすには寂しい夜なので、特別に高い方の煎餅も付けてや
る。
「庚申待ちか。そういえばそんなことをしたような気もするな」
「魔理沙が生まれるずっと昔にはもっと大々的にやっていたんだけれどね。今では小さな
講がいくつか存在しているだけみたいだ」
といっても博麗大結界が張られる更に前の話なので、魔理沙にわからなくても仕様がな
いことではある。
「だが何でわざわざ夜更かしなんかするんだろうな」
「何だ、知らないのか。庚申待ちは宵庚申や庚申祭といった言い方をするように、歴とし
た祭りなんだよ」
庚申待ちとは元々大陸にあった信仰で、道教の伝説に端を発している。それによると人
間には三尸(さんし)と呼ばれる虫が頭・腹・足にいてその人間の行う悪行を監視してい
るというのだ。そして庚申の夜、宿主の人間が眠ると三尸はこっそり体を抜け出し天帝に
宿主の悪行を報告する。報告を受けた天帝はその内容を評定して、泰山府君に命じて悪行
を行った人の寿命を縮めてしまうのだ。
「泰山府君?」
「天帝と同じく道教の神様で、閻魔大王とも習合されている。そっちをイメージした方が
わかりやすいだろうね」
嘘を付いたら舌を抜かれるという俗信に現れているように、この国では悪行を裁くのは
閻魔様の役割だというのが一般的な認識だ。どのような人間であろうと全く悪行を行わず
に生きることは出来ないのだから人は庚申の夜を恐れたのだ。
だが何にでも抜け道というのはあるものだ。地獄の鬼に賄賂を贈ることで死を免れた人
間がいるように、神様が創ったシステムにだって問題がないわけではない。三尸の報告を
阻止することは実はとても簡単な方法で出来てしまう。
三尸は庚申の夜に宿主が眠った後に体を抜け出す。逆にいえば庚申の夜に眠りさえしな
ければ三尸に自らの悪行を報告されることもないのである。
「というわけで庚申待ちというのは魔理沙のいう"夜更かしをする行事"になったんだよ。
さっきも言ったように昔は幻想郷にも庚申講、庚申待ちをするグループのことだが、これ
が沢山あったんだ。六十日周期で眠らない夜を過ごすことは一般的なことだったのさ」
今でも庚申塔、または庚申塚とも呼ばれる石碑が彼方此方に残っている。これは庚申待
ちを一定期間続けた証として建てられる物だから、当時の信仰の普及具合が見て取れる。
とはいえ最近は殆ど建てられることもなくなってしまったみたいだが……。
「はひゃはひゃふぉふぇふふぇい……」
「喋るか食べるかどちらかにしなさい。行儀が悪いよ」
魔理沙は咀嚼していた煎餅をお茶で流し込む。割と良い煎餅なのだからもう少し味わっ
て食べて欲しいものだ。
「長々と御講釈を賜り実に無為な時間を過ごしてしまったわけだが、どうにも腑に落ちな
いぜ。そんな詰まらない風習を信じてわざわざ徹夜をするものか? 私は生まれてこの方
そんな虫が出てきた覚えは一度もないが」
「確かに信仰としての庚申待ちというのはそれほど篤いものではないのだろうね。神道で
は猿田彦大神、仏教では青面金剛が主な信仰対象となってはいるが、どちらもそれほど有
力な神ではない。申と猿との結びつきによって定められた神なのだから仕様がないのだろ
うが」
「ちょっと待て。天帝とやらに寿命を縮められない為だったんじゃないのか?」
「ああそうだね。そこがこの国の信仰の面白いところなのさ」
庚申の日には他にも意味合いがあり、庚(かのえ)も申(さる)も陰陽五行説では金性
に相当する。よってこの日には金気の物は避けるという習慣がある。陽の金と陽の金が重
なることによって人の心が冷酷になり易く、刃傷沙汰を避ける為の意味合いがあるのだろ
う。他にも男女間の交わりを禁忌とする俗信など多々の風習があったのだが、結局残った
のは寝ずに夜を明かすという一点のみなのだ。
また近世に山王信仰などと集合することによって信仰としても大きく変化をしており、
猿を共通項とした神仏を祀ることにより災厄から逃れようとする現世利益優先の信仰になっ
てしまった結果が、先ほど上げた神様である。つまり大陸から伝わってきた風習は今では
殆ど原型を残してないといってしまってもいいだろう。
「他所から取り入れた文化を尊重しながらも、いつの間にか自らに合う形に変えてしまう。
この国ではよくあることさ」
「何がなんだかわからないぜ。結局は何がしたいんだ?」
あくび交じりで聞き返してくる魔理沙は余り考えるつもりはないようだ。
「庚申待ちというのは実に幻想郷に合った風習だということだよ」
神道では神に捧げた御饌を後に食べることによってその力にあやかろうとする。また祭
りとは神と一体となって遊ぶことである。つまり一定の場所に集まり、飲んで食べて一夜
を過ごす庚申待ちという信仰はその両方を兼ね備えており、わかりやすく言い換えるなら
それは宴会のことに相違ないのだ。
古くは平安の貴族の時代から、また現在の民衆の間で行われていることも、畢竟信仰の
名の下の遊行または息抜きの酒盛りに過ぎないといえる。それならば何かにつけて騒ぎた
がる幻想郷には打ってつけだろう。
それなのにどうして彼女達はあやかろうとしなかったのかと不思議なくらいだったのだ
が、魔理沙は僕の自説を笑い飛ばした。
「なるほど。庚申待ちが廃れた理由がよくわかったぜ」
「何故だい?」
「決まっている。六十日に一度何て――宴会のペースには遅すぎるからな」
結局のところ、僕も信仰心から夜を明かそうとしているのではない。物事には何事にも
回り道というものが必要で、高尚なものになればその道のりも長くなる。最も美しい月が
心の中にあるように、花を愛でる為に書物の扉を開くように、信仰について考えるには日
を選ぶ必要があったというだけのことである。
魔理沙との会話は意外と実のある無駄話となったが、このまま居座られるとちっとも本
を読み進められない。そろそろ追い出そうかと思った矢先、
「おい香霖。ストーブが消えちまってるぜ」
「本当だ。また燃料はあったと思ったんだけど」
立ち上がりかけた僕はふと違和感に気が付いた。火が消えて幾許も経っていないという
のに異常な程に底冷えする雰囲気が立ち込めている。いつの間にか窓を叩く雪風も完全に
凪いでしまっており、耳鳴りがする程の静寂が部屋を包み込んでいた。
「な、なんなんだ?」
帽子と箒を手に取った魔理沙が一つ大きく震えた。それは寒さの為か、それとも本能的
な恐怖を感じ取ったのか。僕と魔理沙は互いに顔を見合わせると、そろりそろりと店の入
り口へと足を進めた。
「庚申待ちってのは虫が抜け出す日なんだろう?」
「さあ、魔理沙の悪行が余りにも酷いものだから直々に天罰を下しにでも来たのかな」
互いに軽口を叩きながらも、僕達の表情は暗く、重い。わかっていることは唯一つ。
――何か恐ろしいものが近付いている
それが僕達の共通認識だった。扉の前で勇ましく箒を構える魔理沙だったが、背後から
みる彼女の体は余りにも小さい。耳鳴りは煩いほどの心音にかき消され、足元がどうして
か覚束ない。
「香霖っ!」
魔理沙に呼ばれて意識が現実へと回帰する。今まさに扉が軋みを上げて開かれんとする
ところだった。
果たしてその行動にはどのような意味があったのだろうか。こみ上げる恐れから逃れる
為だったのか、それとも小さな彼女を守りたかったのだろうか。後になってはもうわから
ないことだったが、僕は咄嗟に魔理沙を抱き寄せていた。
*
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。僕の膝は寒さと痺れに限界に達しようとし
ていた。視線だけを横に向けると魔理沙も辛そうな顔をしている。きっと僕も似たような
表情を浮かべていることだろう。
「聞いているんですかっ!?」
頭上から落とされる怒声に僕は力なく頷いた。
「全く、珍しく信仰を保っている者がいると思い訪ねてみれば……なんですか貴方達は!」
目の前の少女の説教は留まることを知らず、立て板に水といった風に淀みない。恐らく
日常に説教が組み込まれているのだろう。それもそのはず、その少女こそが楽園の最高裁
判長こと四季映姫・ヤマザナドゥその人なのだ。
店に入った瞬間のどこか嬉しそうな顔が、間の抜けた表情で立ち尽くす僕と魔理沙を一
瞥した後に一転した様子は忘れられそうにない。その次の瞬間から今に至るまで、僕と魔
理沙は板張りの床の上で正座をさせられ、無限とも思えるほど長い説教を受け続けている。
「信仰を持っていないだけなら私も口煩くいう気はありません。しかし、です。今日とい
う日にその……異性と不純に交遊するということの意味がわかっているのですか!? 子
が盗人になってしまうのですよ!?」
彼女は先ほどからずっとこうなのだ。いくら誤解だといっても聞き入れてくれないので
途中からは聞き流すようにしていたのだが、終わりの見えない説教に僕も少なからず苛立
ちが溜まっていたのだろう。決して口答えをしようと思ったのではなかったが、つい思っ
たことを口にしてしまっていた。
「……どちらにしても魔理沙との子なら泥棒になりそうなものだけれど」
しまったと口を押さえた時にはもう遅い。始めは何を言われたのかわからなかったよう
に呆然としていた映姫だったが、次第に上気したかのように顔が朱に染まっていく。笏を
持つ手は傍から見てもわかるほどに震えていた。
思わず魔理沙を見てしまったのも間違いだった。僕の視線に悪戯な笑みを返す魔理沙を
止める間があればこそ。伸ばした腕も虚しく、朗々とした彼女の声が店内に響き渡ってい
た。
「子供は立派な泥棒に育てるぜ!」
それが映姫の我慢の限界だったのだろう。前後の見境をなくした彼女の説教はまるで鉄
砲水のような勢いで雪崩れ込んでくる。混乱の最中にいつの間にか魔理沙は姿を消してお
り、その恐るべき説教を僕は一身に受けることになった。
僕がその説教地獄から解放されたのは、明けた日がまた沈んだ後のことになる。
最初は宗教の講釈だけの話かな、と思えば突然の四季映姫の来訪。結末にそれまでの宗教の話が直結しておらず、前半に何がしたかったのか伝わってきませんでした。
文章力は高いと思うのですが、如何せん構成力の欠如が目立っているように思います。
前半の話では読み手を引きこませるには魅力が足りませんでした。少なくとも、自分には。
作者様の次回作を期待しているという意味も込めて、この点数です。
あと、こーりんの説明が冗長すぎて、すんません、ちょっと読み飛ばしました
雰囲気はいいと思いますよ
基本はかなり出来ていて、話も作れるようなので次にも期待してます。
キャラの性質も理解してない癖に
ストーブが突然止まったりとかは彼女の来訪が原因とは考えられないですし。
ただ、興味深い話ではありました。
こういう日常も幻想郷にはあるのかもしれないですね。
上の方も書いていますがストーブの演出等々、少々流れに無理のある展開もあったかと。
テーマは渋くてよかったので、次回作に期待します。
まさに知識人、といった感じですね。
ただ、ちょっと四季様がうぶすぎるような……
自分の知識を披露するために東方という媒体を利用したような印象を受
けました。
そのため、前半と後半で関連性が薄く感じられて、東方らしさを出すた
めに無理やりカップリングともとれるような『魔理沙を大事にする霖之
助』を用いた、そんな雰囲気が感じられたのです。そこが非常に残念で
した。オチの持っていき方も少し強引かと思います。
しかし、文章としてみた時には非常に見やすく、納得させられる部分も
多かったです。惜しむらくは掴みが弱かったということと、東方らしさ
が薄かったということです。作者様の今後に期待という意味を込めまし
て、今回はこの点数です。頑張ってください。
若干性格に違和感を感じましたが、霖之助ですね。
できれば某スレで作者様と話したいものです。
ちょっとインパクトが足らなかった気がしなくもないですがね。
なんで映姫様が来たん?ってのも、映姫自身が『全く、珍しく信仰を保っている者がいると思い訪ねてみれば』と言ってるように幻想郷ですら廃れてしまった習慣を霖之助が(形だけとはいえ)やってて関心関心、と思ってきてみれば・・・という風に推測できますし
それでも不可解なストーブの停止はどこかのスキマ様のいたずらでしょうかねぇ
原作を意識した薀蓄満載な香霖堂話は余り需要がなさそう。
薀蓄に必要性を感じない人は香霖堂原作も合わないんだろうなぁ。
次回作にも期待してます。
皆様鋭く、的を射ている意見ばかりで大変参考になりました。
霖之助を書く場合は薀蓄は外せないでしょうが、もう少し読みやすくなるように心がけてみます。
しっかりと説明されてると思われるのですが…。
ストーブが消えた理由だけがわからなかったです。五行の金性は火に弱いから映姫様に消されたとか?