――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり――。
平家物語の一節を口ずさみながら、私は土を叩いて固める。
今日、一輪の花が散った。だから私は花を植える。お父様にそっくりな、大きくて優しい一輪の花を――。
この世に枯れない花なんてない。それは人も同じこと。有象の温もりも、無象の優しささえも、悠久の
時の中では水泡の如く、儚く散って逝くものだ。
――沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す――。
……そう、それは理だ。
何者にも抗うことの出来ない、絶対の理なのだ――。
何時何処で、何がきっかけで始まったのか。小さな争いの火種は、やがて戦の炎となって、
私の国を焼き尽くそうとしていた。
国とは言っても、そう呼ぶのも烏滸がましい、村に毛が生えた程度の小さな国だ。領主の娘である私ですら、
時にはこの手で田畑を耕さなければならない程の、貧しくて惨めな僻地の国。
それでも、寝雪が溶ければ桜とあやめが咲き乱れ、藤と紫陽花に夏の訪れを予感し、撫子、向日葵、野芥子
――野山が紅く色付く頃には萩、白粉花、寒さに耐える馬酔木、雪の下で眠る福寿草、そして新しい春の
到来を梅が咲いて知らせる、静かで美しい故郷だった。
そんな私の産土も、今ではもう見る影もない。
なまじ小国同士の諍いであるが故に、一度血を見る争いとなれば、何処の国が仲裁に入るということもなく、
どちらかの血が枯れ果てるまで止まることが出来なくなってしまうのだろう。
お互いの将が討たれても、戦が終わることはなかった。
今や皆が憔悴しきっていた。
そして誰もが悟っていた――この戦の後には、何も残りはしないのだと。
「お嬢様、これを――」
暗い目をした少年が、そっと私に差し出す。それは誰かの遺髪だった。
戦で父を喪い、私は独り屋敷に取り残された。
私が男に生まれていれば、父の後を継いで戦場に出ることも出来ただろう。女の身にそれが叶う筈もなく、
さりとて領主の娘である以上は、何もしない訳にもいかない。そんな私に出来ることと言えば、
戦で死んだ者の弔いをすることくらいだった。
使いの少年が去ってから、私は庭に出た。其処には一面の花が咲き乱れている。
戦場で遺体を回収するのは難しい。それに、死者に手向ける為の石材や木材は、もう残されてはいなかった。
だから、この花達が彼らの墓標だ。
お父様の花の隣に、私は受け取った遺髪を埋める。
それは、私の親友の夫のものだった。朗らかな美丈夫で、私も密かに憧れていたものだ。
――祇園精舎の、鐘の声。諸行無常の響きあり……。
今日も一輪の花が散った。だから私は花を植える。
私達が大好きだった、背が高くて明るい色をした一輪の花を――。
永遠なんて、この世の何処にも存在しない。
嬉しくて忘れたくない思い出も、哀しくて忘れられない思い出も、時の流れは風のように、
等しく彼方へ連れ去ってしまう。それを寂しいと思う心すら、儚い春の夢のように、何時かは忘れ去られて
しまうのだ。
昔、私がまだ子供の頃、枯れない木の噂を聞いたことがある。
山の奥深くにあるという椎の木で、その木に生い茂る葉は、その一切が枯れて落ちることがないという。
幼馴染みの少年にその話を聞いた私は、その木を探しに独り山に分け入ったことがある。擦り傷だらけに
なって辿り着いた其処の場所に、果たして私の求めているものがあった。その立派な木の下には、
葉が一枚も落ちていなかったのだ。
私は嬉しかった――例え我が身に叶わなくとも、変わらず存在し続けるものがこの世にはあるのだと
いうことが。
でも永遠なんて、本当は何処にも存在しない。
その椎の木は、永遠の証ではなかった。木の下に葉が落ちていなかったのは、私にその話をした
幼馴染みが、私がその木を見付ける前に落葉を全て拾ったからだった。
私は彼に一杯食わされたのだ……それを知った時、私は彼に飛び掛かっていた。
取組み合いの喧嘩の末に私達は仲違いし、それ以来滅多に口も聞かなくなった。
「お嬢様――」
今日少年が持って来たのは、仲違いした幼馴染みの遺品だった。
彼が最後に持っていた物は、海のないこの国では珍しい、綺麗な二枚貝の貝殻――何時だったか、
仲違いする前に、私が彼にあげたものだった。
こんなものを今でも大事に持っていたなんて、今日まで私は知らなかった。
――祇園、精舎の……かねの声。諸行無常の、響きあり……。
今日また一輪の花が散った。だから私は花を植える。
何時か仲直りしたかった、少し捻くれていて、寂しそうな一輪の花を――。
戦はまだ続いていた。
何時しか屋敷の庭は花で埋め尽くされていた。
その花達を世話する為だけに、私は日々を過ごしていた。
「……一緒に、逃げませんか」
ある日、いつものように誰かの遺髪を持ってきた少年が、小さな声でそう言った。彼とまともに会話したのは、
それが初めての事だった。
「この国はもう駄目です。僕と一緒に、何処か遠くに逃げませんか。終生、僕がお仕え致しますから……」
元服して間もないような少年が、真剣な顔でそんなことを言う。私は今の私に出来る限りの笑顔で、
しかしその申し出を断った。彼の気持ちは嬉しかったが、私にはあの花達を見捨てて行くことは出来ない。
例え明日にも散ってしまう花であっても、今日はまだ咲いているのだから。
翌日、私の元に訃報が届いた。届けたのは、いつもの少年ではなかった。
彼はあの後、独りで此処から逃げ出そうとしたらしい。山を越え、河を渡り、少年は何処を目指したのか
――少なくともそれは、戦場ではなかった。
彼はこの国の人間の手によって、その道を阻まれた。一度逃亡を許せば、逃亡者が続出し、士気は崩壊する。
たった一人の少年の我が儘も許せない程に、この国は行き詰まっていたのだ。
少年の行為を卑怯だと罵る気は、私にはない。
彼に手を下した誰かを、残酷だと誹る気もない。
戦は人心を狂わせるのだ……それに、それすらも、朝が来れば露に消える、哀しい一夜の夢でしか
ないのだから。
――ぎおん……の、鐘のこえ……。諸行、無常の、……り……。
込み上げるものに耐えながら、私はその歌を口にする。
また一輪の花が散った。此処に埋めるべき遺髪も遺品も、彼が残して逝くことはなかった。
それでも私は、彼の花を植える。一途な想いをくれた、真直ぐで純粋な一輪の花を――。
戦は終局を迎えていた。敵方の消耗も並々ならぬものがあったろう。それでも、その疲弊しきった兵達を
阻む力すら、もう私達に残されてはいなかった。
間もなくこの国は地図から消える。生き残った僅かな人達も、堰を切ったように、思い々の方角へ逃れ始めた。
私も何人かの兵達に連れられて、何時か辿った山道を走っていた。今や花畑となったあの場所を見捨てて
行くのは忍びなかったが、其処に留まることは、私には許されなかった。
もうすぐあの椎の木に辿り着く。その前に、愛すべき故郷の最期の姿をこの目に留めておこうと、
私は振り返った。
――振り返った私の視線が、長く棚引く黒煙で止まった。
あれは……。
気が付くと、私は辿った道を逆に駆け出していた。
再び故郷の地を踏んだ私の視界を、一面の朱が埋め尽くしていた。
火を放ったのは敵方の兵か、それとも絶望したこの国の民か――私の花畑を、燃え上がる炎が飲込んでいた。
炎に巻かれ、お父様が、憧れていた人が、幼馴染みが、少年が――藻掻くように萎れ、
枯れ墜ちて散っていく……。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。この世に枯れない花なんてない。
「――して……」
それは人も同じこと。
有象の温もりも、無象の優しささえも、悠久の時の中では水泡の如く、儚く散って逝くものだ。
「――どうして……」
それは理だ。何者にも抗うことの出来ない、絶対の――。
「どうして!」
私は叫んでいた。
刹那、私の視界が朱から黒に切り替わった――。
新月の夜よりなお昏い闇の中に、一面の花が咲き乱れていた。
色の無い、輪郭だけの花達。彼らが織り成す花畑の中に、私は佇んでいた。
「どうしてよ……」
(それがこの世の理だからよ)
呟く私に、一輪の花が応えた。私はその花に手を伸ばす。指先に触れた瞬間、その花は崩れ去り、
闇に溶けて消えてしまった。
「嫌よ……そんなのは嫌!」
何も掴むことが出来なかったその手を、私は強く握り締める。
「巫山戯ないで! 何が理よ! そんなもの、誰が決めたのよ!」
一輪として、枯れて良い花などなかった。誰一人として、大切でない人などいなかった。
咲いては散っていくのが花ならば、跡形もなく忘れられてしまうのが運命ならば、いっそ咲かなければ良いのに。
それなのに……花達は美しく咲き誇っては、私の前で散って逝く
――私を、苦しめる……。
顔を上げ、私はその女を睨め付ける。空虚な花達の遙か向こう側で、枯れることなく佇むその女を。
枯れない花などない――そう、それはこの世の理だ。私の生まれた、私達が生きてきた、光の世界での理だ。
その理の向こう側で、紫色を纏った女が艶然と微笑む。
(おいでなさい、こちら側に。この世ならざる理の在る、私達の夜の世界に――)
その言葉に応えず、私はまた一輪の花に摘む。跡形もなく花は散る……記憶も、温もりもさえも、
私の手の中に残すことなく。
私は再び顔を上げた。それならば、今度こそ見付けよう。枯れることのない、永遠の花を。
理から外れて、私は歩き出す。そんな私を哀れむように黙したまま、無数の花達が見送っていた。
(貴女とは良い友人になれそうね……)
嬉しそうに、女は言う。私は最期に振り返った。
さようなら、私の花達――また何時かの夜に逢いましょう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
幻想郷を、色とりどりの花達が彩っていた。桜にあやめ、藤、紫陽花、撫子、向日葵、野芥子、萩、白粉花、
馬酔木、福寿草、そして梅――季節も気候も関係なく、種々の花が咲き乱れている。
六十年に一度、調整の時は訪れる。外の世界から溢れ出た魂達が、幻想郷に花を咲かせるのだ。
美しいその花達を眺めながら、私は一人微笑む。
私は風見 幽香。花を操る程度の、一匹の妖怪。
もうすぐ此処に、誰かがやって来る。花達が教えてくれた。きっと、この異変ならぬ花の異変を、
私の仕業と勘違いした誰かが来るのだろう。
――訪れるのは紅白の巫女か、はたまた黒白の魔法使いか。
彼女は儚く散ってしまう花かしら。それとも、枯れることなく咲き誇る強い花かしら。
それは摘んで見れば判ること。だから私は、いつも誰かにそうしてきた。
――願わくば、枯れない花であることを。
この手の中にある、決して枯れることのない、一輪の花のように――。
落葉せぬ椎(シイ)―本所七不思議
及び、平家物語 冒頭 より
平家物語の一節を口ずさみながら、私は土を叩いて固める。
今日、一輪の花が散った。だから私は花を植える。お父様にそっくりな、大きくて優しい一輪の花を――。
この世に枯れない花なんてない。それは人も同じこと。有象の温もりも、無象の優しささえも、悠久の
時の中では水泡の如く、儚く散って逝くものだ。
――沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す――。
……そう、それは理だ。
何者にも抗うことの出来ない、絶対の理なのだ――。
何時何処で、何がきっかけで始まったのか。小さな争いの火種は、やがて戦の炎となって、
私の国を焼き尽くそうとしていた。
国とは言っても、そう呼ぶのも烏滸がましい、村に毛が生えた程度の小さな国だ。領主の娘である私ですら、
時にはこの手で田畑を耕さなければならない程の、貧しくて惨めな僻地の国。
それでも、寝雪が溶ければ桜とあやめが咲き乱れ、藤と紫陽花に夏の訪れを予感し、撫子、向日葵、野芥子
――野山が紅く色付く頃には萩、白粉花、寒さに耐える馬酔木、雪の下で眠る福寿草、そして新しい春の
到来を梅が咲いて知らせる、静かで美しい故郷だった。
そんな私の産土も、今ではもう見る影もない。
なまじ小国同士の諍いであるが故に、一度血を見る争いとなれば、何処の国が仲裁に入るということもなく、
どちらかの血が枯れ果てるまで止まることが出来なくなってしまうのだろう。
お互いの将が討たれても、戦が終わることはなかった。
今や皆が憔悴しきっていた。
そして誰もが悟っていた――この戦の後には、何も残りはしないのだと。
「お嬢様、これを――」
暗い目をした少年が、そっと私に差し出す。それは誰かの遺髪だった。
戦で父を喪い、私は独り屋敷に取り残された。
私が男に生まれていれば、父の後を継いで戦場に出ることも出来ただろう。女の身にそれが叶う筈もなく、
さりとて領主の娘である以上は、何もしない訳にもいかない。そんな私に出来ることと言えば、
戦で死んだ者の弔いをすることくらいだった。
使いの少年が去ってから、私は庭に出た。其処には一面の花が咲き乱れている。
戦場で遺体を回収するのは難しい。それに、死者に手向ける為の石材や木材は、もう残されてはいなかった。
だから、この花達が彼らの墓標だ。
お父様の花の隣に、私は受け取った遺髪を埋める。
それは、私の親友の夫のものだった。朗らかな美丈夫で、私も密かに憧れていたものだ。
――祇園精舎の、鐘の声。諸行無常の響きあり……。
今日も一輪の花が散った。だから私は花を植える。
私達が大好きだった、背が高くて明るい色をした一輪の花を――。
永遠なんて、この世の何処にも存在しない。
嬉しくて忘れたくない思い出も、哀しくて忘れられない思い出も、時の流れは風のように、
等しく彼方へ連れ去ってしまう。それを寂しいと思う心すら、儚い春の夢のように、何時かは忘れ去られて
しまうのだ。
昔、私がまだ子供の頃、枯れない木の噂を聞いたことがある。
山の奥深くにあるという椎の木で、その木に生い茂る葉は、その一切が枯れて落ちることがないという。
幼馴染みの少年にその話を聞いた私は、その木を探しに独り山に分け入ったことがある。擦り傷だらけに
なって辿り着いた其処の場所に、果たして私の求めているものがあった。その立派な木の下には、
葉が一枚も落ちていなかったのだ。
私は嬉しかった――例え我が身に叶わなくとも、変わらず存在し続けるものがこの世にはあるのだと
いうことが。
でも永遠なんて、本当は何処にも存在しない。
その椎の木は、永遠の証ではなかった。木の下に葉が落ちていなかったのは、私にその話をした
幼馴染みが、私がその木を見付ける前に落葉を全て拾ったからだった。
私は彼に一杯食わされたのだ……それを知った時、私は彼に飛び掛かっていた。
取組み合いの喧嘩の末に私達は仲違いし、それ以来滅多に口も聞かなくなった。
「お嬢様――」
今日少年が持って来たのは、仲違いした幼馴染みの遺品だった。
彼が最後に持っていた物は、海のないこの国では珍しい、綺麗な二枚貝の貝殻――何時だったか、
仲違いする前に、私が彼にあげたものだった。
こんなものを今でも大事に持っていたなんて、今日まで私は知らなかった。
――祇園、精舎の……かねの声。諸行無常の、響きあり……。
今日また一輪の花が散った。だから私は花を植える。
何時か仲直りしたかった、少し捻くれていて、寂しそうな一輪の花を――。
戦はまだ続いていた。
何時しか屋敷の庭は花で埋め尽くされていた。
その花達を世話する為だけに、私は日々を過ごしていた。
「……一緒に、逃げませんか」
ある日、いつものように誰かの遺髪を持ってきた少年が、小さな声でそう言った。彼とまともに会話したのは、
それが初めての事だった。
「この国はもう駄目です。僕と一緒に、何処か遠くに逃げませんか。終生、僕がお仕え致しますから……」
元服して間もないような少年が、真剣な顔でそんなことを言う。私は今の私に出来る限りの笑顔で、
しかしその申し出を断った。彼の気持ちは嬉しかったが、私にはあの花達を見捨てて行くことは出来ない。
例え明日にも散ってしまう花であっても、今日はまだ咲いているのだから。
翌日、私の元に訃報が届いた。届けたのは、いつもの少年ではなかった。
彼はあの後、独りで此処から逃げ出そうとしたらしい。山を越え、河を渡り、少年は何処を目指したのか
――少なくともそれは、戦場ではなかった。
彼はこの国の人間の手によって、その道を阻まれた。一度逃亡を許せば、逃亡者が続出し、士気は崩壊する。
たった一人の少年の我が儘も許せない程に、この国は行き詰まっていたのだ。
少年の行為を卑怯だと罵る気は、私にはない。
彼に手を下した誰かを、残酷だと誹る気もない。
戦は人心を狂わせるのだ……それに、それすらも、朝が来れば露に消える、哀しい一夜の夢でしか
ないのだから。
――ぎおん……の、鐘のこえ……。諸行、無常の、……り……。
込み上げるものに耐えながら、私はその歌を口にする。
また一輪の花が散った。此処に埋めるべき遺髪も遺品も、彼が残して逝くことはなかった。
それでも私は、彼の花を植える。一途な想いをくれた、真直ぐで純粋な一輪の花を――。
戦は終局を迎えていた。敵方の消耗も並々ならぬものがあったろう。それでも、その疲弊しきった兵達を
阻む力すら、もう私達に残されてはいなかった。
間もなくこの国は地図から消える。生き残った僅かな人達も、堰を切ったように、思い々の方角へ逃れ始めた。
私も何人かの兵達に連れられて、何時か辿った山道を走っていた。今や花畑となったあの場所を見捨てて
行くのは忍びなかったが、其処に留まることは、私には許されなかった。
もうすぐあの椎の木に辿り着く。その前に、愛すべき故郷の最期の姿をこの目に留めておこうと、
私は振り返った。
――振り返った私の視線が、長く棚引く黒煙で止まった。
あれは……。
気が付くと、私は辿った道を逆に駆け出していた。
再び故郷の地を踏んだ私の視界を、一面の朱が埋め尽くしていた。
火を放ったのは敵方の兵か、それとも絶望したこの国の民か――私の花畑を、燃え上がる炎が飲込んでいた。
炎に巻かれ、お父様が、憧れていた人が、幼馴染みが、少年が――藻掻くように萎れ、
枯れ墜ちて散っていく……。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。この世に枯れない花なんてない。
「――して……」
それは人も同じこと。
有象の温もりも、無象の優しささえも、悠久の時の中では水泡の如く、儚く散って逝くものだ。
「――どうして……」
それは理だ。何者にも抗うことの出来ない、絶対の――。
「どうして!」
私は叫んでいた。
刹那、私の視界が朱から黒に切り替わった――。
新月の夜よりなお昏い闇の中に、一面の花が咲き乱れていた。
色の無い、輪郭だけの花達。彼らが織り成す花畑の中に、私は佇んでいた。
「どうしてよ……」
(それがこの世の理だからよ)
呟く私に、一輪の花が応えた。私はその花に手を伸ばす。指先に触れた瞬間、その花は崩れ去り、
闇に溶けて消えてしまった。
「嫌よ……そんなのは嫌!」
何も掴むことが出来なかったその手を、私は強く握り締める。
「巫山戯ないで! 何が理よ! そんなもの、誰が決めたのよ!」
一輪として、枯れて良い花などなかった。誰一人として、大切でない人などいなかった。
咲いては散っていくのが花ならば、跡形もなく忘れられてしまうのが運命ならば、いっそ咲かなければ良いのに。
それなのに……花達は美しく咲き誇っては、私の前で散って逝く
――私を、苦しめる……。
顔を上げ、私はその女を睨め付ける。空虚な花達の遙か向こう側で、枯れることなく佇むその女を。
枯れない花などない――そう、それはこの世の理だ。私の生まれた、私達が生きてきた、光の世界での理だ。
その理の向こう側で、紫色を纏った女が艶然と微笑む。
(おいでなさい、こちら側に。この世ならざる理の在る、私達の夜の世界に――)
その言葉に応えず、私はまた一輪の花に摘む。跡形もなく花は散る……記憶も、温もりもさえも、
私の手の中に残すことなく。
私は再び顔を上げた。それならば、今度こそ見付けよう。枯れることのない、永遠の花を。
理から外れて、私は歩き出す。そんな私を哀れむように黙したまま、無数の花達が見送っていた。
(貴女とは良い友人になれそうね……)
嬉しそうに、女は言う。私は最期に振り返った。
さようなら、私の花達――また何時かの夜に逢いましょう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
幻想郷を、色とりどりの花達が彩っていた。桜にあやめ、藤、紫陽花、撫子、向日葵、野芥子、萩、白粉花、
馬酔木、福寿草、そして梅――季節も気候も関係なく、種々の花が咲き乱れている。
六十年に一度、調整の時は訪れる。外の世界から溢れ出た魂達が、幻想郷に花を咲かせるのだ。
美しいその花達を眺めながら、私は一人微笑む。
私は風見 幽香。花を操る程度の、一匹の妖怪。
もうすぐ此処に、誰かがやって来る。花達が教えてくれた。きっと、この異変ならぬ花の異変を、
私の仕業と勘違いした誰かが来るのだろう。
――訪れるのは紅白の巫女か、はたまた黒白の魔法使いか。
彼女は儚く散ってしまう花かしら。それとも、枯れることなく咲き誇る強い花かしら。
それは摘んで見れば判ること。だから私は、いつも誰かにそうしてきた。
――願わくば、枯れない花であることを。
この手の中にある、決して枯れることのない、一輪の花のように――。
落葉せぬ椎(シイ)―本所七不思議
及び、平家物語 冒頭 より
境を越える動機の強さがいま一つというか
次で最後とのことですが最後は本命の彼女が来るのか
それとも彼女はそのままの立場で別の誰かが来るのか
楽しみですね
少々残念ではありますが、楽しみに待たせていただきます。