幻想郷の西にある湖の畔には、大きな赤い館が建っている。
館の外壁と敷地を囲む塀に赤みのきつい煉瓦を使い、
館を取り囲む自然の緑や空の青の中、周囲からせり出すような存在感を放っている。
和風建築では避ける左右対称の構造をしており、中心の塔には大きな時計が掲げられていて、
時計の下には庭を見渡すテラスが在った。
日本に存在する幻想郷では珍しい、欧州建築による洋館だ。
それもそのはず、この館は欧州から移住してきた妖怪一門のスカーレット家が代々使っていた館をそのまま持ってきたものなのだ。
紅の家名を持ち、血を象徴とする吸血鬼の家系を主とするその館は、名を「紅魔館」と言った。
ある満月の夜、紅魔館の敷地にある霊廟に、スカーレット家に縁のある者達が集まっていた。
霊廟の入り口には、左右に守護者として大きな狼の像が置かれており、その扉には鳥の羽を持つ人間のようなレリーフが施されている。
扉を潜るとそこは廊下になっており、廊下を進むとそこには地下への螺旋階段があった。
夜の屋内で最低限の蝋燭の明かりしかない暗がりだが、
壁面と床の絨毯には通路の方向にそって光を強く反射する素材が配置されており、方向や足元を見失うことが無いようになっていた。
階段を下りてホールの入り口にたどり着くと、
そこで眼に入るのは
大きな、 紅い、 満月。
正面から見上げる位置に大きな天窓があり、
ちょうどこの位置に月が来る次期がこの儀式の開催時期、開始時刻と決まっていて、
入り口に立った時に開け放たれた天窓から月が覗くのだ。
月が紅く見えるのは会場に炊かれた香が当主の魔力と強く反応して強く紅く染まり、
それがフィルターの役割をしているためである。
参列者達は皆ここで一度立ち止まり、参列の証である薔薇のコサージュを両手で掲げて
ここに祀られているものたちと、夜の眷属全体の守護者である月に敬意を示してから中へと入っていく。
入り口の向こうはキリスト教の教会のように正面の通路を挟んで長いすが並んでおり、
通路の一番奥、天窓の下には台が設置され、その向こうには煌びやかな装飾を施された大きな石碑が置かれていた。
そしてその左右の少し奥まった場所にはいくつもの石版が並んでいた。
参列者が見守る中、一番前の椅子から一団が前に進み出て、石碑の横、石版の前に並んだ。
そこから石碑のすぐ横から歩み出た小さな人影が、他の人影に左右を固められる形になった正面の台の上に立った。
その人影が台の上に立った時、闇の中にその姿だけが浮かび上がるように照らし出される。
部屋を灯す多数の燭台に反射板が置かれ、全ての蝋燭がこの位置を強く照らすようになっているのだ。
彼女は、大仰な身振りで声を張り上げ、儀式の開催を宣言した。
「偉大なる夜の主、スカーレットの系譜に名を連ねる者達よ、月がその偉業を祝福し、祖霊たちが目覚めるこの日この時によく集まった!
ここはいかに時が流れ、世が移ろうとも、永久にスカーレットの名を築き上げた偉大なる祖霊の領土であることを約束された場所である!
されど彼の方々がこの世にあったときに取り決められた儀典に習い、この地の主の許しの下、
祖霊たちの領土たるこの場所を、今宵ひと時、このレミリア=スカーレットが取り仕切る!」
そして石碑に向き直ると、左手首から複雑な形の金属片を取り外し、跪いて石碑の前に捧げた。
これを持つことがスカーレット家の当主の座にあることの証なのだ。
それが多くの者が見る中で外され、捧げられたということは即ち、当主の座が別の存在に移ったことを意味する。
「いま、スカーレット家当主の座は祖霊たちに返され、スカーレットの眷属を治めるのは祖霊たちとなる。
祖霊たちの領土に集いし者達よ、偉大なる霊を讃えよ!」
(Don!)「「「Wow!!」」」
静まり返っていた参列席から、一度大きく足を踏み鳴らした後、声をそろえた大きな叫びが起こり、建物内に木霊した。
これがこれまで言葉を持たぬ者も含んだ多くの魔物を眷属に迎えてきたスカーレット家における、全ての配下共通のサインなのだ。
レミリアの語りは続いていく。
「この場で第一に讃えるべきは、スカーレット家を興した初代当主、~~である。
小さき者がその生涯をかけようと語りつくせぬ数限りない業績の中で、
最も讃えるべきは、闇夜の世界にあって己に従う者たちを守り、彼らに繁栄の未来を示す貴族として生き、
その役割を後の世に引き継ぐことを使命としたことである!」
暗がりの中で沈んでいた石碑の表面に、紅い光が灯った。
表面に刻まれた文字が自ら光を放ち始め、闇の中でも内容が読み取れるようになったのだ。
そこには、初代当主の名前と、その業績を記した文章が刻まれていた。
「そして多くの者達が彼の意思につき従った!彼らがあってこその我々であることを忘れてはならない!」
その言葉とともに、左右の石版からも光を放つ文字が現れた。
それは初代当主の時代に眷属であった者達の名前であった。
「そしてこの場で第二に讃えるべきは~ 」
そうしてそれぞれの時代の当主の名と、彼らの業績が読み上げられていく。
それと同時に石碑と石版の光もまた増えていった。
そして先代の名前と業績まで読み上げ終わったところで、レミリアは一度語りを止め、
石碑に向き直ってその下に捧げられた金属片を恭しく手に取り、両手で捧げ持って参列者の方に示した。
そしてこれまでのスカーレット家の歴史が記された石碑と石版を背負い、
現在の重鎮達に左右から支えられる形で宣言した。
「レミリア=スカーレットは偉大なる祖霊たちから当主の座を賜ることを、祖霊と眷属が集うこの場、このときに宣言する!
異を唱えるものは前に進み出よ、認めるものは讃えを以って応じよ!」
(Don!)「「「Wow!」」」
前に進み出る者は無く、全員から敬意を示す音が室内に響き渡った。
それを受けてレミリアは金属片を左手首に嵌め、左手を頭上に大きく掲げる、
するといかなる力によるものか、そこに紅く輝く大きな槍が現れた。
その一際強い光に照らされる中で、レミリアは儀式の目的が違わず果たされたことを示す言葉を発した。
「今ここにスカーレットの継承者は定まった!スカーレットの名に集う者たちよ、
当主の導きの下、これより後も己が役割に励め!」
「「「Wooow!」」」
参列者の歓声で締めくくられ、儀式は終わった。
ここは儀式が終わった後、紅魔館の中にあるレミリアの私室。
私室とはいってもやたら広いので、紅魔館のメインメンバーが妖精メイドや客人を交えず
プライベートを共有するときには大体ここに集まっていたりする。
そこのテーブルに青い毛玉が乗っていた。
その毛玉からなにやらくぐもった声が聞こえる。
「あ~、肩こった」
良く見てみるとそれは青い髪をしたレミリアの頭で、顔面がテーブルの面に着いているので青い毛の塊に見えたのだ。
「なんだってあんなに気合の入った形式が伝統なのよ…、普通貴族の儀式っていうのは、こう、格式ばってるけどお上品なものなんじゃないの?」
体力に於いては底なしとも思えるレミリアも、こういった神経に来る疲労にまで無敵とはいかないようで、
ぐったりと脱力してテーブルにつっぷしている。
それとは対照的に元気のいい動作でレミリアを甲斐甲斐しく世話をしているのはメイド長の十六夜咲夜だ。
「けど、ご立派でしたよ。
ああいった威厳のある姿で自分が仕事をしている場所の価値を語ってもらうのも、現場のモチベーションには大事なことなんです。
お勤めお疲れ様でした。はい、お水です。」
少しは回復したらしく、レミリアは上体を起こして水の入ったグラスを口に運んだ。
「その姿でいわれると説得力あるわね…。こっちは演説だけで干からびそうなのに、
あれだけ働いたあなたはなんだか肌がつやつやしているわよ。
ひょっとして気持ちの問題だけじゃなくて身体も吸血鬼の一種になったんじゃない?」
「あら、そうでしたら嬉しいですね。
この館に迎えられてから、色々な形でこの儀式を支えて来たことで、ご先祖様たちが奇跡でも起こしてくれたかしら。」
「そういえばちょっと前まで演説の時には向かいに居たのよね。そのときからこの儀式の準備にはやたら張り切っていたっけ。
なにがそんなに楽しみなの?」
その問いを受けると、「完全で瀟洒」と評される紅魔館のメイド長は満面の笑みを浮かべて
「全部ですね。レミリアさまの凛々しい姿を見ることも、それをこの館に縁のあるものたちで共有することも、
楽しみな本番を目指して皆で準備することも、毎回少しずつ違う立場、違う状況で関わることが出来ることも…
初めて参加させてもらえた時から、全部大好きですよ。」
と答えた。
その一方で、現当主の妹君のフランドール嬢は、初めて参加したイベントに興奮冷めやらぬ様子だ。
「ねえねえ、綺麗だったね! なんていうかキラキラとかしてないのに、…なんていうか、なんていうか、格好よかった!」
「あー、フラン様は今回が初めての参加だから、そういうのも新鮮に感じるんですね。
こういうわざとキラキラしたのを抑えて綺麗にするやり方をシック、って言うんです。
石碑そのものは初代様の頃に作った物をそのまま使っているんですけど、
飾りや明かりの調節なんかはこれまで大勢の人たちが良いものにしようと工夫を凝らして来たんですよ。」
自分が感じたことを誰かにしゃべりたくて仕方がない様子のフランを門番の紅美鈴が相手している。
「へー、前からずっとか…、そういえばさ、初代様ってなんで貴族になろうなんて思ったんだろうね。」
「いいところに気が付きましたね、最初は人間の貴族みたいに美味しい料理とか綺麗な服とかの贅沢がしたかっただけらしいんですけど…
そうすると人間の職人に魔物相手でも約束を守らせたり、品物の注文先やメイド役の弱い妖怪も守らなきゃいけなくなったり、
自分だけじゃ手が廻らないから部下や兵隊を上手く使わなきゃいけなかったりで、気が付いたらそう呼ばれていたみたいですよ?」
「へー、よっぽど贅沢が好きだったんだね。
そういえばさ、地下の図書館を作って宝として決めたのがお父様の一番の偉業って言われてたけど、あれってそんなに凄い図書館だったんだ?
ずっと近くで暮らしてたからわかんなかった。」
「ええ、普通は書物の数が多かったり、貴重な書物があったりするのが図書館の自慢するところなんですけど、
紅魔館の図書館はとてつもなく広い上に貴重な書物を自分で集めてしまいますからね。
魔法を上手く使った図書館でも、これほどの物は世界に殆ど無いんじゃないでしょうか。」
「凄いんだね!」
「そう、凄いんですよ。」
「それじゃあさ…… 」
泉のように尽きることの無いフランの言葉に、美鈴は紅魔館の過去を絡めて答えていく。
495年間止まっていた時間が未来へと動き出したフランの前には、「歴史」という新しい世界が広がっていた。
(シュコー、シュコー)
さて、こちらは部屋の隅にある安楽椅子。
そこからはなにやら妙な音がしてくる。
(シュコー、シュコー)
どうやら安楽椅子の上に横たわっているパチュリーが口に当てている管がつながっている覆いから音が出ているようだ。
「パチュリー様、いくら何でも大げさじゃないですか?」
「(シュコー)黙りなさい、小悪魔。(シュコー)この時間の装備は誰にも口出し、(シュコー)させないわ。(シュコー)」
横に立ってその姿にツッコミを入れているのはパチュリーと契約して司書と助手をしている小悪魔だ。
見ると安楽椅子の足の部分に複雑な文字が刻まれており、床から少し浮いている。
どうやら座っているときに安楽なだけでなく、魔法で浮きながら安楽に移動できる代物らしい。
「あそこに行くのに、(シュコー)大げさなどというやつの(シュコー)気が知れないわ」
「そうは言ったって、空調やほこりの元を改装したのはパチュリー様じゃないですか。自分の技術が信用できないんですか?」
「(シュコー)口出しはさせないと(シュコー)言ったはずよ。大体完成したのは(シュコー)つい最近じゃない。」
「まあ…、空調の完成はパチュリー様の悲願みたいなものでしたからね。これまでは空調に加えて自分に時間停止の術を断続してかけてたんでしたっけ。
けど完成したときに、もう事後の装備はいらないとかいってませんでしたっけ。」
「(シュコー)最近、アレルギーについて(シュコー)勉強したのよ。有害なものに(シュコー)繰り返し触れると体質が変わるんですって。」
「あー、それで儀式中に妙に魔力を使っていたんですね。」
小悪魔は思い出す。契約したばかりの頃のこと、紅魔館で魔術担当を引き受けることになったパチュリーは、当然儀式には強制参加だ。
当主の座の再確認に魔術担当が欠席続きなど、妙な勘ぐりをされかねない。
だが…、その魔術担当は喘息持ちだったのだ。
パチュリーが紅魔館に来たのが百年前、もともと清潔観念が大雑把な西洋の地下墓地など、そのままでは耐えられない。
儀式の存在を知ったパチュリーは直ぐに自分用に空調の改装を行おうとしたが、
「歴代当主の領土たる霊廟を新参にいじらせるわけにいくわけないじゃろう!」
という意見のもと、却下された。
そして見事なまでの醜態をさらした。
それ以来、パチュリーの魔術研鑽の一部は、この儀式を乗り切る手段と、空調改装をねじ込める権力を獲得するために費やされてきたのだ。
事実上のNo.2になり、小悪魔の言う通り空調などは自分に合わせて決めているのだから、そこまで必要なはずは無いのだが…、もう何かやらないと落ち着かないらしい。
(ふん、けどそんなこと言ってたあいつも今じゃ「ご先祖さま」として眠る側か…)
パチュリーは自分に霊廟を触らせるのを最初に一番嫌がっていたかつての警備担当の姿を思い浮かべる。
いつも自分はおろかレミリアさえ会ったことがない先々代の話を引き合いに出して仰々しい説教を始めた。
万能を目指した自分と違い、炎の魔力を徹底して極めることを目指し、炎の扱いについては誰にも負けなかった。
フランが暴れだした時の取り押さえ役でもあり…、最期までフランの精神が落ち着く日を願っていた。
(あれだけ腫れ物のように扱ってきた立場に自分がなって…、あいつの幽霊に顔があったらどんな表情してるのかしらね)
すぐに思い浮かんだ。居心地が悪そうな顔をして、姉妹とその周辺に眼を泳がせているに決まっている。
「お嬢様、そろそろ儀式には参列しなかった方々もお集まりになって、パーティーの準備が出来ましたよ。
身支度をお願いできますか?」
妖精メイドからパーティー準備完了の報告を受けた咲夜が、レミリアを促した。
「判ったわ。それじゃ準備に入るわよ。」
「はい、それでは衣装室に移動しましょう。」
休憩時間は終わり、レミリアは椅子から降りると一つ伸びをして次の予定に頭を切り替える。
「パチェ、一応聞いておくけど、パーティーのホスト役は今回もパスね?」
「失礼ね。「図書館で魔術研究の発表をしながら歓待」よ。来るものは別に拒まないわ。」
パチュリーの方も安楽椅子の上で身を起こし、起きる体勢に入ったようだ。
「あなたの日常じゃない。まあいきなり予定を変えられても準備が困るんだけどね。」
ふとフランの方に眼を向けると、なにやら上体が前後に揺れ始めている。
「フラン様、フラン様、ここで寝たら風邪を引きますよ。寝るなら寝室にしましょう。」
「う~、寝ない、寝ないよ。この後パーティーなんでしょ、寝たら出られなくなっちゃう。
それにまだ日が落ちたばっかりだもん。」
さっきまでの勢いはどこへやら、フランの身体はすっかり寝る体制に入っている。
なんとか起きているが、バッテリー切れのランプが点灯しているのが見えそうだ。
「やれやれ、疲れることをした後に後先考えずはしゃぎ回るからよ。成し遂げた自信があるなら堂々と休むことを覚えなさい。」
「む、ちゃんとパーティーにも出てから休むもん。儀式に初めて参列してそのままホストもするの。」
「けれどもそんな様子では笑われてしまいますよ?
お嬢様もさっきまでは休んでいたんですし、それと同じ位はフラン様も休んだほうがいいのでは?」
「う~ん、じゃあそうする。」
「では、寝室の方に参りましょうか。」
フランは美鈴に付き添われてレミリアの私室から出て行った。
「さて、しばらく起きないだろうし、あの白黒は会場に来た後に図書館に行くだろうから、
そうね、記録ではフランは図書館での歓待でホストを務めたことにでもしておいて頂戴。」
「了解よ。それじゃ小悪魔、私は先に行ってるわよ。」
パチュリーは安楽椅子に頬杖をついた格好のまま、椅子ごと部屋を出て行った。
「さてと、咲夜さん。こちらは図書館の方に移動すら方を担当するわけですけど、接待用のティーセットか何か余ってますか?」
「(!) ええ、都合しましょう。大いに盛り上げてきてください。」
「ありがとうございます。ふふふふふ。」
「どういたしまして。ふふふふふ。」
なにやら凄く悪い顔でやり取りを交わす小悪魔と咲夜。
会話の内容には不穏なものは無かったはずだが…、なにかで通じ合っているらしい。
「ちっ、フランとパチェをダシにした場面にわかっていながら居合わせないとは一生の不覚だわ。」
「まあ、こちらはこちらで盛り上げて、自慢してやりましょう。」
「わかっているわよ。それじゃ、行きましょうか」
かつての紅魔館の住人達に敬意を捧げ、当主の座を受け継いだ紅魔館の主とその第一の従者は、
これから未来を築いていく客人を歓迎するために次の会場へと向かう。
当主が悠久の時を生きる吸血鬼であり、500年以上を生きた現在の当主でさえ先代の当主から財産として引き継いだという
気の遠くなる程の歴史を刻んできた魔物の館「紅魔館」。
無慈悲で平等な時間が支配し、全てが移り変わる現世の中で、
この館は変わらないものを抱え、変わり行くもの達の手で守られ、
ほんの少しだけ、他の場所よりも遅い時間を刻んでいくのだろう。
館の外壁と敷地を囲む塀に赤みのきつい煉瓦を使い、
館を取り囲む自然の緑や空の青の中、周囲からせり出すような存在感を放っている。
和風建築では避ける左右対称の構造をしており、中心の塔には大きな時計が掲げられていて、
時計の下には庭を見渡すテラスが在った。
日本に存在する幻想郷では珍しい、欧州建築による洋館だ。
それもそのはず、この館は欧州から移住してきた妖怪一門のスカーレット家が代々使っていた館をそのまま持ってきたものなのだ。
紅の家名を持ち、血を象徴とする吸血鬼の家系を主とするその館は、名を「紅魔館」と言った。
ある満月の夜、紅魔館の敷地にある霊廟に、スカーレット家に縁のある者達が集まっていた。
霊廟の入り口には、左右に守護者として大きな狼の像が置かれており、その扉には鳥の羽を持つ人間のようなレリーフが施されている。
扉を潜るとそこは廊下になっており、廊下を進むとそこには地下への螺旋階段があった。
夜の屋内で最低限の蝋燭の明かりしかない暗がりだが、
壁面と床の絨毯には通路の方向にそって光を強く反射する素材が配置されており、方向や足元を見失うことが無いようになっていた。
階段を下りてホールの入り口にたどり着くと、
そこで眼に入るのは
大きな、 紅い、 満月。
正面から見上げる位置に大きな天窓があり、
ちょうどこの位置に月が来る次期がこの儀式の開催時期、開始時刻と決まっていて、
入り口に立った時に開け放たれた天窓から月が覗くのだ。
月が紅く見えるのは会場に炊かれた香が当主の魔力と強く反応して強く紅く染まり、
それがフィルターの役割をしているためである。
参列者達は皆ここで一度立ち止まり、参列の証である薔薇のコサージュを両手で掲げて
ここに祀られているものたちと、夜の眷属全体の守護者である月に敬意を示してから中へと入っていく。
入り口の向こうはキリスト教の教会のように正面の通路を挟んで長いすが並んでおり、
通路の一番奥、天窓の下には台が設置され、その向こうには煌びやかな装飾を施された大きな石碑が置かれていた。
そしてその左右の少し奥まった場所にはいくつもの石版が並んでいた。
参列者が見守る中、一番前の椅子から一団が前に進み出て、石碑の横、石版の前に並んだ。
そこから石碑のすぐ横から歩み出た小さな人影が、他の人影に左右を固められる形になった正面の台の上に立った。
その人影が台の上に立った時、闇の中にその姿だけが浮かび上がるように照らし出される。
部屋を灯す多数の燭台に反射板が置かれ、全ての蝋燭がこの位置を強く照らすようになっているのだ。
彼女は、大仰な身振りで声を張り上げ、儀式の開催を宣言した。
「偉大なる夜の主、スカーレットの系譜に名を連ねる者達よ、月がその偉業を祝福し、祖霊たちが目覚めるこの日この時によく集まった!
ここはいかに時が流れ、世が移ろうとも、永久にスカーレットの名を築き上げた偉大なる祖霊の領土であることを約束された場所である!
されど彼の方々がこの世にあったときに取り決められた儀典に習い、この地の主の許しの下、
祖霊たちの領土たるこの場所を、今宵ひと時、このレミリア=スカーレットが取り仕切る!」
そして石碑に向き直ると、左手首から複雑な形の金属片を取り外し、跪いて石碑の前に捧げた。
これを持つことがスカーレット家の当主の座にあることの証なのだ。
それが多くの者が見る中で外され、捧げられたということは即ち、当主の座が別の存在に移ったことを意味する。
「いま、スカーレット家当主の座は祖霊たちに返され、スカーレットの眷属を治めるのは祖霊たちとなる。
祖霊たちの領土に集いし者達よ、偉大なる霊を讃えよ!」
(Don!)「「「Wow!!」」」
静まり返っていた参列席から、一度大きく足を踏み鳴らした後、声をそろえた大きな叫びが起こり、建物内に木霊した。
これがこれまで言葉を持たぬ者も含んだ多くの魔物を眷属に迎えてきたスカーレット家における、全ての配下共通のサインなのだ。
レミリアの語りは続いていく。
「この場で第一に讃えるべきは、スカーレット家を興した初代当主、~~である。
小さき者がその生涯をかけようと語りつくせぬ数限りない業績の中で、
最も讃えるべきは、闇夜の世界にあって己に従う者たちを守り、彼らに繁栄の未来を示す貴族として生き、
その役割を後の世に引き継ぐことを使命としたことである!」
暗がりの中で沈んでいた石碑の表面に、紅い光が灯った。
表面に刻まれた文字が自ら光を放ち始め、闇の中でも内容が読み取れるようになったのだ。
そこには、初代当主の名前と、その業績を記した文章が刻まれていた。
「そして多くの者達が彼の意思につき従った!彼らがあってこその我々であることを忘れてはならない!」
その言葉とともに、左右の石版からも光を放つ文字が現れた。
それは初代当主の時代に眷属であった者達の名前であった。
「そしてこの場で第二に讃えるべきは~ 」
そうしてそれぞれの時代の当主の名と、彼らの業績が読み上げられていく。
それと同時に石碑と石版の光もまた増えていった。
そして先代の名前と業績まで読み上げ終わったところで、レミリアは一度語りを止め、
石碑に向き直ってその下に捧げられた金属片を恭しく手に取り、両手で捧げ持って参列者の方に示した。
そしてこれまでのスカーレット家の歴史が記された石碑と石版を背負い、
現在の重鎮達に左右から支えられる形で宣言した。
「レミリア=スカーレットは偉大なる祖霊たちから当主の座を賜ることを、祖霊と眷属が集うこの場、このときに宣言する!
異を唱えるものは前に進み出よ、認めるものは讃えを以って応じよ!」
(Don!)「「「Wow!」」」
前に進み出る者は無く、全員から敬意を示す音が室内に響き渡った。
それを受けてレミリアは金属片を左手首に嵌め、左手を頭上に大きく掲げる、
するといかなる力によるものか、そこに紅く輝く大きな槍が現れた。
その一際強い光に照らされる中で、レミリアは儀式の目的が違わず果たされたことを示す言葉を発した。
「今ここにスカーレットの継承者は定まった!スカーレットの名に集う者たちよ、
当主の導きの下、これより後も己が役割に励め!」
「「「Wooow!」」」
参列者の歓声で締めくくられ、儀式は終わった。
ここは儀式が終わった後、紅魔館の中にあるレミリアの私室。
私室とはいってもやたら広いので、紅魔館のメインメンバーが妖精メイドや客人を交えず
プライベートを共有するときには大体ここに集まっていたりする。
そこのテーブルに青い毛玉が乗っていた。
その毛玉からなにやらくぐもった声が聞こえる。
「あ~、肩こった」
良く見てみるとそれは青い髪をしたレミリアの頭で、顔面がテーブルの面に着いているので青い毛の塊に見えたのだ。
「なんだってあんなに気合の入った形式が伝統なのよ…、普通貴族の儀式っていうのは、こう、格式ばってるけどお上品なものなんじゃないの?」
体力に於いては底なしとも思えるレミリアも、こういった神経に来る疲労にまで無敵とはいかないようで、
ぐったりと脱力してテーブルにつっぷしている。
それとは対照的に元気のいい動作でレミリアを甲斐甲斐しく世話をしているのはメイド長の十六夜咲夜だ。
「けど、ご立派でしたよ。
ああいった威厳のある姿で自分が仕事をしている場所の価値を語ってもらうのも、現場のモチベーションには大事なことなんです。
お勤めお疲れ様でした。はい、お水です。」
少しは回復したらしく、レミリアは上体を起こして水の入ったグラスを口に運んだ。
「その姿でいわれると説得力あるわね…。こっちは演説だけで干からびそうなのに、
あれだけ働いたあなたはなんだか肌がつやつやしているわよ。
ひょっとして気持ちの問題だけじゃなくて身体も吸血鬼の一種になったんじゃない?」
「あら、そうでしたら嬉しいですね。
この館に迎えられてから、色々な形でこの儀式を支えて来たことで、ご先祖様たちが奇跡でも起こしてくれたかしら。」
「そういえばちょっと前まで演説の時には向かいに居たのよね。そのときからこの儀式の準備にはやたら張り切っていたっけ。
なにがそんなに楽しみなの?」
その問いを受けると、「完全で瀟洒」と評される紅魔館のメイド長は満面の笑みを浮かべて
「全部ですね。レミリアさまの凛々しい姿を見ることも、それをこの館に縁のあるものたちで共有することも、
楽しみな本番を目指して皆で準備することも、毎回少しずつ違う立場、違う状況で関わることが出来ることも…
初めて参加させてもらえた時から、全部大好きですよ。」
と答えた。
その一方で、現当主の妹君のフランドール嬢は、初めて参加したイベントに興奮冷めやらぬ様子だ。
「ねえねえ、綺麗だったね! なんていうかキラキラとかしてないのに、…なんていうか、なんていうか、格好よかった!」
「あー、フラン様は今回が初めての参加だから、そういうのも新鮮に感じるんですね。
こういうわざとキラキラしたのを抑えて綺麗にするやり方をシック、って言うんです。
石碑そのものは初代様の頃に作った物をそのまま使っているんですけど、
飾りや明かりの調節なんかはこれまで大勢の人たちが良いものにしようと工夫を凝らして来たんですよ。」
自分が感じたことを誰かにしゃべりたくて仕方がない様子のフランを門番の紅美鈴が相手している。
「へー、前からずっとか…、そういえばさ、初代様ってなんで貴族になろうなんて思ったんだろうね。」
「いいところに気が付きましたね、最初は人間の貴族みたいに美味しい料理とか綺麗な服とかの贅沢がしたかっただけらしいんですけど…
そうすると人間の職人に魔物相手でも約束を守らせたり、品物の注文先やメイド役の弱い妖怪も守らなきゃいけなくなったり、
自分だけじゃ手が廻らないから部下や兵隊を上手く使わなきゃいけなかったりで、気が付いたらそう呼ばれていたみたいですよ?」
「へー、よっぽど贅沢が好きだったんだね。
そういえばさ、地下の図書館を作って宝として決めたのがお父様の一番の偉業って言われてたけど、あれってそんなに凄い図書館だったんだ?
ずっと近くで暮らしてたからわかんなかった。」
「ええ、普通は書物の数が多かったり、貴重な書物があったりするのが図書館の自慢するところなんですけど、
紅魔館の図書館はとてつもなく広い上に貴重な書物を自分で集めてしまいますからね。
魔法を上手く使った図書館でも、これほどの物は世界に殆ど無いんじゃないでしょうか。」
「凄いんだね!」
「そう、凄いんですよ。」
「それじゃあさ…… 」
泉のように尽きることの無いフランの言葉に、美鈴は紅魔館の過去を絡めて答えていく。
495年間止まっていた時間が未来へと動き出したフランの前には、「歴史」という新しい世界が広がっていた。
(シュコー、シュコー)
さて、こちらは部屋の隅にある安楽椅子。
そこからはなにやら妙な音がしてくる。
(シュコー、シュコー)
どうやら安楽椅子の上に横たわっているパチュリーが口に当てている管がつながっている覆いから音が出ているようだ。
「パチュリー様、いくら何でも大げさじゃないですか?」
「(シュコー)黙りなさい、小悪魔。(シュコー)この時間の装備は誰にも口出し、(シュコー)させないわ。(シュコー)」
横に立ってその姿にツッコミを入れているのはパチュリーと契約して司書と助手をしている小悪魔だ。
見ると安楽椅子の足の部分に複雑な文字が刻まれており、床から少し浮いている。
どうやら座っているときに安楽なだけでなく、魔法で浮きながら安楽に移動できる代物らしい。
「あそこに行くのに、(シュコー)大げさなどというやつの(シュコー)気が知れないわ」
「そうは言ったって、空調やほこりの元を改装したのはパチュリー様じゃないですか。自分の技術が信用できないんですか?」
「(シュコー)口出しはさせないと(シュコー)言ったはずよ。大体完成したのは(シュコー)つい最近じゃない。」
「まあ…、空調の完成はパチュリー様の悲願みたいなものでしたからね。これまでは空調に加えて自分に時間停止の術を断続してかけてたんでしたっけ。
けど完成したときに、もう事後の装備はいらないとかいってませんでしたっけ。」
「(シュコー)最近、アレルギーについて(シュコー)勉強したのよ。有害なものに(シュコー)繰り返し触れると体質が変わるんですって。」
「あー、それで儀式中に妙に魔力を使っていたんですね。」
小悪魔は思い出す。契約したばかりの頃のこと、紅魔館で魔術担当を引き受けることになったパチュリーは、当然儀式には強制参加だ。
当主の座の再確認に魔術担当が欠席続きなど、妙な勘ぐりをされかねない。
だが…、その魔術担当は喘息持ちだったのだ。
パチュリーが紅魔館に来たのが百年前、もともと清潔観念が大雑把な西洋の地下墓地など、そのままでは耐えられない。
儀式の存在を知ったパチュリーは直ぐに自分用に空調の改装を行おうとしたが、
「歴代当主の領土たる霊廟を新参にいじらせるわけにいくわけないじゃろう!」
という意見のもと、却下された。
そして見事なまでの醜態をさらした。
それ以来、パチュリーの魔術研鑽の一部は、この儀式を乗り切る手段と、空調改装をねじ込める権力を獲得するために費やされてきたのだ。
事実上のNo.2になり、小悪魔の言う通り空調などは自分に合わせて決めているのだから、そこまで必要なはずは無いのだが…、もう何かやらないと落ち着かないらしい。
(ふん、けどそんなこと言ってたあいつも今じゃ「ご先祖さま」として眠る側か…)
パチュリーは自分に霊廟を触らせるのを最初に一番嫌がっていたかつての警備担当の姿を思い浮かべる。
いつも自分はおろかレミリアさえ会ったことがない先々代の話を引き合いに出して仰々しい説教を始めた。
万能を目指した自分と違い、炎の魔力を徹底して極めることを目指し、炎の扱いについては誰にも負けなかった。
フランが暴れだした時の取り押さえ役でもあり…、最期までフランの精神が落ち着く日を願っていた。
(あれだけ腫れ物のように扱ってきた立場に自分がなって…、あいつの幽霊に顔があったらどんな表情してるのかしらね)
すぐに思い浮かんだ。居心地が悪そうな顔をして、姉妹とその周辺に眼を泳がせているに決まっている。
「お嬢様、そろそろ儀式には参列しなかった方々もお集まりになって、パーティーの準備が出来ましたよ。
身支度をお願いできますか?」
妖精メイドからパーティー準備完了の報告を受けた咲夜が、レミリアを促した。
「判ったわ。それじゃ準備に入るわよ。」
「はい、それでは衣装室に移動しましょう。」
休憩時間は終わり、レミリアは椅子から降りると一つ伸びをして次の予定に頭を切り替える。
「パチェ、一応聞いておくけど、パーティーのホスト役は今回もパスね?」
「失礼ね。「図書館で魔術研究の発表をしながら歓待」よ。来るものは別に拒まないわ。」
パチュリーの方も安楽椅子の上で身を起こし、起きる体勢に入ったようだ。
「あなたの日常じゃない。まあいきなり予定を変えられても準備が困るんだけどね。」
ふとフランの方に眼を向けると、なにやら上体が前後に揺れ始めている。
「フラン様、フラン様、ここで寝たら風邪を引きますよ。寝るなら寝室にしましょう。」
「う~、寝ない、寝ないよ。この後パーティーなんでしょ、寝たら出られなくなっちゃう。
それにまだ日が落ちたばっかりだもん。」
さっきまでの勢いはどこへやら、フランの身体はすっかり寝る体制に入っている。
なんとか起きているが、バッテリー切れのランプが点灯しているのが見えそうだ。
「やれやれ、疲れることをした後に後先考えずはしゃぎ回るからよ。成し遂げた自信があるなら堂々と休むことを覚えなさい。」
「む、ちゃんとパーティーにも出てから休むもん。儀式に初めて参列してそのままホストもするの。」
「けれどもそんな様子では笑われてしまいますよ?
お嬢様もさっきまでは休んでいたんですし、それと同じ位はフラン様も休んだほうがいいのでは?」
「う~ん、じゃあそうする。」
「では、寝室の方に参りましょうか。」
フランは美鈴に付き添われてレミリアの私室から出て行った。
「さて、しばらく起きないだろうし、あの白黒は会場に来た後に図書館に行くだろうから、
そうね、記録ではフランは図書館での歓待でホストを務めたことにでもしておいて頂戴。」
「了解よ。それじゃ小悪魔、私は先に行ってるわよ。」
パチュリーは安楽椅子に頬杖をついた格好のまま、椅子ごと部屋を出て行った。
「さてと、咲夜さん。こちらは図書館の方に移動すら方を担当するわけですけど、接待用のティーセットか何か余ってますか?」
「(!) ええ、都合しましょう。大いに盛り上げてきてください。」
「ありがとうございます。ふふふふふ。」
「どういたしまして。ふふふふふ。」
なにやら凄く悪い顔でやり取りを交わす小悪魔と咲夜。
会話の内容には不穏なものは無かったはずだが…、なにかで通じ合っているらしい。
「ちっ、フランとパチェをダシにした場面にわかっていながら居合わせないとは一生の不覚だわ。」
「まあ、こちらはこちらで盛り上げて、自慢してやりましょう。」
「わかっているわよ。それじゃ、行きましょうか」
かつての紅魔館の住人達に敬意を捧げ、当主の座を受け継いだ紅魔館の主とその第一の従者は、
これから未来を築いていく客人を歓迎するために次の会場へと向かう。
当主が悠久の時を生きる吸血鬼であり、500年以上を生きた現在の当主でさえ先代の当主から財産として引き継いだという
気の遠くなる程の歴史を刻んできた魔物の館「紅魔館」。
無慈悲で平等な時間が支配し、全てが移り変わる現世の中で、
この館は変わらないものを抱え、変わり行くもの達の手で守られ、
ほんの少しだけ、他の場所よりも遅い時間を刻んでいくのだろう。
これがプロローグで後に長いのが続くというのならまた別だろうと思います。
情景描写は良かったのですが、
眷属の儀式がテーマであれば、とにかく一貫とした不気味さやカリスマ性が欲しいところです。
掛け声も日本語表記の方がゾワゾワきたかも。