※捏造設定があります。
主の朝はいつも早い――そして、それはいつもどおりの朝だと言えた。
窓から差し込む斜光に照らされた人形達の頭部を寝ぼけ眼で眺めた主が、一度驚いたように身をすくめ、一息ほど置いた後「おはよぉ~」と、欠伸交じりに間抜な独り言を呟く。そして、おもむろにベッドから身を起こして床に降り立つと、やおら二体の人形が宙に舞いあがり、主の着替えや朝食の準備をせっせと手伝い始める。
いつも通りの朝の光景――と、思えた。
<大妖精とアリスの人形劇> 1
Chapter1
朝の静寂を破るように、アリス邸のドアが叩かれたのは、人形たちの主――アリス・マーガトロイドが着替えを済ませて、朝食を摂ろうと椅子に座ったときだった。
(誰? こんな時間に)
日は昇ったとはいえ、今はまだ朝焼け直後のような時刻。そうでなくとも、人妖跋扈する幻想郷の魔境、魔法の森に位置するアリス邸を訪れる者など、そう居るものではない。
一応心当たりは二人ほどいるのだが――あの騒々しい二人――訪問者が誰であれ、このような時刻にアリス邸を訪れるという事は、夜間に魔法の森を歩いても問題のない、相応に力ある者が来たと考えたほうが良いだろう。
(どっちにしろ面倒事よね)
アリスの頭には、あの二人、イコール騒々しい。別人、イコール面倒、と言う公式が出来ていた。
面倒に巻き込まれるのは何より嫌だし、騒々しい連中のせいで朝食の時間がつぶれるのは御免だ。いっそ無視してしまおうか――そんな発想すらアリスの脳裏を掠める。
そもそも無理に相手にする必要は無いはずなのだ。この魔法の森に住み始めたのもそれが理由。
あとは、白黒魔法使いさえ居なければもう少し静かなのだろうが。
そんなアリスの思考をよそに、ドアを叩く音は次第に激しい音を立てはじめた。もうすでに叩くと言うより、外側から蹴っている様な鈍い音だ。
アリスは嘆息する。
(これで誰が来たのか、なんとなく予想がつくわね)
他人の家のドアを蹴るような知り合いに、心当たりは一人しかない。アリスは席を立つと、仕方なくドアに近づいた。ノブを押し下げ、勢いよく開け放つ
「ちょっと魔理沙、いい加げ――」
しかし
ドアの向こうに予想した人影は無かった。
ただ、鬱蒼と茂った魔法の森の木々が風に揺れ、ざわざわと騒ぐ様子だけが目に入る。
もしやどこかに隠れているのかと、念のため周囲を見回してみたものの、やはり誰の姿も見えない。
誰かの悪戯かしら? と、訝しむも、アリスの脳裏には魔理沙の顔が、より強く浮かび上がって来るのみ。魔理沙なら意味無く悪戯を仕掛けてきてもおかしくはないだろう、と。
だが、何かがおかしい。
よく考えれば隠れてこそこそ笑うのは、魔理沙の性格に合わないといえなくもない。魔理沙なら正面切って笑いものにするだろう。それだけに性質が悪いのだが。
「風かしら……気味悪いわね」
ともあれ、魔理沙でないのならドアを蹴るような不躾な輩に心当たりは無く、相手にする必要も無いだろう。アリスそう考えて、摂り損ねた朝食に戻ることにした。
ドアノブに力を込めて、引く――
と。
「うわーん!足が、足が挟まった!引っかかったよう!あ、ダメ!いたい!いたい!いたい!」
――どこからともなく、悲鳴(?)が聞こえてきた。
奇妙に小ささを感じさせる愛嬌のある声。
アリスは、それがどこから来る声なのか予想できず、もう一度あたりを見渡した。
姿のない声の印象はともかく、声そのものが思ったよりも大きい。つまり近くに居ることは間違いない。
ドアから手を離して、さらに屋敷の入り口付近を見渡してみるも、やはり人影は見えない。
ただ、その間にも
「わあーん!はずれないよぅ、ぬけないよう、この!この!ああっ!動かすといたい!いたぁぃ!」
などと言う一人芝居じみた悲鳴(?)が聞こえていた。
はて。
「だれかいるのー?」
「ああっ!此処です!ここ!わ、きゃー!ちょっとコレ重いよ!うわーん」
「隠れてないで出てきなさい」
「いやぁー!隠れてないの!動けないの、足が足がぁ~助けてー」
自らの位置を「ここ」としか言わない悲鳴では、どこに居るのか分からない。
少し思案した後、アリスはふと思い至り、開け放ったドアの裏側――もっとも屋外からは表になるが――を覗き込んでみた。
するとそこには、光沢のある羽を生やした碧髪の少女が、涙目でドアに張り付いている。
少女の姿は、一応妖精のそれなのだが。
「……家のドアに恋してるの?」
「ち、ちがいます!いきなり開けるから、足が、足が、あしがぁ」
とぼけた言葉に、少女は必死に訴えてきた。
少女の片足、つま先部分がドアの下に挟まるように潜り込んでいる。
どうやら訪問者を魔理沙とばかり思い込んでいたアリスが、勢いに任せてドアを開いた際、彼女の足を挟み込んでしまったようだ。
少女は先刻から、挟まった足を抜こうと小さな手で、うんうん唸りつつドアを押していた、らしい。
「ちょっと待ってね」
そういうと、アリスは挟まった足を反対側から軽く蹴った。
すると、こん、と軽い音を立てて少女の足が抜け、数分の束縛から解き放たれた少女は、「たすかりましたぁ」と感謝を述べた後、改めて自分は湖の大妖精だと名乗り
「あなたに、お願いがあって来ました」
と言った。
Chapter2
ところ変わってアリス邸の一室。
結局朝食は摂らないまま、アリスは早朝の訪問者にお茶を出すことを優先し、彼女を屋敷に招くことにしたのだが――。
お茶を出す前に、まず言っておきたい事があった。
「どうでもいいんだけど、ドア蹴るな。借金取りじゃないんだから」
大妖精の足を蹴り抜くと、ドアの表面には小さな靴型が幾つか残っていた。
やはり蹴っていたらしい。
「ごめんなさい。ノックはしたのだけど、反応が無くって……聞こえないのかと思って」
すると大妖精は非を認め、素直に頭を下げる。
その様子を見て、アリスは思った――この子の素直な様子が私の警戒心を駆り立てるのはなぜだろう……普段ひねくれている珍妙な人間ばかり相手にしていたせいで、精神が荒んでいるのだろうか。
が、そもそもこんな普通のことで、何故こんなにも警戒しなければならないのだろう。原因に頭を悩ませるまでもない、あの二人に関わったのが始まりだ。思えば魔界から続く因縁で幻想郷に来た。それからも、アノ2人はやりたい放題。ついでに無視され放題。自分はからかうなんて言ってはいるが、結局まともな成果は上がっていない。幻想郷に来てもう数年経つが、別に魔力が強まったわけでもない。貴重なグリモワールや、幻想郷でないと手に入らないレアなアイテムを幾つか手に入れることが出来たが――
「――あ、あの……どうかしましたか?」
かかった声でアリスは我に返った。
向かいに座る大妖精が、不思議そうにこちら凝視している。
どうやら自分の世界に耽っていたよう。
「な、なんでもないけど……これからはちゃんとするのよ」
アリスは慌てて誤魔化し、取り繕うようにそう言う。
「はい」
すると、またしても大妖精は素直に頷いた。
ヤハリ、ナニカ、タクラミガ――再びのそり、と鎌首擡げる猜疑心。
しかし、それはもう、どうでも良い。
さて、そんなやり取りの間に、アリスの人形たちが茶の用意を整え終えていた。宙に浮いた三体の人形が、ティーカップに茶を注ぎ入れる。
「うわぁ、美味しい。これ、なんですか?」
茶を注いだ人形に礼を言って、一口啜った後、大妖精は感嘆の声を上げた。
そんなに美味しいのだろうかと、アリスも一口飲んでみるが、含んだ口から鼻腔に伝わる香りや、味、そして茶の温度など――すべてが普段と変わりのないものだった。
「普通のお茶よ。自家製だけど」
「へぇ~、コレがお茶なんだ。私初めてです。良い匂い~」
上機嫌な大妖精の様子をみてアリスは――初めてのお茶ならそうなるのだろうか――と奇妙に納得しつつ、妖精達が普段、朝露と花の蜜くらいしか口にしないことを思い出していた。
茶を初めてと言う人間はいないだろうから知るべくもないが、妖精はそうかもしれない。
「ところで、私にお願いって?」
「あ、えっと、もうすぐ私たちのおまつりがあるんです」
「祭り?」
「はい、おまつり」
妖精の祭りと言うと、妖精達は特定の月の夜に集合して踊るという話がある。以前魔理沙も『妖精がたまに集合して、宴会をやるらしいぜ。いつかは知らないけど』などと、話していたことがあった。
なんでも、その妖精たちの集まりでは普段見かけることのできない珍品や、妖精たちにしか採取できない超希少品を持ち寄っているとのことで、収集家としては非常に興味をそそられる話なのだが。
「なにするの? その……おまつりって」
多少、期待を持って尋ねると、大妖精は楽しそうに答えた。
「はい、幻想郷の妖精たちが集まって、みんなでわーって遊ぶんです。ゲームしたり、お話したり」
――遊ぶ。
その答えを聞いてアリスは、がっくりと興味が失せるのを感じた。
いかにも妖精チックな祭りである。
考えてみれば妖精たちは永遠の子供。それ故に、俗っぽい価値と言うものなど、およそ理解できてはいない。彼らの価値観は、彼らの世界独自のもので――外界から流れてきたガラクタを宝と呼び――瓶のコルク栓だとか、変哲の無いガラス球だとか、そういったものを後生大事に抱え込んでいることが多いのだ。
(期待出来ないわね、そりゃ)
そもそも、彼らの珍品と言うものが、こちらでも価値あるものとは限らないのだ。
大妖精はアリスの邪な思考をよそに話を続ける。
「何度もあるお祭りじゃないから、騒霊の人たちとか、夜雀さんに盛り上げて欲しくて――
なるほど、騒霊プリズムリバー三姉妹なら宴を盛り上げてくれるだろう。
彼らはそんなイベントの専門家だ。彼らの演奏をバックにするなら、気まぐれな夜雀も盛り上げてくれるかもしれない。
まあどちらにしても、アリスに関わりのあることとは思えないが
「――だから、是非、人形遣いさんにも来て欲しくって」
その後の言葉を聴いて、ぴくりと、アリスの片眉が跳ねる。
ただ来て欲しいではない。
『是非』と来た。
是が非でもの是非である。
「ちょ、ちょっとまって」
「はい?」
「いや、他の連中は分かるわよ、お祭りだから。でも、どうして私なの?」
大妖精の誘いが本気で嬉し――ではなく、アリスには彼女が自分を誘う理由が良く分からなかった。盛り上げるための騒霊と夜雀、そこまでは分かる。が、それで何故自分なのだろうか。
お世辞にも騒がしい場にふさわしくない自分のような魔法使いを、一体何のために呼びたいと言うのか。
すると、大妖精は一時きょとんとアリスを見た後、こともなげに答えを出した。
「音楽と歌があるなら、人形劇も見たいと思ったから」
人形劇。
大妖精はそれが目的だったらしい。なるほど、いかにも彼女らしい趣味だと思う。
しかしその答えは、アリスの疑問をより深めることになった。
「でも私、人形劇なんてしたことないわよ?」
人前や屋外で人形を操った事はある。それがアリスの異名たる七色の人形遣いの由縁だ。
しかし、演劇させたことがあるかと聞かれたら話は別になる。アリスに経験は全くない。
だが、アリスの回答に対して、大妖精は激しい口調で反論してきた。
「嘘です!私ちゃんと見たことがあるんです!人形遣いさんの人形劇」
「…………うーん、見間違いじゃない?」
顔を紅潮せて抗議する大妖精の意外なほどの剣幕に、はて? そんなことがあったのかと、アリスは自分の記憶を辿ってみるも……やはり思い当たることが無い。
すると大妖精はさらに興奮して言い放つ。
「ちがいます!見間違いじゃありません!私見たんです!人形遣いさんがここで人形劇の練習していたの!」
大妖精の言葉に、アリスはしばらく黙って考えた。
「ここで?」
「はい!ここです」
「ここ、なのね」
「はい!」
やはり変だ、彼女の言葉には妙な部分がある。
そう――『ここ』って、どこだろう。
「あのね、ここ、って私の家なんだけど」
「――あっ」
あわてて口を両手で押さえる大妖精。どうやら、言ってはいけないことだったらしい。
確かにアリスは屋敷の中で人形劇じみた事はしている。人形繰りの修行の一環だ。なるべく人に近い動きを再現することで、新しいスペルの修行としていたのだ。
ただ、人に見られたくないから屋内での修行にしているわけであって、それを覗かれていたとなると少々恥ずかしいものがある。
「あなた……どこから、どうやって見たの」
「え……えっと、そこの窓から見えるから……見てみろーって……」
大妖精は申し訳なさそうに俯いて、庭に面したリビングの窓を指差した。ちょうど垣根のように並べられた人形と人形の間に位置するその窓からは、外の風景がよく見える。
確かに人形繰りの訓練はいつもリビングでやっていたような気がする。あそこなら、昼間でも室内の様子が伺えるかもしれない。
どうも人の寄らない魔法の森だからと油断していたか。
「――で?誰が言ったの、覗いてみろって」
「えっ、あ、で……でも、それは……」
アリスの質問に、大妖精は見た目も気の毒なほど狼狽する。
だが、アリスもここで許すわけにはいかない。大妖精が見たものは、アリスにとってスペルの実験に繋がるものである。
ブン屋もどきの烏天狗に見られていないだけまだましだが、覗いた犯人――いや、覗いてみろと唆した元凶には、少々灸をすえる必要があるだろう。
「言いなさい。言わないと、おまつりに行ってあげない」
軽い脅しを含んだアリスの言葉に、「ええっ!?」と驚愕の声を上げた大妖精は、その後しばらく自分の頭を抱えるようにして、うんうん唸った後――
「ち、チルノちゃんが……」
ついに一人の名を告げた。
そしてアリスは、その名で全てを理解し――どうでもよくなった。
(結局、私が油断していたということ……か)
チルノと言えば、あの興味本位で行動する氷精のことだろう。そんなに優秀な遣い手ではないし、まして脅威でもなんでもない。
チルノのステータスは『アタイサイキョー』と言いながら、通りかかる人妖にちょっかいを出すことであり、その行動の全てに悪気がないのだ。
もし、そんな妖精を捕まえて咎めたとしても、彼奴が自分の非を認めるとは思えないし、なにより時間の無駄である。
まあ、元は自分の油断が招いたことかと、アリスはこれ以上の追求を諦め、大妖精を許してあげることにした。
「ま、しょうがないわね。今回はいいわよ」
その声に「えっ!」と顔を上げた大妖精の顔が、ぱっ、と華やいで、
「じゃあ――来てくれるんですね!」
その彼女の言葉に、一拍ほど置いたアリスが「えっ??」っと小さく漏らす。
一瞬理解できなかったが、今なにか、違和感があった。
大妖精が言った内容と、アリスが先ほど言ったものとでは、内容が違うような気がする。
「ちょっと、わたしが今いったのは――
だが、アリスが確認しようとした時、笑顔を浮かべた大妖精の姿は霞み始め――
「よかったー。じゃあ、明後日の夜にお迎えに来ます!楽しみにしてますね!」
「ちょ、ちょっと!」
引き止めた頃、その姿は完全に消えてしまったのである。
《つづいた》
主の朝はいつも早い――そして、それはいつもどおりの朝だと言えた。
窓から差し込む斜光に照らされた人形達の頭部を寝ぼけ眼で眺めた主が、一度驚いたように身をすくめ、一息ほど置いた後「おはよぉ~」と、欠伸交じりに間抜な独り言を呟く。そして、おもむろにベッドから身を起こして床に降り立つと、やおら二体の人形が宙に舞いあがり、主の着替えや朝食の準備をせっせと手伝い始める。
いつも通りの朝の光景――と、思えた。
<大妖精とアリスの人形劇> 1
Chapter1
朝の静寂を破るように、アリス邸のドアが叩かれたのは、人形たちの主――アリス・マーガトロイドが着替えを済ませて、朝食を摂ろうと椅子に座ったときだった。
(誰? こんな時間に)
日は昇ったとはいえ、今はまだ朝焼け直後のような時刻。そうでなくとも、人妖跋扈する幻想郷の魔境、魔法の森に位置するアリス邸を訪れる者など、そう居るものではない。
一応心当たりは二人ほどいるのだが――あの騒々しい二人――訪問者が誰であれ、このような時刻にアリス邸を訪れるという事は、夜間に魔法の森を歩いても問題のない、相応に力ある者が来たと考えたほうが良いだろう。
(どっちにしろ面倒事よね)
アリスの頭には、あの二人、イコール騒々しい。別人、イコール面倒、と言う公式が出来ていた。
面倒に巻き込まれるのは何より嫌だし、騒々しい連中のせいで朝食の時間がつぶれるのは御免だ。いっそ無視してしまおうか――そんな発想すらアリスの脳裏を掠める。
そもそも無理に相手にする必要は無いはずなのだ。この魔法の森に住み始めたのもそれが理由。
あとは、白黒魔法使いさえ居なければもう少し静かなのだろうが。
そんなアリスの思考をよそに、ドアを叩く音は次第に激しい音を立てはじめた。もうすでに叩くと言うより、外側から蹴っている様な鈍い音だ。
アリスは嘆息する。
(これで誰が来たのか、なんとなく予想がつくわね)
他人の家のドアを蹴るような知り合いに、心当たりは一人しかない。アリスは席を立つと、仕方なくドアに近づいた。ノブを押し下げ、勢いよく開け放つ
「ちょっと魔理沙、いい加げ――」
しかし
ドアの向こうに予想した人影は無かった。
ただ、鬱蒼と茂った魔法の森の木々が風に揺れ、ざわざわと騒ぐ様子だけが目に入る。
もしやどこかに隠れているのかと、念のため周囲を見回してみたものの、やはり誰の姿も見えない。
誰かの悪戯かしら? と、訝しむも、アリスの脳裏には魔理沙の顔が、より強く浮かび上がって来るのみ。魔理沙なら意味無く悪戯を仕掛けてきてもおかしくはないだろう、と。
だが、何かがおかしい。
よく考えれば隠れてこそこそ笑うのは、魔理沙の性格に合わないといえなくもない。魔理沙なら正面切って笑いものにするだろう。それだけに性質が悪いのだが。
「風かしら……気味悪いわね」
ともあれ、魔理沙でないのならドアを蹴るような不躾な輩に心当たりは無く、相手にする必要も無いだろう。アリスそう考えて、摂り損ねた朝食に戻ることにした。
ドアノブに力を込めて、引く――
と。
「うわーん!足が、足が挟まった!引っかかったよう!あ、ダメ!いたい!いたい!いたい!」
――どこからともなく、悲鳴(?)が聞こえてきた。
奇妙に小ささを感じさせる愛嬌のある声。
アリスは、それがどこから来る声なのか予想できず、もう一度あたりを見渡した。
姿のない声の印象はともかく、声そのものが思ったよりも大きい。つまり近くに居ることは間違いない。
ドアから手を離して、さらに屋敷の入り口付近を見渡してみるも、やはり人影は見えない。
ただ、その間にも
「わあーん!はずれないよぅ、ぬけないよう、この!この!ああっ!動かすといたい!いたぁぃ!」
などと言う一人芝居じみた悲鳴(?)が聞こえていた。
はて。
「だれかいるのー?」
「ああっ!此処です!ここ!わ、きゃー!ちょっとコレ重いよ!うわーん」
「隠れてないで出てきなさい」
「いやぁー!隠れてないの!動けないの、足が足がぁ~助けてー」
自らの位置を「ここ」としか言わない悲鳴では、どこに居るのか分からない。
少し思案した後、アリスはふと思い至り、開け放ったドアの裏側――もっとも屋外からは表になるが――を覗き込んでみた。
するとそこには、光沢のある羽を生やした碧髪の少女が、涙目でドアに張り付いている。
少女の姿は、一応妖精のそれなのだが。
「……家のドアに恋してるの?」
「ち、ちがいます!いきなり開けるから、足が、足が、あしがぁ」
とぼけた言葉に、少女は必死に訴えてきた。
少女の片足、つま先部分がドアの下に挟まるように潜り込んでいる。
どうやら訪問者を魔理沙とばかり思い込んでいたアリスが、勢いに任せてドアを開いた際、彼女の足を挟み込んでしまったようだ。
少女は先刻から、挟まった足を抜こうと小さな手で、うんうん唸りつつドアを押していた、らしい。
「ちょっと待ってね」
そういうと、アリスは挟まった足を反対側から軽く蹴った。
すると、こん、と軽い音を立てて少女の足が抜け、数分の束縛から解き放たれた少女は、「たすかりましたぁ」と感謝を述べた後、改めて自分は湖の大妖精だと名乗り
「あなたに、お願いがあって来ました」
と言った。
Chapter2
ところ変わってアリス邸の一室。
結局朝食は摂らないまま、アリスは早朝の訪問者にお茶を出すことを優先し、彼女を屋敷に招くことにしたのだが――。
お茶を出す前に、まず言っておきたい事があった。
「どうでもいいんだけど、ドア蹴るな。借金取りじゃないんだから」
大妖精の足を蹴り抜くと、ドアの表面には小さな靴型が幾つか残っていた。
やはり蹴っていたらしい。
「ごめんなさい。ノックはしたのだけど、反応が無くって……聞こえないのかと思って」
すると大妖精は非を認め、素直に頭を下げる。
その様子を見て、アリスは思った――この子の素直な様子が私の警戒心を駆り立てるのはなぜだろう……普段ひねくれている珍妙な人間ばかり相手にしていたせいで、精神が荒んでいるのだろうか。
が、そもそもこんな普通のことで、何故こんなにも警戒しなければならないのだろう。原因に頭を悩ませるまでもない、あの二人に関わったのが始まりだ。思えば魔界から続く因縁で幻想郷に来た。それからも、アノ2人はやりたい放題。ついでに無視され放題。自分はからかうなんて言ってはいるが、結局まともな成果は上がっていない。幻想郷に来てもう数年経つが、別に魔力が強まったわけでもない。貴重なグリモワールや、幻想郷でないと手に入らないレアなアイテムを幾つか手に入れることが出来たが――
「――あ、あの……どうかしましたか?」
かかった声でアリスは我に返った。
向かいに座る大妖精が、不思議そうにこちら凝視している。
どうやら自分の世界に耽っていたよう。
「な、なんでもないけど……これからはちゃんとするのよ」
アリスは慌てて誤魔化し、取り繕うようにそう言う。
「はい」
すると、またしても大妖精は素直に頷いた。
ヤハリ、ナニカ、タクラミガ――再びのそり、と鎌首擡げる猜疑心。
しかし、それはもう、どうでも良い。
さて、そんなやり取りの間に、アリスの人形たちが茶の用意を整え終えていた。宙に浮いた三体の人形が、ティーカップに茶を注ぎ入れる。
「うわぁ、美味しい。これ、なんですか?」
茶を注いだ人形に礼を言って、一口啜った後、大妖精は感嘆の声を上げた。
そんなに美味しいのだろうかと、アリスも一口飲んでみるが、含んだ口から鼻腔に伝わる香りや、味、そして茶の温度など――すべてが普段と変わりのないものだった。
「普通のお茶よ。自家製だけど」
「へぇ~、コレがお茶なんだ。私初めてです。良い匂い~」
上機嫌な大妖精の様子をみてアリスは――初めてのお茶ならそうなるのだろうか――と奇妙に納得しつつ、妖精達が普段、朝露と花の蜜くらいしか口にしないことを思い出していた。
茶を初めてと言う人間はいないだろうから知るべくもないが、妖精はそうかもしれない。
「ところで、私にお願いって?」
「あ、えっと、もうすぐ私たちのおまつりがあるんです」
「祭り?」
「はい、おまつり」
妖精の祭りと言うと、妖精達は特定の月の夜に集合して踊るという話がある。以前魔理沙も『妖精がたまに集合して、宴会をやるらしいぜ。いつかは知らないけど』などと、話していたことがあった。
なんでも、その妖精たちの集まりでは普段見かけることのできない珍品や、妖精たちにしか採取できない超希少品を持ち寄っているとのことで、収集家としては非常に興味をそそられる話なのだが。
「なにするの? その……おまつりって」
多少、期待を持って尋ねると、大妖精は楽しそうに答えた。
「はい、幻想郷の妖精たちが集まって、みんなでわーって遊ぶんです。ゲームしたり、お話したり」
――遊ぶ。
その答えを聞いてアリスは、がっくりと興味が失せるのを感じた。
いかにも妖精チックな祭りである。
考えてみれば妖精たちは永遠の子供。それ故に、俗っぽい価値と言うものなど、およそ理解できてはいない。彼らの価値観は、彼らの世界独自のもので――外界から流れてきたガラクタを宝と呼び――瓶のコルク栓だとか、変哲の無いガラス球だとか、そういったものを後生大事に抱え込んでいることが多いのだ。
(期待出来ないわね、そりゃ)
そもそも、彼らの珍品と言うものが、こちらでも価値あるものとは限らないのだ。
大妖精はアリスの邪な思考をよそに話を続ける。
「何度もあるお祭りじゃないから、騒霊の人たちとか、夜雀さんに盛り上げて欲しくて――
なるほど、騒霊プリズムリバー三姉妹なら宴を盛り上げてくれるだろう。
彼らはそんなイベントの専門家だ。彼らの演奏をバックにするなら、気まぐれな夜雀も盛り上げてくれるかもしれない。
まあどちらにしても、アリスに関わりのあることとは思えないが
「――だから、是非、人形遣いさんにも来て欲しくって」
その後の言葉を聴いて、ぴくりと、アリスの片眉が跳ねる。
ただ来て欲しいではない。
『是非』と来た。
是が非でもの是非である。
「ちょ、ちょっとまって」
「はい?」
「いや、他の連中は分かるわよ、お祭りだから。でも、どうして私なの?」
大妖精の誘いが本気で嬉し――ではなく、アリスには彼女が自分を誘う理由が良く分からなかった。盛り上げるための騒霊と夜雀、そこまでは分かる。が、それで何故自分なのだろうか。
お世辞にも騒がしい場にふさわしくない自分のような魔法使いを、一体何のために呼びたいと言うのか。
すると、大妖精は一時きょとんとアリスを見た後、こともなげに答えを出した。
「音楽と歌があるなら、人形劇も見たいと思ったから」
人形劇。
大妖精はそれが目的だったらしい。なるほど、いかにも彼女らしい趣味だと思う。
しかしその答えは、アリスの疑問をより深めることになった。
「でも私、人形劇なんてしたことないわよ?」
人前や屋外で人形を操った事はある。それがアリスの異名たる七色の人形遣いの由縁だ。
しかし、演劇させたことがあるかと聞かれたら話は別になる。アリスに経験は全くない。
だが、アリスの回答に対して、大妖精は激しい口調で反論してきた。
「嘘です!私ちゃんと見たことがあるんです!人形遣いさんの人形劇」
「…………うーん、見間違いじゃない?」
顔を紅潮せて抗議する大妖精の意外なほどの剣幕に、はて? そんなことがあったのかと、アリスは自分の記憶を辿ってみるも……やはり思い当たることが無い。
すると大妖精はさらに興奮して言い放つ。
「ちがいます!見間違いじゃありません!私見たんです!人形遣いさんがここで人形劇の練習していたの!」
大妖精の言葉に、アリスはしばらく黙って考えた。
「ここで?」
「はい!ここです」
「ここ、なのね」
「はい!」
やはり変だ、彼女の言葉には妙な部分がある。
そう――『ここ』って、どこだろう。
「あのね、ここ、って私の家なんだけど」
「――あっ」
あわてて口を両手で押さえる大妖精。どうやら、言ってはいけないことだったらしい。
確かにアリスは屋敷の中で人形劇じみた事はしている。人形繰りの修行の一環だ。なるべく人に近い動きを再現することで、新しいスペルの修行としていたのだ。
ただ、人に見られたくないから屋内での修行にしているわけであって、それを覗かれていたとなると少々恥ずかしいものがある。
「あなた……どこから、どうやって見たの」
「え……えっと、そこの窓から見えるから……見てみろーって……」
大妖精は申し訳なさそうに俯いて、庭に面したリビングの窓を指差した。ちょうど垣根のように並べられた人形と人形の間に位置するその窓からは、外の風景がよく見える。
確かに人形繰りの訓練はいつもリビングでやっていたような気がする。あそこなら、昼間でも室内の様子が伺えるかもしれない。
どうも人の寄らない魔法の森だからと油断していたか。
「――で?誰が言ったの、覗いてみろって」
「えっ、あ、で……でも、それは……」
アリスの質問に、大妖精は見た目も気の毒なほど狼狽する。
だが、アリスもここで許すわけにはいかない。大妖精が見たものは、アリスにとってスペルの実験に繋がるものである。
ブン屋もどきの烏天狗に見られていないだけまだましだが、覗いた犯人――いや、覗いてみろと唆した元凶には、少々灸をすえる必要があるだろう。
「言いなさい。言わないと、おまつりに行ってあげない」
軽い脅しを含んだアリスの言葉に、「ええっ!?」と驚愕の声を上げた大妖精は、その後しばらく自分の頭を抱えるようにして、うんうん唸った後――
「ち、チルノちゃんが……」
ついに一人の名を告げた。
そしてアリスは、その名で全てを理解し――どうでもよくなった。
(結局、私が油断していたということ……か)
チルノと言えば、あの興味本位で行動する氷精のことだろう。そんなに優秀な遣い手ではないし、まして脅威でもなんでもない。
チルノのステータスは『アタイサイキョー』と言いながら、通りかかる人妖にちょっかいを出すことであり、その行動の全てに悪気がないのだ。
もし、そんな妖精を捕まえて咎めたとしても、彼奴が自分の非を認めるとは思えないし、なにより時間の無駄である。
まあ、元は自分の油断が招いたことかと、アリスはこれ以上の追求を諦め、大妖精を許してあげることにした。
「ま、しょうがないわね。今回はいいわよ」
その声に「えっ!」と顔を上げた大妖精の顔が、ぱっ、と華やいで、
「じゃあ――来てくれるんですね!」
その彼女の言葉に、一拍ほど置いたアリスが「えっ??」っと小さく漏らす。
一瞬理解できなかったが、今なにか、違和感があった。
大妖精が言った内容と、アリスが先ほど言ったものとでは、内容が違うような気がする。
「ちょっと、わたしが今いったのは――
だが、アリスが確認しようとした時、笑顔を浮かべた大妖精の姿は霞み始め――
「よかったー。じゃあ、明後日の夜にお迎えに来ます!楽しみにしてますね!」
「ちょ、ちょっと!」
引き止めた頃、その姿は完全に消えてしまったのである。
《つづいた》
幾貴重なグリモワールや、:後に「幾つか」とあるので、消し忘れかと。
違和感はそれほどないですし、大妖精が出てるのでおっけーね!(何