Coolier - 新生・東方創想話

鎖を解き放て

2010/04/21 00:47:46
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 その日、私はいつにも増して不機嫌だった。
 理由は分かっている。
 今日は、一ヶ月に一度の‘食事’の日だからだ。

 けだるそうにテーブルの上に突っ伏していると、突然目の前にティーカップが現れた。

「お嬢様、紅茶でもいかがですか?」

 絶妙のタイミング。紅茶の良い香りが私の鼻腔をくすぐる。

「……そうね、いただくわ」

 そして、一気に半分ほどを口に含んだ瞬間――口の中にこの世のものと思われないほどの苦味が広がる。

「~~~~~~~!」

 不味い。例えようもないくらいに不味い。
 吐き出しそうになるのを必死に堪えながら、口の中に入った液体を一気に飲み下す。

「……咲夜、これは一体何?」
「紅茶ですが……お気に召さなかったでしょうか」

 わざとか、それとも天然なのか。
 それにしても、この苦味は尋常じゃない。何か変な物でも入れているのだろうか?
 とてもこれ以上は飲めそうもない。

 ――昔、こんなことがあったような気もする。
 だが、それは具体的なイメージとしては想起されず、ひとまずは頭の片隅に追いやることにした。

 そこでふと、私は当初の目的を思い出す。


「……それじゃ、私は‘食事’に行ってくるわ。恐らく、準備は出来ているのでしょうね」
「はい、つい先程。お嬢様のお口に合えばよろしいのですが」
「そうだといいのだけど」

 望みは薄いだろう、と思いながら、私は食事の間へと向かう。




 ――古びた小部屋。そこが、私の定期的な食事部屋だ。

 飾り気のない、薄暗い部屋の中心に、見知らぬ妙齢の女性が倒れている。
 容姿こそ普通だが、手首に多くの傷の跡、そして全身に傷跡が刻まれていた。
 その跡を見る限り、最近出来た傷ではない。
 ということは、‘そういう人生’を歩んできた人間なのだろう。

 ――これが、今日の食事か。
 自ら命を絶つくらいなら、私の血肉となった方がマシだろう。
 他に何の感慨も覚えず、私は女の首をつかむ。しかし、いつもどおり一切の反応はない。

「ふん……いつもいつも、ご苦労なことね」

 死んでいるのではない。仮死状態になっているのだ。
 ――新鮮な血を、抵抗なく飲み干せるように。
 私は女の首に牙を立て、少しずつ、しかし確実に血を吸い取っていく。

「相変わらず、不味いわね……」

 そう、私は人間の血が嫌いなのだ。特に、このように何の抵抗も見せないような人間の血は、実に味気ない。
 しかし、飲まなければ吸血鬼としての力を維持することが出来ない。

 ――吸血鬼が血を苦手だなんて、冗談にもならないわね。
 そんなことを考えながら、私は食事を終える。
 私の食事量は、他の吸血鬼と比べて非常に少ない。
 人間一人の血どころか、一ヶ月に一度、貧血を起こす程度の血を吸うだけでも生きていくことが出来る。
 無論、それ以外にも水分や糖分の摂取が必要にはなるけれども。

 だからこそ、私たちはこれまで生き残ることが出来た。
 血を求め過ぎた同族が人間によって狩られていく中、私たちだけは極少数の人間を狩り、ひっそりと暮らしていた。
 そう――あの日、までは。

 それが分かっているからこそ、あの妖怪も一ヶ月に一度しか人間を送ってはこないのだろう。

「さて、後は……」

 私は再び女の首に牙を立てる。
 そして含んだ血を、用意してあった瓶に移していく。
 あらかた移し終わった後、生気を失った女をそのままに、私は部屋を後にする。
 恐らく、一日後にはきれいに跡形もなくなっているだろう。

 ――と、ここでまた、陰鬱な考えが私を襲う。今の私は『生きている』と言えるだろうか?
 あの妖怪に、飼われているだけじゃないのか?
 500年の時を生きてきたこの私が、こんな世界の片隅でただ朽ち果てるのを待つだけなんて……
 ――それだけは、嫌。

 だから今度こそ、運命を変えて見せる。
 この忌々しい契約という名の鎖を解き放ち、真の自由を得るために――






「……あら、もうお食事は終わりですか、お嬢様?」
「ええ、これが今月の分よ」

 そう言って、私は血に満たされた瓶を無造作に放り投げた。
 咲夜は慌てもせず、機敏な動作で瓶を受け止める。

「それじゃ、私は図書館に行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」

 ――かねてからの計画。
 それは、この世界において確固たる地位を築くこと。

 そのためには、友人の協力が必要になる。




 薄暗い図書館の中、魔力による黄色い光に照らされた一角。
 そこに、熱心に本を読みふける、私の友人の姿があった。

「……パチェ、ちょっといいかしら?」
「レミィ?珍しいわね、貴女がここに来るなんて」

 パチェは読んでいた本を閉じ、私に視線を向ける。

「‘あの計画’……そろそろ、実行しようと思うの。力を貸してちょうだい、パチェ」
「……成る程?それが目当て、ね。ふむ……」

 少しの間、考え込むパチェ。
 だが、その表情にはどこか陰りが見えた。

「……レミィ、本当にやるのね?もう、引き返すことは出来ないわよ?」
「――分かっているわ。だけど、もう耐えられないの。
いつもと同じ、退屈な時間を過ごし続けることに」

 永遠に続く、何の実りも生み出さない日々。それは、苦痛以外の何者でもない。
 ならば――と、私は思う。
 例えどんな結果になったとしても、『生きている』という実感を抱きたい。

「……迷惑をかけるわね、パチェ」
「今に始まったことじゃないでしょ。
――でも、ま、他ならぬ友人の頼みとあれば断るわけにはいかないわ」

 言いながら、パチェは本棚から一冊の本を取り出す。
 相当古い書物であり、さらに厳重に結界が張られている。

「私が調べた限り、これが恐らくはあなたに最も合っている魔法よ」

 そこには、難解な文章が数百ページに渡って綴られていた。
 相当の知識を持った魔法使いでなければ、読み解くことすら適わないだろう。

「この本の内容を要約すると、紅色の霧を発生させ、上空を覆ってしまうというものよ。
そうすれば、日光を防ぎ、吸血鬼にとって害のない赤色の光のみを透過させることが出来るわ。
元々は、強い紫外線を防ぐために考案された魔法らしいけれど」

「光は通るわけね。よく探してくれたわ、パチェ」
「――この程度のこと。私を誰だと思っているの?」

 パチェにしては珍しく、ふふん、と自慢げに胸を張る。
 それだけに、この本にかけた労力が感じられる。
 本当に、パチェには頭が下がる。

「それじゃ、借りてくわよ」
「ええ……でも気をつけてね、レミィ。この魔法は非常に多くの魔力を使うわ」
「フフ、私を誰だと思っているの?過去に誰かが出来たというなら、この私に出来ない筈がないさ」




 そして、私は早速魔法を試すため、バルコニーに出た。
 夜空に煌く星々が、いつもより輝いて見える。

「これで、しばらくこの夜景ともお別れ……か。悪くはないのだけどね、こういうのも」

 吸血鬼は、日光に弱い。だから、外での活動時間は夜しかない。
 しかし、敵は夜に襲撃してくるとは限らない。
 もし昼間に戦ったなら、こちらの不利は明らかだ。
 だからこそ、私は日光を隠す必要がある。

 ――今度こそ、あの妖怪に勝利を収めるために。

「さて……これで良いのかしら」

 パチェに教わった魔法を唱え、手を高く空に掲げる。
 すると、紅色の霧が両手から立ち上り、上空へと吸い込まれていく。

「上手くいったようね……後は、この体勢を維持していればいいのかしら」




 そのまま数刻が過ぎ、私は言いようのない苦痛を感じていた。
 魔力の消費が尋常じゃない上、長時間休むこともなく、ひたすらに霧を発生させているのだ。
 これで疲労を感じないほうが無理というものだろう。

「これだけ大掛かりな魔法……ただで済むとは思ってはいなかったけれど……」

 少しだけパチェを恨めしく思いながら、気力を振り絞り、すでに感覚のなくなった両手を突き上げる。

「この私を……吸血鬼、レミリア・スカーレットを、舐めるな……!」




 ――そして、間もなくして夜明けが訪れた。
 私は、これまで天敵だった太陽を睨み付ける。

 だが、力を使いきった無防備な体を晒しても、私の体は焦げない。

「成功……か」

 脱力し、私はその場に倒れこんだ。
 後ろから、咲夜が私を探す声が聞こえる。

 そりゃそうだろう。この時間、私は眠りについているはずなのだから。
 そして、立ち上がった私は、咲夜と目が合った。

「お嬢様!そんな所にいては……!」
「ああ、大丈夫だよ、咲夜。外を見てみればいい」

 咲夜はバルコニーに出て、紅色に染まった空を見上げる。

「これは……お嬢様が?」
「私以外の誰に、こんなことが出来ると?」

 ――いや、パチェなら出来るかもしれないが。

「それよりも咲夜、お腹が空いたわ。何か甘いものをちょうだい」
「……え?あ、かしこまりました。すぐにお持ちします!」

 さて、これで下準備は出来た。後は――




 咲夜特製のケーキにフォークを突き刺すと、不意に夕べの紅茶が脳裏に浮かんだ。
 ……今度は、ちゃんとした物だろうな……?
 恐る恐る、口の前にケーキを運ぶ。見た目も匂いも、普通そうだ。
 意を決して、ケーキの欠片を口の中に放り込む。

 ……あれ、普通に美味しい。

 変な心配をしていたのが馬鹿らしくなり、残りのケーキをあっという間に平らげる。
 うーん、やっぱり、疲れた体に甘いものはいいわね。

 ――おっといけない、危うく地が出てしまうところだった。

「さて、それじゃあ私は出かけてくるわ」
「今からですか!?」
「ええ、折角の機会だし。まぁ大丈夫でしょう」
「ではお供いたします。お嬢様の身に何かあってはいけません」
「いや、自由に見て回りたいから一人で行くよ」

 そう言うが早いか、私はバルコニーに移り、翼を広げる。

「数刻もすれば戻るわ。紅茶の用意を頼むよ」
「ちょ……お嬢様!」

 咲夜の返事を待たず、私は紅色の空へと飛翔する。






 まだ慣れていないせいか、紅い光が目に痛い。だが、この程度ならすぐに慣れるだろう。
 それよりも――私はこの気持ちの良い風を、自然の息吹を、全身で感じていた。

「光があるのとないので、こうまで違うとは思わなかったわね……」

 夜は殆ど景色など見えない。障害物程度なら認識できるが、それは景色を楽しむこととは異なるものだ。

「これだけでも、この世界に来た意味はあるというものね」

 高くそびえ立つ山々。生い茂る森林。そして、どこまでも続く平野。
 夜行性の私にとっては、その全ての景色が新鮮であり、未知なる物だった。
 前の世界では、こんな風に昼間に空高く飛ぶことなど出来なかったから。
 子供のように辺りを飛び回り、そして見慣れないものを見つけては嘆息する。

「流石に、こんな姿を館の皆には見せられないわね」

 上空の散策を終えた私は満足し、紅魔館へと方角を向ける。




「戻ったわよ、咲夜」
「お帰りなさいませ、お嬢様。いかがでしたか?」
「悪くなかったわ」

 というより、最高の気分だった。これほどに気分が高揚したのは、久しぶりだ。
 だが、紅魔館の主たるもの、それを表に出すわけにはいかない。

「それじゃ、私は寝るわ。明日も出かけるから、用意をお願い」
「かしこまりました」




 そして翌日、私は再び明るい世界を満喫した。
 その翌日も、さらにその翌日も。




 そして半月ほどが経った日、私はまた同じ場所にいた。

「流石に飽きるかと思ったけど、中々良いものね。
――特に、この場所からの眺めは最高ね」

 霧は以前よりも濃くなっているが、吸血鬼である私の目を以てすれば、遠くの景色まで堪能できる。

 だが――と、私は思う。
 もうそろそろ、あの妖怪が動き出すだろう。
 これほどの規模の異変、黙っているわけがない。

 と、一つの考えが浮かぶ。

「これが、最後の機会になるかもしれないなら……」

 そして、その考えを実行に移すため、急いで紅魔館へと戻る。

「ただいま、咲夜」
「あら、今日はお早いお帰りですね」
「ちょっと用があってね」

 私は、地下室へと足を進める。
 そこには、私の唯一の家族であり、妹――フランドール・スカーレットがぬいぐるみと戯れている姿があった。

「お姉様!どうしたの、こんな所に?」

 こんな所……か。胸が痛いわね。でも、これは仕方のないこと。
 ――そう、仕方ないことなのよ。

 でも、今は。今だけは――

「もしかして、遊んでくれるの?」

 純粋な目。この期待を裏切ることなど、誰が出来ようか。
 そして、そのために私は今、ここにいるのだから。

「ええ、遊んであげるわ、フラン。今日は、外で――ね」
「ええっ!」

 フランは心底驚いたような顔をする。それはそうだろう。あれだけ外に出たら駄目と言い聞かせてきたのだから。

「で、でも……日光って、当たっちゃ駄目なんでしょ?」
「心配は要らないわ。今なら、いい景色が見られるわよ?」
「う、うん……!」

 私の手が、フランの手を取った。――ちょうどその時。

 私は、大きな運命の流れを感じる。

「……!」

 爆発音。それも、この紅魔館の近くだ。

「よりにもよって、このタイミング――!」

 内心で舌打ちをするが、散策中でないだけ、まだマシだったかもしれない。

「フラン、少し待っていて。この話は後にしましょう」
「うん、分かった。約束だよ、お姉様」
「……ええ、約束ね」

 言って、私は軽い自己嫌悪に駆られる。
 そう、約束。それは私が生きていればの話。

 だが、元よりここで死ぬつもりなどない。
 私は生き残る。
 あの妖怪を返り討ちにし、真にこの世界の覇者となるのだから――

 地下室から戻ると、すでに咲夜は戦闘態勢を整えていた。

「お嬢様、報告いたします。博麗の巫女が、この紅魔館に襲撃をかけてきたようです」
「博麗の……巫女?」

 肩透かしを食らった気分だった。てっきり、あの妖怪が手勢を率いてやってきたのかと思えば。

「それで、戦況は?」
「すでに門が突破されました。あの子、弾幕は苦手ですからね。
この地での戦いは、相手の方が一枚上手なのでしょう」
「……それにしても早いわね。一体、何人で攻めてきたの?」
「どうやら、巫女一人のようです」
「……!?」

 巫女一人、だと?
 しかも、それなりの能力を持つはずの美鈴をそう簡単に抜くとは……

「――面白い。咲夜、その巫女をここに連れてきなさい。私が直接相手してあげるわ」
「お嬢様……!?」
「ふふ、面白いじゃないか。人間風情が、ただ一人でこの紅魔館に戦争を仕掛けようと言うんだ。
それなりに丁重にもてなしてやらないとね」
「しかし……いえ、分かりました。では……」

 咲夜は下がり、部下の妖精メイド達に指示を与えていく。

「さて、それじゃ博麗の巫女とやらがどれほどの力を持っているのか。
とくと拝見させてもらうとしようか」

 体を温めるにはちょうど良い運動になるだろう。
 ――後に控えるであろう、宿敵との一戦のために。




「……遅いわね。何を手間取っているのかしら」

 紅魔館の大広間。そこで私は、巫女が来るのを待ち受けていた。
 だが、数刻待っても、巫女は現れない。

「道にでも迷ったのかしら?」

 そんなことを思っていると、乱暴に扉が開けられ、見知らぬ人間が姿を現す。
 ――これが博麗の巫女、か。
 紅白の衣装に、紅いリボンをつけている。
 だが、外見は幼く、美鈴に勝てるようにも見えない。

 ――けれども、私は外見で人を判断する愚を知っている。
 一切の油断を見せず、私は巫女を真っ直ぐに見据える。

「あなたが……紅色の霧を出した、犯人ね?」
「フフ、そうだと言ったら?」
「あなたを退治させてもらうわ。それが、私の仕事だからね」

 成る程、威勢はいい。これなら少しは楽しめそうか……
 ――ふと、巫女の周りを見てみると、咲夜がいないのに気がついた。

「そう言えば、咲夜は一緒ではないのね」
「……咲夜?」
「メイド服を着た人間よ。会わなかったのかしら?」
「……ああ、あのメイドの事ね。全く、とんでもない部下を持ってるのね」

 咲夜には会ったということだろうか?
 だが、それなら何故……

「何とか倒せたけど、しぶといったらなかったわ」

 私は耳を疑った。咲夜が負けたということもそうだが、私の命令に背いたことが信じられなかった。
 今まで、咲夜は私の命令は確実に遂行してきた。それなのに……

「お嬢様は絶対に殺させないって、そればかり言ってたわね。あなた、随分部下に慕われてるじゃないの?」
「――――!?」

 さらに紡がれる、衝撃の言葉。
 咲夜が、私を……?命を懸けてまで、私を護ると?
 ――有り得ない。私と咲夜は、そんな関係ではなかったはずだ。
 混乱し、言いようのない感情が私の中に渦巻く。
 けれど――

「……そう。
――やっぱり、人間って使えないわね。命令すら聞けないのだもの。」

 そう言い放ち、私は目の前の敵に集中する。一切の感情を押さえ込み、冷徹なる視線で相手を射抜く。
 だが、巫女は全く動じない。

「ともかく、さっきも言ったけれど、私の仕事はあなたを退治すること。悪いけど、本気でいかせて貰うわよ」

 ――本気?……フフ、それはこちらの台詞だよ、人間。
 心の内に迸る激情を表に出すことなく、あくまで紅魔館の主――そして、誇り高き吸血鬼として、
毅然とした態度を取る。

「こんなにも月も紅いから、本気で殺すわよ」
「今夜は月も紅いのに――」

「楽しい夜になりそうね」
「永い夜になりそうね」


 まずは様子見の弾幕。
 速度、密度を変化させた弾幕を放ち、相手の力を計る。

 しかし、巫女はそれらを天才的な動きで避け続ける。

「これが吸血鬼の力かしら?あの魔法使いの弾幕のほうが激しかったわよ」
「なっ!?」

 パチェまでもが……負けた?
 ――ならば、残っているのは私、そしてフランだけ。

 こんな人間……一人のために。

「さて、それじゃあ一気にいかせて貰うわ」

 巫女はカードを取り出し、そして明朗な声を放つ。

「封魔陣!」

 スペルカード宣言。これが、幻想郷における決闘法だ。
 だが、私はまだカードを切らない。巫女の力を計るために。

 すると、巫女の放った複数の御札が陣を形成し、私を束縛する力を放つ。

「こ、これは……!」
「あら、流石に驚いたかしら?こういう術はあまり見ないものね」

 私は、驚愕した。スペルの力にではない。その性質にだ。
 このスペルは、結界術。あの妖怪の、最も得意とする技だ。




 ――その瞬間、私は全てを理解する。

 私が生かされてきた理由を。
 そして、博麗の巫女がここに来た意味を。

「この私が――最強の種族、吸血鬼であるこの私が、ただのかませ犬にされるなど……!」

 ――そう、全てはこの時のために準備されていたこと。

 おそらく、この巫女はあの妖怪の駒。
 私が博麗の巫女を殺せぬように契約で縛り、そして巫女に私を退治させる。
 そして、私を退治することが出来れば巫女の名声は上がる。
 出来なくとも、命を取られる事なく、経験を積むことが出来る。


 つまり――この勝負、どちらに転んでもあの妖怪の手の内ということだ。

「小癪な真似をしてくれるわね……」

 苦々しく思いながら、巫女を見つめる。
 いや――正確には、巫女の背後にいるであろう黒幕を、か。

「随分と余裕ね。このままだとあなた、結界に閉じ込められるわよ?」

 巫女の言うとおり、周りに配置された御札が霊力を放ち、見えない鎖で私の四肢を縛っていく。

「フ……クク…………ハハハッ!」

 突如笑い始めた私に、巫女は唖然とした表情を見せる。
 だが、その次の瞬間、

「――私を甘く見るなよ、人間」

 私は、目にも留まらぬ速度で周囲の御札を切り裂き、霊力を霧散させる。

「!速い……まさか、ここまで簡単に破られるなんて」
「……では、今度はこちらの番ね。天罰――スターオブダビデ」

 スペルカード宣言と同時に、巫女の周りに無数の魔法陣が出現する。
 そこから魔力の光が蜘蛛の巣状に張り巡らされ、巫女の周りを取り囲んだ。

「さぁ……これが避けられるかしら?」

 さらに、追撃で魔法陣の中心から大型の魔力弾が撃ち出される。
 ――さながら、巫女の結界術のように。

「成る程……意趣返し、ってわけね」

 しかし、巫女は魔法陣を意に介すこともなく、決して速くはないが、無駄のない動きで弾幕をかわしていく。

「ほう……意外に、やるものね」

 多少手加減していたとは言え、人間にしては良い動きだ。
 なら――

 私は後ろに飛び退きながら、距離を取るために巨大な魔力弾を高速で撃ち出した。
 しかし、巫女はそれを事も無げに避ける。

「それじゃ、次はこれよ。冥符――紅色の冥界」

 再びスペルカード宣言。
 今度は、小さい弾幕が雨のように降り注ぐ。

「これは……避けるのはなかなか骨が折れるわね。でも――」

 巫女は多くの弾にかすりながらも、決して直撃を受けないように動く。
 さらに、霊力を込めた御札を投げつけ、攻撃を加えてきた。
 闇雲に放たれた攻撃とは違う。
 それらの狙いは、全て私の位置、動きを読んで投げられたものだ。
 高速で飛び回っているため、巫女の攻撃には当たらないものの、
こちらの攻撃も巫女に致命傷を与えるまでには至らない。

「こいつは……」

 私は驚きを禁じえなかった。
 たかが人間が、それもこんな少女が、ここまでの能力を持っているなんて。

 これは前座なんかじゃない。
 本気でかからなければ――負けるかもしれない。
 私は、そう直感した。

 殺し合いであれば、人間などには負けないという絶対の自信がある。
 だが、これはスペルカードルールでの決闘だ。
 例え余力が残っていても、カードを全て攻略された時点で敗北を認めなければならない。

「残り3枚、か……まさか、使うことになるとは思っていなかったけれど」

 そこで私は、3枚目のスペルカードを切る。

「呪詛――ブラド・ツェペシュの呪い」

 私の手から、紅色の霧が放たれる。
 その霧は巫女を包み込み、明らかに動きを鈍らせる。

「けほっ……何よ、この霧は」

 そして私は、真っ直ぐにナイフを投げる。
 普通なら簡単に避けられるようなシンプルな投擲。

 ――しかし、そのナイフは巫女の腕をかすり、小さな切り傷を生じさせた。

「なっ……曲がる、ナイフ?」
「あら、私は真っ直ぐに投げているだけよ」

 そう、この霧は視覚を撹乱する効力がある。
 今の巫女には、直線のレーザーすらも曲がって見えるだろう。

「人間相手に使うのは気が引けるけど、こちらも負けるわけにはいかないのでね」

 連続でナイフを射出、そして弾幕による追撃。
 流石の巫女も、無傷というわけにはいかない。
 放たれたナイフのいくつかが巫女の手足を切り裂き、赤い血を滴らせる。

「くっ……これは厄介ね……」

 巫女は御札を投げつけるが、全てあらぬ方向に飛んでいき、避ける必要すらない。
 ――チェック・メイト。

 とどめのナイフを投げようとしたその時。
 ――巫女は、突然目を閉じた。

「殺される覚悟ができた、ということかしら?」

 微動だにしない巫女目掛け、一度に複数のナイフを投げつける。
 敢えて急所を外し、反撃を封じるために両腕を狙った投擲。
 単純な攻撃だが、今の巫女に避けられるはずがない。

 ――しかし、そのナイフは巫女に当たらず、空しく床に当たる音が響くのみだった。
 それどころか、次の瞬間に巫女が放った御札は、逆に正確に私の腕を捉える。

「なっ!?」

 ……馬鹿な。この状況で、正確な動きなど出来るわけがない。

 巫女は、目を閉じたままだ。
 一体、何故避けることが出来る?

「曲がって見えるのなら、見なければ良いだけの話よ。
ナイフの迫ってくる殺気を感じ取れば、自然と避けるべき位置は分かる。
ついでに、あんたの場所もね」

 簡単に言うが、それは口で言う程易しいことじゃない。
 余程に戦い慣れしていなければ、到底不可能な技術だ。
 いや――あるいは天性の勘、という奴だろうか。
 私はこの少女の底知れぬ力に、改めて驚嘆した。

「さて……それじゃ、こっちからも行くわよ!」

 そして、迷いなく放たれる御札の弾幕。
 それら全てが、私の体目掛けて殺到する。

「くっ……!」

 予想外の反撃に驚いた私は、頬に御札の一撃を受ける。
 軽い切り傷が生じ、私の頬から血が流れ出た。

「……この程度の傷、すぐにでも再生するけれど……」

 絶対に仕留められると思っていたスペルを攻略され、さらに顔に傷までつけられた。
 その事実が、私の闘争心に火をつける。

「さて、残りは二枚ね。次は何をしてくるのかしら?」

 先程とは打って変わり、余裕の表情を見せる巫女。
 それもそのはず。巫女は、まだ一回しかスペルカードを使っていない。
 だが――これまでの戦いで、巫女の身体能力が高いことは分かったものの、
こちらに対する有効な攻撃手段を持っているわけではなさそうだ。

 ならば――次の一撃で、終わらせてしまえばいい。

「悪いけど、最後の一枚まで長引かせるつもりはないわ。
……だから、これで決めさせてもらうわよ。紅符――スカーレットシュート!」

 私が最も得意とする技の一つ。
 巨大な魔力弾を高速、かつ高密度で撃ち出し続ける。
 その威力は、これまでに放った手加減したスペルカードとは比べ物にならない。

 大量の魔力弾が床に、壁に、天井に炸裂し、粉塵が巻き上がる。
 それでも私は攻撃の手を緩めず、ひたすらに魔力弾による弾幕を展開する。




 それから数分後、濛々と立ち上った粉塵を前に、私は今度こそ勝利を確信する。

「いくら回避に優れているとはいえ、この弾幕を見切れる奴はいないでしょうね。
――それよりも、死んでいなければ良いけど」

 そう、博麗の巫女を殺すわけにはいかない。
 だから、殺傷能力は多少押さえ目にした筈。

 ――もっとも、普通の人間であれば恐らくは死んでいるだろうが。

 少し待っても、巫女からの動きはない。これは、流石にやり過ぎたか……?
 舞い上がった粉塵が視界を隠し、はっきりと巫女の姿を捉えることは出来ない。

 すると、短い静寂の後、舞い散る粉塵の中から高らかな声が上がる。

「夢想封印!」

 それは、紛れもない巫女の声だった。
 しかも、これは……

「ここにきて、スペルカード宣言……!?」

 一瞬の沈黙の後、複数の光り輝く巨大な玉が私に向かって迫ってくる。

 反射的に、私は後ろに飛び退く。
 ――だが、その玉は軌道を変え、飛び退いた方向へと誘導される。

「ちぃっ!」

 舌打ちし、行動を回避から迎撃に切り替える。

「この程度のスペル……私の弾幕で、相殺してしまえば良い!」

 さらに後ろに下がり、魔力を練り始める。
 ――だから、私は後ろから迫っていた霊力の塊に気付かなかった。

「ぐあぁっ!」

 予想外の位置からの攻撃。
 凄まじい霊力が私の背中に炸裂し、体の皮膚を焦がす。
 練り上げていた魔力も霧散し、私は前方の霊力弾に対し、無防備な姿を晒すことになった。
 衝撃に備え、咄嗟に座り込んでガードする。


 ――霊力が弾ける。
 そこから溢れ出る霊力の奔流が、帽子を吹き飛ばし、翼を焼き、体全体に無数の焦げ跡を残す。

「く……はっ!」

 血を吐き捨て、私は正面を向く。
 すると、そこにはぼろぼろになりながらも、なお眼光鋭く私を見つめる巫女の姿があった。

「ははっ……やるわね、人間」

 心底、私はそう感じていた。
 これだけの力があるなら、咲夜やパチェが負けるのも無理はない。

「もう、戦う力も残ってないんでしょ?大人しく降参しなさいな」

 巫女は、自らの受けた傷も省みず、涼しい顔で降伏勧告を突きつける。
 だが、その傷だらけの姿、そして霊力の弱まりを見れば分かる。余力がないのは、向こうも同じだということが。

 それでもなお、顔には全く疲労の色を見せることはない。
 全く……人間にしておくには惜しい程の胆力だ。

 だが――私とて、吸血鬼という誇り高き種族。
 そう簡単に負けを認めるなど、あってはならないこと。

「それには及ばないわ。何故なら――」

 私は、最後の一枚のスペルカードを取り出す。

「まだ、切り札が残っているものでね。さぁ、最後の弾幕勝負を楽しみましょう。
――レッドマジック」

 私の手から、再び紅い霧が放たれる。
 さらに、大量の弾幕をばら撒き、大型の魔力弾を撃ち出す。
 速度こそそこまで速くはないものの、高密度の紅い弾幕が辺りを埋め尽くす。

「くっ……流石にこれだけの量になると、動きづらいわね……」

 そんな中でも、巫女は避けながら、攻撃の狙いを定める。
 だが、私は位置を変えつつ、一瞬の隙も見せずに弾幕を撒き散らす。

「ちょこまかと動いて……なら、これで!
――封魔陣!」

 再び、結界による束縛術。
 だが……私は、体を無数の蝙蝠へと変化させ、術を逃れる。

「なっ!?」

 ――そして、離れた位置で集まり、体を再構成する。

「ちょっと、そりゃないんじゃない?」

 巫女の訴えを黙殺し、私は攻撃の手を緩めない。
 これまでの戦いで、双方共に疲弊していた。
 だから、次に直撃を食らったら最後。一瞬たりとも、気を抜くわけにはいかない。

 だが、そんな中でも、私の気分は昂っていた。この人間は、皆の仇だというのに。
 ――自分と互角程度の能力を持つ者との戦い。
 それは、これまでの退屈な日常を、完全に忘れさせてくれるものだったから。
 ……けれど、それもこれで終わり。

 私の放った巨大な魔力弾が、ついに巫女の体を捉える。
 あの距離では、回避も不可能だろう。

「終わった……か。いや――」

 あの巫女のことだ。今度も、何か仕出かさないとは限らない。
 そう思い、最後まで気を緩めず、固唾を呑んで巫女を見つめる。


 だが――巫女は、笑っていた。子供のような顔で。
 この極限状態の中で。弾幕が急所に当たり、死ぬこともあり得るこの状況の中で。
 巫女もまた、この弾幕勝負を純粋に楽しんでいたのだ。

 そして――

「夢想封印!」

 巫女から再び霊力の塊が放出され、魔力弾をかき消しながら私の元へと向かってくる。
 しかし、今回はたった一つ。――が、今の私の状態を考えると、その一つをすら受けるわけにはいかない。
 体を再び無数の蝙蝠へと分離し、回避。霊力の塊は虚空へと吸い込まれ、炸裂した。




 ――が。
 本来の姿に戻った私のすぐ目の前に、巫女の姿はあった。

「……!?」
「――これで、決まりね」

 これを――狙っていたというのか!
 絶対に回避不能な位置。いくら私でも、この状態で零距離から無防備に攻撃を受ければただでは済まない。

 殺られる――!
 体の再構成後の硬直が解けない私は、技の直撃を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。

 咲夜、パチェ、皆……すまない。私も……すぐ、そこに――





 ――だが。
 巫女は、攻撃を行うことなく……代わりに、私の体を‘とん’と押した。




 予想外の行動に、放心した私はそのまま床へと落下し、無様にも尻餅をつく。

「なっ……!」

 ――私は、巫女の行動が分からなかった。
 この人間は、私を退治しに来たはず。
 スペルカードルールでは、負けた相手を殺すことは禁じられているが、戦闘の最中に
勢いあまって殺してしまうことについては罰則は設けられていない。

 だから――先ほどの絶好の機に、殺すことは出来たはずだ。
 それなら、何故――

 そんな考えを余所に、巫女は私の目の前に着地する。

「勝負あり……ね。さ、これで紅い霧は元に戻すのよ」

 紅霧?……ああ、そうか。元々、そういう約束だったことを思い出す。
 だが、あの霧は私の魔力によって生成しているもの。
 私が死ねば、すぐにでも消えるだろう。――だが、巫女はそうしなかった。

「何故……私に、止めを刺さなかったの?」
「あら、死にたかったの?」
「……そんな訳ないでしょう」

 そう、私はまだ――やり残したことがある。
 まだ生きられるというなら、私は死なない。絶対に。

「じゃ、それでいいじゃない。……あー、でも今回は本当、疲れたわ。
出来れば、あんたと戦うのはしばらく控えたいわね」

 そう言って、何事もなかったように髪をかきあげる。

「私を……許すというの?」
「そりゃ、色々被害も出て迷惑だったけどね。でも、もう終わったことよ。
一応、こちらのルールに則った異変だったようだし。
あなたは私に退治され、紅い霧は晴れて解決。シンプルじゃない?」

 確かに、実に単純。しかし、こう、何か罰とかがあるものなんじゃないだろうか?
 ――いや、別に望むわけじゃないが。

「ああ、それからね」

 と、巫女は付け加える。

「多分勘違いしてたんだと思うけど、私はこれまで、誰も殺したりしてないわよ?」

 !咲夜やパチェが……生きてる……?

「……あなたは、この幻想郷という世界をどう思っているのかは知らないけど。
私は、この世界が好きよ。人間も、妖怪も、妖精も……全てを受け入れる、この幻想郷がね」
「……!」


 ――外の世界で、私は吸血鬼という、他とは異質な存在であることを強く感じていた。
 私は、吸血鬼とは、孤高にして孤独なる存在なのだ。
 強くなければ、生き残れない。
 人間は、自分とは異質な存在を認めないから。

 だから、私は感情を出来る限り抑え、吸血鬼という存在を畏怖の対象とするよう振舞ってきた。
 吸血鬼としての威厳を保ち、部下を従えるために。
 スカーレット家という、唯一の拠り所である誇りを保つために。
 何者にも負けない、強い心を得るために。

 けれど――もし。
 この吸血鬼という存在を認める世界があるのなら、私は――

「……私が、吸血鬼であっても受け入れると?」
「当たり前じゃないの。あなたがここに来たということは、幻想郷はあなたを受け入れたということよ。
それなら、私もあなたという存在を受け入れるわ。――まぁ、あなたが望むならだけど」




――ああ。
私は、気付く。

私はこの世界を、支配したかったんじゃない。

私はただ、私が私らしく生きることが出来る、そんな世界を望んでいただけ。
そして、巫女はそれがこの世界にはあると言う。


「さて、それじゃ私は帰るけど、ちゃんと霧は消しておくのよ。
……ああ、それから。今度異変でも起こしそうになったら、私の神社にでも相談に来てみなさい。
お賽銭か土産でも持ってきたら、お茶くらいならご馳走してあげるわよ」

 神に仕える者が、悪魔の眷族である私を茶に誘うとは、滑稽にも程がある。
 ……けれども、悪い気はしない。

「……そう言えば、名前を聞いていなかったわね。
私の名はレミリア……レミリア・スカーレット、吸血鬼よ」
「私は博麗霊夢。知ってるとは思うけど、博麗の巫女をやってるわ」

 博麗……霊夢。
 私はその名を、胸に刻み込む。

「……それじゃ、またね。
久しぶりの本気の弾幕勝負――楽しかったわよ、レミリア」

 そう言うと、巫女は穴の開いた天井へと飛翔し、紅き夜空の中へと消えていった。

 ――その瞬間、私は体の力が抜け、仰向けになって地面に倒れた。
 そして、霊夢の言葉を、噛み締めるように思い出す。

 あらゆる存在を受け入れるという、幻想郷。
 私はこれまで、この世界のことについて、何も知らなかった。
 いや、知ろうともしなかった。
 だけど、今は。
 もし、この世界が、私という存在を受け入れるというのなら。

 もう一度だけ、信じてみたい。
 この、運命という奴を。

 そして、知りたいと思う。
 あの霊夢という人間が愛する、この世界を。




 ――と、その時、扉の向こう側から聞き慣れた人間の声が耳に入る。

「お嬢様!ご無事ですか!?」

 そこには、息を切らし、服もぼろぼろの状態になったメイドの姿があった。

「ええ、問題ないわ。ちょっと、力は使い果たしてしまったけれど」

 心配そうに私の顔を覗き込み、そして急に涙ぐむ咲夜。

「良かったです……本当に……う……ひっく……」

 何を泣いているんだ。完全で瀟洒なメイドだろう、お前は。
 そんな風に、主の前で泣くような奴じゃなかっただろう。

「……大袈裟ね。この程度、大したことはないわ」
「だって……もしお嬢様が殺されるようなことになったら……私は……」

 ――私を心配?咲夜が?
 運命を操り、ただ命令を与えていただけの存在だった私を?

 ――と、ここで霊夢と戦う前の会話を思い出す。

「咲夜……そう言えばあなた、命令を破ったわね。巫女は通すようにと言ったのに」
「!……申し訳ありません、お嬢様。私の独断で、このようなことに……」

 そう。それはやはり咲夜の意思。決して、運命に縛られた者の取る行動ではない。
 ならば、咲夜は。

「あなたは……自らの意思で、私に仕えていると?」

 すると、咲夜は驚いた表情でこちらを見る。

「――勿論です。私を拾ってくださったこと。名前を頂いたこと。
この、紅魔館の一員に加えていただいたこと。
……どれも、感謝してもしきれないことばかりです」
「……私が、吸血鬼であっても?」

 私は、霊夢に向けてのものと同じ質問をする。

「当たり前じゃないですか。でも、私は吸血鬼という種族に仕えているというわけじゃありません。
お嬢様……貴女だから、仕えているのです。多分、館の皆も同じ気持ちですよ?」

 ふと見ると、パチェも、美鈴も、妖精メイドまで、この広間に集まってきていた。
 皆、心配そうな顔をして私の姿を見つめている。




 ――ああ。何だ。
 私は、とっくに手に入れていたんじゃないか。

 愛すべき友人を。部下を。家族を。
 なのに私は、それに気付くこともなかった。本当に大事なものが、分かっていなかった。

 私を縛っていた鎖は、あの妖怪との契約なんかじゃない。
 それは、スカーレット家の当主という誇り。

 けれど、そんなものはこの世界においては瑣末なこと。
 ただ、この紅魔館の皆と共に在る事。
 私には、それだけでも十分だったのだ。

 ――気がつくと、私の頬には一筋の液体が流れていた。

「お嬢様、どこかお悪いのですか!?」
「いいえ……違うわ、咲夜」

 涙。
 そんなものを流すのは、いつ以来だったろう。
 弱みを見せまいと、どんな時でも気高くあらねばと、そう思っていたから。

 だけど、違う。
 私が本当に望んでいたのは、『普通に』生きること。
 楽しい時には笑い、悲しい時には泣き、許せないことがあった時には怒る。

 ――そんな、当たり前のような感情の表出。
 それが可能だと言うのなら、私は――


「……咲夜」
「はい、何でしょう、お嬢様?」
「お腹が空いたわ、何か甘いものを作ってくれないかしら?」
「――はい!」







 ――そして、今。
 私はまた、苦々しい顔を浮かべながら、テーブルの上に突っ伏している。


「うう……お腹痛い……」
「小食なのに、あんなにお菓子を食べるからですよ」
「一回、やってみたかったのよ……」
「――まあ、それは良いです。
ただ、あの神社に行かれるのなら、まず一声かけてくださいね。
お召し物が汚れていたりすると、格好がつきませんので」
「うっ……い、言うようになったわね、咲夜」
「お嬢様がおっしゃったことですよ?
――何でも、言いたいことは言え、と」
「それはそうなんだけど、ね」


 そう――あの日以来、私は変わった。
 館の皆に接する時も、気さくに話しかけるようになった。
 昼でも日傘を持って歩くようになったし、霊夢の神社に入り浸ったりもした。
 そして、たまに弾幕ごっこで遊んでは、咲夜が淹れた紅茶を飲み、特製のお菓子に舌鼓を打つ。


 ――実に吸血鬼らしくない、そんな生活。
 けれど、それでいいのだとも思う。

 私は「吸血鬼」という存在であるだけでなく――
 「レミリア・スカーレット」という、一つの命なのだから。




 ――だから、今は笑おう。
 悪魔に似つかわしくない、満面の笑みで。




 私は今、『生きている』のだから。
子供っぽい心と、カリスマ性を兼ね備えたアンバランスさ。
そこがお嬢様の魅力なのだと、個人的には思っています。


まずはご読了、有難うございました。

二回目の投稿となりますが、予告どおりお嬢様のシリアスものに挑戦してみました。
紅魔郷の話は有名なネタなので既出だとは思いますが、あくまで自分の解釈ということで。

ちなみに、続く予定なので少し回収していない伏線を入れています。
ただ、遅筆なのでいつになるかは分かりません。

それでは、また次の作品でお会い出来ることを祈っています。
mice
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コメント



0.1190簡易評価
7.100名前が無い程度の能力削除
これは良いお嬢様
8.100名前が無い程度の能力削除
おぉ、すっごく良い笑顔が浮かびます
種族にとらわれず、自分らしく生きる
これほど素敵なものってないですよね
9.100名前が無い程度の能力削除
とても良かったです
23.90ずわいがに削除
不味かったものを美味く感じる――心境の変化から? フランドールとの約束――結局レミさんは自分だけが開放されて満足してる?
咲夜たちは殺されたと思ってたのか――そもそもスペルカードの使用はレミさんの方から始めたのでは?
んむ~、少々消化不良な気がしました。俺の勘違いでしょうか…もし単なる的外れな意見でしたら、どうか聞き流してやって下さい;

昼間に外に出て無邪気にはしゃぐレミさんの姿は微笑ましいですね。紅霧異変以降のカリスマ低下は「肩の荷が降りた」ということなんでしょうかねぇ。