真夏の、昼下がりである。
大気は蒸せるように暑く、陽炎が揺らめいている。
みんみんと煩いセミの鳴き声が、熱気に拍車をかける。
「それでも、貴方は熱いお茶を飲むのよねえ」
「熱いからこそ飲むのよ」
呆れ半分の紫に、霊夢はそう答えた。
「熱いお茶を飲んで、火照った身体にあたる風の涼しさを楽しむ。風流とはか
くあるべきだわ」
「どこぞの吸血鬼が言いそうな台詞ね」
「レミリアは緑茶が嫌いなの。それさえなければ同士なのに」
残念、と霊夢は肩をすくめた。
人里はなれた山麓に建つ、博霊神社。参拝する人間など年に数回も来ないこ
の神社で、ひとり巫女をしているのが博霊霊夢である。
人間に縁が無い彼女の元には、代わりに妖怪がよく訪れる。霊夢は妖怪に好
意を持たれることが多く、度々彼らは遊びに来る。霊夢も彼らを敵視すること
はなく、友として付き合っていた。
「ところで紫、最近は何か事件はないの」
「特に無いわね。輝夜と妹紅の殺し合いでも止めてみる?」
「……遠慮しとくわ。はぁ、退屈ねえ」
退屈なだけでなく、生活面でも困る。
神社の収入が無いので、霊夢は副業で霊媒師をやっている。
人里で妖怪や怨霊の起こした事件があれば、それを解決して報酬を貰うので
ある。
ここ数ヶ月ほど依頼がひとつもなく、家計は真っ赤だった。
「どうしたもんかしら……うん?」
ふと空に黒い点を見つけて、霊夢は目を細めた。
近付いてくるそれは、一羽の鳩であった。鳩は神社の下まで来ると降下して
霊夢の横に着地する。
「ごくろうさま、椋」
鳩を労って、霊夢は足に結んである紙をほどいた。
「……なにそれ」
「見れば分かるでしょ。伝書鳩よ」
怪訝な顔の紫に、霊夢は答えた。
人里はなれて暮らす霊夢の所へは、どうしても来にくい。それをどうにかし
ようと導入したのがこうして伝書鳩で依頼を届けるシステムである。
紙を広げた霊夢は、依頼を読んで表情を変えた。
「……村が、消えた?」
文面にはそうある。
妖の仕業により、村がひとつ消滅した。是非とも原因を解明して対処しても
らいたいと。
「詳細は来れば分かる、か」
本当に妖怪の仕業であれば、並の者ではあるまい。
「ふふ、私もついていってあげましょうか」
依頼を覗き込んで、紫がいった。
知り合いの中でも最強といっていい紫である。彼女がいれば、滅多なことに
はならないだろう。
「……来たければ勝手にどうぞ」
「それじゃ、久しぶりのコンビ仕事ね」
以前もふたりは組んだことがある。永遠亭に住む月の民を相手に戦ったのは
つい半年前のことだ。
半刻の後、ふたりは現地へ向かって空を駆けた。
「……黒いわね」
とりあえず“消えた村”までやって来た霊夢の第一声はそれだった。
村があったであろうその場所を、黒い瘴気のようなものが覆っている。遥か
上空まで真っ暗な様は、そこだけ夜になったようである。
伝わってくる妖気も半端ではない。友人の吸血鬼に匹敵する程だ。
「とりあえず……えい!」
離れた場所から霊夢は光弾を放った。反撃なり防御なり、相手のリアクショ
ンを期待してのことである。
光弾は闇に吸い込まれるように消えて、それきり無反応だった。
「あらら、どうするの霊夢」
「そうね……何故か、あんまり危険な感じはしないんだけど」
強力な妖気とは反対に、霊夢はそう感じていた。あれはそう恐ろしい存在で
はない、と。
かといってノコノコ接近するのはそれこそ危険だ。何が起こるかわかったも
のではない。
「……依頼人に話を聞いてみましょうか」
なにかしら情報があれば、闇の正体を推測も出来るだろう。
依頼人の住む村にふたりは向かった。
五里ほど離れた村に住む依頼人の青年は、何も知らないと答えた。
「わたしは偶然見かけただけですからね」
自分の村まで害が及んでは敵わないので、依頼したのだという。
肩をおとす霊夢に、彼は、
「ただ、あれから村の生き残りの人が来ましてね。原因は知らないといってい
ましたが、お会いになりますか?」
霊夢が頷くと、
「初老の方でしてね。今は村長の家にいます」
そういって、村長宅まで案内してくれた。
生き残りの老人は、
「わしは村を出とって助かっただけじゃからな。何も見とらんよ」
といった。
「なら、村の伝承等があれば聞かせてください」
駄目もとで、霊夢はそういった。
村の古い伝承や御伽噺の中に、なにかしらのヒントがあるかもしれない。そ
ういったことは結構多いのである。
「そうじゃの……」
老人はしばらく考えこんで、三つの話を聞かせてくれた。
ひとつは、隠れ里の話である。
村の人がある山で迷っていると、偶然大きな屋敷を見つけたのだという。
屋敷には何十頭もの家畜が飼われていて、中では豪勢な料理の膳がいくつも
並べられていた。なのに、屋敷には誰ひとりいない。
その人は気味悪くなって屋敷を出たが、のちに気になって屋敷を幾度も探し
たけれど、二度と見つからなかったという。
もうひとつは、琵琶法師の話である。
その法師はめくらだったが、村の近くの山で迷ってしまい、困っているとこ
ろに猟師がやって来て助けてくれた。
村まで案内してやるといい、猟師はうつぼの先を法師に掴ませて、歩き始め
た。が、その猟師は実は狼だった。
村では村長の子供が突然「おれは山の神だ。今夜珍しい客人がこの村に来る
から、その人をもてなしてさしあげろ」といった後、ばったり倒れたという。
村人は法師を山神の客として、手厚くもてなしたそうだ。
最後は、子捨て塚の話である。
昔から農民というのは、貧しい暮らしを強いられてきた。一日一食は当たり
前、物食えぬ日も多く、微粥や雑穀で餓えをしのいでいた。
故に、食い扶持を減らすために子を間引くことは珍しくなかった。生まれて
すぐ熱湯に漬けられて殺されたそんな子たちの墓が、子捨て塚である。老人の
村にもそれがあったという。
「参考になったかね」
「――ええ。ありがとうございました」
老人に礼をいい、霊夢は村長宅を後にした。
村を出た霊夢は、外で待っていた紫と合流した。
「それで、何かしら収穫はあったの?」
「生き残りの人が―――」
老人の語ってくれたことを話すと、紫は微妙な表情をして、
「ヒントにはならないわね」
「うん……」
老人には礼をいったが、霊夢も同意見だった。今回の事件に関係してそうな
話はひとつもない。
「……ねえ、紫」
意を決めて、霊夢はいった。
「やっぱり闇に近付いてみるしかないわ。あるいは中に入るしか」
「――相当危険よ」
とだけ紫はいった。
いくら強力な霊能力者とはいえ、霊夢は所詮人間である。弱い攻撃でもまと
もに喰らえば致命傷たりうる。
だけど、
「大丈夫。私は博霊霊夢だもの」
見得でも虚勢でもなく、当然のように霊夢はいった。
何の根拠もないこの台詞が、紫にさえ真理に聴こえることがある。幾多の人
外を相手に、不思議と上手く事を収めていくこの少女は何だろう。
考えても分かる訳がない、それが霊夢なのだ。
闇のところまで戻ると、霊夢は、
「それじゃ、行ってくるわ」
「しくじったら私が解決するわ。しっかりやってきなさい」
実際、紫ならこともなく解決するだろう。失敗するつもりはないが、そうい
う意味では彼女の存在は心強い。
にっと笑って、霊夢は闇の中へ入っていった。
何の攻撃もなく、霊夢は闇に迎えられた。
闇の中は思ったより明るかった。曇り日の夜、といった所だろうか。うっす
らと物の輪郭が見える。ただ、人の気配は無い。
闇の中なので断言はできないが、村の器物や建物に破損は無いようだった。
「さて、犯人は何処かしらね……」
ゆっくりと歩く霊夢。
しばらく歩き回っていると、微かに声が聞こえてきた。
――くらいよ、くらいよ。
といってるように聞こえる。
生き残っている子供がいるのか。慎重に、霊夢は声のする方へ進んだ。
家屋らしき建物の中に、しゃがみ込んだ小柄な輪郭が見える。
傍に寄って屈み、霊夢は声をかけた。
「大丈夫、助けにきたわ」
声をきいて、子供が顔を上げる。
その眼が―――紅く光っていた。
一瞬身構えた霊夢だったが、子供は何もせず、やがてまた俯いた。
「……どうしたの? だいじょうぶ?」
警戒は解かずに、霊夢は語りかけた。
子供は俯いたまま、
「くらいの……ずっと、くらいの」
といった。
「……お姉さんと一緒に此処を出よう。明るい所に、連れて行ってあげる」
「だめなの。わたしはここを出ちゃだめなの」
「どうして駄目なのかな? お姉さんに、話してくれない?」
困惑する霊夢に、子供は、
「明るいところに行こうとすると、痛くて辛いことになるの」
といった。
それから何度尋ねても、子供は答えない。
どういうことだろう。
この闇自体が含む妖気のせいで子供が人か人でないか判別しにくいが、おそ
らく子供は人ではあるまい。霊や妖怪であるなら、この闇の原因である可能性
は高いのだが、言葉が要領を得ない。
考え込んだ霊夢は、ふと老人の話を思い出した。
無関係のような話だったが、あれに答えがあるのかもしれない。
だとしたら、その答えは。
「―――辛かったよね」
無意識のうちに、言葉が口をついていた。
「―――ちゃんと、生まれたかったよね」
子供の身体が、大きく震えた。
生まれてから目の開かぬ間に、殺されてしまった赤子。
光をしらぬまま閉ざされた生命。
「生まれてきちゃ、だめだったの」
子供はいった。
「だって、だれにものぞまれてなかったんだから」
「――それは違うよ」
霊夢は静かに否定する。
「貧しくて、幸せにする自信が無かっただけで、お父さんもお母さんも本当は
育てていきたかったと思う」
「それでも、わたしは生きていきたかった!」
幸せでなくともいい。どんなに辛くともかまわない。
お父さんと、お母さんといられればそれでよかった。
子供は泣いていた。
生まれた時、泣けなかった分まで。
「ねえ、私は……お父さんでも、お母さんでもないけど」
父母の代わりにはなれない。
だけど、それでもいいのなら。
「あんたと一緒に生きていってあげる。愛してあげる」
だから―――
「いいかげん、この闇の中から出ましょ」
霊夢は、その名を口にした。
「ルーミア」
「つまり、それがあいつのルーツだったわけだな」
後日、神社を尋ねた魔理沙はルーミアがいることに驚き、霊夢から詳しい話
を聞いていた。
「まあそういうことね。で、一緒に暮らすことになったと」
「文句をいうつもりはないが……仮にも神社なんだぜ? 積極的に人間を喰う
妖怪と同居するのは拙くないか?」
「もう人はたべないわ。その分、私が疲れるけど」
現在のルーミアは、霊夢の式として生きている。人間を襲うことはないが、
従える形の霊夢の負担は割りと大きい。
「ふふん、なら今度からの勝負は楽勝だな」
「あら、そうでもないわよ。私の能力は少し落ちるけど、代わりに2対1にな
るもの」
「げっ……ずるいぞ、そんなの」
「なんでよ。紫だってやってるじゃないの」
ずるい、ずるくないと言い争いを始めるふたり。
そんなふたりのもとに、
「れいむー、まりさー、ごはん出来たよーーー!」
台所から、ルーミアの可愛らしい声が届いた。
新しい住人がひとり増えて。
博霊神社は、今日も賑やかであった。