Coolier - 新生・東方創想話

かぜはふり

2009/12/28 07:09:24
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「私、今をもって風祝を辞めさせていただきます」
 
 秋も終わりに近づいたある日、朝の食卓で、そう宣言した。単なる思いつきではなく、自分なりに考えた末の結論だ。
 私にとっては突然ではないが、目の前には、八坂様と洩矢様。お二人にとってはどうだろう。八坂様は口に入れたばかりのご飯を噛まずに飲みこんでしまったようで、目を白黒させている。洩矢様はというと、いつもどおりの様子だった。
 
「いつまでだい?」
 
 とても自然な感じで、そう、聞かれた。
 
「別に、決めていません」
 
 絶対に戻らないと、固い決意をもっているわけではない。今はただ辞めるべきだ、と思っているだけで、その後のことはあまり考えていなかった。
 
「いいんじゃないの。面白そうだし」
 
 洩矢様はいつもこんな感じで、何事も面白ければオッケー。こっちは本気なんだけど、とりあえず賛成してくれたから良しとしよう。
 
「ちょっと早苗、風祝を辞めるってどういうことよ」
 
 一方、こちらは八坂様。声は穏やかなので、怒っているというわけではなさそうだ。
 
「うーん、そのままなんですけどね。何というか、ここまま風祝を続けていく自信がなくなったのです」
 
「あれ以来、どうも塞ぎ込んでいるとは思ったけど……」
 
 あれ、とは、幻想郷に移り住んだ私たちのもとに、霊夢さんたちがやってきたときのこと。スペルカードルール、というのはここに来たときに聞いていたし、それなりに準備もしていた。正直なところ、弾幕ごっこについて軽く考えていたのは確かだ。それでも、あの化けものよりも遥かに化けものな人間は、こちらの攻撃をまったく苦にすることもなく、私は一方的に撃ち落とされた。
 彼女にとっては当たり前の結果だったのかもしれない。それでも、私にとっては一大事。だって、手も足も出ないなんて、思ってもみなかったから。自分で言うのも何だけど、それまで、私は特別な存在だった。他人にできないことが、自分にはできる。それは一面では重荷になっていたけど、一方では自身の源でもあったのだ。けれど、ここでの自分は特別でも何でもなかった。私が一生懸命しがみついていたものは、とてもちっぽけなものだったんだと、そう思った。
 
 自信をなくして、支えを失った心はバランスを崩し、とめどなく落ちてゆく。落ちた先には、恐怖と不安が待っていた。私は恐怖を背負い、その重さに押しつぶされそうになる。その一方で、不安を抱え、その鋭さにのけ反らざるを得なかった。アンバランスは奇妙なバランスを生み、かろうじて私は私のままでいることができたが、今度はそこから抜け出せなくなる。初めは時間が解決してくれるかと思っていたけど、解決しないどころか、酷くなってゆく一方だった。
 
 落ちた心に引っ張られるように、体の調子も崩れていった。人前では何とか平静を装うことができたけど、一人になると耐えられなかった。吐き気やめまいに悩まされ、ろくに眠ることもできない。外出は特に苦痛だった。妖怪の山には、人間を基準にすると異形と呼ばれるような存在が多数いる。八坂様たちが話をつけてくれたおかげで、私が襲われたりすることはない。それでも、やはり耐えがたきは耐えられず、神社に戻ると必ず吐いた。
 
 そんな状態にいつまでも甘んじているわけにもいかないので、何でもいいから何かしないと、という思いは日増しに強くなっていった。では、何をすればよいのか。私を根本から変えるような何かを探してゆくなかで、小さな思いつきから大きな確信へと育っていったのが、風祝を辞める、ということだった。なぜなら、私が私でいられたことのすべては、守矢神社の風祝の家に生まれた、ということから始まっていたから。だとすれば、そこを変えれば、すべてが変わる、はずなのだ。
 
 言葉もなく、ただ八坂様をじっと見つめる。八坂様の眼差しは、少し愁いを帯びていて、それでいて優しさを感じさせるものである。
 
「まぁ、早苗が言うのなら、仕方ない」
 
 そう言って、湯呑みをぐいっと傾けた。お茶が渋かったのか、眉根を寄せる。
 
「それで、風祝を辞めたとして、まず何が変わるんだい?」
 
 洩矢様の声はとても楽しげだ。特には考えがなかったので、今から何かを変えなければいけない。ぐるっと頭を回転させて、答えを出す。
 
「では、八坂様、洩矢様、という呼び方でも変えてみましょうか」
 
「それはいい。私のことは諏訪子でいいし、神奈子のことは、そうだね、八坂さんとでも呼べばいいよ」
 
「少し変わっただけなのに、何だかよそよそしくなって心にくるね……。私も神奈子でいいわ」
 
「さすがに神様を呼び捨てにするのは気が引けます。とりあえず、諏訪子様、神奈子様とお呼びすることにします」
 
 こうして、八坂様と洩矢様は、めでたく神奈子様と諏訪子様になった。
 
 
 ☆
 
 
 風祝を辞めると宣言してから一週間、私の肩書きは居候になったけれども、日常生活にそれほど影響があるわけではない。
 
 変わったことといえば、食事を用意するのが当番制になった。それまでは私がやっていたのだが、仕える身でなくなったから、という理由による。それでも、なぜかお二人とも楽しそうだった。台所に立って料理をする神様というのも考えればおかしなものだけど、見慣れてしまえばどうということもない。ローテーションで担当するのだが、驚いたことに、神奈子様も諏訪子様も意外と料理が上手い。理由を聞いてみると、どちらも家庭に入っていたことがあったとのこと。神なので食事が必須というわけではないけれど、飲み食いするのは好きだし、あって困らないスキルだと言われてしまった。料理だって、自分がやらなければいけないと思っていたけれど、本当はそんな必要はなかったなんて、ちょっとショック。何だか空回りしていたんだなぁ、と思った。
 他にも、服装なんかも変わった。風祝としての衣服を身につけるのも止めにして、普通の格好をしている。そろそろ寒くなってくる頃合いだから、冬服をひっぱり出してきた。少し厚手のスカートに、セーターは少し薄手のもの。それで寒ければもう一枚羽織ったりする。服については考えどころで、好きだったブランドの新作も、もう手に入らない。どこかに洋服屋さんでもないだろうか、ないんだろうな。じゃあ、いっそ自分で作るか。うん、それ無理。
 
 そして、神社の仕事がなくなった。ただ、儀式の類を執り行うことはないにしても、やることもないので、神社の掃除は続けている。そんなわけで、今日もまた境内を掃いていたところ、背後から声が掛かった。
 
「あやや、見知らぬ人がいます」
 
 今、ここには一人しかいない。多分、私のことなんだろうと思う。声の持ち主には覚えがあるので、誤解をとく必要があるかと思って、振り返った。
 
「私ですよ」
 
「おや、貴方ですか。今日は変な格好をしていますね」
 
 そう言う貴方の格好はどうなんでしょうか、という視線を送ってみたが、どこ吹く風といった様子。白いブラウスに黒いスカートで、目を引くのは、靴なのに一本歯のついた高下駄仕様の履物である。見た目だけでは判りづらいけど、射命丸さんは、天狗だ。私たちが引越してすぐに取材しにやってきてからというもの、新聞を押し付けたり、暇をつぶしに来たりしている。
 
「これが普段着なんです。これまで射命丸さんが見ていたのは仕事着です」
 
「ふむふむ。では、どうして仕事着ではないのでしょう」
 
 私の答えは、彼女の好奇心を刺激したらしい。どこに隠し持っていたのか、手帳と羽根ペンを取り出した。彼女は新聞記者を自称しているが、いや、逆接ではないかもしれないけど、記事の内容は嘘ばかりらしい。取材には応じないほうが良い気もするが、あの羽根ペンがさらさらと動く様は、ちょっと格好いい。彼女の羽根ペンを動かすために、私の口を動かす必要があるのなら、少しくらいはいいかと思う。それに、彼女は私よりもずっと長生きで、当然、それだけ多くの経験もしているわけだから、何かヒントになるようなものが得られるかもしれない。
 立ち話も何だから、ということで、縁側に案内する。歩きがてら、簡単に現状を説明する。もちろん、詳しく言うつもりはないので、初めての引越しということもあり、新しい環境に馴染めずにいる、という表現をとることにした。口に出してみて気づいたが、意外とこれは上手いこと言ったのではないかと思う。幻想郷とはこのようなところなんだろう、という想像は、だったらこうすれば良い、という結論を導き出す。しかし、実際はそうではなかった。そして、その先について私は何の展望も持っていなかった。どうやら私はもう少しこの新しい世界について知る必要があったみたいである。これはかなりの収穫なのではないだろうか。射命丸さんに感謝。
 
 縁側に、座布団と温かいお茶を用意する。何かお茶請けでもと思ったが、彼女の好みなど知らない。とりあえず今日のおやつにと思っていた蓬団子を少し取り分けて出すことにする。それで、お盆に載せて持ってきたら、射命丸さんは手帳に何かを書きつけていた。彼女は天狗のはずであるが、その姿を見ている限りでは、とても妖怪には思われない。ただ、そのおかげでいまの私でも普通に接することができるのだけど。
 
「射命丸さんは落ち込んだりすることってありますか?」
 
「うーん。私に限って落ち込むなんて、あり得ませんねぇ」
 
 やっぱり彼女は天狗だ、色んな意味で。
 けれども、何気なく彼女の手帳に目を落とすと、そこには意外にも文字が書かれてなく、庭の風景が描かれていた。思わず、射命丸さんの顔と手帳との間に視線をさまよわせる。それに気がついたのか、少し照れたような表情を見せる。
 
「まぁ、手慰みのようなものです」
 
 きっかけは、と彼女は話し始めた。むかしむかし、まだ射命丸さんも駆け出しだったころは、思うような記事が書けずに悩んでいたこともあったらしい。そういうときの気分転換にと自分が記事にしようと思った出来事を絵にしているうちに、趣味のようになってしまったとのことであった。絵にすることによって、ある出来事が第三者の視点から客観的に捉えられる。ただ記事を書きたいという想いだけでは良いものは出来上がらない。誰が、何を、いつ、どこで、どうやって、何故やったのかをきちんと整理することが重要で、それはまるで絵におけるデッサンの重要性のようなものなのだ。目の前のものをきちんと描写できている限り、私の記事がぶれることはない。そう、彼女は言いきった。ただし、いい話だなーと思ったら、その直後に、まぁ客観的なものを頭に置きながら思いっきり主観で記事を書くのが楽しいんですけどね、などと言い放っていた。台無しである。
 
「気分転換ですか、私に何かオススメありますか?」
 
「昼間から飲む酒は美味しいですよ」
 
「それ以外でお願いします」
 
「うーん……」
 
 それっきり、射命丸さんは考え込んでしまった。本当に酒しかオススメがないのだろうか。私はこの年でキッチンドランカーになりたくないので、気晴らしに飲酒などという恐ろしいことはしたくない。もうちょっと頑張ってくれ、私のために、という自分勝手な思いをそこはかとなく視線に漂わせる。お、今日のお茶はなかなか美味しく淹れることができた。
 
「それでは、山歩きなどいかがでしょう」
 
 なんと、まともな答えが出てきた。こういっては失礼だけど、意外。
 
「良さそうですね。紅葉の残っているうちに少し出歩いてみます」
 
「それでは、私も新聞を書きに戻りましょうか」
 
 そのまま飛び立っていきそうな勢いだったので、失礼だけど、腕をつかませてもらう。
 
「どうしました?」
 
「私のこと、まだ記事にするのは止めてくださいね」
 
「おや」
 
「だって、貴方の新聞は嘘ばっかりで有名じゃないですか」
 
「失礼な」
 
「それで、貴方が記事にしてしまったら、私が風祝を休業中なことも嘘になってしまいます」
 
「私の意見は無視ですか」
 
「お願いします」
 
 頭を下げる。記事になってしまったらなってしまったで仕方がないと思うのだけど、それでもまだ、特に霊夢さんには知られたくないのだ。一回負けたのをこれだけ引きずってるなんて、ちょっと格好悪い。彼女は気にしないかもしれないけれど、私が気にする。それに、霊夢さんに限らなくても、もう少しだけ自分で何とかしてみようと思うのに、下手に色々な人からの干渉を招きかねないことは避けたい。
 どれだけたくさんの理由があっても、私にできるのは頭を下げることだけだ。射命丸さんの表情は見えないけど、迷っていてくれれば嬉しいなという程度にとどめて、同じ姿勢を取り続ける。
 
「……判りました」
 
 少し間があって、声が降ってくる。反射的に、顔を上げた。
 
「貴方のこと、しばらくの間は取材対象として、まとまったところで記事にしますから」
 
「射命丸さん……意外に良い人ですね」
 
「意外も良いも人も余計です。ただ、その方が良い記事が書けると思っただけですから」
 
 ああ、これはきっとあれだ、ツンデレってやつ。噂には聞いていたけれど実在するなんて、さすがは幻想郷である。何となく得した気分になって、顔がにやける。妙ににへらにへらしていると、不意にパシャリとシャッターを切られた。
 
「あ!」
 
「まずは一枚、いただきました。ではまた話を聞きに来ますから」
 
 今度こそ引き止める間もなく飛び立っていって、私はその空を翔ける姿をただ視線だけで追いかけていた。彼女がとてもとても小さくなって、ついには見えなくなってしまっても、しばらくは立ち尽くしていた。何となくだけど、良いきっかけになるかもしれない。結果がついてこなくても構わないのだ。何かに対して前向きにとらえることができた、そのことが大事だった。これから、ずっとここで生きていかなければならないのだから、腹をくくってやれることは何でもするしかない。
 とりあえずお茶を片づけて、さっそく準備に取り掛かる。境内の掃除が途中だったのを思い出したけど、走り出したら止まりたくないし、まいっか。
 
 
 ☆ ☆
 
 
 翌日、普段よりも早くに目が覚めてしまった。そして、実は昨日の夜はなかなか寝付けなかった。要するに、寝不足である。朝の神社はなかなかに寒い。布団の中は暖かい。いけない、私の頭のなかで警鐘が鳴る。早苗、お前にはやるべきことがあるはずだ。それがこんなところで立ち止まっていていいのか。昨日の決意はどこに行った。寝るな、起きろ──
 
 次に気がついたときには、何か恐ろしいほどすっきりと疲れも眠気も取れている。しかもさっきほど寒くない。とても嫌な予感がして、障子を開けると、どう考えても朝の風景ではなかった。完敗である。
 念のため神奈子様に確認すると、やはり二度寝していたらしい。起こしに来ていただいたのだけど、あまりに幸せそうに眠っていたためそのままにしておいてくれたとのことである。なんてお優しいのだろう。そしてご飯美味しい、お味噌汁美味しい。あ、おかわりお願いします。
 
 予定は大幅に狂ってしまったが、なぁに、かえって歩くのに適した時間じゃないか。うしろめたい気持ちを引きずりながら、まずは着替えるところから。勝手が判らないので、アンダーウェアは無難にスポーツタイプのものをチョイス。ドライフィットのTシャツに、ショートタイツとくればまるでジョギングでもするかのようだ。これにジーンズと、汚れてもいいフリース素材のチュニックを合わせる。ちょっと寒いかもしれないけど、歩いているうちに暖まるはず。
 昨日のうちに部屋を捜索して、スニーカーを引っぱり出しておいた。こっちに来てからは初めて足を入れる。せっかくだからと紐を結びなおしているうちに、やる気が充ちてきた。とはいえ、今日は初日だから、いきなり遠出をしたりはしない。どれくらい歩けるものなのかも判らないし、しばらく歩いてみて、疲れたら一休みして、そこからまた神社に戻る。その程度でいいだろう。
 
「いってきまーす」
 
 軽い感じの声を出して、私は外へと足を踏み出した。ここ幻想郷においては、外出とは空を飛ぶことを意味しており、外を歩くというのはとても新鮮な感じがする。
 もっとも、足取りも軽やかに歩いていたのは初めのうちだけで、すぐに大変さを思い知ることになる。なにしろ、山の歩きにくいことといったら、正直甘くみていたと言わざるを得ない。冗談ではなく早苗萎え萎えである。思い返してみると、都会暮らしではまったくなかったけど、さすがに道路は舗装されていた。ここは起伏があるので、腿を上げなければならないことが多く、結構きつい。想像以上に体力が落ちていたらしいことも影響してか、思うように体が動かないのもしんどい。それに、ここは山の中腹で、当然ながら麓に比べれば空気も薄い。見通しが甘くて焦るとか、本当に成長がないなぁ、がっくし。いや、それでもこれはリハビリにはもってこいだし、これだけ足を上げていればヒップアップに効果的なはず。なんだ、良いことづくめじゃないか。よし理論武装完了。
 すぐ萎えそうになる軟弱な心を励まして、黙々と歩き続ける。周りを見渡す余裕もなく、内なる声は、もう十分歩いただろう、そろそろ一休みしてもいいんじゃないか、と囁いてくる。だけど、私は知っている。こういうときは実際にはさほど時間が経っているわけではないのだ。もうちょっとだけ頑張ろう、何度も自分に言い聞かせて足を動かす。たまに木の根に躓いたりすると、少し泣きたくなる。だって、女の子だもん。そう呟いたってどこからツッコミがくることもない。ボケてみてもひとり、とか国語の先生に怒られそうなことばかり頭に浮かんできて、どうやら疲れておかしくなってきたらしい。
 やっとの思いで木々が途切れるところまで辿りついた。区切りが良いので、今日はここまでにしよう。大きく深呼吸をして、はい吸ってー、はい吐いてーを何回か繰り返す。少し汗ばんだ体には、ひんやりとした空気が気持ちいい。水を持ってこなかったのは完全に失敗だった、明日からは水筒を追加しよう。手ごろな石に腰掛けて、あらためて周囲を見渡してみる。どこまでいっても自然で、そんな中に独りいる私は、やっぱり違和感がある。自然と同化なんてしていないし、できない。私はまだ、人なんだ。そんな気分になったところで、ゆっくりと立ち上がる。帰り道は本当にゆっくりと、行きの倍は時間をかけて神社へと戻った。
 
 次の日も、またその次の日も、私は山を歩き回った。少し慣れを感じてきたところで、ちょっと遠出をしてみることにする。これまで折り返していた辺りまで飛んでいって、今日はそこからスタート。前よりは余裕が出てきて、景色を楽しむこともできるようになった。つくづく自然の素晴らしさを思わされるのだけど、本当に同じ表情がない。位置や時間、視線の向きなどを軸に取ってみると、少し座標がずれるだけで完全に別物だ。もし私の感受性がもっと強ければ、必ず触発されるような何かがあったに違いないのだけれど、と自分の未熟さに歯痒い思いを抱かないでもない。でも、背伸びすることはやめにしたんだ。だから、いまはただ、できる範囲で楽しめばいい。
 さて、今日はどこへ向かっているのだろう。足に任せて頭がお留守になっているから、そんなことを考える。そのとき、遠くから声が聞こえてきた。
 
「止まりなさい! そこの怪しい奴」
 
 どこから響いてきたのかは判らない。遠くのことだし、まさか私のことではあるまいと、気にもしなかった。
 
「止まれと言っているでしょう。そこの変な服!」
 
 さっきよりも声が近い。もしかしたら私のことかもしれないけれど、変な服ではないので、無視することにした。
 
「いい加減止まりなさいよ……」
 
 すぐ後ろで声がしたので、さすがに足を止めて振り返る。外見こそ、あえていえば山伏に近いような格好をした少女であるが、人間でないことは頭から生えた獣耳が物語っている。可愛らしいと思う反面、緊張感が全身を包む。これでは、表情がこわばらないようにするだけで精一杯だ。
 
「ごめんなさい。私のことだとは思いませんでしたから」
 
 もしかしたら声が震えるかもしれない、そう危惧していたが、何とか大丈夫だった。
 
「こんなところを人間がうろついているなんて、怪しいわね。迷い込んだだけなら、早く里に戻りなさい」
 
 里、という言葉からすると、麓からここまで上ってきたと思われたのだろう。守矢神社の居候だと言うと、少し驚かれた。自己紹介すると、彼女も名前を教えてくれて、犬走椛さんというらしい。この妖怪の山で、ショウカイとやらをやっているとのことである。警備員さんのようなものを想像したけれど、たぶん間違ってはいないはず。
 しかし、私はどうやら天狗たちの領域に足を踏み入れていたようである。これまでは神社の近辺にいたから、彼らを刺激することはなかった。けれども今日ぐらいの距離からはそうもいかない、ということか。困った、天狗と争うなんて無茶なことは今の私にはできない。かといって、せっかく楽しくなってきたところで止めにすることもしたくないし。
 
 と、ここで訝しげな視線に気づく。犬走さんは私がここまでの反応をするとは思わなかったのだろう。それでも、その視線の中に心配そうな気配が含まれていたと、少なくとも私がそう感じたことで、彼女を頼ってみようという気になった。初対面の怪しい奴のことをわざわざ心遣ってくれるような人だ、きっと良い人に違いない。いや、妖怪だけどね。それに、実は悪い妖怪でだまされて食べられたとしても、まぁそれはそれで、という感じもする。別に開き直っているわけでもないけど、それぐらいの覚悟はしておかないといけないんじゃないのか。何かの拍子に車にはねられでもするのと同じようなものだろう、きっと。
 私は、言葉を選びながら、どうにかして誰にも邪魔をされずにこの山を歩き回ることができないかどうかを相談してみた。犬走さんは、最初のうちは無理だ、止めた方がいいと言っていたけれど、私が食い下がると、何かを思案し始めた様子である。やっぱり優しい天狗さんだったんだなぁ。
 
「どこか行き先は決まっていたの?」
 
「いいえ。足の向くままでしたけど」
 
「じゃあ、今日は私につきあってくれないかしら」
 
 やばい、告白されちゃった。真っ直ぐ見つめられながらで、ちょっとどきどきしてしまったが、どこへ連れていかれるか判らないというのは少し怖い。私の無言の催促を受け取ってくれたのか、彼女は自分の行動の意図を解説してくれた。
 犬走さんと一緒にいる限り、私がどうこうされる可能性は少ない。まずはその姿をどこにいるとも知れぬ天狗たちに見せておくというのである。いきなり許可を取りに行くよりも、安全な存在であることを示しておいた方が良い、という判断らしい。もう完全にお任せモードなので、私にできることは大人しくしていることだけである。ついでに、犬走さんお薦めの場所に連れて行ってくれるらしい。これはラッキーだ。少し離れたところにあるというので、今日は飛んでゆくことにする。急ぐ道中ではないのでゆっくり進んでゆき、その間に天狗の組織などについて教えてもらった。彼女はまだまだ若いらしく、下っ端だと言っていた。縦社会ならあまりイレギュラーなことはしないほうがいいんじゃないかと思って、そう伝えたら、まあ大丈夫と言われてしまった。若いといってもそこは天狗、もう長い年月を生きているわけで、たまには面白いことの一つや二つないとやってられないらしい。想像もつかない話である。
 
 もうすぐだよ、と言われてから少しして、水音が聞こえてきた。流れる音ではなく、叩きつける音である。これは、と心躍らせていると、視界が開けて、岩場に出た。思ったとおり、滝だ。しかも、これはかなりの大きさときた。さすがにお薦めされるだけのことはある。
 
「どう?」
 
「何か言葉になりません……」
 
 思わず、ほぅ、と息をついてしまう。かなりの高さから豪快に落下する滝は真っ白で、その後ろの岩盤の黒さとのコントラストが素晴らしい。しかも、この季節は周りの木々が赤く色付いており、風が吹く度に紅葉が舞い、それがまた私の心をきゅんとさせる。
 
「ここは通称、秋めく滝といってね。今年は紅葉がなかなか終わらないのが幸いしたかしら」
 
「滝が一番映えるのは、秋なんですね」
 
「その意見には賛成よ。ここ以上の景色はそうないわ」
 
 そう言う犬走さんの目つきはとても柔らかだった。私はもうテンションが上がりっぱなしで、はしゃぎたくなる心を抑えるのに必死だ。足もとに降り立った紅葉を拾って、目の前にかざす。その紅さはまるで血が通っているようで、何かしら私のうちに流れ込んでくるものがあったのではないか、そんな気になる。その紅葉も、ふと力が緩んだすきに風に運ばれひらりひらりと舞い落ちる。追いかけようとして止まった手は行き場をなくして、とりあえず髪をかき上げた。
 
 パシャッ。
 
 聞き覚えのあるシャッター音に釣られると、見覚えのある鴉天狗。
 
「なかなか良い写真が取れました」
 
「いつの間にいたんですか」
 
「まあまあ気にせずに。むしろ、どうして貴方がここにいるかの方が気になります」
 
「私が連れてきました」
 
「おや、貴方は……」
 
「犬走です」
 
「ああ、犬走椛。そう、貴方が」
 
 射命丸さんの声が心なしかきつさを増したような感じになった。む、何だか良くない流れのような気がする。ここは私の出番だと思って、二人の間に割り込む。
 
「私が頼んだんです。もっとこの山を回ってみたかったので」
 
「はぁ、そういうことですか。そう言われてしまうと私にも責任がないわけでもないですね」
 
 そう言うと、射命丸さんは犬走さんのほうをちらりと見遣った。
 
「上には私から言っておくわ」
 
「そうしていただけると助かります」
 
 犬走さんが頭を下げると、射命丸さんは私にそれでは、と言うとどこかへ飛び立った。
 
「良かったわね。これで大丈夫なはずよ」
 
「犬走さんは、射命丸さんとはお知り合いだったのですか?」
 
「部署が違うからそんなに面識ないんだけど、あの人は有名人だから、ね」
 
「何か私のためにすいません」
 
「別に気にしなくていいから」
 
 今日は暇つぶしだから、そう言って笑ってくれた。見た感じは私とそう変わらないのに、ずっとお姉さんだ。何となく、小さい頃に優しくしてくれた婦警さんを思い出したりして、ちょっと泣きそう。まったく最近の涙線はすぐに緩くなって困る。
 結局、神社の近くまで見送ってもらった。彼女はいわゆる千里眼の持ち主で、遥か彼方まで見通すことができるらしい。警備には適材適所というべきだろう。これからも見かけたらよろしくお願いしますと言い、何度も何度もお礼を言って、見えなくなるまで手を振った。新しい出会いもあり、心打つ風景もあり、今日はいったい何記念日と名付ければいいのかも判らなかった。
 
 心は昂っていたが、体には刺激が強すぎたのかもしれない。夜にはまた気分が悪くなってしまった。結構きつかったけど、何とか吐かずに耐えることができた。軽い妖怪アレルギーにでもなっているのかもしれないが、絶対に治してやる。犬走さんは良い人だった。彼女に拒否反応を示すだなんて、まったくもって許しがたい。言うことを聞かない体をどうにか落ち着かせたら、張っていた気が緩んで疲れが一気に出てきた。汗に濡れた髪が額にはりついて気持ち悪いけど、もうどうにもならないくらい眠くなって、私は深い深い眠りへと落ちていった。
 
 
 ☆ ☆ ☆
 
 
 数日ほど体調を整えるためにゆっくりと過ごして、私はまた山へのチャレンジを再開することにした。神奈子様は少し心配そうな様子で、逆に諏訪子様は快く送り出してくれる。お二人とも私を気遣ってくれていることが判るので、なるべく早く元気になりたいものだ。
 
 やはり、というわけでもないが、犬走さんに連れて行ってもらったあの滝にもう一度行ってみることにした。ところが、記憶を頼りに歩いてゆくと、いつまでたってもそれっぽい景色に出会わない。ちょっとズルをして、上空から位置を確認。それでもかなり迷ってしまった。まだまだ空から見た景色と地上での方向感覚がリンクしない。
 やっとの思いで辿りつくと、それでも、相変わらず疲れを忘れさせるような滝が構えていた。しかし、先日も犬走さんが言っていたが、今年は紅葉がなかなか終わらない。嬉しいことではあるけれど、冬も嫌いじゃないので、来ないのも困る。ただし、ここも温暖化の影響かなぁ、と思う程度が限界である。
 岩場に座って、足を投げ出し、清冽な空気の流れを感じ取る。何時間でもここにいられるんじゃないかと思うぐらいに飽きがこない。本でも持ってくれば良かったと思って、いやいや、私はあくまで山歩きをしている途中なんだと言い聞かせる。
 
 舞い踊る紅葉をつかまえようと、手を右往左往させていると、滝の上方から見覚えのある姿が近づいてきた。
 
「あ、犬走さん。こんにちは」
 
「気に入ってくれたみたいね」
 
「当然です。今日もお仕事ですか」
 
「いや、そうそう侵入者もいないし。暇だから遊んでいたわ」
 
 そう言うと、紹介してあげるからおいで、と言われた。彼女の知り合いなら大丈夫だろうと思い、素直についてゆく。滝を越えたところには、水色の服に帽子を被った少女がいた。いや、この展開なら少女に見える何者か、というべきだろう。
 
「おお、人間か。私はにとり、谷カッパのにとりだ」
 
「ニトリさん、ですね。東風谷早苗といいます」
 
 天狗と河童の取り合わせ、というのも考えてみれば凄いものではないだろうか。その二人が何をしていたかというと、将棋である。自然と、私は彼女たちの対局を隣で見ることになった。ただし、私が知っているものとは段違いに盤が大きく、また見たこともない駒がたくさんある。聞けば、大将棋というらしい。数えてみたら、マスの数は十五もあるわけで、なるほど通常の盤の三倍の大きさはあるはずだ。非常に時間のかかるものであり、決着がつくまで数千手かかる場合もあるのだという。目もくらむような話だけど、彼女たちにとってはそれくらい時間のかかるものでなければ暇つぶしにならないということだ。しかし、このゲームを傍で見ている私というのは、そのまま人間と妖怪の関係を表しているといってよいのだろう。私が彼女たちと関わることができるのは、短い時間にすぎない。そして、私がゲームのプレイヤーになることはない。それなら、私と彼女たちが同じゲームをすることがないのかというと、そんなわけがない。たとえば大将棋はできなくても、私の知っている将棋なら相手になる。同じフィールドに立てるような場を用意すればいいだけの話なのだ。
 そこまで考えたところで、私の頭に浮かんだのは、スペルカードルールである。あの弾幕ごっこにおいては、人間も妖怪も区別がなくなる。霊夢さんが考案したと聞いているが、実は凄いことなのかもしれない。もうちょっと練習して、誰が相手でも立ち向かえるようにしておくことは重要なことだ。よし、ちょっと稽古することにしよう。
 
 それにしても、どうやって指せばいいのかさっぱり判らない。判らぬなら、教えてもらおう何とやらである。せっかくなので、ニトリさんに何を考えながら指しているのかを聞いてみることにすると、着眼大局、着手小局という言葉が返ってきた。うん、何となくは判るけど、何となくしか判らない。判らないので、素直にそう言うと、微笑とともに意味を教えてくれた。曰く、まず、目の付けどころはなるべく大きいところにする。細かなことにはこだわらずに、全体を見ながら状況を把握し、最終的な目標を立てることが重要である。しかし、実際にどのように指すかという段階になると、今度は逆に細かいことまで配慮しながら、目の前の一手に集中する、ということ。
 つまりは、計画と実行をきちんと分けて、それぞれでするべきことがある、ということのようだ。正しく目標に到達できるように計画することと、その計画がきちんと達成されるように実行すること。言われてみればレベル感が違う。それを一まとめにして、目標が達成されるために実行すること、としてしまえば、実行の中に二つの意味が混じってしまう。計画しただけで実行した気になってしまったり、無計画に行動することによって目標に到達しなかったりしてしまう可能性がある。
 では、私自身はと振り返ってみると、あまり計画を立てて行動するといった感じではなかった。ただ、あの時はどうすればいいのかなんて全然判っていなかったから、とにかく何かすることが重要だった。それでも、これからは着眼大局というものを意識する必要があるようだ。
 
 相変わらず、目の前の盤上で何が繰り広げられているかはさっぱり判らない。それでも、私は飽きることなく横で眺めつづけていた。着手小局であるならば、そこで指された一つ一つの手には、何らかの意図があるということである。初めて知ったが、将棋というのは、相手の指し手から隠された意図を読み解いて、それを上回ろうとするものなのだ。何と知的で、そして乱暴なのだろう。まあ、私には難しすぎて手が出ないのだけど。
 一戦終わって区切りがついたところで、私はお暇することにした。ニトリさんにお礼を言うと、人間は盟友だから、と返された。どうやら滝を下っていった先に工房を構えているらしく、遊びに来てもよいとまで言ってくれた。たとえリップサービスだとしても、今の私なら甘えますからね。というわけで、明日の行き先は決まったも同然である。
 
 翌日、朝御飯をおかわりしながらニトリさんの話をすると、神奈子様が格別の興味を示した。河童の技術がどれほどのものか、というところに関心があるらしい。風雨の神様であるから、本来は農業を司るはずではあるが、産業革命とか割と好きなのだ。諏訪子様は、また神奈子の悪い癖が出たよー、などと言っている。自分に害がなさそうだからって楽しげにしないでください。そして神奈子様もそういうときだけ風を吹かせるのはやめてください。風もどこ吹いてるんだ、収まれ。いやいや、収まってください。
 とりあえずニトリさんに迷惑だけはかけないようにしてくださいね、と釘を刺しておいた。昨夜はこの前ほど気分が悪くならなかったということで、私としては手応えを感じているのだ。だんだん体が慣れてきている、そう実感できるのは嬉しい。下を向かないでいられることがこんなに素晴らしいことだなんて、病は気からというのは本当なんだとつくづく思わされる。だからこそ、相手に迷惑をかけてしまったりとか、そういう落ち込むようなことにはなりたくない。まぁ、何だかんだで神奈子様のことは信頼している。
 
 今回はあの滝までさほど迷わずに行くことができた。教えてもらったとおりに、川伝いに下流へと向かう。川沿いは、とても気持ちのいい場所ではあるけれど、ところどころ滑りやすいところがあって、その度に普段使わないような筋肉にまで力が入っている感じがする。これは明日は痛いかもしれない。知らず知らずと鍛えられて、足が太くなってしまうかもしれないという恐怖は、私を宙に浮かせるのには十分すぎた。ちょっとブルーになりながら、それでも、ふよふよと風に流されていった。
 川の流れが細くなって、渓流といっても差支えなくなったところで、一軒の家が見えてきた。ここまできて本当に痛恨なのだけど、ニトリさんの家がどんな感じなのか聞くのを忘れていた。忘れるのが痛恨なのか、それとも気づいてしまうのが痛恨なのかはわからないが、とにかく目の前の家がニトリさんの家である保証はない。ドアを叩いてみれば別人の家だったりしたら恥ずかしすぎる。一縷の望みを託して表札を探すが、案の定見当たらない。困ったなあ、と途方に暮れて、何か奇跡でも起きてニトリさんがたまたま家の外に洗濯物でも干しに出てきて、いかにも偶然来たところですーみたいな顔してみたいな展開にならないかと期待していると、しばらく経って、本当にドアががちゃりと開いて中からニトリさんが出てきた。
 
「あ、ニトリさんこんにちは!」
 
 何かもう残念になるくらいに爽やかな声が出た。
 
「おお、昨日の。良くここが判ったね」
 
「運良くニトリさんの姿を見かけることができたからです」
 
 神奈子様に誓って、私は嘘をついているわけではない。断じてニトリさんが出てくるのを待っていたりはしていない。
 
「ちょっと待っててくれないか。洗濯物を干してしまうからさ」
 
 まさか本当に洗濯物が出てくるとは思わなかった。これは奇跡に違いない、ラッキーだなぁ、私。少し遠い目をしてしまったが、すぐに気を取り直してニトリさんを手伝う。洗濯物を干すという行為は、二人でやると一人でやる時間の半分もかからない。一たす一が二よりも大きくなる典型だと個人的には思っている。
 家の中に案内されると、そこは雑然とはしているが物も少なく、雰囲気のある部屋だった。自宅兼工房とのことである。今日は光学迷彩スーツとやらを修理するというので、後ろで見学させてもらうことにした。職人さんの仕事を見るのは好きなので、ちょっと期待感がある。しかも光学迷彩とか、映画やゲームでしか見たことのないものが目の前にあるのだ。この技術が順調に発達すればそのうち大陸一つ丸ごと隠してしまうようなシステムも開発されて、そこへ侵入してみると実の父親が大統領をやっていたりなんてことにもなるのだろうか。
 ニトリさんは作業に集中するとさすがに口数が少なくなる。邪魔にならない程度に質問をして、本棚から適当な本を開いてみたりもした。いわゆる工学書、といえば良いのか、何やら難しい理論だったり複雑な図面だったりが載っているのを確認してすぐに閉じる。他に何かないかと部屋の中をぐるっと見回すと、小さな将棋盤があった。小さな、というのは先日見たものと比較してのことであり、私からすると見慣れた大きさである。
 何となく駒を並べていると、いつの間にかニトリさんが作業を終えたのか、近くに来ていた。
 
「お、やるかい?」
 
「では、お願いします」
 
 お互い、将棋盤を間にして一礼する。こういうのは形が大事なのだ。駒を置くときはなるべく人差し指と中指で挟み、パチッ、と良い音がするように努力する。よし、負けないぞー。
 
「参りましたー」
 
 あっさり負けた。ニトリさんは初心者相手でもまったく手を抜かなかった。何て大人げない妖怪なのだろうか。こんな小さな勝利にも嬉しそうにしている姿を見ると、それはそれで腹立たしくなってくる。よかろう、次は弾幕だ。
 
 というわけで、成り行きから久しぶりの弾幕ごっこをすることになってしまった。まだ少し恐怖感が残っているけど、感情に任せて行動していると、こういうときにはかえって都合がいい。そこまで気にすることなく目の前のことに没頭することができるから。それに、お互い真剣勝負というわけでもなく、リハビリにはちょうど良いという感じだった。「グレイソーマタージ」と「河童のポロロッカ」を撃ち合って、避け合うというような、と言って判ってもらえるかどうかはわからないけれど。
 最終的に私が先に疲れてしまって動きが止まり、被弾してしまった。それでも、弾幕ごっこを楽しむことができたのだ。服が汚れるのも構わず、草の上に大の字になって見上げた空は、どこまでも高かった。ニトリさん、今日はこんな私につきあっていただいて、どうもありがとうございました。
 
 
 ☆ ☆ ☆ ☆
 
 
 それからも、私は射命丸さんに写真を取られたり、犬走さんに見つかったり、姿を隠したニトリさんに驚かされたりしながらではあるが、妖怪の山を歩き回っていた。精神的にも徐々に安定してきていて、十日も吐かずにいられるなど、かなりの前進である。そんな中、とても気に掛かることが一つあって、秋が終わらないのだ。暦の上では初冬と言ってもよい頃にもかかわらず、木々はまだその葉を落とそうとはしない。
 私は、これがたまたま遅れているだけなのか、それとも何かの異変なのか判らずにいて、何か手掛かりになるものはないかと探し続けていた。
 
 さて、今日もまた、特に何も得られずに神社へ戻ろうとしていたときである。前方から何者かが近づいてきたかと思ったら、相手も私を認めたのか、スピードを緩めて、少し離れたところに降り立った。
 
「貴方は人間ね。どうしてこの山にいるの?」
 
 もう何度も同じような質問をされているのだけど、彼女にとっては初めての問いであるから疎かにもできない。山の神社に居候をしていると言うと、納得した様子だった。けれども、私が彼女に近づこうとすると、やんわりとではあるが、制されてしまった。
 
「それ以上、私に近づくと不幸になるわ」
 
「どういうことですか?」
 
「私は人間の厄を集めているの。私の周りにいる限りは影響を受けてしまう」
 
 なるほど、何かマンガやゲームのキャラクターみたいなことを言う人だと思ったけど、きちんとした理由があって良かった。私はこういうとき、やってみないと判らないじゃない、とか言ってしまう主人公タイプの人間ではないので、大人しく近づくのを止める。
 
「貴方は聞き分けの良い人間ね。ご褒美というわけではないけれど、何かお役に立てることでもないかしら」
 
「うーん、曖昧な聞き方しかできないのですが、何か季節が変わらないと思いませんか?」
 
「ああ、まだ秋は終わりを迎えていないわね。気になるなら、その目で確かめてくると良いわ」
 
 彼女が言うには、秋の終わりを象徴するような、それは見事な樹があるらしい。早速、指し示された方向へ行ってみることにする。一目見てすぐに判ると言っていたので、それはそれは素晴らしい樹なんだろう。そう期待していたが、実際は、そんなレベルではなかった。
 
 その樹を見上げた私は、声もなく、しばらく佇んでいることしかできなかったのだ。確かに一目見てすぐ判るものであり、もし樹齢千年と言われたら絶対に信じる。到底抱えることもできなさそうなほど太い幹は真っ直ぐにそびえ立ち、枝も力強く伸びている。そして、すべての葉がこれでもかというほどに紅い。風が吹くと、燃え盛る炎のようにゆらめく。まさに神木というべき荘厳さを湛えており、思わず八開手をするところであった。考え直して、それでも、柏手を四度打った。それから、一礼。
 
 先ほどの女性がいたところまで急いで戻ったところ、私を待っていてくれたのか、同じ場所にいた。
 
「その様子だと、聞くまでもなさそうね」
 
「ただただ凄い、としか言えません」
 
「どうやら秋はまだ終わりを知らないということかしら」
 
「どうすれば良いのでしょうか」
 
 その言葉にすぐには応えがなく、彼女は後ろを向いてしまった。
 
「それを考えるのは貴方の役目ではなくて?」
 
 いや、そうと決まったわけではないでしょう。という言葉は声に出さなかった。それよりも、私には不思議なことがあったのだ。彼女は秋が終わっていないことも知っていた。それでも、何か対策に動いたというわけではなさそうである。別にそれでも構わない、ということなのかもしれないけど、それにしては彼女のもつ雰囲気は優しげである。
 
「貴方は……」
 
「私に近づく者は、いかなる者でも不幸になるの。だから、他者との関わりはできるだけ避けなければならない」
 
「貴方なら秋を終わらせることができるのですか?」
 
「それは私の役目ではないわ。私は災厄から人間を守る者」
 
 そう言うと、彼女はふわりと浮き上がる。もう少しだけ話がしたくて、追いかけようとすると、くるりとこちらに振り向いた。
 
「私にできることはせいぜい道を指し示すこと。指し示した方向には、必ず私はいない。貴方は貴方の道を行きなさい」
 
 ふっと微笑んで、彼女はまたくるりと半回転。きっと彼女は誰よりも優雅に、そして哀しげに回るのだろう。厄神の孤独は、いまの私にはどうすることもできない。元気になって、もうちょっと強さを身につけたなら、また彼女に会いに来よう。そのためにも、彼女が私に残した宿題を何とかしなければならない。
 忘れずに、名前を聞いておいた。鍵山雛、そう言い残して彼女は山へと消えていった。
 
 
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 
 さて、意気込んではみたところまでは良かった。しかし、連日のように御神木のところに来てはどうにかならないか調べているのだけど、手がかりは一向に掴めない。判ったことは、この樹の葉っぱは力ずくでも抜くことはできない、ということ。どうやら別の力が働いていて、そちらを何とかしなければ解決しなさそうである。
 それでも、できることは試しておきたいので、とりあえず突風など吹かせてみる。うーん、今日もダメっぽい。
 
「そこで何をしているの」
 
 背後から声が掛かった。聞き覚えのないものだったので、身構えながら振り返ると、そこには金髪の少女がいた。
 
「この樹の葉っぱを落とせないか、試していたのです」
 
「無駄な事をするのね。それは象徴に過ぎないのに」
 
「でも、このままではいつまで経っても冬が来ません」
 
「そう、貴方は秋を終わらせたいの。だったらついてきなさい」
 
 知らない人についてゆく私も私だが、知らない人をついてこさせる方も大概である。道中、気になってちらちらと視線を投げかけたけど、終始無言。
 御神木からさほど遠くない場所に、大きくない社があった。ということは、この少女は神様か。もっとも、鳥居などはなく、神社としての形式を完全に備えているわけではない。神の住処、という風情である。
 
 少女は無遠慮に社の中へと入っていって、私はその後を神妙についてゆく。中には、背格好の同じような少女が一人、床に臥せっていた。
 
「姉さん、お客さんを連れて来たわ」
 
 二人は姉妹であった。姉は静葉、寂しさと終焉を象徴し、紅葉を司る神である。妹は穣子、豊かさと稔りを象徴し、豊穣を司る神である。秋の神様から、秋が終わらない理由を聞くことができた。
 まず、秋を終わらせないのが何者かというと、幻想郷に住む人間の願いということだ。冬を避ける想いが、秋を続けさせているというのである。それではなぜ、人々は冬を避けるようになったのか。それは、まだ私たちが幻想郷に来る前に起きた異変によるらしい。冬が長引き、春が来るのが遅かったことが影響して、その年は不作となった。そのことが忘れられなかった人々は、冬の訪れに恐怖を覚えるようになったのだ。
 秋を終わらせるのは、静葉様の役目だそうである。あの御神木の葉がすべて落ちる頃が、秋の終わるときなのだ。引っ張っても抜けないのは当然のことであった。想いでつながっているものを腕の力で引き離すことなどできはしない。
 ただ、本来ならば終わるべきものが終わらないでいるのは不自然なことではある。そして、その不自然さの影響を受けて、静葉様はかなり弱っているということであった。自身が弱ったとしても、人々が願ったことを無碍にできないのが神の難しいところである。人々が間違ったことを願ったときに、神は人を正すべきなのか、それとも人々が願ったことこそが正しいのか、私には一生かかっても答えなど出せはしないのだろう。
 それでも、私にも判ることがある。目の前にいる神様は、確かに困っているのだ。それに、秋という季節はとても良いが、それは四季の移り変わりがあってこそである。常秋となれば、ありがたみも薄れるというもの。やはりこの秋は終わらせなければならない。
 
 丁重に感謝の意を述べて、私は社を後にした。向かうは人里である。人々の想いが原因というのなら、まずはそれを確かめなければならない。
 
 妖怪の山を出るのは久しぶりだが、初めてというわけではない。人里にも何度か行ったことがある。もっとも、買い物に行く程度であって、今回のような場合にどこへ行けば良いのかは見当もつかない。どのような立場にいる人と会うべきなのか、そもそも特定の誰かに会う必要があるのか、考えてみてもまとまらないが、だからといって考えるのを止めるわけにもいかない。思考に集中するあまり、周囲にはまったく気が向いていなかった。
 
 足もとが疎かになったまま歩くとどうなるか。簡単なことで、見事に転んでしまった。転んだだけでも恥ずかしいのに、もっと恥ずかしいことがあった。
 
「大丈夫?」
 
 横から声が掛かったのだ。これはつまり、見られたということである。マジでやばい。親切に手を出してくれたので、とりあえずつかまって立ち上がる。
 
「ありがとうございます」
 
「ちょっと見せてごらん。ああ、擦り傷になってるじゃないの」
 
 手をついた際にできたようで、傷があると判った途端に痛くなってきた。
 
「大丈夫です」
 
「女の子がそういうことを言っちゃあいけないよ。ここからだと知り合いの家の方が近いから、連れてってあげる」
 
 そう言うと、強引に手首を引っ張って歩き出した。完全にペースを握られてしまって、私はされるがままである。白銀の髪は無造作に下ろされていて、いくつかの紅白のリボンで止められている。スタイルいいなぁ、などと思いながらついていった。
 都合良く人里に向かってゆき、そのうちの一軒にずかずかと上がり込む。知り合いの家、ということであったが、確かに勝手知ったるという感じだ。
 
「慧音、いるー?」
 
「そんな大きな声を出さなくても……っと、また怪我でもさせましたか」
 
「いやいや、まるで普段から私が人を怪我ばかりさせているような物言いをしなくても」
 
「ああ、殺し合いでしたね」
 
「判ったからちょっと手当てをしてあげてくれない?」
 
 この家の住人らしき人と、ここで初めて顔を合わせる。私が思うに、幻想郷という場所はこれでもかというくらいに顔とスタイルの良い人たちばかりである。全員というわけではないのだけど、私の地元に比べれば雲泥の差と言っていい。むしろこっちにショックを受けるべきだったんじゃないかと、今頃になって思う。
 慧音、と呼ばれた女性は私の傷を診て、しっかりと洗い流し、薬を塗って、包帯を巻いてくれた。とても丁寧で、それでいて手際が良くて、私はその長くて綺麗な指をぼけっと眺めているだけだった。
 
「はい、これで大丈夫ですよ」
 
「ありがとうございます」
 
 改めて、ここまで連れてきてくれた女性にもお礼を言う。彼女は藤原妹紅さんというらしい。家は人里から離れた竹林にあり、こっちに来ているときは友人の上白沢慧音さんのところにお邪魔するのが常だということである。殺し合い、という単語については詳しく教えてもらうことはできなかった。気になるけど、いま目の前にいる女性からはとても連想できない。
 さて、せっかく人里に住む人とコンタクトを取れたのだから、悩みを聞いてもらうことにする。私はなるべく主観を交えずに、秋の神様たちの話を再現することを心がけた。幸い、上白沢さんは彼女たちのことを知っていて、私の話に理解を示してくれた。藤原さんは慧音が言うなら間違いないという感じであり、ちょっと諏訪子様を連想してしまったのは秘密である。
 
「どうするのが良いでしょうか」
 
 私がそう問いかけた、そのときである。
 
「話はすべて聞かせてもらいました! あ、写真撮るのでそのままで」
 
 いきなり人の家に許可も取らずに上がり込んで来た不法侵入者は、急なことで固まっている私たちをパシャパシャとフィルムに収めていった。
 
「何してるんですか」
 
「新聞配達に来たところ何やら面白そうな話をしていたので」
 
「それで盗聴に不法侵入? 良い趣味してるわ」
 
「おや、これはこれは竹林の焼き鳥屋さんではないですか」
 
「やっぱり試しておくべきだったね。火の鳥の炎で焼き鳥になる鴉」
 
「ここでやるのは止めにしてくださいね」
 
 良かった、上白沢さんは常識人だ。
 
「射命丸さんは何か良い案でも持ってますか?」
 
「おいおい。どうせこいつも鳥頭だから何も考えてないに決まってるわ」
 
「そんなことありません。要はその御神木とやらに想いが届けばいいのですから、人々に冬の訪れを望ませれば解決です」
 
「悪くない案ですが……実現は難しそうですね」
 
 うん。確かに射命丸さんの案は悪くない。アプローチとしては何も間違っていないように思える。けれど、上白沢さんが言いたいことも判る。望ませられた、ということでは想いとして弱いのだ。自発的な想いでなければならない。そして、人々に自発的に冬の訪れを望ませるというのが、とても難しい。
 
「秋と冬だけしか見ないから難しいんじゃないの」
 
「どういうことですか」
 
「原因が天候不順にあるわけだから、不順を順に直すことを求めればいいんじゃないかと思ったのよ」
 
「ふむ。そっちの方が良さそうですね」
 
「では、少々回りくどいですが、こうしましょう」
 
 射命丸さんの着想を元に、藤原さんの考えたことを、上白沢さんがまとめた案とは、四季に対する信仰を集める、ということだった。この国の情景というものは本当に美しく、それは季節が移り変わり、また元に戻るという四季の移り変わりによってもたらされるものである。自然そのものへの感謝、そう言い換えても良いだろう。そして信仰は力となり、順を犯した季節をきちんとさせるのだ。
 この案で重要なことは、集めた信仰を正しく伝えることである。そして、それは私の役目だ。風祝を辞めた私が、またこうして人と神の間に立とうとしていることは、皮肉というか何というかである。
 
 それから数日かけて、里の人々と話をした。上白沢さんの紹介のおかげで、特に断られたりはされずに済んだ。
 私がしたことは説得ではなく、会話である。私はここに来てまだあまり経ってはいないけど、これまで見てきた限りでさえ、幻想郷にはもう日本に数少なくなってしまった原風景が残っていると感じたのだ。しかし、自然は自然でない限り変調をきたすことは、静葉様を見れば明らかだった。だとしたら、このままでは美しい風景が失くなってしまう。そんなのは嫌だ、と思うのも当然だろう。そして、その想いに関してならば、この世界に生きる者すべてが共有できるように思えたのだ。
 実際、里に住む人とは全員話をしたのだけど、話をしてみるとやはり自然に対する想いは強く、十分な信仰が集まったように思われた。さて、準備は整った。残るは最後の仕上げである。儀式を行うのにはこれ以上ないほど相応しい服だからということで、久しぶりに風祝の衣服を身にまとうことにした。
 
 御神木のところへ行くにあたって、穣子様と静葉様に事情を説明して、一緒に来ていただく。まずは実験、ということで風を起こし、信仰をのせてぶつけてみると、確かに紅葉が落ちる。よし、方法は間違っていない。
 いまの私が出せるだけの力を出して、通用するかを考えると不安にもなるけど、やってみないと判らないじゃない、と言い聞かせる。言ってから、私のキャラじゃないなぁと思ったけど、たとえ脇役でもたまには主人公回があるものだ。何とかなる、いや、何とかする。そう気合いを入れ直したときである。視界に見覚えのある姿が飛び込んできた。
 
「神奈子様!」
 
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」
 
「いや、それは古いですよ。それより、どうしてここに」
 
「あの鴉天狗が教えてくれたのさ」
 
 ああ、射命丸さんは、たぶん本人は否定するのだろうけれど、やっぱり良い人だった。
 
「ちょうど良いところに来てくれました。神奈子様の力、少しお借りしますね」
 
「拒否権なし、か。早苗も言うようになったじゃない。よし、この八坂神奈子の力、存分に使うがいい」
 
 言うや否や、神奈子様が私に“降りて”きた。全身に活力がみなぎって、しばし抑えるのに苦労する。大事なことは、信仰を樹に届けることである。葉っぱの一枚一枚にまで想いが行き届くようにしなければならない。突風では通り抜けてしまう。風で包み込んでしまわなければならない。
 
 ──竜巻っ!
 
 御神木のみを飲み込むように大きさを可能な限り押さえこんで、その分、風の勢いは猛烈である。その竜巻に、集めた信仰をぶち当てる。紅葉は凄い勢いで巻き上げられていって、あと少しですべて吹き飛ばすことができる。もう自分の内にあったエネルギーやら何やらもすべてかき集めて、それこそ最後の力を振り絞って竜巻にぶつけると、最後の一枚が枝から離れるのと同時に竜巻が砕け散って、空っぽの私は立っていることもできずに崩れ落ちそうになった。まるでスローモーションになったように動きは遅く、音も聞こえなくなったけれど、視界に入ってきた静葉様の口がゆっくりと動くのは見えた。
 
 あ・り・が・と・う
 
 確かにそう言ったように見えたのだ。そして、私は一つの終わりを感じ取った。
 
 
 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 
 冬の寒さも厳しさを増してきた頃、私は博麗神社に遊びに来ていた。
 
 あの出来事のあと、三日間ほど目を覚まさなかったらしいのだけど、起きたときには体も治っていた。どうやら一度完全に空っぽになって、トラウマやら劣等感やらもすべてどこかへやってしまったようである。そして、新しく達成感や自信を得ることができたのだ。治らないほうがおかしいかもしれない。
 
 今日は私の他に、魔理沙さんとアリスさんが来ていて、ちょうど四人でこたつを囲んでいる。たまたま、今年は冬の訪れが遅かった、という話になったので、事の顛末を話していたのである。
 
「──ということだったんですよ」
 
「ふーん」
 
「あら、霊夢の機嫌が急に悪くなったわね」
 
「当たり前だぜ。こいつは異変解決を誰かにされるのが一番嫌なんだ」
 
 うぇ、そうなんだ。って足蹴られてるし。痛いって霊夢さん。
 
「ちょっと、やめてくださいって」
 
「うっせぇ」
 
「こら、私の足まで巻き添えをくらわせるんじゃない」
 
「知るか」
 
 何という暴君。そしてアリスさんに助けを求めようとしたが、何と彼女は既にこたつから足を避難させているではないか。しかも澄ました顔でお茶なんか飲んでるし、さすがの危険察知能力というか何というか。
 やっとの思いで霊夢さんを宥めたところで、どうやら新たな客が来たようである。
 
「号外だよー、幻想郷一早くて確かな真実の泉『文々。新聞』の号外だよー」
 
 そんな大声を出していたら誰だか丸わかりだけどね。
 
「号外だ……っと、今日は四人いますね。四部いりますか?」
 
「一部で十分よ」
 
「どれどれ? 山の巫女、巫女を辞める……何だ早苗、やっぱり類似とか言われるのが辛かったのか」
 
「ちょっと違う気がしますよぉ。それに、私はいまだって風祝です」
 
「何だ。また嘘ばかり書いているのね」
 
「号外は、出すことに意味があるのですよ。では!」
 
「早苗、あいつ止めなくていいの?」
 
「ええ、構いません」
 
「いいのかよ。誤解されても知らんぞ……」
 
 射命丸さんは、出ていくときに一瞬だけ、私の方を見て目配せをした。たぶん誰も気づいてないし、気づいたとしても何のことか判らないだろう。
 
「いいんですよ。あ、そんなことより雪じゃないですか」
 
 外を見ると、ちらちらと白いものが舞っていた。やはり冬は雪が降ってこそである。私の幻想郷に来て初めての冬は、これで本当に始まったのだ──。
 
──これは、少しずつの優しさが集まって、一つの奇跡を起こしたというお話。
 
──────────────────────────────────────────────
 
今年一年の締め括りにと書いた作品です。お読みいただき、どうもありがとうございました。

追記:漢字の開き方について数か所修正しました。
他の投稿作品はこちら(作者:guardi)
guardi
[email protected]
http://guardi.blog11.fc2.com/
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コメント



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17.100名前が無い程度の能力削除
年の瀬にふさわしく穏やかで心温まるお話でした。

一年間、本当にお疲れ様です。また来年も、素敵なお話をたくさん書いて下さい。
どうか良いお年を!
20.100名前が無い程度の能力削除
こういうぶっ壊れていない、繊細で真面目な早苗は久々に見た気がします。

……うん、やっぱり、こういうキャラクターの方が個人的には好きだな。
最近の彼女はネタキャラばっかりで……
21.100名前が無い程度の能力削除
丁寧に言葉が選ばれているの感じられました。
幻想の世界がその名通りの美しさで描かれていて目に浮かぶようでした。

これは、そんなとても素敵なお話。
24.90翔菜削除
なんかこう、上手く言えないけどすごく面白かったです。
特に終わり方が大好き。
32.100名前が無い程度の能力削除
幻想入りの不安や風祝をやめることまた風祝として立つ過程が良かったです。間違いなくこのお話は早苗さんの主人公回!
36.100名前が無い程度の能力削除
早苗かわいい
38.100名前が無い程度の能力削除
実に良いです。
登場人物に気品があり、とても好み。
早苗の視点も一般人然としていていかにも『脇役』。
それが親しみやすくて良かったです。
46.90名前が無い程度の能力削除
雰囲気がふんわりしていてよかったです。
47.100名前が無い程度の能力削除
個人的には好きな早苗さんだ。
48.100ずわいがに削除
なんか良い感じに風祝しちゃってますねぇ。
これから逞しくなっていく早苗さんの、堂々たる兆しを垣間見ました。
55.100名前が無い程度の能力削除
妖怪の山の自然を、リアルに感じられました。
山の大気まで伝わってきて、早苗さんになった気持ちで読めました。
63.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしき風神録
64.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気いいなぁ