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東方与太話~0フラグ付近から始めるひじりん攻略@とらまる☆~幕間其の弐

2009/10/18 21:42:08
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※この作品は前作『東方与太話~0フラグ付近から始めるひじりん攻略@とらまる☆~幕間』の続き物となっています。先にそちらを読まねば意味の分からない部分があります。


ではどうぞ↓






















――Is Tiger dreaming at Crazy?――



だん       だん       だん       だん

     だん       だん       だん       だん


 風情漂う寺院には凡そ似つかわしくない足音を発て、廊下を走り行く。
 急いでいた。
 焦っていた。
 最早全てが手遅れなのではと――
 取り返しが付かないのではと――
 半ば強迫観念めいた感情に突き動かされ、無我夢中で駆けていた。


『なんで……』


 息を切らしながら、切れ切れになりながら、問いかける。
 答えは返ってこない。
 吐き出した言葉を置き去りにして、ひたすら駆ける。
 答えを持つであろう者の元へと――自分の向かう先に彼女がいると信じて――。

 バタバタと羽衣が風を薙ぐ音。ハァハァと荒い息遣い。
 踏みしめる板張りが上げるやかましい悲鳴。混濁した音が頭の中で反響する。

 ――遠い――

 何故、こんなにも遠いのか。
 目的の場所までは歩いても一分とかからない筈ではないか。
 平時の自分で在ればものの十数秒で駆け抜けられる廊下。
 それが今では永遠に続くような錯覚に囚われる。

 ――そんな筈はありません――

 もがくように脚を出す。前へ。前へ。
 目に映る景色は一向に変わらない。否、酷く緩慢ではあるが移っていく。
 目的の部屋が視界に入る。同時に他の一切が視界から消えてゆく。
 視界が狭窄する。思考が狂錯する。


『どうして……』


 行き場の無い、纏まりの無い、ぶつ切りの感情がそのままに口をついて出る。
 駆ける。駆ける。辿り着く。


『何も言ってくれなかったのですか……!』


 眼前に迫った戸に手をかけ、力を込める。障子張りの格子に爪がめり込んだ。


『聖!!』


 戸を乱暴に開け放つ、けたたましい音が堂内に響き渡る。
 薄暗い伽藍堂に陽光が差し込み、光と影の境界で堂内が分断される。
 その中に人影一つ。

 自らの影法師が一人、立って居るだけだった。




『そんな……』

 魂を抜かれたように、力無く膝を折る。

 間に合わなかった。
 終わってしまった。

『――――っっ!!』

 声にもならない声を出し、拳で床を打ち据える。
 震える手から血が滲む。痛みなど感じない。躰の感覚が麻痺している。
 唯、遣り切れない思いが頭蓋を満たし、脳髄を浸していく。

『……じり……ひじり……!……聖!!』

 赤い畳に赤い手を打ち付ける。強く強く。何度も。
 いっそ千切れ落ちてしまえばいい。
 大事なもの一つ繋いでいられない役立たずの手など――生えているだけ無駄ではないか。

『ごめ……なさい……ごめんなさい……』

 悔恨と悲嘆と罪悪感の入り混じった謝罪の言葉。
 こみ上げる嗚咽とともに吐き出され、ぼとり、ぼとりと落ちていく。
 何もしてやれなかった。
 彼女を窮地から救うどころか、気付く事さえしなかった。

 知っていたのに――
 人間達が影で何かを企てていた事。
 この頃の聖がどこか上の空で在った事――酷く淋しそうな、遠い目で自分を見ていた事――。
 前触れはあった。見て見ぬふりをした。
 結果……失くした。

『どうして……どうして……』

 何故、聖は自分に相談してくれなかったのか?
 私はそれ程に頼りにならぬのか?
 信ずる者一人救えぬ仏に、彼女はその信仰を捧げていたと言うのか?
 そんな話があるものか――
 そんな救いの無い話など――

 彼女を責めるのは八つ当たりだと、そう思う。
 聖は誰より優しいから――私を巻き込みたく無かったに違いない。
 だから――


 唐突に、背後から声がした。あっけらかんとした声だった。

『あら、寅丸様? そのような所で何をしていらっしゃるのです?』



 嗚呼、自分は気が触れてしまったのか?
 幻聴が聴こえる。
 彼女はここにはいない。
 よしんばいたとして……そんな呑気な台詞を吐く訳が無い。
 彼女は非道な人間達の手によって連れ去られ、封じられてしまった筈なのだから……。

『まぁ! 御手を怪我しているではありませんか! 診せて下さい』

 だからこれは……幻覚の筈。
 例え――この手を取るその手の温もりが、感触がどれほど現実的であっても、偽物には違いない。
 まやかし。気休め。欺瞞。
 都合の好い幻実を都合の好い頭がつくり出しているだけ。

 ならば――そこまで解っていながら何故――零れ落ちる涙は止まらないのか――?

『一体どうしたというのです? 子供のように泣きじゃくって――寅丸様?』

 嘘だ。
 幻な訳が無い。
 いや、例え幻でも構わない。自分が幻になってしまえば同じ事ではないか。
 意識せず、聖の腹に顔を埋め、なりふり構わず喚いていた。

『どうしたもこうしたもありません! こっちは貴女が封緘されると聞いて矢も盾もたまらず……ああ! もう! 心配したんですからね!?』
『ああ、その事ですか……心配をお掛けして申し訳ありません。でも大丈夫です』
『……そう、良かった』

 『大丈夫』と――そう言う聖の声があんまりに穏やかだったものだから、聞き返す事も出来なかった。
 張り詰めていた緊張の糸が切れ、体中の筋肉がだらしなく弛緩した。
 とり憑くように聖にもたれかかる。好い香りがする。
 いつの間にか手の治療が終わっていて、布を巻かれた傷口がじんと熱かった。
 聖はくたくたの私の髪を撫で、言葉を続ける。何故ならと――

 何故か――密着している筈の彼女の声が酷く遠くに聴こえた。


『人を謀り、妖怪と通じていた魔女――聖白蓮を封じる儀式は毘沙門天様によってつつがなく行われる事でしょう』



 冷えた。
 呼吸も、思考も、瞬きすら出来ず、凍りついた。

 無理矢理に面を上げ、聖の顔を見る。春のように穏やかな顔だ。
 今しがた耳元で聴こえた一連の言葉と彼女の様相は滑稽なほどに符号しない。
 ならば――これも幻なのだろうか?
 自分に自虐趣味があったとは驚きだ。

『今……何と?』

 何とかひねり出した言葉は棒読みもいいところだった。
 今の自分は余程に間抜けな顔をしているに違いない。
 聖は相も変わらず明朗に、淀みなく、他人事のように言い切った。

『ですから、貴女が私の封印を執り行うのです』

 唖然とした。
 今度こそ、目の前の人間が何を言っているのか理解出来なかった。
 整然と並べられた言葉の一つ一つはよく知った単語であるのに、どうしても文意が読み取れない。
 封印する? 誰が? 誰を? 何故? 何の為に?
 喉が渇く。
 もつれる舌で何とか言葉を紡ぐ。掠れた、酷く不恰好な声だった。

『聖は冗談が下手です。笑えません』
『私は至って真面目です』

 どちらにしろ笑えはしない。
 数秒の――永い間を置き、私は問いかけた。

『何故……私なのですか?』
『それが貴女の為だからです』
『意味が解るように説明して下さい』
『人々が疑心を向けているのは私だけではないという事です。彼等の心に芽生えた不安。最初、それは些細なものだったのでしょう。しかし不安は不安を呼び、やがて大きな疑惑となります。疑惑は伝染し、拡大し、疑惑が確信へ変わると同時に鋭い敵意になります。今や聖白蓮とそれにまつわるもの――人も、場所も、信ずるものさえ敵排の対象になり兼ねないのです。一度疑われれば最期、貴女が妖怪である事が衆人に露見するのは時間の問題でしょう。それを看過する訳にはいきません』

 確かに……’毘沙門天として聖白蓮を封印した’という事実は私の身の潔白を証明するに足るものだろう。例えそれが偽りであっても――
 明快だ。理路整然としている。納得は出来ない。

『ですから何故……自分が封印される事を前提に話をするんですか……』

 何も手をこまねいて封印されるのを待つ事などない。逃げれば良い。
 手を取り、この地を捨てて……簡単な事ではないか。
 私達には永い時間があるのだから――いくらでもやり直せる筈――
 そんな浅はかな考えを看破したように、聖は告げる。

『逃げ出したところで無駄だからです。私達の足よりも’誰か’の口の方が遥かに早いのです。仏を騙った妖怪と僧を騙った魔女が連れ立って逃げ出したとなれば――これは噂話としてはまぁ上等です。何処に逃げたところで私達を待つ運命は同じでしょう。行く先々で噂に尾ひれ背びれを付けるのが関の山です。その選択の先に安息はありません。逆に今、私が封印されれば――毘沙門天にありふれた武勇伝がくっ付くだけで済みます』

 流れるように聖は語る。
 その我を我とも思わぬ言葉の一つ一つに対して沸々と怒りが湧き上がる。
 我慢の限界だった。

『馬鹿な事を言わないで下さい!!』

 そんな理屈ばった、詭弁じみた言葉を聞きたいのではない。
 立ち上がり、精一杯の怒気を込めた視線を聖に叩き付けた。
 握り締めた拳が震えている。血が滲む。痛みは無い。
 見上げる顔は変わらない。
 澄ました、出来のいい人形のような顔が苛立たしい。

『貴女を見捨てて――私だけのうのうと仏で在り続ける事にどれ程の意味があると言うのです!!』
『ならば――どう為さるおつもりです?』

 聖にしては珍しい。射抜くような言葉だった。似合わない。言葉が詰まる。

『逃げます。貴女を連れて。仏門から身を引き、唯の人と妖怪としてなら平穏に暮らす道もある筈です……』

 自分も大概に馬鹿を言う。返答など聞くまでもない。
 聖は目を伏せ、首を振る。予想通り。

『それで済むなら既にそうしています。今の私にとってそれは死ぬより尚、辛い』

 自分は仏である前に寅丸星だ。が、聖にとってはそうでもないのだろう。
 彼女は続ける。現実感を伴わない穏やかな声。人形の声。他人事。

『それに……既に貴女の身は貴女一人のものではないのです。貴女を崇め、依り所とする人達を見守ってあげて下さい』
『それを言うなら聖だって同じでしょう!? 貴女を慕う妖怪達を見捨てるつもりですか!?』
『貴女になら安心して託して行けます』
『ならば私はどうすれば良いのですか! 貴女を依り所にする私は……!』

 眩暈がする。
 立っていられない。
 倒れそうになる。

『心配せずとも貴女が誰かを支えただけ、人も妖も貴女を支えてくれます』
『誰が――』

 咳き込んだ。無様だ。構うものか。
 ここにいるのは唯の寅丸星なのだから。
 聞きたいのは唯の聖白蓮の声なのだから。

『誰がそれを望んだというのですか――?』

 それを望んでいるのは私ではない。
 私が仏でいるのは聖の為だ。
 それを望んだのは――

 聖は僅かの間、ほんの少しだけ驚いたような、呆気に取られたような表情で私を見上げていた。
 そして屈託のない、飾りのない笑顔で彼女は言った。

 望んでいるのは――


『私です。はっきり申し上げましょう寅丸様。私の為に私を封印して下さい。私の為に人と妖怪を導いてやって下さい。私の為に――』

 一呼吸置いて――どこまでも聖白蓮の声で――言い切った。

『私の事など忘れて下さい』


 視界が落ちる。世界が上へ、上へとせり上がってゆく。
 地にぶつかった膝はぐしゃりと崩れ、力無くその場にへたり込んだ。

 馬鹿げている。
 矛盾している。
 出来る訳が無い。
 第一、意味が無い。


『忘れてって……自分で他人を巻き込んでおいて……そんなの勝手じゃないですか!!』

 叫んだ。まともな声にはならなかった。
 聖は応えない。立ち上がり、諭すように語り掛ける。

『封印の術式は既に組んであります。あとは貴女がそれを行うだけです。次に会うときは衆人環視の中、魔女と仏としてです』
『別れの言葉すら……告がせぬつもりですか! 聖白蓮!!』
『…………』

 聖は思い直したように屈みこんで――直後、躰が柔らかな感触に包まれた。
 伝わる鼓動はどちらのものか。
 彼女は耳元で囁いた。

『寅丸様、最期にもう一つお願いがあります。貴女はどうか――人間を恨まないでやって下さい』
『それも……貴女の為ですか……?』
『貴女の為です。さようなら、寅丸星』
『――――』

 言葉が出ない。
 言わなくては。
 さよならと――ありがとうと――

 言える訳が無い。
 納得できる訳も無い。

 聖が立ち上がる。笑顔を遺し、去ってゆく。
 離れてゆく。歪んでゆく。その輪郭が滲んで、わけの判らない曲線の塊に為ってゆく。
 捕まえなくては――留めなければ――
 離れてゆく。崩れてゆく。
 聖が消えてゆく。
 世界が遠のく。
 伸ばした手は空を掻くばかりで触れるものなど何も無い。
 気付けば自分の手すらぼんやりと滲んであやふやだ。
 どろどろと融けてゆく。


 ――ああ、なんだ――これは――

 濁々とした意識の中、漸く気付く。


 唯の 夢 だ。




 ――――ぶつん。――――




『何度目ですかね……この夢……』

 頬を濡らして目を覚ます。
 黴(かび)た天井に伸ばした腕から力が抜け、糸の切れた人形のように床に横たわる。
 ぼやけた視界で辺りを見回す。

 中はがらんとしていた。
 ここにあった金銀財宝はとうに失われ、残された物は八百年分の黴びの臭いだけだった。

 かつては多くの門弟と参拝客で溢れ、賑わっていた寺院、その仏堂――今は見る影も無く寂れ、朽ち果て、薄暗い、不気味なだけの箱――その亡骸の中に横たわり、夢を見ていた。
 もう千年も昔の夢の夢。

 忘れて下さいと――そう言った彼女の願いに反して、ズルズルと引きずっていた。
 いつも、と言う訳ではない。時々。
 思い出すように――忘れる事を拒否するように夢に見る。
 呪いにでも罹ったように――何度も何度も――繰り返し繰り返し――々々――

『はぁ……』

 溜め息を吐きながらも起き上がる。何も現でまで夢に患う事もない。

『ナズーリン?』

 部下を呼ぶ声に応える者は無く、問いかけた言葉は薄暗い――黴た箱に響き、吸い込まれた。
 はてと、首を傾げる。

『愛想を尽かされましたかね?』
『見損なわないで貰いたいな。見限るなら八百年もの昔に見限ってる』

 声のした方を振り向けば開け放った戸口の向こう、眩しい陽光を背にしたナズーリンが居た。鼠のくせにかっこいいじゃないですか。

『いえ、むしろ見直しました。後光が差すなんて貴女いつの間に仏に昇格したんです?』
『下らない事言ってる暇があったら火の準備をしてくれないかな? 朝餉は塩焼きだよ』

 ナズーリンは右手に持った桶を誇らしげに差し出して見せる。狭苦しい桶の中には二匹の鮎が浮いていた。
 肩に担いだダウジングロッドには糸と仕掛けが巻きつけてある。釣りは彼女の得意技だ。羨ましい。
 魚のいるポイントをダウジングで的確に見つけてから糸を垂らすのだから釣れない訳が無い。釣り人が聞いたら憤慨するに違いない。

『朝っぱらから殺生とは感心しませんね。もっと仏門に帰依する者としての自覚というものを持ったらどうです?』
『仏法じゃ腹は膨れないからね。今だけ唯の鼠でいいよ。戒律を守り塩焼きの魚を見守る事しか出来ないご主人の分まで私が平らげてあげよう』
『仏法は飯の種にする類のものではありません。よって私も唯の寅妖怪でいようと思います。大きいほう下さい。あと卵もお願いします』
『何がよってだい。唯の野良猫じゃないか……生臭くなったもんだねぇ……』
『元々こんなものですよ。私は』

 そう……聖に逢うまでは――


 ――――ぐるん。――――


『そういえば久しぶりにあの夢を見ましたよ』

 鮎を頬張りつつ言う私にナズーリンは心底うんざりしたような視線を向ける。あ、それちょっとだけ傷つくなぁ……

『ご主人、他人の夢の話ほど聞き甲斐の無いものは無いよ』
『そうですかね?』
『そうさ、曖昧模糊として落ちも無ければ山も――場合によっては意味すら無い支離滅裂な話を黙々と聞き続けられる暇人なんて、それこそお釈迦様くらいなものだよ。ましてや何度も同じ夢の話を聞かされたとあってはダウジングロッドで君の頬をぐりぐりしたくなるのも無理は無いと言うものさ』

 そう言ってナズーリンは当たり前のように得物を押し付けてくる。ぐりぐり。

『食事中に理の無い理屈で人を虐げるのは止めて下さい。あとそれN極は尖ってて痛いです』

 私の非難などごこ吹く風でナズーリンは続ける。ぐりぐり。

『第一にだよ? 云百年も前の夢にうなされるくらいなら何で聖の封印を解こうとしないんだい? 封印を施した張本人なんだから解き方も勿論知ってるんだろう?』
『というか知ってる知らないの話なら貴女だって知ってるでしょう。立ち会ったんだから』

 毘沙門天として聖を封印したその時の事も覚えている。
 不思議と取り乱す事は無かった。今思うと考える事を放棄していたようにも思う。
 思考を停止させ、毘沙門天になり切る。多分、そうでもせねば寅丸星の自我は容を保ってはいられなかったのだろう。
 私は坦々と儀式を執り行い。聖は粛々とそれを受け入れ。ナズーリンは黙して見守っていた。

『まぁそうだね。必要な物は二つ、一つは命蓮の法力――飛倉が最適だろうね、もう一つは――』
『宝塔ですね。知った所で詮無き事です。私にその意志は無い』
『それはまた何でだい?』

 ナズーリンは怪訝な顔をする。私は即答した。

『聖は               ますよ』
『え?』

 ――え?


  ――――ぐるん。――――
 

『ご馳走様です』

 塩焼きの鮎と卵焼きを平らげて即、床に横になる。ごろり。

『なんだい、寅を止めて丑にでもなるつもりかい?』
『これ以上貴女の尻に敷かれるのは御免ですね。とはいえナズーリン……起きていてもやる事が無いのです』
『せめて食器の片付けくらいはして欲しいんだけどね』

 本当に何も無いのだ。門弟はおろか参拝客すら途絶えて久しい。ごろごろ。

『何でこうなってしまったのやら』
『どっちの事を言ってるのか判りかねるね。自分の事かい? お寺の事かい?』

 誰にでもなく呟いただけだったのですが……嫌に耳聡い……

『同じ事ですよ。その二つは不可分です。私が言ってるのはどちらが鶏でどちらが卵かという事です』
『それこそどっちがどっちでも同じ事じゃないか』

 ナズーリンは呆れたような顔で可笑しな事を仰る。

『訳の分からない事を言わないで下さい。卵無くして鶏は生まれないのです』
『鶏がいなければ卵も産まれないだろう?』
『そういう風に考えるから水掛け論になってしまうのですよ。鶏の形質を決定しているのが遺伝子である以上、答えは明確じゃないですか。今ここに、鶏に進化する前の――どれでもいいんですが――赤色野鶏のつがいが居たとしましょう』
『ケキショクヤケイ?』
『ああ、鶏の祖先と言われている野鳥です。尤も、赤色野鶏なんて呼び名は彼等からしてみれば甚だ無礼な呼称だと思いますがね。なにせ鶏を基準にした呼び名で、彼等がその祖先だったというだけの意味しか持たない便宜的かつ逆説的な名前ですから。そもそも鶏とは庭鳥であり、野鶏なんて呼び方自体が矛盾しているのです。彼等の事を尊重するなら赤雉でも朱冠鳳でもそれらしい名前を与えてやるべきだと思うのですが……まぁここでは敢えて赤色野鶏と呼びましょう。語呂が好いので。』
『まぁ赤雉はともかく朱冠鳳はちょっと持ち上げ過ぎだしね』
『ゴホン。話を戻しましょう。今この場に一組の赤色野鶏の夫婦が居ます。これは明らかに赤色野鶏であり、鶏じゃありません。何も無ければ赤色野鶏の卵から生まれるのは赤色野鶏です。当然ですね。では次に、この本来で在れば野山で芋虫をついばんで平和に暮らしていた赤色野鶏君達をこの寺院の庭で飼い慣らす事にしましょう。赤色野鶏君達は元々自由奔放に山で暮らしていた訳ですから……狭い庭ではストレスが溜まって仕方ありません。彼等は気の滅入るような環境の変化に対し、進化という適応手段を講じる訳ですね。こうして狭い箱庭に幸せを見出せる鶏という種が生まれる事になります。問題とするのは何処までが赤色野鶏で何処からが鶏かという事です。庭に放った赤色野鶏君達の形質は既に遺伝子によって拘束されていますから……これは彼等が鳥頭である以上どうにも出来ません。赤色野鶏君達は一生赤色野鶏なのです。ある朝目覚めると鶏になっていたなんて事はあり得ません。対して彼等の愛する卵はと言うと――この中身は水分と蛋白質の混ぜ物――卵白ですね。それと卵黄――赤色野鶏君達が脈々と受け継いできた遺伝子が宿った単細胞から成ります。この遺伝子の中には当然、庭に放った赤色野鶏君達の苦難苦渋の歴史も刻まれていますから――卵の中身は親の轍を踏まぬよう、赤色野鶏以外として生まれようと画策する訳です。野山を愛する赤色野鶏の卵ではなく、狭い庭でも快適に暮らせる鶏の卵で在る事を望むのですね。哀しいかな、赤色野鶏君の愛する妻が夫そっちのけで真心込めて温めた卵からは赤色野鶏ではなく鶏が生まれるのです。以上をもって卵が先と言う結論が得られる訳ですがお解り頂けましたか?』
『朝っぱらから神も仏も無いような話をするね、仏のくせに。おまけに詭弁臭い。要するに私達が今しがた食べた卵は卵であり、鶏にも赤色野鶏にも成れなかったのだから――それを温めていた鶏さんに感謝しろってことだろう?』
『仏法的な言い方をするとそうなります』
『まぁ仮に卵が先だとしようじゃないか。ご主人とお寺のどっちが卵かって言えばこれは間違いなくご主人が卵さ。私が証人だよ』
『上手く話を逸らしたつもりだったんですがね……』
『粘りが足りないんだよ。ご主人はさ』

 そう、あの状況は紛れも無く私が望んだんでしたっけ――


   ――――ぐるん。――――


『ご主人はもうずっとそうやってダラダラゴロゴロしてるけどさ……信仰を集める気はもう無いのかい?』

 ナズーリンは咎めるように問いかけてくる。私とて仏たる者はそう在るべきだと思いますが――
 ごろり。寝返りをうつ。

『ほら、無一物って言うじゃないですか……あれ、真理だと思うんです』
『仏に逢えば何とやら――だね。それと今のご主人とどう関係あるんだい?』
『何も持っていなければ……何も失くさないでしょう?』

 思い返せばいつもそうだ。自分は大切なものから失くしていく。
 失くしものばかりするくせに抱え込むからそうなる。
 しっかりと掴んでいたつもりがいつの間にやら失くしている。
 指の間からするりするリと抜け落ちてゆく。
 どうせ失くすのなら抱え込むだけ無駄というものだろう――
 ごろり。背を向ける。

『だからって心まで捨ててどうするんだい? 今のご主人は唯の抜け殻じゃないか。心が籠ってない分、木彫りの仏像よりありがたみが無いよ』
『だから……ありがたみがあると依って来るじゃないですか……色々と』
『困ったもんだね』
『監査役の貴女としてはそうでしょうね』

 流石のナズーリンも少々面食らったようで……まぁ顔は見てなかったんですが……

『……知ってたのかい? 意外と鋭いじゃないか』
『当たり前です。何年一緒に居ると思ってるんですか』
『大体千年だね』
『そんなになりますか……余り感慨も湧きませんね』

 出会ってからもう千年とは……気の遠くなるような永い時間だと思う。
 それなのに何故か――思い出すのは聖といた頃の記憶ばかりで、中途が欠如している。
 思い出すほどの事も無かったのか?
 いや、記憶の糸を辿れば、所々に団子がぶら下がっているように思い出せるものがある。
 失くし物をする度にナズーリンがそれを見つけてくれた事とか……いっつも面倒くさそうな顔するんですよね。彼女。まぁ仕方ないですよね……自分だって面倒だから彼女に頼んでる訳ですし……流石に頼めないものもありますけど……
 
『当たり前さ、ここ八百年はそうやって自堕落にしていただけなんだから。聖が見たら何と言うか』

 人の心を読んだみたいに急所を突くのは心臓に悪いので止めて下さい。
 考えてみればナズーリンも相当に変わっている。

『ナズーリン……貴女は何だってこんな寂れた仏様の監査役を黙々とこなしているんです?』
『訂正、君はとても鈍い』

 呆れたように言って、ナズーリンは腕を突き出した。づんづん。

『貴女が怒る理由が解りません。ダウジングロッドでつつくのは止めて下さい。痛いですから』

 そういえば彼女だけは――いつも一緒でしたね――


    ――――ぐるん。――――


『全く以て度し難い馬鹿ですね! 寅丸は!』
『馬鹿ですかね!? 付ける薬がありませんかね!? 死んだ方がいいですかね!?』

 言い争って――と言うよりは罵り合って――いや違う。一方的だ。
 罵っているのはムラサだ。開き直っているのは私だ。
 これは――あの日の事だ。ムラサが一輪と共に聖輦船を駆って私達を訪ねて来た日。黴た箱に春風が吹き込んだ日の事――。

『馬鹿は死んでも治りません。実例を知っているので間違いありません』
『それって救いが無いじゃないですか?』
『救われたいのですか?』
『いえ、別に。私は――』

 私はあの時――

『救いたいのでしょう? 聖を。』
『……そうですね、でも――』

 何を躊躇っていたのだったか――?

『じれったいですね。いいですか? バカ丸星』
『いやよくないですよ。何ですかバカ丸星って誰ですか私ですかそうですか死んで下さい』
『生憎と船幽霊です。一度しか言わないからその寅耳引っ張ってよ~く聞きなさい』
『びよ~ん』
『わぁ良く伸びる事。では言わせて貰いましょう。貴女は聖が              心配しているようですがね、そんな事ある訳が無いでしょう。私や一輪ですらそうなんですから』
『筋が通っているようでよく解らない理屈ですね』

 何故だろう、とても大事な事だった筈なのに――それだけが抜け落ちてしまっている。空飛ぶ象さんの真似事までして聞いた筈の言葉が思い出せない。というか割ととっておきの一発芸だったのに――ムラサったら反応薄くて嫌んなっちゃいます。いや決して私の芸が微妙だったとかじゃないですよ? もう少しくらい伸びる物かと自分の耳に期待していたので複雑な心境だったのは認めますが……

『論より証拠。解らないのなら自分で確かめれば良いだけでしょう? うだうだと悩むのはその後で宜しい!』

 結局、その言葉が決め手だったんですよね――


     ――――ぐるん。――――



『ああ、そうだ、ナズーリン』
『なんだい?』
『ご存知の通り、聖の復活にはあの宝塔が必要です。お願い出来ませんか?』
『あの宝塔ってのはそこに転がってるその宝塔かい?』

 ナズーリンの指差す先には宝塔が一つ、床の上に無造作に置かれていた。
 私はそんな物には目もくれず、交渉を続ける。

『言うまでも無いでしょう。多分、貴女以外には頼めない仕事です。他言無用ですよ? 船長達は知らない方が好い』
『仕事、ねぇ……全く、世話の焼けるご主人だ。言っとくけど責任は十割君持ちだよ?』
『ばれたら拙いですよね……やっぱり。職を失ったらどうしましょうか?』
『知らないよ。主婦にでもなれば?』
『言ってはなんですが箸より重たい調理用具を持ったことがありません』
『条件に一致する調理器具に心当たりが無いね、あの鼠の唐揚げはどうやって作ったんだい?』
『どうだっていいじゃないですか』

 どうやって……ってそれは貴女、ええと――と言うかなんで貴女がそれ知って――
 ああなんだ――また混ざってきたんですね――


      ――――ぐるん。――――


『元々こんなものですよ。私は』

 ――――ぐるん。――――

 『聖は               ますよ』

  ――――ぐるん。――――

  『何でこうなってしまったのやら』

   ――――ぐるん。――――
   『訂正、君はとても鈍い』
    ――――ぐるん。――――
    『救われたいのですか?』
     ――――ぐるん。――――
     『どうだっていいじゃないですか』
      ――――ぐるん。――――


『私の神様になってくれませんか?』
『全身全霊でお断りします。私はそんな大それた肩書きを背負えるような妖怪じゃないです』
『とらは心配性ですね。何とかなりますよ。何せ私みたいなのが僧をやっているんですから』
『そんなものですかね?』
『そんなものです』

 ごめんなさい聖、何とかなりませんでした――




       ――――ぶつん。――――




 そして漸く、目を覚ます。
 そう、夢なんてものはいつだって曖昧で取りとめが無くて、理不尽に出来ている。
 過去と現在の自分が無節操に混ざり合い、溶け合って、記憶と感情の境界があやふやになる。何もかもが信用ならない。
 そんなものに意味などあるのだろうか?

 しかし仮に意味が無いと言うのなら――何故、人も妖も夢など見るのだろう?
 理に沿わぬ、出鱈目な事が平然とまかり通る。そんな五里霧中の夢の中に何を求めるというのだろう?

「…………。」

 見上げる天井は黴ていた。
 天井だけではない。四方どの壁を見ても黴。黴。黴。黴。
 黴た箱の中に人の形をした自分が居る。
 その自分の頭の中には又、匣がある。
 匣の中には又、幾つもの小さな匣があって――箱の中の人の形をした自分の頭の中の匣の数は人間と同じで八十兆個程度なのだろうかと――
 高々八十兆個の匣しか持たないから――千年分の思い出は入り切らないのだろうかと――詰まらない事を考える。
 匣に入りきらず、溢れ出したものが――それが夢だとでも言うつもりなのだろうか?

「そんな訳ないですよね――」

 多分、違う。
 百年足らずを生きる前提に出来ている人間とは違う。
 自然と共に移ろい、溶け込み、留まる事の出来ない妖精とも違う。
 自分の頭には永い寿命に応じた匣が在るはずだ。
 だから――

「黴てるんでしょうか――」

 八百年間で黴てしまったのは目に映る箱だけではなかったのかも知れない。
 黴で侵され、満たされ、埋められた匣。
 そこから閉め出された思い出が躰中の穴から流れ出す。その過程で頭の裡に刻まれた溝。
 それが夢だというのなら道理で、目が覚めれば憶えていないのも無理はない。
 目から耳から次々に入って来る――それすら今は黴なのだけれど――現在進行形の思い出はそこを通って匣に向かうのだろうから――過去の思い出が残した溝の形など、すぐに変わってしまうのだろう。
 黴に追い出され、流れ出ていった思い出はもう――私の中には存在しないのだ。

「馬鹿らしい……」

 本当にそうなら――どれだけ楽だろうか?
 事実はまったくの逆ではないか。
 思い出す為に、捜し出す為に夢を見ている。
 見上げる天井は夢の中とまったく同じだった。

「寅は夢中で夢を見るか?――なんて、詩的でも何でもないですね――」



――Round and Round, and……――



 中は相変わらずがらんとしていて、黴臭かった。
 当たり前だ。最期にここを発ってからまだ一週間と経っていないのだから……八百年かけて積み上げられたこの空気が容易に変わる訳がない。
 その大きさに比して窮屈な印象を持たせる箱の中を当ても無く歩き回る。
 やがて視界に巨大な影が現れ、歩みを止める。

「そういえば……これは夢にも出てきませんでしたね?」

 目の前には堆く積まれた木片の塊が在る。
 打ち壊され、ごみの山と化した仏壇の成れの果て。
 そこが八百年前までの自分の居場所だった。
 何がどう重なり合ったものやら判らない、破片の山。その歪な稜線に指を這わせる。
 黴たほこりが指に纏わりついた。
 守ろうとして守れず、取り戻そうとして取り戻せず、失くすまいとして失くした。
 そこまで思い、不意に苦笑する。

「失くした……と言う表現は適切じゃありませんよね?」

 それを打ち壊したのは他ならぬ自分なのだから――

「今頃……心配してるんでしょうかね? 聖達?」

 ここに来たのは失敗だったのかも知れない。
 ナズーリンには口止めをして来た。彼女は約束は守る性質だから――今頃聖輦船ではちょっとした騒ぎになっているかも知れない。

 ここに来れば自分の中にある、靄付いた感情の容がはっきりするかと思った……よくよく考えてみれば八百年もここに居て解らなかった事が今更解る筈も無い。

 ――本当にそうだろうか?

 自分が抱き続ける形容不能なわだかまりは間違いなく、この場所で形成されたものだ。ならば――それを解きほぐす鍵もまた、この場所にあって然るべきではないか?
 或は――自分は既にそれを持っているのかも知れない。唯、何かが足りない。それが何なのかは判らないが、欠けた組み絵のように、睛(ひとみ)の無い竜のように、無くてはならないものが欠けている。

 一人煩悶としていたその時だった――

「――っ!?」

 一瞬、まばゆい光に目が眩んだ。それと同時に――


「ゲフンッ!!」


 腹のど真ん中に何かが突き刺さり、吹き飛ばされた。鈍くて重たい、’何か’だった。
 その’何か’の正体が聖であった事に気付いたのは数秒後。音すら置き去りにして飛んできた彼女ともつれ合い、ゴロゴロと床の上を掃除した後だった。

 薄暗い箱に馬鹿でかい風穴を空けて、黴た空気も――壁すらも根こそぎ吹き飛ばして、聖白蓮は飛来した。


「ゲホッ! ゲホッ!」

 昨日から物を口にしていなかったのが幸いした。
 危うく聖の前で仏――いや、それ以前に女性としてあるまじき醜態を晒すところだった……というか状況が理解不能だ。

「廻る~廻る~世界が廻るぅ~~」

 自分の腕の中で目を廻す聖は一体何処から飛んできたのか――とか、そもそもどうして飛んできたのか――とか、訊きたい事は色々とある筈だった。しかし、我を取り戻した聖が開口一番に発した言葉によってそれら一切の疑問はまとめて空の彼方へ飛んで行ってしまった。


「ああ寅丸様、一日ぶりです。お尻の採寸をさせて下さい」


 凄い真面目な顔で言ってくれた。
 凄い眩暈がした。

 いっそこのまま気を失ってしまえたらどれ程楽だろうか?
 いや、いけない。聖の右手には既に巻尺が携えられている。
 ここで倒れれば聖は容赦なく尻の採寸を敢行するだろう。それはまずい気がする。
 しかしやっぱり凄い眩暈がするのでそのまま倒れてしまう事にした。

 倒れる間際、視界には蒼い――抜けるような空が広がっていた――。



――To be Continued――
寅丸星の二重夢診断。ぶっちゃけると伏線の張り直しと背景説明。何て都合のいい描写だと思いつつ。
時系列で見ると前回と同時進行の話です。終始回想ばっかなんで時間も何もあったもんじゃないんですが。
イメージとしては舞台の面でムラサ達が馬鹿やって内側で寅丸がシリアスやって白蓮が間にある幕を破って飛んでくる感じです。
ラストはブルー将軍meetsアラレみたいなノリで。いい加減タイトル詐欺かも知らんねこの話。
それにしても次で終わるとか宣言しつつ続いちゃいました。次はどうなる事やら……というか終わるはず。うまく纏められれば。

説明を入れる余地が無かった八十兆個の匣について補足すると人間の脳をHDDに喩えると~って奴です。諸説あって八十兆は一意見です。あと鶏と卵は自重しろ。作者は8:2でたけのこ派。ではまた。
Sourpus
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コメント



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3.100名前が無い程度の能力削除
俳人の心構えにはまだまだヤケクソ分が足りないー
とはいえここまで駄目な星さんは久しぶりね
6.100名前が無い程度の能力削除
ほんとにひじりん飛んできたwww
シリアスクラッシャーすぎるwww