鼻の裏をちくちくと刺すのは、髪の毛が焦げる臭い。
めしゃり、と臭いの元を踏み潰した。
飛び散るのは、しかし肉ではない。ただの、木片にすぎぬ。
「さて――」
口元に不敵きわまる笑みをへばりつかせ、少女は手にした魔道の書を持ち替える。
「これで、最後かしら」
その視線の先には、老いた男がひざまずき、形相すさまじく彼女を睨みつけていた。
「よくも」呪詛のうめき。「よくも、おれの娘たちを!」
「娘?」
呵々、と少女は冷笑した。
「このガラクタどもが、あなたの娘? あ、は、は、は」
可笑しくてたまらぬ、という風情で、少女は手の甲を口へ当てた。
「名うての職人ともなると、そういうものなのかしらね――妻も子もなく、ただおのが造りし人形どもと時を過ごす」
ケラケラとあざ笑いながら、足元に転がる人形の骸を踏みにじる少女。
「お嬢ちゃんたち、恨むなら私じゃなくて、あんたたちの『お父様』を恨むことね――彼が素直にウンと言っていれば、こんな目にはあわなかったんだから」
すでに破片と化した『娘』たちを、執拗なまでに足蹴にしていく。
「よ、よせ、もう、やめてくれ」
男の哀願をフフン、と鼻で笑い飛ばし、少女は手のひらを彼に向けた。
「こんな玩具どもに興味はないわ。肝心のものを、いただこうかしら」
「何の――何のことだ」
とぼけないで頂戴、と少女は目を吊り上げた。
「あなたがこしらえたっていう、一世一代の人形――“無何有の過現未人形”(ムカウノカゲンミニンギョウ)」
うう、と男はうめいた。さながら、その名を恐れるかのごとく。
「辺境きっての人形師が、半生をかけて造り上げた世に二つとない逸品。名詮自性、過去・現在・未来を自在に往来し、それでいて何処にも存在しない――そんな摩訶不思議な、人形」
歌うようにいいながら、少女は手のひらを閉じた。
「どうしようと、いう」
「知れたこと」
金髪の少女は、目を細めた。「私のコレクションに加えてあげるの」
「無理だ」あえぐように、老人。「あの人形は」
「五つ数えるあいだに、在り処を教えることね。さもなければ」
足元にあった人形の頭を、蹴飛ばす。「あなたの命日が、こいつらと同じになるわよ」
「だ、だから、あの人形は――あれは、もうここにはいないのだ」
「ひとつ」小指。
「あれは、おれの元を離れてしまった。20年も、昔に」
「ふたつ」薬指。
「おれだけが、あれのことを『存在している』と証明できたのに」
「みっつ」中指。
「きっと今は、誰からも存在を証明されず、存在と非存在のはざまをさ迷っているにちがいない」
「よっつ」人差し指。
「帰ってこい、今からでも帰ってこい。おれのそば以外、お前には過去にも現在にも未来にも、居場所なんてありはしない」
「いつつ」親指。
「娘よ。おれだけが、お前の、名を――」
「ぱぁん」手のひら。
静寂。
(所詮、伝説は伝説にすぎないか)
この蒐集家は諦めが早い。
なにせ、集めるべきものは他にも無数にあるがゆえ。
(しかし)
と、少女は思った。
(あの老人の言が、真ならば?)
“無何有の過現未人形”は、今なお、いずこかをさすらっているのであろうか。
(『彼女』の存在を証明できれば、あるいは?)
だが、その術となると見当もつかぬ。
いかに魔法に造詣が深かろうとも、手に余る話だ。
いや、方法は知っていた。
その者に『名を与える』ことができれば。
その『名』を相手が受け容れれば。
契約は、成るだろう。
(とは、いっても)
過去も現在も未来にさえ行き来し、なおかつ何処にも存在せぬ……そんな相手が『いる』ことを証明し、『名を与える』などというのは
(魔法の領分じゃあない)
あえて言うなら、それはもはや
(神の域じゃないの)
あるいは――
「悪魔のわざ、というところかしら」
思索を妨げられ、少女は目を開いた。
行く手より飛来する、あの人影は。
メイド服をまとい、マフラーをなびかせて舞い来たる、あの女は。
「――まさかね」
女が放った無数の銀光に目を細めながら、アリス・マーガトロイドはつぶやいた。
彼女は神など信じていないし、ましてや……
(運命、なんて信じちゃいない)
永い冬の終わりの日、アリスと紅魔館のメイドの、それは『遭遇戦』の始まりであった。
めしゃり、と臭いの元を踏み潰した。
飛び散るのは、しかし肉ではない。ただの、木片にすぎぬ。
「さて――」
口元に不敵きわまる笑みをへばりつかせ、少女は手にした魔道の書を持ち替える。
「これで、最後かしら」
その視線の先には、老いた男がひざまずき、形相すさまじく彼女を睨みつけていた。
「よくも」呪詛のうめき。「よくも、おれの娘たちを!」
「娘?」
呵々、と少女は冷笑した。
「このガラクタどもが、あなたの娘? あ、は、は、は」
可笑しくてたまらぬ、という風情で、少女は手の甲を口へ当てた。
「名うての職人ともなると、そういうものなのかしらね――妻も子もなく、ただおのが造りし人形どもと時を過ごす」
ケラケラとあざ笑いながら、足元に転がる人形の骸を踏みにじる少女。
「お嬢ちゃんたち、恨むなら私じゃなくて、あんたたちの『お父様』を恨むことね――彼が素直にウンと言っていれば、こんな目にはあわなかったんだから」
すでに破片と化した『娘』たちを、執拗なまでに足蹴にしていく。
「よ、よせ、もう、やめてくれ」
男の哀願をフフン、と鼻で笑い飛ばし、少女は手のひらを彼に向けた。
「こんな玩具どもに興味はないわ。肝心のものを、いただこうかしら」
「何の――何のことだ」
とぼけないで頂戴、と少女は目を吊り上げた。
「あなたがこしらえたっていう、一世一代の人形――“無何有の過現未人形”(ムカウノカゲンミニンギョウ)」
うう、と男はうめいた。さながら、その名を恐れるかのごとく。
「辺境きっての人形師が、半生をかけて造り上げた世に二つとない逸品。名詮自性、過去・現在・未来を自在に往来し、それでいて何処にも存在しない――そんな摩訶不思議な、人形」
歌うようにいいながら、少女は手のひらを閉じた。
「どうしようと、いう」
「知れたこと」
金髪の少女は、目を細めた。「私のコレクションに加えてあげるの」
「無理だ」あえぐように、老人。「あの人形は」
「五つ数えるあいだに、在り処を教えることね。さもなければ」
足元にあった人形の頭を、蹴飛ばす。「あなたの命日が、こいつらと同じになるわよ」
「だ、だから、あの人形は――あれは、もうここにはいないのだ」
「ひとつ」小指。
「あれは、おれの元を離れてしまった。20年も、昔に」
「ふたつ」薬指。
「おれだけが、あれのことを『存在している』と証明できたのに」
「みっつ」中指。
「きっと今は、誰からも存在を証明されず、存在と非存在のはざまをさ迷っているにちがいない」
「よっつ」人差し指。
「帰ってこい、今からでも帰ってこい。おれのそば以外、お前には過去にも現在にも未来にも、居場所なんてありはしない」
「いつつ」親指。
「娘よ。おれだけが、お前の、名を――」
「ぱぁん」手のひら。
静寂。
(所詮、伝説は伝説にすぎないか)
この蒐集家は諦めが早い。
なにせ、集めるべきものは他にも無数にあるがゆえ。
(しかし)
と、少女は思った。
(あの老人の言が、真ならば?)
“無何有の過現未人形”は、今なお、いずこかをさすらっているのであろうか。
(『彼女』の存在を証明できれば、あるいは?)
だが、その術となると見当もつかぬ。
いかに魔法に造詣が深かろうとも、手に余る話だ。
いや、方法は知っていた。
その者に『名を与える』ことができれば。
その『名』を相手が受け容れれば。
契約は、成るだろう。
(とは、いっても)
過去も現在も未来にさえ行き来し、なおかつ何処にも存在せぬ……そんな相手が『いる』ことを証明し、『名を与える』などというのは
(魔法の領分じゃあない)
あえて言うなら、それはもはや
(神の域じゃないの)
あるいは――
「悪魔のわざ、というところかしら」
思索を妨げられ、少女は目を開いた。
行く手より飛来する、あの人影は。
メイド服をまとい、マフラーをなびかせて舞い来たる、あの女は。
「――まさかね」
女が放った無数の銀光に目を細めながら、アリス・マーガトロイドはつぶやいた。
彼女は神など信じていないし、ましてや……
(運命、なんて信じちゃいない)
永い冬の終わりの日、アリスと紅魔館のメイドの、それは『遭遇戦』の始まりであった。
ところで、話数とか入ってませんが続き物ですか? いかにも「序章です」みたいな終わらせ方してますけど。
はっきりいって続きがかなり気になります!
続編あれば頑張って下さい