妖精は夢をみない、という。
なぜなら、妖精は眠らないからだ。
だとすれば、いま自分が観ているものはなんだろう、とチルノは思った。
白いものが、身体にまとわりついてくる。
本能的に、嫌だ、と身じろぎした。
彼女は氷精であり、他者との接触は体温の上昇をもたらすため、ご法度だった。
(もし人間などが、彼女はとっつきにくい奴だ、と感じるとしたらそのためである)
ところが、その肢体と触れても、不快な熱さはなかった。
『あ……』
それどころか、ここちよい冷涼感が伝わってくるのだ。
『冷たい』
それは、かつて感じたことのない冷たさ。
母なる凍土に帰り、包まれたような、安心感。……
その感触をかかえたまま、チルノの意識は沈んでいった。
ふと目を覚ますと。……どこかの洞穴のようなところに寝かされていた。
「ああ……気がついたようね」
入り口に、霧のような影が漂っている。
目をこらすと、白い髪と白い肌の少女だとわかった。
「あんたは……うっ……」
痛みを覚えて、胸に手をやる。
「!」
そのときはじめて、彼女は自分が裸であることに気づいた。
「な、なっ、なーーっ……」
「ごめんなさいね……」
ゆったりとした足取りで、歩み寄ってくる少女。
「……相当な手傷だったから」
手傷。その言葉で、チルノは痛みの原因を思い出す。
「あの、紅白黒青が――」
そう、彼女は巫女、魔法使い、メイドの三人と戦い、奮戦およばず敗れ去ったのだ。
「あんたが、……助けてくれたの?」
「ええ。あなたはだいぶ体温が上昇してて……危険な状態だった。だから……わたしの肌で」
と、胸をはだけてみせる。「……冷やしたの」
してみれば、彼女もまた冷気を操るあやかしに違いない。
「どれどれ……?」
少女の手が頬に触れた。
「あっ……」
思わずピクリと身をすくませたが、熱くはない。
「うん。……だいぶ熱は下がったようね。もう、大丈夫だと思う」
手が離れてから、わずかに頬が熱くなったような、気がした。
「なんで」
「え?」
「なんで、助けてくれたの」
さあ? とその少女はほほ笑んだ。「何かの縁、かしらね。……でも、これからは、あんまりおてんば娘な行為はひかえたほうが、いいかもね」
「そんなの――」
こっちの勝手だ、と言い返したかったが、なぜか口ごもった。
「……気を、つける」
それがいいわ、と少女は鷹揚にうなずいた。
「……?」
チルノは違和感を覚えた。彼女の姿が、透けて見えたのだ。
「あんた……ひょっとして……」
「ああ……そうね。そろそろ、ね」
言っているそばから、彼女の身体はどんどん輪郭がぼやけ、色を失っていく。
「わたしは、冬の妖怪だから。……どうやら、『春』が来るみたい……本物の『黒幕』が倒れたんでしょう……ね」
彼女が何を言っているのか、チルノにはよくわからなかった。
が、もうすぐ相手が消えてしまう、ということだけは理解した。
「あ、あんた、残った力で、あたしを……」
気にすることはないわ、と少女は笑った。「また来年、冬が来れば……わたしは生まれるんだから」
でもそれは、きっと彼女自身ではなくて。
同じ妖怪でも、彼女の心は受け継いでいなくて。
だからチルノは。
「あたしはチルノ!」
抱きつきながら、叫んだ。
「あなたは!? あなたの名前!!」
「レティ……」
薄れゆく少女の口から、名残惜しげな吐息が漏れた。「レティ……ホワイトロック。さよなら、チルノ。……また、逢えるといいわね」
一陣の東風が吹いた。
その暖かさに身震いしつつ、チルノは唇に触れた。
彼女の唇の冷たさが、そこにまだ残っているかのように。
春が過ぎ、夏を経て、秋が終わった。
湖畔を、おさな子が歩いていた。
白い髪と白い肌をもち、ふっくらとした頬をもつ少女。
不安げなおももちで、とぼとぼと歩いている。
と、そこへ飛来してくる、十字の影。
「お? 人類じゃないけどちょっと美味しそうなお子様発見ー!」
「……!!」
「いただきまーー……っ!?」
宵闇の妖怪は戦慄とともに気づいた。
自分の周囲が、無数の冷気弾で囲まれていることに。
『“凍符 パーフェクトフリーズ”……溶かすかい?』
「やっぱり人類探しますーーー!」
ほうほうのていで逃げ去る十字。
「あ、あの……ありがとう」
女の子は、妖怪を追い払ってくれた少女に礼をいった。
「……借りを返しただけよ」
「え……?」
「……っ、こっちの、話よ……」
「はぁ……あ。あなたのお名前は?」
「あたしは……湖上の氷精チルノ。あんたは?」
「わたし……? あ、まだ、ないんです。名前……生まれたばかりだから」
「それなら……」
チルノは彼女の頬に触れた。
冷たかった。
心凍えさせるような、ここちよい、それは冷たさ。
「いい名前を、知ってる……」
――幻想郷に、初雪が降った日のできごとでした。
なぜなら、妖精は眠らないからだ。
だとすれば、いま自分が観ているものはなんだろう、とチルノは思った。
白いものが、身体にまとわりついてくる。
本能的に、嫌だ、と身じろぎした。
彼女は氷精であり、他者との接触は体温の上昇をもたらすため、ご法度だった。
(もし人間などが、彼女はとっつきにくい奴だ、と感じるとしたらそのためである)
ところが、その肢体と触れても、不快な熱さはなかった。
『あ……』
それどころか、ここちよい冷涼感が伝わってくるのだ。
『冷たい』
それは、かつて感じたことのない冷たさ。
母なる凍土に帰り、包まれたような、安心感。……
その感触をかかえたまま、チルノの意識は沈んでいった。
ふと目を覚ますと。……どこかの洞穴のようなところに寝かされていた。
「ああ……気がついたようね」
入り口に、霧のような影が漂っている。
目をこらすと、白い髪と白い肌の少女だとわかった。
「あんたは……うっ……」
痛みを覚えて、胸に手をやる。
「!」
そのときはじめて、彼女は自分が裸であることに気づいた。
「な、なっ、なーーっ……」
「ごめんなさいね……」
ゆったりとした足取りで、歩み寄ってくる少女。
「……相当な手傷だったから」
手傷。その言葉で、チルノは痛みの原因を思い出す。
「あの、紅白黒青が――」
そう、彼女は巫女、魔法使い、メイドの三人と戦い、奮戦およばず敗れ去ったのだ。
「あんたが、……助けてくれたの?」
「ええ。あなたはだいぶ体温が上昇してて……危険な状態だった。だから……わたしの肌で」
と、胸をはだけてみせる。「……冷やしたの」
してみれば、彼女もまた冷気を操るあやかしに違いない。
「どれどれ……?」
少女の手が頬に触れた。
「あっ……」
思わずピクリと身をすくませたが、熱くはない。
「うん。……だいぶ熱は下がったようね。もう、大丈夫だと思う」
手が離れてから、わずかに頬が熱くなったような、気がした。
「なんで」
「え?」
「なんで、助けてくれたの」
さあ? とその少女はほほ笑んだ。「何かの縁、かしらね。……でも、これからは、あんまりおてんば娘な行為はひかえたほうが、いいかもね」
「そんなの――」
こっちの勝手だ、と言い返したかったが、なぜか口ごもった。
「……気を、つける」
それがいいわ、と少女は鷹揚にうなずいた。
「……?」
チルノは違和感を覚えた。彼女の姿が、透けて見えたのだ。
「あんた……ひょっとして……」
「ああ……そうね。そろそろ、ね」
言っているそばから、彼女の身体はどんどん輪郭がぼやけ、色を失っていく。
「わたしは、冬の妖怪だから。……どうやら、『春』が来るみたい……本物の『黒幕』が倒れたんでしょう……ね」
彼女が何を言っているのか、チルノにはよくわからなかった。
が、もうすぐ相手が消えてしまう、ということだけは理解した。
「あ、あんた、残った力で、あたしを……」
気にすることはないわ、と少女は笑った。「また来年、冬が来れば……わたしは生まれるんだから」
でもそれは、きっと彼女自身ではなくて。
同じ妖怪でも、彼女の心は受け継いでいなくて。
だからチルノは。
「あたしはチルノ!」
抱きつきながら、叫んだ。
「あなたは!? あなたの名前!!」
「レティ……」
薄れゆく少女の口から、名残惜しげな吐息が漏れた。「レティ……ホワイトロック。さよなら、チルノ。……また、逢えるといいわね」
一陣の東風が吹いた。
その暖かさに身震いしつつ、チルノは唇に触れた。
彼女の唇の冷たさが、そこにまだ残っているかのように。
春が過ぎ、夏を経て、秋が終わった。
湖畔を、おさな子が歩いていた。
白い髪と白い肌をもち、ふっくらとした頬をもつ少女。
不安げなおももちで、とぼとぼと歩いている。
と、そこへ飛来してくる、十字の影。
「お? 人類じゃないけどちょっと美味しそうなお子様発見ー!」
「……!!」
「いただきまーー……っ!?」
宵闇の妖怪は戦慄とともに気づいた。
自分の周囲が、無数の冷気弾で囲まれていることに。
『“凍符 パーフェクトフリーズ”……溶かすかい?』
「やっぱり人類探しますーーー!」
ほうほうのていで逃げ去る十字。
「あ、あの……ありがとう」
女の子は、妖怪を追い払ってくれた少女に礼をいった。
「……借りを返しただけよ」
「え……?」
「……っ、こっちの、話よ……」
「はぁ……あ。あなたのお名前は?」
「あたしは……湖上の氷精チルノ。あんたは?」
「わたし……? あ、まだ、ないんです。名前……生まれたばかりだから」
「それなら……」
チルノは彼女の頬に触れた。
冷たかった。
心凍えさせるような、ここちよい、それは冷たさ。
「いい名前を、知ってる……」
――幻想郷に、初雪が降った日のできごとでした。