私、死体が特別好みなんです。
どうして、って? だって、あの物言わぬ感じが独特で、とっても素敵なんです。眠っているものは、決して私を拒みはしませんし、私の指示のままに動きますわ。何も言わないはずのものが疑問も持たず、私に向かって愛を言祝ぐなんて、ああ、震えてしまうほどです。
なぜそんなことを言い出したのかというと、特別な理由はないのですが、私は道場にいる方の感じを、常に探っているようにしています。それで、太子様がうたた寝をした時なんかに、ささっと言って布団をかけておいてさしあげると、蘇我様が私の仕業と嗅ぎ取って悔しそうにするので、私は大変楽しいのです。それで、その日も何となく皆の様子を感じ取っていたのですけれど、真昼時に、物部様が自室で随分長いこと静かにしているので、珍しいこともあるものだと、様子を見に行ってみたのです。壁に穴をあけて、半身を乗り出して覗き込んでみると、物部様はあぐらをかいたまま、腕を組んで俯きになり、お休みになっておられたのです。何かお疲れのご用事でもあったのかしらと私は思案してみました。何しろ物部様はいつもエネルギッシュに外を動き回るか、修行をしているかのお人なのです。夜は九時頃にはぐっすり眠り、朝は五時半から起き上がる健康児そのものなので、今日は目が冴えて眠れないでしょうねえと思いました。
それにしても、眠っている物部様は普段の活動的な風貌とは違って、線が細く、白い肌をしていて、まるでお姫様のようでした。思えば、物部様は今でこそお元気な方ですが、元々は貴族の娘であって、更に言えば、飛鳥時代の物部様は、あまり長くは生きられないようなふしがあって、それで不死を目指していた部分があるようでした。今でこそ神気に満ちて、体力も肉体も神気で補われているとは言え、大本は姫様暮らしの細っこい死体に過ぎません。そも、尸解仙とは自由意志の有無に関わるだけで、自由に動く肉体という意味合いでは、やがて仙人に至るとしても、芳香と大した違いはありません。未だ物部様は仙人には至らず、自由意志の有する死体そのものなのです。最も、その自由意志の有無というのが、大した差なのですが、ま、それはいいでしょう。私の中で、その考えに行き当たるにあたって、私は物部様の見方を変えざるを得ませんでした。
ああ、なんて、可愛らしい死体! 思えば飛鳥の頃は人としての肉だったので、そういった目で見たこともなく、それに、切羽詰まってぎらぎらと尖っていた部分がありましたので、あまり歯牙にもかけませんでした。それが、今は、どうでしょう。僅かに寝息を立てているとは言え、まるで座り込んだ人形のよう。あぐらをかく男らしい仕草も、本来の幼さ、娘らしさ、貴族らしさを、懸命に消し去ろうとする努力にも見えてきます。無論、物部様が実際そういうことを考えているかどうかは問題ではありません。そういった仕草が表象として表れてくるのがよいのです。私は物部様の部屋に入り、物部様の前に崩れるように座り、物部様の頬に指を伸ばしました。可愛らしくて美しいものは私、手にしてみないと気が済まないのが癖なのです。それも、隙のない、少なくとも私が色目を使ってみても、眼を細めて気味悪がり、逃げてしまうだろう物部様ならとにかく、こんなに隙だらけで自然体の物部様。愛でずにはいられません。
音もなく、物部様に触れるはずの指は、物部様に手首を掴まれて、届きませんでした。おや流石は物部様、眠っていても隙がない、と内心驚いていると、物部様はそのままぴくりとも動きません。静かに寝息を立てているだけです。私の気配を読み取って目を覚ましたわけではなく、どうやら、意識は眠ったまま、無意識のうちに私の腕を掴んだようでした。あら、と私は思い、気付かれないように振り払おうと手を引くと、存外強い力で握り締めていて、手の勢いに引かれて身体が傾ぎ、物部様の目が半分開きました。
「うぬ? 貴様は誰じゃ」
「た、太子様ですよー」
「むう。太子様であったか」
裏声でごまかしてみると、物部様はぱっと腕を放し、再び目を閉じました。それから再び腕を組んだので、私は少し考えを巡らせました。
「物部様、良ければ、膝を使ってくれても構わないのですよ」
「うぬ……太子様……しかし……」
別段裏声も使っていませんでしたが、物部様は半分眠ったまま、うつらうつらとして言いました。余程眠いのでしょう。私が手を握って手を引くと、物部様は静かに私の膝に頭を預けました。ついでに帽子を脱がし、傍らに置きました。
「かたじけない……」
そう言い残し、物部様はあっさりと夢の中に、意識を手放してしまいました。前々から思っていましたが、物部様は私に心を許すことはない割に、肝心なところで警戒心が足りないように思います。その気になれば、首を切って死体に変えて、思いのまま操るのも簡単にできてしまうのに。そうなれば、私は首の傷を縫い合わせ、綺麗なまま残るように防腐処理を施して、永遠に側に置くでしょう。物部様には危機意識が足りません。でも、その危なっかしさが魅力の一つでもあるのです。物部様がもしも世の中の真理を真っ直ぐ見られる目を持っていたならば、尸解仙となって生き延びようとは思わなかったでしょう。太子様への恩義があったとしても。太子様も、同じです。人として生まれたからには、人として死ぬのが、人としての通念なのです。もしも、この世に尸解仙や仙人が蔓延り、それが世の中の真理となることがあるとすれば……それは、最早、人間の世ではないでしょう。人間の世に生まれたものは、人間として死ぬのが真理なのです。尸解仙は歪な延命に過ぎません。それは、きっと、同じことをしている私もまた、真理ではないのでしょう。くすくす。物部様の危なっかしさを魅力と見、私も同じところに身を置けば、自賛に過ぎてしまいます。この辺りにしておきましょう。
無防備に寝姿を晒し、寝息を立てる物部様は、死体の美しさからは少し、遠ざかってしまいました。自然的な姿がより物部様らしいからでしょう。少し、興が削がれてしまったので、私は大人しく髪を撫でていることにしました。物部様を愛でている間、蘇我様は忙しく立ち働き、太子様は部屋でうたた寝をし、夜になって偶然、物部様の布団のシーツを取り替えに来た蘇我様が、私と物部様を見て、気味の悪いものを見た顔をしました。
朝になって、いつもより少しだけ遅く起きてきた物部様は、朝食の席で、「太子様、昨日はどうもすみませんでした。太子様の膝を借りてしまうとは。この物部膝を付いて謝罪致します。しかし、太子様の膝は実に寝心地が良くて、いつもより熟睡できたほどでございましたぞ。さすが太子様」と太子様に言っていました。当然太子様はよく分かっていないご様子でしたが、物部様が満足そうなので、私は何も言わないことにしました。蘇我様は蘇我様で、黙々と朝食をよそって、自分の仕事をなさっていたのでした。
とても好きです
そして布都は可愛い。
でも手玉に取るつもりが実は取られてたという黒い布都も見てみたい
にゃんにゃんの愛は重い
そして死体を愛でる青娥は美しい
青娥と布都の珍しい組み合わせが見られてよかったです。