※注1 紫のカリスマが崩壊している描写が多々あります。格好いい紫様が好きな方はなにとぞご注意ください。
※注2 BBAネタではないです。
式神、八雲藍は主の寝室の前に立っていた。
息をひとつ吸い込み、覚悟を決めてノックをする。
「紫様、入りますよ」
「……」
「入りますからね」
軋んで嫌な音を立てるドアをそっと開けると、部屋の隅で布団にくるまって体育座りのポーズをする情けない姿の主を見つける事が出来た。
「紫様……一体どうしたんです?昨日宴会から帰ってきてからずっとそんな調子じゃないですか」
そろそろと近寄り、主のすぐ隣にもふっと座り込む藍。
「……」
「そろそろ話してくださいよ。お役に立てるものならいくらでも立ちますよ」
藍の言葉に、紫がうっすらと顔を上げた。
「……本当?」
「もちろんです。私は紫様の式ですから!」
ようやく紫が自分を頼ってくれたことをうれしく思いながら、藍は弾んだ声で返事を返す。
「じゃあ、話してくれますか?」
「……うん。昨日の、宴会中のことよ……」
博麗神社で不定期に催される宴会は、近隣の妖怪たち、あるいは霊夢の知り合い連中の間では楽しみの一つであり、霊夢にとってはつまみという形で栄養をため込む機会でもある。その集まりに、いつも通り紫は人里で購入したつまみ片手に参加していた。
「いやー、やっぱ月見酒はいいねぇ」
神社の縁側、霊夢の隣で遠慮なしに酒をかっくらっている霧雨魔理沙がそう言い、「ぷはーっ」と気持ちよさそうに一息ついた。
「ちょっと魔理沙、少しは遠慮しなさいよ。あんたただでさえ手ぶらで来てるのに」
そうたしなめるのは魔法の森の人形使い、アリス・マーガトロイド。ちなみにアリスの持参品はバスケットに一杯の手焼きのクッキーである。
「私の分もアリスが持ってきた、ってことにならないか?」
「しないわよ」
「ちぇ、景気が悪いな。食べられそうなキノコでも引っこ抜いてくれば良かったか?霊夢」
「景気が悪いのはあんたが何も持ってこなかったせい。手ぶらよりキノコの方がよっぽどましだわ」
博麗霊夢がいつも通りの不機嫌そうな顔で返事を返して、アリスが「まあまあ」とクッキーを勧め、霊夢がほおばる、そしてまた魔理沙が何か言う……そんなループをさっきから繰り返しているのが、紫の座する位置からはよく見える。
「紫、どうしたの?」
突然かけられた声にびくりとなって振り返ると、友人の西行寺幽々子が不思議そうにこちらを見つめていた。
「いつもより進みが遅いわね。もしかして、疲れてるのかしら?」
「そんなことないわよ」
あわてて目の前の杯をぐいっとあおり、空にして見せる紫。幽々子は「急かしたつもりはないのだけど」と笑う。
「そう言えば紫様、本日は藍さんはいらっしゃらないのですね」
幽々子の隣で上着を脱いで正座している魂魄妖夢の言葉に、紫は苦笑い。
「家に珍しく橙が来ててね。藍はあの子のお世話を引き受けてくれたの」
「ああ……水入らずですね」
妖夢はその説明で納得したようであるので、紫は曖昧に笑いながらその話題を流した。実際は橙は「私がお留守番してます」と言ってくれたのだが、「橙を一人にするなんて許容できません!危ないじゃないですか!」と親バカ狐が主張したので一人で来たのである。まあ、その事にも一理あるから何も言わなかったのだけれども。
「さ、それより次をどうぞ。興と酔いが覚めてしまうわ」
「あ、すいません。頂きます」
自分の思考をごまかすように妖夢の杯に酒を注ぐ紫。妖夢はそれを恭しく受け取り、半分ほど飲みほした。
「あら妖夢、そんなので足りるの?足りないでしょ?」
「へ?」
「そうだな。お前はそんなんで足りる奴じゃないな」
そこへ急に表れたアリスと魔理沙が妖夢の腕を両側からがっしと掴む。魔理沙はともかく、アリスの顔がかなり赤いのは真面目な彼女にしては珍しいが、魔理沙の前で格好つけて見せようとでもしたのだろう。微笑ましいことだ。
「いや、あの、ちょっと」
「ねえ魔理沙、どこがいいかしら?紅魔館組にワインでももらう?」
「地霊殿で最近面白い酒作り始めたらしいぜ」
「誘ったくせに無視しないでくださいよ~……」
ちらりと捨てられそうな犬の目で幽々子と紫を交互に見る妖夢。すると幽々子は微笑んで、紫は哀れみを込めて
「あんまり吐いちゃ駄目よ」
異口同音に妖夢の目から希望の光を消し去った。己の従者が悲鳴を上げながら引きずられていくのをにこやかに見据えている幽々子を見て、相も変わらず恐ろしい娘よと実感させられる。
「ねえ、紫」
「え、な、何?」
考え事の最中に突然話しかけられて紫は狼狽した。
「霊夢と飲んであげたら?今、あの子一人ぼっちよ」
見ると、ぽつんと縁側で佇む紅白の人影が見えた。そう言えばあの子が一緒に飲んでいた二人は先ほど妖夢とともに行ってしまったのだっけ、と思い出す。
「って、今私が行ったらあなたも一人じゃない」
「あら、それもそうね……でも」
「でも?」
「あの子の方が寂しそうよ」
表情は微笑みを崩さないままであったが、幽々子の言葉からは、暗に「行ってあげなさい」というおかしな威圧感がある。
少しの間睨めっこを続けた後、紫はその好意をありがたく受け取っておくことにした。
「……悪いわね。なるべくすぐ戻るわ」
「あら、遠慮しなくていいのよ。さっきから気にしてたものね」
こちらの意思をあっさり読み取り優雅に微笑む幽々子。紫は苦笑しつつ、歩を進める。
さて、行くと決めたらそれはそれで悩ましいものだ。どんな感じでアプローチしようか。
(やっぱり寂しいのならそれを紛らわしてあげるべきよね?……決めた。愛情たっぷりのハグをかましてあげようか。前からじゃ警戒されるだろうから、後ろからこっそり……。
などと脳内で作戦がまとまり、目の前に作り出したスキマに足を踏み入れる(ちなみに、この時点で霊夢にはバレバレであった)。
「れーいむっ♪」
スキマの出口から身を乗り出し、なるべくフレンドリーに、自然に霊夢を抱きしめる。いつものように鬱陶しそうな顔で振り返る霊夢が予想通り過ぎて思わず笑みがこぼれた。だが、
「紫……」
「ん?どうしたの?」
霊夢は少し眉根をひそめ、こう言い放った。
「あんた、本当ぷにぷにね」
「……あとのことはよく覚えてないわ……幽々子のところに戻って、がぶがぶ飲んだか何かしたんじゃないかしら」
「……」
「藍?」
「……えっと……要するに、酒の席で出た軽口ごときで塞ぎこんでいた、と?」
「だって傷つくじゃない!あの子のこと、妹みたいに思ってるっていうのに……あんなこと……」
妹なんて図々しい、せめて娘でしょう、と藍は思ったことを口には出さず、紫が頭を布団に引っ込めようとする前に布団を引っぺがした。
「紫様。そこでそうやっていじけていても事態の解決にはつながりませんよ」
「う……」
「健全な肉体は健全な生活から、です。ほら、まずは布団から出てこれからの指針を考えましょ?」
「……分かったわ」
藍の懸命な説得により、紫はおよそ六時間の立てこもりを終えてようやく外に顔を出した。
……要するに、今のやり取りを除けば全くどうという事はない、普通の朝なのであった。
「やっぱり、運動した方がいいかしらね」
そう言って鯵の開きの身をむしり、白飯と一緒に口に運ぶ紫。藍はなんだかんだで元気な主に安心しつつ、おかわり、と差し出された茶碗に飯をよそって返した。
「ふぉひゅーふぉふぉへふぁん」
「食べながら喋るのはやめてください」
紫は味噌汁で口の中のものを流し込み、言いなおす。
「という事で藍」
「ああ、いつもはもっと上品なのに……なんですか、紫様?」
顔はいつも通りだけど内心荒れているのだろうか、と藍は思った。お構いなしに紫は続ける。
「あなた、いい運動知らないかしら?」
「運動、ですか……手っ取り早いのはランニングですかね」
「えぇ……」
「何でそこで嫌そうな顔をなさるんですか……」
「だって私、久しく走ったことなんてないもの。移動はもっぱらスキマだし」
「普段しないことだからこそ価値があるんです。さ、食べ終わったら早速始めましょう」
言い訳でうやむやにされないうちに、賢い式は無理やり話をつけてやった。
「うう、面倒ね……」
「それじゃ、ずっとぷにぷにのままでいますか?」
「ああんもう、わかったわよ。霊夢を見返してやるためにもやるわ」
「いいことです。それじゃ、着替えを用意してきますのでしばらくお待ちください」
数分後。
「さー、準備はいいですか?」
「いいわよー」
八雲家の玄関先には、それぞれ青と紫のジャージに着替えた藍と紫の姿があった。恰好はほぼ同じながら、やる気満々の藍とけだるそうな紫は見事に対照的である。
「それじゃ始めましょうか。まずは八雲家十周くらいから」
「えぇ十周!?この家、結構広いのよ!」
「弱音を吐かない。さー、行きますよー」
「うぅ……藍がいつになくやる気だわ……」
さっさと走り出し先を行く藍に引きずられるように、ゆっくりと、紫は走り出した。
「紫さまー!ちんたら走ってると日が暮れますよー!」
「そ、そんな口悪く育てた覚えないわよ!」
これ以上言われないうちに追い付こうとペースを上げる紫だが、それでも比較的調子を抑えているはずの藍との差は一向に縮まらない。それどころか、いつの間にか藍の姿が見えなくなるほどに距離を離されてしまっていた。
「あ、あれ……おかしいわね……」
「何がですか?」
「ぎゃあ!何で後ろから来るのよ!」
「紫様が周回遅れなだけです。このままじゃもう一周差がついちゃいますよー」
藍はそう言うと、再び自らのペースに戻ってぐんぐん紫との距離を離していく。毎日の雑用で鍛えている藍と、ほとんど筋肉を使わない仕事しかせず、しかも寝てばかりいる紫の身体能力の差は悲しいほどに明白であった。
結局、藍が十周を終えた時点で紫がこなした周回数は二周半程度と、なんとも情けない結果に。
「いやー、いい汗かきましたね」
「ぜえ……ぜえ……」
八雲家の玄関前には、呼吸の乱れもほどほどに気持ちよく水を飲む藍と、その余裕たっぷりな様子を恨めしげに見つめる今にもぶっ倒れそうな主人の姿があった。
「はい、紫様。水分補給は大事ですよ」
「そ……そうね……」
受け取った竹の水筒の中身を口に含み、紫は「はあぁぁぁ」と長―い息を吐いた。
「私、こんなに体力なかったかしら」
「……まあ、紫様はもともと肉体派ではありませんし、確かに妖獣である私との種族差もありますが」
「が?」
「……明らかに鈍っておられます」
ため息を吐きたいのはこっちですよというような表情で天狐は言った。
「う、やっぱり?」
「ええ。なんですかあのクソ虫にも劣る走りは。あんなザマで戦場に引っ張り出されて生きて帰れると思うんですか?なんとか言ってくださいクソ虫の紫様」
「うわああん!そんな鬼教官みたいな口調で言わなくてもいいじゃない!」
「いいえ、今日ばかりは言うべきだと思います。それもこれも、家事は人に任せて寝てばかりいたり、歩いても行ける距離なのにスキマを使ったり、そのくせ御飯だけは人一倍食べたり・・・そういう怠惰と暴食の積み重ねが体力だの体型に出てるんですよ!クソ虫様!」
「わ、分かったからせめて紫って呼んでよー!」
もはや半分泣きかけの紫と、そんな主に優しく助言する藍様。その様子は、騒ぎを聞きつけて顔をのぞかせた橙が布団をかぶってがたがた震えだすほどにハートフルな一場面であった。
「……というわけで、日常の積み重ねが大事なんです。お分かりですね?」
「それは分かったけど、ところで手っ取り早く痩せられる方法ってないかしら?」
「やっぱり分かってないじゃないですか!ダイエットに近道なんて……ん?」
そこまで言って少し考え込む藍。
「なに?やっぱり近道があるの?」
「ええ、まあ……その……」
言葉を濁りに濁したのち、藍は心当たりがあるという場所の名を口にした。そこならば紫もよく知っている、というか、幻想郷に知らない場所はほとんどないと言った方が正しいか。
「そこに行けばすぐに痩せられるかもしれないのね!?」
「絶対にお勧めはしませんよ。いいんですか?」
「こうなったら藁にもすがる思いよ!気にしないわ!」
「……忠告はしましたよ。あと……」
さっそくそこに向かおうとする紫を制する藍。
「行く前にお風呂に入ってください。けっこう汗かいたでしょう?」
「相変わらず面倒な道ねえ」
紫がいつもの服装で歩いているのは、うっそうと茂る竹林。日傘は畳んでおいて問題ないくらいに影があるのは良いのだが、秋という季節にはいささか涼しすぎる。おまけに結構入り組んでおり、道を覚えた者でもないと散々迷った挙句元来たところに戻ってしまうというというとんでもない場所なのだ。まあ、最近は兎達が誘導してくれたり親切な案内人がいるために遭難事故はとんと起こらなくなったようであるが。
「まあ、私には関係ないけれどもね」
幻想郷の事なら何でも知っていると言っても過言ではない、最古参の妖怪の一人がこの八雲紫である。迷いの竹林など、少し面倒はあるが歩いてでも抜けられないことはまずない。
それを証明するように竹藪が急に開け、お屋敷風の建物、永遠亭が姿を現す。入り口では人型の兎達が箒を手に掃除をしており、それを統括しているらしいブレザーをまとったひときわ目立つ兎、鈴仙・優曇華院・イナバは、紫の姿が目に入るなり駆け寄ってきた。
「紫さん!珍しいですね、歩いて来られるなんて」
「え、ええ、まあね。……ところで鈴仙ちゃん、永琳はいるかしら」
「師匠ですか?奥におられると思いますけど、お呼びします?」
そう言って走り出そうとした鈴仙を引きとめ、直接会いに行くからそれは不要だと伝える。
玄関をくぐり廊下を進むと、見るからに怪しそうな部屋の扉(悪趣味な髑髏のマークつき)がすぐに現れ、ノックに対して涼やかな声で「どうぞ」と返事が返ってきた。
「失礼するわよー……」
ドアを開けると、一気に薬品くささが鼻を刺す。先ほどの竹林を思わせるような数の薬瓶の群れが机の上に乗っているのを見て、紫は思わず顔をしかめた。
そんな紫に、奥の方から声がかかる。
「あら、八雲紫?しばらくぶりね」
椅子に腰かけた八意永琳がそう言い、珍しくかけていた眼鏡を外した。「どうぞ」と席を勧められ、紫も腰掛ける。
「しばらくって……昨日の宴会に居たじゃないの」
「だってあなた、私たちのところ来る前に勝手に倒れちゃったでしょう。せっかくいろいろ用意しておいたのに」
う、と声を詰まらせるが、すぐに口を開く紫。
「挨拶もなしだったのは謝るわ。だから水に流して、話を聞いてもらえないかしら」
「……ずいぶんと謙虚ね。何かあったの?」
少女説明中…
「……という訳で、すぐに痩せる方法とやらがないか聞きに来たのだけど……」
「ああ、それならあるわよ」
「そうよね、そんなうまくは行かないわよね……」
「話を聞きなさい。すぐに痩せる方法でしょ?だからあるわよ、ここに」
「……え?嘘!どんな!?」
身を乗り出そうとする紫を「薬が倒れるわ」と抑えて、話を続ける永琳。
「お腹にメスを入れて、手術で脂肪を取り除くのよ。まだやってほしいっていう人がいないから、やるならあなたが初になるけれど」
「うげ、ぞっとしないわね……大丈夫なの?それ」
「私の理論上は完璧のはずよ。吸い出す量さえ適当なら、いきなり体調が変わったりもしないと思うわ」
「話がうまく出来過ぎてないかしら……まさか、料金がものすごく高いとか」
うまい話を探して来た割にはうまい話に対して懐疑的ね、と永琳は表情に出さずにあきれた。
「疑り深いわね……タダでいいわよ」
「それも逆に怖いわ」
永琳、心の中で溜息。
「理由あってのタダよ。まず、患者はあなたが最初って言ったでしょ?成功例のない手術の実験台になってくれるなら、むしろありがたいくらいよ。それに……」
「それに?」
永琳は整った顔に寒気の走るような笑みを浮かべて言う。
「あなたみたいに珍しい妖怪にメス入れる機会なんて、あまりないものね。ふふ……」
「……」
「ああ、想像しただけでもぞくぞくするわ……紫、なんなら私がお金払ってもいいから手術……あら?」
薬臭い室内には、客人の姿は既になかった。
「まったく冗談じゃないわ、あのマッド女。人のこと珍しいサンプルくらいにしか見てないんだから」
当然のごとく紫は怪しい研究室を後にしていた。永琳の言葉がどこまで本気で会ったのかは定かでないが、あれが100%交じりっ気なしの冗談でないのなら、脂肪と一緒にどこかの臓器まで持って行かれる可能性があるのである。いくら手早そうな手段とは言え、そんな医者に頼むのはまっぴらごめんだ。
竹藪を抜け、日傘を差して紫は新たに歩を進める。心当たりが消えた以上は多少面倒な手段であれすがりつくしかなかったが、どうせなら少しでも効率のよい方法を採択するのがいわば最後の悪あがきと言えよう。
そしてたどり着いたのは、森の中にたたずむ古めかしい古物店。
「いらっしゃい。……って、珍しいですね」
店主の森近霖之助は、入ってきた紫の姿を見て片眉を上げた。
「この際、珍しいかどうかはいいわ。探し物があるんだけど見つくろってくれるかしら?」
「……いやはや、これはこれは」
霖之助の瞳が隠しきれない驚きに染まった。いつもはせいぜい本の立ち読みをするくらいで、他の商品には目もくれないような人物がこの調子なのはえらく新鮮に映ることだろう。
「何をお探しです?」
霖之助の問いに、紫は胸を張って答えた。
「ダイエットマッスィーンよ」
答えた結果として、霖之助のメガネがずり落ちる。
「あら、何よ」
「いえ……幻想郷の長老ともあろう人が、ずいぶん俗なものをご所望ですね……」
「何よそれ。長老って言ったってお年頃の少女なんだから、人並みに悩むわよ」
「そ、そうですか……」
霖之助はなんとか一言だけ言って、店の奥に消えていった。その場に残された紫は、いつものように本棚から適当な一冊を引っ張りだしてページをぱらぱらとめくり始める。
十分ほど経っただろうか、肉の代わりに豆腐を使ったハンバーグの作り方を目で追っていると、
「いやあ、ありましたよ」
埃にまみれたよく分からないものを抱えて、店主が戻ってきた。本を元に戻して早速商品を一目見やる。
「あら、ずいぶん大きいのね」
「そうですね。引っ張りだすのに苦労しましたよ」
腰を軽くたたきながら笑う霖之助とは対照的に、紫は小難しげな顔で商品を観察し続けている。
「まあ、大きさはともかく、問題は中身よね。どうやって使うのかしら」
それは、台座のようなものから平らなものが二つ突き出ているという奇妙な外見をしており、平らな部分を触ってみると、かなりの抵抗があるらしくびくともしない。力を込めて押しこんでみるとようやく動き、もう一方の平らな部分も連動して動きだす仕組みのようだ。
「用途は直接的には分かりませんが、名前は『ルームランナー』と言うようですね。用途は……まあ、お探しのダイエットマッスィーン(笑)で間違いはないでしょう」
紫は、「今あんた笑ったでしょ」とでも言いたげな、というかそのものの視線で一瞥をくれた後、視線をルームランナーなる物体に戻した。
「ルーム、ランナー……部屋で走るもの、って意味かしら?」
「まあ、そのままの意味であれば」
「……冗談じゃないわ!走る場所が変わっただけじゃない!」
霖之助の首根っこを引っ掴んでがたがた揺する紫。
「私に言われましても……」
もはや単なる言いがかりもいいところであるが、霖之助はあくまで冷静に対応する。
しばらくして、ようやく気がすんだのか紫は手を離した。
「他にはないの?」
「ないです」
「……そう、じゃあ帰るわ。次までにはもうちょっと仕入れておいてよ」
「そればかりは拾えるかどうかの運ですから……まあ、またのお越しを」
憮然として店を出ていくお客様?を見送って、そのうしろ姿が見えなくなったところで、霖之助はようやく気付いて苦笑した。
「そういえば、結局いつもどおりだったなぁ、あの人」
「ただいまぁ……」
「お帰りなさいませ、紫様……って、ずいぶんお疲れですね」
「スキマを使わずに幻想郷めぐりしたのよ……きついに決まってるじゃない」
河童の河城にとりと交渉するために妖怪の山まで行ったり(にとりは留守だった)、地底にも外の世界で言う「健康ランド」的なものがないか聞いてみたり(無駄足だった)しているうちに、いつの間にか外は夕暮れに支配されていた。昼食も食べずにそんなに歩きまわっていたのかと主人の意外な逞しさに少しだけ感心するが、甘やかすまいと努めて感情を抑える藍。
「それで、成果はどうでした?」
「なんにもなしよ。あなたの言う通り、近道なんてないものね」
でも、とすがすがしそうな表情で紫は続ける。
「一日歩き回って、寝転がっているよりは充実感が湧いたわ。しいて言えばそれが成果かしら」
主の変わり様に藍は少し驚いたと同時に、主がいつもの怠惰な毎日とは違う「特別な一日」を過ごせたことを嬉しく思った。
「得るものがあったのなら、それは良かったです。……では、お風呂を沸かしましょうか」
「そうね、お願いするわ」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
藍はパタパタと廊下を駆けていく。やれやれ、と靴を脱いで部屋に戻ろうとすると、廊下の曲がり角から覗いている黒い耳と二股の尻尾が目に入った。
(わっかりやすいわねぇ……)
声をかけるべきかあえて気付かないふりをするか迷ったが、とりあえず隠れている理由だけは聞いてみようと紫は前者を選択した。
「橙?どうしたの?」
声をかけた途端に盛大に飛びあがる橙。
「あああの違うんです!こここれは……ええと……」
「まだ名前呼んだだけなんだけど……どうしたの?一体」
聞くと、橙は観念したように(観念させるような事をした覚えもないのだが)震える口を開いた。
「あの……朝、藍様が紫様のこと『クソ虫』って言ってるの聞いちゃって……もしかしたら喧嘩して出て行っちゃったのかな、って……」
「ああ……なるほど……」
鬼教官モードにチェンジした藍は、見慣れている紫はまだしも、耐性のない橙にはかなり刺激が強かったことだろう。
「私、実はこっそり紫様の後付けてたんです。どこか遠くに行っちゃうんじゃないかって、心配で……ごめんなさい」
「橙……」
紫はそっと橙の頭をなでる。
「心配してくれて、ありがとう。……ただいま」
「は、はいっ!おかえりなさいですっ!」
目をキラキラさせてじゃれついてくる子猫を抱きしめてやると、ようやく帰って来たという実感がしみじみと湧いてきた。こんな気分が味わえるのなら、たまには幻想郷めぐりも悪くはないとも思う。が、
(ま、さすがにそんな頻繁には無理ね……)
明日、間違いなく筋肉痛になるだろう足をさすりさすり、藍が呼びに来るまで橙の相手をしていた紫であった。
「はふぅ」
湯船につかると、体の底から何かが染みわたるような感覚に満たされ、思わず息が漏れる。
「あー、つかれたー」
弱音を吐くも、聞いているものは誰もいない。誰にも遠慮がいらず虚勢を張る必要もないこの時間が、紫は好きだった。
(にしても、そんなにぽっちゃりしたかしら)
湯に沈む自らの体をちらりと見るが、湯がゆらゆら揺れてよく分からない。
(……まあ、霊夢が言うならそうなんでしょうね)
はぁ、と溜息が漏れる。基本的に結界の点検と異変解決、そして宴会と博麗神社へのちょっかいといった以外はほとんど外に出ず、しかもスキマ移動を多用するのでたいして体を使わないのである。前回まともに動き回ったのはどこぞの異変だったか、それとも大結界の見回りか。
とにかく、思い出せないくらい期間が空いている事だけは理解し、紫はもう一つ溜息をついた。
「紫さまー?」
「……ん?藍?」
浴場の扉がノックされる音とともに、藍の呼び声がする。
「御客人です。座敷にお通ししておきますので、上がったらお呼びください」
それだけ言って足音が離れていった。
「え、それだけ?……らーん!」
呼びかけるが、扉の外にはもう誰もいない。当然返事の一つもない。
「客が誰かくらい言って行きなさいよ……」
藍の態度がどことなくそっけない事が気になりながらも、客人を待たせても仕方がないので、紫はさっさと湯船から上がることにした。
「あ、紫様。お早いお上がりで」
「……ねえ藍、わざと言ってない?」
「滅相もない。さあ、こちらでお客様がお待ちですよ」
ほかほか湯気を立てる主を座敷に通す紫。相手がだれか聞いても藍は「会えば分かります」の一点張りで、結局客人の正体は不明のままである。仕方がないので顔をよそいきのスマイルに固定し、細かい事で印象を損なわないようにと丁寧にふすまを引いた。
「どうも、お待たせして申し訳ございま……」
「……何その態度?気持ち悪っ」
そこに居たのは、仏頂面を引っ提げた、御存じ博麗神社の紅白巫女であった。
「って、霊夢!なな、何で貴女がここに!?」
「いちゃ悪い?」
心外そうにふん、と鼻を鳴らす霊夢。
「あ、いえ、そういう事ではないのだけれど……え、ええと……」
しどろもどろの紫が視線をあっちこっちに遣っているのを見て、巫女は思わず「はぁ」と息を吐いた。
「昨日言ったこと、根に持ってるの?」
「ま、まさか……そんなことないわよ」
どう見ても本心を隠すには向かなそうな表情の紫をよそに、霊夢は続ける。
「今日一日あちこち走り回って、痩せる方法だのダイエットマッスィーン(笑)だのを探し続けてたって聞いて、正直どうかと思ったわ。酒の席の言葉をまさか真に受けるとはね……」
「むぐ……」
冷静な口調が自分を責め立てるようなものに聞こえて、思わず紫はうつむいて何も言えなくなる。そして、
「……そんなに傷つくなんて思ってなかった。だから、謝りに来たのよ」
ぶっきらぼうな言い方ではあるが、しかし霊夢は紫を見据えてはっきりと言った。
「あの後幽々子から全部聞いたわ。私を心配してくれたから来てくれたって事、ちゃんと感謝してる。……いつもの調子でついあんなこと言っちゃったけど」
「……霊夢」
「悪かったわ。許して……くれるかしら」
紫は返事をせずしばらくその場で静かに霊夢のことを見据える。二人の視線が静かにぶつかりあい、数秒。
紫は何も言わず立ち上がり、スキマを開いてその中へと消えていった。
一人取り残された霊夢はそれを見て「駄目か」とつぶやき、顔を伏せた。
「駄目なんかじゃないわ」
「へ……うわっ!」
急に背後から現れた紫に思い切り抱きすくめられ、霊夢は小さく悲鳴を上げた。
「いきなり何よ……驚くじゃない」
「霊夢。抱っこは、嫌い?」
顔を赤くして居心地悪そうにしている霊夢に、紫は小さくつぶやいた。
「嫌いって程じゃないけど……やっぱり、照れくさいわ」
「あの言葉は『照れくさくてつい言っちゃった』って事でいいのかしら?」
「……悪かったってば」
顔をますます赤くし目をそらす霊夢を見て、紫は満足そうに笑った。
「ちょっとだけね、思ったの。もしかしたら嫌われたんじゃないかって」
「あの程度のスキンシップしょっちゅうじゃない。あんなんで嫌うくらいなら、とっくにそうなってるわよ」
「そうよね。良かった……」
抱きつく腕が小刻みに震えているのを感じて、霊夢は振り返る。
「……本当に、良かったわ……」
「紫、あんた……泣いて……」
「え!?……あ、本当!」
あわてて目元に手を当て、そこから流れ出るものをハンカチでぬぐいにかかる紫。気づいていなかったところを見ると、どうやら無意識のうちに出たものらしい。
「よっぽど安心したのかしら」
「そ、それはそうよ。最初は結構傷ついたもの」
腕を組み、ぷい、と顔を背けて見せる紫。子供っぽいな、と霊夢は苦笑した。
「だから、お詫びにしばらく付き合ってもらうわ。いいわね?」
「はいはい」
再び霊夢に抱きつき顔をほころばせる紫と、紫のなすがままにさせてやっている霊夢。
その光景を影から見守る藍と橙は、やれやれ、といった感じで笑みを浮かべあった。
おしまい
どこかほのぼのした雰囲気で、心がほかほかしました。安心して読めましたね。紫様が超かわいかったです!
藍様とマッスィーン(笑)にはちょっと吹いたww
霖之助
ハートフルって何処がだよって突っ込みたいwwwww
とっても面白かったです!
それと霖之助の一人称は「僕」ですよ。
>お年頃の少女
つっこんじゃ駄目ですかそうですか
あとがきを読んでなるほど納得ですw
まだ指摘がでてない様なので一応ですが、正確には「……」と書くものです。
紫様が可愛くて非常に生きるのがつらいですw
テンポよく読めて、とても面白かったですw
特別面白いというわけでもないし、感動があるわけでも、笑いで突出してるわけでもない
ハイレベルな地力で読ませるタイプでもない。
でもゆかれいむ元から好きだし、読んでて萌えたからこの点数。作者の狙いも言ってしまうとそれだったようだし悪い評価をつけてるつもりはない。
つまらないわけじゃあなかった。もっと沢山書いて投稿してみて欲しい。作者の癖やらアクが出てきて、面白くなったり、読後に恐くなったり、考えさせられたり、感動したり、腹筋が崩壊するssが出てくるかもしれない。
ただ、序破急における破が平坦すぎたかもしれません。
例えば、ダイエットマシーンが欲しいのなら、にとりに頼みに行って一波乱。
地底に行って灼熱サウナ風呂、というような盛り上がりを作ったら、ラストをもっと引き立てられたかもしれません。
次回作も楽しみにしています!
「むっちりした紫様かぁ、こいつは結構乙なんじゃないの? グヘヘ……」
と、思って読み進めていたら、結局ガセネタじゃねえかっ! どうしてくれるんだっ!!
とまあ、半分冗談はさて置き、皆様のコメントにもあるようにまだお話に粗が目立ちますよね。
ただ、私的には作者様の紫様に対する愛をすごく感じるんだよなぁ……
なので、これからもキャラへの愛を忘れずに、貴方が丁度良いと思うペースで、
もちろん紫様メインの物語じゃなくてもいいので、作品を書き続けて欲しいです。
そしていつの日か、私を悶絶させるようなゆかれいむをぶちかまして下さい。
だいたい他の方と意見が重なるのでそれは省略。
私は緩やかなペースの景色も良いものです、と言ってみます。
次回もぜひ、読みたいと思います。
一日中歩きまわって、それなりに自分の答えを見つけての風呂は格別でございますなぁ