Coolier - 新生・東方創想話

マミゾウ、活計す

2011/11/18 23:35:44
最終更新
サイズ
46.2KB
ページ数
1
閲覧数
1795
評価数
10/28
POINT
1840
Rate
12.86

分類タグ


 命蓮寺の朝は早い。
 午前五時には既に聖 白蓮以下殆どの者が起床を済ませ、本尊を前に読経が始まっている。
 その読経を目覚まし代わりに目を覚ますのが二ッ岩 マミゾウだった。
 まず本堂から聞こえる経でやんわり瞼が開き始め、本堂からの経を復唱する幽谷 響子の大声で瞼が開ききる。響子のそれは調子や音程に若干の狂いがある為、不協和音が発生して頭痛を伴うから辛い。
「うぐ……む……」
 じわじわくる頭痛に片手で額を押さえた後、もう片方の手で枕もとの眼鏡を探り、発見、装着。布団を除けがてらゆっくり身を起こし、欠伸、背伸び、脱力。
「はぁー……」
 寝起きの倦怠感に再度眠気に敗れそうになるが、その前に響子の調子外れな経が頭に響いたのでもはやマミゾウは寝るのを諦めた。
「……これはこれでとんだ誤算じゃったわー」
 長閑な田舎暮らしを謳歌出来るかと思っていたのがこれである。寺を甘く見ていた訳では無いが、響子の存在がいけなかった。諳んじられるだけでなく早く完全に覚えて貰いたいものだが、山彦は基本劣化反射なので期待してはいけないのかもしれない。
 布団から出、畳み、襦袢一枚のままだが襖を開けて部屋の外へ。所詮女所帯だ、それに今なら口うるさいのに見つかる事も無いし少し外の空気を吸いに行くくらいは構うまい。
―――などと思っていたら閃光を浴びた。
「……む?」
 今となってはちょっと懐かしさすら感じるそれにマミゾウが数度目を瞬かせば、やはり。
「や、どうもどうも清く正しき文々。新聞の者でございますよ!」
 襖を開いた先の空間、庭の空中にて笑顔大満開の鴉天狗。先程フラッシュを焚いたカメラを手にした射命丸 文が朝から元気一杯夢一杯。
「幻想郷はまだそういうの無いと思っとったが、あるもんじゃのう」
「一般には流通してませんが、山の方じゃそう珍しいものでも無いんです」
「ほー」
「と言う訳で最近幻想郷に越して来たと評判の佐渡の二ッ岩氏の貴重な一枚を撮影する事に成功しました! これを正面に持ってくれば……」
「……ああ」
 部数アップ! 部数アップ! 大幅に!! 大幅に!!! と握り拳を震わせテンションを上げる文に、言われてみればとマミゾウは自分の姿を見下ろす。胸元とか股の切り込みとか偶然だろうがギリギリだった。文の方からだと桜色がちょっと覗いていたかもしれない。
 数分後、カメラを取り上げられた文はマミゾウの部屋の中で正座させられていた。
「流石に寝起きのちと恥ずかしな写真を撮られてはなあ」
 襦袢に満月夜空柄の羽織一枚を加えた格好で、マミゾウはかいた胡坐の上の黒猫を撫で撫で。黒猫は気分良さそうに喉を鳴らしていた。
「大変申し訳なく思っている次第ですので返して頂けませんか」
「おぬしの持ち物であれば、おぬしの元に勝手に帰っても良さそうなものじゃろが」
 土下座する文に結構邪な笑みを見せるマミゾウである。
 ちなみに文のカメラは現在マミゾウの胡坐の上で欠伸をしていた。
「それはそうかもですが、今の状況はそちらの化け術のせいですしー」
「元を辿れば悪いのはおぬしなのは分かっとろうが」
「ですよねー」
「後誰か面上げて良いと言ったかのう」
「大変すいません」
 文は軽口を叩き顔を上げかけるも、マミゾウの一睨みで身を竦ませる。強者に媚び諂うのを苦にしない天狗であれば、この姿勢は当然の事と言えた。
「それでー……そういえば何の用じゃおぬし。こんな日の出も今一な朝っぱらから」
 顎を撫で、マミゾウはそういえば何でこうなったかの大元が分からなかった事に気付く。
「取材に来たんですよ。こっちじゃ天狗は新聞刷るのが生業のようなものなんで」
「ほー。ああそういえばさっき新聞がどうたら言っとったな」
「ええ文々。新聞と申しましてですね」
 言いながらすちゃっと取り出した名刺を両手で差し出す文である。勿論頭は下げたまま。前に何処かで経験でもあるのか、それとも身体が柔らかいのか。そうそう無い状態だというのに彼女の動きスムーズだ。
 マミゾウはそれをひょいと受け取って一瞥、首を傾げた。
「ぶんぶんまるしんぶんのしゃめいまるあやです」
 その若干の間、その原因を知っているかのように文は先手を打つ。
「ああ……ああそういう。新聞はともかく洒落た氏名じゃのおぬし」
「いやあそれ程でも」
 感心した風なマミゾウに、してやったりと頭を下げたまま文は口元を歪ませる。
 それはそうだ。名刺にわざわざ振り仮名を振らず、一瞬読み方に詰まった相手の先手を取って名乗るのが彼女の手なのだから。そうする事により、字面とその読み方が一層強く相手の頭に残り、ほぼ一発で覚えて貰えるようになる訳だ。小賢しげだが周到な策である。
「そんで、射命丸は儂に取材と」
「記事にしますので。無論一面トップで」
 記者にとって一面トップと言うのはもっとも伝えなければならない大事な情報か、他の何処も未だ掴んでいない特ダネか、他の何処も書こうとしない特ダネのどれかであり、基本的に記者は己の記事がそう扱われる事を誇りに思い、また記事のネタ側も同様の感情を抱くものと思い込みがちだ。
「そう言われてもな、大した記事にならんかも知れんぞい。さっきのは当然使わせんし」
「いやいやいや、そんなご謙遜されずとも。それに幻想郷は新し事に飢えていますので、貴女にとっては他愛無かろうと、読者はそうは思わないんですよ」
「ほーぅ」
 マミゾウの、弁舌滑らかな文を見る目が細くなる。
「その割にはおぬしが最初の記者なんじゃが。儂これでも幻想郷に来てから結構経っとるぞ? 天狗は鴉天狗、それもおぬししかおらぬとか言う訳ではあるまい」
 真に文の言う通りであるなら、もっと早くに取材目的の天狗が現れても良い筈。里をぶらついた事も既に一度や二度では無いのだ。
「それはその、まず貴女の居場所を特定する事が骨というか、こうして会うまでが大変というか」
「どういう事じゃ」
「外出を狙って張り込むには些か……命蓮寺は平等を謳ってはいますが、反面住職の白蓮さんは潔癖な所があると言うか……」
「簡潔にせよ簡潔に」
 胡坐の上で熟睡に入った黒猫を撫でながら、長くなりそうな文の前置きを遮った。
「はぁ。まぁ、その。白蓮さん達の湯浴み中の写真や着替え中の写真や何かを記事にした事がですね」
「そりゃ潔癖で無くても怒らんか」
 如何にも言い難げな内容を聞いて、マミゾウは閉口気味に納得する。裸婦を写真に収めようなど同意の無い限りもっての他であるし、ましてそれを記事に使おうなどと。芸術の言い訳すら通るまい。
「一回やっても許されたので、じゃあ良いのかなと。いえ私はやってませんよ他の天狗の仕業ですのでええまったくけしからないお話で」
「あー」
 文の言葉にマミゾウはやれやれと息を吐いた。
「つまり三度やらかしたと」
 仏の顔も何とやらだ。
「ええその、全体の合計で」
「そりゃ駄目に決まっとる」
「でもその……一度許される場合はそのまま許される場合が多いんですよ。幻想郷の大物はその辺り気にしない方も結構居ますし。ただそういう方はあんまり記事としての鮮度が保てませんが」
 自分の情報漏洩から天狗全体を悪く思われては堪らない、と文は呆れ切った様子のマミゾウに必死に言葉を連ねる。ただどうしても本音が混ざるのが彼女らしいと言えばらしかった。
「しかしひじりんは復活してそう経っておらんのじゃろう」
「ひじ?」
「どうかしたか」
「いえいえいえ」
 マミゾウの思わぬ言いように思わず文は頭を上げかけたが、すぐに問い返しが来たので慌てて下げ直す。そろそろ些か面倒になってきたが、事こういう状況では仕方が無い。
「ともあれ日頃の慣れが手痛い教訓を生んだ訳じゃな」
「そんな訳で命蓮寺は当分の間天狗出入り禁止の近寄りも禁止なんですよ」
「……その割にはおぬしが入り込んでおるようじゃが。ああ、もう面上げてよいぞい」
 文の心境を察した訳でも無く、単にマミゾウも平伏したままの相手と喋る事に飽きが来ていたようだった。少し落ち着かないというのもあったし、この様子ならわざわざこちらに喧嘩を売るような真似もしないだろう。されたら満月の夜に復讐すればよいだけの事だ。
「どうも。それで……こう見えて私幻想郷最速ですし、後こういう時間帯だと寺の方々は本堂に殆ど集まってますから必然隙が大きいんです。もっとも、命蓮寺側としても関係者がほぼ一塊ですから不都合は無いと考えていたのでしょうが」
「今は儂がおるし、儂が目当てなら格好と」
「仰る通りで」
 顔を上げた文は、さっそくにやっと微笑んだ。
「ひじりんも若干抜けた所があるからなー……」
 いずれ、というかこの事が露見したら儂も朝から経を唱えねばならなくなるんじゃろか。そうマミゾウは考え、物凄く面倒くさそうな顔になった。
「まぁ良い。ともかく、取材は後にしとくれんか。儂はこの後読経を終えたひじりんらと朝餉を共にするから」
「えっ、じゃあ……」
「朝餉の後に外に出るから、そこで合流すれば良いじゃろ」
「分かりました。それでは―――」
 カメラの方を、と文は手を伸ばしたのだが、マミゾウの胡坐の上で気持ち良く眠っていた黒猫は何かを察したようにぱかっと大きな眼を開くなり、文の手から逃れるように胡坐の上から退散する。
「あっ、ちょっと」
 そのまま足早に襖まで行くと、前足二本を上げ後ろ足二本で立つような姿勢になって、前足を使って器用に襖に隙間を開き、そこから廊下へとするっと出て行ってしまう。
「……おぬし、日頃商売道具をどういう扱いしとるんじゃ」
「いえ、ちゃんと手入れとかも怠って無いんですが、ていうかそれよりも何処行っちゃう気なんですか!? 待ってー!」
 失礼しまっす、とすれ違い様言いながら、文は慌てて黒猫の後を追って行った。侵入云々よりもまずカメラの確保が最優先となったようだ。
「……猫に化けさせたのはちと失敗だったかな」
 無論、化けさせた手前マミゾウがその気になればいつでも黒猫はカメラに戻る。が、流れるように部屋の外へ出て行かれたせいでその機を逸してしまっていた。とはいえ今この時点で戻せば文の手にカメラが戻る事はほぼ間違いのない事だろう、が。
「放っといた方が面白そうじゃな」
 実に楽しげに微笑んだあと、マミゾウはちゃんと着替えるかと部屋の箪笥の方に目を向けた。

§

 命蓮寺の食事は基本的に精進料理である。味も素朴で量も左程では無いので、妖怪達からしたらさぞ不満も零れようかという所だが、台所で白蓮自ら腕を振るっている以上誰も彼も文句は無かった。それに、白蓮と寅丸 星以外の者等は割と里に繰り出して好きな物を買い食いしたりしているので、結構大らかと言えるだろう。
 まだ早朝と言っていい時間の中、大きめの卓袱台を白蓮から時計回りに星、ナズーリン、雲居 一輪、マミゾウ、封獣 ぬえ、村紗 水蜜の順で囲い黙々と食べる。マミゾウ以外の者にとっては割といつもの朝食だが、外から来て間もないマミゾウの感覚からすれば、それは金を出す必要性を感じさせる自然食だった。質素で余計な味の無い内容が手の届き難い所に行ってしまったのは、さていつ頃からの事だったか。
「見事なもんじゃなー」
 食事中の私語は基本厳禁だが、マミゾウに対してはまだ緩い点があり、またそれが白蓮を褒める内容であれば特に誰も咎めようとはしない。その証に白蓮は微笑みつつ少し俯いて照れ、星や水蜜らは何故か些か誇らしげであった。
「ん?」
 そんな中ナズーリンが珍しく声を上げ、視線を天井へ向ける。
 何事か、と隣の一輪がそれに倣うが、見えるのは天井の木目ばかり。
 少しの間ナズーリンは天井を見上げたままだったが、やがて何事も無かったかのように食事を再開した。それを見て一輪も食事を再開したが、数度不思議そうな視線をちらちらと彼女へ向けている。なので食事を終えてすぐ、たまたま片付けの当番ではなかったので聞いてみる事にした。
「さっきのは一体? 天井の先で何かあったの?」
 一輪の問いに、ああと前置きしてナズーリンは再び天井を見上げる。
「どうも猫が入り込んだらしくてね。それで鼠達が慌てていたんだ。今もだが」
「……放っておいていいの? それ」
 鼠と言えばナズーリンの同族であり、猫と言えばナズーリンの同族の天敵であり。であれば力ある者としてナズーリンが猫を追い払いに馳せ参じても良さそうなものなのだが。
「良くはない。ないが、過保護にしてやるつもりもないかな。猫も噛めない窮鼠は役立たずも良い所だから」
「厳しいんだね」
「世の摂理さ。……今の私に言えた事ではないが」
「……それもそうか」
 一輪とナズーリンは苦笑し合い、それぞれ食卓を辞した。
 星と水蜜は命蓮寺の維持管理に関し割り当てられた仕事がある為既に居らず、白蓮とぬえは洗い場で食器類を洗っている。なので部屋に残るのはマミゾウのみだ。
 さてどうしたものかとマミゾウは卓袱台に頬杖を突く。
 偶然聞こえたが、ナズーリンの言っていた猫は十中八九文のカメラの事だろう。どうやら文は未だにカメラを捕らえられず、今頃焦りながらも懸命の捜索を続けているに違いない。だが結構巧くやっているのか、単に命蓮寺の広さ故か、彼女の存在にはまだ誰も気付いていないらしい。
「或る意味もう一押しなんじゃがの」
「何がです?」
 呟いた拍子に、急須と湯呑の乗った丸盆を手に白蓮が戻って来た。
「いやなに。……ああそういえば」
 マミゾウは咄嗟に有耶無耶にしようとしたが、卓袱台に座り持参した盆の中身でお茶の用意を進める白蓮の視線が真っすぐだった為、別件を出して誤魔化す事にした。
「庭で天狗を見たぞい」
「まあ。いつ頃の事ですか?」
 まずマミゾウに、そして自分にとお茶の入った湯呑を配置しながら白蓮はすっかり誤魔化される。容易過ぎてマミゾウは内心拍子抜けしたが、疑われる様な事を今までの所していない以上それも当然と言えば当然だった。それもいつまで続くやら、だが。
「朝の……あー、儂が起きてそう間も無い頃じゃから、ひじりん等が朝のお勤めに励んでおる頃じゃな」
「成る程、そんな時でしたか……」
 時間帯を聞き、白蓮は腕を組みふむぅと小さく唸る。早朝であればそう警戒する事も無いかも知れないが、毎朝寝起きの水垢離は白蓮の日課。いつ頃から侵入されたかが分からない以上、そこを狙われた可能性が無い訳ではなかった。そもそも覗かれて良いものでも無いのだし。
 白蓮は湯呑を一口呷り、大きく息を吐いた。
 そして、
「星、ムラサ、一輪」
 呟くように、だが凛と三人の名を呼んだ。
「ここに」
 すると何処からかすぐさま現れた星が白蓮の傍に控え、
「なんなりと」
「参上しました」
 襖を最低限且つ左右に勢い良く開いて現れた水蜜と一輪がその場で跪いた。
 これに、大した忠臣振りじゃなとマミゾウは感心半分呆れ半分である。
「命蓮寺に天狗が入り込んだようです。今朝方、私達が勤めに励んでいる最中にマミゾウが見たと」
「ああ、黒羽付きだから鴉天狗じゃったな。女の」
 白々しく、今さっき思い出したかのようにマミゾウは付け足す。
「女性の鴉天狗が入り込んだようです」
 律儀に改める白蓮である。
「目的は知れず、既に手遅れかもしれませんが、過去の件より天狗は命蓮寺への立ち入りを禁じている以上、発見し次第早急に私の下へ引っ立てて来て下さい」
「「「承知!」」」
 登場は同時とはいかなかったが、返事は計ったように同時であり、行動に移る様も同様だった。星は消え、水蜜と一輪は襖を閉じ。
「……ちなみに引っ立てて、それからはどうするんじゃ」
「話を聞きます、じっくりと」
「ほぉー……」
 白蓮はこう言う時でも邪さの無い、実に無邪気な笑みを浮かべるものだからマミゾウは背筋が薄ら寒くなる。無論、恐れる必要は全く無いのだろう。まず事情があるなら聞こう、話はそれからだという御仏の寛大な慈悲という奴なのだから。
 ただ嘘は言っていないとはいえ、真実を伝えた訳でもないマミゾウからすると、後ろめたさも手伝って要らぬ邪推をしたくもなるのだ。
「あ、それと」
「ん?」
「これを貴女に渡しておこうかと」
 急に話を振られたので結構苦労して平静を保ったマミゾウに、白蓮が差し出したのは木製のお数珠だった。それも珠の少ない略式の物ではなく、きっちり百八個の珠が繋がれた二輪数珠である。
「……なんでまた」
 帰依までするつもりは無いぞい? と視線で訴えるものの、やはり己の状況からか差し出されたお数珠を受け取っていた。
「貴女は私が封じていた相手と付き合いがあるようですし、お守りです。彼の者達は仏教を嫌っていますから……」
「なら尚更これを目に付く所に身に付けていては危ない気がするんじゃが」
「いえいえ。それ以上に、貴女を自らの派閥へ引き込もうとする事の防止というか、牽制にでもなれば、と」
「ふむぅ」
 若干申し訳なさそうな白蓮の言葉に、自分の立場を思えばそれもそうかとマミゾウは納得する。彼女は豊聡耳 神子に対抗する為に幻想郷に居るような者である以上、ミイラ取りがミイラにされては目も当てられないのだろう。
 にも関わらず、マミゾウは神子と以前里で会ってからというもの、外へ繰り出せば結構な率で出くわすようになっている。無論、其処で会っただの此処で会っただのと一々白蓮へ言っていた訳ではないが、それでも何度か話題に出した。その都度白蓮は心配そうな様子を見せたものだが、それがこういう形になった訳だ。
「唾付けられた訳か。人気者は辛いのう?」
「……貴女は命蓮寺と道場の間の危うい均衡を保っているのですから、私としても必死になります」
「相済まぬ」
 ちょっと茶化すように微笑んだマミゾウを、白蓮は嗜めるように少し口を尖らせた。
 実際白蓮の言う通りで、もしマミゾウがぬえの信頼と白蓮の期待を蹴って神子の元へ傾いたとなれば、それは均衡の崩壊であり、神子自身はともかくその部下の小さい方が命蓮寺を焼き尽くそうと巡らせた策謀を実行するだろう。何せ前科持ちだ。
 だがマミゾウが現状のまま、少なくとも命蓮寺で長閑に暮らし続けるのなら今の均衡は保たれる。いや、教えの都合上命蓮寺側に分があるのは明らかなので、このままでいけられれば自然と道場を圧倒するようになる筈だ。
 勿論、マミゾウが正式に命蓮寺の肩を持つとなればそれが一番良いのだが、そこはそれが出来れば苦労しない、というものだろう。
 何にしろ必要なのは時間だ。まだ焦るような時では無い。
「ふむ」
 マミゾウはじゃらじゃらとお数珠を左手首にかけ、数度左腕を返す返すしてお数珠に違和感が無いか確認する。
「思ったより悪く無いのう」
「私の手作りですから」
「……それはそれは」
 自信あり気に微笑んだ白蓮に、マミゾウは苦笑した。事情はともかく、これが星達他の妖怪に知れたらちょっと面倒そうだ。或いは皆白蓮お手製のお数珠を持っているのかも知れないが。
「さて、では出かけるとしようかの。帰りは遅くなるから儂の分は用意せんで良いぞい」
「分かりました。……どちらへ? とは申しませんが、お気を付けて」
 様々に意味の籠った白蓮の“お気を付けて”だった。
「分かっておるよ」
 とマミゾウは軽く手を振り、お数珠が擦れる音を立てる。
 白蓮は軽く手を振り返し、部屋から出てそのまま命蓮寺を後にしたマミゾウを見送り、はたと気付いた。
 どこからか聞こえる啜り泣くような声。しかも聞き覚えのある声だ。
 一瞬何事かと白蓮は思ったが、すぐ原因に思い至った。何せ何故かと言えば自分のせいだろうからだ。
「……ぬえ?」
 台所へ続く戸を開けば、案の定その隅っこで身を丸めるぬえの姿。
「私なんかどうせ……居ても居無くても変わんない子だし……正体不明だし……いよいよ居る場所無いし……めけめけ……もけ……みゅ……」
 鴉天狗捜索の際、星等に声はかかったのに自分に声がかからなかった事でぬえはショックを受けていたのだ。荒事であれば間違いなく戦力になる自負があっただけに、白蓮にスルーされたのは並々ならぬ打撃だった。
 白蓮からすれば先の三人で事に当たれば充分だろうと判断しただけに過ぎず、加えてマミゾウ共々博麗の巫女に敗れた件で、若干その三人とぬえの折り合いがよろしくないのも知っていた故である。ただ今回はその配慮が仇となってしまった。
 結果論だが、恐らく最善はナズーリンや響子等にマミゾウまでも含めた全員全力で事に当たる事だったのだろう。
「……ええと、ぬえ。良いですか?」
 ともかくこの後白蓮はぬえを宥め、あやし、元通りにするのに一時間を要する事になる。

§

 一応だが、マミゾウは命蓮寺から出た後里への途中、五分ばかり文を待ってみる事にした。
 案の定来る様子は全くなく、どころか良く良く耳を澄ませば結構騒々しげな事になっているのが知れた為、あーあと思いつつもニヤつきながら黒猫はそのままにしておく。文が触れる事さえ出来ればすぐにカメラに戻るようにはなっているので、後は彼女の頑張り次第だろう。
「多分無理じゃろうけど」
 無情な一言を呟き、マミゾウは里へと再び歩みを進めた。
 本日はいつぞやのような行き当たりばったりではなく、ちゃんと用件とその場所がしっかりと結び付いている。
 向かうは里にある料亭の一つ、“信楽”だ。以前にマミゾウの元へ客として現れ、臨時頭領の打診をした化け狸達からのお誘いである。要は宴席を設けて親睦を深めようと言う訳だ。
 ただいくらなんでも朝からドンチャン騒ぎをするのではない。なら何故今里に至ろうとしているかと言えば、マミゾウとしては何があっても良いよう下見くらいはしたいのだ。里内の事とは言え、狸と狐の関係を少しでも鑑みれば、原因不明の何かがどう起こった所で少しも不思議は無い。
 何せ相手は狐である。狡猾な化かしに関しては狸とて一歩譲らざるを得ず、マミゾウ自身煮え湯を飲まされた事は一度や二度では無かった。心積もりとしてはもう誘われた事そのものを狐の罠と考えても良いくらいだ。
「さて」
 里に到着後、まずマミゾウは信楽には向かわず少々うろついた後、老舗の趣がある店に入る事にした。特に何か買うつもりも無く、小一時間も冷やかして手ぶらで店を後にする。
 その後似たような事を方々で繰り返し、時折物を買ったりした辺りで時刻は既に昼頃。適当な茶店で煎茶と串団子の軽食を済ませると、やっと信楽の方へ足を向けた。
 とはいえ勿論まだ早い。だが茶店を出たマミゾウは、いつの間にかその姿を茶髪の化け狐のそれへと変化させており、黄色地に菖蒲柄の浴衣を纏い、頭には里で買った狐のお面を斜めに装着してもいた。尾もふさふさとした狐のそれになっており、何処からどう見ても狐の美少女だ。
 狐少女に化けたマミゾウは何食わぬ顔で信楽に向かい、そして全く見当違いな方向の店に到着した。
「ふーむ」
 楽しげに顎を撫で、そのままその店に入る。
 程無くして出てきた頃には普段の姿に戻っていた。狐のお面がそのままなのは、諧謔か抜けているかのどちらかだろう。
「成る程のう、特に怪しくも無く、狐除けもまぁ万全と。結構結構」
 里を徘徊した結果、招待した狸側の狐に対する丁寧な対策が知れて、マミゾウは満足げに頷いた。わざわざ早くから出向いた甲斐もあろうという所だ。
 下見を終えたマミゾウは一先ず大丈夫だろうと判断し、里から出る。一応、ひょっとしたら、仮にでも文がカメラを回収し命蓮寺から脱出を遂げているかもしれないからだ。
 そして命蓮寺と里の中間くらいの場所で待つ、が、すぐ止めた。
「ありゃもう駄目じゃな」
 彼女の視線の先では、命蓮寺の中を濛々とした煙のようなものがうねりながら蠢いていた。一輪が雲山入道を喚び出したのだろう。ああなってしまうと文の命運はもはや決したようなもので、むしろこの時間帯まで見事逃げ切り雲山まで動員させた文の逃げっぷりと諦めの悪さを称賛すべきか。
 ともあれ、これ以上此処に留まってもなんら益が無いのでマミゾウは再び里へ向かう事にした。ただ相変わらず時間的な余裕はあり余っているので、信楽から通りを隔てた斜向かいに位置する気安い居酒屋の奥席に陣取って時間を潰す。当然ながら、後でタダ酒が控えているので色々と控え目に、だ。
 そうこうする内に時は流れ陽もすっかり傾いて、世界が橙に染まる頃マミゾウは居酒屋から出た。
「おう、ぬしら」
 折良く信楽から命蓮寺に迎えを出そうとしていた狸達と出くわし、片手を上げて声をかければ狸達はそれぞれ振り向き、笑みを浮かべる。ただマミゾウの狐の面にちょっと目を丸くするも、やあやあこれはこれはと彼女を取り囲み、神輿を担ぐように信楽へと引き込んで行く。おいおい逃げぬて逃げぬて、と微笑むマミゾウの方もまんざらではない様だった。
 その後狸達は宴で今まで狐に弾圧されていた鬱憤を晴らすように飲み、食い、騒ぐ。長年の宿敵にしてやられ続けていたが、これからはそうはいかないとなれば自然と気勢も上がるものだ。
 宴席では何杯も酒が酌み交わされ、呑めや呑めと続々酒が店から供給されていく。里で一番栄えている産業が酒造なだけあって尽きる心配は全く無く、遠慮と後先を忘れたように皆つるつると呑み干していった。
 そんな中マミゾウは長老格の狸から有力な者達の紹介を受け、それぞれと挨拶を交わしている。既に狸達からは初対面だと言うのに姐さんと慕われ、これは手抜きが出来ぬなと酒を呑み呑みマミゾウは心中で鉢巻を締め直した。
「ああそうそう、誰かちょいと狐方の旗頭に化けてみてはくれんか。実際に目にするまでいめーじが湧かぬのはちと困る」
 すると変化の達者な者が名乗りを上げ、変化する。その狐は一瞬宴席が静まり返る程美しく、金の毛並みも手伝って些か神々しさのようなものまで醸しだされていた。
「おぉう、金毛百面とはよくぞ言ったもんじゃ。如何にも手強そうじゃな」
 狸の化けた狐を見てマミゾウは楽しげに顎を擦り、彼の九尾の化け力がどれ程のものかと胸を躍らせもしたのだが。
「……え、他の妖怪の式神? そのせいか化け力も大した事無い?」
 この報告はマミゾウにとってはショックだった。
 一気に意気消沈して気だるげにどうでもよさそうになった彼女に、狸達は訳が分からないとばかりに各々顔を見合わせる。マミゾウとしてはもう何十、いや何百年かぶりに全力で化け力を駆使した勝負が出来ると思い込んでいた為だが、外の事情に疎い他の狸にそれを察しろというのは少々難があるだろう。
 とはいえ、化け力を用いず圧倒的な実力で狐らを纏め、狸らを圧倒してきたのであるからにはそう悲観したものでもないのだ。やる気を著しく減退させたマミゾウに、それは困ると狸達は狐の悪行を言い連ね、これまでの激戦の歴史を述べていく。始めの内は聞き流し気味だったマミゾウもやがて背筋が伸び始め、聞く姿勢になっていった。
 三大狸が一として、同族の危急にいつまでも府抜けてはいられまい。
「ふーむー。やはり手を打たねばならん情況じゃなあ。ま、儂が来たからには今度こそ其奴の好きにはさせんて」
 この言葉に狸達は大いに沸き、今度こその辺りの違和感に気付く者は極少数だった。無論それはぬえに乞われ白蓮に望まれ、しかし博麗の巫女により台無しになった一件に対してだが。
 ともかく宴は更なる盛り上がりを発し、喧しさを加速させていく。
 途中、今まで気になっていたが言い出せなかったのか、マミゾウが徳利と通帳を携えている事に狸達から疑問の声が上がる。それは豆狸の持ち物ではないかと。
「それはじゃな、外じゃ狸のいめーじとしてこれらが欠かせん物となっとるんじゃよ。耳と尻尾だけでなくこれらを持ち合わせる事で、一目でより狸と分からせる事が出来る訳じゃ。外の人間は化け狸の区別なんぞもう全然付かんようになっとるからのお」
 マミゾウの説明に狸達からはけしからんという声が上がれば、しかしそんな人間はさぞ化かしやすいでしょうなとも声が上がり、そうだそうだそんな人間であれば他愛も無い無いと最終的には外の人間を小馬鹿にする感じでどっと湧いた。
 一般的に盛り上がればうるさくなるのは当然だが、狸の場合一味違う。何せ一般的には歌が出るやら踊りが出るやらがせいぜい。しかし狸ともなると自前の腹太鼓が唸りを上げるのだ。それも一斉に。
 恰幅の良い男衆の腹太鼓の音が重く広くリズムを取るように鳴り渡れば、女衆の音高い腹鼓が重低音のリズムを強調し広げるように鳴り響く。
「おっほ」
 佐渡とはまた違った調子にマミゾウも気を良くし、丹田に気合を入れると自分も腹鼓を一発。
 それは静寂に響き渡る鹿威しのように喧騒の中を澄んで突き抜けて行き、一瞬、狸達の腹太鼓が鎮まってしまう。だが次の瞬間には、流石お見事と、なんの負けじと、それぞれの意気の籠った演奏が再開された。
 皆笑顔であり、マミゾウは知らないが満座の全てが笑顔になっている等幻想郷の狸達にとっては幾久しい事である。年長の者等は少々目尻に涙が浮いており、願わくばこの一時がそればかりで終わらぬよう狸の神に祈ってすらいた。

§

 狸の宴会は開け放たれた障子の先に浮かぶ満月に見守られるように長く長く続き、お開きになる頃には深夜というよりは早朝と表現するのが正しいような時間になっていた。
「あー、酔うた酔うた、酔うてしまったぞーい~いーっくぁー」
 千鳥足をふら付かせ、狸らに見送られ里から出たもののマミゾウの足は命蓮寺には向いていない。流石に酔っぱらったまま帰っては良い顔をされないのは間違いなく、その辺を考えるだけの冷静さはまだ持ち合わせていた。
「しかしアレじゃのー、からおけでもあればより盛り上がっじゃろうにのー。まー無いモンは仕方ないんじゃがなーっふぉっふぉー?」
 薄暗い中を赤ら顔でふらふらふらふらと無駄に楽しそうである。
 あんまりにも隙だらけなので血の気の多い狐に見つかったら襲われそうなものだが、幸いそういった連中はマミゾウではなく宴会帰りの他の狸達が分散し一グループの数が減った所を狙っていた。後で話を聞いたマミゾウはその者等にきっちり仕返しと見せしめをしておくのだが、それは未来の話である。
「あーいかん、いかんいかん、酔うた。泥酔じゃー、もー歩けぬー、休むぞー、儂休むー。ここでーごろーん。わーい休みましたーうへへ」
 そして道のど真ん中でばったりと大の字になると、マミゾウは空の酒徳利を枕にまな板の上の狸と化す。狸達が見たらちょっと所では無い程度に落胆するかもしれない勢いだった。
 プラネタリウムかと思わせる星の絨毯を見上げ、これでまだしっかり夜の時間帯であればより凄まじいんじゃがなーと瞼を重そうにしながらマミゾウは冷ややかな夜気を大きく吸い込む。
「んぉ」
 ふと星の絨毯が見えなくなり、代わりに見覚えのある顔が覗き込んでいた。
「こんな所で寝ていると蹴り飛ばしますよ?」
「おんや、みこちんではー無いか。奇遇じゃなー、大した偶然じゃなー、ひょっとして尾行されておったか儂。うわーやっぱモテモテじゃな儂ー」
 神子の顔を見ながらケタケタ笑うマミゾウに、神子はちょっと表情の読めない笑みを浮かべている。多分後悔が結構な割合を占めていそうだ。何せ朝一の散歩中に知る辺を見たので接触したらこれだもの。
「偶然ですよ。それで、こんな所ではなく然るべき所で横になった方が良いと思いますよ」
「固い事言うのは無しじゃーみーこちーん。それにー、それに儂はちょーっと休んでるだけじゃもーんー? じゃからへーきへーきへーきのへーざ~」
「では蹴り飛ばしますね」
「痛ぁ?!」
 言葉と同時に蹴っていた。
 まさか本当に蹴られるとは微塵も考えておらず、或いは考えがそこまで回っていなかったのか、若干酔いが飛んだ様子でマミゾウは跳ね起きる。
「ちょーもー何で蹴られなければならんのじゃー? 儂気持ち良く寝転がっておっただけじゃしー? 誰にも責められはせぬしー? 謂われも無しー? ぽんぽんぽーん?」
「まぁ……道の真ん中で寝ていては牛車に轢き殺されても文句は言えませんし……」
 神子は口先を窄めて抗議するマミゾウから視線を逸らし、口元を笏で隠す。ちょっとスカッとしたのは事実だったりする。
「もー怒った、儂怒っちゃったぞい。ぷんぷん。じゃからちょっとそこ座りんしゃいみこちん。言いたい事言うから。ほれここに。こーこーに。正座な! 崩したら三倍な!」
 胡坐をかいたマミゾウは自分の正面の地べたをバンバンと叩く。どうやら一瞬飛んだ酔いは一瞬で元通りどころか揺り返しで余計酷くなったみたい。
「私は散歩の途中なんですが……」
「散歩ならいつでも出来ようが。所が儂のこの思い説教は今しか出来ないんじゃー、思い立った時が吉日なんじゃー」
 駄々をこねるような語尾でマミゾウは神子のスカートを引っ張る。
 もうこうなっては観念する他無いか、関わり合いを持ったのは自分からなのだし、と神子は強烈な酒臭さに大きく溜息を吐いた後、マミゾウの促すままに彼女の正面で正座した。
「それで、言いたい事とは?」
「……んー」
「……?」
 思いっ切り胡乱な眼差しのマミゾウに神子はちょっと首を傾げる。
「なんじゃっけ」
「知りませんよ」
「なんで知らんのじゃ」
「そんな事言われても困ります」
「なんじゃとー困っておるのは儂じゃぞー、さっき蹴られた肩が痛くて痛くて骨が折れたー骨がー損害賠償請求じゃー動物虐待反対なんじゃーはーんたーいはーんたーいおもてのうらー」
「骨折する程蹴ってはいませんし、足応えからいって折れてもいないでしょうに」
「当たり前じゃ蹴られたくらいで折れる訳ないじゃろが。みこちんが儂を見縊っておるー、見縊られるなんて儂ももう歳じゃーろーとるじゃー、じゃから優しくしておくれ?」
 神子の突っ込みの一言は事の他早く出たが、マミゾウのボケはそんなものは軽く凌駕していた。手がつけられないとはこの事か。
 ゆらゆら揺れながらとにかく絡んでくるマミゾウに返す言葉を失い、むしろ放っておいた方が良いのではないかと考えて神子は再び溜息。ただし今度は控えめに。
「おりゃー」
「え」
 だが何故か真っ向から押し倒されていた。
「やーさーしーくーやーさーしくーやーさーしーく」
「いえ、あの?」
「みこちんはええ匂いじゃのー、象牙のように滑らかな肌色じゃのー、そういえば徳の高い人間食うと霊験あらたかとは昔から良く言ったもんじゃったわふぉーっふぉっふぉっふぉ」
 強烈に酒臭い息を吐きかけながら、神子の両腕をがっちり押さえてマミゾウはニタリと笑う。これで彼女が素面ならまだ冗談の範疇だったかも知れないが、今の有様ではその辺りの判断など正確に出来そうもない。
 ただ困った事に両腕を掴まれており、この酔っ払いの単純な力が結構物凄い為、神子は七星剣を抜く事は適わなかった。いや、或いはそれで良いのかもしれない。今のマミゾウに迂闊に刃物を見せたらどうなってしまうか想像するに難しかった。
「ひえ?!」
 問題はこの危機感が今一分かり難い状況をどう脱するかであるのだが、あれこれ考えかけている所に生暖かいコンニャクのようなものが頬を縦一文字に撫でて行く。
 マミゾウがべろーりと神子の頬を舐めたのだ。
「うむ、美味! 味見完了! 流石じゃのーこれ絶対五つ星じゃし……では早速……いただきます」
 舌なめずりをし、マミゾウはいやにうっとりとした表情で神子の首筋に歯を立てんとあーんしながら顔を寄せていく。
―――あ、食われる。
 ここに至って完全にそう理解した神子は、考えるより速くマミゾウの額に自分の額をぶつけた。不意打ちに緩んだ拘束をすぐさま外すと。マミゾウの喉へ右手を伸ばし、左腕を起点に身を起こしながら喉輪攻めをかける。
「おごご」
「このっ」
 喉を圧迫されながら押し起こされてマミゾウは変な音を出し、続いて身を起こした神子は自分の足の上に座る格好になている彼女を退かそうと喉輪を外した右手でそのまま胸倉を掴み、左手を腹に強く当てて押しながら自分の上から振り落とそうとしたのだが、
「ぐぅうぅ」
 泥酔者の腹を圧迫なんかして尋常に済む筈も無く、
「ん?」
 マミゾウの腹に当てた手に蠕動するような不思議な手応えを感じたせいで神子は動作を一時停止してしまい―――
「ごげぅえ」
「うわ」
 向き合った状態、避け様の無い状況でマミゾウは腹の内容物を思い切り吐いた。
 一度始まったそれは堰を切ったようにげろげろと続き、呆然とそれを見つめる神子も、また吐いているマミゾウ自身も吐瀉物でどんどん汚れていく。
 時間にすれば数分にも満たない程度だったのだが、神子にとっては永遠かと思わせる酷い時間が過ぎ、ようやく一段落付いたのかマミゾウは息を吐いた。
 そして先に我に返ったのは吐いた方。すっきりした面持ちで濡れた口元を拭う。
「ふぅぃー………………あ……うわ、うわ、うわ、うげ」
 自分が神子の両足の上に跨る様に座っており、そして自分と神子の間には自分の吐瀉物が物凄い臭いと存在感を発揮している。既に吐けるだけ吐いてしまったようで第二波もなく、妙に晴れやかな心持ちが彼女の中にはあった。
 神子の方はこの事態に両家の子女よろしく思考が殆ど止まってしまっているようで、ぐちょぐちょになった自分の服を顧みる事無く呆然としたままだ。多分顔に落書きされても気付くまい。
「あー……えーと」
 とにかく早急に何とかせねばならぬのは吐瀉物なので、マミゾウはそれらを蟲に化けさせると一斉に近場の草むらの方へ移動させた。後はそっちで化け解除すればまあそれなりに環境に配慮した事になるだろう。ただそうした所で染み込んでしまった分や臭いはどうにもならず、マミゾウは途方に暮れる。
「……そうじゃ、確か」
 何か思い付いたのか、反応が鈍い神子を抱き抱えるとマミゾウはそそくさとその場を離れ、別の場所へ向かって行った。

§

「…………ふぁ?」
 我に返った時、神子が最初に知覚したのは心地よい水の冷たさ。そして流れの音に、水の匂い。最後に、自分が服を着ていない事一目瞭然の如し、だった。
 川か、沢か、渓流か。ともかく全裸で岩を背に浅瀬に座らされていた。
「おお、ようやく我に返ったか」
 覚えのある声に振り向けば、沢に膝まで浸かったマミゾウが居たのだが、不思議な事に彼女も全裸。ああ、結構毛深く無いものなんだな、と神子は漠然とした感想を抱いた。
「ええと?」
「まだ混乱しとるようじゃの。ほれ、ちょっと前に儂がみこちんにゲロひっかけたんじゃが」
 マミゾウは未だ状況を把握できていない、というか多分忘れようとしている神子に現実を簡潔に述べた。実際はひっかけた所の騒ぎではないが。
「ああ」
 神子は一発で思い出し、ちょっと嫌そうな顔になる。無理も無い。
「まさかあんな事になるなんて……」
「いやぁ儂もびっくり」
「……もう酔いは醒めているようですね」
 たははと笑うマミゾウに神子は苦笑する。
「おかげ様で。いやー、とんだ迷惑をかけてしまってすまんのお」
「いえいえ、マミゾウが気分良く酩酊していた所に声をかけたのは私ですし、吐いた直接の原因も私ですし」
 そこまで言ってからようやく、神子は自身の現状を思い出す。
「それで服……と言うか、何故互いに裸なんです?」
「だって臭いじゃろ」
「はぁ、まぁ」
 そういう所まではよく覚えていないので生返事しかできない。
「じゃから今底で流れに漬け込んどるよ。まあ、清流次第じゃが臭いが取れるまで左程時間はかからんじゃろ。術もかけてあるし」
「えーと、では服以外は?」
「あの辺」
 マミゾウが指差す方を見れば、月明かりに照らされて岩の上に一纏めにされている酒徳利や七星剣が見えた。
「成る程」
「あっちは浸け込むほどの被害は無かったからのう」
「……まさかマミゾウの手で裸にされる事があるなんて思いもしませんでした」
「ぬあ?」
 どの辺りのタイミングで衣類から臭いが落ちるかとマミゾウが考えていたら、何やら深刻げな顔で神子が言ったものだから変な声が出る。
「あ、ひょっとしてマズかったかのう。でも非常時の緊急時じゃし脱がすのも已む無しであれば、そこは了解しておいて貰いたいもんじゃが」
「出来れば布都らを呼んで欲しかったのですが……」
 俯き加減の神子から放たれる怨みがましい目付き。今更と言えば今更だが、片腕ずつで胸元を隠し、股間を隠し。
「えー!? いやそう言われてもじゃな……」
 これにはマミゾウとて慌てざるをえない。だが豊聡耳神子と言えばとやかく言うまでも無く貴い身分の者。その辺りを考えればいくら火急の事態とはいえ、おいそれと衣類を剥いで底の浅い水流に浸けておいて良い訳は当然無いだろう。そもそも吐瀉物かけた時点で大論外だが。
「仕方ない、仕方なかったんじゃよ?」
 それこそ、いくら面倒事になるのが確定であっても物部 布都か霍 青娥のどちらかに連絡を付けるべきだったのだ。一応敵対関係とはいえまるで知らない相手ではないのだし。
 精神的苦痛を盾に慰謝料の請求があればその前の吐瀉も含めてマミゾウに勝ち目は無かった。そして慰謝料請求だけで済む筈も無い。
「みこち~ん、そんな目は取り敢えず止めてくれんもんかのう」
 軽く頭を回転させてざっとこれからの面倒事を試算したマミゾウは黙って逃げとけば良かったかのう、と素直に後悔すらした。
「……くすっ」
「ん?」
 そんな風にやれ困った、と腕を組んだマミゾウを見て、神子は笑みを零している。
「っくく、うふ、くすくすくす……」
 その様、実に楽しげ。
「……おいまさか」
 流石にマミゾウも勘付くものがあった。
「ふふふ、ええまぁ、本当はもうちょっと騙していたかったんですけどね? 存外思い切りマミゾウがうろたえているものだから、それがあんまりにもおかしくて……」
 口元を両手で覆い、くつくつと肩を小刻みに震わせる神子にマミゾウは一瞬怒りが湧いたが、即座にその怒りは呆れに打ち消され、その呆れは神子に対する可愛げで掻き消された。
「まぁーったく。仕様の無い太子様もあったもんじゃのう。狸は狐と違って根が素直なんじゃから……」
 ごりごりと頭を掻き、敵わんなあと大いに息を吐く。こんな時に日頃の印象からこうもかけ離れた標軽さを見せられては、マミゾウの完敗と言う他無い。
「特にどうとも言わず、こっちの想像に任せて罪悪を煽るなんぞ……どこで覚えた手管やら」
「豊聡耳を持つ者なれば、色々と身に付きもするものなんですよ」
 微笑み、言いながら神子は立ち上がる。身体のどこそこを隠そうという意志は既に無いようで、裸である事を気に留めた様子も無くマミゾウの方へとざばざぶと歩いて行く。
「それで、服の方はどのような具合で、あ、っと……と」
 だがその途中、神子は水の流れと底の石とでバランスを崩し揺らめき始める。咄嗟に両腕でバランスを取ろうとしているが、見るからに危なっかしい。
「みこちん、ほれ」
 ひっくり返る前に、とマミゾウが数歩歩み寄って手を伸ばす。
「すみませ、と、あ……」
「おぉ」
 藁にも縋るようにマミゾウの手を掴もうとした神子だが、勢い余ってすっかりバランスを崩してしまい、マミゾウに寄りかかるような形になってしまう。距離やその他の都合から神子がマミゾウの胸に飛び込んだようにも見え、その神子の手をマミゾウが引いているようにも見え、そこだけを切り取って見れば何やら合意の上のような雰囲気があった。
 互いに一瞬固まり、それからすぐに離れようと、
「あ、すみませ」
「いやな」
―――だがそうする前に閃光を浴びた。
「今のは……」
 離れつつ、神子は不思議そうに、マミゾウは確信を持って閃光の方へ顔を向ける。
「ふふ、ふふふふ、撮ったりー! スクープ撮ったりー!!」
 そこには若干危険な笑みを浮かべる文の姿が。
 何度も撃墜されたのだろうか、すっかりボロッボロになりはしたものの、圧倒的速度と恐るべき粘りを発揮してカメラを回収しつつ命蓮寺包囲網から脱出したのだろう。そしてふらふらと家路の最中にたまたま、マミゾウと神子の決定的なシーンを目撃し、考えるより早い刹那後にはきっちりフィルムに納めていた訳だ。素晴らしい。
「おい」
 これはいかん、と文を引き止めるためにマミゾウが声と共に手を伸ばすも、彼女は何ら聞く耳も持たぬ様子で爆風と共にその姿は点となっていた。幻想郷の瞬間最大速度レコードが更新された瞬間でもある。
「っぷ……なんちゅう速い奴じゃ。あ奴め、さっきので昨日今日の帳尻を付けようと言う魂胆か」
 暴風から片腕で視界をかばった後、呆れと諦めの息を吐く。その後マミゾウはふと隣の気配が無い事に気付き、神子の居た方へ顔を向けるがすぐに彼女を見付ける事は出来た。
「何をやっとるんじゃ」
「いえその」
 神子は文の風に煽られて中々無様に尻餅を突いてしまっており、その様を見てマミゾウはつい笑ってしまう。いつそうなったのか全く気付かなかったが、風のせいで音も飛沫も気にならなかったようだ。
「…………くふっ」
「な、何も笑う事は無いでしょう」
 羞恥から若干頬を赤くしつつ慌てて取り繕おうと立ち上がろうとするが、先程バランスを失った事からも分かる通り神子は流水と石がゴロゴロしている底の足場に明らかに慣れていない。なので本来ならすぐにしゃんと立ち上がる所を随分ゆっくりと丁寧に立ち上がっていた。
 それがまた余計に可笑しく、余計に可愛らしい。
「いやーすまんすまん」
 そんな神子をマミゾウは発作的に抱き締めたり頬擦りしたりとかしたくなってしまったが、今この場でやってしまっては共倒れの危険性大である。それに一瞬の感情の昂りである事は経験則から良く分かっている為、間を置けばこの欲求が治まるであろう事もマミゾウは良く承知していた。
「まったく……」
 ただ、そんな何かを堪えている風なマミゾウの有様は神子からすれば笑いを堪えているのと同じなので、いくら聖徳をもって鳴る太子と言えども些か平静ではいられない。が、例えばここで衝動のままマミゾウを突き倒そうとしたとしよう。その場合反動で自分もバランスを崩す事になりかねず、また巧くマミゾウを押せれば良いが避けられた場合を想定すると余りにもリスクが大き過ぎた。そうなると一旦は堪え、少なくとも場が変わるまでは平静を維持し続ける必要がある。それにその頃には幾らか気が安らいでいるかも知れないし、と神子は耐える事にした。
 結果、神子がようやく立ち上がった後二人の間に若干妙な間が生じたが、両者共すぐに何事も無かったかのような顔になる。
「それで、さっきのは何なのです?」
「あれは鴉天狗の射命丸と言うてな。儂もき……昨日知り合ったばかりの相手なんじゃが、新聞作りに携わっとるそうな」
「新聞……ですか」
 復活後、そういう紙の媒体が庶民の間に流通し、それに記された内容から様々に世情を知ると言う事は神子も聞き及んでいた。木簡がすっかり廃れていた事に彼女は結構な衝撃を受けたものだが、成る程、紙が安価且つ大量に作れるようになったのならそうもなるかと納得している。
「で、多分さっきの儂とみこちんの決定的なしーんが記事になるんじゃないかなって」
「そうですか」
「……随分あっさりと流すんじゃなあ」
「……大事な事なんですか?」
 神子の平然とした様子にマミゾウは少々面食らって目を丸くし、それに神子は不思議そうな目を向けた。
「別段、何かあったという訳もありませんし、強いて言うなら決定的な部分は既に過ぎていますし。せいぜいがよろけた私を介助しようとしてくれただけでは」
 この言い分は間違っていないが、しかし実際は通用しないだろう。最低でも七十五日は面倒な事になるに違いない。
「まー儂らにとってはそうなんじゃが。……んーむ、これは説明するよりその時になって分かって貰った方が早いかのお」
 なのでマミゾウは一先ず放っておく事にした。文の所へ取り返しに行こうにも居場所を知らないし、カメラの件を考えれば些かの負い目もある。こちらの負担が大とも思えるが、仕方ないと言えばない。
「ともあれ、衣類の方はそろそろ良い感じじゃろうし。一つ上げてみるとするかのう」
 沢の底で石に固定され、流れる水に洗われるままの衣類を手に取ろうと屈み込む。
「…………」
 そうするマミゾウを神子は手伝わず見ているだけで、少し彼女は不審に思ったがすぐに立っているだけで精一杯なのだと思い直した。
「くふっ」
 自然、嘲る訳ではなく可愛らしく思う故に小さな笑みが漏れてしまう。
 それがいけなかった。
「のわっ」
 背中に衝撃。マミゾウは不意打ちにバランスを崩すも、両手を水底に突いて倒れるのは避ける事が出来た。元々屈んでいた以上そうするのほ容易かったのだが、何故か派手な水音がし、飛沫が彼女の身体にかかる。
 どういう事かと姿勢を戻し音の方に振り替えれば、再び仰向けに倒れ込んだらしい神子が上体を起こした所だった。
「……何をやっとるんじゃみこちんは」
「……童心に帰るものではありませんし、慣れない事をするものでもありませんね」
 マミゾウの冷ややかな視線に、流石の神子も視線を逸らす。無防備な背中をつい蹴押したものの、案の定反動で後ろへ倒れてしまっただなんて気不味いにも程がある。
「存外、おきゃんなんじゃなあ」
「……どうでも良いではないですかそんな事。それより、ほら、服はどうなりました」
「それをさっき邪魔してくれた誰かさんのお言葉とも思えぬが……」
 溜息交じりの言葉に、神子はうぐぐと怯む。
 神子とて普段はマミゾウが言う程の事は無く、実に品行方正に日々を過ごしているのだが、やはり羽目を外したくなるタイミングと言うのはある。上下関係のある道場の者達相手ではなく、多少の無茶も通る気安い相手であれば尚更だ。
 だが今ばかりはもう暫く堪えておく必要があったろう。
 結果として、今回は五分五分に終わった感があった。

§

 その翌日。
 道場では宮古 芳香が外から新聞を拾ってきたので青娥は彼女をいい子いい子しつつ紙面に視線を落とし、悲鳴のような叫びを上げた。
 それを聞き付けた布都が何事かと飛んで来たが、耳を塞いだままぶっ倒れて固まっている芳香と、新聞を見たままの姿勢と叫んだままの表情で固まっている青娥を見てちょっと混乱してしまう。だがその混乱も震える手で新聞一面を示した青娥によって瞬時に消え去った。
 一瞬だけ理解し難いものを見た目になり、再度紙面へ視線を走らせ、さっと青褪める。
「そっ、そっそそそそそ、そそそっそそそそそそ蘇我蘇我がが!?」
 文々。新聞の一面記事を見た布都は見事なまでにうろたえ冷や汗を流し、呂律が回らないながらもどうにか蘇我 屠自古を呼び出した。
「えっ何どうしたの」
「どっどっどどどどどどどどどどどどっどどどどどどっどどっど」
「……暖気?」
 無理もないが、屠自古の視線は完璧に可哀想なものを見るそれである。
「こっこっこっこここっこここっこっこっこ! こ!」
 そして今度は鶏か、神子の呪いって実は失敗したんじゃないのと屠自古が懐疑的になっていると、呂律の回らない布都は青娥から新聞をひったくるように奪うと、その一面を屠自古に向けて突き付けた。
「これがな……な、な、な。…………なあー?!!?」
 本日の文々。新聞の一面と言えばマミゾウと神子による裸の密会シーンである。そんなものを大写しの写真付きで記事にされては、青娥も布都も屠自古も正気を失って当然と言えるだろう。
 それぞれが固まったり悶えたり変な叫びを上げたりをし、ひっくり返ったままの芳香が対抗するように楽しげにうおーうおーうるさくし始めた辺りで一体何事ですかと神子が来た。
「たたたた太子様ーッ!」
 まず布都が神子に飛び付き、次いで屠自古がこれこれこれこれこれこれと他人の事はとても言えない有様で新聞一面を示し、青娥はまるで現実逃避の様に芳香の世話をし始める。
「ああ、それですか。成る程あの時の……へぇ……これはまた……」
 酷い事になっている布都達に対し、神子は実に冷静だった。新聞を受け取り、ちょっと恥ずかしげに、だが意外そうな驚きと共に楽しげな表情で記事を読んでいくものだから、布都達はやはり気が気でない。
「ふむ、マミゾウが危惧していたのはこの事ですか」
 布都は発作的にどの事ですか!? と質したくなったが、幸い神子が新聞を畳みながら次の言葉を発したので質さずに済んだ。
「安心なさい、この絵こそ事実ですが、他は出鱈目です。むしろ良くこんな風に書けるものだと私は感心してすらいるのですよ」
 くすくすと微笑み、新聞を布都に返す。
「ですが注意しなければなりませんね」
「え? あ……と、申しますと?」
「なにがでしょうか」
 出鱈目なのは実に胸を撫で下ろすべき事なのだが、絵は事実、の辺りが異様に気になったせいで布都も屠自古も反応が遅れてしまう。
「つまり真実を知る当事者である私からすれば、その記事の内容は微笑みすら覚える程なのに対し、真実を知らないあなた達からしたら上を下への大騒ぎ。新聞の存在を知った時は知の伝播としてこれ程相応しいものは無く、なんて便利でしょうと思いましたが……」
「新聞の書き手によって真実が歪められる事には注意しないといけない。そういう事ね」
 神子の言葉に布都も屠自古も一時顔を見合わせたが、その後ろから青娥が呟く様に言った。手の方は固まった芳香を揉み解すのに忙しいが、流石に現役期間が一番長いだけの事はある。
 それでも文々。新聞一面のインパクトには冷静さを失ってしまっていたが。
「はい。新聞に書いてある事全てが偽りとは言いませんが、しかし、その可能性をすっかり消してしまうのは危ないでしょう。良い教訓になりました」
「……あの、太子様」
 良い微笑みで頷いた神子に、布都はおずおずと尋ねる。
「どうしました、布都」
「記事はともかく、絵が真と言うのは……?」
 やはりそこが気になって気になって仕方が無い。そしてその点は屠自古も青娥も同様なのか、黙って神子の言葉を待っている。
「ああ、色々あったのです。ですが、心配されるような事はなにもありませんでしたよ」
「し、しかしこの、これではまるで」
 まるで慕い合う者同士のような、と言いかけて布都は口を噤んだ。至近に神子の顔が迫ったからだ。
「なにも、ありませんでしたよ」
 互いの吐息が触れ合い、肌を撫で、その匂いすら明確に嗅ぎ分けられるような至近距離。
 そして神子と布都の身長差から上下が生まれ、小さい方の布都としては圧迫される様な、しかし決して嫌では無い位置関係。
「わ、わか、分かりました……」
 胸の高鳴りを押し隠すように布都は何度も小刻みに頷いた。
 これに神子は微笑むと顔を離し、これで話は終わりとばかりに戻って行く。
 その背を見ながら布都は鼓動を鎮めるように深呼吸を繰り返し、そんな布都に屠自古は、あれで腰を抱き寄せられて顎先を指でちょいとやられたら墜ちるんだろうなーと思ったが、口は禍の素なのでいつも通り黙っていた。
 そして、道場内を歩みつつ神子はふと思う。
「マミゾウの方はどうなっているんでしょう……」
 自身は上の立場なので事無きを得るは容易かったが、居候の身と聞くマミゾウは結構苦労しているのではないだろうか。
 そう神子が思いを馳せたマミゾウの方は、彼女の想像を超えて酷い事になっていた。
 滞りの無い日常に戻っていたマミゾウなのだが、不意にやたら思いつめた様子のぬえに声をかけられ、嫌な予感と共にそのままお堂まで連れていかれてちょっとだけ逃げたくなってしまう。
 何せお堂で文々。新聞を手にした白蓮に正座で出迎えられ、その邪気の無い笑顔が怖い。
 そして彼女の両脇は星と水蜜が固めているのだが、これがまたそれぞれ宝塔と錨を構え、まるで東大寺南大門の金剛力士像の如き威圧的な迫力を持っていて怖い。
 更に三者から少し離れた右側で一輪が正座しているのだが、その後ろで大迫力の雲山がハリウッド映画さながらの滑らかな動きでシャドーボクシングをしていて怖い。
 最後に、マミゾウをお堂へ招いた後入口側で絶対に逃がさないとばかりに座ったぬえからの思い詰めたようなキンと張り詰めた空気が怖い。
「では、話を聞きましょうか」
 多くを言わない優しい白蓮の言葉。
 ただ不自然なのは、彼女は笑顔であり、言葉は優しく、いつも通り柔和なのだが、この場の誰よりも多大な威圧感をマミゾウに与えている事だ。
「ええと……ひじりん? その、それは……違……誤解じゃよ?」
 そんな白蓮と相対するように正座したマミゾウはそれだけを言うので精一杯。
 白蓮の手にある文々。新聞一面には裸で抱き合うマミゾウと神子の写真が大きく取り上げられており、『深夜の密会!』だの『熱愛発覚!?』だのと無責任だが説得力のある飛語が飛び交っている。これにマミゾウは内心、よくもまあやってくれたものじゃと遠く文へ思いを馳せ、みこちんも今頃大変なんじゃろうなあと他方遠くへ思いを馳せたが、写真ではお数珠をつけていなかった事もあって現実逃避はそう長くさせて貰えない。
 最終的に、誤解を解くまでに多大な労力と一週間ばかりの時間を要し、後に神子の方では殆ど何事も無かったと聞いて世の不条理を儚んだのだった。
     }ゝ、,_,r'{
     ),'´⌒ ^^ヽ,
     j イノノ人))ノ 「 7
     ((和リ゚ ヮ゚ノ). |/
        /iヽ丱ノi_ロつ
     =(ノ_/ハヽ>=*
      ``i_ラi_ラ´
Hodumi
http://hoduminadou.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.870簡易評価
1.100名前が正体不明である程度の能力削除
幻想郷で生き抜けマミゾウww
3.90奇声を発する程度の能力削除
マミゾウのらしさが出てて良かったです
6.90名前が無い程度の能力削除
事実が記者を起こすのではない、記者が事実を起こすのだ。
10.100とーなす削除
セリフがコミカルで可愛くて楽しい。
特に酔ったマミゾウがかわいすぎる。ぽんぽんぽーん?
14.100名前が無い程度の能力削除
マミゾウも神子も可愛いくて素晴らしかったです!!
特にマミゾウのセリフのテンポが軽快で楽しく読めました。
このコンビ良いですね~
15.100名前が無い程度の能力削除
これはおもしろい
18.90名前が無い程度の能力削除
こなれた雰囲気はお見事。
みんな可愛い。
19.100名前が無い程度の能力削除
神霊廟の新キャラが活き活きしてるのが、すごい
各キャラの性格を掴んでらっしゃるのでしょう
マミゾウはマミゾウらしく、神子は神子らしかったです
20.100名前が無い程度の能力削除
文のド根性とハリウッド雲山吹いたww

全体的に凄く面白くてよく出来ていると思う
次があるなら寺や道場以外のキャラとの絡みを読んでみたい
28.100名前が無い程度の能力削除
ラストで吹いたwww
マミゾウさんファイト!