私の部屋に、妖精が訪れていました。
それは、高校の受験勉強に追われていた一月のことでした。
日差しと風のやや強い、昼下がり。
今思えばその風の中に、春の匂いが微かに漂っていたような気がします。
その子…のちにリリー・ホワイトと名が付きます…は、私の部屋の、窓辺にいました。
換気のため開け放していたサッシの隅に、背中を預けて。
私は、にわかにその存在が信じられなかったけど。
あ、この子は妖精なんだ、て、すぐにわかりました。
だってその子は、あまりにも通念の「妖精」とマッチした容姿でしたから。
身長は15cmほど、女の子がいっぱいに手を伸ばせば、それにすっぽり収まってしまうサイズです。
絹のような金色の長い髪に、これまた絹で編んだような、かわいらしい白ローブを一枚。
窓を閉めたくなったので、指先でつん、つん、と突付いたら、ぱっ、と飛び起きました。
「妖精さん…?」
妖精は、ずっとサイズの違う瞳で、こちらを見つめています。
立ち上がり、さも慌てたしぐさを浮かべて、ぺこり、と頭を下げました。
「いいよ、謝らなくて。」
にこり、と私は、精一杯の笑みを向けてあげました。
すると安心したのか、手を後ろ頭に当てて、てれ、とはにかみました。
かわいい妖精さん。
私はとても気に入って、彼女を机に招いてあげます。
風も強くて寒かったでしょう、おなか空いたかな?
子供心に甘い物ならきっと喜んでくれそうだと、チョコを上げました。
もちろん、針穴みたいに小さなお口でも入るよう、丁寧に小さく刻んで。
両手で大事そうに抱えるとそれを口に含んで、もぐもぐ食べています。
とても幸せそうな笑みを浮かべて。
お互い、すっかり打ち溶け合えました。
それから夕方まで、私は妖精さんと遊びました。
掌に載せて家中を案内したり。
本を読み聞かせて上げたり。
私のお気に入りアクセサリーをお披露目したり。
妖精さんは喋れないみたいでした。
表情はくるくる変わりますが、一向に声を発しません。
でも、私の言うことは理解しているみたいだったので、私は構わず声をかけていました。
そして、夕方四時。
ふ、と気づいたように、妖精さんは窓のほうを一生懸命指差します。
「開けてほしいの?」
窓を、開けました。
妖精さんはぺこり、と丁寧にお辞儀をして。
そのまま夕焼け覗く空へ、飛び去っていきました。
そのとき私は、再び確信しました。
優雅にはばたく真っ白な翼。
ああ、この子は妖精なんだ、と。
その夜、また不思議なことが起きました。
お風呂から上がって着替え、部屋に戻ると、机の上に小さなものが置いてあるのです。
それは、手紙でした。
手紙は小さいには小さいのですが、四方5cmずつくらいの、不思議なサイズでした。
私は、その小さい便りを、外科手術のように繊細な手つきで封切ります。
淡緑色の便箋に花びらのシールが張ってあってとてもかわいいデザインだったので、無粋に破るのは勿体無く感じられたのです。
中には紙が三枚あって、小さい字が書き込まれていました。
これは、あの妖精さんの手紙だとなんとなく、頭で理解してました。
「鈴懸さやか さんへ。
先ほどはありがとうございました。突然の来訪にも関わらずにこやかに挨拶を賜り、チョコレートまでご馳走して頂いたうえに、長い時間遊んでくれたので、とっても嬉しかったのです。云々。」
不思議でした。
教えてもないのに名前を知っているし、何よりそのサイズです。
例の妖精さんは身長が15cm弱ですから、手紙を書くならばもっと、それこそ切手よりもさらに小さい便箋でないと釣り合いません。
もちろん、字も書くとなれば…明らかに手書きでした…もっと読めないほど小さなサイズであることは、子供心にも理解できたのです。
ファンシーな丸字とは不釣合いの丁寧な口調で、手紙は続きます。
「申し遅れました。わたしはホワイトと言います。返信をしようとお思いなら、あて先は以下だけ書いて、身近な郵政機関のポストに投函してください。095-4031 紅魔郷郵便局留め。云々。」
“紅魔郷”がどこにあるのかは知りませんでしたが、私は案外、身近にあるような気もしました。
私も楽しかったこと、また遊びに来てほしいこと、学校や勉強のことなどを書き連ねて、おまけにプリクラも数枚つけて、返信をポストに投函しました。
親愛なるホワイトさんへ と便箋に添えて。
返信は、手紙を投函した次の日に来ました。
もちろん、机の上に。
窓を閉めていたので人が侵入できるはずもないのですが…嬉しさでいっぱいの私には、その程度のミステリーはもはや、どうでもよくなっていました。
「お手紙ありがとうございます。お写真、拝見しました。お友達もいっぱいいて楽しそうですね。はい、三日前は、私も楽しかったです。云々。」
手紙を何度も読み返しながら、昼になれば窓を開け放してホワイトさんを待ち侘びるのが、日課になっていました。
すぐさま返信をつけましたが、今度は三日後に手紙が返ってきます。
今度は、なんと写真が入っていた。
小さいのでよくわからないけれど、深い緑の森を背景に、お澄まし笑顔で彼女が映っています。
一生の宝物にすると決めて、私はそっと、手紙を引き出しに仕舞い込みました。
それから一週間後。
果たして彼女は、来ました。
うたた寝の隙をつくように、机の上にひらり、と翼を翻して。
もう嬉しくて、私は跳ね回りたいのをこらえつつ、妖精さんを迎え入れて。
無邪気な時間を過ごしました。
笑顔を向けられるたび、友達というよりは慕ってくれる妹ができたみたいで、心臓をくすぐられるような思いです。
「はい、召し上がれ、ホワイトさん。」
クッキーを砕いて与えると、はむ、と口にくわえて食べます。
羽をぱたぱたさせたり、微笑ましいしぐさなので、私は飽きもせず、ずっと見ていました。
そして四時になると、また帰っていきました。
白いローブを、北風にゆらめかせて。
その時、私ははっ、と気づきました。
頭の上が、不自然です。
写真では、頭にローブと同じデザインの帽子をかぶっていました。
が、今の彼女はそれをかぶってないのです。
ローブとデザインが統一されているから、なおのこと気になりました。
さっそく、手紙に書きました。
帽子はどうしたのですか?と。
その質問が引き金になったのか、次の返信ではつらつらと、彼女の身上が綴られていました。
「こんにちは。さやかさんはとっても、思いやりのある子ですね。実を言いますと、ホワイトというのは苗字で、実は名前がまだ、決まってないのです。帽子についてですが…飛んでいてある日、うっかり風に飛ばされてしまい、それぎり失くしてしまいました…云々。」
へぇ、とうなずいてしまいました。
メルヘンチックな妖精さんにも、こんな身の上があるなんて、と妙に納得してしまったのです。
返信は、ちょっとお節介かもしれないけれど、こうしました。
「それならば、ホワイトさんらしい、かわいい名前を考えてあげたいな。あと、帽子も、この近くに目星がついているのなら、探してみますね。小さいけれど…目を皿にして探します。」
三日後。
受験本番も迫り、すっかり本腰を入れています。
手紙が来た昼に、ホワイトさんがまた、遊びに来ました。
帽子はかぶってなかったから、まだ見つかっていないようです。
でも、彼女と遊ぶその時だけが、短い癒しの時間であるわけで。
まずは、その日来た手紙の返信を。
「名前、そうなんです。われわれ妖精一族は、妖精などが棲む世界の人に名前をつけてもらって、その名前を大事に使うのが習慣なのです。たいてい、名付け親はお友達になった人に頼む場合が多いです。さやかさんにお願いするのも、良いかなという心境です。あと帽子ですが、きっと見つけるのはすごく難しいと思うので…あまり気にされなくてよいと思います。お気持ちは、厚く感謝します。云々。」
この子に合う名前…考えてみよう。
でも、いい名前が思い浮かばない。
机の上で昼寝する妖精さんの髪を指先でそ、と撫でながら、ずっとそれを考え続けてました。
日本名はどうだろう?
…
シマコ、ユミ、レイ、ヨシノ、ユキ、サチコ。
学校の友達なんかの名前を、片端から当てはめたり。
シマコ・ホワイト。
ん~、やっぱり変です。
ホワイト、だから、英語がいいかな?
…
神聖なイメージで、マリア・ホワイト。
天使=エンジェルだから、アンジェリカ・ホワイト。
お人形らしく可憐に、ジェニー・ホワイト。
健気そうな印象に合わせて、マーガレット・ホワイト。
ちょっとおしゃまに、ルーシー・ホワイト。
う~ん。
たしかに、英語名のほうがまだ似つかわしいのですが、どれもこの子のイメージにはしっくり来ません。
結局、彼女が帰るまで、良い名は思いつかぬじまいでした。
そしてまた夜になり、手紙を書く時間になったのです。
その夜は、ラジオを聴いていました。
妖精さん相手にさらり、と筆を流す夜は、とてもいい一時。
ラジオでは、リクエスト曲のコーナーをやっていました。
そう、この時聴いていた偶然の一曲が、私と、そして彼女の運命を決めることになるとは。
その曲は、ロックミュージックでした。
以下のような感じのフレーズが、何度か繰り返される曲でした。
“風が吹いたら それが合図だ
意識飛ばして 逃げるよ リリー”
(ロックバンドTMGEの一曲より引用。)
これだ。
リリー。
リリー・ホワイト。
この名前が、私の中での妖精さんのイメージに、ぴたりとはまったのです。
直後私は、書きなぐるように手紙を書いていました。
「いい名前が思いつきました。リリー つまりフルネームで リリー・ホワイト、です。いかがでしょうか?かわいらしいし、ホワイトさんもきっと気に入ってくれると思います。云々。」
返信はすぐさま来ました。
短い一文でした。
「さやかさんこんにちは。リリー、ですか。よく考えてくれましたね。さてこれは一生の問題ですから、一晩考えて、ゆっくり決断したいのです。三日後、遊びに伺います。そのとき名前を、フルネームで呼んでやって下さい。反応すれば、私の名前は、リリーになっています。」
三日後。
さて約束の日曜日です。
ちゃんと、いつもの昼下がり、ホワイトさんは来ました。
窓から、ゆらり、と入り込んで、とん、とおしゃまな脚を机に乗せて。
「こんにちは。ちゃんと来てくれたね。」
にこ、と手を振り合う、二人。
さらさら振る時の妖精の手って、まるで春風に揺れる小枝のようです。
私は、なかなか勇気が振り絞れませんでした。
気軽に呼んでやってください、と明記されていたとはいえ、もし“リリー”が採用されていなかったらどうしよう、という心配が、頭をよぎるのです。
それでも、いや、きっと。
私は、決意を込めました。
そして、呼びました。
「いらっしゃい。リリー・ホワイトさん。」
その名前を聞いたとたん、妖精さんはびくり、と立ち止まって、表情を強張らせました。
もしかして、だめ?
直後。
満面の笑みで、微笑みを返してくれました。
そして、白ローブの前で両手を合わせて、丁寧に、お辞儀をしたのです。
「リリーさん、改めてよろしくね。」
彼女はこくり、とうなずきました。
こうして、私とリリーさんの、新しい関係が始まったのです。
進路となる高校も無事決まり、三月の間、リリーさんはますます頻繁に遊びに来ました。
本を読み聞かせると気持ちよさそうに聞いてうたた寝を始めたし、おやつも相変わらず、よく食べてくれました。
でも、少しずつ、変化が起きていることを、私は見逃しませんでした。
帰りの時刻が、日に日に少しずつですが、早くなっているのです。
私はすぐさま、手紙でそのことについて触れました。
「もしかして、忙しいのでしょうか?帰りのとき、ちょっとお急ぎのようですね。でも、毎日来てくれるのはもちろん、嬉しいですよ。」
返信はすぐに。
「さやかさんこんにちは。このやり取りもすでに二月、時経つのは早いものですね。さぁ、今日はすべからく、正直に話しましょう。」
丸文字ですべからく、と書かれるとさすがに意外な印象。
そしてこの手紙で私は、彼女の真の正体を知ることになるのです。
「私は、春の訪れを司る妖精です。ホワイトという名の妖精は、皆ほとんど私と同じ容姿で、他に二千ほどいます。毎年この時期、世界のありとあらゆる処に春を運ぶのが仕事であり、唯一無二の義務でもあります。あなたの家を訪れたきっかけは、あの帽子でした。冬を司る妖精と空でうっかり空中衝突し、ささいな縄張り意識から喧嘩になり、帽子を弾みで落としてしまったのです。この辺にあるという確証は得ておりましたがしかし、なかなか見つかるものでもありません。初めてあなたのお家を訪れたあの日、まさに冬妖精との衝突で疲れ果て、飛ぶこともできず故なく窓に、不時着してしまったのです。部屋の主であったあなたに起こされ、これは迷惑だったと思い帰ろうとしたのを、あなたは優しくかくまってくれ、チョコレートまで振舞ってくれました。それで思ったのです。ああ、この人ならば、私の“名前”を委ねてもいいかもしれないな、と。それで、帽子の捜索がてら、時間があればあなたの家を訪れていたのです。云々。
親愛なるさやかさんへ リリー・ホワイト」
はぁ、なんと。
そういうことだったのですね。
このような妖精事情を知ってしまった今でも、私は全然、良い心地でした。
ホワイトという妖精が何匹いたとしても、リリー・ホワイトはこの世にあの子、私が名づけてあげたあの子だけなのです。
そして一つ、懸念がありました。
リリーさんは、帽子を見つけてしまえば、この近くには来なくなるのでしょうか。
だとしたら、帽子が見つからないと、いいなぁ。
さすがに返信にそう、書くのは控えました。
それから四日。
運命というのは皮肉なものですね。
卒業式の、その帰り道。
私は見つけてしまったのです。
近所の梅の木に引っかかっている、ちいちゃな白帽子を。
かつての写真と見比べて、すぐに同じものだとわかりました。
私は、帽子の始末はどうしたものか、ずっと考えていました。
もちろん、誰かがもっていったりしないよう、家の中の、目の届く場所に置いておきたい。
部屋のどこかに隠してしまえば、リリーさんは気づかないでしょう。
でも、ようやく見つかったものをわざと隠しているのもなんとも心憎いものです。
だって、リリーさんは友達だもの。
友達のためを思えば友達は離れてゆくかもしれない。
かといって、友達を引き付けて置こうとしたら、彼女は帽子探しの苦労を続けるまま。
いや、でも。
私は決心しました。
最後になってもせめて、リリーさんのために、動こう。
次の日、リリーさんは遊びに来ました。
私は。
「いらっしゃい。」
迎え入れるなり。
「ねぇ、リリーさん。」
リリーさんはこちらを見つめます。
「ちょっと、目をつむっててくれるかな?」
クエスチョンマークを浮かべて、頭を傾げています。
それでも彼女は、素直に応じてくれました。
私は引き出しから例の帽子を取り出して、そ、とかぶせてあげました。
「さ、目を開けて。」
は、とした表情で、頭に乗った帽子を触っています。
「見つけたんだよ。近所の梅の木に、引っかかってました。」
リリーさんは、こちらをじ、と見つめます。
わたわたと手を広げて、口を動かしています。
感謝しているらしい、ということはわかりました。
声で表現できないことが、もどかしいのかもしれない。
仕方なく、お辞儀を繰り返していました。
私は、微笑んで言いました。
「大丈夫。言葉がなくたって、気持ちは伝わってるよ。」
その言葉に安堵の表情を浮かべて、せわしないジェスチャーが止まりました。
人間では私だけがお友達の、かわいらしい妖精リリーさん。
後はいつもどおり楽しい一日を過ごして、夕方になると帰っていきました。
帽子を慎重に、深かぶりして。
お別れの手前、丁寧にぺこり、とお辞儀を残して。
ただ、私の心にしこりが一つ、できました。
もしかしたら、リリーさんとはこれで会えなくなるのかもしれない、と。
その夜は、手紙の返信が来ませんでした。
案の定、別れはあっさり訪れました。
通算二十五通目の返信が、最後の便りでした。
「これまでの厚いお付き合いの程、いたく感謝しております。われわれ春の妖精一族にとって最も多忙な時期に出会えたさやかさんの存在は今後も、私の心において、生涯においてさえ決して忘れえることのない美しい思い出となるでしょう。さて、些細ながらも進めて参りました神奈川県西部一体に春を運ぶ私の職務は、とうとう昨日全うされました。春を招く準備が完了したのです。間もなく桜も咲きます。われわれは天界へと戻り、休養がてら次の春に向けての準備を始めます。(中略)担当地域は毎年違いますから…きっともう、あなたにお会いすることもないのです。私も残念に感じていますし、唐突で本当に申し訳ありませんが。これにてお別れです。新しい世界は、あなたのすぐそばに。希望を持って進んでください。
かけがえの無い友達、鈴懸さやかさんへ。
リリー・ホワイトより。
追記:真に申し訳ありませんが、返信はもう、書かないで下さい。人間界と天界の通り道にあった紅魔郷までは郵便が届きますが、天界までは通信網が届かないのです。文通は、物理的には不可能なのです。最後の最後に、ぶしつけな態度で本当に、申し訳ありません。私はずっと、さやかさんのことを心に留めておく所存であります。」
リリーさんらしい、淡い桜色の便箋でした。
私は、友達のために涙を流すという経験を初めてし、無言でそっ、と、手紙を引き出しに仕舞い込みました。
包み込むように甘やかな春風が、頬を撫でたような心地がしました。
妖精のことは、家族にすら話していません。
誰も信じてくれそうにないからです。
でも、妖精リリー・ホワイトさんは確かに存在していました。
その証拠にあのかわいい手紙は全て、大学生となった今でも、私の机に大切に保管してあります。
そして春が来るたび、手紙を一通ずつ読み返して、思いを巡らすのです。
今年もどこかに、妖精と運命の出会いを遂げる人がいるのかな、と。
[完]
ところで、住所が「紅魔郷」となっていますが
正しくは「幻想郷」ではないかと。
お友達の名前を聞いた時は、流石にクスリとしてしまいましたけれど(笑
アンジェリカ・・・(w
世界観がひろがります