Coolier - 新生・東方創想話

Hellvetica - ヘルヴェティカ

2022/02/17 16:56:20
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「――それでね蓮子、そのケーキ、なんとオーガニックな苺がトッピングされているらしいの」
 涼やかで優しい風が暖色の葉をさわさわと揺らす昼下がり。秘封俱楽部行きつけのカフェに向かう道の最中、メリーは目を輝かせて言った。
「へえ、そりゃ珍しいね」財布から聞こえる閑古鳥の悲鳴に顔をしかめつつ、蓮子は答える。
「淡泊な返事ね。タンパク質の摂り過ぎじゃないの?」
「故意に興味を持つというのは、すごく高度な事なのよ」
 蓮子は不意に首を仰角へ傾けた。塗り潰しツールでも使ったかのようなパステルの空が蓮子の視界を覆う。いつの時代も人を魅了し、人の想像を掻き立てた天上の世界。もはやその探求の対象は、人間には視認できない領域にまで広がっていた。そして蓮子もまた、見えないものに惹かれた人間の一人だった。



 大通りを外れ、カフェのある通りに入ろうという時。遥かなケーキを透視するメリーの視線は、突然現れた一匹の黒猫に奪われた。首輪は付いていなかったが、人間には慣れているようで、やけに落ち着いた態度だった。
「あら、黒猫よ。可愛い。野良猫かしら」メリーは屈み込む。
「黒猫って、そんなの見当たらないよ」蓮子は辺りを見回して言う。
「あのねぇ蓮子、いくらあなたが淡泊でも……」蓮子の白々しい態度に呆れて、メリーは後ろを振り返った。しかし、目に入った光景はあまりに予想外で衝撃的なものだった。メリーが見た蓮子の体、その両肩の先には、あるべきものが付いておらず、その代わりにどす黒い深紅の液体がビチビチと音を立てて流れ落ちていたのだった。
 どんどんと呼吸が早まり、頭に心臓の鼓動が響く。顔には冷や汗が滲み、反射的に発せられた声は、まるで肺がひしゃげたようで、もはや声とも言い難かった。そして当の蓮子は、純白のシャツの袖口がじわりじわりと染められても尚、平然とこちらを見ていた。
「どうしたのメリー、大丈夫?」へたり込んだメリーを覗き込むようにして蓮子が訊く。
「あ、はっ……」メリーは自分が恐怖のあまり瞬きを忘れていたことに気付き、目を潤わせた。すると次の瞬間には、蓮子の腕は何事も無かったかのようにメリーに手を差し伸べていたのだった。「え……?」
「そ、そんな……見間違い……? じゃないわよね……今のは一体……」俯いてぶつぶつと呟いていたメリーが、何か思い出したようにばっと顔を上げる。「ねえ蓮子、痛くない? 怪我してない?」
 メリーが何よりも恐れていたのは、蓮子に危害が及ぶことだった。近頃の秘封俱楽部の活動が面白味を増すと同時に危険を強めていることを、メリーは肌で実感していた。
「え? 私は何ともないけど……メリーこそ、本当に大丈夫なの? 体調が優れないなら、また出直しましょう?」
「大丈夫よ、ただ……少しだけ時間を頂戴」メリーが戸惑いながらも気持ちを落ち着け、立ち上がろうとしたその時。
「――いやはや、少々脅かし過ぎてしまったかな――」
 蓮子の頭の上、帽子の漆黒に溶け込むような黒猫がそう喋るのを、メリーは確かに聞いた。
「今の……もしかして貴方?」恐怖と興味の区別もつかぬまま、メリーは訊く。
「――ほう、これは驚いた」心なしか先程よりも僅かに高揚した調子で黒猫が言い、不意に宙へ跳ねる。微かに煙に巻かれたかと思うと、いつの間にかその姿は消え、二人の前には少女が佇んでいた。二人と同じくらいの背丈、ロングヘアーの綺麗な黒髪にこれまた黒いシンプルなワンピース。幼い見た目とは裏腹に、ミステリアスな雰囲気を醸し出していた。
「わ! 何!?」突然目の前に現れた少女に驚く蓮子。それをよそに少女は話し始める。
「良ければこの後……私もご一緒させて貰えないかい? 話はそこでゆっくりしようじゃないか」



 冷えた真鍮の取っ手を掴みドアを開けると、煌びやかなウィンドチャイムの音色が三人を別世界へと迎え入れる。アンティーク調の家具や道具が所狭しと並ぶ薄灯りの店内には、コーヒーの高尚な香りと心地よい閉塞感が漂っていた。普段なら窓際の対面席を選ぶ所だが、今日はこっちね、と正方形のテーブルを囲む四人席へと向かった。
「コーヒーと、それから新作のケーキを三つずつ、頂けるかしら」メリーが手早く注文を済ませると、蓮子は我慢できない、とでも言いたげに話を切り出す。
「まず、私には何が何だかさっぱりなんだけど……あなたはさっきメリーが言っていた黒猫、ってことで良いの?」
「聡明だね。いかにも、私がその黒猫さ。」思いの外饒舌に、黒猫は話し出す。「さっきは君の友人を随分と怖がらせてしまったね。私としてはちょっとしたジョークのつもりだったんだが……」
「とてもじゃないけどジョークじゃ済まないわよ、あんなの。心臓が止まるかと思った」メリーが怒った調子で言う。
「すまなかったよ。私の姿が見える人間に出会うのなんて随分久々でね。恥ずかしながら、少々舞い上がっていたんだ」
「そのジョークもすごく気になるけど、一体貴方は何者なの? 黒猫なのか、って訊きはしたけど、こうもすんなり認められちゃあ、ますます意味が判らないわ」蓮子は尋問する。
「私は古い猫の霊さ。だから本来は見えないし、聞こえない。住処はこことは別の場所なんだが、目的も無く地上をふらふらするのが好きでね。いつものように散歩をしていたら、君達に出会ったという訳だ」不意に黒猫が窓の外を覗き見る。「それにしても、この辺りは静かだね。以前来た時より、人も車もほとんど見えない」
 束の間、呆気にとられる二人の前に、コトン、と皿が置かれた。
「ん? 何かおかしなことを言ったかい」フォークを片手に摘まんで黒猫が言う。
 車――それは輝かしい資本主義の産物の一つ。時間すら金で買おうと躍起になっていたかつての日本人にとって、車は必需品だった。いつしか価値観は書き換えられ、人が内面の豊かさを手に入れる過程で、車も段々と、しかし確実に錆び付いていき、日本の人口が3000万人を切る頃には、もはや車は教科書の中の存在、せいぜい一部のマニアが保有する程度になっていた。
 そして目の前の黒猫は、そんな前時代の情景をまるで昨日の出来事のように語っている。彼女は自らを『古い猫の霊』と言ったが、彼女が生きていたのは一体いつの話なのだろうか。そこまで思考を巡らせた所で、秘封俱楽部は目を合わせ、認識と驚愕、そして好奇を無言で共有すると、再び話に花を咲かせるのだった。
「ねえメリー、こんなに美味しいコーヒーは久々だよ」
「そうね蓮子、こんなに甘いケーキは久々だわ」



「ねえ黒猫さん、貴方が生きていた時のことを教えてくれないかしら」メリーに訊かれると、黒猫は逡巡した。「私は構わないが……あまり気分のいい話じゃないよ」言い終わって、尚も目を輝かせる二人を見て、黒猫は訂正する。「いや、忘れてくれ。どうやら君達はそんなタマじゃなさそうだ」
「ここから海を隔てた遥か遠くの土地の話だ。私は至って普通の黒猫だった。他と違う点と言えば、生まれつき親が居なかったのと、少しばかり食欲が旺盛だった。若い頃は相当にやんちゃでね。何度もこの牙を人の血に染めたものさ。両の手のひらに収まる大きさから育ててくれた親代わりの恩人も含めてね。ああ、安心してくれ。昔の話さ。周りの動物からは随分と軽蔑されたよ。人間からも、人喰い猫だ、なんて言って恐れられて、いつしか山奥の洞穴で一人静かに暮らすようになっていた。長い事そんな生活を続けて、いつからか他の猫も棲み付き始めて……ある日のことだ。湖に映る自分の姿が、ただの猫とはかけ離れた化け物になっていることに気付いたんだ。」
 黒猫はコーヒーを一口流し込み、再び話し始める。「私は焦った。どんなに寂しい暮らしでも、黒猫としての姿は私の誇りだった。心の支えだったんだ。焦って焦って、ついには狂ったように走り出した。そこから先は覚えていない。ただ、きっと、私は人を襲ったんだろうね。ねぐらに帰って我に返った時、口には微かに懐かしい味が残っていた。感じたことが無い程の満足感だった。私は興奮していた。そして同時に、悔しかったんだ。いつまで経っても本能に抗えない自分の醜さがね。それからすぐのことさ。とうとうねぐらに数人の人間が攻め込んできた。すっかり私に懐いていた猫たちは次々勇敢に飛び掛かって行ったが、あっさり斬り捨てられたよ。あいつらも嫌いじゃ無かったんだがね。もちろん私も必死で立ち向かった。他の奴らよりは善戦したつもりだが、情けないことに、前脚も後ろ脚も斬り落とされて成す術も無く……そのまま死んでしまったよ。大剣を携えたそいつは、他の人間からアーサー、と呼ばれていた。その名だけは、死んでも時が経っても、忘れた事は無い。なに、別にもう恨んじゃいないさ。あいつらにもあいつらなりの、正義があったんだろうからね……」
 一通り語り終え、場には重苦しい空気が流れるかに思われたが、約二名、黒猫の予想に反する人間が居た。
「すごいわ、メリー! やっぱり妖怪は実在したのよ!」
「ええ、それにアーサーですって! ただのファンタジーじゃ無かったのかしら」
 一段と目の輝きを強める二人に、黒猫は一瞬きょとんとして、そして諦めたように顔を緩めた。
「敵わないな、君たちの好奇心には。本能に抗えないのは、猫も人間も同じらしい」
「あった」なにやら調べていた蓮子が不意に呟く。「もしかして、これのことじゃないかしら」蓮子が差し出した端末の画面には、おぞましい猫のイラストと共に、『キャス・パリーグ』という名前が表示されていた。「なになに、『性格は狂暴極まりなく』、『災禍をもたらすとされ』……随分な言われようね。ちょっと可哀想」
「ああ、実を言うと、あまり好きじゃ無いんだ、その名はね。私にとっては、呪いのようなものだ」
 メリーは俯き、右手を顎に添えて、名前が……とか、霊体は……とか呟いたかと思うと、黒猫に訊いた。
「黒猫さん、貴方霊体なら、壁をすり抜けたり出来るんじゃないかしら」



「話も盛り上がってきた所で申し訳ないが、そろそろお別れを言わなきゃいけないようだ」黒猫が言いたくなかった、というような調子で切り出す。
「そんな、随分と急じゃない。まだ色々訊きたいことがあるのに……」メリーは口惜しそうに言う。
「言っただろう? 私は普段こことは違う場所に居る。動物だらけの、地獄のような所さ。いや、あれが地獄なのかもしれない。とにかく、私は無茶して地上に出ているが……魂は今もそこに縛り付けられている。そんな訳で、長くは居られないのさ」黒猫がカップをそっとテーブルに戻す。「楽しいひと時だったよ。ありがとう」
「ちょっと待って。最後に一つだけ……」腰を持ち上げかけた黒猫をメリーが引き留める。「貴方に、名前を考えたの」
「名前とは、これまた随分珍しいプレゼントだね」黒猫は、思わぬ出来事に驚き、そして納得したように頷く。「喜んで受け取らせてもらうよ。私もすっかり君達のことが気に入ってしまったからね」
「どんな名前にしたの?」蓮子がたまらず小声で訊く。「えっとね……」メリーはすかさず耳打ちする。「なるほど、そりゃあ良い」
「それじゃあ改めて……この名前は、生きているようで死んでいる、そこにいるようでそこにいない、見えているようで見えていない……そんな不思議な猫の名前。人間の想像力の賜物よ」
 一つ、小さく呼吸を挟む。
「貴方の名前は、『×××』……どうかしら?」
「×××……」黒猫は噛み締めるように一つ呟いた。「いい響きだ。気に入ったよ」
「良かった」メリーは微笑んだ。
「さて……」黒猫は立ち上がる。「本当に楽しかったよ。またどこかで会えたら……一緒にケーキを食べよう」そう言うと、黒猫の姿は再び煙に巻かれ、気が付くと元の猫の姿に戻っていた。
「ええ、きっと」
 応えるように、にゃあ、と一つ鳴き、アンティークのドアを音も無くすり抜けて去っていく後ろ姿を、メリーと、それから蓮子は静かに見守っていた。
「あら、蓮子も見えてるの?」
「観測できる気がするよ。今ならね」



「6時27分30秒」
 儚げなウィンドチャイムの音色が、別世界の終わりを告げる。
 冷たくも柔らかな月明かりの下、秘封俱楽部の二人は未だ興奮冷めやらず、先刻までの夢のような現実について語り合いながら、ゆったりと歩いていた。
「――それにしても、丁度良かったわね」
「何が?」
「ほら、燕石博物誌よ。こんなネタ、滅多に手に入るものじゃないわ」
「なるほど。こんな素敵なエピソードなら、インパクトも抜群ね」
「でしょう? タイトルは、そうね……こんなのどうかしら」
「ふふ、素敵じゃない。シュレディンガーさんも、きっと気に入るわ――」
 蓮子は胸ポケットから手帳を取り出すと、
 殴り書きで『シュレディンガーの化猫』と記した。
初めての投稿です。
色々と手探りなので、どうか皆様の忌憚のないご意見、ご感想をよろしくお願いします。
Ether
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コメント



0.50簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
秘封の不思議な感じが出ていて良かったです
3.100南条削除
面白かったです
秘封倶楽部のイメージが詰まったお話でした
猫のキャラがよかったです
4.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです