自分が叫んだ回数を果たして貴女は覚えているだろうか。
いや、誰もそんなことを記憶のうちに留めておくはずが無い。
まるでパンを食べた回数のように。
まるで人の血を吸った回数のように。
弾幕を張った回数のように。
酒盛りをした回数のように。
死に誘った回数のように。
でも。
私は覚えている。
叫んだ回数も。
叫んだ内容も。
夜。
ほの暗いほどの丑三つ時である。
季節。
花の満開に開く頃である。
傘。
朱に漆に染めた穴あきの唐傘である。
呪詛を打つ音は聞こえない。たとえば、木槌を振るう音。怨みを繰り返し語る音。松脂の燃える音。木が悲鳴を上げる音。魂魄が悲鳴を上げる音-
それら全て古いものは無い。
ただ、風がさわさわと木々の間を、言い換えるならば桜の葉と花の間を潜り抜ける音。それだけが聞こえる。
私は、何かを深く考えながら、それで居て何も考えずに眼前の少女に問いかける。
「花は咲いたのかしら?」
答えは返ってこない。
まるで少女は死んだ様に目の前で横たわっている。
否。
横たわっているのも正しい。目の前と言うのも正しい。
だが、説明する言葉が決定的に足りてはいない。
雪が降り積もり往く。
暖かい雪だ。
薄赤く白い雪だ。
私は上を見上げる。
夜空は微塵も見えず、見えるのは影に侵食された大樹の天蓋のみ。幾重に幾重に重なり合って、下のほうの枝だけが何とか見える。普通の木々の花を何百と集めようと、この妖の樹の花の数には達しないだろう。数だけではなく、美しさも、素晴らしさも、凄まじさも。
この庭の横幅と同じ高さがあるような気さえする。
馬鹿馬鹿しい。
「久しぶりね」
声が返ってきた。
酷く遅い。
「久しぶりよ」
私は答える。花の散るさまを見乍ら。
「大分咲いたわ」
八分咲きってとこかしら、と彼女は続ける。
「満開までは至らなかったようね」
「残念だけどね」
勿論、私は満開に咲く事等無いことを承知している。
「色々努力したらしいわね」
「実を結ばなかったわ」
「それでも花は綺麗に咲いたわ」
「だけれど花は戻らなかったわ」
私は思う。彼女は知っているのだろうか。
「花?」
「そう、花よ」
彼女はくすくす笑い乍ら、横たわって私を見詰める。
「限界を超えたかったのよ」
「ご立派ね」
「これはこれは、手厳しい」
彼女は微笑を湛えている。
私は微笑を浮かべているはずだ。
赤い口紅を塗ったような唇で、付け睫毛を嵌めたような瞳で、白粉を浮かしたような頬で、私は微笑を張り付かせているはずだ。
「本当は、興味が湧いただけ」
「その割には努力したのではないの?」
その割にはね、と彼女は寂しげに答える。
私は眩暈と悪寒を感じる。
赤傘を持つ手が震え、笑みを形作る皮膚の裏側の何かが酷くかき回される。
嫌な感触。
式を与えた者が死んでしまったときのような生臭い心地。
それと似ている。酷く似ている。
「富士見の娘。幽明境を別つ。西行妖。そして、」
私は知っている。
その言葉の先を知っている。
いや、識って居る。
嫌だ、と自分の内側から声が。
「花を」
既視感。
いや、そんな生易しいものではなく、
「持って」
観っている。
私がこの手で。私がこの耳で。私がこの口で。私がこの体で。この身体で-
「永遠に」
嫌だ。聞くな。
なんで此処まで来たんだ。
来るべきじゃないと分からなかったのか。
何故だ。何故だ。何故だ。
「転生し」
ああ、その先を。
その先を-
「苦しむことの無いよう…。」
赤い傘が、古臭くて、穴の開いた、
貴女から貰った
赤い傘が-当時の流行で-穴の開いてしまった
貴女から貰った唐傘が…
…手から滑り落ちた。
貴女は此処で死んでいた。
自尽した。
あの侍を残して。私を残して。扇子を残して。傘を残して。
丁度、今のような姿勢で。
其侭、今のような笑顔で。
「顔色悪いわよ?」
それは仕方の無いことだったように思う。
意志を持つものなら、自分を簡単に殺せるモノを恐れるのは当たり前なのだから。
そして同様に、貴女もその大量の人間を見て、世を儚むのも至極合理の話なのだから。
彼女は少し心配そうに私を見詰める。
私は大丈夫ですよと返事を返す。
あれから、侍も又消え去り、残ったのは扇子と私の嫌いな色の傘だけだった。
私は如何したのだろうか。何も覚えては居ないが、ずっと寝ていたようにも思う。
「この季節は何故かこの樹のねっこで寝たくなるのよ」
彼女はくすくす笑い乍ら、死んだままで私を見つめる。
「どうしてなんでしょうね」
私も笑う。
「どうしてなんでしょうね」
私は一瞬、貴女が寝ているその下にあるものを教えたくなった。
だが、そんなことはすまい。
言いたくないのだから。
「花が綺麗ね」
私は言う。
「こうして寝転がるともっと綺麗じゃなくて?」
死んだままの友人は言う。
青い着物を泥に汚すことも厭わずに。生前の頃と同じように。
私は古惚けた傘を拾う。
そういえば、私が再び彼女と出会ったのも、この妖の下であった。
二度と満開に咲かなくなったこの樹の下で、彼女は何かを待っているように惚けていたのだ。狐がそこに案内してくれたように思う。ずっと寝ていたが、その妖怪が煩くうろつき回るので目が覚めてしまったことを覚えている。
「私が傍に座っても宜しいかしら?」
彼女は承諾した。
私は傘を畳み、巨大な樹の根元に背を預けて、座り込む。
ああ、花だ。
ああ、雪だ。
風が私の周りを、花弁を引き連れて舞を奏でる。
落ちて来る落ちて来る無数の花びらが、音楽の様に心に染み渡る。
「如何して此処にきたのかしら?」
「私も丁度その疑問を抱いていたところよ」
花弁の中に埋もれながら、私達は同じような事に考えを巡らす。
彼女は矢張り彼女が死んだときと何から何まで同じ格好をしている。花に埋もれているところも。寂しげで切なげな表情をしているところも。何もかも。
御侍様は居ないけれども。私は泣いても、
叫んでも居ないけれども。
「なんででしょうね…」
私はその呟きに答えない。
知っているからだ。
私が物置から見たくも無かった古い赤い傘を引っ張り出して、来たくも無い夜の西行妖を訪ねたのは、多分。
目の前に居る彼女、いやその下に埋まっている富士見の娘、いや…友人が私を呼び寄せたのだということだろうと。
「これ、覚えてるかしら」
私は懐からあるものを取り出す。
それは今舞い散る花の色と同じ色を染め出した扇子。私に残ったもの。
彼女は首を振る。
花びらが頬から落ちた。その所作に可笑しさを感じて私は笑った。
そして、又懐にしまいこんだ。
「綺麗ね…」
ため息が自然に漏れ出した。
ずっと避けてきた夜の花宴だった。
未だに心のざわつきは消えない。
だが、それでも綺麗だった。素敵だった。
でも、それでも、忘れられない。
私が初めて泣き叫んだ日のことを。
夜の闇の中彼らが手にしていた、焔とそれに照り返った刃の色を。
彼女が寂しげに笑っていた顔と、亡骸の上で花開いていた巨大な桜を。
赤い紅い血の色を。
春という季節を。
侍の慟哭を。
そして、彼女の名前を喉が嗄れるまで叫んだ事を。
RED Umbrella with CHERRY Fan and GHOST Princess
Is The End....
いや、誰もそんなことを記憶のうちに留めておくはずが無い。
まるでパンを食べた回数のように。
まるで人の血を吸った回数のように。
弾幕を張った回数のように。
酒盛りをした回数のように。
死に誘った回数のように。
でも。
私は覚えている。
叫んだ回数も。
叫んだ内容も。
夜。
ほの暗いほどの丑三つ時である。
季節。
花の満開に開く頃である。
傘。
朱に漆に染めた穴あきの唐傘である。
呪詛を打つ音は聞こえない。たとえば、木槌を振るう音。怨みを繰り返し語る音。松脂の燃える音。木が悲鳴を上げる音。魂魄が悲鳴を上げる音-
それら全て古いものは無い。
ただ、風がさわさわと木々の間を、言い換えるならば桜の葉と花の間を潜り抜ける音。それだけが聞こえる。
私は、何かを深く考えながら、それで居て何も考えずに眼前の少女に問いかける。
「花は咲いたのかしら?」
答えは返ってこない。
まるで少女は死んだ様に目の前で横たわっている。
否。
横たわっているのも正しい。目の前と言うのも正しい。
だが、説明する言葉が決定的に足りてはいない。
雪が降り積もり往く。
暖かい雪だ。
薄赤く白い雪だ。
私は上を見上げる。
夜空は微塵も見えず、見えるのは影に侵食された大樹の天蓋のみ。幾重に幾重に重なり合って、下のほうの枝だけが何とか見える。普通の木々の花を何百と集めようと、この妖の樹の花の数には達しないだろう。数だけではなく、美しさも、素晴らしさも、凄まじさも。
この庭の横幅と同じ高さがあるような気さえする。
馬鹿馬鹿しい。
「久しぶりね」
声が返ってきた。
酷く遅い。
「久しぶりよ」
私は答える。花の散るさまを見乍ら。
「大分咲いたわ」
八分咲きってとこかしら、と彼女は続ける。
「満開までは至らなかったようね」
「残念だけどね」
勿論、私は満開に咲く事等無いことを承知している。
「色々努力したらしいわね」
「実を結ばなかったわ」
「それでも花は綺麗に咲いたわ」
「だけれど花は戻らなかったわ」
私は思う。彼女は知っているのだろうか。
「花?」
「そう、花よ」
彼女はくすくす笑い乍ら、横たわって私を見詰める。
「限界を超えたかったのよ」
「ご立派ね」
「これはこれは、手厳しい」
彼女は微笑を湛えている。
私は微笑を浮かべているはずだ。
赤い口紅を塗ったような唇で、付け睫毛を嵌めたような瞳で、白粉を浮かしたような頬で、私は微笑を張り付かせているはずだ。
「本当は、興味が湧いただけ」
「その割には努力したのではないの?」
その割にはね、と彼女は寂しげに答える。
私は眩暈と悪寒を感じる。
赤傘を持つ手が震え、笑みを形作る皮膚の裏側の何かが酷くかき回される。
嫌な感触。
式を与えた者が死んでしまったときのような生臭い心地。
それと似ている。酷く似ている。
「富士見の娘。幽明境を別つ。西行妖。そして、」
私は知っている。
その言葉の先を知っている。
いや、識って居る。
嫌だ、と自分の内側から声が。
「花を」
既視感。
いや、そんな生易しいものではなく、
「持って」
観っている。
私がこの手で。私がこの耳で。私がこの口で。私がこの体で。この身体で-
「永遠に」
嫌だ。聞くな。
なんで此処まで来たんだ。
来るべきじゃないと分からなかったのか。
何故だ。何故だ。何故だ。
「転生し」
ああ、その先を。
その先を-
「苦しむことの無いよう…。」
赤い傘が、古臭くて、穴の開いた、
貴女から貰った
赤い傘が-当時の流行で-穴の開いてしまった
貴女から貰った唐傘が…
…手から滑り落ちた。
貴女は此処で死んでいた。
自尽した。
あの侍を残して。私を残して。扇子を残して。傘を残して。
丁度、今のような姿勢で。
其侭、今のような笑顔で。
「顔色悪いわよ?」
それは仕方の無いことだったように思う。
意志を持つものなら、自分を簡単に殺せるモノを恐れるのは当たり前なのだから。
そして同様に、貴女もその大量の人間を見て、世を儚むのも至極合理の話なのだから。
彼女は少し心配そうに私を見詰める。
私は大丈夫ですよと返事を返す。
あれから、侍も又消え去り、残ったのは扇子と私の嫌いな色の傘だけだった。
私は如何したのだろうか。何も覚えては居ないが、ずっと寝ていたようにも思う。
「この季節は何故かこの樹のねっこで寝たくなるのよ」
彼女はくすくす笑い乍ら、死んだままで私を見つめる。
「どうしてなんでしょうね」
私も笑う。
「どうしてなんでしょうね」
私は一瞬、貴女が寝ているその下にあるものを教えたくなった。
だが、そんなことはすまい。
言いたくないのだから。
「花が綺麗ね」
私は言う。
「こうして寝転がるともっと綺麗じゃなくて?」
死んだままの友人は言う。
青い着物を泥に汚すことも厭わずに。生前の頃と同じように。
私は古惚けた傘を拾う。
そういえば、私が再び彼女と出会ったのも、この妖の下であった。
二度と満開に咲かなくなったこの樹の下で、彼女は何かを待っているように惚けていたのだ。狐がそこに案内してくれたように思う。ずっと寝ていたが、その妖怪が煩くうろつき回るので目が覚めてしまったことを覚えている。
「私が傍に座っても宜しいかしら?」
彼女は承諾した。
私は傘を畳み、巨大な樹の根元に背を預けて、座り込む。
ああ、花だ。
ああ、雪だ。
風が私の周りを、花弁を引き連れて舞を奏でる。
落ちて来る落ちて来る無数の花びらが、音楽の様に心に染み渡る。
「如何して此処にきたのかしら?」
「私も丁度その疑問を抱いていたところよ」
花弁の中に埋もれながら、私達は同じような事に考えを巡らす。
彼女は矢張り彼女が死んだときと何から何まで同じ格好をしている。花に埋もれているところも。寂しげで切なげな表情をしているところも。何もかも。
御侍様は居ないけれども。私は泣いても、
叫んでも居ないけれども。
「なんででしょうね…」
私はその呟きに答えない。
知っているからだ。
私が物置から見たくも無かった古い赤い傘を引っ張り出して、来たくも無い夜の西行妖を訪ねたのは、多分。
目の前に居る彼女、いやその下に埋まっている富士見の娘、いや…友人が私を呼び寄せたのだということだろうと。
「これ、覚えてるかしら」
私は懐からあるものを取り出す。
それは今舞い散る花の色と同じ色を染め出した扇子。私に残ったもの。
彼女は首を振る。
花びらが頬から落ちた。その所作に可笑しさを感じて私は笑った。
そして、又懐にしまいこんだ。
「綺麗ね…」
ため息が自然に漏れ出した。
ずっと避けてきた夜の花宴だった。
未だに心のざわつきは消えない。
だが、それでも綺麗だった。素敵だった。
でも、それでも、忘れられない。
私が初めて泣き叫んだ日のことを。
夜の闇の中彼らが手にしていた、焔とそれに照り返った刃の色を。
彼女が寂しげに笑っていた顔と、亡骸の上で花開いていた巨大な桜を。
赤い紅い血の色を。
春という季節を。
侍の慟哭を。
そして、彼女の名前を喉が嗄れるまで叫んだ事を。
RED Umbrella with CHERRY Fan and GHOST Princess
Is The End....
なんでこんなに綺麗な作品が賞賛も批評も受けずに打ち捨てられているのです?
ほぼ一年遅れでつけた感想が、作者様のお耳に届くかどうか解りませぬが、とても良いバックストーリーでした。 幽々子の死を看取った紫、その後の思いが実によく書かれていると思います。
名前を出さぬ文術も、ピタリと決まっており、とても気持ち良く読めました。