Coolier - 新生・東方創想話

Kings of Megalith

2026/09/30 23:43:53
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    「美しい錦の上に京(みやこ)は作られる。それには大いなる犠牲が必要だった。」


                        『東方錦上京 〜 Fossilized Wonders.』








  |  Stargazer  |




月の都の宮城で私は自問自答する。いったいどこで歯車が狂ったのか。


月の宮城の玉座で私は自問自答する。どこでボタンを掛け違えたのか。


私がつぶやく。



「私って、いつから私だったっけ」



宮城のどこか一角で、誰かが私を呼んでいる。



「月夜見様!」



この月の都の宮城で、誰かが私を月夜見と呼ぶ。



「月夜見様!」



このがらんとした宮城で、誰かが私の名を呼びながら玉座の置かれた間を歩いてきた。



「月夜見様!」


「ああ……蓬莱山か」



私は玉座に身を沈め、頬杖をついたまま上の空で返事をした。蓬莱山、私の側近で禁軍の副官。あの大罪を犯した姫の縁者。それでも私は蓬莱山を傍らに置き続けている。あの姫の累はあの姫自身のものに過ぎない。だから、私は蓬莱山を傍らに置き続けた。あれからおよそ千年くらいにもなるか。実際よくやってくれている。



「何の用だ」



私は極めて鷹揚に聞いた。蓬莱山が何を伝えに来たのか私にはもう見当がついている。事実、月の都は先ほどから浮ついた空気に包まれていた。私の前で拝跪の礼を取りながら蓬莱山が恐る恐る口を開く。



「浅間浄穢山が……」


「どうした」


「崩落いたしまして……」


「知ってる」



私はこともなげに口にした。おおよそのあらましは既に管理者の豊姫から聞いている。ユイマン・浅間の奪取と磐永阿梨夜の失踪。先の異変からあまり間を置かず月のシステムに発生した連続的なエラー。おそらく偶然ではないだろう。



「お前ならどうする」



私は頬杖を突いたまま蓬莱山に聞く。するとそれまで相手のまとっていた雰囲気が一変した。



「お手上げですね。システムの中核と封印されていた石の女神が行方不明、挙句に外殻そのものが崩壊し真相をつかむよすがもない。現場は事態の収拾に東奔西走、おかげで綿月の姫君らは地下に釘付けときた……誰がこの都を守るのです?」



そのあけすけな言いぐさに私は思わず「ふふ」と満足の笑みを漏らす。



「私だよ」


「月夜見様と、我ら禁軍一同です」



私は再び「ふふん」と鼻を鳴らして息を吐いた。綿月の防衛隊と違って禁軍はあくまで月のトップの親衛隊。それが守るべきは月の都そのものではなく月夜見一人、即ち私だけであればいい。その私が都を守ると宣言した。そう決めたのだ。今、ここで。



「動きますか」


「うんにゃ」



出動を進言してくる蓬莱山に私は待ったをかける。今ここで私が動く意味を考えれば受け取られる結果は二つに一つだろう。つまり「親征」か「逃亡」か――第一、禁軍といっても規模はそこまで大きくない。月の都の全域をカバーするなど土台初めから無理な話だ。とすればこちらから動く理由はさほどなかった。



「動かずとも向こうから来るよ」


「なぜです?」



蓬莱山の問いに私は「ふっ」と呼吸をはさんで答える。



「私が月の都だから」



必然的にそうなるだろう。月人は穢れに脆弱だが無力ではない。そして向こうの狙いが月の都を支えるシステムであるなら、私が宮城の玉座にある限りあちらの狙うべきはここであり何もこちらから出向く必要はないのだ。



「迎え撃ちますか」



私が「そうしろ」と言わずとも、蓬莱山ら麾下の兵はそうするだろう。「できません」という返事は禁軍の沽券に係わるからだが、かといって「ああしろ、こうしろ」と指図するのも角が立つ。だから、私はこう言った。



「やってみなさい」


「応唯」



蓬莱山は一礼すると立ち上がって踵を返す。おそらく広間の外で控えている禁軍本隊に命令を下すために。それが八意永琳と作り上げた私のシステムだから――そこで私は自分が何を考えていたか思い出した。私って誰だっけ。



「私は私だよ、宇佐見蓮子」


蓬莱山が出て行った広間のがらんとした宮城で私は一人、口に出してそうつぶやく。ひと時たりとも忘れたつもりはなかったが、思い起こすのにずいぶん長い間を要した気もする。もしかしたら少し呆けたのかもしれないけれど、それでも鮮明に記憶していることは一つあった。ふと目を伏せれば、ここがどこで今がいつかを示す数字と共にあの日々の景色が浮かんでくる。二人が人として向かい合っていた最後の瞬間。あれから二千四百九十九万、九千五百年と幾有余。



「メリー、約束の日まで五百年を切ったよ」



誰にも届かない言葉が月の都の内に溶けて消えた。








  |  Who Passed the Torch  |




いつしか無意識の物思いに耽っていたらしい私は、周囲が異様な静けさに包まれていることに気付いてふと顔を上げた。先ほどまで都に漂っていた落ち着かない空気は一掃されたのか感じられない。玉座から禁軍の副官に声をかける。



「……蓬莱山?」



だが私の声はがらんとした宮城の内に反響するばかりで、肝心の蓬莱山はおろか取次役の一人すら出てくる気配はなかった。次第に頭の霧が晴れていく。その中でぼやけていた視界が結像し、世界のピントが合うと誰かが広間の入口に立っていた。二人。



「へえ」



最初に私の口を突いて出たのは感嘆だった。あの人影、まず蓬莱山のような月人ではない。たとえ見た目で分からずとも、二人のまとう雰囲気で察しがつく。間断なき発生と死滅に起因する穢れに満ちた、否応なく漂ってくる地上の匂い――穢れを徹底的に祓う月の都に似つかわしくないそれはこの侵入者が外の世界から引き込んできたものだと想像するに容易であり、そして私は豊姫の報告から二人の容姿を見知っていた。



「磐永阿梨夜」



私に名を呼ばれたそれは動じることなくこちらを見据えて立っている。徒手ではない。馬手にはまるで化石から削り出したような細身の刺剣が握られており、対する弓手には匿われるようにもう一人。私はそちらにも目を見やる。



「それと……ユイマン・浅間だね、もうこっちに来てたんだ」



私の向けた視線にユイマンがその身をこわばらせると阿梨夜が一歩前に出た。石仮面の奥にある瞳は暗く熱い意志を宿しており、片や守られる姫もこちらから目をそらすようなことはない。そんな二人の見せるいじらしさに自然、私の口角も持ち上がる。



「いつの間に……なんて聞くまでもないか。豊姫がここに来た時に潜り込めば済む話だもの」



今度の私の言葉は二人に少なからぬ動揺を与えたらしい。図星だな、と私は相手の腹を探る。その刹那、広間の天井の梁から二つの影が躍り出た。禁軍の中でも隠密の技に秀でた刺客による完全な奇襲。だが月の暗部の刃が届く前にユイマンが動いた。その胴に巻き付く蛇が身体をしならせながら飆風弧を描いて矢を打ち出し、阿梨夜に襲い掛かろうとしていた者を貫く。


一方、ユイマンに狙いを定めていた刺客の片割れはすんでのところで放たれた矢を弾いたが着地に余分な隙を生じることとなった。そこに阿梨夜が懐から抜き出した短刀を投擲しとどめを刺す。石の女神の通力で研ぎ澄まされたであろう石造りの鋭利なダガーは寸分たがわず襲撃者の急所に吸い込まれ対象はその場に崩れ落ちた。再び宮城に静寂の帳が訪れる。



「やるね。蓬莱山はどうした」


「殺してはない、でも……恒久の眠りから覚めることは二度とないだろうね」



私はようやく侵入者の声を聴いた。そのトーンが内包しているのはぞっとするほどの冷気。だというのに、私が覚えたのは背筋を駆け上がる興奮と喜びだった。



「私が憎い?」



はやる気持ちを抑えるために玉座のひじ掛けを掴みながらそう問いかける。憎まれていて当然だろう。ユイマンを浄化のための道具として浅間浄穢山のシステムに組み込むよう命じたのも私なら、月への協力を拒んで障害となった阿梨夜を封印させたのもこの私。現在の状況を積み上げてあらゆる犠牲の根源となった月夜見という存在は、月の都を永遠のものにするためならいかなる手段をも講じてその礎としてきたのだ。しかし阿梨夜の返事はそうではなかった。



「いいえ、もはや貴方を恨むことに何の意味もない。私たちがここに来た理由はただ一つ――憎しみではなく、この理不尽を終わらせるためよ」


「そのためにこの都を……月の歴史を停止させます」



阿梨夜の言葉を継いだユイマンがそう宣言すると身にまとった蛇を引き絞って投擲姿勢を取る。奇襲する刺客を仕留めて見せた矢じりの投射、それは過たず私の眉間に狙いを定めた必殺の一撃だ。回避する術など未だ玉座に寄り掛かった私にあるわけもなく、遠からず私と背もたれを縫い付けるだろう。甘美な予測に私の口は裂けるほどの笑みを浮かべる。



「あはっ」



思わず歓喜の声が漏れた。阿梨夜の目が驚愕と共に見開かれるが、それは恐らく破滅的な願望を目の当たりにしたせいではない。広間に響き渡る破裂音。ユイマンの放った矢が玉座の前方、私から五間ほど先の空中で弾かれあらぬ方へ飛び去っていく。



「障壁!?」


「違うね」



端正な顔を驚愕でゆがめる阿梨夜に私の相槌は雑音も同然か、と思う。だが一足早くこのトリックの種に思い至ったらしいユイマンが悲痛な声を上げた。



「そんなはず……月のトラップなら検知できる、でも……これは、まさか……」



そう、二人が気付かなかったのも無理はない。長らく月人の管理下にあったとはいえ、元はどちらも穢れを孕んだ地上の存在。妖力で編まれた眼前の結界は月の力によるものではない。だから、察知するのが遅れたのだろう。理由は二つ。この現象が月の都にありえないはずのイレギュラーだったこと、地上の存在はありふれた自分たちの匂いに気づきにくいことだ。それでもユイマンが真っ先に理解に至ったのは穢れを浄化するフィルターとしての役目を務めた故か。



『出雲八重垣 妻込めに』


『八重垣造る その八重垣を』



私は張り巡らされた結界を制御する式に見とれていた。



「八雲立つ、か――」



構成空間たった四層、障壁枚数十六面、総交点四十八、内部形状ほぼ円形。用いられた式は極めて簡素でありながら巧みに位相をずらすことで十重二十重にも張られた結界と同等の強度を持たせてある。下に恐ろしきはその展開速度、攻撃が放たれてから式を編んで発動させるなど生半可の芸当でできることではない。


さらに目の前の二人を取り囲むよう張られた結界の中、空間のある一点が微細な振動を始めたことで通路の展開される予兆が示されている。その波紋のような振動が空間そのものの分子結合を瞬時に引き裂くように広がることで気圧の下がった空気中に水蒸気が発生し、やがて完全に異次元へと繋がる回廊を形成した。



「ずいぶんと無茶をするね」



そんな感想とは裏腹に私の気分はこれ以上ないほど高揚していた。極低温の霧を払って通路を開いた張本人が月の宮城に姿を見せる。おそらく、斃された者の穢れをマーカーに地上から強引な接続を試みたのだろう。跳躍距離、約四十万キロメートル。そうまでして私に会いに来てくれた客人。彼女と顔を合わせるのは久しぶりだ。



「第一次月面戦争以来かな、メリー」



鮮やかな不言色の髪とコントラストをなす菫色の服。豊かな毛先を結ぶ緋色のリボン、白いキャップ。減圧によって生じた風が彼女の裾を揺らす。月の都では何かと知られた地上の妖怪、八雲紫。でも私だけは覚えている。彼女の過去を。彼女の以前の姿を、本当の名前を。彼女が人間だったこと、私と同じ冥い街に住むただの大学生だったことを。



「マエリベリー・ハーン」



それが、私たち二人で結成したオカルトサークルのメンバーにして大切なパートナーだからだ。








  |  Who Burned It All  |




阿梨夜たちとの間に立ちふさがった紫/メリーは結界の向こうで私に背を向けていた。特に構えを取ることもなく体側で脱力した両腕は自然な佇まいを装っている。ただし、半身を傾けた含胸抜背の姿勢は油断ならない。重力に対し垂直となった背筋と首はそこを軸として受け攻めどちらにも転じることのできる形であり、戦闘に際して懸かれば流され退けば寄られる剛柔相済の挙措を生む。無論、四方を見渡すのにも有利な体勢だ。



「貴方は……」



無限に続くかと思われた沈黙を破って阿梨夜が最初に口を開く。



「何のためにここへ」



二人に面識があるかどうかはわからない。ただ、少なくともメリーの介入はこの場にいる者にとって予想外のアクシデントだったはずだ、私も含めて。それでも相対する者が地上の存在であることは誰の目にも明白だろう。故に阿梨夜とユイマンは疑問に思うに違いない。なぜ地上の妖怪が月の都との間に立ちはだかるのか、と――メリーが答えて言う。



「それを知らせる必要もそちらが知る必要もありませんわ、ですが……恒久をつかさどる女神と維曼国の姫君。ここは私に免じて矛を収め、ひとつ退散しては貰えないだろうか」



悪いようにはしないと言外ににじませながら彼女はそう切り出した。阿梨夜が問い返す。



「何を……なぜ私たちのことを」


「さるお方から阿梨夜様に会ったらよろしく、と」



そのメリーの返答を聞くなり阿梨夜が気色ばんだ。ユイマンも怪訝な表情を浮かべる。



「あなっ……綿月の差し金か!貴方も地上の存在のはず」


「なぜ月と謀り、かばいだてするのでしょうか」



だがメリーはそのどちらにも答えず二人の前で片膝をつき頭を垂れて、ただ一言。



「平に」



それを見て私はなるほど、と得心した。地上にある浅間浄穢山に囚われてかかりきりの豊姫がメリーに事態の収拾を依頼したというわけか。判断としては悪くない。同時にこの懇願が豊姫の要請であったとしてもメリーの心奥から出たものであることは想像に難くなく、もし二人が食い下がればさらに両膝を突いて地に叩頭すらしてみせる――そういった気迫さえ感じられる。ただそんな態度とは裏腹に張られた結界は一分の緩みさえも見当たらず、それが表すものは紛うことなき不退転の意志だ。つまり彼女はこう示している。見逃してやるからここから去れ、と。



「悪いけど乗れないね、その相談」



体を斜に向けた阿梨夜が化石の刺剣を持ち上げ横に薙ぎ払うような仕草。切っ先はメリーにぴたりと向けられ彼女の正中を指して止まり、ユイマンも身体に巻き付けた蛇を拡げつつ阿梨夜の間合いから注意深く距離を取る。二人が戦闘態勢に入ったのを受けてメリーもその場で三尖相照して立ち上がるが、しかし彼女の眼は二人を油断なく見つめて離さない。おそらくどちらかに気を取られた瞬間、もう一方から致命的な攻撃が飛んでくるだろう。


こういった勝負は得てして後の先の取り合いになる。人ならざる者同士の決闘は尋常の者の果し合い以上に相手がどんな手の内を隠し持っているか予測がつかないせいだが、その意味において八雲紫と呼ばれる妖怪の戦型は比較的知られていると言っていい。何しろ千年以上前から活動し、月でもその名を聞かぬ者はいない存在だ。


翻って彼女の対手となる阿梨夜とユイマンは浅間浄穢山に関わる秘中の秘、知るものが極端に少ないために対抗手段を心得る月人は無きに等しい。故に禁軍は後れを取ったに違いなかった。私は秘密を知る側として数少ない例外だった蓬莱山に思いをやる。二人の話を聞く限り、既に敗れているはずだ。


先手を取って動いたのは阿梨夜だった。踏み込みと同時に放たれる鋭い突き技。繰り出された剣の切っ先がメリーの喉元首筋を掠め去り、初撃を外したとみるや阿梨夜は手首を返しての斬撃に移行する。が初手を身体軸の回転で躱したメリーはバレエダンサーのような身のこなしで続く二手目も巧みに回避し、距離を取ると共にユイマンの射線に阿梨夜を挟む足運び。数的不利のうちに多数を相手取るには理想的な位置取りだが刺剣を引いて溜めの姿勢を作る阿梨夜の動きに私は何らかの作為を感じ取った。



「気を付けろ、メリー」



そうつぶやくが早いかユイマンの蛇が身をくねらせ、阿梨夜の右半身にある化石の翼の皮膜を突き破ってメリーを襲う。刺客を斃したときの動作から決め手にはやはり連携を狙うだろうと予想したが、まさか三手目で目くらましを用いた速攻をかけるとは。どうやらこの二人に戦いを長引かせる気はないらしい。


メリーは身体をひねると同時に片手で蛇体をいなすが、それは致命的な不意打ちを避けきれなかった証でもある。体幹をかばって蛇腹を受け止めた腕は高速擦過によって構成する組織を半ば削り取られるも、人外の身であるために血が噴き出したりはしない。しかし肉体的な損傷は強靭な再生力を持った吸血鬼でもなければ瞬時に復元するなど不可能だ。姿勢を崩すまいと虚歩の型を取る彼女の顔に苦痛がにじむ。動きが止まった。


ユイマンの打つ手はそれだけにとどまらず防御を打破した勢いのまま蛇頭が旋回、攻撃が瞬時に拘束へと変わりメリーの身体を絡め取る。と、そこに阿梨夜が刺剣を構えて飛び込んだ。ユイマンに貫かれた皮膜を自ら引き裂くことすら厭わぬ必勝を期したとどめの一手。味方の技による負傷すら織り込んだ捨て身の特攻、たとえ五体の一部を砕こうと己が生き残り命を取ればそれで勝てる道理である。


だがメリーはそこから一歩も動く気配はなかった。確かに蛇に巻き付かれ身動きを封じられてはいるが、その程度で拘束できる彼女ではない。でなければ豊姫もフェムトファイバーなど用いはしないだろう。それにメリーがこの宮城に姿を現して以来、あれから得意とする空間操作を見せていないのも何か妙な――そこで私は彼女の思惑に気が付いた。


一見大人しく裁断を待つかのような態度はメリーの罠だ。猛攻に屈したかのように見えて、その実彼女の套路は歇歩を取り安定させた体躯に膂力を蓄えている。さらに調息、体内に横溢した気を巡らせることで研ぎ澄まされた神経は目前に迫る切っ先すらその意の中に捉えているだろう。やはり後の先を取ったか。私は次の一撃で勝負が決するのを確信した。既に神速の突きを放っている阿梨夜は引くこともかなわないだろう。どのみち仕留められないならここで詰む。


そこで再びユイマンが動いた。どうやらメリーの手練手管を見抜いたのは私だけではないらしい。手元の蛇を手繰ることで伸ばしていた胴をうねらせ、メリーに向けて突進する阿梨夜に接触させてその軌道を強引にずらした。剣閃があらぬ空を切る。



「ははあ」



やるわね、と私は感嘆の息を吐く。メリーの正中を狙った阿梨夜の突きは彼女の急所を過たずえぐっていたに違いなく、それが初めから互いの狙いでもあったのだ。阿梨夜が必殺を目論めば、頼りとするは俄然最も強力な刺突の技になる。となれば刺剣の進路上にスキマを置いておけばよい。あとは機を見て経路を繋げば相手の攻撃がそのままカウンターになる。それを見極めるためにメリーは敢えて動きを止め阿梨夜が出るのを誘ったわけだ。


それにしても反射攻撃の起点となる超空間通路の生成を察知して即座に相方を撥ね飛ばすことでメリーの伏撃を防ぐとは、厄介なサポートが付いたものだと思案する。一方、決死の一撃が空振りに終わった阿梨夜は即座にステップを踏んでメリーに向き直ると今度は刺剣を構えるより先に左体側の化石から焦熱の火を放射した。あの肋骨状の松明、どうやらただの飾りではなかったようだ。宮城の床と空間を扇状に嘗め尽くす炎の嵐は面で防ぐ程度ではどうにもならず、それを見越しての飽和攻撃。ノータイムでの追撃としてこれ以上ないタイミングでのやり方と言っていい。


だが相手はあの「八雲紫」であり、一度手の内を見せたからにはもったいぶるような真似はしないだろう。それがメリーの性格だから――そう思った刹那、結界の内側に大量の白煙が立ち込めて視界がホワイトアウトした。同時に突風を叩きつけられた阿梨夜とユイマンが顔を覆う。爆薬や化学兵器の類の使用を疑うこともできるが、私の見立てによればあれは水蒸気。それも混じりけのない純水によるものだ。阿梨夜の放った炎に多量の純水液体が接触することで迅速な冷却消火が行われたに違いなく、強烈な風はその副産物。そしてあれほどの水量を貯えている場所といえば私が思い当たるのは一つしかない。月の海。



「まったく、人の庭をなんだと思ってるのよ」



いずれにせよ結界はいまだ強固に機能を果たしている。メリーが敗れたという判断を否定する材料はそれで十分だ。やがて霧が晴れ視界が戻ってくると、まず阿梨夜の姿が現れた。濃密な水蒸気雲を浴びたことで全身から水を滴らせており、片手の袖で髪をぬぐっている。次いでやや離れたところにユイマンとメリーが姿を見せるがやはりどちらもずぶぬれで、そしてユイマンはメリーに羽交い絞めにされていた。



「ユイマン!」



阿梨夜が悲痛な声を上げる。メリーはスキマから上半身を出した状態で背後からユイマンの動きを封じていた。どこに足場があるのか皆目見当もつかないが、組み付かれたユイマンのかかとが浮いているところを見ると逃がす気は完全にないらしい。メリーはその状態でユイマンの耳元に口を寄せ、二言三言何かを囁くとユイマンの顔が引きつった。



「いやだっ!」


「ならばこの清澄なる巨石<月>より疾く往ね!」



ユイマンの拒絶とメリーの宣言。二つの絶叫が月の宮城に反響し、声の主が同時に動いた。メリーがユイマンをスキマに引き込もうとする。



「阿梨夜!月の都に恒久を!」



ユイマンは泣きながらそう叫ぶと阿梨夜の炎で焼き切れていた蛇の胴体を高速で再生させ自らの胸を撃ち抜き、メリーの体にその毒牙を届かせていた。








  |  Cries of Lotus  |




ユイマンが叫んだ。



「阿梨夜!月の都に恒久を!」



同時に、いまだ胴に巻き付いていた蛇の残滓が高速で再生しユイマンの胸郭を貫いて――その牙は確かにメリーの体を捉えている。



「メリー」



私は思わず彼女の名を呼び、側卓に立てかけてあった短穂剣を鞘ごと掴むと玉座から駆け出していた。鞘に纏わせた剣帯が引っかかって愛用の酒器や香座が卓上から弾き飛ばされるその合間にもメリーの張った結界が早鐘を打つように明滅を始め、その間隔が次第に短くなるとついにひときわ強く輝き砕け散る。



「メリー!」



私の口からもう一度彼女の名前が迸った。ユイマンを拘束する腕が緩み、メリーの身体が後ろに傾いでいく。操者の胸を貫いていた蛇の頭は今や光の粒子となって分解し始め、ユイマンはそのままうつぶせに倒れこんだ。一方メリーはスキマから滑り落ち、強かに背中を打ち付ける。彼女の両手はみぞおちを抑え、口は酸素を求めるかのように痙攣を繰り返し、その目は苦痛によって見開かれていた。



「メリー!しっかりして!」



ようやく彼女のもとにたどり着いた私は発作の症状を見せるメリーが舌を噛まないよう手近なものを探り寄せる。とっさに手に取った剣帯を彼女の口に押し込み、次に創傷の処置に取り掛かろうとするがすぐに手の施しようがないことを知った。ユイマンは穢れを浄化して月の都に送り込むためのフィルターだ。故に先ほどの一噛みによってメリーの穢れを吸い取り、浄化し、再び送り返したのだろう。穢れを活力とする地上の妖怪にとってユイマンのサイクルで浄化された情報、それは致命的な劇毒以外の何物でもない。



「そんな、メリー……」



目を閉じ、剣帯を噛んだまま浅く速い呼吸を繰り返す彼女に私は何もできず呆然と自失するしかない。何か穢れとなるもので清浄の毒を中和しようにも、この月の都にそんなものがあるわけなかった。頼みの綱となる豊姫はここにおらず、地上に手が届くもう一人の存在は目の前で瀕死に陥っている。生命力の象徴である蛇、その意外な再生力を侮っていた――そんなことを考えても何にもならない。すべては遅きに失していた。



「メリー……」



そこでふと首筋に鋭い剣気があてられるのを感じた私は振り返りもせずに言う。



「磐永阿梨夜か」



おそらく、ユイマンの傍らに立って刺剣の切っ先を私の背に向けているに違いない。そのままいっそ貫き通してしまえばいいものを、剣より先に己が意を示さねば収まりがつかないということか。なるほど、なかなかどうして律儀な性格をしている。そこまでユイマンの手向けに私の血を咲かせたいのなら、付き合ってやらぬ道理もない。いいだろう、メリーの胸に当てていた私の手が彼女の身体に預けた短穂剣の鞘に伸びる。



「すぐ戻るよ、メリー」



だから、待っていて。私はできるだけ穏やかな声を彼女にかけると、胸を押さえ全身を痙攣させるメリーの頬を一撫で。次いで柄を取って剣帯を彼女に噛ませたまま鯉口を切り鞘走り。刷颯と剣身が音を立てて出鞘、展剣。抜き放たれた刃が水蒸気の残滓を切り裂き月光の如く煌めいてその怜悧さを宮中に漲らせ、残心。剣尖から伝った水滴が剣根を濡らして滴り落ちる。



「ふふっ」



何がおかしいのか、のっぴきならない状況だというのに笑みがこぼれた。こんなことなら真面目に蓬莱山に稽古をつけてもらっておくんだったと今更悔いてもはじまらない。私は立ち上がると阿梨夜の方へ向き直り、剣柄を浅く握りこむ。


向こうは既に刺剣を突き出し、徒手は引き絞るようにしてこちらを見据えていた。体側右の化石の羽は被膜が破れ、炎をともしていた左の松明はメリーとの戦闘によって既に白化し崩れ去っている。やはりあの大技はあちらにとっても一度きりの切り札だったらしい。阿梨夜が冷たく言い放つ。



「構えなさい」


「生憎、体を動かすのは苦手なのよ」



対する私は特に構えを取ることなく剣を携えた手を下げ、反対側の手で見よう見まねの剣印を結んだ。阿梨夜があの体勢で突き込んでくることは知っていても生半可な功で対処できるものではない。後の先を取れるかどうかすらも怪しいだろう。ならばこちらが先手を取るしかない。私が動く。


左脚と剣腕を上げ、右脚で地を蹴り左で踏み込む。両腕を交差させつつ下段からの掬い上げるような剣勢。技の起点が見え切ったそれは当然、阿梨夜の刺剣で受け止められるがそれは想定の範囲内だ。ここから押すか引くか、どちらにせよ反撃を誘う隙になる。相手の出方を待つまでもなく私は剣を絡めながら突きに入り、阿梨夜はそれを躱そうと後ずさった。こちらの切っ先を届かせるにはおそらく脚を入れ替え踏み込んでも足りないだろう。

躊躇すれば今度は向こうが攻め手にとって代わるに違いない。ならばと剣は突き出したまま下肢を旋転、勢いを溜めた後に上体をひねって両腕と胸を開き大きく円を描くような片手右胴打ち。弓歩で残心。あまりにも隙を晒した力任せの大技だが阿梨夜は何かを感じ取ったのか護拳で受けきった。



「ぐうっ」



剣撃を止めた阿梨夜が顔をゆがめる。



「やっぱりね。見ての通り私の剣は素人だから――」



直後。私の剣閃が通過した線上に沿って謁見の間の敷物が一文字に斬り裂かれて裏返り、阿梨夜の右翼が床に落ちた。



「本気で受けないとほんとに死ぬよ?」



そう告げると体の重心を入れ替え崩剣、云剣、点剣を交えた套路に入る。左右虚実の斬撃から手足急所を問わぬ突き。どれも形ばかりのものだが甘く捌いた瞬間、過剰な殺傷力に化ける殺し技だ。同時に、攻め続けることでしか阿梨夜の技を封じる手段を私は持たない。双方にとって極めて危険な死の舞踏。それは相手を防戦一方に追いやることでしか保てない命綱だ。この套路が途切れた時に私の命運も尽き果てる。だが一合を重ねるごとに徐々に阿梨夜の体力も削れてきているように見えた。



「哈っ」



裂帛の気合いと共に放たれた横薙ぎ一閃、阿梨夜は身をかがめながら掲げた刺剣で受け流すが背後にあった宮城の梁を支える柱は剣圧によって両断された。相手はその隙を見計らいがら空きになった胴を目掛けて突きの姿勢。しかし私は燕返しの撩剣で追い打ち、向こうはすんでのところで攻撃を諦め飛び退る。ここまでおよそ十数手といったところか、ようやくお互いの間合いが開く。



「ふっふん」



こなれてきた剣の扱いを披露しつつ反握背剣の型で収勢し私は手と膝をついた阿梨夜に話しかける。



「どうかな?私の力に耐えうる月の都の業物は。それと視力にはちょっと自信があるんだ」



そう問われても全身に薄傷をつけた阿梨夜は肩を喘がせ息をするのが精いっぱいだ。私はもう少し喋ることにした。



「まさかこれで終わりじゃないよね、恒久の姫。そっちはユイマン・浅間を助けるために幻想郷の時間すら止めて見せたんだし」



その言葉が届くや否や阿梨夜が歯噛み、刺剣を取る手に力が込もるのが見て取れる。



「なんてことないよ。私が個人的な目的のために地上に犠牲を強いたように、あなたも自分の目的のために幻想郷を巻き込んだだけだもの」


「わたっ、私は……」


「私<月の都>とは違う、とでも?」



なんとか言葉を絞り出そうとする阿梨夜に対し、私はメリーに目をやりつつ追い打ちをかけるように言う。



「わかっていたでしょ。あなたが時を停滞させて、その間に私たちがユイマンを再起動する手はずだった。あなたはそれに乗って地上の人も神も妖怪も――」


「言うなっ!」



そう叫ぶが早いか阿梨夜が地を蹴り身体が跳ね上がった。そこから繰り出してくるのは見るからに精彩を欠いた無様な突き。私は構えなおした剣で無造作に刺剣を絡めとり、いなし、反対側の徒手で殴りつけた。



「幻想郷を止めたのはあなただよ、磐永阿梨夜」



私は阿梨夜の刺剣を弾きながらさらに舌鋒で痛めつける。



「無論それを決めたのは私だけど、月の都を存続させるのにユイマンは必要なシステムだよ。だからあなたもユイマンを壊さないために賛同した」



阿梨夜が再度打ちかかってくるが、もはやその剣には型も何もない。私は容易く打ち落とした。



「幻想郷の賢者<八雲紫>も受諾したけど、それは月との取引材料だからじゃない。私と彼女の目的、私たちの約束、すべては二人であの時代に戻るため。それには月の都の維持が不可欠だったってわけ」



大上段からのなりふり構わぬ降り降ろしを受け止めるのみならず続く崩剣で剣身を叩き折り、剣穂で頬打ち、空いた胴に蹴撃を入れる。



「何の因果か私は八島と呼ばれる地の発祥に立ち会い、メリーは東の国の神話が生まれる瞬間に飛ばされたわ。ただの人間にすれば永遠のような二千五百万年、私には時間と場所がわかるからどうやって元の時代まで生き延びればいいか途方に暮れたよ。でも八意XXとの巡り合わせで私の進む道は決定づけられた」



吹き飛ばされたまま仰臥して宙を見つめる阿梨夜の襟首をつかみ、無理やり引き起こす。



「地上に八島ができ、生命が生まれ始め、次第に穢れがあふれるようになり、月人と呼ばれるようになる前の存在は永遠の寿命を失いかけ、そこで私は永琳からある計画を打ち明けられた。地上を離れ月へ移住し、その地殻と物理的空間で穢れを遮蔽して永遠を取り戻す。そうすれば私も二千五百万年後まで生きられる――それが月への遷都<月夜見>計画」



そこでようやく阿梨夜が口を開いた。



「貴方は……同じだったのか、私たちと」



私は「ふ」と息を漏らす。



「同じと言えばメリーとユイマンこそが、そうだよ」



ユイマン。その名を聞いた阿梨夜の目が見開かれる。目の前にいる相手こそが彼女の仇だということを思い出したか。



「なんでメリーが八雲ゆかり、なんて名乗っていると思う?八雲は出雲にかかる枕詞。境界の見えるメリーは古代の出雲に飛ばされ、そこで占いの真似事をして静かな時を過ごしていた。でもあるとき大和の軍勢が押し寄せ国譲りを迫り、船で漁に出ていたメリーは船を踏み傾けて波間に消え――次に姿を見せたときには生と死の境界が無くなって、生きても死んでも居ない状態<ネクロファンタジア>の大妖怪になっていた。でもそれも私が差配した結果だよ」



阿梨夜の顔が恐怖に歪んでいく。大和王権の中枢に綿月の血筋を送り込んだのも、その大和を首班にメリーが身を預けていた出雲を歴史書通り滅亡させるよう仕向けたのも、諏訪で鹿狩りをして安穏と暮らしていたユイマンを奪い去り洗脳して月の浄化装置のフィルターとして組み込んだのもすべて私の差し金だと知った顔だった。だが。



「もし……貴方が私を見つけたときに、私が恒久の力で貴方の時を止めていれば……」



私の告白を聞いて尚、震えながらそう言える阿梨夜は、やはりこんな復讐など向いていない性格だったのだろう。そんな彼女を動かすにはあと一歩が必要だった。



「人間だった頃のメリーの瞳には何が映ってたと思う?」



これが最後のひと押しとなるに違いない。



「月の都、だよ」



次の瞬間、私のみぞおちには阿梨夜の持っていた刺剣の残り半分が護拳の手前まで滑り込み、深々と突き刺さっていた。



「ただの、人間が……途方もない時間の果てに飛ばされ……二千五百万年先の……未来に、帰るには……」



恐怖にかられた阿梨夜の手は刺剣の柄を握ったまま硬直している。それでもこの先の言葉を紡ぐために、どうにか気力を奮い立たせなければ。私は意識と身体を支えるために、刺剣を握る彼女の手に自分の手を重ね合わせた。



「そして二千四百、九十九万……七千五百年後に見つけたメリーと……揃ってあの時代に戻るには……どうすれば、いいと……」



喉の奥から血があふれてきてもう呼吸すらままならない。手から短穂剣が滑り落ち、何の感情かわからない涙が滂沱のごとくあふれてくる。でもあと少しだ。



「今から、五百年後……私たちは、流行りの月面ツアーに行こうとして……二人で、無邪気に話し合って……」



こうなってしまったことへの自嘲か、それとも何もかもやりきったという満足か、もはや判別もつかない吐息が「ふっ」と漏れると同時に力が抜けて私の身体は崩れ落ち――そしてメリーに抱き留められた。



「もういいのよ、蓮子」



そのメリーも私の身体を支えきれず、二人重なって月の宮城の床に倒れ伏す。それでも彼女は最後の力を振り絞るようにして私の胸に縋り付き、顔を埋めるようにしてつぶやいた。



「もう、いいの……」


「うん……そうだね、メリー……」



もはや自由が利かなくなりかけている腕を動かし、私はメリーの手に触れ、そしてメリーも私と同じように手を握り返そうとする。二人の親指が絡み合い、やがて手が固く結ばれた。



「長かったね、蓮子」


「うん」


「どのくらい待った?」


「あんまり」


「うそつき」


「嘘じゃないよ、ほんの……」



そこで私はメリーの目が閉じていることに気付いて、息を吸うと今一度彼女の手を握り締めた。



「すぐ行くよ、メリー」



なんてことはない。私の今までの二千五百万年弱と、彼女の二千年強に比べれば、今度の遅刻は二分もかからないだろう。ふと動く気配に目を巡らせれば、すでに動かなくなったユイマンを胸に抱きかかえた阿梨夜が月の宮城の謁見の間を玉座に向かってゆく。一段、また一段と階を登る恒久なる石の女神。新たな王の戴冠だ。私はどこか呪いにも似た祝福を彼女たちに投げかけると意識を手放した。もう二度と目覚めることはないだろうけれど、それはどこか深い安らぎを伴うような――








  |  Infall  |




動くものが何一つなくなった月の都、その宮城、謁見の間に純狐は何憚ることなく踏み込んだ。



「都の結界が消失したから何かあったかと見に来てみれば」



純狐がここに至るまでの道のりにも乱闘の痕跡はあったものの、それらは月の兵士が何者かによって無力化されていたにすぎない。だがこの謁見の間ときたらどうだ。明らかに斃された刺客。その向こうで尽き果てている月人と地上の妖怪。外と比べてもあまりに穢れに満ちた空間に純狐は胸の底から愉悦の笑みが込みあげる。これが静謐な月の都のあり様か、ざまあないではないか嫦娥よ。


倒れている者の素性を検めようと近づくと、地上の妖怪の方はあの八雲紫であることに気が付いた。幻想郷の賢者がこんなところで終わりを迎えているとは異なこと、と訝しむ間もなく月人の方にも思い当たる。ほう、あの月夜見までもが。なるほど、道理で都の結界そのものが機能しなくなったわけだ。それにつけてもなぜこの二人が共に、まるで睦み合っているかのような表情で――そんな感傷もすぐにどうでもよくなると純狐は二人に向けた掌に霊力を集中させる。


見知らぬ間柄でもない妖怪に思うところはあるが月人の片割れと添い遂げた形とあらば容赦する理由も特にない。第一、命数はとうに尽きているのだから文句をつける手合いはないも同然。掌中に流し込まれ凝縮された霊気の奔流はそれを押さえつける力場とせめぎあい不安定に脈打ちながら揺れ動いている。触れれば一切を昇華せしめ光の柱に変える純化の力、殺意の百合。


だが意もなく放たれたはずのそれが対象を消滅させるどころか二人の表面で力が拡散し雲散霧消するのを見届けて純狐はいよいよ訝しがった。なぜ月夜見がすでに斃れ結界が消滅していながら、この都はあらゆるものが停止したまま形をとどめ続けているのか。先ほどの純化の力がかき消されたのは月の都がひけらかす不完全な永遠と一線を画している。となれば元凶たる何者かが生きて都にあり続けているに違いない。そこで純狐はさらに奥の座に目をやった。



「ほう」



果たして、そこに異変の首魁が物言わず鎮座していた。顔の半分を覆う石の仮面、崩れかけた化石の装飾。腕の中にはとうに襤褸と化している蛇を巻き付けた者を掻き抱いて。二人は玉座についたまま静かに目を閉じ、永遠よりもなお不変の時と共に眠っている。これが月の都を停止させた元凶か、と純狐は階を登り玉座の前に立つと指先を伸ばした。その手が触れれば純化の能力が対象の穢れを暴走させ即座に死に至らしめるだろう。だが。



「ふむ」



触れる直前で純狐は袖の中に手を引き戻すと、踵を返し階を降りる。



「面白い」



変化しないということは即ち死と同義であり、あれが玉座にある限り月の都は停止したまま恒久の時の中に何一つ朽ち果てたり消滅することはないだろう。それは不変の元凶を排除しない限り、誰も都に手出しできないことを意味している。あの憎き嫦娥や月人を滅ぼすにはまず玉座の化石をどかさねばならないが、そんな砂上の楼閣を倒すより造作ないことを易々と片付けてしまうには惜しさを覚えた。この空間で起こったであろう出来事がどこか仙霊の興をそそるのもまた事実だ。



「嫦娥よ、この都を崩したものに免じて一旦はこの場を去ろう。しかし嫦娥よ。しばし惰眠をむさぼれど、いずれ私の気が変わった時が――」



純狐はそうごちると紫と月夜見にも一瞥をくれながら謁見の間を後にした。








  『Kings of Megalith』  <了>



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AS-17
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