「おはよう妖夢」
「あ、おはようございます幽々子さま。
今朝は少しゆっくりでしたね。いま朝食の準備を……」
「待ちなさい妖夢。ちょっと、こっちへ」
「? はい、なんでしょう?」
「実はね、今日はちょっと、あなたに休みをあげようと思うの」
「え? ……え、ええ! 幽々子さま、それってどういう」
「どうって、文字通りの意味よ。休暇、休日、ほりでい」
「そんな……あの、私に何か至らぬところがあったのですか?
あったのならおっしゃって下さい、直しますから」
「そうじゃないってば。本当に、私からの感謝を込めてお休みをあげるの」
「……どういう風の吹き回しですか?」
「まぁひどい。お給金もないし休みもないって、天狗に漏らしたのはどこの誰かしら?」
「う……ど、どこでお聞きになられたんですか?」
「天狗から直接」
「(……あの新聞記者……)」
「そういうわけだから、今日は妖夢にお休みをあげる日にしたのよ。
おうちでゴロゴロしてても良いし、どこかへ遊びに行っても良いわ。とにかく、休んでらっしゃい」
「はぁ。では、ありがたく……」
※
そういうわけで、妖夢は白玉楼を出発した。
冥界を出て、今は湖のほとりの道をなんとなく歩いている。
あてはない。目的もない。
そもそも白玉楼で庭師の仕事をいただいてから、休日なんてもらったことがないのだ。急に休めと言われても、何をして良いのかわからない。
つまり、今妖夢が抱えている問題とは、
「休むって――どうやるんだろう?」
という事なのだった。
大体、白玉楼を出てきたのだって、主である幽々子さまにだらだらと弛緩した姿をお見せするのは気がとがめたからで、考えあっての事ではなかった。
湖からの肌寒い風に銀色の髪を揺らしながら、少女剣士はしばらく途方にくれていた。
その隣で、霊体の自分もやはり途方にくれている。
「あら、珍しい。こんなところで幽霊風情が何してるの?」
不意にそんな声がかかり、妖夢は警戒しながら相手を振り返った。
立っていたのは、銀髪姿のメイド。
十六夜咲夜――そういえば、ここは紅魔館の近くだったろうか。
メイド長は買い出しの帰りか、両手に袋入りの荷物を抱えている。
さて。
何をしているのかと聞かれても……。
「何も」
他に言いようがない。
どこか投げやりな妖夢の答えに、咲夜は訝しげな様子。
「何も? ますます珍しいじゃない。わざわざ冥界から出てきたのに、何の用事もないの?」
「……今日は、仕事をしなくても良いって」
「クビ?」
「クビじゃないっ! ただの休日よ」
苦笑しながら、とりあえず否定する妖夢だった。
一方の咲夜は、首をかしげたまま。
「ふぅん。しかし本当に、よほどの椿事ね。あの巫女より頭の春度が高そうな亡霊が、従者に休みなんて気の利いたことをね……」
「それは幽々子さまに失礼……まあ私も驚いたけど。だいたい、あなたの主だって従者に休みを出しているようには見えないのだけれど」
「ああ、それは別に。私が苦にしてないから良いのよ。それにしても、せっかくの休日に、こんなところでうろうろしてて良いの?」
「う……それが。休むって言っても、どこで何をして良いかわからない」
情けない声で言う妖夢に、咲夜は笑みを見せた。
「あー、今まで休日なんてなかったから。そうね、私もお嬢様に突然休みなんかもらったら、ちょっと困るかも」
「うん。正直、何をすれば休んだことになるのか、わからなくて」
「そんなに堅苦しく考えることないじゃない。剣術の修行でもすれば?」
「それはダメ!」
突然強く言われて、咲夜はぽかんとした顔をする。
「駄目って……どうして?」
妖夢は、真顔で答えた。
「幽々子さまに命じられたのだから、休む以外の事はできない」
しばらく、銀髪のメイド長は道端で頭を抱えていた。
咲夜らしからぬ、はぁ、というため息。思わず心配してしまう。
「ちょっと、大丈夫? あなたが立ちくらみっていうのも珍しいけど」
「ええ、久しぶりにクラッと来た。あなた、頭が固いにもほどがあるわ」
「……どういう意味?」
「文字通りの意味。けど、そうね、こんなところで考え込むくらいなら、神社に行ってお茶でも出してもらいなさい」
※
博麗神社境内。
もう何度となく宴会に足を運んだので、場所としては馴染みだ。
もっとも一人でここを訪れるのは、例の鬼絡みの一件でいろいろ動いた時以来だった。
落ち着いた色合いの神社、その縁側に、紅白の蝶がとまっているのが見える。言わずと知れた、この神社の巫女博麗霊夢だ。
毎度のことながら、昼間の巫女はお茶を片手にぼうっとしていた。
「……あら、一人? 珍しいわね。もしかしてまた斬りに来たの?」
開口一番失礼なことを言う巫女の前に立って、妖夢は苦笑した。
まあ、前科のあることだから、文句は言えないのかもしれないが。
「今日は斬らない。その、なんというか……休みに来た」
「へぇ、つまり遊びに来たのね。いいんじゃない、そういうのも偶には。その辺に座ってて、今お茶いれてくるから」
軽く言って、巫女は神社の奥へ。
妖夢はどこか落ち着かないような気分で、そんな霊夢を見送る。ちょっと躊躇の末、縁側に座った。背中から、剣の鞘が床にあたるコツンという音。
しばし、ぼうっと落ち葉だらけの境内に目をやる。
庭師を生業としている妖夢としては、なんだかムズ痒い景色だ。手入れの行き届いていない場所、というのはどうにも気になって仕方ない。
けど、ガマンしなければ。今日は休まなければならない妖夢なのである。
「冥界のお茶ってさ、これと味ちがうの?」
「いや。そんなに変わらない気がする」
話題といえばそんなのばかり。
霊夢と並んで縁側でお茶を飲むものの、妖夢の落ち着かない気分はちっとも晴れない。
話題が尽きると、霊夢は黙って庭に視線を投げる。
無言のまま、時おりお茶をすするだけ。けれど別に、退屈しているわけではなさそう。むしろ微かに機嫌が良さそうだったりする。
そうして、このまま放っておけば居眠りでも始めるんじゃないか、と呆れかけたところで、
「そろそろお昼だし、ついでだからご飯食べてく?」
「え? あ、でも、ご馳走になりっぱなしで悪いし」
「心配しなくても、財政難だからおにぎりしか出ないわ」
思い出したように、またこんな会話が交わされたりする。
昼食の申し出を断ると、巫女はまた視線を庭や、空や、まわりの木々に向けながらお茶を味わう。
カサカサと落ち葉が庭をすべっていく。時たま、くるくると輪を描いて踊った。
これが、休むということだろうか。
妖夢は難しい顔でそんなことを考えていた。
たしかに働いてはいないし……つまり体は休まっているんだろう。
けれど居心地はあまり良くない。
気持ちは張り詰めたままで、かえって疲れてしまいそうだ。
うーん、と腕組みして眉間にしわを寄せているうちに。
「おお? 珍しいやつがいるな」
上空から颯爽と乗りつけるホウキ。そこからひょいとスカートを揺らして飛び降りるのは、白黒こと、霧雨魔理沙だ。
「この秋空に幽霊がお茶とはねぇ。霊夢のサボタージュが伝染したのかな」
「失敬ね。こう見えても鋭意勤務中よ」
場違いな明るさで言う魔理沙と、お茶を飲みつつ素っ気なく受ける霊夢。
普通の黒魔術少女は、気にした風もなく巫女の隣に腰掛けた。
「ああそうかい。しかし取り合わせが辻斬り幽霊と巫女だろ、怪しいぜ。何か悪巧みか?」
「いつもながらひどい言われようだな。今日はわたしは休みに来ただけ」
「冥界じゃ休めないのか?」
「そうじゃなくて……」
顔をしかめつつ、結局妖夢はことの成り行きを二人に話す。
もはや性分なのか魔理沙はすぐ茶々を入れ、そのたび霊夢が突っ込みを入れる。仲の良いことで。
そして。
さして長くもかからず成り行きを話し終えると、二人は顔を見合わせた。
「つまり、休み方が分からないってこと?」
「ははっ。ならここに来たのは正解だぜ。なんせ霊夢は、休憩にかけては幻想郷一だ」
「重ねて失敬ね。他にもいるじゃない、夜しか起きてないやつとか、死神とか」
「ふふん。休みすぎで仕事をサボるようなのは論外だ。霊夢は休みながら仕事もできてるって、褒めてるんじゃないか」
「あら、そうなの?」
「そうだぜ。ま、境内の掃除ってユルい仕事しかないけどな」
「やっぱりけなしてるんじゃない。結構大変なのよ、巫女の仕事」
会話が勝手に進んで行って、妖夢は置いてけぼりだ。
「……えぇっと」
「ん? ああ、そうだ妖夢の話だった。しかしなぁ、改めて’休むってどやるんだ’なんて聞かれても、わりと困るぜ。大体、さっきお茶飲んでたじゃないか。あれは休んでた、で良いんじゃないのか?」
「そうなんだけど……気分的に、かえって疲れる」
「だいぶ重症ね。永遠亭に行って睡眠薬でももらってくれば?」
霊夢は思いつきでそんな助言をする。が、妖夢の表情は晴れない。
「別に、寝たいわけじゃないし……」
「いいじゃないか。悩むくらいなら寝てしまった方がマシだと、休憩の権威である霊夢先生はそうおっしゃってるんだ」
「……魔理沙。あんまり好き勝手なこと言ってると結界に封じるわよ?」
キュピーン。
「あー。わかった、私が悪かったぜ。だからそのニードルをとりあえずしまえ」
「わかればよろしい」
「私はよろしくないぜ」
まったく懲りてない魔理沙の応対に、霊夢はやれやれと肩をすくめる。
そんな様子を見つつ、妖夢はゆっくりと縁側から立ち上がった。
「お茶、ごちそうさま」
「ん、もう行くの? もっとゆっくりして行けば?」
「いや……またどこか適当に歩いてみる。今度また、幽々子さまと来た時にはゆっくりさせてもらうから」
「あいつにゆっくりされるのは、あんまり歓迎できないけど」
霊夢は苦笑して、境内を出る辺りまで見送ってくれた。
「ま、そのうちどっか、気の休まる場所が見つかるわよ。たまには一人、どっか景色の良いところでぼーっとするのも悪くないものね。じゃ、気をつけて」
そんな言葉をもらって、博麗神社をあとにした。
さて、どこへ行こうか。
※
あてのないまま、林道を歩く。
やはりどこか困惑しながら進む妖夢のあとを、律儀に半身の霊がついてくる。
「……」
霊夢の言うように、どこか見晴らしのいい、落ち着ける場所を探そうか。
けれどお休みは今日一日だけ。あまり遠くまで行っては、白玉楼に戻るのが遅くなってしまう。明日からまたお仕えするのに支障が出てはいけない。
そんな事をつらつら思うと、足が鈍ってしまう。
「永遠亭にでも寄るか……けど、あの竹林は迷うし……」
呟きつつ、うつむいて歩く。
おかげで、声をかけられるまで、その相手に気づかなかった。
「あら妖夢、散歩?」
「え? あ、紫様……こんなところで珍しい」
正面に立っていたのは、八雲紫だった。
妖夢は思わず首をひねった。まだ昼だ。目の前のスキマ妖怪がお天道様の下に出てくること自体、滅多にない。なんといっても、究極の夜型生活者なのである。
道士風の前掛けに日傘をさした大妖怪は、底の知れない笑みを浮かべて妖夢を見る。
「”こんなところで珍しい”のは、お互い様でしょう?」
「まぁそうですけど。それにしても、何の用事でしょうか」
「聞いたわ、妖夢。今日はお休み、フリーなのでしょう」
「え、えぇ。それが何か?」
「ちょうど良いわ。うちの掃除を手伝ってちょうだい」
「……は?」
絶句。
「藍も働いてはいるんだけどね、屋敷の方が広すぎて。どうしても取りこぼしが出てしまうの。妖夢が手伝ってくれるなら、大掃除ができるわ」
「あの、いえ、でも……今日は私は休まないと……」
「あら。この私がじきじきのお願いなのに。妖夢ったら断るつもり?」
「……えぇっと」
悲しいかな。気分は半ば以上、断らない方に傾いていた。
なにせ、八雲紫の命令を断ったりしたら、後が怖い。それに妖夢は――理不尽な言いつけには慣れているのである。
「……わかりましたよ、もう……」
拗ねたように言って、妖夢はあらためてため息を吐いた。
そんなわけで、午後はすべて、マヨヒガの掃除に費やされた。
屋根の修繕からはじまって庭掃除、障子の張り替え、はたきがけに箒での掃きだし、そして今――
「……水、冷たいなぁ。みょん……」
廊下の雑巾がけが、ちょうど終わったところだ。
夕刻の空はもう茜色で、間もなく完全に日が沈むだろう。
さすがに疲れた。白玉楼でもここまで忙しくは働かない。妖夢の主は気まぐれで苦労させられたりもするけれど、性根はのんびり屋だから、下で働く自分もマイペースで仕事をすることはできる。
紫の式神である八雲藍に言われるまま、こんな矢継ぎ早に動き回ることはない。
「あ、終わったみたいだね!」
柱の陰から、不意に小柄な猫又が顔を出す。
「雑巾がけはこれで大体……」
「そう。じゃあこれでお終いだよ。おつかれさま~って、藍さまが言ってた」
にこにこしながら言う橙に、妖夢はほっと一息つく。
「よかった。じゃあ、私そろそろ帰らないと。いくらお休みでも、あんまり長く留守にしていられないし」
「まじめなんだね~」
「……幽々子さまをお屋敷に一人で放っておくのは、色々心配だし」
何をやらかすか分からないのだ。
「ふうん、苦労性なんだ。でも、お夕飯くらい食べて行くようにって、紫さまが」
そう言って、橙はこちらの顔をぐっと覗き込んでくる。
なんの気負いも邪気もない、丸い大きな瞳に見つめられて妖夢は迷う。
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えて」
「そうこなくっちゃ」
機嫌よくうなずいて、橙は先導するようにマヨヒガの奥へと歩いていく。後をついて行くうちに、いいにおいが鼻をくすぐるのを実感した。
「藍さまー! お夕飯食べて行っても大丈夫だって!」
「それは何より。手は洗ったわね? じゃあ、そこに座りなさい。もう準備が終わるから」
台所から手を拭きつつあらわれた九尾の狐が声をかける。が、妖夢はそちらを見る余裕がなかった。
視線は座卓の上。
所狭しと並べられた、必要以上に豪華な料理に釘付けになっていた。
「こ、こんなに贅沢なお料理ばっかり……」
唖然とする妖夢を見て、八雲藍は苦笑する。
「ああ、この料理のことなら気にしなくて大丈夫。珍しくはりきって、紫さまがあちこちから素材を集めてきたの」
「……紫さまが自ら、ですか?」
露骨に信用ならないという顔で聞き返してしまう妖夢だ。こう言ってはなんだが、かのスキマ妖怪、お世辞にも働き者とは言えない。
「興がのると張り切るのよ。いつかの月の異変の時もそうで……」
「ああ、聞いてます」
「紫様の気まぐれは、私なんかには計り知れないわ。それがあの方の深謀遠慮の証明でもあるんだけれど……いつ出かけるのかくらい事前に教えて欲しい気もしなくもないのよねぇ」
「あら、藍。何の話?」
特徴的な、二股にわかれたナイトキャップみたいな帽子の、その後ろ。いつのまにか、道師風の前垂れをした大妖怪の影が差していた。
式たる藍の、みるみる表情を引きつらせる様子が妖夢の目の前。
「えっと、えー、その……なんでも、あ、ありません。そ、そうだ、妖夢さん、お夕飯を食べて行かれるそうですよ」
唇の端をひくひくと痙攣させながらようやくそれだけを言う天狐だった。紫はそれを数秒間、尊大な笑みで見ていたが、やがて視線を妖夢に移す。
「そう。じゃあ、せっかくだからお料理が冷めないうちにいただきましょうか。藍、ほら、さっさと準備をなさい」
「は、はい……!」
大急ぎで走っていく式を横目に、紫は妖夢をせかした。相変わらずな様子の八雲一家に苦笑を浮かべつつ、橙と並んで席に座る。
料理は……おいしかった。
海の幸から山の幸まで、ふんだんに、惜しげもなく使われた食材たちに目移りしそうになる。どうせ紫が、スキマから取り出したんだろうと思うと若干食欲がにぶるけれど、ともあれおいしいのだから不満を感じようがない。
紫が、箸をあやつる手を止め、妖夢の方を見た。
「どう? 妖夢」
「え? あ、おいしい、です……」
思わずこちらも箸を止める。いつになく豪華な食事だからって、ちょっとがっつきすぎたかな、と反省した。
わずかに頬を紅潮させた庭師を見て、にこりと笑う。
「それは良かった。従者でもないあなたに仕事をさせてしまった分、これくらいの埋め合わせはしないと、と思って用意させたのだけれど。口に合ったなら、その甲斐もあったわね」
「あ。その、ありがとうございます……」
「ふふ。ねぇ妖夢。今、あなたがしているのが、”休む”っていう事よ」
不意に紫は、そう口にした。
「――え?」
「幽々子も人が悪いわ。あなたが困るのが分かってて、休めなんて言ったんだから。体が休みを欲していないのに、休め、なんて言われても困るわよねぇ」
「休み……え、紫さま、今の私は……休めて、いるんでしょうか」
思わず眉根を寄せて考え込んでしまう。そんな妖夢を見て、あなたもあなただけどね、と紫は苦笑した。
「たとえばね。あなた、二百由旬ある白玉楼の庭を、端から端まで全力疾走できる?」
「それは無理ですよぅ」
「無理だけど、全力で走り始めたとして。走っても走ってもゴールが見えなくて。そうしたら、あなたどうするかしら?」
「え? それは……息切れしてくるし、途中で止まって休み……あ」
「そういうこと。疲れて消耗した体や心の回復をはかるのが、休むってことでしょ? だから、疲れてもいない時には、休みようがないのよ」
――言われてみれば、当たり前のことだ。
なんだか拍子抜けしてしまって、妖夢はまじまじと紫の顔を見た。
紫は悠然とお茶を飲みつつ、
「つまり、この家のお掃除を一生懸命やったことで、ようやくあなたは幽々子の命じたとおり、休むことができたというわけね。わかった?」
と締めくくった。
妖夢は納得して、しみじみとうなずく。
要するに――良いようにうまく使われたわけね、と。
みょん。
※
紫と藍にお礼を言って、月明かりの中を家路につく。
はるか空の上にある門をくぐり、冷ややかな冥界の空気を吸ってようやく妖夢は自分が帰宅したことを実感。
白玉楼に入り、ほっと一息つく。長い一日だったなと、そんな気がした。
「幽々子さま~、遅くなりました、今戻りましたよ~」
「あら、妖夢。おかえりなさい」
思ったより近くから声がして、この屋敷の主が顔を出す。
「……」
「……」
「…………あの。どうされたんです?」
「何が?」
顔中を煤で真っ黒にした幽々子は、不思議そうに首をかしげた。
「ご飯を炊くのって大変なのねぇ。妖夢ったら、いつもこんなことをしていたの?」
「こんな無茶なかまどの使い方はしませんよ、もう」
ぎゅうぎゅうになって取り出せなくなっていた炭だの薪だのを竃から取り出しつつ、妖夢はこぼす。これじゃあ屋敷中煙だらけになったろう。
「はぁ。幽々子さま、とにかくここを片付けて、もう一度ご飯を炊きなおしますから。一刻ほどかかるかと思いますが……」
「えぇ~。ようむ~お腹すいたわよ私~。そんなに待てないわ~」
「誰のせいだと思ってるんですか……。はぁ、これじゃちっとも休暇になりませんよ、まったく」
「む。そんなに言うならいいわ、私がやるわよぅ」
「余計時間がかかります!」
苦笑しながら突っ込みを入れる妖夢だった。こんなやりとりが、白玉楼でかわされる全会話の五割以上を占める……そんな妖夢の日々である。いい加減どうにかならないものだろうか。ならないんだろうなぁ。
もはやあきらめの境地で掃除を続ける妖夢を、ふわふわ浮かんだ幽々子が後ろから覗き込む。
「でもなんか、悪いわね。お休みをあげるって言っておいて、こんな仕事させるのはなんだかすごく悪いことのような気がしてきたわぁ。ねぇ妖夢、明日もお休みにしてあげようか?」
「休日はもうけっこうですから」究極的な苦笑いを浮かべて、妖夢は振り返る「でも、どうせなら、週に一回お料理をお教えしましょうか? たまには自分で作ってみるのも楽しいですよ?」
「まあ、妖夢が教えてくれるのね? それは楽しそうねぇ」
白玉楼の夜がふけていく。
大変な一日だったけれど、いろいろとためになった楽しい日だったなと、妖夢は心の中で思い返したりした。
「あ、おはようございます幽々子さま。
今朝は少しゆっくりでしたね。いま朝食の準備を……」
「待ちなさい妖夢。ちょっと、こっちへ」
「? はい、なんでしょう?」
「実はね、今日はちょっと、あなたに休みをあげようと思うの」
「え? ……え、ええ! 幽々子さま、それってどういう」
「どうって、文字通りの意味よ。休暇、休日、ほりでい」
「そんな……あの、私に何か至らぬところがあったのですか?
あったのならおっしゃって下さい、直しますから」
「そうじゃないってば。本当に、私からの感謝を込めてお休みをあげるの」
「……どういう風の吹き回しですか?」
「まぁひどい。お給金もないし休みもないって、天狗に漏らしたのはどこの誰かしら?」
「う……ど、どこでお聞きになられたんですか?」
「天狗から直接」
「(……あの新聞記者……)」
「そういうわけだから、今日は妖夢にお休みをあげる日にしたのよ。
おうちでゴロゴロしてても良いし、どこかへ遊びに行っても良いわ。とにかく、休んでらっしゃい」
「はぁ。では、ありがたく……」
※
そういうわけで、妖夢は白玉楼を出発した。
冥界を出て、今は湖のほとりの道をなんとなく歩いている。
あてはない。目的もない。
そもそも白玉楼で庭師の仕事をいただいてから、休日なんてもらったことがないのだ。急に休めと言われても、何をして良いのかわからない。
つまり、今妖夢が抱えている問題とは、
「休むって――どうやるんだろう?」
という事なのだった。
大体、白玉楼を出てきたのだって、主である幽々子さまにだらだらと弛緩した姿をお見せするのは気がとがめたからで、考えあっての事ではなかった。
湖からの肌寒い風に銀色の髪を揺らしながら、少女剣士はしばらく途方にくれていた。
その隣で、霊体の自分もやはり途方にくれている。
「あら、珍しい。こんなところで幽霊風情が何してるの?」
不意にそんな声がかかり、妖夢は警戒しながら相手を振り返った。
立っていたのは、銀髪姿のメイド。
十六夜咲夜――そういえば、ここは紅魔館の近くだったろうか。
メイド長は買い出しの帰りか、両手に袋入りの荷物を抱えている。
さて。
何をしているのかと聞かれても……。
「何も」
他に言いようがない。
どこか投げやりな妖夢の答えに、咲夜は訝しげな様子。
「何も? ますます珍しいじゃない。わざわざ冥界から出てきたのに、何の用事もないの?」
「……今日は、仕事をしなくても良いって」
「クビ?」
「クビじゃないっ! ただの休日よ」
苦笑しながら、とりあえず否定する妖夢だった。
一方の咲夜は、首をかしげたまま。
「ふぅん。しかし本当に、よほどの椿事ね。あの巫女より頭の春度が高そうな亡霊が、従者に休みなんて気の利いたことをね……」
「それは幽々子さまに失礼……まあ私も驚いたけど。だいたい、あなたの主だって従者に休みを出しているようには見えないのだけれど」
「ああ、それは別に。私が苦にしてないから良いのよ。それにしても、せっかくの休日に、こんなところでうろうろしてて良いの?」
「う……それが。休むって言っても、どこで何をして良いかわからない」
情けない声で言う妖夢に、咲夜は笑みを見せた。
「あー、今まで休日なんてなかったから。そうね、私もお嬢様に突然休みなんかもらったら、ちょっと困るかも」
「うん。正直、何をすれば休んだことになるのか、わからなくて」
「そんなに堅苦しく考えることないじゃない。剣術の修行でもすれば?」
「それはダメ!」
突然強く言われて、咲夜はぽかんとした顔をする。
「駄目って……どうして?」
妖夢は、真顔で答えた。
「幽々子さまに命じられたのだから、休む以外の事はできない」
しばらく、銀髪のメイド長は道端で頭を抱えていた。
咲夜らしからぬ、はぁ、というため息。思わず心配してしまう。
「ちょっと、大丈夫? あなたが立ちくらみっていうのも珍しいけど」
「ええ、久しぶりにクラッと来た。あなた、頭が固いにもほどがあるわ」
「……どういう意味?」
「文字通りの意味。けど、そうね、こんなところで考え込むくらいなら、神社に行ってお茶でも出してもらいなさい」
※
博麗神社境内。
もう何度となく宴会に足を運んだので、場所としては馴染みだ。
もっとも一人でここを訪れるのは、例の鬼絡みの一件でいろいろ動いた時以来だった。
落ち着いた色合いの神社、その縁側に、紅白の蝶がとまっているのが見える。言わずと知れた、この神社の巫女博麗霊夢だ。
毎度のことながら、昼間の巫女はお茶を片手にぼうっとしていた。
「……あら、一人? 珍しいわね。もしかしてまた斬りに来たの?」
開口一番失礼なことを言う巫女の前に立って、妖夢は苦笑した。
まあ、前科のあることだから、文句は言えないのかもしれないが。
「今日は斬らない。その、なんというか……休みに来た」
「へぇ、つまり遊びに来たのね。いいんじゃない、そういうのも偶には。その辺に座ってて、今お茶いれてくるから」
軽く言って、巫女は神社の奥へ。
妖夢はどこか落ち着かないような気分で、そんな霊夢を見送る。ちょっと躊躇の末、縁側に座った。背中から、剣の鞘が床にあたるコツンという音。
しばし、ぼうっと落ち葉だらけの境内に目をやる。
庭師を生業としている妖夢としては、なんだかムズ痒い景色だ。手入れの行き届いていない場所、というのはどうにも気になって仕方ない。
けど、ガマンしなければ。今日は休まなければならない妖夢なのである。
「冥界のお茶ってさ、これと味ちがうの?」
「いや。そんなに変わらない気がする」
話題といえばそんなのばかり。
霊夢と並んで縁側でお茶を飲むものの、妖夢の落ち着かない気分はちっとも晴れない。
話題が尽きると、霊夢は黙って庭に視線を投げる。
無言のまま、時おりお茶をすするだけ。けれど別に、退屈しているわけではなさそう。むしろ微かに機嫌が良さそうだったりする。
そうして、このまま放っておけば居眠りでも始めるんじゃないか、と呆れかけたところで、
「そろそろお昼だし、ついでだからご飯食べてく?」
「え? あ、でも、ご馳走になりっぱなしで悪いし」
「心配しなくても、財政難だからおにぎりしか出ないわ」
思い出したように、またこんな会話が交わされたりする。
昼食の申し出を断ると、巫女はまた視線を庭や、空や、まわりの木々に向けながらお茶を味わう。
カサカサと落ち葉が庭をすべっていく。時たま、くるくると輪を描いて踊った。
これが、休むということだろうか。
妖夢は難しい顔でそんなことを考えていた。
たしかに働いてはいないし……つまり体は休まっているんだろう。
けれど居心地はあまり良くない。
気持ちは張り詰めたままで、かえって疲れてしまいそうだ。
うーん、と腕組みして眉間にしわを寄せているうちに。
「おお? 珍しいやつがいるな」
上空から颯爽と乗りつけるホウキ。そこからひょいとスカートを揺らして飛び降りるのは、白黒こと、霧雨魔理沙だ。
「この秋空に幽霊がお茶とはねぇ。霊夢のサボタージュが伝染したのかな」
「失敬ね。こう見えても鋭意勤務中よ」
場違いな明るさで言う魔理沙と、お茶を飲みつつ素っ気なく受ける霊夢。
普通の黒魔術少女は、気にした風もなく巫女の隣に腰掛けた。
「ああそうかい。しかし取り合わせが辻斬り幽霊と巫女だろ、怪しいぜ。何か悪巧みか?」
「いつもながらひどい言われようだな。今日はわたしは休みに来ただけ」
「冥界じゃ休めないのか?」
「そうじゃなくて……」
顔をしかめつつ、結局妖夢はことの成り行きを二人に話す。
もはや性分なのか魔理沙はすぐ茶々を入れ、そのたび霊夢が突っ込みを入れる。仲の良いことで。
そして。
さして長くもかからず成り行きを話し終えると、二人は顔を見合わせた。
「つまり、休み方が分からないってこと?」
「ははっ。ならここに来たのは正解だぜ。なんせ霊夢は、休憩にかけては幻想郷一だ」
「重ねて失敬ね。他にもいるじゃない、夜しか起きてないやつとか、死神とか」
「ふふん。休みすぎで仕事をサボるようなのは論外だ。霊夢は休みながら仕事もできてるって、褒めてるんじゃないか」
「あら、そうなの?」
「そうだぜ。ま、境内の掃除ってユルい仕事しかないけどな」
「やっぱりけなしてるんじゃない。結構大変なのよ、巫女の仕事」
会話が勝手に進んで行って、妖夢は置いてけぼりだ。
「……えぇっと」
「ん? ああ、そうだ妖夢の話だった。しかしなぁ、改めて’休むってどやるんだ’なんて聞かれても、わりと困るぜ。大体、さっきお茶飲んでたじゃないか。あれは休んでた、で良いんじゃないのか?」
「そうなんだけど……気分的に、かえって疲れる」
「だいぶ重症ね。永遠亭に行って睡眠薬でももらってくれば?」
霊夢は思いつきでそんな助言をする。が、妖夢の表情は晴れない。
「別に、寝たいわけじゃないし……」
「いいじゃないか。悩むくらいなら寝てしまった方がマシだと、休憩の権威である霊夢先生はそうおっしゃってるんだ」
「……魔理沙。あんまり好き勝手なこと言ってると結界に封じるわよ?」
キュピーン。
「あー。わかった、私が悪かったぜ。だからそのニードルをとりあえずしまえ」
「わかればよろしい」
「私はよろしくないぜ」
まったく懲りてない魔理沙の応対に、霊夢はやれやれと肩をすくめる。
そんな様子を見つつ、妖夢はゆっくりと縁側から立ち上がった。
「お茶、ごちそうさま」
「ん、もう行くの? もっとゆっくりして行けば?」
「いや……またどこか適当に歩いてみる。今度また、幽々子さまと来た時にはゆっくりさせてもらうから」
「あいつにゆっくりされるのは、あんまり歓迎できないけど」
霊夢は苦笑して、境内を出る辺りまで見送ってくれた。
「ま、そのうちどっか、気の休まる場所が見つかるわよ。たまには一人、どっか景色の良いところでぼーっとするのも悪くないものね。じゃ、気をつけて」
そんな言葉をもらって、博麗神社をあとにした。
さて、どこへ行こうか。
※
あてのないまま、林道を歩く。
やはりどこか困惑しながら進む妖夢のあとを、律儀に半身の霊がついてくる。
「……」
霊夢の言うように、どこか見晴らしのいい、落ち着ける場所を探そうか。
けれどお休みは今日一日だけ。あまり遠くまで行っては、白玉楼に戻るのが遅くなってしまう。明日からまたお仕えするのに支障が出てはいけない。
そんな事をつらつら思うと、足が鈍ってしまう。
「永遠亭にでも寄るか……けど、あの竹林は迷うし……」
呟きつつ、うつむいて歩く。
おかげで、声をかけられるまで、その相手に気づかなかった。
「あら妖夢、散歩?」
「え? あ、紫様……こんなところで珍しい」
正面に立っていたのは、八雲紫だった。
妖夢は思わず首をひねった。まだ昼だ。目の前のスキマ妖怪がお天道様の下に出てくること自体、滅多にない。なんといっても、究極の夜型生活者なのである。
道士風の前掛けに日傘をさした大妖怪は、底の知れない笑みを浮かべて妖夢を見る。
「”こんなところで珍しい”のは、お互い様でしょう?」
「まぁそうですけど。それにしても、何の用事でしょうか」
「聞いたわ、妖夢。今日はお休み、フリーなのでしょう」
「え、えぇ。それが何か?」
「ちょうど良いわ。うちの掃除を手伝ってちょうだい」
「……は?」
絶句。
「藍も働いてはいるんだけどね、屋敷の方が広すぎて。どうしても取りこぼしが出てしまうの。妖夢が手伝ってくれるなら、大掃除ができるわ」
「あの、いえ、でも……今日は私は休まないと……」
「あら。この私がじきじきのお願いなのに。妖夢ったら断るつもり?」
「……えぇっと」
悲しいかな。気分は半ば以上、断らない方に傾いていた。
なにせ、八雲紫の命令を断ったりしたら、後が怖い。それに妖夢は――理不尽な言いつけには慣れているのである。
「……わかりましたよ、もう……」
拗ねたように言って、妖夢はあらためてため息を吐いた。
そんなわけで、午後はすべて、マヨヒガの掃除に費やされた。
屋根の修繕からはじまって庭掃除、障子の張り替え、はたきがけに箒での掃きだし、そして今――
「……水、冷たいなぁ。みょん……」
廊下の雑巾がけが、ちょうど終わったところだ。
夕刻の空はもう茜色で、間もなく完全に日が沈むだろう。
さすがに疲れた。白玉楼でもここまで忙しくは働かない。妖夢の主は気まぐれで苦労させられたりもするけれど、性根はのんびり屋だから、下で働く自分もマイペースで仕事をすることはできる。
紫の式神である八雲藍に言われるまま、こんな矢継ぎ早に動き回ることはない。
「あ、終わったみたいだね!」
柱の陰から、不意に小柄な猫又が顔を出す。
「雑巾がけはこれで大体……」
「そう。じゃあこれでお終いだよ。おつかれさま~って、藍さまが言ってた」
にこにこしながら言う橙に、妖夢はほっと一息つく。
「よかった。じゃあ、私そろそろ帰らないと。いくらお休みでも、あんまり長く留守にしていられないし」
「まじめなんだね~」
「……幽々子さまをお屋敷に一人で放っておくのは、色々心配だし」
何をやらかすか分からないのだ。
「ふうん、苦労性なんだ。でも、お夕飯くらい食べて行くようにって、紫さまが」
そう言って、橙はこちらの顔をぐっと覗き込んでくる。
なんの気負いも邪気もない、丸い大きな瞳に見つめられて妖夢は迷う。
「……うん。じゃあ、お言葉に甘えて」
「そうこなくっちゃ」
機嫌よくうなずいて、橙は先導するようにマヨヒガの奥へと歩いていく。後をついて行くうちに、いいにおいが鼻をくすぐるのを実感した。
「藍さまー! お夕飯食べて行っても大丈夫だって!」
「それは何より。手は洗ったわね? じゃあ、そこに座りなさい。もう準備が終わるから」
台所から手を拭きつつあらわれた九尾の狐が声をかける。が、妖夢はそちらを見る余裕がなかった。
視線は座卓の上。
所狭しと並べられた、必要以上に豪華な料理に釘付けになっていた。
「こ、こんなに贅沢なお料理ばっかり……」
唖然とする妖夢を見て、八雲藍は苦笑する。
「ああ、この料理のことなら気にしなくて大丈夫。珍しくはりきって、紫さまがあちこちから素材を集めてきたの」
「……紫さまが自ら、ですか?」
露骨に信用ならないという顔で聞き返してしまう妖夢だ。こう言ってはなんだが、かのスキマ妖怪、お世辞にも働き者とは言えない。
「興がのると張り切るのよ。いつかの月の異変の時もそうで……」
「ああ、聞いてます」
「紫様の気まぐれは、私なんかには計り知れないわ。それがあの方の深謀遠慮の証明でもあるんだけれど……いつ出かけるのかくらい事前に教えて欲しい気もしなくもないのよねぇ」
「あら、藍。何の話?」
特徴的な、二股にわかれたナイトキャップみたいな帽子の、その後ろ。いつのまにか、道師風の前垂れをした大妖怪の影が差していた。
式たる藍の、みるみる表情を引きつらせる様子が妖夢の目の前。
「えっと、えー、その……なんでも、あ、ありません。そ、そうだ、妖夢さん、お夕飯を食べて行かれるそうですよ」
唇の端をひくひくと痙攣させながらようやくそれだけを言う天狐だった。紫はそれを数秒間、尊大な笑みで見ていたが、やがて視線を妖夢に移す。
「そう。じゃあ、せっかくだからお料理が冷めないうちにいただきましょうか。藍、ほら、さっさと準備をなさい」
「は、はい……!」
大急ぎで走っていく式を横目に、紫は妖夢をせかした。相変わらずな様子の八雲一家に苦笑を浮かべつつ、橙と並んで席に座る。
料理は……おいしかった。
海の幸から山の幸まで、ふんだんに、惜しげもなく使われた食材たちに目移りしそうになる。どうせ紫が、スキマから取り出したんだろうと思うと若干食欲がにぶるけれど、ともあれおいしいのだから不満を感じようがない。
紫が、箸をあやつる手を止め、妖夢の方を見た。
「どう? 妖夢」
「え? あ、おいしい、です……」
思わずこちらも箸を止める。いつになく豪華な食事だからって、ちょっとがっつきすぎたかな、と反省した。
わずかに頬を紅潮させた庭師を見て、にこりと笑う。
「それは良かった。従者でもないあなたに仕事をさせてしまった分、これくらいの埋め合わせはしないと、と思って用意させたのだけれど。口に合ったなら、その甲斐もあったわね」
「あ。その、ありがとうございます……」
「ふふ。ねぇ妖夢。今、あなたがしているのが、”休む”っていう事よ」
不意に紫は、そう口にした。
「――え?」
「幽々子も人が悪いわ。あなたが困るのが分かってて、休めなんて言ったんだから。体が休みを欲していないのに、休め、なんて言われても困るわよねぇ」
「休み……え、紫さま、今の私は……休めて、いるんでしょうか」
思わず眉根を寄せて考え込んでしまう。そんな妖夢を見て、あなたもあなただけどね、と紫は苦笑した。
「たとえばね。あなた、二百由旬ある白玉楼の庭を、端から端まで全力疾走できる?」
「それは無理ですよぅ」
「無理だけど、全力で走り始めたとして。走っても走ってもゴールが見えなくて。そうしたら、あなたどうするかしら?」
「え? それは……息切れしてくるし、途中で止まって休み……あ」
「そういうこと。疲れて消耗した体や心の回復をはかるのが、休むってことでしょ? だから、疲れてもいない時には、休みようがないのよ」
――言われてみれば、当たり前のことだ。
なんだか拍子抜けしてしまって、妖夢はまじまじと紫の顔を見た。
紫は悠然とお茶を飲みつつ、
「つまり、この家のお掃除を一生懸命やったことで、ようやくあなたは幽々子の命じたとおり、休むことができたというわけね。わかった?」
と締めくくった。
妖夢は納得して、しみじみとうなずく。
要するに――良いようにうまく使われたわけね、と。
みょん。
※
紫と藍にお礼を言って、月明かりの中を家路につく。
はるか空の上にある門をくぐり、冷ややかな冥界の空気を吸ってようやく妖夢は自分が帰宅したことを実感。
白玉楼に入り、ほっと一息つく。長い一日だったなと、そんな気がした。
「幽々子さま~、遅くなりました、今戻りましたよ~」
「あら、妖夢。おかえりなさい」
思ったより近くから声がして、この屋敷の主が顔を出す。
「……」
「……」
「…………あの。どうされたんです?」
「何が?」
顔中を煤で真っ黒にした幽々子は、不思議そうに首をかしげた。
「ご飯を炊くのって大変なのねぇ。妖夢ったら、いつもこんなことをしていたの?」
「こんな無茶なかまどの使い方はしませんよ、もう」
ぎゅうぎゅうになって取り出せなくなっていた炭だの薪だのを竃から取り出しつつ、妖夢はこぼす。これじゃあ屋敷中煙だらけになったろう。
「はぁ。幽々子さま、とにかくここを片付けて、もう一度ご飯を炊きなおしますから。一刻ほどかかるかと思いますが……」
「えぇ~。ようむ~お腹すいたわよ私~。そんなに待てないわ~」
「誰のせいだと思ってるんですか……。はぁ、これじゃちっとも休暇になりませんよ、まったく」
「む。そんなに言うならいいわ、私がやるわよぅ」
「余計時間がかかります!」
苦笑しながら突っ込みを入れる妖夢だった。こんなやりとりが、白玉楼でかわされる全会話の五割以上を占める……そんな妖夢の日々である。いい加減どうにかならないものだろうか。ならないんだろうなぁ。
もはやあきらめの境地で掃除を続ける妖夢を、ふわふわ浮かんだ幽々子が後ろから覗き込む。
「でもなんか、悪いわね。お休みをあげるって言っておいて、こんな仕事させるのはなんだかすごく悪いことのような気がしてきたわぁ。ねぇ妖夢、明日もお休みにしてあげようか?」
「休日はもうけっこうですから」究極的な苦笑いを浮かべて、妖夢は振り返る「でも、どうせなら、週に一回お料理をお教えしましょうか? たまには自分で作ってみるのも楽しいですよ?」
「まあ、妖夢が教えてくれるのね? それは楽しそうねぇ」
白玉楼の夜がふけていく。
大変な一日だったけれど、いろいろとためになった楽しい日だったなと、妖夢は心の中で思い返したりした。
「仕事をしなくてもいい→クビ」って咲夜さんまさか門番の人を・・・。
みょんらしくていい感じ。
要するに、何が言いたいのかというと、ウチにも一人庭師が欲しいな、と(ぇ
この台詞が良かったです。
>休む以外の事はできない
命令云々の束縛から解放されないと 休んでいることにならないのに、「休め」という「命令」に束縛されている妖夢がとても妖夢らしかったです。
なんというか温かくて、ゆったりできました
同じように下手そうな、咲夜の休暇も見てみたいかも。(笑)
読んでいてとても脳が休まるお話でした。
>鱸様
ご助言ありがとうございます。さっそく直すことにします~。
咲夜さんは妖夢とは違った意味で仕事に厳しそうだから……がんばれ中国。
>まんぼう様
ウチにも欲しいですが庭がないのでいかんともしがたいです。
みょんっぽさが出ていると読んで頂けたなら幸甚。
>BP様
逆を言うとそのワンアイディアだった面もあり。
2000点の壁は厚いなぁと思ったりしています。
次はもう少しひねった話を書いてみようかと画策中。
ともあれ、コメントありがとうございます。
>名前が無い程度の能力氏
私自身の「休みてぇ!」というオーラがつぎ込まれているので、
休養グルーヴだけは強力に込められているかもしれませんです(笑)。
まあでも、義務になってしまった休み、っていうのも
現代意外に多いような気もしたりして。
本当に休むべき時に休めてない自分に気づいたりもする今日このごろ。
>名無しな程度の能力氏
ありがとうございます~。
ゆったりだけが取り柄の話でしたが、ご一読いただけまして幸いです。
>れふぃ軍曹様
咲夜さんは器用なので、きっと瀟洒な休日を過ごされているような
気がしますw
それはそれとして、気が向いたら咲夜さんの話とかも面白いかも
知れませんね。考えておきます(笑)。
ではでは。重ねてみなさま、ありがとうございました。
次こそめざせ2000越え。
やはり『忠』というのは日本人の心をくすぐるモノです。
日本人がホッコリできる幻想郷の世界観、やっぱりいいモノです。