「神宝『蓬莱の玉の枝』!」
こうして、あなたが最も嫌うスペルが発動し、あなたの腹部を貫く。
「ごふっ……か、は……」
口から吹き出された鮮血が、あなたがまとう紅蓮の炎に照らされて、紅い軌跡を描く。
腹部からもあふれ出るそれは、滝となって大地に滴り、あなたはその中心でひざを屈する。
「ちく、しょう………あ……」
大した音なんてしない。
大地に倒れこんだあなたは、少しだけ痙攣し、そして動かなくなる。
本当にあっけない終わり。
殺し合いが行われていたなんて嘘みたいな、竹林の静寂。
わたしが一番嫌いな瞬間。
いや、瞬間なんて生ぬるい、もっと連続した、時間。
本当は大切にしたい。
誰よりも大切にしたいはずのその人を、この手で傷つけ、殺める瞬間。
わたしも地上に堕ちたものだと思う。
こんなにも誰かに執着し、それが叶えられないことに、身を焼かれるような思いをするなんて。
「ふふ……」
思わず笑みがこぼれる。
焼かれるような思いといえば、実際に焼かれているのだから当然だろう。
右腕を胸の前へ掲げてみる。
醜く爛れ、はがれかけの木の皮みたいに、皮膚が垂れ下がっている。
苛立ち混じりの暗い感情で、それを引きちぎる。
不快な音。
わたしはそれを地に投げ捨てると、右足で踏み込み、踏みにじった。
痛い、
痛い、
火傷が、外気に晒された肉が、悲鳴を上げそうなほどに、痛い。
だというのに、なのに、それでも……
この胸にべったりと張り付いて、ふつふつと熱を帯びている、胸の痛みのほうが、よほど耐えがたかった。
ああ、この痛みさえ引いてくれるなら、どんな辛辣な暴力も、凄惨な死をも受け入れる。
………それもまた、不死者であるからこその余裕なのかもしれないが。
わたしは事切れた妹紅の体に歩み寄り、その血潮の真ん中に腰を降ろす。
そして、彼女の体を抱き起こすと、そっと、その頭を、自身の膝の上に乗せた。
あなたの知らない。
けっして知りえない、わたしだけの秘密の行為。
この傷ならば、どんなに早くとも1時間。
その間だけ、あなたが息を吹き返すまで、たったそれだけの間だけ、あなたはわたしだけの大切な人。
そう、あなたを殺め、何もしゃべらず、笑わず、泣かず、ただ肉塊となっている、その間だけ。
妹紅とこうして殺しあうようになったのは、いつ頃だろう。
出会ったのは千と……数百年くらい前かしら。
いやあの時、わたしと妹紅は顔すら見合わせていないはずだ。
そういう時代だったし、別段縁もなかった。
けれど、出会いというならば、やはりあの奈良の時代ということになるだろう。
わたしに求婚を迫った、庫持皇子が娘。
父の大恥と、それが故の狂奔の仇。
最初に彼女は、わたしにそう宣言した。
そして殺し合いの日々。
けれど、そも退屈に耐え切れずに月から堕ちたわたしだ。
幻想郷での隠れ住む生活が与えてくれない、生の実感とでも言うべき高揚。
わたしはそれを重要視していた。
殺意を抱き、わたしの身を焼かんと迫ってくる妹紅の見開かれた瞳。
それがもたらす痛みが、屈辱が、わたしの心に火をともし、彼女への憎しみを生んだ。
しかしその殺し合いの、なんと生を実感させてくれたことか。
強制される死が、強制する死が、なんと色濃く生を際立たせてくれたことか。
もはや彼女は、不意をついては現れる、嫌気すべき敵ではなく、
わたしが生を感じるための、必要不可欠な映し鏡だった。
彼女自身も、わたしに対する復讐心よりも、そのような生の実感を求めていたのではないかと、今はそう思っている。
いや彼女の口から、それが事実であることは聞いたが、なんというか、もっと早くからわたし達の関係は、お互いのみを求めるようになっていた。
そうではないかと、わたしは思うのだ。
その気持ちは、今でも変わらない。
わたしが彼女に望むことが叶っても、殺し合いは必要なんじゃないかと、考えたりもする。
それでも、わたしはそれ以上に痛切な感情に、いつしか気付いてしまったのだ。
いや彼女だって気付いている。
だって、そうでもなければ、あの日あなたは、あんな話をするはずがなかったから。
だから、きっと、一方的な想いでは、ないはずだから……
今夜は満月だ。
もう満月を眺めて、月の都を思う時間は失って久しい。
むしろ満月にいた頃の自分を、哀れむ感情すら湧き上がる。
月は進んだ技術を持って、多くの真理を知ることができた。
それはこの狭い幻想郷の世界と比べて、なんと広大なことか。
それでも、やはりわたしは、この地上にあることを羨むと思う。
なぜなら、月は、確かに全てをよく見渡すことができたけれど、実際に関わることは、一切できなかったのだもの。
そういえば、あの日も満月だった。
弾幕の直撃をくらい、下半身を吹き飛ばされた彼女。
わたしは彼女に、とどめをさそうと近づいた。
そのとき彼女が、思いがけないことを呟いたのだ。
―――なあ輝夜、どうして私達は、殺し合ってんだろうなぁ……――
―――そんなこと、…………父親の仇、じゃなかったかしら?――
―――…………私はな、輝夜。父を好きだと思ったことは、一度もないんだ――
衝撃だった。
それまでの行為が、全て覆るような一言。
わたしは、会話もそこそこに息の根を止めてやろうと思っていた心情も失い、ただ呆然と妹紅の話を聞いていた。
彼女が望まれない子であったこと。
冷酷で権力欲にまみれ、母を省みることのなかった父を恨んでいること。
そして何よりも、一度として、父に愛されたことがないということ。
―――だったら、どうしてそんな奴の仇をとろうとするのよ――
―――ほんと、どうしてだろうなぁ……――
そう言ってその日の彼女は、事切れた。
わたし達の間では珍しい、静かな死に方だった。
それからだ、殺し合いの後に、わたし達が語り合うようになったのは。
それは、戦闘続行不可能な致命傷を与えた後の時もあったし、相手の復活を待ってからのこともあった。
どちらにしたって構わない。
ともかく、わたし達は殺し合いの後、多くのことを語り合った。
―――やっぱりさ、結局のところあんたは、父の仇を取るという行為を通して、愛されなかった自分を否定したいのよ――
―――だろうなぁ………。はは、父親に愛されなかった娘の、哀れな代償行為か――
何度目かの、妹紅と父親の関係に関する話。
そこでわたしは、残酷な事実を彼女に突きつけた。
そうだ。
正直なところ、わたしに復讐するという行為は、筋道こそたってはいても、妹紅にとってありのままの感情ではない。
あくまで愛されなかった自身の否定。
わたしのことがどうこうというより、妹紅自身の問題なのだ。
ただ、わたしはその結論を妹紅に示すことを、長くためらっていた。
復讐の対象であるわたしが、それを指摘することの違和感。
そして何よりも、この殺し合いが、………語り合いの時間が失われることへの恐怖感。
それがわたしに、妹紅に誠実に向き合うことを阻んでいた。
妹紅との時間は、既にわたしにとって得がたいものとなっていた。
それを失いたくは無い。
復讐の理由が希薄化することは、そのままこの時間が意味をなくす可能性を孕んでいた。
それはどうして嫌だった。
それでも、わたしがそのことを妹紅に告げたのは、嘘やごまかしというわけではなくても、不誠実であることが、我慢できなかったからだ。
妹紅は、………大切な人。
我侭姫だなんて言われるわたしも、そういう繊細な感情はある。
そんな大切な人に、きちんと向き合わないことは、どうしても納得できることではなかった。
案の定、憑き物の落ちたような顔で、穏やかな表情を見せる妹紅。
わたしは、和解の言葉を予感した。
―――ありがとう、輝夜。わたし独りじゃ、わかっていても、たぶん向き合えなかったな――
喪失の予感。
この大切な時間が、失われてしまう予感。
けれど妹紅は、まったく予想もしていなかった言葉を紡いだ。
―――また次の満月の晩、――
―――この場所で――
そこまで言って彼女の身体は、しゃべることを止めた。
以来、満月の夜、竹林の広場は、わたし達の逢瀬の約束となった。
互いの生を実感するため。
永遠の罪を一時でも忘れるため。
この、誰からも理解されることの無い、永遠の孤独を、癒しあうため。
殺し合いは、きっとまぐわいにも似た行為に。
語り合いは、きっと愛文の交し合いにも似た行為に。
………少なくともわたしは、そう思っていた。
―――なあ輝夜。わたしは人生を楽しむということが、分からないんだ。どうも何をやっても、一線を引いてしまってな――
―――それは………まあ、不死者には多少は仕方の無いことよ。けれど、そう思い込んでしまっている節もあるんじゃないの? なんだかんだ、心のうちでは、たいていのことを楽しんでるものよ――
―――そうかなぁ……――
―――ええ、そうよ――
―――そうなのかもなぁ……――
そしてあなたは、にっこりと笑って。
―――ありがとう輝夜、なんだか少し、生きることを楽しめそうだよ――
その笑顔を見ることが、本当に嬉しくて。
涙すら流してしまいそうだった。
………なのに。
わたしと妹紅、2人はずっと隣にいたはずなのに。
誰よりも理解し合えていたはずなのに。
あいつが。
あいつが突然……!
―――里に、理解者ができたんだ――
あなたの笑顔を見ることを、辛いと感じたのは初めてだった。
―――上白沢慧音といって、里の守護者をやってるやつなんだ――
あなたの話を聞きたくないと思ったのは、初めてだった。
―――白澤との半獣らしくてな、寺子屋で勉強を教えながら、歴史を編纂してる――
聞きたくないと思っているのに、どうしてか聞いてしまう自分がおかしかった。
次第に増えていく、“彼女”に関する話題。
そして、ある日恐ろしい宣告を受けた。
―――女同士で変な話なんだが、妙に……その、傍いたいと思ってしまってな。一緒に暮らすことになったよ――
やめて……!
―――真面目で責任感のあるやつなんだが、妙に抜けてるところもあってさ。わたしが支えてあげないとって、思うんだよ――
お願いだから、もうやめて……!
彼女の一言一言が、わたしの胸を切り裂いた。
それはどんな斬撃を受けても、感じたことのないほどの痛み。
ちりちりと焼けるような感覚。
それでいて、その奥で低温のどろどろとした液体が、胸全体を浸してゆく。
ああ、不思議ね。
何事にも関わっているような気が持てず、孤独だったあなたが、こうも簡単に、誰かと関わりあって生きていくことを選ぶだなんて。
やっぱり、好きな人を前にしたら、簡単に変われるものなのかしら?
だったら、わたしが数百年間あなたに伝えようとしてきたことは、それに劣ってしまうことなの?
ねえ、妹紅。
その隣にいる相手は………
わたしでは、駄目だったのかしら?
彼女の白髪を指ですく。
何度も、何度も、慈しむように。
とりとめのない思考は、どれほどの時間を消費しただろう。
たかだかこんなことのために、里で買い求めた懐中時計を取り出す。
妹紅が死んで57分……。
そろそろだろう。
わたしは妹紅の頭をそっと抱えると、地面の上に寝かせる。
そしてその傍らに変わらず正座して、じっと彼女が目覚めるのを待った。
呼吸の気配。
彼女の胸が上下して、その眼がゆっくりと開かれる。
「おはよう、妹紅。よく眠れた?」
「眠れたも何も、永眠ってやつだよ。そりゃぐっすりさ」
苦笑しながら片腕を支えに、血溜りから上半身を起こす妹紅。
服が裂けた腹部を見遣り、そして自らの地で染まったもんぺを確認して。
「しっかしお前、今回は派手な殺し方してくれたもんだなぁ」
「ちょっと苛々してたから、あんたの一番嫌いな蓬莱の玉の枝でね」
「ちぇっ、また慧音にぶつくさ説教されるな……」
誰に向けたでもない、小声の独り言。
けれどその言葉は、投じられたやいばのように明確な指向性を持って、わたしの胸元に突き刺さる。
痛い…………
「そういえば知ってるか? なんでも地底と地上が、本格的に交流を始めるらしいぞ。あんま私達と関わりはないが、やつらが地底に追われた経緯を実際に見た人間としては、意外に思われてな」
「ええその話なら、地底の管理者とかいう奴から直接聞いたわよ。なんでも、交流の一環として、地上の医療技術に関して永遠亭と繋がりが持てればとか。胡散臭かったけど、なかなか熱意のある奴でね、あっさり了承しちゃった」
「おいおい、実際に医療に携わってるのは永琳だろう。いいのかよ?」
「いいのよ。それに永琳も、地底の病気や薬物に興味津々みたいだったし」
「そりゃなんとも、度し難いな」
「ええほんと、度し難いわ」
そういって同時に笑い合って、はしゃぐ。
眼が合うと相手の安心感が伝わってくるような気がして、それが少し嬉しかった。
今日もたくさんのことを、わたし達は話す。
楽しかったこと、悲しかったこと、悩み、愚痴……。
色んなことを共有して、互いに品評し合い、参考とする。
時間はあっという間で、しゃべり続けていくうちに、夜は白けてくる。
………ああ、もう少しであなたは、あいつのもとに帰ってしまう。
だからわたしは、1つの提案をする。
傍にいる行為を独占する、あいつへのささやかな反抗として。
「ねえ妹紅、もうすぐ朝ね」
「ああ、もうそんな時間か」
「どう、今日は永遠亭に泊まらない?」
「んん?」
「お互い疲れてるでしょ? 兎たちに世話させれば、楽できるし、何より衣食住全て一級品よ」
「そりゃ、まあ、なぁ……」
妹紅は思案顔だ。
それもそうだ。
相手の家に泊まって、一緒に生活する。
そんなことはわたしと彼女の関係に、存在しない。
けれど、わたしそうあって欲しいのだ。
本当はもっと、こんな催しみたいな形じゃなく、本当に、一緒に。
………一緒に、支えあって生きていければって、思っているのに。
「悪いがお断りするよ」
「あら、どうして?」
「どうしても何も、私とお前はそんな関係じゃあないだろう」
…………どうして?
「私とお前は、あくまで殺し合いの相手。お前は私の仇。私はお前の敵。そうだろう?」
「………まだ拘るのね」
「……大事なことだと、私は思うけどさ」
そう、妹紅はいまだにその関係性から離れない。
そうじゃない関係を、造っていくことだってできるのに。
いったいどうして?
数百年間、ずっと隣にいて、あなたと色んなことを共有して、内面的に支えあって、たくさんたくさん、あなたのことを想ったのに、どうして?
………なんであなたの中のわたしは、憎い相手のままなの。
本当はあなたにとってだって、本当は……
「それに、慧音が心配する」
致命傷だった。
ああそうか、今日の殺し合いは、あなたの勝ちね。
今の一撃は、わたしの心を殺すのに十分だったから。
「悪いな……」
罰の悪そうな顔をする妹紅。
少しだけすがってしまう。
……でもやっぱり、そんな表情いらない。
そんな態度は、いらない。
だって、それでもやっぱり、あなたはわたしではなく、
………あいつを選ぶんでしょう?
「じゃあ、今日は帰るわ。また来月な」
「ええ、今度はわたしに勝てるといいわね」
「ぬかせ。燃やし尽くして素っ裸にしてやる」
「その時は、着替えを取りに行ってくれるんでしょう?」
「はは、まあな」
そして妹紅は、こちらに背中を向けた。
ゆるく掲げられた右腕。
それが別れを告げるために、軽く左右に2度振られた。
妙に気障な動作も、いつも通り。
そんなあなたは、あいつの前では、甘えた表情を見せるのかしらね。
1人取り残されたわたしは、ゆっくりと永遠亭の方へと足を向ける。
次に殺しあうまでの一ヶ月。
あの2人は、どれほどの時間を共有するのだろう。
互いに支えあい、多くの時間をともに過ごし、さらに理解を深め合うのだろうか。
ああそしたら、大切なあなたの中で、わたしの存在は、大切じゃなくなるのかしら。
大切なあなたが遠い。
誰よりも隣にいたはずの、誰よりも心が近しかったはずのあなたが、こんなにも遠い。
胸が痛い。
ああ、痛い。
顔を手で多い、眉間に思い切り力を入れてみても、それでも痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い………
………気を取り直して、希望の数を数える。
永遠を生きるもの同士の孤独。
それはきっと、お前には分かるまい。
それだけはきっと、侵されない領域。
なお私と妹紅は、心の上では近くにいる。
………そう信じていたい。
そして何よりも、お前は妹紅を置いて死ぬ。
それだけは、避けられない真実だ。
だからわたしは、待ってみせる。
いつか妹紅の隣からお前が消え去り、妹紅が誰か別の存在を求めるその時まで、待ってみせる。
そのための時間は、わたしにはいくらでもあるのだ。
それだけはわたしが、圧倒的に勝っている点なのだ。
………それでも、
きっと今日も昨日も明日もその次の日も、多くの事実を積み重ねていくだろう2人を想像して、
わたしの胸は、
また少しひび割れていくのだった。
痛い。
――――――――――
こうして、あなたが最も嫌うスペルが発動し、あなたの腹部を貫く。
「ごふっ……か、は……」
口から吹き出された鮮血が、あなたがまとう紅蓮の炎に照らされて、紅い軌跡を描く。
腹部からもあふれ出るそれは、滝となって大地に滴り、あなたはその中心でひざを屈する。
「ちく、しょう………あ……」
大した音なんてしない。
大地に倒れこんだあなたは、少しだけ痙攣し、そして動かなくなる。
本当にあっけない終わり。
殺し合いが行われていたなんて嘘みたいな、竹林の静寂。
わたしが一番嫌いな瞬間。
いや、瞬間なんて生ぬるい、もっと連続した、時間。
本当は大切にしたい。
誰よりも大切にしたいはずのその人を、この手で傷つけ、殺める瞬間。
わたしも地上に堕ちたものだと思う。
こんなにも誰かに執着し、それが叶えられないことに、身を焼かれるような思いをするなんて。
「ふふ……」
思わず笑みがこぼれる。
焼かれるような思いといえば、実際に焼かれているのだから当然だろう。
右腕を胸の前へ掲げてみる。
醜く爛れ、はがれかけの木の皮みたいに、皮膚が垂れ下がっている。
苛立ち混じりの暗い感情で、それを引きちぎる。
不快な音。
わたしはそれを地に投げ捨てると、右足で踏み込み、踏みにじった。
痛い、
痛い、
火傷が、外気に晒された肉が、悲鳴を上げそうなほどに、痛い。
だというのに、なのに、それでも……
この胸にべったりと張り付いて、ふつふつと熱を帯びている、胸の痛みのほうが、よほど耐えがたかった。
ああ、この痛みさえ引いてくれるなら、どんな辛辣な暴力も、凄惨な死をも受け入れる。
………それもまた、不死者であるからこその余裕なのかもしれないが。
わたしは事切れた妹紅の体に歩み寄り、その血潮の真ん中に腰を降ろす。
そして、彼女の体を抱き起こすと、そっと、その頭を、自身の膝の上に乗せた。
あなたの知らない。
けっして知りえない、わたしだけの秘密の行為。
この傷ならば、どんなに早くとも1時間。
その間だけ、あなたが息を吹き返すまで、たったそれだけの間だけ、あなたはわたしだけの大切な人。
そう、あなたを殺め、何もしゃべらず、笑わず、泣かず、ただ肉塊となっている、その間だけ。
妹紅とこうして殺しあうようになったのは、いつ頃だろう。
出会ったのは千と……数百年くらい前かしら。
いやあの時、わたしと妹紅は顔すら見合わせていないはずだ。
そういう時代だったし、別段縁もなかった。
けれど、出会いというならば、やはりあの奈良の時代ということになるだろう。
わたしに求婚を迫った、庫持皇子が娘。
父の大恥と、それが故の狂奔の仇。
最初に彼女は、わたしにそう宣言した。
そして殺し合いの日々。
けれど、そも退屈に耐え切れずに月から堕ちたわたしだ。
幻想郷での隠れ住む生活が与えてくれない、生の実感とでも言うべき高揚。
わたしはそれを重要視していた。
殺意を抱き、わたしの身を焼かんと迫ってくる妹紅の見開かれた瞳。
それがもたらす痛みが、屈辱が、わたしの心に火をともし、彼女への憎しみを生んだ。
しかしその殺し合いの、なんと生を実感させてくれたことか。
強制される死が、強制する死が、なんと色濃く生を際立たせてくれたことか。
もはや彼女は、不意をついては現れる、嫌気すべき敵ではなく、
わたしが生を感じるための、必要不可欠な映し鏡だった。
彼女自身も、わたしに対する復讐心よりも、そのような生の実感を求めていたのではないかと、今はそう思っている。
いや彼女の口から、それが事実であることは聞いたが、なんというか、もっと早くからわたし達の関係は、お互いのみを求めるようになっていた。
そうではないかと、わたしは思うのだ。
その気持ちは、今でも変わらない。
わたしが彼女に望むことが叶っても、殺し合いは必要なんじゃないかと、考えたりもする。
それでも、わたしはそれ以上に痛切な感情に、いつしか気付いてしまったのだ。
いや彼女だって気付いている。
だって、そうでもなければ、あの日あなたは、あんな話をするはずがなかったから。
だから、きっと、一方的な想いでは、ないはずだから……
今夜は満月だ。
もう満月を眺めて、月の都を思う時間は失って久しい。
むしろ満月にいた頃の自分を、哀れむ感情すら湧き上がる。
月は進んだ技術を持って、多くの真理を知ることができた。
それはこの狭い幻想郷の世界と比べて、なんと広大なことか。
それでも、やはりわたしは、この地上にあることを羨むと思う。
なぜなら、月は、確かに全てをよく見渡すことができたけれど、実際に関わることは、一切できなかったのだもの。
そういえば、あの日も満月だった。
弾幕の直撃をくらい、下半身を吹き飛ばされた彼女。
わたしは彼女に、とどめをさそうと近づいた。
そのとき彼女が、思いがけないことを呟いたのだ。
―――なあ輝夜、どうして私達は、殺し合ってんだろうなぁ……――
―――そんなこと、…………父親の仇、じゃなかったかしら?――
―――…………私はな、輝夜。父を好きだと思ったことは、一度もないんだ――
衝撃だった。
それまでの行為が、全て覆るような一言。
わたしは、会話もそこそこに息の根を止めてやろうと思っていた心情も失い、ただ呆然と妹紅の話を聞いていた。
彼女が望まれない子であったこと。
冷酷で権力欲にまみれ、母を省みることのなかった父を恨んでいること。
そして何よりも、一度として、父に愛されたことがないということ。
―――だったら、どうしてそんな奴の仇をとろうとするのよ――
―――ほんと、どうしてだろうなぁ……――
そう言ってその日の彼女は、事切れた。
わたし達の間では珍しい、静かな死に方だった。
それからだ、殺し合いの後に、わたし達が語り合うようになったのは。
それは、戦闘続行不可能な致命傷を与えた後の時もあったし、相手の復活を待ってからのこともあった。
どちらにしたって構わない。
ともかく、わたし達は殺し合いの後、多くのことを語り合った。
―――やっぱりさ、結局のところあんたは、父の仇を取るという行為を通して、愛されなかった自分を否定したいのよ――
―――だろうなぁ………。はは、父親に愛されなかった娘の、哀れな代償行為か――
何度目かの、妹紅と父親の関係に関する話。
そこでわたしは、残酷な事実を彼女に突きつけた。
そうだ。
正直なところ、わたしに復讐するという行為は、筋道こそたってはいても、妹紅にとってありのままの感情ではない。
あくまで愛されなかった自身の否定。
わたしのことがどうこうというより、妹紅自身の問題なのだ。
ただ、わたしはその結論を妹紅に示すことを、長くためらっていた。
復讐の対象であるわたしが、それを指摘することの違和感。
そして何よりも、この殺し合いが、………語り合いの時間が失われることへの恐怖感。
それがわたしに、妹紅に誠実に向き合うことを阻んでいた。
妹紅との時間は、既にわたしにとって得がたいものとなっていた。
それを失いたくは無い。
復讐の理由が希薄化することは、そのままこの時間が意味をなくす可能性を孕んでいた。
それはどうして嫌だった。
それでも、わたしがそのことを妹紅に告げたのは、嘘やごまかしというわけではなくても、不誠実であることが、我慢できなかったからだ。
妹紅は、………大切な人。
我侭姫だなんて言われるわたしも、そういう繊細な感情はある。
そんな大切な人に、きちんと向き合わないことは、どうしても納得できることではなかった。
案の定、憑き物の落ちたような顔で、穏やかな表情を見せる妹紅。
わたしは、和解の言葉を予感した。
―――ありがとう、輝夜。わたし独りじゃ、わかっていても、たぶん向き合えなかったな――
喪失の予感。
この大切な時間が、失われてしまう予感。
けれど妹紅は、まったく予想もしていなかった言葉を紡いだ。
―――また次の満月の晩、――
―――この場所で――
そこまで言って彼女の身体は、しゃべることを止めた。
以来、満月の夜、竹林の広場は、わたし達の逢瀬の約束となった。
互いの生を実感するため。
永遠の罪を一時でも忘れるため。
この、誰からも理解されることの無い、永遠の孤独を、癒しあうため。
殺し合いは、きっとまぐわいにも似た行為に。
語り合いは、きっと愛文の交し合いにも似た行為に。
………少なくともわたしは、そう思っていた。
―――なあ輝夜。わたしは人生を楽しむということが、分からないんだ。どうも何をやっても、一線を引いてしまってな――
―――それは………まあ、不死者には多少は仕方の無いことよ。けれど、そう思い込んでしまっている節もあるんじゃないの? なんだかんだ、心のうちでは、たいていのことを楽しんでるものよ――
―――そうかなぁ……――
―――ええ、そうよ――
―――そうなのかもなぁ……――
そしてあなたは、にっこりと笑って。
―――ありがとう輝夜、なんだか少し、生きることを楽しめそうだよ――
その笑顔を見ることが、本当に嬉しくて。
涙すら流してしまいそうだった。
………なのに。
わたしと妹紅、2人はずっと隣にいたはずなのに。
誰よりも理解し合えていたはずなのに。
あいつが。
あいつが突然……!
―――里に、理解者ができたんだ――
あなたの笑顔を見ることを、辛いと感じたのは初めてだった。
―――上白沢慧音といって、里の守護者をやってるやつなんだ――
あなたの話を聞きたくないと思ったのは、初めてだった。
―――白澤との半獣らしくてな、寺子屋で勉強を教えながら、歴史を編纂してる――
聞きたくないと思っているのに、どうしてか聞いてしまう自分がおかしかった。
次第に増えていく、“彼女”に関する話題。
そして、ある日恐ろしい宣告を受けた。
―――女同士で変な話なんだが、妙に……その、傍いたいと思ってしまってな。一緒に暮らすことになったよ――
やめて……!
―――真面目で責任感のあるやつなんだが、妙に抜けてるところもあってさ。わたしが支えてあげないとって、思うんだよ――
お願いだから、もうやめて……!
彼女の一言一言が、わたしの胸を切り裂いた。
それはどんな斬撃を受けても、感じたことのないほどの痛み。
ちりちりと焼けるような感覚。
それでいて、その奥で低温のどろどろとした液体が、胸全体を浸してゆく。
ああ、不思議ね。
何事にも関わっているような気が持てず、孤独だったあなたが、こうも簡単に、誰かと関わりあって生きていくことを選ぶだなんて。
やっぱり、好きな人を前にしたら、簡単に変われるものなのかしら?
だったら、わたしが数百年間あなたに伝えようとしてきたことは、それに劣ってしまうことなの?
ねえ、妹紅。
その隣にいる相手は………
わたしでは、駄目だったのかしら?
彼女の白髪を指ですく。
何度も、何度も、慈しむように。
とりとめのない思考は、どれほどの時間を消費しただろう。
たかだかこんなことのために、里で買い求めた懐中時計を取り出す。
妹紅が死んで57分……。
そろそろだろう。
わたしは妹紅の頭をそっと抱えると、地面の上に寝かせる。
そしてその傍らに変わらず正座して、じっと彼女が目覚めるのを待った。
呼吸の気配。
彼女の胸が上下して、その眼がゆっくりと開かれる。
「おはよう、妹紅。よく眠れた?」
「眠れたも何も、永眠ってやつだよ。そりゃぐっすりさ」
苦笑しながら片腕を支えに、血溜りから上半身を起こす妹紅。
服が裂けた腹部を見遣り、そして自らの地で染まったもんぺを確認して。
「しっかしお前、今回は派手な殺し方してくれたもんだなぁ」
「ちょっと苛々してたから、あんたの一番嫌いな蓬莱の玉の枝でね」
「ちぇっ、また慧音にぶつくさ説教されるな……」
誰に向けたでもない、小声の独り言。
けれどその言葉は、投じられたやいばのように明確な指向性を持って、わたしの胸元に突き刺さる。
痛い…………
「そういえば知ってるか? なんでも地底と地上が、本格的に交流を始めるらしいぞ。あんま私達と関わりはないが、やつらが地底に追われた経緯を実際に見た人間としては、意外に思われてな」
「ええその話なら、地底の管理者とかいう奴から直接聞いたわよ。なんでも、交流の一環として、地上の医療技術に関して永遠亭と繋がりが持てればとか。胡散臭かったけど、なかなか熱意のある奴でね、あっさり了承しちゃった」
「おいおい、実際に医療に携わってるのは永琳だろう。いいのかよ?」
「いいのよ。それに永琳も、地底の病気や薬物に興味津々みたいだったし」
「そりゃなんとも、度し難いな」
「ええほんと、度し難いわ」
そういって同時に笑い合って、はしゃぐ。
眼が合うと相手の安心感が伝わってくるような気がして、それが少し嬉しかった。
今日もたくさんのことを、わたし達は話す。
楽しかったこと、悲しかったこと、悩み、愚痴……。
色んなことを共有して、互いに品評し合い、参考とする。
時間はあっという間で、しゃべり続けていくうちに、夜は白けてくる。
………ああ、もう少しであなたは、あいつのもとに帰ってしまう。
だからわたしは、1つの提案をする。
傍にいる行為を独占する、あいつへのささやかな反抗として。
「ねえ妹紅、もうすぐ朝ね」
「ああ、もうそんな時間か」
「どう、今日は永遠亭に泊まらない?」
「んん?」
「お互い疲れてるでしょ? 兎たちに世話させれば、楽できるし、何より衣食住全て一級品よ」
「そりゃ、まあ、なぁ……」
妹紅は思案顔だ。
それもそうだ。
相手の家に泊まって、一緒に生活する。
そんなことはわたしと彼女の関係に、存在しない。
けれど、わたしそうあって欲しいのだ。
本当はもっと、こんな催しみたいな形じゃなく、本当に、一緒に。
………一緒に、支えあって生きていければって、思っているのに。
「悪いがお断りするよ」
「あら、どうして?」
「どうしても何も、私とお前はそんな関係じゃあないだろう」
…………どうして?
「私とお前は、あくまで殺し合いの相手。お前は私の仇。私はお前の敵。そうだろう?」
「………まだ拘るのね」
「……大事なことだと、私は思うけどさ」
そう、妹紅はいまだにその関係性から離れない。
そうじゃない関係を、造っていくことだってできるのに。
いったいどうして?
数百年間、ずっと隣にいて、あなたと色んなことを共有して、内面的に支えあって、たくさんたくさん、あなたのことを想ったのに、どうして?
………なんであなたの中のわたしは、憎い相手のままなの。
本当はあなたにとってだって、本当は……
「それに、慧音が心配する」
致命傷だった。
ああそうか、今日の殺し合いは、あなたの勝ちね。
今の一撃は、わたしの心を殺すのに十分だったから。
「悪いな……」
罰の悪そうな顔をする妹紅。
少しだけすがってしまう。
……でもやっぱり、そんな表情いらない。
そんな態度は、いらない。
だって、それでもやっぱり、あなたはわたしではなく、
………あいつを選ぶんでしょう?
「じゃあ、今日は帰るわ。また来月な」
「ええ、今度はわたしに勝てるといいわね」
「ぬかせ。燃やし尽くして素っ裸にしてやる」
「その時は、着替えを取りに行ってくれるんでしょう?」
「はは、まあな」
そして妹紅は、こちらに背中を向けた。
ゆるく掲げられた右腕。
それが別れを告げるために、軽く左右に2度振られた。
妙に気障な動作も、いつも通り。
そんなあなたは、あいつの前では、甘えた表情を見せるのかしらね。
1人取り残されたわたしは、ゆっくりと永遠亭の方へと足を向ける。
次に殺しあうまでの一ヶ月。
あの2人は、どれほどの時間を共有するのだろう。
互いに支えあい、多くの時間をともに過ごし、さらに理解を深め合うのだろうか。
ああそしたら、大切なあなたの中で、わたしの存在は、大切じゃなくなるのかしら。
大切なあなたが遠い。
誰よりも隣にいたはずの、誰よりも心が近しかったはずのあなたが、こんなにも遠い。
胸が痛い。
ああ、痛い。
顔を手で多い、眉間に思い切り力を入れてみても、それでも痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い………
………気を取り直して、希望の数を数える。
永遠を生きるもの同士の孤独。
それはきっと、お前には分かるまい。
それだけはきっと、侵されない領域。
なお私と妹紅は、心の上では近くにいる。
………そう信じていたい。
そして何よりも、お前は妹紅を置いて死ぬ。
それだけは、避けられない真実だ。
だからわたしは、待ってみせる。
いつか妹紅の隣からお前が消え去り、妹紅が誰か別の存在を求めるその時まで、待ってみせる。
そのための時間は、わたしにはいくらでもあるのだ。
それだけはわたしが、圧倒的に勝っている点なのだ。
………それでも、
きっと今日も昨日も明日もその次の日も、多くの事実を積み重ねていくだろう2人を想像して、
わたしの胸は、
また少しひび割れていくのだった。
痛い。
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原作的には妹紅→輝夜ぽいですよね
ちょっと重めな感じが切なくてこっちまで胸が締め付けられてしまう
でも、個人的にはもうちょっと構想を練って、話を深めたものも読んでみたかった。
今後に期待してこの点数です。
次も楽しみにしてます!
多分飽きちゃいますね。
それとも何か新しい関係を見つけられるのかな?
なんにせよ妹紅編に機体