七色の人形遣いを自認するアリス・マーガトロイドが、同業者にして蒐集仲間、果てはドツキ漫才の相方である所、
霧雨魔理沙の家を訪ねたのは、ある冬の日の午後のこと。
アリスは数日の前に貸与を頼まれたグリモワをわざわざ持参したのだが、来客に茶の一つも出さない主人に呆れ果てていた。
魔理沙に言わせれば、今は大事な実験で取り込み中。なのだろうが、日時を指定したのも魔理沙である。
これではアリスが浮かばれないというものか。
だが、アリスとて勝手知ったる他人の家。そそくさと台所へと上がりこむ。
良い茶葉がないわねぇ、などとボヤキながら二人分の紅茶を淹れると、ついと無言でカップを差し出す。
それを、おぉ旨いねぇ。良い茶葉ならもっと旨いぜ。などと啜り込むのも日常の内である。
二人がそんな日常を過ごすようになって、随分と経った頃の話。
遊びをせんとや ~to play, or to play~
おいアリス、それ本当か? そう魔理沙が鼻息荒く問い詰めたのが先程のこと。
今はといえば、二人して防寒具を着込み、雪降る冬空の下でのピクニック準備に余念がない。
「全く、どうして私まで付き合わなけりゃいけないのかしら?」
はぁ、と精も根も尽き果てたように俯くアリスの嘆きも当然であろう。
冬空は一層険しさを増してきて、吹雪の恐れもあると見受ける。
このような日に外出するなど、正気の沙汰ではないだろう。
だが、物欲に目の眩んだ蒐集者を前にして、常識だの正気だの言っても意味がない。
「同じことを何度も言わせるものじゃないぜ?」
魔理沙の眼は爛々と、未だ見ぬ獲物をしっかり捕らえていた。
――話の顛末はこうである。
一週間ほど前、未だそれなりに天気の良かった日。アリスはヴワルの図書を手にして紅魔館を訪ねたのだ。
延滞したからとて文句を言われるのでもないが、わざわざ心証を悪くするのも好まない。
とっとと返しに行かなければ雪が来るかもしれない。そうしたら、余計に面倒でもある。
そんなことを考えた上での行動だった。
朝をゆっくり過ごして家を発ち、昼前にはヴワルへと着く。
図書の返却など大した手間でもなし、司書の小悪魔と談笑したりもしたのだが、その日の午後は手持ち無沙汰となってしまった。
そんな時、ふと採った行動が悲劇を招くとは、当時の自分を殴り飛ばした上で人形責めフルコースにしたくもなる。
まぁ、そんなことを考えても致し方ない。
なにせアリスが採った行動は、散歩という変哲もないものだったのだから。
紅魔館を取り巻く湖の、更に周辺。そこには一面緑の海が広がっている。
海と言ったのは勿論比喩だが、多くの人妖がそう言うのも頷ける。
紅魔の威信に人が恐れをなしたからか、緑は全くの手付かずのままに残されているのだ。
少し寒冷な気候に育まれた木々は、冬の訪れ間近となった今でも鮮やかに緑を留める。
赤に黄にと色付いた木々が裸の樹皮をさらすのとは対照に、それがアリスを森の散策へと誘ったのである。
その最中、一本の木の根元。アリスは奇妙なものを見付けたのだ。
それは、小さな小さな茸の群生。
小指の先程あろうかという茸の傘は、薄青に透き通っている。
傘から伸びる体部はほんの細い糸状であり、とても食用に向くとは思えない。
そもそも茸に興味のないアリスはへぇ、こんな茸があるのねぇ、と思っただけだった。
だがその後に続いて、魔理沙に話したら喜ぶかしらね、などと思ってしまったのが間違いの始まりである。
そして今日。話の種も尽きた頃、ふと思い出したように魔理沙に茸の話をした。
すると、それまで思わしくない実験結果に渋い顔をしていた魔理沙が、喜色満面とアリスににじり寄ってきたのである。
頭一つ分ほど上にある魔理沙の目を見詰め、驚いたアリスは「ど、どうしたのよ? いきなり」と問いかけた。
そこで出たのが冒頭の台詞。「おいアリス、それ本当か?」ということなのだ。
魔理沙が言うには、茸は非常な稀少品であり、傘の含む物質が重要な試料になるのだそうだ。
これで一気に問題が解決するぜ、と息巻く魔理沙の横、アリスは溜息をつく以外にない。
なにせ、魔理沙が今すぐ行くと言い出すのは自明であるし、それに発見者の自分が付き合わされるのも疑い無いのだから。
はぁぁ、と今一度長く溜息をつくと、カップに残っていた紅茶の残りを飲み干す。
それはどうにも冷え切っていて、美味しい間に飲んであげれば良かったわ、と思わずにはいられなかった。
二人の少女が空を駆ける。
冬の曇天は何とか平衡を保っており、降る雪もあまり強くない。
だが、もしも吹雪になったらと思えば、遮蔽物の何も無い空でのこと。随分ぞっとするものがある。
そんなアリスの考えを知ってか知らずか、魔理沙は先程からふんふんと嬉しそうである。
箒にまたがって彼方を見詰め、頭の中では茸が輪になって踊っているのに違いない。
そんな様子を見ていれば、元から気の進まない外出である。アリスでなくとも、嫌味の一つも言いたくなるというものだ。
「もう少し落ち着いたらどうなの? 子供じゃあるまいし、これだから田舎者は困るわ」
ぶつくさ文句が背後からして、魔理沙は首だけ捻って振り向いた。
「田舎でも野良でも結構だぜ。欲しいものは、今直ぐ。此処で。現金払いってのが私の主義だ。
まぁ、ツケが効くのも大事だけどな」
魔理沙は険しいアリスの表情をじっと見ると、くすくすと笑い出す。
「あんまりストレス溜めると肌に良くないぜ? ほれ、眉間にこんなに皺が」
魔理沙の言葉に、アリスがにっごり笑う。誰のせいよ? と返す言葉には存分に殺気が滲んでいた。
「うぉ、笑顔が恐いぜ? というか口元にまで皺が」
「皺なんて無いわよ! 全く、そういう所は変わりゃしないのね」
思わぬアリスの言に、魔理沙が顔をしかめる。
そういう所だけ変わらないというのは、他の何かは変わってしまったということか。
「……私が、変わった? それじゃあ、此処にいるのは偽者か? 私は正真正銘の魔理沙様だぜ」
自分に様付けるな、と言いつつアリスが言葉を受ける。
だが、その目は笑っていない。少し寂しそうに伏せたまま、魔理沙から視線を逸らす。
「別に、そんなこと言ってるんじゃないわよ。でもね。
今日のことにしても、そう。こんな吹雪の危険がある日に、わざわざ茸採りなんてね」
魔理沙はふぅと溜息をつくと、さんざん説明しただろ、と渋い顔。
「重ね重ねにしつこい奴だぜ。欲しいものは直ぐ手に入れる主義だって言っただろ?」
アリスは顔を俯けたまま、魔理沙の方を見ようとはしない。
その声は、わざわざ平淡に。平静を装っているようでもあり、冬の寒々しさが増すのを感じる。
「それにしても、よ。茸に足が生えて逃げる訳でなし、強迫観念みたく追い捲られるのもどうかしらね」
足が生えるかもしれないぜ、と茶化す言葉を魔理沙は飲み込んだ。
進路を見据えて、アリスから視線を離す。アリスは少しだけ寂しそうに、無言でその様子を見ている。
「……仕方ないだろ? あの茸が手に入れば、私の術式はまた一歩前に進めるんだ。
わざわざ機会を見過ごすなんて魔法使いにはあるまじき、だぜ」
先を見る視線に迷いはない。だが、口元は微かに歪む。
「やりたいこと、やらなきゃいけないことは多くても、人生ってのは短いものだぜ?
……まぁ、お前さんには分からないかもしれないが」
言い過ぎたか、と自嘲する魔理沙の横。アリスは俯いたまま、顔を上げない。
その表情は伺い知れず、何を思うかも分からない。泣かせちまったかな、と魔理沙は一層に自嘲を増す。
だが魔理沙の想像は半分のアタリであり、半分のハズレでもある。
「……そうね」
知り合って直ぐの頃のアリスであれば、この言葉は単に首肯を意味していたのだろう。
他人の生き方にわざわざ関わる必要はない。それは、立派な処世でもある。
けれど。
良しとも悪しとも着かないが、アリスをほんの少しだけ変えたのは、黒白の魔法使いその人なのだ。
「あんたのことなんて、分かりゃしないわよ。別に分かりたくもないわ」
顔を上げる。魔理沙の背中に、こっちを向きなさいと無言で伝える。
無形の圧力に屈して振り向いた、あの頃から少しだけ大人びた魔理沙の顔。きっ、と目を見て、そして言う。
「でもね。ただ近頃のあんたを見てると、少しだけ不安になるのよ。
あんまり全速力で突っ走り過ぎたら、その箒からだって振り落とされるわよ?」
アリスの言葉に、魔理沙はふっと顔を崩す。そうして、これが私たちの空気だよな、などと思ってしまう。
突っ走る私と、やれやれと付いて来るアリス。愚にも付かない考えだぜ、と一人ごちて、苦笑いが顔中に広がるのを感じた。
「んー。可愛い、可愛い、アリスちゃん?」
突然の魔理沙の呼び掛けに、アリスはぎょっと目をむいた。
「な、何よ? 気持ち悪い」
「お前が未だ私のことを十分に理解してなかったとは意外だぜ。随分長い付き合いになるのにな?」
へへ、と寒気に赤くなった鼻の頭をこする。
「長く顔を突き合わせてたって、分からないものは分からないわよ」
連れないアリスの言葉に、ごもっとも、と頷いてから魔理沙は続ける。
「そりゃそうだ。私は人形専のヒキコモリとは違うぜ」
背後でアリスが青筋立てて怒っているのだろうが、気にはしないぜ、と魔理沙が続ける。
「それにな、私がコイツから振り落とされるハズないだろう? 昔々からの相棒だからな」
言ってコツンと箒の柄を叩く。
そうして、からからと笑う魔理沙の顔。小憎らしいことね、とアリスは思う。
「分かって言ってるのでしょう、魔理沙? 比喩よ、比喩」
誤魔化されやしないか、と呟いた魔理沙は頭の帽子へと手を伸ばす。
目深に被り直そうと試みて、少し小さくなったか、と驚く。
いや、大きくなったのは私の方だな、と。今更ながらにそう気付いた。
ふと背後のアリスを見遣れば、変わらぬ顔がそこにはある。
昔は始終不機嫌そうにしていたものだが、近頃はどうであろうか?
ちょっとは笑うことが多くなったぜ、と考えたら何故だか可笑しさに絶えられず、魔理沙はくくくと笑ってしまった。
アリスが不審そうに見詰めてきたが、魔理沙の笑いは止まらない。
小さな笑い声は哄笑のそれへと変わる。そしていつしか、少しは素直になってみるかな、と魔理沙は考えているのだった。
「……わかってるさ」
不意に笑い声は静まって、魔理沙の声が冬空に響く。
「お前の言ってること。自分でも分かってるつもりだぜ」
それじゃあ、なんで? 言いかけるアリスをそっと、手で制する。
「でもな、今更止められやしないぜ。別に誰に強制された訳じゃない、私が決めたんだ。
知れば知るほど、道は進めば進むほど。手の届かないものばかりが見えちまう。だからな、少しばかり焦ってるんだ」
私らしくないか? と問う魔理沙に、アリスは黙って首を振る。
「――勿論、いつかは届いてみせる。
だけどな。私が全速力で突っ走れる時間なんて、そんなに長いもんじゃないだろう?
あぁ、疲れちまった。そろそろ休むかなって時に、後悔はしたくないからな」
だから進みたいんだ、先へ。そう話す魔理沙の視線は前を見詰め、何よりも決意の深さを物語っていた。
しばし沈黙が流れても魔理沙は振り向かず、アリスには表情を伺うことができない。
前へ。ただ前へと進もうとする魔理沙の顔は雄々しいのだろうか。それとも少しは悲しい顔をしているのか?
分からないままにアリスの表情が曇る。悲しいのはこっちの方よ、とでも言いた気に。
人間はそうよね、と小さく呟く。いつもいつも自分達を置いてけぼりにする。
人間はすっかりと変わってしまってから言うのだ。
いつまでそんなことに拘ってるの? くーだらない! 時代遅れだよね~。くすくす。
悪気などは微塵もないのだ、勿論。自分達とは変化のスピードがあんまりにも違うのよ、とアリスは思う。
昨日の遊びは今日とは違い、明日の遊びもきっと違う。
それは仕方の無いことだけれども、だからこそ少しだけ寂しいのだ。まるで忘れられていくようで。
くだらない考えね、とアリスは額に手の甲を当てる。
ごわごわとした手袋の感触が妙に悲しくて、そう感じてしまう自分がくやしくて、アリスはぐっと奥歯を噛み締めた。
その時。
「……ありがとな」
冬空に小さく響いたのは、そんな魔理沙の言葉。
思いもしない言葉にアリスが顔を上げる。視線に入ったのは、振り返った魔理沙の顔。
何処か気恥ずかしそうに頬を染め、口を結んでアリスを見ている。
え、と呟くアリスは驚いて、その拍子に溜めていたものが零れ出た。
あれ、あれ、と不思議そうな顔で涙を流す。たちまち頬を濡らす熱い感覚に、アリス自身も戸惑ってしまう。
「おいおい何泣いてんだ、アリス!? 私は礼を言っただけだぜ。そ、そんなに嬉しかったか?」
おどけた口調とは裏腹に、魔理沙は随分と慌てた様子である。
ひっくとアリスがしゃくりあげる様を見て、わたわたと手を動かす始末なのだ。
そんな無様な魔理沙の姿だが、アリスはそれを見てくすりと小さく笑った。
顔は未だに泣き笑いなのだが、精一杯と言葉を返す。
「あ、あんまり嬉しくて泣けたのよ。まさか、あんたに礼を言われる日が来るなんてねぇ?」
手の甲で涙を拭う。
拭っても拭っても零れる涙は、悲しみの故か驚きの為か。それは、最早アリス自身にも分からない。
「も、もう一回言ってよね。あんまり突然で聞き難かったわ」
「礼なんて何度も言うもんじゃないぜ? 多けりゃ多いほど有難味は薄くなる」
やれやれと肩をすくめる魔理沙に、アリスは静かに首を振った。
「もう一度、よ。もう一度だけ、聞きたいの」
アリスの言葉に魔理沙は、はぁと一つ溜息。
仕様の無い奴だぜ、と呟くと、すぅと息を吸い込んだ。
「ありがとよ、アリス! これからも心配かけるぜ、迷惑かけるぜ。
だけどまぁ、な。お前さえ良ければ、宜しく頼むぜ?」
言った魔理沙は、にぃと笑う。今度は何の遠慮もなく、屈託なく、ただ満面に。
――あぁ、コイツは。こんな風に笑うんだった、昔から。
変わらないものはない。それは霧雨魔理沙とて例外ではない。
だけれども、とアリスは思う。
魔理沙の見せた笑顔は。アリスに向けた笑顔は。出会いの春の日と同じように、本当に本当に楽し気だったのだ。
あの日も雪が降っていたものね、と思い出すと、アリスは頑張って笑顔をつくる。
心の憂さは消えはしない。
だけれど、今は魔理沙と一緒に笑いたい。そう思って、アリスは自分の精一杯に微笑んだ。
ゆっくりと降下する。滑らかな音に空気を裂いて行く。
二人は適当な空き地を見つけると地面に降り立った。
木々の囲みは白銀に沈む。地に積もる白。鈍色の空。降り続く雪。
天地と四方の同色に、僅かも閉塞感を感じない者はない。だが、一人と一人は気にも留めずと会話を始める。
歩きながらと戯れて、口に出るのは笑い声。
浮かぶ笑顔は華やぎながら、未だ何処かぎこちなさを残していた。
踏みしめる一歩は雪に囚われて自由にならず、進む程にと疲労が増す。
だが、次の一歩も踏まずばならない。目指す場所へは辿り着けない。
そんな頃、ふと魔理沙が口を開いた。
「おい、アリス。本当にこの辺なんだろうな? 雪ばっかりで茸のキの字も見えないぜ」
ふぅと重い溜息をつく。疲労感も心地良かったのは昔のこと。
前に進むのは当然。そう思った日から、心地良さなど消えていた。
「この辺りで見たのは間違いないわ。あんなに特徴的なものを忘れるもんですか。
傘が、氷みたいに透き通った茸なんてね。……まぁ、この有様じゃ仕方ないわよ」
積もる雪が林床も覆い尽くし、敷き詰められた白の絨毯。
ただでさえ、小さな小さな探しもの。随分と難儀な作業になりそうだった。
蒐集しとけば良かったわ、とアリスは嘆く。
そんなアリスに対して魔理沙は、こんな四方山話があるんだぜ、と話しかけた。
「私たちの探してる茸にはな、ひとつ伝承がオマケに付いてんだ。知ってたか?」
「知らないわよ。興味のあるカテゴリじゃないしね」
ほぅ、そうか。言って魔理沙がにやりと笑った。
「それじゃあ、聞かせてやりますか。無学なアリスさんに楽しい、楽しい御話を」
「無学とは聞き捨てならな……むごご」
反論するアリスの口を塞ぐ。
「他人の話は黙って聞くもんだぜ? これがなかなかの傑作なんだ」
ぜーはーと息をするアリスの横、からから笑いながら魔理沙は言った。
その様子を横目で睨み、深呼吸する。
「……まぁ、良いわ。話しなさいよ?」
「うむ」
一つ返事で返す魔理沙。
「どうして無意味に偉そうなのよ、あんたは?」
「気にするもんじゃないぜ。まぁ、聞け。雰囲気造りも大切だからな」
しぃっ、と人差し指を口の前にそびえ立てる。
目を閉じると、体全部で寒気を感じる。正に雰囲気はぴったりだぜ、と一人ごちる。
そうして魔理沙は語り始める、楽しい楽しい御伽噺を。
「……その昔、一匹の妖精がいたそうだ」
むかしむかし、ある所に一匹の妖精が在った。
生じてしばらく経った頃、そいつはひょんなことから人間に恋をしたんだ。
種族の垣根を必死に越えて、二人は末ながく幸せに暮らしました。そんな良くある話さ。
だけどな。二人の末は長くても、永くじゃぁない。
妖精と人間だからな。人間の時間の方が短いのは道理ってもんだ。
やっぱり先に死んじまったんだ、人間さんはな。
馬鹿な奴だぜ。その妖精はな、ずっとずっと亡骸を前に泣き暮らしたんだそうだ。
だからな。此処からは、ありがちな悲劇の始まりだぜ?
冬春夏秋。また冬春夏秋、そして冬。
どれだけ季節が廻ったかは分からない。
どれだけ涙を流したのかも憶えていない。
ある時な、その妖精は気付いたんだ。
ぽつりぽつりと零れるたびに。
かちんかちんと凍れるたびに。
自分の涙が、小さな小さな、透き通った青色の茸に姿を変えるのに、な。
不思議に思ったんだろうな。
止めときゃ良いのに、その妖精は喰ってみた。
拾い食いなんてするもんじゃないぜ。本当に、大馬鹿だ。
そいつはな、茸を食べた途端に。一切合切記憶を飛ばしちまったらしい。
勿論、楽しいのも悲しいのも全部、全部だ。
当然そいつは、何故自分が泣いてたかなんて思い出せやしない。
だからな、悲しんでいるのも馬鹿らしいって、陽気に踊り出したんだそうだ。
くるり、くるりってな。楽しげに。
朽ち果てた亡骸の上。いつまでも、いつまでもな。
……だから、コイツはハッピーエンドだ。
最後に悲しい思いをした奴は、何処にも誰もいないんだからな。
嫌な話。それがアリスのぽつりと漏らした感想だった。
「救いも何もありゃしない。もう少し素敵な御話にすれば良いのに」
まぁまぁと魔理沙が宥める。
「文句は作った奴に言ってくれよ? それでだな、この茸の名前は『涙氷草』ってんだ。
間違えて食べれば、記憶障害に舞踏症。さらには、三日三晩は笑い続けるオマケ付きだぜ」
一気に語り終えて少し疲れたか、魔理沙がふぅと力を抜いた。
「なかなか凶悪な中毒症状だろ? それにデリケートな茸なんだ。熱で直ぐに溶けちまう。
……まぁ、さっきの話は、その辺りから誰かが考えたんだろうぜ。
全く、世の中には偉いロマンチストがいたもんだな」
やれやれ、と肩をすくめる魔理沙の横。アリスは見覚えのある光景に気付いた。
それは、一本の大きな木。
「あれよ! あの木の根元に生えてたのよ」
見つけた当時とは異なり、今は厚く雪の帽子を被っているが間違いない。
周囲の木々とは明らかに高さ大きさの異なる、それ。
確か大木の周囲は拓けて、小さな広場のようになっていた。
うん、と一つ頷く。
「間違いないわ」
それを聞くと、魔理沙は箒を摺りながら駆け出した。
雪に足を捕られて転びかけるが、すんでの所で持ち直す。
「おら、とっとと採集するぜ。早くしろよ、アリス?」
茂みを掻き分け掻き分け向かう魔理沙に、アリスは溜息を一つ。
やれやれと追いかけると、魔理沙は木の枝に手を掛けたままにぴたりと停止していた。
どうしたの? とアリスは問い掛けるが答えはない。
見上げれば、枝を伸ばす木々が密集していてどうにも薄暗い感がある。
だが魔理沙の手を掛けるそこからは、弱く光が差し込む。
あぁ、少し拓けてるって記憶は間違ってなかったな。アリスは思うと、光差す方を覗き込んだ。
――そこに在ったのは、一人の少女と、数多降る雪達の宴。
白のステージ、照らす銀灯。
踊り舞うのは、一人の少女。
くるり、くるくる。
青の彼女が踊るのは、誰に捧げる舞神楽。
腕をしゃなりと回旋し、白い手のひら、つかむ淡雪。
くるり、くるくる。
共に踊らん、白銀ワルツ。
一で爪先さくりと鳴らし、二つ踵をとすりと落とす。
くるり、くるくる。
ステップ踏むのは円舞に乗せて。
口に乗せるは、言なき祝詞。
くるり、くるくる。
お祝い申す、お祝い申す。
聞こえて来るのは、調べのみ。節に乗せたる心のみ。
くるり、くるくる。
心映した、顔かたち。
伏したる目には、伺えず。口元微か、賑わわす。
くるり、くるくる。
浮かび散るのは、うたかたの白。
舞え舞え、雪よ。いずれ消えるが雪ならば、今を舞うのも雪ならん。
くるり、くるくる。……とすん。
――止まる彼女に残るのは、いつか解け果つ、あどけき笑顔。
舞台の終わりと共に訪れた静寂。
その間にも雪はしんしんと降り続き、頭に肩にと積もっていく。
彼も我も一歩として動かずに佇むばかりであったが、やがて破られるのも静けさの役目なのだろう。
ぱちぱち、と音がした。手を鳴らすのは魔理沙。
「良い物見せてもらったな、チルノ?」
チルノ。そう呼ばれた青服の少女が声に振り向く。
初めこそ、きょとんとした顔であったけれど、やがて茹で蛸もかくやと顔を染め上げた。
「ん、なななな。な、何見てるのよ、この白黒!」
ぽぅと紅潮させた頬のまま巻くし立てるが、魔理沙は意に介した様子もない。
やれやれだぜ、と呟いて呆れた顔までしてみせる。
「私はせっかく褒めてやったんだぜ? もう少し有難がったらどうだ。
まぁ、ともあれ、お久しぶりで御座いますわね? お元気でしたか、だぜ」
魔理沙に似合わぬ丁寧な挨拶に、チルノは思わずたじろいだ。
こめかみへと両の人差し指を当てると、そのままうーんと唸り出す。
「お、お元気でしたでございますわよ、おほほほ。
奥様の方こそ、ますますせれぶりてぃに磨きがかかっておじゃりま……なんて言うかぁ!」
「言ってるじゃないか、ってツッコミは置いといてだな。……まぁ、本当に久しぶりだな」
ぐぅっと奥歯を噛み締めてからチルノが答える。
「そうね、って何の用よ? 下らないことだったら、ただじゃ置かないわよ?
いつかみたいに成敗してくれるわ、って感じなのよ。分かるかしら、そっちの?」
チルノがぴしっと指した先、当のアリスは困惑顔である。
「……魔理沙、あんた、コイツに敗けたことがあるの?」
「まぁ、弾幕ごっこの勝敗は時と場合と運によるぜ? 残りの99%はパワーだが」
はぁと溜息をつくアリスの横、魔理沙はくくくと可笑しそうに笑う。
それもいつものことと諦めて、アリスはチルノに向き直る。
「あなた、チルノっていうのね。……その背中の羽、もしかしたら氷精なのかしら?」
アリスの指摘にチルノはえへんと胸を張り、青く透き通った羽も少し自慢気に揺れている。
「そのとーりよ! つまり、湖と一帯はあたいの縄張りってやつね。
ぶるぶる震えて逃げ出すんなら、今のうちよ?」
紅い館の存在を都合良く忘却し、チルノはふふんと二人を見遣る。
一方のアリスはといえば、何やら頭を抱えた様子で長めに溜息をついた。
「ほんとのほんとに氷精なのね……。あなたと話してたら、がらがら妖精のイメージが崩れ去ったわ」
魔理沙はちらりと横目でアリスを見遣り、だから言ったろ、と言葉を続ける。
「実物見たら、悩んでいるのも馬鹿らしくなるってな。コイツほど悲劇が似合わない奴もいないだろうぜ」
黙って二人の話を聞いていたチルノだが、魔理沙の言葉に眉をぴくりと動かせる。
「ちょっ、黙って聞いてれば……」
必死の反論を試みるのだが、此のコンビには通じる筈もない。
「全くね。口さえ開けなければ良い線行くんじゃないかしら?」
「おぉ、偶の偶には意見が合うもんだ。てな理由でな、チルノ。
お前もこれからは、ぺたん座りで世を儚みながら潤んだ瞳で他人を見上げると良いぜ?
間違っても何か喋るなよ? そうすりゃ、悲劇のお姫様の一丁上がりだ」
二人の言葉を聞いたチルノの額には青筋が浮き立つ。
手を握り締めてぷるぷる震わせると、一気呵成に言葉を放った。
「さっきから聞いてりゃ、訳分からないことばかり言って~~!
悲劇のお姫様って何よ? 話通じてないんだから、説明してよね?
ていうか、何だか馬鹿にされてるのだけは分かるってのよ!!」
捲くし立てたら酸素が不足、ぜーはーと息をするチルノだが二人は気付いた様子もない。
あの立居振舞いも改善が必要ね。そうだな、時代は淑女を望んでいるぜ、なんて話で盛り上がっている。
精一杯の反論も黙殺されて、チルノの目にじわりと涙がにじむ。
ぐすっと鼻をならしたかと思うと俯いてしまう。
するとそのまましゃがみ込み、積もった雪を掬い出した。
展開としては、別に良いわよ、あたいなんてどーせ。ぐすん。となるのがセオリーかもしれない。
だがしかし。
それを許すのは、チルノの性格ではない。
目に宿るのは、復讐の光。あたいのこと無視しやがって、目に物見せてくれん、なのである。
黒い怨念を纏いながら、チルノがゆらりと立ち上がる。
きっ、と二人を見据えたかと思うと、右腕を引く。
左の足を蹴り上げての体重移動、身体はそのまま半回転。
「あたいの、」
想定の範囲外なチルノの動きにスカートは大きく翻る。
はしたないわね、とか何処ぞの瀟洒な侍従長なら言いそうな行動は、悲劇のお姫様には程遠い。
「はなしを、」
スカートの端に意識を集中。絶対領域さえ幻視可能なその姿は、花も恥らう乙女にはあるまじき。
だが。
「きけってのよ!!」
――チルノである。
しなる腕から一直線。
放たれた弾が、魔理沙の顔面を静かに穿つ。
横に立つアリスは驚きで声もなく、ただ立ち尽くすばかり。
肩で息をしながらではあるが、チルノが上睨みに言葉をしぼり出す。
「はぁ、潤んだ瞳ってのはこんなもんかしらね? はぁ。悲劇の姫様だか何だか知らないけど。
そんなもんね――あたいには似合わないって言ってんのよ!」
ぺちょり。そんな音がした。
魔理沙の顔から雪塊が崩れ落ちたのだ。
「おうおう、全くその通りだ」
被弾に沈黙していた魔理沙が声を出す。
「雪球だって、弾の内。他人に中てるんだったら、それなりの覚悟と悔悟は持っとくべきだぜ?」
懐から取り出すと雪の覆った地面に向ける。八角に刻まれた起動式を紡ぐ。
「お前さんの、その⑨っぷり。――たっぷり修正してやるぜ?」
光の奔流。
地を穿たんと放たれたそれは、達し、爆ぜ、撒き散らす。
白の嵐が一帯を覆い、チルノの視界は失われたにも等しい。
それは魔理沙の横、爆発を眼前としたアリスも同じこと。
四方八方へと放たれた、雪粉、雪塊、人造の猛吹雪。両腕で顔面を防御しながら必死に声を上げる。
「ちょっと、魔理沙!? あんた、一体全体何やってんのよ?
こんな熱量、件のデリケートな茸まで吹っ飛ばすつもりなの?」
魔理沙に届くかも分からずと上げた声だが、どうやら無事に役割を果たしたらしい。
もうもうと立ち上る白の粉と蒸気の中、何処にいるかは分からぬが、魔理沙の張り上げる音声が響く。
「そんなものは、また今度だぜ! このまま引き下がったら、魔理沙様の名が廃るってもんだ!
おら、アリス、加勢しやがれ。雪合戦じゃぁ、氷精のあいつに分があるからな!」
静まりつつある雪煙の中、初めはぼんやり、だが次第にはっきりと。
アリスの視認したのは、驚くべき光景であった。
山と積まれた雪球の前、仁王立ちに投げる魔理沙。
チルノはといえば、襲い来る雪球の群れに現在は防戦一方である。
だが、此のグラウンド、此の種目である。氷精たる彼女の底力は量り知れない。
それを分かっているからこそ、魔理沙はアリスへと向き直ると大仰に手招く。
「こっちだ、アリス! 弾幕はやっぱりパワーだぜ、押して押して押しまくれ!」
目眩ましの間に作ったであろう、無数の雪球。
胸にも山と抱えたそれを、魔理沙は投げて投げて、また投げる。
「いだだだだーっ。大人気ないってのよ、この白黒!
あたいのちょー必殺の剛速球に中ったからって、ちっとは手加減しなさいっての!」
十の被弾の内にようやく一球を作り出し、チルノが必死に投げ返す。
だが、それも狙いが定まらない。むしろ反論の為に口を開けたが故、雪球を口一杯に頬張る羽目になる。
ふごご、ともがくチルノを横目に見つつ、アリスが魔理沙に駆け寄った。
「どうしたってのよ? 大切な実験材料なんでしょうに」
アリスの問いに魔理沙は、ふん、と手の甲で小さめの鼻をこすり上げる。
その目はアリスを見ずに球を投げ続けている。だが、言葉はしっかりアリスへと向く。
そんな横顔が心無しか赤いなぁと思ったのは、立ち込める寒気の故だけだろうか。
「雪球の礼は雪球でしないとな、と思っただけだぜ? 今はチルノをとっちめるのが大事なだけだ」
それだけ言うと、ほれ、と大量の雪球をアリスに渡す。
「お、重! こんなに投げられやしないわよ」
「お前さんなら大丈夫だぜ。いつも言ってる、弾幕のブレインぷりを見せてみやがれ」
二人がそんな会話を交わす内、半ば雪中死体と成りかけていたチルノが身を起こす。
その両の手には雪球が握られていたが、何を思ったのか、ぐしゃりと握り潰した。
「……もう、怒ったわよ。雪で氷精に勝負を挑んだこと、せいぜい後悔させてやるってのよ!!」
――冷気が集う。
ざわりと蠢く大気の中、撒き散らされた数多の水蒸気が徐々に、徐々に振動を減衰させる。
目指すのは、ただの一点。完全透徹たる零のみ。
その過程に雪の結晶は、膨張し、あまねく枝を伸ばし、そして集蔟する。
「あんたらを囲ってるのはね、空気だけじゃないっての」
大気に満ちる氷の種、それを糧として成長する。全きの零、完全なる球形、完璧の白。
――『パーフェクトフリーズ』。チルノが小さく呟いた。
一度の瞬きの内、魔理沙とアリス、二人の周囲を数え切れぬ程の雪球が取り巻く。
空間の一点。縫い留められた白は動かず、存在だけを静かに主張する。
「ま、魔理沙? 嫌な予感がするのだけれど」
変化が微かに生じる。
限界まで抑え押し込められた分子運動は、ただ解放される時だけを待つ。
「流石だな。御明察、みたいだぜ?」
パチン、と音がする。チルノが指を鳴らしたのだ。
意味をするのは、『動け』。それだけを厳然と告げる。
「動け、アリス! いや、動くな、か? とにかく中るなよ」
「だぁぁ、どっちなのよ? ……まぁ良いわ。華麗な弾避けってものを見せてやるわ」
ふふ、と不敵に笑うアリスだが、握る手は汗にぬめりと濡れている。
それを察してか知らずか、魔理沙が静かに言う。
「せっかくの機会だ――遊んで、遊んで遊んでやろうぜ? こういうのはな、一番楽しんだ奴が勝つもんだ」
深々被る帽子に魔理沙の表情は伺えない。だが口元が微か、にやりと歪んだ。
ぶわり。像を残しながら雪球が振動する。
上、上、下、下、左、右、左、右。最早、目で追うのも難しい。
やがて来る限界の一線を越えるのは、今か? はたまた刹那の後か?
堰が切られる。
流れ出したのは、雪。四方に舞う白、八方に踊る銀。
「良いか? チルノの奴に一ヶでも多く中てた方の勝ちだぜ」
その言葉を契機としたか、少女と少女は白の監獄で踊り出す。
ステップ踏むのはリズムに乗せて、くるりと半身を翻す。
「はん。踊りで氷精如きに敗けるもんですか。まぁ、見てなさいな?」
それだけ言うと、二人はただ銀と共に舞い狂う。
舞え舞え、少女。
舞わぬなら、雪のつぶてを喰らわせん。かちりと清く凍らせん。
けれど。
真に美しく舞うたらば――。
ある者は、己の感情のままに。喜び悲しむ、心のままに。
ある者は、遠くて近い果てを見詰めて。一時の心の慰撫として、だけれど代え無きものとして。
ある者は、いつかは褪せてしまう思い出として。けれど、それを糧に一歩を進んで。
ねぇ、遊ぼう、遊ぼう。遊ぼうよ?
――だって、こんなに楽しいんだものね。
やっぱチルノはチルノなんだなと思わず納得してしまいました
・・・「せれぶりてぃ」という言葉を知ってることには吃驚したが
本来の目的を忘れ雪合戦にヒートアップする魔理沙と
相方に振り回されるアリスも魅力的でした
感想有難うございます。
外の世界で死語になる(そろそろ?)→幻想郷で流行る→
チルノ「おおぅ、なんだか強カッコイイわね」とか妄想してみます。