Coolier - 新生・東方創想話

From seeing the rough wave

2007/04/08 04:53:55
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深夜。
三月三十一日と四月一日の境界。



幻想郷を大きな地震が襲った。
地の底から何か巨大な力を打ちつけられたかのような、強い縦揺れ。
時間的に普通の人間は床についており、まさに寝耳に水のこの地震によって、里は上へ下への大騒ぎとなった。
体感震度的に「すっげぇゆれた」と評する事の出来るそれの被害は、家財の倒落のみならず、家屋の損壊というレベルにまで及んだ。



「落ち着け! 火元の始末を済ませたら手早く避難するんだ!」
慧音もまた普通に就寝しており、地震で飛び起きた今は寝巻きの上に一枚羽織っただけだが、そんな事は里の危機の前にはどうでも良かった。
「慧音様! こっちです!」
案内の先には倒れて半壊している家がある。中に呼びかける者が見える通り、逃げ遅れた者が居る。
「よし」
慧音が頷き、家に向かい手をかざす。
一瞬、夜闇に光の線だけで書かれた巻物が翻り、次の瞬間には半壊した家は何事もなかったかのように建っていた。
「今だ、突入!」
傍で待機していた男衆が救助に飛び込む。
『地震で潰れた歴史』を隠蔽し、一時的に元に戻した間に救出する。慧音ならではの方法だった。
隠蔽したままには出来ないので場当たり的な対処だが、今は多くを望めない。
里全体に同様の処置を施して全員を避難させるのが最上策なのだが、一挙に全域の暦に干渉隠蔽するには、さすがに今のように一瞬でという訳にはいかない。
そして、事態は一刻を争うかもしれないのだ。
非効率的だと歯噛みしつも、慧音は倒壊家屋を丹念に回っていった。

幸いにして、倒壊するほどの被害が出た家は数えるほどしか無かった。
路地を見下ろせる程度に浮いている慧音は、逃げ遅れが居ないか、避難誘導をしつつ見て回る。
煮炊きをするような時間ではなかったのも幸いで、火災による二次災害は少なかった。
もともと地震の多い地方ではあるが、やはり日常に無い災害には対応が甘くなる。
建築の技術的な問題もあるが、幻想郷で得られる資材ではどうにも耐震強度が低い。
古来よりの木造建築は、寿命こそ長いが大きな揺れにはやはり弱いのだ。
やはり定期的に避難訓練もしなければ、と考えこむ慧音に声がかかった。

「慧音さま、慧音さま」
目を向ければ、寺子屋の手伝いをしてくれている女性の姿あった。
「な、なんだ、いや、なんでもいいお前も早く避難するんだ、揺れは一度で終わるとは限らないのだぞ」
「いや、その、ですね」
言いにくそうにしている視線に従って己の手元を見れば、長らく使い込んだ愛用の枕を抱えていた。
相当に慌てているのは自分も一緒らしい。
「あ……」
思わず背中に枕を隠す。
だが、既に大声を張り上げて避難誘導をし始めてから軽く一時間は経過しており、その間にこの姿をどれほどの者に見られていたのか。
そう思うと、耳が熱くなってきた。
広場に避難した集団が妙にリラックスしていると思ったが、そういう事だったのか。
いや、自分ひとりが恥をかいて、皆が混乱せずに避難出来た事こそを喜ぼう。
咳払いをひとつ。
慧音は皆が待つ広場へと歩いて向かった。
むしろ、大変なのはこれからなのだから。





それとはあまり関係なく。
人の里が大混乱に陥っている頃、夜の住人たちは普通に活動中であった。
妖怪も妖精も幽霊も、おおよそ自然現象には逆らえないが、少しばかり大きいとは言え、地面が揺れる程度の事に騒ぐ者は少ない。
むしろ、滅多に無い自然の力の発現を、楽しむ余裕すら見せる者も居るくらいだった。





しかし、この地震によって引き起こされる騒動までを予見できた者は、流石にごく一部であった。



■●■



一週間後。



「と、いうわけなのよ」
アリス=マーガトロイドは一息つき、カップを傾ける。
様々な品物が山と積まれた部屋の中、整頓という言葉が実家に帰りそうな混沌の中。
ここは魔理沙の家、霧雨魔法店の接客間兼居間であった。
テーブルの上には本や雑貨が隙間無く乗り、もはやティーセットの立ち入る余地はない。
すべての茶器は人形の手よって持ち運ばれ、部屋の中を漂っている。
不自由極まりない、と思いつつもアリスは部屋の惨状には口出ししなかった。
ちなみに洒落たカップはアリスが持ち込んだものであり、しかしその中身は緑茶である。
どうしようもないミスマッチだが、ティーセットだけで茶葉を忘れたアリスと、香霖堂の茶葉の備えから紅茶が失せていた事が原因で、それは二人にとっては割合どうでもよかった。

「洞窟ねぇ」
日陰で育ってしまった向日葵のような覇気のない声を漏らすのは家主、霧雨魔理沙。
花びらのように波打つ優雅なデザインのカップに、緑黄色の香りも豊かな玉露が満たされている珍妙な光景も、見慣れてしまえば味わいがあった。
自分の淹れる茶よりも美味いお茶を楽しみつつ、給仕を買って出た上海人形を撫で、労をねぎらってやる。
聞いた話では、たとえ物言わぬ人形であろうとも、頭を撫で、声をかけてやることは大事なのだという。
目の前の小さな友人は、魔理沙の手を頭に載せて猫のように目を細めている。

「そう、洞窟なのよ」
アリスの言葉を半分くらい聞き流していると、私も撫でろと言わんばかりに蓬莱人形も擦り寄ってきた。
「確かにこの前の地震は大きかったけど、あの程度で崩落を起こしてたら、萃香が歩くだけでここら辺一帯、陥没しかねないぜ」
いかに鬼とはいえ、始終大きいままでは居るまい。
界隈最強クラスの大妖怪を捕まえて随分と失礼な物言いだが、あの鬼娘の事だから何かの拍子にやりかねないのもまた事実である。
半ば寝そべるようにソファに座っている魔理沙の言葉には、乗り気の無さが纏わり付いている。
実際、地震の被害は幻想郷の各所に及んでおり、里では民家が倒壊したりもしているようだし、倒壊しないまでも家財の崩落や転倒で、季節外れの大掃除を余儀なくされたりもしている。
屋内の散らかり度合いにおいては幻想郷の頂点に君臨するこの霧雨魔法店も、アリスや霖之助といった非常勤労働力を酷使して、ようやく復旧したのである。
常ならば出ない玉露は僅かばかりの感謝の印だし、散らかり放題の部屋にも文句を言わないアリスは、こんな状態でも一応は片付けた後だからである。
ぶっちゃけて言えば、ようやく落ち着けるようになったのだから少しばかりダラけていたい、というのが魔理沙の本音なのだ。
昼日中にうら若い乙女が薄暗い部屋の中でゴロゴロしている、というのはいささか問題があるような気もするが、ここではそれこそが基本スタイルだと言い張る者も少なくない。
巫女とかスキマとか。

「じゃあ、これを見なさい」
好奇心旺盛のはずの魔理沙が珍しく出不精を気取っているので、アリスは餌で釣る事を試みた。
アリスが鞄から取り出したのは、幾枚かの布に包まれている拳大の何か。
それは物置と化したテーブルの上、図書館の本の上に静かに置かれた。
魔理沙の片眉があがる。
わざわざ餌を用意して出動を要請してくるというのは、それなりに面倒な事のようだ。
いつぞやの夜の異変ほどの大事が潜んでいるとは思えないが、交渉という名のお願いに来たアリスに、少しばかり興味が湧いてきた。
「どれ、アリスのベットはいかほどかね」
第二のベッドと化しているソファから身を剥がす。

幻想郷にも洞窟くらいは普通にある。
山間のこの地域には天然の洞穴など、探せば見つかる程度には散在している。
魔理沙も茸の生育用にいくつかの洞窟を管理しているくらいだ。
だから、アリスの見つけたという洞窟にも、魔理沙は取り立てて興味をそそられる事は無かった。

じゃれていた蓬莱人形を膝から下ろし身を乗り出すと、上海人形が気を利かせて、くるんでいる布を解いていく。
「おう、これは珍しいぜ」
出てきたブツを見て、魔理沙はあっさり認めた。
包みの中には拳大の石。
原石である為にあちこちに他の石が付着しているが、青く透き通るその鉱物は、仄かに光を放っている。
奇抜な植物が当たり前に自生する魔法の森は、奇抜な鉱物も当たり前に埋まっている。
アリスの資材庫にはそういった物も多数納められており、その種類は多岐に渡る。
薬の触媒をキノコ、及び植物に依存する割合の高い魔理沙は、鉱物系の素材をアリスに頼る事が多いので、必然アリスの手持ちの素材も大方知っている。
しかし。
今、テーブルの上にあるこの石は、そのリストには無いものだ。
「ただの石ではないのは見てわかると思うけど、私もまだ解析してないわ」

これは何かの力を秘めている。それは見ただけで分かる。
自然に存在する力を借りて魔法を構築している魔理沙にとっては、最初から力を持った触媒というのはそれだけで有難い存在だ。
新魔法の基礎理論が出来ても、それを構築するだけの素材と燃料たる魔力は自由に出来ずに、なかなか実験を始められない、という事はよくある事なのだ。
茸や薬草、鉱石、妖怪や魔獣の身体の一部(爪や羽)など様々な素材に手を出しているが、繰り返し実験を出来るほどにはストックが無く、勢い一発勝負の実験が数多くある。
力の篭った素材でも求める魔法との相性で、効果がいまいちだったり、一回の実験でやたらと量を消費したりと、とかく安定しないのだ。
貴重な素材を無駄にしない為に、知識で足場を固めようとすると図書館の主が泣く事になる。
そんなわけで、あからさまに力を秘めている、目の前の青い輝石は新たな研究の礎として魅力的であり、ある程度の手間を惜しまなければ、供給も確保されているらしい。
この石の秘めている力が、ただ点滅するだけだとしても、それを利用する方法を考える研究は面白いかもしれない。
探求の徒である魔理沙からすれば、新しい素材は新しいというだけで大歓迎なのである。

「これは危険そうだな、私が責任を持って処分しといてやるぜ」
冗談めかして布で包み直そうとする魔理沙のおさげを、蓬莱人形が咎めるように引っ張った。
「いてて、冗談だって」
「別にいいわよ、岩床はまだありそうだったし」
アリスに振り向き親指を立てる蓬莱人形に、同じサインを返しつつアリスが答えた。
「そうなのか? まあ、お前が気前よく見せるって事は、他にもまだ何かあるんだろうが」
「察しがいいわね。とりあえず面白そうな石とか、素材に使えそうなのは他にもあったわ」
甘えてくる上海人形を抱きかかえつつ、椅子に座りなおすアリス。
「なるほど、それでか」
「そうなの、それでよ」
蓬莱人形を抱え上げ、再びソファに沈み込む魔理沙。
抱えたまま両手で持ち上げると、下からの視線に蓬莱人形は服の裾を押さえた。
「誰が暇だろうなー」
裾を押さえてじたばたともがく蓬莱人形をからかいつつ、魔理沙が言う。
「さっきも言ったけど、変な生き物がいっぱい居るの。弾幕にも応じないし、やりにくいわ」
「あー。私らの苦手分野かー」
上海人形の助けを受けて魔理沙の手から脱出した蓬莱人形がアリスに泣きつく。
「それじゃあ、それを埋める奴を呼ばないとな」
魔理沙は立ち上がると、何かの柄に引っ掛けてあった帽子を手に取る。
すぐ隣に積んであった荷物が崩れるが、魔理沙は振り向かない。



■●■



「何の用? 私はこう見えなくても十二分に忙しいんだけど」
地震は顕界だけの話であり、天空高くに入り口があり、また概念的にも異なる世界であるここ白玉楼は、いつもと変わらずに妖夢が忙しそうにしていた。
「というか、現在進行形で忙しいのよ。大した用事じゃないなら後にしてもらえるかしら」
桜の季節の白玉楼は、その花びらの掃除で妖夢の一日が終わると言っても過言ではない。
石段は今も春の色彩に覆われており、庭師が掃いたはずの上の段とて、既に色が変わり始めている。
それでも手を止めることの無いのが、魂魄妖夢の長所であり、短所でもある。
その妖夢は、仕事を邪魔されそうな予感に、警戒心を露にしている。
人間側の周りを飛び回る幽霊も、どこか忙しなさげだった。

「まあ、掃除しながらでもいいから聞いてくれ、というか話すから聞け」
「アンタ無茶苦茶よ……今更だけど」
魔理沙に交渉を任せたのは間違いだった、とアリスが自分を責めた。
「聞き流すかも知れないわよ」
妖夢は断りを入れるが、そんな事を言っている時点で既に聞き流せていない。
幽々子や紫くらいになれば相手の目を見ながらでも、話の一割すら聞いていない事も出来るのだが、根が真面目な上に頼まれ事にまみれた日常を送っている妖夢は、天性の「断れないっ娘」である。
こんな断りを入れてしまう時点で、勝敗が決していると言っても過言ではない。
「貴方の剣士としての腕前を見込んで、力を貸して貰いたいのよ」
埒が明かないとみたアリスが説明を開始した。
先ほどから浮遊している霊魂が上海人形に入り込もうとして、鬱陶しいのだ
箒で階段を掃いていく妖夢は、興味がないとばかりに無言で掃除を続ける。
「見た事のない変な生き物がうじゃうじゃいるんだけど、魔法で蹴散らそうにも洞窟でしょ? 崩れそうで怖いのよ」
ちらりと崩しそうなヤツの顔を見る。
「そりゃあ、私たちだって接近戦もまったく出来ないってわけじゃいけど、やっぱり本職の剣士が居てくれた方が格段に心強いと思うの」
年季の入った竹箒を、年季の入った無駄のない動きで操る妖夢は無言のままだが、アリスには勝算があった。
既に幽霊側の動きがせわしなくなっており、剣士や本職といった単語が出る度、丸くなったり細長くなったりして人間側に何かを訴えかけようとしているのだ。
妖夢は興味無しを決め込んでいるようだが、明らかに掃除のペースが落ちている。
あと一押しだ。
「珍しい生き物でしょう? ひょっとしたら珍味かも知れないわ、貴方のご主人のお眼鏡に適うような」
ざ……と、石段を擦る音が止んだ。
「貴方は幽々子様がどれだけ悪じ……舌が肥えているか知らないわ」
妖夢は両手で竹の柄を握り、俯き呟く。銀の髪に隠れたその表情は妖夢よりも背の高いアリスには見えない。
もう一声必要か。
「私が見たのは、十メートルは下らない巨大生物。結構な速さで地面を駆けずっていたわ、ちなみに甲殻類」
妖夢が視線を上げる。
「大きい生き物は味も大味なのよ」
「……わかったわ。魔理沙、紅魔館を当たりましょう」
それだけ言うとアリスは踵を返した。翻るスカートに桜の花びらが纏わりつく。
それまで幽霊でお手玉をしていた魔理沙が、箒を横滑りさせてアリスの横につけた。トレードマークの黒帽子もだいぶ花びらが積もっている。
「メイド長が応じるのか? あれも忙しい種族だろう、地震の影響とか凄そうだぞあの家」
「あの人、何気にレア物に弱いのよ。それに、お嬢様の好奇心を突付けばきっとイチコロよ」
「そんなものだろうな」
「夜にでも行きましょう。犬を射るには将からよ」
「邪魔したな、妖夢」
言うだけ言うと二人が揃って背を向けた。
「……護衛の依頼ということは、報酬が出るんでしょうね」
食いついた。
呼び止める妖夢の言葉に、二人は見えない角度でにんまりと笑った。

西行妖の開花を巡る騒動の際、妖夢は咲夜と戦いそして敗れた。
それ以降も幾度と無く手合わせをしていて、それなりに勝ちを納めてはいるのだが、この庭師の頭の中にはあの悪魔のメイド長に対する苦手意識と微妙な憧れが同居しており、狭い領土を奪い合っている。
今のアリスの言葉を額面通りに受け取るなら、この二人は咲夜を頼るよりも先にこちらに来たと言う事になる。
双方忙しい身の上であるが、咲夜と妖夢の仕事の量を比べる事に意味はない。
何故なら咲夜は、終わらせようと思えば次の瞬間にも仕事を終わらせてしまうことが可能だからだ。
容易く外出の出来ない身分であるとはいえ、向こうの能力は破格の性能を誇る時間操作だ。
未知の領域の探査に同伴するなら、これほど頼りになる存在も少ない。
にも拘らずこちらを先に訪れたと言う。
その事実は妖夢のプライドをそこはかとなくくすぐる。

「ええ、もちろんよ。労働には対価を。当然の事だわ」
幽霊側が人間側の周りを回っている。一定の速度でゆらゆらと。ふわふわと。
「宝探しは山分けが基本だぜ」
「アンタが言うと説得力が七割減ね……まあ、食材なんかは私達より貴方の方が詳しそうだけどね」
アリスの視線の先で幽霊側の速度が増した。するすると。ひゅるひゅると。
魂魄妖夢という個性の半分であるというあの大きな水風船の親戚は、特別な事がない限りあの姿である。
しかし、魂を共有している以上、思考の傾向なども人間側と近しいと考えるのが普通だ。
一卵性の双子よりももう片方に近い存在は、腕組みをしたまま黙り込んでいる妖夢の葛藤を如実にあらわしているように見える。
唐突に半幽霊の動きが止まった。
「少し待ってて、出かける仕度をしてくるわ」
「無理しないでいいんだぜ、忙しいんだろう」
「無理かどうかは別としても、ちょっと御使いにっていう距離じゃないかも知れないのは事実ね」
「貴方達、私を誘いたいの? そうじゃないの? どっちなのよ」
折角決断した所で余計な補足をされて、妖夢は顔をしかめる。
「何を言う、私は心配をしてだな」
「ああ、もういいわ、魔理沙は黙ってて。すぐに支度してもらえるかしら? 私達も少し準備があるから」
「じゃあ、アリスの所に行けばいいのね」
「じゃあ、アリスの所に行けばいいのね」
復唱する妖夢を真似て、魔理沙が茶化す。
「アンタは黙ってなさい!」
こちらに向いていた箒の先端をアリスが蹴りつけると、魔理沙は三軸回転をしながら階段を降りていった。

慌しく階段を降りて行く二人を見送る妖夢は、ぽつりと呟く。
「仲、いいんだろうけどねぇ」
嘆息すると、自分の半分がまとわりついて来た。
その涼しさに浸されて意識を切り替えた妖夢は、次の瞬間には表情を引き締めて回れ右をする。
靴裏が掃除されたばかりの石段を擦り、硬い摩擦の音を立てた。
上げた視線の先。
薄紅の雪が午後の日差しに霞む階段の上には、微かにだが人影が見える。
「さて……どう説得したものかしら」



■●■



場所は再び魔法の森。
その名の如く、魔が法であるこの地には様々な種族が住み着いている。
外の世界の山よりも豊かな生態系に加え、幻想の住人達が暮らしており、夜ともなると大層な賑やかさになる。
陽が傾き、波長の長い紅の光が主役となるこの時間。
森の住人マーガトロイド邸には三つの人影がある。

「それで、巨大生物を活け造りにするのを条件に、一人で出てきたってわけ?」
「別に保護者同伴は禁止してなかったんだがな」
「な、なによ! 幽々子様を連れてくれば、頭数が増えると取り分が減るとか、絶対に言い出すくせに!」
「言うぜ」
「言うわよ」
二人は何を当たり前の事を、と妖夢を不思議な生き物を見るような目で見る。
「~~……!!」
半人前は、喚き出しそうになる自分を必死に堪える。

出かける寸前まで一緒に行くと纏わり付いてきた主に、とっておきの干し柿をデコイとして使用して出てきたのだ。
忙しい妖夢はおやつを食べる時間など満足に取れない。
それ故に、おやつには保存が利き持ち運びに困らない物を選ぶ傾向があった。(その事を藍に戦の保存食じゃないんだから、と笑われた事もあった)
たかが干し柿と笑うなかれ。
白玉楼における食糧の管理は総じて厳重であり、殊、甘いものに関しては極めて高いセキュリティに守られているのだ。
ただ、監視の対象が外敵ではなく内部に対してという所に問題があるのだが。
少しずつ慈しむように食べていた干し柿の残りを、目の前で丸呑みにされた時のあのショック。
噛みすらしなかったのだ。彼奴めは。
噛めばじわりと染み出るあの甘さ、柿の旨味、秋の味覚であると共に、冬を越す為に編み出された先人の知恵の結晶。
それを味わおうともせずに……!
その瞬間、確かに眼の眩むような怒りと、身体の中が空洞にでもなったかのような喪失感に囚われた。
世が世なら暗黒面に堕ちていたかも知れない。

「そんな顔しないの、ほら、軽く食べておいて」
アリスの声には同情めいた響きがあったが、今のささくれ立った心にはそんな気安い同情でもありがたかった。
差し出された包みを解くと、中からサンドウィッチが出てきた。
妖夢が礼を言おうと視線を上げると、怯えた様子の人形達がアリスに隠れるようにしてこちらを見ているのに気が付く。
「あ……」
不覚。無様な殺気を撒き散らしていたらしい。
小動物のように身を縮める二体に、妖夢は少しばかり苦労して笑みを浮かべる。
「ごめんなさい。ちょっと腹が立った事があったから」
それだけ言うと、手にしたパンに齧り付いた。
美味しい。
素直にそう思って感心する。
あまり腹に重くない具や、活力を支える強めの香辛料など、これから運動するだろう事を考えての調理は、台所暦ウン十年の妖夢でも納得の出来であった。
「……」
妖夢は、殆ど食べる機会の無いパンや、自分とは違う系統の味付けなどを無意識の内に分析している事に気が付いた。野菜やら肉類やらの挟み込まれた具材を味わう余裕が無い自分に、妖夢は恥じ入る。
「……!」
気まずさを誤魔化すような勢いで食べていたら喉に詰まった。
無理やり飲み込もうと苦しむ妖夢に水の入ったコップが差し出され、奪い取るようにして一息に飲み干すと、大きく息を吐く。
「ありがとう」
差し出されたのは小さな手。紅いドレスの人形だった。
妖夢は柔らかく微笑む。

「で。そこの生霊が人形趣味に目覚めたのはいいとして、その洞窟はここから遠いのか?」
同じように腹ごしらえをしていた魔理沙が、ソースの付いた指を舐めながら尋ねる。
「生霊ってなによ! それに、親切にされたら礼を言うのが礼儀ってもんでしょう!」
「そんなに遠くないわよ。東側の沢があるでしょう? あの先の一部が崩れてるわ」
「確かに近いな。十五分って所か」
聞いちゃいない。
上海人形に慰められながら、妖夢はこの先大丈夫なのかしらと自問し始めた。



■●■



「ここか」
「ここよ」
三人が見下ろす先には、確かに崩落して出来たと思しき大穴が開いている。
穴の大きさは歪な直径で五メートルほど。深さは上から見た限りでは分からない。
岩場に開いた大穴は、何か巨大な生き物の口のようにも思えた。
「底までは結構あったわ。そうね、五階分くらいかしら」
アリスの言葉に、魔理沙は紅魔館が何階構造だったかを想像して、すぐに無駄だと思い直した。
「いくわよ」
妖夢が先行して降りる。
魔法使いが先に降りて何かあった場合、近接担当が駆けつけるまでに時間がかかるのはよろしくない。
井戸のような縦穴を、人魂を伴って降りて行く妖夢。
穴は岩盤の継ぎ目のようなところらしく、横方向へも隙間が空いている部分があった。
折り重なっている板状の岩の隙間に注意を払いつつ、ゆっくりと降下して行く。

夜目の利くアリスと、夜の住人である幽霊の特性を半分でも持つ妖夢には、暗闇であっても僅かな明かりがあれば済む。
しかし、普通の人間である魔理沙はそうはいかない。
魔理沙はタクトを振り、掲げた護符を軽く叩く。
【星よ、古よりの光をここに留めよ】
ほんのりと青い熱量のない光が生まれた。目を射る鋭さのない、夜の光。
暴力的な魔法の多い魔理沙とて、こういう普通に使う魔法も持ち合わせている。
「よし、頼んだぜ」
持続光の魔法をかけた護符を、近くを浮いていた上海人形に任せる。
少し大きめのアミュレットは、上海の手に持たせると小振りの盾のような感じになった。
「ちょっと、アンタなに勝手な事してるのよ!」
穴の中からアリスの抗議が聞こえる。
「上海に仕事を与えたが」
「それを勝手な事って言うのよ!」
主の叫びが響くが、常に無い仕事を貰った上海人形は、嬉しそうに魔理沙の周りを回りだした。
光源が魔理沙の周りを回り、白い光が蜂蜜色の髪を透かす。

穴を降りながらアリスは小さく舌打ちをする。
明かりを持って入ると言う事は、それだけ相手に発見されやすくなるというデメリットがついて回る。
中にいる生物はおおよそ友好的とは言えないのが分かっている以上、なるべく目立たないのが理想だ。
しかし、魔理沙の視力は普通の人間の域を出ない。
白兵戦を妖夢に任せる以上、魔理沙の役割は近距離からの支援砲撃である。
その砲手が暗くて的が見えない、と言うのでは話にならない。
「暗視の魔法くらいおぼえておきなさいってのよ!」
ぷりぷりと怒りながらアリスが降りると、既に妖夢が戦闘体制で待っていた。
奥からの僅かな光を拾い上げた抜き身の楼観剣が、妖しく冷たく輝いている。
その光を頼もしいと思いつつ着地すると、天井から光が降りてきた。
魔理沙と上海だ。
「おおー、これは予想以上だぜ!」
上海が穴をくぐると、魔理沙の作った星の光は洞窟の内部を照らした。

光が行き渡るとそこは洞窟だった。
壁は青白い石で出来ており、高さは平均で六、七メートル。岩盤を四角くくり抜いたような内観は、白光を受けて淡く輝いている。
床には天井から洩れてきたと思われる水が、そこかしこで水溜りを作っており、光を淡く反射している。
水溜りだらけの割に空気は黴臭くなく、どこからか来る弱い風が、洞内の空気の循環を物語っていた。
それは他にも穴があるという証拠であり、実際、前回アリスが探索した時にも何箇所か天井が高い場所を見かけている。
温度は低くすぎるというほどではないが、ひんやりとした空気が肌を撫でていく。
湿気た空気は、しっとりと髪先を重くしていく。
やはり快適とは言いがたい。
「これは……すごいな」
「ええ……前に来た時は明かりを点けなかったから分からなかったけど、こんなに……」
妖夢が呻き、アリスも言葉を失った。
繰り返す。
幻想郷にも洞窟くらいは普通にある。
山間のこの地域には天然の洞穴など、探せば見つかる程度には散在しているのだ。
しかし、用事が無ければ入る事など無いし、あったとしても洞窟の中身に用事があるのであって、洞窟そのものに興味を向けることはあまりない。
洞窟慣れしている魔理沙も含めた三名は、青と白の光が闇に融け込む光景に目と言葉を奪われていた。

最初に我に返ったのは魔理沙だった。
「どうだ、と言いたい所だが、見惚れてるヒマもないだろう。さっさと進もうぜ」
珍しく急かす魔理沙は実の所、若干の不安を持っていた。
自在に空を駆け巡り、常に全力で魔法を行使する事を旨とする魔法使いとしては、閉鎖空間での戦闘に始まる前からストレスを感じている。
大加速による機動も、問答無用の範囲攻撃も今は出来ない。
基本に立ち返って地味に攻撃をしてもよいのだが、それはきっとストレスが溜まる。
別にストレスが不安なのではない、溜まったストレスに耐え切れなくなったときが怖いのだ。
あたり構わず魔砲をブチかましそうな予感があった。
どこぞの運命予知ではないが、何もかも面倒くさくなって魔砲を放ち、崩れ果てた洞窟からチリチリ頭の真っ黒焦げになって這い出す自分が視える気がする。
「ううむ」
ここはやはり我慢できなくなる前に、何らかの予防策を講じておく方がエレガントというものだろう。
肩を叩いて振り向いたところにマスタースパークなんてどうだろうか。肩越しに八卦炉と対面したアリスの驚く顔を見れば、しばらくは心の平静を保てそうな気がする。うん。
「なーアリスー」
「……アンタねぇ、そんな原初の太陽みたいな魔力の塊を察知出来なかったら、魔法使いなんて名乗れな」
「白髪があるぞー」
「んですってぇ!?」
思い当たる節でもあったのか。鬼の形相で振り向いた人形遣いの眼前には、白銀に輝く真の火の光。



「で、どっちにいくの?」
先鋒を受け持つ妖夢が尋ねると、壁を調べていたアリスが答える。
「前はこっちへ行ったわ」
若干疲れた様子のアリスが、前回来た時の印を確認していたが、妖夢に振り向いて奥を示す。

別に撃たなくてもいいのだ。閃光に目を回したアリスをからかうことで、魔理沙はひとまずリラックス出来た。
アリスとしてはいい迷惑だったが、「目が、目がぁ」とよたつく姿を見て、妖夢も小さく笑っていた。
視力の回復を待つ間は、無駄な時間と数えられてしまうかもしれないが、それと引き換えに未知の領域へ踏み込む事に対する緊張がほぐれていた。

「じゃあ、マッピングは任せたぜ」
アリスが頷くと、画板とペンを持った人形が出現した。何枚かの紙にはすでに地図か描き込まれているのが見える。



■●■



少し歩く。
アリスが訪れた時に分かっていた事だが、ここは天然の洞窟などではなかった。
足場の無い所を渡る橋や、巨大な扉などの人工物、そして入り来る者を拒むような結界。
しかもそれらは幻想郷よりも文明が進んでいて、近付くと自動で開く物すらある。
仕掛けは全くわからないが、普段出入りしている所にも得体の知れない器具がある屋敷もあるので、物珍しさは薄かった。
どこかの大魔法使いの迷宮か、月の技術によるものか。
詳しく調べてみないことには分からなかったが、内部調査はそのうち来る探検隊にでも任せればいい。
遺跡に最初に立入るのは、盗掘家と相場が決まっているのだから。

「幻想郷の地下に昔からこんなものがあったとは考えにくいわ……」
今更言うまでもない意見なのだが、アリスは敢えて声に出した。
「どこかから流れ着いたのかも知れないな」
その言葉を魔理沙が受けた。最初こそ目を奪われた光景も、それしか目に入らなければ嫌でも慣れてくる。悪く言えば飽きが来る。
理解の及ばない事に考えるのは魔法使いの常。
未知の要素にあれこれと考察を巡らせ、少しでも対応しようとするのは冒険者の常。
「紅魔館みたいなものかしら」
紅い屋敷を思い出しつつ、アリスは思考を投げ返す。
由緒ある洋館は、東の果てのド田舎には恐ろしく不似合いだ。
指摘する者こそ居ないが、これから先もきっとあの違和感は拭えないだろう。
「あの屋敷ってそうなの?」
妖夢が紅魔館と関わりを持つようになったのは最近である。
「わからないけど、外にはもうメイドなんて居ないんじゃないの?」
その疑問も当然かと思いつつ、アリスが疑問をレシーブする。
「あー、確かにな」
咲夜と初めて遭った時のやりとりを思い出し、魔理沙が肯定する。
魔女もメイドも絶滅種だというのなら、あそこのメイドを売り出せば、あるいは一儲けできるかもな、とか不埒な考えが浮かび、
「でも、あそこのメイドって割りとスパルタンよね」
アリスの言葉で砕けて消えた。
玉石混合、とは言わないが妖精、妖怪、幽霊、現象、いろんなメイドを取り揃えているのはある意味で幅広いニーズに応えられるのかも知れないが、どこを切っても出てくるのは咲夜仕込みの弾幕メイドだ。
「……魔法使いの方がまだ慎みがあるぜ」
侵入頻度第一位を不動の物としている本泥棒は、嬉々として襲い掛かってくるメイドの群を思い出し、考えるのをやめた。
「何の話?」
「外貨獲得を断念したんだ」

ばしゃばしゃと水溜りを蹴散らす。
最初こそ水溜りを避けて歩いていた三人だったが、次第にそれも億劫になってきた。
浮けば済む話なのだが、浮いているとどうしても機動が大味になる。広い空間なら問題にならない程度の話なのだが、いつもの癖でつい高度を取りたくなる。
速度重視の魔理沙や妖夢にとっては、この場所はいささか狭い。
改めて比較してみると、紅魔館の廊下の方が広い気がするし、天井が低い通路状の所などは、浮いている方がかえって危険な気がしてくる。
うだうだと考えている間にも水分は着実に靴を脅かし、雨の日に外出した時の感覚を思い出せる程度には足先が重くなっていた。

「!」
先頭の妖夢が足を停め、少し遅れて後続も止まった。
居る。光の届かない領域に何かいる。
肌に刺さる悪意を察知した妖夢が、後ろの二人に注意を促そうと振り向くと、魔法使い達は既に構えていた。
なるほど。ここまで判りやすいとなれば察知出来るか。頷く妖夢。
「さて、おでましか」
「とりあえず、会話は成立しなかったわ」
「アリスの話術がいけないんじゃないのか? 人形に埋もれて引き篭もってるからな」
「なんですってぇ!?」
アリスと魔理沙が無駄口を叩いている間にも、気配は近付いてくる。
水溜りを踏む音が聞き取れる。多い。
妖夢が楼観剣を構え、アリスが人形を数体呼び出す。明かりを持った上海が高度を取ると、薄明かりに照らされて襲撃者の姿が見えた。
「来たわよ」
「なるほど、話しが通じなさそうだ」

果たして、現れたそれは見た事の無い獣だった。
毛足の短く硬そうな獣毛に覆われた体躯は熊のように大きく、二メートルは越えている。
元は四足獣の類だったのだろうか。しかし今は、どういうわけか後ろ足で立ち上がりこちらに歩いてくる。
前足には爪。鈍重な外見にそぐわぬ刃物のようなそれは、爪自体が鈍く光を放っている。
鼻っ面の大きい頭部は遥か遠方から見れば愛嬌があるのかもしれないが、荒く吐く呼気の音を聞き取れる間合いでは、間違ってもお近付きになりたいとは思えない風貌だ。
「……なんだ、あの目」
接敵までの僅かな時間で情報を収集していた魔理沙がそれに気がついた。
向かってくる獣の、その目。
眼球があるであろう位置には裂けたように毛皮の無い部分があり、そこにはまるで昆虫の複眼のような……目らしき部分があった。
光の無い環境に対応して目が退化する、という生き物はいるがそれとも違う感じだ。
むしろ、本来眼球のある生き物が、無理やり別の生物の受光体を移植されたかのような歪さを感じる。
幻想郷には様々な魑魅魍魎が棲んでいるが、この種の歪さは始めてお目にかかる。

距離にして十メートル。これ以上踏み込ませるのは得策ではないと判断したアリスが、戦闘の開始を告げる。
「さあ! いくわよ!」
アリスの叫びを理解したか、獣の群れは前足を高く上げて吼える。
戦端が、開かれた。





結論を急げば、戦いは長引きはしたものの無傷での勝利となった。
獣達は知能が高くなく、また攻撃方法も前足による打撃以外を持ち合わせていなかった。
妖夢の速度についてこられるほど機敏でもなく、その大きな体躯は何の策も無く殺到したことで無用の混乱を招いた。
楽勝であるはずの戦闘を長引かせた要因は、ひとえにそのしぶとさにあった。
楼観剣で斬られ、大量の血を撒き散らして倒れたはずがまだ動く。
イリュージョンレーザーで撃ち抜かれ、数センチ大の穴を身体に開けてもまだ動く。
人形の剣や槍で串刺しにされてもなお動く。
しかも、普通の獣であれば逃走するであろう怪我を負わせてもなお、彼らの戦意は衰える事無く、結果息の根を止めるか、行動不能になるまでの傷を負わせなければ無力化できなかった。
この事態に三名は戸惑った。
確かに幻想郷は、食う食われるの関係がある箱庭ではあるが、ここまで自己の命を軽視する種族は初めてだ。
群れを成して襲ってきたが、最後の一匹までが逃走の素振りすら見せなかったのである。
子を庇う親ならばあるいは、それとも縄張り意識が強いのか。

むせ返るような血の臭いが漂う。
頭上の明かりが照らす血は水溜りに流れ出して、あたりは血の池の様相だった。
普通の紅とは違う血の池には獣が倒れ伏している。途中で少し数が増えたらしいが、それでも残らず撃退した。
息の有る者がほとんどだが、なんの手当ても無ければそのまま絶息するだけの傷を負っている。
いや、そこまでしなければ戦闘を止められなかった生命力が脅威だった。

「なんなのよ、こいつら」
顕界の生き物を殺生した事に、妖夢は苦い顔をしている。
閻魔の説教を受けた時のことを思い出し、いずれくるであろう裁きの時を想像して少し嫌になった
「だから言ったでしょう。やるか、やられるかなのよ」
腕組みをしているアリスは不機嫌そうな様子を隠そうともしない。
確かに明かりが有った方が戦いやすかった。しかし、回避できたかもしれない戦闘をしなければならなかったという事実はアリスを苛立たせていた。
「確かにやりづらいな」
魔理沙も幾分青い顔をしている。
弾幕ごっこを日常に持ち戦いを身近に置く彼女らでも、さすがに二桁を越える命を奪ったとなると、その表情が優れなかった。
魔法の森に居を構える魔女であるなら、妖怪の縄張争いに巻き込まれたり、危険な妖物との戦いもある。
闘争の結果その命を奪うこともある。油断して大怪我をしたこともあった。
しかし、それらは事故であり、初めから殺すつもりでの戦いでない。
だから、今の光景は異常だ。
魔理沙は頭を振る。
微かにだが、頭の芯が揺れて痺れている感じがある。
洞窟に入ってから感じている違和感、それが何なのかは分からない。
洞窟という閉鎖空間がもたらす圧迫感なのか、澱んだ空気は酸素の持ち合わせが少ないのか。
だが、殺生の罪悪感も同じように痺れている。
深呼吸をしても新鮮な空気は望めず、紅く湿った空気が喉にまとわりつく感じがする。

「アリス、前回はどこまで行ったんだ?」
頭を切り替えたい、早く終わらせたい、その思いが魔理沙に終点の確認をさせる。
「やり過ごしながらだったけど、この下の層までは行ったわ」
「下があるのか?」
「そうよ。あの青く光る石はそこで見つけたの」
少し硬い表情のアリスは通路の先を見据える。口元が歪な笑みを浮かべる様子が横から見えた。

人ならざる妖、はたまた蒐集家としての本能か。己の目的達成の為には、それを邪魔する相手の命を奪う事すら辞さない決意を滲ませた貌なのか。
その表情に他の二人は共犯者としての覚悟を決める。
魔理沙も妖夢も一度やると決めたことを容易く撤回するような柔らかい性格をしていない。
棲み家に押し入ったという事実があるので若干の後ろめたさがあったが、普段している事と大した差が無いという事に決め込んで、魔理沙は割り切った。
毛玉妖怪だって生きている。魔法の試射にいくつ潰したかなど今更数える事も出来はしない。
命に卑賤は無いとするなら、毛玉もこの獣も同じ命なのだ。
そう思うとどこか楽だ、と何かが言っている気がする。

「さあ、行くわよ」
アリスの号令の元、探索は再開された。



■●■



洞窟は敵意に満ちていた。
進めば進んだだけ敵がいる。そして奥に進む為にはそれらを倒さなければならなかった。

洞窟の住人にはモグラもどきの獣以外の姿もあった。
それは巨大なカマキリであり。
それは水溜りに擬態したスライムであり。
それは小型の飛竜であり。
それは双子の異形であり。
それは敵意を持った植物であった。
カマキリは頭頂高が三メートルを超える赤い体躯と、岩塊をも切り裂く刃を持ち、極低温の息吹を吐いてきた。
スライムは斬りつけると分裂し、床を覆わんばかりに増えた。鞭のようにしなる体の一部は、まるで棍棒の一撃のように重い。
飛竜は高熱の光のブレスを吐いてきた。周囲を構わず薙ぎ払うそれは他の敵にも等しく苛烈だった。
朱と蒼の左右対称の異形は、あろうことか合一して一匹の更に危険な怪物になった。そびえる巨体はびくともせず、破壊光線を撒き散らした。
植物は形こそ一輪の百合の花のようにも見えたが、植物にしては大きすぎる花弁の中には鋭い牙があり、耳をつんざく奇声を浴びると、体がしびれたように鈍くなった。

いずれもしぶとく、そしてうんざりするほど数が多かった。
刃光が閃き、魔力が唸り、人形達が蹂躙する。
前衛の妖夢を魔理沙が援護し、アリスが全体のフォローをする。
大規模魔法を使用出来ない魔理沙は、地味に的確な攻撃で妖夢の死角をカバーしていく。
多彩な魔法を操るアリスは、時に攻撃、ときには補助、あるいは回復、と持ち前の器用さで戦闘を円滑に進めるサポート役に徹した。
弾幕を形成しない戦いにも慣れてきた三人は、次第にフォーメーションが出来てきていた。

効率よく障害を排除し、返り血に汚れ、口数少なく行軍する少女達。
互いに口には出さないが、各々、もう一人の自分が奥へ奥へと誘っているかのような感覚に囚われていた。
頭の片隅にある違和感。
その正体を見極められぬまま、少女達は洞窟を進んでいく。



「いくぜ妖夢!」
「魔理沙こそ、しっかり着いてきなさいよ!」

幾度目かになる戦闘も、既に手馴れた物になりつつあった。
モグラもどきの群れに、大カマキリと花。
違う種族同士が協力してこちらに襲い掛かってくる事実は謎のままだったが、構わず妖夢は踊り込んだ。
翔! と飛び込むや、
疾! と二刀が閃く。
断! と何かがまとめで飛び、
割! と気安く何かが終わる。
緑の颶風が駆け抜けると、後を追うように紅が飛沫く。
頑! と刃が止まった。
カマキリの首を前肢ごと斬り飛ばそうとした楼観剣が挟み込まれていた。みり……と刃が鳴る。
紅い巨躯の上に載る頭部、一つ目の奥の敵意を見据えたまま妖夢は叫ぶ。
「舐めるな!」
だが、光と風を纏い出した剣を振るう前に、真紅の暗殺者の首が消し飛んだ。
横合いからの熱光が、剣閃に劣らぬ鋭さで振り抜かれたのだ。
虹を煮詰めた輝きを持つ一閃は、淡雪の如き光の粒子を残し挨拶するように消えた。
妖夢は、首を失い崩れ落ちるカマキリを駆け上ると、殺到するモグラもどきの一団を飛び越える。
振り下ろされた爪は妖夢の影を裂くのみに留まる。

宙返りの刹那、逆さまの視界の中で魔理沙がウィンクするのが見えた。

着地、そして
【冥想斬!】
妖に打たれた楼観剣は、妖夢の手の中で、妖物を討ち果たす力を遺憾なく発揮した。
横薙ぎの一閃は壁までを削り、通過線上に居る者達に等しく滅びを与える。
「密集なんかしているからよ……!」

思ったよりも岩盤がしっかりしているのか、内壁は流れ弾が当たってもびくともせず、既に大丈夫そうな(無差別破壊では無い類の)一部のスペルは戦闘に投入されていた。
魔砲は論外だが、各自の攻撃の選択肢に幅が出てきている為、今のように一網打尽に出来る場面も増えていた。
しかし数が多い。

一斉に倒れた群れの向こうに魔理沙の姿が見え、こちらに向けてミサイルを放ってきた。
迫るミサイルに構わず突進すると、弾幕は何事も無く通過し、妖夢の背後で立て続けに炸裂音が上がった。
断末魔の叫びに顔をしかめつつ、背に受ける爆発の衝撃を踏み込みの速度に上乗せすると、妖夢は更に加速。
瞬間で魔理沙と交差すると、その先の地面から這い出して来ている青と朱の怪物に向けて走った。
四脚二腕の怪物は、紅い怪光線を
「っ!」
左足を強く踏み、地面を蹴り飛ばす。
同時、妖夢のすぐ左を光線が奔った。
弾き飛ばされたように右三十度の進路修正をした妖夢は、左の腰に楼観を構え、そのまま叩き付けるように駆け抜けた。
切っ先が水蒸気の尾を引いたのは一瞬。
硬い外皮をバターのように易々と切り裂いた刃は、そのまま怪物の左手のすぐ下の辺りを通過。妖夢の右へと銀の大弧を描いて止まった。
靴底が濡れた地面を滑り、振り抜いた姿勢のままで三メートル程を滑走する。
巨体であるソレは、剣風と化した妖夢に振り向く事も出来ない。
妖夢が停止すると同時、朱い側から緑が噴出した。
内包されていた命が飛沫き、無機の床に撒き散らされる。
「――!!」
どこかにある発声器官から悲鳴らしきものをあげ、緑色の血を溢していたソレは、身悶えすると分離した。
初遭遇時に見かけた形態へと移行したソレ、いやソレらは、残身のままの妖夢に振り向く。
しかし、
「――!?」
判読不能な声を上げて、朱い方が爆ぜた。
緑の血煙を突き破って現れたのは、【幽明の苦輪】によって人の形を得ていた半霊側。
妖夢の半分は白楼剣をもう半分に投げ渡すと、朧に形を崩し、いつもの白玉に戻る。
半身である朱を失った青は、しばし呆然としたように立ち尽くしていたが、直接の原因である妖夢に襲い掛かった。
蟹のハサミのような腕を振り下ろす。人の頭程度なら挟んで潰せそうな大きさのハサミが、重く妖夢を狙う。
しかし妖夢は右の楼観剣一本でそれを受けた。
金属が石を打つような音。
加速と体重が乗り切る前に内から外へと払うように打つ。
合体した時に腕が二本となる作りであるなら、分離していれば片腕しかない。そして妖夢は二刀流であった。
攻撃を相殺された青は、続く白楼剣の斬撃をまともに喰らうことになる。
妖夢は右足を強く踏み、左足を一歩前に。踏み出す勢いと等しく白楼剣を振り上げる。
下段から縦に一太刀。
刃が肉を断つ反動を逃さず利用して踏み込み。それと同時に手首を返す。
踏み込みに乗せるように、振り上げた左の刃を縦に打ち下ろす。
二の太刀で下がった重心は妖夢に安定をもたらし、弾いた反動の残っている楼観剣を強く握り直させる。
前傾姿勢、左足に移った体重を跳ね返すように地面を蹴り、右腕を強く後ろへ引く。
回転。
時計回りをした妖夢は裏拳を放つ要領で、加速の乗った右の楼観を、そして続けざまに白楼を放つ。
白線が二つ閃き、一瞬の時間の中で四連斬が成立した。
十字に切れ目を入れられた青は、何かを堪えるように僅かに震えたが、
「――……!」
くたり、と、どこか疲れたような仕草でもって倒れこむ。
ずるり、と、上半分が咲いて緑色の血が溢れ出した。
返り血を避けるように大跳躍した妖夢は、天井付近から戦場を見渡す。
アリスの周囲には敵は無く、魔理沙も残った花の化物の掃討を行っていた。
落下を始めた視界の中、妖夢は戦闘の終了を見切って心で安堵の息を吐く、いや、吐こうとして違和感に気付いた。

その花の化物は、他と違い花弁が青かった。
それ以外はこれまでの黄色の物と変わらず、やはり牙の生えた口がある。近付けば喰い付かれる恐れのあるソレだったが、
「根があると大変だな!」
右手をかざし狙いを定める魔理沙に、その花は仰け反るような動きを見せる。
「魔理沙!」
妖夢の警告と魔理沙の手から魔法の矢が放たれる音が重なり、同時、花からもパープルの大弾が一発放たれた。
花の化生が弾を撃ったとしても驚く事でもあるまい、と余裕を持って回避しようとした魔理沙を、
「!!」
妖夢は疾風の如き踏み込みで突き飛ばした。
踏み込みの反動が洞窟内を反響し、そこら一帯の水溜りが爆発したかのように水飛沫を上げる。
激突によって運動エネルギーを魔理沙に移した妖夢は、魔理沙の立っていた位置に取り残され、迫る大弾の直撃を受けた。
「ぐ……!」
その弾は割れたガラスを踏みにじるような音と共に妖夢を通過し、しかし何事も無かったように直進していった。
弾は射程限界に達したのか、不意にほどけるようにして消えてしまう。

ほんの数秒のやり取りだったが、震脚の音は坑内にこだまし、舞い上がっていた水飛沫が降って来る。
「なんだなんだ一体。私の一張羅が台無しじゃないか、どうしてくれる」
水溜りに転がった魔理沙がずぶ濡れで戻ってきたが(五メートル近く転がったらしい)、妖夢はそれに答えず蹲ったままだった。
「ちょ、ちょっとどうしたの? まさかあんなの一発でやられるほどヤワじゃないでしょう」
アリスが不審を嗅ぎ付けて訝しげな視線を向けていると、ようやく妖夢が顔を上げた。
「!?」
一目見て健常ではないと分かる顔色にアリスは息を飲む。
土気色の顔になった妖夢は虚ろな視線をアリスに向けていた。人間側である半分までもが棺桶に片足を突っ込んでいるような有様である。
「な、なに今の? 今のが原因なんでしょう?」
問いかけながらも賦活の魔法をかけるアリス。
永琳の薬やパチュリーの賢者の石ほどの万能劇的な効果はないが、傷を癒し活力を取り戻すこの魔法は、パーティーの重要な生命線である。

柔らかい山吹色の光に包まれていた妖夢だったが、三分もすると立ち直った。
絶え絶えだった呼吸も落ち着き、顔色も瑞々しさを取り戻している。
煽りをくらって、殺虫剤を浴びた虫のように痙攣していた半霊も、礼を言いたいのかアリスにまとわりついている。
「あれは……死の呪いよ……」
先ほどまでその花が居た場所を睨みつつ。妖夢は続ける。
「幽々子様の死蝶によく似た感じだったから、たぶん間違いない……私は半分生きてないから効き方が甘かったみたいだけど、貴方達が浴びたらかなり危険よ」
「死霊の類なのか?」
スカートを絞っていた魔理沙が問う。
「わからない、でもあの花には生命の流れを感じた。たぶん、そういう能力なんだと思う」
「……厄介ね」
これまでにもあの花の怪物は居たが、これといった警戒も無しに駆逐していた。
麻痺効果のある叫びは厄介だが、やってくる頻度が低い上に近くで聞かなければあまり効果がなかったので、敵全体の中では「危険度:低」として処理していたのである。
「今の青い奴だけが弾を撃つとは限らない、むしろこれまで倒してきた黄色にもその能力があると見るべきよ」
脅威を体験した妖夢の言葉と、明らかに増した危険度に、アリスの眉間のしわも増した。



妖夢が調子を取り戻すまで休憩となった。
制圧した区域には敵が追加でやってくる事は稀だったので、場所はそのままである。
相当数の敵を屠ってきた一行だが、不思議な事に死骸は残らなかった。
どういう仕組みになっているのか知らないが、絶命した端から溶けるように朽ちると、血溜まりだけを残しすぐに床のシミになっていくのである。
そして、そのシミすらも水溜りと混ざって痕跡を消してしまう。
妖夢たちが居る少し向こうの暗がりには、戦いの跡が残っているのだが、敗者の姿は影も形も残っていないのだ。

妖夢が適当な石の上に腰を下ろして見ていると、魔理沙の鞄から銅のカップが三つ、小さめのポット、三脚、茶葉の缶が出てきた。
小脇に抱える程度のなめし革の鞄は、満載の中身で丸々と太っていて、まだまだいろいろ入っているのだそうだ。
鼻歌交じりで水を汲んできた魔理沙は、八卦炉でお湯を沸かしている。
アリスのベルトポーチからは小ぶりの林檎が三つ出てきた。これも、どう考えても入る大きさではなかった。
妖夢が目を丸くしている先で、くるくると紅い果実が剥かれていく。
アリスのナイフ捌きは妖夢の目から見ても見事であった。
やる事の無い妖夢は、部屋を見渡す。
吹き抜けのように上方に広い部屋は、自然光が入ってくるらしく、目を凝らすと月の光が確かに見える。アリスの見立てに違わす、別の入り口があるらしかった。
天井の高い所から水が流れ落ちてきて、少し先に池を作っている。
小さな滝の立てる音は洞窟の静寂を破るものであるが、自分たちの話し声が響くのを防ぐ役割も持ってくれていた。
こちらは、敵の接近にはアリスの人形が哨戒に立つ事で対応出来る分、有利であると言える。
「お茶の用意が出来たぜ」

病人には林檎。
そんな古からの伝統を守るわけでもないのだろうが、皿の上には林檎の切り身が並んでいる。
さくさくと啄ばみ、お茶を啜る。
無休で進行していたのを思い出すと、歩き尽くめだった足がやる気を放棄した。
きっかけはアクシデントだったが、タイミングは丁度良かったのかもしれない、とアリスはカップを傾ける。
「……美味し……」
普段家で飲むならアリスが淹れたほうが美味しいのだが、フィールドワーク中に淹れる魔理沙のお茶はどういうわけか格別なのである。
この辺は野良の面目躍如なのかもね、とどうでもいい思考に適当に答えを出す。

「またあったぜ」
魔理沙の言葉に視線を戻せば、明かりの下には「四角い物」があった。
「なんなのかしらね」
「というか、なんで持っているのかしら」
妖夢が首を傾げ、アリスも首を捻る。

敵の死体が消えると、時たまに謎の四角い物が落ちている事がある。
直方体のそれは、短い方が三十センチ弱、長い辺が五十センチ程度の金属もの何ともつかない硬質な素材でできている。持ってみれば重くなく、同じ大きさの空の木箱を持っているという感覚が丁度いい。
その四角いオブジェが何なのかは不明だが、敵を倒して気がつくと床に転がっているのである。
「これで何個目?」
「四つ目だな、紅いのは初めてだ」
そのオブジェには色がついていた。最初に拾った緑、次に拾った青とオレンジ。それぞれ表面に継ぎ目ともつかない奇妙な溝が刻まれている。
「開きそうな気配はあるんだけどねぇ」
「香霖に見せれば何か分かるかもな」
「こんなに持って帰るの?」
妖夢の質問に、確かめるようにコンコンと叩いていたアリスが答える。
「ああ、大丈夫よ。私の転送ゲートに入れれば、とりあえず家の人形部屋に送れるから」
「便利なのね」
余裕の笑みを浮かべるアリスに、妖夢も微笑み返す。
幾度かの共闘を経て、妖夢の堅苦しさも抜けてきていた。
基本的に一人で全てをこなしている日常の妖夢としては、仲間と何か共同でやるというのは、滅多に無い体験だった。
それ故に、誰かに背中を預けて戦えるというこの状況を、少しばかり愉しんでいる節がある。
「でも、向こうにそんなに余裕がないのよね、今……」
苦笑したアリスは、コマンドワードを唱えると転送ゲートを開ける。
みゅいん、といういかにもな音を立てて、光の輪が確定した。
「この大きさだといいとこ百個ってところかしら」
首を傾げつつも、箱を放り込む。
「散らかしてるからだぜ……いやすまん」
魔理沙の指摘に振り向いたアリスは、にっこりと微笑む。
魔理沙にガンをつけていた為、手元が狂った。
「あ」
ぱしん、と軽い音と共にゲートの縁に弾かれ、放り込もうとしていた紅い箱が地面に落ちる。
「「あ」」
落ちた表紙に停め具でもズレたのか。かぽん、という間の抜けた音と共に紅い箱は二つに別れ、中身をはき出した。
「「「……」」」
出てきたのは一振りの日本刀。
どうやっても箱の中に入るような長さではない。
楼観剣よりは短いが、それでもその太刀は四尺近い長さをもっている。
空間を折りたたむ魔法か何かか。なんにせよこの箱は、箱そのものよりも大きなものを収納できる代物らしい。
「なんだか便利そうな箱だぜ」
「そうね、でも開閉方法が分からないと、仕舞ったものが取り出せなくなる……ってあんた何してんのよ!」
アリスが言っているそばから、魔理沙は紅い箱に人形を入れて蓋をしようとしていた。
「何事も実験だぜ」
「だったら自分の持ち物でやりなさいよ!」
「そんな事をして、もし開かなくなったりしたら困るじゃないか」
「ぬあー! どうしてアンタはいつもそうなのよ! 蓬莱も止めなさい!」

妖夢は、あんたらの鞄だって十分不思議グッズだわと思ったがと口には出さずに、アリスと魔理沙がじゃれあっている間に太刀を拾い上げていた。
古びた鞘は妖夢に確かな手応えを寄越す。
抜かないでも分かる、これは相当の血を吸っている刀だ。
「……」
柄に手を掛け、一気に……
「ぬ……抜けない……!」
ざりっとした手応えがあり、僅かに抜けたがそこまでだ。
切羽が詰まっているのかと鍔元を見ると錆が見える。
この調子では、刀身も錆びているかもしれない。
碌な手入れもせずに、長い間放置していたのだろうか。
刀から漂う重厚な気配は、間違いなく妖刀の類。
祖父が使いもしない癖に集めていた刀が屋敷の蔵に眠っているが、それと同質の気配だ。
錆に見えるそれは、本当に錆なのか? むしろ斬った相手の血が後から滲み出てきて固まった、とか言われた方がしっくりくるような気がする。

諦めてアリスに仕舞ってもらおうとした妖夢だったが、何故だかその刀を打ち直した姿が見たくなった。



■●■



突入して約一時間、殲滅戦と謎の箱拾いと化していた洞窟探検に、ようやく変化が訪れた。
一行の目の前、洞窟が袋小路になっている部分に、下の層へと繋がっているスロープが現れたのである。

「そうね、前もここを通っているわ」
アリスが壁の印を確認している。

前回描かれた地図は、何故だか不正確な部分があった。
おおまかな部分は合っているのだが、開かない扉があったり、見覚えの無い結界が張られていたりして、何箇所か通行不能の場所が出来ていたのである。
いずれの通れない場所もその先は部屋になっていて、つまりは行き止まりの場所なので、奥に進む分には問題がないのが救いだが、何者かが管理している気配のあるこの洞窟に、三名は不審を隠せないでいた。
結界と厄介事で思い当たる筆頭は八雲紫だが、まだ春になったばかりのこの時期、起き抜けの紫がこんな大掛かりな手間をかけるのかと、妖夢が首を傾げた。
納得の出来ないものがあるのだが、誰も引き返そうとは言い出さずに、結局ここまで来ているのである。

「なんだか洞窟らしくなってきたぜ」
「洞窟らしい洞窟ってのがどうなんだか、よく分からないけどね」
「水溜りが無いのは助かるわ、踏み込むたびに跳ねるのって鬱陶しくって」

下層は、上の層よりも土が露出している所が多く、また乾燥している。
直ぐ上に水溜りが沢山あるのに、下の方が水はけがいいのは不思議な構造だが、地質学の知識の無い三人では答など分からなかった。
頼りない光源に照らされる地面は、苔類なのか、光の無い所にも関わらず緑がある。

「早いところ終わらせて外の空気が吸いたいぜ」
応えるように上海がくるりと回る。
軽口を叩いた魔理沙だが、重さを増した空気の感じに、言いしえぬ危機感が引っかかっている。
普段なら見逃すことの無い警鐘。幾度も己を窮地から救ってきたソレに、何故だか意識が向かない。
危険を訴えている自分の声は聞こえるが、頭の中の霞がかったように、そちらに目を向ける事が出来ない。
見通せぬ闇の先で何かが呼んでいる気がする。
見通せぬ路の先へと踏み込もうとする自分がいる。
何かに焦る自分を感じる。
先に進まなければならないと思う自分か。
先に進む事に警鐘を鳴らす自分か。
他の二人を見ても、特に変わった様子は無い。
魔理沙は目頭を押さえて、深く息を吸い込んだ。

アリスの先導の元、一行はとりあえずの目標である岩床のある方へと向かった。
敵性生物は相変わらずだったが、対処法が分かってしまえば最初ほど面倒ではなくなっていた。
近寄るべき相手と、近寄ってはいけない相手、その区別が出来てしまえば魔理沙と妖夢のコンビネーションで、大概の障害は苦も無く排除出来るのである。
淡々と処理をしながら進む三名には、最初の頃のような負い目は感じられない。
どこか急かされるかのように奥へと足を進める様子は、何かに導かれるように的確に奥地へと踏み込んでいった。

「ここね」
アリスの声に硬い足音が止まった・。
ようやくにして到達した場所は、地下水脈が湧き出している区画にかけられた橋の上であった。
あからさまな人工物にも、もはや驚きはない。
三名の見解としては、この洞窟は外の世界の何かが幻想に昇華して丸ごと移植された区画なのだろう、というモノである。
紫や霊夢、香霖といった外界との接点を持つ人物の近くに居れば、そういった事象が間々あるという事も、お茶請けの代わり、あるいは酒の肴に聞くこともある。
見た事のない危険な生物や、出所不明の技術が見え隠れする洞窟。
霊夢が出張って来ないのは、これが異変ではないからなのか、それともまだ縁側でぼんやりしているからなのか。
あるいは解決に奔走しており、ひょっこり顔を出すかもしれないが。
どちらにせよ、幻想郷に何かが流れ着いたと考える方が楽であるし自然であった。

三人と半分が見上げる先には、淡く輝く岩塊が突き出していて、結晶部分が覗く箇所からは青い光が見て取れる。
足元のせせらぎに合わせて煌めいているようにも見える。
三人が手を繋いでも、その端まで届きそうに無い大きな塊は、
「改めて見てみると……何なのかしら……力は感じるんだけど」
「とにかく採掘だぜ」
目的地に到達してテンションが上がっている様子の魔女二人は、いそいそと採掘の準備に取り掛かった。

魔理沙は、鉄釘用ハンマーなどを鞄から引っ張り出しながら、ちらりと上を見る。
鉱物マニアと言うわけでもないが、新素材というモノは魔法の実験には可能性をもたらす貴重な因子だ。
日々研究であるこの二人からすれば、この青い石だけでもご飯三杯はいけるくらいには「美味しいおかず」なのである。

色めき立つ魔女二人を横目に、妖夢は周囲を警戒する。
これまでの戦いで判ったことの一つに、連中はテリトリーが厳密に決められているらしいという事がある。
猛然と向かってくる割には、あまり遠くまで追って来ないのだ。面倒な戦闘はそれで回避できる場合もあったが、敵を排除しないと開かない扉や結界が大半であり、結局戦うしかない場面も数多くあった。
今この区画は、見る限り敵の姿は無い。

姿を見せぬ敵に備えているはずなのに、どこかで敵の出現を望んでいる自分がいる。
殺戮の衝動に負けるような事は有ってはならないと、強く言い聞かせているのだが、刀を振るい、敵を屠る度に内圧が高まっていくような感覚がある。
戦闘の興奮が抜ける前に次の一団と遭遇し、これを打ち倒す。
襲い来る敵を躱す事は難しくない。しかし、安全措置なのか、敵が居なくならないと道が拓けない場所がある。
なので止む無く戦う。
そしてまた次の敵群。
考える間も無く戦い続け、かれこれ二時間は過ぎただろうか。
咲夜の影響で時計を持つようになった妖夢だが、今の今まで時計を持っている事すら忘れていた。
意識の一部分に蓋でもされているかのような気分だった。
……今の私は何かおかしい……
ノミが石を穿つ音を聴きつつ、白楼剣を抜く。
氷面の様な刃に映るひんやりとした光の中には、いつもと変わらぬ自分が居る。
「……」
おもむろに鎬を額に押し当てる。金属の冷たさが染み入り、心が冷却されていく。
この洞窟に入ってから止まないでいた、チリチリと首の後ろを焦がすような妙な感覚が、薄らぐのを感じる。
夏場に霧吹きでも吹かれたかのように、背中に張り付いていた心理的な熱が引いていった。
少し目を閉じていた妖夢は、白楼を握ったままに深呼吸する。
すると、微妙に不調でイライラしている魔理沙や、変に強硬姿勢のアリスの態度にも疑問が湧いてきた。
連中は確かに無茶をするし人の言うことを聞かないが、それでも、どこかに余裕を忘れない。
人を食ったような態度も余裕の表れだと思えば、それの無い今は、やはりこの二人も本調子ではないのかもしれない。
……この洞窟は、何かおかしい。
妖夢は改めて認識する。
自己の命を何とも思わない危険な生き物の群れ。
戦いを強要するような構造の洞窟。
疑問を口にする間も無く戦い続け、実際ここまで殆ど不休で進んでいた。
誰かが引き返そうと言い出さない限り、何処までも奥に進んでしまうのではないのか。
アリスが踏破しているのはこの辺りまでで、ここから先は未知の領域だ。
疲労も蓄積しているし、帰り道の事を考えるならあまり奥まで潜らない方がいい。
遠足は家に着くまでが遠足だって、慧音が言ってた。

違和感を指折り数えていた妖夢は、頭の片隅でずっと鳴り響いていた警鐘にようやく意識を向ける事が出来た事に、安堵の溜息を吐いた。
二人がこれ以上進むというなら反対すべきだと意見を固める。
本音としてはさっさと目標を達成して帰りたかったが、巨大な甲殻類とやらはまだ影も形も見かけない。
外出の許可と引き換えの案件が未だ手付かずであるという事実に、眩暈がしてきた。
じんわりとした疲れに、妖夢は思わず天井を見上げる。
そこに、
「!?」
何かが張り付いていた。

作業をしている二人の近くに光源がある為、その影はぼんやりとしか見えないが、闇を見通す妖夢には関係ない。
岩塊と見まごう大きさの何かが、天井に長々と張り付いている。
頭部と思しき場所は嘴のような鋭角の甲羅に覆われていて、目らしきものは確認できなかったが、それでも妖夢は相手と目が合ったと本能的に察した。

「魔理沙! アリス! 上だ!!」
妖夢の警告と同時に相手が動いた。採掘作業に没頭していた二人目掛け、何かが鋭く伸びる。
「!」
硬音が二つ。
妖夢が突き込むように投げた白楼剣と、明かりを投げ捨てた上海が構えた盾に、延びてきた触手のような物が弾かれた。
見上げる。
床に落ちた光源が照らす部屋、その天井には十メートルを軽く越える体長の何かが陣取っていた。
「なんだ……こいつは……!」
「これよ! 私が見たのは!」
魔理沙の呻きにアリスが答え、その答えに相手が叫ぶ。
ぎゃおう、という獣じみた叫びを上げると、ソレは天井を伝って走り去ろうとする。
「あ、待て!」
叫ぶ妖夢はこの時になって、自分の投げた白楼が、触手の先端のまるで槍の穂先のような部分を刺し貫いたままになっている事に気がついた。
相手は今日の冒険の目標であると同時、家宝の白楼剣を奪われたままには出来ない。
血相を変えた妖夢が走り出すと、天井の岩塊が落ちてきた。
ムカデじみたそれが天井を這いずると、脆い部分が落ちてくるのだ。
にわか雨のように突如として現れた石礫の弾幕を、しかし妖夢は掻い潜る。左右に細かくステップを踏み、時には落ちてくる岩を斬り潰して路を拓く。
半霊からの援護射撃が岩を弾くが、追う対象が天井を崩し続けるので、後ろに付けている限り状況は変わらない。
「っ」
舌打ちと共に思いつく。秘剣のひとつでも放てば前に出る事も容易いか。幸い、脚力には自身がある。
妖夢は走りながら姿勢を低くし、力を引き絞る。
闇を翔ける己を強くイメージし……そこで思い留まった。
追撃に使えそうな技は一歩の踏み込みを大きく、瞬時の加速を旨とする物が大半だ。
この先に直線が続くなら問題ないが、直後に曲がり角でもあったりしたら洒落にならない。
闇は見通せても、岩が降り砂煙が舞う中ではそうもいかなかった。
「く」
駆ける妖夢が焦りに奥歯を噛んだその時。
「妖夢!!」
背後に輝きが生まれた。
魔理沙のスペルだと判断する間があればこそ、箒の後ろに座ったアリスに掬い上げられる。
いや、首根っこを掴まれて引っ張り上げられた。
「「魔理沙!」」
異口、同音の叫びに
「追うぞ!」
箒の後ろで速度が爆発した。



■●■



「ねえ! もう少しスピードでないの!?」
「文句の多い奴はここで降りてもらうぜ!?」
「狭いんだから動かないでよ! 落ちるじゃないの!」

三人乗りの箒は狭い上に不安定だったが、【スターダストレヴァリエ】を傘にする事で、追撃は可能だった。
最高速には遠く及ばないが、石の雨の中を走って追いかけるよりはまだ早い。
狭そうに横座りしているアリスの、更に後ろでしがみ付いていた妖夢だったが、頭のすぐ上を随伴する小さな流星達を見て素直に驚いた。
起点となる魔力塊を箒と等速で上方に展開すると、まるで光のヴェールの様になびく星弾が簡易の障壁となり、降り注ぐ岩塊を弾き飛ばすのだ。
降って来る岩群の大きさや密度に応じて、魔理沙のタクトが踊り、星の銀幕の密度が変じる。
妖夢はこのスペルを、投射してその軌跡から生じる星弾で相手を包囲する使い方しか見ていなかったので、魔理沙の意外な器用さとカラフルな星のショウにしばし心を奪われた。

頬に冷たく湿った風を感じながら、魔理沙は目を凝らす。
「この先どんな感じだ!?」
「まずいわ! この先の空間、きっと水路か何かがあるわ!」 
後ろで聞いていた妖夢には、どういう原理でアリスが先を視ているのか分からなかったが、その答えを聞いて顔色が変わった。
水に逃げ込まれるのはかなり困る。泳いでいる間に白楼剣が抜けてしまえば、探し出すのは相当に困難だろう。
「みょん之助! ヤツが水路に逃げる前に仕留めたい!」
「同感ね!」
適当な渾名で呼ばれた事はこの際置いておく、追いつきたいのは妖夢とて一緒だ。
「この先の直線でヤツを天井からはがす! その隙に先に回ってくれ! 出来るか!?」
「私の脚力を馬鹿にしてるの!?」
がらがらと天井を這う音と、ばりばりと星が岩を砕く音に負けないように、至近にも関わらず大声で応じる。
「魔理沙! ハードレフト!!」
「おっしゃあ!」
アリスの叫びの意味を妖夢が解する間も無く、箒が左に倒れて落ちようとする。
九十度近く傾いた視線の先に見えるのは、
「妖夢! 蹴って!」
返事をするよりも早く、見通せぬ闇の先に壁が現れた。間違いなく激突する速度と角度だ。
「ぬえい!」
アリスの言葉ごと蹴りつけるとコーナーへの進入角が変わった、
「よっしゃあ!!」
魔理沙の声と共に箒が加速。一気にコーナーを脱出する。
……コイツ、今減速してなかった!
妖夢が冷や汗をかく間も無く、箒が広い空間に飛び込んだ。

光が広がり音が遠くなる。まだ地面は続いているが、それで安心できるわけではない。
壁の遠くなった地下空洞、その天井にはムカデのお化けのような巨体が張り付いている。
「アリス!」
「二人とも、崩れないように祈ってなさい!」
人形が二つ、投げ出されるように飛び出した。
未だに降り注ぐ岩から身を護るため、レヴァリエの光球が先んじて飛び、その下を人形が行く。
傘になった流星を掲げるようにして飛ぶ人形は、天井を這う巨大ワームに追いつき、その左右から挟みこむように飛び込んだ。
唐突に妖夢は気が付いた。
「爆弾!?」
正気か! と問う視線に答えるのは二つの炸裂音。
二つの贄が爆発になり、衝撃波を生み、洞窟内に反響する。
砂礫が舞い、視界が遮られる。
薄明かりの中で、足がかりを崩された巨大ワームが剥がれて落ちてくるのが見えた。
「妖夢!」
「応!」
成すべき事は分かっている。
箒から飛び降りた妖夢は地面を踏みしめた。体に残る慣性で、前につんのめる
着地の衝撃を踏み込みの震脚に置き換えて、瞬時に速度を練り上げる。時間が粘るような感覚が妖夢の矮躯に満ちる。
前に倒れようとする体はそのままに、顔を上げれば前には影。
降りしきる石つぶての雨の中に、長さ十メートル強の範囲で降らない場所が見える。
「っ!!」
妖夢は溜め込まれた力を解放した。
身を投げ出すような低姿勢で踏み出した一歩で、妖夢は音を越える。
頭上のプレッシャーを強引に無視して、強引に潜り抜ける。
瞬きひとつの時間で巨大ワームの下を通り抜けた妖夢は、地面に突き刺すような一歩を軸にして百八十度ターン。
暗闇に髪をなびかせて振り向いた妖夢は、離れていく崩落現場の中に大重量物が落下するのを目撃する。
初動の勢いが消えず、後ろ向きに滑走しながら、妖夢は楼観剣を抜いた。
【断迷剣……】

地響きをあげて落ちてきた獲物の向こう、砂塵の中に確かに見える翠碧の輝きに二人が叫ぶ。
「ちょっとアレ!」
「馬鹿妖夢! 天井ごと斬る気か!!」

奥義 【断迷剣 迷津慈航斬】は、霊気で増幅された刀身を以って相手を討つ技だ。少なくとも表向きは。
霊魂がどうとか迷いがどうとか、本来はいろいろあるのだが、当の妖夢をして細かい説明は出来ないので、周囲からは「すごい剣」程度の扱いしかされていない。
しかし、魂魄流の数ある秘剣の中でも、威力で数えれば比肩する技は皆無である。
そして、増幅された霊気は刀身を伸張する。閉所で用いれば周囲ごと薙ぎ払う事になるのは目に見えていた。
威力の劣る【冥想斬】ですら、壁を斬り穿つ威力を持っているのを目の当たりにしている魔理沙とアリスは、瞬く間に伸張していく刀身に揃って肝を潰した。

二人の視線の先、妖夢は跳んだ。
霊剣を携えたまま、溜め込んだ速度を解放し、天井に向かい矢のような速度で跳躍する。
「な!?」
天井に到達した妖夢は体勢を入れ替えていた。上下を逆に、崩れた岩壁を足場と着弾した妖夢は、その反動を以て天井に立つ。
着地の衝撃が身体を天井に貼り付け、それを踏み込みに置き換える。
妖夢の見上げる先、今や天井と化した洞窟の床には、腹側を見せてのたうっている巨大ワームの姿がある。
振り上げた。

【迷津慈航斬!!】

逆さまの妖夢は、剛剣を縦一文字に振り下ろす。
切っ先は床を削り、仰向けに倒れているワームの頭から入った。
豪斬一閃。
直撃した霊気の剣は頭から尻尾までを打ち据えて、
「うおぁっ!?」
魔理沙の箒を掠めて振り抜かれた。
エメラルドの輝きを放っていた巨大な刀身は、天井にぶつかる寸前で消える。
切り裂かれた洞窟の空気が、悲鳴を上げるかのように鳴動し、打たれた巨体が直撃した威の圧に捩れている。
一拍遅れて斬撃の結果が炸裂した。
割音、というよりは、砕音。
大木が倒れ際に立てるような、めりめりという音と共に、腹側の甲殻に亀裂が走った。
衝撃に耐え切れなかった部位は砕かれ、砕片となって弾け飛ぶ。
斬撃を受けた腹側だけではなく、硬い地面と板ばさみになった背中側にも亀裂が走る。
「――~~……!!」
悲鳴。怒号。
どちらともつかない叫声があがり、狭い空間を震わせる。耳朶を打つ。
打たれた衝撃の抜けた巨体が、そのまま地面に伸び、そこに妖夢が落ちてきた。



「そのまま天井を斬るかと思ってヒヤヒヤしたわよ」
「魔理沙じゃあるまいし。そんな無茶はしないわよ」
「私なら逃がす前に撃ってるぜ」
「「はいはい」」

適当に受け流しつつ、妖夢は白楼剣を探した。
比較的頭に近い側の節から、四本の触手がだらしなく伸びているのが見える。
太さは妖夢の足ほどにもある。先ほどの突きの速度を思い出すと、これで打たれなくてよかったと思う。
先端は、骨だか殻だかと同じ固い部品がついていて、まるで槍の穂先のように尖っている。見るからに刺さりそうだ。
「よかった……」
白楼剣はその部分を刺し貫き、半ばまで刺さっていた。
穂先を踏み、一気に引き抜く。
「?」
刀身にはべったりと粘液が付着していた。
骨の中に髄があるように、この先端にも中身があるらしい。
「妖夢~、これって、食べられるの~?」
向こう側に居るアリスから声がかかり、改めてその巨躯に目を向けた。
【迷津慈航斬】の直撃を受けたにもかかわらず、この巨大生物は目を回しているだけのようであった。
確かに威力は抑えて放ったが、改心の手応えだっただけに驚きを禁じえない。
……これが知れたらまた未熟者扱いなんだろうなぁ……
実際未熟者である自覚はあるのだが。斬れぬ物が増えていくのは面白くない。
「アリスはどうするのが良いと思う~?」
返答しつつ見る。
甲殻の割れた処から見える内側は、ちょっとばかりアレな感じで、そのまま食材に使おうという気にはならない類の様相だった。
主の意向は活け作りだが、
……これは勘弁してもらえると嬉しいなあ。
「大体、何を食ったらこんな大きさになるんだ?」
魔理沙の意見はもっともだが、この洞窟内ならば、あまり獲物には困らないのではないだろうか。
ここまでの激戦を思い出し、斬り伏せてきた敵の数を思い出す。
むしろ、コイツがこの洞窟の主(ヌシ)なのではないかとさえ思えてきた。
「なんにせよ、トドメをだな」
ちょっとした小山のようになっている獲物の上に立っていた魔理沙が見下ろしてくる。
正論だ。 しかし、慈航斬に耐えるような生き物の、どこをどうすれば息の根を止められるのか。
鰻などは頭を落としてもしばらくは動く。
「……」
同じ事をやった場合を想像して、妖夢は軽く逃避したくなった。
さりとて、このままにしても置けない。切り身を持ち帰るにせよ、トドメは刺さねばなるまい。
南無、と念仏を唱え、楼観剣を握りなおす。
首を落とせばいくらなんでも生え変わることはあるまい、と妖夢が視線を頭部に向けたその時。
砕かれた頭蓋外骨格の隙間から、紫の光が迸った。
「な!?」
咄嗟に、手にしていた白楼剣で反射する。
……今のは妖弾だった!
「ヤバいぞ! もう目を覚ました!」
いち早く宙に脱出した魔理沙が、アリスを拾い上げている。
飛び退る妖夢の目に、アリスの白い脚が見えた。妖弾の直撃を受けたらしくスカートが大きく裂けている。
妖夢が二刀を構えると同時、仰向けから立ち直ったワームが怒りに満ちた叫びを上げる。
「―――!!!」
鎌首をもたげる蛇のように立ち上がったワームは、頭部の嘴状の殻を開く。中には紫の光が満ちて、
「遅いわ!」
アリスの人形が飛び込む。
人形の爆発と紫光のブレスは同じタイミングで放たれた。
炸裂音に重なった破壊の奔流は、目の前の爆発によって遮られ、四方へと飛散した。微細な妖弾が岩肌を打つ。
爆煙の中から頭部の殻や、血飛沫が落ちてくる。
三人の視線の先には爆発を噛み込んだワームの頭部が、
「おわ!」
触手が風の唸りと共に振り回され、魔理沙を掠めた。速い。
煙が晴れ、暗闇に立ち続けるワームの頭部は今や完全に殻を失い、内部を晒していた。
瞳孔が縦長の巨大な一つ目は血走り、牙の剥き出しになっている円形の口が、緑色の血を流しながら蠢いている。
頭部側面には紫色に光る謎の器官があるが、先程の攻撃と照らし合わせるなら、おそらくそこから妖弾を射出するのだろう。
同じ光が体側に一列に並んでいるのは、きっと気のせいでは無いはず。
砕けた甲殻を撒き散らしながら、もはや逃げる事無く油断なく三名を狙うその姿に、魔理沙はいつか図書館で読んだ異界の生き物の事を思い出した。
「逃げないのはかえって好都合だぜ」
主を乗せた箒は、今こそ掛け出さんとその身を震わせている。
「気をつけて! あの触手、毒か何かを出してるわ」
アリスの指摘通り、穂先然とした先端から、濁った紫の液体が滴っているのが見えた。刺されたらきっとかなり面白くない事になるだろう。
「何であろうと斬り潰す!」
正念場だ。自分にそう言い聞かせる妖夢は、腹に力を篭める。
三つの視線を受け止めたワームがもう一度叫び、それが戦闘再開の合図となった。



■●■



狭い洞窟の空気は、たちまち沸騰した。

パステルでマジカルな星が舞い、闇を払い退ける。
風に舞う花弁のようにさらさらと流れ、しかし確かな衝撃を持って弾ける。
光と熱を生地を星型で型抜きしたような魔弾は、甲殻を砕き、外皮を焼いた。
お返しとばかりに暗紫色の妖弾が壁のように噴き出し、光の風とぶつかる。
今までよりは若干広くなったものの、閉鎖空間に枷を嵌められた魔理沙は慎重に回避をしつつ応射する。
間隙を縫って刺し込まれるレーザーが体節の間を抉ると、反撃に、柱のような怪光線がなぎ払われる。
黒の魔法少女の防御を掠め、薄い球状の障壁が浮かび上がる。

剣や槍、矛や鎚を携えた人形が、雲霞の如くに現れた。
小さな軍団は、妖弾の死角から襲い掛かり、手に持つ武具を巨体に突き立てる。
その様子はまるで蟻が砂糖菓子に集るかのよう。
彼女らの持つ刃は短いが、硬い外皮を切り削ぐ事で、着実に傷を与え、防御力を奪っていく。
小うるさい羽虫を追い払う動物の尻尾の如くに振り回される触手が、人形を払った。
振り回される丸太のような一撃は、矮小な軍勢を打ち払う。
しかし、数に任せて襲い掛かる人形達は、同胞が砕かれようとも決して怯む事は無い。
命を持たぬ彼女らは、主を勝利に導くための手駒に過ぎず、人形遣いは最上の敬意と愛情をもって、儚き従者達を使い潰す。
囮にかかって無為に振り回される触手に、カウンター狙いの自爆人形すらも現れると、人形遣いの制御は繁忙を極め、そこに妖弾や触手が飛んでくる。

白刃がそれを受け止め、弾き返す。
二刀の剣士は疾風の如くに駆け、稲妻のような斬撃を繰り出す。
刀による傷は線でしかなく、巨体を誇る相手からすれば楼観剣の刀傷でも「浅い」のだ。
しかし分厚い外皮に阻まれつつも、白刃は積極的に閃く。
火花が散り、風が砕ける。
一太刀で通じないのならば二太刀、三太刀と、影が奔る都度、銀光が弧を描く。
既にワーム一つ目は断ち切られ、緑の血に汚れるそれは何も見てはいないはずだが、正確な攻撃は止む事は無く、無尽蔵の体力を感じさせた。

「みょん助!」
潰れた眼にもう一太刀を見舞った妖夢の着地、その僅かな隙を狙い、触手が突き込まれた。
自律防御の命令を受けている人形が盾を携え割って入るが、盾ごと貫徹され、一瞬で砕かれる。
だが、妖夢はその一瞬の差で必滅の境界を脱した。
自分を庇って砕けた名前も無い人形に感謝しつつ、どうにか片刃だけを振り上げ、迫る穂先に叩きつける。
火花が散り。
「うあっ!」
直撃こそ免れたものの、破城槌のような一撃を受け、妖夢の小柄な体はひとたまりも無く吹き飛ばされる。
受身を取る間もなく地面を転がる。
しかし、妖夢を狙った一本も目的を果たす事無く跳ね上がる。
「そこ!」
アリスだ。
弾き返されて動きの止まった所に、一体の人形が張り付き、直後、白光に包まれた。
轟音。
【アーティフルサクリファイス】の一撃が触手を砕き、千切る。
轟音が空洞を震わせ、わずかに温度が上がる。天井から降る小石に気を向けている余裕はない。
吹き飛ばされた先端が回転しながら飛び、地面に刺さった。
痛みにのたうち、狂ったように振り回される傷口からは毒々しい色の液体が噴出している。
「それもサンプルに欲しいけどな!」
滑り込むように側面に回りこんだ魔理沙がニヤリと笑うと、随伴する四基のアミュレットが輝きを放った。
横列に展開した四連の魔力起点から、冗談のような量のミサイルが吐き出され、津波のように襲い掛かる。
翠の輝きが幾重にも咲き、高速のドラム連打のような着弾音が、横一線に響く。
体の側面にある妖弾器官がことごとく潰され、ワームが苦悶の叫びを上げる。

これまでの戦闘で作り上げられた連携、その総決算のような動きで、三人は三位一体の攻撃を繰り返す。
撃ち。
護り。
斬り。
庇う。
巨体の突進を躱し、槍のような触手の突きを捌く。
ワームは甲殻の大半を砕かれ、触手三本失っても、戦意を失う事無く暴れ続けた。

「あんまりしつこいとレディに嫌われるぜ!」
【オーレリーズサン】の輝玉が最後に残った触手を切り飛ばし、そのまま胴体を打ちのめす。
「妖夢!」
アリスの叱咤に妖夢は白楼剣を収め、半霊が人の形を得る。

妖夢は思う。天井は少し高いとはいえ、袈裟斬りにはまだ低い。

【オーレリーズサン】のビットが胴体に着弾した。

……月が無いから衛星斬はダメ。速度が欲しい訳ではないから二百由旬も却下。
スタンスを広く。重心を低く。

円運動が止まり、めり込む。

……やはりこれしかない。
妖夢は上半身を左に回し、相手に背中を見せるところまで捻り込む。

凝縮された魔力が制御を失い、崩壊の叫びを上げる。
腰溜めに楼観剣を構える。

一度で駄目ならもう一度叩き込む……!
半身が、後ろに水平で構えた刃を白刃取りのように両の手で挟みこむ。

空気を入れた紙袋を叩き割るような音が四つ重なった。
閃光で影が反転する。

二人の妖夢はそれぞれに力を篭める。
みしり、と、放とうとする力と留めようとする力がせめぎ合う。

高密度の魔力塊は、熱と自身が蒸発する時に生じる衝撃とを持って打撃力とする。
めり込んだ四つの輝きが同時に爆ぜ、光と音で地下の空洞を痺れさせた。
その威力は伸び上がっていたワームを横合いから張り飛ばし、左に傾がせる。
その瞬間。
半霊妖夢が手を離した。
絶技の発動は刹那の時間で行われた。
既に錬気を終えていた妖夢は、楼観剣が解放された瞬間にそれを刃に乗せ、全身力をもって振り切る。
一瞬で十メートル近くまで伸長した刃は、洞窟の闇を横一線に断つ。

「!?」
天井近くに退避していた二人視線の先、残っていた外殻が発破されたかのように吹き飛んだ。
見えたと思った瞬間には、妖夢は振り切っていた。
慈航斬の刃は既に無く、飛散する霊気の残滓が舞うだけで、風の啼く声が逆巻いている。
振り抜く反動に逆らわずに一回転した妖夢が着地すると同時、立ち上がっていたワームの胴体が断ち切られた。
「――――!!」
「く」の字に折れたまま吹き飛ばされたその直後、上半分が飛ぶ。
地上から立ち上がっていた前半分の五メートルくらいが、虚空で半回転し、支えを失って落ちてくる。
落ちた前半分が横倒しになった。

「やったか!?」
土煙と血しぶきを上げる巨体に、肩で息をしていた妖夢が快哉をあげる。
「妖夢、覚えておくといいぜ、トドメを見誤ってその台詞を吐くと、必ず痛い目を見るもんだ」
そう言う魔理沙も、ようやく効いてそうな反応を見たので内心、安堵に胸を撫で下ろしていた。
途中に休憩を挟んだとはいえ、突入からここまで、既に二時間近く戦いっぱなしだ。
永遠亭に喧嘩を売った時も一晩戦い尽くめだったが、あの時は間に休憩を挟む余裕はあった。
いい加減疲れた。
「このまま寝ててくれないかしら……」
これで平気だというなら、次は洞窟が崩れるのを覚悟して攻撃しなければならないかも知れない。
額の汗を拭うアリスの言葉は、皆の意見でもあった。
これで致命傷にならなければ嘘だろうと、動きを止めてしまった三名の視線の先、側面から落下して地面にめりこんでいたワームは、あろう事かまだ息があった。
まだ無事な側の体側面から妖弾を一斉発射する。
不吉な紫光の行く先は、天井。
「しまった!!」
誰かの叫びをかき消す重連の着弾音。それに重なるように、崩落が始まった。
まさか上の層ごと落ちてくることも無いのだろうが、先程頭を悩ませた岩塊の雨が再び降り注ぐ。
雨の範囲から出るか、それとも回避か、あるいは迎撃。
各々が対処に固まった僅かな一瞬を、石礫の雨中に断ち切られた前半分が屹立する。
「「「!?」」」
致命傷かと思われる傷を負いながらも伸び上がったワーム、その口腔には既に紫の光が強く収束している。

「え?」
危機が迫る刹那の時間。
アリスは、永夜異変の際に構築したままだった魔理沙との魔力回線から、猛烈な勢いで魔力が抜けていくのを感じた。
あの夜にも幾度か体験したこの感覚はーー
「バカ魔理沙――!!」

反射だった。
落ちてくる岩塊を回避するだけなら、魔理沙の速度なら問題ない。
危険な範囲から出るつもりで箒に加速の魔力を叩き込んだ瞬間、妖弾の励起光が見え、ワームの意図を見抜いた。
眼の潰れた頭の角度から予測出来る射線の先には、この中で一番足の遅いアリスの姿がある。
そこまでを知覚した瞬間。肝が潰れる冷たさと、目の前が真っ赤になる灼熱を感じた。
仕方ないのだ、いつもモタモタしているアイツが悪いのだ。
あの夜だって、それ以降だって、何度も私の足を引っ張ってくれたのだ。
迷惑極まりないヤツだが、あんなアリスでも居ないと困る。その……研究とか。
居ないと困るなら助けないといけない。本当はあんなヤツどうでもいいんだが、居ないと困るのは私が困る。
極度の興奮状態で起こる脳内麻薬の分泌。思考が超加速の世界に飛び込んだ魔理沙は、これから取る自分の行動に言い訳をしていた。
つい、本当につい、いつもの癖で唱えてしまったのだ。唱えてしまったものは仕方が無い。
悪いとは思っている、アリス、ついでに妖夢。すまん。





【魔砲 ファイナルスパーク】





直後、閃光が闇を払った。



■●■



どうしようもなかった。
荒れ狂う光と熱と恋心の魔砲は、洞窟内に居座る闇を駆逐し、降り注ぐ岩塊を消し去り、伸び上がっていたワームの頭部を消し飛ばし、そして天井に直撃した。
もちろん、そんなものでは止まらなかった。
硬い岩盤をブチ抜いた烈光は、上の層との直通通路を作ると同時、上の層にあった水路にも深刻なダメージを与えた。
灼熱の閃光は地下水を水路ごと蒸発させ、猛烈に膨張した水蒸気が通路を爆発のように圧迫、上層部の通路全域が膨らむほどの打撃を加えた。
上層を貫徹した光は、そのまま天井を焼き、さらに伸張していく。
地を揺さぶる振動は魔法の森だけに留まらず、近隣の道具屋の商品棚を襲い、整頓をやり直すはめに陥った店主がひとり涙を流したが、それは全体の被害からすれば、まさにどうでもいい程度の事であった。
常よりも長い、十数秒に亘る光の乱舞が収まると、不気味な鳴動が始まった。疑うまでも無く崩落の前兆である。
発射地点から斜め上に伸びたトンネルは、広く岩盤を砕いており、そこに支えを失った壁やら天井やらが崩れ、水路を断たれた地下水が殺到する。
万有引力の法則は、ごく一部の例外を除き、この幻想郷にも適応される。
当然、上から落ちてきた物はすべからく下に落ちるわけで、この場合の下と言うのは魔砲の基点たる魔理沙達の居るフロアに他ならない。
どうしようもなかった。



どこかすっきりした顔で立ち尽くしていた魔理沙に、アリスの飛び蹴りが炸裂した。
「どこまで考え無しなのよアンタ!!!」
魔理沙は、むぎゅ、と妙な悲鳴をあげて転がる。
魔砲の余波で地面はすっかり乾燥していた。
転がる魔理沙を妖夢が受け止める。
「あんまり遊んでいる余裕は無いと思うんだけど」
先程までの脅威の頭部は跡形もなく消え去り、今は完全に沈黙していたが、今度はそれを十倍にしても足りない危機が迫っている。
このままでは、あと幾許も無いうちに三人仲良く生き埋めである。
確かに遊んでいる暇は無かったが、それでも魔理沙は言い訳をしなくては、と思った。
「お……お前が危ないと思ったら、もう撃ってた……すまん……」
もごもごと下を向いて紡いだ言葉は、言い訳でもなんでもなかった。
直球過ぎる一言を受けて、アリスどころか横で聞いていた妖夢まで真っ赤になる。

アリスは知っている。恋符系のスペルは術者のテンションが大きく影響するのだ。
先程のマスタースパークは確かに緊急回避用の大出力タイプだったが、それを差し引いても十秒を超える照射時間は長すぎる。
自分を庇う為に咄嗟に放った一撃がこの有様だ。
考えれば考えるほど、アリスの頭は湯気が出そうになる。
その辺の事情を知らない妖夢であっても、「アリスの危機をなりふり構わず救おうとした魔理沙」という構図くらいは読み取れるらしい。
びっくりしたように目を丸くしていたが、アリスと目が合うと何故か恥ずかしそうに視線を逸らした。
オマケの白玉の方までクネクネしている。
「な、なによそれ!!」
首筋までも真っ赤にしたアリスの叫びに呼応するかのように、天井に亀裂が走った。びしり。

「「「あ」」」

三人の視線の先で、天井の亀裂が見る間に広がっていく。
岩盤を走る網目のような模様に、魔理沙が半笑いで呟いた。
「あー、永琳のスペルにこんなのあったよなー。とか言ってみるテスト」
「そうねー。出っ放しのレーザーってずるいわよねー」
「私、狭いスペルって苦手で」
「おおそうか、その辺、話が合いそうだな」
「魔理沙ってば、弱点を教えてどうするのよ」
「おっとそうだったか」
「魔理沙って意外とうっかり者なのね、知らなかった」
あはははは、と仲良く笑う三人は、次の瞬間、
「「「にーげろーー!!!」」」
火が点いた様に走り出した。



さりとて脱出の方法など限られている。
端的に言えば、【ブレイジングスター】の最大加速で落盤を跳ね飛ばして、そのまま飛び出したのである。
岩の雨など比較にならない絶体絶命の危機に、魔理沙は必死に抵抗した。
しかし、いかなブレイジングスターとは言え、崩れつつある地下空洞からの脱出は荷が重かった。

下層部を飛び抜けた所で、進路が上層ごと埋まった。
「だ、駄目かもしれんねーー!!」
周囲は既に土砂に埋もれており、凄まじい圧力によって与えられる過負荷に防護結界が軋み、魔理沙が黄色信号を宣言した。
リンクしたままの回線からアリスの魔力を上乗せしても、厚さ数十メートルの土砂を貫く事は容易ではない。
突然、魔理沙がブレイジングスターを維持したまま、箒を思いっきり倒した。
「な!?」
自棄を起こしたかと、アリスが諦めかけた時、周囲の防護力場に変化が生じた。

【彗星】は基本的に二つの要素で構成されている。
推進力となるマスタースパークと、それによる衝突に耐えうる堅牢な防護力場である。
衝突時の衝撃は凄まじく、「弾幕はパワー」と標榜する魔理沙に相応しい威力ではあるが、その威力を術者に届かせない為に、張り巡らされる力場は幾層にも重なっているのである。
力場は、内側の防護対象の形状に合わせて、マイクロセカンド単位で構築されている。
つまり、内部の形状、簡単に言えば魔理沙の姿勢が変わるだけでも、バリアたる力場は形状を変化させるのだ。

きわめて強引に一回転のロールを打った魔理沙は、ブレイジングスターに捻りを加える事に成功した。
芯である箒に捻りが加わった事により、彗星に貫通力が付与される。
「もういっちょう!!」
「「うぎゃあああああ!!!」」
おおよそ乙女の口から出ていい悲鳴では無かったが、箒にしがみ付いている後ろの二人にはたまったものではなかった。
轟音を上げて、【スパイラルブレイジングスター】は空を目指して突き進む。
輝くドリル、地中の流星。そんな単語が似合いそうな状況で、魔理沙はけたけたと、どこかネジが外れたように笑っていた。
「何人たりとて、私の進路は阻めないぜーー!!!」
ごきん。
止まった。
「お?」
回転が何かに噛み込まれて止まっているが、進む様子が無い。
「と、止まった……」
「ど、どう、なったの……?」
目を回していた同乗者が異変に気がついた。
「あー、岩、かな?」
「「いわぁ!?」
スペルは維持しているが、もう長くは持つまい。
スペルの終了イコール、防護障壁の消失。即ち
「ここまでやっておいて生き埋めなんて冗談じゃないわよ! なんとかしなさいってば!!」
「喚くなアリス、騒がしいと浮かぶアイディーアも浮かばないじゃないか」
「な、何か考えがあるの?」
「無いぜ、万策尽きるのも時間の問題だ、そろそろ走馬灯の時間かも知れん」
「ぬあーー!!」
障壁の色が変わってきた。
アリスの記憶が正しければ、残り時間が少なくなると色が紅に近づいていくはず。今は緑色だ。
「あ、アンタまだこの仕様のままなのね、相手にもうじき終わりますって教えてどうすんのよ」
「いいじゃないか、ピンチを演出するのもいい女の条件だぜ」
黄色を通り過ぎ、オレンジ色になったところで、今まで黙っていた妖夢が口を開いた。
「魔理沙。地上までどのくらいか分かる?」
「あー、おそらくこの岩は最初に抜けてきた岩盤だぜ、つまりあと十メートルちょいってところだな」
魔理沙が意外と的確に把握している事に安心しつつ、妖夢は続ける。
「次、この障壁は内側からの衝撃にはどの位強いの?」
アリスが勘付いた。
「妖夢、いけそう?」
「わかんない、足場も不安定だし」
障壁が紅くなった。
「魔法使いと根暗人形遣いと半人前の化石を作るよりは夢があるな」
その言葉に妖夢が白楼剣を抜いて応え、アリスが魔理沙に覆い被さり妖夢の眼前を開ける。
紅を通り過ぎ、暗くなってきた狭い密室の中で、妖夢は箒の上に立ち、
「魂魄流【香車】、仕る」
ただ一刀を突き込んだ。



■●■



夜空。
黒の天蓋には真円に僅かに欠ける白の輝きが君臨し、地上に等しく銀光を投げかけている。

「きょ、今日ほど空気がおいしいと思った日は無いわ……」
大規模な崩落跡から少し離れた岩場で、アリスは大の字になって転がっていた。
何故だか衣服がボロボロになっており、手入れを欠かさないブロンドヘアーも砂埃にまみれて無残な姿になっていた。
裂けたスカートが広がって、何やら目の毒な光景ではあるが、それを指摘するべき他二名も転がったままだった。
「お、お前が無茶するからだろう……」
近くに転がっていた魔理沙が呻く。
こちらもアリスに負けず劣らずの酷い格好になっていた。
トレードマークの帽子こそ原形を留めているが、魔女の正装たる黒の衣装はその布地の大半を失っている。
「私……アリスと魔理沙って似たもの同士だって意味が分かった気がする……」
妖夢は緑のベストもスカートも脱いでおり、すぐ近くで熾された焚き火で乾かしていた。

妖夢の渾身の突きは岩盤を穿ち、突破口を開けることには成功した。
しかし、岩を砕いたところでブレイジングスターの持続が切れてしまい、三人は護りを失ったのである。
スペルの終了した魔理沙と、一刀を放ったばかりの妖夢にはどうする事も出来ず、あわや生き埋め、という窮地は今日何度目かの強引極まりない方法で突破された。
アリスの自爆人形による掘削という、なりふり構わないどころか、埋まって死ぬのと爆発のダメージで死ぬのとどっちがマシか、という状況になったのである。

「仕方ないじゃない……ああでもしなかったら、みんな今頃土の下よ」
幸い数回の爆発で天井が開き、三人は命からがら脱出に成功したのであるが。
なお、気の抜けた妖夢が沢に落ちて溺れかけたりした。
密閉空間での爆発によって、三人の服は引き裂かれ、ちょっと表を歩けない姿になっていたが、それ以上に疲れていた。

「うあー」
魔理沙がのろのろと身体を起こした。
別に能動的な行動を取ろうとかではなく、岩の上で寝ていると背中が痛くて仕方ないからだ。
起き上がれる程度には回復したので、改めて崩落跡に目を向ける。
幅五十メートル、距離にして二百メートルほどの一帯が落盤を起こして沈降している。
洞窟の入り口は他にもあったろうが、おそらく大半は埋まっているのではないだろうか。
魔理沙達の居る沢、正確にはそれを見下ろす岩場の上でへたばっているのだが、見える範囲でも結構な土煙が上がっている。
「壮観だぜ……」
生きているって素晴らしい。
柄にも無くそう思う。
「アリス~」
「なぁに~」
だらしなく伸びていたアリスも身を起こす。お互い、既に声を出すのすら面倒になっている。
「今日、お前んとこに泊めてくれ……」
「あー、私も……出来ればお願い……」
魔理沙の提案に妖夢も追従した。
アリスの家ならば、ベッドメイクは人形任せに出来る。何も考えずに布団に直行できるのだ。
本当なら風呂に入りたいところだが、そんな気力は欠片も残っていなかった。
油断すればこのまま眠ってしまいそうだ。
「あー……そうね、もう面倒だからなんでもいいわ……」
泥まみれの者をそのまま入れればどうなるか、そんな事に考えを巡らせるのすら億劫だった。



■●■



翌日。
泥まみれの三人は泥のように眠り、目が覚めた時には、太陽は西に傾きつつあった。

「で、どうするの?」
問いを発したのはアリスだった。
風呂と手当てと食事と食後のお茶を終え、そろそろやる事がなくなってきていた。
「んー……やっぱり香霖のとこに行くか」
妖夢の報酬というか、目的だった巨大ワームは今は遥か地の底であり、もはや回収は望むべくもなかった。
だからといって「お前の取り分は無しな」とは言えない。
一応手付けとして、偶然手に入った刀を持たせて先に帰らせたが、妖夢の外出の条件がかの巨大ワームの活け造りである以上、それは報酬として十分とは言えなかった。
霧雨魔法店の名前を出して依頼した以上は、結果はどうあれ対価は支払うべきだと魔理沙は考えている。
しかし、支払いに使えそうな物は拾ってきた謎の四角い物体。
価値どころか用途すら不明なこの謎オブジェ、正体が分かるとしたら相手は限られてくる。

香霖堂。
余震の影響で再び陳列棚が倒れ、荒れ果てた店内に店主の心情を逆撫でするような底抜けに明るい声がこだました。
「おーっす香霖居るな? 居なきゃはやく出て来い、5、4、」
「どうして君はいつも強攻策しか採らないんだい……」
そのカウントダウンが何を意味するかは不明だが、果てしない不吉さを覚えた店主が現れた。
「何言ってるんだ、無駄な手間を省いてるんじゃないか」
「君にはもう少し落ち着きというものがだね」
「あー、お前はお節介じゃなくて、煎餅でも焼いて売ってた方が儲かるぜ」
「なんで煎餅だね」
「私が食う、あと霊夢あたりも喜ぶだろう」
「その辺の客層だと、どの道収入には繋がらないような気がするんだがね」
ため息。
「終わった?」
外で待っていたアリスが顔を出す。
「おやいらっしゃい」
「私には挨拶無かったぞ」
「彼女はきちんと代価を支払ってくれるんでね」
「私だって労働で支払ってるじゃないか」
「まだ続きそう?」
昨今の香霖堂では稀に見る店内の人口だった。
「いやこれは魔理沙の挨拶みたいなものさ」
「ま、いいわ。見てもらいたいものがあるの」
魔理沙を下がらせ、カウンターの前にアリスが歩み出る。
「どれどれ」
商人の血が騒ぐというほどでもないが、未知の品物となれば話は変ってくる。
差し出されたのは緑の四角。
「これを見てくれ、こいつをどう思う?」
ゴトリと置かれたソレを霖之助は慎重に検分する。
「ふむ……」
鑑定。
「すごく……箱だね」
「箱ぉ?」
思わず頓狂な声を出す魔理沙。だが確かに箱といわれれば思い当たる節もある。
「ああ、アイテムコンテナ、という名称で、用途は物を収納する事だ。これは箱以外の何者でもないだろう」
「で、開け方とか……」
「お嬢、いい加減に僕の能力を覚えてはくれないだろうか」
苦笑する霖之助に、
「分かってるよ、言ってみただけだぜ」
唇を可愛らしく尖らせ、魔理沙は拗ねた。
「魔理沙が霊夢以外にやりにくそうにしてるのなんて、初めて見たわ」
「うっさいな」
アリスの横槍に噛み付く。あまり知られたくない姿だ、と魔理沙は感情に素直に思った。
「それで、どうするんだい?」
「?」
「僕はそれをそのまま引き取っても構わない、でも、中身が価値のあるものだったりしたら、君達は面白くないだろう?」
「正論だが、なんかひっかかるな」
椅子に座りなおした霖之助は、薬缶の中身を紙のコップに注いでいく。
「簡単さ話さ、物を入れる箱といっても、開け方が分からなければ単なる置物でしかない。僕としても置物よりは箱を仕入れたい」
温い麦茶は安物だが、紙のコップは売り物ではないのだろうか。アリスは手渡されたお茶を見つめる。
「どっちでも売れない事には変わりないぜ」
「割と近所に、整頓の必要のある所が心当たりにあってね」
「人形を仕舞うには丁度いい大きさかもな」
「「はいはい」」
「くそう」
家の実情を知る二人を敵に回しては、流石に旗色が悪かった。
「で、私達に開け方を調べさせようというのね?」
「君達は中身を得る事が出来るかもしれない」
「私たちが箱を売りに来ないかもしれないぜ?」
「その時は仕方ないさ。今日の鑑定料だけで満足するしかない」
商売っ気の無い台詞だが、この店主の勤労意欲の低さを知っている二人は、違和感無く受け止めた。
「分かったわ、それで手を打ちましょう」
「毎度あり」
「でも、どうしたものかしらね?」
「僕の見立てでは、かなり進んだ技術が使われているようだ。そうなると、分かりそうなところは自ずと限られてくると思うよ」
「あー……」
「魔理沙、どこから行く?」
「本命でいいんじゃないのか? この件でこれ以上ごたごたするのはいやだぜ」
「同感ね……」
これまでの騒動を考えると、これ以上余分な力を使いたくないという意見は、両名の共通見解であった。
これだけの不思議アイテムだ、分かりそうな所は限られてくる。
しかし、図書館で調べるのは面倒だし、永琳に借りを作るのも後が怖い。
天狗なら何か知っているかもしれないが、入手の経路などでインタビューされるのも鬱陶しい。
単純な消去法なのだが、本命が最も胡散臭いのが悩みの種だった。
「神社に行くなら、霊夢にこれを持っていってくれないか」
「誰も神社に行くなんて言ってないぜ」
なんだかんだ言いつつも、魔理沙は差し出された小包を受け取る。
この辺のやり取りは、もはや挨拶のようなものなのだろう。
気心の知れた者同士の、独特の雰囲気をアリスは感じ取る。
「これからの時間なら八雲さんも起きているだろう、今日は十五夜だし、神社は桜が見頃だろうからね」
「わかったわ」
「じゃ、ここにある酒も貰っていくぜ」
目敏く、隅に置いてあった酒瓶を持ち出す魔理沙。
「ああ、そうくるだろうと思ったよ、一応神社からの注文なんだ、途中で空けたりしないでくれよ」
「ああなるほど、なら誰か居てもおかしくないぜ」

神社が宴会なら、打ち上げにはもってこいか。
箒を手に取り外に出ると、空には月が浮かんでいる。



■●■



空が闇色の緞帳に閉ざされる時刻。
博麗神社。
月見、花見、雪見、何を選ぶにしても、おおよそ幻想郷でもっとも景色のよいとされる観光名所。
ただし訪れるのは妖怪がほとんどだが。
春の博麗神社は桜の名所として、宴会が連日連夜行われている。
萃香の仕業ではないが、誰かしら訪れるのだ。
ましてや今日は満月。
血の騒いでいる妖怪がふらりと訪れないわけがない。

急ぐでもなくふらふらと飛んできた二人が降り立つ先、神社の裏庭には霖之助の言葉通り、いつものように幾名かの妖怪の姿があった。

「あら、幹事さんのお出ましだわね」
「居たな紫って、どうした眼鏡なんかかけて。新たな属性の開拓か?」
魔理沙の言葉通り、紫は紅いフレームも流麗な洒脱なデザインの眼鏡をかけている。
月明かりに仄かに輝く紅のフレームは、紫の白磁のような美貌には似合っていたが、知的さが増す以前に、胡散臭さが増しているので台無しだった。
「なぁに? 珍しいこともあるのね、魔理沙が紫に用事だなんて」
赤ら顔の霊夢が現れた。ふやけている辺り、既に結構な量のアルコールが回っているようだった。
「妖夢ぅ~、お料理追加ね~」
縁側に腰掛けていた幽々子が指令を下す。
柔らかい声なのだが、戦場に響く法螺貝の音のような有無を言わせぬ圧力を感じる。
「はぁーい」
台所から妖夢の声。
既にいくつかの皿が重なっている辺り、宴会は順調に進んでいるらしかった。
「そうか、霊夢が遊んでいるのは妖夢が台所に立っているからか」
霊夢に預かっていた荷物を渡しつつ、調度良かったとアリスと頷く。
「遊んでるってなによ、確かに今日は楽させてもらってるけど」
ぐんにゃりとむくれる霊夢は、すぐにあはははと笑い出す。
今日はペースが速いのか、随分と出来上がっている様子だった。

アリスはまるで家主のように泰然としている紫に向かった。
「こんばんは」
「はい、こんばんは」
「後で見て貰いたい物があるんだけど、いいかしら?」
「あらあら、別に今でも構いませんよ?」
霊夢だけかと思ったが、紫も随分飲んでいるようだ。
そばに居る藍の膝の上では橙が丸くなっている。
酒瓶が転がっている様子も無いからまだ始まったばかりかと思ったが、どうやら妖夢はフル回転で働いているらしい。
「こんばんは~」
紫がどこからか持ってきた、鯛の尾頭付きなんかを突きながら月を楽しんでいた幽々子が、ふわりと寄ってきた。
「なんだか妖夢と遊んでもらったみたいで」
「いえいえこちらこそ。何度も危ない所を助けてもらいましたし」
「でも残念ねぇ、活け作り、楽しみにしていたのに」
よよよ、と萎れてみせる幽々子。
「すみません、あのバカがですね……」

依頼という形で妖夢を連れ出した手前、手ぶらで帰すはめになった事をアリスは気にしていた。
まともに機能していない霧雨魔法店の評判などどうでもいいが、あれだけ頑張ってくれた妖夢がいい目を見ないのは割に合わないと思う。
依頼する時にも言ったが、労働には対価が支払われるべきである。
だが結局、妖夢は手ぶらで帰ることになった。
差し出された杯を空にしたアリスだが、袖を引っ張る小さな姿に苦笑する。
「そうね、お手伝いしに行きましょうか」

今夜の妖夢は完全に裏方である。
ボロボロになって帰ってきた妖夢に、幽々子は「お帰りなさい」と普通に出迎えたが、期待に答えられなかったから、と妖夢は今日の宴会の裏方を買って出たのである。
「お咎めなし」という処置の方がむしろ落ち着かない。
結果を残せなかった事を気に病んでいるのは妖夢だけだったが、大崩落の遠因は一撃で仕留められなかった己の未熟にあると思えてならない。
黙々と酒の肴を作る。
手を動かしていられるほうが気楽であった。

「お疲れ様」
声に首だけ振り向けばアリスの姿があった。
「ちょっと手伝うわ」
妖夢の返答を待たずにエプロンを装着すると、台所に並ぶ。
「どうしたの? 折角来たんなら向こうで飲んでればいいじゃない」
勝手に台所を反省室としていた妖夢は、手伝ってくれる嬉しさを隠すつもりが、ついキツイ言い方になった事を内心で舌打ちする。
「そのつもりだったんだけどね、この子達が手伝えって」
アリスは気にした風も無く微笑むと、てんぷら粉を溶き始めた。
何時の間にか台所には幾つかの小さな姿があり、器具や食材の準備などの手伝いを始めていた。
あっけに取られる妖夢に、紅いドレスの人形が手を振る。
「さっさと終わらせて、向こうで飲みましょうよ。あの箱、どうにか出来るかもしれないし」
整えられた野菜に衣を着けつつ、アリスがウィンクする。
魔力付与された釜は油をあっという間に加熱し、何時の間にか刺さっている温度計をみたアリスが満足そうにうなずいている。
アリスが来てから、まだ三分と経っていないにもかかわらず、既に天麩羅の第一波が油に投入される。
妖夢をして恐るべき速度だった。

「あ、そうだ紫、お前これの開け方って分かったりしないか?」
「唐突ね。なにかしら?」
駆けつけ三杯と杯を空けていた魔理沙だったが、訪問の目的を思い出した。
「これなんだ」
ゴトリ、と低いちゃぶ台の上に置かれるは、謎オブジェ(緑)。
霖之助曰く箱らしいが、開け方を知っているとすればこのスキマ妖怪が一番正解に近いだろう。
「あらあら」
「紫、これって……」
置かれた物体を見つめる事、数秒。
顔を見合わせたかと思うと、くつくつと笑い始める霊夢と紫。
最初はこらえていたようだが、すぐに霊夢は声に出して笑い始めた。
「なんだなんだ、説明くらいしてくれたっていいじゃないか」
魔理沙がむくれていると、台所からアリスと妖夢が出てきた。
「なに? どうしたの?」
「さあ?」

「「「かんぱーい!」」」
料理の拡充が済まされ、妖夢も加えて改めて宴会が始まった。

酒精の影響もあるのだろうが、霊夢も紫も笑いっぱなしだった。
霊夢はともかくとして、紫が床に伸びて笑い転げているのはなかなか見られる光景ではない。
「あははは……ご、ごめんなさないね。ちょっと間が悪かったというか……いや、良かったのかしら」
目尻の涙を拭いながら、紫が詫びる。
「そうよね、あんた達が気が付かない訳ないものね」
「だから何の話だ」
「これはね」
カポン
あっけなく開いた。
「はい」
紫は中身を取り出すと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている魔理沙に渡す。
「え、今の、どうやって……」
アリスも種無しの手品を見たような顔になる。
「簡単よ、分かりにくいけど開ける為に押すところがあるの」
一度閉めて、もう一度開けてみせる。
「じゃあ……」
紫に渡された小瓶を見つめていた魔理沙だったが、アリスに声をかける。
「そうね、妖夢も居るからここで開けちゃいましょう。霊夢、庭を借りるわね」

アリスが人形を召喚すると、小さな従者たちは箱を一つずつ抱えて現れた。
夜の庭に、見る間に箱が積まれていく。
桜の花弁が静かに降る庭に、箱の山が出来上がった。

「これはこれは……」
微笑を扇で隠しつつ、紫が目を丸くする。
「あんた達、随分拾ってきたのねぇ」
「かまわず放り込んでたけど、結構な量ね」
霊夢の指摘にアリスも苦笑するしかない。確かに見境無く放り込んできた覚えがあった。
人形が箱を色分けをして出来上がった小山は三つに別れ、オレンジ、ブルー、グリーンがほぼ同数。
それよりもずっと少なく、紅の箱がある。
割合としては、3:3:3:1といった感じだ。

「ぃよーし! 開けるぜー!」
腕まくりして向かう魔理沙とアリス。
後ろから眺める観客たちは、この二名が姉妹でない事が不思議に思えるくらいに似ている瞬間がある事を知っている。



開け方さえ分かれば、中身を確かめるだけだ。
手分けして、かぽんかぽんと開けていく。

緑箱。
「これは……薬かしら?」
「香水のようね」
「これ保存って大丈夫なのかしら?」
「アリスー、なんか人形っぽいのが出てきたぜー」

オレンジ箱。
「なにこれ! こんな大きな物まで入るの!?」
「剣、なのか? 刃がないみたいだけど」
「これは槍?」
「杖なのかしら? でもやたら長いわね」

青箱。
「これは鎧なのかしら? 武器とか鎧とか、随分物騒ね」
「月博覧会にもこんなのあったわな」
「妖夢、ちょっと着てみなさいな」
「って、なんで服を脱がせようとなさるんです……! このまま着られるじゃないですか! あ、スカート返して!」
「あらあら妖夢、素肌に鎧は女戦士の正装よ?」
「訳が分かりません!」

赤箱。
「綺麗……何かの結晶?」
「飴玉みたいね~」
「だめです幽々子様!」
ごくん。
「「「あー!」」」

「おや、今度はほんとに杖だぜ」
「なにかしら、紅い箱って重要物って事?」
「いかにも魔法少女の杖って感じだぜ」
「欲しいの?」
「お前には似合わないと言っただけだ」
「なによそれ!」


わいのわいのと総数、百個程の箱が開け尽くされた。
オレンジの箱からは武器と思しき物が入っていたが、紫いわく、動力源が無いから動かないらしい。
青い箱からは防具関係。素材不明の全身スーツのような鎧だが、どれもサイズが合わずに妖夢は剥かれ損だった。
緑の箱には薬らしき物が入っていた。小数だが香水も混じっており、構わず飲んだ幽々子の吐息はとても芳しい。
数の少なかった紅い箱には、オレンジの箱に入っている物とは趣きの異なる武器や、ビー玉くらいの結晶体が入っていた。
今挙げた物以外にも何に使うのか分からないものが山のようにある。

かぽん
「「あ」」
「妖夢、妖夢」
「なに? ……これ、生肉……? あ! もしかして!?」
「そうだ、一回気絶させた時に少し剥ぎ取っておいたんだったな」
「誰かさんが駄目もとで、って蓋しちゃったけど、開かなかったらどうするつもりだったのよ」
「きっと開くと信じてたぜ」
横合いから覗き込んでいた霊夢が指差す。
「でも、これって食べられるの?」
確かに。
この箱の保存能力が不明である以上、例え食べられる類の肉だとしても、生のまま食するのにはかなり勇気が要ることだろう。
その辺、あまり関係ない人物も居るが。
「毒見は従者のお役目よ?」
幽々子はどこまでも爽やかに、妖夢の肩を叩く。
慄然とする妖夢だったが、紫が助け舟を出す。
「んー。これは、やめておきなさい幽々子。貴女だったら平気だろうけど、妖夢に食べさせたらきっと背が高くなって胸も大きくなっちゃうわ」
「あら、それはだめね。妖夢、それを食べることは許しません」
紫の言に、あっさりと前言を撤回する幽々子。
「は、はあ……」
いつもの事とは言え、妖夢は振り回されるしかない。

紫も幽々子も気が付いていた。
この肉塊が、如何なる技術で保存されているかは知らないが、その切り身は、丸一日経過してまだ「生きて」いるのだ。
恐るべき生命力だ。おおよそ真っ当な生き物の範疇を超えている。
その肉塊からは、何か言いようの無い意思のよう物を感じる。
食べたら寄生されてもおかしくない。紫は根拠無くそう思った。
「でもまあ、折角妖夢が頑張ったのだし」

【輸入禁止と検査済みの境界】

「さあ、これで大丈夫ですわ」
にっこりと微笑む紫の笑顔は、どこまでも真実味に欠けていたが、それでも嘘を吐いていないという事は、幽々子には分かった。
伊達に長年付き合っていないのだ。

活け造り、にはならなかったが、大皿には刺身になった巨大ワームの切り身が並んでいる。
「ほら、あんた達が獲ってきたんでしょう? 先にどうぞ」
「いや、ここは家主にだな」
「そ、そうね。持て成されるべき人が」
ごちゃごちゃと押し付けあう霊夢や魔理沙を横目に、躊躇なく箸を伸ばす幽々子。
この亡霊の食欲が頼もしく見えたのは、これが初めてだった。
皆が固唾を呑んで見守る中、幽々子の口に刺身が姿を消す。
咀嚼、嚥下。
どこまでも上品な仕草は、やはり育ちの良さを窺わせる。
「あら」
目を瞑り味わっていた幽々子だが、一言だけ口にすると、すぐ次の切り身に端を伸ばした。
箸の速度は先程の比ではない。見えた瞬間には幽々子は静かに味わっている。
「あ! 何にも言わないで全部平らげる気よ!」
霊夢が勘付き、皆が一斉に箸を伸ばす。

甲殻類だから、というわけでもないのだろうが、味は海老に似ていた。
大きな生き物であるにしては、身は適度に締まっており、軽く醤油をつけるだけで十分だった。
魔理沙の持ってきた酒(清酒)も瞬く間に消費されていく。

「でも、なんで霊夢とお前がこれを知ってるんだ?」
箱の山を指し、魔理沙が尋ねる。
「だって、私達も行ったもの、あの洞窟」
「なにぃ!?」
「霊夢ったらひどいの、寝ている私を蹴り起こして、そのまま引き摺っていくんですもの」
「あんたはそうでもしないと起きないじゃない。その前に藍がどれだけ起こしたか知らないでしょう」
半眼の霊夢は丸めた座布団を肘掛にして、畳に半分伸びている。
「じゃあ、霊夢たちもあのデカイ百足もどきを見たのか?」
「私たちは別の所だったわ、石造りの遺跡みたいなところ」
「あー、まだ先があったしな……」
「誰かさんが崩したから、行けるか分からなくなったけどねー」
気まずそうに視線を逸らす魔理沙をアリスが肘で突付く。
「地下に居たはずなのに、いきなり青空の花畑に出た時は驚いたけど」
「霊夢ってば、昼寝を始めようとするし」
「アンタだって寝ようとしてたでしょ」
「二人とも二時間は寝ていた」
今まで沈黙していた藍も、会話に参加する。
永夜異変の際に酷使された式神は、今回も激しく回転する羽目になった。

紫達の話では、遺跡っぽい所の奥にも危険な巨大生物が居て、いきなり襲い掛かってきたそうだ。
しかし、博麗&八雲のスーパータッグにより、光となって消え去ったという。

「私達も少し拾ったわ、その箱」
「紫様の眼鏡もそうだし、これもそうだな」
藍の膝の上でごろごろとしていた橙の耳、見慣れないイヤリングがついていた。
「そうだったのか……」
腕組みする魔理沙。

霊夢が動いたという事は、あの洞窟の奥には幻想郷を脅かす何者かが居たという事になるのか。
目を向けると、当の霊夢は酒が回ったのかうつらうつらしていた。
紫の説明の途中からふらふらと揺れていたが、そろそろ限界らしい。
ゆっくりと倒れ込む霊夢を紫が支え、自分の太ももの上に頭を乗せる。
紫の膝枕に霊夢は容赦なくよだれを垂らし、紫は引きつった笑みを浮かべていた。
「アンタの考えてる事、当てて見せましょうか」
膝立ちで畳を擦りながらアリスが来たが、
「……」
魔理沙はアリスの左胸の辺りに顔を隠すようにもたれかかる。
「ちょ、ちょっとなによ、らしくないわよ」
体重を預けられたアリスは動きを封じられた。脱力している魔理沙の背中に手を回して支える。
「なんか、気が抜けた……」
「膝枕でもして欲しい?」
「寝言は寝てからでいいぞ」
「なによそれ」
呂律の怪しくなってきている魔理沙に苦笑するアリス。

永夜異変の時も、結局最後まで進めたのは霊夢達であった。
アリスとしては自分の手で解決しなくても別に構わなかったのだが、魔理沙はどうだったのか。
この普通の魔法使いが、幻想郷の安全機構である霊夢をライバル視しているのは、神社に出入りする連中なら誰もが知っている。
(負けた、とか思ってるんじゃないでしょうね)
リンクした回線から、思念を送る。
少し前なら殴りかかってくるかもしれない、魔理沙の逆鱗だったが、帰ってきたのはぶっきらぼうな念。
(パートナーの差だ)
(はいはい)
顔は見えないが憮然としている様が目に浮かぶ。

「で? あの地下世界はなんだったの? 貴女ならわかるんじゃない?」
アリスは魔理沙を支えたまま、紫に問う。

回収できた人形の中に、妖夢を庇って完全に破壊された人形があったのだが、付着していた液体を調べると気になる結果が出た。
現場では、戦闘状態でまさか試薬を作るわけにも行かないし、せいぜいが毒液だろうと思っていたが、実際はそんな生易しいものではなかったのだ。
アリスの見立てが正しければ、あの体液には生物を侵食し変異させる能力がある。
アリスの予測が間違い出なければ、あの洞窟の化け物はその影響を受けている。
紫も潜ったのであれば黒幕ではないのだろうが、幻想郷に起こる怪事件の大半はこの妖怪の目の届くところにあると言っていい。
真っ当な答えを得られるとも思えなかったが、あの洞窟に漂う独特の気配には、何がしかの答えが欲しかった。

「大体は予想出来ているんじゃないかしら? ああいうのって、意外と埋まってるのよ?」
本格的に寝息を立て始めた霊夢を気遣ってか、小声で答える紫。
「そうじゃなくて」
アリスの疑念はそれとは別にある。
「そうね、感覚的には萃香の起こした騒動にも似ているわね」
言われて気がついたが、鬼が居ない。
「今頃遊んでるわよ、歯ごたえのあるのが居るって言って出かけて行ったわ」
霊夢の髪を穏やかに撫でながら続ける
「呼んでいたのよ、あの地下の奥深くに眠っていた存在がね」
(……)
寝た振りをしている魔理沙の意識が身じろぎする。
「やぁね、博麗の勘って。寄り道する楽しみを知らないんじゃないかしら」
わざとらしく溜息を吐いてみせるアリス。折角相手が気付かない振りをしてくれているんだから、おとなしく狸寝入りでもしていて欲しい。
「私達が先で良かったのよ、貴方たちも「呼ばれて」いたのでしょうし」
紫の声のトーンが落ちた。

確かに、とアリスは頷く。
自分も含め、あの時の強行軍はどうかしていた。
都会派を名乗る自分が、返り血を物ともせずに戦闘を重ね、じめじめとした洞窟に踏み込んでいったのだから。
親切にあれこれ喋る時の紫は信用出来ないが、それでもアリスは真意を読み取ろうと努力した。
その視線を眼鏡で遮る紫。
「紫~、また誰か来るわよ~。妖夢はおもてなしの準備ね~」
縁側で妖夢と共に夜桜を愛でていた幽々子が、誰かに気が付いたらしい。
はい、と小さく返事をして台所に向かう妖夢に、
「藍も手伝ってあげなさい、まったく、みんな暇なのねぇ」
紫がため息をつく。
「……ええと?」
アリスが首を傾げると、上海人形も真似をした。

「夜分に失礼致しますわ」
「ごめんください、八雲紫さんはこちらにいらっしゃったりしますかー?」
咲夜と鈴仙が、家主の了解もなくズカズカと上がりこんで来た。勝手知りたるなんとやら、である。
玄関から入ってきた二人は、茶の間の面子に挨拶し、
「「あ」」
庭に山と転がっている箱を見て、立ち尽くした。
「んあ~……なによ、今度はあんた達ぃ?」
物音で目を覚ました霊夢が口元を拭いながら起き上がる。

藍が補充した食材を整えつつ、妖夢は茶の間から聞こえてくる騒動に耳を傾ける。
「地下の坑道に……」
「鉄の軍団の巣窟に……」
聞こえてくる新たな客の声から、妖夢はごぼうを刻みつつ思う。
「みんな大概暇なんですね」
「そうだな」
暇なのは平和なのか、停滞なのか。
どちらにせよ、暇である事には変らない。
「楽しめたの?」
「……わかりません」
精一杯走り回った記憶はある。確かにあれだけの緊張はそうはない。
密度の高い時間を過ごしたという意味では、充実していたのかもしれない。
「いつでも余裕を失うな、とは言っているんだがねぇ」
苦笑する藍に妖夢の手が止まる。
「未熟者ですから」
「それこそいつも言っているだろうに、自分を理解するのはいいが卑下はするもんじゃないよ」
憮然とする妖夢を肘で小突く。
「はい……」
長い付き合いのこの天狐には頭が上がらない。
「ま、ここしばらくは色々あったからな。庭の世話もいいが、少しは刺激も受けておくのもいい」
「そうします」
刻んだごぼうと人参を藍に渡すと、姉貴分は狐火で炒め始めた。
蒼白い妖気の炎がきんぴらを炒めている光景に、妖夢は眩暈がしてきた。ついでに言うならその火力にも動じない霊夢の家の鍋も凄まじい。
さっきのアリスといい、この光景といい、自分の周りにいる連中は自己の能力を日常に織り込む事に慣れすぎている。
今度、【幽明の苦輪】で料理する修業もしてみよう。
頷いた妖夢は、次の料理の下ごしらえに取り掛かった。
宴はまだまだ続くのだろうから。さっさと済ませて宴に加わるのも悪くないだろう。

「ようむ~、お料理まだ~?」
「はーい、ただいまー!」



●■●



「ねえメリー、いいものをあげるわ」
「蓮子、人の家まで廃棄物を投棄しにくるその心意気だけは買うけど、処分に出す私の身にもなって貰えないかしら」
作った覚えのない合鍵で勝手に押し入ってきたのは、秘封倶楽部の相方にして物理の使徒、宇佐見蓮子その人である。
こういうやり取りも週に一度はあるので、メリーの方もすっかり慣れてしまっていた。
いかんいかんと思いつつ、蓮子の持っている手提げに目を向ける。
「で、今度の遺棄物はなにかしら?」
「遺棄物なんてひどい言いがかりよ、このままだと歴史の狭間に消えてしまいそうな品物を保管しに来ているのに」
「お茶淹れてあげるから大人しく座ってなさい」
「はーい」
結局いつもこうだ、蓮子のペースに巻き込まれる。
少しばかり厄介な目を持つ自分が、他と接点を持ちたがらないのを知っている蓮子の、ささやかな思いやりと嫌がらせだ。
ため息を吐くと勘付かれるので、安物のティーバッグで済ませる事で溜飲を下げる事にする。
「はい、おまたせ」
「はい、お待ち申し上げておりました」
丁寧に無遠慮な蓮子は、荷物を広げていた。
「なに? その四角いの」
「キューブよ、知らない?」
単語は知っているが、変な取っ手のついた二十センチ四方の物体は始めてお目にかかる。
蓮子はなにやら結線していたかと思うと、テレビのスイッチをオンにして、キューブとやらのスイッチも入れた。
画面にメーカーロゴが表示され、
「ゲーム?」
「オンラインのサービスが終わっちゃったから、ハードごとあげるわ」
そう言いつつ、いそいそとコントローラーを握る蓮子。
オフでも四人まであそべるのよー、と勝手に始めてしまった。
ゲーム機。
比較的安価に娯楽を提供するその機械は、新機種が出ると、それまで現役で頑張っていた物があっさり切り捨てられる事が多いという。
今、目の前にあるそれも、そういった流れの中で緩慢な死を約束された「終わった機種」なのだそうだ。
擬似的に世界を作るオンラインゲームの、サービスが終了したという。
仮想の世界に作られた、しかし、人の手によって作られた一つのコミュニティでもある。
コミュニティがひとつ無くなるだけ、と言えばそれまでだが、この手のゲームは現実時間とゲーム内の時間が等しく流れていく分、プレイヤーとキャラクターの親和性が高いと聞く。
「それは……」
それは一つの世界の終焉なのだろうか。
大げさだと思いつつ、カップに口付けし安物のお茶を啜る。
メリーの視線の先、画面の中では蓮子の分身たる女戦士が敵を駆逐している。
「あ!」
唐突に蓮子が大声を出した。
「どうしたの?」
「レア出た! 今までちっとも出なかったのに!」
画面の中で紅い箱が回っている。
「出ないの?」
「出ないの!」
探し物が出たのに何で怒っているのかよく分からなかったが。
「オフラインでも遊べるのなら、まだ遊べばいいじゃない」
「そうなんだけどねー、でも、閉じてる感じがどうにも」

変化のない閉じた世界。
そこには、変わりの無い日常が繰り返されているのだろうか。
プレイヤーという観測者が居れば存続し続ける世界。
幻のように、閉じた箱庭。

「ゲームってそういうものじゃないの?」
「あー! メリーってばわかってなーい!」




はじめましてこんにちは! 素敵な東方SSが沢山読める場所があると聞いてやってきました!
読むだけには飽き足らず、思わず自分でも書いてしまいました!
初っ端からこんなネタですが、これからもよろしくお願い致します!



……嘘。ごめんなさい。×日遅れのエイプリルフール、というわけでもなく。
名前はすぐに戻します。
でも、すごく久しぶりの投稿なのですっかり忘れられていると思います。
改めましてこんにちはこんばんわ、鼠と申します。以後お見知りおきを。



久々に書いた話がコラボ物。そして長い。
元ネタを知っている人にしか通じない書き方をしている為、そうでない方を置き去りに。
某ゲームのオンラインサービスの終了を受けて、つい書いてしまいました。
求聞史紀では、将来的な概念も幻想に昇華する事もあるとされているので、こんな無茶苦茶なのもありかなー、とか。だめですかそうですね。

坑道、遺跡も書く予定だったのはここだけの話。
洞窟だけで100k近くなったので断念。

追記
この時期に地震ネタは不謹慎でした。反省してます。
鼠(鑑定済み)
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コメント



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7.80名前が無い程度の能力削除
このタイトルでピンと来た。
どうせなら咲夜&うどんげの坑道編とかも見たいです。
14.80名前が無い程度の能力削除
あー、狂ったようにやったなぁコレwww
違和感なく楽しめました。
坑道編や遺跡編もみてみたいな。
16.90名前が無い程度の能力削除
元ネタはわかりませんが、楽しめました。
引っかかりをおぼえるところが無い、バランスが取れた良い話でした。
19.80更待酉削除
キューブ版を発売日からオンラインサービス終了まで現役でしたね、一人で刀探し回ったりチームの人と潜ったりとかw
それにしてもこの世界が幻想郷に来たら奥にいるアレのせいで大変な事になりそうな…
20.無評価名前が無い程度の能力削除
ンメェギィドォゥ吹いた。腹筋壊れて死んだ。

みょん侍はあと3本コンプ出来るのでしょうか。
あと霊夢と紫の余裕ぶりに全俺が戦慄した。流石だ。
21.70名前が無い程度の能力削除
点数入れ忘れたOTL

ちょっと久々に白髭のオッサンと処理層でチャンバラしてくる。
22.60名前が無い程度の能力削除
……なあ。
鼠氏のパチェがあの【吸命『神をも殺す剣』】を目にしたらどーすんだろな?
確か洞窟の特産だったよね?

……ハヴェの新作が出るのかね。
26.100名前が削除
元ネタはわかりませんがファンターシースターなのかな?
私だと年寄りなので、ネイのイメージしかないのですが。
相変わらずのスペルカードの疾走感が最高でした。マリアリ。