六十年に一度の再生の年、幻想郷は四季折々の花々に包まれた。
自らの怠慢が招いたともいえる、三途の河の水先案内人である死神・小野塚小町もその異変を半ば楽しんでいたのだが、上司にさんざ叱られるわ、見知らぬ連中にまで寄って集って仕事をしろと言われるわで、不服な思いをしたものである。
しかし、普段風通しの悪い職場に勤めているために、このところめっきり新たな出会いというものが無かった手前、
此度の一件はなかなか楽しいものであったように思っていた。
幻想郷って面白っ。
しかし、本当に変な連中ばかりだったと思い返す。
年中脳内に春風が吹き抜ける、慢性的お賽銭不足の巫女に、
勝手に『サボタージュの泰斗』などという不名誉極まりないあだ名をつけた黒白の嘘吐き魔法使い、
出会い頭に数本のナイフを投げ付けて来る物騒な冷血メイドに、
馴染みのある、冥界の姫君が統率する白玉楼の半人半霊な庭師。
人間だけでこんなにも、今回の騒動に混ざった訳である。
妖怪たちはといえば、竹林に住むいたずら兎詐欺に月兎、
騒霊ちんどん屋三姉妹の末っ子に、
頭がお寒い妖精、
夜でもないのに出張ってうるさい唄を歌う夜雀に、
能ある鴉は何とやらなパパラッチ、
鈴蘭の毒で仕事を増やそうとするけしからん人形妖怪。
……そしてヤバイ眼をした花妖怪。
もう気迫といったものからして、他の連中から垢抜けていた。
恐ろしかったが、小町の生来からの、誰でも気軽に話せる気質が災いしてか、無駄話を交わすという、
これまた綱渡りな所業をこなす羽目になったのである。
先天的なものであっても、これ程までに自分のまぬけ具合を恨んだことはないだろう。
まあ、本当にヤバくなったら四季様がどうにかしてくれるだろうといった、
楽天的な思考も原因の一つであることに気付かないことがもはや問題であるのはよしとして、である。
そもそも、花異変と呼ばれるこの騒動のきっかけすらも、小町の何とかなるさ主義が一端を担っていたのだ。
「気風の良い死神さんね。宵越しの銭は持たない主義かしら」
隠喩を込めた言い回しに、小町はにやりと笑いつつ返す。
「さあ、場合にもよるけどな。でも、蕎麦はちゃんとつゆに浸して食べるよ」
「口も達者なようだけど、中身の方は備わっているのかしらね?」
「こちとら五月の鯉じゃあ無いんでね!」
花妖怪と呼ばれる風見幽香は、くすくすと笑う。
自分を恐れない連中が増えて嬉しいのだろう。
あわれ小町は、幽香の暇つぶしリストに名を連ねることとなる。
「騒動に便乗した連中が辺りを飛び回っていたわ。その何人かに、そいつに似合う花を見繕ってあげていたのだけど、
今あなたの花もぴんと来たわ」
「ほう?」
辺りを見渡せば、咲き乱れる花、花、花。
その中に一つくらい、自分に似合う花があってもおかしくない。
「あなたに似合う花は……火事と喧嘩ね」
「む、うまいこと言った!」
膝を叩きながら小町。
そういう芝居がかったアクションも、幻想郷に住む妖怪には珍しく感じるのかも知れない。
しかし、座布団は出せない。
何故なら山田君を呼ぶことは出来ないからだ……察してくれ。
「それで、あなたが仕事を怠けて何処かへ出掛けていた理由にどう繋がるのですか?」
小町の上司であるところの閻魔様・四季映姫は、額に青筋を浮かべながら、
金色の悔悟の棒をきつく握りしめた腕を組んで、地べたに正座している小町を見下ろす。
強大な力を持つ者程、真面目に働くことの少ない幻想郷ではあるものの、
幻想郷担当の閻魔様は公明正大にご公務を真っ当されているようである。
何処の中間管理職も大変なご様子で……彼女の胃が心配だ。
ともかく現状は、仕事を怠けて人里に遊びに出掛けていた部下を見咎めた映姫が、
わざわざ三途の河まで出向いて説教をしている場面。
小町が言い訳として、件の騒動について語り終えた時分である。
「えー、霊を運んでいる最中に、そのことを思い返しまして。そういや、四季様にはどんな花がお似合いかしらんと思って、
里の花屋を見て来たってぇ次第です」
膝に両手を置きながら、まるで小咄でもするかのように語る小町。
映姫はといえば、いらいらと人差し指を揺らしながら、頑なな表情を緩めることなく、温度を感じさせない眼で睨み続けている。
今の本人は穏やかさとは無縁であったが、夏の葉桜を思わせる深緑の髪は、穏やかに風に合わせて揺れていた。
花妖怪も緑の髪だったが、あちらはもっと明るく薄い感じの緑だったように記憶している。
緑といっても、様々な色があるのだ。
「花屋なんぞに行かなくても、今の季節、閻魔に似合いの花はそこらに生えているでしょうに。こと彼岸においては尚更」
「はは、彼岸花……」
映姫の言う通り、秋に差し掛かった彼岸では、見渡せば必ず視界に入る毒々しい色の彼岸花が咲き誇る。
地獄の顔として知られる閻魔様に最も相応しい花の一つであろう。
「でも、そんな短絡的じゃつまらないんで、下界に下りて買って来たんです。この鎌のように少しひねってみたんですが」
そう言って、懐から一輪の花を取り出す。
深い群青色の、筒状鐘形の花。
これもまた、秋を代表する花の一つである。
「竜胆(りんどう)……?」
「そう、竜胆です」
「そのこころは?」
映姫は訝しそうに眉をひそめながら、小町から手渡された竜胆をまじまじとみつめている。
しかしその表情を見るに、満更でもなさそうである。
「竜胆の花言葉は『正義』なんですよ。ね、四季様にぴったりじゃないですか」
映姫の制服の両肩には、金色に輝く肩当てが装飾されている。
それぞれ一字ずつ、『是』と『非』が刻まれているところが、閻魔様らしいといったところか。
彼らの仕事は、基本的に良心と、広大な正義感で成り立つ。
そういった意味での選択なのだろう……が。
「竜胆って、四季様みたいです」
小町は、少し照れくさそうに笑いながら、映姫を真っ直ぐに見た。
しかし映姫は花から顔を上げると、花を見ていた時より更に訝しそうに眼を細めながら小町を見つめる。
それはもはや、いつも勉強しない我が子が机にかじりついて、夕飯を食べる時間を惜しんで、
算数ドリルに取り組んでいるのを垣間見た母親が、何か悪い物でも食べたのではないかと疑うような眼つきである。
無言のプレッシャーに苦笑いをする小町。
確かに彼女は花言葉という柄でも無いだろう。
「やけに詳しいですね。大方、件の花妖怪や、花屋にでも聞いたのでしょうが」
「いやぁ、前々から竜胆が大好きなんですよ。だからよく知っている訳でして」
「まあ、素敵な花ですよね」
再び手元に視線をやりながら、何の感慨も無さそうに言う映姫に、小町は不満そうに声を張り上げる。
「……竜胆って四季様みたいですよね!」
「分かりましたよ。二度も言わなくて結構です」
はあ……と、溜め息を吐いて、頭を抱える小町。
普段であれば、映姫が小町に対して行う一連の動作である。
「あたい、竜胆が大好きなんです! ずっと前から!」
「分かりましたって」
「全然分かっていないじゃないですか! この朴念仁! 唐変木! 何処のエロゲの主人公ですか!」
恐らく18禁ゲームが幻想入りすることなど無いだろうが、何故か知っている小町を映姫は華麗にスルーする。
大人である。
「はあ、あなたは野菊のようですねと言えば良いんですか?」
「へ?」
さすが閻魔というべきか、部下に朴念仁と叫ばれようとも知識は多彩であった。
分かっていてそれまでしらばっくれていたのなら、かなり性格が悪いのだが、実際どうなのだろう。
「……四季様が野菊を好きなら」
高らかに罵倒した手前小さくなる声は、容赦ない映姫の声とは正に対称的である。
「野菊は好きですが、あなたは全然野菊のようでは無いです。似ても似つきません」
「これはしたり四季様。そんなことじゃ、不肖この小町、傷付いたりへこたれたりは……」
「火事と喧嘩は嫌いです。ついでに怠慢も」
ずーんと、漫画であれば縦の斜線が小町の頭上に重々しく降り懸かったであろう。
毒舌な映姫の下にいる小町、少しは免疫を備えていると自身も思っていたようだが、
それは過信であったと思い知らされた。
でも嫌いって……嫌いって。
あ、ちょっと涙が出て来た。
「火事は人が大勢死ぬし、喧嘩という暴力行為などもっての外。怠慢については何も言わなくても分かるでしょう」
「……おっしゃる通りで」
「何をふて腐れているのです」
「別に……」
実に抜けぬけとした映姫の態度に、唇を尖らせる小町。
映姫はそれを知ってか知らずか、二人の制服の色と同じ、鮮やかな青紫の竜胆を見つめながら何やら考えている。
「……時に小町、私は今の季節が結構好きなのですよ」
思い出したかのように、映姫は抑揚のない声で言う。
「そーなのかー」
「特に、無縁塚にもある葉桜が、燃えるような赤に染まっていくのは圧巻です。
私は、そうですね、青も好きですが……赤が一番好きかも知れません」
「さいですかー」
「あなたは、まるで紅葉の桜のようですね。特にその髪が」
「そうですか? まあ、あんまり意識したことはありませんが、確かに言われてみれば……」
自分の髪をひとふさ掴み上げ、毛先を見つめる。
確かに眼も覚めるような赤。
それも、彼岸花のような毒々しいものではなく、何処となく柔らかな桜の紅葉のような。
「……って、え? 今、何て?」
「あなたは全然、野菊のようではありません。むしろ、野菊のようになってはいけませんよ。野菊は、ダメです」
「へ? はあ? 何で……?」
「ほら、サボっていないで仕事をしなさい! 霊の審判がすこぶる滞っているのはあなたのせいですよ!」
びしばしと、いつものように悔悟の棒を振りながら映姫は怒鳴る。
「は、はいっ!」
叩かれては堪らぬと、小町は舟に向かって一目散に走り出した。
映姫も嘆息しつつ、花の騒動の際に、紫の花を咲かせていた桜を見上げる。
夏にはあれほどまでに、光を反射させて輝いていた葉桜が、やんわりと温かみのある色に紅葉している。
やがて、自らの職務を果たすべく、踵を返した。
「なぁなぁ、野菊の花言葉って何か不吉なものなのか?」
今日も今日とてサボりにサボる死神は、件のヒマワリ畑に足を運んでいた。
いつであっても不気味で、それでいて妖艶な笑みを浮かべる、幻想郷最強クラスの妖怪の元である。
「そうでもないわ。『清爽』。むしろ爽やかな感じでしょう?
もし、不吉な印象を持つのなら、菊は人間の風習でお葬式に扱うくらいかしらね」
「んー、何だかな。あんまりぱっとしないけど」
「何がよ?」
勝手に質問して、一人で納得出来ないなどと呟く小町にさしもの大妖怪であっても首を傾げる。
その様子が、気迫と反して何とも少女らしく、かわいらしい仕種であることか。
映姫よりは明るい緑の髪が、内に潜んだ幼さに拍車をかけている。
「野菊と竜胆の対比だよ。うちの上司に竜胆みたいですねって言ったら、
あなたは野菊のようになってはいけませんよって言われたんだ。な、訳分からないだろう?」
「あらあら、お盛んなことで。野菊と竜胆の対比……いささか古めかしい感じは否めないけど。
ところであなた、その話の結末がどうなったか知らないのかしら」
「結末?」
幽香は、ふうと一息吐いて、足元に咲いていた一輪の野菊をちらりと見遣った。
真夏はヒマワリが所狭しと咲く花畑も、今は他の花に場所を譲っているらしい。
「ふふふ、有名な掛け合いだけを持ち掛けても無意味よ。物語は続くの。たとい、あなたが死んだとしても」
「さっぱり分からん」
「自分のお墓の前で、想い人が泣くのは嫌でしょう? 逆も同じ。大切な人に先立たれるのは誰だって辛いもの。
きっと私でも……そう、地獄の閻魔様でもね」
「あー? 日本語で話せ、ここは幻想郷だ」
遠回しな幽香に、不愉快そうな顔を向ける小町。
幽香は、尚もくすくすと笑う。
「ヒントは……そうね。竜胆の花言葉は、『正義』・『的確』・『勝利』……そして『悲しんでいる君を愛する』よ。
まさか、民さんはそこまで考えていなかったでしょうけど」
そう言うと、もはや飽きたと言わんばかりに肩を竦ませ、さっさと背を向けて行ってしまった。
大分むらっ気のある性格らしい幽香の、優雅な後ろ姿を見送りながら小町は思う。
誰だよ、民さんって。
それにしても、詳しいと思っていた竜胆の花言葉について、『正義』以外知らなかったことに軽く落胆を覚える。
この分では、もう一つの竜胆のことについても、よくは知らないのではないだろうか。
あの人の言いたかったことは、結局幽香のヒントを介して考えてみても、はっきりとは分からなかった。
……まあ、良いか。
しかし、次第にそう思うようになる。
深く悩むなんて、そもそも性に合わないのだ。
小町は思い出したように自らの髪に触れて、嬉しそうに軽く微笑みながら仕事場へと戻る。
ヒマワリ畑には、まるで誰かの死をいたわるかのように大輪の菊が咲いていた。
自らの怠慢が招いたともいえる、三途の河の水先案内人である死神・小野塚小町もその異変を半ば楽しんでいたのだが、上司にさんざ叱られるわ、見知らぬ連中にまで寄って集って仕事をしろと言われるわで、不服な思いをしたものである。
しかし、普段風通しの悪い職場に勤めているために、このところめっきり新たな出会いというものが無かった手前、
此度の一件はなかなか楽しいものであったように思っていた。
幻想郷って面白っ。
しかし、本当に変な連中ばかりだったと思い返す。
年中脳内に春風が吹き抜ける、慢性的お賽銭不足の巫女に、
勝手に『サボタージュの泰斗』などという不名誉極まりないあだ名をつけた黒白の嘘吐き魔法使い、
出会い頭に数本のナイフを投げ付けて来る物騒な冷血メイドに、
馴染みのある、冥界の姫君が統率する白玉楼の半人半霊な庭師。
人間だけでこんなにも、今回の騒動に混ざった訳である。
妖怪たちはといえば、竹林に住むいたずら兎詐欺に月兎、
騒霊ちんどん屋三姉妹の末っ子に、
頭がお寒い妖精、
夜でもないのに出張ってうるさい唄を歌う夜雀に、
能ある鴉は何とやらなパパラッチ、
鈴蘭の毒で仕事を増やそうとするけしからん人形妖怪。
……そしてヤバイ眼をした花妖怪。
もう気迫といったものからして、他の連中から垢抜けていた。
恐ろしかったが、小町の生来からの、誰でも気軽に話せる気質が災いしてか、無駄話を交わすという、
これまた綱渡りな所業をこなす羽目になったのである。
先天的なものであっても、これ程までに自分のまぬけ具合を恨んだことはないだろう。
まあ、本当にヤバくなったら四季様がどうにかしてくれるだろうといった、
楽天的な思考も原因の一つであることに気付かないことがもはや問題であるのはよしとして、である。
そもそも、花異変と呼ばれるこの騒動のきっかけすらも、小町の何とかなるさ主義が一端を担っていたのだ。
「気風の良い死神さんね。宵越しの銭は持たない主義かしら」
隠喩を込めた言い回しに、小町はにやりと笑いつつ返す。
「さあ、場合にもよるけどな。でも、蕎麦はちゃんとつゆに浸して食べるよ」
「口も達者なようだけど、中身の方は備わっているのかしらね?」
「こちとら五月の鯉じゃあ無いんでね!」
花妖怪と呼ばれる風見幽香は、くすくすと笑う。
自分を恐れない連中が増えて嬉しいのだろう。
あわれ小町は、幽香の暇つぶしリストに名を連ねることとなる。
「騒動に便乗した連中が辺りを飛び回っていたわ。その何人かに、そいつに似合う花を見繕ってあげていたのだけど、
今あなたの花もぴんと来たわ」
「ほう?」
辺りを見渡せば、咲き乱れる花、花、花。
その中に一つくらい、自分に似合う花があってもおかしくない。
「あなたに似合う花は……火事と喧嘩ね」
「む、うまいこと言った!」
膝を叩きながら小町。
そういう芝居がかったアクションも、幻想郷に住む妖怪には珍しく感じるのかも知れない。
しかし、座布団は出せない。
何故なら山田君を呼ぶことは出来ないからだ……察してくれ。
「それで、あなたが仕事を怠けて何処かへ出掛けていた理由にどう繋がるのですか?」
小町の上司であるところの閻魔様・四季映姫は、額に青筋を浮かべながら、
金色の悔悟の棒をきつく握りしめた腕を組んで、地べたに正座している小町を見下ろす。
強大な力を持つ者程、真面目に働くことの少ない幻想郷ではあるものの、
幻想郷担当の閻魔様は公明正大にご公務を真っ当されているようである。
何処の中間管理職も大変なご様子で……彼女の胃が心配だ。
ともかく現状は、仕事を怠けて人里に遊びに出掛けていた部下を見咎めた映姫が、
わざわざ三途の河まで出向いて説教をしている場面。
小町が言い訳として、件の騒動について語り終えた時分である。
「えー、霊を運んでいる最中に、そのことを思い返しまして。そういや、四季様にはどんな花がお似合いかしらんと思って、
里の花屋を見て来たってぇ次第です」
膝に両手を置きながら、まるで小咄でもするかのように語る小町。
映姫はといえば、いらいらと人差し指を揺らしながら、頑なな表情を緩めることなく、温度を感じさせない眼で睨み続けている。
今の本人は穏やかさとは無縁であったが、夏の葉桜を思わせる深緑の髪は、穏やかに風に合わせて揺れていた。
花妖怪も緑の髪だったが、あちらはもっと明るく薄い感じの緑だったように記憶している。
緑といっても、様々な色があるのだ。
「花屋なんぞに行かなくても、今の季節、閻魔に似合いの花はそこらに生えているでしょうに。こと彼岸においては尚更」
「はは、彼岸花……」
映姫の言う通り、秋に差し掛かった彼岸では、見渡せば必ず視界に入る毒々しい色の彼岸花が咲き誇る。
地獄の顔として知られる閻魔様に最も相応しい花の一つであろう。
「でも、そんな短絡的じゃつまらないんで、下界に下りて買って来たんです。この鎌のように少しひねってみたんですが」
そう言って、懐から一輪の花を取り出す。
深い群青色の、筒状鐘形の花。
これもまた、秋を代表する花の一つである。
「竜胆(りんどう)……?」
「そう、竜胆です」
「そのこころは?」
映姫は訝しそうに眉をひそめながら、小町から手渡された竜胆をまじまじとみつめている。
しかしその表情を見るに、満更でもなさそうである。
「竜胆の花言葉は『正義』なんですよ。ね、四季様にぴったりじゃないですか」
映姫の制服の両肩には、金色に輝く肩当てが装飾されている。
それぞれ一字ずつ、『是』と『非』が刻まれているところが、閻魔様らしいといったところか。
彼らの仕事は、基本的に良心と、広大な正義感で成り立つ。
そういった意味での選択なのだろう……が。
「竜胆って、四季様みたいです」
小町は、少し照れくさそうに笑いながら、映姫を真っ直ぐに見た。
しかし映姫は花から顔を上げると、花を見ていた時より更に訝しそうに眼を細めながら小町を見つめる。
それはもはや、いつも勉強しない我が子が机にかじりついて、夕飯を食べる時間を惜しんで、
算数ドリルに取り組んでいるのを垣間見た母親が、何か悪い物でも食べたのではないかと疑うような眼つきである。
無言のプレッシャーに苦笑いをする小町。
確かに彼女は花言葉という柄でも無いだろう。
「やけに詳しいですね。大方、件の花妖怪や、花屋にでも聞いたのでしょうが」
「いやぁ、前々から竜胆が大好きなんですよ。だからよく知っている訳でして」
「まあ、素敵な花ですよね」
再び手元に視線をやりながら、何の感慨も無さそうに言う映姫に、小町は不満そうに声を張り上げる。
「……竜胆って四季様みたいですよね!」
「分かりましたよ。二度も言わなくて結構です」
はあ……と、溜め息を吐いて、頭を抱える小町。
普段であれば、映姫が小町に対して行う一連の動作である。
「あたい、竜胆が大好きなんです! ずっと前から!」
「分かりましたって」
「全然分かっていないじゃないですか! この朴念仁! 唐変木! 何処のエロゲの主人公ですか!」
恐らく18禁ゲームが幻想入りすることなど無いだろうが、何故か知っている小町を映姫は華麗にスルーする。
大人である。
「はあ、あなたは野菊のようですねと言えば良いんですか?」
「へ?」
さすが閻魔というべきか、部下に朴念仁と叫ばれようとも知識は多彩であった。
分かっていてそれまでしらばっくれていたのなら、かなり性格が悪いのだが、実際どうなのだろう。
「……四季様が野菊を好きなら」
高らかに罵倒した手前小さくなる声は、容赦ない映姫の声とは正に対称的である。
「野菊は好きですが、あなたは全然野菊のようでは無いです。似ても似つきません」
「これはしたり四季様。そんなことじゃ、不肖この小町、傷付いたりへこたれたりは……」
「火事と喧嘩は嫌いです。ついでに怠慢も」
ずーんと、漫画であれば縦の斜線が小町の頭上に重々しく降り懸かったであろう。
毒舌な映姫の下にいる小町、少しは免疫を備えていると自身も思っていたようだが、
それは過信であったと思い知らされた。
でも嫌いって……嫌いって。
あ、ちょっと涙が出て来た。
「火事は人が大勢死ぬし、喧嘩という暴力行為などもっての外。怠慢については何も言わなくても分かるでしょう」
「……おっしゃる通りで」
「何をふて腐れているのです」
「別に……」
実に抜けぬけとした映姫の態度に、唇を尖らせる小町。
映姫はそれを知ってか知らずか、二人の制服の色と同じ、鮮やかな青紫の竜胆を見つめながら何やら考えている。
「……時に小町、私は今の季節が結構好きなのですよ」
思い出したかのように、映姫は抑揚のない声で言う。
「そーなのかー」
「特に、無縁塚にもある葉桜が、燃えるような赤に染まっていくのは圧巻です。
私は、そうですね、青も好きですが……赤が一番好きかも知れません」
「さいですかー」
「あなたは、まるで紅葉の桜のようですね。特にその髪が」
「そうですか? まあ、あんまり意識したことはありませんが、確かに言われてみれば……」
自分の髪をひとふさ掴み上げ、毛先を見つめる。
確かに眼も覚めるような赤。
それも、彼岸花のような毒々しいものではなく、何処となく柔らかな桜の紅葉のような。
「……って、え? 今、何て?」
「あなたは全然、野菊のようではありません。むしろ、野菊のようになってはいけませんよ。野菊は、ダメです」
「へ? はあ? 何で……?」
「ほら、サボっていないで仕事をしなさい! 霊の審判がすこぶる滞っているのはあなたのせいですよ!」
びしばしと、いつものように悔悟の棒を振りながら映姫は怒鳴る。
「は、はいっ!」
叩かれては堪らぬと、小町は舟に向かって一目散に走り出した。
映姫も嘆息しつつ、花の騒動の際に、紫の花を咲かせていた桜を見上げる。
夏にはあれほどまでに、光を反射させて輝いていた葉桜が、やんわりと温かみのある色に紅葉している。
やがて、自らの職務を果たすべく、踵を返した。
「なぁなぁ、野菊の花言葉って何か不吉なものなのか?」
今日も今日とてサボりにサボる死神は、件のヒマワリ畑に足を運んでいた。
いつであっても不気味で、それでいて妖艶な笑みを浮かべる、幻想郷最強クラスの妖怪の元である。
「そうでもないわ。『清爽』。むしろ爽やかな感じでしょう?
もし、不吉な印象を持つのなら、菊は人間の風習でお葬式に扱うくらいかしらね」
「んー、何だかな。あんまりぱっとしないけど」
「何がよ?」
勝手に質問して、一人で納得出来ないなどと呟く小町にさしもの大妖怪であっても首を傾げる。
その様子が、気迫と反して何とも少女らしく、かわいらしい仕種であることか。
映姫よりは明るい緑の髪が、内に潜んだ幼さに拍車をかけている。
「野菊と竜胆の対比だよ。うちの上司に竜胆みたいですねって言ったら、
あなたは野菊のようになってはいけませんよって言われたんだ。な、訳分からないだろう?」
「あらあら、お盛んなことで。野菊と竜胆の対比……いささか古めかしい感じは否めないけど。
ところであなた、その話の結末がどうなったか知らないのかしら」
「結末?」
幽香は、ふうと一息吐いて、足元に咲いていた一輪の野菊をちらりと見遣った。
真夏はヒマワリが所狭しと咲く花畑も、今は他の花に場所を譲っているらしい。
「ふふふ、有名な掛け合いだけを持ち掛けても無意味よ。物語は続くの。たとい、あなたが死んだとしても」
「さっぱり分からん」
「自分のお墓の前で、想い人が泣くのは嫌でしょう? 逆も同じ。大切な人に先立たれるのは誰だって辛いもの。
きっと私でも……そう、地獄の閻魔様でもね」
「あー? 日本語で話せ、ここは幻想郷だ」
遠回しな幽香に、不愉快そうな顔を向ける小町。
幽香は、尚もくすくすと笑う。
「ヒントは……そうね。竜胆の花言葉は、『正義』・『的確』・『勝利』……そして『悲しんでいる君を愛する』よ。
まさか、民さんはそこまで考えていなかったでしょうけど」
そう言うと、もはや飽きたと言わんばかりに肩を竦ませ、さっさと背を向けて行ってしまった。
大分むらっ気のある性格らしい幽香の、優雅な後ろ姿を見送りながら小町は思う。
誰だよ、民さんって。
それにしても、詳しいと思っていた竜胆の花言葉について、『正義』以外知らなかったことに軽く落胆を覚える。
この分では、もう一つの竜胆のことについても、よくは知らないのではないだろうか。
あの人の言いたかったことは、結局幽香のヒントを介して考えてみても、はっきりとは分からなかった。
……まあ、良いか。
しかし、次第にそう思うようになる。
深く悩むなんて、そもそも性に合わないのだ。
小町は思い出したように自らの髪に触れて、嬉しそうに軽く微笑みながら仕事場へと戻る。
ヒマワリ畑には、まるで誰かの死をいたわるかのように大輪の菊が咲いていた。
冷静で淡々としつつも言葉の端々に愛情を滲ませる映姫様に乾杯。