Coolier - 新生・東方創想話

明日初めて空を飛び、明日初めて宝探し

2010/06/27 00:10:58
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「どこへ行くのです? ナズーリン」
「定時報告ですよ。毘沙門天様に」
「そうですか、では気をつけて行ってらっしゃい」

―― 定時報告 ――

 この四字熟語を告げると、ご主人様は特に詮索することもなく、私を笑顔で送り出す。いつものように寺の入口まで見送ってもらい、いつものようにすいっと空を飛んで、私は寺をあとにした。

 かれこれ1000年近く続くやりとり。私がご主人様の元を訪れてからずっと続いている、たった二言三言のやりとり。毘沙門天の弟子とその監視者である、ご主人様と私の間をつなぎ止めている、唯一のやりとり。

 しかして私がご主人様の傍を離れる為の、唯一の口実。

 空から振り返るとご主人様は、私の姿を見えなくなるまで手を振りつつ、ずっと笑顔で見届けてくれていた。
 手にしたロッドをくるりと振ってご主人様の笑顔に返事をし、踵を返すと私は速度を上げて寺のある山の一帯を一気に飛び去る。そして。

 いつも通り、山の麓近くにある枯れた田んぼに着陸し、その場に座り込んだ。見上げる空は薄暗い雲が覆っている。飛んでる時は常に風を割いていたが、いざ地に降りてみると結構な風が吹いていたらしい。季節は春にはまだ遠い。そう思った私は、見栄えのしない曇り空から目を逸らした。

「……やれやれ……」

 誰に言うでもなく呟きながら、私は手にした懐に忍ばせていた小さな書簡を取り出す。次にしっぽに吊り下げていた籠から一匹鼠を引っ張り出すと、その体に書簡を結構ムリヤリくくりつけた。流石に荷物が大きいのか、ちょっとバランスが悪そうだ。

「んじゃ、頼むよ」

 私がそう告げるが早いか鼠はぴゅるりと駈け出し、そしてすぐに見えなくなる。

 以上、定時報告おわり。

 うん、以上である。これでしまいなのである。ぶっちゃけ定時報告ってこれだけである。
 
 配下の鼠には毘沙門天様の居場所を教えてある。書簡を持たせておけば、あとは勝手に報告してくれるのだ。えらくあっさりしているように見えるが、そもそもが多忙な毘沙門天様。私みたいな妖怪風情が会いに行っても面会すら叶わない場合が多い。

 しかも私のご主人様はそんな妖怪風情とは思えないほど敬虔で優秀なのである。私の見ている限りこの1000年間、毘沙門天様の頭を悩ますような真似をしたことなど一度もない。ことご主人様に関しては、私自身がわざわざ出向いて報告しなければならないことなぞ全くと言っていいほどないのである。

 そう、ご主人様はひたすら毘沙門天の代理として、人間・妖怪を問わずに功徳を施してきた。

 自分の恩人が、人間に追い立てられたあの日でさえも。
 仲間である妖怪たちが、恩人ともども封じられたあの日も。
 そんな身勝手な人間たちが施しを受けに寺を訪れた時でさえも。
 彼らがその妖怪のことを悪し様に言ってのけ、軽蔑のまなざしを向けたあの日も。

 ご主人様はひたすら修行に打ち込んでいた。いつも笑顔で人間を寺に迎え入れた。妖怪ではなく人の味方、毘沙門天の代理として。

 ご主人様は、優秀すぎたのだ。

 今や行方も知れない恩人の思いを引き継いで1000年の間、この荒れ果てた寺を離れられずにいる。それでもご主人様は、笑顔なのだ。恩人も同胞も姿を消した後も顔色変えず、なお人間のために務めたのに、その人間たちも年月の中で毘沙門天への信仰を忘れ、寺の存在すら忘れた。

 人から忘れ去られたこの寺が、常識と非常識の境界を超えてしまったことに気づいたのは、ここ最近のことなのだけれど……ご主人様にはまだこのことは話していない。神隠しにあっても気づかない程に、この寺は荒れすぎた。

 ……ご主人様が昔話してくれた言葉を思い出す。

「人というのは、死んだ者に対してはことさら無情・無関心になるものだと、聖は言っていました。吉田なんとかという法師から聞いた話だそうですが……」

 吉田なんとかって法師はよく知らないが、実に人間観察の効いた目を持っているようだ。実際ご主人様の寺のことを知っている人間なぞ、外の世界にはもう誰もいまい。人の思いなんてその程度なのに、それでもご主人様は恩人の教えと約束のためにここにいる。誰のせいで、ご主人様が寺に残ったのかも忘れて……おっと、人を悪く言うのはご主人様から止められているのだった。

 恩人が妖怪ともども封じられたあのとき、ご主人様は唯一彼女たちを助けられる立場にいた。もちろん私も……けれどできなかった。それは自分の正体を明かすことだから。そうしてしまったら、恩人が願い続けてきたこの寺は自分もろともなくなってしまうだろう。彼女たちを助けても、もどってくる場所がなくなってしまう。寺を亡くすとなれば、毘沙門天の代理としての職務を放棄することになるのだから……

 どれだけ苦しんだんだろうか。恩義と大義との狭間で。なのにいつも笑顔なのだ。苦しすぎる程に笑顔なのだ。

 そんな笑顔を1000年もの間見続けていたら、こちらとしても気が滅入って仕方ない。だからって監視役だから見ないわけにもいかない。そんなわけで……

「まーた。定時報告とやらとかこつけて、こんな何も無い田んぼの真ん中でおさぼりー」

 真横からいきなり声がしたので。思わずビクリと尻尾が引き攣ってしまった。心臓を落ち着けつつ、声のする方に顔を向けると、何のことはない、見知った顔である。

 といってもここ最近、この場所でばったり顔を合わせた程度の知り合いでしかないが。



 ※             ※             ※



 短い金髪をまるで遠い昔の日本人のように頭の両端に赤紐でまとめ、おさげのようにしている特徴的な髪型。
 蛙の姿をいくつも刺繍された妙ちくりんな衣。
 そして自分の顔より大きいかもしれない。何を模したのかも怪しい帽子。変な目玉までついてるし。

 今日はじめて会ったわけではないが、何度見ても怪しい出で立ちである。ご主人様とは正反対だ。なんだか禍々しい空気すら感じかねない。

 身の丈は私よりもあるが、それもこの変な帽子で稼いでいるようなもので、実際は殆ど変わらないのではないか。だとしたらかなり小さいのだろうが、とても子供には見えない。私と同じか、それ以上に老成してそうな口ぶりだし、それが偽りだとも思えなかった。

「通りすがりの土着神さ」と軽く自己紹介をされて以来、この人とも妖怪ともつかぬ自称神様とは、定時報告に向かう際にちょくちょくこの田んぼで鉢合わせするようになったのだ。

「そっちこそ、よくこのあたりを通るようだけど、間欠泉は見つかったのかい?」
「いやあ、見つからないねえ。というか『こっちの世界』には全くないみたいだ。できるのを待つより、自分で作っちゃったほうが早そう」

 肩をすくめ、困ったそうな表情を作ってみせるが、私からは、笑っているようにか見えない。困っている今の現状さえも楽しんでいそうな。そんな雰囲気。少しだけ、羨ましくもあるような。そんな雰囲気。

「自分で作るったって、心当たりはあるのかい?」
「間欠泉のでき方は『外の世界』で何度か見たことがあるからね。それに手段もないことはない。ちょっと荒っぽいかもしれないけど」
「むこうの世界ねえ……」

 聞くとどうやらこの神様は、自分の力でこっちにやってきたらしいのだ。

「しかし、わざわざご主人の傍を離れてネズミにお使い頼むとか、そんなにご主人様のお傍が苦手なのかね? というか、この世界に引きこまれた以上、その定時報告とやらももはや意味があるのかしら……?」

 何度か顔を合わせ、互いの話をしたが、この神様の方から私たちのことに踏み込んできたのは、今回が初めてだ。

「苦手ならこんな役目、とっくに御免つかまつってるさ。ご主人様は優秀な方だよ、そりゃもう優秀すぎる程にね」
「ほうほう。そんなに優秀なら、うちの風祝にも見習わせたいもんだ」

 これまた話を聞くにこの神様、こっちにやってくるのに連れがいたらしい。他の神様二柱ほど……「ほど」で済ませられる規模じゃない気もするが。

「いかな監視役でも見ていられんよ。苦しい笑顔を1000年も見続けてたら、こっちの気が滅入るってもんだ」

 人間に裏切られ、しかしその人間から頼りにされ。自身が帰依した毘沙門天の教えに逆らうことはできず、人々に施しをし、修行を続ける。それは、恩人が自分に望んだことでもあるから。結果恩人や同胞を救いだす機会を逸してはや1000年の歳月が過ぎた。
 そして今もご主人様の表情は変わらない。苦しい笑顔をずっと私に見せ続けている。端から見れば只の笑み。しかし監視者たる私の目にはハッキリと分かる。

「あんたも自称神様なら、人間から過分に期待されて裏切られる気持ちは分かるんじゃないのかい?」

 もっとも、そんな人々の期待も歴史が下るにつれて失われてしまったが。それでもご主人様は縛られている。人のみならず、恩人たる人物からの期待も背負い続けて……結局はこうなってしまったのだ。

「うーん。むしろ神様には、そういう心根は分からないかなあ」

 そんな私の思いを知ってか知らずか、さして重要でもないかのような、そんな軽い口調でこの蛙モドキ神様は言葉を返してきた。

「同じように人に功徳を与えて敬われる身でも、神様ってのは人の神輿に担がれる立場だからさ。仏門に帰依するあんたらは違うでしょ。人の身でこの世の理を悟り、人の身で施しを与える」

 もとより神は人の信仰の「目的」として生み出されるものだが、御仏は悟りを開いて人智を理解し、人に教えを説いた。信仰はあくまでその「結果」だ。

「人が自分たちのためにすることだから、信仰が失われた現代でもなお、君たちは必要とされるのさ。私たち神様はそうはいかない。信仰を糧に功徳を与える。あくまでギブアンドテイク。人々が信じなくなれば、私たちはその意義をなくす。実際、もうどこに行ってしまったのか知れない神仲間もいるしね」

 そう、だからご主人様も今に至るまでその身分を投げ出そうとはしなかった。そして私も、監視役としてずっとここにいた。それ以上のことは何一つせず。ただその役目に徹して。

「けどまあ私は……それを諦めちゃったからねえ。お前さん達に何か物申せる立場じゃないさ」
「諦めた?」

 この田んぼで会う度に結構毒づき合っているわけだが、今まで聞いたこともないネガティブな単語に思わず反応してしまった。一方自称神様は変わらぬペースで言葉を続ける。

「外の世界には私を信仰する者はおろか、知る者さえいなくなった。うちの神社の巫女さえ私の来歴を理解しないほどにね。もう十ニ分に生きた身だし、このまま忘れ去られるのも悪くないかな、と思ってたわけ」

 気がつくと隣で地べたに腰を下ろしている自称神様は、ここではない、遠い遠いどこかを臨むように目を細めていた。
 かつては一国の主であったと、彼女は前に会ったとき話してくれた。神だったり王様だったり、もし誇張だったら大したホラ吹きだ。けれどそれらが全て真実だとしたら。

 国を失い。
 神社を失い。
 信仰をも失い。
 全てを忘れ去られた神様。

 最後には何が残ったのだろう。そう思ったとき、さっきからずっと笑顔で私に応じ続けていた彼女の表情が、ご主人様と重なるように見えて……しかしすぐに違うと思った。

 この神様が自身で言った通りだ。
 目の前のその笑顔は、全てを失い、諦めたあとに残ったものでしかない。
 諦観の笑み。

 けれどご主人様は、そう。
 今になってなお、諦めきれていないから。あんなに辛い笑顔をし続けているのだ……

「多分お前さんのご主人様自身、一番良く分かってるだろうさ。今の有様は、自分が大義と恩義を盾に取り、同胞や恩人を見殺しにした報いではないかと。今に至って見殺しにしたはずの彼らを諦めきることも出来ないが、今更何かできるわけでもない……」

 まるで私の心の中を見透かしたように彼女は言ってきた。
 そう、ご主人様は優秀なのだ。今の有様が袋小路だと、気づいてないはずがない。

 けれど……

「今の様をやめたところで、その恩人が今も無事か、保証はない。ならばやめたところでどうにもならん……といったところか。賢すぎると余計なことまで考えちゃうもんだ」

 ……それでも……

「だから動きたくても動けないんじゃないかしら。自分ひとりでは」

 ……私は……

「とはいえそんなやるせない笑顔を1000年も続けてきた。これからも見ていくのはあんまりだ……といったところかな? ねずみさんや」

 言われたのが自分のことだと気づき、ハッと顔を上げると、変わらぬ「笑顔」で私を覗き込んでいた。自称神様は、ふっと息を付いた。

「けれどお前さんも、笑顔はないが内側の感情はおんなじ。自分の希望を押し出せず、動きたくても動けずにいる……違う?」

 言われて言葉につまる。

 同時に、この1000年間の無為な時間が急速に頭の中を巡りだした。

 1000年前私もまた、ご主人様への思いと、監視役としての大義の中で……結局ご主人様と同じく、大義を選んだのだった。諌言を口に出す立場に私はない。ただただ、ご主人様を監視するのが勤め……その結果がこの有様なのだから、自業自得と言われれば言い返せないが。

 で、今になってようやく気づいたわけだ。大義を押し通した結果、大切なものを取りこぼしたのだと。大義を押し通すことは、間違いではない。でも今は、自身の思いのままに動くべきなんじゃないのか。でなければいつまでもご主人様は、あのままなのだから。

 ただ、これはあくまで私の希望であり、欲望だ。

 監視役という大義を捨てて、この思いを押し通して良いのか。それが私には分からず、ずるずると今日まできてしまった。

 なぜこうも自称神様に自分の心根を見透かされるのか。それは詰まるところ、今目の前にいる神様は、未来の私の姿だからなのかもしれない。

 経緯はともかく全てを失って諦めきった笑顔の神様。その笑顔の裏にどんな思いがあるのか、想像するだに恐ろしい。私はきっとこの神様のように笑顔ではいられない。

 きっとご主人様の笑顔を諦めきるなど、出来はしないから。
 けれど今のままでいれば、本当に失ってしまうのだろう。


 初めて監視役としてあの寺に赴いたとき、ご主人様は満面の笑みで私を迎え入れてくれたものだった。自分が恩人の役に立てると喜びに満ちた笑顔。
 けれど恩人と同胞を失ったあの日からその笑顔は消え、残ったのは今と同じ、辛い辛い笑顔。
 それでも1000年前にあった本物の笑顔を、私は諦める気にはなれずにいる…… 


「まあ、私の経験則から言えるとすれば……」

 昔を走馬灯のごとく思い起こしていた私が、現実に戻ってくるのを見計らってか、少し上を向き、うーん、と考え込んだ後、彼女は改めてこちらを向き直る。

「こういう袋小路なときは、ちょいと強引にいかないと動かんさ。どう転ぶかは別にしても。私も半ば強引にこの地に連れてこられたし」

 その目は一心に私を見据えていた。

「お前さんの言うとおり、ご主人様が本当に優秀なら、今の状態が袋小路だってことくらい、分かっているだろうさ。けれど分かっていても、自分から動こうとはすまい」

 この神様がさっきから何を言おうとしているのか、今ならよく分かる。もともと自分でも思い続けていたのだから。

 ただ、それを他の誰かに言って欲しかっただけなのだろう。

「私は親友に無理矢理連れてこられたこと、後悔はしてない。だから今度は、見ず知らずのお前さんを無理矢理動かしてみようと思う。なに、全てを諦めた神様の、ちょっとした戯れだ」

 全てを失った神様は今。何を思って私に対峙しているのだろうか。
 自分と同じ道を進んでほしくないと思っているのか。
 あるいは言うとおり、ただの戯れなのか。

 しかし真意は私には正直なところどうでもよかった。次に出てくるであろう言葉を誰かに言って欲しかった。それだけなのだから。

「今ご主人様を動かせるのも、救えるのもお前さんだけだ。お前さんが為したいと思うことを為しなさい」

 その言葉は、ゆっくりと、しかし確実に私に力を与えてくれた。長い間干からびていた私の心が潤うような。不思議な感覚。そんな言葉を告げた自称神様に、一瞬ではあるが、この神様の神徳は信じてもよいかも、と思った。

 先に思ったように、未来の自分の姿を写す鏡だからか。
 全てを失い諦めたという彼女だからこそ、重みのある言葉なのか。
 ……確証はないんだけれど、なぜだか確信できる。

 それからしばらくして、私はこの自称神様に別れを告げて寺に戻る。
 自分の為したいことを為すために。

 その去り際、神様にこう言って私は飛び立った。
「もしも、もしも事が成るのなら……」

―― 近いうち、空が騒がしいことになるかもしれない ――



 ※                ※              ※



「毘沙門天の代理として、貴方に告げます。『今こそ、貴方の為したいことを為せ』と」

 その後に「私ももう、悲しい笑顔を見たくないですから」と続けるつもりだったのだが、言い終わるが早いか、ご主人様はいきなり私の小さな体にがしっと抱きついてきたものだから、言葉が止まってしまった。まあ、かなり照れくさい言葉でもあるので、言わずに済んでよかったというかなんというか。

 がっちりホールドされてしまい、その時のご主人様の顔は見ることはできなかった。けれどただ一言

「……ありがとう」

 その一言は明らかに私に向けられたものだった。毘沙門天様ではなく。私に。
 やっぱりご主人様は優秀である。きっと私の小賢しい定時報告も、その真意を理解してなお、そのままにしてくれていたのだろう。

「……そこまで分かっていても、もう自分にその資格はないと、思い続けていました。でも今からでも遅くはないんだと、これからでも間に合うんだと、はやく探しに行きましょうと、誰かに言って欲しかった……」

 この寺を出て、仲間たちを探し出し『あの人』の恩義に、1000年ぶりに報いるときだと。
 できるできないではない。大義名分どない。ただ自分がそうしたいから。何もせずにいたくないから……けれど少しばかり、背中を押してくれる勇気が足りなかった。私がそうであったように、それが少しばかり足りずはや1000年。

 なんのことはない。あの神様の言ったとおりだったわけである。

 私がお傍にいて、急かしてあげなきゃいけない。励まさなきゃいけない
「ありがとう」の一言で、ご主人様は私にそう思わせてくれた。それが今の私にはたまらなく嬉しかった。無為な監視役ではない。毘沙門天の弟子、寅丸星が従者、ナズーリンとして。私が望んだ役目。

「心配いりませんよ、なんせ毘沙門天様からのお言葉なんですから、絶対確実です。それにご主人様は優秀なんですから、きっと上手くいきますから」
「……そうですね。ええ、きっとそうです」

 立ち尽くし、ご主人様に抱きつかれたまま、私はそう答えた。
 この時初めて、1000年の時を経て初めて、私は監視役ではなくなったのである。
 そしてやっと、やっと動き出すのだ。自分の意志で。私とご主人様の、止まっていた時間が。


 それからしばらくして、近くの神社から間欠泉が噴出したと話を聞いた。
 更に狙いすましたかのように、地下に封じられていた昔の仲間たちが姿を現した。

 何をすべきか。私にもご主人様にも、もう迷いはなかった。もう逃げやしない。

 ご主人様は、恩人のために。
 私は、ご主人様のために。

 だから私は「初めて」空を飛ぶのだ。ご主人様の為に、そして私のために。
 そして私は「初めて」宝を探すのだ。ご主人様の為に、そして私のために。

 辛い笑顔ではない、本当の笑顔を見るために。
 これは私の希望。そしてご主人様の希望。

 まだどうなるか何も分からないのに、それだけで、私の心は強く弾んでいた。
 結末は見えない。袋小路かもしれない。それでも。



 ※           ※             ※



「いやはや、騒がしいとはいえ、まさか宝船とはねえ……」

 初春の頃になり、洩矢諏訪子は上空を覆う大きな空飛ぶ船を見て、ひとりごちた。その顔にはいつもとは少し違う、好奇心に満ちた笑顔が浮かんでいる。自分が告げたただ一言が、やがて大きなうねりとなって流れだす、その音が聞こえてくるようだった。

 全てを失ったように思っていた自分にも、そんな力が残されていたと、少しだけ誇らしい気分もする。今なら、自分をこの地に無理矢理連れ込んだ神奈子のことを、心から感謝できるかもしれない。そんな気分も。

 しかし当の神奈子は、新たな異変か妖怪の仕業かと、早苗とともに怪訝な顔を突き合わせている最中であった。事情を何も知らなければそれが自然な反応だろう。むしろいつになく妙な笑顔を浮かべ、彼方に飛び去らんとする空の船を見上げている自分のほうが不思議なのかもしれない。

「随分と面白そうに見てるけれど、何か心当たりでもあるのかい?」

 怪訝そうに訪ねてくる神奈子を尻目に、諏訪子は「別にい」と笑顔で意に介さず、空の船を見上げ続けていた。国敗れ、夢も信仰も失った神様が何百年ぶりかに見せた「面白そう」な笑顔で。

 上手くゆく保証はどこにもない。それでも恩義に報い、大切なものを守ろうとする彼女たち。既に一度、全てを諦めてしまった自分とは違う選択。神である自分には選びようもなかった選択。

 だからこそ、あんな言葉をかけた。数カ月前に出会った一匹の妖怪が見出した、一つの道を信じて。そして彼女とその主人がやっと見つけた希望の証が、今空にある。

 逃げず諦めず、自分の意思で踏み出した証。
 その船の行き先に何があるのかは知る由もない。だからこそ。
 かつての土着神の頂点は、それだけで心を弾ませることができた。

「ねえ、早苗」
「はい?」

 ようやく空から目線を下ろし、今度はおもむろに自分の遠い子孫に声をかけた。
 まだまだ諦める余地なぞない。これからこそが大切なこの現人神に。

「私も力を貸すから、あの船に行ってみたらどうだい?」
「ええ? どうしたんですか、薮から棒に」

 驚く早苗に、諏訪子はただ一言。

「きっとあの宝船には……」

―― 宝よりも素晴らしいものがあると、私は信じてるのさ ――


                                                                      ―― 了 ――
初めての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。風車です。勢いに任せて
2作目のSS投稿となります。時系列的には星蓮船前夜、といった感じでしょうか。つ
らつらと書いてみましたが今回はかなり理屈っぽいし長いです。あとナズーが熱すぎw
それでも最後まで読んでいただけたなら、望外の幸せ。

文中の「吉田なんとかという法師」は「人の無関心は死後に際立つ」という旨の文章を
「徒然草」という本に書き留めています。白蓮とは時代的にも職業的にも被る気がした
ので、敢えて入れてみました。
風車
http://blog.livedoor.jp/dancer_pro/
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コメント



0.1010簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
なるほど、だから“初めて”ですか。これは頑張るナズーリン。
21.40優依削除
>「人というのは、死んだ者に対してはことさら無情・無関心になるものだと
この要約の箇所については後書きでも触れられていますが、後者の文は別の意味にも解釈できるのではと考えてしまいました。
>「人の無関心は死後に際立つ」という旨の文章
1,人は死んだ者に対してはことさら無情・無関心になる
2,その死者が他人に無関心であった事が分かってしまう
もしかすると原典では2の意味で書かれているのではと思ったたのです。
それで引用元を当たってみたのですが、関係していそうなのは『徒然草』の第三十段でしょうか。
こちらの考えた疑惑は全くの誤りで、作品の本文にあった要約の通りでしたね。
「年月経ても、つゆ忘るゝにはあらねど~」(『徒然草』より)
引用元とは違って死人こそ出ていませんが、ここからの内容は確かに聖白蓮と寅丸星の状況によく似ていると思いました。

諏訪子と再会する手前の部分で、主人の笑顔はナズーリン(以下、ナズ)にとって見ていて辛くなるものと語られる。
この箇所なのですが、読み返すまで見送りの時に寅丸が笑顔だった事を忘れていました。
二回目からは、何気ない遣り取りに隠されたナズの心情を想像できるので欠点とは言えないかもしれません。
ただ、一度目から印象が濃くなるように強調してあっても良かったのではないかと思います。
ところで、定時報告は四字熟語ではなかったような。

諏訪子の描写がしっかりとされているのは良かったのですが、その直後に背丈が推測で語られるのは奇妙に感じました。
植え付け地にいるナズが畦畔に立つ諏訪子を見上げるようにして観察をした、という初対面の印象が記述されているようでした。
過去形の追想で身長について語るか、あるいは「実際は殆ど変わらない」と言い切ってしまえば良かったのではないでしょうか。
>「むこうの世界ねえ……」
ナズが外の世界の話題を出して、そこから諏訪子の素性が分かるのは自然な流れで良かったです。
ただ、相手の様子がおかしいというナズの感想が挟まっていれば、次の「聞くと~」へもっと綺麗に繋がった気がします。
ここから先の中盤は詳細の省かれている部分があまりにも多いという印象でした。
人物によって語られている内容について深く考え、語られていない事についても探り続けなければ途端に理解できなくなる。
恐らく疲れているときにこの話を読むのは不可能でしょう。
しかし、想像と考察の余地の広さは読者に考える楽しさを提供してくれる事でもあります。
繋ぎ合わせるための最低限の情報が揃っているのなら、読み手の側で補完ができるというプラスにも働く。
諏訪子の持つ情報が曖昧でしたが、一応はその条件を満たしている、想像で補える作品だと思います。
特に「いかな監視役でも~」の前後は想像するのが楽しかったです。
優秀です、見習わせたい。この遣り取りの後に諏訪子が来歴を語り――そしてナズの発言。
この空白の時間にどんな思考や話の変移があり、寅丸の様子に言及する事になったのか。
早苗や二柱がいつも幸せそうに笑っていると言ったのか、それとも未熟な風祝は見ていて危なっかしいと?
あるいは「見習わせたい」という言葉からナズが推察をして後者の意味に受け取り、羨ましがられる事はない、見ていて辛いと。
最後に挙げた可能性が最もありそうだと思うのですが、自分の中で完結させてしまわずに誰かと議論してみたくなります。
諏訪子の描写がもう少しだけでもあれば、ナズが聞かせるつもりで呟いたのかも判断、あるいは考察できたのですが……。
ナズの心がずっと内側に向いているため、相手の様子が分からないのが残念です。
唐突にも思える言葉が諏訪子にどんな感想を抱かせたのかは大いに気になるところでしたから。

>「あんたも自称神様なら、人間から過分に期待されて裏切られる気持ちは分かるんじゃないのかい?」
それまでの会話とはかけ離れた内容であり、次の問いかけも繋がりのないように感じられる。飛躍に次ぐ飛躍。
諏訪子はこの段階ではまだ相手の心中を量れなかったからこそ、神でない者の心性を理解できないと告げたのでしょうね。
先の言葉の意味が分からないからこそ、せめて質問には誠実に答えようとして。
もしナズが全てを吐露していたら、きっと諏訪子は質問に対して「理解できる」という言葉を残していただろうと思います。
たとい共感できない事柄であっても、理屈で解釈してしまえるのなら期待されたとおりの答えを返せる。
それは自分の内心を伝えるよりもずっと楽な事のはずですから。
もっとも、本編と異なる道を経由しても別の物語にはならず、結局は同じ流れにつながっていただろうとは思います。
>「うーん。むしろ神様には、そういう心根は分からないかなあ」
寅丸と洩矢の神は状況こそ似ているけれど心胸に大きな相違があるというのは面白いですね。
信仰されるという共通項を持ちながらも、その発生過程が大きく異なると語る諏訪子の話は興味深いものでした。
畏怖や感謝の対象として発見された神と、評価されて仏格化された者の違い。後者は信仰する人間を切り捨てる事も出来る。
それは解説を聞くナズも分かっているのに、賢さが邪魔をして目先の居場所を守ることを優先してしまう。
とても人間臭くて、悲しくて、ただ知識があるだけの者では彼女達に言葉をかける事さえ出来なかったでしょうね。

>かつては一国の主であったと、彼女は前に会ったとき話してくれた。
ここは先程の記述と食い違っているように感じられました。外の世界から来たのだと話したのは今日の出来事のはずですよね。
正確に言えば矛盾はしていないのだけれども、立ち入った内容は知っているのに軽い事情は知らないという齟齬を生んでいる。
「これだけの事を話しているのに?」と首を傾げるような奇妙な欠落があると感じました。
>神だったり王様だったり、もし誇張だったら大したホラ吹きだ。けれどそれらが全て真実だとしたら。
けれど、ここで語られるナズの想像は内容も流れの自然さも素晴らしかったです。単体で見れば良い点は多いんですよね。
諦めた者の笑顔と、諦められずにいる者の笑顔。どちらも見る人に寂しげな印象を与えるけれど、後者の方が苦しそうに感じられ

るという心には強く共感できました。
この直後。ナズの心を見透かしたような諏訪子の言葉には、最初は首を傾げました。
しかし、ナズ達が過去の諏訪子と似通った状況になっていると推理したのだと考えると納得がいきます。
これは諏訪子も親身にならざるを得ませんね。
そしてナズが諏訪子を未来の自分達に喩えた後の場面。ナズは彼女を信じてもよいと思った……これは素晴らしい。
自分と主人の未来を信じられたとは語らずに、こうした間接的な表現に留めているのはとても良いと感じました。
ただ、場面転換の直前の箇所が最後の締めと同じ書き方になっているのは気になります。
上手く言えないのですが少々しつこさを感じたので、多用せずにラストの一度限りにしておくべきだったのではないでしょうか。

>「……そこまで分かっていても、もう自分にその資格はないと
話が前後しますが場面転換の直後の言葉よりも先に、こちらに触れておきます。
「そこまで」というのがどこを指しているのか、一読した段階では分からずに戸惑いました。
何度か読み返すうちにミスではないと気がついたのです。恐らくナズの台詞に前置きがあった事を示しているのでしょうね。
どのような遣り取りがあったのかは大体の見当がつきます。
しかし、その場面も描かれていたら厚みが増してもっと良かったとのにと思いました。
これ以降は飛躍した発言もなく、読みやすくなったように感じました。(中盤の会話に慣れているとちょっと物足りない?)

>「毘沙門天の代理として、貴方に告げます。『今こそ、貴方の為したいことを為せ』と」
これは最初、寅丸の台詞かと思いました。
発言者がどちらなのかを誤解させないためにも「代理」以外の表現にするべきだったのではないでしょうか。
それはともかく、ナズ個人からではなく毘沙門天の言葉だと装って伝えたのは良いアイデアですね。
神託であるというナズの偽りを寅丸が見抜いている状況も、思わず笑みがこぼれてしまう空気を醸しています。
穿った見方をすると単に弱気な性格ゆえだと捉えられるかもしれませんが、これは間違いなく彼女なりの努力だと断言できます。
ナズは監視役に就いていた事と寅丸を観察してきた経験から、ハロー効果というものを感覚的に知っているのでしょう。
説得するためには力が必要だと考えた末の、他人を幸せにするために吐いた嘘だと思います。
真面目に自分の言葉として言うのが気恥ずかしい、というのでも可愛らしくて良いですけどね。
毘沙門天を強調するほどにナズ自身の言葉として伝わってくるのは素敵でした。

>だから私は「初めて」空を飛ぶのだ。ご主人様の為に、そして私のために。
冒頭の逃避でも空を飛んでいますが、自分の成し遂げたい目的のために飛ぶのは初めてだという事ですよね。
タイトルにも使われていますけど良い一節だと思います。
しかし、この次の宝探しという文は本編にもタイトルにも不要であったように感じました。
間欠泉を探していたのが宝探しに含まれるのか曖昧であるのと、後述する違和感のためです。
飛行とは違いこちらは前に踏み出せたことによる変化が無かった気がします。
原作の前日譚であるため、この後で飛倉の他に宝塔も探す事になると分かっているのも蛇足と感じた原因なのでしょう。
――感想を書いていて気がつきましたが、タイトルは早苗の初めての異変解決も意味しているのですね。
だとすると不要ではないような、それでもやはり書かなくて良かったような……。
>結末は見えない。袋小路かもしれない。それでも。
限界まで溜めての場面転換に、これは絶対にラストで続きの言葉が出てくるのだろうという予感がしました。

ナズの一人称視点が終わり、諏訪子たちの様子を描いたシーン。
ここは序盤と同じく丁寧に書かれているのですが、少しばかり冗長にも感じられました。
中盤は列車の連結部分のような弛みのある繋がりが物語を動かしていたのに対して、終盤は隙間無く結合している印象です。
問題が解決するのと同時に淀みなく流れ出したという表現かもしれませんが、諏訪子の心理を語り過ぎていると感じました。
諏訪子だけでなくナズにも言える事ですが、相手の感情や背景を何もかも把握している場面はどうも好きになれなかったです。

最後の一言は諏訪子の語りと、ナズ視点の地の文にあった「それでも」の両方に続く言葉なのでしょうね。
意味を重ねる終わらせ方は好きなのですが、先程ナズが宝を探すと言っているせいで「宝よりも~」は少し違和感がありました。
もっと別の言葉で「素晴らしいもの」の良さが表現されていたら、二人の声が重なるのをもっと楽しめたと思うのです。
全体としては、どの程度の情報を諏訪子に伝えているのかが分からずに躓く事が何度かありました。
読み度に面白くなるというよりは、読む度に少しずつ理解できる、理解が深まる作品という感じですね。
序盤(と終盤)が好きな人には中盤の飛び石が厄介で、逆に中盤が好きな人は問題が解決した後の場面に想像する余地が少し足りないと感じられるかもしれません。私は後者でした。
飛躍の程度が全体で均一になっていたら、より広く受け入れられ、最後まで同じように楽しめるのではないでしょうか。