発明家として名高い河童のエヌ氏は、非常な苦労のすえに、ついにタイム・マシンを完成させた。エヌ氏が発明に注ぎ込んだ時間と労力は大変なものであった。
タイム・マシンの前面にはつまみがついており、左に回せば過去へ、右に回せば未来へ、タイム・スリップをすることができる。
「どうだ。ついにやったぞ。これほどのものは、まだ誰も発明していないはずだ…」
エヌ氏は有頂天になり、研究室の中をぐるぐると歩き回った。すると、玄関のチャイムが鳴った。
「おや、いったい誰だろう」
エヌ氏が玄関の扉を開けてみると、天狗の新聞記者が立っていた。新聞を片手に満面の笑みを浮かべている。エヌ氏は顔をしかめた。
「また、あんたか。新聞はとらないといつも言っているでしょう。他をあたったらどうです」
「まあ、そうおっしゃらずに。あなたのような発明家の方にとって、常にあたらしい情報ののっている新聞は重宝しますよ。新発明のつもりが、誰かがすでに発表してしまったものだったら具合が悪いでしょう」
「たしかにそれはそうだなあ。もし知らずに誰かの二番煎じをとくいげに新発明などと吹聴したら、とんだ恥をかく」
「そうでしょう。どうです、ご契約いただければ、あなたの発明を紙面で宣伝してさしあげますよ…」
それを聞いてエヌ氏、考える。こんど完成したタイム・マシンは大発明といっていいくらいのものだ。自慢をしたい気持ちもあるし、ここはひとつ、大々的に宣伝をしてもよかろう。
「そういうことならば、契約しよう。そのかわり、ひとつたのまれてはくれないかね」
「ありがとうございます。それで、どういったご用件でしょうか」
「実は、ちょうど発明品が完成したところでね。なかなかたいしたしろものだ。こいつのお披露目をやろうと思う。今招待状を書くから、ほうぼうへ届けてくれないか」
「お安いご用ですよ。しかし、いったいどんな発明なんです」
「それは、お披露目までは秘密にしておくとしよう。なに、お披露目がすんだら独占インタビューくらいには応じよう」
「ありがたいお話です。ひとつ、盛大な発表会にしようじゃありませんか」
エヌ氏が招待状を書き上げると、記者はすぐさまそれを持って飛んでいった。
「さて、お披露目にそなえて試運転をしておくか…」
エヌ氏はタイム・マシンの前面のつまみを左に回し、中へと乗り込んだ。
「まずは百年ほど過去にさかのぼってみるとしよう」
分厚い扉を閉め、内部のパネルをエヌ氏が操作すると、タイム・マシンは低くうなり、振動しはじめた。それがおさまると、扉を開ければ百年前の幻想郷へ到着、という寸法である。
「しかし、タイム・パラドックスには注意が必要だな。むやみに過去の歴史に影響を与えないよう、こっそりあたりの様子をうかがう程度にしておこう」
やがて、タイム・マシンの振動はおさまった。エヌ氏は慎重に扉を開け、外の様子をうかがった。雑然としたエヌ氏の研究室は、タイム・マシンに乗り込む前と変わりが無いように見える。窓の外に見える景色も同様だ。
「おや、あそこに見えるのは…」
注意深く窓の外をながめていると、二人組が向こうの方を通りがかったのが見える。スキマ妖怪と、その式だった。普段みかける姿と、なんら変わるところがない。
「ううむ、過去にさかのぼったのは失敗だった。幻想郷では、百年前も現在も、たいして様子が変わらないのだ。これでは、タイム・スリップが成功したのかどうかわからない。試すなら、未来にいくべきだったのだ」
エヌ氏はタイム・マシンのつまみを今度は右に回し、再び中へと乗り込むと、行き先を百年後の未来、現時点からは二百年後に設定した。エヌ氏の操作により、タイム・マシンが振動し始める。
先ほどのおよそ二倍の時間をかけて、振動がおさまった。エヌ氏が扉を開けると、やはり見覚えのある雑然とした研究室であった。
「やれやれ、百年たっても、わたしは整理整頓をしない性質とみえる」
エヌ氏は苦笑しながら、タイム・マシンから降りる。窓の外を見ると、景色にも大きな変わりはなかった。ふと、空を何かの影が横切っていく。
「やや、あれは…」
影は、白黒の魔法使いであった。
「なんということだろう。人間が百年後も生きているはずがない。もし生きていたとしても、ひどくよぼよぼの老婆になっているはずだが、そんな様子ではなかった。このタイム・マシンは、失敗作だったのだ」
ひどく落胆したエヌ氏は、そばに落ちていたかなづちを拾い上げると、タイム・マシンをめちゃくちゃに壊してしまった。
息を切らせながら再びエヌ氏が空を見上げると、天狗が飛んでいるのが見えた。
「ああ、もう招待状を配り終えてしまったようだ。もう後戻りもできない。お披露目だなんて、ひどい赤っ恥だ…」
エヌ氏が嘆いていると、天狗は上空を通り過ぎていった。すると、ひらひらと新聞が一枚、落ちてくる。エヌ氏はそれに気付かず、新聞は風に流されて、どこかへと飛んでいってしまった。
新聞の日付は、百年後のものだった。
* * *
河城にとりがすごい発明品を完成させたらしい、との噂は招待状と共に射命丸文によって瞬く間に幻想郷に広まった。
お披露目会に足を運んだ人妖は雲霞の如く、幻想郷の住人がいかに暇であるかが窺い知れた。
「にとりさん。皆さんお集まりですよ。準備はいかがですか」
指定の刻限が訪れた。
文が玄関で呼びかけるが、中からは何の返事もない。
不審に思って扉に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「失礼しますよ」
にとり家はもぬけの空だった。
ただ最奥の、研究室らしき部屋の扉だけが閉ざされていた。
研究に根を詰めすぎて中で倒れているかもしれない。悪い想像がよぎる。
普段はにとりが決して他人を入れようとしなかった部屋だが、背に腹は代えられない。
「にとりさん!」
雑然とした研究室には、しかしやはりにとりはいなかった。
「…?」
忽然と消えたにとりの行方を示すものは、何も無かった。
ただ、床の上全面に物が散乱していたが、一部分だけぽっかりと円形に何も無い部分があるのが、不自然と言えば不自然であったが。
「いったい、何があったんでしょうか?」
集まった人妖の間で様々な詮索が飛び交い、辺りは騒然となった。
やれ今回の発明はにとり自慢の光学迷彩の進化版で、実はその辺にいて我々の反応を楽しんでいるのではないか。
やれ発明の失敗で爆発か何かが起きて、にとりはそれに巻き込まれたのではないか。
発明が失敗作である事が分かり、恥ずかしくなって逃げ出したのではないか、などと悪意のある見解を述べる者もいた。
いずれにせよ、お披露目が行われることは無く、興味を失った人妖達は三々五々、にとり家を後にして帰っていった。
「あやややや。随分自信がありそうなご様子だったのですが。インタビューが出来なくて残念です」
文も首を捻りながら帰っていった。明日の一面はひとまずにとり失踪の記事で間違いないだろう。
一番最後まで残っていたのは、霧雨魔理沙であった。
「おかしいな。あいつは黙って約束を破っていなくなるような奴じゃないはずなんだが…」
日が暮れるまで魔理沙は待ったが、結局にとりはその姿を現すことは無かった。
一ヶ月経ってもにとりの行方はわからないままだった。
幻想郷はちょっとした騒ぎになった。
にとりと交友のあった様々な人妖が大規模な捜索活動を行ったが、杳として所在は不明のまま。
大結界を越えて外の世界に行ったのでは、との憶測も流れたが、八雲紫も首を捻るばかりであった。
中でも魔理沙は精力的に幻想郷中を飛び回った。
毎日にとりの家にも顔を出した。
「こんなはずじゃない。すごい発明が出来たなら、どんな事があったって自慢したがるに決まってるんだ、あいつって奴は。きっとすぐひょっこり現れて、しゃあしゃあとわけのわからない専門用語を並べて私達を煙に巻くに違いないぜ」
にとりが失踪して一年が経った。
幻想郷に暮らす者の大半が、口には出さないものの、にとりの生存をあきらめていた。
そもそも妖怪の一匹がいなくなる程度の事は、幻想郷ではよくある事。
最早、事件は話題としては風化し始めていた。
相変わらず魔理沙は東奔西走している。
にとりがいない間に家が荒れ果てないよう、毎日掃除も欠かさない。
物の配置は一切いじらず、丹念にホコリを取り除き、全てはにとり失踪当時と寸分違わぬ状態で維持されている。
「私はさ、ただあいつが見せたがってた発明が見たいだけなんだ。その為にはいつまでだって待つさ。それが友達ってもんだろ?」
五年が経った。
河城にとりの名を、既に忘れ去った者も多くなった。
魔理沙は紅魔館を訪れていた。
「なあ、パチュリー」
「何」
パチュリー・ノーレッジは読んでいる本から目を上げる事無く答えた。
「私でも、捨虫の魔法を会得出来ると思うか」
「……」
パチュリーは顔を上げ、目を細めて魔理沙を見つめた。
「簡単な事じゃないわ。相当の覚悟が必要」
「そんな事はもとよりだ」
「私が言いたいのは、相応の理由があって人間をやめるのか、という事。貴女、人間の身である事にこだわりというか、誇りを持っているように見えたから」
「そんなのはお前の気のせいだ。私はいつだって、自分の思うがままに生きてるぜ。人間をやめるのだって、私がやめたいと思ったらやめるんだ。それとも、理由が無くちゃ捨虫の魔法は会得出来ないのか?」
パチュリーは品定めをするように魔理沙を睨んでいたが、やがて諦めたようにため息をつき、ぱたんと読みかけの本を閉じた。
「貴女は昔っから嘘つきね」
魔理沙は、ははは、と呵呵大笑した。
* * *
失意のエヌ氏は、気分転換に散歩に出かけることにした。すると、向こうの方から先ほど見かけた、白黒の魔法使いがやって来るのが見えた。魔法使いは、エヌ氏の友人で、エム氏といった。
「やあ。ずいぶんとたいそうな発明をしたそうじゃないか」
そう言って、笑いかけてくるエム氏に、エヌ氏は悄然として答える。
「いやあ。失敗作だったよ。恥ずかしいことだ。どうにも決まりが悪くってしかたがない」
そんなエヌ氏の肩をたたいて、エム氏は和やかに笑う。
「そうか。失敗だったか。まあ、そんなこともあるだろうさ。次がんばればいいじゃないか。またわたしに、とびきりのすごい発明を見せてくれよ…」
ただのパロディに終わらないところがお見事。
タイムパラドックス物として、よく出来てると感心しましたが、終わりが唐突でオチが弱い気がしました。展開も何となく読めてしまいタイムマシン物特有の驚きがなかったのも残念です。
パロディが分かればまた違った印象だったかもしれません。
なるほど、にとりがタイムマシンを作った段階で、既にタイムパラドックスが起こるのは確定事項だったと。
そして、にとりのために部屋を欠かさず掃除したり、捨虫の魔法まで会得する魔理沙が素敵。
こんなことになった原因も彼女だというのが、何とも皮肉な話なんですがね…。
青茄子さんの巧みな文章によって、元の作品の、またオマージュとしての魅力の両方が活きていたと思います。
特にラストシーンにはホロリとさせられるものがありました。
次回作も楽しみにしております
ストーリーが幻想郷ならではなのがいいですね。
元ネタのショートショート群の容赦の無さをうまく緩和しつつきっちりと書ききっているのはさすがですね。
ニヤリとさせられるSF風味、お見事でした。
あと読了後見直したら百年後の部屋の下りが凄く悲しく思えたのは俺だけでいい
これは評価せざるを得ない
特に魔理沙のひねくれた人情家ぶりがいいですね。