新春特集・花果子念報『創作』
第一節 レミリア・スカーレット
第二節 パチュリー・ノーレッジ
第三節 アリス・マーガトロイド
第四節 西行寺 幽々子
第五節 八雲 紫
第六節 チルノ
第七節 伊吹 萃香
第八節 星熊 勇儀
第九節 鈴仙・優曇華院・イナバ 因幡てゐ
第十節 蓬莱山 輝夜
好きなキャラクターの話を読むという方法もありだと思っています。
序
毎年元旦、一年の初めに、ブン屋は特集を組んで競う。新春の新聞大会である。この大会に、姫海棠はたては並々ならぬ意欲で挑む。目指すは上位入賞。そして、ライバルの射命丸文を、必ずしも驚愕たらしめん……と、最初はそんなことを考えていたはたてであったが、『創作』のテーマに従い、インタビューを繰り返し、編集していくにつれ、段々とその心意気も変わっていくのだった。
ふと思うのは、果たして彼女にとって、創作とはなんだろうかと言うことだ。もちろん彼女なりに創作とは何か、その答えはあったのだが、それが本当に、行き着くべき答えなのだろうかと強く疑問に感じるのだ。
そうして物思いに耽っていると、思い出すのはある人の答えである。
「私にとって、創作は人生の残滓にしか過ぎない。楽しみも何もありはしない。そこにあるのは、効率と効果。一定の間隔で、成果物を出すことが有益だから、私は創作をしているに過ぎない……」
はたてにとって、この答えは驚くべきものだった。何故なら彼女は、ただ楽しいから、創作をしたいから創作をしていたに過ぎないのだから。そして、それが全てだと思っていたのだ。多少なり、人により違いは有るとしても。
「だから、私は羨ましいの。創作を通じて、幸福を得られるあなた達が。私にとってこれは、むしろ苦痛なのだもの」
その言葉に、はたては大なる痛みを感じた。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それがわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
あれから一年近く経った。
今日は元旦、大会の日。私は私なりの答えを得た。貴方にとっても、貴方なりの、もっと幸せな答えが、私の創作を通じて見つかりますように。
もうすっかり、当初の目的などはどうでもよくなっていた。
一
紅魔館の主レミリア・スカーレット。はじめに彼女の元を訪れたのは故無しではない。きっとプライドが高い彼女のことだ。一番でなくては、へそを曲げてしまうだろう。それに、彼女は……縁起が良いのだ。
「それで、一番に私のところに来たのね?なるほど、案外天狗にも賢しいのがいるのね。気に入ったわ」
どうやら、計算どおりだったらしい。先ずは幸先が良い。
「それにしても、貴方にとって創作とは何か、ね。中々面白いテーマじゃない。もちろん、私にも一家言あるわ。ただ、普通に答えたのでは面白くないわよね。さて、どう答えたものかしら」
私としては、率直な創作感を訊きたいところなのだが、まぁ、仕方ない。これはこれで面白そうだ。
「創作は社会の余剰があってはじめて誕生する。これは先ず疑いようがないでしょう?」
果たしてそうだろうか?とも思ったが、そういうことにしておこう。
「だから創作家にはパトロンが付くのよ。パトロンがいなくては、創作家のもとに余剰が集まらないのだから、当然創作も生まれない。そう考えると、創作の功績は、半ばパトロンにあるとは思わなくって?」
パトロンが付いている創作家に関しては、そうに違いないが、そもそも創作家全員にパトロンが付くわけではないという指摘はしないでおこう。
「ところがこのパトロンにも色々なタイプがいるわ。一番下種なのは、資金援助の対価として貞操を買うタイプね。次は将来の投資として援助をするタイプ。まぁ、この程度なら、愛嬌として許してあげないこともないのだけれども。しかし一級のパトロンともなれば、見返りなどは求めないわ。富ある者は富で。才ある者は才で。芸術文化に対する偉大な奉仕として、パトロンの使命を果たすのよ」
「おぉ……でも、何だか悪魔らしくない主張ですね」
「そんなことは無いわよ。そもそも悪魔ほど、美に拘るものはないわ。それ故、美に対する畏敬の念は並々ならぬものがあるのよ。私達はあくまで人ではなく、美に対して奉仕するというわけなのよ」
「ふむふむ。で、紅魔館の主は、無償で数多の芸術家に援助をして来たと」
「それでは、一級のパトロンになってしまうじゃないの」
「え?それの何が問題に……?」
「超一流でないとダメよ。私がやる以上はね」
「なるほど。それでは、超一流のパトロンとは?」
「知的パトロン、或いは精神的パトロン。これが超一流のパトロンよ」
「ほぉ、それは深いですね。果たして今まで、どんな教えを授けられて来たのでしょうか?」
「別に何も教えを与えてはこなかったわ」
「は?えっと、それじゃ……」
「貴方。私の能力を忘れたのではなくって?」
レミリア・スカーレットの能力。それは運命を操る程度の能力……あぁ、そうか。もしかして……
「つまり、超一流のパトロンとの出会いを創作した、と?」
「ご名答。そう、それが私の創作よ」
そう言って不敵な笑みを携える吸血鬼。なるほど。聊か創作の香りもするけれども、貴族の末裔に相応しい、見事な創作論。やはり彼女を最初の回答者に選んで正解だったようだ。
二
別館にある書庫。そこに住むのは七曜の魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。創作を題材に選んだ際、最初に紅魔館を訪れた理由の一つには、彼女の存在があった。話によれば、彼女の著作は少なくないとのこと。魔道書の作成もまた、創作には違いない。はてさて、どんな創作論を聞くことが出来るのやら。
「創作?創作ねぇ……果たして私は、創作をしたことがあるのかしら?」
予想外の答えに、少し戸惑う。知識人はこれだから困る。時に凡人が悩みもしないような、はっきりといえばどうでも良いようなことに拘泥して、立ち止まってしまうからだ。
「なるほど。確かに魔道書は幾つも作ったわ。でも……いいえ、そうね。貴方の言うとおり。魔道書は創作物に違いないわ。確かに私は、数多の創作を手掛けて来たわ」
しかもこうやって、勝手に一人ごちて解決してしまう。まぁ、解決してくれたならばいいか。気を取り直して、インタビューを続ける。
「創作論ね。ふむ……」
そうして数秒悩んだ後、
「私にとって創作とは、人生の残滓に過ぎないわ」
この答えだ。う~ん、やっぱり知識人の言うことは難しい。だが、それでこそ私の特集も価値を生むというもの。此処は読者の皆様にご理解頂ける様、なんとかほぐしてほぐして簡単にして記事にせねば!
「なるほど、人生の残滓ですか」
まずは理解、同意からはじめるのが会話の基本。
「しかし残滓と言うのは、ちょっと謙遜が過ぎませんか?パチュリーさんの魔道書ならば、そう簡単に書ける程度のものではないでしょう」
基本、相手は持ち上げるもの!
「ならばむしろ、私は不遜ね。私にとって残滓に過ぎないものが、他の人には充分価値あるものなのだから」
むむむ……これは予想外に苦戦しそうだなぁ。
「私にとって創作は、それは貴方の言う、或るいは世人の言う創作にあたるのだけれども、それは所詮私が会得したいと思い、研鑽を積んだ才識から滲み出る灰汁でしかないのよ。私は、創作をしたいと思って創作をしているわけではない。ただ、定期的に成果物を生み出すことが必要だからしているだけなの。私が、私の魔道書作成を、本当に創作なのかどうか悩んだのも、そういうわけなのよ」
と思ったら、案外詳しく説明してくれた。流石の自己分析力です。
ふむ、なるほど。パチュリーさんの言うことも理解できる。彼女からしてみれば、魔道書の作成は、言ってみればレポートだとか論文だとかの作成で、それも先に何々の答えを求めて研究する……といった類のものではなく、自然と行き着いた結果として得たものを書き留めておく、言わば日記か、報告書の類なのだろう。それならば、確かに創作といった感じはしないのも当然だ。
「何か、小説だとか、詩だとか、そういったものは作ったりしないのですか?」
「……随分昔に挑戦したけれども、まるで面白くなかったから止めたわ」
「それはまた、どうして?」
「時間が勿体無かったのよ。書き留めておく時間が」
恐るべき効率と効果の世界だ。頭の中で創られたなら、もうそれで満足。世に出すだけ時間の無駄と言うことなのだろう。読まれる喜びは……この生活では、見出しえないのも当然か。
なんとも困った。実のところ私は、他のブン屋仲間を見てもそうだが、そもそも創作は楽しいものとして疑って来なかったのだ。楽しいから創作をするのであって、楽しくないのであればしない。そして創作をしないものは、その時間を、何か他の楽しいことに費やす。或いは友人と時間を共有し、或いは好事家として学問芸術を楽しみ、或いは美食好色弾幕ごっこetc……それ故、楽しくないのに創作をする(本人からすれば創作とは言い難いわけだが)人物との遭遇は、想定していなかったのだ。私はすっかり、彼女が一人、図書館と言う名の静寂な宇宙で、温かいものを楽しんでいる光景ばかり思い浮かべていたのだ。
おっと、沈黙が良くないのは会話の基本。とりあえず、当たり障りのない話題をと、
「しかし、創作のあり方は、月並みですが人それぞれ。レミリアさんも、パトロンとしての創作論と言う、ちょっと独創的な持論を……」
あれ……何かパチュリーさんの様子が変だぞ?
「えっと。何か私、おかしなことを言いましたっけ?」
パチュリーさんは笑いを抑えきれず、ちょっと不気味(というか怖い)な声を漏らし、体を小刻みに震わせている。状況がつかめずにあたふたしていると、
"Strange are the ways of men."
「は?えっと、今なんと……」
「人、それぞれと言ったのよ……ふふ」
何かこれは、変なスイッチが入ってしまいましたかねぇ。
「私の生き方は、不思議よね」
「えっと。不思議と言うか、別に、そういう生き方も有りじゃないかなぁっと」
「私は、そう思えないの」
そのとき、私はハッとした。確かにこの人の目は潤んでいる……。
沈黙が流れる。どうにも言葉が無い。さっき、私は彼女の自己分析力を称えたが、あれは即座に発揮されたものではなかったのだ。彼女はきっと、長きに渡り、自分の創作の在り方に対して、それは必然的に自分の生き方に対して、疑問とコンプレックスを抱いていたに違いない。
それを理解したとき、私は胸が穿たれるのを感じた。今までの私の考えが、そして今の行動が、間違いではないのかと言う根底からの懐疑を生じさせしむる、そういった衝動が襲ってきたのだ。
創作が楽しいから創作をしたいのだと思う私は、決して間違っていないと思う。ならばこの人はどうなのか。この人も間違ってはいないはずなのだ。ならばお互いが正しいのか。きっとそうなのだろう。でもその答えは、ごまかしに過ぎないのではないだろうか。だって、この人は……
「貴方、新聞を書いて、楽しい?」
「はい……楽しいです」
「そう。羨ましいわ」
創作を楽しいと言う私を、こんなに羨ましそうに見ずにはいられないのだ。こんな寂しそうな人がいて、それが正しいなどとするのは、私には欺瞞でしかないと思う。それが正しいのならば、きっとこの人も……。
「しかすがに なほ我はこの生を愛す 喘息の夜の苦しかりとも
あるがまま 醜きがままに 人生を愛せむと思ふ他に途なし」
私は思わず、涙を堪えられなくなりそうになった。なんと悲しむべき自己肯定なんだろう。それでも、自分を愛するより他に無いのだとは。
「本当はね、この歌には、続きがあるの。
『ありのまま この人生を愛し行かむ この心よしと覗きにけり』
そうすると、自己肯定の、素晴らしい歌になるんだけど、私はどうしても、これを続けて詠めないわ」
そうして、何があるわけでもない中空を見て、彼女はきっと涙を堪えているのだ。そこには、言葉にして説明できない、一種の尊さがあると、私は思う。
(どうにかして、この人に創作の楽しさを感じて欲しい!)
その思いが、胸の中で急激に膨らんで行くのがわかる。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それが何かはまだわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
紅魔館でのインタビューが終わった。最初の取材で、私は、この企画をどうしてもやり遂げねばならないと思う、非常なモチベーションを与えられた。これが運命なのかどうかはわからないけれども、あの人に何か、楽しいと思って貰える様な、そんな記事が作れたらいいなぁっと、素朴に思うのだった。
三
魔法の森。奥深くに住む魔法使いの名はアリス・マーガトロイド。多数の人形を操る、幻想郷でも有数の魔法使いだ。
(或いは、同じ魔法使いならば、パチュリーさんの助けになる言葉も見つかるかも)
そういった考えもあり、私は三人目の対象者に彼女を選んだのだった。
「へぇ、中々面白そうな企画を考えるじゃないの」
どうやら好感触。これは期待できそうな予感がする。
「ところで、捏造とかはしないわよね?」
……どうやら彼女もアイツの犠牲者らしい。全く、風評被害も甚だしい。
「もちろんですよ!何処かの天狗とは違いますから」
「そう?それなら、私も真面目に答えないとね。そうねぇ……私にとって創作は、友達かなぁ?」
「ほぉ、友達ですか。なるほど。それで、その心は?」
「うん、私ね、本は先生だと思うの。人生の先生。或いは、親かな。そういう、教えを授けてくれる、偉大な存在だと思う。それで、美術品は、恋人か、或いは子供みたいなものかな。名画は一瞬で心を奪ってしまう、そんな魅力があるでしょう?かわいいものや綺麗なものは、何だか手元に置いて愛でていたい気持になるでしょう?これって、子供に対する愛情に近いものがあると思うの。それじゃ、創作は?ってなると、創作がその人のお仕事ならまた別なんだろうけれども、そうじゃない人にとっては、それって友人みたいなものじゃないかな。すごく身近な友人。どうかな?」
「いやぁ、都会派の意外な一面を見た気がしますよ。あ、もちろん良い意味で!なるほど、そう言われると、しっくり来ますね。うんうん、友達かぁ。私も、そう思いますよ。しかし、知的でいて女性的な優しさに溢れている創作論……感動しました!」
「そ、そうかしら?ありがとう。なんだかちょっと照れちゃうわね。あ、紅茶、お代わりいる?お菓子も、良かったら違うのを持ってくるけど」
そしてこの愛嬌……春が微笑んだような可愛らしさと爽やかさがありますね。う~ん、何だか一足早く春の訪れを聞いたような気持です。
「いえいえ、お気遣いなく。あ、でもですよ、アリスさん。アリスさんにとって、創作は……人形作りですよね?それって、お仕事では?」
「そんなことはないわよ。そもそも、魔法使いに仕事なんて概念は殆どないでしょう。だって私達、働く理由がないんですもの。だから、人生の大部分は余暇、趣味の時間みたいなものよ」
そう言われて見ると、そうですよね。年も取らないし、飢えも知らないわけで……はて、それでは何故パチュリーさんはあんなに余裕がないのかしらん。ふとそういった疑問が沸いてきたのだけれども、いけない、今はアリスさんへのインタビュー中だと気を取り直し、二つ三つ簡単な質問をして、それで終了となった。
追記:この時、アリスさんから「よかったら、これ」と頂いた「はたてちゃん人形」は私の携帯ストラップになりました。大体人差し指くらいのサイズです。この小さな人形を作るだけで、尊敬に値するのですが、細かい刺繍まで念入りに施されていてなんともはや……本当は箱に入れて大事に取っておきたいのですが、アリスさんからのご提案ですから仕方ない!もし取材に行ったときは、是非ともこの「はたてちゃん人形」を見てみてください。かわいい!
二重に記事のネタまで貰えて、本当に有り難いお話です。
四
幻想郷にも春が訪れ、桜の花も七分ほどに咲いた頃、西園寺家に取材のため私は訪れた。西園寺と言えば、幻想郷でも有数の教養人・文化人だ。文芸の道に長けたこの人に訊かずして、私の特集は完成し得ない。
「花精妙枝のうつろう水面……」
「末の句は如何に?」
「うぅ……何も思いつきません、幽々子様。はぁ、やっぱりダメですね。池の水面に映る桜に趣を感じて詠んで見るには詠みましたが、それも思いつきで工夫がありません。そのくせ、花精妙(はなぐはし:はなうるわしで、桜の枕詞)などと、書をかじって得たばかりの知識を使ってみたものですから、かえってちぐはぐで良くありません。何とも恥ずかしいばかりです」
「そうでもないわよ、妖夢。その時々に感じた素朴な気持を詠んだからこそ、心に響く歌も多いもの。そもそも詠むとは、言葉を永くすることです。言ってみれば、そのとき心に映ったものを、言葉にして、永遠へと昇華させんとするのが歌の心なのです。ですから、池の水面に映った桜に趣を感じたのでしたら、それを率直に詠んだことはむしろ歌の本意に適うことです。水面を、みなおもてとして合わせたのも工夫が見えてよろしい。花精妙を書でかじった知識に過ぎないと言いましたが、そうやって日々の努力が故に得た知識を積極的に活かして、創意工夫する心がなくてどうして歌の道を極められましょうか。これは歌に限らず、万事応用と実践の心が、その道を極めるのには大切なことですよ。よく、花精妙と言う言葉を知っていましたね。何を読んだのかしら?後から教えて頂戴」
「幽々子様……」
そうして涙ぐんで喜ぶ妖夢さんの姿は、はつらつとした少女の青春の趣があり、どこか夏の香りがするのでした……ハ!しまった。ついつい雅な世界にあっけに取られて、呆けてしまいました。しかし流石は西園寺の令嬢。雅量が違いますね。そうして間の抜けた顔をしていると、
「さて、創作論を語って欲しいということでしたね」
「あ、はい!是非お願いします」
う~む、抜け目が無い。この気配りですよ。
然し、西園寺一流の創作論とは……これは取材に関係なく楽しみ。
「そもそも創作は、それを創る者とそれを観る者とがいて、初めて創作として価値を得るもの。それを作り手の側からばかり論じたのでは、真に創作の世界を知ることには繋がりません。今日は、創作の受容者の側から、創作を論じると致しましょう」
なるほど、観る側からの創作論ですか。さて、どういった内容になるのでしょうか?観る側が創り手に求める創作のあり方でしょうか?或いは、鑑賞者がどのように創作に携わるかと言う話なのでしょうか?それとも他の?興味は尽きませんね。
「一流のものを一流として評価することは簡単なことです。同様に二流を二流として評価することも簡単なのです。そして二流の創作を一流の創作と比較して、これを指摘することもまた、そう難しいことではありません。ところがこの程度のことを難事と考え、偉ぶって批評する者が実に多いのは嘆かわしいことです。その程度で驕るものは、まず無教養と断じても構わないくらいです」
「おぉ。それは中々辛辣ですね」
「そもそも、何かを批評することなどは元来容易いことです。誰にだって持論はありますし、また一般論くらいのことは言えて当然なのですから。そうして、その持論にも一般論にも、理が無いわけではありませんから、批評される側としては確かにと思わざるを得ない。上手く反論が出来ないものです」
「ふむふむ、なるほど」
「ですが一般論などを指摘して、何の価値がありましょうか。そもそも一般論などは、創作者自身が自覚する程度のものであって、言われるまでもありません。また、当人が自覚せずとも、師や先輩、知人が必ず指摘してくれることでしょう。それを賢しらぶって、偉そうに批評して、何か言ってやった気になるような者は、此のくらいの道理もわからない無教養な輩なのです。批評をするならば、己より他にし得ないと思うくらいの、深遠で正鵠を射る批評をしなくてはなりません。そのために、日頃から創作者以上に創作に真剣であり、教養を深めておかねばならないのです」
「おぉ!そういった人の批評であれば、幾らでも受けたいところですね。芸の肥やしになります!」
「そう、そこが大切なのです。そもそも創作とは価値を生み出すもの。ならば批評とて、創作者にとって、またその批評を読む者にとって、価値あるものであれば創作と言ってもよいのです。ですから鑑賞者は、批評と言う創作をやる心積もりでなくてはならないのです。これが鑑賞者の創作なのです」
「なるほど。そのお言葉を聞いて、私自身もハッとさせられるところがあります。創作者の矜持と自覚を持っていたつもりですが、他の人の創作に接する際に、私は真剣さが足りなかったかも知れません……」
「創作的な批評と言うと、何か改まってしまうかも知れませんが、必ずしも難しいことではありません。率直にその創作に接して、良いと思ったところ、逆に悪いと思ったところを丁寧にお伝えする。これも非常に創り手としては有難い指摘です。ただ、人には好みがありますから、自分はこういう好みがあるから此処がよかった、或いは悪かったと言うのを添えて申し上げれば、変に創り手を惑わすこともなく、いっそう良い批評となるでしょうね」
「そうですね。そういった率直な批評は本当に有り難いです」
「創作は交流にこそ楽しみがあるもの。歌もただ一人で詠むのは寂しいものです。文芸もまたその良さを共有する友があってこそではありませんか。それ故に、受け手もまたその世界の一員として自覚を持たねばなりません」
「何とも仰られる一言一言が深く胸に響くものです。これはきっと良い記事になりますよ!楽しみにしていて下さいね」
そうして優しく微笑み返して下さるお姿は真に教養ある女性のものでした。小さなしぐさの一つ一つが洗練されており、同じ女性として憧れの余り見呆けてしまうこともしばしば。品格の違いに、恥ずかしくなってしまいました……。
五
妖怪の大賢者、八雲紫を差し置いて話を進めるわけにも行かない私は、余り乗り気ではなかったのだが、彼女の元を尋ねることにした。別に取材をするのが嫌なわけではないし、話を聞く価値がないと思っているわけでもないが、彼女と係わり合いを持つと後々面倒なことになりそうな予感がするからだ。出来ることならば、関係を持ちたくはない。だからと言って、除者にしては、それはそれで角が立つ。仕方がないので、取材に行くだけのことだ。
まぁ、と言っても、彼女が何処に住んでいるのかは私には分からない。と言うか誰にも分からない。なので、彼女の式の式が済むマヨヒガを訪れ、
「こういう企画があるんだけど、貴方、居場所が分からないかしら?」
「あの、紫様は何処にいらっしゃるのか、私にもわからなくって……」
「あ、それなら仕方ないよね!あぁ~、残念だけど、諦めようかなぁ」
と言う流れにして体裁だけは取り繕う作戦なのだった。
「あら、貴方が来るなんて珍しいのね。確か、姫海棠はたてさんでしたっけ?」
絶対に嘘だ。きっと、西園寺の令嬢あたりから話を聞いて、私が来るのを待っていたに違いない。マヨヒガはあくまで猫達に与えた屋敷であって、彼女が訪れることは稀なのだから。そうそう都合の良いことがあってたまるものか。
まぁ、良いか。別に取材をしたくないわけではない。ただ、出来る限り面倒になりそうなことは避けたいだけなのだ。
「へぇ、創作とは何か、ね。面白い題材じゃないの」
どうせ知っていたくせに……。
「宜しい。それじゃ、一つ面白い話をしてあげますわ」
やっぱり準備万端じゃないか!
「これは西方のある小説家の話。その小説家は数多の傑作を世に輩出し、古今東西の歴史文化に精通した一大知識人として声望を欲しいままにしていたのです。その博識多才より繰り広げられる英雄豪傑、聖人君主の生き様を観るに、上は節を守りて礼を重んじ、下は勤勉を尊び忠心篤く、君臣一如の高志の国を創り給うはまさにこの者の業よ、王権神授の具現者として内外に知らぬものは無いほどでした。
ところが、その小説家は、それほどの業績を残しながら、ある苦悩を抱えていたのです。いや、むしろそれほどの業績を残したからこそと言うべきかもしれませんね」
もったいぶらずに、結末を言ってしまえば良いのに。
「それで、何故悩んでいたのですか?」
そう問うと、驚くほどにこりと、爽やかに微笑んで答えるのだった。
「あぁ、俺は俺の小説の中において、幾らでも人の尊さを描いてきたと言うのに、現実の俺はどうだろうか!妻も、子も、友も、親兄弟も、誰一人として俺を尊敬などはしていないではないか!ただ金と名声があるものだから、それがある限りは離れないと言うだけのことではないか!俺は鋭い。確かに鋭い。しかしなんと乏しい男か!当たり前の幸福を一欠けらたりとも、俺は俺の眼前に捉える事が出来ないのだ。俺は「傲慢」だ。俺は俺の鋭さに絶対の自信を持っている。それ故に「軽蔑」はもはや俺の日常にすらなっている。それは家族にも友人にも(最もそれはかつての友人であろうが)容赦なく白眼を向ける。「不誠実」「好色」「利己主義」も俺のためにあるような言葉だ。だが乏しい!絶望的に俺は乏しい!皆が俺を賞賛するが、俺はそのたびに虚しくなるのだ。俺にあるのは、ただ小説家としての「神経」だけなのだ……」
身振り手振りを加えながら、芝居がかった口調で(しかも勘定がこもっていて達者)滔々と語るものだから、あたかも演劇を見ているかの様な錯覚に陥る。う~む、これはこれでもう創作なんじゃないだろうか?或いはそれも計算の上で、私を考えさせようと企んでいるのかな?と考えるあたりが既に術中にはまっている?
「そういうわけで、創作者とは、時に創作そのものと戦わねばならないものなのです。或る者は自分が創作の残滓に過ぎないことを恐れて、また或る者は……」
「また或る者は?」
「過去に創った自分の名作に脅かされて、ですわ」
ふむ。つまり、創作は戦いであると言うことでしょうか?
「誰もがはじめは、先人と言う偉大な花の束に、ささやかな一輪を添えることが出来ればそれで本望と思うものなのにね。全く、人は忘れやすく儚いものです。忘れ去られることすら出来ぬ者も多くいるというのに」
そうして遠くを見る八雲紫は、少し悲しそうな顔をしている気がした。決して色には出さないのだけれども、何となく、そんな気がするのだ。その彼女が、ゆっくりとこちらを向いて、優しく語り掛ける。
「ただ、創ることを尊いとして、創る生き方もまた、有るべきなのかも知れませんわ。それはただ、知を尊しとして、或いは徳を尊しとして、場合によっては、壮健を先ず第一として、それを得ることのみを考えて生きることが、許されるように」
私は、あっと驚いた。それは、もしかしたら、私の求めていた答えの一つかも知れなかったから。そうして、それが八雲紫の口から語られたことに。
「少しは、お役に立てたかしら?」
やはり、底が見えぬ彼女は、何か恐ろしく、不気味だ。
六
今日、取材の途中氷精に会った。
最初は、「この子に聞いたところで何も有意義な話は聞けまい」と思い、弾幕ごっこをせびられるのも面倒だったので避けて通ろうとしたのだが、結局見つかってしまい、こちらに来るのをあからさまに捨て置くのも心無いことだと思い、まぁ、妖精なりの持論でもあれば儲けもの、無ければ無かったで、妖精には難しい話題だったとでも書けば紙面を埋める役にも立つだろうと考え、取材をしてみたのだが、コイツ、意外と良いことを言うのだ。
「ふぅん。あたしは難しいことわかんないけどさ。それじゃ、あたしはあたしで創作するよ」
「あたしはあたしで創作する……ふぅん、中々深いことを言うじゃないの。それで、具体的には?」
「そんなの……決まってるじゃん!」
とお決まりの流れになった。まぁ、取材の礼として、勝ち星は譲ってあげることにした。
しかし、自分は自分で創作をする。あの子にそんな考えはないにしても、これってつまり、
「人生と言う名のキャンパスに描く俺の創作を見よ!」
ぐらいの意気込みにも通じるわよね。
中々ロマンな言葉だけれども、さて、流石にそんな馬鹿になりきれる奴はそうそういやしないから、見ることは出来ないかな。魔理沙あたりが言えば、そこそこ映えるかも知れないけど、「弾幕は創作だぜ」とかに決まってる。
まぁ、流石に、あれだけ若い命に、そんな覚悟を求めるのは酷か。それでも昔は、結構いたんだけどねぇ。そんな馬鹿が、妖怪にも人間にも。
七
春すぎて 夏来にけらし 一夕の 歓誘いたる 妖怪の山
ふむ。とりあえずさっと作ってみたけど、よくよく考えると、「夏来にけらし」は、次に「白妙の」が続くからこそよね。となると、「夏来るらし」にしたほうがいいかな。いっそ、「夏来たりけり」とすれば、「一夕の」への繋がりが良くなるわね。ん?それはちょっと微妙かな?「夏来るらし」がやっぱり良いか。それと、今は「妖怪の山」じゃなくて、「天の香久山」でもいいわけよね。神様いるし。
とまぁ、こんな感じで、ちょっと創作者達に影響されて、私も歌を詠んでみるわけだけど、まぁ、多少は心得もあるってものよ。人に詠んで聞かせる勇気はないけどさ。
しかし、相変わらず皆宴会が大好きだなぁ。そもそも夏が来たから宴会って、よく分からない道理よね。冬が明けたとか、秋が来たとかならわかるけど、夏が来た!って。納涼でもないし。何でも理由をつけてどんちゃん騒ぎをしたいだけなんだよね、きっと。
かく言う私も……まぁ、多少はね?
「おう、何か面白いことしてんだって?まぁ、とりあえず駆けつけ一杯」
まぁ、当然、この人にも取材しないとダメなんですよね。面子がありますし。
「お、お前結構いけるくちじゃないか。いいねぇ、いいねぇ。ささ、飲みなよ」
そりゃ、天狗並みに酒は嗜みますが、鬼のペースに付き合わされてはちょっと。そういえば、いっぱしの天狗になって、初めての宴席でもこの人に……うぅ、思い出すのは止めて置こう。
「で、『創作論』だっけか?色々考えるもんだね。で、どんなのに聞いて来たんだ?ちょっと酒の肴に、教えてよ」
伊吹萃香は滅多に妖怪の山には訪れない。かつては山の支配者だった鬼も、四散して何処かに行ってしまった。そうして明確な統治者を欠くこの山に、新たな首領として現れたのが天の八坂(地の洩矢も祀られているが、案外知られていないようだ)を祀る守矢神社である。新旧の支配者が顔を合わせるのは、当人達にとっても、私達にとっても気まずいことである。そういった配慮があるのだろう。噂では二度か三度、彼女を妖怪の山で目撃したと言う話を聞くが、それも特に何をしたと言う話ではない。
そんな彼女が、今日は宴席に参加している。一夕の歓……そう、歓や、歓や。その遥かに堪なるを知る。私達は今、居た堪れない気持なのだ。折角の宴席が、これでは接待だ。そして、皆、「こっちにはこないで!」と思っているのだろう。決して騒ぐことはせず、密やかに酒を呑んでいる。気持は痛いほどわかるけど、皆酷い。ちょっとちょっと、せめて、雰囲気だけでも!盛り上げてよ!
そう心で泣きながら、あくまで笑顔のお酌をする。伊達にブン屋はやってないのだ。私だって、たまには取材に行くこともある。愛想笑いくらい当然出来る。
と、独り心を励ましていた私を見て、一瞬、鬼は瞳を憂わせて、つまらなそうにする。そうして、溜息混じりに、ポツリと詠むことには、
「年老いし 地底の友の 横顔は やさしさおびて さびしさ覚ゆ」
地底の友とは……やはり星熊さんだろうか?年老いしとは、そうまで老けてしまわれたのだろうか?いや、それはないだろう。伊吹さんが変わらないように、星熊さんも変わらないはずだ。少なくとも、肉体的には。となると、やさしさをおびたと言うこともあわせて考えると、これは……
「過去を思うようになると老けるとは誰かが言ったものだが、本当だねぇ。あいつ、平生はそうでもないけどさ。ふとした拍子に、見せる眼が優しくてねぇ」
そう言って、伊吹さんは杯を傾ける。私は自然と、杯を満たす。
「私達も、悪いとは思ってるんだよ」
一夕の歓。とんと心の静寂が訪れる。水を打ったかのような静けさとは言うが、まさにこのときを差すのであろう。
「私達は別に、何も思っていませんから……」
そう誰かが言う。その言葉は、独りのものではなかった。
八
故郷は空気であり、水であり、土である。当然あるべきもの全てが懐かしく、また温かい。それは、此処地底においても同じらしい。
ある鬼が一人、地底の暗い道を進む。酒精を帯びるが常の彼女が、今日は素面だ。いや、そうではない。確かに酒精を帯びてはいないのだが、決して素面ではない。彼女は故郷に酔っている。酒が必要ないのである。
酒は必要がない。そうして、歌も必要ない。ただ故郷は懐かしく、ありがたい。ふと、この素直な気持をそのまま詠めば歌になることに気がつく。さて、どうしたものか。詠もうと思えば詠めるだろう。しかし何故か、それが無粋に感じるのだ。そうしてそぞろに歩いていると、何時の間にか旧都に着く。遠目に、友人の姿が見える。一際高い屋根の上に、脚を組み、寝そべりながら、杯を傾けている。果たして何を見ているのか。先には、無邪気に遊ぶ幼子たちがいた。それを見つめるその眼は、実に優しい。それが伊吹萃香にとっては、喜ぶべき変化であるのか、悲しむべき変化であるのか、判然としないのだった。
「よ。元気にしてるかい。一人酒とは寂しいじゃないか」
「なに。これも中々おつなものさ」
その笑みにも、やはりどこか憂いがある。
さて、どうしたものか。親友同士だ。言葉は必要ない。さりとて、何か投げ掛けたい気持もする。そうすると、先日聞いたブン屋の特集を思い出す。しかし、創作論をこいつに聞いて、果たして花が咲くだろうか?そう思わなくもなかったが、なぁに、なるようになるさ。
「創作論?へぇ、そいつはまた。私とは随分無縁な話だね」
そうして、少し考えながら、くっと杯を傾け言う。
「いいね。創作ってのは。偉大なもんだよ」
「偉大?まぁ、そりゃ偉大かも知れないけどさ。なんでそう思うんだい?あんた、創作なんてものには、やるほうとしても、見るほうとしても関心がないじゃないか。それで偉大だなんて、ちょっと軽く聞こえるよ?」
「まぁ、そう思うのも当然なんだがね」
俯き加減に頭を掻いて答える。
「出来ない奴だからこそ、思うところってのもあるもんでさ」
なるほど。それはそうかも知れない。して、その思うところとは?
「何ていうかなぁ。残るじゃないか。創作ってのは。何かを残せるってのが、偉大だと思うねぇ」
そうして遠くを見る彼女は、きっと、あの幼子達を見ているに違いない。
「やれやれ。何だか、らしくない話をしたもんだね。ちょっと付き合いなよ。うまいもん食わせてやるからさ」
そうして、一息に飛び降り、悠々と歩き始める。振り向くこと無く、急ぐことなく、非常な落ち着きを以てして。その鷹揚とした背中を見ると、何か心に温かいものが、それはある種の羨望であり勇気であるところのものが、確かに生み出された気がするのだった。
その姿が嬉しくて、小さい鬼は、何も言わずに後を追うのだった。
九
天狗社会の構造についてちょっと触れてみよう。
まず、天狗社会は至って気楽なもので、大体皆、遊んで暮らしている。そしてその娯楽の大なるは新聞である。将棋や囲碁、歌詠みなどよりも、最近はブン屋がブームである。
さて、そうは行ったところで、皆が皆、遊んでばかりでは社会は成り立たない。当然、社会に対する奉仕者がいなくてはならない。しかし、誰も自主的に奉仕したいとは思わないものだ。これも仕方がないところ。そこで、頭領たちは話し合い、部下の天狗たちに次の役を課すことにした。
一.常役(四勤三休、週四十八時間の労働。お盆正月休み無し。下っ端天狗を中心に構成。常時募集中)
二.季節役(頭領の命に従い、一年の内三ヶ月間、任に従い奉仕する。出勤体制は仕事次第)
三.自由役(年に六十日以上奉仕活動に従事する)
なお、常役に従事するものは、季節役と自由役を課せられない。要するに、一か二+三のどちらかだと言うこと。
そして今年の季節役は、夏。姫海棠はたての憂鬱は此処にある。ついでに暑い。これも憂鬱の種だ。さらに今年は兵役が課せられている。デスクワークは自由役で充分足りるとのことだ。
「はぁ、取材行きたいなぁ……折角、やる気になってるのに……」
記事を書く暇がない。これは彼女にとって一大苦痛である。それも今年は特に。かつて無いほどに、記事を書きたい欲求が強いのを感じるのだ。
(あの特集は、絶対に良いものになる!!)
(どうしても、あの特集は、完全な作品にしてやらなくっちゃならない!!)
しかし現実にはやらねばならないことがある。そのため、記事の作成は一時停止状態となっている。それがどうしても耐え難くて耐え難くて仕方が無いのだ。
そんなフラストレーションが爆発したのだろうか。彼女は一大決心をする。
「ねぇ、貴方!」
一緒に守衛の任務に就いている友人へ提案する。
「連休、欲しくない?」
さて、先ほども言ったとおり、天狗社会は基本的に気楽である。ルーズである。それ故、彼女達の提案が受理されたのもおかしなことではない。
「八日連続で夜警の任に就くので、六連休を下さい!」
「ん~。いいんじゃない?」
万事この通りである。仕事さえやってくれれば、細かいことはいいやと言うのが上司の判断であった。もちろん、はたてたちも、自分たちでスケジュール調整をして、問題が起きないように配慮していたことは一言添えておこう。
「えへへ、夏は是非ともあそこに行かなくっちゃね」
そう言って彼女は、押入れから浴衣を取り出す。さて、ピンクのかわいいこの浴衣にしようか。それとも、無難に青のこちらかしら。
「う~ん、青のほうが涼しげでいいかな?色合いも、ピンクだとちょっと浮く気がするし……」
もう連休が待ち遠しくて仕方ないのだった。
竹林。青々と茂り、如何にも涼しげな緑の世界に白が舞う。此処迷いの竹林には、多数の兎が生息している。その兎の親玉が、因幡てゐ。永遠亭へは、彼女が案内してくれることになっている。事前に約束した場所へ向かうと、そこにはもう一人、鈴仙さん(鈴仙・優曇華院・イナバ)が待ってくれていた。
「うわぁ、かわいい浴衣ですね。いいなぁ。似合ってますよ」
日常の小さな幸福を汲み取る才に長けた女の子が、浴衣姿を見逃すわけがない。早速話のきっかけを作ってくれた。
「えへへ、そうですか?有難う御座います。取材に来て置いて、浴衣は良くないかなぁっとも思ったのですけれども、夏に竹林の緑って、涼しげでいいから、一度浴衣で、雰囲気だしてお散歩とかしてみたかったんですよ」
「いいですね。私も、帰ったら着替えようかなぁ」
「あ、いいですね。そうしたら、一緒に写真を撮りましょう!良い記念になります」
そうして花を咲かせていると、もう一人の女の子が、しっかりと別の幸せを発見してみせる。
「……こいつなぁに?」
そうしててゐさんが指差すのは、携帯ストラップの人形。
「あ、そのお人形さん。かわいいですね。えっと、それって、はたてさんのお人形ですよね?」
「そうです。これはアリスさんから貰った『はたてちゃん人形』ですよ。よかったら見てください。細かいところまで拘っているんですよ」
そうしてお二人は『はたてちゃん人形』に夢中です。アリスさん有難う御座います!これで掴みはばっちりです。場も和やかで、これは丁度いいから、永遠亭に着くまでお二人にお話を伺うとしよう!
「ふぅん。『創作論』ねぇ。ブン屋は色んなことを考えるものだねぇ」
「いいですね。面白そうな企画じゃないですか!」
大体、このお二方のどちらかの反応を頂けるこの企画。嬉しいのは、てゐさんのような反応をされる方も、ニュアンスが「なるほど、面白いじゃないか。」であること。「え、何それ?」みたいな反応だと、取材するのが辛くなるし、企画を止めたくなるからなぁ。
「それで、お二人にもご意見を伺いたいと思いまして。お二人は何か、創作をされていたりはしませんか?」
「やらないことは無いね。そうだなぁ……それじゃ、七歩の間に、竹林を題材に、私達に相応しい詩を詠んであげるよ」
「おぉ、それは面白い!では、お手前拝見」
そうするとてゐさんは、何とも軽快に、ぴょんっぴょんっと飛び跳ねて、あっという間に七歩進み、くるっと振り返って、
竹の林のたけのこは
掘れば黄色い房がある
紫いぼいぼ たけのこは
掘ればその根に土がある
うちの林のたけのこを
兎といっしょに 掘りましょう
竹の林に姫さまと
永琳師匠思ってる
と詠んでみせるのだった。
「おぉ、お見事」
まぁ、最初から創ってあった詩だろうけれども、中々雰囲気がいいじゃない。と思っていたら、鈴仙さんから、「てゐ、それ盗作」とのご指摘が。あらら、流石は兎詐欺……。
「盗作じゃないよ!本歌取りだよ!」
とてゐさんが反論しても、
「半分がそのままじゃ、盗作といわれても仕方ないわよ。それに、元の詩は、『紫いぼいぼ たけのこは』が、次の『すみれ添えましょ おくりましょ』と、紫色で繋がっていて見事なの。そこがてゐのは、紫と白でバラバラになってて、劣化してるじゃない。せめて、そこを白か紫であわせないとダメだよ」
などと見事に鈴仙さんは返すのでした。
鈴仙さん、もしかして詩に詳しい?
「それじゃ、鈴仙が作ってみなよ。本歌取りで」
「えぇ?なんでそうなるかなぁ」
と言いながらも、七歩のうちに詠むことには、
迷いの竹のたけのこを
春になったら掘りましょう
雪をかぶった たけのこを
掘ってもだめよ まだ早い
春になったらたけのこを
兎と一緒に掘りましょう
雪をふみふみ 竹林で
姫様師匠を思ってる
「ど、どうかな?」
「おぉ!見事な本歌取り!うまいじゃないですか?」
「そ、そうかなぁ?えへへ」
「ちぇ。つまらないの。芸人失敗だね」
「誰が芸人よ!」
と、女三人寄れば賑やか。詩の華も咲いて、記事には持って来いだなぁ。連休をとって取材に来てよかった!
さて、この調子で、もう少し突っ込んで聞いてみよう。
「ところで鈴仙さん。もしかして、詩の創作とかやってたりしますか?」
「え、いや、別に創作はしてないんです。ただ、詩とか、童話は最近良く読むんですよ。この前、香霖堂で、『赤い鳥』って言う本がおいてあって、それに載ってるから、あぁ、いいなぁって思って」
「へぇ。『赤い鳥』ですか。外の世界の本ですよね?」
「えぇ。そうみたいです。すごく良い本なんですよ。童話と童謡が載ってる本なんですけどね。どれも純粋で、夢があって。子供達に読ませてあげたいなぁって思うような。実際に、お子さんに読ませてあげたいと思える児童文学がないから、自分たちで作ろう!って思って、出来た本みたいなんです」
「おぉ。それは、豪気ですね。そしてやさしい」
「作品も、やさしいのが多いですよ。純朴で飾らず、心に響くんです。だから好きっていうのもあるんですけど、ほら、私達も、里の人と仲良くしていかないといけないし、薬売りの仕事があるじゃないですか?越中の薬売りは、諸国行脚の土産話を商いの頼りにしていたらしいですし、それにならって、童話とか童謡とか、教えてあげたらいいかなぁって」
「なるほど!それは良いですね。すばらしいアイディアですよ」
「えへへ、有難う御座います」
「流石は鈴仙。あざといね!」
「あざといって何よ!」
こんな感じで茶々を入れられるのは、もうお決まりと言った感じ。身近な者同士、家族特有の無遠慮なやり取りが心地よく微笑ましいなぁ。最近、創作に触れることが多いからか知れないけれども、何だか身近にある小さいことが、すごく幸せに感じることが多くなって来た気がする。感受性が高まっているのかな?
「ただ、そういう感じで、創る側じゃないので、どうも創作論とかは無いですね。ごめんなさい」
「いえいえ、そんな。しかし、立派なことですよ。頑張ってくださいね」
「はい」
と言ってにっこり微笑む鈴仙さん。健気でかわいいなぁ。
とそこで、少し前を行っていたてゐさんが振り返り、笑って言うには、
「どんな創作も、語り継ぐ人がいないと意味がないけどね」
とのこと。
「なるほど!確かに。語り部がいなくては、創作も知られず価値が発揮されませんね。てゐさん、良いこと言いました!深いですね!」
「まぁ、たまには助けてあげないとね」
と言って、自信有り気に微笑む。
「重ねてきた年輪が違うさね」
そう言って、また前を向いて、先に行くのでした。
遠目に永遠亭が見える。日の光は、丁度向こう側から、竹林の合間を縫って差し込んできて美麗。光輝は先導の兎から、後を追う兎へとかかる。
「たまにああだから、憎めないんですよ」
それはそれは、幸せそうな笑顔でした。
十
竹の青はこうも涼しげであったろうか?永遠亭に到着すると、てゐさんの案内を受けて、客間へと案内された。そこには既に、主人である蓬莱山輝夜さんが、優雅に孔雀団扇を扇いで、
「あら、いらっしゃい。」
と、私を迎え入れてくれた。
「かわいい浴衣ね。私も、たまには着てみようかしら?」
そう微笑を携えながら、
「涼しげで良いわ。今日の様な暑い日は、特に」
と続ける様には、微塵も暑さを厭う様子は見られない。
「その青は、実に竹の青に映えて良いわね」
と言って、左手側に開かれた、竹林の押し並ぶ景色を見る。彼女に向かって正面に座る私は、彼女につられて、右手に広がる竹林の光景を見る。が、先ほどまで目の当たりにしていた、やや薄影にほのかな光を放つ女性と、その後ろにいけられた朝顔を、それは竹を器として、淑やかに頭を垂らしていた様を、瞼に見ていた。
空虚に私は、
「竹林に合わせて、涼しげに見えるかと思って、着て来たんです」
と、どこか心に、厭味な涼しさを覚えながら答えた。
(私って、思ったより、意気地の悪い女だったのかなぁ)
創作は人の心を育む。が、それは、時に理性の統御を超えて、鋭敏な感性を養うものでもある。意気地の悪さも、人括りには出来ない。ある人はその性質が捻じ曲がってそうなるが、ある人は直すぎる心がそうさせるのだから。その違いはどのように判別し得るのだろうか?長く生きて、善良さを増す者はそれを知っている。心の捻じ曲がった者は、己の悪徳を顧みない。が、直き者は、己の悪性に敏感である。
「ねぇ、イナバ。何か氷菓子でも、用意させて頂戴」
そうてゐさんに命じて、彼女は扇いでいた団扇を下ろし、
「よく来てくれたわ。私、暇を弄んでいて仕方がなかったのよ」
と、少し身体を崩し、やや砕けた様子で話しかけて来た。
「それで、どんなお話でしたっけ?」
そう問いかけられると、ハッとして、
(そうだ。ちゃんと取材しなくっちゃね)
と、気持を改めて、私は特集の概要を説明し、彼女の創作論を尋ねた。
「なるほど。創作論ね。面白い特集だと思うわ。それで、既に何名か、話を聞いているのでしょう?よかったら、その話を聞かせて貰いたいわ。一緒のだと、なんだか体裁が悪いし、貴方も面白くないでしょう?」
「いえ、そんな。同じものがあっても、私は良いと思いますけれども。ただ、そういうことでしたら、今までの取材の経過を説明しますね。例えば……」
そうして、説明をしているうちに、冷たいお茶と、氷菓子とを、鈴仙さんとてゐさんが持って来てくれた。その後は二人も加わって、賑やかなお茶会と相成った。しばしば話というのは、対面して真面目に論を交わすよりも、雑多な雰囲気の中でこそ熟成され、有意義なものになる。雰囲気は心安く、飛び交う言葉は、平易なもので、高遠な発想は無いかも知れない。が、その代わり、舌は熱く魂がこもる。そういった話し合いの席は、その日、すぐに実りを上げないかも知れないが、他日、ふと思い返し、考えねばならない何物かを残してくれるものだ。人生の豊かさは、そういった過去の積み重ねにあるのかも知れない。そうしてその豊かさこそが、創作者にとって、もっとも大事なものかも知れない。
「確かに永遠の価値を持つ創作はあるものよ。それは、人のこころの純粋なところに触れた作品です。そういった作品は、どれだけ長く時間を経ても、どれほど遠くの人に触れてでも、変わらぬ普遍的価値を持つものだわ。そういった作品を作れる人は、きっと、人生を愛しているのでしょうね。人生に対する、強く変わらぬ関心こそが、そういった真の価値を持つ創作を作るのです」
そう言って、彼女は最後、こう付け加えた。
「憎しみですら、愛の変形にすぎないのかも知れない。」
十一
創作者の特権と義務に基づき、私はこの前編を終える前に一つの事実を語るべきである。即ち、パチュリー・ノーレッジの過去を。読者はこの作品の序にあたる部分で、またそれに直接関連する第二節において、彼女の懊悩を垣間見たことを思い出して欲しい。それは、このように、作者と、読者との対話を通じて以外には語られることの決して無い事実であるから、此処に特別の節を設けて述べるのである。
誠実な者は、しばしば打ちひしがれる。そうしてそれは、誰にも罪を求めることができないものである。パチュリー・ノーレッジは誠実であった。彼女は学問を愛した。知識を知識として、それを如何に利用するか、そういった計算とは別に、ただ知を知として得て、蓄積する。そういった行為もまた、尊いものであると信じていた。そうして、その行為は、尊いものである以上、尊重されるべき真理であると信じていた。それは事実らしかった。少なくとも、百年の時は、それに異論を挟むものではなかった。が、彼女は、喜ぶべき新転地にて、喜ぶべき知人から、その在り方に異論を唱えられた。最もそれは、より穏当な言葉で表現すべきものであった。が、それが彼女をいっそう傷つけた。彼女はただ知識を得ることに幸福を感じていた。そうして、上述した通り、それに誇りすら感じていた。それが、どうやら、他の者からすると、詰まらない在り方に見えるらしかった。もっと率直に言えば、悲しむべき生き方らしかった。そうしてそれは、親愛と善意との心から発せられた言葉であった。それが彼女の自尊心をいっそう傷つけた。学問を修めた人間は、一種の尊さと賢さを持つ。彼女は、恨むべきものが何処にも無いことを理解した。それはいっそう、絶望的であった。
しばしば賢者は、常人が理解し得ない愚かな失敗をするものである。彼女もその一人であった。彼女は世の中の殆どの苦悩は、打ち明ける意味の無いものであることを知っていた。と言うのは、彼女は、当事者以上に優れた解を導き出せるものの少ないことを知っていたからである。特に、彼女自身のことについては。それ故、彼女は、苦悩を打ち明けた経験どころか、相談をした経験すらもなかった。人に己のことを、自発的に語った経験すらなかった。それらは、求められて答えるものであった。それ故、導き手は常にあった。
彼女が人生で始めて、悩みを打ち明けたのは親友であった。それは妥当な人選であった。時を選ぶことは間違いなかった。親友は、最も優雅な心地のするとき、即ちガーデンで、紅茶を嗜んでいる時、相談を持ちかけられた。場所も、上述した通り、ガーデンで、二人きりであったから、適当だった。が、彼女は誤った。相談すべきではないことを相談したのである。その相談の内容とは、詰まる所、当たり前すぎる内容の相談だったのである。それは、「私は詰まらない者だろうか?」であった。
さて、この問いに対しては、諸君らであればどう答えただろうか。
彼女、パチュリー・ノーレッジは、彼女が自覚する通り、詰まらない者であった。書に噛り付く虫だったからである。が、さて、そうであったからと言って、諸君らであれば、
「全く君は詰まらない奴だ。」
と返事をするだろうか?私はしないだろう。そうして、レミリア・スカーレットもしなかった。当然のことである。では、どうしたであろうか?事実詰まらない者に対しては投げ掛けられる言葉は、大体のところ、
「そんなことはないさ。」
と言った、優しい嘘であるか、
「そんな詰まらないことを悩むべきじゃない。君なりの良いところがあるさ。」
とでも言った、激励の言葉であろう。が、それらは結局、どちらも同じことである。つまり、詰まらない人間であることを肯定しており、それを、労わりから隠している点で。そうして当人は、簡単にその嘘を見抜くものである。それが、悲しいかな、絶望的な結果をもたらすのである。
これ以上は言葉を費やすべきではないだろう。簡潔に纏めよう。
パチュリー・ノーレッジは、知識を尊び、ただそれを得る生き方をしたかったのだ。が、それを、悲しい生き方だとして、理解されない、そういった現実に、つまりは幻想郷に、彼女は絶望したのである。彼女は、大衆が良いとする生き方をはるかに越えて、真剣に生きたかった。それが、否定されてしまったのである。だが、何処にも恨むべき対象がないことを、彼女は理解していたのである。それが、いっそう絶望的であった。
第一節 レミリア・スカーレット
第二節 パチュリー・ノーレッジ
第三節 アリス・マーガトロイド
第四節 西行寺 幽々子
第五節 八雲 紫
第六節 チルノ
第七節 伊吹 萃香
第八節 星熊 勇儀
第九節 鈴仙・優曇華院・イナバ 因幡てゐ
第十節 蓬莱山 輝夜
好きなキャラクターの話を読むという方法もありだと思っています。
序
毎年元旦、一年の初めに、ブン屋は特集を組んで競う。新春の新聞大会である。この大会に、姫海棠はたては並々ならぬ意欲で挑む。目指すは上位入賞。そして、ライバルの射命丸文を、必ずしも驚愕たらしめん……と、最初はそんなことを考えていたはたてであったが、『創作』のテーマに従い、インタビューを繰り返し、編集していくにつれ、段々とその心意気も変わっていくのだった。
ふと思うのは、果たして彼女にとって、創作とはなんだろうかと言うことだ。もちろん彼女なりに創作とは何か、その答えはあったのだが、それが本当に、行き着くべき答えなのだろうかと強く疑問に感じるのだ。
そうして物思いに耽っていると、思い出すのはある人の答えである。
「私にとって、創作は人生の残滓にしか過ぎない。楽しみも何もありはしない。そこにあるのは、効率と効果。一定の間隔で、成果物を出すことが有益だから、私は創作をしているに過ぎない……」
はたてにとって、この答えは驚くべきものだった。何故なら彼女は、ただ楽しいから、創作をしたいから創作をしていたに過ぎないのだから。そして、それが全てだと思っていたのだ。多少なり、人により違いは有るとしても。
「だから、私は羨ましいの。創作を通じて、幸福を得られるあなた達が。私にとってこれは、むしろ苦痛なのだもの」
その言葉に、はたては大なる痛みを感じた。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それがわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
あれから一年近く経った。
今日は元旦、大会の日。私は私なりの答えを得た。貴方にとっても、貴方なりの、もっと幸せな答えが、私の創作を通じて見つかりますように。
もうすっかり、当初の目的などはどうでもよくなっていた。
一
紅魔館の主レミリア・スカーレット。はじめに彼女の元を訪れたのは故無しではない。きっとプライドが高い彼女のことだ。一番でなくては、へそを曲げてしまうだろう。それに、彼女は……縁起が良いのだ。
「それで、一番に私のところに来たのね?なるほど、案外天狗にも賢しいのがいるのね。気に入ったわ」
どうやら、計算どおりだったらしい。先ずは幸先が良い。
「それにしても、貴方にとって創作とは何か、ね。中々面白いテーマじゃない。もちろん、私にも一家言あるわ。ただ、普通に答えたのでは面白くないわよね。さて、どう答えたものかしら」
私としては、率直な創作感を訊きたいところなのだが、まぁ、仕方ない。これはこれで面白そうだ。
「創作は社会の余剰があってはじめて誕生する。これは先ず疑いようがないでしょう?」
果たしてそうだろうか?とも思ったが、そういうことにしておこう。
「だから創作家にはパトロンが付くのよ。パトロンがいなくては、創作家のもとに余剰が集まらないのだから、当然創作も生まれない。そう考えると、創作の功績は、半ばパトロンにあるとは思わなくって?」
パトロンが付いている創作家に関しては、そうに違いないが、そもそも創作家全員にパトロンが付くわけではないという指摘はしないでおこう。
「ところがこのパトロンにも色々なタイプがいるわ。一番下種なのは、資金援助の対価として貞操を買うタイプね。次は将来の投資として援助をするタイプ。まぁ、この程度なら、愛嬌として許してあげないこともないのだけれども。しかし一級のパトロンともなれば、見返りなどは求めないわ。富ある者は富で。才ある者は才で。芸術文化に対する偉大な奉仕として、パトロンの使命を果たすのよ」
「おぉ……でも、何だか悪魔らしくない主張ですね」
「そんなことは無いわよ。そもそも悪魔ほど、美に拘るものはないわ。それ故、美に対する畏敬の念は並々ならぬものがあるのよ。私達はあくまで人ではなく、美に対して奉仕するというわけなのよ」
「ふむふむ。で、紅魔館の主は、無償で数多の芸術家に援助をして来たと」
「それでは、一級のパトロンになってしまうじゃないの」
「え?それの何が問題に……?」
「超一流でないとダメよ。私がやる以上はね」
「なるほど。それでは、超一流のパトロンとは?」
「知的パトロン、或いは精神的パトロン。これが超一流のパトロンよ」
「ほぉ、それは深いですね。果たして今まで、どんな教えを授けられて来たのでしょうか?」
「別に何も教えを与えてはこなかったわ」
「は?えっと、それじゃ……」
「貴方。私の能力を忘れたのではなくって?」
レミリア・スカーレットの能力。それは運命を操る程度の能力……あぁ、そうか。もしかして……
「つまり、超一流のパトロンとの出会いを創作した、と?」
「ご名答。そう、それが私の創作よ」
そう言って不敵な笑みを携える吸血鬼。なるほど。聊か創作の香りもするけれども、貴族の末裔に相応しい、見事な創作論。やはり彼女を最初の回答者に選んで正解だったようだ。
二
別館にある書庫。そこに住むのは七曜の魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。創作を題材に選んだ際、最初に紅魔館を訪れた理由の一つには、彼女の存在があった。話によれば、彼女の著作は少なくないとのこと。魔道書の作成もまた、創作には違いない。はてさて、どんな創作論を聞くことが出来るのやら。
「創作?創作ねぇ……果たして私は、創作をしたことがあるのかしら?」
予想外の答えに、少し戸惑う。知識人はこれだから困る。時に凡人が悩みもしないような、はっきりといえばどうでも良いようなことに拘泥して、立ち止まってしまうからだ。
「なるほど。確かに魔道書は幾つも作ったわ。でも……いいえ、そうね。貴方の言うとおり。魔道書は創作物に違いないわ。確かに私は、数多の創作を手掛けて来たわ」
しかもこうやって、勝手に一人ごちて解決してしまう。まぁ、解決してくれたならばいいか。気を取り直して、インタビューを続ける。
「創作論ね。ふむ……」
そうして数秒悩んだ後、
「私にとって創作とは、人生の残滓に過ぎないわ」
この答えだ。う~ん、やっぱり知識人の言うことは難しい。だが、それでこそ私の特集も価値を生むというもの。此処は読者の皆様にご理解頂ける様、なんとかほぐしてほぐして簡単にして記事にせねば!
「なるほど、人生の残滓ですか」
まずは理解、同意からはじめるのが会話の基本。
「しかし残滓と言うのは、ちょっと謙遜が過ぎませんか?パチュリーさんの魔道書ならば、そう簡単に書ける程度のものではないでしょう」
基本、相手は持ち上げるもの!
「ならばむしろ、私は不遜ね。私にとって残滓に過ぎないものが、他の人には充分価値あるものなのだから」
むむむ……これは予想外に苦戦しそうだなぁ。
「私にとって創作は、それは貴方の言う、或るいは世人の言う創作にあたるのだけれども、それは所詮私が会得したいと思い、研鑽を積んだ才識から滲み出る灰汁でしかないのよ。私は、創作をしたいと思って創作をしているわけではない。ただ、定期的に成果物を生み出すことが必要だからしているだけなの。私が、私の魔道書作成を、本当に創作なのかどうか悩んだのも、そういうわけなのよ」
と思ったら、案外詳しく説明してくれた。流石の自己分析力です。
ふむ、なるほど。パチュリーさんの言うことも理解できる。彼女からしてみれば、魔道書の作成は、言ってみればレポートだとか論文だとかの作成で、それも先に何々の答えを求めて研究する……といった類のものではなく、自然と行き着いた結果として得たものを書き留めておく、言わば日記か、報告書の類なのだろう。それならば、確かに創作といった感じはしないのも当然だ。
「何か、小説だとか、詩だとか、そういったものは作ったりしないのですか?」
「……随分昔に挑戦したけれども、まるで面白くなかったから止めたわ」
「それはまた、どうして?」
「時間が勿体無かったのよ。書き留めておく時間が」
恐るべき効率と効果の世界だ。頭の中で創られたなら、もうそれで満足。世に出すだけ時間の無駄と言うことなのだろう。読まれる喜びは……この生活では、見出しえないのも当然か。
なんとも困った。実のところ私は、他のブン屋仲間を見てもそうだが、そもそも創作は楽しいものとして疑って来なかったのだ。楽しいから創作をするのであって、楽しくないのであればしない。そして創作をしないものは、その時間を、何か他の楽しいことに費やす。或いは友人と時間を共有し、或いは好事家として学問芸術を楽しみ、或いは美食好色弾幕ごっこetc……それ故、楽しくないのに創作をする(本人からすれば創作とは言い難いわけだが)人物との遭遇は、想定していなかったのだ。私はすっかり、彼女が一人、図書館と言う名の静寂な宇宙で、温かいものを楽しんでいる光景ばかり思い浮かべていたのだ。
おっと、沈黙が良くないのは会話の基本。とりあえず、当たり障りのない話題をと、
「しかし、創作のあり方は、月並みですが人それぞれ。レミリアさんも、パトロンとしての創作論と言う、ちょっと独創的な持論を……」
あれ……何かパチュリーさんの様子が変だぞ?
「えっと。何か私、おかしなことを言いましたっけ?」
パチュリーさんは笑いを抑えきれず、ちょっと不気味(というか怖い)な声を漏らし、体を小刻みに震わせている。状況がつかめずにあたふたしていると、
"Strange are the ways of men."
「は?えっと、今なんと……」
「人、それぞれと言ったのよ……ふふ」
何かこれは、変なスイッチが入ってしまいましたかねぇ。
「私の生き方は、不思議よね」
「えっと。不思議と言うか、別に、そういう生き方も有りじゃないかなぁっと」
「私は、そう思えないの」
そのとき、私はハッとした。確かにこの人の目は潤んでいる……。
沈黙が流れる。どうにも言葉が無い。さっき、私は彼女の自己分析力を称えたが、あれは即座に発揮されたものではなかったのだ。彼女はきっと、長きに渡り、自分の創作の在り方に対して、それは必然的に自分の生き方に対して、疑問とコンプレックスを抱いていたに違いない。
それを理解したとき、私は胸が穿たれるのを感じた。今までの私の考えが、そして今の行動が、間違いではないのかと言う根底からの懐疑を生じさせしむる、そういった衝動が襲ってきたのだ。
創作が楽しいから創作をしたいのだと思う私は、決して間違っていないと思う。ならばこの人はどうなのか。この人も間違ってはいないはずなのだ。ならばお互いが正しいのか。きっとそうなのだろう。でもその答えは、ごまかしに過ぎないのではないだろうか。だって、この人は……
「貴方、新聞を書いて、楽しい?」
「はい……楽しいです」
「そう。羨ましいわ」
創作を楽しいと言う私を、こんなに羨ましそうに見ずにはいられないのだ。こんな寂しそうな人がいて、それが正しいなどとするのは、私には欺瞞でしかないと思う。それが正しいのならば、きっとこの人も……。
「しかすがに なほ我はこの生を愛す 喘息の夜の苦しかりとも
あるがまま 醜きがままに 人生を愛せむと思ふ他に途なし」
私は思わず、涙を堪えられなくなりそうになった。なんと悲しむべき自己肯定なんだろう。それでも、自分を愛するより他に無いのだとは。
「本当はね、この歌には、続きがあるの。
『ありのまま この人生を愛し行かむ この心よしと覗きにけり』
そうすると、自己肯定の、素晴らしい歌になるんだけど、私はどうしても、これを続けて詠めないわ」
そうして、何があるわけでもない中空を見て、彼女はきっと涙を堪えているのだ。そこには、言葉にして説明できない、一種の尊さがあると、私は思う。
(どうにかして、この人に創作の楽しさを感じて欲しい!)
その思いが、胸の中で急激に膨らんで行くのがわかる。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それが何かはまだわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
紅魔館でのインタビューが終わった。最初の取材で、私は、この企画をどうしてもやり遂げねばならないと思う、非常なモチベーションを与えられた。これが運命なのかどうかはわからないけれども、あの人に何か、楽しいと思って貰える様な、そんな記事が作れたらいいなぁっと、素朴に思うのだった。
三
魔法の森。奥深くに住む魔法使いの名はアリス・マーガトロイド。多数の人形を操る、幻想郷でも有数の魔法使いだ。
(或いは、同じ魔法使いならば、パチュリーさんの助けになる言葉も見つかるかも)
そういった考えもあり、私は三人目の対象者に彼女を選んだのだった。
「へぇ、中々面白そうな企画を考えるじゃないの」
どうやら好感触。これは期待できそうな予感がする。
「ところで、捏造とかはしないわよね?」
……どうやら彼女もアイツの犠牲者らしい。全く、風評被害も甚だしい。
「もちろんですよ!何処かの天狗とは違いますから」
「そう?それなら、私も真面目に答えないとね。そうねぇ……私にとって創作は、友達かなぁ?」
「ほぉ、友達ですか。なるほど。それで、その心は?」
「うん、私ね、本は先生だと思うの。人生の先生。或いは、親かな。そういう、教えを授けてくれる、偉大な存在だと思う。それで、美術品は、恋人か、或いは子供みたいなものかな。名画は一瞬で心を奪ってしまう、そんな魅力があるでしょう?かわいいものや綺麗なものは、何だか手元に置いて愛でていたい気持になるでしょう?これって、子供に対する愛情に近いものがあると思うの。それじゃ、創作は?ってなると、創作がその人のお仕事ならまた別なんだろうけれども、そうじゃない人にとっては、それって友人みたいなものじゃないかな。すごく身近な友人。どうかな?」
「いやぁ、都会派の意外な一面を見た気がしますよ。あ、もちろん良い意味で!なるほど、そう言われると、しっくり来ますね。うんうん、友達かぁ。私も、そう思いますよ。しかし、知的でいて女性的な優しさに溢れている創作論……感動しました!」
「そ、そうかしら?ありがとう。なんだかちょっと照れちゃうわね。あ、紅茶、お代わりいる?お菓子も、良かったら違うのを持ってくるけど」
そしてこの愛嬌……春が微笑んだような可愛らしさと爽やかさがありますね。う~ん、何だか一足早く春の訪れを聞いたような気持です。
「いえいえ、お気遣いなく。あ、でもですよ、アリスさん。アリスさんにとって、創作は……人形作りですよね?それって、お仕事では?」
「そんなことはないわよ。そもそも、魔法使いに仕事なんて概念は殆どないでしょう。だって私達、働く理由がないんですもの。だから、人生の大部分は余暇、趣味の時間みたいなものよ」
そう言われて見ると、そうですよね。年も取らないし、飢えも知らないわけで……はて、それでは何故パチュリーさんはあんなに余裕がないのかしらん。ふとそういった疑問が沸いてきたのだけれども、いけない、今はアリスさんへのインタビュー中だと気を取り直し、二つ三つ簡単な質問をして、それで終了となった。
追記:この時、アリスさんから「よかったら、これ」と頂いた「はたてちゃん人形」は私の携帯ストラップになりました。大体人差し指くらいのサイズです。この小さな人形を作るだけで、尊敬に値するのですが、細かい刺繍まで念入りに施されていてなんともはや……本当は箱に入れて大事に取っておきたいのですが、アリスさんからのご提案ですから仕方ない!もし取材に行ったときは、是非ともこの「はたてちゃん人形」を見てみてください。かわいい!
二重に記事のネタまで貰えて、本当に有り難いお話です。
四
幻想郷にも春が訪れ、桜の花も七分ほどに咲いた頃、西園寺家に取材のため私は訪れた。西園寺と言えば、幻想郷でも有数の教養人・文化人だ。文芸の道に長けたこの人に訊かずして、私の特集は完成し得ない。
「花精妙枝のうつろう水面……」
「末の句は如何に?」
「うぅ……何も思いつきません、幽々子様。はぁ、やっぱりダメですね。池の水面に映る桜に趣を感じて詠んで見るには詠みましたが、それも思いつきで工夫がありません。そのくせ、花精妙(はなぐはし:はなうるわしで、桜の枕詞)などと、書をかじって得たばかりの知識を使ってみたものですから、かえってちぐはぐで良くありません。何とも恥ずかしいばかりです」
「そうでもないわよ、妖夢。その時々に感じた素朴な気持を詠んだからこそ、心に響く歌も多いもの。そもそも詠むとは、言葉を永くすることです。言ってみれば、そのとき心に映ったものを、言葉にして、永遠へと昇華させんとするのが歌の心なのです。ですから、池の水面に映った桜に趣を感じたのでしたら、それを率直に詠んだことはむしろ歌の本意に適うことです。水面を、みなおもてとして合わせたのも工夫が見えてよろしい。花精妙を書でかじった知識に過ぎないと言いましたが、そうやって日々の努力が故に得た知識を積極的に活かして、創意工夫する心がなくてどうして歌の道を極められましょうか。これは歌に限らず、万事応用と実践の心が、その道を極めるのには大切なことですよ。よく、花精妙と言う言葉を知っていましたね。何を読んだのかしら?後から教えて頂戴」
「幽々子様……」
そうして涙ぐんで喜ぶ妖夢さんの姿は、はつらつとした少女の青春の趣があり、どこか夏の香りがするのでした……ハ!しまった。ついつい雅な世界にあっけに取られて、呆けてしまいました。しかし流石は西園寺の令嬢。雅量が違いますね。そうして間の抜けた顔をしていると、
「さて、創作論を語って欲しいということでしたね」
「あ、はい!是非お願いします」
う~む、抜け目が無い。この気配りですよ。
然し、西園寺一流の創作論とは……これは取材に関係なく楽しみ。
「そもそも創作は、それを創る者とそれを観る者とがいて、初めて創作として価値を得るもの。それを作り手の側からばかり論じたのでは、真に創作の世界を知ることには繋がりません。今日は、創作の受容者の側から、創作を論じると致しましょう」
なるほど、観る側からの創作論ですか。さて、どういった内容になるのでしょうか?観る側が創り手に求める創作のあり方でしょうか?或いは、鑑賞者がどのように創作に携わるかと言う話なのでしょうか?それとも他の?興味は尽きませんね。
「一流のものを一流として評価することは簡単なことです。同様に二流を二流として評価することも簡単なのです。そして二流の創作を一流の創作と比較して、これを指摘することもまた、そう難しいことではありません。ところがこの程度のことを難事と考え、偉ぶって批評する者が実に多いのは嘆かわしいことです。その程度で驕るものは、まず無教養と断じても構わないくらいです」
「おぉ。それは中々辛辣ですね」
「そもそも、何かを批評することなどは元来容易いことです。誰にだって持論はありますし、また一般論くらいのことは言えて当然なのですから。そうして、その持論にも一般論にも、理が無いわけではありませんから、批評される側としては確かにと思わざるを得ない。上手く反論が出来ないものです」
「ふむふむ、なるほど」
「ですが一般論などを指摘して、何の価値がありましょうか。そもそも一般論などは、創作者自身が自覚する程度のものであって、言われるまでもありません。また、当人が自覚せずとも、師や先輩、知人が必ず指摘してくれることでしょう。それを賢しらぶって、偉そうに批評して、何か言ってやった気になるような者は、此のくらいの道理もわからない無教養な輩なのです。批評をするならば、己より他にし得ないと思うくらいの、深遠で正鵠を射る批評をしなくてはなりません。そのために、日頃から創作者以上に創作に真剣であり、教養を深めておかねばならないのです」
「おぉ!そういった人の批評であれば、幾らでも受けたいところですね。芸の肥やしになります!」
「そう、そこが大切なのです。そもそも創作とは価値を生み出すもの。ならば批評とて、創作者にとって、またその批評を読む者にとって、価値あるものであれば創作と言ってもよいのです。ですから鑑賞者は、批評と言う創作をやる心積もりでなくてはならないのです。これが鑑賞者の創作なのです」
「なるほど。そのお言葉を聞いて、私自身もハッとさせられるところがあります。創作者の矜持と自覚を持っていたつもりですが、他の人の創作に接する際に、私は真剣さが足りなかったかも知れません……」
「創作的な批評と言うと、何か改まってしまうかも知れませんが、必ずしも難しいことではありません。率直にその創作に接して、良いと思ったところ、逆に悪いと思ったところを丁寧にお伝えする。これも非常に創り手としては有難い指摘です。ただ、人には好みがありますから、自分はこういう好みがあるから此処がよかった、或いは悪かったと言うのを添えて申し上げれば、変に創り手を惑わすこともなく、いっそう良い批評となるでしょうね」
「そうですね。そういった率直な批評は本当に有り難いです」
「創作は交流にこそ楽しみがあるもの。歌もただ一人で詠むのは寂しいものです。文芸もまたその良さを共有する友があってこそではありませんか。それ故に、受け手もまたその世界の一員として自覚を持たねばなりません」
「何とも仰られる一言一言が深く胸に響くものです。これはきっと良い記事になりますよ!楽しみにしていて下さいね」
そうして優しく微笑み返して下さるお姿は真に教養ある女性のものでした。小さなしぐさの一つ一つが洗練されており、同じ女性として憧れの余り見呆けてしまうこともしばしば。品格の違いに、恥ずかしくなってしまいました……。
五
妖怪の大賢者、八雲紫を差し置いて話を進めるわけにも行かない私は、余り乗り気ではなかったのだが、彼女の元を尋ねることにした。別に取材をするのが嫌なわけではないし、話を聞く価値がないと思っているわけでもないが、彼女と係わり合いを持つと後々面倒なことになりそうな予感がするからだ。出来ることならば、関係を持ちたくはない。だからと言って、除者にしては、それはそれで角が立つ。仕方がないので、取材に行くだけのことだ。
まぁ、と言っても、彼女が何処に住んでいるのかは私には分からない。と言うか誰にも分からない。なので、彼女の式の式が済むマヨヒガを訪れ、
「こういう企画があるんだけど、貴方、居場所が分からないかしら?」
「あの、紫様は何処にいらっしゃるのか、私にもわからなくって……」
「あ、それなら仕方ないよね!あぁ~、残念だけど、諦めようかなぁ」
と言う流れにして体裁だけは取り繕う作戦なのだった。
「あら、貴方が来るなんて珍しいのね。確か、姫海棠はたてさんでしたっけ?」
絶対に嘘だ。きっと、西園寺の令嬢あたりから話を聞いて、私が来るのを待っていたに違いない。マヨヒガはあくまで猫達に与えた屋敷であって、彼女が訪れることは稀なのだから。そうそう都合の良いことがあってたまるものか。
まぁ、良いか。別に取材をしたくないわけではない。ただ、出来る限り面倒になりそうなことは避けたいだけなのだ。
「へぇ、創作とは何か、ね。面白い題材じゃないの」
どうせ知っていたくせに……。
「宜しい。それじゃ、一つ面白い話をしてあげますわ」
やっぱり準備万端じゃないか!
「これは西方のある小説家の話。その小説家は数多の傑作を世に輩出し、古今東西の歴史文化に精通した一大知識人として声望を欲しいままにしていたのです。その博識多才より繰り広げられる英雄豪傑、聖人君主の生き様を観るに、上は節を守りて礼を重んじ、下は勤勉を尊び忠心篤く、君臣一如の高志の国を創り給うはまさにこの者の業よ、王権神授の具現者として内外に知らぬものは無いほどでした。
ところが、その小説家は、それほどの業績を残しながら、ある苦悩を抱えていたのです。いや、むしろそれほどの業績を残したからこそと言うべきかもしれませんね」
もったいぶらずに、結末を言ってしまえば良いのに。
「それで、何故悩んでいたのですか?」
そう問うと、驚くほどにこりと、爽やかに微笑んで答えるのだった。
「あぁ、俺は俺の小説の中において、幾らでも人の尊さを描いてきたと言うのに、現実の俺はどうだろうか!妻も、子も、友も、親兄弟も、誰一人として俺を尊敬などはしていないではないか!ただ金と名声があるものだから、それがある限りは離れないと言うだけのことではないか!俺は鋭い。確かに鋭い。しかしなんと乏しい男か!当たり前の幸福を一欠けらたりとも、俺は俺の眼前に捉える事が出来ないのだ。俺は「傲慢」だ。俺は俺の鋭さに絶対の自信を持っている。それ故に「軽蔑」はもはや俺の日常にすらなっている。それは家族にも友人にも(最もそれはかつての友人であろうが)容赦なく白眼を向ける。「不誠実」「好色」「利己主義」も俺のためにあるような言葉だ。だが乏しい!絶望的に俺は乏しい!皆が俺を賞賛するが、俺はそのたびに虚しくなるのだ。俺にあるのは、ただ小説家としての「神経」だけなのだ……」
身振り手振りを加えながら、芝居がかった口調で(しかも勘定がこもっていて達者)滔々と語るものだから、あたかも演劇を見ているかの様な錯覚に陥る。う~む、これはこれでもう創作なんじゃないだろうか?或いはそれも計算の上で、私を考えさせようと企んでいるのかな?と考えるあたりが既に術中にはまっている?
「そういうわけで、創作者とは、時に創作そのものと戦わねばならないものなのです。或る者は自分が創作の残滓に過ぎないことを恐れて、また或る者は……」
「また或る者は?」
「過去に創った自分の名作に脅かされて、ですわ」
ふむ。つまり、創作は戦いであると言うことでしょうか?
「誰もがはじめは、先人と言う偉大な花の束に、ささやかな一輪を添えることが出来ればそれで本望と思うものなのにね。全く、人は忘れやすく儚いものです。忘れ去られることすら出来ぬ者も多くいるというのに」
そうして遠くを見る八雲紫は、少し悲しそうな顔をしている気がした。決して色には出さないのだけれども、何となく、そんな気がするのだ。その彼女が、ゆっくりとこちらを向いて、優しく語り掛ける。
「ただ、創ることを尊いとして、創る生き方もまた、有るべきなのかも知れませんわ。それはただ、知を尊しとして、或いは徳を尊しとして、場合によっては、壮健を先ず第一として、それを得ることのみを考えて生きることが、許されるように」
私は、あっと驚いた。それは、もしかしたら、私の求めていた答えの一つかも知れなかったから。そうして、それが八雲紫の口から語られたことに。
「少しは、お役に立てたかしら?」
やはり、底が見えぬ彼女は、何か恐ろしく、不気味だ。
六
今日、取材の途中氷精に会った。
最初は、「この子に聞いたところで何も有意義な話は聞けまい」と思い、弾幕ごっこをせびられるのも面倒だったので避けて通ろうとしたのだが、結局見つかってしまい、こちらに来るのをあからさまに捨て置くのも心無いことだと思い、まぁ、妖精なりの持論でもあれば儲けもの、無ければ無かったで、妖精には難しい話題だったとでも書けば紙面を埋める役にも立つだろうと考え、取材をしてみたのだが、コイツ、意外と良いことを言うのだ。
「ふぅん。あたしは難しいことわかんないけどさ。それじゃ、あたしはあたしで創作するよ」
「あたしはあたしで創作する……ふぅん、中々深いことを言うじゃないの。それで、具体的には?」
「そんなの……決まってるじゃん!」
とお決まりの流れになった。まぁ、取材の礼として、勝ち星は譲ってあげることにした。
しかし、自分は自分で創作をする。あの子にそんな考えはないにしても、これってつまり、
「人生と言う名のキャンパスに描く俺の創作を見よ!」
ぐらいの意気込みにも通じるわよね。
中々ロマンな言葉だけれども、さて、流石にそんな馬鹿になりきれる奴はそうそういやしないから、見ることは出来ないかな。魔理沙あたりが言えば、そこそこ映えるかも知れないけど、「弾幕は創作だぜ」とかに決まってる。
まぁ、流石に、あれだけ若い命に、そんな覚悟を求めるのは酷か。それでも昔は、結構いたんだけどねぇ。そんな馬鹿が、妖怪にも人間にも。
七
春すぎて 夏来にけらし 一夕の 歓誘いたる 妖怪の山
ふむ。とりあえずさっと作ってみたけど、よくよく考えると、「夏来にけらし」は、次に「白妙の」が続くからこそよね。となると、「夏来るらし」にしたほうがいいかな。いっそ、「夏来たりけり」とすれば、「一夕の」への繋がりが良くなるわね。ん?それはちょっと微妙かな?「夏来るらし」がやっぱり良いか。それと、今は「妖怪の山」じゃなくて、「天の香久山」でもいいわけよね。神様いるし。
とまぁ、こんな感じで、ちょっと創作者達に影響されて、私も歌を詠んでみるわけだけど、まぁ、多少は心得もあるってものよ。人に詠んで聞かせる勇気はないけどさ。
しかし、相変わらず皆宴会が大好きだなぁ。そもそも夏が来たから宴会って、よく分からない道理よね。冬が明けたとか、秋が来たとかならわかるけど、夏が来た!って。納涼でもないし。何でも理由をつけてどんちゃん騒ぎをしたいだけなんだよね、きっと。
かく言う私も……まぁ、多少はね?
「おう、何か面白いことしてんだって?まぁ、とりあえず駆けつけ一杯」
まぁ、当然、この人にも取材しないとダメなんですよね。面子がありますし。
「お、お前結構いけるくちじゃないか。いいねぇ、いいねぇ。ささ、飲みなよ」
そりゃ、天狗並みに酒は嗜みますが、鬼のペースに付き合わされてはちょっと。そういえば、いっぱしの天狗になって、初めての宴席でもこの人に……うぅ、思い出すのは止めて置こう。
「で、『創作論』だっけか?色々考えるもんだね。で、どんなのに聞いて来たんだ?ちょっと酒の肴に、教えてよ」
伊吹萃香は滅多に妖怪の山には訪れない。かつては山の支配者だった鬼も、四散して何処かに行ってしまった。そうして明確な統治者を欠くこの山に、新たな首領として現れたのが天の八坂(地の洩矢も祀られているが、案外知られていないようだ)を祀る守矢神社である。新旧の支配者が顔を合わせるのは、当人達にとっても、私達にとっても気まずいことである。そういった配慮があるのだろう。噂では二度か三度、彼女を妖怪の山で目撃したと言う話を聞くが、それも特に何をしたと言う話ではない。
そんな彼女が、今日は宴席に参加している。一夕の歓……そう、歓や、歓や。その遥かに堪なるを知る。私達は今、居た堪れない気持なのだ。折角の宴席が、これでは接待だ。そして、皆、「こっちにはこないで!」と思っているのだろう。決して騒ぐことはせず、密やかに酒を呑んでいる。気持は痛いほどわかるけど、皆酷い。ちょっとちょっと、せめて、雰囲気だけでも!盛り上げてよ!
そう心で泣きながら、あくまで笑顔のお酌をする。伊達にブン屋はやってないのだ。私だって、たまには取材に行くこともある。愛想笑いくらい当然出来る。
と、独り心を励ましていた私を見て、一瞬、鬼は瞳を憂わせて、つまらなそうにする。そうして、溜息混じりに、ポツリと詠むことには、
「年老いし 地底の友の 横顔は やさしさおびて さびしさ覚ゆ」
地底の友とは……やはり星熊さんだろうか?年老いしとは、そうまで老けてしまわれたのだろうか?いや、それはないだろう。伊吹さんが変わらないように、星熊さんも変わらないはずだ。少なくとも、肉体的には。となると、やさしさをおびたと言うこともあわせて考えると、これは……
「過去を思うようになると老けるとは誰かが言ったものだが、本当だねぇ。あいつ、平生はそうでもないけどさ。ふとした拍子に、見せる眼が優しくてねぇ」
そう言って、伊吹さんは杯を傾ける。私は自然と、杯を満たす。
「私達も、悪いとは思ってるんだよ」
一夕の歓。とんと心の静寂が訪れる。水を打ったかのような静けさとは言うが、まさにこのときを差すのであろう。
「私達は別に、何も思っていませんから……」
そう誰かが言う。その言葉は、独りのものではなかった。
八
故郷は空気であり、水であり、土である。当然あるべきもの全てが懐かしく、また温かい。それは、此処地底においても同じらしい。
ある鬼が一人、地底の暗い道を進む。酒精を帯びるが常の彼女が、今日は素面だ。いや、そうではない。確かに酒精を帯びてはいないのだが、決して素面ではない。彼女は故郷に酔っている。酒が必要ないのである。
酒は必要がない。そうして、歌も必要ない。ただ故郷は懐かしく、ありがたい。ふと、この素直な気持をそのまま詠めば歌になることに気がつく。さて、どうしたものか。詠もうと思えば詠めるだろう。しかし何故か、それが無粋に感じるのだ。そうしてそぞろに歩いていると、何時の間にか旧都に着く。遠目に、友人の姿が見える。一際高い屋根の上に、脚を組み、寝そべりながら、杯を傾けている。果たして何を見ているのか。先には、無邪気に遊ぶ幼子たちがいた。それを見つめるその眼は、実に優しい。それが伊吹萃香にとっては、喜ぶべき変化であるのか、悲しむべき変化であるのか、判然としないのだった。
「よ。元気にしてるかい。一人酒とは寂しいじゃないか」
「なに。これも中々おつなものさ」
その笑みにも、やはりどこか憂いがある。
さて、どうしたものか。親友同士だ。言葉は必要ない。さりとて、何か投げ掛けたい気持もする。そうすると、先日聞いたブン屋の特集を思い出す。しかし、創作論をこいつに聞いて、果たして花が咲くだろうか?そう思わなくもなかったが、なぁに、なるようになるさ。
「創作論?へぇ、そいつはまた。私とは随分無縁な話だね」
そうして、少し考えながら、くっと杯を傾け言う。
「いいね。創作ってのは。偉大なもんだよ」
「偉大?まぁ、そりゃ偉大かも知れないけどさ。なんでそう思うんだい?あんた、創作なんてものには、やるほうとしても、見るほうとしても関心がないじゃないか。それで偉大だなんて、ちょっと軽く聞こえるよ?」
「まぁ、そう思うのも当然なんだがね」
俯き加減に頭を掻いて答える。
「出来ない奴だからこそ、思うところってのもあるもんでさ」
なるほど。それはそうかも知れない。して、その思うところとは?
「何ていうかなぁ。残るじゃないか。創作ってのは。何かを残せるってのが、偉大だと思うねぇ」
そうして遠くを見る彼女は、きっと、あの幼子達を見ているに違いない。
「やれやれ。何だか、らしくない話をしたもんだね。ちょっと付き合いなよ。うまいもん食わせてやるからさ」
そうして、一息に飛び降り、悠々と歩き始める。振り向くこと無く、急ぐことなく、非常な落ち着きを以てして。その鷹揚とした背中を見ると、何か心に温かいものが、それはある種の羨望であり勇気であるところのものが、確かに生み出された気がするのだった。
その姿が嬉しくて、小さい鬼は、何も言わずに後を追うのだった。
九
天狗社会の構造についてちょっと触れてみよう。
まず、天狗社会は至って気楽なもので、大体皆、遊んで暮らしている。そしてその娯楽の大なるは新聞である。将棋や囲碁、歌詠みなどよりも、最近はブン屋がブームである。
さて、そうは行ったところで、皆が皆、遊んでばかりでは社会は成り立たない。当然、社会に対する奉仕者がいなくてはならない。しかし、誰も自主的に奉仕したいとは思わないものだ。これも仕方がないところ。そこで、頭領たちは話し合い、部下の天狗たちに次の役を課すことにした。
一.常役(四勤三休、週四十八時間の労働。お盆正月休み無し。下っ端天狗を中心に構成。常時募集中)
二.季節役(頭領の命に従い、一年の内三ヶ月間、任に従い奉仕する。出勤体制は仕事次第)
三.自由役(年に六十日以上奉仕活動に従事する)
なお、常役に従事するものは、季節役と自由役を課せられない。要するに、一か二+三のどちらかだと言うこと。
そして今年の季節役は、夏。姫海棠はたての憂鬱は此処にある。ついでに暑い。これも憂鬱の種だ。さらに今年は兵役が課せられている。デスクワークは自由役で充分足りるとのことだ。
「はぁ、取材行きたいなぁ……折角、やる気になってるのに……」
記事を書く暇がない。これは彼女にとって一大苦痛である。それも今年は特に。かつて無いほどに、記事を書きたい欲求が強いのを感じるのだ。
(あの特集は、絶対に良いものになる!!)
(どうしても、あの特集は、完全な作品にしてやらなくっちゃならない!!)
しかし現実にはやらねばならないことがある。そのため、記事の作成は一時停止状態となっている。それがどうしても耐え難くて耐え難くて仕方が無いのだ。
そんなフラストレーションが爆発したのだろうか。彼女は一大決心をする。
「ねぇ、貴方!」
一緒に守衛の任務に就いている友人へ提案する。
「連休、欲しくない?」
さて、先ほども言ったとおり、天狗社会は基本的に気楽である。ルーズである。それ故、彼女達の提案が受理されたのもおかしなことではない。
「八日連続で夜警の任に就くので、六連休を下さい!」
「ん~。いいんじゃない?」
万事この通りである。仕事さえやってくれれば、細かいことはいいやと言うのが上司の判断であった。もちろん、はたてたちも、自分たちでスケジュール調整をして、問題が起きないように配慮していたことは一言添えておこう。
「えへへ、夏は是非ともあそこに行かなくっちゃね」
そう言って彼女は、押入れから浴衣を取り出す。さて、ピンクのかわいいこの浴衣にしようか。それとも、無難に青のこちらかしら。
「う~ん、青のほうが涼しげでいいかな?色合いも、ピンクだとちょっと浮く気がするし……」
もう連休が待ち遠しくて仕方ないのだった。
竹林。青々と茂り、如何にも涼しげな緑の世界に白が舞う。此処迷いの竹林には、多数の兎が生息している。その兎の親玉が、因幡てゐ。永遠亭へは、彼女が案内してくれることになっている。事前に約束した場所へ向かうと、そこにはもう一人、鈴仙さん(鈴仙・優曇華院・イナバ)が待ってくれていた。
「うわぁ、かわいい浴衣ですね。いいなぁ。似合ってますよ」
日常の小さな幸福を汲み取る才に長けた女の子が、浴衣姿を見逃すわけがない。早速話のきっかけを作ってくれた。
「えへへ、そうですか?有難う御座います。取材に来て置いて、浴衣は良くないかなぁっとも思ったのですけれども、夏に竹林の緑って、涼しげでいいから、一度浴衣で、雰囲気だしてお散歩とかしてみたかったんですよ」
「いいですね。私も、帰ったら着替えようかなぁ」
「あ、いいですね。そうしたら、一緒に写真を撮りましょう!良い記念になります」
そうして花を咲かせていると、もう一人の女の子が、しっかりと別の幸せを発見してみせる。
「……こいつなぁに?」
そうしててゐさんが指差すのは、携帯ストラップの人形。
「あ、そのお人形さん。かわいいですね。えっと、それって、はたてさんのお人形ですよね?」
「そうです。これはアリスさんから貰った『はたてちゃん人形』ですよ。よかったら見てください。細かいところまで拘っているんですよ」
そうしてお二人は『はたてちゃん人形』に夢中です。アリスさん有難う御座います!これで掴みはばっちりです。場も和やかで、これは丁度いいから、永遠亭に着くまでお二人にお話を伺うとしよう!
「ふぅん。『創作論』ねぇ。ブン屋は色んなことを考えるものだねぇ」
「いいですね。面白そうな企画じゃないですか!」
大体、このお二方のどちらかの反応を頂けるこの企画。嬉しいのは、てゐさんのような反応をされる方も、ニュアンスが「なるほど、面白いじゃないか。」であること。「え、何それ?」みたいな反応だと、取材するのが辛くなるし、企画を止めたくなるからなぁ。
「それで、お二人にもご意見を伺いたいと思いまして。お二人は何か、創作をされていたりはしませんか?」
「やらないことは無いね。そうだなぁ……それじゃ、七歩の間に、竹林を題材に、私達に相応しい詩を詠んであげるよ」
「おぉ、それは面白い!では、お手前拝見」
そうするとてゐさんは、何とも軽快に、ぴょんっぴょんっと飛び跳ねて、あっという間に七歩進み、くるっと振り返って、
竹の林のたけのこは
掘れば黄色い房がある
紫いぼいぼ たけのこは
掘ればその根に土がある
うちの林のたけのこを
兎といっしょに 掘りましょう
竹の林に姫さまと
永琳師匠思ってる
と詠んでみせるのだった。
「おぉ、お見事」
まぁ、最初から創ってあった詩だろうけれども、中々雰囲気がいいじゃない。と思っていたら、鈴仙さんから、「てゐ、それ盗作」とのご指摘が。あらら、流石は兎詐欺……。
「盗作じゃないよ!本歌取りだよ!」
とてゐさんが反論しても、
「半分がそのままじゃ、盗作といわれても仕方ないわよ。それに、元の詩は、『紫いぼいぼ たけのこは』が、次の『すみれ添えましょ おくりましょ』と、紫色で繋がっていて見事なの。そこがてゐのは、紫と白でバラバラになってて、劣化してるじゃない。せめて、そこを白か紫であわせないとダメだよ」
などと見事に鈴仙さんは返すのでした。
鈴仙さん、もしかして詩に詳しい?
「それじゃ、鈴仙が作ってみなよ。本歌取りで」
「えぇ?なんでそうなるかなぁ」
と言いながらも、七歩のうちに詠むことには、
迷いの竹のたけのこを
春になったら掘りましょう
雪をかぶった たけのこを
掘ってもだめよ まだ早い
春になったらたけのこを
兎と一緒に掘りましょう
雪をふみふみ 竹林で
姫様師匠を思ってる
「ど、どうかな?」
「おぉ!見事な本歌取り!うまいじゃないですか?」
「そ、そうかなぁ?えへへ」
「ちぇ。つまらないの。芸人失敗だね」
「誰が芸人よ!」
と、女三人寄れば賑やか。詩の華も咲いて、記事には持って来いだなぁ。連休をとって取材に来てよかった!
さて、この調子で、もう少し突っ込んで聞いてみよう。
「ところで鈴仙さん。もしかして、詩の創作とかやってたりしますか?」
「え、いや、別に創作はしてないんです。ただ、詩とか、童話は最近良く読むんですよ。この前、香霖堂で、『赤い鳥』って言う本がおいてあって、それに載ってるから、あぁ、いいなぁって思って」
「へぇ。『赤い鳥』ですか。外の世界の本ですよね?」
「えぇ。そうみたいです。すごく良い本なんですよ。童話と童謡が載ってる本なんですけどね。どれも純粋で、夢があって。子供達に読ませてあげたいなぁって思うような。実際に、お子さんに読ませてあげたいと思える児童文学がないから、自分たちで作ろう!って思って、出来た本みたいなんです」
「おぉ。それは、豪気ですね。そしてやさしい」
「作品も、やさしいのが多いですよ。純朴で飾らず、心に響くんです。だから好きっていうのもあるんですけど、ほら、私達も、里の人と仲良くしていかないといけないし、薬売りの仕事があるじゃないですか?越中の薬売りは、諸国行脚の土産話を商いの頼りにしていたらしいですし、それにならって、童話とか童謡とか、教えてあげたらいいかなぁって」
「なるほど!それは良いですね。すばらしいアイディアですよ」
「えへへ、有難う御座います」
「流石は鈴仙。あざといね!」
「あざといって何よ!」
こんな感じで茶々を入れられるのは、もうお決まりと言った感じ。身近な者同士、家族特有の無遠慮なやり取りが心地よく微笑ましいなぁ。最近、創作に触れることが多いからか知れないけれども、何だか身近にある小さいことが、すごく幸せに感じることが多くなって来た気がする。感受性が高まっているのかな?
「ただ、そういう感じで、創る側じゃないので、どうも創作論とかは無いですね。ごめんなさい」
「いえいえ、そんな。しかし、立派なことですよ。頑張ってくださいね」
「はい」
と言ってにっこり微笑む鈴仙さん。健気でかわいいなぁ。
とそこで、少し前を行っていたてゐさんが振り返り、笑って言うには、
「どんな創作も、語り継ぐ人がいないと意味がないけどね」
とのこと。
「なるほど!確かに。語り部がいなくては、創作も知られず価値が発揮されませんね。てゐさん、良いこと言いました!深いですね!」
「まぁ、たまには助けてあげないとね」
と言って、自信有り気に微笑む。
「重ねてきた年輪が違うさね」
そう言って、また前を向いて、先に行くのでした。
遠目に永遠亭が見える。日の光は、丁度向こう側から、竹林の合間を縫って差し込んできて美麗。光輝は先導の兎から、後を追う兎へとかかる。
「たまにああだから、憎めないんですよ」
それはそれは、幸せそうな笑顔でした。
十
竹の青はこうも涼しげであったろうか?永遠亭に到着すると、てゐさんの案内を受けて、客間へと案内された。そこには既に、主人である蓬莱山輝夜さんが、優雅に孔雀団扇を扇いで、
「あら、いらっしゃい。」
と、私を迎え入れてくれた。
「かわいい浴衣ね。私も、たまには着てみようかしら?」
そう微笑を携えながら、
「涼しげで良いわ。今日の様な暑い日は、特に」
と続ける様には、微塵も暑さを厭う様子は見られない。
「その青は、実に竹の青に映えて良いわね」
と言って、左手側に開かれた、竹林の押し並ぶ景色を見る。彼女に向かって正面に座る私は、彼女につられて、右手に広がる竹林の光景を見る。が、先ほどまで目の当たりにしていた、やや薄影にほのかな光を放つ女性と、その後ろにいけられた朝顔を、それは竹を器として、淑やかに頭を垂らしていた様を、瞼に見ていた。
空虚に私は、
「竹林に合わせて、涼しげに見えるかと思って、着て来たんです」
と、どこか心に、厭味な涼しさを覚えながら答えた。
(私って、思ったより、意気地の悪い女だったのかなぁ)
創作は人の心を育む。が、それは、時に理性の統御を超えて、鋭敏な感性を養うものでもある。意気地の悪さも、人括りには出来ない。ある人はその性質が捻じ曲がってそうなるが、ある人は直すぎる心がそうさせるのだから。その違いはどのように判別し得るのだろうか?長く生きて、善良さを増す者はそれを知っている。心の捻じ曲がった者は、己の悪徳を顧みない。が、直き者は、己の悪性に敏感である。
「ねぇ、イナバ。何か氷菓子でも、用意させて頂戴」
そうてゐさんに命じて、彼女は扇いでいた団扇を下ろし、
「よく来てくれたわ。私、暇を弄んでいて仕方がなかったのよ」
と、少し身体を崩し、やや砕けた様子で話しかけて来た。
「それで、どんなお話でしたっけ?」
そう問いかけられると、ハッとして、
(そうだ。ちゃんと取材しなくっちゃね)
と、気持を改めて、私は特集の概要を説明し、彼女の創作論を尋ねた。
「なるほど。創作論ね。面白い特集だと思うわ。それで、既に何名か、話を聞いているのでしょう?よかったら、その話を聞かせて貰いたいわ。一緒のだと、なんだか体裁が悪いし、貴方も面白くないでしょう?」
「いえ、そんな。同じものがあっても、私は良いと思いますけれども。ただ、そういうことでしたら、今までの取材の経過を説明しますね。例えば……」
そうして、説明をしているうちに、冷たいお茶と、氷菓子とを、鈴仙さんとてゐさんが持って来てくれた。その後は二人も加わって、賑やかなお茶会と相成った。しばしば話というのは、対面して真面目に論を交わすよりも、雑多な雰囲気の中でこそ熟成され、有意義なものになる。雰囲気は心安く、飛び交う言葉は、平易なもので、高遠な発想は無いかも知れない。が、その代わり、舌は熱く魂がこもる。そういった話し合いの席は、その日、すぐに実りを上げないかも知れないが、他日、ふと思い返し、考えねばならない何物かを残してくれるものだ。人生の豊かさは、そういった過去の積み重ねにあるのかも知れない。そうしてその豊かさこそが、創作者にとって、もっとも大事なものかも知れない。
「確かに永遠の価値を持つ創作はあるものよ。それは、人のこころの純粋なところに触れた作品です。そういった作品は、どれだけ長く時間を経ても、どれほど遠くの人に触れてでも、変わらぬ普遍的価値を持つものだわ。そういった作品を作れる人は、きっと、人生を愛しているのでしょうね。人生に対する、強く変わらぬ関心こそが、そういった真の価値を持つ創作を作るのです」
そう言って、彼女は最後、こう付け加えた。
「憎しみですら、愛の変形にすぎないのかも知れない。」
十一
創作者の特権と義務に基づき、私はこの前編を終える前に一つの事実を語るべきである。即ち、パチュリー・ノーレッジの過去を。読者はこの作品の序にあたる部分で、またそれに直接関連する第二節において、彼女の懊悩を垣間見たことを思い出して欲しい。それは、このように、作者と、読者との対話を通じて以外には語られることの決して無い事実であるから、此処に特別の節を設けて述べるのである。
誠実な者は、しばしば打ちひしがれる。そうしてそれは、誰にも罪を求めることができないものである。パチュリー・ノーレッジは誠実であった。彼女は学問を愛した。知識を知識として、それを如何に利用するか、そういった計算とは別に、ただ知を知として得て、蓄積する。そういった行為もまた、尊いものであると信じていた。そうして、その行為は、尊いものである以上、尊重されるべき真理であると信じていた。それは事実らしかった。少なくとも、百年の時は、それに異論を挟むものではなかった。が、彼女は、喜ぶべき新転地にて、喜ぶべき知人から、その在り方に異論を唱えられた。最もそれは、より穏当な言葉で表現すべきものであった。が、それが彼女をいっそう傷つけた。彼女はただ知識を得ることに幸福を感じていた。そうして、上述した通り、それに誇りすら感じていた。それが、どうやら、他の者からすると、詰まらない在り方に見えるらしかった。もっと率直に言えば、悲しむべき生き方らしかった。そうしてそれは、親愛と善意との心から発せられた言葉であった。それが彼女の自尊心をいっそう傷つけた。学問を修めた人間は、一種の尊さと賢さを持つ。彼女は、恨むべきものが何処にも無いことを理解した。それはいっそう、絶望的であった。
しばしば賢者は、常人が理解し得ない愚かな失敗をするものである。彼女もその一人であった。彼女は世の中の殆どの苦悩は、打ち明ける意味の無いものであることを知っていた。と言うのは、彼女は、当事者以上に優れた解を導き出せるものの少ないことを知っていたからである。特に、彼女自身のことについては。それ故、彼女は、苦悩を打ち明けた経験どころか、相談をした経験すらもなかった。人に己のことを、自発的に語った経験すらなかった。それらは、求められて答えるものであった。それ故、導き手は常にあった。
彼女が人生で始めて、悩みを打ち明けたのは親友であった。それは妥当な人選であった。時を選ぶことは間違いなかった。親友は、最も優雅な心地のするとき、即ちガーデンで、紅茶を嗜んでいる時、相談を持ちかけられた。場所も、上述した通り、ガーデンで、二人きりであったから、適当だった。が、彼女は誤った。相談すべきではないことを相談したのである。その相談の内容とは、詰まる所、当たり前すぎる内容の相談だったのである。それは、「私は詰まらない者だろうか?」であった。
さて、この問いに対しては、諸君らであればどう答えただろうか。
彼女、パチュリー・ノーレッジは、彼女が自覚する通り、詰まらない者であった。書に噛り付く虫だったからである。が、さて、そうであったからと言って、諸君らであれば、
「全く君は詰まらない奴だ。」
と返事をするだろうか?私はしないだろう。そうして、レミリア・スカーレットもしなかった。当然のことである。では、どうしたであろうか?事実詰まらない者に対しては投げ掛けられる言葉は、大体のところ、
「そんなことはないさ。」
と言った、優しい嘘であるか、
「そんな詰まらないことを悩むべきじゃない。君なりの良いところがあるさ。」
とでも言った、激励の言葉であろう。が、それらは結局、どちらも同じことである。つまり、詰まらない人間であることを肯定しており、それを、労わりから隠している点で。そうして当人は、簡単にその嘘を見抜くものである。それが、悲しいかな、絶望的な結果をもたらすのである。
これ以上は言葉を費やすべきではないだろう。簡潔に纏めよう。
パチュリー・ノーレッジは、知識を尊び、ただそれを得る生き方をしたかったのだ。が、それを、悲しい生き方だとして、理解されない、そういった現実に、つまりは幻想郷に、彼女は絶望したのである。彼女は、大衆が良いとする生き方をはるかに越えて、真剣に生きたかった。それが、否定されてしまったのである。だが、何処にも恨むべき対象がないことを、彼女は理解していたのである。それが、いっそう絶望的であった。
・文章は読みやすいほうだと思う
・会話文の最後に句点があったり、なかったりする
・"こと", "ところ" が開かれているのに "何故", "是非" が開かれていないので、少し違和感があった
・心情描写に比べて情景描写が極端に薄い(頭の中でイメージするのが難しい)
と感じました。あまりうまく表現できないのですが、何よりも一番に感じたのは、作者様の主張の強さであり、
それに比べてストーリーが置き去りになっている印象がありました。
例えば、主人公であるはたてを文に置き換えた場合、ストーリーに大きな影響は発生するのでしょうか。
本作のテーマが、各登場人物へのインタビューを経由することによる主人公の心情変化であるならば、
・なぜ当初、はたては新春の新聞大会で上位入賞を狙おうと思っていたのか
・インタビューを繰り返すたびに、やりとりする会話の中で、はたての心情がどのように遷移するのか
と言った部分をもっと読みたいな、と思いました。(創作に対する疑問を持つに至る経緯)
不特定多数の読者は嗜好も様々ですので、一概に言えることではないのですが、自己の主張を目的とした場合、
敢えて『小説』という手段を用いるのであれば、そこには少なからず娯楽性が求めらるように思います。
(娯楽ではなく情報を求める読者は、たぶん論文なりに目を通すと思いますので……)
長々と手前勝手なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。
まだ前編とのことですので、続く後編でどのような結末を迎えるのかが楽しみです。
新人賞も併せて頑張って下さい。
>会話文の最後に句点があったり、なかったりする
改行をしない会話分には。を入れるのが、ある小説家のやり方だったので、それに習ったのですが、横書きに改める際に消し忘れていたようです。
>心情描写に比べて情景描写が極端に薄い(頭の中でイメージするのが難しい)
二次創作ならば、むしろ出来る限り省略し、読者のイメージと予備知識に頼るほうがテンポが良くなって良いのではないか?そういう発想が基にあって成り立つ構成になっています。まぁ、つまり、その発想は正解ではなかったのでしょうね。やっぱり、二次創作であろうとも、話の経緯であるとか、情景の描写はしっかりしなくてはならないわけですから、良い勉強になりました。
>何よりも一番に感じたのは、作者様の主張の強さであり、それに比べてストーリーが置き去りになっている印象がありました。
>例えば、主人公であるはたてを文に置き換えた場合、ストーリーに大きな影響は発生するのでしょうか。
この話は、創作論に関する博物学的な面白さを求めた小説でして、例えば久生十蘭が、戦前アメリカが国内でやって来た残虐な話を徹底して押し並べる小説を書いていますが、そういったタイプの物語です。
ただ、それを、論文のようにしてしまうと、大衆は読みません。
大衆文学の志とは此処にあって、大衆が中々理解できない、或いは滅多に見ようとしないそういった論を、身近な形で提供することで、国民精神の向上を実現する……別に上から目線ではなくて、一種愛国心の発露として大衆文学を志した先輩達があったわけです。
それが本物だと思うから、何とかそれに習いたいと思ってやってみたのですが、まだまだ修行不足ですね。
ちなみに、此処で出てくる論は、必ずしも私のものではありません。
例えば、輝夜の論は、私が得た論では在りますが、これは川端康成の論です。
八雲紫の論は、中島敦の『光と風と夢』に出てくる、スティブンソンの論に大なる影響を受けています。
これは自伝を丁寧に読み解いて書かれましたから、半分は中島敦の論で、半分はスティブンソンの論でなっています。
チルノの論は、中島敦の論ですね。
こういった感じで、何人もの論を噛み砕いて、自分なりに整理・統合して、各キャラクターの設定と違和感が無いようにして語らせたのが、この物語です。
ちなみに、はたてを文と置き換えると、一番最後、文に語らせる論が、如何にもふてぶてしいので、私の中のイメージとはかみ合わないのです。が、それ以外は、別にどっちでも良いという……言われてみると、よくよく考えねばならないことです。
>本作のテーマが、各登場人物へのインタビューを経由することによる主人公の心情変化であるならば、
>・なぜ当初、はたては新春の新聞大会で上位入賞を狙おうと思っていたのか
>・インタビューを繰り返すたびに、やりとりする会話の中で、はたての心情がどのように遷移するのか
>と言った部分をもっと読みたいな、と思いました。(創作に対する疑問を持つに至る経緯)
最も過ぎるご指摘です。博物学的な物語の展開に注力しすぎて、大事な部分をなおざりにしてしまっている感が否めませんね。
ですが、この部分をしっかりと加えていけば、娯楽性も大分高くなる気がします。つまり、はたての成長物語にしたら良いわけです。
ですからこれは、自分の大なる課題として、改善していこうと思います。
実は私も、この娯楽性に大分苦心していて、色々試行錯誤をしていたのです。
その一つの試みとして、二次創作をやったり、童話を読んだりしたわけですが、どうも形式上の問題にばかり気をとられていた気がします。
他の話を上げるのは何ですが、私が書いたもので、例えば『藤花の祈り』では、慧音先生が藤棚の下にいる場面を非常に頑張っているくせに、細かい話の挿入を怠って、論が軽くなっていますし、『水と空と夜と』なんて、もう形式上の関心ばかりで作られてしまっていて、大切なものがぽっかり忘れ去られている話になっています。
その都度その都度テーマを持つのは悪くはないことでしょうが、まだまだ未熟ですから、大事なことを忘れがちになってしまいます。この話も、とても大事なことを置き去りにして、資料集めを頑張っていたわけですし。
そんなことだから、新人賞の方も、原稿用紙70枚以上書いて、全編書き直しとかしないとダメになるんですねぇ。
でも、今後の課題がはっきりしたので、新人賞の原稿にもこれをフィードバックさせて、頑張ろうと思います。
本当に参考になるコメント、有難うございました。