16時間34分27コンマ859秒! 16時間34分27コンマ859秒である!
16時間34分27コンマ859秒の長きにわたり、続くに続いた弾幕地獄を彼女は耐え切ったのである! 拍手!
最初に宣告された、24時間戦えますかジャパニーズビジネスマン地獄は、「飽きた。 寝るー」等と言う御釈迦様でもオンドルルナメトッツヌッコロッソォウォオ!?と長ドス振り回して追いかけてきそうなヘナヘナ台詞を持ってして、その幕を閉じたのであった。
ああ情けない情けない。 悪魔か魔神かしらないが、時計の短針が2周する前にへばってしまうとは。
かつてバブル華やかなりし頃、日本のお父さん達は残業代バカバカ貰って日夜問わず働きまくり、ジャパンアズNo1を自負して家族のために家を建て、車を買い、無駄に高い土地に資産をぶち込んで財を成していたものである。
それに比べて最近の若いものときたら。 一箇所で留まりながら働いているにもかかわらず、サモン・日付変更線の秘術を用いて一泊三日連続勤務体制残業代無しでも会社は赤字状態が普通でボーナスカットであるから、どこぞの新聞の社説で働く意欲のない若者急増、少し仕事がきついとすぐに辞めてく根性無し揃い等と揶揄されるのである。
御免なさい、僕あの時初めて心から人を殺したいと思いました。
閑話休題。
想像を絶する地獄を乗り越えて来た魂魄妖夢は、白玉楼へと戻っていた。
不気味な程明るい満月の影が部屋の闇をやわらかく払い、あかりを灯さずとも部屋の様子を伺い知るには十分であった。
心身共に疲労極限である筈の、しかし今部屋の真ん中に座を正し、目を瞑りながらも一分の揺らぎもなく瞑想を続ける妖夢からは、先の戦いの激しさを伺い知る事は出来ない。
彼女がこの部屋に入り半刻程たったぐらいか、彼女は静かにその目を開ける。
生きること、その全て拒絶するかの如き死線を掻い潜ってきた目には、その奥に確かな、そして何者にも劣らぬギラギラとした生がはっきりと燈っていた。
「御師匠様・・・。 おそらく不肖の弟子とお嘆きになっている事でしょう。
私の霊格は・・・、私は冥界の誇りを取り戻す事はおろか、咎人にその咎を刻み付ける事すら、できないでいます・・・」
静かに語る妖夢の、その固く握り締められた拳がわずかに揺れていた。
誰もいない部屋、誰に向けられている訳でも無い言葉。
それに耳を傾けるのは、妖夢の前に鎮座している古ぼけた鎧、ただそれのみ。
どこからか流れてきた雲が無粋にも月の前を通ったか、辺りが一時闇につつまれ、雲はその非礼を知り、恥じるように月の前を足早に立ち去ったのだろう。 幾許の間もおかず再び部屋が青白いやさしい光に満たされる。
その本当にわずかばかりの闇の中で、妖夢の四肢は古ぼけた鎧につつまれていた。
「御師匠様。 この魂魄妖夢、不肖の弟子なれど、さればこそ今一度その背を見失わぬ様、その御背中の後を追わせて頂きたく思います」
ガチャリと音を鳴らして、甲冑は己の胸の前で掌を合わせた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あっ、妖夢か」
「・・・・・・・・・」
いつのまにか、音も無く後ろの襖が開いていた。
そして妖夢の耳朶を深く打つ、たった数週間会わなかっただけで懐かしく感じる、春の日差しを思わせる主の声。 温度が高めなためか、多少ピンボケしているのはこの際無視だ。
「・・・幽々子様。 申し訳ありません。
祟りは未だ成就せず、冥界の誇りも取り戻せぬまま、ここに戻ってしまいました・・・」
「へ? まだアレやってたの?」
あ、今なんかとんでもない事言った。
「お言葉無用!」
しかし主の声を、妖夢は己の意思を持って排した。
懐かしき白玉楼での日々、その無茶な思いつきにしばしば腹を立てた事もあったが、しかし心の底で妖夢は、一度たりとも春の陽だまりを思わせるその笑顔を煩わしいと思った事等ない。
嬢のために尽くせよ。 それと意識しなかったが、それが師の別れの言葉だった。
しかしそんな念押し等必要はない、妖夢は幽々子の事を心から・・・
だからこそ、今主のその耳に入れれば、あの幸せだった日々を思い出せば、再び地獄へと固まった覚悟は砕けてしまうだろう。
・・・・・・・・・そらあ砕けるわな、いろいろと。
「幽々子様。 長く屋敷を空けてしまっている事、庭師として従者として至らぬ事申し訳なく思います。
しかし、しかし今一度。 地上に赴くことをお許し下さい」
「え、また行くの?」
悲壮な決意と共に部屋を出ようとしていた甲冑の、その冷たい背を呼び止める、やわらなか声。
この場では振り向かぬ、そう決めていたが妖夢だが、だがしかし彼女は主の方を振り向いた。
振り向いた妖夢を見て、その兜の下、死地に赴く武士の、その気迫が見せた眼光に気圧されたか、幽々は一歩後ろに下がった。
ぶっちゃけ妖夢が般若の面を被っていたので、それにびっくらこいただけなのだが。
妖夢は、主を見た。
とろんとした目、ぼんやりとして締りの無い口元、手に引きずられている大きな枕。 つまり寝起きのまんま。
妖夢は思った。 私はこの人(だったもの)の顔が惜しくてふりむいた訳ではない。
二度と会えぬ故、忘れぬように振り向いた訳でもない。
この人の、この柔和な顔の元へ必ず戻ってくる。 それを決意するためだ。
「この魂魄妖夢。 あなた様にお仕えする、霊にございまする・・・」
その言葉を残して妖夢は再び白玉楼を去った。
安住の地に、守るべき春を残して・・・。
時同じくして、世界の境界に存在する神社の管理人は「・・・なーんか嫌な風が吹くわねー」と、呟いていた・・・・。
―― 望月の 影招く道の 燈篭を
その道筋の 松は哀れむ ――
□□□
がちゃりがちゃりと、仰々しい音を立てて甲冑が妖館を歩く。
禍々しい影はその行く手が右側、一つの扉の前に立ち止まり、ゆっくりとそれを開ける。
「ここかぁーーーーっ! ・・・違うか・・・」
低く、静かに、しかし周囲に響き渡る異形の声。
その声の主は、面は般若、頭は悪鬼。
がちゃりがちゃりと体を揺らし、次の扉へ。
その恐ろしき声は、骨の髄まで染み込んだ憤怒がため。
思い出す、闇にのまれる前に、最後に見たあの女の――にやついた――あの女の――冷酷な――あの女の――艶やかな――鬼のような――あの女の・・・・。
「ここかぁーーーー!? ちがうか・・・」
低く、太く、響く声。
でも静かに閉められる扉。
ついに妖夢は幽々子より授かった奥義書のうち、禁書とも言える辛口に手をだした。
トラウマになるかと思われる程の先霊達の偉業の中でも、もっとも恐ろしかった話を抜粋して思いついた作戦がこれ。
夜寝ていると、自分が殺したはずの人間の声が『ここか? ちがうか・・・』と一部屋一部屋確認するように近づいてきて、最後の最後に自分の部屋に来て『こぉこぉかぁーっ!!』って寸法である。 これは怖い。
鬼は、最後から一個手前の扉を平謝りしながら閉めると、残る最後の扉の前に立った。
―― ここにあの女はいる。
吊りあがる夜叉の口元。
あの女は、おそらく気付いているだろう。
だがそれでいい。
さぞや肝を冷やしている事だろう。 自分は泣いた。 しばらく夜厠に行けなくなった。
―― 今夜は勝たせてもらうぞ! 十六夜 咲夜!!
「ここかぁーーーーーーーーー!!」
大喝一声! 羅刹は扉を開けた!
そこに待っていたのは、当然にして無数の投刃・・・・・・では無かった。
思いもよらぬ光景。
あの地獄の住人を思わせたメイドが部屋の隅でガタついている・・・・・・訳がない。
その赤い鮮華は、白いキャンバスを野放図に飾り。
その白き眠りは、すべてのうさを忘れたかのように静かで。
窓からさしこむ月明かりのカーテンを、しかしその目は何も見ていない。
人形のような目、なにも見てない目。 ただ開かれているだけの目・・・。
鬼が挙げた咆哮が消え、その後に残った音は、ポたり、ポたり・・・とその寝床の裾より零れ落ちる紅の雫のみ。
「う・・あ・・・うあああっ・・・・!」
いままで猛り狂っていた鬼の、うってかわって情けない悲鳴は甲冑のついたしりもちの音で後半掻き消された。
静かな死が、妖夢の目の前にあった。
「誰か!! っだっ、誰かーーーーーーーー!!」
被っていた般若の面をかなぐり捨て、妖夢は走り出していた。
叫びながら、助けを求めながら。
なぜ憎かったあの女を自分が、しかしなぜあの女が。
そう思うと、だからそうせずにはいられなかった。
走る呼ぶ叫ぶ。 だが、どうした事かあれだけいた筈の従者連中が誰一人として表れない。
妖夢はかたっぱしから廊下にある扉を開けていく。 縋るように祈るように、だが・・・。
ものけのから。
だれもいない。
だれも答えない。
広い屋敷の中、動くものは、ただ自分と自分の半身とそして・・・。
一際大きな扉があった。
妖夢はその扉に手をかけ、僅かに安堵の息を漏らす。
その中には、何者かの気配が存在していた。
おぼれるものが藁をもすがる勢いで扉を開ける。
「たっ、ったったった! 大変です!! 大変なんです!!」
「・・・あら、あなたは」
扉の中に居たのはこの妖館の主、紅い悪魔、レミリア=スカーレット。
「たいへっ! 大変です!! あの女ッ・・・! 咲夜が! 咲夜・・・様が!」
「はぁ?」
紅で色取られた世界、柔らかい椅子にゆったりと身をもたせかけて、窓から望む月あかりを楽しんでいたレミリアは、ノックもなく飛び込んできた無礼な鉄達磨にその至福の一時を邪魔されて腹をたてたか、にわかにその眉を歪めた。
「咲夜様が! 死んでッ死んでいるのです!」
しかしそれに臆することなく、妖夢は叫んでいた。
肩で荒い息をつきながらも、妖夢はこの館で最も力を持つものに、その事実を告げられた事を幸運に思った。
もしかしたら、この強大な力を持つ悪魔ならあの女をなんとか出きるかもしれない。 そう思ったからだ。
しかし・・・。
「あはっ、あははははははっ、あーっはっはっははははは」
「れっ・・・レミリア・・・様?」
突然嗤い出した。
悪魔が、その禍々しい2本の鋭い牙をむき出しにして、漆黒の羽を揺らしながら、心底愉快そうに嗤い出したではないか。
「あははははっ。 あなた、面白い事を言うわね。 久しぶりに面白かったわ。
咲夜が死んでいるなんて、あの咲夜が死ぬなんて出来の悪い冗談を・・ククッアッハハハハ!」
いつもの彼女を知る人間が見たらどう思うだろうか? きっと気がふれたと思うであろう、実に朗らかな、実に楽しそうな悪魔の嗤い声。
だが妖夢は引かない。
「良いからこちらへっ!」
「あっ!?」
その光景を見たら、それこそ紅魔館の従者達は肝をつぶし取り乱したであろう。
500年の永きにわたって存在してきた悪魔の白い手を、妖夢はためらう事もなく引っぱって咲夜の部屋に走り始めた。
「いっ、痛い痛い! ちょっと待ちなさい!」
「しばらくのご辛抱を! 時は一刻を争います!」
長い長い廊下を駆け抜け、自分が開けっ放しにしてきた扉が見えてくる。
やはり夢ではなかった。 あの扉の向こうの現実を、この悪魔が見たらなんというだろうか・・・。 答えは直ぐに出た。
「・・・・・・・・で? ここに何があるの?」
「え? ・・・・あ、あれ?」
部屋は、ものけのから。
流れる紅も、眠る白も、そこには何一つ存在していなかった。
綺麗に整えられたベッドと、瀟洒な調度品。
壁にかざられている大小さまざまな小太刀が、ここがあのメイドの部屋である事を物語る。
そんな、確かにさっきは・・・・・・・・ッ!!
ゾクリ、と。 妖夢の背中に寒気が走った。
振り向けば、そこにいるのは自分が招いてしまった紅の惨禍。
嵌められた! 妖夢がそう思った時にはもう遅い。
赤い瞳は怒りに揺れ、吊りあがった口元から伸びる牙はそれこそ悪魔のもの。
つかつかと歩み寄ってくる、その力は幻想郷一といわれる真紅の脅威。
「れッ! レミリア様! 違います! 私はあの女にたばかられてそのあのっ・・・!」
取り乱す妖夢の、その頬を押さえつけるように悪魔の手が踊り・・・。
「まあいいわ。 あなたは、この間わたしの妹とずいぶん遊んでくれていたみたいだから」
「・・・・・っ!?」
その悪魔の手が二度三度、恐怖にひきつった妖夢の頬を、ひどく愛おしそうになであげて、そして踵を返した。
「ちょうどね、あなたの桜餅とお茶を楽しみたいと思っていた所だったの。
すぐに持ってきてね。 それでチャラにしてあげるわ」
悪魔はそう言って楽しそうに嗤うと、暗い廊下を踊るように戻っていった。
その背が完全に見えなくなるまで見送ってから、妖夢はまるで全身の骨が解けたかのように、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「・・・・なによ。 あのお嬢様にもすっかりバレてたんじゃない」
ひゅうと、あいも変わらずどこから吹き込んで来るのかわからないスキマ風が、ぼんやりとした愚痴を運んでいった。
□□□
カタカタと音を立ててワゴンを運ぶ。 その上には西行寺家秘伝の桜餅とお茶。
玉露は熱湯でいれてはいけない。 これ定説である。
しかし完全武装の甲冑姿でワゴンを運ぶメイドと言うのは異説である。
そんな作法はない。
だが彼女は、さすがに兜は脱いで半身にかぶせているものの、敵地のどまんなかで甲冑を脱ぐ訳にはいかなかった。
本当はほっぽらかして逃げ出しても良かったのだが、例え敵の姦策に嵌ったとは言え、迷惑をかけた以上償いはしなければ、そうしなければ気がすまなかった。
しかし、思い返せば思い返す程腹立たしい。
敵を騙すには味方から。 とはいえ、まさか自分の主をダシに使ってくるとは思わなかった。
紅魔館の面々が姿を見せないのは、おそらくこれも咲夜の手の内なのだろう。
妖夢はお茶を運びながら、それでいて周囲への気配りは怠らない。
巧妙に張り巡らされた敵の罠、しかし一番の肝は思惑をはずれたらしい。
ならば、第二第三の仕掛けがあってもおかしくは無い。
もっとも、少なくとも今この廊下にはその手の物騒な手合いはいないようだが・・・。
「さすがに、お嬢様のお茶を襲う程無粋じゃないって訳ね」
だがしかし、紅魔館の従者達は未だにその姿はおろか気配すら見せない。
敵が徹底抗戦の構えを崩していない事が、手に取る様に解る。
長い夜になりそうだ。 妖夢は嘆息しながらレミリアの部屋の扉を敲いた。
「レミリア様、お茶をお持ちいたしました・・・」
仰々しく、傍からみたら滑稽この上ない程かしこまって甲冑は扉の前で礼をした。
だが果たして、今度はその扉の中から声が返って来る事はなかった。
そのまま固まる事数分、滑稽さも虚しさも100倍増しである。
□□□
妖夢は慎重に暗い廊下を歩く。
未だに何者の気配を感じ取る事は出来ない。
ゆえにこの広い妖館は、いっそう不気味に思えた。
手には、メイドの部屋から失敬してきた適当な長さの小太刀が二振り。
さすがに扱いなれた双剣の代わりと言うわけにはいかないが、それでも四面楚歌のこの状態で、無手で嬲られるよりはマシである。
しばし部屋の周りを探し、お茶が冷え切ってしまうまで部屋で待っては見たが、館の主はそこに戻る事はなかった。
今思えば、無人の館にただ一人いた主の、その不自然なまでに温厚な態度は罠の一環だったのかも知れない。
そうと解れば、こちらも覚悟を決めなければならないだろう。
階段を一つ下りようとして、そこから妖夢は急に廊下に引き戻して姿を隠し、息を殺して神経を集中させた。
暗い階段を、明かりももたずに何者かが階段を上がってくる気配がする。
集中していたからこそ拾えた気配だ。 かなりの手練れである事が伺える。
そろり、そろりと近づいて来る気配を見失わぬよう、己の神経をすべてフル回転させて様子を伺う。
しかし、まるで時が止まったような気持ち悪さを感じた次の瞬間、その気配は突然にして妖夢のすぐ側まで近寄ってきていた。
「・・・・・・・・・ッ!?」
鍛え抜かれた脊椎反射によってはじかれた全身のバネが、手にした小太刀をその気配の主に叩きつけようとして、しかしさらにその上を行く直感がその手を押さえた。
なんとそこに居たのは、全身から血をしたたらせた完全で瀟洒な・・・・。
「うわあああぁあああああああああああああああああっ!?」
しまった! だが悔やんだ時にはもう遅い。
戦意よりも恐怖に反応してしまった全身は、自然の法則につっぱるようにして無駄に動き、体位と言うものを考えず、むやみに突っ張った足にバランスを崩され、妖夢は無防備に尻から後ろに引っくり返った。
敵を目の前に、致命的な隙を作ってしまった。
妖夢はここ一番で判断を誤った自分を呪いながら、次に来るであろう衝撃に耐えるべくとっさに体を丸めた。
しかし・・・。
「・・・・・なにをしているの?」
予想した衝撃はいつまでたっても飛来せず、変わりに予想外のひどく幼い、そしてあきれ返ったような声が返ってきた。
「え? ・・・あれ?」
瞬き一つ。 確かにそこにいた筈のメイドの姿は無く、代わりにいつの間にか部屋から居なくなっていたレミリアがそこに居て、蔑むような目で無様に引っくり返っている妖夢を見下ろしていた。
「そ、そんな・・・、今確かにそこに・・・・」
「そこに・・・? そこに何よ」
何かいたの? と言った感じでキョロキョロと辺りを見回すレミリア。
彼女の態度が示す通り、どんなに神経を張り巡らせても今その場には妖夢とレミリア意外の気配はなかった。
「す・・・すいません。 その・・・」
「それよりもあなた、咲夜が何処にいるか知らない?
さっきから探しているのだけど、姿が見えないのよ」
ゾクリと、そのレミリアの質問に妖夢は戦慄を覚えた。
レミリアの様子には芝居臭さは微塵も無く、本気で自分専属のメイドが行方をくらまし、心底困っていると言った感じであった。
いやむしろ、夜中気付いたら側で寝ていた母親が突然いなくなっていたという幼子の状態に近い。 この悪魔の姫は、自分の腹心が何を企み、何をやっているのかを本当に知らないのだ。
それは即ち、咲夜の仕掛けた罠の完璧さを物語る。
「まったく何処にいったのかしら。
全くこの私に手間をとらせるなんて、これはちょっとキツイ御仕置きが必要のようね」
何も知らない悪魔は苛立たしげに腰を手にあて、嘆息しながらそう一人呟き、その後寒気すら覚えるような愛らしい笑顔をうかべて嗤うのであった。
「まったく、夜中に歩き回るもんじゃないわね。 疲れてしまったわ。
ちょっとあなた、咲夜を探して私の部屋に来るように伝えてちょうだい」
それだけ言い残すと、レミリアは再び闇の中へと姿を消した。
その背を、目線だけで見送った妖夢は、未だに自分が不恰好に引っくり返っている事を思い出して、ちょっと赤くなりながら立ち上がり・・・。
その時始めて、ぬめりとした感触が己の手にあった事に気が付いた。
「これは・・・」
紅い石が敷かれた廊下の、その上に敷かれている尚紅き敷物のさらにその上、ほんのわずかだが、紅い液体がこぼれていた。
先程の悪魔が、どこか怪我でもしていたのだろうか。
それとも・・・、いやいやそんなまさかまさか・・・。
妖夢は立ち上がる。 今夜は意外と短いものになるかも知れないと思いながら。
相手が何も知らないお嬢様をだしにつかうのであれば、こちらも同じく使ってやれば良いのだ。
□□□
「出てきな、いるんでしょう?
お嬢様がお呼びよ、今日は見逃してあげるから、さっさと行きなさい。 私は帰るから」
余裕たっぷりの挑発めいたその台詞は、完全に虚勢であった。
館から使用人の存在全てを消しておきながら、自分の主にその事を気取らせぬ程に張り巡らされた罠。 その罠の中に妖夢は完全に落ちている。
いつ自分をとりまく四方、その緋色の壁からおびただしい数の妖魔妖怪がとびだして来るとも限らない、逃げ場が無いほどの白刃が、突如として自分に向けて飛来して来てもおかしくない状況下で、しかし妖夢はそんな事等少しも恐ろしいとは思っていない。
なりは幼くとも冥界の重鎮白玉楼を預かる庭師、つまりお庭番である彼女が、こと殺陣事において気後れする事などは微 塵も有り得ない。
例え圧倒的に上回る戦力に蹂躙されるとも、戦で命を落すのであればそれは自分が至らぬ事。
主命を果たせず朽ちるのは悔やまれるが、それを恐れて逃げ出すのはそれを上回る屈辱である。
ではなぜ今彼女の声は、まるで怯えているかのように、苛立たしさに震えているのか?
呼びかけども呼びかけども、暗い館に虚しく響き渡る自分の声を、妖夢はひどく苛立たしく感じているのだ。
己の主まで欺いて罠を仕掛けている割には、その癖に酷くまどろっこしいではないか。
実際、自分を排除するだけなら機は何度もあった。 だが実際は妖怪一匹刃一つ飛来してこない。
館の主をして、その企みすら気付かれぬように館の住人をすべて不可視の存在にする。
それ程入念な罠を仕掛けておきながら、何かがゴッソリと抜け落ちている。
苛立たしい。
なぜあの忌々しい刃が飛んで来ない。
なぜ四方の壁に潜んでいるだろう従者達が、その妖力をむき出しにして襲い掛かってこない。
これではまるで・・・、まるでこの館に本当に誰もいないかのようではないか。
まさかと思い、しかしその可能性は否定できなかった。
まるで独り相撲のようなこの状況、至極気に入らない。
しばらく歩いた後、無意識の内に、いや意図的だったかも知れないが、妖夢は紅魔館の玄関まで来ていた。
このままその大きな扉の外に出れば、何事も無かったように外に出られる。
何故だ。 おかしいではないか。
あの女は、何のためにこれだけの芝居を打っている。
解らない。 あれだけいた従者、メイド、門番、司書、図書室の管理人・・・。
誰もいない。
この館には誰もいない。
何故だ。 解らない。 解らない・・・。
今日この館で出会った者と言えば、この館の主と、そして、血まみれの・・・。
と、玄関の前で考えあぐねていた妖夢の耳に、コツコツと何者かが背後の階段を玄関ホールに向けて下りて来る足音が飛び込む。
いよいよ来たかと、どこか期待しながら振り向けば、小さな体に大な花束を抱えてレミリアが玄関へと向かって降りて来る所だった。
「・・・すいません、レミリア様。 咲夜様を見つける事が出来ませんでした」
妖夢は、やや疲れた口調でそう言うと、レミリアに向かって頭を下げた。
もはや完全に気勢は殺がれていた。 よくよく考えれば自分の手の内が見破られている以上、もしこの場ではちあわせたとしてもその先はただ力と力がぶつかり合う闘争あるのみ。
怒りに飲まれ失念していたが、それではまるで意味が無い。
それは主が自分から双剣とりあげてまで念押しした事ではないか。
館の主は、そんな妖夢をさしてどうとも思わないのか、とりたてて彼女に一瞥をくれる訳も無く目の前を通りすぎようとした。
「私はこれにてお暇させて頂きます。 おそらく、咲夜様は私がいなくなれば姿を現すでしょう」
そんなレミリアの態度に、妖夢はいささか違和感を覚えたものの、だが構わず別れの礼をした。
咲夜が見つからない説明が出来ていなかったかもしれないが、だが自分がいなくなれば咲夜も出てくる。 それもまた事実だろう。
とにかく、この訳の解らない状況から一旦身を引こう。
恐らくあの女も、最初の罠である主が外れた時点でその後の仕掛けは考えていなかったのだろう。
むしろ妖夢の口から、レミリアをダシにした罠の存在を暴露されるのを避けているのと考えれば、少しは納得がいく。
そう考えると、不覚にも妖夢はうっすらと安堵の表情を浮かべてしまうのだった。
だが、そんな妖夢に対して、レミリアは今度はきょとんとした表情を浮かべて見上げ、何を今更と言った風にその事実を妖夢に告げた。
「何を言っているの? 咲夜なら死んだわよ・・・」
しかし、寝ぼけまなこのゆゆ様に萌え。