遠くでヒグラシが鳴いていて、真っ赤に焼けていた西の空は紫色になっている。
縁側から見る庭先に陰影はなく、しかし全体が色あせたように暗く、平坦でのっぺりとしたように見えた。庭石や木の枝は暗いのに、草や葉には不思議な光が残っているように思われた。その庭の草の中で、虫たちが騒いでいる。
さて、夕飯の支度でもしようかと腰を上げた所に魔理沙がやって来た。釣竿を持っている。
「そろそろ時間だぜ」
「嘘、今日だっけ」
「なんだ、忘れてたのか」
「うん。はー、まいったわ。ちょっと待って、釣竿出して来るから」
夜釣りに行く約束をしていた。月は出ていないし、雲も流れていないし、絶好の夜であった。
霊夢が釣竿を倉庫から引っ張り出して来ると、魔理沙は浮いた箒に腰かけて足をぶらぶらさせていた。退屈そうな顔をしている。
「お待たせ。行こっか」
「おう」
そうして二人連れ立って夜空を飛んだ。夏の盛りの手前とあって、顔に吹き付ける風も温かく、何処か締りがないように思われた。
空気の間を縫って、お星さまの光がちらちらと瞬いている。夜の灯りのない幻想郷では、夜空の星々は夜空を覆い尽くす。よそ見をしても交通事故はまずないので、霊夢は顔を上げて星空を眺めながら飛んだ。暗さが増すにつれ、返って星々の輝きは勢いを増すように思われた。
「ねえ、どの辺で釣るの?」
「妖怪の山の麓辺りが風も強くていいらしいぜ」
「じゃあもう少しね」
ひときわ大きな妖怪の山は、夜の陰影でシルエットだけになっていた。山があるというよりは、星空を黒く三角に切り抜いたように見えた。その中で、不意に一点の光が瞬いて、覆われたように消えた。それが山の麓に広がるようにちらちらしている。
ああ、みんなもう始めている。
霊夢も魔理沙も、何も言わなかったが、示し合わせたように飛ぶ速度が少しばかり早くなった。
山麓に降り立つと、木々の間を縫って風がびょうびょう吹いている。揺れた枝々の葉が擦れ合って、ざわざわと音を立てた。
「いい具合に吹いてるなあ」
「釣り針が揺れそうね。ちゃんとかかるかしら」
と霊夢が言うと、魔理沙は不敵に笑った。
「ふふふ、実は自分で揺らしちゃ駄目らしいが、風で釣り針が揺れる方がかかりはいいらしいんだぜ」
「へえ、そうなんだ。そういえばさっきもあちこちで光ってたものね」
いい場所を取ろうと、二人は連れ立って歩いた。斜面の切り株や、高い木の枝などに人妖問わず腰かけて、みんな釣り針を垂らしている。傍らには布をかぶせた籠が置いてあった。
どうにも先を越されたような気がしてならなかったが、場所が悪ければ釣れない。高い杉の木の天辺で頑張っている者を見て、魔理沙がにやにやと笑った。
「あんなとこじゃ駄目だな」
「高けりゃいいもんじゃないものね」
「そういう事」
「あんた、最初にそれで失敗したものね」
「あー、うるさい。ところで霊夢、何処かよさそうな所はないか?」
「そうねえ」
霊夢はきょろきょろと辺りを見回した。すでに日はとっぷりと暮れていて、月も出ていないから木の影はたいへん暗い。しかしすでに夜目が利くので、夜雀でも出ない限りは周りを見るのに支障はなかった。
霊夢は花の散ったエニシダの茂みを見て、その向こうの欅の木に目を付けた。
「あの辺、いい感じがする」
「霊夢が言うなら間違いないな。決まりだ」
二人は飛び上がって、欅の枝に降り立った。釣竿に糸を結び、手の平ほどもある大きな釣り針をその先に付ける。魔理沙の釣り針を見て、霊夢は目を丸くした。
「随分磨いたわねえ」
「午後じゅうかけて、ギラギラに研いだんだぜ。これで大量だ」
「ま、いいけどね」
そうして揃って釣り針を垂らす。風はびょうびょう吹いていて、髪の毛や釣り針を揺らした。
しばらく釣り針を垂らしていると、下の方を誰かが歩いている気配である。目をやると、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットが、従者の十六夜咲夜を伴って歩いていた。咲夜はレミリアのものと思しき釣竿を持っている。
レミリアの方も霊夢たちに気付いたらしい、顔を上げて、「あら」と言った。
「御機嫌よう、良い夜ね」
「あんたたちはこれから?」
「お嬢様が寝坊したからね」
「咲夜、余計な事言わない」
「お前らも一緒に釣るか?」
「悪いけど、パチェがもう少し上で待ってるのよ」
「あら、パチュリーも来てるんだ」
「パチュリーさまが一番上手なのよ。お嬢さまはからっきしなのだけれど」
「こら咲夜、お前わたしに喧嘩を売ってるのかい」
「滅相もございませんわ」
「事実を言っただけ、ってわけだな」
「どいつもこいつもわたしを馬鹿にして! 見てなさいよ、たくさん釣り上げて目にもの見せてやるんだから!」
とレミリアが地団太を踏むと、決してそのせいではないが、魔理沙の釣り針がきらりと光った。その小さな光の瞬きはあっという間に輝きを増し、しゅーしゅーと音を立てる光の塊が釣り針に引っかかった。
「よっしゃ、来た!」
魔理沙は竿を引いて、光をぴんと釣り上げた。風で暴れて向かって来た光の塊を、霊夢は釣り針ごと受け止めた。光は青白く、不思議な冷たさがあった。
霊夢は光の塊を籠に放り込んで布をかぶせた。
「二等星くらいかしら」
「まずまずの当たりだな! 幸先いいぜ」
「……パチェをこっちに呼んで来ようかしら」
「声はかけて来ましたよ、お嬢さま」
「あ、ああ、仕事が早いわね、咲夜」
どうにも騒がしい釣りになりそうだ、と霊夢は苦笑いを浮かべた。
○
最初にその草を見つけたのは妖精たちであった。振り回すのには丁度よく、さほど重くもない。だから紙の兜をかぶってそれを振り回して、ちゃんばらごっこをして遊んでいた。
そうして遊び飽きて、そこらに放り投げてあったそれを、香霖堂の森近霖之助が見つけた。見た事のない植物だったので、彼は興味を持って家に持ち帰った。
それは近頃幻想郷のあちこちに生えるようになっているらしい。
灌木の一種のようで、幹があって枝が伸びるわけではなく、根元から細い枝が何本も真っ直ぐ伸びる。柳のようなしなやかさを持った枝で、かなり曲げても折れず、乾燥させると丈夫な竿になる。秋口に花を咲かせるが、その花の花弁が五つあり、さながら星のように見えた。
それだけではなく、何処か妙な気配を感じるこの植物に、霖之助が首を傾げていると、丁度店に遊びに来ていた、里に住んでいる外来人の何樫氏が「おや」と目を細めた。
「懐かしい、星待草の枝ではありませんか」
「星待草?」
「ええ、私が子供の時分は、これで夏は涼しくやっていたものです。しかしここに生えるようになったという事は、いよいよ外界では絶えてしまったようですね」
「ふぅん?」
何樫氏曰く、乾燥させた星待草の枝に天蚕糸をつけ、大きな釣り針を下げる。
月や雲のない、星の多い夜を選んで、高い所からそれを吊るすと、釣り針に星の光が集まって、次第に質量を形成する。
それを釣り上げ、魚用の籠に入れる。布をかければ逃げて行かない。
竿は毎年新しいものに変えなくてはならない。釣った星は一昼夜で消えてしまう。
釣った星はどうするかといえば、ジュースに入れる。すると瞬く間に溶けて、ジュース自体が淡い光を放つようになる。それを飲むと、星の光の冷たさが全身にしみわたり、蒸し暑い夜も快適に過ごせる云々。
「大人たちはお酒に入れておりました。子供らはそれが羨ましくてね、早く大人になってやると思っていたものです。しかし私がお酒を飲める年齢になる頃には、星待草自体がたいへん希少なものになっていましたから、中々縁がなかったのです」
「成る程」
「せっかくですから、やってみましょう。幻想郷は星が良く見えますから、事に依れば外界よりも良い星が釣れるかも知れない」
そういう事があって、星釣りが始まったのだが、物珍しさと、星を入れた酒の味の良さと相まって、瞬く間に幻想郷に広がり、新しい夏の風物詩となった。
○
誰ともなく集まり出した一角に提燈が下げられて、淡い光の下で人妖混ざり合ってお酒を飲んでいる。やれ、一等星を釣り上げただの、籠が満杯になっただのといった自慢話があちこちで聞こえている。
かくいう霊夢も籠が満載になったのでご満悦である。魔理沙も同様で、矢張り霊夢の見立ては当てになるとほくほく顔であった。
人の少ない一角に腰を下ろして、グラスにお酒を注いだ。里で買った、林檎を漬けた焼酎である。
「ではでは」
と、魔理沙が星を一つ抓んで、グラスの中に落とした。星はしゅわしゅわと泡を出して、ちらちらと光りながら溶けてしまった。グラスは淡い光を放ち、持った手を柔らかく照らした。
「それじゃ」
「かんぱーい」
かちん、と涼しげな音でグラスを合わせ、それからぐっと一口飲んだ。氷も入れていないのに、お酒はひんやりと冷たい。林檎の甘さと、焼酎の熱いアルコールが喉を抜けると、不思議な清涼感がじわりと体中を包み込むように思われた。
商売熱心な料理屋が屋台を出して、酒のつまみを売っていた。鰻のタレが焦げるいい匂いがする。冷麦の茹る、湿気を含んだ匂いがする。人がたくさん居て、暑いように思われるのに、額には汗一つにじまない。
星割り林檎焼酎を楽しんでいると、レミリアたち一行が現れた。
結局、同じ欅の木に腰かけて釣ったのだが、何故だかレミリアだけかかりが悪く、今の今まで粘っていたらしい。
「おー、どうだ釣れたかー?」
「ええ、おかげさまでね」
どこか皮肉混じりのレミリアの一言も、酔っ払いには通じない。霊夢も魔理沙も愉快そうにけらけら笑うばかりで、レミリアは諦めたようにちょこんと腰を下ろした。いつの間に咲夜が持って来たらしい椅子が置かれている。
不満げだったレミリアも、酒が入るうちに機嫌がよくなるらしい、次第に場がやかましくなり、馴染みの顔がいくつも混ざり出した。
こうして星を釣り、一夜の宴を楽しむのが、ここ最近の幻想郷の夏の楽しみである。外界では楽しめなくなったもので、こうして楽しくやるのは、何となく悪いような気もしたが。
「ま、別に気にする事じゃないわよね」
霊夢はそう呟いて、お行儀も気にせず大の字に地面に寝転がった。
木々の枝の間に光る星が、一つ一つ形もくっきりと見えるようであった。
星を釣るなんてアイデアが相変わらず素敵です。
そして何樫さんナンデ!? 作中の人はあの何樫さんなのかしらん。
あと、何樫さんを久しぶりにみれて良かったです。
星釣りは魔理沙にピッタリですね。
とても夏の風景らしく、幻想郷の風物詩のような感じがしました。涼しげですねぇ。
体験してみたいものです。
とても素敵でした