晴れた日のこと。霊夢は縁側に腰を下ろし、ぼうっと空を眺めていた。良い天気だ。そういう気持ちに、心が透き通る。だが、その透き通る気持ちを、突如飛来した何かによって打ち砕かれることになる。
どすん。
豪快な音を立て、天空から何かが落下してきた。唖然とする霊夢。その地面に頭から突き刺さっているそれは、どこかで見た天人の衣服に似ていた。
「うわ、なんかきもいのが来た」
「きもいとは何よ!」
「きもいのが喋った」
お帰り頂きたい気持ちをたっぷり込めて、ため息まじりに霊夢は吐き捨てる。けれどその『きもいの』はそんな霊夢の態度に慣れているらしかった。よっぽど嫌われ者なんだろう。
「喋るわよ! あれ、ここは晴れてるのねぇ。突然雨に降られてびっくりしちゃった」
「今日はずっと晴天だけど」
「え? 山は雨だったわ」
聞いてもいない天候を語るそれ。もはや、『それ』。
砂にまみれた髪の毛を振り、砂を飛ばすと、いくらか霊夢の頬に当たり彼女の機嫌を損ねていく。清々しい朝台無し。
「……で、天子。何の用?」
「あぁ、そう。霊夢、こないだ地底に行ったそうじゃない。私も行きたいのよ、地底」
「知るか。勝手に行ってこい」
「ちょっと、理由を聞く興味くらい持ちなさいよ」
「あんたに対して興味なんかない」
砂がお茶に入った。
こいつ死ねばいいのに。
「そ、そんな怖い目で見ないでよ……ちょっと嬉しい」
「てい」
「痛い! 針は駄目! 普通に痛いから!」
全然話が進まない。天子は別に話が進まなくても嬉しいのだと判るので、嫌々ながら話を聞くことにした。
「で、何よ、その理由って」
「地底ってあれでしょ、嫌われ者どもの巣窟でしょ」
「ほぅ、それで嫌われ者メンバーに入れてもらうと」
「私は嫌われ者なんかじゃないやい!」
「うっせぇ話進めろ」
お茶を入れ直さねばならないな、と思い、湯のみを置いた。天子の話など最初から聞く気はない。聞き流す気満々だった。
「……『だったらそこで一悶着起こせば知り合い増えるかも、くふふ』」
うわ、また嫌われ者が来た。
言葉にこそ出さなかったけれど、しっかり嫌そうな顔をした霊夢を見て、古明地さとりは僅かに視線を逸らした。比那名居天子は小首を傾げている。
「霊夢、あの性悪そうなの誰?」
きょとんとした顔でさとりを指差す天子。
……こいつ、心が読まれたことに気づいてない。
霊夢は呆れの余り頬を引き攣らせた。
「……それが、たった今あんたの言った嫌われ者の巣窟に住む、嫌われ者の一人よ。というか、主ね」
「ご紹介にあずかりました、『地底にいるから根暗なんだろうなぁ』な古明地さとりです」
さとりは表情一つ変えずに頭を下げる。冗談で言っている訳ではないようだった。めんどくさい奴が増えたなぁ、と霊夢は思いながら、どうせ読まれているんだから、「めんどくさいなぁ」、正直に呟いた。
「あ、どうも。比那名居天子ちゃんです」
天子はにこやかに挨拶する。結構真面目に挨拶したように見せかけて、しっかり自分でちゃん付けしやがった。
「あなたが天人ですか。仙人が天人になることもある、とは聞いていましたが……似ても似つきませんね」
「あぁ、たまに老人が天人になってたりするね。でも、あれは駄目。つまらない。頑固って言うか、生き方決めちゃってて、融通利かないったらないもん。あんなのに似たらお終いよ」
皮肉に気づいていないことに霊夢は気づく。そして、まったく通じていないと言うことに、むしろさとりが少し驚いていた。
「ていうか。なんであんたらが私の神社に入り浸るわけ」
天人と地底人という面白げな対面ではあるが、霊夢には一切合財関係ない。自分のいないところで適当にいがみ合うなり仲良くなるなりしてほしいのだ。
「だって山に降りたら雨に降られたんだもん。雨なんて久しぶりだったからびっくりしてここまで来たのよ」
「こいしが長らく帰ってこないので、こちらにお邪魔してはいないかと」
「んじゃあもうここに用は無いでしょ。雨も降ってないし、あの放浪娘も来てない。ほら、帰った帰った」
犬を追い払うように露骨に邪険に扱った。霊夢としては早くお茶を入れ直して暢気に一休みしたいのだ。
清々しい朝をこいつらから取り戻さねばならぬ。
「はぁ、では、もしお世話になっていたらと持ってきた茶菓子にも用はありませんね」
「どうぞおあがり下さい」
霊夢陥落。
暢気な朝は明日もきっとやって来る。けれどおいしい茶菓子は今日を逃せばもうやって来てはくれないかもしれない。
勝手に動いた口と体が若干憎らしいが、それを差し引いても茶菓子には変えられない。恐らく中身は。
「えぇ、好きかは判りませんが、里の端で売られている最中です」
「心読んだ癖に……まぁ、いいわ。仕方ない、天子も上がってくの? お茶くらい出すわよ」
諦めた途端に、態度が寛大になった。
「わーい。飲むし食べる」
早まったかも知れない。そういう気持ちが、軽い刺激になって霊夢の頭を痛めた。
◆
「よし、おまえら死ね」
やっぱり寛大にすべきじゃなかったんだ。後悔先立たず。異変となればアメダスよりも鋭敏なこの勘は、しかしこんな些細な事には全く働く気が無い。飼い犬は飼い主に似るように、勘は勘の主に似るんだろう、きっと。
盛大にため息をついた。湯のみから立ち上がる湯気が僅かに飛んだだけだった。
霊夢が戻ってきた時、二人はぎゃーぎゃー騒ぎ合っていた。
騒ぐさとりが少し珍しくもあったが、どこか似ている部分でもあるのか、まるでそれは子供の喧嘩寸前の光景だった。
持ってきたお茶を置き、霊夢は二人に事の次第を聞く。
「霊夢、こいつすごい、心が読めるんだって! むかつく!」
……今更気づいたのか。
どうも、その力が羨ましいらしく、因縁付けてこうなったらしい。
「っていうか勝手にひとの心読むんじゃないわよ! 何このプライバシー侵害生物?! 私がどんな下着はこうが勝手でしょうがっ!」
「読みたくて読んだんじゃありません。強い思念が近くにあれば勝手に読んでしまうんです。よくその年でドロワーズだなんて」
「見た目が若ければ年なんていくつでもいいでしょぉ?! どうせあんただって年増なんじゃないの! おばあちゃんみたいな考え方うざいんだけど! 大人ぶってるつもりなの?! 大人通り越してご老人みたいだけど!!」
「そんな金切り声をあげずとも聞こえますよ。強く響くだけで、言葉が濁る」
実にやかましい。霊夢のこめかみの血管がぴくりぴくりと浮くほどに。そしてその我慢も、あっという間に限界を迎える。
トスン、トスン。
「二人とも静かにしなさい」
「「申し訳ありません」」
二人のこめかみに、数本の針が突き刺さっていた。容赦なく急所狙いである。
「だってさ、だってさ、こいつが」
天子がまだ何か言いたがる。どうしたものかこの我侭娘を、と霊夢が本日何度目かのため息をつく。
さとりは刺さった針を引き抜き、特に表情も変えずにこめかみを押さえる。何か思うところがあったのか、そのまま天子に向き合った。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。心を読むのはなるだけ控えるようにします」
「お、おぉおぉ……わっ、判れば良いのよ!」
まさか素直に謝られるとは想定外だったのか、少し上ずった声。さとりが大人で良かったと霊夢は無い胸を撫で下ろす。
以前にレミリアと天子が博麗神社で鉢合わせた時程、胃を痛めた日はない。お互い一歩も引かないまま、売り言葉に買い言葉でどんどん状況は悪くなるばかり。これは弾幕必至かと思われたが、結局レミリアが咲夜になだめられて帰ったお陰でどうにかなったけれど。
実際、天子は騒動を起こす。狙ったわけでもなく、単に気にくわないことをそのまま口に出すものだから、特に我慢を知らない連中とぶつかれば、騒動が起きないはずがないのだ。
だが、さとりの対応によって、天子は困ったような顔でお茶を啜っている。どうして事態が落ち着いたのかが判らず、頭の中で考えているのだ。これでしばらくは静かだろう。
「……さとりが大人で良かった」
「こう見えても、お姉さんですから、私」
「この間、どっかのお姉さんが騒動の原因になってたわ」
「永い時を生きる吸血鬼に五歳差は誤差の範囲内なのでは」
「かもねぇ。あそこはよっぽど妹の方がしっかりしてる気がする」
「ちょっと、私を置いて話しないでよぉ」
考えた結果、良く判らなかったらしく、天子は悩むのを意外と早く諦めた。単に、二人が仲良さげなのが羨ましかったのかも知れない。
「天子って、兄弟や姉妹はいないの?」
「ん? いないよ」
聞いておいてなんだが、そりゃそうだろうなぁと思ったりした。
「ところでさ。ねぇ、さとり。地底ってどんなところなの? 草木はあるの? 雨は降るの? 果物とか野菜はあるの?」
光の速さで呼び捨てである。
馴れ馴れしさにおいては天子に右に出る者など魔理沙くらいしかいない。
「忌み嫌われた妖怪たちの掃き溜めのような所です。私を筆頭に、忘れ去る事を望まれた妖怪たちが隠蔽され密閉された陰気な箱庭。けれど私たちはそこで生きるしかない。そこでしか受け入れられない」
さとりの表情は何程も変わっていないというのに、霊夢はどうしても、その瞳に冷たく澱んだ汚泥のような色を見出さずにはいられなかった。
こんなにも真っ直ぐで綺麗な瞳なのに、形容しようとすると酷く醜いものでしか言い表せないような気がした。
それが不思議で、何故か歯がゆい。
そんなさとりがどこか悲しくて、霊夢はそれに言葉を加える。
「で、そこで魂や妖怪の流れを管理しているのがこいつ。変に騒がしいのがうろうろしてるけど、一応平穏なのはこいつのお陰ってことね」
何気なくさとりを見ると、さとりは目を見開いて驚いていた。何をそんなに驚いているのか判らない霊夢は、説明を受けた天子に視線を戻す。
「へぇ。すごいね。面倒そうだけど、そんなことしてるんだ。王様じゃない」
キラキラとした目で天子はさとりを見詰めていた。
なんかすごい。格好良い。面倒そう。
口にした通りのことを、そのまま思っている天子に、さとりは言いようのない温かいものを感じたらしく、ひどく戸惑ってしまっているようだ。
「いえ、ペットに任せきりですから。私は、そんな」
急に声がか細くなった。あぁ照れているんだな、と気付き、面白くなって霊夢は「こいつ自身はあんま強くないけど」と付け加えた。
「ペット? 何それ」
「猫とか犬とか、妖怪とか。飼っているんです、大勢」
「すごい! ほんとに王様だわ」
真っ直ぐな言葉だった。さとりはどんな顔をしているのだろうと顔を覗いたところ、僅かに顔を逸らされた。
恐らくは真っ赤なのだろう。真っ赤に照れているさとりを想像すると、自然と霊夢に嫌らしい笑みが浮かんでいく。しかし、強引に顔を見ようとはしない。既に霊夢は満足していたのだから。
「……恥ずかしい」
心を読んだのか、さとりが悔しそうに呟く。そして口にしてすぐに後悔したが、もう遅い。その台詞を聞いた霊夢は、たいそう楽しげに笑っていた。
そしてそんな霊夢を、天子は不思議そうに見る。
「どしたの?」
「何でもない」
笑う理由を教えて貰えず、少しだけむくれる天子であった。
「でも、やっぱりすごいわ」
再確認するかのように、誰にともなく天子が呟く。
「やっぱり天界にばっかりいたんじゃ駄目ね。あそこはなぁんにも面白くないし。地上だけじゃなくって地下にまで面白い所があるなんて、大発見だわ」
「天界も良い所だと思うけどねぇ」
「歌って踊って碁を打って太公望ごっこする天界のどこが良いのよ」
「いや、そこが良いんじゃん」
霊夢からすれば夢のような所だと思うのだが。天子がどうしてそこまで嫌がるのかが霊夢には理解できない。
「随分、陽気な所ですね」
「暢気なだけ。面白みのひとつもありゃしないわ」
天子の話を聞く限り、天人はみな、怠惰に過ごすことを受け入れている。
そしてそれが、天子には合わなかったのだろう。
「天子」
「はい?」
「今度、一緒に地底に行ってみる?」
「「………」」
思わぬ言葉に、天子もさとりも硬直していた。
「さとりがもてなしてくれるってさ」
「ちょっ……」
「ちょっとぐらい良いでしょ。今日こうやって家に入れてあげたじゃない」
「行きたい! 超行きたい!」
天子は乗り気。ならば、さとりを落とす事など造作も無い。なぜなら、さとり自身、きっと嫌がってなどいないのだろうから。
そんな勘が働いた。異変の時くらいしか働いてくれないぐうたら暢気な勘が働いたのだ。きっと正しいだろう。
「……判りました。楽しんで頂けるような所ではないと、思いますけれど」
「ぃよっしゃい!」
天子が激しくガッツポーズ。霊夢は、くしゃり、さとりの頭に手を置いた。流石に顔のほてりは治ったようだが。
「よろしく頼むわよ、お姉さん」
「えぇ、良いでしょう。精々盛大にもてなしてあげます。いたたまれなくなって、縮こまるほど」
赤面させられたお返しに、とばかりに、さとりは不敵に笑う。
ただ本心としては、霊夢と天子を単純にもてなしたかった。異変ではなく、自分や自分たちに興味を持った客は、とても珍しかったから。
それがなんとなく判る霊夢は、そのさとりの笑みに、同じく不敵な笑みを返す。
「そう。なら、楽しみにしてるわ」
「私も楽しみにしてる!」
◆
天子は「今日は素直に帰ってあげる」と言って大人しく天界に帰っていった。さとりはもう少し妹を探すと言って、特にあてもなくどこかへ行ってしまった。ふたりを見送ってから、霊夢は新しくお茶を淹れ、朝と同じように縁側に腰を下ろした。
太陽は既に真上にまで昇っていた。
(天人も私も地底人も同じようなもんだ)
住む場所は違えど、風土は違えど、人妖の境はあれど。結局はみんな同じじゃないか、と。一緒に話して一緒に笑って、一緒にお茶を飲めば何も変わりは無い。
(こんな朝も悪かないかもね)
妙な清々しさが霊夢を自然と笑顔にさせた。
遠くから箒に乗った黒白の彼女がやって来るのが見えた。余った最中をあいつに分けてやってもいいな、と、珍しく彼女は黒白に向かって手を振って挨拶するのだった。
終わり
ほのぼのとした中に垣間見える殺伐とした雰囲気がなんとも彼女達らしいですな
ですが霊夢にだけ無い胸という描写が入った件について、ちょっと博麗神社の裏で話し合いましょう。
あと誤字報告。
受け入れいてる → 受け入れている
ええ、ほのぼのしましたとも、目論見の通りでございます。
天子の率直さがさとりにはとてもいい方向に働いたのが気持ちよかったです。
さとりんとは相性いいのかもしれません。
ちれいてんよかったです。
三人のやり取りが微笑ましかったです。
全く裏がない天子な分、こういう感じになるのが良い……
とりあえず続編に期待