Coolier - 新生・東方創想話

幻想

2015/01/05 04:08:14
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 ──泣いているのかもしれない。
 蓮子が悲しい顔をしていると、私はどうしたらいいのか判らなくなる。
 物憂げに窓の外を眺める蓮子を見ていると、彼女の睫毛の長さに気づかされる。紅い光に照らされた頬と、いつかきたる夜にも負けない黒い髪。伏目がちの視線は、誰も歩くはずのないヒビ割れたアスファルトを俯瞰している。
 彼女の長い睫毛は、きっと現実を眺める双眸を守るためにあるのだろう。こんなに紅い夕陽を浴びてなお、蓮子は狂気にあてられないまま清廉で高潔で、完璧な表情を湛えて窓辺に座っていた。
 私が原因不明の病を患って信州のサナトリウムに隔離されてから一体どれほどの時間が経ったのか、いまいち判然としない。蓮子は何度かこの療養所まで足を運んで病の経過を見届けていたが、退院するまでは、と私に外の世界のことを教えてくれることはなかった。
 ──全てを創造することに成功したと思っている人間は、全てを管理しなければ気がすまない。統一された世界観をもつ現実の中で、私の「原因不明の病」は存在してはならないものだった。管理できないものは、隔離して無かったことにする。私は非現実の存在として、このサナトリウムに運ばれてきたのである。
 だから、外の世界の、現実の人間である蓮子がいつまでもこの空間にいると狂ってしまう。彼女に許された時間は、この廊下に示された緑色の矢印のように、一方通行でしかないからだ。案内に従ってこの長椅子に座らされた彼女を前に、紅色の光は余りにも非現実的に思えた。
「さっき、大きな鳥居を見たわ」
 私の呼びかけに応じた蓮子は目だけでこちらを視認すると、すぐに向き直って笑顔を見せた。曲がり角に設置された長椅子には光がよく入る。奥へと続く長い廊下に伸びた影は妖怪のように姿を変えて、私に歪な横顔を突きつけた。
「退屈のあまり夢でも見たのね。もしかして、博麗神社かしら?」
 蓮子は思っていたよりも明るい声で喋った。凛と透き通るような、心地の良い声だ。秘封倶楽部の活動もご無沙汰だから、その手の話をしたいのかもしれない。
「夢だって片付けるなんて、貴方らしくないわね。私は見ようとして見たんじゃないわ。これって管理外の出来事じゃない?」
「最近はそれすらも管理されているの。博麗神社の話をすれば、その夢を見るように計画される。夢療法は治療によく使われるんだって」
 夢療法、と私は繰り返して蓮子の隣に座った。右隣に座った方が、蓮子の細かな表情を気にしなくて済むし、話しやすい。
「夢とか現ってよく判らない。私は、幻想の話をしたいの」
 私がそう言うと、蓮子は短い返事を一つして廊下の先を眺めた。
 譫妄。それが私に与えられた病名だった。この病は、現実にはありもしない景色や人物を見るようになることから、管理外のものを生み出すとして隔離対象となっている。この譫妄が一般的な夢と異なるのは、それが紛れもない現実のものとして表象してくるところにある。私が見た鳥居は本物で、そこで見聞きした出来事は現実のものに他ならない。全てが管理対象となった世界において、私は世界の創造と破壊をもたらす危険人物として隔離されたのであった。
「幻想って、共有できると思う?」
 私は蓮子の顔も見ずに、長く伸びた影を眺めながら問いかけた。
 譫妄によって見えたもの──幻視したもの──は、一つの事実として立ち現れる。それは誰にでも普遍的に見ることができる科学的な表象ではなく、選ばれた者だけが見える魔術的な表象だ。科学を妄信する人々はそれを夢だと片付ける、あるいは幻覚でも見たのだと一蹴する──それは「譫妄」「幻視」というような言葉でしか表現しえない彼らの発想に結実している──が、これは深秘的なものに他ならない。
 そんな幻想なるものは、誰かと共有できるのだろうか。外の世界の、蓮子にも。
 私の問いに、蓮子はしばらく逡巡してから答えた。
「──そうね、メリーとなら、共有できるかもしれないわ。思い描いたことを、ある程度までは想像できるから。同じ場所によく行くし、そこで感じることを共有しているから」
 メリーとなら、の一言に私は胸が詰まるような思いになった。
「それって、妖怪の話もそう?」
「たぶん、それもそう」
 蓮子は片手を上げて、空中に何かを描きながら説明した。
「たとえば、『河童』と言って共有できる幻想は、私とメリーだけのもの。『河童』は誰でも知っているけど、リュックサックを背負っていて、皿を帽子で隠している『河童』は誰にでも現れるものではないでしょう。そもそも、文化圏が違う人にとっては『河童』という幻想ですら描くことができないわ」
「『河童』が幻想だとするのは百歩譲るとして、『河童』を知らない人たちがいるというの?」
「もちろんよ。貴方はサルードを知っているかしら?」
 耳から入ってきたサルウドという言葉をしばらく頭の中で引っ掻き回してみたが、それは一つも引っかかることなく口から漏れるだけだった。蓮子の口ぶりからして河童に相当する存在なのだろうが、私はそこから何も連想することができなかった。
 壊れた人形のように言葉を繰り返す私を見て、蓮子は少し笑って言った。
「知らないものは幻想もできないわ。知っているものは姿態を想起することができるし、特性を理解することもできる。でも、幻想はもっと高次な次元に持ち込むことができるわ。たとえば単に『河童』を知っているとしても、それは広く一般的に知られた『河童』の姿を幻想するでしょう。でも、私たちは違う」
「リュックサックを背負っていて──」
「皿を帽子で隠していて、機械に通じている。『河童』という幻想を共有したうえで、さらなる幻想を共有しているのよ」
 その共通の理解があったうえで、初めて幻想の共有が成り立つのだと蓮子はいう。
 そこまできて、私はようやく蓮子の言いたいことがわかり、背筋が凍るような思いになった。
 幻視の根源は、幻想にある。まず幻想がなければ、幻視することもできない。
 私の中で一つの事実として現れるはずの幻視が、もし誰の幻想とも共鳴しないとき、それは幻想でありえるか。
 ──それはもっとも唾棄すべき「妄想」に過ぎない!
 だから、私は酷く心配になって蓮子に聞いた。
「博麗神社は」
 蓮子は、私の博麗神社を「夢」と言った。
 夢と片付けるのは、詰まらない人間たちの逃避であったはずだ。
 しかし、蓮子は長い睫毛を伏せてこう言った。
「『博麗神社』という幻想もまた、普通一般の『神社』を知らなければ成しえないものよ。貴方はその時点においては、まず幻想の資格を持っていると思う。でも、『博麗神社』は高次な幻想。私はまだ貴方に『博麗神社』の全てを教えていない。だから、幻想を共有しているとは言えないの」
「どうすれば、それは共有できるというの。譫妄で見た博麗神社は、所詮『夢』でしか無いというの?」
 もっと教えてよ、と私は叫んだ。
「博麗神社を、幻想郷を!」
 蓮子は思い切ったように立ち上がって、一瞥もせずに言う。

「まずは貴方も、病気を治しなさい」

 そうして、私は小さくなっていく蓮子の背中を、呆然と眺めているしかなかった。


   ※


 誰とも共鳴しない幻想は妄想でしかない。
 それなら、私の幻想──いや、妄想かもしれない──は、どうすれば誰かと共鳴するのだろう。いや、万人に理解されるような幻想など必要なかった。ただ蓮子にだけ分かってくれれば、それで良かったのだ。
 きっと、私は蓮子に恋をしていた。この時間を失った空間で、蓮子の話す「夢」物語だけが私を照らす光だった。

 そして、私はあの病室にいる女に憧れていた。
 ただひとり蓮子と幻想を共有した女が、私は憎くて堪らなかった。

 今に、夜が降りてくる。

 私は彼女になれるだろうか。
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コメント



0.140簡易評価
1.40名前が無い程度の能力削除
小難しくしようとしても作品の質は変わりません。
正直アウトプットが貧弱すぎる。
2.90名前が無い程度の能力削除
この作品こそ「誰とも共鳴しない幻想」ですね。
それもわかったうえでやってるなら、風刺的で好きです。
3.80名前が無い程度の能力削除
言いたいことは分かりますし、面白いと思います
あとは、もう少し題材を彫り込んでみて、それを連ねたなら、もっと方向性がハッキリするんじゃないでしょうか
5.100名前が無い程度の能力削除
最高