柔らかな日差しが心地よい陽気を誘う午後。僕は静かな店内でいつも通り読書をしていた。
のんびりと時間を過ごせるのは良いことだけれども、こうも客の出入りが無いのは店としては如何なものか。
テーブルの脇に置かれた湯飲みに手を伸ばし、一口啜る。コトリと置いて、紙の端を優しく掴んでページを捲ろうとした瞬間───
バンッ!
店の扉が勢いよく開き、すぐさま二人の少女が来店した。
「おい霊夢。この間はお前のだったんだから今回は私の番だぜ」
「何言ってるのよ魔理沙。折角の上物を台無しにする気?」
二人の少女───博霊霊夢と霧雨魔理沙は何事かは知らないが、早くもヒートアップしているようだ。
「二人とも。何をそんなに───」
言い争っているんだ?と問いかけようとしたが、すぐさま原因に気がついて僕はその言葉を飲み込んだ。
魔理沙の右手には、これまた丸々太った朱鷺が鷲掴みにされていたのである。それも三羽も。おそらく二人はその朱鷺鍋の味噌を争っているんだろう。
前にも同じことがあり、二人は「弾幕ごっこ」により勝敗を決した。その時の鍋は勝者であった霊夢の希望通り赤味噌で食べることになったのだが・・・。
「そもそも、前回はきちんと勝負をした結果の上でじゃない。それを次は順番だなんてナンセンスよ」
「ったく。神職ってのはもう少しぐらいは穏やかでもいいんじゃないのか?」
「そんなんじゃ幻想卿での巫女なんてやってられないわ」
二人はなおも言い争っている。この店はそういうことに使う場所ではないということを、いい加減分からせなければならないのかもしれない。
とりあえず、店の中でドンパチやられるわけにはいかないので口を出すことにしよう。
「霊夢、魔理沙。あまり店内で騒がないでくれ。ここには貴重な物だって置いてあるんだ」
すると二人は今更になって僕を見つけたように、
「お邪魔するわね、霖之助さん」
「おう、香霖。邪魔するぜ」
のん気なものだ。既に僕の有意義な読書タイムは十分に邪魔されてしまっている。客として来店したわけでもないのだから立派な営業妨害だ。
この頻繁に店に訪れる、客でもない二人をどうやって訴えたらよいものかと思案していると、
「このままじゃ埒が明かないぜ」
「そうね。とりあえず捌いておきましょうか。霖之助さん、台所借りるわね」
急に話を振られてしまった。すっかり彼女達のペースである。
もう、半ば諦めた。夕食の心配をしないで済む辺りが唯一の救いと言えば救いだろう。
「ああ、いいよ。ちなみに赤味噌も白味噌も置いてあるから」
「あら、気が利くじゃない」
霊夢はそういって笑い、魔理沙から朱鷺を乱暴に受け取ってさっさと台所に引っ込んでしまった。
台所の方から何かしら歌が聞こえる。おそらく霊夢の鼻歌だろう。鼻歌を歌いながら生き物を捌く巫女というのもどうなのだろう。倫理的に。
魔理沙は魔理沙で暇なのか、先ほどから本棚を適当に漁っている。普段は手に取ることの少ない外の世界の本ばかりを集めている本棚だ。
全く、こういうことになると分かっていたならこの間、僕が知っている「朱鷺の一番美味い調理法」を二人に教えておくべきだった。が、僕には未来を事前に知る力は無いし、様々な能力を持つ幻想卿の住人達の中でも僕が知っている限りにおいてはその力を持ち合わせる者はいない。
「ん?香霖、ちょっと来てくれ」
魔理沙に呼ばれ、椅子から立ち上がった。
「何か見つけたの魔理沙?」
霊夢のちょうど捌き終わったのか、台所から出てきた。
「こいつを見てくれ。なんか面白そうだぜ」
僕と霊夢、二人して覗き込んだ本には大きな文字で「野球」と書かれていた。
───東方白球魂───
「野球?何それ」
「私にも分からないぜ。香霖、お前は知ってるか?」
「いや、僕も知らないが・・・」
知らないものを知るために文献というものはあるわけで、僕は魔理沙から本を受け取り、そこに書かれていた解説文を流し読みした。
「なんでも、外の世界の運動競技で球を棒で打ち合って勝敗を決めるらしい」
「へぇー。面白そうじゃない」
霊夢が僕の持つ本を覗き込む。
「なぁ霊夢。朱鷺鍋の決着、コレで決めないか?」
「ん~。良いかもしれないわね」
こういうことを言い出すのは常に魔理沙なので彼女は別として、霊夢にしては珍しくノリ気だ。もしかしたら「弾幕ごっこ」をやらなかったために消化不良になっていたのかもしれない。
「でもこれは二人でする競技じゃないみたいだぞ」
ルールの欄には一チーム最低九名が必要だと書いてある。
「なら人を集めれば良いだけだろ。この間のメンバーなら暇だろうし、すぐに集まるぜ」
魔理沙はもうやる気十分だ。この間のメンバーとは月に異変が起きた時に事態の解決に向かったメンバーのことだろう。それでもまだまだ人数は足りていないのだが。
「規模を小さくすればなんとかなるんじゃない?」
霊夢らしいあっけらかんとした物言いに少々落胆したが、まあ彼女の言う通りかもしれない。ルールとは時と場合で色々と変化していくものだ。
「それじゃあ私は紅魔館の方へ声を掛けてくるぜ」
「じゃ、私は西行のお屋敷ね」
まるで矢のように駆け出していこうとする二人を、僕は慌てて彼女達を引きとめようとする。
「ちょっと待て。ルール知らないのにどうするつもりだ。後、道具とかどうするんだ?」
二人が首だけで振り返り、
「霖之助さんが覚えててねー!」
「漁れば出てくるだろー!」
そう言って飛び去った。
別に僕が「野球」というものをするわけではないのに僕がルールを覚えても意味が無いとか、いくらなんでもそんな道具はこの店には無いだろうとか、そういう正論はものの見事に聞く耳さえ持たれなかった。全くいつも通り慌ただしい奴らである。
とりあえず、僕は本を片手に店の物置を漁らなくてはならないらしい。
その日の夜、僕は博霊神社に呼び出された。どうやら本当に「野球」というものをやる気らしい。
二人から頼まれていたこと(半強制で押し付けられたものだが)結論から言うと、僕は両方こなしてしまった。店の物置には「野球」に必要な道具が一通り揃っていたし、探す片手間に読んだルールも大体覚えてしまった。
「あら、店主。どうなさいました?」
背後からから声を掛けてきたのは紅魔館のメイド長十六夜咲夜と、
「あなたも霊夢に呼ばれたのね」
その館の主であるレミリア・スカーレットだ。
さらにその後方から人影が二つ。魔理沙と魔理沙の住む森の人形遣いアリス・マーガトロイドのようだ。
「ちょっと魔理沙。本当に面白いんでしょうね?」
「疑り深い奴だな・・・そうそう香霖。捌いた朱鷺はどうした?」
「もちろん持ってきてある。それより、本当にやるつもりなのか?」
そう言うと魔理沙は首をかしげた。
「何言ってるんだ?やるためにメンバーを集めたんだろ」
いや、僕が言っているのはそういう結果論的なことではなくて・・・もういいか。やる気になっているのに水を差すものなんだか悪い気がする。
神社前の広場には既にベースとかいうものも置いて、ラインも引いている。当然僕の仕事だ。霊夢達はただ勝負することに夢中になっていて、誰も準備をしようとしない。こんなことは彼女達に関わっているとしょっちゅうなので、いい加減僕も慣れてしまった。
「古ぼけた球ねぇ・・・」
「幽々子様、このバットと言う物は剣に似ていて振りやすいですよ」
地面でボールを転がして眺めているのは西行寺家のお嬢様である西行寺幽々子。その傍らでバットと呼ばれる棒を、なにやら物騒な様子で振り回しているのは庭師の魂魄妖夢だ。彼女達にはあらかたのルールを教えてある。理解したかどうかは別問題だが。あの様子を見ている限り、理解はしていないのだろう。
それからもう一人、神社の縁側でのんびりとお茶を啜っているのは八雲紫という境界を操る妖怪だ。全く運動にそぐわない格好をしているが、彼女も参戦するようだ。妖夢と幽々子にルールを教えていた時に一緒に耳を傾けていた。
「さぁて。全員集まったわね」
霊夢が神社から出てきた。一番やる気なのは彼女なのだろう。既に満面の笑みだ。もう朱鷺のことは彼女の頭の中に無いのだろう。
「妖夢、幽々子。練習するわよ!」
さて。すっかりはりきっている霊夢達の様子を見ながら、僕は後から来た四人にルールを教えるとしよう。
「来い!霊夢!一球目からかっとばしてやるぜ」
「あんたに私の球が打てるとでも?」
いよいよ試合開始だ。ちなみに各チームの構成はこうなっている。
博霊チーム───1番ピッチャー霊夢、2番キャッチャー紫、3番内野レミリア、4番外野咲夜
霧雨チーム───1番ピッチャー魔理沙、2番外野妖夢、3番キャッチャーアリス、4番内野幽々子
ルールは外の世界と同じだが、ツーアウトチェンジ。三回で勝負を決することになった。
「いいか、みんな。飛行は禁止だからな」
は~い!という返事が返ってきた。が、なんとなくとんでもない勝負になるのは気のせいだろうか?
「霖之助さん。コール、早くしてよ」
まあ、始まってみないと何も分からない。ここは腹くくって審判を勤めるとしよう。
「よし、プレーボール!」
僕のコールと共に霊夢が大きく振りかぶり、第一球を投げた!
球はふわっと投げられ、ゆっくりとホームに飛んでいる。素人目でも分かる、打ちごろの球だ。失投か?
「いただきだぜ───って、何ぃッ!」
ブゥン!
ポス。
「・・・・・・ス、ストライク!」
霧雨チームの全員が唖然としていた。僕も然り。
「な、なんだぁ。今の球は・・・」
魔理沙の驚愕の声もまた然りで、霊夢の球は真ん中辺りから突然軌道を変えてあらゆる方向に曲がりくねりながら飛来したのだ。確か、こういった球質を変化球と言うんだったか。いささか曲がりすぎのような気がしないでもない。
「香霖!あきらかに反則だろ、アレ!球に術を付加してやがるぜ」
「魔理沙。アンタはルールを理解してないのかしら。ねぇ、霖之助さん?」
紫から受け取った球を見ると、別に何も付けられてはいない。霊夢の術が作用しているのは間違いないのだが、確かルールでは・・・
「ボールに何か───土や唾なんかを故意につけて投げた場合が反則・・・だったかな?」
「そう。私は術を付加しただけ。別に、球という「モノ」を変化させるようなものは付けてはいないわ」
「なんだそりゃ・・・・・・」
頭を垂れる魔理沙。どうやら抗議の怒りを通り越して呆れてしまったようだ。
ブゥン!ブゥン!
「ストライク!バッターアウト!」
なまじ威勢の良いスウィングが余計に哀愁を誘っている。霊夢は早速得意げだ。
「ふっふーん。これでワンアウトね」
「くっそー・・・覚えてろよぉ・・・・・・」
魔理沙が去り際にぶつぶつ言っていたのが気になるが、とりあえずこれで試合は順調な滑り出しを見せた。入れ替わりに次のバッターである妖夢が座席に入る。
「行くわよ霊夢。貴方のその球を遥か幻想卿の彼方まで弾き飛ばしてやるわ」
「言うじゃない、半人前め。私の球が打てるかしら!」
霊夢の奴。すっかり有頂天だ。高々と振りかぶられた霊夢の手から、自慢の変化球が投げられる!
「フッ!」
「!?」
妖夢の目が突然紅く染まった。
「待宵反射衛星『打』!」
カキーン!
「嘘ッ!」
球は放物線を描いて飛んでいき外野を守る咲夜の手前で地に落ちた。妖夢は既に一塁を踏んでいる。全く綺麗なヒットになった。
それにしても、僕の目にはバットはボールに当たってなかったように見えるのだけど・・・?
幸か不幸か試合中なので誰も僕に今起きた不思議を説明してくれはしない。分からないことは気にしないが信条の僕にとっては、難解な説明を無理に理解しようとするよりも、不思議は不思議で認めてしまった方が容易いのではあるけれど。
「むぅ。やるわね、半人前のくせに」
霊夢は何が起きたか理解しているようだ。少しだけ不機嫌そうに、地面を足で擦った。
しかし、そこはやはりいつも飄々としている霊夢らしくすぐに立ち直り次のバッターであるアリスを三振にしとめてチェンジ。0対0のまま一回表を終えた。
一回裏。奇しくも表とは投打反対、ピッチャー魔理沙対バッター霊夢となった。魔理沙の目には明らかに復讐のの炎が宿っている。
「霊夢よ。さっきの借りは返させて貰うぜ」
「ぜいぜい倍付けにならないようにね」
霊夢はそんな魔理沙の様子を見て楽しんでいるのだろう。趣味が悪い。
「いくぜッ!」
「来なさいッ!」
魔理沙が大きなモーションで第一球を投げた。
ズバアァァアンッ!!
「え?」
鋭い破裂音の後の沈黙を、霊夢の惚けた声がかき消した。
キャッチャーのアリスがすくっと立ち上がって、魔理沙に向けて球を投げ返した。ぱしっと受けた魔理沙は、
「香霖、判定は?」
と聞いてきた。
・・・・・・・・・正直見えなかった。おそらく魔理沙も何かしら術を付加しているんだろう。とりあえずストライクと言っておく。
「あんな速い球、よく取れたな。アリス」
僕はしゃがもうとしていたアリスに話しかけた。
「ああ、こういう仕掛けよ」
そう言ったアリスはミットを裏返して見せた。そこには小さな人形が三体、ミットを支えるようにして掴まっていた。
「そういうことか」
さすがに魔法使いといえど、魔理沙のあの球を受けるのは大変だろう・・・これ位は見逃しておこう。
早速だが魔理沙が投球モーションに入った。二球目。
ブンッ!
ズバアァァアン!!
「ストライク!」
「速過ぎるわよ、こんなの・・・」
もはや霊夢は打つことを諦め、バットを闇雲に振っている。
三球目。
ブンッ!
カキン。
「え?───やった!」
「外野だ!」
適当に振るったバットが偶然にも当たったようだ。この紅白、本当に悪運が強い。
打球はふらふらとあがってポトリと妖夢の前に落ちた。素早い捕球で一塁に送球するが、霊夢の方が一足早いだろう。と、霊夢がいきなり何も無い筈の所でつまずいた。
「きゃっ!」
ベシャッ。
「おいおい、霊夢大丈夫か?」
霊夢に駆け寄る。
「うう~・・・服が汚れた・・・」
「何やってたんだ?何も無い所でつまずいたりして・・・」
霊夢がこけた間に球は一塁の幽々子の所に届いていたようだ。アウトを宣告しておく。
つまずいた所を確認しても何もなかった。
「本当、何でつまずいたりなんかしたんだろ私」
霊夢は首をかしげながらしぶしぶベンチへ戻っていった。
ネクストバッターは紫。
「お手柔らかに」
そう言って打席に入った紫だったが、適当に構えているのか、バットの先がぐらぐらと揺れ動いている。
「行くぜッ!」
ズバアァァアン!!
ブウゥン。
完全な振り遅れだ。
「紫ー!やる気あるんでしょうねー!」
ベンチの霊夢からの叱責にくすくす笑っている様子をみると、あまりやる気はないらしい。
ブン。
ズバアァァアン!!
二球目は早く振りすぎだ。魔理沙は意気揚々と球を受け取る。
「コラー!しっかりしないさいよ!」
またも叱責。霊夢はこの勝負、本当に勝つ気でいるようだ。
しかし、振り遅れから一転して早めに振ってきたと言うことは、紫は打つ気でいるのかもしれない。
魔理沙の第三球。果たして結果は───
コキーン。
「なッ!」
見事にジャストミート。ポーンと跳ね上がった球は球威に押されたのか少しずつ左に逸れながら、しかしそれがむしろいい具合に一塁から遠い場所に落下しそうだ。
外野の妖夢が走りこんでワンバウンドした球を受け止めたが、今から送球しても間に合わないだろう。
「あら?」
ズベンッ!
不意に一塁側から大きな音が聞こえた。振り向いて見ると、
「あたたた・・・」
紫までもが一塁手前で転んでいた。ゆっくり立ち上がっている最中に球が一塁に届き、ツーアウト。チェンジだ。
何か落ちているかと思って注視したが、やはりそこには何も落ちていない。首をかしげていると、ベンチの霊夢から大声が届いた。
「幽々子ぉー!!アンタ卑怯よ!」
ベンチの方に向きなおすと霊夢が目を吊り上げてこちらに歩いてきた。
僕の後ろから、ベンチに戻ろうとしていた幽々子がひょこっと顔を出した。
「なぁに?霊夢。私は何もしてないわよ?」
きょとんとする幽々子に霊夢が詰め寄った。
「嘘をつくなっ!アンタ、私達の死を操ったわね!」
死を操る───それは幽霊である幽々子が持つ特殊能力だ。でも死を操るなんて・・・ん?
ピンと来た。おそらく幽々子は野球としての死を、つまりこの球技で言うアウトを操ったのだろう。
「そうか。それで何もない所で転んだりしたわけだ」
「あら、ばれちゃった。でも、霊夢達だって自分の力を使ってるのだから私だけ駄目な訳はないわよね?」
確かに幽々子の言うとおりだが、この力はいささか強力すぎる気がする。
「霖之助さん、この回は無効。やり直しよ!」
霊夢の訴えも・・・気持ちは理解できる。しかし幽々子だけ認めないわけにもいかない。どうにもいかなくなった僕は、二人に妥協案を提示することにした。
「とりあえず、この回は有効で、幽々子は次回から力の使用は無しということでどうだろう。幽々子の力はさすがに強力すぎて乱用されると試合にならない」
「それなら・・・まあ我慢してあげるわ」
霊夢はしぶしぶ納得したようでそのままマウンドに向かった。一方の幽々子は気にした風もなくベンチに戻っていった。
貧乏神社の巫女とは違い、お嬢様には余裕があるようだ。もちろん、そういう性分なだけかもしれないが。
二回表。霊夢の摩訶不思議な変化球を捕らえられずに4番幽々子三振。1番魔理沙はピッチャーフライに倒れた。
二回裏。3番レミリアからの打順だ。
「めちゃめちゃにしてやるわ、魔理沙!」
「はんッ!上等だぜ」
威勢の良いレミリアだったが、完全な振り遅れで二球続けてストライク。
「もぉー!何で打てないのよー!」
すっかり怒ってしまったお嬢様はバットをブンブンと振り回している。
「これでワンアウトだッ!」
魔理沙渾身の一球。しかし、
「やだぁーッ!」
コン。
闇雲に振ったバットに当たった。
「レミリア様。当たってますよ!」
ベンチからの従者の声にレミリアの、苛立ちでぎゅっと瞑られていた目が開かれた。
「やた!当たってる!」
「レミリア様。走らないと」
当たった球は魔理沙の前にポトンと転がっている。いくら幽々子の力が無くなったとはいえ、これは完璧なアウトだろう。
「よし、取った!幽々子行くぞ!」
魔理沙が送球のモーションに入る。レミリアはまだバットを放してこれから走り出すところだ。
バサァッ!
「うわ!」
突然レミリアの体が弾け飛び、そこから無数の蝙蝠が現れた。蝙蝠は物凄いスピードで一塁に向かって飛翔する。
魔理沙の送球が届く寸前、蝙蝠は一塁のベース上で集まり、再びレミリアの形を取り戻した。セーフ・・・なのだろう。
「香霖!今のは飛んでるんじゃないのか!?」
魔理沙の抗議を左耳から聞いて右耳から流す。正直疲れた。本当にここの連中は理解不能なことばかりする。いい加減うんざりしてきた。
「今のはセーフ。但し次からの使用は禁止だ!」
レミリアは一塁上でぶー垂れていたが、そんなことは知らない。仮にも僕は審判で、そして普通の人間だ。審判の理解を超えることばかりやらないでくれ。頼むから。
次に打席に入ったの紅魔館のメイド咲夜。このメイドも、一癖も二癖もある。
塁に出た主に続きたいところだが、全く振らずに二球連続で見逃しツーストライク。
「咲夜!打ちなさいよ!」
主からの命令に、
「分かっていますわ、お嬢様」
とお辞儀までする始末。何か企んでいるのだろう。
「あの館のメイド長もたいしたことないぜ」
「あら?甘く見ないでくださるかしら?」
魔理沙と咲夜、二人の間で火花が散った後の第三球。
「おりゃあぁぁぁぁ!!」
裂帛の気合と共に投げられた魔理沙の球は、唇の端をわずかにあげた咲夜に、
カキィーーーーン!
外野を越えて遥か彼方まで打ち返されてしまった。文句なしのホームラン。
もはや考えるまでもない。時を止める力を持つ咲夜にとって、球の速さは関係なかったのだ。
「今のは・・・無しだぜ・・・ああそうだ!無しだ!時を止めたら誰にだって打てるぜ、香霖!」
球の行方を眼で追っていた魔理沙が、視界から球が消えてこちらを向いて言った。
その言を聞いた霊夢がベンチからから飛び出してくる。
「ちょっと魔理沙!見苦しいわよ!それにアンタらだって色々やってくれてるじゃない!」
「なんだと?いっちょ戦るか!?」
・・・・・・・・・。
「コラ」
ゴンッ。
「痛ぁー!」
「いってー・・・なにするんだよ香霖!」
思い切り二人の頭に拳骨を落としてやった。さらに続ける。
「今のホームランは有効。そして次の回から力の使用は一切禁止。わかったな」
二人は僕の審判らしい態度に面食らったようだ。魔理沙はマウンドに、霊夢はベンチにそれぞれしぶしぶ帰っていく。
やっと審判らしく取りしきることができた。やはり、ルールは少しぐらい高圧的でなくては機能しないのだ。
結局その回は霊夢、紫共に三振に倒れてチェンジとなった。
三回表、この野球がいかに能力に頼ったものだったか、その全貌が明かされる。
「霊夢ー!しっかりしなさいよねー!」
内野を守るレミリアの声が霊夢に突き刺さる。
「ぐっ・・・」
霊夢は唸って顔を伏せた。確かにそうしたくなる状況だろう。
ボールへの術の付加を禁止された霊夢の投球は乱れに乱れ、妖夢、アリス、幽々子の三人を連続フォアボールで歩かせてしまった。
「あぁーっ!もおっ!」
だいぶキてるようだ。頭を抱えてしゃがみこんでいる霊夢に向かって魔理沙が
「サヨナラだ。今晩の鍋は白味噌で決まりだぜ!」
まるで決めゼリフのように言い放った。まだ忘れてはいなかったのか。
と、紫が立ち上がり、
「霊夢、わたしにも投げさせてもらってもいいかしら?」
そう言って歩み寄った。
「何、紫?勝算でもあるの?」
霊夢の問いに紫が答え、それから球を受け取った。
「なんだ、ピッチャー交代か?言っとくが、私は打つ気まんまんだぜ?」
魔理沙が構え、霊夢が座り、紫が振りかぶる。
ビュッ!
投げられた球はまっすぐにキャッチャーに向かって飛ぶ。
が、球速はいまいち。魔理沙が思い切りバットを振った!
ブゥン!
「!?」
当たると思われた瞬間ボールが消えた・・・て、力の使用は禁止しただろう!境界にボールを入れてこの空間から消したのだ。
空振りし、尻餅をついた魔理沙が立ち上がり、
「おい紫。今のは───」
「紫!球は!」
霊夢が立ち上がって大声を上げた。そのミットの中には納まっているはずの球が・・・ない。
「あら?あら?・・・・・・・・・・・・・・・どこかにいっちゃったわね」
皆の動きが止まる。一拍おいて───
「暴投だ!走れぇーーーー!」
魔理沙の掛け声と共に一斉に動きだした。
柔らかな日差しが心地よい陽気を誘う午後。僕は前日に読むはずだった本を開いている。
昨日のその後は、結局白味噌になった朱鷺鍋を皆で食べ、博霊神社でのお泊まり会となった。当然僕は帰ってきたが、心労からかすぐに眠ってしまった。
霊夢は白い出汁に浮いた朱鷺を気持ち悪そうに眺めていたが、最後にはおいしそうに一番の量を食べていた。
全く、のんびりと時間を過ごせるは良いことだ。今日ばかりは来客を望まない。
テーブルの脇に置いたカップを手に取り、一口飲む。トンと置いて、次のページに進もうと手を伸ばした瞬間───
バァン!
勢いあまって弾け飛びそうになるほどの力で扉を開いて、めでたい紅白と不吉な黒白がやってきた。
「いやー!また朱鷺を捕まえてなー!」
「そうなのよ、霖之助さん。それでまたどっちの味噌がいいか争ってるのよ」
霊夢の手には朱鷺が四匹握られている。一方の魔理沙の手には、昨日のあの本───
「それで、今日はコレで決着を着けようと思ってるんだがな・・・」
「霖之助さん、今日も暇よねー?」
開かれた本には大きな文字で「サッカー」と書かれていた。
「・・・ハァ・・・。これがやってみたくてわざわざ朱鷺を捕まえたな・・・?」
そう言って僕が諦めの視線を向けると、二人はわざとらしく笑みを作ってみせた。
のんびりと時間を過ごせるのは良いことだけれども、こうも客の出入りが無いのは店としては如何なものか。
テーブルの脇に置かれた湯飲みに手を伸ばし、一口啜る。コトリと置いて、紙の端を優しく掴んでページを捲ろうとした瞬間───
バンッ!
店の扉が勢いよく開き、すぐさま二人の少女が来店した。
「おい霊夢。この間はお前のだったんだから今回は私の番だぜ」
「何言ってるのよ魔理沙。折角の上物を台無しにする気?」
二人の少女───博霊霊夢と霧雨魔理沙は何事かは知らないが、早くもヒートアップしているようだ。
「二人とも。何をそんなに───」
言い争っているんだ?と問いかけようとしたが、すぐさま原因に気がついて僕はその言葉を飲み込んだ。
魔理沙の右手には、これまた丸々太った朱鷺が鷲掴みにされていたのである。それも三羽も。おそらく二人はその朱鷺鍋の味噌を争っているんだろう。
前にも同じことがあり、二人は「弾幕ごっこ」により勝敗を決した。その時の鍋は勝者であった霊夢の希望通り赤味噌で食べることになったのだが・・・。
「そもそも、前回はきちんと勝負をした結果の上でじゃない。それを次は順番だなんてナンセンスよ」
「ったく。神職ってのはもう少しぐらいは穏やかでもいいんじゃないのか?」
「そんなんじゃ幻想卿での巫女なんてやってられないわ」
二人はなおも言い争っている。この店はそういうことに使う場所ではないということを、いい加減分からせなければならないのかもしれない。
とりあえず、店の中でドンパチやられるわけにはいかないので口を出すことにしよう。
「霊夢、魔理沙。あまり店内で騒がないでくれ。ここには貴重な物だって置いてあるんだ」
すると二人は今更になって僕を見つけたように、
「お邪魔するわね、霖之助さん」
「おう、香霖。邪魔するぜ」
のん気なものだ。既に僕の有意義な読書タイムは十分に邪魔されてしまっている。客として来店したわけでもないのだから立派な営業妨害だ。
この頻繁に店に訪れる、客でもない二人をどうやって訴えたらよいものかと思案していると、
「このままじゃ埒が明かないぜ」
「そうね。とりあえず捌いておきましょうか。霖之助さん、台所借りるわね」
急に話を振られてしまった。すっかり彼女達のペースである。
もう、半ば諦めた。夕食の心配をしないで済む辺りが唯一の救いと言えば救いだろう。
「ああ、いいよ。ちなみに赤味噌も白味噌も置いてあるから」
「あら、気が利くじゃない」
霊夢はそういって笑い、魔理沙から朱鷺を乱暴に受け取ってさっさと台所に引っ込んでしまった。
台所の方から何かしら歌が聞こえる。おそらく霊夢の鼻歌だろう。鼻歌を歌いながら生き物を捌く巫女というのもどうなのだろう。倫理的に。
魔理沙は魔理沙で暇なのか、先ほどから本棚を適当に漁っている。普段は手に取ることの少ない外の世界の本ばかりを集めている本棚だ。
全く、こういうことになると分かっていたならこの間、僕が知っている「朱鷺の一番美味い調理法」を二人に教えておくべきだった。が、僕には未来を事前に知る力は無いし、様々な能力を持つ幻想卿の住人達の中でも僕が知っている限りにおいてはその力を持ち合わせる者はいない。
「ん?香霖、ちょっと来てくれ」
魔理沙に呼ばれ、椅子から立ち上がった。
「何か見つけたの魔理沙?」
霊夢のちょうど捌き終わったのか、台所から出てきた。
「こいつを見てくれ。なんか面白そうだぜ」
僕と霊夢、二人して覗き込んだ本には大きな文字で「野球」と書かれていた。
───東方白球魂───
「野球?何それ」
「私にも分からないぜ。香霖、お前は知ってるか?」
「いや、僕も知らないが・・・」
知らないものを知るために文献というものはあるわけで、僕は魔理沙から本を受け取り、そこに書かれていた解説文を流し読みした。
「なんでも、外の世界の運動競技で球を棒で打ち合って勝敗を決めるらしい」
「へぇー。面白そうじゃない」
霊夢が僕の持つ本を覗き込む。
「なぁ霊夢。朱鷺鍋の決着、コレで決めないか?」
「ん~。良いかもしれないわね」
こういうことを言い出すのは常に魔理沙なので彼女は別として、霊夢にしては珍しくノリ気だ。もしかしたら「弾幕ごっこ」をやらなかったために消化不良になっていたのかもしれない。
「でもこれは二人でする競技じゃないみたいだぞ」
ルールの欄には一チーム最低九名が必要だと書いてある。
「なら人を集めれば良いだけだろ。この間のメンバーなら暇だろうし、すぐに集まるぜ」
魔理沙はもうやる気十分だ。この間のメンバーとは月に異変が起きた時に事態の解決に向かったメンバーのことだろう。それでもまだまだ人数は足りていないのだが。
「規模を小さくすればなんとかなるんじゃない?」
霊夢らしいあっけらかんとした物言いに少々落胆したが、まあ彼女の言う通りかもしれない。ルールとは時と場合で色々と変化していくものだ。
「それじゃあ私は紅魔館の方へ声を掛けてくるぜ」
「じゃ、私は西行のお屋敷ね」
まるで矢のように駆け出していこうとする二人を、僕は慌てて彼女達を引きとめようとする。
「ちょっと待て。ルール知らないのにどうするつもりだ。後、道具とかどうするんだ?」
二人が首だけで振り返り、
「霖之助さんが覚えててねー!」
「漁れば出てくるだろー!」
そう言って飛び去った。
別に僕が「野球」というものをするわけではないのに僕がルールを覚えても意味が無いとか、いくらなんでもそんな道具はこの店には無いだろうとか、そういう正論はものの見事に聞く耳さえ持たれなかった。全くいつも通り慌ただしい奴らである。
とりあえず、僕は本を片手に店の物置を漁らなくてはならないらしい。
その日の夜、僕は博霊神社に呼び出された。どうやら本当に「野球」というものをやる気らしい。
二人から頼まれていたこと(半強制で押し付けられたものだが)結論から言うと、僕は両方こなしてしまった。店の物置には「野球」に必要な道具が一通り揃っていたし、探す片手間に読んだルールも大体覚えてしまった。
「あら、店主。どうなさいました?」
背後からから声を掛けてきたのは紅魔館のメイド長十六夜咲夜と、
「あなたも霊夢に呼ばれたのね」
その館の主であるレミリア・スカーレットだ。
さらにその後方から人影が二つ。魔理沙と魔理沙の住む森の人形遣いアリス・マーガトロイドのようだ。
「ちょっと魔理沙。本当に面白いんでしょうね?」
「疑り深い奴だな・・・そうそう香霖。捌いた朱鷺はどうした?」
「もちろん持ってきてある。それより、本当にやるつもりなのか?」
そう言うと魔理沙は首をかしげた。
「何言ってるんだ?やるためにメンバーを集めたんだろ」
いや、僕が言っているのはそういう結果論的なことではなくて・・・もういいか。やる気になっているのに水を差すものなんだか悪い気がする。
神社前の広場には既にベースとかいうものも置いて、ラインも引いている。当然僕の仕事だ。霊夢達はただ勝負することに夢中になっていて、誰も準備をしようとしない。こんなことは彼女達に関わっているとしょっちゅうなので、いい加減僕も慣れてしまった。
「古ぼけた球ねぇ・・・」
「幽々子様、このバットと言う物は剣に似ていて振りやすいですよ」
地面でボールを転がして眺めているのは西行寺家のお嬢様である西行寺幽々子。その傍らでバットと呼ばれる棒を、なにやら物騒な様子で振り回しているのは庭師の魂魄妖夢だ。彼女達にはあらかたのルールを教えてある。理解したかどうかは別問題だが。あの様子を見ている限り、理解はしていないのだろう。
それからもう一人、神社の縁側でのんびりとお茶を啜っているのは八雲紫という境界を操る妖怪だ。全く運動にそぐわない格好をしているが、彼女も参戦するようだ。妖夢と幽々子にルールを教えていた時に一緒に耳を傾けていた。
「さぁて。全員集まったわね」
霊夢が神社から出てきた。一番やる気なのは彼女なのだろう。既に満面の笑みだ。もう朱鷺のことは彼女の頭の中に無いのだろう。
「妖夢、幽々子。練習するわよ!」
さて。すっかりはりきっている霊夢達の様子を見ながら、僕は後から来た四人にルールを教えるとしよう。
「来い!霊夢!一球目からかっとばしてやるぜ」
「あんたに私の球が打てるとでも?」
いよいよ試合開始だ。ちなみに各チームの構成はこうなっている。
博霊チーム───1番ピッチャー霊夢、2番キャッチャー紫、3番内野レミリア、4番外野咲夜
霧雨チーム───1番ピッチャー魔理沙、2番外野妖夢、3番キャッチャーアリス、4番内野幽々子
ルールは外の世界と同じだが、ツーアウトチェンジ。三回で勝負を決することになった。
「いいか、みんな。飛行は禁止だからな」
は~い!という返事が返ってきた。が、なんとなくとんでもない勝負になるのは気のせいだろうか?
「霖之助さん。コール、早くしてよ」
まあ、始まってみないと何も分からない。ここは腹くくって審判を勤めるとしよう。
「よし、プレーボール!」
僕のコールと共に霊夢が大きく振りかぶり、第一球を投げた!
球はふわっと投げられ、ゆっくりとホームに飛んでいる。素人目でも分かる、打ちごろの球だ。失投か?
「いただきだぜ───って、何ぃッ!」
ブゥン!
ポス。
「・・・・・・ス、ストライク!」
霧雨チームの全員が唖然としていた。僕も然り。
「な、なんだぁ。今の球は・・・」
魔理沙の驚愕の声もまた然りで、霊夢の球は真ん中辺りから突然軌道を変えてあらゆる方向に曲がりくねりながら飛来したのだ。確か、こういった球質を変化球と言うんだったか。いささか曲がりすぎのような気がしないでもない。
「香霖!あきらかに反則だろ、アレ!球に術を付加してやがるぜ」
「魔理沙。アンタはルールを理解してないのかしら。ねぇ、霖之助さん?」
紫から受け取った球を見ると、別に何も付けられてはいない。霊夢の術が作用しているのは間違いないのだが、確かルールでは・・・
「ボールに何か───土や唾なんかを故意につけて投げた場合が反則・・・だったかな?」
「そう。私は術を付加しただけ。別に、球という「モノ」を変化させるようなものは付けてはいないわ」
「なんだそりゃ・・・・・・」
頭を垂れる魔理沙。どうやら抗議の怒りを通り越して呆れてしまったようだ。
ブゥン!ブゥン!
「ストライク!バッターアウト!」
なまじ威勢の良いスウィングが余計に哀愁を誘っている。霊夢は早速得意げだ。
「ふっふーん。これでワンアウトね」
「くっそー・・・覚えてろよぉ・・・・・・」
魔理沙が去り際にぶつぶつ言っていたのが気になるが、とりあえずこれで試合は順調な滑り出しを見せた。入れ替わりに次のバッターである妖夢が座席に入る。
「行くわよ霊夢。貴方のその球を遥か幻想卿の彼方まで弾き飛ばしてやるわ」
「言うじゃない、半人前め。私の球が打てるかしら!」
霊夢の奴。すっかり有頂天だ。高々と振りかぶられた霊夢の手から、自慢の変化球が投げられる!
「フッ!」
「!?」
妖夢の目が突然紅く染まった。
「待宵反射衛星『打』!」
カキーン!
「嘘ッ!」
球は放物線を描いて飛んでいき外野を守る咲夜の手前で地に落ちた。妖夢は既に一塁を踏んでいる。全く綺麗なヒットになった。
それにしても、僕の目にはバットはボールに当たってなかったように見えるのだけど・・・?
幸か不幸か試合中なので誰も僕に今起きた不思議を説明してくれはしない。分からないことは気にしないが信条の僕にとっては、難解な説明を無理に理解しようとするよりも、不思議は不思議で認めてしまった方が容易いのではあるけれど。
「むぅ。やるわね、半人前のくせに」
霊夢は何が起きたか理解しているようだ。少しだけ不機嫌そうに、地面を足で擦った。
しかし、そこはやはりいつも飄々としている霊夢らしくすぐに立ち直り次のバッターであるアリスを三振にしとめてチェンジ。0対0のまま一回表を終えた。
一回裏。奇しくも表とは投打反対、ピッチャー魔理沙対バッター霊夢となった。魔理沙の目には明らかに復讐のの炎が宿っている。
「霊夢よ。さっきの借りは返させて貰うぜ」
「ぜいぜい倍付けにならないようにね」
霊夢はそんな魔理沙の様子を見て楽しんでいるのだろう。趣味が悪い。
「いくぜッ!」
「来なさいッ!」
魔理沙が大きなモーションで第一球を投げた。
ズバアァァアンッ!!
「え?」
鋭い破裂音の後の沈黙を、霊夢の惚けた声がかき消した。
キャッチャーのアリスがすくっと立ち上がって、魔理沙に向けて球を投げ返した。ぱしっと受けた魔理沙は、
「香霖、判定は?」
と聞いてきた。
・・・・・・・・・正直見えなかった。おそらく魔理沙も何かしら術を付加しているんだろう。とりあえずストライクと言っておく。
「あんな速い球、よく取れたな。アリス」
僕はしゃがもうとしていたアリスに話しかけた。
「ああ、こういう仕掛けよ」
そう言ったアリスはミットを裏返して見せた。そこには小さな人形が三体、ミットを支えるようにして掴まっていた。
「そういうことか」
さすがに魔法使いといえど、魔理沙のあの球を受けるのは大変だろう・・・これ位は見逃しておこう。
早速だが魔理沙が投球モーションに入った。二球目。
ブンッ!
ズバアァァアン!!
「ストライク!」
「速過ぎるわよ、こんなの・・・」
もはや霊夢は打つことを諦め、バットを闇雲に振っている。
三球目。
ブンッ!
カキン。
「え?───やった!」
「外野だ!」
適当に振るったバットが偶然にも当たったようだ。この紅白、本当に悪運が強い。
打球はふらふらとあがってポトリと妖夢の前に落ちた。素早い捕球で一塁に送球するが、霊夢の方が一足早いだろう。と、霊夢がいきなり何も無い筈の所でつまずいた。
「きゃっ!」
ベシャッ。
「おいおい、霊夢大丈夫か?」
霊夢に駆け寄る。
「うう~・・・服が汚れた・・・」
「何やってたんだ?何も無い所でつまずいたりして・・・」
霊夢がこけた間に球は一塁の幽々子の所に届いていたようだ。アウトを宣告しておく。
つまずいた所を確認しても何もなかった。
「本当、何でつまずいたりなんかしたんだろ私」
霊夢は首をかしげながらしぶしぶベンチへ戻っていった。
ネクストバッターは紫。
「お手柔らかに」
そう言って打席に入った紫だったが、適当に構えているのか、バットの先がぐらぐらと揺れ動いている。
「行くぜッ!」
ズバアァァアン!!
ブウゥン。
完全な振り遅れだ。
「紫ー!やる気あるんでしょうねー!」
ベンチの霊夢からの叱責にくすくす笑っている様子をみると、あまりやる気はないらしい。
ブン。
ズバアァァアン!!
二球目は早く振りすぎだ。魔理沙は意気揚々と球を受け取る。
「コラー!しっかりしないさいよ!」
またも叱責。霊夢はこの勝負、本当に勝つ気でいるようだ。
しかし、振り遅れから一転して早めに振ってきたと言うことは、紫は打つ気でいるのかもしれない。
魔理沙の第三球。果たして結果は───
コキーン。
「なッ!」
見事にジャストミート。ポーンと跳ね上がった球は球威に押されたのか少しずつ左に逸れながら、しかしそれがむしろいい具合に一塁から遠い場所に落下しそうだ。
外野の妖夢が走りこんでワンバウンドした球を受け止めたが、今から送球しても間に合わないだろう。
「あら?」
ズベンッ!
不意に一塁側から大きな音が聞こえた。振り向いて見ると、
「あたたた・・・」
紫までもが一塁手前で転んでいた。ゆっくり立ち上がっている最中に球が一塁に届き、ツーアウト。チェンジだ。
何か落ちているかと思って注視したが、やはりそこには何も落ちていない。首をかしげていると、ベンチの霊夢から大声が届いた。
「幽々子ぉー!!アンタ卑怯よ!」
ベンチの方に向きなおすと霊夢が目を吊り上げてこちらに歩いてきた。
僕の後ろから、ベンチに戻ろうとしていた幽々子がひょこっと顔を出した。
「なぁに?霊夢。私は何もしてないわよ?」
きょとんとする幽々子に霊夢が詰め寄った。
「嘘をつくなっ!アンタ、私達の死を操ったわね!」
死を操る───それは幽霊である幽々子が持つ特殊能力だ。でも死を操るなんて・・・ん?
ピンと来た。おそらく幽々子は野球としての死を、つまりこの球技で言うアウトを操ったのだろう。
「そうか。それで何もない所で転んだりしたわけだ」
「あら、ばれちゃった。でも、霊夢達だって自分の力を使ってるのだから私だけ駄目な訳はないわよね?」
確かに幽々子の言うとおりだが、この力はいささか強力すぎる気がする。
「霖之助さん、この回は無効。やり直しよ!」
霊夢の訴えも・・・気持ちは理解できる。しかし幽々子だけ認めないわけにもいかない。どうにもいかなくなった僕は、二人に妥協案を提示することにした。
「とりあえず、この回は有効で、幽々子は次回から力の使用は無しということでどうだろう。幽々子の力はさすがに強力すぎて乱用されると試合にならない」
「それなら・・・まあ我慢してあげるわ」
霊夢はしぶしぶ納得したようでそのままマウンドに向かった。一方の幽々子は気にした風もなくベンチに戻っていった。
貧乏神社の巫女とは違い、お嬢様には余裕があるようだ。もちろん、そういう性分なだけかもしれないが。
二回表。霊夢の摩訶不思議な変化球を捕らえられずに4番幽々子三振。1番魔理沙はピッチャーフライに倒れた。
二回裏。3番レミリアからの打順だ。
「めちゃめちゃにしてやるわ、魔理沙!」
「はんッ!上等だぜ」
威勢の良いレミリアだったが、完全な振り遅れで二球続けてストライク。
「もぉー!何で打てないのよー!」
すっかり怒ってしまったお嬢様はバットをブンブンと振り回している。
「これでワンアウトだッ!」
魔理沙渾身の一球。しかし、
「やだぁーッ!」
コン。
闇雲に振ったバットに当たった。
「レミリア様。当たってますよ!」
ベンチからの従者の声にレミリアの、苛立ちでぎゅっと瞑られていた目が開かれた。
「やた!当たってる!」
「レミリア様。走らないと」
当たった球は魔理沙の前にポトンと転がっている。いくら幽々子の力が無くなったとはいえ、これは完璧なアウトだろう。
「よし、取った!幽々子行くぞ!」
魔理沙が送球のモーションに入る。レミリアはまだバットを放してこれから走り出すところだ。
バサァッ!
「うわ!」
突然レミリアの体が弾け飛び、そこから無数の蝙蝠が現れた。蝙蝠は物凄いスピードで一塁に向かって飛翔する。
魔理沙の送球が届く寸前、蝙蝠は一塁のベース上で集まり、再びレミリアの形を取り戻した。セーフ・・・なのだろう。
「香霖!今のは飛んでるんじゃないのか!?」
魔理沙の抗議を左耳から聞いて右耳から流す。正直疲れた。本当にここの連中は理解不能なことばかりする。いい加減うんざりしてきた。
「今のはセーフ。但し次からの使用は禁止だ!」
レミリアは一塁上でぶー垂れていたが、そんなことは知らない。仮にも僕は審判で、そして普通の人間だ。審判の理解を超えることばかりやらないでくれ。頼むから。
次に打席に入ったの紅魔館のメイド咲夜。このメイドも、一癖も二癖もある。
塁に出た主に続きたいところだが、全く振らずに二球連続で見逃しツーストライク。
「咲夜!打ちなさいよ!」
主からの命令に、
「分かっていますわ、お嬢様」
とお辞儀までする始末。何か企んでいるのだろう。
「あの館のメイド長もたいしたことないぜ」
「あら?甘く見ないでくださるかしら?」
魔理沙と咲夜、二人の間で火花が散った後の第三球。
「おりゃあぁぁぁぁ!!」
裂帛の気合と共に投げられた魔理沙の球は、唇の端をわずかにあげた咲夜に、
カキィーーーーン!
外野を越えて遥か彼方まで打ち返されてしまった。文句なしのホームラン。
もはや考えるまでもない。時を止める力を持つ咲夜にとって、球の速さは関係なかったのだ。
「今のは・・・無しだぜ・・・ああそうだ!無しだ!時を止めたら誰にだって打てるぜ、香霖!」
球の行方を眼で追っていた魔理沙が、視界から球が消えてこちらを向いて言った。
その言を聞いた霊夢がベンチからから飛び出してくる。
「ちょっと魔理沙!見苦しいわよ!それにアンタらだって色々やってくれてるじゃない!」
「なんだと?いっちょ戦るか!?」
・・・・・・・・・。
「コラ」
ゴンッ。
「痛ぁー!」
「いってー・・・なにするんだよ香霖!」
思い切り二人の頭に拳骨を落としてやった。さらに続ける。
「今のホームランは有効。そして次の回から力の使用は一切禁止。わかったな」
二人は僕の審判らしい態度に面食らったようだ。魔理沙はマウンドに、霊夢はベンチにそれぞれしぶしぶ帰っていく。
やっと審判らしく取りしきることができた。やはり、ルールは少しぐらい高圧的でなくては機能しないのだ。
結局その回は霊夢、紫共に三振に倒れてチェンジとなった。
三回表、この野球がいかに能力に頼ったものだったか、その全貌が明かされる。
「霊夢ー!しっかりしなさいよねー!」
内野を守るレミリアの声が霊夢に突き刺さる。
「ぐっ・・・」
霊夢は唸って顔を伏せた。確かにそうしたくなる状況だろう。
ボールへの術の付加を禁止された霊夢の投球は乱れに乱れ、妖夢、アリス、幽々子の三人を連続フォアボールで歩かせてしまった。
「あぁーっ!もおっ!」
だいぶキてるようだ。頭を抱えてしゃがみこんでいる霊夢に向かって魔理沙が
「サヨナラだ。今晩の鍋は白味噌で決まりだぜ!」
まるで決めゼリフのように言い放った。まだ忘れてはいなかったのか。
と、紫が立ち上がり、
「霊夢、わたしにも投げさせてもらってもいいかしら?」
そう言って歩み寄った。
「何、紫?勝算でもあるの?」
霊夢の問いに紫が答え、それから球を受け取った。
「なんだ、ピッチャー交代か?言っとくが、私は打つ気まんまんだぜ?」
魔理沙が構え、霊夢が座り、紫が振りかぶる。
ビュッ!
投げられた球はまっすぐにキャッチャーに向かって飛ぶ。
が、球速はいまいち。魔理沙が思い切りバットを振った!
ブゥン!
「!?」
当たると思われた瞬間ボールが消えた・・・て、力の使用は禁止しただろう!境界にボールを入れてこの空間から消したのだ。
空振りし、尻餅をついた魔理沙が立ち上がり、
「おい紫。今のは───」
「紫!球は!」
霊夢が立ち上がって大声を上げた。そのミットの中には納まっているはずの球が・・・ない。
「あら?あら?・・・・・・・・・・・・・・・どこかにいっちゃったわね」
皆の動きが止まる。一拍おいて───
「暴投だ!走れぇーーーー!」
魔理沙の掛け声と共に一斉に動きだした。
柔らかな日差しが心地よい陽気を誘う午後。僕は前日に読むはずだった本を開いている。
昨日のその後は、結局白味噌になった朱鷺鍋を皆で食べ、博霊神社でのお泊まり会となった。当然僕は帰ってきたが、心労からかすぐに眠ってしまった。
霊夢は白い出汁に浮いた朱鷺を気持ち悪そうに眺めていたが、最後にはおいしそうに一番の量を食べていた。
全く、のんびりと時間を過ごせるは良いことだ。今日ばかりは来客を望まない。
テーブルの脇に置いたカップを手に取り、一口飲む。トンと置いて、次のページに進もうと手を伸ばした瞬間───
バァン!
勢いあまって弾け飛びそうになるほどの力で扉を開いて、めでたい紅白と不吉な黒白がやってきた。
「いやー!また朱鷺を捕まえてなー!」
「そうなのよ、霖之助さん。それでまたどっちの味噌がいいか争ってるのよ」
霊夢の手には朱鷺が四匹握られている。一方の魔理沙の手には、昨日のあの本───
「それで、今日はコレで決着を着けようと思ってるんだがな・・・」
「霖之助さん、今日も暇よねー?」
開かれた本には大きな文字で「サッカー」と書かれていた。
「・・・ハァ・・・。これがやってみたくてわざわざ朱鷺を捕まえたな・・・?」
そう言って僕が諦めの視線を向けると、二人はわざとらしく笑みを作ってみせた。