「三日坊主なんて言葉はかけてもらえるだけまだありがたいのですね」
なんの断りもなくひとの部屋に入って早々、永江衣玖はそうのたまった。
「本当の怠け者というのはそもそも始めることすら始めない。スタートラインに立つことすらうだうだごねる生き物なのだと私はこのたび学びました」
ほとんど抑揚のない声。けれど心なしかその声はどこか気だるげだ。「呆れてます」ってそんな声。あ、いや、衣玖の声はいつもこんなか。
「昨日の茶道教室はどうされたのですか」
「あれ、なんで知ってるの?」
「私がききたいです」
ふう、とちいさなため息。
「今朝方、私のもとに茶道の先生から連絡があったのです、なぜか」
「そりゃ衣玖が私の保護者だからでしょ」
「知りません。なってません」
「てれんなよ」
「とにかく」
スルーされた!
「面倒なのです。朝から小言を言われるのも、こうしてあなたに会いにくるのも」
「あのね、衣玖。正直が常に美徳ってわけじゃないんだよ?」
「知っています。わかった上で言っています」
「ぐさり」
「ということですから、辞めるならとっとと辞めてください」
「や、やめないし!」
「しょっぱなからサボったくせしてなにを言うのです。どうせ次も休むのでしょう、意味もなく」
「決めつけいくない!」
「昨日だってごろごろ寝転んでいただけなのでしょうに」
ちらりと漫画の散らばった我が万年床を見た衣玖。
うぐぅ、と呻いてちいさくなった私。
「まあ、あなたがいかにして過ごされようと私にはどうでもよいことです」
いつもの如く無表情で衣玖は言う。
「どれだけ惰眠を貪ろうが、漫画やネットの海に溺れようとも、およそ関係ありません」
ですが、と衣玖は続ける。
「さすがにいささか黙っておくには忍びない。近頃のあなたは拍車をかけて酷い有り様です。目を瞑っておきたいところは山々ですが、私にも少しは良心というものがあるのですよ」
というわけでこれは、まことに不服ながらあなたのお目付け役を仰せつかったよしみでのアドバイスです。
「ちったあ、努力しやがってください」
***
私とてなにも生まれつきこのような怠け者だったわけではない。
まだ地上にいた頃は、その愛らしさと賢さで隣村まで名を馳せた。優れた両親のもとに生まれ、およそ人が欲しがるものを持ち合わせ、けれどそれにおごることなく、それに満足するわけでもなく、常に向上心を持ち、日々努力を続け、自らを磨き上げていた。
それがどうだ。
『努力』などという言葉はもはや私の辞書にはない。うんうん唸ってなんとか思い返そうとしてみたところで「頑張った」と胸を張って言えることなど天人になってからは何一つない。三年寝太郎もびっくりの体たらく。かれこれ一世紀近く、私にはなにかを成し遂げた記憶がなかった。
あんなに頑張っていた私は、すっかり頑張らなくなってしまっていた。
そしてなにより問題なのは、私自身がそのことに特になんの後ろめたさも感じていないことである。衣玖になんと言われようとも、そりゃあ一日二日は凹むが、しばらくするとけろっと忘れて、こうしてキーボードを叩いているのであった。
てんこちゃん>あーなんかプリン食べたいかも
こちゃあ>急にww
姫様>どんなの?
こちゃあ>あ、乗っちゃうんですね
てんこちゃん>かたいやつ。突き刺そうとしたスプーンが弾かれるような
お知らせ>『さとりん』さんが入室しました。
姫様>ザ・プディングってやつね、わかるわー
こちゃあ>とろとろのじゃなくてですか?
姫様>あんな軟弱なやつは私に言わせればプリンとは呼べない。もはや別物
てんこちゃん>さすがこちゃあお子様
姫様>こちゃあ(笑)
さとりん>こちゃあ(笑)
こちゃあ>ちょ、それやめ
てんこちゃん>てか、さとりん遅かったね、どしたの?
さとりん>久々に妹が帰ってきたもので。
姫様>おめでとーでおk?
さとりん>おーけーです。リア充してました。
てんこちゃん>わお
こちゃあ>リア充爆発しろ!
姫様>こちゃあ(笑)
てんこちゃん>こちゃあ(笑)
さとりん>こちゃあ(笑)
こちゃあ>こちゃあ(泣)
さとりん>プリンならうちの妹も好物です。よく作ってあげます。
てんこちゃん>え、さとりんの女子力…
姫様>さとりんは人妻とみた
さとりん>違います。
こちゃあ>さとりんさんはシスコンですよ!
さとりん>しがない中間管理職です。
姫様>なん…だと…?
てんこちゃん>さとりんがニートじゃない…だと…?
お知らせ>『姫様』さんが退室しました。
こちゃあ>ww
てんこちゃん>中間管理職とは具体的になんぞや?
さとりん>白黒つけなきゃ気が済まない堅物上司に小言を言われながら可愛らしいが優秀とは言い難い部下が持ってくる残念な書類の束とにらめっこしつつ煙草と珈琲と精神を消費するお仕事です。
てんこちゃん>おう…。
こちゃあ>滲み出るストレスww
お知らせ>『姫様』さんが入室しました。
姫様>ちょっと働いてきた
こちゃあ>うそはよくないですよー
てんこちゃん>さとりん凄いなあ
さとりん>えっへんです。
姫様>ぼくはね、働いたら負けだと思ってるんだよ
こちゃあ>でたww
てんこちゃん>こちゃあは働いてるの?
こちゃあ>勿論です!
姫様>へえ、なにしてんの?
こちゃあ>神さまをやっています
姫様>こちゃあ(笑)
てんこちゃん>こちゃあ(笑)
さとりん>こちゃあ(笑)
***
私と衣玖の出会いはかれこれ一世紀前にさかのぼる。
天界へと迎えられるその日、生まれて初めて見た妖怪が衣玖だった。緋色の衣を纏い、ふわふわと空から降りてきた彼女を私は初め天女かと思った。
かぐや姫は月の衣を着た途端、浮世の悲しみを忘れ、瞳は色を失ったそう。ちいさな頃よく聞かされたお伽噺の月の人々。話に出てくる天女たちに、衣玖はぴたりと重なった。
綺麗だけど変化に乏しい表情、透き通ってるけど抑揚のない声。
出会ったその日から衣玖はどうしようもなく衣玖だった。
「衣玖って笑うの?」
ふと思った。そう言えば私、このひとが笑った顔を見たことがない。
「……なんですか、藪から棒に」
衣玖は言う。「そもそもその質問はおかしくありませんか」
「ほわい?」
「あなたの言い方じゃまるで私が笑わないみたいじゃないですか」
「うん」と私。「いやだって、見たことないし」
「……おかしければ笑いますし、かなしければ泣きます」
「じゃあ笑ってよ」
「無理です」
衣玖はにべもなく言った。
「笑ったふりでいいから!」
「意味が分からない」
衣玖はちいさくため息をついて、「これだから七光りは」などとなにやら聞き捨てならないことをぶつぶつと呟いた。
「それであなたはどうしたいのですか」
「どうしたいって」うーん、と唸る。「どうしたいんだろ?」
私の言葉に衣玖は返事を返さなかった。向き合って座る彼女はただじっと黙ったままに私を見詰めた。
相変わらずのポーカーフェイス。けれど、心なしかその目つきが鋭い気がする。「あなたは馬鹿ですか」ってそんな目。あ、いや、衣玖はいつもこんなか。
にらめっこには自信がある私だが(家族調べ)、今の衣玖と戦う根性は生憎と持ち合わせてはいなかった。残念だが、衣玖の笑顔を拝見するのはまた今度にしよう、そうしよう。
うんうんと心の中で頷いた後、俯いて、プリンにスプーンを突き刺す。カップの中に入ったままのそいつは私のスプーンを弾くことなくどろりと情けなくとけた。
「やはりプリンはこれに限ります」はむり。
「うん、そだね」と私。
無理言って買ってもらってきた手前、「いやこれじゃねえし!」などとはさすがの私も言わない。ゆえに、黙ってちみちみ食べる。
なんだかんだで衣玖は面倒くさがりながらもこうして私に付き合ってくれる。毎日とはいわないが、監視といってちょくちょく顔を見せるし、電話一本でプリンも買ってきてくれる。
まあそれを衣玖が楽しんでいるかときかれるとちょっと困る。自信をもってYESとは言い難い。けれどなんとなくNOとは違う気がする。
「別に」頭の中で衣玖が言う。うん、たぶん彼女はそう言う。あの顔で、声で、なんでもないようにそう言うのだろう。
ふふふ、と私が笑うと、「なんですか急にきもちわるい」と辛辣な言葉を頂いた。
「別に」と私。「なんでもないよ」
私と衣玖の関係はお世辞にも良好とは言い難い。うん、そりゃそうだ。我儘な私とオブラートに包むという行為を知らない彼女の組み合わせは最悪に近い。私の言動に彼女が呆れて、怒って、もしくは毒を吐いて。私たちのやり取りなんて八割強がそんな調子だ。けれどなんとも不思議なことに、少なくとも私は衣玖と過ごす時間を悪い風には思えないのだった。
「たのしいなあって思って」
私の言葉に衣玖はもにょもにょと口を動かして、「おかしなひとですね」とそう呟いた。それから彼女は黙ったまま、もぐもぐとひたすらプリンを食べたのだった。
***
久しぶりに頑張ってみようか。
数日前の自分が聞いたら驚いて飛び上がるだろうことを私が思い至ったのは、夕餉のそうめんをずるずる啜っている時であった。
薬味の刻みネギをぱさぱさとつゆに入れ足して、ずるりと一口。鼻を抜けた生姜の爽やかな香りを感じたその瞬間、「よし、衣玖を笑わせてみよう」とそう思った。
アイデアというものはいつどこで生まれるかわからない。多くはトイレやお風呂でぽんと浮かんでくるというし、ニュートンはリンゴが枝から落ちた様を見て万有引力を見つけたという。だからそうめんを啜った時に、「衣玖を笑わせてみよう」と思いつくことはなにもおかしなことではない。至極自然な出来事である。
母に口元を拭われて、父の差し出した皿からいも天をとる。
『ちったあ、努力しやがってください』
先日、衣玖に頂戴した言葉が頭に浮かんだ。
***
私はかなり計画的な性格であることを先述しておく。
地上にいた頃はあれこれと行動を起こす前に部屋の中でうんうん唸って考えを巡らせ、紙一杯に日取りや手順、必要な道具や目的なんかを書き出して、その計画書通りに何事も進めたものだった。
例によって今回もまずは計画書作りから取り掛かった。
机の上のパソコンを退けて、真っ白な方眼紙を広げる。父の書斎から失敬したそいつは私の机を一杯にした。残念ながら私の部屋には一本たりとも筆の類はなかったため、これまた父の書斎から失敬した万年筆を手にとって構える。
文字を書くことなんて一体いつ以来だろうか。さっぱり手に馴染まない万年筆をうりうりとこねくり回しながらふと思った。なに、要はまあ書ければいいのだ。
『目的:いくを笑わせる』
ずずず、とまるで何かが這ったような跡が紙の上に生まれ、私の筆はぴたりと止まる。それはあまりに自分の字が汚すぎて絶句したからというわけではなく、それきりとんと書くことが思いつかなかったからだ。
およそ一世紀、衣玖と出会ってから結構な月日が過ぎたが、なんとも残念なことに私は彼女の好物ひとつ知らなかったのだ。
***
現代において最も価値があるもの、それは間違いなく『情報』である。昼夜を問わずネットの海へと泳ぎに行く私はそれをよく心得ていた。しかし、残念ながらネットの海に衣玖は泳いではいない。彼女は空と雲の間を泳ぐのだ。
完璧な計画書がなければ望む結果は得られない。そして完璧な計画書には兎にも角にも情報が必要である。
衣玖に関する情報が、名前(漢字はおぼろ)と外見、それからプリンはなめらか派という、およそ初対面に近いものしか手元になかった私は屋敷を飛び出し地上へと向かった。
「構いませんけど、一体なにに使うんですか」
そう言ってブン屋はゲスた笑みを浮かべて私を見た。
妖怪の山から少し外れたアパートの一室の前に私は立っていた。半開きの色あせた扉の向こうからはなんともいえない酸っぱい臭いがした。思ったことが顔に出やすい質であり、尚且つそれを隠そうともしない私のことである。くしゃりと顔をしかめると、けろけろと笑われた。
「ブン屋の家は初めてで?」
「うん、まあね」
鼻で息をしないように意識したせいで私の声はすこし高くなった。
「なるほどなるほど」とブン屋は頷く。「あなた、新聞は読まれます?」
「新聞?」唐突な質問にきょとんとする。「お父さんはたまに読んでるの見るけど」
「それは勿体ない。是非とも一度ご覧を」
ちなみにこれ今週号の『文々。新聞』です、と無理やり手渡される。『禁断の恋! 主の妹に手を出した完全で瀟洒な従者の裏の顔に迫る!』という大きな見出しが既になんとも胡散臭い。
「新聞勧誘されに来たんじゃないんだけど」
ちょっぴり睨むと、「わかってますよう」とブン屋は言った。
「幻想郷の新聞のほとんどを鴉天狗がつくっているのはご存知ですよね」
こくりと私は頷く。
「ではでは、新聞のすべてが週の初めに出されていることはご存知ですか?」
「そうなの?」
「そうなのです」
ほら、とブン屋は私に押し付けた新聞の発効日を指さした。
毎日が日曜日であるニートな私にはもはや日付の感覚は存在しない。今日がいったい何日であるかは勿論、何月なのかも怪しいところだ。あ、やっぱ8月だ、などと日付を見つつ、隣に並ぶ(日)の文字を確認する。
「で、それが」と私。
「それとあなたの部屋がすっぱいことになんの関係があるわけ?」
ふふん、とブン屋は笑う。
「さて、今日は何曜日でしょう?」
突如として私の前に難題が姿を現した。
「ぇ、えと……」なんて私がもたもたしていると痺れを切らしたのか、「金曜日ですよね」とブン屋が答えを出した。ほっ。
「当然ですが、新聞は印刷をしなくてはなりません。そしてその印刷は河童にお願いするのですが、これには期限があるのですよ」
ふぅ、とそこでひとつブン屋はため息をついた。
「新聞の原稿を土曜の15時までに用意しないとアウト。たった1分遅れただけでももう終いなのです。血も涙もありません」
つまりですねえ、とブン屋はにたりと笑って続ける。
「〆切間近でろくに風呂にも入れてないのです」
私は絶句した。
***
よくよく聞いてみると、あのすっぱい匂いのもとは写真を現像する際に使う酢酸なのだとわかった。あの烏、私が知らないのをいいことにからかってやがったのだ。ぐぬぬ、なんと腹立たしい奴だろうか。
けれどもまあ目的は達成した。
新聞と、それから1枚の写真を手に私は帰路に着いていた。「さしあげますよ」とゲスた笑みを浮かべて奴が寄越してきた写真には衣玖が映っていた。何年か前、人里で撮ったのだという。
相変わらずの無表情で衣玖はじっと空を見上げていた。その日は里で花火を打ち上げていたらしい。その花火の光だろう、衣玖の白い肌が闇の中で浮かび上がっていて、私は彼女の視線の先に咲いた大輪の花々の姿を幻視した。
写真は、まあ盗撮なのだろうなと明らかにわかるテイストだった。そもそもあの衣玖がブン屋に写真を撮る許可を与えたとは思い難い。衣玖が花火を見に里へと降りたのか、はたまた偶然そこに居合わせたのかわからない。試しにブン屋に聞いてみたがなんとも曖昧な返事を返すばかりで、奴がこっそり衣玖を隠し撮ったのだという疑いが確信へと変わっただけだった。
しかしながらこれは大きな収穫である。もしかしたら衣玖は花火が好きなのかもしれない。これを足掛かりに衣玖を笑わせる算段を練ってみようか。
いや、待て。焦るな、私。
確証もなしに先走るのは愚か者のすることである。戦場において時に情報は命よりも重い。不確かな情報を鵜呑みにしてしまえば足元をすくわれかねない。今日のところは一先ず写真立てを見繕うまでにしておいて、後日確認作業を行うのが賢明だろう。
***
「どうしてそんなことあなたに言わなくちゃいけないのですか」
ぴしゃん、と私の頭に雷が落ちた。
夏空が眩しいよく晴れた日のことである。青天の霹靂とはまさにこのことか。
予想外の返答に戸惑う私。え、とか、へ、とか、出てくる言葉はそんな具合に形を成さない。
数秒前の自分の言葉を思い返してみる。
『衣玖ってなにが好きなの?』
うん、私は確かにそう言った。間違えるはずがない。この一言を彼女に伝えるために昨日の夜から私はイメージトレーニングに励んだのだ。変化球を使って遠回しにアプローチすることも考えたが結局はストレートでいくことに決めた。
その答えがあれだ。
『どうしてそんなことあなたに言わなくちゃいけないのですか』
相変わらず色のない声と顔。衣玖はどこまでもいつものままで、さもそれが当然の返答であるかのようにそうのたまった。
扇風機が首を振って衣玖の髪を泳がせた。首筋に汗が浮いているのが見えた。天人は汗をかいたりしないが、ひょっとしたら私の首筋にも汗が伝っているんじゃなかろうか。この状況は少々気まず過ぎる。
「私の好みなど聞いてどうするというのです」
衣玖は言った。「あなたにはおよそ必要のないものでしょうに」
「ひ、必要かどうかは私が決めるよ」
なんとかしぼり出すようにしてそう言うと、衣玖はじっと考え込むような素振りを見せ、「確かに」とそう頷いた。
「ですが納得いきません。あなたとは随分と長い付き合いになりますが今まで一度たりともこのようなやり取りを交わしたことがありません。今更になってまるで合コンで知り合ったばかりの相手に対して使うような質問を突然ぽんとしてくるとは一体どうゆう風の吹き回しですか」
「確かに」と今度は私が頷く番だった。
まったく衣玖の言う通りである。一世紀近く知り合いを続けておきながらこれまで互いに関心が薄かった私たちだ。そこに突然あの質問である。これはなにか裏があるなと衣玖が勘ぐってもなんらおかしくない。むしろそれが正常であるようにすら思えた。
「て、寺子屋の宿題で」
「休学中でしょう、四半世紀も」
「じ、実は私ってばスパイなの」
「百年かけてターゲットの好みひとつ聞けないとか無能過ぎますね」
「あ、入道雲」
「話題を変えないでください」
心なしかだんだんと衣玖の眼光が鋭くなってきた気がするのでここらでやめることにする。
「いいですか」ため息混じりに衣玖は言う。
「あなたのことですからまたどうせくだらないことなのだろうと予想はつきますし、私を陥れようなどという大層なことを考えていないこともわかります。ですがあからさまに何か企んでいるような相手にそうやすやすと情報をくれてやるほど私は馬鹿でもおひとよしでもないのです。今のあなたには欠片も教えてやらないことを先に宣言しておきます」
「好きな食べ物も?」
「ええ」
「猫派か犬派かも?」
「ええ」
「私のどこが好きかとかは?」
「皆無です」
「花火は好き?」
「なんですかそのピンポイントな質問は」
言い終える前に衣玖は傍らに置いていた帽子を手に立ち上がっていた。
「帰るの?」
「ええ、時間です。これでも私、働いているもので。あなたと違って忙しいのです」
「む、失礼な」
「お話はまた今度にしましょう。それまでに私が納得できる理由をご用意しておいてください」
「善処しとく」
では、と頭を軽く下げて衣玖は歩き出した。ふわふわと彼女の動きに合わせて緋色の衣がゆれた。私はごろんと寝転がって部屋を出ていこうとする衣玖の姿を見送った。
「……まあ、その、なんです、」
敷居をまたぐ手前、立ち止まって衣玖は後ろを向いたままに呟いた。
「うん?」
「……花火は好きです、綺麗ですから、大きいですし」
***
姫様>あいや話はわかった、私に任せなさい
こちゃあ>いいんですかそんな安請け合いして
姫様>あんたバカぁ? 私を誰だと思ってんのよ?
こちゃあ>引きニート
お知らせ>『姫様』さんが退室しました。
さとりん>初めてかもしれませんね、こうして生産的なお話をするのは。
こちゃあ>まさかでしたね
てんこちゃん>ごめん、よろしく頼むよ
さとりん>てんこちゃんは真剣なのですね。こうして頼りにされた以上は私も精一杯協力させて頂きます。お力になれるかはわかりませんが。
こちゃあ>しかし中々難しいお話ですよ、だってそのひと一度も笑ったことがないんでしょう?
てんこちゃん>うん、私が知る限りは
お知らせ>『姫様』さんが入室しました。
姫様>廊下なう
こちゃあ>社会復帰への第一歩おめでとうございます
さとりん>感情が表に出にくい方なのかもしれませんね。
てんこちゃん>ほんとそれ、無表情がデフォだもん
こちゃあ>リアルにいたんですね、鉄仮面って
姫様>スペックは?
こちゃあ>それ大事なんですか?
姫様>最重要事項よ
さとりん>支持します。
姫様>さすがさとりんわかってるぜ
てんこちゃん>身長は私より若干高め。でもたぶん平均くらい。青みがかった紫色のショートヘア。ふわふわさらさら。たぶん美人。ポーカーフェイス。基本無口。空気読めない。てかたぶんわざと読まない。ありとあらゆることにおよそ無関心。プリンはなめらか派。仕事持ち。ひんぬーではない。
姫様>…ほう。顔もスタイルも良くて尚且つ働いてるとな? なるほど宇宙人ですね、はい
こちゃあ>えろげかよ
さとりん>うらやまけしからんです。
姫様>綾波か!? 綾波なのかッ!?
こちゃあ>どこに落ちてんですかそんなひと
てんこちゃん>いや、落ちてるというか、降ってきた?
姫様>おい、小僧。娘と石を渡せ
さとりん>金貨二枚と交換なら。
てんこちゃん>あ、あと花火が好きだって言ってた
こちゃあ>花火でしたらちょうど明日人里でありますよ?
てんこちゃん>まじか
姫様>えーでも花火で笑うかあ?
てんこちゃん>うーん…
こちゃあ>まあとりあえず花火でひとつやってみませんか?
姫様>てか天気予報雨なんだけど
さとりん>あ、ほんとですね。
こちゃあ>その点は心配いりません、絶対晴れますから!
姫様>なにその自信
こちゃあ>だって私、神さまですもの
***
翌日の夕方、私の家の玄関には衣玖の姿があった。相変わらずの無表情。けれど心なしかその顔は怒っているように見える。
理由はまあ明白である。きっと茶道の先生からまた彼女のもとに連絡があったのだろう。本日のお稽古を私はまたも無断でお休みしたのだ。
「大丈夫。衣玖が言いたいことはわかってる」
「話が早くて助かります。でしたら、今すぐ電話をかけてお稽古をお辞めになる旨を先生にお伝えください」
「それはだめよ」私は言った。「これまで散々失礼をしておいて電話一本で『はい、お終い』だなんて虫がよ過ぎる。直接会いに伺って、面と向かって頭を下げるのが道義ってものでしょう?」
「……どうしたのです、あなた」
珍しく声に困惑の色を滲ませて衣玖は言う。「もしや強く頭を打ったのでは」
「心配ありがと。けど平気よ。この通り、いつもと変わらぬ私だわ」
「いえ、いつもと違うから心配なのですが」
「じゃあそろそろ行こうか」
「……は?」
「なに、どした?」
「どしたじゃねえです、どうして私もあなたについて行くことになってるんですか」
「え、だって衣玖は私の保護者なんだし、監督不届き? 的な感じで一緒になって謝りに行くのが責任でしょう、義務でしょう」
「……やはりあなたはあなたでしたか。一瞬でもちらりと夢をみた私が愚かでした」
「おうよ、私を甘く見るでない」
「そこはない胸を張るところなのですか」
「あ、お詫びの品買いにちょっと人里寄るけどいいよね?」
「もう好きにしてください」
***
「……なるほど狙いは夏祭りでしたか。謝罪と銘打ち体よく家を抜け出してどうどうと夜店を見て回ろうとはとんだ狸ですねあなた。さては私を連れ出したのも、お目付け役を同伴させてご両親の信頼を確固たるものにしようと図ってのことですか。まんまと出し抜きやがってくれましたねこの有頂天子が」
「まあまあそう怒らないで」
やんわりと流しつつ、私は賑やかな喧騒にきょろきょろと忙しなく目を動かしていた。
「軽く言ってくれますね。後で総領様にいったいなんと謝ればいいのやら」
「それなら心配いらないよ」私は得意気に言った。
「父さまにはあらかじめ伝えてあるもの。衣玖と夏祭りに行ってくるって」
不審と不満を半々に瞳に込めて衣玖は私をじっと見た。
「では、いったい何のために私を騙したのです」
「だって普通に誘っても衣玖ってば絶対OKしてくれないでしょ」だからね。「私はこうして衣玖を夏祭りに連れ出すために一芝居うったのです」
「理解できません」きっぱりはっきり衣玖はそう言った。「私なんかを連れ出して夜店を回ることになんのメリットがあるというのです」
私は、ふふんと笑って、衣玖の手を掴んだ。真っ白く細い彼女の手は思っていたよりもずっとちいさかった。
「今にわかるよ」
そう言って私はきらびやかな喧騒の中へと衣玖を引っぱっていった。
***
博麗神社の前から始まる大通りは人とあやかしでごった返していた。普段は市で賑わう通りには代わりに夜店の屋台がひしめくように立ち並び、灯りの灯った赤い提灯がそこかしこでゆれていた。
焼きとうもろこしの香ばしい匂いに唾が湧き、綿菓子がもくもくとまるで入道雲のように膨れあがっていく姿に心躍らせる私の傍らで衣玖は静かにちょこんとなっていた。いつもに増して無口な彼女がなんとなく心配になって顔を覗き込むと、予想に反してその瞳はきらきらと輝き、忙しなくきょろきょろと動いていたので私はほっとした。それからちょっぴり嬉しくなって、「まってください」と慌てた声をあげる衣玖の手を軽やかに引きずり回してやった。
そこそこに腹が膨れ、財布が一回り小さくなった頃、夜店の終わりが近づいてきた。なんだか提灯の灯りが少し弱くなったように思える。墨を引いたようなぼんやりとした薄暗さがなんとも不気味だ。
ふと獣の匂いがした。見ると、カメやらインコやら生き物で溢れた店があった。店先に置かれた大きなガラスの水槽の前に私はしゃがみ込む。大人がふたりがかりでも持ち上げられないかもしれないその水槽の中には、ぱくぱくと口を開閉する見たこともない大きな金魚の姿があった。これでもかと太ったお腹のせいでフォルムはほぼバレーボール。まん丸い体にちいさなひれがちょこんとついていて、くりくりとした目がじっと私を見詰めていた。
「圧巻です」
私の後ろで衣玖が言った。
私はじっと金魚を見つめ返した。うちの庭の池には入るだろう。しかし父さまはなんというだろうか。いや、かまうものか。色鯉たちに混じってぷかぷかと泳ぐこいつの姿を想像したらそれはなんともおもしろおかしい。きっと父も母も気に入るだろう。
私はすっかりとそいつを買って帰る気になっていた。ばっと勢いよく顔をあげて、生き物たちに埋まるようにしてちんまりとちいさな椅子に座る店主を見ると、淡い紫の頭巾で半分顔を隠した彼女は私が何か言うより早く、「四百万です」とそう言った。
「圧巻です」
私の後ろでまた声があがった。
よ、よんひょくまん……!
果たして夏祭りにそれほどの大金を持って歩いているやつがいるだろうか。「いないでしょうね」うん、いるわけがない。しかし欲しい。どうしたってこの子を連れて帰りたい。この愛くるしい姿を私の(父のだけど)箱庭で是非とも愛でたい。どこかに銀行はあったか。コンビニでもいい。今こそ私の虎の子を連れてくるべきときではなかろうか。四百万。払えない額ではない。しかしいささかちょっぴり高すぎる気もしないでもない。
「気のせいではありませんよ」
「うん?」
「四百万は高すぎます。いくら夏祭り特需で夜店の物価が犯罪的に跳ねあがっているとしてもさすがに少しこれはね」そう言って店主は可愛らしくくすくすと笑った。私はいまいち現状を掴み切れずにぽかんとする。
「すみません。軽い冗談のつもりでした。この子は売り物ではないのです」
な、なんと。
「あなたはとても素直なひとですね。気をつけなさい。お囃子の笛や太鼓の音をあまり聞き過ぎてしまうとうきうき跳ねる心につられて財布の紐も緩みがちになります。正しい金銭感覚を保つことが夜店を巡るうえでは必須なのです」
そんな具合に私にアドバイスをくれた店主は、「からかったお詫びに」と店の奥から風船をひとつ取り出して私によこした。
握った紐の先には色のない透明な風船がくくりつけられふわふわと宙に浮いている。よく見ると中にはいくらか水が入れられているようで、たぷんたぷんと水面がゆれていた。その水の中にひらひらと赤い布切れのようなものが泳いでいた。顔を近づけて、それが金魚だと気付いて驚く。ぱくぱくと忙しなく口を動かす赤いおべべを着たちいさな生き物がふわふわと宙を泳いでいた。
「それは本物ではありません」と店主。
「幻術の一種です。夜店の灯りがみせる妖しい幻だとでも思ってください。お囃子の音が聞こえなくなってふと見るとそれがただの布切れだと気付くでしょう」
衣玖が反対側から金魚を覗き込んだ。「へえ」と思わず私はそんな声をあげた。
「それからもうおひとつ」
店主がぴんと人差し指を立てる。
「その金魚はとても鼻が利くのです。楽しいことや素敵なことにその子があなたたちを導くでしょう」
愛らしいうえに幸せまで運んでくるとはできた子だ。そう私が感心すると、「ええ、本当に」と店主が言った。相変わらずその表情は頭巾に隠れてよく見えないがなにやら嬉しそうな様子はなんとなくわかった。
「しあわせは歩いてこない、だから歩いていくんだそうです」
不思議なひとだ。私が思ったことにふわりと心地よく言葉を合わせてくる。まるで衣玖とは大違いである。
「夜は長いようで短い。それは人も、そうでないものにも等しく同じ。愉快で素敵なことにはただ立ち止まっていてはぶつかりません。今宵、もしもそれを望むのならば奇怪な夜店の幻の影をついて歩いてみてはどうでしょう」
***
ふわふわと泳ぐ金魚を先頭に私たちは来た道をずんずんと戻り、博麗神社の方へと歩いていた。
風船の紐は今や衣玖の手の中にある。私の手は絶えずリンゴ飴やフランクフルト、焼きとうもろこしなんかでふさがっていたので彼女が持つことになったのだった。
蝉しぐれに混じってからころと下駄が鳴いている。人々の山の向こうにはお囃子を引き連れた大きな燈籠が見えた。
人の匂い、あやかしの匂い、夜店の匂い、獣の匂い。熱を孕んでむわりとした晩夏の夜に、混じり合ってなんともおかしな匂いが満ちている。うきうきと心が踊るような祭りの匂いだ。
私の右手はいまだ衣玖の左手と繋がっていた。片手じゃ食べられるものは限られる。けれどなんだか、ここで衣玖の手を離すのは惜しい気がした。焼きそばやお好み焼きは帰りに買っておみやげにしよう。
ついに神社の大きな石段の前に着くと、金魚は今度、長い石段を囲むように鬱蒼とした森林の方へとぐいぐい泳ぎだした。
私は少し躊躇した。薄暗い山道を進むのに抵抗があったわけではない。もうすぐそこまで、花火のあがる時刻が迫っていたのだ。
当初の目的は花火を見ることである。もしかしたら、こうして金魚の後をついて森に入ってしまえばその花火を見逃してしまうことになるんじゃないだろうか。そんな不安が私の頭をよぎったのだ。
足を止めた私を引っ張ったのはちいさな真っ白い手だった。
「どうかされましたか」衣玖が言った。
金魚の後に続いて森に片足を踏み入れていた彼女の目はさっきからずっと輝いている。
「ううん、なんでもない」
そう言って私は衣玖の手を引いた。ぐっと力を込められて私の体は引き上げられた。
***
えっちらおっちらと坂道を登る。
境内へと続くあの急な石段なしで山登りをしているのだ。いくら私が天人といえどこれは中々にくる。厄介事はのらりくらりとかわして弾幕勝負など滅多にしない運動不足気味の衣玖のこと、この苦行はたいそうこたえるだろうとちらりと横を見れば、なんと彼女、ふわりと宙を浮かんでいる。
ほおう……、とひと唸り。
一声かけてくれてもいいものをそこはさすがの永江さん。よどみなく、彼女はどこまでも純度100%彼女である。
文句を言ったところで返ってくる言葉はおよそ予想できたので黙っておく。それからちいさくため息をついて、私は静かに地面を蹴った。
薄暗い森の中、遠くの方にまあるい光がぼんやり浮かんで見えてきた。
ひとつではない。ふたつ、みっつ……。近づくとその数はどんどんと増えていく。
光の正体は行燈だった。薄い和紙の向こうに蝋燭の淡く力強い火が燃えている。それが和紙を通してなんともまるく柔らかな光となって、薄暗い森を照らし出していた。
朱色に塗られた丸い木の棒の先にくくりつけられたその行燈を支えているのは、ぴんと背筋を伸ばして器用に2本足で立つウサギたちだった。重みに耐えかねてか、ぷるぷると震える足がなんとも可愛らしい。
ふと仰ぎ見れば木々の合間から覗く満月。そよそよと肌を撫でていくぬるい夜風。遠く彼方、雲が流れていくのが見える。天気予報では今日はがっつり雨だったはずだ。それがどうだろう。なんとも見事な花火日和である。
不思議な金魚に連れられて、ウサギがつくる光の道を進む。嘘みたいに空は晴れ、こうして衣玖とふたり私は歩いている。
口角が上がるのを抑えられなかった。
顔も知らない私の友達たちはどうやらすこしいじわるらしい。だってこんなの、一言だって教えてくれなかった。
***
山の中腹くらいだろうか、森を抜けると随分と景色のいいところに出た。ぐるりと百八十度、見渡す限り視界をさえぎるものがなにひとつない。
眼下には夏祭りの様子が広がっていた。提灯のやわらかな灯りがずっと遠くまで続いている。雑踏は途切れることがない。賑やかな音もまた。
私たちは草原に腰を下ろした。振り返るとウサギたちの姿はなくなっていた。夜は進み蝉の声は少なくなり、それと入れ替わるように、ひひひ、と涼やかな虫の声が辺りを包んでいた。
しばらくなんとはなしにぼんやり空を見上げていると、ひゅうぅ、と突如として高い音が夜空を切り裂いた。真ん前にオレンジ色した火の玉があがっていく。
ふっと一瞬火の玉が消える。それから一息おいて、ぱっと空に大きく見事な花が咲いた。
――どぉぉぅん。
間髪入れず音が響く。体の奥まで震えるような大きな音。
見上げた花はオレンに綺麗に燃えている。
歓声と拍手があがった。
すぐさま二発、三発と次の花火が空を昇っていく。
私は隣に座る衣玖を見た。彼女は大きな目をこれでもかと開いて、あんぐり口を開けていた。どん、どんっ、と花火が弾けて衣玖の頬に青やら緑やら綺麗に映えた。
「すごい……」衣玖の口からちいさく音が零れる。
「そうだね」私はぎゅうと彼女の手を握った。
衣玖の手からするりと風船が抜ける。けれど彼女は気付かない。金魚は高く高く空を昇っていく。目の前いっぱい、視界に収まり切らないほどの花火たちが夏の夜空を埋め尽くしていた。
「あのさ」
「はい」
「来週はいくよ、茶道教室」
私たちは互いに空を見上げたままに話した。
どおぉおん、と地響き。「よっ、守矢ー」とか「東風谷ー」なんて誰かが叫んでいた。
「またからかってます?」
「いや、今度は本当」
「どうでしょう。あなたは猫のように気分やですから。その日を迎えるまでは話半分に聞いておくことにします」
「あ、半分は信じてくれるんだ」
「お情けですよ」
つれないなあ、と私が嘆くと、ご存じでしょうに、と返された。
「ありがとうございました」衣玖が言った。
「うん」と私は頷いた。
「まさかあなたに感謝する日が来るとは夢にも思いませんでした」
「失敬な」
「本心ですからどうしようもありません」
「うん、フォローになってないからねそれ」
「しかしどうしてまた」
衣玖が訊ねる。
私は少し思案した。目的はそう、『いくを笑わせる』である。紙にも大きくそう書いた。しかしそれを衣玖に直接話すのはなんだか少し気恥ずかしい。
「……たまには頑張ってみようかなって思って」
はあ、と衣玖は納得がいかないとばかりにそんな声をあげた。
「せっかくめずらしくやる気になったのなら、私なんか相手にせず、ご自身のためにそのエネルギーを使えばよろしかったのに」
「思いついちゃったんだもん、仕方ないでしょ」
「そういうものでしょうか」
「そうゆうものなのよ、私は特に」
「きまぐれですね、本当」
ですが、と衣玖は続ける。
「今夜ばかりはそのきまぐれにも感謝しなくてはいけません。おかげでこんな素敵な夜になったのですから」
「えっと、たのしんでくれた?」
「ええ、とても」
「そっか。よかった。まあ、実は友達に色々と手伝ってもらったんだけど」
「ご友人がいらしたのですか、初耳です」
「失敬な」
「でしたらその方たちにもお礼を言わなくては」
「うん、私も。あ、今度さ、オフ会しようと思うんだ」
「ああ、なるほど。ネットのご友人でしたか」
「その時さ、衣玖もおいでよ」
私の言葉に衣玖は少し考え込むようなしぐさを見せた。
「私がいってはお邪魔でしょう」
「いいのよ。気にしない、気にしない」
「あなたがよくても私は気にします」
「だって紹介したいんだもの、衣玖のこと。私の友達に、私の一番の友達だって」
ね、いいでしょう、と訊ねたら彼女はもにょもにょと口を動かして、「あなたはやっぱりおかしなひとです」とそう言った。
いつのまにか花火は終わっていた。空にはただ、月と星々が寄り添うように瞬いている。
衣玖がぎゅうと私の手を握り返した。
祭りはもう終わってしまったんだろうか。お囃子も人々の喧騒も私にはなんだかずっと遠くに聞こえた。
「誰かと関わるということは良くも悪くも面倒なものです。肝心なのはその面倒を心地よいと思えるかどうか。私はひとより少しばかり面倒くさがりなのです。だから、できれば雲の中でずっとひとりで眠っていたいとよく思います」
ですが、と衣玖は続けてなんだか今まで見たことがない顔をして私を見た。相変わらずの無表情だけど、その顔はどこかやわらかい。まるでなめらかプリンのようだと私は思った。
「あなたとこうして過ごすのは不思議と嫌じゃないのです」
***
それからしばらく経った日のことである。
私はその日もその日とて、連日の海水浴疲れで昼まで惰眠を貪っていた。
なにやら甘い匂いがするなと万年床の上でむにゃむにゃと目を覚ますと、部屋の中には衣玖がいた。傍らには食べ終わったプリンの容器がひとつ。どうやらまたノックもせずに部屋に入ってきたらしい。いや、ひょっとしたらノックをしたのかもしれないが、部屋の主がそれに返事をしていないのに上り込めば結果は同じ。これはまごうことなき不法侵入である。
さて、いったいどう説教をくれてやろうかと、眠気眼をこすりつつ布団の上で体を起こせば、なにやら彼女、じっとなにかを眺めている。
のそのそと四足歩行で歩き、後ろから衣玖の背中にのっかかった。
「なにしてんの」
「それはこっちのセリフです」
「はぁ? って、ちょ、おま」
「これはいったいなんですか」
ずびし、と突き付けられたのはいつぞやにブン屋からもらった写真。
「引き出しの中から見つけました」
「ひ、ひとの机をあさるとは貴様! これは犯罪だぞ!」
「盗撮魔がなにを言うのですか」
「それはブン屋が」
「次に合う時は法廷ですね。それまでに私が納得できる理由をご用意しておいてください」
言いつつ、衣玖は立ち上がる。彼女の腕の中には写真立てと、それからいつか見たような方眼紙が丸められて抱かれていた。私はぽかんと口を開けて、部屋を出て行こうとする衣玖をただ見送った。
「ところで本日は午後から茶道教室でしたね」
思い出したようにぽつりとそう零して、衣玖はくるりと振り向いた。
「せいぜい頑張りやがってください」
そう言って衣玖はわらった。
初めて見た彼女の笑顔はちょっとびっくりするくらい可愛らしかった。
おわり。
ただ、所々気になる所があったような。
つーか労働は雅じゃないから別に「姫」は気にする事ないじゃん
それにしてもこいつらどう言う知り合いなんだ…
「こちゃあ」はさすが現人神やで!
空を晴らしたのは影の殊勲者やで!
あ、イクさんも可愛かったで!
面白かったです。後味さらりでいい感じ
しかし、さとりんと姫様はどうやって天子と衣玖さんを見分けたのでしょうかね。あの容姿説明かな?
もちろん他の面々も素晴らしかったです
衣玖さんはこのくらいツンでないと天子のやる気がでないようなので、このままでいった方が良さそうですね
現代入りしてるのかな・・・と思ったけど、まぁべつにいいか
衣玖さんもうちょいデレてあげても…と思うけどこのバランスが調度いいのかな?難しい
天子による地の文がなんとも肩の力が抜けた感じで楽しかったです
素敵な時間をありがとうございました。
すうっとほどけて納得できる違和感が魅力的。
生意気ですが、web用に加工されてるとなお良かったかなと。
文庫で読みたい文字ですね。
いくてんサイコー
こちゃあ>えろげかよ に大爆笑しました
衣玖さんすげえ可愛いけどチャットメンバー全員、美人系、可愛い系揃ってるだろうに…
隣の芝生はなんとやら か?
地の文も会話もチャットパートも全てが心地よかったです!
とろとろじゃなくてプディングみたいな歯ごたえのある関係 この位の距離感大好き!
しかしこの天子、苦言にも揶揄にもさほど動じず、目的に向けて突き進む、完成されたメンタリティだなぁ。
一見軽いノリに見えて、それぞれの人物が抱える背景をさりげなく匂わせている
それが話に深みを与えていて、何か心に残る作品だった
気になる点はありましたが、皆さん既に言ってますし、その上でも十分楽しめました。
こういうきれいなラストは大好物です
ナチュラル百合好き