Coolier - 新生・東方創想話

十六夜咲夜が出来るまで

2010/07/01 05:54:44
最終更新
サイズ
38.44KB
ページ数
1
閲覧数
1882
評価数
14/88
POINT
4770
Rate
10.78

分類タグ



















 私は大いに上機嫌だった。


 紅いカーテンをわずかに透過して差し込む、柔らかい朝の日差し。その光に優しくまぶたをくすぐられて、私は目を覚ます。普段は気に障る日の光も、今日は気にならない。むしろ、祝福されている気にさえなってくるから不思議だ。
 まったく、悪魔とは思えない発想だ、我ながら。
 とにもかくにも、実にいい朝だった。
 ベッドの上で上半身を起こし、目をこすりながら、昨日の出来事を反芻する。


 昨日は快勝だった。
 吸血鬼の牙城たる我が紅魔館に不躾に踏み込んだ不届きな人間の小娘を、これでもかというほど徹底的に叩きのめしてやった。あれは圧勝と言う他なかった。 
 最高の気分だった。
 あの澄ました顔をした小娘を、地面に這いつくばらせたときの快感といったら! 
 今思い出しても、胸がすうっとすく思いがする。
 確か、バンパイア・ハンターとか名乗ってたっけな。銀のナイフ程度で私を殺せると思い込んでいた、愚かな奴だった。まあ、人間にしてはそれなりに強い方だったが。
 しかし、あれだけ力量の差というものを見せつけてやったのだ。おいそれと私の城に近づいてくることはないだろう。
 まあ、そいつの所為で大幅に睡眠リズムを狂わされて、このような吸血鬼らしからぬ起床時間となったわけだが、それすら取り立てて腹も立たなかった。
 とにかく、私の目覚めは、実に気分のいいものだったのだ。








「おはようございます、お嬢様」
 自室から出た瞬間、例のそいつと鉢合わせするまでは。




 ◇ ◇ ◇




「お前に解るか、あのときの私の気持ちがっ!」


 だん! 私は拳をテーブルに叩きつけた。
 紅魔館の誇る大図書館。私の向かいに座っているのは、親友のパチェだ。図書館の主兼いろいろな魔法を使いこなす魔女兼ごくつぶし。
 パチェは、いきなり押し掛けてきて喚き散らし始めた私を、横目でうっとおしそうに見やったが、すぐに手元の本に視線を戻す。小悪魔が「図書館ではお静かにお願いしますねー」とのんきに声をかけて通りすがっていった。
「おいこら。親友の相談を無視するとはいい度胸じゃないか」
「素敵な読書時間を邪魔するような親友は、私にはいないわ」
「へえ。私と読書と、どっちが大事だって言うの?」
「読し――」
「ちなみに、わかってると思うけど、ここにある本はすべて私の所有物だからね」
「――あなたに決まってるじゃない、レミィ」
 にっこりと微笑む魔女。すがすがしいくらいの手のひらの返しっぷりだった。
 返答を誤れば即座に野に放り出すつもりなので、賢明な判断と言わざるを得ない。
「そんなとても賢明で聡明なパチェに相談なのよ」
「あのね、レミィ。貴方のは多分、相談じゃなくて愚痴よ」
「どっちでも同じよ。どうせ吐き散らしたいだけなんだから」
「そうね。どうせ吐き散らしたいだけなら、相手は誰でも一緒ね。小悪魔でも呼ぶわ」
 この魔女、よっぽど親友よりも読書が大事らしい。
 本当に親友なんだろうか。悲しくなってきた。
「――冗談よ。そんな泣きそうな顔しなくても」
「してない」
 ずびっと鼻をすすり上げるが、決して泣きそうになったわけではない。ちょっとばかし――あれだ、鼻炎で花粉症で鼻づまりで風邪気味なだけだ。


 すっ――。
 そこへ、おもむろに差し出される真っ白なレースのハンカチ。
 その手を逆に辿っていく。そこにいたのは小悪魔だった。これで涙を拭け、ということだろうか。彼女の目をじっと見ていると、にっこりと笑顔を返された。
 ありがとう、と言って受け取る。
 何だ、こいついい従者じゃないか。パチェにはもったいない。
 私もこんな従者が欲しい。
「ありがとう。お前は優しいな。パチェも優秀な従者を持ったもんだ」
「厳密に言えば、使い魔であって従者じゃないんだけれどね。それに、そんなにいいもんじゃないわよ。あの子、いたずら好き過ぎてでどうにもね」
「いたずら? それくらいかわいいもんじゃない。いらないならいっそ私に譲ってくれ、ってこのハンカチにんにく臭ーーッ!?」
 思わずテーブルに叩きつける。
 べちゃ。とても嫌な音がしてハンカチはテーブルに張り付いた。ソレからは依然として、馥郁たるにんにくの匂いが立ち上る。なんだこれ。
「いつからこんな対吸血鬼用のハンカチを用意していたのかしら……小悪魔、恐ろしい子」
「あいつの仕業かっ」
「まあ、レミィ落ち着きなさい。それくらいかわいいもんじゃない」
「かわいいものか! あいつ私の急所を的確に突くつもりだったぞ!?」
 吸血鬼ににんにくが効くなんて迷信だけどさあ!
「まあ、落ち着きなさい。で、あんな従者が欲しいんだったかしら?」
「いらないよあんなの!」
 あんな従者、志願されても願い下げだ。
 全く、どこかに質が良い従者は落ちていないものだろうか――って。


「忘れてた! それよ!」
 私は勢い込んで、両手でテーブルを叩いた。パチェはいかにもうっとおしそうにジト目で睨んでくるが、気にしている余裕はない。
「昨日、紅魔館に踏み込んできた人間がいたじゃない」
「ああ、あの銀髪の、切れ長の目をした娘?」
「そうそれ。それが今朝、私の部屋の前で待ちかまえてたのよ――メイド服を着て!」
「プリンセスウンディネとベリーインレイク、どっちがいい?」
「頭を冷やせってか! 私は冷静よ、この上なく!」
 まあ、信じてもらえるとは思ってなかったが。
 というか未だに私自身、今朝のことが本当に現実の出来事だったのかどうか、確信が持てない。あれは、寝ぼけた私の見た白昼夢だったのではないだろうか。むしろそうだと言ってくれ。
 昨日まで命(タマ)の取り合いをしていた敵が、メイド服着て「お嬢様」とか呼んでくるとかまじびびるわぁ。
「奇を衒った格好に私が怯んでいるうちに、奇襲をかけるつもりかしら」
「いや、それならとっくに攻勢に転じてるはずでしょう。今朝、鉢合わせたときに十分怯んでいたんだから。それとも、もうすでに何かされたの?」
「いや、特には――あ」
「何かあった?」
「そういえば、『何か召し上がりたいものはございますか?』って訊かれた」


「……」
「……」


「どういうことなの、それは」
「それがわからないからパチェに訊いてる」
 もう一度、あの女を思い浮かべる。


 完璧にメイド服を着こなした姿。鋭かったはずの眼光は、昨日の殺気だった凄みが削げ落ちて、どこか慈愛に満ちているようで。
 ああ、想像しただけで虫唾が走る。訳が分からない。


「良かったじゃない」
「あー?」
 今朝の様子を思い返しながら悶えていたところに、唐突に声をかけられたものだから、思わずひどく気の抜けた返事をしてしまった。
 虚空をさまよっていた視線を正面に向けると、パチェは私を見て微笑んでいた。誰かさんみたいに、慈愛に満ちた笑みを浮かべて。
「優秀な従者ができて」
 従者? あいつが?
 いやいや、確かに格好はメイド姿だったけど。ちょっと、いやかなり様になってたけど。
「なんで昨日まで殺し合ってた奴に甲斐甲斐しく世話を焼かれなきゃならないのよ!」
「さあ? それこそ運命とやらじゃないの?」
「そんなことで片づけられても困る!」
 私、そんな運命弄った覚えないんだけど。


 ――って、ああそうか。


 私の能力なら、無理矢理運命をねじ曲げてしまえるのか。あいつがうっとおしいなら、あいつが去っていく運命に書き換えればいい。いや、いっそのことあいつが死ぬような運命を引き寄せてみようか。それならば簡単だ。病気でもいいし、事故でもいい。あいつが居なくなるシナリオはいくらでも用意できる。何しろ、人間は弱いから。
 何だ。訳の分からない人間ごとき、恐れることなんて何もなかったじゃないか。
 そう考えた瞬間、さっきまでの得体の知れない恐怖感が急激に和らいでいった。
「ククク……。そうよ、私は運命を操る悪魔。あんな小娘一匹を消すことなど造作もない。謂わば、あの人間は私に命を握られているも同然なのよ。不審な挙動をとった瞬間、とびっきりの不幸をプレゼントしてやるわ」
「……どうして今のうちに殺さないのかしら」
「? 何か言った?」
「いえ何も」
 ため息をつきながら、パチェは本に視線を落とした。もう話は終わったと言うばかりに。
 相変わらず友達甲斐のない奴め。まあ、とにかく結論は出た。確かに、これ以上パチェと話しても益はないだろう。
「読書の邪魔をして悪かったね。助かったよ、ありがとう」
「はいはい、これくらいで済むならおやすいご用よ」
 依然として目を手元に這わせたまま、気持ちのこもっていない返事をする我が親友。私はその言葉を聞き終わらないうちに立ち上がり、出口へと歩いていく。


 ――せいぜい足掻け、人間。貴様は私の手のひらの上で、踊らされているにすぎないのだ。


 出口の扉に手をかける頃には、私はそれなりに上機嫌に戻っていた。




 ◇ ◇ ◇




 自室に戻る途中、腹の虫が鳴いた。
 そうだ、忘れていた。起きてこの方、私は何も口にしていない。あまりにも朝の出来事がショッキングだったものだから、そのことが記憶の彼方へと押しやられていた。
 思い出したら、余計に空腹を覚えた。部屋に戻る前に、何か軽く食べることにしよう。
 私は、くるりと踵を返すと、足を食堂に向け直した。


 食堂はそれなりに騒がしい。
 いつでも何匹か妖精が集まり、姦しく笑い声を上げている。一丁前にメイド服を身にまとっている彼女たちは、紅魔館の有する使用人だ。使用人、のはずだ。
 それなのに、真面目に働いている者などほとんどいやしない。私が働けと言ったところで、彼女たちにとっては馬耳東風、次の日には言いつけられたことすら忘れ、遊び呆けている。とことん、奉仕するという行為に向かない奴らだった。
 どうしてこんな奴らを雇ってしまったんだろう。
 昼近い食堂の喧噪の中、少しだけ後悔を覚えながら、私は席に着いた。
 そうしたところで、誰が食事を作ってくれるわけでもないのが悲しい。
 仕方ないから外で適当に人間を――いやいや、真っ昼間だぞ。どんな間抜けな吸血鬼が、日も高いうちから外をぶらつくというのだ。
 あーあ、誰か何か作ってくれないかなあ。
 紅魔館の面子を、頭の中で順々に思い描いていく。料理が出来そうな奴、料理が出来そうな奴っと。
 美鈴――美鈴かあ。あいつが居れば、何か軽く作ってくれるのだけれど。中華料理しか作れないのですぐ飽きてしまうのが難点だが、いざこうなってくるとあいつの食べ飽きた料理ですら恋しい。ああ、あまりにも使用人の仕事が似つかわしくないからって、門番に配置転換したのがまずかっただろうか。今から呼び戻そうかしら。


「あーあ。もっと優秀な使用人が欲しいわあ」
「ここにいるではないですか」


 嫌な声がした。そろそろとそちらに目を向ける。あまり向けたくなかったけど。
 案の定、そこにいたのは、例の銀髪の小娘だった。
 すぐに顔を背けて、私は言う。
「あんたはお呼びでないわ」
「あら、お厳しいですわ」
 そう言いつつ、大して気にしてなさそうな声色。
「人間。あんたは一体何がしたいのよ」
 そっぽを向きながら、私はわざと刺々しく、投げやりに言葉を放り投げる。そんな言葉さえもしかし、彼女は丁寧に拾って投げ返してみせた。
「あら、見て解りませんか。メイドですよ」
「確かにメイドね」
「そうでしょう」
 その場でくるりと回ってみせる。フリルのついたエプロンドレスのスカートが、花のように広がった。
 なるほど、なかなか似合っている。
「……いや、そうじゃなくって。メイドの格好になって、何がしたいのかしら?」
「見ての通り、お嬢様にお仕えしたいのです」
「だから……ああもう!」
 会話が成り立たない!
 だから、お前がどうして私に仕えるような真似をするのか、そんな義理がどこにあるのかって訊いてるのに!


 ――ああ、なんかもう、どうでも良くなってきた。私はため息を深く吐いてテーブルにへばりつくように突っ伏した。
「もう、余計にお腹が減ったわ」
「それじゃあ、お食事になさいますか」
「そうね――へっ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げ、勢いよく顔を起こす。
 この女、今何と?
 私の驚きの視線の先で、そいつはなおも涼しげな顔で微笑んでいる。
「何、あんたが用意してくれるっていうの?」
「もちろんですわ。メイドですから」
 こともなげにそう言って、そいつは右手を自分の肩の辺りに掲げてみせる。手のひらを上に向けて。ちょうど、ウェイトレスがトレイを手に立っているような――って。
 いつの間にやら、その右手には、本当にトレイが載せられているではないか。
 これは驚きだ。何もないところから、まるで魔法や手品のように取り出してみせた。私は思わず目を丸くする。
 そっか、そう言えばこいつ時を止められるとかなんとか言っていたっけ。本当に、考えれば考えるほどにむちゃくちゃな奴だ。人間にしておくのがもったいないくらい。
「ハンバーグ、でよろしかったのですよね」
「……はんばーぐ」
 思わず反芻する。
 小娘の持つトレイ上の料理、それは確かにハンバーグだ。なるほど間違いはあるまい。そしてそれは、今朝がた彼女に告げた私の『召し上がりたいもの』に他ならなかった。
 かなり適当に返答した覚えがあるが、まさか、それをわざわざ作るなんて。
 召し上がれ、とばかりに私の目の前に皿が置かれる。まだ焼き立てらしいその肉からは、香ばしい香りとともに湯気が立ち上っている。付け合わせに、彩りのいい野菜が添えられていた。
 私はそれを訝しむように睨めつけながら、問う。
「毒でも盛ったんじゃないだろうな」
「まさか。私がお嬢様に毒を盛る理由なんてございませんわ」
 心外だ、と言わんばかりに大げさに驚いてみせる。
 いや、どう考えたって、これが毒じゃない理由の方がよっぽど見当がつかないんだが。
「それに、お嬢様は毒くらいで死ぬようなタマじゃないでしょう」
「ん。まあそりゃ、そうだけど」
 そういう問題じゃない。
 何を企んでいるのだ。私は小娘の瞳を射抜くように見据える。真意の掴めない、その瞳。


 拍子抜けするほど小娘の目は透き通っていた。純粋な子供のような、まるで姦計や謀略とは無縁であるかのような、目。
 数秒、きょとんとして覗きこまれたままになっていた小娘の目が、やがて優しく細められる。慈愛に満ちたように微笑む。


 まるで、一輪の花が咲くように綺麗に、笑う。


 私は呆れたようにため息を吐いた。あるいは、観念したように。
 どうせ人間が用意できる程度の毒で、私が死ぬことはない。
 傍らに置かれたナイフとフォークを手に取ると、食事を始めることにした。
 気付かないうちに、胸に白いナプキンがかけられていたが、気にしない。いちいち驚くのも、もう面倒くさかった。




 結論から言うと、食事に毒が盛られているなどということはなかった。
 むしろ、非常に美味しかった。
 網目状に綺麗に焦げ目がついた表面は、しっかり焼かれている故にやや固めで、ナイフの刃を通そうとすると水風船のような弾力があった。しかし、ひとたび刃を通せば、そのまますとんと下まで刃が通ってしまう。絶妙な柔らかさだった。断面を覗くようにして左右に切り分けると、肉汁が、じわじわと染み出す。同時に立ち上る香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
 そうと来ればもう、味は推して知るべし。
 そこに野暮ったい毒の雑味など、微塵も感じられなかった。
 しかし、もちろんそんな簡単に、美味しかったから良かった、と割り切れる話ではなかった。逆に毒が盛られていないということは、小娘の狙いは別のところにあると言うことだ。
 私は食事中も警戒を怠ることはなく、小娘の動向に注意を注いでいた。しかし、彼女はまったく不穏な動きを見せることはなかった。ただ、私の後方で、澄ました顔で佇むだけ。
 もちろん、時を止めさえすれば、いくらでも好き勝手出来るだろうが――。


「紅茶のお代わりはいかがですか?」
 気が付けば、小娘は隣に立って、ティーポットを差し出していた。無言で、私は空になっていたティーカップを左の方へ――彼女の方へ差し出す。それを彼女は肯定ととったらしく、嬉しそうに紅茶を注いでいく。
 紅みの強い液体が空のカップを満たしていくのを、ぼんやり眺めた。
「もちろん、毒なんていれておりませんわ」
 ああそうかい。
 返答するのも面倒くさい。小娘は慣れた手つきで注ぎ終えると、優しく私の前にカップを置いた。いつの間にか、テーブルの前にあった食器類は綺麗に片づけられている。
 カップに静かに口をつける。少しだけ舐めるように舌で転がすと、甘く優しい香りが口の中に広がった。飲み下す。その優しい香りが体に取り込まれて、私を満たしていく。リラックス効果のある品種なのだろう、だんだんと落ち着いた気分になってくるのを感じていた。
「お食事はお気に召しましたか」
「ああ、なかなか――」
 良かったよ、と口をついて出そうな言葉を、紅茶で無理やり押し流して飲み込んだ。何を褒めるようなことを言おうとしているんだ、私は。そんなことをしたら、こいつをつけ上がらせるだけじゃないか。
 調子に乗らせないためにも、ここらで適当に、いちゃもんをつけておいた方がいい。
 そう思い、何か非難の言葉を浴びせかけようと、小娘の方へ向き直る。しかし、
「そうですか。それは良かったですわ」
 そこには、大層嬉しそうな顔をした小娘がいた。言葉尻を捕らえて、勝手に肯定の言葉として受け取ったらしい。遅かった。くそ、何か味以外の文句を考えないと。
「あー、ええと、あれだ。そう。もっと肉に赤みを残せ。あんなに中まで火を通したら肉が不味くなる」
「ああ、つい人間と同じように考えていましたわ。失礼いたしました」
「それと、あれは牛と豚だろ。あんな家畜よりも人間を使え。生きのいい人間を」
「人肉――ですか。どこに売ってるんでしょう。今度探してまいりますね」
「それから、付け合わせにグリンピースはいらん」
「あら、いけませんわ、好き嫌いは。大きくなれませんよ」
「好き嫌いじゃないっ! いいか、吸血鬼はその名の通り鬼の血を引いていてだな、鬼というのは炒った豆に弱くて――」
 私は思いつく限りの文句を、小娘にぶつけていく。
 しかし小娘は、予想に反して嫌な顔も怒った顔もしなかった。ときに驚き、ときに笑顔で軽く頭を下げたりした。むかつく奴だ。何とかその顔を変えてやろうと、半ば躍起になって苦言を重ねていく。
 しかし、すぐに思いつく限りの文句を言い尽くしてしまった。というのも、彼女の仕事は実に的確であり、言いがかりをつけられるような失敗など、殆ど見つからなかったのである。
 言うことをなくし、仕方なく私は紅茶に口をつけた。


 私の非難をすべて受け切っても、小娘はやはり嫌な顔をする気配などなく――むしろ、何故か嬉しそうに微笑む。
「これからは気を付けますね」
 そうやって、まるで花が咲いたように笑うのだ。


 ああ。
 むかつく奴だ。本当に。




「名前を」
 私が、食堂を後にしようとしたときである。
 小娘の呟きについ、足を止めてしまった。
「名前を、頂けませんか」
 不思議なことを言う。
 私は振り返らないままで、言葉を返す。
「名前ならあるだろう。親にもらった名前が」
 もちろん、小娘の名前なんて私は知らない。興味もない。
「いえ、ありません――無くしました」
 きっぱりと、小娘は言う。
「私は死んだのです。貴方との勝負に負けたとき――全力を賭して戦って、それでも勝てなかったとき、私は死んだのです。ここにいるのはメイドです。一人の、名も無きメイドです」
 依然として騒がしい食堂で、それでもその声は凛と通った。
 小娘はどんな顔をしているのだろう。どうせ、澄ました顔で笑ってるに決まっているが。
「何故、私がお前に名前をやらねばならん」
「呼ぶときに、困るじゃありませんか」
 おどけたように、答える。
 誰が、お前なんかを呼ぶのだ。私は、止めていた足を動かし始める。
「お前にやる名前などないよ」
 そういいながら、扉に手をかけて、押し開ける。
 少しだけちらりと振り返る。小娘は、
「相変わらず、お厳しいですわ」
 やはり、花が咲いたように、微笑んでいた。




 もやもやする。
 朝起きた時の上機嫌など、とうにどこかに吹き飛んでいる。その代わり、何とも形容しがたい気持ちが胸の中に渦巻いていた。
 要するに、もやもやするのだ。
 廊下を歩きながら、私はその感情の正体について考える。
 原因は間違いなくあいつなのだけれども。それ以外に、何も解らなかった。
 ああ、もう、あんな人間の小娘ごときに心を狂わされるなんて。考えれば考えるほど、癪だ。
 そうだ、これは怒りだ。もやもやではなくイライラなのだ。ずかずかと私の生活に土足で入り込もうとするあの女が、嫌いで、憎いのだ。
 そう思い込むことにした。
 そう、私は今、猛烈に怒っている!
「そこの妖精!」
 廊下に、怒声を飛ばす。
 のんきな顔をしてふよふよ飛んでいた妖精メイドが、びくりと体を震わせる。まさか、いきなり怒鳴りつけられなんて思わなかったのだろう、目を白黒させて、面白いように慌てふためいた。
「ひゃわっ、わ、わたしですかぁっ!?」
「そうよ、お前よ! ちょっとこっち来なさい!」
 びくびくしながら、私の元へと飛んでくる。
「貴方、毎日遊び呆けているようだけど、ちゃんと仕事しているの?」
「あの、その……」
「掃除担当だった筈よね。今日の分はちゃんと終えたの?」
「あ、う」
「衣食住を賄ってやっているのは私だということを、忘れたの? 全く、妖精はおつむが悪くて困るわ。犬だって一食一飯の恩義は忘れないというのに」
 我ながら、とんでもない暴君である。めったに仕事に口出しはしない癖に、突然思いついたように叱り飛ばす。完全な八つ当たりである。
 八つ当たりの矛先を向けられた妖精メイドは、あうあう、と言葉にならない鳴き声みたいなものをあげながら、涙目で戸惑った。恐怖で、体を小動物のように震わせている。
 ああ、いいわあ。やっぱり、妖精は苛め甲斐がある。雇っていて正解だ。
 もっといびってやろう。私はおもむろに、人差し指を窓枠に、つつ、と這わせる。こういうところは、よほど気を付けていないと、すぐに埃が溜まるのだ。パチェが貸してくれた小説の、シュウトメとかいう女が、嫁を苛めるときにやっていた。
 そうしてその指を、彼女に突きつけてやる。
「ほら、見なさい。こんなに埃が溜まって――ない」
 なかった。あれ、おかしいな。
 私の指は、綺麗なままだった。そんな馬鹿な。妖精メイドが、こんな細かいところまで目を光らせて掃除をしている筈がない。とすると――。
「あの、小娘」
 あの、むかつく顔を思い浮かべる。
 そんなことをするのは、あいつ以外におるまい。
 鼻歌を歌いながら掃除をする小娘の姿を、面白いくらいに簡単に思い浮かべることができた。
 ――本当にあいつは一体、何をしたいのだろう。


 そうこうしている間に、妖精メイドはいなくなっていた。逃げたか。もっと苛めてやろうと思っていたのに。




 部屋に戻ってベッドに倒れ込むと、疲れがどっと溢れてきた。
 例の小娘の件に加え、さらにいつもと違う生活リズムが祟ったのだろう。
 どうせ、昼間起きていてもやることはないに等しい。さっさと寝てしまうことにした。
 ――願わくば、次に目を覚ましたときは、あの小娘が消えていますように。
 ベッド・メイキングが完璧になされている慣れないベッドに潜り込んで、夢に逃げ込んだ。




 ◇ ◇ ◇




 目を覚ましたのは、ちょうど時計の短針が半周してからだった。
 差し込むのは、朝日ではなく、夕日。紅いカーテンを通して、紅い光が射し込む。
 いろいろ考えすぎてごちゃごちゃしていた頭も、すっきりしていた。寝足りないということもない。それなりに快適な目覚めだった。
「お早うございます、お嬢様」
「ん」
 言いながら小娘が、テーブルにティーカップを用意していく。
「なあに、紅茶?」
「ええ。目覚めの一杯として飲むと、頭がすっきりしますよ」
 手に持ったポットを傾ける。カップに液体が注がれていくと、ふわりと部屋に優しい香りが広がっていく。なるほど、その言葉通り、なかなか目覚めの一杯に合いそうな紅茶だ。
「どうぞ。熱いので、お気をつけてくださいね」
「ありがとう」
 カップを手に取って口づける。
 甘い。それに、後味がすっきりしている。
「お着替え、ここに置いておきますね」
 私が味わいながら飲んでいる間に、小娘が去っていく。静寂を壊さないように、静かに。
 その閑寂の空気の中で、私はゆっくりと紅茶を傾ける。なかなか優雅である。
 私は、大いに上機嫌だった。




 ◇ ◇ ◇
 
 
 
 
「って違う!」


 だん! 私は拳をテーブルにたたきつけた。
 図書館。私の向かいに座っているのは、やはりパチェだ。図書館の主兼いろいろな魔法を使いこなす魔女兼ごくつぶし、そして友達甲斐のない親友。
 パチェはうっとおしそうに眉をひそめる。しかし、こちらを見向きもせず、目線は手元に這わせたままだ。
 小悪魔が「図書館ではお静かにお願いしますねー」とのんきに声をかけて通りすがっていく。
「で、何が違うのよ」
 ページを繰りながら、パチェは言う。
 私は、図書館を去ってからの出来事を話し始めた。パチェは本を読みながら聞いている。相槌さえも打たないものだから、聞き流されているんじゃないかと不安になったが、きっと聞いてくれているだろうと信じて、話し続けた。
「――さっきなんて、私自身あの小娘がいる空間に対して、全く違和感を覚えてなかったし。何だって言うんだ、いったい。結局あの小娘は、何がしたいんだ」
 ぐでー、と突っ伏して、テーブルに顔を押し付ける。
 すると、そこまで黙っていたパチェが、顔を上げた。


「メイドにしてあげればいいじゃない」
「はぁ?」
 また、そういう風に茶化す。もっと有益なことは言えないのか。何のために知識を蓄えているのだろう、この魔女。
 私の不満そうな目を受けて、パチェは言う。
「別に、冗談で言ってるのではなくてよ」
「なら余計に質が悪い。何だってあんな小娘なんか、うちで雇わなければならないんだ」
「じゃあ、逆に聞くけどね。その娘の、何が不満なの?」
「何が、ってそれは」
 それは。
 それは――何だろう。あれ、あいつの欠点、嫌なところ。
「話を聞く限り、完璧じゃない。完全で瀟洒。こんないい従者、探したって居ないわよ」
 私もあんな従者欲しいよ、パチェが昨日の私の口調を真似してみせる。
「でも、何か、――釈然としないじゃない」
「何が?」
「例えば――例えば、そう。動機が解らないわ。あいつに慕われるようなこと、した覚えないし」
「それは、あれよ。強者に従うってやつ。自然の法則じゃない」
「何だそれ。犬か」
「犬。犬ね。言い得て妙じゃないの。あの娘、確かに猫ってよりも犬っぽいし。犬ってね、一度主人として躾けてやれば、逆らわないらしいわよ? 忠義心も強いし、従者にうってつけ。まあ、私は猫の方が好きだけれども。鼠を勝手に捕ってくれるし」
「言ってろ」
 私は席を立つ。
「あら、お話はもうおしまい?」
「ああ。もう話すことはないしね。じゃ、読書の邪魔して悪かったよ」
「いえ、お安いご用よ」
 そう言っている彼女の目線は、すでに紙面の上である。
 本当に、友達想っているのかなんなのか、わからないやつだ。




 廊下。
 私は、小娘を見つけた。何やら鼻唄を歌いながら、雑巾を片手に窓を拭いている。何が楽しいのやら。
 その姿を気に留めずに、通り過ぎようとする。しかし、思うところがあって足を止めてしまった。
 そうだな、こいつ自身にも訊いてみるか。
「おい、小娘」
「はい。何でしょう、お嬢様」
 持っていた雑巾を、傍らに置いたバケツに放り込むと、こちらに向き直る。私は、率直に尋ねることにした。
「何で、メイドになろうと思ったんだ。お前が私に仕える理由なんて、ないだろうに」
「それは――」


 何かを言いかけて、しかし、彼女は口をつぐんだ。
 恐らく、昨日と同じようにおどけてはぐらかそうとしたのだろう。そうはいかない。じっと私は彼女の目を見つめる。その真意を、見極めるように。
 その視線をどう受け取ったのか。彼女も視線を外すことなく、私を見つめ返した。射抜くような真剣な眼差し。


 見つめ合うこと、数秒。
「それは」
 やっと、小娘が静かに口を開く。
 彼女の口から出た言葉が、剣呑な空気を震わせる。そして――


「一目惚れ、ですわ」


 ――そんなふざけたことを、至極真面目な顔をして、言い放った。
 私は思わず、口を半開きにしたまま、呆然とした。
 小娘は、たおやかに微笑む。花が風に揺れるかのように、和らいだ空気が広がっていく。




 私は、廊下を歩きながら、上機嫌だか、不機嫌だかわからない気持ちに囚われた。
 要するにもやもやしていた。

 
 
 ◇ ◇ ◇




「どういう風の吹きまわしよ」
 パチェが不思議そうに言う。
 それはそうだろう。だって、本嫌い、活字嫌いの私が、こうして毎日のように図書館に顔を出して、日がな一日本に齧りついているのだから。
 あれから数日、未だ小娘に不審な挙動は見られない(まあ、何もかも不審と言えば不審だが)。
 犬の癖に尻尾を出さないとは、これいかに。
「ちょっと調べものよ、調べもの」
「調べものって言ったって――」
 パチェが、私の傍らに積まれた本にその視線を向ける。『よくわかる犬種大百科』『陰陽姓名判断』『月齢カレンダー』『悲しき操りのドール』『園芸入門』『たまぴよ倶楽部』――百科事典に始まり、推理小説、果ては育児書まで多種多様な書籍類が、山のように積み重なっていた。その統一感のなさは、我ながら何を調べているのか良く解らなくなる。当然、その奇抜なラインナップには、パチェも当惑しているようである。
「これでいったい何を調べるっていうのよ」
 パチェは怪訝な顔だ。
「何だっていいじゃない。パチェの読書の邪魔しているわけでもないし」
「どの口が言うのよ。さっきから貴方は邪魔してばかりじゃない」
「そんなことないってば。――あ、ねえねえパチェ。この字は何て読むの?」
「それは『ひっきょう』……ってさっそく邪魔してるし。ああもう」
 パチェは頭を抱えて机に伏せってしまった。だって仕方ないじゃない。解らないものは解らないんだから。
「まあまあ、別にいいじゃないですか。読書仲間が増えれば、パチュリー様だって嬉しいでしょう?」
 小悪魔が本を抱えて通りすがりながら、からからと笑った。
「笑い事じゃないわ。こう何でもかんでも訊かれたら、読書に集中できないもの。なんなら小悪魔、貴方レミィの相手をしてよ」
「はい、レミリア様。頼まれてた本です」
「……堂々と無視とはいい度胸ね、このやろう」
 小悪魔が、山積みされた図書に、さらに重ねるようにして置く。
 パチェが恨み事を呟いているが、無視だ。
「ああ、ありがとう。――でも、そのピンク色の如何にもいかがわしい表紙の本はいらないから返してきてくれ」
「ちっ」
 小悪魔の扱いも、なかなか手慣れたものだ。
 私は、途中まで読んだ推理小説を放り投げると、新しく持ってきてもらった本に齧りついた。




「パチェ」
 本を閉じながら、話しかける。パチェはため息を吐きながら、こちらへと少し身を乗り出した。
「はいはい。今度はどの漢字よ」
「違う。決まったのよ」
「はいはい、決まったのね――って、何が?」
 予想外の言葉に、パチェは目を丸くした。
 そう決まった。いや、決めたのだ。
 茫洋たる図書の海を彷徨うこと一週間。ついに、目指していた『答え』へと泳ぎ着いたのだ。
 私は、積まれた本の下敷きになっていた紙を、破けないように引っ張り出す。まだ何も書き込まれていない、まっさらな紙。
「ペン、貸して」
 訝しげな顔をしながら、私にインクごとペンを差し出してくれるパチェ。私はそれを受け取ってペンを手に握ると、頭の中に思い描いたその『答え』をそこにすらすらと書き出していく。


「よし」
 ペンを置く。自分の目の前に掲げて、その『答え』が間違いでないことを確認する。
 うむ。我ながら惚れ惚れするくらい、完璧な『答え』だ。
「お待たせ。これよ!」
 私の挙動を凝視していたパチェに向かって、それを見せつけた。偶然、通りかかった小悪魔も興味津々でそれを覗きこむ。
 

『十五夜 咲夜』



「……」
「……」
 長い沈黙。大図書館に、静寂が満ちる。二人とも、私の持つ紙を注視したまま身動き一つしない。
 あれ、何その薄い反応。もっと大げさに驚いたりしてくれると思ったんだけどなあ。
「どうよ」
 私はそれをテーブルの中央に置く。
 パチェと小悪魔は、それを食い入るように見つめていた。
 たっぷり一分間くらい、穴が開くほど凝視していた二人が、ほぼ同時に口を開いた。
「……で」
「これは何?」
 四つの目が、今度は一斉に私に向く。胸を張って、私は答えた。
「見ればわかるでしょう? ――名前よ」
「名前」
 二人が、同時に呟く。
「そうよ。『じゅうごやさくや』、いい名前でしょう」


「……」
「……」


 二人はまた沈黙。何か苦々しそうな顔を向かい合わせている。
「何よ。何か言いたいことでもあるの?」
「ああうん、いや別に……」
「いや、これはまあ、何とも……」
 二人の反応は、やはり芳しくない。何だ、何が不満なんだ。いい名前じゃないか。
「ええと、これはあの、例の人間の娘の、ですよね。この名前にはどう言った由来があるんでしょうか?」
 途切れた会話を取り繕うようにして、小悪魔が口を開いた。
「よく聞いてくれた。いいか」
 ごほん。
 解説を始める前に、咳払い一つ。
 舐め回すように、二人の顔を見回す。相変わらず何とも、難しそうな顔をしている二人である。


「まず私、レミリア・スカーレットとは何だろうか。吸血鬼、紅い悪魔、永遠に紅い月――そう、月だ。あの深淵たる闇の世界を煌々と照らすあの月。あれこそ、夜の支配者たる私の象徴に相応しい」
 朗々と語る。
 聞き入っているのか、未だ何とも言葉にしがたい表情をしている二人だが、構わず続けることにする。
「となれば当然、私の従者として名前には月という言葉の意味合いを含めるべきだろう。私のものである、という認識で、縛らなくてはならない。さらに、私に仕えるものとして、完璧で無欠でなくてはならない。完全で欠けることのない月。それはもちろん、満月。『十五夜』の月」


 そこで、今まで小悪魔と一緒にだんまりを決め込んでいたパチェが、口を挟んだ。
「なるほど。貴方にしてはなかなか考えてるじゃないの。まあ、ちょっとあれだけど」
 パチェが訳知り顔で頷いた。その発言には非常に気になるフレーズがいくつか含まれているものの、おおむね感心しているようである。やっとこの名前の素晴らしさに気が付いたか。
 一方、小悪魔は依然として、苦い表情のままである。何か文句でもあるというのだろうか。
「それで、ファーストネームは?」
 パチェが、解説の続きを促す。
「ああそう。『咲夜』の方だけどね、これは」
 ごほん。
 もう一度、咳払いして調子を整える。
 目を閉じる。頭の中にスクリーンを思い描いて、そこにあいつの顔を投影してみる。


 そして、あいつは私の頭の中でも、やっぱり微笑んでみせた。
 花のように。


「あの小娘、まるで――そう、花が咲くように笑うのよ」 
 凛とした一輪の花。そう、何とも癪だが、その表現がしっくり来てしまう。あいつが顔を綻ばせる度に、そんな柄にも無くそんなものを幻視してしまうのだ。
「月夜に咲く花。――それが『咲夜』よ」
「おお」と、感心したように声を漏らし、ぱちぱちと胸の前で拍手してみせる小悪魔。パチェも、小悪魔ほどではないが、顔に微かに驚きの色が見える。
 やっと気付いたか。私のセンスの偉大さに。
 得意になって、胸を反らせた。
「ふうん、レミィにしては随分と詩的じゃない」
「ロマンチックですねえ。詩人になれますよ」
「詩人? ――は、そんな運命、こっちから願い下げだね」
「無駄よ、小悪魔。レミィは私が貸した詩集を10分足らずで放り投げたんだもの」
「暇つぶしになりそうなもの、って言われてそんなのを寄越すパチェが悪い。ガードレールだかマンボーだか知らないけど、あんな訳が解らないもの、いくら退屈な時でも読みたくないわ」
「貴方の妹君は好きなのにねえ。詩篇とかマザー・グースとかそういうの」
「フランか。――ふん、さすがに気が触れているだけのことはある。あんなものが好きだなんて、気が知れないな」
 視界の隅に、パチェが何か言いたげにしているのが見えた。しかし、結局何も言いださない。
 代わりに小悪魔が、口を開いた。
「それにしても、どうしたんです? 突然。あの人間のこと、嫌っていたみたいでしたけど」
「気まぐれでしょう。単なる」
 それに続いて、パチェが言葉を重ねる。
「ん、まあ。そんなものかな」
 気まぐれ――そうだ、気まぐれだ。
 どうせ人間の一生なんて短い。私たち妖怪に比べれば、それこそ一瞬に過ぎない程に。そんな、高々100年足らずの期間くらい、好きにさせてやっても差し支えない。そんなことを思ったのだ。
 それに、人間の一生は、少なくとも詩集よりかは私を楽しませてくれるだろう。
「確かに気まぐれよ。でもね、いくら一時の気まぐれだからと言って、由緒正しき吸血鬼である私に仕える以上は、それに釣り合うだけの名前というものが必要なのよ。そう、私の従者に相応しい名前が、ね。だから私が直々に考えてやったまでのこと」
 完璧の名前。
 欠けることなき、十五夜の満月。
 夜に咲く一輪の花。
 私に仕えるものとして、これ以上相応しい名前もあるまい。
「そう。その娘、喜ぶわよ」
 パチェが、目を閉じて静かに言う。私は腕を組んで、
「そりゃ当然。私が手ずから考えてやったんだ。これ以上の名誉はないだろう」
 椅子にふんぞり返った。小悪魔とパチェが、顔を見合わせて笑った。




 ◇ ◇ ◇




 真夜中のテラス。
 そこで深夜にティータイムをする、と言い出したのは私だ。小娘には、事前に「上質な茶と菓子を用意しろ」と言いつけておいた。そして、「話がある」とも。
 私は予定よりも早くテラスへと踊り出ると、置かれている椅子にどっかと腰掛けた。
 雲は無く、夜空に突き刺さった三日月良く見える。風もない。いいティータイム日和だ。
 私は、テーブルに肘をついて、持っていた紙を広げる。
 そこには、この間書いた文字が踊っている。月明かりを頼りにして、私はそれをじっと見つめていた。


「何をご覧になっているのですか?」
 時間通りに、小娘はそこに現れた。
 いつものように綺麗に着こなされたメイド服。私のように夜型の生活をしているわけでもないのに、こんな時間に呼び出されても、それを苦にした様子もない。当然のように、衣服にも髪にも、乱れたところは無かった。
 私は、彼女に見られぬように、紙を四つ折りにすると、膝の上に置いた。
「何でもないよ。それより、ちゃんと上質なものを持ってきてくれた?」
「もちろんですわ」
 手品のように、テーブルの前には、ティーセットと焼き菓子の並べられた皿が置かれた。
 焼き立てであろうその菓子からは、甘いバターの香りが漂っている。色も形も様々で、見ているだけで飽きそうになかった。
 続いて、小娘はポットを手にして、カップに注ぎ始める。
 さあて、いつ切り出そうかしら。
 膝の上で紙を弄びながら、彼女の動きを目で追っていた。
 

「お話とは、いったい何でしょう?」
 ことり、と静かにカップを私の前に置きながら、小娘が問いかけた。まるで、見計らったかのようなタイミング。私が、話を切り出す機会を窺っていたのを、知っていたかのようだった。
 ああ、何だかこのタイミングで答えると、相手のペースに乗せられているようで癪だ。
 ちょっとはぐらかすことにした。
「ああ、そう言えば、そんなことを言ったっけね」
 さも気のない風を装いながら、お茶請けに右手を伸ばす。我ながら白々しい。
 人型をしたクッキーを一つまみして、口へ運ぶ。左手の中の紙が、「早くしろ」と急かすようにかさりと音を立てた。
「貴方に、プレゼントを用意したの」
 人型の頭を噛み砕きながら、私は言った。
「プレゼント?」
 小娘は、疑問符を頭上に掲げて、首を傾げて見せる。
「何でしょう」
 とても意外そうな顔。それはそうだろう、私は出来る限り、この人間を避けてきた。追い出したり殺してしまったりすることはなかったが、だからと言って積極的に関わっていくこともなかった。
 どんな風の吹きまわしだろう、と思われても仕方ない話だ。
 私だって、こんな運命を辿るなんて思っていなかった。
 小娘は、未だ不思議そうに私を見つめている。
「喜びなさい。この上ない贈り物よ」
 わざと焦らすように、言葉を区切る。
 目の前に置かれたカップを手に取ると、出来るだけゆっくりと傾ける。出来るだけ焦らす。
 ふふ、これで私のペースだ。ちょっとだけいい気分。
 さて、もうそろそろいいか。ここで、世紀の大発表が私の口からついに飛び出すのだ。小娘の驚く顔が目に浮か――。


「ぶっ!」


 口に含んだ紅茶を唐突に吐き出した。なんだこの紅茶!
「ど、どうしましたお嬢様!」
 突然のことに驚く小娘。
 いや、驚いたのは私の方だ。なんだってこんな――。
「こんな不味いのよ、この紅茶!」
 乱暴にカップを叩きつける。
 あり得なかった。普段、あんなに上手い紅茶を淹れる彼女が、得体の知れない飲み物を淹れてきたなんて、あり得ない。素人が淹れた方が、まだ美味しいくらいだ。
「私は上質な茶を用意しろ、と言っただろう!」
「あら、お気に召しませんでしたか」
「お気に召すわけあるかっ! 一体、何を混ぜたらこんな味になるのよ!」
 というか、取り乱していないところを見ると、どうやらわざとこの紅茶を淹れてきたらしい。
 どういうことだ。私は小娘を睨みつける。何故か少し得意顔なのが、大層腹が立つ。
「お嬢様、よく見てください」
 小娘は、カップに残った紅茶を指し示す。促されるまま、それを覗きこんだ。
 透明な琥珀色が揺れている。そして、その水面に浮かんでいるのは――。
「花?」
 花だった。
 小指の先よりも小さい純白の花弁が四枚、静かに揺蕩っている。
「そう、花びらです。正確に言うと、ナズナの花びらですわ」
 ナズナ、っていうと、あの雑草みたいな草か。ペンペン草っていう名前の、ひょろっちい草花。
「というわけで、お嬢様に「上質なお茶を」と申しつけられたので、いつもの紅茶に趣向を凝らしてみました。お庭にたくさん咲いていて素敵だったので」
「そうね。素敵ね。で、貴方はそんな素敵なものを紅茶の葉に混ぜたのかしら」
「ええ、もちろん。花をあしらうだけでなく、きちんと草を煎じてございますわ」
 道理で変な味がすると思った!
 紅茶の本来の味と、ナズナの味がぶつかり合って不協和音を奏でているわけだ。紅茶の味が、見事に圧し殺されている。
「あんたね……。何を考えてそんな奇抜な発想に至ったのよ」
「お言葉ですが、お嬢様。ナズナは昔から、数多くの病気に薬効があるとされ――」
「やかましいわっ」
 私は、怒ったように小娘を睨んで見せた。
「お嬢様は、お厳しいですわ」
 しかし、私の小言も何のその。飄々とその視線をかわすと、まるで気にしていないようにあっけらかんと笑った。


 こいつは、こいつという奴は。
 本当に、むかつく奴だ。


 私は殴りつけたくなった。この小娘を、ではない。過去の自分を、だ。
 何日もかけて相応しい名前を探して、『完璧』な答えに悦に入っていた自分。
 ああもう、本当に胸倉を掴んで、殴り飛ばしてやりたい。こいつのどこが『完璧』だというのだと問い詰めたい。
 上質なお茶の代わりに、訳のわからない飲み物を口にさせる。あまつさえ、それを反省する風もない。
 折角、私が『完璧』の名を授けてやろうと思ったのに。くそ、計画が台無しだ。何のためにあれだけ骨を折って名前を考えたというんだ。こんな奴に『完璧』を与えたら、『完璧』の名が泣くぞ。
 むかついて仕方がない。過去の自分も、目の前の小娘も。


 だというのに。
 気付けば、私は笑い声を漏らしていた。


「ク、クク……」
 くの字になって体を丸めて、忍び笑いをする。
 むかついている。大層頭に来ている筈なのに。
 ――どうしてこんなにも、愉快になってくるのだろう。
 ぎゅっと強く握りしめた手の中で、『完璧』が皺くちゃになってつぶされていく。
 ああ、どうでもいい。そんな名前はどうでも。ぐしゃぐしゃにして、ぐちゃぐちゃにして、びりびりに破いてゴミ箱にでも放り込んでしまえ。
 どうせこいつには、『十五夜(かんぺき)』なんて言葉、釣り合わないのだ。
「どうかなさいましたか? まさか、変なものでも口になさいました?」
「あのな、お前――いや、もういい。今度からは変なものを入れたりするなよ、咲夜」
 彼女の目を見ながら、私は言った。
 その言葉に目を丸くする。まるで時間が止まったように、彼女はぽかんと固まった。


「何をぼんやりしてる、『十六夜 咲夜』」


 そうだ。こいつに『十五夜(かんぺき)』はもったいない。
 完璧になれない、欠けた月。歪な存在。『十六夜(ふかんぜん)』で、十分だ。
 私は、指を彼女の鼻先に突きつけて、
「いいか。文句は言わせないぞ。その名前を受け取ったからには、紅魔館の――私の従者として一生を捧げろ」
 そこまで一息に言って、私は一旦言葉を区切る。真正面から目を見据える。未だ状況を把握していないであろう瞳が、私を見つめ返している。
「――私の命令に対する返答はすべて『はい』だ。それ以外は認めないからな」
 後悔しろ。恨め。呪え。
 悪魔に一生を捧げることになった、自分の選択の愚かさを。自分の運命を。


 でも、彼女は笑った。
 やっぱり笑った。
 さっきまでの驚いた顔を幸せそうに緩ませて。まるで後悔していないように。後悔する気などさらさらないとでも言うように。


 月夜に咲く花のように。


「はい。お嬢様」
 その笑顔に、私は一気に力が抜けて、椅子に背中を預けた。


 本当に、むかつく奴だよ。お前は。
 これからのことを考えると正直頭が痛い。痛くて仕方がない。だけど。
「咲夜は、変な奴だな」
 そんな変な奴と過ごす運命は予想もつかなくて、ちょっぴり楽しみだったりする。
 



 まあ、なんだ。
 つまるところ、それなりに私は上機嫌なのである。
 
 
 





――了

たまにはそんな運命も面白い。


 * * *


 ここまでお読み下さった方、本当にありがとうございます。

>付き纏う理由が薄く感じられた
 私自身、気になっていた点ではあります。
 レミリア視点での、咲夜さんの不思議っぷりが書きたかったので、
 どうしてもそこら辺が不明瞭になってしまいました。
 だからと言ってそこを濃く書きすぎても、興が削がれる気もするし……難しい。

>「笑」と「咲」は異字体
 知らなかった……。
 偶然にも上手い具合に符合しましたね。これが運命……!

相変わらず口下手で、すべてのコメントにレスを返すことは出来ませんが、
コメントをくれた方、評価してくれた方にもう一度感謝を。
芽八
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.3460簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
面白かった。レミリアとパチュリー、レミリアと咲夜の掛け合いがすごくよかったです。
6.100名前が無い程度の能力削除
こういうレミ咲大好きです。
面白かった!
18.90名前が無い程度の能力削除
運命とは何気なく訪れる
22.90名前が無い程度の能力削除
レミリアが咲夜さんに目をつける作品はよく見かけるけど、咲夜さんがレミリアに付き纏うのはなんか新鮮。
描写が丁寧で読みやすく、面白い作品でした。
気になったのは付き纏う理由が薄く感じられた事。個人的にはもうちょっと描写が欲しいと感じられました。
にしてもレミリアのネーミングセンスは……もうちょっとで苗字がひどいことにw
27.100名前が無い程度の能力削除
久々にいい作品に出会った。
とても読みやすく、話に引き込まれるようでした。
41.100名前が無い程度の能力削除
「完全で瀟洒なメイド」の二つ名を冠するわりには
意外とツッコミ所満載なところが咲夜さんの大きな魅力だと思うんです。
そんな訳のわからん人間にはお嬢様の運命も動かされざるを得なかったんでしょうね。
レミリアと咲夜の出会いというある意味使い古された素材ですが、
それでも良いものは良いのです。素敵なお話でした。
42.100名前が無い程度の能力削除
十五夜の運命を回避した咲夜さん流石瀟洒
キャラクターそれぞれ皆が魅力的な一面を見せていて素敵な作品でした!
44.無評価名前が無い程度の能力削除
これはいい主従。
小悪魔がまさしく小悪魔でGJ
49.100名前が無い程度の能力削除
キャラが一人一人原作らしくて素敵!
いいお話でした。
51.100名前が無い程度の能力削除
お嬢様の周りはいつでも楽しくなるんでしょうね。
52.100名前が無い程度の能力削除
いいなぁこういう話
54.100名前が無い程度の能力削除
「笑」と「咲」は異字体(共に置き換えができる字。だったかな?)だと聞いたことがあります。
さすがお嬢様。素晴らしいセンスです。
58.70即奏削除
素敵でした。
62.80あか。削除
素敵なお話ありがとうございました。
65.80名前が無い程度の能力削除
二人目ネタを想像した俺は死ねばいい。
良いお話でした。が、何か引っかかるものがあったのでこの点数で