わたしはゴジラが好きではありませんでした。
ええ、この塩化ビニールで作られた小さな人形です。霊夢さんが何故これを持っているのかは謎としかいいようがありませんが、わりと外のものも流れ着くのですね。
そう、これがゴジラ。ゴジラ……だったかなぁ? 人形と画面に映ってるのは印象が違うからよくわかりませんけど、なんとなくこんな形だったのは覚えています。
なつかしいです。
ね、わりと愛嬌のある顔でしょう。
けれど本当は恐ろしい存在なのです。
まずは体長は人間の何十倍もあります。
ビルをまるかかえして投げ飛ばすぐらい大きいんですよ。あ、そうか。ビルじゃダメですね。えーっと、妖怪の山が砂場の城と同じぐらいに感じられるサイズです。
でも大きさが怖いわけではありませんでした。
ゴジラの劇中での行動が怖かったのです。
というのも、ゴジラはなんだかんだいって人を殺すからです。
破壊の光線で町を焼き尽くして、おおきな足で踏み潰してしまう。
びびび。ががが。
びびび。ががが。
こんな感じの音でしたっけ?
今の映画に比べれば遥かに技術的には劣ってはいるものの、その不自然で歪つでありえない音が超常的な雰囲気をかもしだしていました。
ビルから覗く巨大な顔。
幼心に恐怖を感じ母親を盾代わりにして難を逃れようとしたことを覚えています。
光線!
画面は真っ青に染まって……、それきりです。
わたしはテレビのスイッチを切ったのでした。
つくりもののはずのゴジラに私は屈服してしまったのです。
浮かぶ思念のなかで思いついたのは、ひとつの言葉。
暴力。
暴力だと幼心におもいました。
力を意のままにふるって、それで相手を屈服させようなんてひどい話です。
当事、小学生だったわたしは今よりも純粋そのものでしたから、ゴジラとは悪の存在だと考えていたのです。
そして神に仕える身としては、悪とは妖怪ということになります。
べつに誰からか教えられたわけでもなく、そうインプットされていたのです。
ゴジラは妖怪であり悪であり、滅ぼされるべき存在だと。
けれど物事はそう単純ではありませんでした。
わたしにもそれなりに分別がついてくると、彼の悲劇的な存在様式が理解できるようになります。
彼は放射能実験が生み出した自然の怒りそのものだったのです。
つまり、彼が人を殺すのは天罰ともいえるかもしれないのです。
天罰。
神様が人間に下す罰です。
とすると、彼は神様であるということになります。
もちろんそうではないと必死になって反論するわたしがいました。これも誰から言われたわけでもありません。超常に触れていない普通の人たちには、わたしの悩みなんてわかりようもないことでしょうし、斜にかまえていたわけでもなく、長年の経験からそういうものだと思っていましたから。
普通の人にとっては、彼が神か妖怪かなんてどうでもいいことなのです。
わたしはそういうわけにもいきませんでした。
彼がつくりものの存在であることはわかります。しかし、彼の生き方が神であるか妖怪であるのかは、わたしの行動様式に関わってくることなので重要なのです。
つまり”人間”ならどうすべきかという規範。
わたしは彼が妖怪なら彼を悪とし、退治しなければなりません。逆に神なら礼賛すべきです。
はたして神と妖怪との差異はどこにあるのでしょうか。
誰も教えてくれませんでした。
「それで?」
と萃香さんは続きを促しているようでした。顔は紅く、いつものように酔っ払っています。
瓢箪からグビリと酒を呑み、聞いているのか聞いていないのかもよくわからない有様です。
内心ちょっと微妙な気分。
この小鬼さんはいったい何が楽しくてわたしにからんでくるのだろう。
もしかすると交差点の向こう側にいるのに、わざわざ渡ってきてから挨拶をしてくるタイプなのかもしれません。
こんな次第になった理由らしき理由も特になく、ちょっぴり面倒くさい気分。
発端はたいしたことではありません。
霊夢さんがどこかへ用事に行った数分後、折り悪く遊びに来ていた私が萃香さんにつかまったというわけです。
それで酒の肴として、なにかおもしろいことはないかと聞かれたのでした。
言葉にしてみるとたいしたことはないのですが、相手はちっちゃくても大妖怪。わたしとしてもそれなりの敬意と緊張をもってお話をしたのです。
それにしても、なにかおもしろいことはないかという問いほど、無責任で、奔放で、非常識な問いかけはありません。
こんなにも困難な問いはなかなかないのではないでしょうか。
正直なところこんな狭い幻想郷では知らないことのほうが少ないですし、なにかおもしろいことがあればみんなすぐに集まってきますから。
人口に膾炙するようなことをおもしろおかしく話す能力はありませんし。
結局わたしだけが知ってることで、おもしろいことといえば、もっぱら外の世界のことしか無いのでした。
萃香さんは『うぃ~』と八時になったら全員集合しそうな典型的な酔っ払い状態で、とろんとした眼でわたしを見ています。
「つづきはぁ?」
「続きなんてありませんよ。それで終わりです」
「なんだつまらんなぁ」
「ずっと昔のことですしね」
「たかだか十年かそこらの出来事だろう。人間の小娘にとってはそんなに昔のことなのか?」
「ええ遥か昔のことに感じますよ」
「ふぅん。それはそうと早苗は巫女のくせに神と妖怪の違いも知らなかったのか。ずいぶんと無知だな」
むむっ。
さすがに聞き捨てなりません。
こう見えても妖怪退治にもエイリアン捕獲にも成功したわたしに向かって、そんな言い草はあんまりです。
萃香さんは”ケポッ”と小さくゲップ。
むむむっ。バカにされている気がします。
「じゃあ萃香さんはご存知なんですね」
「当然だよ。なにしろ人間なんかよりずっと長生きしてるからな」
「では、ご教授願えますか。妖怪様」
暗い気持ちもいくぶん含まれているのは、この際勘弁してもらいたいところです。
萃香さんはヘラっと笑って、身体を起こしました。
「単純なことなんだけどな……、実際、妖怪と神は同じ存在なんだよ」
「同じとは?」
「在り方というか、様式というか、構造がさ」
「違うでしょう。崇め奉られるのが神様です。妖怪は人間に退治されるべき存在です」
「ああ、それそれ、早苗のその認識はある一面としては正しいんだが、部分的にしか正しくない」
「よくわかりませんが」
「ずいぶんと人間本位な考え方だってことだよ。人間が崇める。人間が退治する。人間がずっと中心にいる。でも妖怪も神もはっきり言えば人間の認識なんかどうでもいいんだ。気づいたら神と呼ばれていたり、妖怪と呼ばれていたりするだけの話なんだよ」
「神の神聖さも、妖怪の邪悪さも?」
「そう、ただそう呼ばれたってだけの話。たとえば人間の世の中でも○○はいけ好かないやつだとか言われたりすることがあるだろ。そいつがどれだけいいやつで、どれだけ善行を積んでいたとしても、何人もの他者にそう思われていたら、それは真実として定着する」
「それはおかしいでしょう。善い人は善い人ですし、悪い人は悪い人です。人からどう呼ばれたというのではなくて、行動様式がそもそも違います。神は人を殺しませんし妖怪は人を食べるじゃないですか」
「神と呼ばれようが妖怪と呼ばれようが、そいつはそいつだ。○○は○○だってことさ。たまたま人を食べたから妖怪と呼ばれるようになった。たまたま気まぐれに人を助けてたら神様と呼ばれるようになった。人を食うのが好きか。人を助けるのが好きか。そもそも人が嫌いか。人が好きか。それだけの話さ。神は神であろうとして神になるわけじゃないし、妖怪も妖怪になろうとして妖怪になるわけじゃない」
「神様は最初から尊いんです」
「神から妖怪に転落したやつもいるし、妖怪から神になりあがったやつもいる。この国の神妖はけっこう柔軟だぞ。アバウトだぞ。どうでもいいんだぞ」
「どうでもいいって……」
「たとえばだ。この瓢箪のなかに入ってる酒だがどうやって造るか知ってるか」
「あ、それは確か酒虫とかいうウーパールーパーみたいなのがいるんでしたっけ?」
「うーぱー?」
「あ、いえ、ちっちゃくてかわいい生き物のことですよね」
「まあそうだ。だがここでは一般的な作り方を答えて欲しかったな」
「ええと。確か発酵やらなにやらをさせてって話でしたっけ」
「十年ちょいしか生きてないわりにはよく知ってるじゃないか。そうだよ。発酵という作用だ。ところでこの発酵という現象と腐敗という現象の違いはどこにあるのかわかるか」
「身体にいいか悪いかでは?」
「人間にとっていいか悪いかだよ」
萃香さんは完璧に目が据わっていました。幼女が酒豪でからんでくるとか……、ある意味、最強に思えます。
愛想笑いを浮かべるのがやっとです。
「人間が神か妖怪かを決定しているってことですか。妖怪様からそんなこと言われるとは思いもしませんでしたよ。人間ってそんなに偉かったんですね」
「そりゃ人間なんて勝手なもんだよ。でもこっちはしたいようにしてるだけなんだ。あんたらがこっち側にいるやつらをどう解釈しようと勝手だが、こっちにいるやつらは神も妖怪も人間に合わせて何かしてるわけじゃないからな。本能のままなにやらやってたら、たまたま近くで覗き見していた人間がその行為の意味を人間の言葉で定着させただけだ」
「けれど人を殺すのは人にとって悪です。そんなの当たり前じゃないですか」
「当たり前か……。だが神様だって人を殺すよ」
ぞわ
ぞわ。
ぞわ。
背中のあたりが急に寒く感じました。
「早苗だって諏訪大戦のことぐらい知ってるだろ。諏訪大戦。神代の時代の戦争だ。戦争では人が死ぬ。”殺される。”つまり……」
「やめてください」
「わかったよ。だがこれでおまえも少しは理解しただろう。そのビニール人形を嫌いだと言った理由が」
「わかりません」
わたし、もしかしていじめられてるんでしょうか。
萃香さんはニヤニヤ笑いながらまた酒をグビリと一飲みして、
「泣くぞ。ほら泣くぞ。絶対泣くぞ」
「泣きませんったら」
わたしは彼のことが怖かった幼児のときとは違うんですから。
いまなら少しは彼の気持ちもわかるんですよ。彼の怒りも理解できる。怒りの行使をほんの少しは正当化できることを知っている。
たとえ人が殺されても。殺されるだけの理由が人にはあった。しかたない。そう思えます。
ほんとですよ。
「人間ってのは面倒くさいねぇ。でも早苗も霊夢と同じぐらいおもしろいことがわかったよ。今日はそれが収穫かな」
「ありがとうございます……」
正直いまさらそんなフォローされても複雑な心境です。
「でも霊夢と違って正直さが足りないな。嘘とまではいえないからいいんだけどさ。鬼は嘘つきが嫌いだからね」
嘘なんかついたことはない。
といえば、それもまた嘘になります。
ゴジラが嫌いだといったことも嘘ではありません。
でも、本当にそうなのか。
本当にわたしは彼のことが嫌いだったのか。なぜ彼を恐れていたのか。
人を殺すから。
人を殺すから怖かった。
怒りで我を忘れて光線で街を焼き尽くすのが怖かった。
わたしは人間ですから。
殺される側の存在ですから。
だから怖かったんです。
「萃香さん……」
「なんだい?」
「外の世界では六十年ほど前に戦争があったんですよ」
「ふうん」
「それでわたしの祖父も戦争に参加してたんです」
「そうかい」
「十歳ぐらいの頃だったと思います。小学校で戦争があったってことを知って、祖父がその戦争に行ったということも知って、わたしは怖くてしかたがなかったんです。戦争だからしょうがないというのはわかっています。でも……、祖父が人を殺したかもしれないってことがたまらなく怖かった。わたしは祖父に聞きたかったんだと思います。でも聞けませんでした」
「早苗はおじいさんのことが好きだったんだね」
「はい」
「早苗が怖かったのは、おじいさんのことを怖くなってしまうかもしれない自分に対してじゃないかな」
「ええ……、そうかもしれません」
神か妖怪か。
わたしは自分のなかで決めていくのが怖かったんです。
妖怪だと思ってしまったら、退治しないわけにはいかなくなるから。
わたしもまた妖怪の眷属でありながら妖怪を退治する人間になってしまって、きっと引き裂かれてしまうから。
だから無意識に避けたのかもしれません。
祖父が亡くなって、永遠に問いかけることができなくなって、一方ではずっとわたしが問いかけるのをお待ちいただいているニ柱様がたがいらっしゃるのです。
ああ……怖いな。
いまも怖い。
「わたしは幼児のころからまったく成長してなかったんですね」
「そんなことはないだろ。早苗はお母さんの背中に隠れるほど怖がってはいないじゃないか」
「人形ですから」
「いや同じことさ」
「そうでしょうか」
「最終的に神か妖怪かを決めるのは人間の仕事だけどね」
「肝心なところだけずるいです。決めていくっていうのは何事であっても一番エネルギーがいるんですよ」
でも、萃香さんの言うとおり。
彼のことを少しは好きでいられる自分がいました。
それがわたしの十年間における成長なのかもしれません。
いまだ神奈子さまや諏訪子さまに戦争がいかなるものだったか聞く勇気はありませんけれど。
ずっと同じ場所に立ち止まっているわけじゃないことを証明するために。
一歩前進するために。
わたしは震える唇で言葉をつむぎます。
「わたしはゴジラが好きなんですよ」
なぜなら彼は神様であり、わたしは神様のことが大好きだからです。
ええ、この塩化ビニールで作られた小さな人形です。霊夢さんが何故これを持っているのかは謎としかいいようがありませんが、わりと外のものも流れ着くのですね。
そう、これがゴジラ。ゴジラ……だったかなぁ? 人形と画面に映ってるのは印象が違うからよくわかりませんけど、なんとなくこんな形だったのは覚えています。
なつかしいです。
ね、わりと愛嬌のある顔でしょう。
けれど本当は恐ろしい存在なのです。
まずは体長は人間の何十倍もあります。
ビルをまるかかえして投げ飛ばすぐらい大きいんですよ。あ、そうか。ビルじゃダメですね。えーっと、妖怪の山が砂場の城と同じぐらいに感じられるサイズです。
でも大きさが怖いわけではありませんでした。
ゴジラの劇中での行動が怖かったのです。
というのも、ゴジラはなんだかんだいって人を殺すからです。
破壊の光線で町を焼き尽くして、おおきな足で踏み潰してしまう。
びびび。ががが。
びびび。ががが。
こんな感じの音でしたっけ?
今の映画に比べれば遥かに技術的には劣ってはいるものの、その不自然で歪つでありえない音が超常的な雰囲気をかもしだしていました。
ビルから覗く巨大な顔。
幼心に恐怖を感じ母親を盾代わりにして難を逃れようとしたことを覚えています。
光線!
画面は真っ青に染まって……、それきりです。
わたしはテレビのスイッチを切ったのでした。
つくりもののはずのゴジラに私は屈服してしまったのです。
浮かぶ思念のなかで思いついたのは、ひとつの言葉。
暴力。
暴力だと幼心におもいました。
力を意のままにふるって、それで相手を屈服させようなんてひどい話です。
当事、小学生だったわたしは今よりも純粋そのものでしたから、ゴジラとは悪の存在だと考えていたのです。
そして神に仕える身としては、悪とは妖怪ということになります。
べつに誰からか教えられたわけでもなく、そうインプットされていたのです。
ゴジラは妖怪であり悪であり、滅ぼされるべき存在だと。
けれど物事はそう単純ではありませんでした。
わたしにもそれなりに分別がついてくると、彼の悲劇的な存在様式が理解できるようになります。
彼は放射能実験が生み出した自然の怒りそのものだったのです。
つまり、彼が人を殺すのは天罰ともいえるかもしれないのです。
天罰。
神様が人間に下す罰です。
とすると、彼は神様であるということになります。
もちろんそうではないと必死になって反論するわたしがいました。これも誰から言われたわけでもありません。超常に触れていない普通の人たちには、わたしの悩みなんてわかりようもないことでしょうし、斜にかまえていたわけでもなく、長年の経験からそういうものだと思っていましたから。
普通の人にとっては、彼が神か妖怪かなんてどうでもいいことなのです。
わたしはそういうわけにもいきませんでした。
彼がつくりものの存在であることはわかります。しかし、彼の生き方が神であるか妖怪であるのかは、わたしの行動様式に関わってくることなので重要なのです。
つまり”人間”ならどうすべきかという規範。
わたしは彼が妖怪なら彼を悪とし、退治しなければなりません。逆に神なら礼賛すべきです。
はたして神と妖怪との差異はどこにあるのでしょうか。
誰も教えてくれませんでした。
「それで?」
と萃香さんは続きを促しているようでした。顔は紅く、いつものように酔っ払っています。
瓢箪からグビリと酒を呑み、聞いているのか聞いていないのかもよくわからない有様です。
内心ちょっと微妙な気分。
この小鬼さんはいったい何が楽しくてわたしにからんでくるのだろう。
もしかすると交差点の向こう側にいるのに、わざわざ渡ってきてから挨拶をしてくるタイプなのかもしれません。
こんな次第になった理由らしき理由も特になく、ちょっぴり面倒くさい気分。
発端はたいしたことではありません。
霊夢さんがどこかへ用事に行った数分後、折り悪く遊びに来ていた私が萃香さんにつかまったというわけです。
それで酒の肴として、なにかおもしろいことはないかと聞かれたのでした。
言葉にしてみるとたいしたことはないのですが、相手はちっちゃくても大妖怪。わたしとしてもそれなりの敬意と緊張をもってお話をしたのです。
それにしても、なにかおもしろいことはないかという問いほど、無責任で、奔放で、非常識な問いかけはありません。
こんなにも困難な問いはなかなかないのではないでしょうか。
正直なところこんな狭い幻想郷では知らないことのほうが少ないですし、なにかおもしろいことがあればみんなすぐに集まってきますから。
人口に膾炙するようなことをおもしろおかしく話す能力はありませんし。
結局わたしだけが知ってることで、おもしろいことといえば、もっぱら外の世界のことしか無いのでした。
萃香さんは『うぃ~』と八時になったら全員集合しそうな典型的な酔っ払い状態で、とろんとした眼でわたしを見ています。
「つづきはぁ?」
「続きなんてありませんよ。それで終わりです」
「なんだつまらんなぁ」
「ずっと昔のことですしね」
「たかだか十年かそこらの出来事だろう。人間の小娘にとってはそんなに昔のことなのか?」
「ええ遥か昔のことに感じますよ」
「ふぅん。それはそうと早苗は巫女のくせに神と妖怪の違いも知らなかったのか。ずいぶんと無知だな」
むむっ。
さすがに聞き捨てなりません。
こう見えても妖怪退治にもエイリアン捕獲にも成功したわたしに向かって、そんな言い草はあんまりです。
萃香さんは”ケポッ”と小さくゲップ。
むむむっ。バカにされている気がします。
「じゃあ萃香さんはご存知なんですね」
「当然だよ。なにしろ人間なんかよりずっと長生きしてるからな」
「では、ご教授願えますか。妖怪様」
暗い気持ちもいくぶん含まれているのは、この際勘弁してもらいたいところです。
萃香さんはヘラっと笑って、身体を起こしました。
「単純なことなんだけどな……、実際、妖怪と神は同じ存在なんだよ」
「同じとは?」
「在り方というか、様式というか、構造がさ」
「違うでしょう。崇め奉られるのが神様です。妖怪は人間に退治されるべき存在です」
「ああ、それそれ、早苗のその認識はある一面としては正しいんだが、部分的にしか正しくない」
「よくわかりませんが」
「ずいぶんと人間本位な考え方だってことだよ。人間が崇める。人間が退治する。人間がずっと中心にいる。でも妖怪も神もはっきり言えば人間の認識なんかどうでもいいんだ。気づいたら神と呼ばれていたり、妖怪と呼ばれていたりするだけの話なんだよ」
「神の神聖さも、妖怪の邪悪さも?」
「そう、ただそう呼ばれたってだけの話。たとえば人間の世の中でも○○はいけ好かないやつだとか言われたりすることがあるだろ。そいつがどれだけいいやつで、どれだけ善行を積んでいたとしても、何人もの他者にそう思われていたら、それは真実として定着する」
「それはおかしいでしょう。善い人は善い人ですし、悪い人は悪い人です。人からどう呼ばれたというのではなくて、行動様式がそもそも違います。神は人を殺しませんし妖怪は人を食べるじゃないですか」
「神と呼ばれようが妖怪と呼ばれようが、そいつはそいつだ。○○は○○だってことさ。たまたま人を食べたから妖怪と呼ばれるようになった。たまたま気まぐれに人を助けてたら神様と呼ばれるようになった。人を食うのが好きか。人を助けるのが好きか。そもそも人が嫌いか。人が好きか。それだけの話さ。神は神であろうとして神になるわけじゃないし、妖怪も妖怪になろうとして妖怪になるわけじゃない」
「神様は最初から尊いんです」
「神から妖怪に転落したやつもいるし、妖怪から神になりあがったやつもいる。この国の神妖はけっこう柔軟だぞ。アバウトだぞ。どうでもいいんだぞ」
「どうでもいいって……」
「たとえばだ。この瓢箪のなかに入ってる酒だがどうやって造るか知ってるか」
「あ、それは確か酒虫とかいうウーパールーパーみたいなのがいるんでしたっけ?」
「うーぱー?」
「あ、いえ、ちっちゃくてかわいい生き物のことですよね」
「まあそうだ。だがここでは一般的な作り方を答えて欲しかったな」
「ええと。確か発酵やらなにやらをさせてって話でしたっけ」
「十年ちょいしか生きてないわりにはよく知ってるじゃないか。そうだよ。発酵という作用だ。ところでこの発酵という現象と腐敗という現象の違いはどこにあるのかわかるか」
「身体にいいか悪いかでは?」
「人間にとっていいか悪いかだよ」
萃香さんは完璧に目が据わっていました。幼女が酒豪でからんでくるとか……、ある意味、最強に思えます。
愛想笑いを浮かべるのがやっとです。
「人間が神か妖怪かを決定しているってことですか。妖怪様からそんなこと言われるとは思いもしませんでしたよ。人間ってそんなに偉かったんですね」
「そりゃ人間なんて勝手なもんだよ。でもこっちはしたいようにしてるだけなんだ。あんたらがこっち側にいるやつらをどう解釈しようと勝手だが、こっちにいるやつらは神も妖怪も人間に合わせて何かしてるわけじゃないからな。本能のままなにやらやってたら、たまたま近くで覗き見していた人間がその行為の意味を人間の言葉で定着させただけだ」
「けれど人を殺すのは人にとって悪です。そんなの当たり前じゃないですか」
「当たり前か……。だが神様だって人を殺すよ」
ぞわ
ぞわ。
ぞわ。
背中のあたりが急に寒く感じました。
「早苗だって諏訪大戦のことぐらい知ってるだろ。諏訪大戦。神代の時代の戦争だ。戦争では人が死ぬ。”殺される。”つまり……」
「やめてください」
「わかったよ。だがこれでおまえも少しは理解しただろう。そのビニール人形を嫌いだと言った理由が」
「わかりません」
わたし、もしかしていじめられてるんでしょうか。
萃香さんはニヤニヤ笑いながらまた酒をグビリと一飲みして、
「泣くぞ。ほら泣くぞ。絶対泣くぞ」
「泣きませんったら」
わたしは彼のことが怖かった幼児のときとは違うんですから。
いまなら少しは彼の気持ちもわかるんですよ。彼の怒りも理解できる。怒りの行使をほんの少しは正当化できることを知っている。
たとえ人が殺されても。殺されるだけの理由が人にはあった。しかたない。そう思えます。
ほんとですよ。
「人間ってのは面倒くさいねぇ。でも早苗も霊夢と同じぐらいおもしろいことがわかったよ。今日はそれが収穫かな」
「ありがとうございます……」
正直いまさらそんなフォローされても複雑な心境です。
「でも霊夢と違って正直さが足りないな。嘘とまではいえないからいいんだけどさ。鬼は嘘つきが嫌いだからね」
嘘なんかついたことはない。
といえば、それもまた嘘になります。
ゴジラが嫌いだといったことも嘘ではありません。
でも、本当にそうなのか。
本当にわたしは彼のことが嫌いだったのか。なぜ彼を恐れていたのか。
人を殺すから。
人を殺すから怖かった。
怒りで我を忘れて光線で街を焼き尽くすのが怖かった。
わたしは人間ですから。
殺される側の存在ですから。
だから怖かったんです。
「萃香さん……」
「なんだい?」
「外の世界では六十年ほど前に戦争があったんですよ」
「ふうん」
「それでわたしの祖父も戦争に参加してたんです」
「そうかい」
「十歳ぐらいの頃だったと思います。小学校で戦争があったってことを知って、祖父がその戦争に行ったということも知って、わたしは怖くてしかたがなかったんです。戦争だからしょうがないというのはわかっています。でも……、祖父が人を殺したかもしれないってことがたまらなく怖かった。わたしは祖父に聞きたかったんだと思います。でも聞けませんでした」
「早苗はおじいさんのことが好きだったんだね」
「はい」
「早苗が怖かったのは、おじいさんのことを怖くなってしまうかもしれない自分に対してじゃないかな」
「ええ……、そうかもしれません」
神か妖怪か。
わたしは自分のなかで決めていくのが怖かったんです。
妖怪だと思ってしまったら、退治しないわけにはいかなくなるから。
わたしもまた妖怪の眷属でありながら妖怪を退治する人間になってしまって、きっと引き裂かれてしまうから。
だから無意識に避けたのかもしれません。
祖父が亡くなって、永遠に問いかけることができなくなって、一方ではずっとわたしが問いかけるのをお待ちいただいているニ柱様がたがいらっしゃるのです。
ああ……怖いな。
いまも怖い。
「わたしは幼児のころからまったく成長してなかったんですね」
「そんなことはないだろ。早苗はお母さんの背中に隠れるほど怖がってはいないじゃないか」
「人形ですから」
「いや同じことさ」
「そうでしょうか」
「最終的に神か妖怪かを決めるのは人間の仕事だけどね」
「肝心なところだけずるいです。決めていくっていうのは何事であっても一番エネルギーがいるんですよ」
でも、萃香さんの言うとおり。
彼のことを少しは好きでいられる自分がいました。
それがわたしの十年間における成長なのかもしれません。
いまだ神奈子さまや諏訪子さまに戦争がいかなるものだったか聞く勇気はありませんけれど。
ずっと同じ場所に立ち止まっているわけじゃないことを証明するために。
一歩前進するために。
わたしは震える唇で言葉をつむぎます。
「わたしはゴジラが好きなんですよ」
なぜなら彼は神様であり、わたしは神様のことが大好きだからです。
イイハナシダッタノニナー
フカイイハナシダッタノニナー
色でわかるんじゃww
ゴジラ自身も、作品の都合によって正義の味方にされたり悪の権化にされたり様々ですね
奴も妖怪の一種だと考えれば、日本の人間がどれだけ昔と変わらずいい加減なのかが分かってくるようです
そう言う私も、子供の頃はレッドキングがゴジラの幼虫か何かだと思っていました。
早苗の考えとの年季の違い、というかギャップが良かった
オチがまさかの髑髏怪獣wwwwwwwwwwwwwwww
ま、それだけなんだけどw
あくまで一個の生物として描写されながら、その精神性で生物の枠を凌駕する『怪獣』は、精神的な物に比重を置いている『祟り神』とも凶暴な怪物である『モンスター』とも違うことを『怪しい獣』と言うわかり易い言葉で表現しきった、素晴らしい造語だと思います。
しかしレットキングさん馬鹿にすんないww結構強いし人気者なんだぞwww
赤…
そうかスカーレット!
冗談はともかくとして、ゴジラからここまで話を転がせるのがスゴイ。
オチも面白かった。
例のマグロ喰ってる巨大イグアナとか先年の某HAKAISHAを鑑みるに、ゴジラから始まる日本の『怪獣』という概念は、
妖怪がいて八百万の神々がいる日本の精神文化が背景にあってこその産物だなぁと実感したり。
『モンスター』と『怪獣』は厳密には同義でないと思ってたりします。
イイハナシダッタノニナー
ゴジラもウルトラマンも苦手だった子供時代を思い出しました
ともあれいい話でした
スイカが途中からブリッ〇ボールの覇者になっている!!
興が乗ったら急に長話をし始める所もそっくりだww
それはそうとして、オチが、オチがぁぁぁああ!!
もう読んだ後は爆笑しっぱなしでしたwww
すごく、ためになる話、だったのに……(笑い泣き)
早苗さん……ロボは好きなのに、特撮はそうでもないんすね。