ここ数日の間、幽々子様は溜息を吐いては西行妖を一瞥し、また心底から憂いの籠った溜息の繰り返し。そんな幽々子様の姿を見ると、春の暖かい気温も、日の包み込むような優しい光も、私には関係がなかった。こう晴れている日に飲むお酒は格別に美味しいのだろう。でもそんな気分には到底なれない。こう一寸の陰りもない麗らかな天気よりも寧ろ、いっそのこと雨でも降ればいいのだ。冥界全土に、土砂降りの雨を。そうすればきっと涙と雨の区別がつかないのだから。
「幽々子様………………」
もしかしたら、そっとしておいたほうが良かったのかも知れないが、思わず声を掛けてしまった。縁側に座り、どこか上の空で心にぽっかりと穴が空いている幽々子様を見ると、胸が疼痛する思いに駆られる。
「どうしたの、妖夢」
私の言葉に、幽々子様は相変わらずの様子。笑ってはいるものの、心からの笑みではいし、語調も普段と比べて低い。無理をして笑顔を作っているのは火を見るよりも明らかだった。
幽々子様の見尻はほんのりと赤く腫れていた。隠すように少し俯いているが、それでも紅潮しているのは見える。昨日の夜も、泣いていたのだろう。その前の夜は、泣いていた。その前も同じように、だ。
さめざめと。
悲しみを象徴する涙を、
孤独に、
一人で、
ひっそりと。
私は何も言えなかった。幽々子様が泣いている姿を目の当たりにしたとき、頭に浮かびかけた輪郭の薄い言葉を正しい形に直せなかった。部屋で、小さくなっている幽々子様には何も言えなかったのだ。
勇気が足りなかったのだと、今では後悔している。あと一歩を踏み出す勇気が湧かなかったから、私は幽々子様を傷つける結果へと到ったのだと思う。
幽々子様が嘆く原因は唯の一つの樹にあった。
枯れてしまった桜。
咲くことのない桜。
忘れられている桜。
その名を、西行妖。
もう二度と、西行の樹が大きく両の手を広げるように伸びる枝が弛むほどの桜の葉が、繚乱することはない。寂しく、静寂の中、眠っている。死んだように、眠っている。
その眠りこそが、幽々子様の悲しみの根源に根を張って寸分も動かない。
咲くことを忘れた西行妖を満開させるためには、奇跡こそ起きない限り――いや奇跡という概念では到底届かない。役不足も甚だしい。常識という常識を、非常識という非常識で覆せねば、咲くことはない。
だから。
私は春を萃めた。
非常識という剣を振りかざし常識を切った。
幻想郷の春を全て萃めた。それがどんなに幻想郷を揺るがしてしまう事なのか分かってもいたし、理解もしていた。
でも私は、白楼剣を以て迷いを断ち切り、西行妖を満開にすべく。
幽々子様の命ずるがままに、言われるがままに。
幻想郷から春を奪うことにしたのだ。
いや、建前……か。自分の気持ちを矯飾したまでだ。言ってしまえば命令なんて言葉は関係ない。
幽々子様の悲しそうな顔を見たくなかったからだ。心底から幽々子様に笑って欲しかったのだ。
だから私は春を萃めに行く前に、冥界の丘に行った。丘には西行妖とは違った桜の樹が満開になり、一面を桃色に染まっていた。
主である幽々子様でも、今は亡き師の妖忌でも、他の誰でもなく。
私の手で私の剣で幽々子様を笑顔にすると、
私の心にそう誓ったのだ。
誓いという形式に、自己満足と自己陶酔を重ねて溺れていたのに気づかないまま。
しかし現実はどうだ。春を幾つか奪ったのはいいものの、博麗の巫女や魔法使い、ましてやどこぞのメイドにまで横槍を入れられた。西行妖は咲いたが、畢竟、それも邪魔された。
私は幽々子様の夢を守れなかった。
悲しいし、惨めだし、愚かだ。
でも何よりも一番、悔しかった。
自家撞着も甚だしい。
この騒動が終わった後に、こんなことを幽々子様にポツンと言われた。
消え入りそうなくらい弱々しい声で。それは千々になった桜のように儚く、儚いけど綺麗ではない声色で。桜の中に吸い込まれていく音を、私は聞いた。
「我儘でごめんね、妖夢。私のせいで迷惑をかけたわ。本当に、ごめんね」
桜の散った西行妖を目前に、顔を伏せた幽々子様は小さく、西行の大樹と比べることもままならないくらい、小さく見えた。顔を見ることは出来なかったけど、泣いていたと思う。
きっと自分のほうが我儘なんだと感じた。
主の進むべき方向を従者の立場として正すことが出来なかったし。感情に押し任せて誤った道を辿ってしまった。
しかしそれ以上に、私は幽々子様の美しく、満開に入り乱れる桜の花よりも輝いていた顔を涙で汚したくない。
幽々子様が大好きだから。
理由はこれだけで十二分に事足りる。
だからもう一度。
もう一度だけ、私は春を――萃めよう。
私は我儘なのだ。
▽▲▽▲▽▲
「そこを退け、博麗霊夢」
「残念だけど、出来ない相談ね」
あと少しで。あと少しで西行妖を咲かせることが出来るというところまで春を集めたのだが、以前と同じように霊夢が私の前に立ちふさがった。
一番最初に出会ったのが一番の障害というのはどうしたものか。
眼前に威風堂々と立つ霊夢の手には何枚かの札。容赦はするつもりは微塵もなく、鼻から話合う予定は持ち合わせずに力で捻じ伏せに来たのだろう。
「なんでまたあんたは春を盗んでるわけ? 懲りないわねぇ」
はぁ、と深く嘆息しているのを見ると、霊夢は同じ事件、そして同じ犯人に呆れているようだった。
同じ、事件。
同じ、犯人。
魂魄妖夢――私一人。
顔に面倒という文字が浮かんでいる霊夢を見ると、暢気に悩み一つ持っていない雰囲気を感じて、ついつい私の気持ちが高揚を辿ってしまう。せめて風凪をやまそうと思っていたが、強い風が吹く予感がしていた。
「お前に――何が分かる」
少しの沈黙の後、
「別に分からないし、分かりたくもないわ」
私の高まった語調を、すんなりと受け流した答えだった。
「でもさすがにおいたが過ぎるんじゃないの」
言いながらも、また溜息。
私を見ることもなく呆れている霊夢は、さっさと異変を解決して帰ろうとでも考えているのだろう。
あのときだって、そうだった。
あのときだって、邪魔されなかったら――
そう思うと御門違いだろうが霊夢に対して殺気が芽生えた。
「黙れ。春さえ集まれば西行妖に桜が咲くんだ! そうすれば幽々子様だって……」
桜が咲けば幽々子だって笑ってくれる。悲しそうな顔をしなくて済むんだ。
だから、こんな場所で邪魔をされるわけにはいかない。足踏みをしている暇はない。春を取り戻されるわけにもいかない。
深呼吸。
周りに一度目をやって、場を把握しよう。季節外れの白い雪が舞っていて、空気は冷えている。太陽は雲に隠れ影を地面に落とし、その光からは春の日差しを感じない。春ではなく、冬の天候。当たり前、か。幻想郷から春を奪っているのだから。
目的を忘れるな。
新鮮な空気で肺を満たして、冷静になれ。
冷静に。
冷静に、ここは切り抜け――
「幽々子? はぁ……またあの亡霊の企みってわけね。完全この前と同じじゃない。本当に迷惑な亡霊ね。自分から動かずにまた従者に頼るって……どういう神経してんのかしら」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ダメだ、止まらない。
「は?」
「幽々子様は関係ない。これは私個人の行いだ!」
私の叫びに、霊夢の瞳の温度は際限なく低下していく。冷たく、硝子のように光っていたそれは、黒く滲んで見えた。
呆れに呆れを繰り返して、霊夢の堪忍袋の緒は切れかかっているのだろう。
しかし、関係などない。
「幽々子は関係ないってどういう意味よ」
熱くなって目の前を揺らしていては霊夢に到底敵わない。でもそれ以上に熱くならざるを得ない。
自然と、胸が熱くなる。
自制心を振り切って、自分を忘れて、己を見失って。
すべては、自己満足から生まれる自己陶酔のために。
「私による私なりの私のためのけじめだ!」
そう。これは魂魄 妖夢ただ一人の、異変。西行妖を満開の姿を幽々子様に見せるための、異変。幽々子様の笑顔を見るためだけの、異変。
だから、負けられない。
だから――
「私はあなたを倒して西行の春を見る!」
▽▲▽▲▽▲
薄っすらとした陽光が、瞳の裏側に染みこんできた。眩しいけど、暖かく気持ちが良い。
「私は……」
眠っていたのだろうか、記憶がない。自分がどこにいるのか、何をしていたのか、分からない。ただ何かに包まれていたのは何故か感じていた。暖かく、優しい何かに。それだけは心に届いていた。
「妖夢……」
ぼやける視界の中、幽々子様の顔が覗いているのが見えた。どうやら幽々子様の膝に頭を預けて眠っていたらしい。幽々子様の顔はやはり赤くなっている。また、泣いていたのだろう。
「幽々子様、私――」
言いかけて、幽々子様の手にそっと口を塞がれた。優しく置かれた手は、日の光よりも暖かく感じた。
「何も言わなくていいわ。分かってるから。全部全部、妖夢のことは全部分かってるから」
そうか。私は博麗 霊夢に負けたのか。負けて、霊夢は私から春を取り戻し、幻想郷に戻したのだろう。
だから、日の光が暖かいのか。
また、力及ばずに、何も出来なかった。
ぎゅっと幽々子様は私の肩に手を回して抱きしめる。
「幽々子様、すみません」
私がそう言うと、幽々子様の腕に力が入った。だけど、痛くはない。痛くはなかったけど、自然に涙が出てきた。
「妖夢。謝らなければいけないのは私の方だわ」
「え……」
言葉は浮かんだのだけど、言葉として口にすることは躊躇われたし、何よりもまず正確にそれを伝える自信がない。
黙り込む私に、幽々子様は続けて「ごめんね、妖夢」と話し始めた。
「今まで私は西行妖のことしか見えていなかったようなの。……いいえ、西行妖しか見えていないなんてただの幻想。でも同時に現実でもあったわ。過去の柵に捕らわれて、それこそ幻想ということに気づいていなかった。だから妖夢のことがちゃんと見えていなかった」
だから、と幽々子様は言った。
「本当に、ごめんなさい」
幽々子様の目尻から、ポツ、ポツと涙が溢れ出し、私の頬を濡らした。
「幽々子様……私、私は……」
泣いてしまう。
自分が勝手に起こした異変なのに、怒るどころか私にごめんなさい、と。
泣いてしまう。
そんな私を強く抱きしめてくれて、私のことを見てくれた。
「うぅ……ひぐっ、ううわあぁぁぁん」
「ごめんね、ごめんね、ごめんね――」
▽▲▽▲▽▲
風が吹いた。
冬の気配は残滓にも感じられない、暖かな空気が肌を撫でて、くすぐったい。澄んでいて、あまりの気持ちの良さについ欠伸が出てしまった。
今私と幽々子様は博麗の巫女が主催(本人曰く、霧雨 魔理沙の無理やりのことらしいが)した宴会の会場へと足を運んでいる。
俗に言う花見だ。
「ふんふんふふん」
隣を歩く幽々子様は鼻歌交じりに、軽やかな足取り。
屋敷を出てからずっと続いている。
「やけに楽しそうですね、幽々子様」
「当たり前でしょう妖夢。たくさん食べてもたくさん飲んでもいいのよ? 合法的に合法的な食事を楽しめれる宴会なのだからね。もう待ちきれないわ」
合法的に非合法的な量を食べるつもりなのだろうが、それを言うのは趣がない。そう感じた私はあえて口を閉ざし、少し後ろを歩く。
霊夢、ご愁傷様――。
うふふ、と子供のように笑う幽々子様に釣られて、私も思わず笑ってしまう。純粋に、純真に微笑む幽々子様は本当に楽しみなようだ。
本当に、子供みたいだ。
かくいう私も、楽しみなのだけれど。
幻想郷の春を再び奪おうと動いた私に霊夢は宴会へと来るように、と言った。そんな霊夢に「どうして私にも声を掛けたんだ」と尋ねた。それは本心でもあったし、誘われる義理はなかったとも思っていたから。
すると霊夢は怪訝な顔で「はぁ、あんたまで何言ってんの? みんないたほうが楽しいじゃないの。あんたも幽々子に当てられて馬鹿になったんじゃないの?」と面倒くさそうに帰って行った。
幽々子様も私と同じことを言ったらしい。
従者の勝手な行動に、胸を痛めてしまったのだろうか。本当に幽々子様にはまた迷惑なことをしてしまった。また謝らなければいけない。
それにしても――みんなで、か。
そうだ。
私も、幽々子様も。
この幻想郷の一部。
だから、もう一人で――
前を歩いていた幽々子様は足を止めて、私のほうへと振り向いた。
「楽しみも、悲しみも、悩みも、みんなで分かち合いましょうね、妖夢」
「――はい!」
宴会場となっている博麗神社へとたどり着いた。聳えていた階段をゆっくりと上っていると、左右の木々は桜を綺麗に並べていた。
これから宴会が始まる。
それぞれはそれぞれの想いを持っているが、今宵はそれは一つに萃まっている。
幻想郷の春を見るということに。
ただそれだけに。
「どんな桜の樹もでも、咲いていないとね」
桜の葉が一枚、ひらりと幽々子様の頭に乗った。
私は、笑っている幽々子様のほうが綺麗ですよ、と言いかけたけど、そっと胸に閉まっておくことにした。
「幽々子様………………」
もしかしたら、そっとしておいたほうが良かったのかも知れないが、思わず声を掛けてしまった。縁側に座り、どこか上の空で心にぽっかりと穴が空いている幽々子様を見ると、胸が疼痛する思いに駆られる。
「どうしたの、妖夢」
私の言葉に、幽々子様は相変わらずの様子。笑ってはいるものの、心からの笑みではいし、語調も普段と比べて低い。無理をして笑顔を作っているのは火を見るよりも明らかだった。
幽々子様の見尻はほんのりと赤く腫れていた。隠すように少し俯いているが、それでも紅潮しているのは見える。昨日の夜も、泣いていたのだろう。その前の夜は、泣いていた。その前も同じように、だ。
さめざめと。
悲しみを象徴する涙を、
孤独に、
一人で、
ひっそりと。
私は何も言えなかった。幽々子様が泣いている姿を目の当たりにしたとき、頭に浮かびかけた輪郭の薄い言葉を正しい形に直せなかった。部屋で、小さくなっている幽々子様には何も言えなかったのだ。
勇気が足りなかったのだと、今では後悔している。あと一歩を踏み出す勇気が湧かなかったから、私は幽々子様を傷つける結果へと到ったのだと思う。
幽々子様が嘆く原因は唯の一つの樹にあった。
枯れてしまった桜。
咲くことのない桜。
忘れられている桜。
その名を、西行妖。
もう二度と、西行の樹が大きく両の手を広げるように伸びる枝が弛むほどの桜の葉が、繚乱することはない。寂しく、静寂の中、眠っている。死んだように、眠っている。
その眠りこそが、幽々子様の悲しみの根源に根を張って寸分も動かない。
咲くことを忘れた西行妖を満開させるためには、奇跡こそ起きない限り――いや奇跡という概念では到底届かない。役不足も甚だしい。常識という常識を、非常識という非常識で覆せねば、咲くことはない。
だから。
私は春を萃めた。
非常識という剣を振りかざし常識を切った。
幻想郷の春を全て萃めた。それがどんなに幻想郷を揺るがしてしまう事なのか分かってもいたし、理解もしていた。
でも私は、白楼剣を以て迷いを断ち切り、西行妖を満開にすべく。
幽々子様の命ずるがままに、言われるがままに。
幻想郷から春を奪うことにしたのだ。
いや、建前……か。自分の気持ちを矯飾したまでだ。言ってしまえば命令なんて言葉は関係ない。
幽々子様の悲しそうな顔を見たくなかったからだ。心底から幽々子様に笑って欲しかったのだ。
だから私は春を萃めに行く前に、冥界の丘に行った。丘には西行妖とは違った桜の樹が満開になり、一面を桃色に染まっていた。
主である幽々子様でも、今は亡き師の妖忌でも、他の誰でもなく。
私の手で私の剣で幽々子様を笑顔にすると、
私の心にそう誓ったのだ。
誓いという形式に、自己満足と自己陶酔を重ねて溺れていたのに気づかないまま。
しかし現実はどうだ。春を幾つか奪ったのはいいものの、博麗の巫女や魔法使い、ましてやどこぞのメイドにまで横槍を入れられた。西行妖は咲いたが、畢竟、それも邪魔された。
私は幽々子様の夢を守れなかった。
悲しいし、惨めだし、愚かだ。
でも何よりも一番、悔しかった。
自家撞着も甚だしい。
この騒動が終わった後に、こんなことを幽々子様にポツンと言われた。
消え入りそうなくらい弱々しい声で。それは千々になった桜のように儚く、儚いけど綺麗ではない声色で。桜の中に吸い込まれていく音を、私は聞いた。
「我儘でごめんね、妖夢。私のせいで迷惑をかけたわ。本当に、ごめんね」
桜の散った西行妖を目前に、顔を伏せた幽々子様は小さく、西行の大樹と比べることもままならないくらい、小さく見えた。顔を見ることは出来なかったけど、泣いていたと思う。
きっと自分のほうが我儘なんだと感じた。
主の進むべき方向を従者の立場として正すことが出来なかったし。感情に押し任せて誤った道を辿ってしまった。
しかしそれ以上に、私は幽々子様の美しく、満開に入り乱れる桜の花よりも輝いていた顔を涙で汚したくない。
幽々子様が大好きだから。
理由はこれだけで十二分に事足りる。
だからもう一度。
もう一度だけ、私は春を――萃めよう。
私は我儘なのだ。
▽▲▽▲▽▲
「そこを退け、博麗霊夢」
「残念だけど、出来ない相談ね」
あと少しで。あと少しで西行妖を咲かせることが出来るというところまで春を集めたのだが、以前と同じように霊夢が私の前に立ちふさがった。
一番最初に出会ったのが一番の障害というのはどうしたものか。
眼前に威風堂々と立つ霊夢の手には何枚かの札。容赦はするつもりは微塵もなく、鼻から話合う予定は持ち合わせずに力で捻じ伏せに来たのだろう。
「なんでまたあんたは春を盗んでるわけ? 懲りないわねぇ」
はぁ、と深く嘆息しているのを見ると、霊夢は同じ事件、そして同じ犯人に呆れているようだった。
同じ、事件。
同じ、犯人。
魂魄妖夢――私一人。
顔に面倒という文字が浮かんでいる霊夢を見ると、暢気に悩み一つ持っていない雰囲気を感じて、ついつい私の気持ちが高揚を辿ってしまう。せめて風凪をやまそうと思っていたが、強い風が吹く予感がしていた。
「お前に――何が分かる」
少しの沈黙の後、
「別に分からないし、分かりたくもないわ」
私の高まった語調を、すんなりと受け流した答えだった。
「でもさすがにおいたが過ぎるんじゃないの」
言いながらも、また溜息。
私を見ることもなく呆れている霊夢は、さっさと異変を解決して帰ろうとでも考えているのだろう。
あのときだって、そうだった。
あのときだって、邪魔されなかったら――
そう思うと御門違いだろうが霊夢に対して殺気が芽生えた。
「黙れ。春さえ集まれば西行妖に桜が咲くんだ! そうすれば幽々子様だって……」
桜が咲けば幽々子だって笑ってくれる。悲しそうな顔をしなくて済むんだ。
だから、こんな場所で邪魔をされるわけにはいかない。足踏みをしている暇はない。春を取り戻されるわけにもいかない。
深呼吸。
周りに一度目をやって、場を把握しよう。季節外れの白い雪が舞っていて、空気は冷えている。太陽は雲に隠れ影を地面に落とし、その光からは春の日差しを感じない。春ではなく、冬の天候。当たり前、か。幻想郷から春を奪っているのだから。
目的を忘れるな。
新鮮な空気で肺を満たして、冷静になれ。
冷静に。
冷静に、ここは切り抜け――
「幽々子? はぁ……またあの亡霊の企みってわけね。完全この前と同じじゃない。本当に迷惑な亡霊ね。自分から動かずにまた従者に頼るって……どういう神経してんのかしら」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ダメだ、止まらない。
「は?」
「幽々子様は関係ない。これは私個人の行いだ!」
私の叫びに、霊夢の瞳の温度は際限なく低下していく。冷たく、硝子のように光っていたそれは、黒く滲んで見えた。
呆れに呆れを繰り返して、霊夢の堪忍袋の緒は切れかかっているのだろう。
しかし、関係などない。
「幽々子は関係ないってどういう意味よ」
熱くなって目の前を揺らしていては霊夢に到底敵わない。でもそれ以上に熱くならざるを得ない。
自然と、胸が熱くなる。
自制心を振り切って、自分を忘れて、己を見失って。
すべては、自己満足から生まれる自己陶酔のために。
「私による私なりの私のためのけじめだ!」
そう。これは魂魄 妖夢ただ一人の、異変。西行妖を満開の姿を幽々子様に見せるための、異変。幽々子様の笑顔を見るためだけの、異変。
だから、負けられない。
だから――
「私はあなたを倒して西行の春を見る!」
▽▲▽▲▽▲
薄っすらとした陽光が、瞳の裏側に染みこんできた。眩しいけど、暖かく気持ちが良い。
「私は……」
眠っていたのだろうか、記憶がない。自分がどこにいるのか、何をしていたのか、分からない。ただ何かに包まれていたのは何故か感じていた。暖かく、優しい何かに。それだけは心に届いていた。
「妖夢……」
ぼやける視界の中、幽々子様の顔が覗いているのが見えた。どうやら幽々子様の膝に頭を預けて眠っていたらしい。幽々子様の顔はやはり赤くなっている。また、泣いていたのだろう。
「幽々子様、私――」
言いかけて、幽々子様の手にそっと口を塞がれた。優しく置かれた手は、日の光よりも暖かく感じた。
「何も言わなくていいわ。分かってるから。全部全部、妖夢のことは全部分かってるから」
そうか。私は博麗 霊夢に負けたのか。負けて、霊夢は私から春を取り戻し、幻想郷に戻したのだろう。
だから、日の光が暖かいのか。
また、力及ばずに、何も出来なかった。
ぎゅっと幽々子様は私の肩に手を回して抱きしめる。
「幽々子様、すみません」
私がそう言うと、幽々子様の腕に力が入った。だけど、痛くはない。痛くはなかったけど、自然に涙が出てきた。
「妖夢。謝らなければいけないのは私の方だわ」
「え……」
言葉は浮かんだのだけど、言葉として口にすることは躊躇われたし、何よりもまず正確にそれを伝える自信がない。
黙り込む私に、幽々子様は続けて「ごめんね、妖夢」と話し始めた。
「今まで私は西行妖のことしか見えていなかったようなの。……いいえ、西行妖しか見えていないなんてただの幻想。でも同時に現実でもあったわ。過去の柵に捕らわれて、それこそ幻想ということに気づいていなかった。だから妖夢のことがちゃんと見えていなかった」
だから、と幽々子様は言った。
「本当に、ごめんなさい」
幽々子様の目尻から、ポツ、ポツと涙が溢れ出し、私の頬を濡らした。
「幽々子様……私、私は……」
泣いてしまう。
自分が勝手に起こした異変なのに、怒るどころか私にごめんなさい、と。
泣いてしまう。
そんな私を強く抱きしめてくれて、私のことを見てくれた。
「うぅ……ひぐっ、ううわあぁぁぁん」
「ごめんね、ごめんね、ごめんね――」
▽▲▽▲▽▲
風が吹いた。
冬の気配は残滓にも感じられない、暖かな空気が肌を撫でて、くすぐったい。澄んでいて、あまりの気持ちの良さについ欠伸が出てしまった。
今私と幽々子様は博麗の巫女が主催(本人曰く、霧雨 魔理沙の無理やりのことらしいが)した宴会の会場へと足を運んでいる。
俗に言う花見だ。
「ふんふんふふん」
隣を歩く幽々子様は鼻歌交じりに、軽やかな足取り。
屋敷を出てからずっと続いている。
「やけに楽しそうですね、幽々子様」
「当たり前でしょう妖夢。たくさん食べてもたくさん飲んでもいいのよ? 合法的に合法的な食事を楽しめれる宴会なのだからね。もう待ちきれないわ」
合法的に非合法的な量を食べるつもりなのだろうが、それを言うのは趣がない。そう感じた私はあえて口を閉ざし、少し後ろを歩く。
霊夢、ご愁傷様――。
うふふ、と子供のように笑う幽々子様に釣られて、私も思わず笑ってしまう。純粋に、純真に微笑む幽々子様は本当に楽しみなようだ。
本当に、子供みたいだ。
かくいう私も、楽しみなのだけれど。
幻想郷の春を再び奪おうと動いた私に霊夢は宴会へと来るように、と言った。そんな霊夢に「どうして私にも声を掛けたんだ」と尋ねた。それは本心でもあったし、誘われる義理はなかったとも思っていたから。
すると霊夢は怪訝な顔で「はぁ、あんたまで何言ってんの? みんないたほうが楽しいじゃないの。あんたも幽々子に当てられて馬鹿になったんじゃないの?」と面倒くさそうに帰って行った。
幽々子様も私と同じことを言ったらしい。
従者の勝手な行動に、胸を痛めてしまったのだろうか。本当に幽々子様にはまた迷惑なことをしてしまった。また謝らなければいけない。
それにしても――みんなで、か。
そうだ。
私も、幽々子様も。
この幻想郷の一部。
だから、もう一人で――
前を歩いていた幽々子様は足を止めて、私のほうへと振り向いた。
「楽しみも、悲しみも、悩みも、みんなで分かち合いましょうね、妖夢」
「――はい!」
宴会場となっている博麗神社へとたどり着いた。聳えていた階段をゆっくりと上っていると、左右の木々は桜を綺麗に並べていた。
これから宴会が始まる。
それぞれはそれぞれの想いを持っているが、今宵はそれは一つに萃まっている。
幻想郷の春を見るということに。
ただそれだけに。
「どんな桜の樹もでも、咲いていないとね」
桜の葉が一枚、ひらりと幽々子様の頭に乗った。
私は、笑っている幽々子様のほうが綺麗ですよ、と言いかけたけど、そっと胸に閉まっておくことにした。
一部言葉の選定に疑問を感じる部分もありますが、取り立てて論ずるほどではありませんし、ストーリー自体も分かりやすくまとまっており、良い作品だと言う事も出来ます。ですが、やはり主題が不透明でくみ取りにくく、やや不完成なイメージを受けます。具体的に言うなら「桜」「春」の意味がとりにくいと思います。
あと、魂魄妖夢の気が付いてから泣きだすまでの距離が短すぎる気がして、ちょっと感情移入しにくいと思います。これはあくまで私の主観ですが、ここで妖夢に夢を見させるとか、博麗霊夢に負けるまでの道のりを少し継ぎ足すと良くなる気がします。
まあ、興味深い作品ではありますから、ぜひ今後もよろしくお願いしたいと思います。得点は、改良の余地を-20点、主題設定が安易でありながら不透明である事を-20点として60点付けさせて頂きました。頑張って下さい。では。
指摘の通り、主題と内容がかみ合っていないという展開は直さなければいけないですね……。
妖夢の点ですが、確かに展開が早く、分かりにくくなってしまいました。夢等の内容を参考に修正を加えたいと思います。
ありがとうございました!
自分の信じた道を真剣に進む情熱的な剣士と、相手の心というものを歯牙にもかけず侮辱する冷淡な巫女との人物対比が秀逸だと思います。
しかし、戦闘シーンの描写が無くてあっさり負けました、では、余りにも妖夢が可哀相と言うか、立つ瀬が無いと言うか。
剣士である以上、弾幕合戦では分が悪いのは確かかも知れませんけど。
幻想郷はあったけーです
妖夢が健気過ぎる件について
幽々がカリスマについて
GJ