めーりさんのひっつっじー、ひっつっじー、ひっつっじー。めーりさんのひっつっじー、かわいーいなー。
この歌を選んだ翌日、マエリベリー・ハーンのあだ名は「メリー」になっていた。
始まりは通っていた幼稚園で、先生が「好きな歌を歌いましょうね」と言った場面から。元々名前の響きが似ていたこともあり、それはあっという間に定着した。出席をとる時、担任の先生ですら本名と間違えたほどにしっくりきているくらいに。
日本で生まれ、日本で育ったメリーは、名前と本籍を除けば、すっかり日本人だった。
宇佐見蓮子と出会って、うち解けて、しばらくしてからメリーは彼女に勢いでこんなことを言った。
「ねえ蓮子。わたし、変な線が見えるの」
宇佐見蓮子は秘封倶楽部と言う不思議不可思議摩訶不思議を追いかけるサークルに属していて(もっとも、メンバーは彼女一人だけだが)、その日もなにかしらのアクションを起こしていた。メリーは当初、サークルには入っていなかったが、蓮子の手伝いをいつもしていた。彼女らと同じ学校に通っていた生徒達は、たびたびこの光景を目撃している。
「その線はね、どこにでもあるの。見えないって思えば見えなくなる。でも、少しでも意識すると見えてくるわ。実質、眠っている時ぐらいしか、線は消えてくれない」
一度だけ、メリーは線に触れたことがある。線は小学校の時には既にうすぼんやりと見えていて、中学校へと上がるぐらいには色濃く存在していた。最初は目の錯覚だと思っていたが、日が経つにつれて、その線ははっきりとしてくる。意を決して、彼女は近くにあった鉄製ロッカーに走っている線を、上手になぞった。
「ねえ蓮子。これってなんなのかしらね」
背骨の代わりに氷柱を入れられ、南極に放り込まれるような寒気。それを想像するだけで襲ってくるおぞましさ。同時に、メリーの脳髄を駆けめぐる。ただただその場を離れたくて、メリーは飛び退いた。線は変わらずに、ロッカーをなぞるように疾走している。小学生の頃から当たり前のように見てきたその線。恐ろしく感じ始めたのは、その頃から。
それからはなるべく線を意識しないように、平静に努めてきた。その甲斐あってか、高校入学の時期には線は半透明程まで薄らいでいた。このことはメリーを明るくし、それから線は意識の外へと追いやられて、いつしか忘れ去られていた。
宇佐見蓮子と出会ったのは、季節が秋から冬にさしかかろうとしている、寒い日のこと。
下校しようとしたメリーを呼び止める声があって、なんだろうとメリーは振り返った。駆けてくるのは、確か隣のクラスの女子生徒。名前は知らないけど、クラスぐらいはわかっていた。宇佐見蓮子と名乗った彼女は、メリーが「何の用?」と訊くと、いきなりまくし立てた。やれ不思議だの、謎だの、超常現象だの。第一印象は「あ、ヤバイ人か」と思ったメリーだったが、目の前の弾丸少女の真摯な眼差しを見て、それは違うとわかった。「わかったからもっと落ち着いて。あと呼吸も整えて」と言ってみると、蓮子は何度も勢いよく頷いて、数分間深呼吸をした。
「秘封倶楽部」
この単語を最初、メリーはお気楽なクラブ活動だと思っていた。しかし、この学校にそんな部はなかったはずである。その辺りを訊ねたら、「クラブじゃないわ。いい? 倶・楽・部」
微妙なイントネーションの違いから教授された。言い直すと、蓮子は満足そうに笑う。
秘封倶楽部とは。これは宇佐見蓮子主宰(しかし彼女一人だけ)の個人サークルであり、学校が思う部活動とはかなりかけ離れている存在だと言うこと。議論を交わすだけで生産性のない普通の文化系のそれとは違い、本当にあるのかどうか、探求するというのだ。あまりにも真剣な蓮子の剣幕に、終始メリーは押されていた。
ぞわり。
蓮子の話が終盤にさしかかって、彼女が「興味があるなら、明日返事を聞かせて頂戴」とさよならを告げてから、ひとり帰路の中腹を歩いていた時。
記憶からいなくなったはずの忌まわしいものが、メリーの中で産声をあげるように甦ってきた。黒く、どこにでもある線が目の前に、一本だけ見えた。
恐怖で声、顔が引きつる。
宇佐見蓮子は言った。わたしが追い求めるものは一つじゃない。
宇佐見蓮子は言った。この世のあらゆるもの。
宇佐見蓮子は言った。未知のすべて。
なぜだ、なぜだ、見えないはずなのに。
なぜだ。なぜだ。こんなものが見えるなんてありえない。
なぜだ、なぜだ、なぜだ。
なぜ、だ、
そうだ 知らねば ならない。
秘封倶楽部の活動は蓮子の気が赴く時に行われ、しかし実質毎日だった。
メリーは、「蓮子は、自分の秘密を話しても良い人間だろうか」、「わかってくれるかどうか」、見極めることにし、三ヶ月ほどしてから、なんとはなしに訊いてみた。
「なんでわたしを勧誘したの?」
それはさりげない言葉だが、メリーにとっては死活問題にあたる。口の中がからからになって、蓮子の答えを待つ。
「最初はね、ただの人数集めに放課後の学校走ってたんだけど。一人じゃ不便も多いじゃない?」
蓮子の弁が始まる。メリーは聞き入り、一言一句を聞き逃すまいと集中する。
「でも全然見つからなくて。だからメリーを見つけた時は本当に良かったって思った。で、ここからが答えと言うか、質問も兼ねるんだけど」
―――予感。
「メリー、―――わたしに、隠してない?」
不思議な線のことを知った蓮子は真面目な顔をして、色々と訊いてきた。メリーが全部を偽りなく答えると、常備している鞄の中から一冊の分厚い、古ぼけて傷んだ本を取り出した。
蓮子は「何かを隠していないか」ではなく、「隠していないか」と言った。つまり、彼女にはメリーの抱えているものが「どういったもの」なのか、見当がついていたことになる。
「そういえば、なんで誘ったかって答え」
―――人数集めは、メリーを見た瞬間吹っ飛んだわ。
「この子はきっと、わたしが追い求めるもののどれかで苦しんでるんだって。そう思った。だってメリー、わたしが話すたびに、苦しげな顔になるんだもの」
そうかしら?
「そうだったわ」
結界。それは有象無象、森羅万象、ありとあらゆるものを繋ぎ止め、現世に存在させるもの。メリーが見ていた線とは、この結界の境目なのだ。蓮子は本をぱらぱらとめくり続け、夢中になっているメリーに、まるで独り言のように言った。
「だから別に怖いものじゃないわ。どこにでも結界はあるし、あなたはそれがたまたま見えるだけ」
蓮子の言葉に嘘偽りはないのだろう。でも、それでは説明が付かないこともある。
「蓮子、ひとつ言っておきたいことがあるんだけど」
かつて触れた線の一つ。それ以外の線に触れたことはないが、きっと怖気を感じるのは、あの線だけなのだ。
「結界自体に害があるとすれば、ただ一つだけ。結界自身に、「こっち」を拒むような命令がされている時ね」
推測だけど。
蓮子はそう付け加えた。
実際にそれを見、体験しなければ断定は出来ない。ゆえに彼女の活動記録は仮説や推論で埋め尽くされている。でもその信憑性は高いものだと、根拠無しにメリーは思っている。
「機会があれば、メリー。そこに連れていってくれない?」
「………」
迷う。
メリーが見ていたものの正体はわかったものの、あの時感じた悪寒は並大抵のものじゃないのだ。もしかしたら、もしかする。迷っていると、蓮子が苦笑しているのがわかった。
「無理しなくていいわ。駄目なものは駄目って、言っていいんだから」
「いや、そういうわけじゃ………」
言葉で上塗りされた誤魔化し。そう、わたしは躊躇っている。もう一度あの場所に行くことを。あのおぞましい線の前に蓮子を立たせなければならない。それはとても恐ろしい。自分が立つよりも、何よりも。宇佐見蓮子を死地に送り出すようなものだ。大袈裟かもしれないが、メリーが昔体験した寒気は、心臓を抉られるような不愉快さがあった。
未知は恐怖になる。あれがただの線ではないことはわかっているのだ。
いや、線と言うのは正しくない。あれは結界の境目。
ということは。メリーは辿り着く。
あれは境目なのだから、その先に何かがあるのではないか。もしもそこに足を踏み入れることがあれば、あんなものではすまないのではないだろうか。
考えただけで気が狂いそうだ。あれ以上の恐怖があれば、わたしなんてたちまち壊れてしまうだろうから。
だからメリーは考えるのをやめ、「機会があればね」
訪れることがない機会を、意識的に撤去した。
「そういえば、なんでメリーなの?」
同じ大学に入学し、春と夏の境目。唐突に蓮子がそんなことを言ってきた。
別に言っても弊害はないだろうけども、「メリーさんのひつじを歌ったからメリー」なんて、安直にも程がある。でも蓮子に嘘はつきたくないわけであり。軽く、メリーは苦悩する。
渋々、メリーは由来を口にする。
「………」
蓮子は押し黙っていた。神妙な面持ちで、メリーの話を聞いていた。
「………めーりさんのひっつっじー」
うわあ。メリーはやっぱり来たかと思って、げんなりする。
「安直ねー。そういや、名前の響きと似てるし。なるほど、メリーはメリーになるべくメリーなのね」
蓮子はメリーに周りをぐるぐる回りながらメリーさんのひつじを熱唱する。メリーは最初、ぷるぷる震えていたが、しばらくしてから顔を俯け、すぐに、
「やめなさーい!」
「きゃー、メリーちゃんが怒ったー」
その棒読みで、さらに爆発した。
「逃げるが勝ちー!」
蓮子はそのフットワークの軽さを生かして、俊敏な動きで駆けた。メリーも続き、付かず離れずの追いかけっこが始まる。
笑いながら逃げる蓮子と、楽しそうに怒りながら追いかけるメリーの姿は、他の学生達の目にはかなり奇異なものとして写っていた。
この頃のわたしは、幸せだった。両親でもない他人が、わたしをわかってくれているのだから。
いつまでもこんな時間が続けばいいのに。そう、思わずとも、心の奥底にはいつもそれがあった。
蓮子が携帯電話を持ち始めたのは、夏休みが終わってからだった。秘封倶楽部の活動は精力的に行われていて、メリーも立派にサークルの一員になっていた。そんな矢先のことだった。
「めーりさんのひっつっじー、ひっつっじー、ひっつっじー」
着信すると歌が流れるタイプのもので、ここまでくると完璧ないじめっこと呼んでもかまわないだろう。
「れーんーこー!」
「きゃー、メリーちゃんがこわーい」
ダッシュ。
ダッシュ。
いつしか、「メリーさんのひつじ」は、彼女達のステータスになっていた。
「メリー」
「さんのひっつっじー」
それは合い言葉に昇華された。秘封倶楽部は蓮子の画策により大学内の一部屋を獲得することに成功し、しかし活動内容は変わらずにいた。
二人とも同じ鍵を持ち、片方の講義が終われば部屋に走り、片方は合い言葉でメンバーを判断する。「メリーさんの」で区切ってしまうと「ひつじ」は容易に連想できるし、さらに一節をただ読み上げ、残った方を歌う。これなら、簡単に騙されることはない。もっとも、彼女達以外でこの部屋に寄りつくものは掃除のおばちゃんぐらいしかいない。
「さて、今日も今日とて、頑張りますかね」
腕と背筋を伸ばしながら、蓮子は変わり映えのない毎日を送っていた。メリーもそれに追従していた。
しかし、メリーには言いようのない不安が常につきまとっている。
それは結界の境目を見ることが出来る自分と蓮子との違い。蓮子はメリーの能力を理解した上で深い付き合いにある。でも、もしわたしがただの人間だったら、蓮子はどうしただろうか。秘封倶楽部のメンバーとして認めてくれただろうか。
いつの間にか宇佐見蓮子は、マエリベリー・ハーンにとって、もっとも大切な存在になっていた。彼女が離れていく想像をするだけで心が深く落ち込み、涙が落ちる。蓮子の前でそんな真似はしないが、彼女と別れて帰路に就き、自分の部屋で一人になったと悟った瞬間、その虚脱感、恐怖は現れる。
ずっと 一緒に いたい
部屋の中心で蹲り、泣きながら。
自分は今、幸せなんだと、知った。
メリーの背後に境目が現れ始めたのは、それを知った頃。
結局母校の中学校に行くこともなく、時間は過ぎていった。秘封倶楽部の活動も順調で、様々な謎が立ちふさがり、それに対しての仮説が増えていく。
「わたしは思うのよ。異世界みたいな場所があるんじゃないかって」
蓮子は資料を整頓しながら、そんなことを言い出した。
「異世界?」
「そう。例えば、そこには昔ながらの妖怪とか、魔法使いがいるの」
語る蓮子の目は爛々と輝いている。もうこれは止まらないな。メリーは苦笑した。
「ほら、メリーは結界の境目が見えるじゃない。それはどこにでも見えるのかなって、考えて」
「どこにでもあるわよ。床とかロッカーとか、黒板とか」
「いや、そうじゃないの。………そうね、空中に、線が見えたことはない?」
「空中に? ………どうだったかしら、わからないわ」
思いつきもしなかった。結界の境目とは言葉通りであり、ものとものを繋ぐ線のことだと思っていた。
結界は隔離するために編み上げられるもの。繋ぐためではなく、拒否するための導。それの境目を見ることが出来る自分。
―――ここは、違うの。
―――わたしはここのものじゃない。
「………え?」
今の声はなんだ? 今、何の声がした?
今、わたしは何を考えていた!?
「メリー、どうかしたの? ………顔色悪いけど」
「え、あ、ああ、なんでもないわ」
心配そうに、メリーの顔を覗き込む蓮子。その表情は心底から友人を心配する人間のそれだった。
―――なんでそんな顔をしているのかしら。理解できないわ。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
―――だって、わたしは違うじゃない。違うものは理解できないもの。
メリーの中で相反する思考があった。
―――理解できないんだからそう思うだけよ。
自分の声で真逆を唱えるこいつは何者だ!
―――わたしはメリー。メリーはわたし。
違う、わたしはわたし。それ以外の何者でもない!
―――わかってるくせに。
わからない、わかってたまるか!
―――気付いてるんでしょ?
知らない、知らない!
―――あなたの背後にある境目が「なんなのか」。わかってるくせに!
眠れなかった。しかしメリーの意識は覚醒しきっていて、眠るなんてことは到底できない相談だった。
「……なんなのよ、もう」
耳にこびりつく知らない声。
―――わかってるくせに!
ありありと思い出せて、今でも耳元でささやかれているような不快な声。幻聴ならまだ救われる。しかし、そういった類のものではないとは解っていた。能力の影響ということも考えられる。材料が足りなかった。睡眠不足でも覚醒している頭脳。でも、何か込み入ったことを考えようとすると、眩暈がする。
ふと時計を見た。朝の七時で、講義に行くには早すぎる時間。メリーは決断する。
「おやすみなさい~……」
幸いなことに、夢の世界がすぐ見えてきた。
何が起こっていたのかその時のわたしには解るはずもなく。
背中の境目に気付くこともなく。
次の日にはすっかり元気を取り戻して。
秘封倶楽部として日々を送っているうちに、声のことなんて忘れていた。
あははっ。
「メリー、ちょっと真面目な相談なんだけど」
「うん? なに?」
一日の倶楽部活動が終わり、二人一緒に部屋を出て構内の廊下を歩いていたら、蓮子が言葉通りに真面目な表情を作った。
「前に、空中に線が見えないかって訊いたじゃない?」
「うん、そういえばそんなこともあったわね」
それで?
メリーが続きを促すと、蓮子は数秒間深呼吸をする。
「今から一緒に行ってほしい場所があるの」
蓮子は真剣すぎる口調だった。でも、それには抑揚がない。前もって準備されていたことをただ言うだけのような、事務的なそれだった。
「いいけど……今日はもう遅いし、明日は?」
「駄目。今日じゃないと」
双眸に射抜かれる。メリーは相方の熱意に押され、二つ返事で了承した。
「今日は月と星がよく見えてるから、いい日だわ」
蓮子は夕闇を見渡しながら、嬉しそうに言う。終電に間に合うかどうかもわからない時間に電車に飛び乗って、秘封倶楽部の二人は隣町まで来ていた。蓮子が半ば強制的にメリーを連行した形で、仕方ないなあと言いたげな表情のメリーは、先を行く蓮子に黙って追従している。
「ねえ、蓮子ー」
「なーに?」
どこに向かっているのかすら知らされておらず、痺れを切らしたメリーは蓮子の耳にきちんと届くように、少し大きめの声を出した。
「目的地は?」
「ひみつー」
のらりとかわされて、メリーはくらりとする。蓮子の奇行は今に始まったわけではないがこんな夜も遅い時間に、しかも隣町に来てまで、彼女は何をしようと言うのだろう。考えてはみるものの、到底思いつかない。
「着いたわよ」
歩き始めてかれこれ一時間。ぼんやりとした思考回路を持て余していたら、先を行っていた蓮子が立ち止まっていて、メリーを見据えていた。
「メリー、こっちこっち」
そこは拓けた空き地で、一段と景色が映えて見える場所。
「十一時二十三分ね。厳密には十一時二十三分三十三秒」
メリーが隣に並ぶと同時に。
―――星を見、時間を知り、月を見、場所を知る程度の能力。蓮子の能力。
メリーが持つ結界の境目を見るような、特別な力。それが宇佐見蓮子にもあった。メリーが自分の能力を打ち明けてからすぐに蓮子がおかえしと言わんばかりに教えてきたのだ。
「あの、蓮子。ここで何を……?」
「メリーは結界の境目を見ることができる」
問いには答えず、蓮子は空を見上げながら言った。
「そしてわたしは、星を見て時を知る」
「……」
「何か違う? わたしとメリーはどこか違う?」
―――それは。
メリーは言葉に詰まった。
なんと言うことか。
蓮子はメリーが思い悩んでいた事柄に気付いていたのだ。すなわち、「わたしは違うんじゃないか」。
力を打ち明けようとした時といい、今日といい。宇佐見蓮子には、前述の能力以外にも何かあるんじゃないかと疑わされる。
「なんで、って顔してるわね。メリー」
「いや、あの、その……」
返答に窮していると、蓮子はメリーの肩に腕を回した。
「仲間でしょ、わたし達。あなたは違っていない。あなたはマエリベリー・ハーンという人間よ。ここにいていい人間なの。だから、かけらでも、『自分は違う』なんて思わないで頂戴。少なくとも、わたしはあなたと一緒にいて楽しいわ」
「―――!」
看破されていることにも驚いて。さらに、蓮子の言葉はメリーを容赦なく撃ち抜いた。
「さてと、帰る?」
泣き出したいのを我慢して細やかに震えていると、そのまま肩をぽんぽんと叩かれる。
決壊しそうな感情を抑えながら、ゆっくり頷いた。
―――でも、違うことに変わりはないの。
あはは はは
ははは
「あ」
終電は当たり前のようになく、歩いて帰ることにした。三十分ほど線路沿いを歩いた時。メリーは両目を見開いて、中空を見ていた。それは偶然、何かを見てしまったかのような驚きの表情だった。
「どうかした? メリー」
「……見えた」
神妙なメリーの面持ちを見て、蓮子もそれが何を示しているのかを悟る。前に自分自身で、なにげなく訊ねたこと。
「……空中に?」
「うん、空中に」
メリーにとって、空中に線が見えたのは初めてのこと。以前、蓮子に見えるかどうかを訊かれたことがあった。その時はよくわからないと答えていて、実際わからなかったのだが。こうして目の前にして、本当に世界は結界で満ち溢れていることを思い知る。
「でも、あの線は嫌な感じがするわ。見てるだけでくらくらするもの」
「んー……、なるほど。それはまあ、そうなるかもしれないわね」
蓮子がひとりで納得し、頷いて、うんうんともう一回頷いた。
「空中にある結界の境目はね、メリー。近付いてはいけないものなの」
「近付いてはいけない?」
「そう。まあ推測だけど。たとえば物にある結界は、「それをそれのまま維持する」ためのでしょ?」
「うん」
「―――じゃあ、空間にある結界は何を維持しているのか?」
「空間」「結界」「維持している」
三つのフレーズを訊いて、メリーは考察する。
―――考えるまでもないわ。
心を叩く鼓動の量が増えた気がした。
「それはね、メリー」
―――言わなくてもそんなのはわかってるわよ蓮子。
「言わなくてもそんなのはわかってるわよ蓮子」
自然と、メリーの口から言葉が漏れる。意識の中は空っぽになっていて、外は言葉で満ち溢れていた。
―――だってわたしはそれを観測できる存在だもの。
「だってわたしはそれを観測できる存在だもの」
「へー、メリーも考えてたのね。じゃあ、言ってみてくれる?」
―――言われなくとも。
「それはね蓮子」
―――人間の世界に混じってしまった、わたしみたいな違和感を。
「もといた場所へと導くためのものよ」
笑顔の蓮子。怒っている蓮子。真面目な顔の蓮子。でも、もう、蓮子の顔すら思い出せない。
「メリー? それってどういう―――」
「 」
言っても無駄。
だって もう あなたはわたしを見れないもの。
付きまとう境目が、裂ける。
「――――――あ」
自分の声で目が覚める。陽が傾いていることから、もう夕方だということが解った。随分と長く寝入ってしまったことを理解し、メリーは慌てて跳ね起きた。
「あれ―――?」
違和感がある。
まず、布団がない。いつも敷いている布団がなく、しかも私服のままだった。私服のままで寝てしまったなら説明が付くが、布団が消失したことは説明できない。
次に、見覚えがない場所にいること。今わたしが立っているのは、どうやら小屋のようである。問題として、見知った場所ではないと言うことだ。
そして最後に。
わたしは確か、昨日は蓮子と一緒に隣町に行ったはずだ。そして、星を一緒に見て、諭してくれて、それで別れて―――「違う」
そう、違う。
わたしの記憶の中の、帰り道の記憶がない。蓮子が空中に見える結界について論じてわたしはそれを黙って聞いていて―――白。
「な、なにが起きたの………?」
小屋から出て、外の様子を見ることにした。茜色の光に思わず目を閉じて、光に慣れると、ゆっくりと開いた。
瞬間、言葉が失われて、わたしは目を見開いて固まる。
生い茂った草木や雑木林が所狭しと並んでいて、虫の鳴き声が静かに聞こえてくる。
おかしい。こんな場所、わたしは知らない。こんな小屋、わたしは知らない。
こんな世界 わたしは 知らない
―――言ったでしょう? わたしはあそこにいちゃいけないの。だって、違うんだもの。
いつか耳障りと思った声が聞こえ、その心地よさを知る。
―――だから、わたしはいじった。あの時代からいなくなるために。
「わたしの」口が開く。
あなた、誰?
「わたしはわたし。それ以外の何でもない、わたしなの」
あは。
笑い声が聞こえる。堰を切り、狂ったように笑う。
それは誰だったのか、もう思い出せない。だって、わたしはわたし。
世界が赤く染まっていく。
線が見えた。それはわたしが■■した何かの○×○の上にあって、おもしろおかしくなって、つい■■□を■■してしまう。おっと、これではいけない。
そうだ。蓮子に会いに行こう。蓮子ならわたしの疑問にも答えてくれるから。
「メリー」
合い言葉を紡ぐ。そうすれば、ドアの向こうから答えが返ってくるのだ。
「メリー」
蓮子は答えてくれない。そうだ、まだ来てないんだ。そうに決まってる。だったらまずわたしが中に入らなきゃ駄目じゃないか。
だから中に入った。世界は赤いままだった。
「■■■■■■■■! ■■■■!」
耳を劈く雑音。鬱陶しかったので、■■した。すると■■は静かになった。
中に入って、わたしは待つ。待ってれば、蓮子がやってきて合い言葉を言ってくれるのだから。
講義、長引いているのかしら?
あはは。あはは。
あは。
目覚めた時、すでにわたしはわたしであることを知っていた。自分の名前すらわからずに、でも不思議と不安はない。わたしはわたしであればいいと、そう思ったから。
次に飛べることに気付いた。一時的なものではなく、「飛ぼう」と思うだけで、わたしは空を舞った。その時に、流れる雲を見た。八つの雲がわたしの目の前で旅をしている。便宜的な名前ぐらいは必要だろう。突然そう思って、名を「八雲」にすることにした。
それから一年ぐらいして、わたしは気まぐれから一人の女の子を助けた。その少女は野犬の群に襲われていて、放っておけば食らわれてしまう弱者であることは一目瞭然だった。無意識のうちに、わたしは「線」を遠隔でいじっていた。
わたしが見ることが出来る線は、どうやら何かと何かを区別するための境界を区別するものらしい。なぜこんなことができるかわからないけど、便利だったので考えないことにした。
野犬たちが「いなくなって」から、少女の目の前に降りた。女の子はきょとんとわたしを見ている。
「怪我はないかしら」
気遣う心なんてものはないのに、自然とそんな言葉が出ていた。
「うん」
少女はわたしに助けられたことを理解したようで、その言葉のあとに、満面の笑みで礼を言った。どうやら遊びに出ていって、いつのまにか遠出してしまっていたらしい。
「ほら、早く帰りなさい。親が心配するわよ」
「うん、ありがとうおねえちゃん」
「ええ、気を付けて」
そのまま別れるはずだったのだが、わたしが空に舞おうとすると、服の袖を引っ張られていることに気付く。
「何かしら?」
「おなまえ」
どうやら、自己紹介をしたいらしい。
「わたし、ゆかり、っていうの。おねえちゃんは?」
「わたしは八雲よ。八個の雲で、八雲」
「やくも? へんなおなまえー」
まあ、本当の名前ではないので、笑われても腹は立たない。
「それじゃ、おねえちゃん、ばいばい」
「さようなら」
ゆかりは手を全力で振りながら、やがて見えなくなっていった。見届けてからわたしは空に戻る。
「ゆかり、ねえ」
八雲、だけでは何かと殺風景のような気がした。
「八雲ゆかり、―――縁、ゆかり―――紫?」
そういえば、今着ている服も紫色だ。これはおあつらえ向きだ。
「八雲紫、うん、いいじゃない」
「ああ、おはようございます紫さま」
「おはようございます、紫さまー」
「おはよう、藍。橙も」
目が覚めたわたしは、居間に顔を出した。
目覚めてから色々と知識をつけたわたしは、結界を知って、博麗を知って、スキマ、その他諸々を知った。
この世界は外界から隔離された「幻想郷」と言って、前述の博麗が作った大結界により分けられている。もっとも、わたしの能力の前だと意味がないけど。でもそれを壊したりはせず、見守る日々を送っている。初代博麗の巫女とそんな約束をかわしたからである。交換条件として、マヨヒガを貰ったのだが、見返りは十分すぎるほどに立派だった。適度にだらけられて眠れるこの場所は、わたしにとっての極楽浄土だ。
「ふああ……」
と色々考えたら、再び眠気が襲ってくる。起きたばっかりでこの調子なのだが、そんなことは顛末である。
「藍、朝食を摂ったらまた寝るわ」
「そうですか。最近、多いですね。冬眠するにも冬じゃないですし」
「そうなのよ、なんでかしらね」
「紫さま、お寝坊さんですね」
橙は無邪気な顔でけっこう残酷だった。本人に自覚はないのだろうけど。
「ばかっ、橙! 紫さまに向かってなんてことを!」
「ああ、いいのよ藍。事実だし」
「でもですね紫さま……、って、寝ながら食べないでください!」
「ほえー?」
自分が何を言っているのかすら意識できない。これはどうやら、本当に危ない。
「あー、藍。もう駄目、限界。おやすみ」
食事途中にも関わらず、スキマを開いて、自分の部屋へと続く道を象っていく。ほどなく、辿り着いた。
「ふああ……」
あくび。遠くで藍は溜息を吐いているのだろうけど、まあいいか。
そして同じく遠くで、橙が楽しく歌う声が聞こえてきた。微睡む意識でそれを聞く。
めーりさんのひっつっじー、ひっつっじー、ひっつっじー。
めーりさんのひっつっじー、かわいーいなー。
完全に遮断された意識の中で、わたしは誰かを待っている。
わたしはドアの前に陣取って、いまかいまかと待ちわびているのだ。
「メリー」
そして声が聞こえ、
「さんのひっつっじー」
ドアが開いて、光を見る。
了
この歌を選んだ翌日、マエリベリー・ハーンのあだ名は「メリー」になっていた。
始まりは通っていた幼稚園で、先生が「好きな歌を歌いましょうね」と言った場面から。元々名前の響きが似ていたこともあり、それはあっという間に定着した。出席をとる時、担任の先生ですら本名と間違えたほどにしっくりきているくらいに。
日本で生まれ、日本で育ったメリーは、名前と本籍を除けば、すっかり日本人だった。
宇佐見蓮子と出会って、うち解けて、しばらくしてからメリーは彼女に勢いでこんなことを言った。
「ねえ蓮子。わたし、変な線が見えるの」
宇佐見蓮子は秘封倶楽部と言う不思議不可思議摩訶不思議を追いかけるサークルに属していて(もっとも、メンバーは彼女一人だけだが)、その日もなにかしらのアクションを起こしていた。メリーは当初、サークルには入っていなかったが、蓮子の手伝いをいつもしていた。彼女らと同じ学校に通っていた生徒達は、たびたびこの光景を目撃している。
「その線はね、どこにでもあるの。見えないって思えば見えなくなる。でも、少しでも意識すると見えてくるわ。実質、眠っている時ぐらいしか、線は消えてくれない」
一度だけ、メリーは線に触れたことがある。線は小学校の時には既にうすぼんやりと見えていて、中学校へと上がるぐらいには色濃く存在していた。最初は目の錯覚だと思っていたが、日が経つにつれて、その線ははっきりとしてくる。意を決して、彼女は近くにあった鉄製ロッカーに走っている線を、上手になぞった。
「ねえ蓮子。これってなんなのかしらね」
背骨の代わりに氷柱を入れられ、南極に放り込まれるような寒気。それを想像するだけで襲ってくるおぞましさ。同時に、メリーの脳髄を駆けめぐる。ただただその場を離れたくて、メリーは飛び退いた。線は変わらずに、ロッカーをなぞるように疾走している。小学生の頃から当たり前のように見てきたその線。恐ろしく感じ始めたのは、その頃から。
それからはなるべく線を意識しないように、平静に努めてきた。その甲斐あってか、高校入学の時期には線は半透明程まで薄らいでいた。このことはメリーを明るくし、それから線は意識の外へと追いやられて、いつしか忘れ去られていた。
宇佐見蓮子と出会ったのは、季節が秋から冬にさしかかろうとしている、寒い日のこと。
下校しようとしたメリーを呼び止める声があって、なんだろうとメリーは振り返った。駆けてくるのは、確か隣のクラスの女子生徒。名前は知らないけど、クラスぐらいはわかっていた。宇佐見蓮子と名乗った彼女は、メリーが「何の用?」と訊くと、いきなりまくし立てた。やれ不思議だの、謎だの、超常現象だの。第一印象は「あ、ヤバイ人か」と思ったメリーだったが、目の前の弾丸少女の真摯な眼差しを見て、それは違うとわかった。「わかったからもっと落ち着いて。あと呼吸も整えて」と言ってみると、蓮子は何度も勢いよく頷いて、数分間深呼吸をした。
「秘封倶楽部」
この単語を最初、メリーはお気楽なクラブ活動だと思っていた。しかし、この学校にそんな部はなかったはずである。その辺りを訊ねたら、「クラブじゃないわ。いい? 倶・楽・部」
微妙なイントネーションの違いから教授された。言い直すと、蓮子は満足そうに笑う。
秘封倶楽部とは。これは宇佐見蓮子主宰(しかし彼女一人だけ)の個人サークルであり、学校が思う部活動とはかなりかけ離れている存在だと言うこと。議論を交わすだけで生産性のない普通の文化系のそれとは違い、本当にあるのかどうか、探求するというのだ。あまりにも真剣な蓮子の剣幕に、終始メリーは押されていた。
ぞわり。
蓮子の話が終盤にさしかかって、彼女が「興味があるなら、明日返事を聞かせて頂戴」とさよならを告げてから、ひとり帰路の中腹を歩いていた時。
記憶からいなくなったはずの忌まわしいものが、メリーの中で産声をあげるように甦ってきた。黒く、どこにでもある線が目の前に、一本だけ見えた。
恐怖で声、顔が引きつる。
宇佐見蓮子は言った。わたしが追い求めるものは一つじゃない。
宇佐見蓮子は言った。この世のあらゆるもの。
宇佐見蓮子は言った。未知のすべて。
なぜだ、なぜだ、見えないはずなのに。
なぜだ。なぜだ。こんなものが見えるなんてありえない。
なぜだ、なぜだ、なぜだ。
なぜ、だ、
そうだ 知らねば ならない。
秘封倶楽部の活動は蓮子の気が赴く時に行われ、しかし実質毎日だった。
メリーは、「蓮子は、自分の秘密を話しても良い人間だろうか」、「わかってくれるかどうか」、見極めることにし、三ヶ月ほどしてから、なんとはなしに訊いてみた。
「なんでわたしを勧誘したの?」
それはさりげない言葉だが、メリーにとっては死活問題にあたる。口の中がからからになって、蓮子の答えを待つ。
「最初はね、ただの人数集めに放課後の学校走ってたんだけど。一人じゃ不便も多いじゃない?」
蓮子の弁が始まる。メリーは聞き入り、一言一句を聞き逃すまいと集中する。
「でも全然見つからなくて。だからメリーを見つけた時は本当に良かったって思った。で、ここからが答えと言うか、質問も兼ねるんだけど」
―――予感。
「メリー、―――わたしに、隠してない?」
不思議な線のことを知った蓮子は真面目な顔をして、色々と訊いてきた。メリーが全部を偽りなく答えると、常備している鞄の中から一冊の分厚い、古ぼけて傷んだ本を取り出した。
蓮子は「何かを隠していないか」ではなく、「隠していないか」と言った。つまり、彼女にはメリーの抱えているものが「どういったもの」なのか、見当がついていたことになる。
「そういえば、なんで誘ったかって答え」
―――人数集めは、メリーを見た瞬間吹っ飛んだわ。
「この子はきっと、わたしが追い求めるもののどれかで苦しんでるんだって。そう思った。だってメリー、わたしが話すたびに、苦しげな顔になるんだもの」
そうかしら?
「そうだったわ」
結界。それは有象無象、森羅万象、ありとあらゆるものを繋ぎ止め、現世に存在させるもの。メリーが見ていた線とは、この結界の境目なのだ。蓮子は本をぱらぱらとめくり続け、夢中になっているメリーに、まるで独り言のように言った。
「だから別に怖いものじゃないわ。どこにでも結界はあるし、あなたはそれがたまたま見えるだけ」
蓮子の言葉に嘘偽りはないのだろう。でも、それでは説明が付かないこともある。
「蓮子、ひとつ言っておきたいことがあるんだけど」
かつて触れた線の一つ。それ以外の線に触れたことはないが、きっと怖気を感じるのは、あの線だけなのだ。
「結界自体に害があるとすれば、ただ一つだけ。結界自身に、「こっち」を拒むような命令がされている時ね」
推測だけど。
蓮子はそう付け加えた。
実際にそれを見、体験しなければ断定は出来ない。ゆえに彼女の活動記録は仮説や推論で埋め尽くされている。でもその信憑性は高いものだと、根拠無しにメリーは思っている。
「機会があれば、メリー。そこに連れていってくれない?」
「………」
迷う。
メリーが見ていたものの正体はわかったものの、あの時感じた悪寒は並大抵のものじゃないのだ。もしかしたら、もしかする。迷っていると、蓮子が苦笑しているのがわかった。
「無理しなくていいわ。駄目なものは駄目って、言っていいんだから」
「いや、そういうわけじゃ………」
言葉で上塗りされた誤魔化し。そう、わたしは躊躇っている。もう一度あの場所に行くことを。あのおぞましい線の前に蓮子を立たせなければならない。それはとても恐ろしい。自分が立つよりも、何よりも。宇佐見蓮子を死地に送り出すようなものだ。大袈裟かもしれないが、メリーが昔体験した寒気は、心臓を抉られるような不愉快さがあった。
未知は恐怖になる。あれがただの線ではないことはわかっているのだ。
いや、線と言うのは正しくない。あれは結界の境目。
ということは。メリーは辿り着く。
あれは境目なのだから、その先に何かがあるのではないか。もしもそこに足を踏み入れることがあれば、あんなものではすまないのではないだろうか。
考えただけで気が狂いそうだ。あれ以上の恐怖があれば、わたしなんてたちまち壊れてしまうだろうから。
だからメリーは考えるのをやめ、「機会があればね」
訪れることがない機会を、意識的に撤去した。
「そういえば、なんでメリーなの?」
同じ大学に入学し、春と夏の境目。唐突に蓮子がそんなことを言ってきた。
別に言っても弊害はないだろうけども、「メリーさんのひつじを歌ったからメリー」なんて、安直にも程がある。でも蓮子に嘘はつきたくないわけであり。軽く、メリーは苦悩する。
渋々、メリーは由来を口にする。
「………」
蓮子は押し黙っていた。神妙な面持ちで、メリーの話を聞いていた。
「………めーりさんのひっつっじー」
うわあ。メリーはやっぱり来たかと思って、げんなりする。
「安直ねー。そういや、名前の響きと似てるし。なるほど、メリーはメリーになるべくメリーなのね」
蓮子はメリーに周りをぐるぐる回りながらメリーさんのひつじを熱唱する。メリーは最初、ぷるぷる震えていたが、しばらくしてから顔を俯け、すぐに、
「やめなさーい!」
「きゃー、メリーちゃんが怒ったー」
その棒読みで、さらに爆発した。
「逃げるが勝ちー!」
蓮子はそのフットワークの軽さを生かして、俊敏な動きで駆けた。メリーも続き、付かず離れずの追いかけっこが始まる。
笑いながら逃げる蓮子と、楽しそうに怒りながら追いかけるメリーの姿は、他の学生達の目にはかなり奇異なものとして写っていた。
この頃のわたしは、幸せだった。両親でもない他人が、わたしをわかってくれているのだから。
いつまでもこんな時間が続けばいいのに。そう、思わずとも、心の奥底にはいつもそれがあった。
蓮子が携帯電話を持ち始めたのは、夏休みが終わってからだった。秘封倶楽部の活動は精力的に行われていて、メリーも立派にサークルの一員になっていた。そんな矢先のことだった。
「めーりさんのひっつっじー、ひっつっじー、ひっつっじー」
着信すると歌が流れるタイプのもので、ここまでくると完璧ないじめっこと呼んでもかまわないだろう。
「れーんーこー!」
「きゃー、メリーちゃんがこわーい」
ダッシュ。
ダッシュ。
いつしか、「メリーさんのひつじ」は、彼女達のステータスになっていた。
「メリー」
「さんのひっつっじー」
それは合い言葉に昇華された。秘封倶楽部は蓮子の画策により大学内の一部屋を獲得することに成功し、しかし活動内容は変わらずにいた。
二人とも同じ鍵を持ち、片方の講義が終われば部屋に走り、片方は合い言葉でメンバーを判断する。「メリーさんの」で区切ってしまうと「ひつじ」は容易に連想できるし、さらに一節をただ読み上げ、残った方を歌う。これなら、簡単に騙されることはない。もっとも、彼女達以外でこの部屋に寄りつくものは掃除のおばちゃんぐらいしかいない。
「さて、今日も今日とて、頑張りますかね」
腕と背筋を伸ばしながら、蓮子は変わり映えのない毎日を送っていた。メリーもそれに追従していた。
しかし、メリーには言いようのない不安が常につきまとっている。
それは結界の境目を見ることが出来る自分と蓮子との違い。蓮子はメリーの能力を理解した上で深い付き合いにある。でも、もしわたしがただの人間だったら、蓮子はどうしただろうか。秘封倶楽部のメンバーとして認めてくれただろうか。
いつの間にか宇佐見蓮子は、マエリベリー・ハーンにとって、もっとも大切な存在になっていた。彼女が離れていく想像をするだけで心が深く落ち込み、涙が落ちる。蓮子の前でそんな真似はしないが、彼女と別れて帰路に就き、自分の部屋で一人になったと悟った瞬間、その虚脱感、恐怖は現れる。
ずっと 一緒に いたい
部屋の中心で蹲り、泣きながら。
自分は今、幸せなんだと、知った。
メリーの背後に境目が現れ始めたのは、それを知った頃。
結局母校の中学校に行くこともなく、時間は過ぎていった。秘封倶楽部の活動も順調で、様々な謎が立ちふさがり、それに対しての仮説が増えていく。
「わたしは思うのよ。異世界みたいな場所があるんじゃないかって」
蓮子は資料を整頓しながら、そんなことを言い出した。
「異世界?」
「そう。例えば、そこには昔ながらの妖怪とか、魔法使いがいるの」
語る蓮子の目は爛々と輝いている。もうこれは止まらないな。メリーは苦笑した。
「ほら、メリーは結界の境目が見えるじゃない。それはどこにでも見えるのかなって、考えて」
「どこにでもあるわよ。床とかロッカーとか、黒板とか」
「いや、そうじゃないの。………そうね、空中に、線が見えたことはない?」
「空中に? ………どうだったかしら、わからないわ」
思いつきもしなかった。結界の境目とは言葉通りであり、ものとものを繋ぐ線のことだと思っていた。
結界は隔離するために編み上げられるもの。繋ぐためではなく、拒否するための導。それの境目を見ることが出来る自分。
―――ここは、違うの。
―――わたしはここのものじゃない。
「………え?」
今の声はなんだ? 今、何の声がした?
今、わたしは何を考えていた!?
「メリー、どうかしたの? ………顔色悪いけど」
「え、あ、ああ、なんでもないわ」
心配そうに、メリーの顔を覗き込む蓮子。その表情は心底から友人を心配する人間のそれだった。
―――なんでそんな顔をしているのかしら。理解できないわ。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ」
―――だって、わたしは違うじゃない。違うものは理解できないもの。
メリーの中で相反する思考があった。
―――理解できないんだからそう思うだけよ。
自分の声で真逆を唱えるこいつは何者だ!
―――わたしはメリー。メリーはわたし。
違う、わたしはわたし。それ以外の何者でもない!
―――わかってるくせに。
わからない、わかってたまるか!
―――気付いてるんでしょ?
知らない、知らない!
―――あなたの背後にある境目が「なんなのか」。わかってるくせに!
眠れなかった。しかしメリーの意識は覚醒しきっていて、眠るなんてことは到底できない相談だった。
「……なんなのよ、もう」
耳にこびりつく知らない声。
―――わかってるくせに!
ありありと思い出せて、今でも耳元でささやかれているような不快な声。幻聴ならまだ救われる。しかし、そういった類のものではないとは解っていた。能力の影響ということも考えられる。材料が足りなかった。睡眠不足でも覚醒している頭脳。でも、何か込み入ったことを考えようとすると、眩暈がする。
ふと時計を見た。朝の七時で、講義に行くには早すぎる時間。メリーは決断する。
「おやすみなさい~……」
幸いなことに、夢の世界がすぐ見えてきた。
何が起こっていたのかその時のわたしには解るはずもなく。
背中の境目に気付くこともなく。
次の日にはすっかり元気を取り戻して。
秘封倶楽部として日々を送っているうちに、声のことなんて忘れていた。
あははっ。
「メリー、ちょっと真面目な相談なんだけど」
「うん? なに?」
一日の倶楽部活動が終わり、二人一緒に部屋を出て構内の廊下を歩いていたら、蓮子が言葉通りに真面目な表情を作った。
「前に、空中に線が見えないかって訊いたじゃない?」
「うん、そういえばそんなこともあったわね」
それで?
メリーが続きを促すと、蓮子は数秒間深呼吸をする。
「今から一緒に行ってほしい場所があるの」
蓮子は真剣すぎる口調だった。でも、それには抑揚がない。前もって準備されていたことをただ言うだけのような、事務的なそれだった。
「いいけど……今日はもう遅いし、明日は?」
「駄目。今日じゃないと」
双眸に射抜かれる。メリーは相方の熱意に押され、二つ返事で了承した。
「今日は月と星がよく見えてるから、いい日だわ」
蓮子は夕闇を見渡しながら、嬉しそうに言う。終電に間に合うかどうかもわからない時間に電車に飛び乗って、秘封倶楽部の二人は隣町まで来ていた。蓮子が半ば強制的にメリーを連行した形で、仕方ないなあと言いたげな表情のメリーは、先を行く蓮子に黙って追従している。
「ねえ、蓮子ー」
「なーに?」
どこに向かっているのかすら知らされておらず、痺れを切らしたメリーは蓮子の耳にきちんと届くように、少し大きめの声を出した。
「目的地は?」
「ひみつー」
のらりとかわされて、メリーはくらりとする。蓮子の奇行は今に始まったわけではないがこんな夜も遅い時間に、しかも隣町に来てまで、彼女は何をしようと言うのだろう。考えてはみるものの、到底思いつかない。
「着いたわよ」
歩き始めてかれこれ一時間。ぼんやりとした思考回路を持て余していたら、先を行っていた蓮子が立ち止まっていて、メリーを見据えていた。
「メリー、こっちこっち」
そこは拓けた空き地で、一段と景色が映えて見える場所。
「十一時二十三分ね。厳密には十一時二十三分三十三秒」
メリーが隣に並ぶと同時に。
―――星を見、時間を知り、月を見、場所を知る程度の能力。蓮子の能力。
メリーが持つ結界の境目を見るような、特別な力。それが宇佐見蓮子にもあった。メリーが自分の能力を打ち明けてからすぐに蓮子がおかえしと言わんばかりに教えてきたのだ。
「あの、蓮子。ここで何を……?」
「メリーは結界の境目を見ることができる」
問いには答えず、蓮子は空を見上げながら言った。
「そしてわたしは、星を見て時を知る」
「……」
「何か違う? わたしとメリーはどこか違う?」
―――それは。
メリーは言葉に詰まった。
なんと言うことか。
蓮子はメリーが思い悩んでいた事柄に気付いていたのだ。すなわち、「わたしは違うんじゃないか」。
力を打ち明けようとした時といい、今日といい。宇佐見蓮子には、前述の能力以外にも何かあるんじゃないかと疑わされる。
「なんで、って顔してるわね。メリー」
「いや、あの、その……」
返答に窮していると、蓮子はメリーの肩に腕を回した。
「仲間でしょ、わたし達。あなたは違っていない。あなたはマエリベリー・ハーンという人間よ。ここにいていい人間なの。だから、かけらでも、『自分は違う』なんて思わないで頂戴。少なくとも、わたしはあなたと一緒にいて楽しいわ」
「―――!」
看破されていることにも驚いて。さらに、蓮子の言葉はメリーを容赦なく撃ち抜いた。
「さてと、帰る?」
泣き出したいのを我慢して細やかに震えていると、そのまま肩をぽんぽんと叩かれる。
決壊しそうな感情を抑えながら、ゆっくり頷いた。
―――でも、違うことに変わりはないの。
あはは はは
ははは
「あ」
終電は当たり前のようになく、歩いて帰ることにした。三十分ほど線路沿いを歩いた時。メリーは両目を見開いて、中空を見ていた。それは偶然、何かを見てしまったかのような驚きの表情だった。
「どうかした? メリー」
「……見えた」
神妙なメリーの面持ちを見て、蓮子もそれが何を示しているのかを悟る。前に自分自身で、なにげなく訊ねたこと。
「……空中に?」
「うん、空中に」
メリーにとって、空中に線が見えたのは初めてのこと。以前、蓮子に見えるかどうかを訊かれたことがあった。その時はよくわからないと答えていて、実際わからなかったのだが。こうして目の前にして、本当に世界は結界で満ち溢れていることを思い知る。
「でも、あの線は嫌な感じがするわ。見てるだけでくらくらするもの」
「んー……、なるほど。それはまあ、そうなるかもしれないわね」
蓮子がひとりで納得し、頷いて、うんうんともう一回頷いた。
「空中にある結界の境目はね、メリー。近付いてはいけないものなの」
「近付いてはいけない?」
「そう。まあ推測だけど。たとえば物にある結界は、「それをそれのまま維持する」ためのでしょ?」
「うん」
「―――じゃあ、空間にある結界は何を維持しているのか?」
「空間」「結界」「維持している」
三つのフレーズを訊いて、メリーは考察する。
―――考えるまでもないわ。
心を叩く鼓動の量が増えた気がした。
「それはね、メリー」
―――言わなくてもそんなのはわかってるわよ蓮子。
「言わなくてもそんなのはわかってるわよ蓮子」
自然と、メリーの口から言葉が漏れる。意識の中は空っぽになっていて、外は言葉で満ち溢れていた。
―――だってわたしはそれを観測できる存在だもの。
「だってわたしはそれを観測できる存在だもの」
「へー、メリーも考えてたのね。じゃあ、言ってみてくれる?」
―――言われなくとも。
「それはね蓮子」
―――人間の世界に混じってしまった、わたしみたいな違和感を。
「もといた場所へと導くためのものよ」
笑顔の蓮子。怒っている蓮子。真面目な顔の蓮子。でも、もう、蓮子の顔すら思い出せない。
「メリー? それってどういう―――」
「 」
言っても無駄。
だって もう あなたはわたしを見れないもの。
付きまとう境目が、裂ける。
「――――――あ」
自分の声で目が覚める。陽が傾いていることから、もう夕方だということが解った。随分と長く寝入ってしまったことを理解し、メリーは慌てて跳ね起きた。
「あれ―――?」
違和感がある。
まず、布団がない。いつも敷いている布団がなく、しかも私服のままだった。私服のままで寝てしまったなら説明が付くが、布団が消失したことは説明できない。
次に、見覚えがない場所にいること。今わたしが立っているのは、どうやら小屋のようである。問題として、見知った場所ではないと言うことだ。
そして最後に。
わたしは確か、昨日は蓮子と一緒に隣町に行ったはずだ。そして、星を一緒に見て、諭してくれて、それで別れて―――「違う」
そう、違う。
わたしの記憶の中の、帰り道の記憶がない。蓮子が空中に見える結界について論じてわたしはそれを黙って聞いていて―――白。
「な、なにが起きたの………?」
小屋から出て、外の様子を見ることにした。茜色の光に思わず目を閉じて、光に慣れると、ゆっくりと開いた。
瞬間、言葉が失われて、わたしは目を見開いて固まる。
生い茂った草木や雑木林が所狭しと並んでいて、虫の鳴き声が静かに聞こえてくる。
おかしい。こんな場所、わたしは知らない。こんな小屋、わたしは知らない。
こんな世界 わたしは 知らない
―――言ったでしょう? わたしはあそこにいちゃいけないの。だって、違うんだもの。
いつか耳障りと思った声が聞こえ、その心地よさを知る。
―――だから、わたしはいじった。あの時代からいなくなるために。
「わたしの」口が開く。
あなた、誰?
「わたしはわたし。それ以外の何でもない、わたしなの」
あは。
笑い声が聞こえる。堰を切り、狂ったように笑う。
それは誰だったのか、もう思い出せない。だって、わたしはわたし。
世界が赤く染まっていく。
線が見えた。それはわたしが■■した何かの○×○の上にあって、おもしろおかしくなって、つい■■□を■■してしまう。おっと、これではいけない。
そうだ。蓮子に会いに行こう。蓮子ならわたしの疑問にも答えてくれるから。
「メリー」
合い言葉を紡ぐ。そうすれば、ドアの向こうから答えが返ってくるのだ。
「メリー」
蓮子は答えてくれない。そうだ、まだ来てないんだ。そうに決まってる。だったらまずわたしが中に入らなきゃ駄目じゃないか。
だから中に入った。世界は赤いままだった。
「■■■■■■■■! ■■■■!」
耳を劈く雑音。鬱陶しかったので、■■した。すると■■は静かになった。
中に入って、わたしは待つ。待ってれば、蓮子がやってきて合い言葉を言ってくれるのだから。
講義、長引いているのかしら?
あはは。あはは。
あは。
目覚めた時、すでにわたしはわたしであることを知っていた。自分の名前すらわからずに、でも不思議と不安はない。わたしはわたしであればいいと、そう思ったから。
次に飛べることに気付いた。一時的なものではなく、「飛ぼう」と思うだけで、わたしは空を舞った。その時に、流れる雲を見た。八つの雲がわたしの目の前で旅をしている。便宜的な名前ぐらいは必要だろう。突然そう思って、名を「八雲」にすることにした。
それから一年ぐらいして、わたしは気まぐれから一人の女の子を助けた。その少女は野犬の群に襲われていて、放っておけば食らわれてしまう弱者であることは一目瞭然だった。無意識のうちに、わたしは「線」を遠隔でいじっていた。
わたしが見ることが出来る線は、どうやら何かと何かを区別するための境界を区別するものらしい。なぜこんなことができるかわからないけど、便利だったので考えないことにした。
野犬たちが「いなくなって」から、少女の目の前に降りた。女の子はきょとんとわたしを見ている。
「怪我はないかしら」
気遣う心なんてものはないのに、自然とそんな言葉が出ていた。
「うん」
少女はわたしに助けられたことを理解したようで、その言葉のあとに、満面の笑みで礼を言った。どうやら遊びに出ていって、いつのまにか遠出してしまっていたらしい。
「ほら、早く帰りなさい。親が心配するわよ」
「うん、ありがとうおねえちゃん」
「ええ、気を付けて」
そのまま別れるはずだったのだが、わたしが空に舞おうとすると、服の袖を引っ張られていることに気付く。
「何かしら?」
「おなまえ」
どうやら、自己紹介をしたいらしい。
「わたし、ゆかり、っていうの。おねえちゃんは?」
「わたしは八雲よ。八個の雲で、八雲」
「やくも? へんなおなまえー」
まあ、本当の名前ではないので、笑われても腹は立たない。
「それじゃ、おねえちゃん、ばいばい」
「さようなら」
ゆかりは手を全力で振りながら、やがて見えなくなっていった。見届けてからわたしは空に戻る。
「ゆかり、ねえ」
八雲、だけでは何かと殺風景のような気がした。
「八雲ゆかり、―――縁、ゆかり―――紫?」
そういえば、今着ている服も紫色だ。これはおあつらえ向きだ。
「八雲紫、うん、いいじゃない」
「ああ、おはようございます紫さま」
「おはようございます、紫さまー」
「おはよう、藍。橙も」
目が覚めたわたしは、居間に顔を出した。
目覚めてから色々と知識をつけたわたしは、結界を知って、博麗を知って、スキマ、その他諸々を知った。
この世界は外界から隔離された「幻想郷」と言って、前述の博麗が作った大結界により分けられている。もっとも、わたしの能力の前だと意味がないけど。でもそれを壊したりはせず、見守る日々を送っている。初代博麗の巫女とそんな約束をかわしたからである。交換条件として、マヨヒガを貰ったのだが、見返りは十分すぎるほどに立派だった。適度にだらけられて眠れるこの場所は、わたしにとっての極楽浄土だ。
「ふああ……」
と色々考えたら、再び眠気が襲ってくる。起きたばっかりでこの調子なのだが、そんなことは顛末である。
「藍、朝食を摂ったらまた寝るわ」
「そうですか。最近、多いですね。冬眠するにも冬じゃないですし」
「そうなのよ、なんでかしらね」
「紫さま、お寝坊さんですね」
橙は無邪気な顔でけっこう残酷だった。本人に自覚はないのだろうけど。
「ばかっ、橙! 紫さまに向かってなんてことを!」
「ああ、いいのよ藍。事実だし」
「でもですね紫さま……、って、寝ながら食べないでください!」
「ほえー?」
自分が何を言っているのかすら意識できない。これはどうやら、本当に危ない。
「あー、藍。もう駄目、限界。おやすみ」
食事途中にも関わらず、スキマを開いて、自分の部屋へと続く道を象っていく。ほどなく、辿り着いた。
「ふああ……」
あくび。遠くで藍は溜息を吐いているのだろうけど、まあいいか。
そして同じく遠くで、橙が楽しく歌う声が聞こえてきた。微睡む意識でそれを聞く。
めーりさんのひっつっじー、ひっつっじー、ひっつっじー。
めーりさんのひっつっじー、かわいーいなー。
完全に遮断された意識の中で、わたしは誰かを待っている。
わたしはドアの前に陣取って、いまかいまかと待ちわびているのだ。
「メリー」
そして声が聞こえ、
「さんのひっつっじー」
ドアが開いて、光を見る。
了
また、宇佐『美』蓮子ではなく宇佐『見』蓮子ですのでー。
メリーが小屋で目覚めてその後どうなったのかってことと、メリーがおかしく
なって後の蓮子になにかあったのかが良く分からなかった
でもそれまでの経緯とか最後の終わり方は好きだ