Coolier - 新生・東方創想話

普通の吸血鬼 first

2008/01/12 22:01:23
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―――ねぇ、魔理沙。―――

―――なんだ?―――

―――私たちが最初に会った時、私に凄いビーム撃ったじゃない?―――

―――……ああ、マスタースパークのことか?―――

―――多分それ。あれって、私でも撃てるかなぁ?―――

―――どうだろうなぁ。―――

―――ねね、遣り方教えてよ、そのマスタースパーク。撃ってみたいの。―――






――――――普通の吸血鬼――――――






紅魔館。
幻想郷にある湖の中心に佇む洋館。
その外壁は血をぶちまけた様に深紅で、付近の妖怪からは悪魔の棲む館として名高い。
まあ、正確に言えば悪魔ではなく吸血鬼の棲む館であるが。
その館の吸血鬼、もとい主人のレミリア・スカーレットは地下の図書館へ歩を進めていた。
今の時刻、外は燦々と日が照っており、吸血鬼であるレミリアは館を徘徊することくらいしかすることがない。
日傘を差していれば外を動けないこともないが、今日は何となくそんな気分ではなかった。
メイドが掃除した廊下には塵一つ落ちていない。それはいいことだとレミリアは思う。
悪魔の棲む館が、実は掃除の行き届いていない館だという噂が立ってしまえば、その館の主人も示しがつかない。

これからも掃除を徹底的にやらせていこう。

そう考えたところで図書館の扉の前に到着した。
相変わらず長い道のりだったと思う。
吸血鬼のレミリアはこれしきで疲労も息切れもしないが、人間ならば体力切れで此処まで辿り着けはしない。
空を飛ぶという例外は除いて、だが。
因みに、館を広くしたのは彼女の側近、そして紅魔館のメイド長である十六夜咲夜だが、まあそんなことは今のレミリアにはどうでもいいことであって。
レミリアは図書館の扉に手をかけた。


――――――――――


埃っぽくて黴臭い本の樹海を抜けると、何時ものように彼女の親友の姿があった。
レミリアには未だに理解できなかった。
喘息持ちの親友が、何故こういった埃っぽくて黴臭い図書館にへばりついているのかと。
彼女が言うには、本と一緒にいるのが一番落ち着くのだそうだ。
そんな彼女の意見は理解はできていなかったが、もう何十年も前からそう思っているので、別に気にはしていなかったが。
「こんにちは、パチェ。相変わらずね」
パチュリー・ノーレッジは本から顔をあげて少し驚いた顔をして見せた。
「あらレミィ。今日は昼に起きてるのね」
「まあね」
レミリアはそう言うと、今度はパチュリーからテーブルを挟んで反対側の人物にも声をかけた。
「魔理沙、こんにちは」
「おう」
声をかけられた普通の魔法使い、霧雨魔理沙は手にした本を食い入るように見つめながら片手をあげた。
「珍しい。今日は強奪しないのね」
レミリアがそう言うと、
「強奪?なんのことかさっぱりだぜ。ところでパチュリー、この本後で借りて行くぜ」
と、魔理沙は返した。
後半はレミリアに向けられたものではなかったが。
「全く……」
パチュリーはやれやれとばかりに溜息を吐いた。
「パチェ、魔理沙。上でお茶でもどうかしら?」
レミリアは元々本を読まない。彼女がここに来た理由は親友をお茶に誘うためだった。
魔理沙は予定外だったが、客人がいるにも関わらずお茶の一つも出さないというのは、レミリアの貴族精神にとっては許されないことだった。
「そうね……頂こうかしら。小悪魔、そういうことだから本の整理お願いね」
「畏まりました」
どこからか小悪魔の声がした。
本棚の裏にでもいるのだろう。
「じゃあ私も行こうかしら」
パチュリーが立ち上がるのを確認すると、魔理沙も本を閉じて立ち上がった。
序でに伸びをした。
腋には強奪宣言をした本が挟まっていた。


――――――――――


日が差す紅魔館バルコニー。
バルコニーというものは、ベランダと違い、屋根のないもののことを言う。
先ほども少し触れたが、吸血鬼にとって、日の光は毒である。
レミリア(正確にはパチュリー)はこの問題を、大きな日傘が中央から延びたテーブルを使用することによって解決していた。
今、そのテーブルにはレミリア、パチュリー、魔理沙の三人が座って紅茶を啜っていた。
レミリアの隣には、メイド長である咲夜が佇んでいた。
「……シッキム!」
紅茶を飲んだレミリアはそう言った。
「違いますわ、お嬢様」
咲夜が首を振って否定する。
「……キャンディか?」
魔理沙が呟く。
「違いますわ」
再び咲夜が否定する。
「ダージリンね。レミィは惜しかった」
パチュリーが紅茶のカップを置いて言った。
咲夜はそれを首肯する。
「その通りでございます。シッキムとダージリンは味が似ておりますが、シッキムの方がやや渋みが少なくコクがあります」
「私は緑茶派なんだよ。紅茶は分らん」
「張り合おうとしたのは事実ね」
「うっ……」
開き直った魔理沙をパチュリーが皮肉った。

仲がいいよなあ、この二人。

二人のやり取りを見ながらレミリアはそう思った。
パチュリーはレミリアに「今日魔理沙が持って行った本は貴重だったのに」だとか「魔理沙は少し乙女として恥を知るべきよ」だとか、そういったことをよく言う。
愚痴を聞いてやっている時、レミリアは思うのだ。
本を盗まれているとはいえ、心の何処かでは彼女を信頼し、友として愛しているのだろう。
本当に嫌いならば、魔理沙は図書館に絶対に入れない。
本当に嫌いならば、徹底的に無視する。嫌いな奴の愚痴なんか叩かない。
本当に嫌いならば、一緒にお茶を楽しんだりしない。
魔法使い同士という縁もあるのだろうが、この二人の繋がりはそれ以上に思えた。
レミリアはふと外に目を向けた。
湖は日の光を反射してキラキラと輝いている。
吸血鬼は反射した微弱な陽光程度ならばどうってこともない。
少し目を凝らせば、湖の対岸では氷精が飛び回っているのが見えた。
平和だなあと思う。
魔理沙や、霊夢に出会わなかったら、自分もパチェのように館に引き籠りだったのかな。
いや、そうはならなかっただろう。
レミリアは今し方考えた思考を否定する。
これは運命だったのだ。
魔理沙や霊夢と出会い、インドア派吸血鬼からアウトドア派吸血鬼になることは運命だった。
運命を操るレミリアはそう思う。
こういう運命ならば大歓迎だ。
これからも現状維持の運命が続いてほしい。
そんなことを思った彼女は、ほんの少し未来の運命を見ることにした。













雷に打たれたような気がした。













――――――――――


「さーて、帰るかー」
「また。魔理沙」
パチュリーが僅かに手を振った。
レミリアが見ていた限り、本日二度目の伸びをした(本は抱えたまま)魔理沙は、バルコニーから館の中へ入って行こうとした。
「……待って、魔理沙」
レミリアがそれを呼び止める。
ドアノブに手をかけていた魔理沙が怪訝そうな顔をこちらに向けた。
「あー……何でもないわ」
手を振ってその意を示す。
「そうか」
強奪した本を使って何か実験でもするのだろうか、魔理沙はレミリアの様子を気に止めることもなくさっさと姿を消した。
「……どうしたの?レミィ」
パチュリーが不思議そうに聞く。
咲夜も若干瀟洒な表情を崩して、頭の上に疑問符を浮かべている。
「何でも……ないの」
レミリアは目を伏せ、二人と目が合わないようにした。
パチュリーと咲夜は代わりに互いの顔を見合わせた。


――――――――――


私は今本を読んでる。
パチュリーに借りた本。
なんて本かというと「魔術創世の歴史」だって。
ちょっと図書館で見つけて気になったから読んでみたら面白かった。
何々?魔術は中東、メディナを起点とするが、歴史的にはもっと遡れる?
どういうことかな?魔術の歴史は、人類の歴史が始まるとほぼ同時に始まっている。
原始時代、シャーマンと呼ばれる者たちが、占術や呪術を用いて、人々の悩みを解決していた。この呪術が魔術の起源であるといえる。ふーん。
自分が使う力の逸話っていうのは面白い。
だから読んでる。
495年間この地下牢に閉じ込められてたけど、シャーマンがお悩み相談していたなんて知らなかった。

これだから本は面白い。

知らないことを沢山教えてくれる。
お姉様はどうして読まないんだろう。
今度聞こう。
そう言えばパチュリーがそろそろ本を返してって言ってたかなあ。
もう何回も読み直したし、もうこの本はいいや。新しい本をパチュリーから借りよっと。
そう決めた私は、自分の部屋兼地下牢の扉を押し開いた。


扉を開くと、お姉様と鉢合わせた。
私が出てくるのを知っていたのだろうか。
お姉様はどこか悲しげな顔をしていた。
「フラン……」
「……何?」
「……いいえ、何でもないわ」
変なお姉様。
私は取り敢えずお姉様をかわして図書館に向かった。


――――――――――


レミリアはフランドール・スカーレットの地下牢の前で立ち尽くしていた。
愛する妹は本を持って図書館の方へ向って行った。
「フラン……」
レミリアはぽつりと愛する妹の名を呟く。
妹は幸せだ。
こんなに辛いのは、自分だけでいい。
彼女には見えていた。
でも、これは誰にも言うわけにはいかない。
知っているのは運命を司る自分だけでいい。
興味本位で見た運命が、これほど酷なものだとは思わなかった。
言った方がいいかもしれない。
でも言うわけにはいかない。
言ってしまえば、永遠に妹と親友の笑顔が見れなくなるかもしれないから。
それは嫌だ。何としてでも二人の笑顔だけは守りたい。
しかし、レミリアの運命を見る眼に曇りがなければ、いつかは二人の笑顔は途絶えてしまうだろう。
ということは、言わない限りは、二人の笑顔を見続けることができるということだ。
つまりは、エゴ。彼女―――レミリア・スカーレットという一人の吸血鬼のエゴである。
レミリアは、自身の運命を操る程度の能力がこれほど憎らしいと思ったことはなかった。
レミリアは、自身の運命を操る程度の能力がこれほど悲しいと思ったことはなかった。
夜の王と恐れられる吸血鬼は、どこまでも無力だ。
どう動こうと、結果は同じ。夜の王はつかの間の幸せを延ばすくらいしかできない。




――――――――――




私は、魔理沙と、お姉様と、パチュリーとで、ここ紅魔館のバルコニーで紅茶を飲んでいた。
咲夜は横で佇んでる。
魔理沙とパチュリーと一緒に図書館で本を読んでいた時、お姉様がお茶に誘ったから。
だから今ここで紅茶を飲んでる。
私は本を読みながらだけど。珍しくパチュリーは紅茶を飲みながら本を読んでない。
私が今読んでいる本は、一か月前にパチュリーに「魔術創世の歴史」を返して、「新しい本が読みたいから、お勧めの本がない?」と聞いたらこれを貸してくれた。
タイトルは「そして誰もいなくなった」。
外の世界の作家が書いた推理小説だ。
もう10回は読んだ。
私は結構小説が好きで、特に推理小説が好き。
犯罪のトリックだったり、人の行動原理だったり、論理的で「ああ、成程」と思うから。
探偵が犯人を追い詰めて自供させるシーンなんかドキドキの絶頂よ!
この「そして誰もいなくなった」っていう小説は、細かい内容は省くけど、とある島の主U.N.オーエンが10人の男女を招いて、その10人を殺していくお話だ。
U.N.オーエンは誰かというのはある程度絞られているんだけど、結局その正体が分からず全員が殺されてしまう。
物語の舞台の島の中で、オーエンが全てを把握し、殺人を犯している様は、全知の神のようにも思った。
島の上で、大きな黒い道化師が高笑いしている光景を想像した。
いやな光景だ。そういうの好き。
「フラン、紅茶の時間には本は置きなさい」
けど、お姉様は紅茶を飲みながら本を読むのはレディに有るまじきことって言って注意する。
だったらパチュリーはどうなのって思う。
そう言えば、お姉様はさっきから魔理沙を悲しそうな眼で見てる。
凄く沈んだ眼をしてる。
ここ一ヶ月間、お姉様は何処か暗い。
当の魔理沙は、かなりリラックスした表情で、お姉様の視線に多分気が付いていない。
多分って言うのは、私は魔理沙じゃないから、はっきり言えないだけ。
「ねえ魔理沙」
「なんだ?フラン」
魔理沙に聞きたいことがあったのを思い出して聞いてみた。
「マスタースパークって何符だったっけ?」
私は魔理沙にマスタースパークを習っている。
と言っても、魔法使いというのは自分の魔法の仕組みを他人には普通教えないものだから、詳しい構造までは習っていない。
あくまで、骨組を教えてもらうくらい。
でも、何で私に教えてくれるのだろう。
そう思ってこの前聞いたら、何となくだそうで。
私がマスタースパークを撃ちたいのも何となくだから御相子だけど。
「恋符だ。恋符」
「恋?」
「そう。恋だ。愛情だ」
自慢げに言う魔理沙の様子が、何だか可笑しくて思わず吹き出してしまった。
「なんだよ?青臭いか?」
私は、目の端の涙を指で拭きながら、
「ううん。よっぽどマスタースパークに自信があるんだなって思って」
そう言った。
彼女は自慢げに胸を張る。
「当たり前だ。あれは霧雨魔理沙の代名詞とも言える大魔砲だぜ」
「でもなんで恋?」
「なんで恋かって?……うーん、私が子供の頃、初めての魔法は「恋」の魔法にしようっていうロマンチックな企みがあったからだ。どうして「恋」の魔法にしようかって思ったのは忘れた。多分何となくだ」
きっと魔理沙の行動原理は8割何となくなんだろう。
「へぇー……ということはマスタースパークは魔理沙の一番最初の魔法なの?」
「いや、初めての魔法はマスタースパークの基礎の魔法だ」
「基礎?」
「弱体化マスタースパークと言った方がいいか。その魔法と、昔出会ったとある妖怪の技を合わせて改良したのがマスタースパークだぜ」
「とある妖怪?」
「プライバシーだぜ」
むう。質問をかわされた。
こう言った魔理沙は口が堅い。私は「とある妖怪」のことは今度さりげなく聞こうと思った。


――――――――――


仲がいいよなあ、この二人。
二人のやり取りを見ながらレミリアはそう思った。
495年間地下牢に閉じ込められていたフランドールにとって、人間との触れ合いは新鮮なものなのだろう。
そして、「悪魔の妹」「恐ろしい波動」の二つ名をもつ破壊神、フランドール・スカーレットに気兼ねする様子もなく普通に、普通に会話する霧雨魔理沙は、フランドールにとって友人以上の存在なのだろう。

少し悔しい気もする。

495年間、レミリアがいくら努力しても不安定だったフランドールの気色は、霧雨魔理沙との3年もない触れ合いで安定してきている。
それほどまでに魔理沙が好きなのだろう。
レミリア自身、魔理沙が嫌いなわけではない。
むしろ、感謝するほどだ。
可愛い妹がよく笑うようになったのは、霧雨魔理沙という、吸血鬼にとってただの食糧である人間のお陰だ。
信頼する親友がよく笑うようになったのは、霧雨魔理沙という、吸血鬼にとってただの食糧である人間のおかげだ。
そんな彼女に、感謝しない貴族がどこにいるだろうか。
少なくとも、ここ、紅魔館にはいない。
……
レミリアはふと外に目を向けた。
心なしか湖の色はどこか灰色、グレーだ。
空は暗雲が覆い尽くし、灰色、グレーだ。
今にも雨が降り出しそう。
吸血鬼は流水に悲しいほどまでに弱い。
日光ならば日傘で防げるものの、雨の場合はくぐることすら許されない。
レミリアにとって、雨は憂鬱なもの以外の何物でもない。
昔からそうだったし、現在進行形でもそうだ。
「一雨来そうね」
パチュリーが呟く声が聞こえた。
「……そうね」
レミリアは静かに同意した。
運命を操る程度の能力も、雨が降ることを幻視ている。
「魔理沙、悪いけど、今日のお茶会はここまででいいかしら?」
パチュリーが立ち上がりながら魔理沙に言った。
魔理沙はちらりと空を見上げて言った
「ああ、雨が降る前に帰らないとな」
「えー、もっとー」
ごねたフランドールをパチュリーが窘める。
「妹様、我儘は駄目よ」
「ぶー」
「……お嬢様?御気分でも優れませんか?」
レミリアの様子を見かねて咲夜が言った。
「何でもないわ」
レミリアは首を振る。
「じゃ、帰るぜ」
魔理沙は立ち上がると、扉を開けて、中に消えた。

……

「咲夜、フラン、パチェ、ここで待ってて」
「え?」
返答を聞いている暇はない。
一刻も早く追いつかねば。
レミリアは魔理沙の後を追って扉を開いた。


――――――――――


魔理沙は無駄に長い紅魔館の廊下を、魔法の箒で駆け抜けていた。
いや、駆け抜けるという表現は若干違うだろうか。
本来、その箒の速度は、幻想郷でもトップクラスの速さを発揮する。
しかし、魔理沙はトップスピードを出すこともなく、のんびりと飛行していた。
何故かと聞かれれば、なんとなく、である。
「魔理沙!」
呼ばれた気がしたが、空耳だろうそうだ空耳だだから振り向かなくてもいいなと魔理沙は決め付け、そのまま飛行を続けた。
「魔理沙!待ちなさい!」
先ほど比べて声が近かったので、流石に無視するわけにもいかず、魔理沙は速度を落として停止した。
「何だよ、レミリア」
魔理沙は鬱陶しいという表情を隠す努力をしようとも思わなかった。
努力家で名高い魔理沙だが、そんなとこまで努力はしない。
対するレミリアは肩で息をしていた。
吸血鬼は滅多なことではここまで息を荒くしない。
ということは、滅多なことがあってここまで息が荒いのだ。
纏めれば、異常事態が発生して、レミリアが自身の最高スピードを出して、魔理沙に追い付いたということとなる。
何かやらかしただろうか?
いやしてない。今まで何もかもOKだったはずだ。
魔理沙は図書館にあった本を抱えながら自分の中で自問自答した。
「魔理沙、取り敢えず降りなさい」
レミリアは足下の廊下を指差した。
「はあ?」
魔理沙は鬱陶しいという表情から怪訝な表情に変えて見せた。
何の伏線も無い突然の命令なので、当たり前の反応といったら当たり前かもしれない。
当のレミリアはというと、ゆっくりと降下して廊下に足をついた。
「……?」
冗談をかます、という感じではない。
パチュリー曰く、横暴で猪突猛進、乙女として恥を知らない魔理沙でもそのくらいは分った。
魔理沙もゆっくりと降下する。
廊下に足をついたところで、開口一番。
「冷やかしとか言ったらラストワードだぜ」
魔理沙のその様子にレミリアはため息をついた。
横暴だ。
猪突猛進だ。
乙女としての恥を知らない。
そう思った。
しかし、言わなければ。
「魔理沙、これから何が起こっても驚かないことを誓いなさい」
「……分かった」
魔理沙には場の雰囲気に渋々頷いたような感があった。
レミリアは自分の服に埃がないか確かめ、襟を正した。
そして、咳払いを一つ。
「魔理沙、貴女にはとても感謝している。フランやパチェがあんなに幸せそうな顔になったのは貴女に会ってからよ」
「……そうなのか」
「そうよ。そこで私は貴女に、レミリア・スカーレットとして最高の礼を言わせてほしいの」
「……なんだ?改まって。熱でもあるのか?」
「いいえ。私は今史上最高究極至高完璧瀟洒な健康状態よ。魔理沙……」
レミリアは魔理沙に一歩だけ近づいた。
魔理沙は怪訝な表情のままだ。
やがて、レミリアの小さな唇が開く。

「私は貴女のことが大好きよ」

レミリアは魔理沙より頭一個分ほど背が低い。
そこで彼女は、ほんの少しだけ浮遊して、魔理沙の唇に軽くキスをした。
「な!?」
魔理沙が驚いて唇を抑えて飛退いた。
「わ、私は至ってノーマルだぜ!?女には―――」
「魔理沙、驚かないでって言ったじゃない。それに、唇のキスは愛情ではなく深い親愛を示すのよ」
頬へのキスは親愛を表す。
唇へのキスは頬以上の親愛を示す。
つまり、唇へのキスは愛情を示す行為なのであるのだが、
「パチェに教えてもらったのよ」
パチュリーによって若干歪曲と脚色された知識をそのまま解釈したレミリアは知らない。
知らないレミリアは、くすくすと笑ってみせる。
魔理沙は未だに雷に打たれたような顔をしていた。
「魔理沙……」
レミリアは再び魔理沙に近づく。
魔理沙はまだショックで動けないらしい。

初心なんだから。

レミリアは魔理沙との距離を縮めながら思った。
「魔理沙……」
レミリアは魔理沙の腰に己の腕を巻きつけた。
「お、おい……」
突然のキスと抱擁。魔理沙には何が何だか分らなくなってきた。
混乱した意識の中で、魔理沙の耳には、誰かの嗚咽が聞こえた。
誰の嗚咽かというのは、考えるまでもない。
何故ならば、嗚咽は魔理沙のすぐそこで聞こえるから。
「レミリア……?」
「魔理沙……まりさ……本当に……感謝しているわ……」
魔理沙を抱くレミリアの腕は震えていた。
その振動は魔理沙に届く。
「何だって言うんだ……」
「知らないままでいいわ。貴女は知ってはいけない……」
エプロンドレスに顔を埋められたまま顔を振られるとエプロンドレスが汚れるのだが、流石にこの状況でレミリアを突き放すほど魔理沙は非情ではない。
500年の時を生きた夜の王は、まだ齢20に満たない少女に縋りついて泣いていた。


――――――――――


魔理沙は混乱していた。
湖の上を飛行しながら混乱していた。
私が何かやらかしたか?レミリアを泣かすような。
私が何かやらかしたか?レミリアがキスをしてくるような。
私が何かやらかしたか?レミリアが抱きついてくるような。

心当たりが無い。

紅魔館には頻繁に出入りしていたとはいえ、いつも向う先は図書館。
図書館でレミリアと会った回数なんて手で数えられる。
足の指なんか必要ないほどだ。
何故だ?何故だ?何故だ?
分からない。
「……まあ済んだことだ」
魔理沙は、当の昔に、分らないことを追求しても無駄だと悟ったので忘れることにした。
人間諦めが肝心。
「それより新魔法の開発だ」
そうと決めるや否や、魔理沙は箒の速度を上げた。
こういう適応力の良さが、余所から魔法を盗み、会得する魔理沙の特性なのだろう。
都合良く解釈するとも言う。


――――――――――


レミリアは一人泣いていた。
声が漏れないように、口を押さえて。
誰もいない紅魔の廊下。
魔理沙は紅魔館から自分の家に向かって飛び立っていった。
「言えた……」
言えたのだ。
妹と親友に笑顔をくれた人間に感謝の言葉を言えたのだ。
レミリアは知っていた。

もう魔理沙は来ない。

ここ、紅魔館に。
足掻こうとも無駄。
運命を司るレミリアは無力だ。
来たる一ヶ月後。
運命の時は来る。
吸血鬼の力が最強になる満月の日の三日前。
運命の時は来る。
最悪の日が来ることが分かっていて、それでいて何もできないということの他に辛いものはない。
涙は止めどなく溢れ出る。

厚い壁の向こうから、聞こえる筈など無いのに。
雨の音が聞こえた。


―――――――――――


「もういいわ。いらない」
「お嬢様……ご好物のブラッドステーキですよ?」
「いらないの。今日は食欲がない」
変だ。
今夜のお姉様はどこかおかしい。
魔理沙の後を追ってバルコニーから消えて、次に会ったときからおかしい。
ここ一ヶ月間も変だったけど、さらにそれに磨きがかかった。
私は大食堂から消えていくお姉様の姿を見ながら思う。
魔理沙と何かあったのかな?
ちょっと目を腫らしていたような気がする。
気がするだけだけど。
「ねえ咲夜。お姉様、何かあったの?」
私は困った顔をしていた咲夜に聞いた。
「いえ……少なくとも私は分りません……」
少し申し訳なさそうな顔をしながら言った。
「お姉様泣いていたのかな?」
「どうでしょう……」
咲夜は肩を竦めて見せた。
……んー。
分らないことをいくら考えても無駄だって分ってるから、引っ掛かりはするけど考えるのをやめた。
代わりにお姉様が残したブラッドステーキに目をつけた。
「咲夜。そのステーキ頂戴」
そう言えば、最近みんなが私に「考え方が魔理沙に似てきてる」って言うけど、実際どうなんだろう。
私はステーキを頬張りながら思った。
人参は避けた。
咲夜に「人参も食べなければいけませんよ」って言われた。


――――――――――


普通の魔法使い、霧雨魔理沙は努力家だ。
それは、誰にも負けたくないという人間として当たり前の感情が、魔理沙は常人を遙かに逸しているからだ。
それに対し、博麗神社の巫女、博麗霊夢は努力を一切しない。
魔理沙は幾度となく霊夢に弾幕による決闘を挑んだが、一度として勝ったことはない。
何故ならば、博麗霊夢という存在は、幻想郷を包み込む常識と非常識の境界「博麗大結界」
を管理する博麗の巫女であり、歴代最強の巫女とも言われる天才だからだ。

悔しい。

霊夢には勝ちたいとも負けたいとも、そういった感情がない。
故に、努力しない。
魔理沙が霊夢に敵うのは、向上心の強さくらいしかない。
魔理沙はそんなことで霊夢に勝ちたいわけではない。
純粋な弾幕勝負で勝ちたいのだ。

悔しい!

魔理沙は切実にそう思う。
努力しない奴は努力する奴に絶対に敵わないとか言った昔の賢者は誰だ。
もし、これからその「賢者様」に会ったならば、魔砲を4発くらい撃とうと魔理沙は常々考えている。

魔理沙は別に霊夢が嫌いではない。
いいライバルだと思っている。
向こうはどう思っているだろうか。
いいライバルだと思っているだろうか。
思っていてほしい。
同等に見ていてくれてほしい。

……やめよう。

頭を振って魔理沙は思考を中断する。
流石に魔理沙には人の心までは読めないし、考えていることにも干渉できない。
隙間妖怪はどうだかは分からないが。

魔理沙にできることはただ一つ。
今の努力で敵わないならば、今以上に努力する。
それで敵わなければ、それ以上。
簡単なこと。

そこで魔理沙は、また一つ強くなるために、新しい魔法を開発することにした。
それは雷の魔法。
同じ魔法使いであるパチュリー・ノーレッジや、アリス・マーガトロイドは雷の魔法を持っていない。
単純に、同じ魔法を使いたくなかったから、雷の魔法を選んだのだった。
また、「弾幕はパワー」を志す魔理沙に、雷の魔法は非常に魅力的でもあった。
そういうわけで、魔理沙は今、自宅で魔法の開発を行っている。
原理は簡単。
自分の体に膨大な正の電荷を蓄積し、標的の体には負の電荷を蓄積してやればいい。
そうしてやれば、勝手に自分の体から空気を導体として、電流が標的の体に走る。
しかし、問題がある。
自分の体に正の電荷を蓄積するのは難しくないのだが、如何にして標的の電荷に干渉して負の電荷を蓄積させてやるかが難しかった。
むむむ、と魔理沙は唸りながらペンを米神に当てる。
早速詰まった。
図書館から持ち出した本は役立つと思って開いてはいたが、まだ本の内容を応用できる段階ではない。
この魔法が完成すれば、魔理沙はまた一つ強くなれる。
霊夢に一歩近付ける。
「……ここをこうしてやればどうか?」
魔理沙を動かすは劣等感、そして勝利への執着心。
術式が書かれている紙にペンを走らせ、ふと思いついた新たな術式を書き込む。
「……ん?そ、そうか!」
ばん、と魔理沙は弾けるように立ち上がった。
これならいける気がする。
彼女は、図書館から持ち出した本を急いで読む。
「そうか……成程、こうしてやれば……」
彼女の魔法開発は、円滑に進みだした。
外は今、夜である。
静かに雨が降る、夜だった。



――――――――――



幻想郷に一ヶ月間の雨が降り続けた。
正確に言えば、一ヶ月間の雨模様である。
季節は別に梅雨ではない。秋の末だ。
天狗は異変だと叫びながら無駄に猛スピードで彼方此方を駆け回っている。
単に雨っぽい日が一か月続いただけの話だというのに。
天狗の好奇心には聊か脱帽された。
八雲紫は溜息を吐く。
今にも雨が降りだしそうな空。
一刻(約一時間)程前までは弱い小雨が降っていたが、今は止んでいる。
直に再び振り出すだろう。
紫はそんな空模様を見上げながら、自らの式に言った。
「藍、そろそろ雨続きの日は終わるわ」
「それは何故です?」
「勘よ」
「はあ……そうなんですか」
「ただ……」
「ただ?」
「これも勘だけど、今日中に嵐が来るわ。しかも、嵐は三日間続くわ」
確かに、風が強くなっている気がしないでもない。
しかし、割と永く生きてきた八雲藍の記憶の中に、三日も続いた大嵐なんてない。
幻想郷は基本的に穏やかな気候なのだ。まあ、荒れるときは荒れるのだが。
外の世界ではそこまで珍しいことでもないらしいが、幻想郷ではそんなことは起こるのだろうか。
ないな。ないない。
藍は紫の言葉を、何時ものこととして流した。
というか、まあ、あっても別に構わないのだが、それは心底どうでもよかったことだったからだ。

ゴロゴロゴロ……

「雷……」
「最近では珍しいことでもないでしょう?」
「いいえ、そうじゃなくて」
何を言っているんだこの人は。
永く紫に仕えてきた藍だが、たまに紫の考えていることがよく分らなくなる。
「嵐の開幕ね」


――――――――――


普通の魔法使い、霧雨魔理沙は空を飛行していた。
この一ヶ月間で遂に完成したのだった。
雷の魔法が。

しかし、問題が起きた。

一ヶ月間の長雨である。
流石の魔理沙も水に濡れて電気を扱おうとは思わない。
何時かは止むと思っていたが、一か月の雨は魔理沙にとって長すぎた。
魔法が完成しても試せない。
イライラが最高潮に達したとき、遂に雨は止んだ。
といっても、空は曇天。すぐに降り出すだろう。

再び雨が降り出す前に魔法を試そう。

そう考えた魔理沙は家を飛び出した。
結果は大成功。
狙った毛玉は魔理沙の雷撃によって消滅した。
まさに一瞬。
稲妻の速度は人間が反応できる速度では無い。人間である霊夢が避ける事ができる筈も無い。
これなら霊夢に勝てると、浮かれた気分になった。
行き成り撃ち落とされた毛玉に対する同情心は一寸もない。

現在、ほくほくした表情で帰路を辿っている。
家に帰ったらさらに改良を加え、最強の雷の魔法を作ろうと企んでいた。
霊夢に勝てる。















魔理沙がそう思った瞬間、体に強い衝撃が走った。















浮かれた気分になってしまったのが不味かった。
高く空を飛んでいたのが不味かった。
天候が不味かった。
体に電気が溜まっていたのが不味かった。

あらゆる悪条件が重なった。

魔理沙が最後に聞いた音は、雷鳴という名の轟音だった。
魔理沙が最後に見たのは、迫りくる土壌だった。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙は忘れていた。
雨は降らずとも、雷という自然現象は起こりえるということに。
幻想郷の少女は弾を避けることに非常に特化している。
魔理沙とて例外ではない。が、


自分より強い者が避けれない物が、自分が避けられる筈が無い。
稲妻の速度は、人間が反応できる速度では、無い。


――――――――――


レミリア・スカーレットは、その深紅の目を開けた。
視界に広がるは自分の部屋。
瀟洒な従者によって完璧なまでに掃除された洋室。
天井から吊るされた、煌くシャンデリアは仄かに部屋を照らしている。
外からは微かだが雷鳴が聞こえる。

レミリアは溜息をしながら、手を二回打った。
次の瞬間、メイド長十六夜咲夜が現れた。
何時も通り、瀟洒な表情のままで。
「お呼びですか?お嬢様」
「お呼びよ。咲夜、大ホールにフランとパチェと、それから小悪魔も招集して。門番は呼ばなくてもいいわ」


――――――――――


外から雷の音が聞こえる。
多分外は雨だろうな。
私は「そして誰もいなくなった」に目を通しながら思った。
「……ん?」
扉の外から声が聞こえる。
厚い地下牢の扉の向こう側の声は、きっと人間には聞き取れないと思う。
けど、私は吸血鬼だ。
扉に阻まれていても、会話はちゃんと聞こえる。

「ほらサニー!早く済ませちゃいなさい!」
「いやよ!だって悪魔の妹よ!気が触れてるのよ!」
「こういうのはルナがプロだよね」
「なっ!?何言ってるのスター!?」
「そうよそうよ!こういうのはルナの役目!」
「くっ……二人して……大体!こんな役を押し付けたメイド長が悪いのよ!私たちはただ悪戯の為にメイドに変装しているってだけなのに!」
「いいから入る!さっさと終わらせる!」
「……っ!スター!……ってもういない!?」
「ほら早く!」
「わわっ!押さないで!」

ばたんばたん。
騒がしいメイドだなあ。
あ、やっと開いた。
扉の向こうにいたのは、金髪の妖精メイドが二人。
奥の方のメイドはツインテールを赤いリボンで縛ってる。
手前のメイドはカールした髪の毛が綺麗だと思わせられた。
「フ、フランドール様、大ホールできゅうけ……お嬢様がお待ちです……」
手前のメイドがおどおどした口調で言った。
「ふーん。そう。分った」
私がそう言うと、二人はすぐさま逃げて行った。
最近安定してきてるって言われるのに。
逃げた二人は知らないのかな?


――――――――――


「お姉様、何があったの?」
私は、大ホールでお姉様の姿を確認すると、すぐさま言った。
早く本の続きを読みたかった。
くだらない事だったら壊そう。
「フラン、少し待ちなさい。主にパチェと小悪魔を」
お姉様は大ホールの真ん中で立っていた。
横には咲夜が静かに佇んでる。
私には、訪れた静寂が長く感じられた。

早く本が読みたいんだけどなあ。

そう思って、私がイライラしてきたところで、
「……来たわ」
お姉様が呟くと、大ホールの扉が開いて、パチュリーとその従者の小悪魔が出てきた。
「レミィ、何なの?招集なんかして」
パチュリーは怪訝な表情で聞いた。
「集まったわね」
お姉様はその質問に答えず、目を閉じた。
「……?」
小悪魔が変な顔をして見せる。
暫くの沈黙を破ったのは、その沈黙を作り出したお姉様だった。
「今から話すことは、フランやパチェにとって辛い話になるわ」
お姉様は目を開いた。
どこか沈んだ色をしているような気がした。
「……いいわ。話して」
パチュリーがぼそっと言った。
お姉様はそれを聞くと、くるりと回って翼のある背を向け、玄関の方へ歩き出した。
咲夜は黙ってその姿を目で追う。
やがて、お姉様は歩を止めた。
煌くシャンデリアの直下。
お姉様はそのシャンデリアを見上げた。
単純に目を向けた方向にシャンデリアがあっただけかもしれない。
「……」
再び訪れた沈黙を破ったのは、再び沈黙を作り出したお姉様だった。
お姉様は、こちらに振り向いて、口を開いた。




「魔理沙が死んだわ」















え?

今お姉様はなんて言った?

死んだ?誰が?

魔理沙が?

あの魔理沙が?

嘘だ。嘘吐き。

レディは嘘を吐いてはいけないって教えたのは誰?

おねえさま。いってよ。

うそっていってよ。

うそなんでしょう?

ねえ……

「うそ……嘘よ……」
これは私が望むお姉様の台詞ではない。
無意識に私の口から出た言葉。
お姉様は暗い表情を作っている。
そして、首を横に振った。
姉妹だから分かる。

お姉様の目が語るそれは絶対の真実。

私は助けが欲しかった。
実は彼女は嘘を吐いているんですよ。
あの暗い顔も、首を振った行為も、目も、全部嘘ですよ。
そう言ってくれる人を求めて、私は横を見た。
パチュリーが雷に打たれたような顔をしていた。
咲夜も雷に打たれたような顔をしていた。
小悪魔も雷に打たれたような顔をしていた。
お姉様が何を言っているか分からない、と言いたげな表情にも見える。
「……魔理沙は雷に打たれて死んだわ」
お姉様がぽつりと言った。



……



……え?
おかしくない?
なんでお姉様が魔理沙が死んだことを知ってるの?
なんでお姉様が魔理沙の死因を知ってるの?
「レミィ……予想はつくけど……何故貴女は魔理沙の死と死因を知っているの?」
パチュリーが言った。
「運命……運命が教えてくれたの……魔理沙の死の運命を」
「……つまり、貴女は知っていたというわけね。魔理沙が死ぬことを」
お姉様は俯いて黙った。
パチュリーが言っていることが正しいなら、お姉様は知っていて、何もしなかったということになる。
多分、お姉様は様子がおかしくなった二ヶ月前からこのことを知っていた。
つまり、時間がなくて何もできなかったということはない筈。
また、二ヶ月前からずっと自分の雰囲気を変えるという面倒なことをしてまで嘘を吐くということもお姉様は絶対しない。

つまり、嘘は吐いていない。お姉様は今、私たちに真実を言ってる。

知っていて、それで、魔理沙を見殺しにした。
見殺し?私が魔理沙のこと好きだって知ってて?


許さない。
ユルサナイ。
こいつをユルサナイ。
遠くで雷の音が聞こえた。


ずどん。
気がつくと、私の右手がお姉様の喉を掴んで、体ごと壁に叩きつけていた。
「妹様!」
誰かの声が聞こえた気がしたが、私はそれを無視した。
お姉様の能力は昔から信じてなかった。
でも、お姉様の様子から見るに、嘘っぽくない。
信じたくない。
お姉様の能力も、魔理沙の死も。
……だったら、壊しちゃおう。
お姉様も、魔理沙の死も。
私は、私が持ってる中で最強のスペルカードを掲げ上げた。
「証明完了」の意味があるアルファベット三文字が書かれたスペルカード。
これで、お姉様の存在を証明してあげる。
終わりにしてあげる。
すると、お姉様の口がゆっくりと開いた。
「……まち……待ちなさい……フラン」
私の手のせいで声が出にくいのか、お姉様の声はかなり掠れて聞き取りづらかった。
けど、手からお姉様が声を出す震動が伝わってきた。
それは、お姉様の心の悲痛な叫びのような気がした。

……

最後まで言わせたら、壊すことにする。
私は「495年の波紋」を降ろした。
「……なんで魔理沙が死ぬこと知ってて何もしなかったの?」
静寂の中、私は静かに言った。
喉を捉えた右手は少し緩めてはいたが、放してはいなかった。
「……いい?フラン。人間は必ず死ぬ……これは絶対の定義」
私が手を緩めたからか、お姉様の声は普通に戻っていた。
「故に、人が死ぬ運命は変えられない……」
「……お姉様は魔理沙の寿命を延ばすことを考えなかったの?」
「魔理沙が今日この日に死ぬことは、魔理沙が生まれた瞬間から決められていたこと……私にはどうすることもできなかったの……」
お姉様は自分の喉を捉えて放さない私の手を軽く掴んだ。
「……私が動いても、例えば、落石や土砂崩れとかで魔理沙は必ず死んでいた……雷は運命によって複数用意された魔理沙の死因の一つに過ぎないの」
「……なんでお姉様は魔理沙に死ぬわよって言わなかったの?」
「……言えるわけないじゃない……何時死ぬか分ってしまったら、魔理沙はその時が来るまでビクビクと怯えながら残りの短い生涯を生きるしかないのよ……」
「……」
お姉様が言いたいことが分かった。
けど、まだ理解できない。
「お姉様、どうして私達に言おうと思わなかったの?」
私はできるだけ優しく言ったつもりだ。できるだけ。
「……わ、私は知っていたから……フランや、パチェが魔理沙のことを好いているってこと……貴女達は、自分の好きな人が永遠にいなくなってしまう日を知ってしまったら、それから笑って過ごせる?」
「……無理」
きっと無理だろう。
「だから……貴女達の幸せを……少しでも延ばそうと私は考えたわ……でも私は魔理沙の死を止めることはできない……だったら、辛いのは私だけで良かったの。私だけが最悪の日の到来を恐れていれば良かったの。言わなければ、貴女達は魔理沙が死ぬまでは笑って過ごせる」
だからお姉様はずっと暗かったんだ。
確かに、私がお姉様に「後~日後に魔理沙が死ぬわ」って言われてたら、その日が来るのを恐れながら生きていくことになっただろう。

だから、お姉様は一人で溜め込んだ。
私たちのつかの間の幸せを延ばすために。
自分を犠牲にして。
「レミィ」
後ろからパチュリーの声が聞こえた。
「私には何故言ってくれなかったの?」
「……だから、私は少しでも幸せの時間を――――――」
「違うわ。辛いことをお互いに打ち明けられるのが親友じゃないの?」
「……貴女は私以外にももう一人親友ができた……魔理沙よ。その魔理沙が死ぬどうしようパチェ私や貴女には何もできないけど魔理沙が死ぬまでの幸せくらいは延ばせるから延ばしましょうできるだけ……って言われた時点で貴女の幸せはなくなるじゃない」
「……そうね」
パチュリーの声は何処か憐れみを帯びてた。

お姉様は好きだった。
私たちが笑い合って過ごせる時間を。
それは冷徹な気高き夜の王。
華美なる吸血鬼貴族は、誰よりも血を愛していた。
そして、それと同じくらいに平和を愛していた。

矛盾してる。

もう笑うしかない。
血を見たいくせに、平和を好む。
我儘だ。
お姉様は我儘だ。
相反する二つの事実を同時に手に入れようとする。
子供だ。自己中だ。

「おねえさまッ……ほんとうにばかなんだから……」
頬に涙が伝うのを感じた。
無意識の間に、私は泣いていた。
私は泣いたことが殆どない。
覚えている中で泣いたことがあるのは、お姉様が私を閉じ込めたあの日だけ。
あの日は分らなかった。

なんでわたしがとじこめられるの?わたしなにもしてないよ?

今では分かってる。あの時閉じ込められた理由が。
でも、当時何も分からなかった私は、お姉様の理不尽さに怒りを覚え、それで泣いていた。

今も泣いている。

お姉様の理不尽さに怒りを覚えて、泣いている。
「どうしてッ……!わたしになにもいってくれなかったの……!?」

分ってる。
自分でも分ってる。

お姉様は私の為にあの時閉じ込めた。
お姉様は私たちの為に話さなかった。
でも聞きたかった。
もう一度、お姉様の小さな優しさを。
「フラン……」
何時の間にか、私はお姉様の喉から手を放していた。
自由になったお姉様は、私を優しく抱いた。
「もう一度言うわ……」
「おねえさま……」
もう一度聞きたかった。
お姉様が、魔理沙が死ぬことを言わなかった理由を。

「私の可愛い妹の為よ……私の大事な家族の為に何も言わなかったのよ……今ではそれも無駄になってしまったけど……」


私は自分の涙の温もりを頬で感じていた。
その温もりとは別に、頬に新しい温もりを感じた。

「お姉様……?」
「わっ、私はっ、ヒック、駄目な……姉よね……しっ、知って、て、それなのに、何も、何もで、でき、できないんですもの……グスッ」

お姉様が泣いてる。
お姉様は夜の王だ。
孤高なる貴族だ。
夜の王は、私を抱いて泣いていた。
子供みたいに。
正直に言って、嬉しかった。

でも、見たくない。
王が泣いている所なんて見たくない。
家族を愛する王が泣いている所なんか……
私が大好きな王が泣いている所なんか……
「放して、お姉様」
見たくなかったから、私はお姉様を振りほどいた。
勿論、優しく。
「行かなきゃ。魔理沙のとこに」
私の言葉に呆然とするお姉様。
「……え?」
私は視線をお姉様から別の場所に移した。
視線の先には、木製の紅魔の扉。
風でも吹き付けているのだろうか、少しがたがた鳴ってる。
私は扉に向かって手を翳した。
万物には「目」がある。
私の破壊の能力は、その「目」を握り潰すことによって成し得る。
私は、翳した手を握り締めた。
「目」を握られた木製の扉が砂糖菓子のように簡単に砕ける。
その瞬間、風がホールに渦巻いた。
外は雨が降ってる。
豪雨だ。嵐だ。遠くで雷の音が聞こえる。あ、今光った。

そんなことはどうでもいい。

魔理沙の死体を見つけて、温かい場所に連れて行かなくちゃ。
「妹様!」
誰かが呼んでる。
私はそれを無視して、豪雨の中へ飛び出した。


――――――――――


フランドールは、吸血鬼が流水に悲しいほどに弱いということを忘れているのだろうか。
彼女は、嵐の状況を目で見てなお、飛び出して行った。
「フラン……」
ゲホゲホ、とレミリアは喉を押さえて咳き込む。
フランドールが居る手前、そして、大事なことを言う場面だったので、咳がしたくてもできなかったのだ。
「お嬢様!」
喉を押さえながら座り込んだレミリアを見て、咲夜はこれまで見たこともないほどの動きでレミリアに駆け寄った。
時を止めることすら忘れて。
「平気よ……それより咲夜」
心配そうな咲夜を見て、レミリアは息を整えてから彼女に言う。
「仕事よ。時間を止めて、フランを先回りしなさい。そして門番に伝えなさい……北東約12.4kmの地点に魔理沙がいるわって……」
突然の命令に暫く咲夜は思考を巡らせていたが、やがてレミリアの言っていることの真意を汲み取ると、頷いて一瞬で姿を消した。
「レミィ」
パチュリーが近づいてくる。
小悪魔も後ろから付いてくる。
小悪魔の方はかなりオロオロしている。
パチュリーはそんな小悪魔を無視しながら言葉を続ける。
「貴女は妹様の手を避けられたはずだわ。吸血鬼の運動神経でも、蝙蝠化してでも」
吸血鬼は蝙蝠に姿を変えることによって、基本的に物理攻撃をすべて無効化できる。
それこそ、霊夢の「夢想封印」や、魔理沙の「マスタースパーク」でもだ。
しかし、レミリアはそれをしなかった。
「フランのあれは絶対避けちゃダメって思ったから……」
レミリアは俯きつつもそう言った。
パチュリーはその言葉に頷いた。
「流石はレミィ……いえ、私の親友ね。小悪魔、レミィを彼女の部屋に運ぶわよ」
「は、はい!」


――――――――――


紅魔館の門番長、紅 美鈴は暇だった。
いや、門番という役柄、勤務中も暇ではあるのだが、今は常時以上に暇だった。
何故ならば、外が嵐だからである。
流石に嵐の中、門番は勤まらない。
よって、美鈴は詰所で部下の妖怪門番隊の一人と将棋を指していた。
紅魔館の使いは、大多数が妖精ではあるが、勿論例外もいる。
実質紅魔館トップの咲夜も、妖精ではなく人間であるし、美鈴も妖精ではなく妖怪である。
また、美鈴の右腕ともいえる6人の門番も、妖怪である。
地下牢へ続く廊下の掃除を担当するメイドの一部も、妖怪である。

閑話休題。

兎に角、美鈴は暇だったので、部下の妖怪門番と将棋を指していた。
「……王手!」
「あーっ、待った!」
「……もう4回目よ……」
美鈴は将棋が強かった。
門番長という役柄、門番隊の指揮を執る必要がある、
いかに戦場の状況を把握し、的確な指示を出せる才能が、広大な紅魔館の門番の長に求められるのだ。
故に、美鈴は将棋が強い。
「これでサボタージュが治れば門番としては完璧なのにねぇ」
「どわぁ!」
美鈴は行き成り横に現れた影に飛び上った。
「さ、咲夜さん、流石に嵐の中では門番は……」
美鈴は、恐らく時間を止めて接近したであろう咲夜に必死に弁明をする。
将棋相手の妖怪門番もかなり驚いているようだ。
「何言ってるの?それよりも、今から言うことをよく記憶しなさい」
咲夜が怪訝な顔をしながら言う。
「北東約12.4kmの地点に魔理沙がいるわ」
「は?」
「覚えたわね?状況は窓を御覧なさい」
未だ呆けた顔をしている美鈴を残して、咲夜は姿を消した。
美鈴は知らないが、咲夜にはレミリアの看病という大事な役割があるのだ。
「……」
残された美鈴と妖怪門番はお互い顔を見合わせると、直ぐに窓に駆け寄った。
状況を一刻も把握したい、というか気になるのもあるが、それ以上に、完璧瀟洒な咲夜が僅かに動揺しているように見えたからだ。
窓の外は雨粒の弾幕が網羅していて、灰色一色にしか見えなかった。
美鈴は少し目を凝らしてみた。
すると、ぼんやりとだが、赤と黄色と虹色のカラーリングが灰色の世界に浮かび上がったような気がした。
美鈴には、その配色に見覚えがあった。
「行ってくる!」
未だよく見えていないらしい妖怪門番に告げると、美鈴は詰所の扉を跳ね飛ばして出て行った。


――――――――――


雨に濡れるのも構わず、美鈴は駆け抜けていた。
目指すはあの配色が見えた場所。
豪雨の中、視覚のみで距離感を掴むのは困難な為、彼女は自身の気を使う程度の能力を目の代わりにしていた。
気を感じる位置が正しければ、目的地はすぐそこ。
「妹様!」
フランドールの気は確かにあったし、事実今そこにいる。
しかし、何時もとは気の量が違う。
気の種類こそフランドールのものだが、普段は溢れんばかりの彼女の気が、今では非常に弱々しく感じた。
美鈴はその理由をよく理解していた。

吸血鬼は流水に悲しいほどに弱い。

美鈴は、弱々しい足取りのフランドールを支えた。
「めい……りん?」
虚ろな瞳を門番に向けながら紅魔館の妹君は言った。
「妹様……何故こんな雨の中……」
「まりさの……魔理沙のとこに行くの……」
「魔理沙?」
美鈴にも勿論その名前に覚えがある。
何時も門番隊を蹴散らして紅魔館の図書館に強行突破する魔法使いの名前だ。
ふと、美鈴には咲夜の言っていた台詞が頭を過ぎった。

『北東約12.4kmの地点に魔理沙がいるわ』

はっとなり、急いで美鈴はその地点の気を探る。
非常に弱々しい、まるで消えかかっているような気。
彼女は、似たような気を何度も感じたことがある。

物体に残留した気。
ついさっきまで生きていた者の気だ。

全て理解した。
魔理沙のことが好きなフランドールが、雨の中魔理沙を求めて動いていたことも、咲夜が言っていたことも。
「……確かあそこは雷が……」
美鈴は独り呟いた。
呟くと、今度は衰弱し始めている吸血鬼少女に目を向ける。
「分かりました。すぐ行きましょう。妹様、舌を噛まないように気を付けてください」
初投稿。
筆者
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