Coolier - 新生・東方創想話

リスタートは突然に

2018/12/20 08:39:03
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 水橋パルスィは長いこと生きている妖怪だ。
 海の向こうで故郷を追われた人々の妬心から生まれ、海を渡って辿り着いたこの島国で恩人に出会った。その恩人を、なんの業か嫉妬に狂わせ、壊し、終いには喰って今の姿になった。いつ死んでも良いと思いながらも死にきれず、しかして生きるためと割り切り人間を襲うこともできなかった中途半端な橋姫が、地獄の橋守を探していた閻魔王に拾われたのは何百年も前のこと。
 それ以来、自分を、地獄と地上をつなぐ橋の橋姫と決めた。概念でも橋は橋だ。中途半端ながらも妖力は増し、やれることは増えた。地獄の住人はくせ者が多い。肝を冷やしたり、身の危険を感じたりは日常茶飯事だったけれど、だからこそ自衛の力は研ぎ澄まされていった。
 橋姫は自分の橋をそう易々と手放さない。やがて地獄がただの地底になり、地上から降りてきた妖怪や一部の鬼が混乱を引き起こし、更に後から降りてきた「山の四天王」と称される強靱な鬼たちがその混乱を鎮め地底に秩序を取り戻した一連の騒動も、ひとつ残らず見守ってきた。灼熱の地獄が焰を消して、暗く冷えきった洞窟となり、岩壁に掲げられた松明で再び地底が照らされるまでを、嫉妬狂いの緑目はじっと見つめ続けていた。
 水橋パルスィは長いこと生きている妖怪だ。沢山のものを見てきた。癒えない傷をいくつも抱えながら生きる、それは別に珍しいことでもなんでもないと承知する程度には、時をその身に刻んでいた。相応の経験もある。
 だから、こんな感情を抱くのは、それなりに久しぶりだった。
「充分な衣食住の確保。目標はそれだけです。そのために、まずは──」
 鬼と妖怪の賢者のあいだで交わされた相互不可侵の誓約。それを認識しているのに、ぼろきれのように痛めつけられた体で、意識のない妹を背負い、ヤマメとキスメの関所を押し通ってきた覚妖怪。
 さほど戦闘が得手とは思えないのに、勇儀の誘いに応じて鬼の住み処に単身乗りこんでいったと思ったら、地底のまとめ役という肩書きを手にして戻ってきた木っ端妖怪。
 よほどの自信家と思えばそうでもなく、心を読んでいるはずなのに何故か懐っこい。手足は棒のように細く華奢で、童顔のくせして、眠たげなまなざしはこの世を遍く見渡してきたとばかりに大人びている。
 古明地のさとりと名乗った少女は、したり顔の妹と、真意が分からず眉を顰めたパルスィとに向けて、力強く宣言した。
「まずは、畑を作りましょう」
 なにを言っているのかしら、こいつ。
 純粋な驚きと呆れ。まったく意図が読めない言葉を受け、パルスィの心に浮かんだのはそれだった。


 さとりの言葉の意味が知れたのは一週間ほど過ぎてからのことだった。
 橋姫と言えども今は閑職である。自宅の脇を流れる川に釣り糸を垂らしながら、止めどない思考に身を任せるのはパルスィが好む暇つぶしだ。引きが来たので様子を窺いながら慎重に泳がせ、頃合いを見て強く引き上げる。よく太ったヒメマスだった。首を断ち余分な血を抜いてから氷を詰めてある魚籠に放りこむ。かぎ針に乾燥させた小海老をくくりつけ、再び糸を垂らす。
 中断されたとりとめもない思索を再開する。強く意識したつもりはなかったけれども、さとりとこいしのことを思い浮かべていた。
 彼女らが地底にやって来て約一週間。旧都の話題は新参の覚妖怪ふたり──特に、姉のさとりのことで持ちきりだった。その勢いたるや、用事がない限りは旧都に寄りつかず、縦穴か自宅周辺で暮らしているパルスィの耳にも届くほどだ。
 曰く、鬼も手こずっていた怨霊たちをたった一晩で侍らせ、我が物とした。妖怪の賢者をも手玉に取り、己が地位を認めさせた。閻魔王との謁見では「怨霊も恐れ怯む少女」と讃えられ、地底の全権を承認された上、これまでよりもいっそう十全な支援を取りつけてきた。あの赤い眼に見られると妖怪の本性は歪んでしまう。萃香や勇儀がいればこそ地底の主として君臨するだけで満足しているが、彼女らがいなければ、全ての鬼や妖怪の心を好きなようにいじくり回し、傀儡とし、姉妹のためだけに在る国を作り上げるだろう──
 どこまでが実際にあった出来事で、どこまでが一人歩きしている噂なのかは分からない。さとりが妬ましい能力を持っているのは事実だし、扱いようによっては、精神に重きを置く妖怪にとって致命的になり得ると承知しているが、かといって、力尽くで地底を支配できるほどの器とは思わなかった。嫉妬心を操って読心の力を封じるなり、読めても間に合わない速度で攻撃するなりすれば、容易に倒せるだろう。
 などとつらつら考えていたら、背後にふたつの気配を感じた。
 おおよそ予想はついたが敢えて気づかぬふりをする。釣り竿を右手だけで持ち直し、先端の位置を心持ち下げ、前のめりに川面を覗きこむ。ちょうど、大きい獲物が当たってそちらに気を取られている、という具合に。
 背後で炎が弾ける気配がした。同時に釣り竿を手放して両足で川岸を蹴り、前方に飛び出る。パルスィが座っていた場所を鬼火を纏った両腕が切り裂いていった。「顔面って」思わず毒づく。身を反転させ宙に浮かびながら、緑色の妖弾を顕著させていた左手を鞭のようにしならせる。放たれた妖弾は寸分狂わず強襲してきた妖怪の足を打つ。
 足を取られ地面に転び、あ痛たた、と顔を見合わせ苦笑するふたりにため息をつく。放り投げた釣り竿を拾い、傷がないことを確認してパルスィは柳眉をつり上げた。
「あいさつ代わりに首を飛ばそうとするのはやめてって、いつも言っているわよね。キスメ、ヤマメ?」
「釣瓶落としに首を刈るなたぁ無茶な話だよ。パルちゃんに嫉妬を食べるなって言ってるようなものじゃない。ねぇ」
「頻度を減らせって言ってるの。キスメも頷いてんじゃないわよ」
 剽げた振る舞いにため息が落ちる。
 萃香や勇儀たちと共に降りてきたこの土蜘蛛と釣瓶落としとの付き合いも、それなりになる。住む場所が近いことや、何が気に入られたのか配給直後は呑みに誘われることもあって、親しいと言っても差し支えない相手ではあるのだが。
 このやりとりもお決まりになってきたな、と嬉しくない事実に嘆息する。魚籠を覗きこんだキスメを釣瓶桶ごと持ち上げた。
「干物の材料。手は出さないでよ」
「ああ、またザクロのところに行くの。優しいねぇ、パルちゃんは」
「あの子が作る干物がおいしいってだけよ」
 優しいなどという評価は己の対極にある。顔をしかめたが「はいはい」と軽く流された。キスメもヤマメの言葉に頷いていた。
 なんとなく居心地が悪くなって「で?」と話を逸らしてみる。
「あなたたちは? 勇儀にでも呼ばれたの?」
 何気ない問いかけにふたりは何故か頬を強張らせた。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「は?」
「うー、ん、とぉ。勇儀の姐さんに聞いたんだけどさ、パルちゃん、こないだの覚妖怪と面識あるんだよね?」
「なりゆきでだけど」
 頷きつつも、媚びるような声音になんとなく嫌な予感を抱いていた。出会い頭に首を刈ろうとする以外は大人しいキスメはともかく、この飄々とした土蜘蛛が腰低くおもねるような態度を取る時に、碌なことがあった例がない。
 という気持ちを隠さないパルスィに、分かっているのかいないのか、ヤマメはパチンと両手を合わせる。
「それなら、おねがい。ちょっと付き合ってくれない? ザクロんとこに行くついででいいから」
「嫌」
「って言うと思ったよね。キスメー」
 手に持っていた釣瓶桶の固い感触が消える。見上げたら空中に舞い上がったキスメが妖弾を魚籠に向けていた。防護の呪いはかけてあるが中の魚にまでは及ばない。文句をこぼしつつ魚籠をかばおうと動いたところを、強靱な糸に絡め取られる。両手首を縛り上げられ宙に吊られた。鬼火で焼き切ろうとするよりも早く、首元にキスメの手刀を当てられる。
「お礼はするからさ。付き合ってくれないかなぁ、パルちゃん?」
「……脅迫って言葉、知ってる?」
「魚なんて放っときゃあよかったのよ」
 甘いわねえ、と唄うような調子で言われ、大きく深いため息をついた。「わかったから」諦めつつ言うと、キスメが満面の笑みを浮かべて抱きついてくる。

「キスメの鬼火で農業?」
「うん」
「地底で?」
「うん」
「……キスメの鬼火で?」
「パルちゃーん、意味がわかってないのは私らもいっしょだから。そんな、頭が残念な子を見る目で見ないで」
 古明地姉妹は、怨霊の管理を受け持つ影響で灼熱地獄跡の近くに居を構えたという。暴れる怨霊の影響で放置されてきた荒れ地を含めたら、ちょうど、旧都の真ん中に位置する場所だ。パルスィの家から測ると徒歩で二刻(約四時間)近くかかる。鍾乳石が乱立する地底の天井は高いところだと三百尺(約百メートル)以上あるので、労せず飛んで行けるのが幸いだが、それでも半刻(約一時間)を切ることはない。
 遠い、と不満をこぼしながら魚籠を慎重に持ち直す。
「……畑を作りましょうって、ほんとうに言葉どおりの意味だったのね」
「ん?」
「なんでもない」
 曰く、ヤマメたちは、勇儀経由でさとりの元へ馳せ参じるよう求められたそうだ。詳細は現地で説明するが、目的は、鬼火を自在に繰るキスメの畑作りへの協力。
 また、ヤマメには、別の頼みごともあるらしい。心底疎ましそうなため息が落ちた。
「姐さんの頼みなら聞くけどさぁ。絶対寄りつきたくないのに」
「そういえば、あなたたちが最初に相手したんだっけ。そんなに強かったの?」
「強かったって言うか、なんて言うか。ねぇ、キスメ?」
 ヤマメから意見を求められ、キスメはどこか遠い目になった。「……よくわからないうちに通られてた」と稀なことに呟きを落とす。意味が分からない。
「キスメが言ったとおりさ。行く手を蜘蛛の巣で塞いどいて、キスメが攻撃。私も参加。いつも通りのやり方で、調子だって悪くなかったんだけど……」
 まずキスメの攻撃が難なく躱された。すわ強敵かと一度見送り、蜘蛛の巣にかかったところを追撃しようと思っていたら、捕らえる前に蜘蛛の巣が切り裂かれ逃したという。
「土蜘蛛の糸だよ、生半可な刀で切れるものか。けど、あいつ、膝丸を持ち出してきて」
「刀なんて持ってなかったけど」
「切る瞬間だけさ。妖力で作ったんでしょうよ。覚の読心は話に聞いてたけれど、ああいう使いかたをされるとはね」
 飛びながら、顔を歪めて身震いしてみせるヤマメにさもありなんと頷いた。まがい物か否かなど関係ない。己を退治した刀を、心に焼きつけられている抗いようのない苦痛を目前に突きつけられて、たじろがない妖怪などいまい。おおかた、鬼との交渉でもその力を存分に振るって今の立場をもぎ取ったのだろう。なるほど、やはり大変に妬ましい能力だ。
 やがて、頬に当たる風が暖気を増してきた。到着は近い。意識を切り替え、緑目の魔物を目に映す。さとりの魔物は──いた。初対面時に比べたらずいぶん大人しくなっている。
 さとりの魔物をつつき、こちらに意識を向けさせる。妬心を煽って騒ぎ立てても読心の能力は失われないが、眼から伝わる情報に意識を向けられなくなるようなのだ。ちょっとした閉心術である。本人からすれば手足をもがれるに等しいので非常に嫌がられるけれども。
 体ごとパルスィたちを見上げたさとりに、ヤマメとキスメがたじろいだ。大丈夫だと手をふってさとりの正面に降り立つ。第三の眼が見開かれていたので魔物の動きを大きくしてやると「勘弁してくださいませんか」と情けなく懇願された。
「こいつらから聞いたんだけど、あなた、読んだものを実体化もできるのね?」
「……読心の応用です。再現をするだけです。あの、ほんとうにちょっと」
「できるのは物だけ? 生きものは?」
「さすがにそこまでは。物と、せいぜい造花などでしょうか。動物や人間は、無理だと思います。パルスィ、聞かれたことにはちゃんと答えますから」
「ん?」
 緑目の魔物に語りかけいっそう暴れさせるとさとりは息を詰まらせた。そんじょそこらの鬼や妖怪ならとうに妬心で気が狂っているだろうが、数度息をはいただけで「あと、聞きたいことは」と問いかけてくる。そうねぇと、わざとのんびりした仕草で顎に指を当てた。
「再現の精度ってどのくらいなの」
「完璧なものは、無理です。時間と、妖力を、かければ、相応のものは、作れます」
「ふぅん。じゃあ、もうひとつ」
「なんですか」
 噛みしめた奥歯のあいだから絞り出された低い声に、ついと近づく。両手を握りしめ後ずさりもせず、パルスィに三つの目を向けている。後方でこちらの様子を窺っているヤマメたちには聞こえぬよう、さとりの耳元に唇を寄せた。
「質問というよりは、おねがいだけど」
「おねがいではなく、脅しでは」
「あら、まだそんなことを言える余裕があるの。大したものねぇ」
「ッ……わか、りました、わかったから、なんですか、橋姫様」
 こちらを睨む目を間近で見つめ返す。近くで見て気がついたが、さとりの瞳は紫水晶のように透きとおった色をしていた。気狂いの緑目とはえらい違いだ。妬ましい、と魔物に囁く。
 冷静なまなざしがようやく嫉妬に揺れた。ここまで強く煽ったのは地獄の鬼とやり合った時以来か。かの鬼たちは立っていられなかったけれど、目の前の覚妖怪はというと、歯を食いしばり両足を踏ん張ってまっすぐにパルスィを見つめている。
 なんだろう。興が削がれた。
「……やっぱりいいわ」
 ぽつんと呟き魔物を宥めた。回収した嫉妬を食べる。極上の味だ。さすがに人間と比較すると劣るが、滅多にしないほど強く煽った嫉妬心は濃厚で芳醇だった。ぺろりと唇をなめる。自然、頬が緩んだ。
「っ、え、…………あれ?」
 呆けた様子で無防備に瞬きをくりかえすさとりにため息をついた。「なにポカンとしてるのよ」
「ええ、と。おねがいがあったのでは?」
「気が変わったの」
「気まぐれですね。……強引に言うことを聞かせるのもちがう気がした、ですか。あなたには橋を通してもらった以上の恩がありますし、かまいませんのに。……ふむ、再現されると困るものがある。髭切に……なんです、その、全身どころか馬まで鎖帷子で覆った武者は?」
「やっぱもうしばらく黙ってなさいあなた」
「すみません調子に乗りました。いくらなんでもこれ以上はちょっと」
 再度妬心を煽るパルスィに平身低頭謝るさとり、という構図を見て、ヤマメは詰めていた息をはき出した。やれやれと肩を竦める。
「なるほどねぇ。心を読む覚妖怪には、心を弄る橋姫が大敵ってわけだ」
 良いこと知ったと、にんやり頰笑むヤマメと顔を見合わせ、キスメも上機嫌に釣瓶を揺らす。

 落ち着けるところで話をしましょうと、古明地姉妹の住み処だという掘っ立て小屋に招かれる。不器用に組まれた木材は少し刺激するだけで崩れ落ちそうで、見ていると不安になること甚だしかったが、ヤマメとキスメはさして気にした風もない。渋々後を追って引き戸を閉じ、室内に視線を向けて、パルスィはおやと目を開いた。
 案外広い小屋の中には、姉妹の寝床であろう布きれと、簡素な木の箱(筆や紙が置かれているのでおそらく文机)の他に、これまた木材と石材を継ぎ接ぎした調理台が設置されていた。その調理台の前に知り合いがいたのだ。
「ザクロ」
 声をかけると跳ねるように肩を震わせた。いや、実際に軽く跳ねた。ごめんと手をふって、魚籠を片手に歩み寄るパルスィに気づいた妖怪は、深々と頭を下げる。
「あなた、こんなところでなにしてんの」
 問うたパルスィに顔を上げる。「相変わらずまぜこぜだね、ザクロちゃん」飛んできたヤマメの軽口を咎めようとしたら、いいんです、と言うように手を振られた。相変わらず気が弱い。
 まぜこぜという表現は、しかしたしかに、ザクロと呼ぶこの妖怪を的確に表している。ゆるゆる振られた腕から先は人間のものだが、腕がつながる胴体と顔は狒々のもの。膝から下は蛙の足を持ち、背後にはトカゲの尾が覗く。気弱な面持ちの額には呼び名の元となった血のように赤い柘榴石が埋めこまれている。
 ザクロがどんな経緯で生まれ、地底にやって来たのかは知らないが、他の鬼や妖怪からどのように見られているかは知っている。稚児の作り物めいた薄気味悪い容姿に加え、潰されたとかで声を持たぬ口。おまけに妖力もさほど強くない。
 大なり小なり屈託を抱えて地底に暮らす鬼や妖怪の、ちょうどよいはけ口。その一言に尽きた。尤も、鬼を頂点に抱いた今の地底社会において、鬼の目にとまらぬ妖怪の行く末など誰も彼も似たようなものだが。
「ああ、その子は川で拾ったのですよ」
「拾った?」
 茶碗を用意するさとりの言葉に眉をひそめる。ヤマメとキスメも顔を見合わせた。当のザクロはと言うと、恥ずかしげに目線を伏せて水を張った鍋を鬼火にかけている。
「畑を作るに当たって、川の様子も見ておきたいでしょう? ……その通りです、土蜘蛛さん。あなたには灌漑を依頼したい。ヤマメでいい、ですか。そちらはキスメ。……そういえば、きちんとあいさつをしていませんでしたね」
「後にしてくれる?」
 パルスィの苦言も知らぬ顔でぺこりと頭を下げるさとりにやれやれと首をふった。終わるまで待つかと魚籠をザクロに手渡すと、赤ら顔を獰猛に歪ませて(思うにこれは笑んでいるのだろう。凶悪意外に言い表せない表情だが)魚籠を宝物のように捧げ持つ。ほとんど知られていない特技だけれど、ザクロはめっぽう料理上手なのだ。
 下処理はしてあるヒメマスやコイをまな板に並べ、腹を割いて内臓を取り出し、器用な手つきで中身を水で洗い小型のすのこの上に並べていく。肌を傷つけずに鱗を取ってうっすらと切りこみを入れる。
「ほお、大したものじゃない」
 こちらの肩にもたれたヤマメが笑う。キスメも興味津々な様子で見つめていた。ザクロがぴょんと跳び上がる。さとりが静かに言い添えた。
「あまり見られると緊張するそうですよ」
「ん? ……ああ、読心か」
 さらりと頷き「川を見に行ったら、その子が水の中に倒れていたのです」と続ける。おおかた予想はついた。パルスィと初めて会った時も、この妖怪は川に頭を突っこんでいた。
「飢えを水で満たそうと考えたのですよね。配給品は奪われたそうで。直近食べたものも思い出せないでいました」
 やはりそうか、と冷静な面差しを崩さないパルスィとは対照的に、ヤマメとキスメはわずかだが表情を曇らせた。住み処を分けているとはいえふたりは鬼と親しい立場にある。十分な配給品を受けているのに加え、関所の役割を果たすヤマメたちには勇儀も融通を利かせやすいのだろう。そうでない妖怪がどんな生活を送っているのか、頭では承知していても内実を目の当たりにする機会は少ないに違いない。
 ザクロが魚に刃を入れるさりさりとした音だけが響く。気まずい沈黙が落ちた。この空気を作った張本人であるさとりは、右に左にと視線を走らせる第三の眼から各々の心情は伝わっているはずなのに、何も言わない。
「……料理が達者なら、それを売りこめばいいんだよ。姐さんのまわりにはひとが多い。物をやるにも理由がないと」
 苦々しげなヤマメの言葉にさとりが口を開きかけ、すぐに閉じた。赤い眼がザクロを見たのに気づいたのはパルスィだけだったらしい。言おうとして止めた何事かの代わりに、さとりは「それでですね」と気持ち明るい声を上げる。
「死ぬ前にもう一度だけ料理がしたい、と懇願されまして。飢え死にしかかっているのに、"食べたい"でなく"料理がしたい"なんて筋金入りでしょう? せっかくですので存分に腕を振るってもらおうと思ったのですよ」
 今は扶持ですがいずれ俸給を渡します、とのことである。調理の手を止めたザクロがさとりに向かって深々と頭を下げた。物言えずとも謝意と忠義が伝わる仕草に、ヤマメが「大したもんだ」と首をふる。さとりが微笑した。
「……弱みにつけこむのが上手いのは能力柄か、ですか。仰るとおり重宝していますよ。さあ、湯も沸きましたし、どうぞそちらへおかけになって。私をどう見ようが勝手ですが、あなた方の協力が必要なのです」

 木箱の上に広げられた和紙を三方から覗きこむ。紙いっぱいに半円が描かれ、その内側、中心寄りに小さめの半円が点線で描かれている。ちょうど地底を、この掘っ立て小屋を中心に半分に割ったような形だ。大まかな縮図といったところだろうか。
 その縮図の上に「イチゴ」、「ネギ」、「キノコルイ」などとミミズがのたくったような文字で書き付けてある、細切れの用紙が置かれていた。視線で尋ねるとさとりは大きく頷く。
「はい、畑の完成予想図です。地上と彼岸、それぞれから種をもらい受ける算段はつけました。次の配給……明後日でしたね。その時分に合わせて送ってくる予定です」
「本気で畑を作るつもりなのね」
 さとりは口元を緩める。
「ええ。ざっと調べましたが土壌は悪くありません。地底仕様と仮定しても彼岸花が咲いているのだから、作物が作れない道理はないでしょう。気候もこの点線、灼熱地獄跡の上か否かで分けられますので、連作を避けながら合うものを植えてやれば……日光、ですか。鬼火で代用します。……できますよ。作物が成長するのに必要な光の量はちがうので。すべては無理ですが、ここに書きつけたものは育てられるはずです」
 繊細な調整が必要ですからキスメが協力してくれたらの話ですが、と付け加える。七つの瞳を向けられたキスメはこくりと頷き、円の外側に近い箇所にあった紙を指さす。大変読みづらい文字で「バレイショ」と書かれていた。初めて聞く単語だ。
「芋の一種です。最近、肥前国に伝わってきたそうですよ。日光をさほど必要とせず、繁殖力も強く、土も選ばないそうですから、仕入れてもらうよう頼みました。調理方法は、ザクロ?」
 さとりから言葉を投げられ、鍋を覗きこんでいたザクロはあの凶悪な笑顔を見せた。お願いしますと微笑してこちらに視線を戻す。ヤマメが鼻を鳴らした。
「妖怪の賢者たるお方がずいぶん親切じゃない。そんなに読心が嫌なのかね」
「半分はそのとおりですね。便利な能力ですもの」
 さとりが薄い胸を得意気に反らした。誰も反応しなかった。大して動じることもなく「もう半分は」と懐に手を入れる。差し出された手のひらには爪先の大きさほどの金塊が乗っていた。今度は全員が目を剥いた。
「えっ」
「えっ?」
「いい反応です」
「どうしたのよ、これ」
 偉そうに頷いたさとりを小突く。
「灼熱地獄跡で見つけました」
 うめき声に近い長嘆息が漏れた。
 妖怪にとって、精神に取り憑き自我を崩壊させかねない怨霊は大敵である。怨霊たちが地上へ侵攻しようとした時は腕っ節が強い面々がどうにか押しとどめていたが、地上へ上がらないようにするので精一杯だった。怨霊が住み処にしている灼熱地獄跡を散策するなど自殺行為にも等しい。──どうやら、覚を除いて。
 澄まし顔のさとりは金塊を指先で弄る。
「怨霊の欲が溶けだし固まったものだそうです。本人たちも仕組みはわかっていないようですが、好きにしていいとの許可は得ましたので」
「強引に認めさせた、の間違いじゃないの」
 思わず挟んでしまった問いかけを無言の微笑で肯定し、話を続ける。
「ひとまず私たちが売り出すのは、この金です。この大きさで米一俵と交換できますので、その魚籠が埋まるくらいの量があれば十分でしょう。妹に集めてもらっていますから、次の配給には間に合いますよ」
 つまりこの覚妖怪は、地底に畑を作るだけでは飽き足らず、地上、彼岸と交易をするつもりなのだ。呆れとも感嘆ともつかない感覚が胸中に満ちる。
 現在の地底のように、萃香と勇儀の伝手を頼って一方的に支援を受けている形式は他所への依存が過ぎる。支援が止められた時に備えての畑作りかと思っていたけれど、どうやらそれだけではなかったらしい。さとりは、地底を、一方的に庇護を受ける立場から抜け出し、地上や彼岸の対等な交易相手に引き上げようとしている。
 そんなこと考えもしなかった。
 心を読んだのだろう。金塊を懐にしまいながらさとりは呟く。
「あなた方や鬼の面々、この子(ザクロ)たち皆に言えますが、妙に負い目を感じていますよね。地底は嫌われ者の行き着く先。外れ者の最果て。なるほどたしかに、私たち姉妹も地上で居場所を得られず逃げこんできたようなものです」
 ですが、ときっぱり首をふる。
「外れ者が安住の地を得てはいけないなどと、誰が決めました? 私はそんな理屈知りません。聞く気もない。自宅は居心地が良いほうがいいに決まっているでしょう」
 先ほどの気まずいものとはまた異なる、しんと染み入るような沈黙が落ちた。ザクロでさえ、料理の手を止めさとりの言葉を聞いていた。それぞれの様子と心が伝わったらしく、途端に無表情のまましどろもどろに視線をさまよわせる。意外と内心が態度に出るらしい。
「えっとつまり、そのですね、ですから、あー」弱りきって言葉を探す"怨霊も恐れ怯む少女"に、キスメが小さく噴き出した。間を置かずにヤマメも「わかった、わかったよ。ご高説どーも」とおちょくる。青白い頬が仄かに染まった。
「まぁ、なに。あんな一生懸命に妹を背負ってるやつが、性悪とは思ってないよ」
「できることがあるなら協力する、ですか。ありがとうございます。でしたら早速おねがいしたいのですが、金属を加工する炉を造ってもらえませんか、ヤマメ」
「いやだからってなんでもかんでも口に出されると……は? 炉? 川じゃなくて?」
「炉です」
 さとりの説明によると、妖怪由来の金塊にはヒ素や水銀などの物質も含まれているらしい。それらは人体に有害だが、人外には重宝する者も多い。扱い方によっては良質な材料にもなり得る。金塊の塊を鉱物ごとに分離できたらそれぞれに買値をつける、と妖怪の賢者から言われたとのこと。
 ヤマメの頬が引きつった。
「あー……あのさ、なんか勘違いさせてたとしたら悪いんだけど、そういうのはどっちかってーと河童の得意分野っていうか。私はもうちょっとこう、でっかいのが好きっていうか」
「材料を組み合わせるという点では、大差ないと聞いたのですが」
「誰から」
「勇儀です」
 姐さん、と呻いて頭を抱えた。内心の阿鼻叫喚をもろに食らったのだろう。赤い眼が気圧され気味にヤマメから離れる。
 さすがにまずいと思ったのか、さとりは紙片を取り出してきた。「あの、ヤマメ?」と遠慮がちに窺う。
「設計図はあるんです。八雲からもらいました」
「なにこの複雑な図」
 半月型の炉が描かれた紙を前に、真剣なまなざしで考えこむ。心を読むまでもなく、くるりくるりと変わる表情に動揺と混乱とが現れていた。さとりが紅い目をおずおずと覗きこむ。
「難しいなら無理にとは。今回は金塊のまま輸出するのでも事足りるはずですので」
 何を思ったのか、腰が引け気味の発言を鼻で笑う。思わずキスメと顔を見合わせた。
 黒谷ヤマメという妖怪は、地底の妖怪にしては比較的素直で、勇儀と懇意なこともあり裏表のない性格をしている。だが、太古から生きてきただけあってどこか老獪な、言い換えれば捻くれた一面も持ち合わせている。おまけに、妙なところで職人気質な面もあるので、そこがまた厄介だ。気が乗らなければどんなに容易で割の良い仕事も引き受けないし、反対に、本人の琴線に触れる何かがあれば──
「難しいよ。大変に難しい。おまけに河川工事もあるんだよね。八雲と彼岸が来るのはいつ」
「八雲からは明後日の昼頃、と言われています。閻魔王はその後かと。あのほんとうに、無理ならばいいですよ?」
「古明地」
「すみません、古明地はふたりいるのでできれば下の名で」
「古明地姉!」
 鋭く言い直し、ヤマメは獰猛と表せそうな笑みを浮かべる。
「新しい作物の仕入れから設計図まで、八雲にゃあずいぶん貸しを作っちゃったんでしょ? この上、炉が間に合わなかったので金塊のままです、よしなにおねがいしますー、って? 笑わせんな。そんな情けない真似できるもんか」
 言い終わるや否や立ち上がる。「やってやるわよ、どこに造りゃいいの」
 さとりは慌てて地図を取り出し、都寄りの一カ所を指し示した。「この一角におねがいします。勇儀たちが石材を切り出しているので」
「よしわかった」
 勢いよく小屋を飛び出していく。荒っぽく扱われ今にも壊れそうな戸が音を立てて軋んだ。
 慌てて後を追おうとしたキスメだけれども、瞬時に戻ってきたヤマメとぶつかりそうになり釣瓶の中で縮みあがる。そんな彼女にごめんと苦笑し、ヤマメはさとりに人差し指を突きつけた。
「いいかい、古明地姉。あんたのやりかたはわかった。言うことだって聞いたげる。でもね、ちょいと頭でっかちが過ぎるよ。そういうやつにてっぺんに立たれると、下はやりづらくなる部分もある。わかるかね?」
「わかります」
 神妙に頷いたさとりにヤマメは一言一言を区切る。
「今度からは、もっと、はやく言え」
「はい。無理をさせます、申し訳ない」
 両膝に手を当て深々と頭を下げたさとりに、ヤマメは片頬を上げた。何も言わずにキスメを招き寄せ、引き戸を丁寧に閉める。
 ヤマメの気配が消えるまでさとりは顔を上げなかった。その態度が本心からか、心を掌握するための布石なのかは分からない。顔を上げ、戸を見つめる横顔はあくまで沈着なままなので、推察することもできなかった。
 ふと、さとりが細く長い息をはく。幾分力が抜けたまなざしでパルスィを見、弱ったように口を緩めた。微笑とも称せないほど仄かな笑みに苦い悔いが彩りを添える。
「……学ぶべきは大海のごとく、ですね」
「その覚悟もしてなかったわけ」
「理解したつもりでした。ですが、覚悟は……そうですね、できていなかったのだと思います」
「なら、今できてよかったんじゃないの」
 さとりは、山奥の、覚妖怪だけが暮らす集落で生活していたと言う。同じ能力を持つ集団の中で生き、年も若い彼女が、特権的な立場にあったとは考えづらい。住み処の山を焼き出され、妹とふたりで流浪の旅をしていた頃は言わずもがな。
 上に立つ者の考えかたも、ものの見方も、振る舞いも、これから身につけなければならないのだ。このくらいのことでいちいち落ちこんでいたら世話がないだろう。
「……あなたの言うとおりですね」
「なにも言ってないんだけど」
「性分です」
 引っぱたいてやろうか。
 八割方本気でそう思ったが、力なく丸まった背中があまりにも情けなかったので暴力に訴える気も失せた。勇儀や萃香がいるとはいえ、こんなに頼りない妖怪が指導者でやっていけるのだろうか。いや、やっていけるかどうかではなく、やるしかないのか。
「そうですね。……やるしかありませんね」
「だから」
「性分ですので」
「性分って言えばぜんぶ許されるとでも思ってんの」
 やはり軽くはたくくらいは許されるだろうと振りかぶった瞬間、目の前に木の板に乗せたヒメマスの蒸し焼きが差し出されて面食らう。見ると、幼子が見たら泣き出しそうな笑顔を浮かべたザクロが意外なほどつぶらな瞳を輝かせていた。
「あなたにも食べてほしいそうですよ。……ああ、私は、こいしが戻ってきてから頂くので。それと、あとで勇儀たちにも……うん。頼みます」
 ひとを無視して話を進める拾われ料理妖怪と雇い主に頭を抱える。諦めて木の板を受け取った。
「これ、干物にしてほしかったんだけど」
 ザクロが動きを止めた。と思ったら、あわあわそわそわと手や尾を揺らした。赤い眼をザクロに向けたまま、さとりが口を動かす。
「そうだったのですか。存じ上げませんでした。てっきり会合のための料理と、つい楽しくなってしまって、あああすみませんパルスィ様せっかくのご厚意を」
「だまらっしゃい」
 頼みもしないのに翻訳を務める覚妖怪をぺしりとはたき、いいから、とザクロに手をふってみせる。
「いただくわよ、ありがとう。好きなだけ料理できる場所が見つかってよかったじゃない。それと、様はやめて。おねがいだから」
 オロオロと視線をさまよわせ、結局拝むような仕草をしたザクロの肩を優しく叩く。さとりがぽつりと呟いた。
「嫉妬狂いとおひと好しが共存するとは興味深い。いや、双方情が強いと見ればいいのね。それにしたって、気狂いの橋姫とはいったい……あっすみません、わかりました、恥ずかしいのはわかりましたから心を弄らないで……なんでもっと強くするんですか。ちょっとパルスィ」
 きゃんきゃん騒がしいさとりの癖の強い髪をぐりぐりぐりとなでまわし、フンと鼻を鳴らす。
「雇い主が変なことやったら、ちゃんと言いなさい」
「私の扱いだけひどくないですか……わかりました黙ります、黙りますから!」
「いいわね」
 念を押すと、ザクロは困ったように頭を掻き、今一度深々と頭を下げた。

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