Coolier - 新生・東方創想話

幻想百景

2007/03/31 03:07:10
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 小説を書いてみようと思った。幻想郷縁起がひとまずの完成を見て、私は次の代への準備までの、少しの猶予を得た。書誌の編纂へんさんなど雑多なことは全て、分家を含む稗田の血筋の者に分担させればよかったので、私は手持ち無沙汰だった。阿求としての今までの生をほとんど縁起の完成に向けていたため、特に趣味などもない。戯れに料理などしてみようか知らん、と思ったら使用人たちに、御阿礼子ともあろうお方にそんなことはさせられない、稗田の家の使用人として面目が立たない、などと言われて、せっかく持ち出した中華鍋を取り上げられた。その日の晩ごはんは八宝菜だった。
 結局やることがないので、とりあえずやしきに住み着く野良たちと一緒に縁側で丸まってみた。すこぶる心地よかった。縁側の木材が陽光を吸って柔らかな温かみを帯び、新緑の風がほのかに香る。私の居場所は縁側になった。毎日縁側にいた。上白沢慧音や八雲紫が邸に来るたびに私の頭をなでていくことに多少の屈辱は覚えたものの、私の魂はすでに縁側の温かな陽光の魔力によって堕落しきっていて、身体の底からとろけるような幸福感、浮遊感、倦怠感を手放そうとは思いもしなかった。日々丸まって三毛の野良がうにゃーと言えばうにゅーと答えていた。そんな私の目を覚まさせたのは霧雨魔理沙のひと言である。ある日、稗田の史書目当てに邸へ訪れた霧雨魔理沙は堕落した私を見るなりこう挨拶した。
「よう、ご隠居」
 愛玩動物扱いの数倍にも及ぶ屈辱が私を打った。もちろん、彼女に悪気がないのは分かっていた。そして、悪気がないからこそ、その言葉は私を打った。御阿礼子ではなく阿求としての私は、まだ十数年しか生きていないのである。この年で御老公とか言われるわけにはいかないのである。若年性痴呆などでは決してないのだ。とりあえず霧雨魔理沙には求聞持の能力を最大限に駆使した言葉責めによって昇天してもらい、私は立ち上がった。このままではいけない。阿求として、何かをしなくてはいけない思いに駆られ、私に残されているものは何か、と考えた。紅茶と、幺樂と、書くことだけだった。そうして、私は書くことを選んだ。千年にも渡ってひたすら筆を握っていたせいか、書くことは私に安らぎと、腹の底に静かにわだかまるようなある種の快感を与えた。そして、今代では、記録としての文字ではなく、小説を書いてみたい、と思った。私の憶えている限りでは、幾度となく転生を繰り返してきたけれど、このように思ったことははじめてであった。そしてそれはきっと、今の幻想郷の魅力がそうさせるのだろうと思った。人間と妖怪の新たな関係が織り成す世界、その姿を記録者としてではなく、稗田阿求として書き留めるには、日記でも、随筆でもなく、小説という形式が一番のように思えた。主観的な視点から書く、生きた幻想郷の物語。それを思うだけで私の心は躍った。はやる気持ちを抑えきれず、私は小説を書くことを思いついた夜、とっておきの厚紙に閉じ紐をつけ、小説の表紙を先に作ってしまった。これから文章を書き、綴じるたびにこの物語は厚みを増す。興奮で行灯あんどんを倒しそうになった。私が暴れた拍子に野良が部屋から逃げ出した。行灯のたたずまいを直して、私は考えた。文机にひじを突いて、今から書かれるべき小説の表紙を睨んだ。野良が部屋に帰ってきて、ひと声鳴いた。私は筆を取ると、表紙に、『幻想百景』と書いた。幻想郷の百の景。幻想郷の姿を書き留める小説、という願いにぴったりのタイトルだと思い、満足した。百の景色を書こうというのだから、転生の準備に入るまで退屈する暇は与えられないだろう。百に届かなくてもいい。こういうものはちょっと大げさなくらいがちょうどいいのだ。憶えていたら次代で続きを書いてもいい。私はニマニマとした笑いが抑えられず、側で丸まっていた野良の背をなでた。そうして、私はくしゃみをした。早春といっても夜は冷えた。私は早々に床に就いた。布団の中に野良を招きいれて、ぬくぬくだった。その日私は桜の花の夢を見た。

 明けて、私は日が高くなる前に邸を出た。小説の素材となる、百景を集めることにしたのだった。晴天の下、人間の里は市が開かれ、にぎわっていた。里の真ん中を貫く大通りの両側に露店のゴザが連なり、食べ物、織物、様々な商品を売る威勢のいい掛け声が交わされ、たくさんの人間と妖怪が行き交っていた。普段は居住を別にし対立するようにしている人間と妖怪も、市ではそんな種族の差異は問題にならない。いるのは客と商売人だけだった。食べ物や日用雑貨を売る者は人間が多く、装飾品や嗜好品などを売る店は妖怪がやっていることが多いようだった。今の人間と妖怪の付き合い方をよく表していると思えた。十分ほど見て歩いて、私はひとつの露店に目を留めた。タヌキの獣人と思われる妖怪が、このあたりではあまり目にしないものを売っていた。曰く、お山の河童が作った機械類だという。数人の人が物珍しそうに眺めていて、私もその輪に入った。何人かが私を御阿礼子として憶えていてくれたらしく、会釈をした。私は商品のひとつ、写真機を手に取った。天狗の記者が使っていたものと似ていた。ややお客さんお目が高い、と店主が言った。私が値段を聞き、店主が告げると、周りの人々からほお、とかため息のようなものが漏れた。私は少し悩んで、買うことにした。小説に写真など添付できれば素敵だと思ったのだ。店主は腹を叩いて、毎度あり、と言った。私は写真機をひもで首からぶら下げた。

 ちょっと休憩しようと思って、行きつけの茶屋に入った。黒味がかった木材を組んで作ってある店舗。戸を開けると、一面の土間に四角いテーブルが並んでいて、席の半分くらいが埋まっているようだった。女給さんが私を見つけて、いつものでよろしいですか、と言った。私はちょっと考えて、いつものとは別の茶葉でお勧めはありますか、と聞いた。なんとなく、そんな気分だった。女給さんは愛想よく茶葉の銘柄をいくつか言って、私はそのうちのひとつ、どことなく名前が格好良さげなものを選んで注文した。程なくして、席に紅茶と、サンドイッチが運ばれた。砂糖を二杯いれてかき混ぜると、少し泥臭い感じのする香りが鼻をくすぐった。森の中にいるような気分になる、独特の香りだった。舌の上で転がすとコクのある甘みがあった。私がサンドイッチをつまもうとした時、お店の一角からゲラゲラと大きな笑い声がした。奥の、入り口からは死角になるところで大きな角が揺れていた。下手をすれば子供の背丈くらいはある角。そんなものを持つ者は幻想郷広しといえど一人だけだった。私は席を立って、声をかけた。
「あ、変な名前の」
 阿求です、と私は言った。
「あーそうそうそんな名前だったね。どうしたの? 一緒に飲まない?」
 伊吹萃香は酒臭い息を吐いた。彼女の側には店の女給さんが立っていて、なにやら苦笑いを浮かべていた。私の記憶が正しければ、この店の品書きに酒の名は書かれていなかった。テーブルの上に無造作に伊吹瓢箪が置かれていた。日も昇らぬうちから宴会とは結構ですね、と言うと、伊吹萃香は照れくさそうに笑って、「へへー、いいでしょ」と言った。皮肉が通じないのか、あえて無視しているのか、判断に困った。とりあえず、私は彼女の申し出をやんわりと断った。
「ちぇー。なんだよー私の酒が飲めないってかー」
 伊吹萃香はぶっすーとふくれると、女給さんになにやらひとことふたこと言って、女給さんはやはり苦笑いでそそくさと店の奥に向かった。伊吹萃香は瓢箪ひょうたんから店のコップに酒を注ぐと、飲んだ。そしてトロンとした目でこちらを見た。
「いいから座れよー。飲む相手が欲しいんだよ」
 下戸ですから、と私が言うと、そんなの飲んでるうちに慣れるって、などと無茶なことを言い出し、しまいには女給さんが厨房で「あちらの妖怪のお客様が……」と言ったのを聞きとがめて、
「妖怪風情と一緒にするなー。鬼だぞー。怖いんだぞー」
 と騒ぎ出した。私は、そんなに飲みたいなら神社の巫女でも誘えばいいんじゃないですか、と言った。伊吹萃香は騒ぐのをやめた。そして、いじいじとテーブルにのの字を書き始めた。
「だって、霊夢を誘ったら、仕事が入ったーってさ。いっつも神社で暇そうにしてるくせに、私が飲みたいときに限ってさ……」
 私は、他に酒飲み相手はいないのか、と聞いた。
「紫は気まぐれだし、吸血鬼は生意気だし、魔理沙の家に行ってもいなかったしなぁ。あとは私に付き合えるヤツっていえば……お山の天狗どもがいるけどさ、あいつら、飲み方が下品で面白くないんだよ。小賢しいし。あの新聞記者はマシだけど飛び回ってばっかでどこにいるか分からないし」
 伊吹萃香は短い足をぶらぶらさせた。何かの拍子にテーブルの足を蹴って、コップの酒の水面がブルリと震えて波紋を描いた。私は少し考えて、霊夢さんのお仕事を見に行きませんか、と言った。
「霊夢の、仕事?」伊吹萃香はトロンとした目をこちらに向けた。お酒には付き合えないけれど、それくらいなら付き合える。たまにはそういうのも面白いのではないか、と提案すると、伊吹萃香は見る見る明るい顔になった。
「行く! 暇だし、おもしろそうだし」
 伊吹萃香はコップのお酒を一気にあおった。椅子から転げるように立つと、私を置いてさっさと店の外に出た。私は息を吐いて、女給さんに紅茶とサンドイッチの代金を払った。そして、迷惑なお客対策には鰯の頭に柊を刺して飾るといいですよ、と耳打ちした。

 行ってみると、なるほど、巫女が珍しく巫女らしい仕事をしていた。いまだ地ならしも済んでいない平地を注連縄で四角く囲い、真ん中に簡易の祭壇を設けてある。地鎮祭だった。その土地の持ち主らしき人、そして土方らしき人々などに囲まれた中央に、博麗霊夢がいた。私と伊吹萃香は注連縄のすぐ外で彼女を見守った。博麗霊夢は玉串を捧げ持ち、礼をすると、神妙な面持ちで祝詞のりとを唱えると玉串を振り、土地の神に語りかけた。そして祭壇にあったお神酒の瓶の栓を抜くと、ためらうことなくひっくり返し、瓶の中身を土地にぶちまけた。あー……と伊吹萃香の口から嘆きのようなものが漏れたが、それ以上何も言わなかった。あれは土地の神が飲む酒である。私は密かに巫女の後姿を写真機に収めた。
 儀式が終わって、土方の棟梁や土地の持ち主が巫女をねぎらった。博麗霊夢は謝礼を袖の下にしまって、玉串を担いで(行儀が悪い)帰ろうとし、私たちに気付いたようだった。「やほー。霊夢ー」と伊吹萃香が駆け出そうとした瞬間、鬼の額には殺人的にぶっとい針が刺さっていた。伊吹萃香はその場にぽてりと倒れた。
「災厄の象徴が入ろうとするなっ。せっかく清めたのに、土地の神様が怒るでしょう」
 博麗霊夢は注連縄しめなわをくぐってこちらに来た。私の方を見て、珍しいわね、と言った。
「知識人は皆出歩かないやつらばかりだと思ってた」
 その通りだ、と思って私は苦笑した。足元からうー、と声がして、伊吹萃香が額をさすりながら立ち上がった。額が赤くなっている。人間なら間違いなく致命傷だった。伊吹萃香は手に持っていた特大の針を投げ捨てると涙目で巫女をにらんだ。
「うー。ここまでしなくてもいいじゃん! 霊夢のばか!」
「このばか鬼を連れてきたの、あんた?」
 博麗霊夢はうりうりと伊吹萃香の額を玉串で突いた。あう、あう、と伊吹萃香はなすがままに小突かれていた。私はこの日鬼よりも怖い生物が幻想郷に存在することを発見した。私は巫女の言葉にその通りだ、と返事をした。そして伊吹萃香を見た。鬼は今度はむっすーと頬を膨らましていた。
「だって霊夢がかまってくれないんだもん」
「……あんたはどこぞの吸血鬼の妹かい」
「あんな小娘と一緒にするな」
「いいお友達になれると思うけど」
 同属は時に嫌悪しあうのだけれど、と思ったが口に出さなかった。博麗霊夢は息をひとつ吐くと、伊吹萃香の首の後ろの襟をつかんで持ち上げた。「にゃ」と伊吹萃香が鳴いた。
「じゃあ、私はコレを連れて帰らないといけないから、これお願い」
 そう言って博麗霊夢は袖の下から取り出したものを投げてよこした。小さめの和綴じの冊子だった。
「ハクタクからの頼まれものなの。よろしく」
 博麗霊夢は片手で鬼を猫のように軽々とつかんだまま、神社の方向へとことこと歩いていった。私は改めて博麗霊夢という人物に感じ入って、ぼうっと突っ立っていた。おつかいを二、三回会っただけの人間に任せてしまうとは、無防備なのか、その程度の用事ということなのか、それとも、彼女お得意の『勘』で私は選ばれたのだろうか。いやはや、と私はつぶやいて、空を見上げた。お日様がかなり高くなってきていた。そろそろ寺子屋の授業が終わる頃か、と思った。

 里の外れにある寺子屋に行ってみると、案の定子供たちが上白沢慧音に見送られて散らばってゆくところだった。連れ立ってはしゃぎ回る者、本を読みながら歩く者、皆それぞれに、子供たちは家路に就く。上白沢慧音の回りには彼女を囲うようにして子供たちが集まり、「せんせー、さようならー」「けーねせんせい、またあしたー」などと別れの挨拶をしたり、おしゃべりをしたりしていた。上白沢慧音は慈愛に満ちた笑顔をしていた。私はその光景を写真に収めた。一人の女の子がこちらに気付いて、指差して「あ、阿求ちゃんだー」と言った。花屋の子だった。小さな男の子の頭をなでていた上白沢慧音が、その声につられてこちらを見た。私は思わず身構えた。また頭をなでられるのではないかと思った。
「これは珍しい。寺子屋に通う気になったのか?」
 私は苦笑した。私が出歩くのはよっぽど大事らしかった。花屋の子がきらきらした目でこちらを見ているのに少し胸が痛んだが、私はきっぱり、いいえ、と言った。そうか、と上白沢慧音はそれほど意外でもなさそうに言った。隣で女の子がやはり残念そうな目をしていた。私は袖にしまっておいた冊子を上白沢慧音に手渡した。
「ああ、霊夢に頼んでいたものか。わざわざありがとう」
 お茶でも飲んでいかないか、と言われて、私は少し考えてから、ご馳走になることにした。さっき紅茶を飲みそびれていた。上白沢慧音は私と花屋の子を寺子屋に招き入れた。入り口で、額をさする男の子とすれ違った。宿題を忘れてきたに違いなかった。私は女の子と顔を見合わせてくすくすと笑った。敷居をまたぐと、木造のごく簡素な教室が私を出迎えた。文机が規則正しく並び、教室の前には外の世界のものだという『黒板』が置かれていた。上白沢慧音はひとつの文机に急須と湯飲みの乗った盆を置いた。私と女の子もその机の周りに座った。
「日本茶しかないが」
 お礼を言って湯飲みに口をつけた。緑茶も悪くなかった。私は寺子屋の近況などを聞いてみた。上白沢慧音はごく微笑ましくいろんなことを語ってくれた。読み書き算盤の授業に比べて歴史の授業に人気がなくて困っていること。毎日のように頭突きを受けるやんちゃな子がいること。紅魔館の家庭教師に招かれたものの、多忙のためやむなく断ったこと。最近は未熟な妖怪や妖精が読み書きを習いにくることがあって、人間にとって危険な者でない限り、極力生徒として受け入れているということ。私はふんわりとした緑茶の香りと共に彼女の話を楽しんだ。
「私の話はそんなところかな。……それで?」
 上白沢慧音は目配せするように私と目を合わせた。私は湯飲みを置き、帳面と写真機を差し出して、小説の材料探しをしている、と答えた。上白沢慧音は合点がいった、というように微笑んで、それはいいことだ、と言った。
「ぜひ寺子屋のことも書いてくれると良い。……次の取材はどこかな」
 言われて、私は考えた。次の素材探し……魔法の森は迷ったりすると厄介だし、竹林は間違いなく迷うからとても厄介だ。お山や、三途の川や無縁塚の方角などは言うに及ばず。この時刻から一人で出歩くには時間的にも心許なかった。あとは香霖堂と、紅魔館と、博麗神社くらいだった。私は少し思案するようにして、博麗神社に行こうと思う、と言った。上白沢慧音は頷いた。
「ねえ、阿求ちゃん」と、さっきまで我々の話を聞いていた花屋の女の子が私のおなかの辺りをじっと見つめて言った。「しゃしんき、って何?」
 私は写真機について、なるべく噛み砕いて説明した。風景を切り取って絵のように紙の上に写し取る機械だ、と。女の子の瞳がきらきら光った。ねえ、撮ろうよ、と言った。私は、この教室の様子を残すのも良い、と思って承諾した。上白沢慧音と女の子、その後ろの教室の風景を写真に収めて、写真機を片付けようとすると、腕を引っ張られた。
「阿求ちゃんも撮ろうよ」
 不意を突かれた。私は小説を書く側であって、登場人物になるつもりはなかった。腕を引っ張られ、どうしたものかと悩んでいると、上白沢慧音がひょいと写真機を取り上げた。
「この、上のボタンを押せばいいんだな?」
 私は苦笑して、そうです、と答えた。私は女の子と手をつないで、行儀良く写真に収まった。収まったはずだ。自分で思ったよりも、写真の現像が待ち遠しくなった気がした。今度は授業風景を撮りに来ます、と言うと、
「授業に参加したらどうだ」「阿求ちゃんもがっこう来ようよ、楽しいよ」
 異口同音に言われて、私はとりあえず笑うことにした。
 また、来よう。と思った。

 博麗神社に向かう道すがら、なんとなく空を見上げると太陽はやや傾きつつあった。カラスも飛んでいる。ふと、阿弥の時代の風景はこんなにのどかだっただろうか、と思った。よく憶えていなかった。少なくとも、妖怪と人間の付き合い方は今とは違う形だっただろうと思う。しかしそれはそれで皆折り合いをつけて普通に暮らしていたのだろう。どっちのほうがよかったとか、悪かったとかは、先代の記憶すらおぼろになっている私には判断できないことだった。ひとつだけ言えるのは、阿弥の時代を小説にしたら、題材も、雰囲気も、ジャンルすらまったくの別物にになっていただろう、ということだ。私はひとつふたつと飛んでゆくカラスを見送って、そして、そのカラスのうち一つが妙に大きいことに気付いた。気付いたと思ったらそれは見る見るうちに大きくなって、ものすごい速さで私の前に飛来、急停止したかと思うと、にこやかなスマイルでこんにちわ、と言った。
「お久し振りです、阿求さん。いやあまさかこんなところでお会いするとは」
 射命丸文は慇懃かつ早口にまくし立てた。私はお久し振りな気がしなかった。毎日のように邸に無理やり配達される号外のせいに違いなかった。私が挨拶すると、射命丸文は帳面を開いてものすごい速さでメモ書きを始めた。
「普段邸から一歩も出ない御阿礼子が出歩くだけでも珍しいのに、この方角に歩いているとなると……博麗神社ですね? ううん、ただでさえ色々面白いことのある神社ですが、これはもう決定的にスクープの匂いがぷんぷんしますよっ! ところでこれから博麗神社に何をしに行かれるのでしょう?」
 もう少し落ち着いてしゃべって欲しいと思った。あるいは、天狗にとってはこれくらいが普通の速度なのかもしれない。私が答えようとすると、おや、と射命丸文は私の首にぶら下がった写真機を見た。
「おやおや、天狗以外に写真機を持つ人がいるなんて珍しいですねぇ。人間でそれをお持ちなのはよほどの好事家こうずかですよ」
 私は、好事家です、と答えた。そうして、小説を書こうとしていること、写真を小説に添えようとしていることを洗いざらい話した。射命丸文はますます興奮した面持ちで、それはいいですねぇ! と言った。
「書きあがったら是非読ませて下さい。出来によっては我が文々。新聞での連載などお願いするかもしれませんよ」
 と言いつつ、メモ書きをせわしなく続けた。この分だと小説の完成を見る前に、私の小説のことが記事にされそうだった。小説は読まれなければ意味がないし、宣伝になるからいいか、幻想郷縁起の時も彼女には世話になっているし、無碍むげにはすまい、と思った。
 私はふと思い出して、射命丸文に、伊吹萃香が酒飲み相手を探していた、と話した。射命丸文は帳面を閉じると、それは良いことを聞きました、と言った。
「良いネタも手に入りましたし、ここはひとつ景気付けと行きますか!」
 そして目にも留まらぬ速さで私の後ろに回り、ひょい、と、あろうことか、私を抱きかかえたのだった。いわゆる、お姫様抱っこ。私が目を白黒させていると、ちょいと揺れますよ、お客さん、と笑ったかと思うと、身体にものすごい風圧がかかった。思わず瞑ってしまった目を開けると、地上を遥か見下ろす位置にいた。私が少しの恐怖と、爽快感を感じていると、じゃあ行きます、と言って天狗は神風に乗った。
 博麗神社まで、半刻かかるところが、ものの一分ほどで到着した。
「あら天狗……と、おまけ付き」
 巫女が迎えた。射命丸文は境内にふわりと降り立つと、私を下ろした。私は浮遊感の残る体のバランスをなんとか整えて、地に足をつけた。そうして見ると、境内には思ったよりたくさんの人がいた、と思って、思い直した。境内には、たくさんの人間以外がいた。
「おー、ブンブン天狗じゃーん」
 と言ったのは伊吹萃香だった。瓢箪を持ち上げて縁側に座る彼女のもとに、射命丸文は嬉々として走り寄っていった。私が目をやると、博麗霊夢は苦笑するようにして、結局こうなるのよね、と言った。
「おーい霊夢ー」
 霧雨魔理沙がこちらに歩いてきた。そして私を見るなり、う、と呻いた。私はきわめてにこやかにこんばんは、と言った。霧雨魔理沙はこほん、と咳払いをした。
「なんだ、阿求も飲みに来たのか」
 向こうからドッと歓声が沸いた。見ると、紅魔館のメイドが余興として手品を披露していた。吸血鬼や、竹林の兎なんかがそれを見てはやし立てていた。別のところでは夜雀が歌を披露していた。とかく、統一感のない人間以外たちが一様に楽しげに、酔って、食べ、歌い、騒いでいた。巫女は酒の注がれたコップを片手に、それらを見やっていた。私は霧雨魔理沙に、下戸なんです、と言った。なんだそうなのか、と言って、霧雨魔理沙は肩を組んできた。
「酒なんて飲まなくてもいいんだ。宴会は楽しんだヤツの勝ちだぜ」
 もちろん私は全勝だ、と霧雨魔理沙は笑った。ニカッという、心底楽しそうな笑みだった。そして、博麗霊夢に向かって、「霊夢もそんなところで何してんだよ、こっちに来い」と言い放ってやはり肩を組んだ。博麗霊夢は一瞬迷惑そうにして、そして息を吐いて微笑した。並んでゴザに向かう人間三人を、妖怪たちが歓迎した。私はチラと後ろを振り返った。博麗神社の本殿を木々が囲み、少し赤みを帯びだした空を背負っていた。そして、小説に思いをはせた。この空をどう文章で表現しようか、と考え、いくつもの言葉が浮かんでは消え、なんだか、真っ白な感覚だけがお腹の底にわだかまった。そういう空だった。そして地上に目を戻し、この宴会の風景など、幻想百景には是非とも入れなければいけないと思った。彼女らと共にお酒はダメでも、お茶を飲みながら楽しんで、写真を残しておこうと思った。また、例えば霧雨魔理沙などに話をつけておけば、魔法の森の景色だって無理なく百景に収められるだろう、と思った。私一人で百景は無理でも、せっかく、こんな妖怪と人間の宴会すら催される時代なのだから、借りれるものは猫又の手でも鬼の手でも借りればいい。筆を握るのがますます楽しみになった。「ほらよ」と霧雨魔理沙からお茶の注がれたコップが差し出された。私は受け取って、あたりの人間や妖怪たちと目を合わせた。
 乾杯。


注:先に本文をお読み下さい。あとがきにネタバレがあります。










 お読み頂きありがとうございました。この小説は、

著 者:稗田阿求
投稿者:つくし

 でお送りいたしました。
稗田阿求
簡易評価

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コメント



0.2200簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
いいね!ほのぼの。
6.70aki削除
続き…ないんですか?
あったら読みたい気分ですよ。
8.100deso削除
ううむ、これは良い阿求。ぜひとも写真の焼き増しが欲しいところですw
9.50反魂削除
ちょいと尻切れトンボ気味なのが残念かな?
しかし描こうとされたであろう結末は非常に好みで、阿求というキャラクターの描写という点で秀逸だったと思います。
読後感の爽やかな作品でした。
12.100名前が無い程度の能力削除
良い雰囲気。
次代になって霊夢や寺子屋の写真を見返すと、また別の感慨があるのでしょうな。
13.80名前が無い程度の能力削除
こういう雰囲気好きだなぁ
26.80名前が無い程度の能力削除
百景読みたいな…
27.100名前が無い程度の能力削除
いい雰囲気ですねぇ
阿求かわいいよ阿求
28.100名前が無い程度の能力削除
いやあ好いもの読ませて頂きました。
なんていうか、自分の勝手なイメージなんですけど。
阿求の在り方が不安で仕方なかったところがあって。
この作品を読んで、そんなのがきれいになくなった気持ちです。
29.100じょにーず削除
あっきゅんがとってもステキでした
32.60翔菜削除
これは何とも素敵なあっきゅん。
もし他の代で似たような形で描くとすればどうなるのか。
今出ている資料の数からしてそれは無理のある話なのでしょうけれど、そんな事を考えてしまう、考えると楽しいお話でした。

しかし一方で何かこう、上手く言えないのですが物足りない感じも。
そこは阿求さんが書くお話待ちでしょうかw
36.90名前が無い程度の能力削除
すごい、ほのぼの感
良いッスね、この感じ
41.100ルドルフとトラ猫削除
これはいい
うまい
おいしい
酒が飲みたくなってきた
42.無評価卯月由羽削除
著者:稗田阿求、ってことはこれはあっきゅんの自伝?
とりあえず、百景読んでみたいです。
43.90卯月由羽削除
あ、点入れ忘れた…
52.80名前が無い程度の能力削除
上手くいえないけど、あっきゅんがいいね!
62.90名前が無い程度の能力削除
この阿求は楽しそうだな
63.100名前が無い程度の能力削除
なんて素敵な幻想郷。楽しませていただきました。
65.100非現実世界に棲む者削除
ほんわかとしてて良かったです。