あの子は、どうしてるだろうか。一人でつぶやくことがある。誰ともなく、虚空へ消えてしまうこの言霊が、あの子に届かないだろうかと。そう念じながら。
夜道を歩いていた。提灯をぶら下げて、家に帰るところ。そろそろ祭りの季節だから、仁さんから楽器を作れと頼まれていた。
良い木が取れるからと、人里から離れた場所に家を建てるのではなかった。こんなに遅く家へ帰るのは久しぶりだったせいか、森は私を拒むように、黒々とこちらを睨みつけている。いつもなら割って入る木々の間を、今日は躊躇いながら進む。
月は丸く、明るかった。雲もないし、風もない。逆に、その好気象が不安を増長させる。かさかさと獣の動く音がする。いつもなら日常茶飯事だから気にも留めないのに、今はその音でさえビクリとする。そういえば、武器といえるものは何一つとして持っていなかった。今襲われてしまったら食われてしまう――あるのはこの提灯の灯り一つ。心もとない、小さな命の灯火。
ふと、辺りが暗闇に満ちるのがわかった。月の光は遮断され、前にも後ろにも広がる木々が、いつの間にか黒い絵の具で塗りつぶされたように消えていく。
村の人たちにも心配されることがあった。あの森に住んでいてお前は怖くないのかと。
「あの森には暗闇の妖怪がおるのじゃ」
「暗闇の妖怪?」
「左様。辺りを暗闇で覆い、身動きを取らせないようにしてから食らうのよ。あの辺りは神隠しが多い。その原因はおそらく暗闇の妖怪……」
「ははぁ」
そのときは半信半疑で相手になどしなかった。もう10年は住んでいるのだから。
気づけば、提灯の灯りでさえも、見えないほど、暗闇は濃くなっていた。辺りは涼しくなり、耳が過剰に反応する。いつの間にか風まで出たようだ。葉の擦れる音がどんどん重なって、平衡感覚さえ失ってしまいそうになる。
すると、どこからか幼い少女のような声が聞こえてきた。つかまった、つかまった。バカな大人がつかまった!
ぐるぐる回るように、声があちこちから聞こえて、重なる。つかまった、つかまった!
思わず耳を塞ぎ、しゃがみこむ。悪夢だ、きっとこれは悪夢なのだ。
しかし声はどんどん鼓膜を突いてくる。逃げ場はないのか。
もうダメだと思ったとき、声が止んだ。風もなく、目を開くと月明かりが見える。提灯は倒れて光を失っているが、月の光は辺りを見渡すことが出来るほど明るかった。
ついと前を見ると、金色の髪をした少女が木のそばで倒れている。もしかして、彼女が闇の妖怪なのか?
少女は頭をさすりながら起きると、鼻に手を当て、私が見ていることを確認すると、あっ! と指差した。
「獲物!」
「えっ」
思わずしりもちをつく。いきなりの声だったということもあるし、それは見覚えのある顔だったからでもあった。
「でも君は」
「よし、獲物さんー。ルーミアが食べるからそこで、じっとしててねー♪」
少女は不敵に笑い、辺りがまた暗闇に包まれる。
「まて! 君は、あのときの子じゃないか?」
「何を言ってるのかわからないよ、獲物さんー」
闇は私を囲むようにして広がっていく。
彼女があの音を覚えているように、と私は調律に使う少し高い音を、口で出した。
音は暗闇を裂き、森中に広まったかに思えた。野鳥たちが驚き、飛び立つ。少女を見ると、どうやら気づいたらしかった。じっと俯いて、闇はいつの間にか薄ぼんやりと浮かんでいるだけだ。
きっと少女がこちらを見る。明らかな敵意。紅い瞳が、私を射抜く。身動きが、取れない。
「なぜ、なぜ獲物さんがその音をー?」
幾分低くなった幼い声が、鋭く刺さる。
刹那、金色の小さな頭が、弾丸のようにこちらに飛んできた。
あぁ、これでは――私は覚悟を決めた。
が、
「こら、そこの妖怪」
うっすら目を明けると、金色の少女は何かの結界の中にいるように、幾分小さな口を大きく開けながら静止していた。私は無傷であった。
空を見ると、箒に乗った博例神社の巫女が、少し低いところをふよふよと浮かんでいた。
「そこのおじさんも、危ないんだからあんまり夜森に来ちゃダメだよ」
仕方ない、とか、めんどくさいなぁ、という位の無気力な表情で、巫女は言った。
「あ、ありがとう。実は家がこの奥にあるんだ」
私は妖怪から後ずさりするように距離を置く。巫女は急降下して、
「へぇ、とんだ物好きがいたものね。森に住んでる人間なんか、魔理沙だけだと思っていたら」
私の前に、立ちはだかるようにして着地した。
「さて、そこの人食い暗闇妖怪。これからどうしてあげようか? 永遠に封印してあげようか?」
結界を解いたようで、少女は跳ねるように後進し、両手を開いた、十字の形になった。紅い眼は、さきほどの鋭さを失い、丸みを帯びているように見える。
「あらー、見習い巫女にそんなことが出来たとはー。御見それしましたー」
間延びした幼い声は、その容姿に非常に合っているように思われた。今までの姿は、一体どういうことだったのか。
「大体ねぇ、私は見習いじゃなくて、ちゃんとした巫女。そこ、忘れないでいただきたいわ、よわっちい暗闇使いの妖怪さん?」
二人の視線が、交錯する。これから、何が。
「あ、おじさん。今からちょっといろんなものが光ったり飛んできたりするけど、気合で避けてね」
博麗の巫女にそう言付かれる。まったく、わからない。
私が理解に苦しむ間に、二人はいつの間にか空のほうへ浮かんでおり、巫女が言ったように、いろいろな光の弾が、ある規則性を持って飛んでいるのが見えた。それはまるで花火みたいで、非常に綺麗なものであった。
少女が叫ぶ。『月符「ムーンライトレイ」!』『夜符「ナイトバード」!』『闇符「ディマーケイション」!』だが博麗の巫女は彼女の攻撃を全て避け、何も詠唱することなかった。決闘は巫女の圧勝だった。
二人が降りてくる。巫女の顔は自信に満ちて、金髪の少女はうなだれているかに見える。
「さて、これでおわり。今日は大人しく帰りなさい。それで勘弁してあげるから」
巫女が情けをかける。とても扱いに慣れているらしい。
だが少女のほうは、とてもこれで終わるようには見えない。
「わかったー。あなたにはもう興味ないから、かえっていいよー。私が興味あるのは、そこの、あなたの後ろに隠れてるおっさんだからさー」
息が上がっているのに、私への怨恨は感じ取れる。私はまた後ずさる。
「何よ。諦めなさいって言ってるのに――本当に成敗するわよ」
「だからー、あなたには興味ないんだってばー。わかった、あなたには勝てない。でも私が用あるのはあのおっさんなのよ。だからどけ、巫女」
あの剣のある瞳で、巫女を射抜く。だが、巫女は動じない。
「恨み辛みがあるなら、今ここで言いなさいよ。それで私が判断する。この人間を食べていいのか悪いのか。これでいいでしょう?」
少女はうなだれるにしてうなずいた。
私が少女とであったのは、私が楽器作りのために木々を伐採していた時のこと。森の中で一人の少女が倒れていた。金の髪で黒い服を着た、まるで西洋の人形のような、可愛い子だった。私は彼女を持ち帰り、眼が覚めるまで自分の寝床に寝かせておいた。彼女は起きると、私を見てひどく怯えていた。
「な、なんだ、お前はー」
その様子が可愛かく、思わず抱きしめたくなったが、やめておいた。嫌われているのにさらに嫌われてしまったらどうしようもない。
それから事情を聞くと、どうやら迷子になったらしかった。ここがどこだかわからないし、家がどっちだったかも忘れてしまったと言う。
「どうしよう、私、どうしよう……」
「うちにいればいい」
私には妻がいたが、今は村で暮らしていた。それというのも、夜道が怖いということと、村の人たちから私への依頼があったときの対応のためだった。だから私は一人で過ごしていたが、さすがに物足りなさを感じてもいた。
「君の面倒は私が見るよ」
だから、自分が少女に向かって放った言葉に、驚いたものだった。妻以外に、女という存在に、ここまで自分の意思を伝えたことはなかったから。
少女は目を丸くして、意味がよくわかっていないようだった。
それからの日々は、貧しかったものの、楽しかった。ルーミアはいつもいつも新しい発見をしては、それを忘れた。夜の森で迷子になって泣きじゃくっていたこともあったし、一人で風呂で溺れていたこともあった。
少し経つと、少女は一人で外に出るようになった。ここいらならば、もうある程度はわかると思っていたからだ。
だが、ついに彼女は口に血をつけて獣の匂いを発して帰ってきた。私は恐ろしくなった。人を食らったことは、ほぼ明白だった。私に対してあまがみの様な軽い噛み付きをやっていたし、人を見たときのあの紅い瞳――よだれが垂れてきそうなあの瞳を見ていたときからもしやと考えてはいたが。
しかし、それほど重大に考えていなかったのも、また事実であった。明確な証拠というのをつかんだわけではなかったし、神隠しというのは、なかなか頻繁に起こることだから。
あるとき仁さんの頼みの品を届けることになり、村へ行くと、多くの葬式が行われていた。
「仁さん、これはどうしたことです?」
「いやな、多くの人が森で神隠しにあったんでな……」
神隠しで葬式を行うというのは、少し特殊なことだった。もしかしたら帰ってくるかもしれないという希望のため、葬式はやらないのが普通。
「でも、」
「言いたいことはわかる。だがな、今度の森の神隠しじゃあ、血が出とる。それも大量に。こっちに来るときにも見えなかったか? 大量の血痕が」
私がこちらに来るときに、そんなものは見なかった。匂いさえ、なかった。だが、仁さんは血があったと言う。その所為で葬式をしているのだとも――。
「妖怪が食らったのは明白だろうよ。今では誰もあの森に近づかねぇ……おっと、そうだった。兄ちゃんに言うことがあったんだ」
仁さんは、それまでの厳しい表情から一転して、言いにくそうに俯いた。
「こんな時に言うことになって、本当に申し訳ないと思っている。でもな、あいつらだってあんたにこれを知らせたくて森へ行ったんだ。結果がこの様だが、あいつらに非はねぇ。全ては妖怪が悪い。なんでもねぇ人を食らいやがって――」
神妙な顔が、怒りに。
「仁さん、何が、一体何があったんですか?」
気づけば両手で肩をつかんでいた。つい話題を反らせたくなるような――
仁さんが目を瞑る。
それから、
「琴さんが死んだ」
琴は妻の名前だった。私はつかんでいた手をだらりと垂らして、終いにはへたり込んでしまった。仁さんの恰幅の良いからだが大きな影となって私を覆い、慰めの言葉をかけてくれたが、聞こえなかった。
「だから、そのことを兄ちゃんに教えるために、俺たちは」
何かに打ち砕かれたように、立つ気力を失った。べったりと座る地面は冷たくて、目の前で蟻たちがせっせと食べ物を運んでいたのを見て、それを一つずつ潰していった。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
仁さんが顔を覗きこんでくる。
「あぁ、大丈夫です」
今では自分が奇妙な笑いを浮かべていたということがわかる。私に気の狂れた兆候が出たのは、後にも先にもあのときだけだったと思う。
事態は、思ったより深刻だった。妻が死んだことは、いい。妻の葬式に出れなかったことも、いい。妻の死に顔を見れなかったことも、いい。だが、多くの人が、私のために死んでいったことが、私に知らせるために森にやってきてあの少女に食われてしまったという事実が、あまりにも重すぎた。なんとかしなければならない。そう思った私は、先代の博麗の巫女から札をもらって、血の、獣の臭いのする少女の髪につけた。髪を洗うのに難儀していたことで安心した。
それから私は少女を森へつれて行き、人が到達しないような場所まで導いてから、彼女の前から姿を眩ました。少女の、「どこー、どこー」という声が、ずっと聞こえていたが、無視して出来るだけ速やかに、音を立てずに移動した。
寝る前に、いつも思っていた。彼女がこちらへ来ないように、来ないように、と。
「あいつは、あたしを捨てたんだ!」
少女はわめいた。
「あたしは、誰もいない、何もない森の中を、ただひたすらさまよい飛んだ。どこまで飛んでも、どこまで行っても何もない。そんなときに、あんたに出会ったの。博麗霊夢」
「へぇ、だからおなか空いてたのか」
妙に納得したように、霊夢は言った。
「それで、大体あってます?」
「うーん、村側の事情はまた違ったんだけれど、私が彼女を誰もいない場所へ連れて行ったのは本当だ」
「村の事情って?」
話すのには躊躇われた。ちゃんと話せるのかわからなかった。
だが、できる限りを話した。霊夢は少女の方を監視しながらも、ちゃんと話を聞いているようだった。
「あぁ、はい。よくわかりました」
霊夢がうなずきながら、つぶやく。
「お前が悪い」
少女を指す。
「えっ」
「むやみに人を食べちゃダメなんだよ、バカ。今は先代のおかげか可愛くなったけど……あんた、絶対そのリボン取っちゃダメよ。ま、取れないと思うけどさ。あと、人は一週間に一人まで! それ以上は取っちゃダメ」
少女の表情が和らいでいく。
「えーっ、それだとおなか空くじゃんー」
「妖怪なんて本当は何も食べなくても生きていけるのよ」
「本当ー?」
「マジだね」
「そーなのかー」
もはや恐れるべきものは避けられたようだった。
「そ、その、霊夢さん。君は、すごいな」
いきなり私に声をかけられたからか、巫女は驚きつつ、
「そんなことないですよ。いつもやってるから慣れちゃっただけで」
とはにかんだ。
「というわけで、ルーミア。あんたは自分の巣へ帰りなさい。今日は魔理沙のきのこなんかで我慢すんのよ」
「えー、あれまずいー」
「非常に健康にも美容にも良かったりする。その小さな背とあるかないかわからないような胸が大きくなるかもしれないって、魔理沙は言ってた気がするなぁー」
「そ、そそそそ、そうなのかー!」
少女は十字の姿勢のまま浮き上がり、ピューンとどこかへ飛んでいってしまった。
「本当に、ありがとう」
「いえいえ。なんてことありません。あ、おじさん、博麗神社を宜しくお願いしますね! お賽銭、待ってますので!」
宣伝する巫女がすごく必死だったので、小判の一枚くらい持っていってやろうと決めた。
夜道を歩いていた。提灯をぶら下げて、家に帰るところ。そろそろ祭りの季節だから、仁さんから楽器を作れと頼まれていた。
良い木が取れるからと、人里から離れた場所に家を建てるのではなかった。こんなに遅く家へ帰るのは久しぶりだったせいか、森は私を拒むように、黒々とこちらを睨みつけている。いつもなら割って入る木々の間を、今日は躊躇いながら進む。
月は丸く、明るかった。雲もないし、風もない。逆に、その好気象が不安を増長させる。かさかさと獣の動く音がする。いつもなら日常茶飯事だから気にも留めないのに、今はその音でさえビクリとする。そういえば、武器といえるものは何一つとして持っていなかった。今襲われてしまったら食われてしまう――あるのはこの提灯の灯り一つ。心もとない、小さな命の灯火。
ふと、辺りが暗闇に満ちるのがわかった。月の光は遮断され、前にも後ろにも広がる木々が、いつの間にか黒い絵の具で塗りつぶされたように消えていく。
村の人たちにも心配されることがあった。あの森に住んでいてお前は怖くないのかと。
「あの森には暗闇の妖怪がおるのじゃ」
「暗闇の妖怪?」
「左様。辺りを暗闇で覆い、身動きを取らせないようにしてから食らうのよ。あの辺りは神隠しが多い。その原因はおそらく暗闇の妖怪……」
「ははぁ」
そのときは半信半疑で相手になどしなかった。もう10年は住んでいるのだから。
気づけば、提灯の灯りでさえも、見えないほど、暗闇は濃くなっていた。辺りは涼しくなり、耳が過剰に反応する。いつの間にか風まで出たようだ。葉の擦れる音がどんどん重なって、平衡感覚さえ失ってしまいそうになる。
すると、どこからか幼い少女のような声が聞こえてきた。つかまった、つかまった。バカな大人がつかまった!
ぐるぐる回るように、声があちこちから聞こえて、重なる。つかまった、つかまった!
思わず耳を塞ぎ、しゃがみこむ。悪夢だ、きっとこれは悪夢なのだ。
しかし声はどんどん鼓膜を突いてくる。逃げ場はないのか。
もうダメだと思ったとき、声が止んだ。風もなく、目を開くと月明かりが見える。提灯は倒れて光を失っているが、月の光は辺りを見渡すことが出来るほど明るかった。
ついと前を見ると、金色の髪をした少女が木のそばで倒れている。もしかして、彼女が闇の妖怪なのか?
少女は頭をさすりながら起きると、鼻に手を当て、私が見ていることを確認すると、あっ! と指差した。
「獲物!」
「えっ」
思わずしりもちをつく。いきなりの声だったということもあるし、それは見覚えのある顔だったからでもあった。
「でも君は」
「よし、獲物さんー。ルーミアが食べるからそこで、じっとしててねー♪」
少女は不敵に笑い、辺りがまた暗闇に包まれる。
「まて! 君は、あのときの子じゃないか?」
「何を言ってるのかわからないよ、獲物さんー」
闇は私を囲むようにして広がっていく。
彼女があの音を覚えているように、と私は調律に使う少し高い音を、口で出した。
音は暗闇を裂き、森中に広まったかに思えた。野鳥たちが驚き、飛び立つ。少女を見ると、どうやら気づいたらしかった。じっと俯いて、闇はいつの間にか薄ぼんやりと浮かんでいるだけだ。
きっと少女がこちらを見る。明らかな敵意。紅い瞳が、私を射抜く。身動きが、取れない。
「なぜ、なぜ獲物さんがその音をー?」
幾分低くなった幼い声が、鋭く刺さる。
刹那、金色の小さな頭が、弾丸のようにこちらに飛んできた。
あぁ、これでは――私は覚悟を決めた。
が、
「こら、そこの妖怪」
うっすら目を明けると、金色の少女は何かの結界の中にいるように、幾分小さな口を大きく開けながら静止していた。私は無傷であった。
空を見ると、箒に乗った博例神社の巫女が、少し低いところをふよふよと浮かんでいた。
「そこのおじさんも、危ないんだからあんまり夜森に来ちゃダメだよ」
仕方ない、とか、めんどくさいなぁ、という位の無気力な表情で、巫女は言った。
「あ、ありがとう。実は家がこの奥にあるんだ」
私は妖怪から後ずさりするように距離を置く。巫女は急降下して、
「へぇ、とんだ物好きがいたものね。森に住んでる人間なんか、魔理沙だけだと思っていたら」
私の前に、立ちはだかるようにして着地した。
「さて、そこの人食い暗闇妖怪。これからどうしてあげようか? 永遠に封印してあげようか?」
結界を解いたようで、少女は跳ねるように後進し、両手を開いた、十字の形になった。紅い眼は、さきほどの鋭さを失い、丸みを帯びているように見える。
「あらー、見習い巫女にそんなことが出来たとはー。御見それしましたー」
間延びした幼い声は、その容姿に非常に合っているように思われた。今までの姿は、一体どういうことだったのか。
「大体ねぇ、私は見習いじゃなくて、ちゃんとした巫女。そこ、忘れないでいただきたいわ、よわっちい暗闇使いの妖怪さん?」
二人の視線が、交錯する。これから、何が。
「あ、おじさん。今からちょっといろんなものが光ったり飛んできたりするけど、気合で避けてね」
博麗の巫女にそう言付かれる。まったく、わからない。
私が理解に苦しむ間に、二人はいつの間にか空のほうへ浮かんでおり、巫女が言ったように、いろいろな光の弾が、ある規則性を持って飛んでいるのが見えた。それはまるで花火みたいで、非常に綺麗なものであった。
少女が叫ぶ。『月符「ムーンライトレイ」!』『夜符「ナイトバード」!』『闇符「ディマーケイション」!』だが博麗の巫女は彼女の攻撃を全て避け、何も詠唱することなかった。決闘は巫女の圧勝だった。
二人が降りてくる。巫女の顔は自信に満ちて、金髪の少女はうなだれているかに見える。
「さて、これでおわり。今日は大人しく帰りなさい。それで勘弁してあげるから」
巫女が情けをかける。とても扱いに慣れているらしい。
だが少女のほうは、とてもこれで終わるようには見えない。
「わかったー。あなたにはもう興味ないから、かえっていいよー。私が興味あるのは、そこの、あなたの後ろに隠れてるおっさんだからさー」
息が上がっているのに、私への怨恨は感じ取れる。私はまた後ずさる。
「何よ。諦めなさいって言ってるのに――本当に成敗するわよ」
「だからー、あなたには興味ないんだってばー。わかった、あなたには勝てない。でも私が用あるのはあのおっさんなのよ。だからどけ、巫女」
あの剣のある瞳で、巫女を射抜く。だが、巫女は動じない。
「恨み辛みがあるなら、今ここで言いなさいよ。それで私が判断する。この人間を食べていいのか悪いのか。これでいいでしょう?」
少女はうなだれるにしてうなずいた。
私が少女とであったのは、私が楽器作りのために木々を伐採していた時のこと。森の中で一人の少女が倒れていた。金の髪で黒い服を着た、まるで西洋の人形のような、可愛い子だった。私は彼女を持ち帰り、眼が覚めるまで自分の寝床に寝かせておいた。彼女は起きると、私を見てひどく怯えていた。
「な、なんだ、お前はー」
その様子が可愛かく、思わず抱きしめたくなったが、やめておいた。嫌われているのにさらに嫌われてしまったらどうしようもない。
それから事情を聞くと、どうやら迷子になったらしかった。ここがどこだかわからないし、家がどっちだったかも忘れてしまったと言う。
「どうしよう、私、どうしよう……」
「うちにいればいい」
私には妻がいたが、今は村で暮らしていた。それというのも、夜道が怖いということと、村の人たちから私への依頼があったときの対応のためだった。だから私は一人で過ごしていたが、さすがに物足りなさを感じてもいた。
「君の面倒は私が見るよ」
だから、自分が少女に向かって放った言葉に、驚いたものだった。妻以外に、女という存在に、ここまで自分の意思を伝えたことはなかったから。
少女は目を丸くして、意味がよくわかっていないようだった。
それからの日々は、貧しかったものの、楽しかった。ルーミアはいつもいつも新しい発見をしては、それを忘れた。夜の森で迷子になって泣きじゃくっていたこともあったし、一人で風呂で溺れていたこともあった。
少し経つと、少女は一人で外に出るようになった。ここいらならば、もうある程度はわかると思っていたからだ。
だが、ついに彼女は口に血をつけて獣の匂いを発して帰ってきた。私は恐ろしくなった。人を食らったことは、ほぼ明白だった。私に対してあまがみの様な軽い噛み付きをやっていたし、人を見たときのあの紅い瞳――よだれが垂れてきそうなあの瞳を見ていたときからもしやと考えてはいたが。
しかし、それほど重大に考えていなかったのも、また事実であった。明確な証拠というのをつかんだわけではなかったし、神隠しというのは、なかなか頻繁に起こることだから。
あるとき仁さんの頼みの品を届けることになり、村へ行くと、多くの葬式が行われていた。
「仁さん、これはどうしたことです?」
「いやな、多くの人が森で神隠しにあったんでな……」
神隠しで葬式を行うというのは、少し特殊なことだった。もしかしたら帰ってくるかもしれないという希望のため、葬式はやらないのが普通。
「でも、」
「言いたいことはわかる。だがな、今度の森の神隠しじゃあ、血が出とる。それも大量に。こっちに来るときにも見えなかったか? 大量の血痕が」
私がこちらに来るときに、そんなものは見なかった。匂いさえ、なかった。だが、仁さんは血があったと言う。その所為で葬式をしているのだとも――。
「妖怪が食らったのは明白だろうよ。今では誰もあの森に近づかねぇ……おっと、そうだった。兄ちゃんに言うことがあったんだ」
仁さんは、それまでの厳しい表情から一転して、言いにくそうに俯いた。
「こんな時に言うことになって、本当に申し訳ないと思っている。でもな、あいつらだってあんたにこれを知らせたくて森へ行ったんだ。結果がこの様だが、あいつらに非はねぇ。全ては妖怪が悪い。なんでもねぇ人を食らいやがって――」
神妙な顔が、怒りに。
「仁さん、何が、一体何があったんですか?」
気づけば両手で肩をつかんでいた。つい話題を反らせたくなるような――
仁さんが目を瞑る。
それから、
「琴さんが死んだ」
琴は妻の名前だった。私はつかんでいた手をだらりと垂らして、終いにはへたり込んでしまった。仁さんの恰幅の良いからだが大きな影となって私を覆い、慰めの言葉をかけてくれたが、聞こえなかった。
「だから、そのことを兄ちゃんに教えるために、俺たちは」
何かに打ち砕かれたように、立つ気力を失った。べったりと座る地面は冷たくて、目の前で蟻たちがせっせと食べ物を運んでいたのを見て、それを一つずつ潰していった。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
仁さんが顔を覗きこんでくる。
「あぁ、大丈夫です」
今では自分が奇妙な笑いを浮かべていたということがわかる。私に気の狂れた兆候が出たのは、後にも先にもあのときだけだったと思う。
事態は、思ったより深刻だった。妻が死んだことは、いい。妻の葬式に出れなかったことも、いい。妻の死に顔を見れなかったことも、いい。だが、多くの人が、私のために死んでいったことが、私に知らせるために森にやってきてあの少女に食われてしまったという事実が、あまりにも重すぎた。なんとかしなければならない。そう思った私は、先代の博麗の巫女から札をもらって、血の、獣の臭いのする少女の髪につけた。髪を洗うのに難儀していたことで安心した。
それから私は少女を森へつれて行き、人が到達しないような場所まで導いてから、彼女の前から姿を眩ました。少女の、「どこー、どこー」という声が、ずっと聞こえていたが、無視して出来るだけ速やかに、音を立てずに移動した。
寝る前に、いつも思っていた。彼女がこちらへ来ないように、来ないように、と。
「あいつは、あたしを捨てたんだ!」
少女はわめいた。
「あたしは、誰もいない、何もない森の中を、ただひたすらさまよい飛んだ。どこまで飛んでも、どこまで行っても何もない。そんなときに、あんたに出会ったの。博麗霊夢」
「へぇ、だからおなか空いてたのか」
妙に納得したように、霊夢は言った。
「それで、大体あってます?」
「うーん、村側の事情はまた違ったんだけれど、私が彼女を誰もいない場所へ連れて行ったのは本当だ」
「村の事情って?」
話すのには躊躇われた。ちゃんと話せるのかわからなかった。
だが、できる限りを話した。霊夢は少女の方を監視しながらも、ちゃんと話を聞いているようだった。
「あぁ、はい。よくわかりました」
霊夢がうなずきながら、つぶやく。
「お前が悪い」
少女を指す。
「えっ」
「むやみに人を食べちゃダメなんだよ、バカ。今は先代のおかげか可愛くなったけど……あんた、絶対そのリボン取っちゃダメよ。ま、取れないと思うけどさ。あと、人は一週間に一人まで! それ以上は取っちゃダメ」
少女の表情が和らいでいく。
「えーっ、それだとおなか空くじゃんー」
「妖怪なんて本当は何も食べなくても生きていけるのよ」
「本当ー?」
「マジだね」
「そーなのかー」
もはや恐れるべきものは避けられたようだった。
「そ、その、霊夢さん。君は、すごいな」
いきなり私に声をかけられたからか、巫女は驚きつつ、
「そんなことないですよ。いつもやってるから慣れちゃっただけで」
とはにかんだ。
「というわけで、ルーミア。あんたは自分の巣へ帰りなさい。今日は魔理沙のきのこなんかで我慢すんのよ」
「えー、あれまずいー」
「非常に健康にも美容にも良かったりする。その小さな背とあるかないかわからないような胸が大きくなるかもしれないって、魔理沙は言ってた気がするなぁー」
「そ、そそそそ、そうなのかー!」
少女は十字の姿勢のまま浮き上がり、ピューンとどこかへ飛んでいってしまった。
「本当に、ありがとう」
「いえいえ。なんてことありません。あ、おじさん、博麗神社を宜しくお願いしますね! お賽銭、待ってますので!」
宣伝する巫女がすごく必死だったので、小判の一枚くらい持っていってやろうと決めた。
トップにあるルールと、ここにある他の作者の作品を見て、どこまでやっていいのか感じ取れ。
誤字報告
空を見ると、箒に乗った博「例」神社の巫女が……
麗
後、何故霊夢が箒に乗ってる理由がわからなかった。