今一番欲しいものは何? って突然聞かれたら、さてさてあなたはどう答えるでしょうか。
そうだね。きっと、少しの間困って考えちゃうよね。
即答出来たって人は、もう一度よく考えてみて。それって、ほんとに一番欲しいもの?
何を失っても、本当にそれが欲しい?
考え直すってことは、それが一番欲しいものじゃなかったって何よりの証拠だよ。
自分のことなのに、自分の一番欲しいものが分からない。不思議だよね。
自分のことも満足に理解していないのに、他人のことを考えるなんて夢のまた夢。
本当に遠い話。
本当に生きものってエゴイスティック。
―――――――――
「ねえお燐、あなたが今一番欲しいものは何?」
「あたいの一番欲しいものですか?」
私が何気なくそう聞くと、お燐はちょこんと座ったままの姿勢で「うーん」と唸った。
「そうですね、とびっきり上等で新鮮な死体が欲しいです」
「じゃあさ、とびっきり上等で新鮮な死体が手に入ったら、もうこの上なく幸せで有頂天になって天にも昇る気持ちで『もう死んでもいいっ!』とか思う?」
「……んー、それはないかもしれません」
やっぱり不思議だ、生き物っていうのは。
「どうして? 一番欲しいものが手に入ったのに嬉しくないの?」
「いえ、そりゃ嬉しいですけど流石にそこまでは」
「お燐は思ったことないの? 『うわぁ幸せだ! もう死んでもいい!』って」
「……そう言われればありますね」
お燐は「不思議だなぁ」と首を傾げた。まったく、自分のことなのに全然分かってないんだからもう。
「それじゃあ、こいし様が今一番欲しいものは何ですか?」
「私? 私はね、お姉ちゃんがこの上なく幸せな気持ちになって、もう死んでいいってくらい喜ばせることをしたい。お姉ちゃんの極上の笑顔が欲しい」
「……それができたら死んでもいいって思いますか?」
お燐がかなり呆れた顔で聞いてくるけど私は真剣。これ以上のことは望んでない。
「もちろん。死んでもいいよ」
「そりゃ早死にしますね」
お燐が欠伸交じりにそう言うので私はむっとした。
妹の私が言うのもあれだが、お姉ちゃんはすごく偏屈な妖怪である。悪戯好きで、いつも得意げな笑みを浮かべているのに心からは笑ってくれない。心を閉じてしまった私でもわかるくらい白々しい笑みを浮かべる。心から笑った顔なんて生まれてこの方見たことがない。
ダメダメそんなの。お姉ちゃんが心から笑った顔はすごく可愛いのに。お姉ちゃんを嫌っている連中もきっと手の平を返すように仲良くしようとしてくるはずなのに。
「私たちでは難しいかもしれませんが、こいし様なら簡単にできると思いますよ」
「……それは本当?」
これはよい情報。
お燐はよっこいせとソファから降りて人型に化け、テーブルに腰かけた。
「えぇ、吃驚するほど簡単に。方法お教えしましょうか?」
「ううんそれはだめ。自分で見つけないと意味がないもん」
他人に言われたとおりにやったんじゃ、成功しても喜びとか価値とか下がっちゃうよ。
お燐は二股のしっぽをうねらせながら言った。
「まぁすぐにわかると思いますけどね」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
そんなすぐにわかったら苦労はないのだ。
この場合一番大切なことはお姉ちゃんが今一番欲しいものを洞察すること。そしてそれを提供することだ。
ただ、私は心を読むのがすこぶる苦手である。それどころかトラウマすら感じる。だから洞察というか、『察せ』と言われたところで「え? 何々何の話?」ということになるわけで。
「お姉ちゃんは今一番何が欲しいのかなぁ」
「なんでしょうね」
「知ってる?」
「お教えしましょうか?」
「だから答えそのままじゃ意味ないんだってば。ヒントを頂戴」
「……こいし様は花を貰ったら嬉しいですか?」
お花を貰って嬉しいかって……正直花とか興味ないし、あんまり嬉しくないかなぁ。
私が悩んでいるとお燐は継いで言った。
「ではさとり様からお花を貰った場合は?」
「あっそれは嬉しい」
「そうですか。では、こいし様がさとり様を死んでもいいというくらい喜ばせることができたら、こいし様の一番欲しいものも手に入るでしょう」
「なんじゃそりゃ」
トンチなんて求めてないってば。
「お姉ちゃんが死んでもいいってくらい喜んだら、私は満足なの。その先なんてないよ」
「ところがどっこい、あるんですよ」
「自分のこともよく知らない癖に、私の心が読めるっていうの?」
私が憤って言うとお燐は手を振った。
「こいし様の心なんて全く読めませんしその必要もないです。目を閉じてもわかることってあるんですよ」
「お気に入りのコップの置き場所とか?」
「お気に入りの死体の置き場所とか」
趣味の悪い火焔猫だ。
「今私のことを趣味の悪い奴だと思ったでしょう?」
ぎくり。
「そんな表情をしている人は大体そういうことを思っているんですよ」
「なんだ。はぁ」
「では大サービスでもう一つ。さとり様の立場に立ったつもりで、欲しいものを考えてみてください。以上」
「む、お姉ちゃんの立場か」
なるほど。それは大サービスのヒントだ。
お姉ちゃんの立場になって考えてみる。
古明地さとり。地霊殿の責任者。私の姉。人妖に嫌われてる。ペットには好かれている。鬼も一目置く存在。頭はいい。悪戯好き。ううむ。
「わかった!」
私がソファから立ち上がるとお燐も「おぉ~」と歓声を上げて机から立ち上がった。
「わかんない!」
私がそういうとお燐は「あぁ~」と切ない声を上げながら立ち上がった勢いで前のめりに倒れた。
「あの……今わかったと仰いましたよね」
「うん、わからないのがわかった」
「そうですか」
お燐はため息を吐いて立ち上がった。
呆れたような顔をしているが、私だって考える頭はある。年頃のお姉ちゃんが欲しがるものなんて限られているのだ。
「とりあえず可愛いものを送ってみよう!」
可愛いものを送れば間違いはない。
お燐は「へぇ」と呟いた。
「こいし様にしてはすごく良い案です」
「えへへ、でしょう?」
「では買い物にでも行きましょうか。そういえば釣瓶落としの小物屋なんか、ヤマメがお勧めだって言ってましたよ」
「ちっちっち。何を勘違いしているのかな? お燐隊員は」
私はお燐の「へ?」という顔に人差し指を突き付けていった。
「地底のものなんか、すぐに買えちゃって有難味がないじゃん! 地上に行くんだよ!」
「えぇ? 流石に人里に行ったら引かれちゃいますよ」
「大丈夫。意外と妖怪とかも買い物してるらしいから。それに知る人ぞ知る名店ってのがあるの」
魔理沙に聞いた知識が役に立った。
人里から少し離れた森の中に香霖堂という店が建っていて、収集マニアには中々お勧めの名店らしい。
閑古鳥が鳴いてるような店だからすぐにわかるという。
「ではそこに行ってみましょうか。ちょっと支度をしてきますね」
お燐はそう言って出て行った。
私とお燐は支度を整えてすぐに地上に出るために地霊殿のエントランスへ向かった。
廊下を曲がると、まさかと思うタイミングでお姉ちゃんに遭遇した。
「あらお燐、こいし。今日はどこに行くの?」
「えっと、少し上に出てみようかと思いまして」
「そう。気をつけて行ってきなさいね」
ほら、やっぱり。
私の横をお姉ちゃんが通り過ぎて行った。
名前を呼ぶのもお燐が先。涼しげな笑みを浮かべているのに、私のことなんて目も合わせてくれない。
胸の中を気持ちの悪いぐねっとしたものが蠢く。最悪の気分なのに、なぜか目が柔らかくなる。
こんな気持ちを糧にしてまで、心を開きたくはないよ。
だから、今度こそは。
「行こうお燐」
絶対私が振り向かせてやるんだから。
―――――――――
その日の昼ころ。件の店は割とすぐに見つかった。
地上に出て人の里をくるりと半周した森の中にその店は建っていた。
店の看板には香霖堂。庭にはおそらく店に入れることができなかったのだろうガラクタが放置されてある。
確かに特定の変わり者以外は来店しなさそうな店だった。
「本当に閑古鳥が鳴いてますね」
「そうだね」
寂れた外見はとても開店しているようには見えない。潰れて放置された店と言った方が適切なような気がする。
私は二の足を踏んだが意を決して店内へと踏み込んだ。
「だから! 縞々に勝るものはないって言ってるじゃない!」
「違う違う! ドロワが全てを超越しているに決まっているだろう!」
ドアを開けた瞬間に、声が聞こえてきた。
私は疑問に思いつつ店内を覗いてみると銀髪の青年と巫女装束の少女が激論を交わしているところだった。
まるでお客がいないわけでもないらしい。赤と白の巫女装束には見覚えがあった。
「この分からず屋! 終いにはそこらの本に封じてやるわよ!?」
「くそ! 男には命を犠牲にしてでも引いてはいけない時がある! 僕は決して譲らないぞ!?」
銀髪の青年は「とうっ」と叫んでカウンターに飛び乗ると下袴を脱いで下着をさらした。
縞々のパンツだった。
しかもぴったりで股間がもっこりしていた。
「な……なんですって!?」
霊夢が恐れ慄いてぐらりと揺れる。
青年はふんと短く笑って言った。
「こんなこともあろうかと今朝穿いておいたのさ! これでも縞々がよいとほざくか!」
精神的ショックを受けているのは私だけでなく、私の後ろでそれを見ていたお燐もだった。なまじかっこいい顔をしているだけにかなり強烈だった。
第三の目が柔らかくなって死にたい。
至近距離で目撃した霊夢は一溜まりもあるまい。
そう思っていると、うつむいていた霊夢がにやと笑った。
「ふ……ふふ、ふふふふ」
笑い声が徐々に大きくなると、動揺したのか青年がわめいた。
「な、何がおかしい!?」
いやもうおかしいところだらけだが。
霊夢はばっと顔を上げた。
「ふはは! まだまだ甘いわ霖之助さん!」
霊夢は「とうっ」と叫ぶとカウンターに仁王立ちの青年を蹴り飛ばした。「がはっ」と呻いて青年はカウンター奥に転げ落ち、霊夢は立場を変えるようにカウンターに仁王立ちになった。
「馬鹿な……僕の取って置きが……」
「残念ね。それはまだ私の守備範囲内、よ」
「ば、化け物……め」
「霖之助さんの男気だけは褒めてあげるわ。出直してきなさい」
「ぐっ無念……」
青年はぶるぶると震えて上体を起こしかけたが、やがて力尽きがくりと倒れた。
場が、静まり返る。
この二人面白い。でも入るタイミングが。
ええい、こなくそ。
私は後ろで「駄目です危険です危ないです帰りましょう」と早口小声で繰り返すお燐の制止の手を振り切って店内に入った。
少し古い感じの匂いがした。店内は意外と片付いていて、いろいろなものが狭いスペースに効率よく置かれていた。
「あ、あの」
やっとな感じで声を出した。かすれていたし小さい声だったが、霊夢は気がついたのかこちらを向いた。
「おっといらっしゃい。気配がないからわからなかったわ。霖之助さん、お客さんよ」
「ほう」
青年はむくりと起き上った。
「霊夢、僕の下袴を取ってくれ」
「はいはい」
青年は霊夢から受け取った下袴を落ち着いて穿くと「ふぅ」と一息をついて私に向き直った。
大物だと思った。
「香霖堂にようこそ。この店を経営している森近霖之助です。よろしく」
「えぇと、よろしく」
「私は霊夢。博麗の巫女をやってるわ。よろしくね」
「あなたは知ってる」
短く突っ込む。お燐は店内に入ってこない。外で待っているつもりだろう。
「それで、何をお求めですか?」
「あの、可愛いものを探しているんだけど……」
「可愛いものか」
青年こと霖之助は「ふむ」と唸った。
「可愛いの概念は個々によって違うものだ。僕の可愛いものだったらいくらでも推奨することができるがそれが君の可愛いの概念に当てはまるとは限らない。そもそも可愛いには数多の意味が――」
「ちょっと黙ってて」
霊夢は霖之助をこつんと叩いて前に出た。
「それはあんたの趣味? それともプレゼント用?」
そう聞きながら巫女は私の胸を揉んできた。くすぐったい。
「プレゼント用、かな」
「そう。それにしても中々のBカップね」
「これは地上の挨拶?」
「そう、これは挨拶よ」
霊夢の息が段々荒くなる。くすぐったいけど挨拶なら我慢しなきゃと思っていると霖之助が霊夢の頭をこつんと叩いた。
「嘘をつくな。それで、誰へのプレゼントだい?」
「お姉ちゃんに」
「そうか、それならいいものがある」
霖之助はカウンターの隅に飾ってあった花瓶を引き寄せた。
「この花は少し前に、霊夢が幽香という妖怪に買わされた花で、ボタンという。花言葉は『姉妹愛』。どうだい? ぴったりだろう」
薄いピンク色の大きな花だった。大多数はこれを可愛いというのだろうか。
「これはいくら?」
「そうだね。これは元々霊夢が買ったものだから……霊夢」
「ん? 別にいいわよ。霖之助さんにあげたものなんだし――いやちょっと待った!」
霊夢はがしっと私の両手を握りしめた。
温かな手だった。
「お、お譲ちゃん。はぁはぁ。お、お姉ちゃんといいとこ行こっか……はぁはぁはぐっ」
「やめなさい。この子は常連さん候補なんだぞ」
私は常連さん候補らしい。
霖之助に小突かれた霊夢は「う~ん」と唸った。
「それじゃあ」
霊夢の意外と華奢できれいな手が伸びてきた。
そのまま頭の後ろを抑えられて、引き寄せられた。優しい手つきだった。
霊夢は意外と背が高かった。地霊殿ではお空の次に背の高いはずの私が見上げる形だった。
ふわっといい匂いがした。
「ほっぺにちゅーでいいわ」
「それでいいの?」
「もちろん」
私は少し戸惑ったが、霊夢の頬に口をつけた。
霊夢は「うんうん」と満足げに頷くとにこっと笑った。
「買った時も売った時も得したわ。これぞ両得」
霖之助は花瓶から花を抜き、大きな雑誌を割いて円錐に丸めた。そしてそれに花を丁寧に包み、上からきれいな包装用紙をかぶせた。
「包装用紙の下は見てくれが悪いから見せない方がいいだろう。見せて手渡したら早く花瓶に入れるように勧めるんだ」
「わかった」
私は花を受け取った。独特の甘い匂いがした。
「霖之助さん、私も行くわ。まだ用事があるし」
「そうか」
「異変でもあったの?」
私が聞くと霊夢が首を振った。
「阿求に相談があってね。少しは私も学を増やそうかと思って」
「へぇ」
「それじゃ霖之助さん」
「あぁ、また来るといい」
霊夢が店を出る。
私も用事がすんだので霊夢の後を追って外に出た。
「じゃあね、地底のお姫様」
店の玄関先で、霊夢はそんなことを言って飛んで行った。店の奥から「またのご来店をお待ちしております」という声が聞こえてくる。
お燐は店の近くでこちらを窺っていたのかすぐにこちらに走り寄ってきた。
どうやら心配してたみたいだ。
「ごめんねお燐」
「もうあの店に行っちゃ駄目ですよ」
「でも私常連さん候補だし」
「駄目ったら駄目です。わかりましたか?」
お燐は少し心配症な気がする。
太陽は天辺からゆっくりと滑り降りていた。風が流れて手に持った二つの花から甘い匂いが漂った。
―――――――――――――
地霊殿についた私たちは早速貰ってきた花をお姉ちゃんに見せに行った。
お姉ちゃんは私室で本を読んでいた。
「お姉ちゃん」
私が声をかけるとお姉ちゃんはこちらを一度だけ見て、また本に目を戻した。
「お帰りこいし。どうしたの?」
そういえばまだ『ただいま』を言っていなかった。
でもそんなことよりも大事なものを私は抱えている。
「これ、地上で買ってきたんだよ」
「そう」
花束を差し出すと、お姉ちゃんはクスッと笑った。
「ありがとうこいし。お燐、花瓶に活けておいて」
「は、はい」
それだけ言うと、お姉ちゃんはまた本を読みだした。
「ね、ねえお姉ちゃん。その花の名前、知ってる?」
「知らないわね。でもきれいでいいじゃない」
「ボタンっていうんだよ。花言葉はね……」
「ごめんなさい」
お姉ちゃんは三つめの目を開けると私とお燐を眺めた。
「興味ないわ」
本に目を戻すお姉ちゃんに私は「そっか」と呟く他なかった。
お燐は花瓶を取りに行き、手持無沙汰の私はそこに馬鹿みたいに突っ立っているだけだった。
お姉ちゃんの部屋を出た私とお燐はリビングに足を向けた。ペットの地獄ガラスの一匹に紅茶を淹れてもらい、それを口に運んだ。
薄くて熱くて、味気なかった。
「あの、こいし様」
「ん?」
「さとり様は表情に出すのが苦手なだけで、内心では凄く喜んでいるんですよ。だから……」
「いや、足りなかったんだよ」
私が「うん足りなかった」と繰り返すとお燐は「へ?」と気の抜けた顔をした。
「やっぱりプレゼントって気持ちだよね。ちゅーの一回で貰えちゃうような花なんて、やっぱ駄目なんだよ。もっと自分を切り売りするっていうか……リスクの伴うものじゃないと価値もないんだよ。きっと」
「いやそれは流石に」
「うんそうだ。甘かった。花なんてよく探せば所々に生えてるし、お姉ちゃんも価値が低いって思ったんだよ」
「違いますよ! さとり様は――」
お燐は何かを言いたそうな顔をした。
でも、私にはその気持ちを読み取れるはずもない。
「お燐、私プレゼント探しに行くよ」
「今からですか? 日が暮れますよ」
「また何日か戻らないかも。それじゃ」
「ちょっと待ってください! 私も行きますってば!」
「え? 何で」
「何でってそんなの心配だからに決まってるじゃないですか」
お燐は「はぁ」と大きくため息をついた。
「それにお一人で良い贈り物を選べますか? 一人、優秀なお供が必要でしょう」
そういえばそうだ。
「長旅用の支度をしてきますから待っててくださいね」
お燐はぴょんと私の頭上を飛び越えて走って行った。
少ししてから軽い肩掛け鞄を携えたお燐と旅に出た。
「さとり様には言わなくていいんですか?」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんは私のことなんてどうでもいいだろうし。だからこそお姉ちゃんに私を認めさせてやるんだ」
「こいし様は誤解しています。さとり様は本当にこいし様を大切に思って……」
地底を出て、森を歩いているとお燐が長々と話を始めた。
正直どうでもいい。それはお燐の主観だろうし、他人の認識なんて心底興味ない。
大事なのはお姉ちゃんが私を認めてくれて、凄くいい笑顔で「ありがとう、こいし」と言ってもらうこと。
つまり大事なのは結局自分。自分が納得できないと駄目だ。
自分が納得するためにはお姉ちゃんの信頼を勝ち取らないと。
「ねえお燐、お燐は他人を好きになった時ってある?」
「え?」
話の腰を折られたお燐は呆けた顔をした。
「えぇと、あるにはありますが」
「そう。その子をどうしたい?」
「どうしたいって……」
お燐が困った顔をした。
そんなに深く考える必要ないのに。何考えてるかわからないけど。
「毎日顔を見たり、話をしたり、手をつないだり、ちゅーしたり、ぎゅってしてみたり……こう考えると結構ワンパターンだよね。ねぇお燐」
「そんなことないですよ。もっといろいろ」
「いろいろって?」
「えーと例えば私が好きなだけでは駄目じゃないですか。相手も私を好きになってもらわないと。そしたらプレゼントあげたり貰ったり。一方通行の時よりパターンも二倍ですよ」
「つまり、二人の時間が欲しくてさらに好きって気持ちも確かめたいわけだ。だったら単純だよ。その人を自分しか知らないところに閉じ込めちゃえばいいんだよ」
本当に、何でみんな気がつかないんだろ。こんな簡単なことに。
「これならほら。二人の時間がたくさんできるし、相手が自分を本当に好きか確かめられるよ。好きなら嫌じゃないはずだし、嫌なら好きじゃないって話だよ」
「こいし様は極端すぎますよ。閉じ込められて平気でいる奴なんていませんって」
「愛のためなら何とかなるんじゃないの? 『愛のために命をかける』ってよりは全然ハードル低いじゃん」
駄目なら大した愛じゃないってことね。
振り向くとどうしてか、お燐が辛そうな顔をしていた。
どうしてだろう。何か傷つけることを言っちゃったかな。
「……では、こいし様に好きな人はいますか?」
「そうだね、お姉ちゃんが一番かな」
「なら、こいし様はさとり様をどこか知らないところ――地底の地の底までさらって閉じ込めて、自分のものにしたいですか?」
ぴたりと、自然に足が止まった。
そういえば私はそんなことを考えたことはない。おかしいな。
他人の恋愛観を聞いたときに思ったことと、自分が主体になった時に思うことは違うのか。
やっぱり生き物って不思議。
見上げた空には大きな満月。
今夜はもっとも妖の力が高まる望月の夜だ。
だったらこの臭気も見当がつく。
「……お燐は気づいてるよね」
「えぇ、まぁ」
「近くに死体があるのにわくわくしないの?」
「こんなに強い匂いなんですから、ズタズタのボロボロに決まってますよ。コレクションに適しません」
「そっか」
お燐は相変わらず気難しいな。
「じゃ行こっか」
「あの、価値のあるものって何か当てがあるんですか?」
「結構考えてるよ。可愛いはもう疑問だけど、役に立つものや珍しいものがいいかな。天狗の扇とか、吸血鬼のティーカップとか」
「そりゃまたハイリスクですね」
それくらいじゃないと意味がない。
木の枝を退かすとお燐がふんふんと鼻を動かした。
「こいし様、妖の臭いがします。あとさっきと同じ血の臭い。どうします? このまま行くと鉢合わせになりますね」
「どのくらい離れてる?」
「まぁ百メートルくらいですか」
「凄いなぁ。私は全然わかんないや」
「あたいは鼻が利きますからね」
お燐は得意げに言った。
「もう少し近づけば相手も感づくでしょうから、あまり余裕はありませんね。面倒ですしやり過ごし――」
ボッと物凄い勢いで茂みから何かが飛び出した。
お燐は寸前でそれに気がついたらしく素早く身を屈ませてそれを回避した。
真っ黒で大きな何かは勢いを殺さず木を粉砕して姿を眩ませた。
「お燐、百メートルじゃないの?」
「すみません。どうも罠にかかっちゃったみたいです」
ズズンと煩い音を立てて樹木が倒れる。
お燐の背中は血で真っ赤に染まっていた。避けきれなかったらしい。
しかし不意を突ついてのあの速さ。致命傷じゃなかっただけでも十分凄い。
私たちの周りをガサガサと数匹の何かが走り回る。
「強い血の臭いを撒き散らしてこっちの鼻を鈍らせて――血肉を引きずった一匹が適当に歩き回って囮になり、気配と臭いを殺した数体が不意をついて仕留める。立派な原始人ですよ」
「原始人なの?」
「いえ、完全な妖怪じゃなく獣が妖怪化する前の妖蘖の類かと」
すっくとお燐は立ち上がった。見た目よりダメージはないらしい。
「傷はどう?」
「えぇ大丈夫ですよ。相手にするのも面倒ですしね。逃げますか」
「そうしよう」
まずお燐が走り出した。
獣の群れも後を追っていく。合計四匹。山犬か狼か。まぁどっちでもいい。
私は最後尾を走り、前にいる獣の足を狙って適当な弾幕を放つ。
獣たちは足が折れ曲がってから初めて、背後の私の存在に気がついたみたいだった。
「お燐、前のはあなたがやって」
「了解です」
お燐の両手が燃え上り、そこから無数の針が放射状に吐き出された。
丁度出てきた五匹目――囮役の獣が全身をサボテンみたいにして茂みに転がった。
そのまま止まらず走る、走る。
森の所々で『ギャンギャン』という鳴き声が聞こえてきた。
そこから離れて移動すること数刻。今夜は川辺に泊まることにした。
所々にネジや作りかけのまま放置されている絡繰があることを見ると、どうやら河童の里に近いらしい。
お燐は血の臭いを落とすために沐浴し、私はなんとなく水浴びをした。
そしてお燐が焚いた火を囲んで体を乾かしつつその日は就寝した。
満点の星と真ん丸の月に見下ろされながら寝るのはかなり落ち着かなかった。
次の日の朝、私とお燐は捕ってきた魚を焼きながらプレゼントについて考えた。
お燐曰く「さとり様はこいし様があげた物なら何でも嬉しいですよ」とのこと。
やっぱお燐は信用できないなぁ。
「あっこの魚意外と美味しい」
「そうでしょう。この季節が丁度旬なんですよ」
「へぇ」
腸の苦味とか凄く癖になる味。旬のものって言われてもピンとこなかったけど、美味しいに越したことはない。
お燐は焚木に土をかけ、魚の骨を丁寧に埋めるとその跡を均した。几帳面。
「で、結局何を手に入れに行くんです?」
「蓬莱の玉の枝」
大秘宝の一つ。
今は永遠亭という、竹林奥の屋敷に住む奴が持っているらしい。
「いや無理ですって」
「大丈夫だよ。気づかれずに持ってけば犯人なんて分からないし」
そうと決まれば行こう。
私が歩き出すとお燐も急いでついてきた。
「なんで蓬莱の玉の枝なんですか?」
「リスクも高いし、なにより凄く珍しいじゃない。持ってるとそれだけで霊力が高まり寿命が伸びるっているし」
「霊力って、あたいらには関係ないじゃないですか」
「む、関係はちゃんとあるよ。妖怪だって妖力と霊力を併せ持っていて――人間の場合、肉体を支える力が気力だとすると、妖怪は妖力。精神を支える力は人間も妖怪も霊力。妖怪は霊力を伴った攻撃に弱い特性を持つのが普通だから、蓬莱の珠の枝はちゃんと意味があるよ」
「すみません。あたいでも分かるように説明してください」
「蓬莱の珠の枝で紙の盾から鉄の盾へ」
そこまで効果があるのかはわからないけど、お姉ちゃんは心が強いから霊力は強いはず。鬼に金棒だ。
「はぁ、何となく分かりました。意外と博学なんですね」
「伊達に暇人してないよ」
ホントは目の開きかたを調べていた途中で学んだ事なんだけど、調べたものは全部お姉ちゃんに捨てられちゃったからもうほとんど覚えてない。
竹林を通ってもう少し歩く。さっきと同じ場所に出た。
今度は注意しながら先を急ぐ。また同じ場所に出た。
恐るべし迷いの竹林。
「参りましたね」
「そうだね」
竹林に入れば同じことの繰り返しだろう。私たちは竹林にそって里方面に回ることにした。
人が永遠亭を利用するには竹林に入るしかないのだ。
きっと里の方に入口があるのだろう。
しばらく歩いて、やっと竹林と森の境目が離れて、開けた場所に出た。
木に紛れて里は見えないが、ここから真っ直ぐ歩けば人里だ。この地点が里と永遠亭の直線上だろう。
「こいし様、人の気配がしますよ」
「面倒だね。食べちゃえ」
「強くて偉い人にあたいが食べられちゃいますよ」
冗談はさておいて、かなり妙だ。
ここから里はあまり離れてはいないが、人が諸っ中訪れるようなところでもない。
酷い病を患った者がでた時だけ永遠亭に医者を呼びに行くために設けられた道なのだから。
「とりあえず行ってみよっか。病人だったら親切できるし」
「安楽死させるのは親切と違いますよ」
あれ? そうなんだ。
勉強になった。
「む、煙が」
お燐の声で上を見上げると、確かに薄い煙が漂っている。何かを燃やしているのだろう。
煙の発生源を目指して歩くと、一軒家が現れた。
木造の古い造りで、しかし頑丈そうな家だった。家は丈夫そうな柵で周りをぐるりと囲まれている。柵の内側の庭の片隅は小さな農園になっていた。
その家の裏から煙は昇っている。
「こんなところに住むなんて変人か何かですね」
「何かって、何?」
「人じゃないもの、とかです」
「それじゃ私が覗いてくるよ」
私が行った方が確実だし。
進みだして、あることに気がついた。家のまわりだけ大きくて軽い石ころが満遍なく敷かれている。
その上を歩くとジャリッジャリッと耳に障るくらい大きな音が出る。
きっとここに住んでいる者はそういうものと争うのに長けている奴だろう。まぁ浮けば問題ないのだが。
私の足はふわりと地を離れた。そのまま柵に近づいてみる。
リンリン、リンリン、リリリリリと今度は鈴の音が聞こえた。
よく見ると柵には一定間隔で鈴がぶら下げてある。どうやら私が浮くのに使っている妖力に共鳴しているようだった。風が吹いても揺れないのにおかしいと思わなかった自分が馬鹿みたい。
私が「しまった」と呟くのと家の陰から火の玉が飛んでくるのは同時だった。
「こいし様!」
お燐の声が後ろから聞こえた。
私は火の玉を咄嗟に払って、柵を蹴って大きく後ろに跳躍した。
一つ二つと飛んでくる火の玉を避けつつ、同じ火の妖術で相殺して体制を立て直す。
髪にカスったのか、ちりちりと焦げる臭いがした。
「へぇ、中々やるじゃん。あんた」
柵の向こうに、銀色の髪が翻った。真紅の瞳に纏う炎が揺れる。
「あなたはここに住んでいる……人間?」
「そう。ちなみに何で人間を疑問形にするのさ」
「だってあなたから人の匂いがしないんだもん」
「失礼な奴」
火を払った右手がひどく痛む。地獄の炎で負った火傷でもすぐに治るのに、真っ赤になった右手は再生の兆しを見せない。
「それで、私に何か用? 喧嘩したいなら安く買ってあげるけど」
「お姉さんちょっと待った!」
私を庇うようにお燐が立ちふさがった。
「あたいらは別に怪しいもんじゃないよ。ただ永遠亭に行きたくて、近くに住んでるなら道を知ってないかと思ってね」
「あらそうなの。だったら怪しげに気配まで殺して近寄らないでよ。誤解するじゃん」
そうは言っても決して警戒を解こうとはしない。やっぱり場慣れしている。
「気配は消したくて消してるわけじゃないよ。こういう体なの」
「はん、いろいろな奴がいるんだな。ところで、あんたら名前は」
「こちらが古明――」
「あぁ? 自己紹介も自分でできないの」
物凄い剣幕で睨まれる。
お燐が息を飲んで竦み上がった。
「わ、私は古明地こいし。地霊殿の長の妹」
私はトラウマも相まって相手の敵意とか憎しみとか負の感情には敏感だ。
こんなに真っ直ぐ怒りを叩きつけられたのは久しぶりでビックリした。
妹紅は古明地という単語を聞いた瞬間に目を見開いた。
私のこと――いや、お姉ちゃんのこと知ってるんだ、きっと。
何者なんだろう。
「あたいは火焔猫の燐。よろしく」
「私は藤原妹紅。ここで永遠亭までの道案内と里で焼き鳥屋をやってる。よろしくね」
今度は「にっ」と笑って私とお燐に握手をしてきた。
私たちのこと知ってるのに、怖くないのかな。
ほんと人間ってわかんない。
「ところで永遠亭まで、道案内の代金を貰いたいんだけど」
「えぇ!? お金!?」
お燐は素っ頓狂な声を上げた。
「いくら?」
「気持ちでいいよ」
そっか。私の気持ちか。
私はお燐のポーチから私の財布を取り出した。パンパンに膨らんだ財布。お小遣いをもらってもほとんど使った試しがない地底での通貨。
お姉ちゃんの――古明地さとりの妹だからという理由で「お金は取れない」の一点張り。
お金くらい払うのに。
「これでいい?」
「ちょっこいし様!?」
私は財布を妹紅に渡した。
妹紅は財布を開くと首を傾げた。
「見たことない貨幣だね。いくら分の価値があるの?」
「地底での通貨。上等なお酒を十年くらい飲んでいける分はあるよ」
「へー、いいのかい?」
「あなたが人間だっていうなら、地底に来たとき役立つと思うよ」
「違うよ。こんな大金、出会ったばかりで――しかも酷い火傷を負わされた怪しげな女を信じて、そんでくれてやろうっていうの?」
腕は熱い。痛い。
お燐は私の袖を引っ張りながら小声で「多すぎますよありえませんよ」と繰り返している。
お金なんてなくても困らないのに。
「いいよ。私の気持ちだもの」
「よしお前気に入った。ついてきな」
「こーいーしー様ー!」
お燐ちょっとうるさい。
妹紅は私の腕をとって火傷の具合を見た。
「痛むだろう?」
「うん」
妹紅は笑って「そうか」と頷いた。
そして一枚札を取り出して火傷している部分に当てて力を込めた。札が光って私の火傷は吸い取られるように消えていく。
「どう、まだ痛む?」
「んー」
さっきまでの痛みが嘘みたいに消えている。
跡もない。
「治った」
「そうだろ。凄いだろ」
妹紅が竹林に歩き出した。
私とお燐も後に続いた。
「長く生きてると色々身につくもんさ。若い頃は常時サバイバルみたいなもんだったからね」
「あなたっていくつ?」
「レディに歳を聞くのは失礼ってもんだよ」
「けれどお姉さん、人の臭いがしないだけじゃなく……さっきの術もあたいらに近いような感じがしたね」
それは私も思った。
妹紅は笑って首を振った。
「長生きすると色々身につくもんさ」
妹紅の後を追って歩いて行くと不思議なことにすぐに大きな屋敷が見えた。
お燐が「はー」と大きく息を吐いた。
「ここからじゃないと私でも迷うんだよ。空飛んでもカモフラージュされてて見えないし」
「何で?」
「永琳の趣味」
「誰?」
「ここの医者。自称『天下の名医』。他称『変人』」
凄いのか凄くないのか分からないや。
「ところで、あんたら具合も悪くなさそうなのに何の用?」
「えーとね、『蓬莱の玉の枝』を盗みに」
妹紅の足がピタリと止まった。
「ごめん、もう一度言ってくれる?」
「だから、『蓬莱の玉の枝』を盗みに」
妹紅はしばらく無言で立っていたが、やがて「ぷっ」と吹き出した。
「そうか。あんな物を盗りにか。そうか」
「どうかしたの?」
「ちなみに、盗ってどうする気?」
「お姉ちゃんにプレゼントするの」
言うと妹紅はまた吹き出して、笑い始めた。
お燐が声を荒らげた。
「何がおかしいのさ」
「いや、何時の時代も……まったく。どうかしたのって、あんたらの方がどうかしてるよ」
妹紅はもう一度「どうかしてる」と呟いてうつむいた。
何故か妹紅の顔は昔、大事にしていた光石をなくしてしまったときのお空の顔と被って見えた。
屋敷の門前につくと妹紅は大声で「妹紅が来たぞー! ついでに客も来たぞー! うおー輝夜ぶっ殺してやる」と叫んだ。
私とお燐は呆気にとられた。そのまま黙っていると大きな門が開いた。
「おっす妹紅、久しぶり」
出てきたのは小さな兎だった。
妹紅は「よう」と手を振った。
「ところで輝夜はどうしてる?」
「さぁ、暢気に和菓子でも食べてると思うよ」
「何でお前が知らないんだよ」
「だって私じゃ中々合わせてもらえないしね。一週間に一度、見れたらその日はラッキーデーだよ」
「物凄く目障りなラッキーデーだな」
「ところで後ろのがお客さん?」
兎はお燐を見た。そして私に視線を移した。
初見で私を見つけるとは。外見とは裏腹にかなり出来そうな兎だ。
「お師匠様は今お仕事中だから少し待ってもらっていい? 診察、鈴仙様でいいなら過労死寸前なのをさらに酷使させるけど」
「いやそれが、輝夜に用があるらしくてね」
「姫様に? どこからのお客様?」
「地底の……地霊殿だっけ? かなりいいご身分みたいだけど」
「地霊殿!? 今日はちょっと都合が悪くてほんとごめんなさい一昨日来て下さい!」
門を閉めようとする手を妹紅が押さえた。
兎は妹紅にひょいと担がれてじたばたと手足を振り回して暴れた。
「何するの! 妹紅だって知ってるでしょ!? 地霊殿ったら、あいつの関係者じゃん!」
「あぁ、古明地こいしだって。あいつの妹らしいぞ」
「ぎゃあああ! いやあああ!」
いつの間にか集まっていたたくさんの兎たちが小声で「地霊殿って何?」「わかんない」「てゐ様怖がってる」「でも妹紅様笑ってる」「怖くて楽しい?」「なにそれ不思議」とか囁き合っている。
やっぱり一部しか知らないんだ。
「なぁてゐ。それよりもっと面白い話があるぞ」
「面白くない……ちっとも面白くない……」
半泣きだった。
「まぁ聞けって、あのさ」
妹紅はこそこそとてゐと兎に耳打ちした。
てゐは目を見開いて妹紅を見た。
「妹紅、平気なの?」
「あぁ平気だよ」
妹紅は表情を曇らせてそういった。
地面に下ろされた兎はようやく落ち着いた様子で、ビクビクしながら私に向き直った。
「え、永遠亭の地上の兎管理を任されている因幡てゐといいます。以後お見知りおきを」
「うん、よろしくね」
「あたいは火焔猫の燐。よろしく」
てゐはじっと私たちを見比べた。警戒心の塊だ。
「こいつら多分いい奴らだから大丈夫だよ」
妹紅が軽い調子で言う。
「……猫被ってるだけじゃないの?」
「おいおい御チビさん。そりゃあんたらだって一緒だろ?」
兎被るとか人間被るとかは言わないなぁ。不思議。
てゐの警戒がさらに強くなる。お燐が余計なことを言うから。
「火焔猫は別にして、そいつさとりと同じなんでしょ?」
「ん? 私は他人の心を読むような能力はないよ」
「嘘つき」
「本当だよ」
「ずっと気配を消してるのはなんで」
「そういう妖怪なんだよ」
「……うぅん」
てゐは眉を潜めて唸った。
「さとりに妹がいるっていうのは知ってたけど……」
「ねぇ、お姉ちゃんってどんな人?」
「それは妹のあんたが一番知ってるでしょ」
「あなたのイメージでいいから、教えて」
てゐは眉を顰めて悩んだ。
「実は私、ずっと昔に会ったことがあるんだよね。会っていきなり心を読まれて、居心地悪いやら気味が悪いやらですぐ逃げちゃったけど」
「どんな話をした?」
「ご想像にお任せしまーす。さぁ、お客様って事はちゃんと招待しなきゃいけないし――立ち話も何だから入りなよ」
てゐは私たちが敷地に入るのを確認して門を閉めた。
「ようこそ、永遠亭へ」
永遠亭は大きかった。本当に大きかった。
門や柵からかなりのお屋敷だろうと思っていたのだが、想像以上だった。
「こいし様、何かおかしくないですか」
「うん、おかしい」
おかし過ぎる。何でか広すぎる。お屋敷の入り口は奥ゆかしい風流な玄関だったが、もうそこからおかしかった。
引き戸を開けた瞬間ぎょっとした。外枠より玄関の方が大きかった。
私も言ってて意味がわからない。例えば押し入れを覗いたら無限の空間が広がっていた――とかそんな不思議な国のアリスみたいな雰囲気。明らかに外見よりも中のほうが大きい。
廊下なんて向こうが霞んで見えるし働いている人型兎も多い。大量の病室も完備され、リハビリテーションという札が下がっている部屋なんて百畳以上はある。その中に様々な機具が置かれていた。
もう何が何だか分からない。
「迷子になったら面倒だから離れないでね」
第251病錬という看板が見えた。こっそりと左折してみるとこれまた霞んでいく廊下にずらっと病室。
アリの巣みたいだ。
「こんなに病室いるの?」
「どう考えても要らないよ。里の人間全員押し込めてもまだ百分の一も埋まらないし」
「うわー」
「お燐も入る?」
「あたいは遠慮します。地底にも病院紛いのものはあるんで」
行って無事で帰ってきたものはいないって評判の診療所だよね、それ。
てゐの後をついて行く。右に曲がって襖を開いて、左に曲がって襖を開いて。
もうどう来たか分からない。
また少し歩いて襖を開けると、広い部屋に出た。
「お茶とお菓子、座布団を四人分持ってきて」
てゐは後ろをついてきていた兎たちにそう言い「ここで待ってて」と私たちに呟いて奥の部屋に入っていった。
「凄いところだね」
「迷わないんですかね」
「ぐにゃぐにゃしてるのは永琳テリトリーだけだよ。診療室とか普通の兎たちが歩いているところは大廊下にあって以外と単純なんだ」
「妹紅詳しいね」
私が言うと妹紅は「まぁな」と難しい顔をした。
この部屋は大体五十畳くらいで部屋の向こうは上座になっている。
私たちはお客様ってことなので低いところに座るべきなのだろう。
飛ぶように走ってきた兎たちが上座の向かいに、高いお盆と竹でできた針、お茶、真ん中に綺麗なお花のお菓子を三つ置いた。
並べられた座布団に座って、私とお燐は周囲を見渡した。妹紅だけが暇そうに欠伸をしている。
「こういうのって、お姫様が先に待ってるべきじゃ」
「お燐、固いことは言わない」
重役出勤って言うじゃん。
「あんたらさ、盗るっていうのにこんな堂々と会っていいの?」
「そういえばそうだね」
「ちょっ何か案があったんじゃないんですか!?」
「なんだか流れでこうなっちゃった」
失敗失敗。
その時襖が開いた。てゐだった。
「暇だから来てくれるってさ」
「今日はラッキーデーだったわけだ」
妹紅がケタケタと笑うとてゐも「そういえばそうだね」とケタケタと笑った。
「私は仕事に戻るよ。姫様をよろしくね」
てゐはそう言って、後ろの襖に入っていった。
しんと部屋が静まり返る。
「思ったんですが、お供もなしで姫様単身お客に会うってのもおかしな話ですよね。刺客とかだったらどうするんでしょう」
「腕に自信があるとか」
流石に襖の後ろ側とかに警備の兎が待機してるだろうけど。
「あいつは殺される心配がないから、お供なんて必要ないのさ」
妹紅が呟くように言った。
「蓬莱人だから?」
「知ってたのか」
「蓬莱人は肝――心の臓が弱点って聞いたことがあるけど」
「なんじゃそりゃ。こっちが初めて知ったよ」
妹紅の言葉が終わらないうちに、襖が開いた。
綺羅びやか、というのだろうか。見るからに上質な着物。
膝まである鴉の濡羽のような髪。
そして白い肌に整った顔立ち。
なるほど、姫っぽい。姫なんだから当然か。
「ようこそ、永遠亭に。頭首の蓬莱山輝夜です」
そう言って、会釈。
「あ、古明地こいしです」
「火焔猫燐です」
私とお燐も思わず会釈。
輝夜は訓練されたような、優雅な動きで私たちの対面に座った。
なんというか、正座の座り方まで美しいよ。
「どうぞ召し上がれ」
そう言われて、手をつけてない和菓子の事だと気がついた。
「お、お構いなく」
お燐が慌てて言った。こういう場に慣れてないんだね。
私とお燐はお茶を啜って和菓子を竹細工の串みたいなので分けて口に運んだ。
美味しいんだろうけど味が分からない。
「妹紅も食べたら?」
「毒入りなんて食えるかよ」
「あらあら、何でわかったのかしら」
くすくすと悪戯っ子みたいに笑う輝夜と不機嫌な顔で睨む妹紅。
仲良さそうだなぁ。
「どっ毒!?」
「大丈夫よ。あなたたちのには入ってないから」
お燐がほっとため息をついた。
「で、こいつらが何のために来たかって、てゐに聞いた?」
「さぁ、珍しいお客さんが来たってしか聞いてないわ」
「だったらお前、驚くぞ絶対」
妹紅が愉快そうに笑う。
「期待していいのかしら」
「もちろん」
輝夜は私たちに向き直った。
お燐がびくっと跳ねた。
「それで、私に何の用かしら」
にこっと美しい微笑を向けてくれる。
なんだか言い辛い雰囲気だなぁ。
「それよりさ、私のこと嫌じゃないの? 私は古明地さとりの妹だよ」
「あなた心を読めないでしょ」
私はドキリとして言葉を失った。
輝夜に笑顔のまま続けた。
「さっきからいろんな妄想をしてるのに全然反応してくれないのだもの。つまらないわ」
あらら、そういうこと。
「あたいらが何をしに来たか、逆に当ててみてくださいよ」
「ん? そうねぇ。お命頂戴、とかかしら」
「命より大事なものかも知れませんよ?」
「そう、命より……おやつのりんご飴でも盗られるのかしら。楽しみにしていたのに。それともお昼ごはん? 夕飯まで持つかしら」
結構真面目そうな顔で言われると笑えなくなるんだけど。姫様ジョークはわからない。
「ほら、そろそろ言ってやんなよ」
「う、うん」
輝夜の笑顔の視線とお燐の「やっぱ帰りません?」的な視線が痛い。
でも遅くなっても言い出し辛くなるだけだろうし。
「あの、失礼かもしれないけど」
一度輝夜を見てから続けた。
「あなたの持っている『蓬莱の玉の枝』を貰いにきました」
しん、と部屋が静まり返った。
輝夜はきょとんとした表情で固まった。
妹紅だけが笑いを堪えて必死のようだった。
「……蓬莱の玉の枝を」
「うん。貰いに」
「……驚いたわ」
輝夜は「はぁー」と息を長く吐き出した。
「因みに、貰ってどうするのかしら」
「お姉ちゃんにあげるの」
「そう。贈り物ってわけね」
輝夜は妹紅を見た。
妹紅はにやりと笑った。
お燐も私も逃げる準備は万端だった。
協力して後でどうにか奪取できればそれでいい。この場で無茶なことをしても意味はない。
輝夜は少し何かを考えていたがやがてにっと笑った。
私とお燐は膝を立てた。
退却準備よし。
「あはは、わかったわ。差し上げましょう蓬莱の玉の枝」
私とお燐は輝夜が何を言ったのかわからなかった。
輝夜は「これ」と襖の後ろの兎を呼んだ。
私は馬鹿みたいな顔で膝立ちのまま動けなかった。
「あの」
「何かしら」
「いや、えぇと」
お燐は言葉が見つからないのか会話にならない会話をしていた。
やがて慇懃な台座みたいなものに燦然と光り輝く物が持ってこられた。
「凄い」
お燐はそう呟いた。
たしかに凄い。
何から何まで輝いている、宝石でできた杖のようなものだった。
色とりどりの大なり小なりの宝玉が枝を型どったものに散らばっており、薄く霊力のようなものを纏っている。
まさに宝。納得の品だった。
でも。
「ねぇ」
「何かしら」
はっきりさせなきゃいけないことがある。
「これは、大事なもの?」
輝夜はにやりと笑って答えた。
「まさか。それより凄い物がもう手に入ったもの。大した事はないわ。気にしないで持って行きなさい」
にこっと、どこまでも綺麗で美しい笑顔。
人を小馬鹿にしたような。
貧しい人を憐れむような。
「もういらないから、あげる。心の貧しいものには丁度いいでしょう。人に施すのもボランティアだわ」
そう。そうなんだ。
もういらないからあげる。
心が貧しいから施してあげる。
「こ、こいし様」
お燐が不安そうな表情でこっちを見ている。
私が何を考えてるか、お燐はわかったようだった。
お燐、ごめん。たくさん怖がらせちゃったのに。
「やっぱり、いらない」
「あら、何で」
だって、こんなに簡単に手に入って――他人のお古で――いらないとか。
ふざけないでよ。
そんなの宝じゃないよ。
「その代わり、あなたの一番大事なものをもらっていく」
これだけ舐められて我慢できるか。
流石に頭に来た。
「ふーん。そう。でもあなたたちには荷が重いかもしれないわね」
ちらりと視線を移す輝夜に合わせて、私もそっちを見た。
妹紅が部屋の隅でしょぼくれていた。
というか、肩を震わせている。
「も、妹紅?」
私が呼んでも妹紅は反応しない。
泣いているのか「畜生どいつもこいつもお父様を侮辱しやがって」というつぶやきが聞こえた。
何の事だかさっぱり。
「無理して平気な振りをするからそうなるのよ。あなたの一番のトラウマだっていうのに」
「……妹紅は置いておいて、あなたの本当の宝はどれ? 白状しないと」
無茶な逆上だってわかってる。悪いのは全部私だ。
輝夜からすれば理不尽だろうけどやっぱり我慢できない。
「はぁ、気がつかないのね。まぁ価値観なんて人それぞれだろうけれど。それより白状しないとどうなるのかしら」
「どうなると思う?」
私は怒りを持っても他人にそれが伝わることはない。
目が柔らかくなっているけど、それを認めたくない。
「わからないわ。楽しそうだから試してみようかしら」
カチンと来た。
そう。
それならお望み通りに。
私は畳を軽く蹴って輝夜の懐に踏み込んだ。
輝夜はきょとんとしていた。
当たり前だ。私には気配がない。次の動作が読みにくい。
だから。
ずぷっと心地よく、暖かい感触が右手に広がった。
防げないでしょ。
手のひらにはトクン、トクン、という感触。暖かくて、優しい手触り。
輝夜はまだきょとんとしていた。
私の右手は輝夜の胸倉を容易に貫通した。引きちぎって握りこんだ心臓がまだ懸命に鼓動を打とうと痙攣していた。
もう死ぬしかない輝夜の体には興味ない。
私が右腕を引き抜くと輝夜は覚束ない足取りで数歩下がってがくっと膝を落とした。
輝夜の心臓は綺麗に赤みがかっていて、宝石みたいだった。
「お燐、蓬莱人の死体だよ。コレクションには最適でしょ」
「は、はい。確かに貴重です。早くとんずらしましょう」
妹紅はまだ隅っこでブツブツ言ってる。
ごめん。友達殺しちゃって。
後で謝るから遊びに来てね。
「じゃ、帰ろう」
右手に持っていた輝夜の心臓の感触がなくなった。
見ると砂と灰を混ぜたもののように、ざぁっと消えて無くなっているところだった。
「……あれ?」
ズドッと体を貫く衝撃。熱い鉄の棒をお腹に突き立てられたような激痛。
私は為す術も無く頭を畳にぶつけて転がった。
痛みに目を向いて後ろを見ると胸に穴を空けた輝夜が微笑みながら立っていた。
「急に殺されるとビックリするわ」
「蓬莱人って心の臓を抜き取られると死ぬんじゃなかったっけ?」
「さぁ? まともな蓬莱人はそれで死ぬかもしれないわね」
「あなたは何なの」
輝夜は数歩足を進め、台座に置かれていた蓬莱の玉の枝を手に取った。
「化物かしら」
蓬莱の玉の枝が光るのと同時に私は思いっきり後ろに跳ね飛んだ。
幾つもの光の槍が輝く。体をひねって避ける。煌めく光。目がくらむ。
じゅっと肩に熱を感じた。
「あっく!」
私は絶叫して転がった。
目を開けると畳が穴だらけになっていた。
肩が熱い。私の肩の先は削り取られて肉と骨が露出していた。
「どうかしら、これの威力は」
クスっと輝夜が笑う。
初めにやられた腹は簡単に再生していくが、光の槍にやられた肩は治らない。
どくどくと痙攣しながら血を吐き出していく。
「妖怪って霊力を伴った攻撃と精神に干渉する攻撃に弱いそうね。これは霊力を伴った光の槍。結構効くはずよ」
輝夜の後ろにお燐が回り込んだ。
次の瞬間輝夜の全身が爆炎に包まれた。
ぼぉっと鈍い音を立てて炎が更に炸裂して部屋の温度が一気に上がった。
肉の焼ける匂いと、髪の焦げる臭いがした。
「お燐ナイス」
「さぁ早く逃げましょうこいし様!」
刹那――お燐の体がびくんと跳ねた。
お燐はふらつき、体制を立てなおそうとして、たたらを踏んだが結局倒れて転がった。
すぐに体を起こして構える――が、膝が折れた。腹部から大量の血が流れ出ていた。続いて、口からどろっと真っ黒な液体が流れ落ちた。
お燐は口に手をやって、白い手にべっとりとついた血を見て呆然とした。
私もお燐も、そこでようやく攻撃されたのだと気がついた。
『アづぃジャなイ、モう』
炎の中、焼けて醜く歪んだ輝夜の顔が蠢いた。
ぼろぼろにめくれあがった皮膚が突っ張って千切れている。
痛みもないのか。
輝夜の手の光と共に炎は霧散して消えた。同時に火傷も回復して元の人形みたいな顔に戻った。
しかし服は再生しないようで、ほとんど裸だった。
「高い着物だったのに。こんなことなら火鼠の衣も着込んでおくんだったわ」
「……綺麗な体してるね、お姫さん」
お燐が引き攣った笑顔でそういった。
「ありがとう。それじゃ、さようなら」
蓬莱の玉の枝が輝く。
長く生きているけど、今まで見た中で多分一番きれいな光だった。
七色の虹が放射状になって――お燐に降り注いだ。
いくらお燐でも、これではもう避けられない。
さよなら、お燐。
私の足がバネのように動いた。
「こいしさ――」
「舌噛むよ!?」
諦めたつもりだったのに、私の体は無意識に動いてお燐に飛びついていた。
びしびしと服や皮膚を光が擦る。熱。痛み。
畳を全力で砕いてそのままお燐を押し倒すように床下に沈み込む。けれど私の体は完全には沈み込まなかったようで、強烈な熱を背中に感じた。
遅れて襖が吹っ飛ぶボゴッという音が聞こえた。
身を起こして穴から出ようとしたが、もう体が動かなかった。
「こいし様! こいし様!」
流石にリスクが高い。失敗したら死ぬかもと思っていたけど。甘く見てたかも。
お燐に引き起こされると、輝夜と目が合った。本当に綺麗な体をしてる。
私の腕を伝ってきた血は私のものかお燐のものか、区別がつかなかった。
逆ギレして返り討ち。
カッコ悪い死に方。
「あなたの宝物は何かしら?」
何を唐突に。
「今の、その子を助けなかったらあなた一人で逃げられたじゃない。何で逃げなかったの。自分から死ぬような真似をして、お姉ちゃんに贈り物はどうなったの?」
「わかんないよ。勝手に体が動いちゃって、訳わかんないよ」
本当に訳が分からない。
もう無駄だって思ったのに。
助けれても、逃げれなきゃ意味が無いのに。
何で。
「戦うにしたって、逃げるにしたってこの肩だもん。どうせダメならお燐を……って何言ってるんだろ。お燐だって怪我してて逃げれないのに。助けても無駄なのに」
ばっかだなぁ私。これじゃお姉ちゃんを笑顔にするなんて夢のまた夢ってわけだ。
私って本当に馬鹿。
ぎゅうっとお燐が抱きしめてきた。
背中が染みるよ。痛いよお燐。
「すみませんこいし様」
「こっちこそ、心中させちゃってごめん」
輝夜が歩み寄ってくる。
あっちは死なない。こっちは瀕死。
相性も最悪の上不意をつかれて大ダメージ。
出直せば対等に戦える自信があるけど、もう無理。
お姉ちゃんさよなら。
「ちょっと待てよ輝夜」
視線を移すと妹紅が立っていた。涙目だが立ち直っている様子だった。
「何? 妹紅」
「やりすぎじゃないか? いくら何でも」
「どうして」
「ほら、弾幕勝負とか、花札とか。勝負ならいくらでもあるだろ。殺すことはないんじゃないか」
「遊びで決めるなんてありえないでしょう? 本当に気持ちがこもっているからこそ、この結末を迎えたのよ」
「けどお前、お、お父様の……あれを、もういらない、とかい、言ってたじゃ」
妹紅がまた崩れそうになった。
輝夜がけろりとした顔で言った。
「あぁ、あれは嘘よ」
「……え?」
「だから嘘」
輝夜は続けた。
「この世に二つと無い伝説の宝具よ? 誰かに渡す訳ないじゃない」
「そ、それじゃあ何であんな」
「ああ言えばこの子たちも諦めるしあなたの泣き顔も拝めるから一石二鳥だと思ったのよ」
「か、輝夜ァァ!」
「落ち着きなさい」
飛びかかってきた妹紅を光が飲み込んだ。
じゅっと音がして、腕だけが畳の上に落ちて転がった。
するとすぐに腕から炎が吹き出した。
炎は人型になり最後に銀髪が煌めいて妹紅を型どった。
妹紅は服も直るようだった。
「いきなり殺すな!」
「いいじゃない。減るものじゃないし」
唖然とする私とお燐に輝夜が言った。
「あなたたちのお陰でいいもの見れたし、暇つぶしにもなったわ。そのお姉ちゃんの話を詳しく話してくれれば蓬莱の玉の枝にも勝るお宝をあげられるかもしれないわよ」
「また嘘」
「本当よ」
輝夜の美しい笑み。
邪気の欠片もない、笑顔。
「とりあえず永琳、何時までも隠れてないでこの子たちを治しなさい。あとイナバたち、この部屋を修復して」
輝夜の声で向かいの襖がガタガタと揺れた。
何だ。逃げても無駄だったじゃん。やっぱり。
ばつが悪そうに出てきた女医はこれまた綺麗な人だった。
永琳という月人は自称にたがわない名医だった。あっという間に私とお燐を直してくれた。そしてすぐに仕事に戻っていった。
話によれば妹紅も不老不死で、蓬莱の玉の枝については並々ならぬ因縁があるらしい。
「……それで蓬莱の玉の枝を」
「うん」
私の方も包み隠さず全てを伝えた。
元々悪いのは私なんだし、許す許さないの権限は輝夜にあるがかなり心の広い人だった。
和風だが綺羅びやかなものが並べられている上等な客室に通された私たちはお茶を啜って話をしていた。
「そうね、多分これをあげてもあなたの姉は喜ばなかったと思うわよ」
そう、思うんだ。
実は私も薄々気づいてた。
「やっぱり、私じゃ命をかけてもダメなのかな」
「そういうことじゃないでしょう。どこぞの巫女が言っていたわ。『女心は開くものじゃない。開かせるものだ』と」
つまり相手からってわけか。
結構深い。
「そして『だからとりあえずお尻を触ってみなさい』と」
一気に台無しだ。
輝夜は「いいものがあったわ」と呟いて座布団から立ち上がった。
長い振袖が翻って、棚に置いていた赤色の大きな宝石と――何故かこの部屋で唯一浮いている、古びた竹とんぼに引っかかった。
私は「あ」と思わず呟いた。輝夜の足元に宝石と竹とんぼが転がった。
輝夜は落ちた二つを一瞥すると、膝を折ってしゃがんだ。
最初に拾ったのは、古い竹とんぼの方だった。
「お前、それまだ持ってたのか」
「何よ、悪いかしら」
輝夜は竹とんぼを飾りなおしてから宝石に手を伸ばした。
「あの竹とんぼは?」
「ちょっと前、竹とんぼを里の子供に配ってたときに現れてな、一個欲しいって持ってきやがった奴だよ。変わってるよな」
輝夜は押し入れから色々取り出し始めた。
こうしてみると姫っぽさが無くなっているような気がする。
「ねぇお燐」
「なんですか?」
「私、わかった気がするよ」
「そうですか」
お燐は静かに微笑んだ。
「あ、あった。これだわ」
輝夜は古びた箱を取り出した。
緑と黄色のストライブの箱だった。
「これをあなたにあげる」
「それは?」
「開かせた者の願いを叶える箱よ」
「何ですそれ。聞いた事ないですね」
お燐はふんふんと臭いを嗅いだ。
「これを開けさせた後、その人を抱きしめて願い事を三回言うの。すると本当の願いを叶えてくれるのよ」
「ふぅん」
私は箱を持ってみた。思ったより重かった。
「これ、お燐に渡して開かせても叶う?」
「ずるしたらダメよ。因みに効果があるのは一回だけだから、無闇に開けてはダメ」
「おいおい輝夜それ、どっかで見たことがあると思ったら」
「妹紅、余計なことは言わなくてもいいわ」
「何だとこのやろう」
妹紅は頬を赤くして目を逸らした。
「効果はあるの?」
「もちろん。でもいい?」
輝夜は念を押してきた。
「何が起こっても抱きしめて願い事を言わなきゃダメよ」
「わかった。三回だよね」
私とお燐は立ち上がった。
「あの、一つ聞いていい?」
「何?」
「何であの言い方をすれば私が諦めるって思ったの?」
「大切な人へのプレゼントで、あれだけ侮辱した物はあげられないでしょう」
輝夜はあたりまえのように言った。
「お昼ごはん食べていかない? もうお昼回ってるけれど」
「ありがとう。でも遅くなるし、もう行くよ。お世話になりました」
「そう。妹紅、送ってあげなさい」
「命令すんなばーか」
私とお燐は妹紅について部屋をでる。
妹紅は一度だけ振り返って、懐から何かを出すとそれを輝夜に向かって投げた。
「練習しろよヘタクソ」
そういうと妹紅は早足で歩いていった。
私とお燐は輝夜が受け取ったそれをじっと見つめた。
お手製の独楽だった。
「早く来いよー置いてくぞー」
妹紅の声が聞こえる。
私とお燐は後を追った。
輝夜も姫としてではなく一人の女の子みたいに笑えるんだとその時知った。
永遠亭を出て、竹林を歩く。てゐには会えなくて残念だった。
やがて妹紅の家についた。ここからはもう大丈夫だ。
「妹紅、今日はありがとう」
「おう。また来なよ」
お燐と私は頭を下げた。
そして家路につく。
「おい」
妹紅から少し離れたとき、後ろから呼び止められて振り返ると何かが飛んできた。
思わずそれを受け取る。それは妹紅に渡した私の財布だった。
中身を見てみると、ぎっしりと『焼き鳥屋 藤原 無料券』と書いてある紙が入っていた。
「次は姉さんも連れてきな」
妹紅は背中を向けて手を振りながら家に戻っていった。
キザな人だ。
「キザな人ですね」
お燐も全く同じことを考えていた。
ありがとう妹紅。
私とお燐は無言で会釈して、踵を返した。
――――――――――
地霊殿についたときにはもう夕方を過ぎて夜だった。
「こいし様、何をお願いするか決めましたか?」
「……まだ決めてない」
輝夜の話を聞いて、何を願えばいいのかわからなくなった。
お姉ちゃんが笑顔になりますように?
無理やり笑わせたって、中身がなければそんなの意味がない。
私を好きになりますように?
お姉ちゃんが私を嫌いなら、無理矢理取って付けたような好きは要らない。
私を大切にしてくれますように?
こんなのいつものこと。白々しい想いなんて要らない。
そもそもお姉ちゃんが幸せならそれでいいの?
お姉ちゃんが笑顔を見せれば私は幸せだけど、もし私が死ぬとか酷い目に遭ったりするのがお姉ちゃんの幸せなら?
私が納得できないお姉ちゃんの幸せで、本当に私は幸せになれる?
それじゃあ私が幸せならいいの?
これはお姉ちゃんのおみやげ。お姉ちゃんを笑顔にする計画。私だけ幸せじゃ意味がない。
「……こいし様」
お燐は複雑そうな表情で笑った。
「あたいはここまでです。あたいがさとり様の前にでれば全部筒抜けになってしまいます。待ってますので吉報を」
「だめ。ちゃんと最後までついてきて」
これは最初から決めていたことだ。
筒抜けでもいい。後で結局バレることになるなら結局は一緒。
お燐は少し迷ってこくりと頷いた。
お姉ちゃんは例によって私室にいた。ダージリンのいい匂いが漂っていた。
「ただいまお姉ちゃん。ご飯食べた?」
「えぇ、あなたたちが遅いから先に頂いたわ」
お姉ちゃんは本に目を落としてそう言った。
ちゃんとこっちを向いてよもう。
「今日はね、いいお土産があるんだよ」
私は箱をもってお姉ちゃんに近づいた。お燐も後をついてくる。
「それ? ありがとう。そこに置いて夕食を食べてきなさい」
そういうわけにはいかない。どうにか開かせないと。
私が何かを言う前にお燐が前に出た。
「さとり様、お手を煩わせるようですがどうぞここで開けてください。これはこいし様の精一杯の気持ちなんです」
お姉ちゃんはお燐をじっと見つめると、微かにだが目を見開いた。
本を取り落としてお姉ちゃんは椅子から立ち上がった。
「あなたたち何て真似を……そんな下らないものの為に」
「下らなくない!」
私は思わず大声を上げていた。
だって我慢できない。私もお燐も死にそうになったっていうのに、それを下らないなんて。
いくらお姉ちゃんでも許せない。
「こいし……」
そういえば、お姉ちゃんが驚いた顔なんて久しぶりに見た。
お姉ちゃんは苦しそうな顔をして首を振った。
「違う。下らないものはその箱のことでなく――」
「さとり様、どちらにしても下らなくないです」
お燐が憤って言うと、お姉ちゃんはため息を付いた。
「お燐の心は読んだわ。多分これは賢者の石。対象物のエネルギーを極限にまで高め、簡単な幻想や妄想なら少しの間具現化することができる。月人といえば科学力の民。錬金法でそういったモノを生み出すのは専門のはず」
「関係ないよお姉ちゃん。開けてよ」
私は箱を差し出した。
お姉ちゃんは箱を受け取った。
「こいし、一つ聞いてもいいかしら」
「何?」
「あなたの心を読むことは、私には出来ない。あなたが本当に望んでいるものは何?」
「さとり様、あたいの心を読んだならそんな――」
「それはお燐の主観でしょう? 他人の考えを読むなんて、心を読めなきゃ出来るはずがない」
お姉ちゃんはお燐を見た。
「私には分かる。こいしが本当に望んでいることは私の笑顔のはずがない。なぜならこいしは、私を憎んでいる」
「さとり様! そんな……!」
「当たり前でしょう。私は下らない理由の為にあなたの目を再び開かせるのを拒み続けてきた。こいしが私の為に目を開こうとしているのに気がついていながら、その本心を読み取ることが出来なくて、不安で、怖くて、受け入れなかった。私は臆病者よ」
お姉ちゃんは自嘲気味に笑った。
「だから、あぁ。これはいい機会なのかもね。こいし、好きなことを願いなさい。きっとこの石は願いを叶えてくれるでしょう。私の目を潰すことも、心を読めなくすることも、腕や足を欠落させることも出来る。地獄のような痛みを味あわせる事だって。こいし、あなたが一生懸命調べた書物を捨てたのも、私に友達を作らせようとして失敗したのも、せっかく作ってくれたケーキが台無しになったのも、全部私の差し金なの。私はあなたの好意を受け取ることが怖かった」
「こいし様の目が閉じたのは、さとり様のせいではないと何度も言ってるじゃないですか!」
「こいしはどう思っているが分からないけど、ね」
「いい加減に――!」
「お燐、もういいよ」
私はお燐を下がらせた。
何をいまさら。全部お姉ちゃんのせいだって、そんなの知ってるよ。
「開いてよ、お姉ちゃん」
お姉ちゃんは押し黙って、箱に巻いてあった赤いリボンを解いた。
そして少しの間その箱を眺めるとお姉ちゃんは久しぶりに――本当に久しぶりに、私を見た。
お姉ちゃんは、苦しそうに私に笑いかけた。
箱が、開く。
取れた箱の上蓋が、ゆっくりと落ちて――床にぶつかった。
ポスッと気の抜けた音がした。
箱から飛び出た赤い物体が――玩具みたいなボクシングのグローブが、お姉ちゃんの鼻先にワンパンチをくれてやっていた。
お姉ちゃんはぽけっと呆けて――それはお燐もだけど――とにかく、油断しているお姉ちゃんに私は走って、飛びついた。
お姉ちゃんの手からこぼれた願いを叶える箱が床に叩きつけられて、バネがボヨボヨと跳ね回った。
私はお姉ちゃんをぎゅっと、精一杯の力で抱きしめた。
「もう、無理しなくていいよ」
痛いだろうけど、苦しいだろうけど、でも我慢して。これが最後かもしれないんだ。
お姉ちゃんがこんなに苦しい思いをしてるのは私のせいだ。
卑怯なのは私の方。知ってたのに、気づいてたのに……それを知らない振りして、かまって欲しくて。
「お姉ちゃんが私を嫌いになりますように」
じわっと目が熱くなった。
カッコ悪い私。何でお別れくらい、カッコよく言えないんだろ。
馬鹿みたい。自業自得で、どうしようもなくなって泣くなんて。
お姉ちゃんが苦しんでるの見てて、ホントは嬉しかった。楽しかった。お姉ちゃんが私のこと考えてくれるって、それだけで。
だから卑怯者は私だ。私は、愛される資格なんてない。
「お姉ちゃんが私を嫌いになりますように」
お姉ちゃんが私を嫌いになれば、もう私に悩まされることなんてない。黙って追い出して、それっきりで。
罪悪感も同情も、苦しみも感じなくていい。
だからもう。
「お姉ちゃんが私を――」
ぎりっと背中に痛みが走った。
見ると、お姉ちゃんの両手が私の胴に回されていた。
「馬鹿ねぇ」
お姉ちゃんの目からも、熱いものが溢れていた。
あぁそっか。
わかった。お姉ちゃんが欲しかったもの。
お姉ちゃんが私をどう思っているのかが、痛いほど伝わってきた。
伝わってくるってことは、こちらの心も筒抜けだろう。目の使い方はお姉ちゃんの方が圧倒的に上手だ。
お姉ちゃんは泣いていたけど笑っていた。
溜まった涙で目がキラキラ光ってて綺麗だった。
なんだかむず痒いけど、こういう事なんだ。
きっとすぐにまた閉じてしまうけど、この気持だけは忘れないように心に刻みこんでね。
抱きしめたお姉ちゃんの体は思っていたよりずっと小さく、温かかった。
私が本当に欲しかったものは大切な人の笑顔よりも、この温かさなんだと気がついた。
やっぱ生きものってエゴイスティック。
了
そうだね。きっと、少しの間困って考えちゃうよね。
即答出来たって人は、もう一度よく考えてみて。それって、ほんとに一番欲しいもの?
何を失っても、本当にそれが欲しい?
考え直すってことは、それが一番欲しいものじゃなかったって何よりの証拠だよ。
自分のことなのに、自分の一番欲しいものが分からない。不思議だよね。
自分のことも満足に理解していないのに、他人のことを考えるなんて夢のまた夢。
本当に遠い話。
本当に生きものってエゴイスティック。
―――――――――
「ねえお燐、あなたが今一番欲しいものは何?」
「あたいの一番欲しいものですか?」
私が何気なくそう聞くと、お燐はちょこんと座ったままの姿勢で「うーん」と唸った。
「そうですね、とびっきり上等で新鮮な死体が欲しいです」
「じゃあさ、とびっきり上等で新鮮な死体が手に入ったら、もうこの上なく幸せで有頂天になって天にも昇る気持ちで『もう死んでもいいっ!』とか思う?」
「……んー、それはないかもしれません」
やっぱり不思議だ、生き物っていうのは。
「どうして? 一番欲しいものが手に入ったのに嬉しくないの?」
「いえ、そりゃ嬉しいですけど流石にそこまでは」
「お燐は思ったことないの? 『うわぁ幸せだ! もう死んでもいい!』って」
「……そう言われればありますね」
お燐は「不思議だなぁ」と首を傾げた。まったく、自分のことなのに全然分かってないんだからもう。
「それじゃあ、こいし様が今一番欲しいものは何ですか?」
「私? 私はね、お姉ちゃんがこの上なく幸せな気持ちになって、もう死んでいいってくらい喜ばせることをしたい。お姉ちゃんの極上の笑顔が欲しい」
「……それができたら死んでもいいって思いますか?」
お燐がかなり呆れた顔で聞いてくるけど私は真剣。これ以上のことは望んでない。
「もちろん。死んでもいいよ」
「そりゃ早死にしますね」
お燐が欠伸交じりにそう言うので私はむっとした。
妹の私が言うのもあれだが、お姉ちゃんはすごく偏屈な妖怪である。悪戯好きで、いつも得意げな笑みを浮かべているのに心からは笑ってくれない。心を閉じてしまった私でもわかるくらい白々しい笑みを浮かべる。心から笑った顔なんて生まれてこの方見たことがない。
ダメダメそんなの。お姉ちゃんが心から笑った顔はすごく可愛いのに。お姉ちゃんを嫌っている連中もきっと手の平を返すように仲良くしようとしてくるはずなのに。
「私たちでは難しいかもしれませんが、こいし様なら簡単にできると思いますよ」
「……それは本当?」
これはよい情報。
お燐はよっこいせとソファから降りて人型に化け、テーブルに腰かけた。
「えぇ、吃驚するほど簡単に。方法お教えしましょうか?」
「ううんそれはだめ。自分で見つけないと意味がないもん」
他人に言われたとおりにやったんじゃ、成功しても喜びとか価値とか下がっちゃうよ。
お燐は二股のしっぽをうねらせながら言った。
「まぁすぐにわかると思いますけどね」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
そんなすぐにわかったら苦労はないのだ。
この場合一番大切なことはお姉ちゃんが今一番欲しいものを洞察すること。そしてそれを提供することだ。
ただ、私は心を読むのがすこぶる苦手である。それどころかトラウマすら感じる。だから洞察というか、『察せ』と言われたところで「え? 何々何の話?」ということになるわけで。
「お姉ちゃんは今一番何が欲しいのかなぁ」
「なんでしょうね」
「知ってる?」
「お教えしましょうか?」
「だから答えそのままじゃ意味ないんだってば。ヒントを頂戴」
「……こいし様は花を貰ったら嬉しいですか?」
お花を貰って嬉しいかって……正直花とか興味ないし、あんまり嬉しくないかなぁ。
私が悩んでいるとお燐は継いで言った。
「ではさとり様からお花を貰った場合は?」
「あっそれは嬉しい」
「そうですか。では、こいし様がさとり様を死んでもいいというくらい喜ばせることができたら、こいし様の一番欲しいものも手に入るでしょう」
「なんじゃそりゃ」
トンチなんて求めてないってば。
「お姉ちゃんが死んでもいいってくらい喜んだら、私は満足なの。その先なんてないよ」
「ところがどっこい、あるんですよ」
「自分のこともよく知らない癖に、私の心が読めるっていうの?」
私が憤って言うとお燐は手を振った。
「こいし様の心なんて全く読めませんしその必要もないです。目を閉じてもわかることってあるんですよ」
「お気に入りのコップの置き場所とか?」
「お気に入りの死体の置き場所とか」
趣味の悪い火焔猫だ。
「今私のことを趣味の悪い奴だと思ったでしょう?」
ぎくり。
「そんな表情をしている人は大体そういうことを思っているんですよ」
「なんだ。はぁ」
「では大サービスでもう一つ。さとり様の立場に立ったつもりで、欲しいものを考えてみてください。以上」
「む、お姉ちゃんの立場か」
なるほど。それは大サービスのヒントだ。
お姉ちゃんの立場になって考えてみる。
古明地さとり。地霊殿の責任者。私の姉。人妖に嫌われてる。ペットには好かれている。鬼も一目置く存在。頭はいい。悪戯好き。ううむ。
「わかった!」
私がソファから立ち上がるとお燐も「おぉ~」と歓声を上げて机から立ち上がった。
「わかんない!」
私がそういうとお燐は「あぁ~」と切ない声を上げながら立ち上がった勢いで前のめりに倒れた。
「あの……今わかったと仰いましたよね」
「うん、わからないのがわかった」
「そうですか」
お燐はため息を吐いて立ち上がった。
呆れたような顔をしているが、私だって考える頭はある。年頃のお姉ちゃんが欲しがるものなんて限られているのだ。
「とりあえず可愛いものを送ってみよう!」
可愛いものを送れば間違いはない。
お燐は「へぇ」と呟いた。
「こいし様にしてはすごく良い案です」
「えへへ、でしょう?」
「では買い物にでも行きましょうか。そういえば釣瓶落としの小物屋なんか、ヤマメがお勧めだって言ってましたよ」
「ちっちっち。何を勘違いしているのかな? お燐隊員は」
私はお燐の「へ?」という顔に人差し指を突き付けていった。
「地底のものなんか、すぐに買えちゃって有難味がないじゃん! 地上に行くんだよ!」
「えぇ? 流石に人里に行ったら引かれちゃいますよ」
「大丈夫。意外と妖怪とかも買い物してるらしいから。それに知る人ぞ知る名店ってのがあるの」
魔理沙に聞いた知識が役に立った。
人里から少し離れた森の中に香霖堂という店が建っていて、収集マニアには中々お勧めの名店らしい。
閑古鳥が鳴いてるような店だからすぐにわかるという。
「ではそこに行ってみましょうか。ちょっと支度をしてきますね」
お燐はそう言って出て行った。
私とお燐は支度を整えてすぐに地上に出るために地霊殿のエントランスへ向かった。
廊下を曲がると、まさかと思うタイミングでお姉ちゃんに遭遇した。
「あらお燐、こいし。今日はどこに行くの?」
「えっと、少し上に出てみようかと思いまして」
「そう。気をつけて行ってきなさいね」
ほら、やっぱり。
私の横をお姉ちゃんが通り過ぎて行った。
名前を呼ぶのもお燐が先。涼しげな笑みを浮かべているのに、私のことなんて目も合わせてくれない。
胸の中を気持ちの悪いぐねっとしたものが蠢く。最悪の気分なのに、なぜか目が柔らかくなる。
こんな気持ちを糧にしてまで、心を開きたくはないよ。
だから、今度こそは。
「行こうお燐」
絶対私が振り向かせてやるんだから。
―――――――――
その日の昼ころ。件の店は割とすぐに見つかった。
地上に出て人の里をくるりと半周した森の中にその店は建っていた。
店の看板には香霖堂。庭にはおそらく店に入れることができなかったのだろうガラクタが放置されてある。
確かに特定の変わり者以外は来店しなさそうな店だった。
「本当に閑古鳥が鳴いてますね」
「そうだね」
寂れた外見はとても開店しているようには見えない。潰れて放置された店と言った方が適切なような気がする。
私は二の足を踏んだが意を決して店内へと踏み込んだ。
「だから! 縞々に勝るものはないって言ってるじゃない!」
「違う違う! ドロワが全てを超越しているに決まっているだろう!」
ドアを開けた瞬間に、声が聞こえてきた。
私は疑問に思いつつ店内を覗いてみると銀髪の青年と巫女装束の少女が激論を交わしているところだった。
まるでお客がいないわけでもないらしい。赤と白の巫女装束には見覚えがあった。
「この分からず屋! 終いにはそこらの本に封じてやるわよ!?」
「くそ! 男には命を犠牲にしてでも引いてはいけない時がある! 僕は決して譲らないぞ!?」
銀髪の青年は「とうっ」と叫んでカウンターに飛び乗ると下袴を脱いで下着をさらした。
縞々のパンツだった。
しかもぴったりで股間がもっこりしていた。
「な……なんですって!?」
霊夢が恐れ慄いてぐらりと揺れる。
青年はふんと短く笑って言った。
「こんなこともあろうかと今朝穿いておいたのさ! これでも縞々がよいとほざくか!」
精神的ショックを受けているのは私だけでなく、私の後ろでそれを見ていたお燐もだった。なまじかっこいい顔をしているだけにかなり強烈だった。
第三の目が柔らかくなって死にたい。
至近距離で目撃した霊夢は一溜まりもあるまい。
そう思っていると、うつむいていた霊夢がにやと笑った。
「ふ……ふふ、ふふふふ」
笑い声が徐々に大きくなると、動揺したのか青年がわめいた。
「な、何がおかしい!?」
いやもうおかしいところだらけだが。
霊夢はばっと顔を上げた。
「ふはは! まだまだ甘いわ霖之助さん!」
霊夢は「とうっ」と叫ぶとカウンターに仁王立ちの青年を蹴り飛ばした。「がはっ」と呻いて青年はカウンター奥に転げ落ち、霊夢は立場を変えるようにカウンターに仁王立ちになった。
「馬鹿な……僕の取って置きが……」
「残念ね。それはまだ私の守備範囲内、よ」
「ば、化け物……め」
「霖之助さんの男気だけは褒めてあげるわ。出直してきなさい」
「ぐっ無念……」
青年はぶるぶると震えて上体を起こしかけたが、やがて力尽きがくりと倒れた。
場が、静まり返る。
この二人面白い。でも入るタイミングが。
ええい、こなくそ。
私は後ろで「駄目です危険です危ないです帰りましょう」と早口小声で繰り返すお燐の制止の手を振り切って店内に入った。
少し古い感じの匂いがした。店内は意外と片付いていて、いろいろなものが狭いスペースに効率よく置かれていた。
「あ、あの」
やっとな感じで声を出した。かすれていたし小さい声だったが、霊夢は気がついたのかこちらを向いた。
「おっといらっしゃい。気配がないからわからなかったわ。霖之助さん、お客さんよ」
「ほう」
青年はむくりと起き上った。
「霊夢、僕の下袴を取ってくれ」
「はいはい」
青年は霊夢から受け取った下袴を落ち着いて穿くと「ふぅ」と一息をついて私に向き直った。
大物だと思った。
「香霖堂にようこそ。この店を経営している森近霖之助です。よろしく」
「えぇと、よろしく」
「私は霊夢。博麗の巫女をやってるわ。よろしくね」
「あなたは知ってる」
短く突っ込む。お燐は店内に入ってこない。外で待っているつもりだろう。
「それで、何をお求めですか?」
「あの、可愛いものを探しているんだけど……」
「可愛いものか」
青年こと霖之助は「ふむ」と唸った。
「可愛いの概念は個々によって違うものだ。僕の可愛いものだったらいくらでも推奨することができるがそれが君の可愛いの概念に当てはまるとは限らない。そもそも可愛いには数多の意味が――」
「ちょっと黙ってて」
霊夢は霖之助をこつんと叩いて前に出た。
「それはあんたの趣味? それともプレゼント用?」
そう聞きながら巫女は私の胸を揉んできた。くすぐったい。
「プレゼント用、かな」
「そう。それにしても中々のBカップね」
「これは地上の挨拶?」
「そう、これは挨拶よ」
霊夢の息が段々荒くなる。くすぐったいけど挨拶なら我慢しなきゃと思っていると霖之助が霊夢の頭をこつんと叩いた。
「嘘をつくな。それで、誰へのプレゼントだい?」
「お姉ちゃんに」
「そうか、それならいいものがある」
霖之助はカウンターの隅に飾ってあった花瓶を引き寄せた。
「この花は少し前に、霊夢が幽香という妖怪に買わされた花で、ボタンという。花言葉は『姉妹愛』。どうだい? ぴったりだろう」
薄いピンク色の大きな花だった。大多数はこれを可愛いというのだろうか。
「これはいくら?」
「そうだね。これは元々霊夢が買ったものだから……霊夢」
「ん? 別にいいわよ。霖之助さんにあげたものなんだし――いやちょっと待った!」
霊夢はがしっと私の両手を握りしめた。
温かな手だった。
「お、お譲ちゃん。はぁはぁ。お、お姉ちゃんといいとこ行こっか……はぁはぁはぐっ」
「やめなさい。この子は常連さん候補なんだぞ」
私は常連さん候補らしい。
霖之助に小突かれた霊夢は「う~ん」と唸った。
「それじゃあ」
霊夢の意外と華奢できれいな手が伸びてきた。
そのまま頭の後ろを抑えられて、引き寄せられた。優しい手つきだった。
霊夢は意外と背が高かった。地霊殿ではお空の次に背の高いはずの私が見上げる形だった。
ふわっといい匂いがした。
「ほっぺにちゅーでいいわ」
「それでいいの?」
「もちろん」
私は少し戸惑ったが、霊夢の頬に口をつけた。
霊夢は「うんうん」と満足げに頷くとにこっと笑った。
「買った時も売った時も得したわ。これぞ両得」
霖之助は花瓶から花を抜き、大きな雑誌を割いて円錐に丸めた。そしてそれに花を丁寧に包み、上からきれいな包装用紙をかぶせた。
「包装用紙の下は見てくれが悪いから見せない方がいいだろう。見せて手渡したら早く花瓶に入れるように勧めるんだ」
「わかった」
私は花を受け取った。独特の甘い匂いがした。
「霖之助さん、私も行くわ。まだ用事があるし」
「そうか」
「異変でもあったの?」
私が聞くと霊夢が首を振った。
「阿求に相談があってね。少しは私も学を増やそうかと思って」
「へぇ」
「それじゃ霖之助さん」
「あぁ、また来るといい」
霊夢が店を出る。
私も用事がすんだので霊夢の後を追って外に出た。
「じゃあね、地底のお姫様」
店の玄関先で、霊夢はそんなことを言って飛んで行った。店の奥から「またのご来店をお待ちしております」という声が聞こえてくる。
お燐は店の近くでこちらを窺っていたのかすぐにこちらに走り寄ってきた。
どうやら心配してたみたいだ。
「ごめんねお燐」
「もうあの店に行っちゃ駄目ですよ」
「でも私常連さん候補だし」
「駄目ったら駄目です。わかりましたか?」
お燐は少し心配症な気がする。
太陽は天辺からゆっくりと滑り降りていた。風が流れて手に持った二つの花から甘い匂いが漂った。
―――――――――――――
地霊殿についた私たちは早速貰ってきた花をお姉ちゃんに見せに行った。
お姉ちゃんは私室で本を読んでいた。
「お姉ちゃん」
私が声をかけるとお姉ちゃんはこちらを一度だけ見て、また本に目を戻した。
「お帰りこいし。どうしたの?」
そういえばまだ『ただいま』を言っていなかった。
でもそんなことよりも大事なものを私は抱えている。
「これ、地上で買ってきたんだよ」
「そう」
花束を差し出すと、お姉ちゃんはクスッと笑った。
「ありがとうこいし。お燐、花瓶に活けておいて」
「は、はい」
それだけ言うと、お姉ちゃんはまた本を読みだした。
「ね、ねえお姉ちゃん。その花の名前、知ってる?」
「知らないわね。でもきれいでいいじゃない」
「ボタンっていうんだよ。花言葉はね……」
「ごめんなさい」
お姉ちゃんは三つめの目を開けると私とお燐を眺めた。
「興味ないわ」
本に目を戻すお姉ちゃんに私は「そっか」と呟く他なかった。
お燐は花瓶を取りに行き、手持無沙汰の私はそこに馬鹿みたいに突っ立っているだけだった。
お姉ちゃんの部屋を出た私とお燐はリビングに足を向けた。ペットの地獄ガラスの一匹に紅茶を淹れてもらい、それを口に運んだ。
薄くて熱くて、味気なかった。
「あの、こいし様」
「ん?」
「さとり様は表情に出すのが苦手なだけで、内心では凄く喜んでいるんですよ。だから……」
「いや、足りなかったんだよ」
私が「うん足りなかった」と繰り返すとお燐は「へ?」と気の抜けた顔をした。
「やっぱりプレゼントって気持ちだよね。ちゅーの一回で貰えちゃうような花なんて、やっぱ駄目なんだよ。もっと自分を切り売りするっていうか……リスクの伴うものじゃないと価値もないんだよ。きっと」
「いやそれは流石に」
「うんそうだ。甘かった。花なんてよく探せば所々に生えてるし、お姉ちゃんも価値が低いって思ったんだよ」
「違いますよ! さとり様は――」
お燐は何かを言いたそうな顔をした。
でも、私にはその気持ちを読み取れるはずもない。
「お燐、私プレゼント探しに行くよ」
「今からですか? 日が暮れますよ」
「また何日か戻らないかも。それじゃ」
「ちょっと待ってください! 私も行きますってば!」
「え? 何で」
「何でってそんなの心配だからに決まってるじゃないですか」
お燐は「はぁ」と大きくため息をついた。
「それにお一人で良い贈り物を選べますか? 一人、優秀なお供が必要でしょう」
そういえばそうだ。
「長旅用の支度をしてきますから待っててくださいね」
お燐はぴょんと私の頭上を飛び越えて走って行った。
少ししてから軽い肩掛け鞄を携えたお燐と旅に出た。
「さとり様には言わなくていいんですか?」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんは私のことなんてどうでもいいだろうし。だからこそお姉ちゃんに私を認めさせてやるんだ」
「こいし様は誤解しています。さとり様は本当にこいし様を大切に思って……」
地底を出て、森を歩いているとお燐が長々と話を始めた。
正直どうでもいい。それはお燐の主観だろうし、他人の認識なんて心底興味ない。
大事なのはお姉ちゃんが私を認めてくれて、凄くいい笑顔で「ありがとう、こいし」と言ってもらうこと。
つまり大事なのは結局自分。自分が納得できないと駄目だ。
自分が納得するためにはお姉ちゃんの信頼を勝ち取らないと。
「ねえお燐、お燐は他人を好きになった時ってある?」
「え?」
話の腰を折られたお燐は呆けた顔をした。
「えぇと、あるにはありますが」
「そう。その子をどうしたい?」
「どうしたいって……」
お燐が困った顔をした。
そんなに深く考える必要ないのに。何考えてるかわからないけど。
「毎日顔を見たり、話をしたり、手をつないだり、ちゅーしたり、ぎゅってしてみたり……こう考えると結構ワンパターンだよね。ねぇお燐」
「そんなことないですよ。もっといろいろ」
「いろいろって?」
「えーと例えば私が好きなだけでは駄目じゃないですか。相手も私を好きになってもらわないと。そしたらプレゼントあげたり貰ったり。一方通行の時よりパターンも二倍ですよ」
「つまり、二人の時間が欲しくてさらに好きって気持ちも確かめたいわけだ。だったら単純だよ。その人を自分しか知らないところに閉じ込めちゃえばいいんだよ」
本当に、何でみんな気がつかないんだろ。こんな簡単なことに。
「これならほら。二人の時間がたくさんできるし、相手が自分を本当に好きか確かめられるよ。好きなら嫌じゃないはずだし、嫌なら好きじゃないって話だよ」
「こいし様は極端すぎますよ。閉じ込められて平気でいる奴なんていませんって」
「愛のためなら何とかなるんじゃないの? 『愛のために命をかける』ってよりは全然ハードル低いじゃん」
駄目なら大した愛じゃないってことね。
振り向くとどうしてか、お燐が辛そうな顔をしていた。
どうしてだろう。何か傷つけることを言っちゃったかな。
「……では、こいし様に好きな人はいますか?」
「そうだね、お姉ちゃんが一番かな」
「なら、こいし様はさとり様をどこか知らないところ――地底の地の底までさらって閉じ込めて、自分のものにしたいですか?」
ぴたりと、自然に足が止まった。
そういえば私はそんなことを考えたことはない。おかしいな。
他人の恋愛観を聞いたときに思ったことと、自分が主体になった時に思うことは違うのか。
やっぱり生き物って不思議。
見上げた空には大きな満月。
今夜はもっとも妖の力が高まる望月の夜だ。
だったらこの臭気も見当がつく。
「……お燐は気づいてるよね」
「えぇ、まぁ」
「近くに死体があるのにわくわくしないの?」
「こんなに強い匂いなんですから、ズタズタのボロボロに決まってますよ。コレクションに適しません」
「そっか」
お燐は相変わらず気難しいな。
「じゃ行こっか」
「あの、価値のあるものって何か当てがあるんですか?」
「結構考えてるよ。可愛いはもう疑問だけど、役に立つものや珍しいものがいいかな。天狗の扇とか、吸血鬼のティーカップとか」
「そりゃまたハイリスクですね」
それくらいじゃないと意味がない。
木の枝を退かすとお燐がふんふんと鼻を動かした。
「こいし様、妖の臭いがします。あとさっきと同じ血の臭い。どうします? このまま行くと鉢合わせになりますね」
「どのくらい離れてる?」
「まぁ百メートルくらいですか」
「凄いなぁ。私は全然わかんないや」
「あたいは鼻が利きますからね」
お燐は得意げに言った。
「もう少し近づけば相手も感づくでしょうから、あまり余裕はありませんね。面倒ですしやり過ごし――」
ボッと物凄い勢いで茂みから何かが飛び出した。
お燐は寸前でそれに気がついたらしく素早く身を屈ませてそれを回避した。
真っ黒で大きな何かは勢いを殺さず木を粉砕して姿を眩ませた。
「お燐、百メートルじゃないの?」
「すみません。どうも罠にかかっちゃったみたいです」
ズズンと煩い音を立てて樹木が倒れる。
お燐の背中は血で真っ赤に染まっていた。避けきれなかったらしい。
しかし不意を突ついてのあの速さ。致命傷じゃなかっただけでも十分凄い。
私たちの周りをガサガサと数匹の何かが走り回る。
「強い血の臭いを撒き散らしてこっちの鼻を鈍らせて――血肉を引きずった一匹が適当に歩き回って囮になり、気配と臭いを殺した数体が不意をついて仕留める。立派な原始人ですよ」
「原始人なの?」
「いえ、完全な妖怪じゃなく獣が妖怪化する前の妖蘖の類かと」
すっくとお燐は立ち上がった。見た目よりダメージはないらしい。
「傷はどう?」
「えぇ大丈夫ですよ。相手にするのも面倒ですしね。逃げますか」
「そうしよう」
まずお燐が走り出した。
獣の群れも後を追っていく。合計四匹。山犬か狼か。まぁどっちでもいい。
私は最後尾を走り、前にいる獣の足を狙って適当な弾幕を放つ。
獣たちは足が折れ曲がってから初めて、背後の私の存在に気がついたみたいだった。
「お燐、前のはあなたがやって」
「了解です」
お燐の両手が燃え上り、そこから無数の針が放射状に吐き出された。
丁度出てきた五匹目――囮役の獣が全身をサボテンみたいにして茂みに転がった。
そのまま止まらず走る、走る。
森の所々で『ギャンギャン』という鳴き声が聞こえてきた。
そこから離れて移動すること数刻。今夜は川辺に泊まることにした。
所々にネジや作りかけのまま放置されている絡繰があることを見ると、どうやら河童の里に近いらしい。
お燐は血の臭いを落とすために沐浴し、私はなんとなく水浴びをした。
そしてお燐が焚いた火を囲んで体を乾かしつつその日は就寝した。
満点の星と真ん丸の月に見下ろされながら寝るのはかなり落ち着かなかった。
次の日の朝、私とお燐は捕ってきた魚を焼きながらプレゼントについて考えた。
お燐曰く「さとり様はこいし様があげた物なら何でも嬉しいですよ」とのこと。
やっぱお燐は信用できないなぁ。
「あっこの魚意外と美味しい」
「そうでしょう。この季節が丁度旬なんですよ」
「へぇ」
腸の苦味とか凄く癖になる味。旬のものって言われてもピンとこなかったけど、美味しいに越したことはない。
お燐は焚木に土をかけ、魚の骨を丁寧に埋めるとその跡を均した。几帳面。
「で、結局何を手に入れに行くんです?」
「蓬莱の玉の枝」
大秘宝の一つ。
今は永遠亭という、竹林奥の屋敷に住む奴が持っているらしい。
「いや無理ですって」
「大丈夫だよ。気づかれずに持ってけば犯人なんて分からないし」
そうと決まれば行こう。
私が歩き出すとお燐も急いでついてきた。
「なんで蓬莱の玉の枝なんですか?」
「リスクも高いし、なにより凄く珍しいじゃない。持ってるとそれだけで霊力が高まり寿命が伸びるっているし」
「霊力って、あたいらには関係ないじゃないですか」
「む、関係はちゃんとあるよ。妖怪だって妖力と霊力を併せ持っていて――人間の場合、肉体を支える力が気力だとすると、妖怪は妖力。精神を支える力は人間も妖怪も霊力。妖怪は霊力を伴った攻撃に弱い特性を持つのが普通だから、蓬莱の珠の枝はちゃんと意味があるよ」
「すみません。あたいでも分かるように説明してください」
「蓬莱の珠の枝で紙の盾から鉄の盾へ」
そこまで効果があるのかはわからないけど、お姉ちゃんは心が強いから霊力は強いはず。鬼に金棒だ。
「はぁ、何となく分かりました。意外と博学なんですね」
「伊達に暇人してないよ」
ホントは目の開きかたを調べていた途中で学んだ事なんだけど、調べたものは全部お姉ちゃんに捨てられちゃったからもうほとんど覚えてない。
竹林を通ってもう少し歩く。さっきと同じ場所に出た。
今度は注意しながら先を急ぐ。また同じ場所に出た。
恐るべし迷いの竹林。
「参りましたね」
「そうだね」
竹林に入れば同じことの繰り返しだろう。私たちは竹林にそって里方面に回ることにした。
人が永遠亭を利用するには竹林に入るしかないのだ。
きっと里の方に入口があるのだろう。
しばらく歩いて、やっと竹林と森の境目が離れて、開けた場所に出た。
木に紛れて里は見えないが、ここから真っ直ぐ歩けば人里だ。この地点が里と永遠亭の直線上だろう。
「こいし様、人の気配がしますよ」
「面倒だね。食べちゃえ」
「強くて偉い人にあたいが食べられちゃいますよ」
冗談はさておいて、かなり妙だ。
ここから里はあまり離れてはいないが、人が諸っ中訪れるようなところでもない。
酷い病を患った者がでた時だけ永遠亭に医者を呼びに行くために設けられた道なのだから。
「とりあえず行ってみよっか。病人だったら親切できるし」
「安楽死させるのは親切と違いますよ」
あれ? そうなんだ。
勉強になった。
「む、煙が」
お燐の声で上を見上げると、確かに薄い煙が漂っている。何かを燃やしているのだろう。
煙の発生源を目指して歩くと、一軒家が現れた。
木造の古い造りで、しかし頑丈そうな家だった。家は丈夫そうな柵で周りをぐるりと囲まれている。柵の内側の庭の片隅は小さな農園になっていた。
その家の裏から煙は昇っている。
「こんなところに住むなんて変人か何かですね」
「何かって、何?」
「人じゃないもの、とかです」
「それじゃ私が覗いてくるよ」
私が行った方が確実だし。
進みだして、あることに気がついた。家のまわりだけ大きくて軽い石ころが満遍なく敷かれている。
その上を歩くとジャリッジャリッと耳に障るくらい大きな音が出る。
きっとここに住んでいる者はそういうものと争うのに長けている奴だろう。まぁ浮けば問題ないのだが。
私の足はふわりと地を離れた。そのまま柵に近づいてみる。
リンリン、リンリン、リリリリリと今度は鈴の音が聞こえた。
よく見ると柵には一定間隔で鈴がぶら下げてある。どうやら私が浮くのに使っている妖力に共鳴しているようだった。風が吹いても揺れないのにおかしいと思わなかった自分が馬鹿みたい。
私が「しまった」と呟くのと家の陰から火の玉が飛んでくるのは同時だった。
「こいし様!」
お燐の声が後ろから聞こえた。
私は火の玉を咄嗟に払って、柵を蹴って大きく後ろに跳躍した。
一つ二つと飛んでくる火の玉を避けつつ、同じ火の妖術で相殺して体制を立て直す。
髪にカスったのか、ちりちりと焦げる臭いがした。
「へぇ、中々やるじゃん。あんた」
柵の向こうに、銀色の髪が翻った。真紅の瞳に纏う炎が揺れる。
「あなたはここに住んでいる……人間?」
「そう。ちなみに何で人間を疑問形にするのさ」
「だってあなたから人の匂いがしないんだもん」
「失礼な奴」
火を払った右手がひどく痛む。地獄の炎で負った火傷でもすぐに治るのに、真っ赤になった右手は再生の兆しを見せない。
「それで、私に何か用? 喧嘩したいなら安く買ってあげるけど」
「お姉さんちょっと待った!」
私を庇うようにお燐が立ちふさがった。
「あたいらは別に怪しいもんじゃないよ。ただ永遠亭に行きたくて、近くに住んでるなら道を知ってないかと思ってね」
「あらそうなの。だったら怪しげに気配まで殺して近寄らないでよ。誤解するじゃん」
そうは言っても決して警戒を解こうとはしない。やっぱり場慣れしている。
「気配は消したくて消してるわけじゃないよ。こういう体なの」
「はん、いろいろな奴がいるんだな。ところで、あんたら名前は」
「こちらが古明――」
「あぁ? 自己紹介も自分でできないの」
物凄い剣幕で睨まれる。
お燐が息を飲んで竦み上がった。
「わ、私は古明地こいし。地霊殿の長の妹」
私はトラウマも相まって相手の敵意とか憎しみとか負の感情には敏感だ。
こんなに真っ直ぐ怒りを叩きつけられたのは久しぶりでビックリした。
妹紅は古明地という単語を聞いた瞬間に目を見開いた。
私のこと――いや、お姉ちゃんのこと知ってるんだ、きっと。
何者なんだろう。
「あたいは火焔猫の燐。よろしく」
「私は藤原妹紅。ここで永遠亭までの道案内と里で焼き鳥屋をやってる。よろしくね」
今度は「にっ」と笑って私とお燐に握手をしてきた。
私たちのこと知ってるのに、怖くないのかな。
ほんと人間ってわかんない。
「ところで永遠亭まで、道案内の代金を貰いたいんだけど」
「えぇ!? お金!?」
お燐は素っ頓狂な声を上げた。
「いくら?」
「気持ちでいいよ」
そっか。私の気持ちか。
私はお燐のポーチから私の財布を取り出した。パンパンに膨らんだ財布。お小遣いをもらってもほとんど使った試しがない地底での通貨。
お姉ちゃんの――古明地さとりの妹だからという理由で「お金は取れない」の一点張り。
お金くらい払うのに。
「これでいい?」
「ちょっこいし様!?」
私は財布を妹紅に渡した。
妹紅は財布を開くと首を傾げた。
「見たことない貨幣だね。いくら分の価値があるの?」
「地底での通貨。上等なお酒を十年くらい飲んでいける分はあるよ」
「へー、いいのかい?」
「あなたが人間だっていうなら、地底に来たとき役立つと思うよ」
「違うよ。こんな大金、出会ったばかりで――しかも酷い火傷を負わされた怪しげな女を信じて、そんでくれてやろうっていうの?」
腕は熱い。痛い。
お燐は私の袖を引っ張りながら小声で「多すぎますよありえませんよ」と繰り返している。
お金なんてなくても困らないのに。
「いいよ。私の気持ちだもの」
「よしお前気に入った。ついてきな」
「こーいーしー様ー!」
お燐ちょっとうるさい。
妹紅は私の腕をとって火傷の具合を見た。
「痛むだろう?」
「うん」
妹紅は笑って「そうか」と頷いた。
そして一枚札を取り出して火傷している部分に当てて力を込めた。札が光って私の火傷は吸い取られるように消えていく。
「どう、まだ痛む?」
「んー」
さっきまでの痛みが嘘みたいに消えている。
跡もない。
「治った」
「そうだろ。凄いだろ」
妹紅が竹林に歩き出した。
私とお燐も後に続いた。
「長く生きてると色々身につくもんさ。若い頃は常時サバイバルみたいなもんだったからね」
「あなたっていくつ?」
「レディに歳を聞くのは失礼ってもんだよ」
「けれどお姉さん、人の臭いがしないだけじゃなく……さっきの術もあたいらに近いような感じがしたね」
それは私も思った。
妹紅は笑って首を振った。
「長生きすると色々身につくもんさ」
妹紅の後を追って歩いて行くと不思議なことにすぐに大きな屋敷が見えた。
お燐が「はー」と大きく息を吐いた。
「ここからじゃないと私でも迷うんだよ。空飛んでもカモフラージュされてて見えないし」
「何で?」
「永琳の趣味」
「誰?」
「ここの医者。自称『天下の名医』。他称『変人』」
凄いのか凄くないのか分からないや。
「ところで、あんたら具合も悪くなさそうなのに何の用?」
「えーとね、『蓬莱の玉の枝』を盗みに」
妹紅の足がピタリと止まった。
「ごめん、もう一度言ってくれる?」
「だから、『蓬莱の玉の枝』を盗みに」
妹紅はしばらく無言で立っていたが、やがて「ぷっ」と吹き出した。
「そうか。あんな物を盗りにか。そうか」
「どうかしたの?」
「ちなみに、盗ってどうする気?」
「お姉ちゃんにプレゼントするの」
言うと妹紅はまた吹き出して、笑い始めた。
お燐が声を荒らげた。
「何がおかしいのさ」
「いや、何時の時代も……まったく。どうかしたのって、あんたらの方がどうかしてるよ」
妹紅はもう一度「どうかしてる」と呟いてうつむいた。
何故か妹紅の顔は昔、大事にしていた光石をなくしてしまったときのお空の顔と被って見えた。
屋敷の門前につくと妹紅は大声で「妹紅が来たぞー! ついでに客も来たぞー! うおー輝夜ぶっ殺してやる」と叫んだ。
私とお燐は呆気にとられた。そのまま黙っていると大きな門が開いた。
「おっす妹紅、久しぶり」
出てきたのは小さな兎だった。
妹紅は「よう」と手を振った。
「ところで輝夜はどうしてる?」
「さぁ、暢気に和菓子でも食べてると思うよ」
「何でお前が知らないんだよ」
「だって私じゃ中々合わせてもらえないしね。一週間に一度、見れたらその日はラッキーデーだよ」
「物凄く目障りなラッキーデーだな」
「ところで後ろのがお客さん?」
兎はお燐を見た。そして私に視線を移した。
初見で私を見つけるとは。外見とは裏腹にかなり出来そうな兎だ。
「お師匠様は今お仕事中だから少し待ってもらっていい? 診察、鈴仙様でいいなら過労死寸前なのをさらに酷使させるけど」
「いやそれが、輝夜に用があるらしくてね」
「姫様に? どこからのお客様?」
「地底の……地霊殿だっけ? かなりいいご身分みたいだけど」
「地霊殿!? 今日はちょっと都合が悪くてほんとごめんなさい一昨日来て下さい!」
門を閉めようとする手を妹紅が押さえた。
兎は妹紅にひょいと担がれてじたばたと手足を振り回して暴れた。
「何するの! 妹紅だって知ってるでしょ!? 地霊殿ったら、あいつの関係者じゃん!」
「あぁ、古明地こいしだって。あいつの妹らしいぞ」
「ぎゃあああ! いやあああ!」
いつの間にか集まっていたたくさんの兎たちが小声で「地霊殿って何?」「わかんない」「てゐ様怖がってる」「でも妹紅様笑ってる」「怖くて楽しい?」「なにそれ不思議」とか囁き合っている。
やっぱり一部しか知らないんだ。
「なぁてゐ。それよりもっと面白い話があるぞ」
「面白くない……ちっとも面白くない……」
半泣きだった。
「まぁ聞けって、あのさ」
妹紅はこそこそとてゐと兎に耳打ちした。
てゐは目を見開いて妹紅を見た。
「妹紅、平気なの?」
「あぁ平気だよ」
妹紅は表情を曇らせてそういった。
地面に下ろされた兎はようやく落ち着いた様子で、ビクビクしながら私に向き直った。
「え、永遠亭の地上の兎管理を任されている因幡てゐといいます。以後お見知りおきを」
「うん、よろしくね」
「あたいは火焔猫の燐。よろしく」
てゐはじっと私たちを見比べた。警戒心の塊だ。
「こいつら多分いい奴らだから大丈夫だよ」
妹紅が軽い調子で言う。
「……猫被ってるだけじゃないの?」
「おいおい御チビさん。そりゃあんたらだって一緒だろ?」
兎被るとか人間被るとかは言わないなぁ。不思議。
てゐの警戒がさらに強くなる。お燐が余計なことを言うから。
「火焔猫は別にして、そいつさとりと同じなんでしょ?」
「ん? 私は他人の心を読むような能力はないよ」
「嘘つき」
「本当だよ」
「ずっと気配を消してるのはなんで」
「そういう妖怪なんだよ」
「……うぅん」
てゐは眉を潜めて唸った。
「さとりに妹がいるっていうのは知ってたけど……」
「ねぇ、お姉ちゃんってどんな人?」
「それは妹のあんたが一番知ってるでしょ」
「あなたのイメージでいいから、教えて」
てゐは眉を顰めて悩んだ。
「実は私、ずっと昔に会ったことがあるんだよね。会っていきなり心を読まれて、居心地悪いやら気味が悪いやらですぐ逃げちゃったけど」
「どんな話をした?」
「ご想像にお任せしまーす。さぁ、お客様って事はちゃんと招待しなきゃいけないし――立ち話も何だから入りなよ」
てゐは私たちが敷地に入るのを確認して門を閉めた。
「ようこそ、永遠亭へ」
永遠亭は大きかった。本当に大きかった。
門や柵からかなりのお屋敷だろうと思っていたのだが、想像以上だった。
「こいし様、何かおかしくないですか」
「うん、おかしい」
おかし過ぎる。何でか広すぎる。お屋敷の入り口は奥ゆかしい風流な玄関だったが、もうそこからおかしかった。
引き戸を開けた瞬間ぎょっとした。外枠より玄関の方が大きかった。
私も言ってて意味がわからない。例えば押し入れを覗いたら無限の空間が広がっていた――とかそんな不思議な国のアリスみたいな雰囲気。明らかに外見よりも中のほうが大きい。
廊下なんて向こうが霞んで見えるし働いている人型兎も多い。大量の病室も完備され、リハビリテーションという札が下がっている部屋なんて百畳以上はある。その中に様々な機具が置かれていた。
もう何が何だか分からない。
「迷子になったら面倒だから離れないでね」
第251病錬という看板が見えた。こっそりと左折してみるとこれまた霞んでいく廊下にずらっと病室。
アリの巣みたいだ。
「こんなに病室いるの?」
「どう考えても要らないよ。里の人間全員押し込めてもまだ百分の一も埋まらないし」
「うわー」
「お燐も入る?」
「あたいは遠慮します。地底にも病院紛いのものはあるんで」
行って無事で帰ってきたものはいないって評判の診療所だよね、それ。
てゐの後をついて行く。右に曲がって襖を開いて、左に曲がって襖を開いて。
もうどう来たか分からない。
また少し歩いて襖を開けると、広い部屋に出た。
「お茶とお菓子、座布団を四人分持ってきて」
てゐは後ろをついてきていた兎たちにそう言い「ここで待ってて」と私たちに呟いて奥の部屋に入っていった。
「凄いところだね」
「迷わないんですかね」
「ぐにゃぐにゃしてるのは永琳テリトリーだけだよ。診療室とか普通の兎たちが歩いているところは大廊下にあって以外と単純なんだ」
「妹紅詳しいね」
私が言うと妹紅は「まぁな」と難しい顔をした。
この部屋は大体五十畳くらいで部屋の向こうは上座になっている。
私たちはお客様ってことなので低いところに座るべきなのだろう。
飛ぶように走ってきた兎たちが上座の向かいに、高いお盆と竹でできた針、お茶、真ん中に綺麗なお花のお菓子を三つ置いた。
並べられた座布団に座って、私とお燐は周囲を見渡した。妹紅だけが暇そうに欠伸をしている。
「こういうのって、お姫様が先に待ってるべきじゃ」
「お燐、固いことは言わない」
重役出勤って言うじゃん。
「あんたらさ、盗るっていうのにこんな堂々と会っていいの?」
「そういえばそうだね」
「ちょっ何か案があったんじゃないんですか!?」
「なんだか流れでこうなっちゃった」
失敗失敗。
その時襖が開いた。てゐだった。
「暇だから来てくれるってさ」
「今日はラッキーデーだったわけだ」
妹紅がケタケタと笑うとてゐも「そういえばそうだね」とケタケタと笑った。
「私は仕事に戻るよ。姫様をよろしくね」
てゐはそう言って、後ろの襖に入っていった。
しんと部屋が静まり返る。
「思ったんですが、お供もなしで姫様単身お客に会うってのもおかしな話ですよね。刺客とかだったらどうするんでしょう」
「腕に自信があるとか」
流石に襖の後ろ側とかに警備の兎が待機してるだろうけど。
「あいつは殺される心配がないから、お供なんて必要ないのさ」
妹紅が呟くように言った。
「蓬莱人だから?」
「知ってたのか」
「蓬莱人は肝――心の臓が弱点って聞いたことがあるけど」
「なんじゃそりゃ。こっちが初めて知ったよ」
妹紅の言葉が終わらないうちに、襖が開いた。
綺羅びやか、というのだろうか。見るからに上質な着物。
膝まである鴉の濡羽のような髪。
そして白い肌に整った顔立ち。
なるほど、姫っぽい。姫なんだから当然か。
「ようこそ、永遠亭に。頭首の蓬莱山輝夜です」
そう言って、会釈。
「あ、古明地こいしです」
「火焔猫燐です」
私とお燐も思わず会釈。
輝夜は訓練されたような、優雅な動きで私たちの対面に座った。
なんというか、正座の座り方まで美しいよ。
「どうぞ召し上がれ」
そう言われて、手をつけてない和菓子の事だと気がついた。
「お、お構いなく」
お燐が慌てて言った。こういう場に慣れてないんだね。
私とお燐はお茶を啜って和菓子を竹細工の串みたいなので分けて口に運んだ。
美味しいんだろうけど味が分からない。
「妹紅も食べたら?」
「毒入りなんて食えるかよ」
「あらあら、何でわかったのかしら」
くすくすと悪戯っ子みたいに笑う輝夜と不機嫌な顔で睨む妹紅。
仲良さそうだなぁ。
「どっ毒!?」
「大丈夫よ。あなたたちのには入ってないから」
お燐がほっとため息をついた。
「で、こいつらが何のために来たかって、てゐに聞いた?」
「さぁ、珍しいお客さんが来たってしか聞いてないわ」
「だったらお前、驚くぞ絶対」
妹紅が愉快そうに笑う。
「期待していいのかしら」
「もちろん」
輝夜は私たちに向き直った。
お燐がびくっと跳ねた。
「それで、私に何の用かしら」
にこっと美しい微笑を向けてくれる。
なんだか言い辛い雰囲気だなぁ。
「それよりさ、私のこと嫌じゃないの? 私は古明地さとりの妹だよ」
「あなた心を読めないでしょ」
私はドキリとして言葉を失った。
輝夜に笑顔のまま続けた。
「さっきからいろんな妄想をしてるのに全然反応してくれないのだもの。つまらないわ」
あらら、そういうこと。
「あたいらが何をしに来たか、逆に当ててみてくださいよ」
「ん? そうねぇ。お命頂戴、とかかしら」
「命より大事なものかも知れませんよ?」
「そう、命より……おやつのりんご飴でも盗られるのかしら。楽しみにしていたのに。それともお昼ごはん? 夕飯まで持つかしら」
結構真面目そうな顔で言われると笑えなくなるんだけど。姫様ジョークはわからない。
「ほら、そろそろ言ってやんなよ」
「う、うん」
輝夜の笑顔の視線とお燐の「やっぱ帰りません?」的な視線が痛い。
でも遅くなっても言い出し辛くなるだけだろうし。
「あの、失礼かもしれないけど」
一度輝夜を見てから続けた。
「あなたの持っている『蓬莱の玉の枝』を貰いにきました」
しん、と部屋が静まり返った。
輝夜はきょとんとした表情で固まった。
妹紅だけが笑いを堪えて必死のようだった。
「……蓬莱の玉の枝を」
「うん。貰いに」
「……驚いたわ」
輝夜は「はぁー」と息を長く吐き出した。
「因みに、貰ってどうするのかしら」
「お姉ちゃんにあげるの」
「そう。贈り物ってわけね」
輝夜は妹紅を見た。
妹紅はにやりと笑った。
お燐も私も逃げる準備は万端だった。
協力して後でどうにか奪取できればそれでいい。この場で無茶なことをしても意味はない。
輝夜は少し何かを考えていたがやがてにっと笑った。
私とお燐は膝を立てた。
退却準備よし。
「あはは、わかったわ。差し上げましょう蓬莱の玉の枝」
私とお燐は輝夜が何を言ったのかわからなかった。
輝夜は「これ」と襖の後ろの兎を呼んだ。
私は馬鹿みたいな顔で膝立ちのまま動けなかった。
「あの」
「何かしら」
「いや、えぇと」
お燐は言葉が見つからないのか会話にならない会話をしていた。
やがて慇懃な台座みたいなものに燦然と光り輝く物が持ってこられた。
「凄い」
お燐はそう呟いた。
たしかに凄い。
何から何まで輝いている、宝石でできた杖のようなものだった。
色とりどりの大なり小なりの宝玉が枝を型どったものに散らばっており、薄く霊力のようなものを纏っている。
まさに宝。納得の品だった。
でも。
「ねぇ」
「何かしら」
はっきりさせなきゃいけないことがある。
「これは、大事なもの?」
輝夜はにやりと笑って答えた。
「まさか。それより凄い物がもう手に入ったもの。大した事はないわ。気にしないで持って行きなさい」
にこっと、どこまでも綺麗で美しい笑顔。
人を小馬鹿にしたような。
貧しい人を憐れむような。
「もういらないから、あげる。心の貧しいものには丁度いいでしょう。人に施すのもボランティアだわ」
そう。そうなんだ。
もういらないからあげる。
心が貧しいから施してあげる。
「こ、こいし様」
お燐が不安そうな表情でこっちを見ている。
私が何を考えてるか、お燐はわかったようだった。
お燐、ごめん。たくさん怖がらせちゃったのに。
「やっぱり、いらない」
「あら、何で」
だって、こんなに簡単に手に入って――他人のお古で――いらないとか。
ふざけないでよ。
そんなの宝じゃないよ。
「その代わり、あなたの一番大事なものをもらっていく」
これだけ舐められて我慢できるか。
流石に頭に来た。
「ふーん。そう。でもあなたたちには荷が重いかもしれないわね」
ちらりと視線を移す輝夜に合わせて、私もそっちを見た。
妹紅が部屋の隅でしょぼくれていた。
というか、肩を震わせている。
「も、妹紅?」
私が呼んでも妹紅は反応しない。
泣いているのか「畜生どいつもこいつもお父様を侮辱しやがって」というつぶやきが聞こえた。
何の事だかさっぱり。
「無理して平気な振りをするからそうなるのよ。あなたの一番のトラウマだっていうのに」
「……妹紅は置いておいて、あなたの本当の宝はどれ? 白状しないと」
無茶な逆上だってわかってる。悪いのは全部私だ。
輝夜からすれば理不尽だろうけどやっぱり我慢できない。
「はぁ、気がつかないのね。まぁ価値観なんて人それぞれだろうけれど。それより白状しないとどうなるのかしら」
「どうなると思う?」
私は怒りを持っても他人にそれが伝わることはない。
目が柔らかくなっているけど、それを認めたくない。
「わからないわ。楽しそうだから試してみようかしら」
カチンと来た。
そう。
それならお望み通りに。
私は畳を軽く蹴って輝夜の懐に踏み込んだ。
輝夜はきょとんとしていた。
当たり前だ。私には気配がない。次の動作が読みにくい。
だから。
ずぷっと心地よく、暖かい感触が右手に広がった。
防げないでしょ。
手のひらにはトクン、トクン、という感触。暖かくて、優しい手触り。
輝夜はまだきょとんとしていた。
私の右手は輝夜の胸倉を容易に貫通した。引きちぎって握りこんだ心臓がまだ懸命に鼓動を打とうと痙攣していた。
もう死ぬしかない輝夜の体には興味ない。
私が右腕を引き抜くと輝夜は覚束ない足取りで数歩下がってがくっと膝を落とした。
輝夜の心臓は綺麗に赤みがかっていて、宝石みたいだった。
「お燐、蓬莱人の死体だよ。コレクションには最適でしょ」
「は、はい。確かに貴重です。早くとんずらしましょう」
妹紅はまだ隅っこでブツブツ言ってる。
ごめん。友達殺しちゃって。
後で謝るから遊びに来てね。
「じゃ、帰ろう」
右手に持っていた輝夜の心臓の感触がなくなった。
見ると砂と灰を混ぜたもののように、ざぁっと消えて無くなっているところだった。
「……あれ?」
ズドッと体を貫く衝撃。熱い鉄の棒をお腹に突き立てられたような激痛。
私は為す術も無く頭を畳にぶつけて転がった。
痛みに目を向いて後ろを見ると胸に穴を空けた輝夜が微笑みながら立っていた。
「急に殺されるとビックリするわ」
「蓬莱人って心の臓を抜き取られると死ぬんじゃなかったっけ?」
「さぁ? まともな蓬莱人はそれで死ぬかもしれないわね」
「あなたは何なの」
輝夜は数歩足を進め、台座に置かれていた蓬莱の玉の枝を手に取った。
「化物かしら」
蓬莱の玉の枝が光るのと同時に私は思いっきり後ろに跳ね飛んだ。
幾つもの光の槍が輝く。体をひねって避ける。煌めく光。目がくらむ。
じゅっと肩に熱を感じた。
「あっく!」
私は絶叫して転がった。
目を開けると畳が穴だらけになっていた。
肩が熱い。私の肩の先は削り取られて肉と骨が露出していた。
「どうかしら、これの威力は」
クスっと輝夜が笑う。
初めにやられた腹は簡単に再生していくが、光の槍にやられた肩は治らない。
どくどくと痙攣しながら血を吐き出していく。
「妖怪って霊力を伴った攻撃と精神に干渉する攻撃に弱いそうね。これは霊力を伴った光の槍。結構効くはずよ」
輝夜の後ろにお燐が回り込んだ。
次の瞬間輝夜の全身が爆炎に包まれた。
ぼぉっと鈍い音を立てて炎が更に炸裂して部屋の温度が一気に上がった。
肉の焼ける匂いと、髪の焦げる臭いがした。
「お燐ナイス」
「さぁ早く逃げましょうこいし様!」
刹那――お燐の体がびくんと跳ねた。
お燐はふらつき、体制を立てなおそうとして、たたらを踏んだが結局倒れて転がった。
すぐに体を起こして構える――が、膝が折れた。腹部から大量の血が流れ出ていた。続いて、口からどろっと真っ黒な液体が流れ落ちた。
お燐は口に手をやって、白い手にべっとりとついた血を見て呆然とした。
私もお燐も、そこでようやく攻撃されたのだと気がついた。
『アづぃジャなイ、モう』
炎の中、焼けて醜く歪んだ輝夜の顔が蠢いた。
ぼろぼろにめくれあがった皮膚が突っ張って千切れている。
痛みもないのか。
輝夜の手の光と共に炎は霧散して消えた。同時に火傷も回復して元の人形みたいな顔に戻った。
しかし服は再生しないようで、ほとんど裸だった。
「高い着物だったのに。こんなことなら火鼠の衣も着込んでおくんだったわ」
「……綺麗な体してるね、お姫さん」
お燐が引き攣った笑顔でそういった。
「ありがとう。それじゃ、さようなら」
蓬莱の玉の枝が輝く。
長く生きているけど、今まで見た中で多分一番きれいな光だった。
七色の虹が放射状になって――お燐に降り注いだ。
いくらお燐でも、これではもう避けられない。
さよなら、お燐。
私の足がバネのように動いた。
「こいしさ――」
「舌噛むよ!?」
諦めたつもりだったのに、私の体は無意識に動いてお燐に飛びついていた。
びしびしと服や皮膚を光が擦る。熱。痛み。
畳を全力で砕いてそのままお燐を押し倒すように床下に沈み込む。けれど私の体は完全には沈み込まなかったようで、強烈な熱を背中に感じた。
遅れて襖が吹っ飛ぶボゴッという音が聞こえた。
身を起こして穴から出ようとしたが、もう体が動かなかった。
「こいし様! こいし様!」
流石にリスクが高い。失敗したら死ぬかもと思っていたけど。甘く見てたかも。
お燐に引き起こされると、輝夜と目が合った。本当に綺麗な体をしてる。
私の腕を伝ってきた血は私のものかお燐のものか、区別がつかなかった。
逆ギレして返り討ち。
カッコ悪い死に方。
「あなたの宝物は何かしら?」
何を唐突に。
「今の、その子を助けなかったらあなた一人で逃げられたじゃない。何で逃げなかったの。自分から死ぬような真似をして、お姉ちゃんに贈り物はどうなったの?」
「わかんないよ。勝手に体が動いちゃって、訳わかんないよ」
本当に訳が分からない。
もう無駄だって思ったのに。
助けれても、逃げれなきゃ意味が無いのに。
何で。
「戦うにしたって、逃げるにしたってこの肩だもん。どうせダメならお燐を……って何言ってるんだろ。お燐だって怪我してて逃げれないのに。助けても無駄なのに」
ばっかだなぁ私。これじゃお姉ちゃんを笑顔にするなんて夢のまた夢ってわけだ。
私って本当に馬鹿。
ぎゅうっとお燐が抱きしめてきた。
背中が染みるよ。痛いよお燐。
「すみませんこいし様」
「こっちこそ、心中させちゃってごめん」
輝夜が歩み寄ってくる。
あっちは死なない。こっちは瀕死。
相性も最悪の上不意をつかれて大ダメージ。
出直せば対等に戦える自信があるけど、もう無理。
お姉ちゃんさよなら。
「ちょっと待てよ輝夜」
視線を移すと妹紅が立っていた。涙目だが立ち直っている様子だった。
「何? 妹紅」
「やりすぎじゃないか? いくら何でも」
「どうして」
「ほら、弾幕勝負とか、花札とか。勝負ならいくらでもあるだろ。殺すことはないんじゃないか」
「遊びで決めるなんてありえないでしょう? 本当に気持ちがこもっているからこそ、この結末を迎えたのよ」
「けどお前、お、お父様の……あれを、もういらない、とかい、言ってたじゃ」
妹紅がまた崩れそうになった。
輝夜がけろりとした顔で言った。
「あぁ、あれは嘘よ」
「……え?」
「だから嘘」
輝夜は続けた。
「この世に二つと無い伝説の宝具よ? 誰かに渡す訳ないじゃない」
「そ、それじゃあ何であんな」
「ああ言えばこの子たちも諦めるしあなたの泣き顔も拝めるから一石二鳥だと思ったのよ」
「か、輝夜ァァ!」
「落ち着きなさい」
飛びかかってきた妹紅を光が飲み込んだ。
じゅっと音がして、腕だけが畳の上に落ちて転がった。
するとすぐに腕から炎が吹き出した。
炎は人型になり最後に銀髪が煌めいて妹紅を型どった。
妹紅は服も直るようだった。
「いきなり殺すな!」
「いいじゃない。減るものじゃないし」
唖然とする私とお燐に輝夜が言った。
「あなたたちのお陰でいいもの見れたし、暇つぶしにもなったわ。そのお姉ちゃんの話を詳しく話してくれれば蓬莱の玉の枝にも勝るお宝をあげられるかもしれないわよ」
「また嘘」
「本当よ」
輝夜の美しい笑み。
邪気の欠片もない、笑顔。
「とりあえず永琳、何時までも隠れてないでこの子たちを治しなさい。あとイナバたち、この部屋を修復して」
輝夜の声で向かいの襖がガタガタと揺れた。
何だ。逃げても無駄だったじゃん。やっぱり。
ばつが悪そうに出てきた女医はこれまた綺麗な人だった。
永琳という月人は自称にたがわない名医だった。あっという間に私とお燐を直してくれた。そしてすぐに仕事に戻っていった。
話によれば妹紅も不老不死で、蓬莱の玉の枝については並々ならぬ因縁があるらしい。
「……それで蓬莱の玉の枝を」
「うん」
私の方も包み隠さず全てを伝えた。
元々悪いのは私なんだし、許す許さないの権限は輝夜にあるがかなり心の広い人だった。
和風だが綺羅びやかなものが並べられている上等な客室に通された私たちはお茶を啜って話をしていた。
「そうね、多分これをあげてもあなたの姉は喜ばなかったと思うわよ」
そう、思うんだ。
実は私も薄々気づいてた。
「やっぱり、私じゃ命をかけてもダメなのかな」
「そういうことじゃないでしょう。どこぞの巫女が言っていたわ。『女心は開くものじゃない。開かせるものだ』と」
つまり相手からってわけか。
結構深い。
「そして『だからとりあえずお尻を触ってみなさい』と」
一気に台無しだ。
輝夜は「いいものがあったわ」と呟いて座布団から立ち上がった。
長い振袖が翻って、棚に置いていた赤色の大きな宝石と――何故かこの部屋で唯一浮いている、古びた竹とんぼに引っかかった。
私は「あ」と思わず呟いた。輝夜の足元に宝石と竹とんぼが転がった。
輝夜は落ちた二つを一瞥すると、膝を折ってしゃがんだ。
最初に拾ったのは、古い竹とんぼの方だった。
「お前、それまだ持ってたのか」
「何よ、悪いかしら」
輝夜は竹とんぼを飾りなおしてから宝石に手を伸ばした。
「あの竹とんぼは?」
「ちょっと前、竹とんぼを里の子供に配ってたときに現れてな、一個欲しいって持ってきやがった奴だよ。変わってるよな」
輝夜は押し入れから色々取り出し始めた。
こうしてみると姫っぽさが無くなっているような気がする。
「ねぇお燐」
「なんですか?」
「私、わかった気がするよ」
「そうですか」
お燐は静かに微笑んだ。
「あ、あった。これだわ」
輝夜は古びた箱を取り出した。
緑と黄色のストライブの箱だった。
「これをあなたにあげる」
「それは?」
「開かせた者の願いを叶える箱よ」
「何ですそれ。聞いた事ないですね」
お燐はふんふんと臭いを嗅いだ。
「これを開けさせた後、その人を抱きしめて願い事を三回言うの。すると本当の願いを叶えてくれるのよ」
「ふぅん」
私は箱を持ってみた。思ったより重かった。
「これ、お燐に渡して開かせても叶う?」
「ずるしたらダメよ。因みに効果があるのは一回だけだから、無闇に開けてはダメ」
「おいおい輝夜それ、どっかで見たことがあると思ったら」
「妹紅、余計なことは言わなくてもいいわ」
「何だとこのやろう」
妹紅は頬を赤くして目を逸らした。
「効果はあるの?」
「もちろん。でもいい?」
輝夜は念を押してきた。
「何が起こっても抱きしめて願い事を言わなきゃダメよ」
「わかった。三回だよね」
私とお燐は立ち上がった。
「あの、一つ聞いていい?」
「何?」
「何であの言い方をすれば私が諦めるって思ったの?」
「大切な人へのプレゼントで、あれだけ侮辱した物はあげられないでしょう」
輝夜はあたりまえのように言った。
「お昼ごはん食べていかない? もうお昼回ってるけれど」
「ありがとう。でも遅くなるし、もう行くよ。お世話になりました」
「そう。妹紅、送ってあげなさい」
「命令すんなばーか」
私とお燐は妹紅について部屋をでる。
妹紅は一度だけ振り返って、懐から何かを出すとそれを輝夜に向かって投げた。
「練習しろよヘタクソ」
そういうと妹紅は早足で歩いていった。
私とお燐は輝夜が受け取ったそれをじっと見つめた。
お手製の独楽だった。
「早く来いよー置いてくぞー」
妹紅の声が聞こえる。
私とお燐は後を追った。
輝夜も姫としてではなく一人の女の子みたいに笑えるんだとその時知った。
永遠亭を出て、竹林を歩く。てゐには会えなくて残念だった。
やがて妹紅の家についた。ここからはもう大丈夫だ。
「妹紅、今日はありがとう」
「おう。また来なよ」
お燐と私は頭を下げた。
そして家路につく。
「おい」
妹紅から少し離れたとき、後ろから呼び止められて振り返ると何かが飛んできた。
思わずそれを受け取る。それは妹紅に渡した私の財布だった。
中身を見てみると、ぎっしりと『焼き鳥屋 藤原 無料券』と書いてある紙が入っていた。
「次は姉さんも連れてきな」
妹紅は背中を向けて手を振りながら家に戻っていった。
キザな人だ。
「キザな人ですね」
お燐も全く同じことを考えていた。
ありがとう妹紅。
私とお燐は無言で会釈して、踵を返した。
――――――――――
地霊殿についたときにはもう夕方を過ぎて夜だった。
「こいし様、何をお願いするか決めましたか?」
「……まだ決めてない」
輝夜の話を聞いて、何を願えばいいのかわからなくなった。
お姉ちゃんが笑顔になりますように?
無理やり笑わせたって、中身がなければそんなの意味がない。
私を好きになりますように?
お姉ちゃんが私を嫌いなら、無理矢理取って付けたような好きは要らない。
私を大切にしてくれますように?
こんなのいつものこと。白々しい想いなんて要らない。
そもそもお姉ちゃんが幸せならそれでいいの?
お姉ちゃんが笑顔を見せれば私は幸せだけど、もし私が死ぬとか酷い目に遭ったりするのがお姉ちゃんの幸せなら?
私が納得できないお姉ちゃんの幸せで、本当に私は幸せになれる?
それじゃあ私が幸せならいいの?
これはお姉ちゃんのおみやげ。お姉ちゃんを笑顔にする計画。私だけ幸せじゃ意味がない。
「……こいし様」
お燐は複雑そうな表情で笑った。
「あたいはここまでです。あたいがさとり様の前にでれば全部筒抜けになってしまいます。待ってますので吉報を」
「だめ。ちゃんと最後までついてきて」
これは最初から決めていたことだ。
筒抜けでもいい。後で結局バレることになるなら結局は一緒。
お燐は少し迷ってこくりと頷いた。
お姉ちゃんは例によって私室にいた。ダージリンのいい匂いが漂っていた。
「ただいまお姉ちゃん。ご飯食べた?」
「えぇ、あなたたちが遅いから先に頂いたわ」
お姉ちゃんは本に目を落としてそう言った。
ちゃんとこっちを向いてよもう。
「今日はね、いいお土産があるんだよ」
私は箱をもってお姉ちゃんに近づいた。お燐も後をついてくる。
「それ? ありがとう。そこに置いて夕食を食べてきなさい」
そういうわけにはいかない。どうにか開かせないと。
私が何かを言う前にお燐が前に出た。
「さとり様、お手を煩わせるようですがどうぞここで開けてください。これはこいし様の精一杯の気持ちなんです」
お姉ちゃんはお燐をじっと見つめると、微かにだが目を見開いた。
本を取り落としてお姉ちゃんは椅子から立ち上がった。
「あなたたち何て真似を……そんな下らないものの為に」
「下らなくない!」
私は思わず大声を上げていた。
だって我慢できない。私もお燐も死にそうになったっていうのに、それを下らないなんて。
いくらお姉ちゃんでも許せない。
「こいし……」
そういえば、お姉ちゃんが驚いた顔なんて久しぶりに見た。
お姉ちゃんは苦しそうな顔をして首を振った。
「違う。下らないものはその箱のことでなく――」
「さとり様、どちらにしても下らなくないです」
お燐が憤って言うと、お姉ちゃんはため息を付いた。
「お燐の心は読んだわ。多分これは賢者の石。対象物のエネルギーを極限にまで高め、簡単な幻想や妄想なら少しの間具現化することができる。月人といえば科学力の民。錬金法でそういったモノを生み出すのは専門のはず」
「関係ないよお姉ちゃん。開けてよ」
私は箱を差し出した。
お姉ちゃんは箱を受け取った。
「こいし、一つ聞いてもいいかしら」
「何?」
「あなたの心を読むことは、私には出来ない。あなたが本当に望んでいるものは何?」
「さとり様、あたいの心を読んだならそんな――」
「それはお燐の主観でしょう? 他人の考えを読むなんて、心を読めなきゃ出来るはずがない」
お姉ちゃんはお燐を見た。
「私には分かる。こいしが本当に望んでいることは私の笑顔のはずがない。なぜならこいしは、私を憎んでいる」
「さとり様! そんな……!」
「当たり前でしょう。私は下らない理由の為にあなたの目を再び開かせるのを拒み続けてきた。こいしが私の為に目を開こうとしているのに気がついていながら、その本心を読み取ることが出来なくて、不安で、怖くて、受け入れなかった。私は臆病者よ」
お姉ちゃんは自嘲気味に笑った。
「だから、あぁ。これはいい機会なのかもね。こいし、好きなことを願いなさい。きっとこの石は願いを叶えてくれるでしょう。私の目を潰すことも、心を読めなくすることも、腕や足を欠落させることも出来る。地獄のような痛みを味あわせる事だって。こいし、あなたが一生懸命調べた書物を捨てたのも、私に友達を作らせようとして失敗したのも、せっかく作ってくれたケーキが台無しになったのも、全部私の差し金なの。私はあなたの好意を受け取ることが怖かった」
「こいし様の目が閉じたのは、さとり様のせいではないと何度も言ってるじゃないですか!」
「こいしはどう思っているが分からないけど、ね」
「いい加減に――!」
「お燐、もういいよ」
私はお燐を下がらせた。
何をいまさら。全部お姉ちゃんのせいだって、そんなの知ってるよ。
「開いてよ、お姉ちゃん」
お姉ちゃんは押し黙って、箱に巻いてあった赤いリボンを解いた。
そして少しの間その箱を眺めるとお姉ちゃんは久しぶりに――本当に久しぶりに、私を見た。
お姉ちゃんは、苦しそうに私に笑いかけた。
箱が、開く。
取れた箱の上蓋が、ゆっくりと落ちて――床にぶつかった。
ポスッと気の抜けた音がした。
箱から飛び出た赤い物体が――玩具みたいなボクシングのグローブが、お姉ちゃんの鼻先にワンパンチをくれてやっていた。
お姉ちゃんはぽけっと呆けて――それはお燐もだけど――とにかく、油断しているお姉ちゃんに私は走って、飛びついた。
お姉ちゃんの手からこぼれた願いを叶える箱が床に叩きつけられて、バネがボヨボヨと跳ね回った。
私はお姉ちゃんをぎゅっと、精一杯の力で抱きしめた。
「もう、無理しなくていいよ」
痛いだろうけど、苦しいだろうけど、でも我慢して。これが最後かもしれないんだ。
お姉ちゃんがこんなに苦しい思いをしてるのは私のせいだ。
卑怯なのは私の方。知ってたのに、気づいてたのに……それを知らない振りして、かまって欲しくて。
「お姉ちゃんが私を嫌いになりますように」
じわっと目が熱くなった。
カッコ悪い私。何でお別れくらい、カッコよく言えないんだろ。
馬鹿みたい。自業自得で、どうしようもなくなって泣くなんて。
お姉ちゃんが苦しんでるの見てて、ホントは嬉しかった。楽しかった。お姉ちゃんが私のこと考えてくれるって、それだけで。
だから卑怯者は私だ。私は、愛される資格なんてない。
「お姉ちゃんが私を嫌いになりますように」
お姉ちゃんが私を嫌いになれば、もう私に悩まされることなんてない。黙って追い出して、それっきりで。
罪悪感も同情も、苦しみも感じなくていい。
だからもう。
「お姉ちゃんが私を――」
ぎりっと背中に痛みが走った。
見ると、お姉ちゃんの両手が私の胴に回されていた。
「馬鹿ねぇ」
お姉ちゃんの目からも、熱いものが溢れていた。
あぁそっか。
わかった。お姉ちゃんが欲しかったもの。
お姉ちゃんが私をどう思っているのかが、痛いほど伝わってきた。
伝わってくるってことは、こちらの心も筒抜けだろう。目の使い方はお姉ちゃんの方が圧倒的に上手だ。
お姉ちゃんは泣いていたけど笑っていた。
溜まった涙で目がキラキラ光ってて綺麗だった。
なんだかむず痒いけど、こういう事なんだ。
きっとすぐにまた閉じてしまうけど、この気持だけは忘れないように心に刻みこんでね。
抱きしめたお姉ちゃんの体は思っていたよりずっと小さく、温かかった。
私が本当に欲しかったものは大切な人の笑顔よりも、この温かさなんだと気がついた。
やっぱ生きものってエゴイスティック。
了
宝物も人それぞれ
たいせつなたからもの
自分のことのようで心が痛い
キメェwww
エピキュリアンと変態道具屋は健在でしたねw
コメディ要素を取り入れつつ心にグッとくるものがある氏の小説は本当にすごい
です!
コメディっぽさもありつつ最後は感動的でした
素晴らしい
今回も堪能させていただきました。
って、主人公より霊夢に反応しちゃダメだろ……
こいしとお燐が大変いいコンビでした。
価値観とか、エゴとか、あって当然。
最後に瞬間でも、こいしの目が開いたのでしょうか。末永く、お幸せに……
願わくばこれをブチ壊しかねない霊夢が再び地底に来ませんように……w
東方系二次創作じゃ各勢力を「家族」として見ることが
半ば常習化してる。その描き方もなぜだか似かよる。
けどこの作品はかなり独特な路線を行ってる。それを見れたのが嬉しかったです。
ほのぼのとしたこいさと、ご馳走様でした。
こいしとお燐が健気すぎる。
姫様のカリスマがパない、なんか皆手のひらの上って感じだし。
さとこいはようやく一歩を踏み出せたようでほっとした。
いい話をありがとう
しかしここの霊夢は相変わらずHEN☆TAIだw
それにしても美味しいお話でした。
そしてみんなカリスマすげぇ!!
ふたりの願い事が、いつまでも続きますように…