「そろそろ私たちの関係をはっきりさせた方が良いと思うの」
部屋の中には重苦しい空気が満ちていた。喉の奥から絞り出すようにそう言った雲居一輪は、激情を隠した怜悧な視線で対面に浮かんでいる雲居雲山を見つめていた。
彼はその真摯な瞳に、気圧されたように目を逸らした。
「ちゃんとこっちを見て」
一言一言がまるで血を吐くようだった。どんな言葉を紡いでも胸が苦しい。もう何年もこんな思いに苦しめられてきた。だが、つかずはなれず。いつも傍にいる、寝食を共にしているパートナーとの関係が壊れるのが怖くて、ずっと言い出せないで居た。
きっかけになったのは一週間前、ある現場を見てしまったからだ。
雲山が、見知らぬ女性と会っていた。単に里からお寺へ参拝に来た人間に話しかけられていただけのことだったのだが。しかしその光景を見た瞬間、これまで秘めていた物がもう隠しきれない程に肥大してしまっているということに気が付いた。
どうしようもない現実にしばらくうちひしがれ、その日は部屋に籠もって一日中布団にくるまって泣いた。訳が判らなかった。押し寄せてくる感情の波が、タダひたすらに自分を傷つけた。全身に茨が巻き付いているみたいに、痛くて苦しかった。
「――――」
雲山が何事か囁いた。
自分は入道だ。人の体を持たない。例え一緒になっても、お前を不幸にするだけだ。幸せには出来る自信がない。だから……。
「なんでそんなこというの?」
そういうのと同時に、堰を切ったように涙が溢れてきた。
滲んだ視界の向こうで、雲山が困ったような表情を浮かべていた。
私はあなたと一緒に居るだけで幸せなのに!
喉の所まで出かかっていた言葉は、しかしその口から発せられることはなかった。本当にそうなのだろうか。それ以上を求めてしまったから、こんな風に想いが膨れあがって、それで、こんなに苦しんでいるんじゃないか。
肩に雲山の手が触れた。
「やめて!」
思わず叫んでいた。
「優しくしないでよ」
震える喉で一輪は言った。
「半端な気持ちで優しくなんかしないで。そんなことされたら私――」
――勘違いしちゃうじゃない!
悲痛な乙女の慟哭。
蹲り爪で畳を掻き毟りながら泣きじゃくった。
その肩に、また手が触れた。
「やめってって言ってるでしょ!」
そういって振り回した腕を、がっしりと掴まれてしまった。暴れて振り払おうとしたが、女の力ではびくともしない。
一輪。と名前を呼ばれて、反射的に彼の方を見た。
先ほどとは違うまっすぐな瞳で雲山がこちらを見つめていた。。
はっと息を呑んだその刹那、彼の顔が近づいてきた。
唇が重なり合う。
体からすぅっと力が抜けて行く。潮が引くように涙が止まった。
いつの間にか彼の腕の中に抱きすくめられていた。
耳元で彼が囁く。
お前をこんなに苦しませていたなんて知らなかった。許してくれ、なんていわない。その償いは、これから長い時間を掛けて、どちらかが朽ち果てるまでしていくつもりだ。お前さえ良ければ、だが。
「駄目なわけないじゃない!」
また視界が滲む。
けど、溢れてきた涙は春の日射しのように暖かくて。こみ上げてきた気持ちは、これまで感じたことがないほどに穏やかで、空に飛んで行ってしまいそうなほどふわふわとしていた。
これがきっと幸せという感情なのだろう。
彼の胸に鼻先を押しつけながら、泣きながら、この時間をずっと噛みしめていた。
部屋を出てすぐに見慣れた顔を見かけた。
「ナズーリン。こんなところにいましたか。って何を見ているのです?」
「ん? ああ、ご主人。あれを」
そういってナズーリンはわずかに開けた障子の隙間に視線を向けた。覗いて見ろという合図である。
なんだろう? と寅丸星はその中を覗き込んだ。
中の光景を見て思わず溜息を吐いた。
「またですか」
「隣に居たのに気付いてなかったかい?」
「いや、あはは。ちょっと昼寝をしていて、気が付かなかったのです」
本当は三度寝くらいして、いままでずっと寝ていたのだがそんなこと正直に言えるわけがない。
「ははっ。ご主人らしい」そういってナズーリンは小さく笑った。
雲居一輪と雲山。
当人達は隠しているつもりらしいが、二人が夫婦であることは命蓮寺の面々の間では公然の秘密と化している。
倦怠期がやってくる度に、彼女たちはこうやって二人が結ばれた時のシチュエーションを再現して、再び愛を燃え上がらせるのである。
さて、そうなると当然その夜はナニをするわけだが。それがなんとも情熱的で、隣の部屋にいる物にとっては一晩中続く責め苦も同然である。
翌朝寝不足になった星が、妙に頬を赤らめ下半身をもじもじさせながらナズーリンに声をかけるのだがそれはまた別のお話である。
部屋の中には重苦しい空気が満ちていた。喉の奥から絞り出すようにそう言った雲居一輪は、激情を隠した怜悧な視線で対面に浮かんでいる雲居雲山を見つめていた。
彼はその真摯な瞳に、気圧されたように目を逸らした。
「ちゃんとこっちを見て」
一言一言がまるで血を吐くようだった。どんな言葉を紡いでも胸が苦しい。もう何年もこんな思いに苦しめられてきた。だが、つかずはなれず。いつも傍にいる、寝食を共にしているパートナーとの関係が壊れるのが怖くて、ずっと言い出せないで居た。
きっかけになったのは一週間前、ある現場を見てしまったからだ。
雲山が、見知らぬ女性と会っていた。単に里からお寺へ参拝に来た人間に話しかけられていただけのことだったのだが。しかしその光景を見た瞬間、これまで秘めていた物がもう隠しきれない程に肥大してしまっているということに気が付いた。
どうしようもない現実にしばらくうちひしがれ、その日は部屋に籠もって一日中布団にくるまって泣いた。訳が判らなかった。押し寄せてくる感情の波が、タダひたすらに自分を傷つけた。全身に茨が巻き付いているみたいに、痛くて苦しかった。
「――――」
雲山が何事か囁いた。
自分は入道だ。人の体を持たない。例え一緒になっても、お前を不幸にするだけだ。幸せには出来る自信がない。だから……。
「なんでそんなこというの?」
そういうのと同時に、堰を切ったように涙が溢れてきた。
滲んだ視界の向こうで、雲山が困ったような表情を浮かべていた。
私はあなたと一緒に居るだけで幸せなのに!
喉の所まで出かかっていた言葉は、しかしその口から発せられることはなかった。本当にそうなのだろうか。それ以上を求めてしまったから、こんな風に想いが膨れあがって、それで、こんなに苦しんでいるんじゃないか。
肩に雲山の手が触れた。
「やめて!」
思わず叫んでいた。
「優しくしないでよ」
震える喉で一輪は言った。
「半端な気持ちで優しくなんかしないで。そんなことされたら私――」
――勘違いしちゃうじゃない!
悲痛な乙女の慟哭。
蹲り爪で畳を掻き毟りながら泣きじゃくった。
その肩に、また手が触れた。
「やめってって言ってるでしょ!」
そういって振り回した腕を、がっしりと掴まれてしまった。暴れて振り払おうとしたが、女の力ではびくともしない。
一輪。と名前を呼ばれて、反射的に彼の方を見た。
先ほどとは違うまっすぐな瞳で雲山がこちらを見つめていた。。
はっと息を呑んだその刹那、彼の顔が近づいてきた。
唇が重なり合う。
体からすぅっと力が抜けて行く。潮が引くように涙が止まった。
いつの間にか彼の腕の中に抱きすくめられていた。
耳元で彼が囁く。
お前をこんなに苦しませていたなんて知らなかった。許してくれ、なんていわない。その償いは、これから長い時間を掛けて、どちらかが朽ち果てるまでしていくつもりだ。お前さえ良ければ、だが。
「駄目なわけないじゃない!」
また視界が滲む。
けど、溢れてきた涙は春の日射しのように暖かくて。こみ上げてきた気持ちは、これまで感じたことがないほどに穏やかで、空に飛んで行ってしまいそうなほどふわふわとしていた。
これがきっと幸せという感情なのだろう。
彼の胸に鼻先を押しつけながら、泣きながら、この時間をずっと噛みしめていた。
部屋を出てすぐに見慣れた顔を見かけた。
「ナズーリン。こんなところにいましたか。って何を見ているのです?」
「ん? ああ、ご主人。あれを」
そういってナズーリンはわずかに開けた障子の隙間に視線を向けた。覗いて見ろという合図である。
なんだろう? と寅丸星はその中を覗き込んだ。
中の光景を見て思わず溜息を吐いた。
「またですか」
「隣に居たのに気付いてなかったかい?」
「いや、あはは。ちょっと昼寝をしていて、気が付かなかったのです」
本当は三度寝くらいして、いままでずっと寝ていたのだがそんなこと正直に言えるわけがない。
「ははっ。ご主人らしい」そういってナズーリンは小さく笑った。
雲居一輪と雲山。
当人達は隠しているつもりらしいが、二人が夫婦であることは命蓮寺の面々の間では公然の秘密と化している。
倦怠期がやってくる度に、彼女たちはこうやって二人が結ばれた時のシチュエーションを再現して、再び愛を燃え上がらせるのである。
さて、そうなると当然その夜はナニをするわけだが。それがなんとも情熱的で、隣の部屋にいる物にとっては一晩中続く責め苦も同然である。
翌朝寝不足になった星が、妙に頬を赤らめ下半身をもじもじさせながらナズーリンに声をかけるのだがそれはまた別のお話である。
と、なかなか新鮮でした。
前半の雰囲気のまま悪ノリして欲しかったな