中秋の名月を過ぎて、幻想郷の季節は次第に夏から秋へと変わりつつあった。
夏の熱気に心地よかった風が次第に肌寒さを感じるようになり、
夜には秋の調べを奏でるように鈴虫たちが演奏会を開く。
咲き誇る花は新しい命を宿す果実となり、力強さを感じさせる緑の葉は儚さを想わせる紅へと変わる。
それは人里からやや離れたここ、魔法の森でも例外ではなかった。
そんな森の入り口に構えられた香霖堂。
そこは店の外から中まで、ありとあらゆる所にありとあらゆるアイテムが所狭しと並べられている古道具屋である。
幻想郷の技術では再現できない外の世界の便利な道具から、何に使うのか分からないガラクタまで、まさに玉石混合。
店の入り口にすら、店内には収まりきらない大きな置物やら鉄の箱やら目印のような棒切れやら何やらが、客を歓迎する気があるのか無いのか疑問を抱かせるように無造作に設置されていた。
果たしてこの外装を見て、中に入ってみようと興味を持つ者が、この幻想郷にどれだけいることだろうか、と、
この店の関係者――この店の店主である森近霖之助を除いて――の大半はそう思っていた。
そんなある日の、まだ日も高い時間。
店の入り口に一人の少女が立っていた。
~店主は語りて、少女は蒐(か)りて~
バタン、と大きな音を立てながらドアが開かれた。
吹きこむ暴風のように、開いた入口から小柄な人影が店内へと勢いよく入り込む。
「よう、邪魔するぜ」
大きな黒帽子をかぶり、金髪の癖毛の片方をおさげにまとめた白黒の少女は手をしゅぴっ、と挨拶代わりに上げながらカウンターへと歩いてきた。
「……やぁ。何の用かな?」
「何の用かとはひどいな霖之助。まさか私が買い物に来るとでも思っていたのか?」
「買い物に来ないから、何の用だと聞いたんだよ」
読みかけの本に栞を挟み、読書の時間は終わりだな、とでも言いたげに溜息を一つ吐くと、この店の主である森近霖之助は本をパタンと閉じた。
「よし教えてやろう。暇つぶしだぜ」
少女はカウンターの前に置かれた椅子に遠慮なく腰掛ける。
うん、と背伸びしてまだあまり膨らみの無い胸を張ると、顔の横でおさげがゆらゆらと揺れた。
「ああ、いつも通りだね。今お茶を淹れよう」
「おっ、悪いな」
霖之助は一度店の奥に引っ込むと、少ししてから盆に二人分の湯呑を持って戻ってきた。
差し出された良い香りのするお茶を、少女は息を吹きかけて少し冷ましてから美味しそうに飲み始める。
「なあ霖之助。何か面白いものは無いのか?」
湯呑を両手で持ちながら、少女は自分より頭二つ分くらいは背の高い霖之助を見上げるように視線を向ける。
「抽象的だね。具体的にどんな面白さを君は求めているんだい?」
「面白ければなんでもいいぜ」
「そういうのが一番困るんだけどね。僕は君の好みなんか把握していないよ」
持っていた湯呑をカウンターの上に置くと、霖之助は腕組をしながら唇を横一文字に結んで難しい表情を浮かべた。
「お任せするぜ。それともまさか、この店は私が楽しめそうなものは何一つ入荷してないとか言わないだろうな?」
「まさか。僕の好みと独断でいいのなら、最近手に入れた品をいくつか持ってこよう」
「おお。期待してるぜ」
霖之助は立ち上がると、カウンターの裏や商品棚の一角からいくつかの道具を取り出す。
どれも大きさや形がバラバラで統一感の無い組み合わせだが、霖之助は構わず一まとめにして抱えるとカウンターへと戻る。
少女は白黒のエプロンスカートから細い足を除かせてぷらぷらと宙に漂わせながら、好奇心に満ちた目でその仕草を眺めていた。
「まずはこれだ」
やけに細長く、人が両手でやっと抱えられそうな筒状のものを霖之助がカウンターに置く。
カバーがかけられたそれは鉄でできているのか、カウンターの上に置かれた瞬間ゴトリ、と重そうな音を立てた。
「なんだこりゃ、楽器か?」
少女がカバーの先から末尾までを眺めていると、霖之助はファスナーと呼ばれる留め具を引き下ろし、中から細長く鈍重な鉄の塊を引っ張り出した。
「……げ」
その正体を見た少女の顔が、露骨に嫌そうなものを見たかのように引きつる。
「これなんかどうだろう。無縁塚に流れ着いていた鉄砲……猟銃と呼ばれ、獣を狩るために使われていたものだ。
名前は『マタギの鉄砲』、用途は『熊を狩る』というものだ。型としてはやや古いが、整備したところちゃんと弾が撃てるようになった。
そもそもマタギというのは古くからの狩猟集団で、日本にはなんと平安時代からいたとされ……」
「待て待て待て。そんな物騒なものを私に見せてどうしようってんだお前は」
話の腰を強引に折られ、霖之助は眉を寄せて不満げな表情を浮かべたが、すぐに真面目な顔つきに戻ると銃を両手で持ち上げる。
「いやなに、弾幕ごっこの切り札とか、新しいスペルカード用にどうかと思ってね。普通に弾幕を撃つよりも早く弾を飛ばせるよ?」
「冗談きついぜ。こんなヤバいもん、弾幕ごっこで使えるかよ」
「そうか。まぁこれは冗談として」
「冗談かよ!?」
がくり、と体勢を崩してカウンターに突っ伏した少女を横目に、霖之助は鉄砲にカバーをかけて元に戻す。
それから鉄砲を隣に立てかけると、今度はダンボール箱と呼ばれる軽い箱を取りだした。
カウンターの上に置くと、中には小さなものがいくつも入っているのか、ガサガサと中で何かがぶつかり合う音が聞こえた。
「中にいろいろ入ってそうだな。今度はなんだ?」
ずっこけた際にずれた魔女帽子を頭の上で直しながら、少女が箱の高さに目線を合わせて覗き込む。
霖之助はダンボール箱の上部を開けると、中に手を入れて入っていたものを取りだした。
いくつかは缶詰のようなものだったり、またいくつかは袋詰めされた、時々香霖堂にも並ぶスナック菓子のようなものだったり。
食べ物であることは見受けられたのだが、なぜかそれらの外装の大半には犬の絵が描かれていた。
「……おい。なんで食べ物に犬の絵が描かれているんだ。まさか犬の肉の缶詰や乾物とか言うんじゃないだろうな?」
「そうではないんだ。逆にこれは犬が食べる餌なんだよ。
名前は『ドッグフード」用途は『犬の餌』。外の世界で犬が主食とする食べ物だそうだ」
「……勘弁してくれ。私は犬じゃないぜ」
辟易した表情を浮かべながら、少女は手を伸ばしてドッグフードをぐいぐいと遠ざけた。
押された缶がくるりと半回転し、外装に書かれていた犬の絵と目が合うと、少女は露骨に嫌そうな顔をして身を引いた。
「面白いものだと言ったろう。実は試しにこれを一つ食べてみたんだが、犬の餌とは思えないくらい美味かったんだ。
外装に書いてある原材料も、一部の材料はよく分からない名前だがきちんと人間が食べられるもので出来ているようだ。
というわけでどうだい? 保存食に向いているかもしれないよ」
「謹んで遠慮させていただくぜ」
自分の方へと霖之助が押しだしたドッグフードを、少女は両手で押し戻す。
少女に犬の餌を勧めるとはどんな神経をしているのか、と言いたげなジト目で霖之助を睨みながら。
「なら次だ。これは厳密には仕入れたものではなくて、最近僕が個人的に手に入れたものなんだが……」
霖之助は先ほどのダンボール箱よりもよほど上等そうな桐の箱を取り出し、上方をスライドさせて中身を取り出す。
両手で丁寧に取り出したそれを見て、少女の顔つきが険しくなる。
「毛皮じゃないか。しかも狐だろそれ」
「そうなんだ。この前、仕掛けておいた罠に大きな狐がかかっていてね」
霖之助は狐の毛皮を広げるとマフラーのように首の周りに巻きつける。
整えられたきめ細やかな毛並みが霖之助の首をすぐに温め始めたが、残念なことに霖之助の着ている服との組み合わせはハッキリ言ってしまえば「似合っていない」の一言に尽きた。
そんな自分の姿については言及せず、霖之助は毛皮に手を当てながら話を続ける。
「なめしたらとても上等な毛皮になってくれたよ。もちろん、ちゃんと狐は供養したうえでね。
さて、この狐の毛皮、そろそろ秋も深まってきたことだし冬の準備にどうだい?」
「いい毛皮だとは思うが、私には必要ないぜ。どうせなら霊夢にでもプレゼントしてやったらどうだ?」
なぜか毛皮を親の敵のように睨みつけながら、少女は毛皮ごと霖之助を遠ざけるかのように手をぱたぱたと上下に振った。
「ふむ。最近、君が興味を持つかもしれないと思った新商品はこれくらいのものだよ」
霖之助は出してきた商品を全て元の状態に戻すと、商品を抱えて立ち上がる。
「やれやれだ。次来る時にはもうちょっと面白いやつを仕入れておくことを勧めるぜ」
少女は頭に手を当ててはぁ、とため息をつくと、足をぷらぷらと宙に漂わせたまま椅子の上で体勢を変え、店内を見回し始める。
「君の合格点が高すぎるんだよ。僕にとっては宝箱のようなものでも、君にかかったら空箱だ」
カウンターに取り出したモノを元の場所に戻しながら、霖之助はやれやれと肩をすくめた。
「ところで霖之助。店に入る時にちょっと気になったんだけどさ」
新しい商品の説明も尽きかけたころ、壺の上に腰かけたままの少女が、入口を指さしながら訊ねた。
霖之助もつられて指の先に視線を送る。
そこには香霖堂の入り口があるだけで、さほどこの少女が興味を惹きそうなものはなかったはずだが、と彼は首を傾げた。
「入口のところに狸の置物があるよな。なんであんなもんが置いてあるのかよく考えれば不思議なんだが、古道具屋に狸って、何か意味があるのか?」
「ああ、アレのことか」
霖之助はちらりと、店の出入り口からやや左の壁に視線を移す。
角度の関係で店内からは見えなかったが、壁を越えたその視線の先には大きな狸の置物がどっしりと鎮座している。
人間の大人と同じくらいの大きさをしたそれは、編み笠をかぶり、巨大な陰嚢をぶらさげながら首を傾げ、今にも酒を求めて店の中に入ってきそうな、ユーモラスな外見をしていた。
「あれも他の商品といっしょに昔仕入れてきたものだが……あの狸の置物について、君に説明したことはあったかな?」
「無いぜ。何か面白い話があるなら聞かせてくれよ」
少女は幼い顔に期待の表情を浮かべ、目を輝かせながら霖之助に視線で話の続きを促す。
まだまだ子供だと思わせるようなその仕草に思わず苦笑しながら、霖之助は商品陳列棚の一角に向かう。
薄らと埃を被っていたその棚には、最近商品が買われた形跡は皆無であった。
そこから、陶器の狸の置物を霖之助は手に取る。それは、ちょうど外に鎮座する人間サイズの置物を、二回りも小さくしたようなものだった。
「外で立ち話もなんだし、この小さい置物を使いながら説明しよう。お茶のおかわりは要るかい?」
「ああ、頼むぜ」
霖之助は手に取った狸の置物(ミニサイズ)をカウンターの上に置くと、一度奥へと引っ込む。
それから淹れなおしたお茶と茶菓子を持ってきてカウンターに置くと、少女も壺の上から下りてカウンターへと駆け寄った。
「まずこのアイテム――外の大きな置物も同じだが、名前は『信楽(しがらき)焼きの狸の置物』、そして用途は『商売繁盛を祈願する』ものらしい」
「ふーん。商売繁盛か。つまり七福神とか大黒様みたいな、よくある縁起物だな?」
茶菓子に手を伸ばしながら、少女はカウンターの上に置かれた置物をまじまじと見やる。
「そのとおり。そもそも狸は名前からして縁起がいいんだ。タヌキ、すなわち『た』抜き。
そこから転じて『他』を抜く、つまり自分が一番になる、とそういう縁起をかついでいるんだ」
「なんだ、ただの言葉遊びじゃないか」
拍子抜けしたような表情を浮かべ、少女が狸の置物を指先でつつく。
「そう馬鹿にしたものでもないよ。モノが持つ名前がどれだけ重要な意味を持つか、これまで何度も説明しただろう?
それに、狸の外見にもちゃんと商売人に利を成すものはあるんだよ」
「この外見にか? どう見ても福を呼びそうにはないんだがなぁ」
じろじろとミニチュア狸の頭からつま先まで少女は眺めるが、霖之助が何を言おうとしているのかは分からないようだった。
「それはこの陰嚢――足元まで伸びるほどに巨大な大きさのこれだよ――いてっ」
置物の狸の股間を指差した霖之助の顎に、少女が放ったパンチが見事にクリーンヒットした。
「乙女の前で何を堂々と下品な話を始めるんだお前は」
立ち上がって拳を振り抜いた体勢のまま、少女は冷たい視線を霖之助へと向けていた。
「話は最後まで聞かないか。別に冗談で言っているわけじゃないよ。
君は『狸の睾丸八畳敷き』という言葉を知っているかい?」
「ふむ? んーと……確か、大きく広がっているものを指す言葉だったか?」
椅子に座り直して真面目に答えた少女に、霖之助は殴られた顎を抑えながら頷いた。
「正解だ。一説には、この言葉は狸が人を化かす時に、家に化けたら畳八畳の部分が全て狸の陰嚢だったほどに狸の睾丸はよく広がる、という由来があるとされる」
「まぁ、狸といえば人間を化かすので有名だしな」
「実はそれ以外にももう一つの説が……というより商売人や職人にとってはこちらの方が人気なんだが、伝わっていてね。
金を延ばして金箔にする際、金を狸の毛皮に包んだ上から槌で叩くと非常によく延び、時には八畳敷きの広さにまで延ばせたそうなんだ」
「ほう。そいつは景気のいい話だな」
金、と聞いて少女の目が輝いた。
「だからというわけじゃないが、狸の陰嚢は金をイメージできる縁起物として考えることもできる。
金工職人にとっても、そして商売人にとっても、ご利益があるものだと言えるだろう?」
「そうは言うが、この店の客の入り具合を見ると、むしろ金の縁を期待したのに効果が無かった、『取らぬ狸の皮算用』だぜ」
茶化すように笑いながら、少女は自分たち以外には誰もいない店内を見回した。
「その言葉も、やはり狸は商売にとって価値があることを示しているけどね」
「ほう? なんでだ」
「だって、狸を捕まえる前から狸の皮を売って儲ける算段をしているということは――狸の皮を売るアテはある、ということだ。
つまり、狸の皮というものは売れるだけの価値があると言えないかい?」
「おお、確かに」
「さっきも言ったように、狸の皮は金を延ばすのに活用できる。それだけではなく鍛冶に用いるふいごとしても向いているそうだ。
さらにその毛皮は狐にも負けないくらい温かいし、毛そのものだけでも筆としての利用価値も高い。
昔から人間の文化は狸と切っても切れないものだった、と言ってもいいだろうね」
「ふうん……タヌキ汁以外にもいろんな用途があるもんだったんだな」
少女は置物を手に取ると、顔に近付けて様々な角度から眺め始めた。
「じゃあさ。霖之助は狸ってやつにどんな印象を抱いてるんだ? やっぱ金を運んでくる可愛い奴か?」
「可愛い? とんでもない」
それまでも真面目な表情で話をしていた霖之助だったが、急に顔つきが鋭くなったのを見て少女はおや、と意外そうな表情を浮かべる。
「狸はとても恐ろしい相手だよ。特に狸の妖怪なんて、なるべく相手にしたくない相手の一つだね」
「ほう。お前にそこまで言わせるとはなぁ。なんだ、化かされて痛い目にあったことでもあるのか?」
攻めどころを見つけてニヤリと笑いながら、少女は話を急かすように肘を霖之助に向けてぐいぐいと押す。
「幸いにして僕はまだそんな被害はないよ。だが、昔から痛い目に遭わされてきた人間や妖怪が多かったのは事実だ。
というのも、狸の悪戯は伝承で聞くだけなら人を化かしたり、時には助けたりと可愛いもののように聞こえるが、悪戯の範疇を超える残酷性を見せることもあるんだ。
化かされる危険で言えば、狐より勝っているだろうね」
「ふうん……そういや霊夢も言ってたな。中秋の名月には人間は狸に化かされるのを恐れて外に出ないとか」
霊夢の名前が少女の口から出た瞬間、霖之助は何か思うところがあったのか「ふむ」と呟く。
だが話の先を期待している少女はその呟きに気がつかなかった。
構わず、霖之助も話を続ける。
「一つ例を出そう。『かちかち山』というお伽草子を君は知っているかい?」
「誰でも知ってる有名な話だぜ。悪戯をする狸を兎が退治する話だろ? 最後は確か狸が泥船に乗って溺れ死ぬって言う」
「そうだ。だがこの話に登場する狸は、兎に懲らしめられる前に、自分を捕まえた老夫婦に対して悪戯では済まない仕返しをしているんだよ。
狸汁を作ろうとしていた老婆を騙して自由になった狸は、杵で老婆を殴り殺すんだ」
「うへえ、そりゃ退治されるのも無理は無いぜ」
「しかもその狸は老婆に化けると、なんと老婆の肉を使って鍋を作り、帰ってきた翁に婆(ばば)汁を食べさせるんだ」
「そいつは洒落にならんな。そんな恐ろしい話だったのか」
想像するとあまりいい気分ではなかったのか、少女は眉をひそめてげんなりとした表情を浮かべる。
中のお茶がほとんど残っていない少女の湯呑に、霖之助は急須から少しぬるくなったお茶を注いだが、少女はお茶に手を伸ばさなかった。
「他には狸が狐との化かし合いで勝つ逸話もいくつかある。このこと自体、狸が狐より一枚上手とされることを示しているのだが、無害なものに化けることが多い狐に対して、狸は狐を殺すまでやることもあるんだ」
少女の様子を気にすることなく、霖之助は人差し指を立てながら話を続けた。
物騒な話題であることには変わりないが、対象が人間から狐に変わったからか、少女は少し持ち直したように視線を上げる。
「うんうん、例えば?」
「有名どころでは佐渡の二つ岩の団三郎だね。この狸は『佐渡に連れて行って欲しい』という狐を草履に化けさせたが、佐渡に渡る途中の海にその草履を捨てて狐を溺れさせたという伝説がある。
他にも『人間の大名行列に化ける』と言ったら本当に大名行列が現れたため、相手の狐が相手を讃えようと声をかけたら武士に切り殺された、実は大名行列は本物だったのだ、という伝説もある。
もっとも、中には相手は狐じゃなくてライバルの狸だったという話もあるがね」
「えげつないことするもんだぜ」
その光景を想像したのか、少女は半目で遠くを見るように視線を宙へと向ける。
と思いきや、すぐに何か思うところがあるような上目遣いで霖之助を見上げた。
「けど、だからって狸が狐より卑怯だとか残酷だ、なんて単純には考えられないな。
仮に狐が狸や他の妖怪に勝利した伝承があったとしたら、やっぱり狐だって同じことをしてたと思うがなぁ」
「確かにそうかもしれないね。物語というものの大半は勝者だからこそ謳われ、伝えられるものだ。
伝承だけで物事の全てを決めつけることは視野を狭めてしまうと言える」
「だいたい、後の時代では『分福茶釜』みたいにいいことをする狸の話もあるだろ?
連中だって、自分たちのイメージを払拭しようと案外頑張ってるのかもしれないぜ」
少女が自信たっぷりな表情を浮かべ、得意げに言う。
霖之助は否定も肯定もせず、そうだね、と相槌を打って自分のお茶を飲み干した。
「さて、僕の話はこんなところか。いずれにせよ言えることは、狸は敵に回すよりは味方にしたい存在だということだ。
もちろん、狸が僕を化かそうと襲ってきたら対抗はせざるを得ないけどね」
霖之助はカウンターの上に置きっぱなしにしていたミニチュア狸の置物を持ち上げる。
自らそれを元の場所に戻そうと店内を移動する霖之助に、少女がパチパチと手を叩いて称えた。
「お疲れさん。なかなか面白い話だったぜ」
少女は脇に寄せていた帽子を被ると、手で細かい位置を微調整しながら満足そうにニヤリと笑う。
戻ってきた霖之助はその正面に立つと、腕を組んで一回り背の低い少女を見下ろした。
「ところで、逆に僕もちょっと気になることがあるんだが、よかったら教えて貰えるかい?」
「おお、なんだ? 私に分かることならなんでも答えてやるぜ」
両手を腰に当てて、薄い胸を自信満々に張る少女。
霖之助は一度顔に手をやり眼鏡の位置を調節すると、眼鏡の奥で目を鋭く光らせた。
「それじゃあ遠慮なく聞かせてもらうが――
――――君は誰だい?」
普段の霖之助が決して出すことのない、低く張り詰めた声で店主が問いかける。
店内の時間がその瞬間だけ止まったかのように、二人の動きが、表情が固まる。
時を刻む時計が動いているゼンマイ仕掛けの音だけが、静寂の世界の中に響く。
『誰だ』と問われた、霧雨魔理沙の外見をした少女は、苦笑いを浮かべながらやれやれと両手をすくめて手のひらを天井に向けた。
「おいおい、何を言ってるんだ。お前まさかこの霧雨魔理沙さんを忘れちまったのか?」
霧雨魔理沙本人のような声と口調。
霧雨魔理沙本人がするような仕草や表情。
とぼけたように軽口を叩く魔理沙のその様子を見ても、霖之助は表情を変えない。ゆるぎない確信を持った声で再び問いかける。
「ふむ。なら質問を変えよう。『霧雨魔理沙』に化けている君は何者だい?」
再びの沈黙。
俯いて黙っていた、霧雨魔理沙の姿をした少女の雰囲気が次の瞬間変化したことに霖之助は気付く。
「――ほう。気付いていたのか」
す、と少女の顔つきが、そして声が変わる。
年頃の少女らしい幼さが消え、鋭さと冷たさを併せ持つ雰囲気が眼前の少女のイメージを百八十度塗り替える。
「ふふ、儂の嫌うものばかりを見せて来た時点で薄々まさかとは思っていたが、そこまで言いきるとはのう。
少々おぬしを見くびっていたか」
「君こそ気がついてなかったのかい? 僕は目の前の女の子のことを『君』とは呼んでいたが、一度も『魔理沙』とは呼ばなかったよ。
なぜなら、君は魔理沙ではないからね。名前を名乗らない相手の名前は呼べないよ。
ついでに言うと、魔理沙は僕のことを『霖之助』とは呼ばない」
「……くく、くくくっ。わーっはっはっはっ!!」
魔理沙は――いや、霧雨魔理沙に化けた何者かは、本物の魔理沙なら決して出さないであろう年季の入った笑い声を高らかに上げた。
癖っ毛のある金髪からは、濃い茶色をした獣の耳がぴょこんと生え、スカートのお尻の部分からは茶色い縞模様の尻尾が顔を出す。
触り心地の良さそうな丸い耳とふさふさの尻尾は、その少女の正体を如実に語っていた。
「いやはや、巧く化けたつもりだったが、呼び名とは初歩的な失敗をしてしまったのう」
魔理沙の姿をした狸の少女がニヤリと笑う。
正体がバレたというのに、まるで動じていないそのふてぶてしい表情からは、この少女がかなりの大物妖怪であることを思わせた。
「いいや、一目見てすぐに気がついたよ。君と魔理沙ではお下げの位置が逆だ。
何より魔理沙とはあの子が子供のころからの付き合いだ。目の前の少女が魔理沙かそうでないかくらい、一目見ればすぐ分かる」
「そうかそうか。そこまでは読みとれんだな。こっちの小娘ではなく博麗の巫女の方にでも化ければよかったかのう」
霊夢の名を聞き、先ほどもこの少女は霊夢の名を出していたことを霖之助は思い出す。
「しかし、この店に何の用だったんだい? 化け狸らしく、僕を化かしにでも来たのかな」
「いや、暇つぶしで入ったというのは本当じゃ。おぬしのような半人半妖を化かしても儂に益などないわい」
半分が人間で、半分は妖怪であることを初対面の妖怪に言い当てられても、霖之助は特に動じるそぶりも無く黙って耳を傾け続ける。
そんな彼を益々気に入ったのか、魔理沙の姿のままで、狸の少女はかんらかんらと嫌味を感じさせない笑い声を上げる。
耳と尻尾、そして顔つきを除けば高笑いするその外見は魔理沙そのものであり、彼女と付き合いの浅い者なら騙されても仕方がないほどによく似ていた。
「この店をついさっき見つけたのは本当に偶然でな。
以前盗み聞きした博麗の巫女とこの小娘の会話の中で、何度か話題に出ていた古道具屋とすぐに気がついた。
都合よく入口に狸の置物があったことだしのう。あの二人が気に入っている男が儂ら狸という存在をどう思っているのか、ちょっと話を聞いてみたくなっただけじゃ
「魔理沙の姿に化けたのは?」
「この小娘のことは森の中や神社で何度か観察してきたが、どうやらこの店の馴染みらしい会話をしておったからな。
この姿で行けば話を聞き出しやすいと思ったまでじゃ。
ついでに言うならば、儂が一番最後に変身したのがこの小娘じゃったからな。
記憶に新しければ、それだけ本人の再現もやりやすいのは言うまでもあるまい?」
同意を求めるような少女の問いかけにも、霖之助は無言で返す。
少女は特に気に障った様子も無く、話を続けていく。
「しかし呼び名については儂の失敗じゃな。
博麗の巫女に気付かれんよう、遠くから奴らの話を聞いておったから、全ての会話を聞いていたわけではおらんのでな。
この小娘がおぬしを何と呼ぶかまでは把握していなかったわい。
時々聞こえて来た『香霖』という名は、この店のことだとすっかり思いこんでおったわ」
魔理沙に化けた狸は、悔しそうな声を出しながらも顔は笑っていた。
どうやら彼女にとっては、正体を見破られたことはさほど堪えるようなことではないらしい。
「本物の魔理沙はどうしたんだい?」
「知らんよ。儂はこの小娘にゃ指一本触れておらん。もしこの場に本物が現れたなら、さぞかし愉快な光景じゃろうな」
その光景を想像したのだろう。化け狸の少女はくくくっ、と愉快そうに、今度は魔理沙には似つかわしくない老獪な笑いを浮かべる。
「それにしても、おぬしも商売人のくせに欲がないのう」
化け狸がどこか小馬鹿にしたような声で放った言葉を聞いて、霖之助はその発言の意図を測りかねるように、初めて眉を寄せて口元に手を当てた。
「儂が最初から偽物と気がついていたなら、この機を利用してありもしない約束でもでっち上げて適当なモノを売りつければよかったろうに。
『そういえば君が以前欲しがっていたモノが入荷したよ』とでも言って売りつければ、ボロが出ないように儂は話を合わせておったぞ?」
『お前は本当に商売をする気があるのか?』と言われているも同然の辛辣な指摘だったが、今度は霖之助は眉ひとつ動かさなかった。
何を分かりきったことを、とでも言いたげに肩をすくめると、口元だけを少し緩めて言い返す。
「僕も商売人だからね。嘘の契約で品物を買わせるなんて真似は矜持に反するよ。例え騙そうとしたのは相手が先だとしてもね。
……それにだ、例え君にモノを売りつけた所で、君が払ってくれるお金はどうせ葉っぱなんだろう?」
霖之助の指摘は真理を突いていたらしく、狸の少女は魔理沙の顔でニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「はっはっはっ。分かっているのう店主。飄々としているようでなかなか隙を見せん。益々気に入ったぞ」
化け狸は懐に手を突っ込み、少々色あせたお札を三枚取り出した。
幻想郷で使われている通貨と寸分違わぬ外見の紙切れを無造作に空中に放り投げると、ひらひらと宙を舞うお札はいつの間にか緑鮮やかな葉っぱへと変化していた。
霖之助がその落ちる木の葉の動きに注意を奪われて目をやった瞬間、少女へ向けていた意識が一瞬だけそちらへと向けられる。
すぐに霖之助が視線を正面に戻すと、そこにいたはずの化け狸の姿はほんの一瞬の間に煙のように消えうせていた。
そうなると予想はしていたのか、霖之助は特に表情を変えずに小さな溜息を一つ吐きながら、カウンターの奥の椅子へと腰掛けた。
「なかなか楽しかったぞ店主。今回は儂の負けと言うことにしておいてやろう」
来訪者のいなくなった店内に、化け狸の地声がどこからともなく響き渡る。
「だが、この程度で勝ったと思うでないぞ。儂など数多の化け狸の中でもまだまだ小物に過ぎん。
佐渡の二つ岩の団三郎や淡路島の芝右衛門、屋島の禿狸などの御大将にかかれば、おぬしを完璧に化かす程度のこと、わけはないわい」
狸が挙げた名前には、霖之助はいずれも聞きおぼえがあった。
彼は直接会ったことは無いが、外の世界では日本三大狸とも呼ばれている程の錚々たる大妖怪ばかりである。
「驚いたね。そんな大物も幻想郷に来ていたのかい?」
「さて? 来ておるかもしれんし、来ておらんかもしれんのう。もしかしたら既におぬしの身近にいる者に化けておるやもしれんぞ。
くっくっくっ。せいぜいいつ化かされるか分からぬ恐怖に怯えるがよい。
では、また会おうぞ!」
それっきり、店内に響いていた声はしなくなった。
時計が時を刻む音だけが、規則正しく香霖堂の店内に流れていく。
「……やれやれ」
霖之助は床に落ちていた葉っぱを拾い上げると、疲れたようにため息を一つ吐いた。
次の日も霖之助の一日は何事も無く始まり、ほとんど来客の無い店内の時間はいつもどおりに流れていた。
出迎える相手を待ちながら、店の外に置かれた信楽焼の狸の置物はいつもと変わらない愛嬌のある姿で立ち続けている。
幻想郷中を駆け巡り、薄の穂を揺らして吹く冷たい秋風が、昨日よりももう少しだけ秋の深まりを感じさせた。
やがて日も高く昇った頃、今日もこの店に来訪者が訪れる。
バタン、と大きな音を立てながらドアが開かれた。
吹きこむ暴風のように、開いた入口から小柄な人影が店内へと勢いよく入り込む。
「よう、邪魔するぜ」
大きな黒帽子をかぶり、金髪の癖毛の片方をおさげにまとめた白黒の少女は手をしゅぴっ、と挨拶代わりに上げながらカウンターへと近づいていく。
「やあ魔理沙、いらっしゃい」
「どうだ香霖、何か面白いものは入ってないか?」
帽子を脱ぎ、箒を立てかけ、魔理沙は当たり前のようにカウンター前の椅子に腰かける。
下がった目線が、カウンターの上に置かれたいくつかの品物を目ざとく見つける。
「お? なんだこりゃ。首輪に……『ドッグフード』? 犬の食べ物か? それとも犬の肉で作った食べ物か?
なんでこんなものをカウンターに置いてるんだ?」
人間でも嵌められそうな紅い首輪を手に取り、魔理沙は興味で目を輝かせながら霖之助を見上げた。
「ああ、ちょっとこの店で犬でも飼ってみようかなと本気で考えてね」
「犬? なんでまた急にそんなもん飼おうなんて考えたんだ?」
「うん。実は昨日、面白いことがあってね――」
魔理沙に化けた狸の少女の姿を思い出しながら、霖之助はさてどこから話そうか、と記憶をたどり始めるのだった。
完
夏の熱気に心地よかった風が次第に肌寒さを感じるようになり、
夜には秋の調べを奏でるように鈴虫たちが演奏会を開く。
咲き誇る花は新しい命を宿す果実となり、力強さを感じさせる緑の葉は儚さを想わせる紅へと変わる。
それは人里からやや離れたここ、魔法の森でも例外ではなかった。
そんな森の入り口に構えられた香霖堂。
そこは店の外から中まで、ありとあらゆる所にありとあらゆるアイテムが所狭しと並べられている古道具屋である。
幻想郷の技術では再現できない外の世界の便利な道具から、何に使うのか分からないガラクタまで、まさに玉石混合。
店の入り口にすら、店内には収まりきらない大きな置物やら鉄の箱やら目印のような棒切れやら何やらが、客を歓迎する気があるのか無いのか疑問を抱かせるように無造作に設置されていた。
果たしてこの外装を見て、中に入ってみようと興味を持つ者が、この幻想郷にどれだけいることだろうか、と、
この店の関係者――この店の店主である森近霖之助を除いて――の大半はそう思っていた。
そんなある日の、まだ日も高い時間。
店の入り口に一人の少女が立っていた。
~店主は語りて、少女は蒐(か)りて~
バタン、と大きな音を立てながらドアが開かれた。
吹きこむ暴風のように、開いた入口から小柄な人影が店内へと勢いよく入り込む。
「よう、邪魔するぜ」
大きな黒帽子をかぶり、金髪の癖毛の片方をおさげにまとめた白黒の少女は手をしゅぴっ、と挨拶代わりに上げながらカウンターへと歩いてきた。
「……やぁ。何の用かな?」
「何の用かとはひどいな霖之助。まさか私が買い物に来るとでも思っていたのか?」
「買い物に来ないから、何の用だと聞いたんだよ」
読みかけの本に栞を挟み、読書の時間は終わりだな、とでも言いたげに溜息を一つ吐くと、この店の主である森近霖之助は本をパタンと閉じた。
「よし教えてやろう。暇つぶしだぜ」
少女はカウンターの前に置かれた椅子に遠慮なく腰掛ける。
うん、と背伸びしてまだあまり膨らみの無い胸を張ると、顔の横でおさげがゆらゆらと揺れた。
「ああ、いつも通りだね。今お茶を淹れよう」
「おっ、悪いな」
霖之助は一度店の奥に引っ込むと、少ししてから盆に二人分の湯呑を持って戻ってきた。
差し出された良い香りのするお茶を、少女は息を吹きかけて少し冷ましてから美味しそうに飲み始める。
「なあ霖之助。何か面白いものは無いのか?」
湯呑を両手で持ちながら、少女は自分より頭二つ分くらいは背の高い霖之助を見上げるように視線を向ける。
「抽象的だね。具体的にどんな面白さを君は求めているんだい?」
「面白ければなんでもいいぜ」
「そういうのが一番困るんだけどね。僕は君の好みなんか把握していないよ」
持っていた湯呑をカウンターの上に置くと、霖之助は腕組をしながら唇を横一文字に結んで難しい表情を浮かべた。
「お任せするぜ。それともまさか、この店は私が楽しめそうなものは何一つ入荷してないとか言わないだろうな?」
「まさか。僕の好みと独断でいいのなら、最近手に入れた品をいくつか持ってこよう」
「おお。期待してるぜ」
霖之助は立ち上がると、カウンターの裏や商品棚の一角からいくつかの道具を取り出す。
どれも大きさや形がバラバラで統一感の無い組み合わせだが、霖之助は構わず一まとめにして抱えるとカウンターへと戻る。
少女は白黒のエプロンスカートから細い足を除かせてぷらぷらと宙に漂わせながら、好奇心に満ちた目でその仕草を眺めていた。
「まずはこれだ」
やけに細長く、人が両手でやっと抱えられそうな筒状のものを霖之助がカウンターに置く。
カバーがかけられたそれは鉄でできているのか、カウンターの上に置かれた瞬間ゴトリ、と重そうな音を立てた。
「なんだこりゃ、楽器か?」
少女がカバーの先から末尾までを眺めていると、霖之助はファスナーと呼ばれる留め具を引き下ろし、中から細長く鈍重な鉄の塊を引っ張り出した。
「……げ」
その正体を見た少女の顔が、露骨に嫌そうなものを見たかのように引きつる。
「これなんかどうだろう。無縁塚に流れ着いていた鉄砲……猟銃と呼ばれ、獣を狩るために使われていたものだ。
名前は『マタギの鉄砲』、用途は『熊を狩る』というものだ。型としてはやや古いが、整備したところちゃんと弾が撃てるようになった。
そもそもマタギというのは古くからの狩猟集団で、日本にはなんと平安時代からいたとされ……」
「待て待て待て。そんな物騒なものを私に見せてどうしようってんだお前は」
話の腰を強引に折られ、霖之助は眉を寄せて不満げな表情を浮かべたが、すぐに真面目な顔つきに戻ると銃を両手で持ち上げる。
「いやなに、弾幕ごっこの切り札とか、新しいスペルカード用にどうかと思ってね。普通に弾幕を撃つよりも早く弾を飛ばせるよ?」
「冗談きついぜ。こんなヤバいもん、弾幕ごっこで使えるかよ」
「そうか。まぁこれは冗談として」
「冗談かよ!?」
がくり、と体勢を崩してカウンターに突っ伏した少女を横目に、霖之助は鉄砲にカバーをかけて元に戻す。
それから鉄砲を隣に立てかけると、今度はダンボール箱と呼ばれる軽い箱を取りだした。
カウンターの上に置くと、中には小さなものがいくつも入っているのか、ガサガサと中で何かがぶつかり合う音が聞こえた。
「中にいろいろ入ってそうだな。今度はなんだ?」
ずっこけた際にずれた魔女帽子を頭の上で直しながら、少女が箱の高さに目線を合わせて覗き込む。
霖之助はダンボール箱の上部を開けると、中に手を入れて入っていたものを取りだした。
いくつかは缶詰のようなものだったり、またいくつかは袋詰めされた、時々香霖堂にも並ぶスナック菓子のようなものだったり。
食べ物であることは見受けられたのだが、なぜかそれらの外装の大半には犬の絵が描かれていた。
「……おい。なんで食べ物に犬の絵が描かれているんだ。まさか犬の肉の缶詰や乾物とか言うんじゃないだろうな?」
「そうではないんだ。逆にこれは犬が食べる餌なんだよ。
名前は『ドッグフード」用途は『犬の餌』。外の世界で犬が主食とする食べ物だそうだ」
「……勘弁してくれ。私は犬じゃないぜ」
辟易した表情を浮かべながら、少女は手を伸ばしてドッグフードをぐいぐいと遠ざけた。
押された缶がくるりと半回転し、外装に書かれていた犬の絵と目が合うと、少女は露骨に嫌そうな顔をして身を引いた。
「面白いものだと言ったろう。実は試しにこれを一つ食べてみたんだが、犬の餌とは思えないくらい美味かったんだ。
外装に書いてある原材料も、一部の材料はよく分からない名前だがきちんと人間が食べられるもので出来ているようだ。
というわけでどうだい? 保存食に向いているかもしれないよ」
「謹んで遠慮させていただくぜ」
自分の方へと霖之助が押しだしたドッグフードを、少女は両手で押し戻す。
少女に犬の餌を勧めるとはどんな神経をしているのか、と言いたげなジト目で霖之助を睨みながら。
「なら次だ。これは厳密には仕入れたものではなくて、最近僕が個人的に手に入れたものなんだが……」
霖之助は先ほどのダンボール箱よりもよほど上等そうな桐の箱を取り出し、上方をスライドさせて中身を取り出す。
両手で丁寧に取り出したそれを見て、少女の顔つきが険しくなる。
「毛皮じゃないか。しかも狐だろそれ」
「そうなんだ。この前、仕掛けておいた罠に大きな狐がかかっていてね」
霖之助は狐の毛皮を広げるとマフラーのように首の周りに巻きつける。
整えられたきめ細やかな毛並みが霖之助の首をすぐに温め始めたが、残念なことに霖之助の着ている服との組み合わせはハッキリ言ってしまえば「似合っていない」の一言に尽きた。
そんな自分の姿については言及せず、霖之助は毛皮に手を当てながら話を続ける。
「なめしたらとても上等な毛皮になってくれたよ。もちろん、ちゃんと狐は供養したうえでね。
さて、この狐の毛皮、そろそろ秋も深まってきたことだし冬の準備にどうだい?」
「いい毛皮だとは思うが、私には必要ないぜ。どうせなら霊夢にでもプレゼントしてやったらどうだ?」
なぜか毛皮を親の敵のように睨みつけながら、少女は毛皮ごと霖之助を遠ざけるかのように手をぱたぱたと上下に振った。
「ふむ。最近、君が興味を持つかもしれないと思った新商品はこれくらいのものだよ」
霖之助は出してきた商品を全て元の状態に戻すと、商品を抱えて立ち上がる。
「やれやれだ。次来る時にはもうちょっと面白いやつを仕入れておくことを勧めるぜ」
少女は頭に手を当ててはぁ、とため息をつくと、足をぷらぷらと宙に漂わせたまま椅子の上で体勢を変え、店内を見回し始める。
「君の合格点が高すぎるんだよ。僕にとっては宝箱のようなものでも、君にかかったら空箱だ」
カウンターに取り出したモノを元の場所に戻しながら、霖之助はやれやれと肩をすくめた。
「ところで霖之助。店に入る時にちょっと気になったんだけどさ」
新しい商品の説明も尽きかけたころ、壺の上に腰かけたままの少女が、入口を指さしながら訊ねた。
霖之助もつられて指の先に視線を送る。
そこには香霖堂の入り口があるだけで、さほどこの少女が興味を惹きそうなものはなかったはずだが、と彼は首を傾げた。
「入口のところに狸の置物があるよな。なんであんなもんが置いてあるのかよく考えれば不思議なんだが、古道具屋に狸って、何か意味があるのか?」
「ああ、アレのことか」
霖之助はちらりと、店の出入り口からやや左の壁に視線を移す。
角度の関係で店内からは見えなかったが、壁を越えたその視線の先には大きな狸の置物がどっしりと鎮座している。
人間の大人と同じくらいの大きさをしたそれは、編み笠をかぶり、巨大な陰嚢をぶらさげながら首を傾げ、今にも酒を求めて店の中に入ってきそうな、ユーモラスな外見をしていた。
「あれも他の商品といっしょに昔仕入れてきたものだが……あの狸の置物について、君に説明したことはあったかな?」
「無いぜ。何か面白い話があるなら聞かせてくれよ」
少女は幼い顔に期待の表情を浮かべ、目を輝かせながら霖之助に視線で話の続きを促す。
まだまだ子供だと思わせるようなその仕草に思わず苦笑しながら、霖之助は商品陳列棚の一角に向かう。
薄らと埃を被っていたその棚には、最近商品が買われた形跡は皆無であった。
そこから、陶器の狸の置物を霖之助は手に取る。それは、ちょうど外に鎮座する人間サイズの置物を、二回りも小さくしたようなものだった。
「外で立ち話もなんだし、この小さい置物を使いながら説明しよう。お茶のおかわりは要るかい?」
「ああ、頼むぜ」
霖之助は手に取った狸の置物(ミニサイズ)をカウンターの上に置くと、一度奥へと引っ込む。
それから淹れなおしたお茶と茶菓子を持ってきてカウンターに置くと、少女も壺の上から下りてカウンターへと駆け寄った。
「まずこのアイテム――外の大きな置物も同じだが、名前は『信楽(しがらき)焼きの狸の置物』、そして用途は『商売繁盛を祈願する』ものらしい」
「ふーん。商売繁盛か。つまり七福神とか大黒様みたいな、よくある縁起物だな?」
茶菓子に手を伸ばしながら、少女はカウンターの上に置かれた置物をまじまじと見やる。
「そのとおり。そもそも狸は名前からして縁起がいいんだ。タヌキ、すなわち『た』抜き。
そこから転じて『他』を抜く、つまり自分が一番になる、とそういう縁起をかついでいるんだ」
「なんだ、ただの言葉遊びじゃないか」
拍子抜けしたような表情を浮かべ、少女が狸の置物を指先でつつく。
「そう馬鹿にしたものでもないよ。モノが持つ名前がどれだけ重要な意味を持つか、これまで何度も説明しただろう?
それに、狸の外見にもちゃんと商売人に利を成すものはあるんだよ」
「この外見にか? どう見ても福を呼びそうにはないんだがなぁ」
じろじろとミニチュア狸の頭からつま先まで少女は眺めるが、霖之助が何を言おうとしているのかは分からないようだった。
「それはこの陰嚢――足元まで伸びるほどに巨大な大きさのこれだよ――いてっ」
置物の狸の股間を指差した霖之助の顎に、少女が放ったパンチが見事にクリーンヒットした。
「乙女の前で何を堂々と下品な話を始めるんだお前は」
立ち上がって拳を振り抜いた体勢のまま、少女は冷たい視線を霖之助へと向けていた。
「話は最後まで聞かないか。別に冗談で言っているわけじゃないよ。
君は『狸の睾丸八畳敷き』という言葉を知っているかい?」
「ふむ? んーと……確か、大きく広がっているものを指す言葉だったか?」
椅子に座り直して真面目に答えた少女に、霖之助は殴られた顎を抑えながら頷いた。
「正解だ。一説には、この言葉は狸が人を化かす時に、家に化けたら畳八畳の部分が全て狸の陰嚢だったほどに狸の睾丸はよく広がる、という由来があるとされる」
「まぁ、狸といえば人間を化かすので有名だしな」
「実はそれ以外にももう一つの説が……というより商売人や職人にとってはこちらの方が人気なんだが、伝わっていてね。
金を延ばして金箔にする際、金を狸の毛皮に包んだ上から槌で叩くと非常によく延び、時には八畳敷きの広さにまで延ばせたそうなんだ」
「ほう。そいつは景気のいい話だな」
金、と聞いて少女の目が輝いた。
「だからというわけじゃないが、狸の陰嚢は金をイメージできる縁起物として考えることもできる。
金工職人にとっても、そして商売人にとっても、ご利益があるものだと言えるだろう?」
「そうは言うが、この店の客の入り具合を見ると、むしろ金の縁を期待したのに効果が無かった、『取らぬ狸の皮算用』だぜ」
茶化すように笑いながら、少女は自分たち以外には誰もいない店内を見回した。
「その言葉も、やはり狸は商売にとって価値があることを示しているけどね」
「ほう? なんでだ」
「だって、狸を捕まえる前から狸の皮を売って儲ける算段をしているということは――狸の皮を売るアテはある、ということだ。
つまり、狸の皮というものは売れるだけの価値があると言えないかい?」
「おお、確かに」
「さっきも言ったように、狸の皮は金を延ばすのに活用できる。それだけではなく鍛冶に用いるふいごとしても向いているそうだ。
さらにその毛皮は狐にも負けないくらい温かいし、毛そのものだけでも筆としての利用価値も高い。
昔から人間の文化は狸と切っても切れないものだった、と言ってもいいだろうね」
「ふうん……タヌキ汁以外にもいろんな用途があるもんだったんだな」
少女は置物を手に取ると、顔に近付けて様々な角度から眺め始めた。
「じゃあさ。霖之助は狸ってやつにどんな印象を抱いてるんだ? やっぱ金を運んでくる可愛い奴か?」
「可愛い? とんでもない」
それまでも真面目な表情で話をしていた霖之助だったが、急に顔つきが鋭くなったのを見て少女はおや、と意外そうな表情を浮かべる。
「狸はとても恐ろしい相手だよ。特に狸の妖怪なんて、なるべく相手にしたくない相手の一つだね」
「ほう。お前にそこまで言わせるとはなぁ。なんだ、化かされて痛い目にあったことでもあるのか?」
攻めどころを見つけてニヤリと笑いながら、少女は話を急かすように肘を霖之助に向けてぐいぐいと押す。
「幸いにして僕はまだそんな被害はないよ。だが、昔から痛い目に遭わされてきた人間や妖怪が多かったのは事実だ。
というのも、狸の悪戯は伝承で聞くだけなら人を化かしたり、時には助けたりと可愛いもののように聞こえるが、悪戯の範疇を超える残酷性を見せることもあるんだ。
化かされる危険で言えば、狐より勝っているだろうね」
「ふうん……そういや霊夢も言ってたな。中秋の名月には人間は狸に化かされるのを恐れて外に出ないとか」
霊夢の名前が少女の口から出た瞬間、霖之助は何か思うところがあったのか「ふむ」と呟く。
だが話の先を期待している少女はその呟きに気がつかなかった。
構わず、霖之助も話を続ける。
「一つ例を出そう。『かちかち山』というお伽草子を君は知っているかい?」
「誰でも知ってる有名な話だぜ。悪戯をする狸を兎が退治する話だろ? 最後は確か狸が泥船に乗って溺れ死ぬって言う」
「そうだ。だがこの話に登場する狸は、兎に懲らしめられる前に、自分を捕まえた老夫婦に対して悪戯では済まない仕返しをしているんだよ。
狸汁を作ろうとしていた老婆を騙して自由になった狸は、杵で老婆を殴り殺すんだ」
「うへえ、そりゃ退治されるのも無理は無いぜ」
「しかもその狸は老婆に化けると、なんと老婆の肉を使って鍋を作り、帰ってきた翁に婆(ばば)汁を食べさせるんだ」
「そいつは洒落にならんな。そんな恐ろしい話だったのか」
想像するとあまりいい気分ではなかったのか、少女は眉をひそめてげんなりとした表情を浮かべる。
中のお茶がほとんど残っていない少女の湯呑に、霖之助は急須から少しぬるくなったお茶を注いだが、少女はお茶に手を伸ばさなかった。
「他には狸が狐との化かし合いで勝つ逸話もいくつかある。このこと自体、狸が狐より一枚上手とされることを示しているのだが、無害なものに化けることが多い狐に対して、狸は狐を殺すまでやることもあるんだ」
少女の様子を気にすることなく、霖之助は人差し指を立てながら話を続けた。
物騒な話題であることには変わりないが、対象が人間から狐に変わったからか、少女は少し持ち直したように視線を上げる。
「うんうん、例えば?」
「有名どころでは佐渡の二つ岩の団三郎だね。この狸は『佐渡に連れて行って欲しい』という狐を草履に化けさせたが、佐渡に渡る途中の海にその草履を捨てて狐を溺れさせたという伝説がある。
他にも『人間の大名行列に化ける』と言ったら本当に大名行列が現れたため、相手の狐が相手を讃えようと声をかけたら武士に切り殺された、実は大名行列は本物だったのだ、という伝説もある。
もっとも、中には相手は狐じゃなくてライバルの狸だったという話もあるがね」
「えげつないことするもんだぜ」
その光景を想像したのか、少女は半目で遠くを見るように視線を宙へと向ける。
と思いきや、すぐに何か思うところがあるような上目遣いで霖之助を見上げた。
「けど、だからって狸が狐より卑怯だとか残酷だ、なんて単純には考えられないな。
仮に狐が狸や他の妖怪に勝利した伝承があったとしたら、やっぱり狐だって同じことをしてたと思うがなぁ」
「確かにそうかもしれないね。物語というものの大半は勝者だからこそ謳われ、伝えられるものだ。
伝承だけで物事の全てを決めつけることは視野を狭めてしまうと言える」
「だいたい、後の時代では『分福茶釜』みたいにいいことをする狸の話もあるだろ?
連中だって、自分たちのイメージを払拭しようと案外頑張ってるのかもしれないぜ」
少女が自信たっぷりな表情を浮かべ、得意げに言う。
霖之助は否定も肯定もせず、そうだね、と相槌を打って自分のお茶を飲み干した。
「さて、僕の話はこんなところか。いずれにせよ言えることは、狸は敵に回すよりは味方にしたい存在だということだ。
もちろん、狸が僕を化かそうと襲ってきたら対抗はせざるを得ないけどね」
霖之助はカウンターの上に置きっぱなしにしていたミニチュア狸の置物を持ち上げる。
自らそれを元の場所に戻そうと店内を移動する霖之助に、少女がパチパチと手を叩いて称えた。
「お疲れさん。なかなか面白い話だったぜ」
少女は脇に寄せていた帽子を被ると、手で細かい位置を微調整しながら満足そうにニヤリと笑う。
戻ってきた霖之助はその正面に立つと、腕を組んで一回り背の低い少女を見下ろした。
「ところで、逆に僕もちょっと気になることがあるんだが、よかったら教えて貰えるかい?」
「おお、なんだ? 私に分かることならなんでも答えてやるぜ」
両手を腰に当てて、薄い胸を自信満々に張る少女。
霖之助は一度顔に手をやり眼鏡の位置を調節すると、眼鏡の奥で目を鋭く光らせた。
「それじゃあ遠慮なく聞かせてもらうが――
――――君は誰だい?」
普段の霖之助が決して出すことのない、低く張り詰めた声で店主が問いかける。
店内の時間がその瞬間だけ止まったかのように、二人の動きが、表情が固まる。
時を刻む時計が動いているゼンマイ仕掛けの音だけが、静寂の世界の中に響く。
『誰だ』と問われた、霧雨魔理沙の外見をした少女は、苦笑いを浮かべながらやれやれと両手をすくめて手のひらを天井に向けた。
「おいおい、何を言ってるんだ。お前まさかこの霧雨魔理沙さんを忘れちまったのか?」
霧雨魔理沙本人のような声と口調。
霧雨魔理沙本人がするような仕草や表情。
とぼけたように軽口を叩く魔理沙のその様子を見ても、霖之助は表情を変えない。ゆるぎない確信を持った声で再び問いかける。
「ふむ。なら質問を変えよう。『霧雨魔理沙』に化けている君は何者だい?」
再びの沈黙。
俯いて黙っていた、霧雨魔理沙の姿をした少女の雰囲気が次の瞬間変化したことに霖之助は気付く。
「――ほう。気付いていたのか」
す、と少女の顔つきが、そして声が変わる。
年頃の少女らしい幼さが消え、鋭さと冷たさを併せ持つ雰囲気が眼前の少女のイメージを百八十度塗り替える。
「ふふ、儂の嫌うものばかりを見せて来た時点で薄々まさかとは思っていたが、そこまで言いきるとはのう。
少々おぬしを見くびっていたか」
「君こそ気がついてなかったのかい? 僕は目の前の女の子のことを『君』とは呼んでいたが、一度も『魔理沙』とは呼ばなかったよ。
なぜなら、君は魔理沙ではないからね。名前を名乗らない相手の名前は呼べないよ。
ついでに言うと、魔理沙は僕のことを『霖之助』とは呼ばない」
「……くく、くくくっ。わーっはっはっはっ!!」
魔理沙は――いや、霧雨魔理沙に化けた何者かは、本物の魔理沙なら決して出さないであろう年季の入った笑い声を高らかに上げた。
癖っ毛のある金髪からは、濃い茶色をした獣の耳がぴょこんと生え、スカートのお尻の部分からは茶色い縞模様の尻尾が顔を出す。
触り心地の良さそうな丸い耳とふさふさの尻尾は、その少女の正体を如実に語っていた。
「いやはや、巧く化けたつもりだったが、呼び名とは初歩的な失敗をしてしまったのう」
魔理沙の姿をした狸の少女がニヤリと笑う。
正体がバレたというのに、まるで動じていないそのふてぶてしい表情からは、この少女がかなりの大物妖怪であることを思わせた。
「いいや、一目見てすぐに気がついたよ。君と魔理沙ではお下げの位置が逆だ。
何より魔理沙とはあの子が子供のころからの付き合いだ。目の前の少女が魔理沙かそうでないかくらい、一目見ればすぐ分かる」
「そうかそうか。そこまでは読みとれんだな。こっちの小娘ではなく博麗の巫女の方にでも化ければよかったかのう」
霊夢の名を聞き、先ほどもこの少女は霊夢の名を出していたことを霖之助は思い出す。
「しかし、この店に何の用だったんだい? 化け狸らしく、僕を化かしにでも来たのかな」
「いや、暇つぶしで入ったというのは本当じゃ。おぬしのような半人半妖を化かしても儂に益などないわい」
半分が人間で、半分は妖怪であることを初対面の妖怪に言い当てられても、霖之助は特に動じるそぶりも無く黙って耳を傾け続ける。
そんな彼を益々気に入ったのか、魔理沙の姿のままで、狸の少女はかんらかんらと嫌味を感じさせない笑い声を上げる。
耳と尻尾、そして顔つきを除けば高笑いするその外見は魔理沙そのものであり、彼女と付き合いの浅い者なら騙されても仕方がないほどによく似ていた。
「この店をついさっき見つけたのは本当に偶然でな。
以前盗み聞きした博麗の巫女とこの小娘の会話の中で、何度か話題に出ていた古道具屋とすぐに気がついた。
都合よく入口に狸の置物があったことだしのう。あの二人が気に入っている男が儂ら狸という存在をどう思っているのか、ちょっと話を聞いてみたくなっただけじゃ
「魔理沙の姿に化けたのは?」
「この小娘のことは森の中や神社で何度か観察してきたが、どうやらこの店の馴染みらしい会話をしておったからな。
この姿で行けば話を聞き出しやすいと思ったまでじゃ。
ついでに言うならば、儂が一番最後に変身したのがこの小娘じゃったからな。
記憶に新しければ、それだけ本人の再現もやりやすいのは言うまでもあるまい?」
同意を求めるような少女の問いかけにも、霖之助は無言で返す。
少女は特に気に障った様子も無く、話を続けていく。
「しかし呼び名については儂の失敗じゃな。
博麗の巫女に気付かれんよう、遠くから奴らの話を聞いておったから、全ての会話を聞いていたわけではおらんのでな。
この小娘がおぬしを何と呼ぶかまでは把握していなかったわい。
時々聞こえて来た『香霖』という名は、この店のことだとすっかり思いこんでおったわ」
魔理沙に化けた狸は、悔しそうな声を出しながらも顔は笑っていた。
どうやら彼女にとっては、正体を見破られたことはさほど堪えるようなことではないらしい。
「本物の魔理沙はどうしたんだい?」
「知らんよ。儂はこの小娘にゃ指一本触れておらん。もしこの場に本物が現れたなら、さぞかし愉快な光景じゃろうな」
その光景を想像したのだろう。化け狸の少女はくくくっ、と愉快そうに、今度は魔理沙には似つかわしくない老獪な笑いを浮かべる。
「それにしても、おぬしも商売人のくせに欲がないのう」
化け狸がどこか小馬鹿にしたような声で放った言葉を聞いて、霖之助はその発言の意図を測りかねるように、初めて眉を寄せて口元に手を当てた。
「儂が最初から偽物と気がついていたなら、この機を利用してありもしない約束でもでっち上げて適当なモノを売りつければよかったろうに。
『そういえば君が以前欲しがっていたモノが入荷したよ』とでも言って売りつければ、ボロが出ないように儂は話を合わせておったぞ?」
『お前は本当に商売をする気があるのか?』と言われているも同然の辛辣な指摘だったが、今度は霖之助は眉ひとつ動かさなかった。
何を分かりきったことを、とでも言いたげに肩をすくめると、口元だけを少し緩めて言い返す。
「僕も商売人だからね。嘘の契約で品物を買わせるなんて真似は矜持に反するよ。例え騙そうとしたのは相手が先だとしてもね。
……それにだ、例え君にモノを売りつけた所で、君が払ってくれるお金はどうせ葉っぱなんだろう?」
霖之助の指摘は真理を突いていたらしく、狸の少女は魔理沙の顔でニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「はっはっはっ。分かっているのう店主。飄々としているようでなかなか隙を見せん。益々気に入ったぞ」
化け狸は懐に手を突っ込み、少々色あせたお札を三枚取り出した。
幻想郷で使われている通貨と寸分違わぬ外見の紙切れを無造作に空中に放り投げると、ひらひらと宙を舞うお札はいつの間にか緑鮮やかな葉っぱへと変化していた。
霖之助がその落ちる木の葉の動きに注意を奪われて目をやった瞬間、少女へ向けていた意識が一瞬だけそちらへと向けられる。
すぐに霖之助が視線を正面に戻すと、そこにいたはずの化け狸の姿はほんの一瞬の間に煙のように消えうせていた。
そうなると予想はしていたのか、霖之助は特に表情を変えずに小さな溜息を一つ吐きながら、カウンターの奥の椅子へと腰掛けた。
「なかなか楽しかったぞ店主。今回は儂の負けと言うことにしておいてやろう」
来訪者のいなくなった店内に、化け狸の地声がどこからともなく響き渡る。
「だが、この程度で勝ったと思うでないぞ。儂など数多の化け狸の中でもまだまだ小物に過ぎん。
佐渡の二つ岩の団三郎や淡路島の芝右衛門、屋島の禿狸などの御大将にかかれば、おぬしを完璧に化かす程度のこと、わけはないわい」
狸が挙げた名前には、霖之助はいずれも聞きおぼえがあった。
彼は直接会ったことは無いが、外の世界では日本三大狸とも呼ばれている程の錚々たる大妖怪ばかりである。
「驚いたね。そんな大物も幻想郷に来ていたのかい?」
「さて? 来ておるかもしれんし、来ておらんかもしれんのう。もしかしたら既におぬしの身近にいる者に化けておるやもしれんぞ。
くっくっくっ。せいぜいいつ化かされるか分からぬ恐怖に怯えるがよい。
では、また会おうぞ!」
それっきり、店内に響いていた声はしなくなった。
時計が時を刻む音だけが、規則正しく香霖堂の店内に流れていく。
「……やれやれ」
霖之助は床に落ちていた葉っぱを拾い上げると、疲れたようにため息を一つ吐いた。
次の日も霖之助の一日は何事も無く始まり、ほとんど来客の無い店内の時間はいつもどおりに流れていた。
出迎える相手を待ちながら、店の外に置かれた信楽焼の狸の置物はいつもと変わらない愛嬌のある姿で立ち続けている。
幻想郷中を駆け巡り、薄の穂を揺らして吹く冷たい秋風が、昨日よりももう少しだけ秋の深まりを感じさせた。
やがて日も高く昇った頃、今日もこの店に来訪者が訪れる。
バタン、と大きな音を立てながらドアが開かれた。
吹きこむ暴風のように、開いた入口から小柄な人影が店内へと勢いよく入り込む。
「よう、邪魔するぜ」
大きな黒帽子をかぶり、金髪の癖毛の片方をおさげにまとめた白黒の少女は手をしゅぴっ、と挨拶代わりに上げながらカウンターへと近づいていく。
「やあ魔理沙、いらっしゃい」
「どうだ香霖、何か面白いものは入ってないか?」
帽子を脱ぎ、箒を立てかけ、魔理沙は当たり前のようにカウンター前の椅子に腰かける。
下がった目線が、カウンターの上に置かれたいくつかの品物を目ざとく見つける。
「お? なんだこりゃ。首輪に……『ドッグフード』? 犬の食べ物か? それとも犬の肉で作った食べ物か?
なんでこんなものをカウンターに置いてるんだ?」
人間でも嵌められそうな紅い首輪を手に取り、魔理沙は興味で目を輝かせながら霖之助を見上げた。
「ああ、ちょっとこの店で犬でも飼ってみようかなと本気で考えてね」
「犬? なんでまた急にそんなもん飼おうなんて考えたんだ?」
「うん。実は昨日、面白いことがあってね――」
魔理沙に化けた狸の少女の姿を思い出しながら、霖之助はさてどこから話そうか、と記憶をたどり始めるのだった。
完
面白かったです。
こっちは見破れなかったっていうのに……
く、悔しくなんかないぞ!
ああ、またいらない知識が増えてしまったw
しかし後書き、なぜ帰した。
流石だ
ところで能力的に、狸が化かしてる道具はどう見えてるんだろうね?
ところで感想に横レスになりますが>>18さん、「女狐」があると思いますが如何でしょうか
してやられましたわー
ただ、偽魔理沙を見抜いたのはいいとして、正体の特定までは難しかったんじゃないかな。
まぁ相手が化け動物以外なら、追加で品物を見せて反応を窺えばいいのかな。
ただしあとがき、椛さんから白狼の誇りを取り上げんで下さいw
よびかたが違うのはあれっと思いましたが狸でしたか
上の人同様何で狸と判断出来たかがちょっと不明なのが気になりましたが
霖之助、と呼んだときに違和感を感じたのですが、作者様のミスかと…申し訳ありません…
正体を現した後も、考えていた者とは違ったという…
三月精を読み返せねば!