かつて古明地こいしは、人間と良好な関係を築きたがっていた。積極的に心を読むことはなく、だれにでも笑顔で接していた。しかし、人間たちはそれに敵意を以て応えた。
「あれには近づくな。心を読まれるぞ。見通され襲われ、最後には喰われてしまうぞ。だから『覚』には近づくな。」
それでも彼女は笑顔を振りまくことをやめなかった。彼女には、その心の支えとなる存在がいたから。その男は彼女が覚であることとその能力を知ってなお、彼女を愛していた。
男は望んでいた。彼女が願いをかなえ、覚でありながら人間と共存することを。
彼女は望んでいた。たくさんの笑顔に囲まれながら、男とともに添い遂げることを。
男は周りの人間から疎まれていた。でも彼女が何よりも大切だから、里で針の筵になることを受け入れていた。
彼女は感謝していた。男が自分の夢を応援し、自らも人間と彼女の懸け橋になろうとしてくれていることに。
男は汚れ仕事を押し付けられていた。でも金を稼がなければいけないから、それに大事な里の人間との接点だったから、我慢して働いた。
彼女は心配していた。里での男の扱いが日に日に悪くなっている。でもそれはとうに彼と話し合ったことだから。彼は、必ず報われる、それにこの生活も自分と一緒なら悪くないと、そう言ってくれたから。心配を押し込めて、笑顔を向けた。
男は疲弊していた。里での扱いは日に日に悪くなっていく。それでも彼女に心配させたくなかったから、「大丈夫」と言い続けた。
彼女は疲弊していた。男が少しづつ活力を失っている様子を見て、今自分がやっていることを続けていいのか、自信を持てなくなっていた。
「あんなやつら・・・には・・ない。これは・・い行い・・・・は里を想って・・・・」
彼女が気が付くと、視界は赤と黒に染まっていた。男と彼女の家は、赤々と燃えていた。体のいたるところに火傷の痛みと、冷たい土の感触を感じながら起き上がると、そこには全身を焼けただれさせ、おそらく無茶な動きをして煙を吸ったのだろう、焼けた喉を抑えて呻く男が倒れていた。慌てて駆け寄る彼女に気が付くと、男はかすれた声で言う。
こんなことばかりじゃない。きっと受け入れてくれる人がいる。だから、どうかあきらめないで。幸せになってくれ。
動かなくなった男の前で崩れ落ちる彼女の目に、光は灯っていなかった。
「なんでこうなってしまったの」
頑張っていたのに
「私が『覚』だから?」
どれだけ自分が好意的に接し繋がろうとしても
「何が悪いの」
人間は否定を以て応える
「そうだ」
そして彼までも
「この『眼』が悪いんだ」
もういやだ
「この『眼』さえ無ければ」
こんな思いはしたくない
覚妖怪はその能力によって人々を怖れさせ、その恐怖心を糧とする。人々から向けられる感情から逃げることは、妖怪として生きることを諦めるのと変わらない。
しかしいっそそうなっても構わないと思えるくらいに、少女は疲弊し絶望し、ついには自分で自分を否定した。
決してもうこんな思いをしないように、こんな余計なものしか映さない「要らない眼」など潰してしまいたかった。
落ちていた棒状の瓦礫を拾い上げ右手に、「要らない眼」を左手に持つ。棒を逆手に持ち替え振りかぶる。 ―しかしどうしてもその手が振り下ろせない。
何故だ。痛みへの恐怖?能力を失い人々に感情を向けさせられず、死ぬかもしれないことへの恐怖?
違う。何かが違う。でもこのまま覚でいるのは嫌だ。
ならば、せめてその眼を。決して開かないように。もう人の感情を映してしまうことのないように。固く、固く、閉じてしまおう。
今の古明地こいしは、古明地こいしであって古明地こいしでない。
眼を閉じただけでは、完全に覚でなくなることはできない。しかし心を読めないのだから人々から畏怖や恐怖の感情を向けさせられず、生きることはできない。
眼を閉じた時、男の最期の言葉は、彼女の心の奥底に確かに届いていた。だから、彼女が絶望という表層の意識に従い眼を潰そうとした時、深層の意識にある男の言葉がその手を止めた。
心の奥底で声が響く。彼が言ったように、人間とは覚を怖れるだけではないのだろうか。いつか手を取り合い、かつての夢を叶えることはできるのだろうか。
今の古明地こいしは「生きている」のではない。眼を閉じる時に深層の意識が叫んだ望みが、その眼に残された「記憶」で、「古明地こいし」を創った。
「古明地こいし」は無意識を操る。彼女を知るものには、彼女はそう映る。しかし実際は記憶が形をとって動いているに過ぎない。彼女の本質は「生きて」いない。だから、実体こそあれど人々に認識されることが無い。
「古明地こいし」は放浪癖がある。深層意識の望みに従い、男がかつて彼女に見せていたような笑顔を、人々に求めて彷徨う。
いつか人々の中に、求めていた物を見つけ出すのだろうか。「古明地こいし」はその心を以て、再びその眼を開くのだろうか。記憶が形をとった抜け殻の姿ではなく、心を宿した少女に戻るのだろうか。
しかしその眼を開いたとき、その視界に映るのはきっと、求めていた笑顔ではない。第三の眼を開き「覚」へと戻った少女への恐怖、嫌悪、そして否定である。
古明地こいしは、その「過去」に。一度はその手を止めた希望すらも否定される、その二度目の「絶望」に。耐えられるのだろうか。
「あれには近づくな。心を読まれるぞ。見通され襲われ、最後には喰われてしまうぞ。だから『覚』には近づくな。」
それでも彼女は笑顔を振りまくことをやめなかった。彼女には、その心の支えとなる存在がいたから。その男は彼女が覚であることとその能力を知ってなお、彼女を愛していた。
男は望んでいた。彼女が願いをかなえ、覚でありながら人間と共存することを。
彼女は望んでいた。たくさんの笑顔に囲まれながら、男とともに添い遂げることを。
男は周りの人間から疎まれていた。でも彼女が何よりも大切だから、里で針の筵になることを受け入れていた。
彼女は感謝していた。男が自分の夢を応援し、自らも人間と彼女の懸け橋になろうとしてくれていることに。
男は汚れ仕事を押し付けられていた。でも金を稼がなければいけないから、それに大事な里の人間との接点だったから、我慢して働いた。
彼女は心配していた。里での男の扱いが日に日に悪くなっている。でもそれはとうに彼と話し合ったことだから。彼は、必ず報われる、それにこの生活も自分と一緒なら悪くないと、そう言ってくれたから。心配を押し込めて、笑顔を向けた。
男は疲弊していた。里での扱いは日に日に悪くなっていく。それでも彼女に心配させたくなかったから、「大丈夫」と言い続けた。
彼女は疲弊していた。男が少しづつ活力を失っている様子を見て、今自分がやっていることを続けていいのか、自信を持てなくなっていた。
「あんなやつら・・・には・・ない。これは・・い行い・・・・は里を想って・・・・」
彼女が気が付くと、視界は赤と黒に染まっていた。男と彼女の家は、赤々と燃えていた。体のいたるところに火傷の痛みと、冷たい土の感触を感じながら起き上がると、そこには全身を焼けただれさせ、おそらく無茶な動きをして煙を吸ったのだろう、焼けた喉を抑えて呻く男が倒れていた。慌てて駆け寄る彼女に気が付くと、男はかすれた声で言う。
こんなことばかりじゃない。きっと受け入れてくれる人がいる。だから、どうかあきらめないで。幸せになってくれ。
動かなくなった男の前で崩れ落ちる彼女の目に、光は灯っていなかった。
「なんでこうなってしまったの」
頑張っていたのに
「私が『覚』だから?」
どれだけ自分が好意的に接し繋がろうとしても
「何が悪いの」
人間は否定を以て応える
「そうだ」
そして彼までも
「この『眼』が悪いんだ」
もういやだ
「この『眼』さえ無ければ」
こんな思いはしたくない
覚妖怪はその能力によって人々を怖れさせ、その恐怖心を糧とする。人々から向けられる感情から逃げることは、妖怪として生きることを諦めるのと変わらない。
しかしいっそそうなっても構わないと思えるくらいに、少女は疲弊し絶望し、ついには自分で自分を否定した。
決してもうこんな思いをしないように、こんな余計なものしか映さない「要らない眼」など潰してしまいたかった。
落ちていた棒状の瓦礫を拾い上げ右手に、「要らない眼」を左手に持つ。棒を逆手に持ち替え振りかぶる。 ―しかしどうしてもその手が振り下ろせない。
何故だ。痛みへの恐怖?能力を失い人々に感情を向けさせられず、死ぬかもしれないことへの恐怖?
違う。何かが違う。でもこのまま覚でいるのは嫌だ。
ならば、せめてその眼を。決して開かないように。もう人の感情を映してしまうことのないように。固く、固く、閉じてしまおう。
今の古明地こいしは、古明地こいしであって古明地こいしでない。
眼を閉じただけでは、完全に覚でなくなることはできない。しかし心を読めないのだから人々から畏怖や恐怖の感情を向けさせられず、生きることはできない。
眼を閉じた時、男の最期の言葉は、彼女の心の奥底に確かに届いていた。だから、彼女が絶望という表層の意識に従い眼を潰そうとした時、深層の意識にある男の言葉がその手を止めた。
心の奥底で声が響く。彼が言ったように、人間とは覚を怖れるだけではないのだろうか。いつか手を取り合い、かつての夢を叶えることはできるのだろうか。
今の古明地こいしは「生きている」のではない。眼を閉じる時に深層の意識が叫んだ望みが、その眼に残された「記憶」で、「古明地こいし」を創った。
「古明地こいし」は無意識を操る。彼女を知るものには、彼女はそう映る。しかし実際は記憶が形をとって動いているに過ぎない。彼女の本質は「生きて」いない。だから、実体こそあれど人々に認識されることが無い。
「古明地こいし」は放浪癖がある。深層意識の望みに従い、男がかつて彼女に見せていたような笑顔を、人々に求めて彷徨う。
いつか人々の中に、求めていた物を見つけ出すのだろうか。「古明地こいし」はその心を以て、再びその眼を開くのだろうか。記憶が形をとった抜け殻の姿ではなく、心を宿した少女に戻るのだろうか。
しかしその眼を開いたとき、その視界に映るのはきっと、求めていた笑顔ではない。第三の眼を開き「覚」へと戻った少女への恐怖、嫌悪、そして否定である。
古明地こいしは、その「過去」に。一度はその手を止めた希望すらも否定される、その二度目の「絶望」に。耐えられるのだろうか。