閉め切られた研究室の戸が開く。
一人実験データと睨み合いをしている私のもとに黒髪の少女がやって来た。
「はじめまして、蓬莱山輝夜です」
少女はこの世の苦行を何も知らないのではないか、というような少女特有の笑顔を私に向け挨拶をした。
私の研究室がある棟は外部の人間の出入りが禁じられている、ではこの少女は誰だろう。
蓬莱山、聞いた事のある苗字。私は生まれてからこっち、研究室の外にいた時間の方がはるかに短いので、
知っている名前というと、家族、職員、それから学術書の著者、そのくらいだ。
職員の娘だろうか?だとしたらその職員には厳重注意が必要だ、身内だからといってこの棟に入れていいはずも無い。
「はじめまして、八意永琳です」
子供には対等に接するべきだと教わった私はとりあえず挨拶を返した。
輝夜はえーりん、と私の名を繰り返して、許可を取らずに私の隣の椅子に腰掛けた。
失礼な小娘だ、と思った。
失礼だけど、と心にも無い前置きして私は話し出す。
「この研究棟は立ち入り禁止なのよ、知らないのかしら。どうしてここへ来たの?」
べつに警備がいるわけではないにしろ、子供が迷い込むところでもないだろう。
輝夜は両手をあわせて、それはね、と言い話し出す。
それらの仕草がいちいち余裕たっぷりに見えて、私はすこし苛立った。
なんとなく姫、という言葉が浮かんだ。
「もちろんあなたに会うためよ。お願いがあるの、永琳。
私ね、ちょっと特別な力があるのよ。あなたの製薬の力と併せれば、とても素敵な事ができるわ。
何の不安も無くいつまでも幸せでいられるの。
…ねえ、蓬莱の薬、って知っているかしら」
蓬莱の薬の事は知っている、飲んだ者を不老不死の肉体にする秘薬。
たしか、作るのは認められているけど、決して使ってはならない事になっている禁薬だった。
使用した者には極刑。
だが私はそれよりも輝夜のとろくさいしゃべり方の方が気になっていた、苛々する。
「もちろん知っているわ私を誰だと思っているの、でもね貴女は知らないようだけど蓬莱の薬は禁薬なの。
使用したら公安が飛んできてたちどころに極刑よ」
私は一気にまくし立てた。
「極刑が執行されたって、蓬莱の薬が完璧なものであれば、使った者は不老不死になっているんだから何とも無いわ」
完璧なもの、というのが私には、あなたは完璧な蓬莱の薬を完成させられないのかしら、と言われたように聞こえる。
「それにねえ、私にはわからないの、どうして蓬莱の薬が禁薬になってるのかしら」
誰もが死ななかったら人口が増え続けて収拾がつかないからだろう。
「例えば永琳、あなたを殺しても良い?」
突然の言葉に私としたことが動揺してしまう。
殺していいはずが無い。天才の一族、八意家の中でもずば抜けた天才と呼ばれる私を。
違う別に頭が良いから死にたく無い訳ではない、それは周りの人々が私に『死んで欲しくない』と思う理由だ。
私を殺してはいけない理由。そういう事ではない。
「殺して良い訳ないでしょう」
私は死にたくない、それだけ。
「でも死ぬかも。今私が懐に忍ばせた短刀で心臓を一突きにするかも。首を絞めて殺すかも。
私が何もしなくても、外を歩いていたら隕石が頭に当たって死んでしまうかも。頭のおかしい人に襲われるかも。」
もちろん、輝夜のいう事はでまかせとたとえ話だと思う。
ここで私に死の可能性を仄めかして不安にさせる。
蓬莱の薬があればそんな心配は要らないわ!唐突に訪れる理不尽な死に怯えることなんて無いのよ。
そうね輝夜、蓬莱の薬があれば皆幸せに生きていけるわ。
こんな風に話を運ぼうとしている。
私は目の前の少女が、その鈍くさい喋り方とは裏腹に、頭が良く狡猾だと理解した。
「そんな事言っても無駄よ、さっき『何故蓬莱の薬は禁薬なの』言ってたけど、それは誰も死ななかったら
人口が増え続けて収拾がつかないからよ。ちゃんとした理由があって蓬莱の薬の使用は禁じられてるの。
貴女はそうやって自分や、自分の家族、不老不死にして幸せにしようとしているのだろうけど、そうしたら普通人たちは
貴女たちを妬むわ。何故自分たちは死の恐怖に苛まれなくてはいけないのか、何故あいつらは死なないのか、と」
「そんな心配は無いわ、普通人には、蓬莱人がどれだけ悲惨な末路をたどるか、を見せ付けるの、ショーだけどね。
…私は蓬莱の薬を使って捕らえられて、たちどころに処刑されるの。だけど蓬莱の薬の力で、私は死なない」
輝夜はここで言葉をいったん区切ると、蓬莱の薬が完璧ならね、と付け加える。
しつこい。
「処刑に失敗した私は、おそらく島流しにされるんじゃないかと思うわ。どこか違う星に飛ばされるの。
永遠に監禁されるっていう事は無いと思うわ、私の身分が身分だし、両親も身内の恥をいつまでも置いておきたくないだろうし。
私は島流しされた星でもやって行けるわ、どうせ死なないんだもの、時間が無限にあるなら何だって出来る。
もっとも、限られた時間の中だとしても、私は違う星で今と同じ身分を築けるけれど」
「あなたの身分?うちの機関の職員の娘じゃないの?」
どうしたのかしら、輝夜が変な顔をしている。
「何言っているの、私はこの月の姫よ」
「知らなかったわ」
「永琳、あなたって変な人ね」
輝夜が笑っている。
「そう、あと…さっき、私が自分や自分の家族を不老不死にする、って言ってたわよね、そんな事しないわ、蓬莱の薬を使うのは私だけ。
使いたいなら貴女も使っても良いけどね。この方法では不老不死になれるのは一人か二人だけ、っていうのもあるけど、
もし全員を不老不死に出来る状況があっても、他の人間は不老不死にしないわ
…してあげない。なんでそんな事してあげなきゃいけないのかしら、ただ生きてるだけの下賤の民に」
輝夜の本質は、最初会った時に感じた、ふわふわとした小娘然とした印象とはかけ離れていた。
だけれども、最初に会った時に感じた、少女はこの世の苦行を何も知らないのではないか、そして、姫、というイメージは変わらなかった。
「輝夜…いえ、姫、あなたは冷たい人ですね」
「永琳こそ天才なのに随分と優しいじゃない。月の頭脳、なんて言われるほどなんだから、もっと冷たい人だと思ったわ。
私たちは他人の事なんて気にしなくて良いのよ?今日から自分以外は虫だと思いなさい」
薬を作るのはまた今度ね、喋り疲れたわ、と言って、姫は部屋を出て行こうとする。
戸に手をかけて振り返り、「私を呼ぶときは姫じゃなく輝夜でもいいわよ」と言い、部屋を出て行った。
そう言われても、やはり姫、と呼ぶことになるだろう。
それ以上に彼女の在り様を表す言葉は無いだろうから。
自分より遥かに年下の、そして、私に比べれば取り立てて頭が良いという訳でもない少女に言い包められてしまった。
なのに不快な気持ちではなかった。
そして私はこれからずっと、彼女に付き従うことになるのだろう、と予感した。
一人実験データと睨み合いをしている私のもとに黒髪の少女がやって来た。
「はじめまして、蓬莱山輝夜です」
少女はこの世の苦行を何も知らないのではないか、というような少女特有の笑顔を私に向け挨拶をした。
私の研究室がある棟は外部の人間の出入りが禁じられている、ではこの少女は誰だろう。
蓬莱山、聞いた事のある苗字。私は生まれてからこっち、研究室の外にいた時間の方がはるかに短いので、
知っている名前というと、家族、職員、それから学術書の著者、そのくらいだ。
職員の娘だろうか?だとしたらその職員には厳重注意が必要だ、身内だからといってこの棟に入れていいはずも無い。
「はじめまして、八意永琳です」
子供には対等に接するべきだと教わった私はとりあえず挨拶を返した。
輝夜はえーりん、と私の名を繰り返して、許可を取らずに私の隣の椅子に腰掛けた。
失礼な小娘だ、と思った。
失礼だけど、と心にも無い前置きして私は話し出す。
「この研究棟は立ち入り禁止なのよ、知らないのかしら。どうしてここへ来たの?」
べつに警備がいるわけではないにしろ、子供が迷い込むところでもないだろう。
輝夜は両手をあわせて、それはね、と言い話し出す。
それらの仕草がいちいち余裕たっぷりに見えて、私はすこし苛立った。
なんとなく姫、という言葉が浮かんだ。
「もちろんあなたに会うためよ。お願いがあるの、永琳。
私ね、ちょっと特別な力があるのよ。あなたの製薬の力と併せれば、とても素敵な事ができるわ。
何の不安も無くいつまでも幸せでいられるの。
…ねえ、蓬莱の薬、って知っているかしら」
蓬莱の薬の事は知っている、飲んだ者を不老不死の肉体にする秘薬。
たしか、作るのは認められているけど、決して使ってはならない事になっている禁薬だった。
使用した者には極刑。
だが私はそれよりも輝夜のとろくさいしゃべり方の方が気になっていた、苛々する。
「もちろん知っているわ私を誰だと思っているの、でもね貴女は知らないようだけど蓬莱の薬は禁薬なの。
使用したら公安が飛んできてたちどころに極刑よ」
私は一気にまくし立てた。
「極刑が執行されたって、蓬莱の薬が完璧なものであれば、使った者は不老不死になっているんだから何とも無いわ」
完璧なもの、というのが私には、あなたは完璧な蓬莱の薬を完成させられないのかしら、と言われたように聞こえる。
「それにねえ、私にはわからないの、どうして蓬莱の薬が禁薬になってるのかしら」
誰もが死ななかったら人口が増え続けて収拾がつかないからだろう。
「例えば永琳、あなたを殺しても良い?」
突然の言葉に私としたことが動揺してしまう。
殺していいはずが無い。天才の一族、八意家の中でもずば抜けた天才と呼ばれる私を。
違う別に頭が良いから死にたく無い訳ではない、それは周りの人々が私に『死んで欲しくない』と思う理由だ。
私を殺してはいけない理由。そういう事ではない。
「殺して良い訳ないでしょう」
私は死にたくない、それだけ。
「でも死ぬかも。今私が懐に忍ばせた短刀で心臓を一突きにするかも。首を絞めて殺すかも。
私が何もしなくても、外を歩いていたら隕石が頭に当たって死んでしまうかも。頭のおかしい人に襲われるかも。」
もちろん、輝夜のいう事はでまかせとたとえ話だと思う。
ここで私に死の可能性を仄めかして不安にさせる。
蓬莱の薬があればそんな心配は要らないわ!唐突に訪れる理不尽な死に怯えることなんて無いのよ。
そうね輝夜、蓬莱の薬があれば皆幸せに生きていけるわ。
こんな風に話を運ぼうとしている。
私は目の前の少女が、その鈍くさい喋り方とは裏腹に、頭が良く狡猾だと理解した。
「そんな事言っても無駄よ、さっき『何故蓬莱の薬は禁薬なの』言ってたけど、それは誰も死ななかったら
人口が増え続けて収拾がつかないからよ。ちゃんとした理由があって蓬莱の薬の使用は禁じられてるの。
貴女はそうやって自分や、自分の家族、不老不死にして幸せにしようとしているのだろうけど、そうしたら普通人たちは
貴女たちを妬むわ。何故自分たちは死の恐怖に苛まれなくてはいけないのか、何故あいつらは死なないのか、と」
「そんな心配は無いわ、普通人には、蓬莱人がどれだけ悲惨な末路をたどるか、を見せ付けるの、ショーだけどね。
…私は蓬莱の薬を使って捕らえられて、たちどころに処刑されるの。だけど蓬莱の薬の力で、私は死なない」
輝夜はここで言葉をいったん区切ると、蓬莱の薬が完璧ならね、と付け加える。
しつこい。
「処刑に失敗した私は、おそらく島流しにされるんじゃないかと思うわ。どこか違う星に飛ばされるの。
永遠に監禁されるっていう事は無いと思うわ、私の身分が身分だし、両親も身内の恥をいつまでも置いておきたくないだろうし。
私は島流しされた星でもやって行けるわ、どうせ死なないんだもの、時間が無限にあるなら何だって出来る。
もっとも、限られた時間の中だとしても、私は違う星で今と同じ身分を築けるけれど」
「あなたの身分?うちの機関の職員の娘じゃないの?」
どうしたのかしら、輝夜が変な顔をしている。
「何言っているの、私はこの月の姫よ」
「知らなかったわ」
「永琳、あなたって変な人ね」
輝夜が笑っている。
「そう、あと…さっき、私が自分や自分の家族を不老不死にする、って言ってたわよね、そんな事しないわ、蓬莱の薬を使うのは私だけ。
使いたいなら貴女も使っても良いけどね。この方法では不老不死になれるのは一人か二人だけ、っていうのもあるけど、
もし全員を不老不死に出来る状況があっても、他の人間は不老不死にしないわ
…してあげない。なんでそんな事してあげなきゃいけないのかしら、ただ生きてるだけの下賤の民に」
輝夜の本質は、最初会った時に感じた、ふわふわとした小娘然とした印象とはかけ離れていた。
だけれども、最初に会った時に感じた、少女はこの世の苦行を何も知らないのではないか、そして、姫、というイメージは変わらなかった。
「輝夜…いえ、姫、あなたは冷たい人ですね」
「永琳こそ天才なのに随分と優しいじゃない。月の頭脳、なんて言われるほどなんだから、もっと冷たい人だと思ったわ。
私たちは他人の事なんて気にしなくて良いのよ?今日から自分以外は虫だと思いなさい」
薬を作るのはまた今度ね、喋り疲れたわ、と言って、姫は部屋を出て行こうとする。
戸に手をかけて振り返り、「私を呼ぶときは姫じゃなく輝夜でもいいわよ」と言い、部屋を出て行った。
そう言われても、やはり姫、と呼ぶことになるだろう。
それ以上に彼女の在り様を表す言葉は無いだろうから。
自分より遥かに年下の、そして、私に比べれば取り立てて頭が良いという訳でもない少女に言い包められてしまった。
なのに不快な気持ちではなかった。
そして私はこれからずっと、彼女に付き従うことになるのだろう、と予感した。
えーりんも家具屋も不死だけど、やっぱもこたんほど不死っぽく見えないなぁ。