鈴奈庵は決して広い店じゃあ無い。
いや遠慮せずに言ってしまえばかなり狭い。
大仰な暖簾を潜ると呼び鈴代わりの鈴が透き通った音を響かせる。
薄暗い店内は見渡す限りの本棚と、そして様々な本たちで埋め尽くされていた。
鈴の音に、店番の少女が顔を上げる。
「ああ魔理沙さん、いらっしゃいませ」
種類も年代もバラバラな沢山の本たち。
それらに文字通り囲まれて、本居小鈴は人懐っこい笑顔で私を迎えてくれた。
「今日はどういったご用向きで」
「いや、実はこれなんだが」
私は帽子の中から小振りな本を取り出す。相当に年期が入り半ば朽ちかけたその本を一瞥した小鈴は、「まぁ」と喜びの声を上げる。
「これ妖魔本じゃないですかぁ」
「ああ妖魔本だ」
「え、譲っていただけるんですか!?」
「いやそれは無理だ」
小鈴の熱の籠もった視線に不安を感じ、私は妖魔本を手繰り寄せる。
「パチュリーの図書館にこの本が湧いてきたんで借りてきたわけだが」
「湧いてきた?」
「あそこは本が湧いてくるんだ」
実際に本が湧いてくるのを見たわけじゃ無いけど、パチュリーがそんなことを言ってたような気がする。何でも本が勝手に集まってくる結界が設置されてるとか。
「まぁそれはいいとして、残念ながら私には何が書いてあるのかさっぱりわからない。そこでだ」
「そこで、読めないから私に譲ってくれるんですね!」
「違う!」
思わず大声をあげてしまった。小鈴は意に介さずニコニコと笑顔のまま。どうにも調子が狂う。
「そこでまぁ、小鈴に読んで貰うことを思いついたわけだ。もし価値があったり面白そうな物だったら、そのまま手元に借りておく。興味をひかない物だったらパチュリーに返す。欲しかったらあいつと交渉してくれ」
「そんなこと言われても私じゃあ紅魔館なんて怖くて近寄れませんよ」
小鈴の言うことも尤もだ。戦う能力を持たない非力な女の子では紅魔館に辿り着くどころか、湖の妖精をやり過ごすことすら難しいだろう。
「わかった、じゃあ私から伝えておく」
その返事に満足したのか、小鈴は妖魔本を手に取り装丁を調べ始める。
「万が一、危険な類いの妖魔本だったとしたら、魔理沙さんお願いしますね」
「危険じゃないように祈っておくよ」
危険な類いというのは、もし妖怪の封じられている妖魔本だった場合のことを言っているのだろう。それと知らずに大きな力を持つ妖怪を復活させることになってしまったら、確かにちょっと面倒だ。
でもまぁその時はその時、成るようになるだろう。
「古代天狗語で書かれていますね、どれどれ」
小鈴は無造作にページを開き、ほっそりした手をかざす。
「空の蒼さと河の蒼さが混ざり合い、どこまでも蒼い世界が広がっていく……詩集か随筆の類いでしょうか」
「妖怪が封印されてるわけじゃあ無さそうだな」
「ですね」
妖魔本を静かに閉じると、小鈴は嬉しそうに私に向き直る。
「それでどうしましょう? これ以上は有料となってしまいますが。あ、内緒で私に譲ってくれても構いませんよ」
「あー、やっぱりお金取るのか、まぁ仕方ないな。できるなら私に読める形で書き写してほしいんだが」
「つまり翻訳ということですね。でしたら小一時間ほどかかってしまいますが、出直されますか」
「いや、待たせてもらうよ」
店の隅のソファーに腰掛ける。年季は入っているが座り心地は悪くない。
小鈴は早速、妖魔本の翻訳に取り掛かっている。
リズミカルにページを繰りながら、ときおり筆を持ち手元の半紙に文章を書き加えていく。テンポが良すぎてまともに読んでいるとは信じがたいが、速読というやつだろうか。
ひょっとしたらあの丸眼鏡に秘密が隠されているのかも知れない。
楽しそうに妖魔本を読み耽る小鈴を眺めていても暇が潰れそうにないので、私は手頃な本を見繕い膝の上で開く。
外の世界の、コンピューターとか言う物について書かれた本のようだ。式神のような物だとか香霖が言ってたかな。
生憎と文字を目で追っても私にはさっぱり内容がわからない。
小鈴の机に置かれた蓄音機から音楽が流れてきた。
その音色の心地良い揺らぎに誘われるよう、私は次第に微睡みへと落ちて――
◆
「魔理沙さん、起きて下さい」
体を揺すられる感触で目を覚ます。どうやらソファーでうたた寝をしてしまったようだ。
「できましたよ、はい」
妖魔本と半紙の束を私に手渡し、小鈴は僅かに胸を張る。
「昔の白狼天狗が書き残した、随筆というか日記のような物でした。うん、なかなか面白かったです」
「日記かぁ-、うーん、いまいち価値は無さそうだな」
「あら、でも楽しい内容でしたよ。例えば、勇猛果敢に河童へ攻め入る我らが軍勢。河童たちは臆病風に吹かれたか姑息に逃げ惑うばかりなり……という文節があったのですが」
「まさか、白狼天狗と河童が大昔に戦争をしてた!?」
「いえいえ、そんなんじゃ無いんですよ」
小鈴は頬を緩め、ころころと笑う。
「これは将棋に負けたのが悔しくて、わざわざ大げさに書いてるんですよ。天狗さんも意外と人間みたいなところもあるんだなって、それが可笑しくって」
「そうか」
ツボに入ったのか小鈴は尚も上機嫌で笑っている。私にはいまいち面白さがわからないが。
「ところで、お支払いのほうはいかが致しましょう」
「あ、お金か。うーん、実は今、持ち合わせが無くて……」
「はいはい、出世払いですね。結構ですよ」
くすりと微笑むと、小鈴は帳簿を取り出して数字を書き込んでいく。
まぁ金額を気にしても仕方ない。何とか出世することを考えたほうが得策だろう。
今は照れ笑いで誤魔化すことしかできないが、それも仕方ない。
◆
紅魔館の図書館は無尽蔵に広い。
鈴奈庵は疎か、人間の里でさえも内包出来てしまうのではないかと思えるほどだ。
それ程の馬鹿馬鹿しい広さに、ただひたすら本が収められている。
もし小鈴がここを訪れたのなら、喜びのあまり気絶してしまうかもしれない。
「驚け、今日は本を返しに来た」
「……そう」
パチュリーは本から目を離さず気のない返事で私を迎える。小鈴の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
「あなたが素直に本を返しに来たということは、どうせ価値のない本だったかあなたじゃ読めない本だったか、そんなところ……」
顔をあげたパチュリーは私を見て硬直した。
そして、盛大に噴いた。
「何だよ一体、人の顔を見るなり吹き出すなんて失礼だろう!」
「あ、あなた、それ、な、なんのつもりかし……ぷくくくく」
堪えきれないかのようにパチュリーは腹を抱えて笑い転げた。失礼にも程がある。
騒ぎに何事かとやって来た小悪魔も、私の顔を見るなり笑い転げた。
「な、何だよ二人して!」
小悪魔が笑いながら差し出す手鏡、それを覗いた私は愕然とした。
「あぁぁぁぁ! 何だよコレ!?」
手鏡に映る私の顔、その頬には右に三本、左に三本。
猫なのか鼠なのか、細長い髭のような落書きが墨で書かれていた。
終
小鈴先輩、流石っす!
小鈴いいキャラしてんなー