▽―1
僕――森近霖之助は、自分の眼前を見渡し溜息を吐いた。
僕は今とても困っている。
何が僕を困らせているのかと言えば、答えは簡潔。本のせいだ。
家の中はいつも雑然としているのだが、そこに夥しい量の本、本、本。
既に寝室から台所に廊下へと浸食されていっている。このままでは生活が出来なくなってしまう。
奇妙な事に、此処の所、何か落ちていないか探しに出るたびに多くの書籍を見つける。
小説、実用書から漫画、絵物語、果ては絵本とその内容も様々だ。
それらが非常に興味深い内容なため、取捨選択出来ずに持ち帰ってしまうのだった。
残暑厳しい今日この頃だから本自体は問題ないとはいえ…。
いや、僕が悪い訳じゃない。
僕が出歩くたび偶々多くの書籍が落ちていて、偶々それら全てが興味深いのがいけない。
……と自己弁護した所でこの惨状は変わらない。
何かしらの解決策を早急に打ないと、本の山に押し潰されて死ぬなんて冗談じみた事になりかねない。
はてさてどうしたものか、と考えを巡らせる。まずは状況の整理をする事が大事だ。
提案1 『全部、ないし必要以外の本を廃棄する』
いや、これは商売人として出来ない。と言うかやりたくない。
せっかく手に入れた商品をむざむざ捨てるなんてとんでもない話だ。
誰かが買うかもしれないし、何かの役に立つかもしれない。
だからこの提案自体を廃棄してやる。
提案2 『誰かに譲る、ないし売る』
まず誰かに譲る、だが、妥協案としては良い。だが問題がある。
軽く見渡すだけで眩暈のする量なのだ。しかもそれで全部じゃない。
僕の知り合いは少なくは無い。しかしそれでも。
これだけの量を果たして譲り切る事が出来るだろうか?残念ながら答えは否、だろう。
ましてや売り切るなんて、この店では夢のまた夢、だ。
よって『実行不可能』という決断を下さざるを得ない。店を営む者として少々情ない話だ。
つまり僕は住居を侵略されながら暮らし、これら全てを売るか譲りきるまで耐えなけりゃならないのだろうか?
こう言っては何だが、今後も本は増えるだろう。そして、本が手元から消える以上に増える事だろう。
……今以上に自分の性格が憎くなる事はないだろうな……。
ガシガシと頭を掻いて唸る。
と、そこで妙案を思いついた。そうだ、その手があった。
何時だったか、霧雨の親父さんが『空き家が出来た』と言っていた。
一寸考えて、自分の考えがこの上ないものだと確信する。
僕の欲求も満たせて、本の置き場にも困らない。実に素晴らしい案だ。
そしてもう一度脳内シュミレーションをして大きくうなずき、決断する。
決めたぞ。僕は人里に“本屋”を出店するのだ!
▼―1
私――稗田阿求は、筆を置いて溜息を吐いた。
今日も今日とて幻想郷縁起の編纂予定を書き綴っていたのだが、そんなに常日頃から書き足しや書き直す部分が見つかる訳もなく、有り体に言って今の私はやる事が無かった。
そう、つまりはヒマだった。
私にとっての“ヒマ”とは、他人に比べようがないほど退屈なものだ。
理由は簡単。私は『一度見た物は忘れない』し、一応は『転生前の記憶もある』。
その上幻想郷の風景や、存在する妖怪は中々変化しない。
そこから導かれる答えは――
『何となく全てに見覚えがあって、初めて言った場所でも妖怪でもデジャブを感じる。更には一度見聞きした物は完璧に憶えていて二度は楽しみ辛い』と言う事だ。
幸い、食事は楽しめる、と言うのが何処か虚しい。そのせいで小食なのに無駄にグルメになってしまった。良いのか悪いのか。
まぁ、とどのつまり、小旅行も読書もその他多くの事も、自分の記憶をなぞっていく様なものなのだ。
何と言っても編纂を行うために何代も前から幻想郷中を駆けずり回って、多くの書物を書きもした。
幻想郷は私の頭の中で展開できるし、他人の書いた本じゃないと楽しめない上にそれも一度だけという始末だ。嫌にもなる。
憶えている事と体験する事は違うと言う人も居る。しかして衝撃を受けるほどの体験と言うのも、そうそうない訳で。
何代か前は全知全能を目指したり、最強の人間に成るため修行をしていたが、挫折の経緯も私は知っているから目指す気も起きない(因みに前者は知覚する以上に情報が多すぎて追いつけないから、後者は博麗の巫女の存在がそれだ)。
と言うか、偉大なる先達達も退屈から逃れようとしていた訳で。
ならば私は殆ど実践された後な訳で。
結局私に選択肢は余り残されていないのだ。
今の私が楽しめる事は、考え事と、誰かとのお喋り位だ。常に変化する物ではないが、それなりに変わりはする。
しかし今は日中で、皆仕事をしている。それに私はひどい人見知りで、まともに話せる相手など片手で数える程度だ。
博麗の巫女の元に行ければ良いのだが、いかんせん私の体は弱いのだ。
其処らをうろつく程度ならまだしも、神社までの遠路を行く事など出来はしまい。
そうして結局、私には考え事をしながらの散歩が最も良い逃避なのだった。
せめてもの救いは短命な事ってか。全く、泣きたくなる。
▽―2
善は急げとも言うので、早速僕は店を閉めて人里に向かう事に決めた。
戸締りをしながら散乱する本を見た。やはりその量は呆れる程で、そしてソレを隙間なくみっしりと本棚に入れた本屋の想像をしてほくそ笑む。
その光景はどれ程美しいのか、それが実現できるかも、と思うと人には見せられない様な笑顔へと変貌していく。
玄関のカギを閉め、ふと空を見上げると雨が降りそうな空模様。
いや、ツバメが低く飛んでいるので間違いなく降る。
やれやれ、荷物にはなるが仕方ない。濡れるのは嫌なので大きめの傘を持ち、少し早足で歩きだした。
歩きながら考える。
まずは霧雨の親父さんに話をつけなくてはならないだろう。
それは恐らく問題なく終わる。親父さんはあの時『貸してやろうか?』と冗談めかして言っていたが、そもそも彼は冗談を言う人ではない。
つまり貸す気でいると言う事だ。
もし誰かが既に借りていたら?と考えが頭を過ぎったが、恐らくそれは無いだろう。人里に新しい店が出来たなんて聞いた事が無い。
僕が知らないのはまだしも、霊夢や魔理沙が知らない筈が無い。
知っているなら話のタネに使わない訳が無い。よって問題なし。
問題なのは寧ろもう一人の相手、八雲紫だろう。
ただの店なら何の問題もない。だが扱う本の多くは“外”の物だ。
紫に言わずとも良い気もするが、後でゴタゴタするのは御免だ。
先に紫からの許可を得ていた方が後顧の憂いも無くて良い。
それにしても、彼女は何処に居るのだろう。住居を知る人にはお目にかかった事が無い。
連絡手段も解らないが、それは霊夢辺りに任せれば良いか。
出来るだけ早く連絡を取りたいのだが……。
「次は話がついたら来な。すぐに空けるからよ」
カラカラと笑う親父さんに礼をして歩き出す。思った通り親父さんはあっさり了承してくれた。
しかし今は物置にしているそうなので、話がついてから貸して貰うことになる。
それにしても此処までの道で五冊も本を拾ってしまった。
こんな事だから家があんな惨状に成っているのだろう、と自分のことながら呆れるが、まぁいい。
さて次は博麗神社で紫の事でも頼もうか、と思いながら人里から外れた道を進む。
あばら家を通り過ぎようとした頃、ふと湧いた考えにしまった!、と衝撃を受ける。
――正直に告白しまおう。本屋という響きに浮かれていて忘れてしまっていたのだ。
その甘美な響きに、本来の僕なら気付けただろう“その事”に気付けなかった。
一体何を忘れていたのか?それは“店番”という、本屋に限らず必要な人材の問題だった。
知っての通り、僕には『香霖堂』がある。僕一人で作り上げた、大事な大事な店だ。
そりゃあ、一週間や二週間程度ならば僕が本屋で店番をしても良い。良いが、あくまで僕の店は『香霖堂』なのだ。つまり本屋が出来た所で僕は長期間店番が出来ない。早急に変わりの誰かを見つけなければならない。
だが残念な事に店番をしてくれる様な、殊勝な人物には余り心当たりが無い。
このままでは誰も居ない本屋を里に放置する音に成ってしまうじゃないか。そんな事になったら商売人として失格どころのレベルじゃあない。
これは拙い。すぐに振り返り再度人里へ向かった――本を一冊落とした事にも気付かずに。
▼―2
今日は余り天気が宜しくない。天照を覆い隠す厚い雲が何層にもなっていて、その内に雨が降ってくるんだろう。
あまり遠くまでは行けないな。結局家からそう離れていない所までしか行けない。傘は……そんなに長時間散歩する訳でも無し、いらないか。
手伝いの人間に一声掛け手ぶらで外に出る。身軽なのが一番だ。
見慣れた景色を人よりも遅い速度で歩く。
あの老木も、特徴的に曲がった枝も。人の住まなくなったあばら家も、道端にある看板も。
全てが見慣れた景色だ…正直に言えば見飽きた、が正しいのだろうが。
その内、大体一年前に同じ様に行動していた事を思い出し、確かその前の年も、いや、その前もか、と連鎖する記憶に嫌気が差す。
去年までは、そんな調子も楽しめたのだ。だが、変わらない事を変わらないと言って楽しんだ所で、変わらないモノは変わらないのだ。
そんな事を楽しめるのは、不変や永遠を知らない奴だけだ。終わりある者だけが変わらないモノをみて楽しめる。
けれど、私に死は有ってもそれは『終わり』では無い。私は転生するのだから。
少し前、私は転生をやめようと思った。こんなにも辛い思いを、私に、子孫にさせたくない。そう思ったからだ。
けれど、私は阿求であり、阿礼であり、『御阿礼の子ら』なのだ。私のではない私が、只の死を許さない。次代へ繋ぐ道具の一つとしての役目を求める。
ソレを撥ね退ける事など、何代も続けてきた事を私で終わりにする事など出来ない。
どれ程特別な人間だとしても、私はそんなに強くはないのだから。
去年なら考えもしない事を考えている。
その内に人里から少し外れた道にまで来てしまった事に気付く。
周囲に注意を払う事も出来ない程に考え込んでいたのか。そう思い暗い顔になっているだろう自分を思い、更に気持ちが沈む。
今の自分は傍から見るとどう見えるのだろう?等と思いながら踵を返すと、
コツン。
何かを足で蹴っ飛ばした。ソコソコの重さだったのでそれはまだ足元にあった。
それは本だった。何故こんな所に落ちているのだろう。
背表紙を向けて落ちているソレをひょい、と拾い上げて題名を読んでみると、
“見覚えが、無い”
それは暗い雰囲気の表紙で、妖怪と思しき絵が描かれている。本としては分厚く、開いて見ると上下二段にびっしり文字が刻まれている。内容から察するに小説の様だ。
私の知らない、憶えの無い物語。片手で持てる程小さなその本に、妖怪同士の見目麗しい弾幕戦よりも大きな魅力を覚えた。
そう、見覚えが無い。ただそれだけの事がひどく私の興味をそそり、心を鷲掴みにしのだ。
私は本を閉じて、改めて最初の頁から読み始めた。
そして私は、私の人生で初めて、『初めての経験』をする事となった。
▽―3
店を任せる以上、その人は信頼に足る相手でなければならない。
その点から妖精や幼い妖怪は除外される。そもそも彼女等にそんな事が出来るだなんて思っていないが。
同じ理由で魔理沙も駄目だ。気が付いたら本屋が空き家に戻っている、なんて事も有り得る。
となると大分限られてくる。信頼出来て、人里に居ても問題ない、キチンと仕事の出来る人。頭の中で目星をつけ、駄目元で辺り始める。まずは慧音だ。
寺子屋で手一杯と、慧音にはにべもなく断られてしまった。半ば予想していたとはいえ、そう多くない目星が消えるのは辛い。
しょげていても仕方ない。次は命蓮寺か。此処は多少期待しているが、どうか。
またも駄目だった。事の他好印象で白蓮は、誰か行けないか、と声を掛け回ってもくれた。
しかし、命蓮寺は出来てまだ間もない。当分は猫の手も借りたいぐらい忙しいとか。
落ち着くまでは振る袖も無い、とのこと。実に参った。
残りは天狗と霊夢と、……ダメだ、そもそも頭を縦に振る様子が思い浮かばない。
後は…そうだ守矢の!……いやいや、仮にも神に店番を頼むのはどうなのか。例えいいよと言われても、それは僕が嫌だ。
何とかして当てを作らなければ。最悪本当に魔理沙に頼むハメになるな…。
そう思いながら手元に目をやって、ようやく本が一冊足らない事に気が付く。
しまった。どこかで落としたのか。しかし何処で落としたのか。
全く見当が付かない。何時までも考えていてもどうしようもないので、今日の道程を戻り始めた。
里を出た辺りで鼻に何か冷たい物が当たった。
果て何かと天を仰げば、ポツリポツリ降り始めていた。まだ甘いがすぐに本降りになるだろう事は容易に想像できる。
このままでは貴重な外の本が水浸しになってしまうじゃないか!
僕は焦りつつも冷静かつ慎重に、そして迅速に捜索を続けた。
▼―3
その本は恐らく、幻想郷が閉じた後の外の世界を舞台にしているようで、しかし余り遠い時代の話でもない様子なので話についていけない等という事はなかった。この話の中では事件が起こり、様々な推測、想像の果てに事件の犯人を突き止める、という内容。確か大分前に紫様に見せてもらった、そう、推理小説に区分されるものと思う。
この話の中では妖怪やそれに準ずるモノは存在しない事になっていて、自然の象徴、恐怖の象徴であるとしている。
一方科学が発展していて、その中で説明の付く妖怪や呪術は存在できる。
幻想郷の存在を真っ向から否定するような話だ。だが、その圧倒的な文章、多量な知識、それによる説得力が、その世界を私に了解させた。
不思議な事など何もない、と嘯く男。
他人の記憶を“観る”男。
個性的な人物達が更に世界の雰囲気を伝えてくる。
私は道端の岩に腰掛けて、貪る様に読み進めた。
登場する人物の掛け合いに想像が膨らむ。
心の揺れ動く様に私の心も揺さぶられる。
惨たらしい事件に目を背けたくなる。
今や私は読者にして“体験者”でもあった。“初めて”知る物語の先を、その続きを早く知りたい。
恐ろしい速さで読み進める私は、読み終わった後に退屈に逆戻りしてしまう、という事実すら忘れる程に没頭していた。
半分ほど読んだ頃には夕刻になっていた。暗さにも気付かずに読んでいたのだ。
次の頁へ、と捲ろうとした瞬間。
頭に何やら冷たい物が当たった。何かと思い空を見上げれば、そこにはいっぱいの雨雲。
まずい、このままでは本を濡らしてしまう!
今の私にとっては病弱なこの身よりも、手の中にある一冊の本の方が重要だった。
木の下ではダメだ。この辺りの木では凌ぎ切れない。
そうだ、少し戻ればあのあばら家が有るじゃないか!
私は急いであばら家を目指した。走るのなんて、何年振りだっただろうか…。
驚くほど脈打つ心臓に手を当て、半ば朽ちている椅子に腰を下ろす。
何とか振り出す前にあばら家に入り込めたものの、家の者は私がこんな所まで来ている等とは思いもしまい。
私だって、家の傍をうろつくだけのつもりだったのだ。
今や雨は遠慮も知らずザァザァと降っている。止まぬなら、私は何時までもこのあばら家にいなければならない。
何と言ってもこの道は里から外れているのだ。雨の降る夕刻、人里離れた道を行くなど、妖怪か、余程腕に覚えがあるか、はたまたただのバカか…。
そう考えた私の目に、目の前を通り過ぎようとする人影が見えた―――。
▽▼
そして二人は出会った。
▽―4
もはや雨は本降りとなり、落とした本の生存は絶望的だった。
あの本は分厚く、何と言うか怪作という雰囲気があったので楽しみにしていたのだが…。
仕方あるまい、せめてその骸を丁重に葬ることで懺悔としよう、と考えた。
だが雨はザァザァと降り、地面は道か小川かという状況だ。見つける事も出来るかどうか。
いよいよ首も腰も痛くなってきた時――
「あのぉ…」
静かな呼び掛けが聞こえた。
声のした方に目をやると、僕のすぐ傍にあばら家が建っており、その中に一人の少女がいた。
寒そうに体を震わせ、整った顔は青くなっている。一目で余り良くない事は解った。
しかしどこかで見た様な…。ま、思い出すのは後にしよう。
「大丈夫かい?大分冷えているようだ。残暑が厳しいとはいえ、こんな雨じゃ冷え込んでしまうからね。…よし、これを着たまえ」
そう言って上着を彼女の肩に掛ける。謝辞のつもりなのか小さく頭が揺れた。
「余り気にしなくても良いよ。僕は病気に罹らない……!!」
僕の語りは少女の手の内にある本を目にして止まる。それは半ば諦めていたあの本じゃないか!!
「きっ…ゴホン。君、その本は何処で手に入れたね!?」
思わず口調がきつくなってしまった。案の定、少女はビクリと肩を震わせ怯えたように、
「あの…その辺りに落ちていて、私、拾って…」
少しずつ声が小さくなっていく。何か、そこまで怯えられると、少し傷つく。
僕は調子を整え、いつもの落ち着いた口調に戻す。
「ンッ、ンン。…ええと、まずは御礼を言わせてくれ。有難う。それは僕が落としたものでね、この雨だったから諦めてたんだが。ホントに助かったよ」
「いえ…そんな…私は、何も…」
やはり呟くように喋る。ふむ、人と喋るのが苦手なのだろうか?
ならば言葉は必要最低限に留めておこう。
「さ、傘も無いようだし、家まで送ってあげよう」
彼女に向けて傘を勧める。因みにこれも外の物で、ワンタッチ式の便利な奴だ。
「あの…す…すみません」
本当に申し訳なさそうに傘の中に入ってくる。そんな大した事でもないのに大げさな。
彼女が濡れないように気をつけながら、雨道を歩き出した。
さて、余り喋らないような事を思ったが、そもそも僕は話すのが好きなのだ。それなのにこの状況は実に厳しい。
雨が降っていて、傘を差していて、非常に近い。この状況で今まで黙っていた事を褒めて欲しい。
まぁとどのつまり、僕は諦めて喋り出したのだ。
「君、その本は読んだかい?」
いくつか話題を振って、反応が良かった事を広げていこうと考えていたのだが、
「ぁ…はいっ!よ、読みました!」
一発目で、しかもこんなに大きな反応が返ってくるとは思わなかった。
▼―4
自分でも驚くほどの大声が出てしまった。恥ずかしさと後悔が体中を駆け抜ける。
けれど仕方ない。だって、私が『本を楽しむ』事なんて初めてだったし、その内容についてああだこうだ言える相手も居ないのだ。
そう、だから初めてそう言う話が出来るかも、と思った私に非はない。あの話が面白いのが悪い、と幼稚な自己弁護を行ったり。
「え、ええっと…あ、貴方、は。もう読まれたのですか…?」
「いや?その本は拾った物でね。まだ読んでないよ。それは面白そうな気がしていたから期待はしているんだ」
まだ読んでいないのか。では談義は出来ないなぁ。等と思いつつ、引っかかった言葉に突っ込んでみる。
「その、今、拾った…って言われました?」
「ああ、何故だか此処の所、本が大量に幻想郷にやってきてね。その多くは人の踏み入らない様な所に落ちているんだが。なんだい、興味あるかい?」
彼の言葉にコクコクと頭を振る。今の言葉から察するに、“この本以外にも本はある”という事で、それは私の知らない物語の可能性が高い!
「そうか。それは良い事だね。沢山話してあげたい、ところだけど…」
そう言って黙る彼の目線を辿れば、そこには私の家があった。
心の中で、黙りこくっていた時間を悔み地団太を踏みまくった。
▽―5
その屋敷を見て思い出した。
見覚えのある筈だ。彼女は“九代目御阿礼の子”たる稗田阿求その人じゃあないか。転生を繰り返し、何時までも幻想郷の歴史と共にあり続ける存在。
なんでも見た物は決して忘れないという話だ。下手な事を言わないで良かった。
本屋の話は隠している訳ではないが、余り大っぴらに話す様なものではない。なにせ、まだ紫の許可も貰ってないのだから。
取り敢えず彼女を家に送り届けたし、後は本を返して貰うだけなのだが…その本はどこかと言えば彼女がギュッと胸に抱えている。かなり気に入っていた様だし、いやけれど、う~ん参ったな。
あれこれと悩んでいると、
「あ、あああ、あの!送って頂いたお礼も兼ねて、上がっていきませんか!?その、ほ、本のお話も聞きたいですし!」
彼女が真っ赤になって捲し立てる。
ふむ、そうだな。まずその本をどうするか?と言う事も決めていないし、急いではいたが急ぎの用事ではない。だから少し位雑談しようが問題はないな。それに、
そんな泣きそうな目で見られたら、嫌とは言えないよな…。
「……わかった。少し入れて貰おうか。僕の名は森近霖之助。知っているかもしれないが、一応ね。どうぞ宜しく、阿求」
「こちらこそっ…宜しくお願いします。え・・と、り、霖之助…さん?」
潤んだ瞳でそっと見上げながら、『この呼び方で良いですか?』と言うように上目遣い。
もし意識してやっているなら将来は大変な悪女になるな。
ふと想像してソレも悪くは無い、等と思いながら屋敷に足を踏み入れた。
▼―5
自分自身の行動が理解できずにいた。
何故私は彼を家に入れたのか、会話を続けようとしているのか。人見知りの激しい私にとって、一対一の状況は苦痛である筈なのに。
疑問と同時に回答も浮き上がってくる。実に単純な事だ。答えは今も自分が胸に抱えているじゃないか。
恋情なんかじゃ無い。無論、彼は良い人なのだろう。だからといって恋に落ちる程、私は子供ではないのだから。
そう、それは好奇心。そして探究心だと言える。今胸に抱えている一冊の本。
この一冊だけで、私は想像出来ない程の衝撃と喜びを感じた。そして彼はこんな本を多数持っているのだと予測できる。
――これはチャンス。幾度も転生を行ってきた中で、退屈を殺しきる初めてのチャンスだ。これを逃したら次はいつやってくるかもわからない、よって今何とかしなくては!
グッと拳を握り決意を固める。人にとっては本を読む、それだけの事が今や私の最大の関心事なのだ。
そんなことをしていると廊下の奥から、
「阿求様、御無事でしたかっ!?」
と大声を上げながら使用人が駆けて来た。彼女が使用人となって長いがこれ程慌ている様を見たのは、かつて風邪で床に伏せっていた時以来だ。
何事かと言おうと思ったが、そもそもこんなに長く外に居たのも久しぶりだ。倒れていたと思われても仕方が無い。だから、出来るだけ余裕を持って答えた。
「ええ。この方が送って下さったので雨に濡れずに済んだわ。礼をしたいので客間に通して丁重にもてなしてちょうだい」
そう、私は所謂“内弁慶外仏”という奴なのだ。人見知りなのだが、家の中では当主然として居るし、一度慣れた相手ならばいくらでも余裕を持って接せる。
横目で彼を見れば間の抜けた顔をしている。まぁ、そりゃそうなるのが当然か。
彼女はいつもなら打てば響く、という調子なのだが、何故か狼狽している。
「……何かあったのかしら?」
「ええ、その…。阿求様が留守の間にいらっしゃった客人が居りまして」
「……?誰かが来る予定なんて無かった筈だけれど」
「ええ、その」
言葉を遮って霖之助さんが言う。
「どうやら間が悪かったみたいだね。何なら僕はもう帰るけど」
そうはいかない。今貴方を逃がす訳にはいかないのだ!
等と言える訳もなく、オドオドと引きとめる。
「あ、あの…大丈夫、大丈夫ですから!その、そこに居てください…お願い、します。
――で?いらっしゃったのはどなたかしら?」
そしてキリッとシメる。二人の人間がいるかのようだな、まるで。
「ええ、用件の方は伺っておりませんが、客間の方で八雲紫様がお待ちになっております」
紫様が。なんて事だ、あの人に『今日は良くないので日を改めてくれ』何てとてもじゃないが言えはしない。かといって霖之助さんを此処で返すのは……。
渋い顔になっていくのが分かる。どうしたら良いのか、解決案が見つからない…。
頭脳をフル回転させていると、大きな声が響いた。
「そいつは渡りに船ってヤツだ!!」
▽―6
おっと、つい大声が出てしまった。使用人も阿求も驚いてるじゃないか。
それにしてもこんな偶然もあるのか、と感心する。
実に素晴らしい。神出鬼没であるから、どうすれば早急に連絡が取れるかわからない。
そして神出鬼没であるからこそのこの偶然。この機を逃す手も無いだろう。
「いや失敬。ところで客間はどちらですかね?ああ大丈夫です紫とは付き合いがあるので問題な「あら?珍しい事もあるのねぇ」
僕の言葉を遮る声。そっちから出てきてくれたか。誠に重畳。
廊下の奥からゆっくりと歩いてくる女性。帽子もドレスも、手に持つ扇子も靴下まで、滅多矢鱈とフリフリしている。その声は高くも低くも、若くも年寄りにも聞こえる。そして胡散臭く薄気味悪い、不安にさせる様な笑顔。
用が無い時は会いたくない奴ナンバー1(身内調べ)の妖怪、八雲紫。
そして今は用が有るのだ。
「やぁ、久しぶりだね。ここに居るなんて思いもしなかったが、本当に助かった。これで博麗神社まで歩かなくてすむよ」
「ふふ、私を見て笑うなんて初めてねぇ。いつもはこう、『うわ、嫌な奴が来たな』って顔するのに」
「それは仕方にないよ。その通りだからね」
隣で阿求が慌てている。ま、僕と紫が毒を飛ばし合う仲だって事は知らなかったんだから無理も無い。
「それで。何故貴方が阿求と、阿求の屋敷にやって来るのかしら?詳しく聞きたいわねぇ?」
口元を扇子で隠しているが、口を三日月にして笑っている事は解る。本当に用が無けりゃあ会いたくはないなぁ。
「そうだね。客間でなら話す気にもなるんだが」
入れてくれるかい、と言外にほのめかしてみる。紫はクスクスと笑って、
「ええ構わないわ。お茶でも頂きながら聞きたいわね――お願いできますかしら?」
使用人に視線を向ける。それだけで彼女は竦み上がり、只今、と一言上げて消えて言った。
「それじゃ客間に行きましょうか。―――阿求、何をしているの。貴方もいらっしゃい」
何やら固まっている阿求に声を掛ける。慌てていた筈が固まっていたのが面白い。
「あの、紫様?彼とはどの様なお知り合いで?」
呆けたまま阿求が訊く。少々意外かもしれないがそんなに呆ける様な事がだっただろうか?
「そうね~。霊夢伝いの知り合い、もしくは仕事相手、かしらね」
「異論はないな。どちらにしても頭に『出来れば会いたくない』、が付くけどね」
「下手な事は言わない方が長生きできるわよ?」
ブルリ。背筋に悪寒が走る。流石にからかい過ぎたか。半ば本心ではあるのだけど。
「すまない。気にしないでくれ。さ、客間に行こう」
▼―6
――それにしても。
まさか紫様にズケズケと物が言える人が、紅白と黒白以外に居るとは思わなかった。
いや、探せば割と居るのかもしれないが、いかんせん私の世界は狭く、この屋敷とその周辺位でしかないのだ。記憶の中にも存在しなかったように思う。
だから少し固まってしまった。こんな人も居たのか、と。
客間の長机に着く。向かい合って紫様と霖之助さん。横に座る私、という配置だ。
少ししてお茶と茶菓子が運ばれてくる。運んで来たのは若い使用人で、少し怯えている様だ。
妖怪の賢者を前にすればこれが普通の反応。霖之助さんがおかしいのだ。
使用人が退出してからお茶を一口、
「さて、じゃあ聞かせて頂戴。阿求が遅かった理由。霖之助さんと一緒に帰って来た理由」
霖之助さんが話す。用があって人里に向かった事。
その途中途中で計五冊の本を拾った事。
忘れていた事があり里に急いで戻った事。
その際本を落とし、探しながら道を戻っていた事。
そして――私を見つけて送ってくれた事。
私も時々言葉を挟み補足を入れたりした。それは記憶を思い出して口にしているだけなのに何故だか楽しく、心に温かみが差すものだった。
「な・る・ほ・ど、ね。そんな偶然もあるのねぇ。ベタな恋の始まりみたいだわ」
「何をバカな。そんなことで恋に落ちるのなら、今頃里は恋人まみれだ」
「全くですよ。私はそれ程子供でも大人でもないですよ」
紫様はそう言ったものに対する憧れがあるようだ、と言うのは私の分析。
きっと自分一人の種族と言うのは想像できない程に孤独で、そう言ったものは驚くほど眩しいのだろう。
「それはそうと。霖之助さん、私を見て喜んだ理由を聞かせて頂戴な。私に会うこと自体が目的ではないでしょう?」
「そう言えば霖之助さん、渡りに船とか言ってましたものね。なにか御用でも有ったんですか?」
私の問いに彼が答えるより先に紫様が微笑みながら言う。
「阿求。さっきまでと随分調子が違っているわね。普通に話しているわよ」
何の事か、と考えるより早く顔が熱くなっていく。恐らく顔が朱色になっているだろう。
何故だろう。慣れてきているのは良い事なのに、理由は解らないがなんだか恥ずかしい。
「フフフ御免なさい、あんまり可愛いんでからかっちゃった」
と、掌をパンッ、と合わせて、
「閑話休題。で、どうなの霖之助さん」
「ふん…?まぁいいか。で、喜んだ理由だな。実はだな」
「里に本屋を出そうと考えているんだ」
▽―7
「しかし扱う本の多くが“外の”本なのでね。まぁ紫に許可を貰っておこうと考えた訳だ」
「良い心掛けね。此処の所、皆好き勝手しすぎなのよ。里には勝手に寺が出来るし博麗神社には温泉が出来るし、山にも神社が出来るわ地震起こし続けるわ。……貴方は数少ない良識派ね」
他の人に比べてだけど、と続ける。余計な御世話だ。
少し考え込んだ後に紫は阿求を見る。そう言えば紫の方の用事は良いんだろうか?困るのは僕ではないし、構わないか。
「霖之助さん。店の番をさせる人は決まっているのかしら?」
鋭い。既に見越されている辺り、やはりまだ僕では敵わないか。
「…痛い所を突くね。残念な事に中々色よい返事を貰えず仕舞いさ。魔理沙にでも頼もうと思ってはいるのだけど」
「そう。わかったわ」
「本屋の件だけど、ダメね、許可できないわ」
「本屋ではなく貸本屋に変えて、その上で店番が阿求でない限りはね」
▼―7
私は大いに驚いた。そして驚いているのが私だけである事にも驚いた。
「ゆっ…紫様!何を――」
その言い回しに慣れているのか、霖之助さんはそんな私の言葉を遮り、
「それくらいの変更なら構わないよ。そうだな――確かに貸し本の方が多くの人に読んでもらえるな。だが、本はあの空き家に収まるかなぁ?」
「それなら問題ないわ。私が手助けするし、場合によっては増築してあげても良いわ」
成程、それならこの上は無いな、と霖之助さんが嬉しそうに言う。
だが私の事を忘れるなと言うのだ。
待って下さい、と声を掛けようとした瞬間。
「後は阿求だね。そこは僕には強制できなし、最後は阿求の気持ち次第だな」
見つめられ、声を出せずあう、と唸ってしまう。
「どうだい?店番中思う存分本を読んでくれて構わないけれど」
そう、そこは実に魅力的なのだ。今日の様な体験が出来るなら、その話もやぶさかではない。しかし、
「店……って事は、接客しないと、ダメですよね…?」
そうなのだ。筋金入りに人見知りな私にはそれが辛い。何といっても使用人を覗けばまともに話せる人間など片手で数えられてしまう。
霖之助さんとは早い内に打ち解けてはいるが、彼は霊夢に似た部分があって、つまり特殊なのだと思う。
普段は失語症、とまでは行かなくてもそれに近い状態になってしまうのだ。
「そうだね…うん、ちょっと阿求にはきついか。じゃあ他の――」
「店番は阿求じゃなきゃだめよ。店も許可できないわ」
「阿求、我慢してくれ」
何だこのコンビネーションは。掌を返すにしてもやり方があるだろうに。
私だって本は読みたい。けれど人と接するのは辛い。頭の中で天使vs紫&霖之助のバトルが繰り広げられる。
数分後、その勝負は引き分けに終わった。
「……一寸、考えさせてください」
今はこれが精一杯。取り敢えず時間が欲しい。
「当然の権利だな。今すぐ開店出来るワケでもないしね。ゆっくり考えてくれ」
さて、僕は帰るかな、と言って立ち上がる。
「あ、本の話なんかは……うん、次に会った時に話そうか。その本は貸してあげるよ。――紫はまだいいのかい?」
「ええ。私の用は未だ終わってないから。御先にどうぞ」
じゃあ遠慮なく、と彼は帰って行った。
「紫様。何故あんなことを仰ったので?」
あからさまに不機嫌な貌で喋っているだろう。しかし本意の見えないさっきの言葉のせいなのだから仕方が無い。
「それの意味こそ、私が今日訊ねて来た理由よ」
紫様が優しい声で言う。紫様はたまに、母親の様な顔になる。その時私は、血が繋がっていない彼女の事を実の母親のように感じるのだ。
紫様が続ける。
「貴方は前回の転生時まで私の干渉を嫌がっていた。だから私は見守る事しか出来なかったわ。けどその結果は貴方が知る通り、退屈と苦痛に苛まれていた。
私は貴方が転生を始めてから苦しみ続けるのを見ていたから。今回こそ貴方を助けたいと思ったのよ」
「それとこれとがどう関係ある――」
「貴方を満足させられるのはこの”外の”本だけではないということよ」
それは、どういう意味なのだろうか…。
「貴方は今まで全ての転生時、他人と没交渉だった。始めは人が嫌いだったのかもしれない。けれど転生するたび、人を恐れるようになっていった。そして避けるようになった。――けれど貴方は知っているでしょう?人と話す事は想像を越えていくという事を、その喜びをも知っている。貴方はもっと人と触れ合うべきだわ」
そう、私はもう知っている。それは恐らく霊夢や魔理沙のおかげだ。けれど、
「知っていても、怖いんです。例えば素晴らしい喜びが有るのかもしれない。けれどこの恐怖に向き合うだけの価値が有るのか、それが解らない」
そして口ごもってしまう。恐ろしい。誰も彼もが霊夢や魔理沙の様に明け透けではないし、異能を持つ私を恐れる者も居るだろう。その事実が恐ろしいのだ。
ふぅと一息ついて紫様が言う。
「――貴方が何故、霖之助さんと早く打ち解けられたのか、解る?」
首を横に振る。
「あの人が半妖である事、あの性格である事はその一端ではあるわ。けれど最も大きな要因は」
「――本と言う、共通の話題を持っていたからよ」
そう、なのか。
「店番である必要はない。けれど人に慣れ、共通の興味を持つ人がやってくる場所。それは貴方にプラスに働くと思ったの」
解っている。彼女が私を心配しているという事位。けれど私は決心出来ない。
断る事も、了解する事も。
「………御免なさい。強引が過ぎたわね。貴方が嫌なら、私から断りを入れておくわ」
その場合は私にこの式神を飛ばして頂戴。と、何かを象った紙を渡し、スキマへと消えてしまった。後には悩み続ける私だけが残った。
紫様の言う事にも一理ある。人との会話。それは私が楽しめる事だ、と自分でも思っていたじゃないか。
だけど、私の弱い部分が、恐怖が語りかけてくる。
――気にする必要はない。人は一人で生きていける。
――ただでさえお前は短命だ。そんな命で人と触れ合って何の意味がある?
――きっと恐れられるぞ。人は弱いからな、お前を避けるぞ。
――いや、もしかすればお前を差別し里から追い出すかもしれないぞ。
――そんな場所に進んでいく必要はない。
――さぁ、その紙を飛ばしてしまえ。
私はそれら全てに違うと言えるほど強くない。想像するだけで足が竦むほど恐ろしいのだから。
けれど。
本の内容に触れた訳ではないけれど。
本をきっかけにしたあの傘の中での、そして客間での彼との会話は。
得難く楽しいものだったのだ。
彼女は少し思案した後、
渡された紙を広げた。
▽―8
あれから七日経った。
阿求からの連絡は一切ない。
あれほど本に対しての興味を迸らせていたのに。そこまで興味は無かったということだろうか?
否、そうではない。あれほど楽しげに答えてくれていたのだ。演技だとは思えない。
ならばやはり、人と触れ合う事に耐えられそうにないのか。
――あのぅ
声を掛けられた時のことを思い出す。あれほど怯えた調子だったのだ、無理も無いのかもしれない。
あの後やってきた紫に幾つか言われた。
――あの子が仮に拒否したとしても彼女を恨まないでやって。
――その時は此方で変わりを用意するから。
僕に関しては、そこまで言われれば問題は無いが…だからと言って阿求を見捨てるのは、違うだろうと思う。
何とかして彼女に話を聞きたいと思って屋敷を訊ねたが、使用人さんに会わせられないと言われてしまった。理由は何故か教えてもらえなかった。
だから今出来る事は僕にはない…僕はどうすればいいのだろうか。
カラン。
そうやって呆けている内にドアが開いた。客かと思ってそちらを見ると、
「…阿求!?」
「申し訳ございません。返事が遅れてしまいました」
阿求が立っていた。怯えていた少女と同一人物とは思えない程、凛とした佇まい。そう、紫や使用人と接するときの様な。
しかし、あの屋敷からこの店までは神社よりは近いがそれでも阿求には辛い距離だ。
「君、どうやって来たんだ」
無理をしていたら咎めようと思っていた。のだが、
「紫様に連れてきていただきました。式神を渡されていたので、少し細工をして連絡を。フフ、紫様を足に使うなんて、そうそう出来ないですね」
少し笑ってから阿求は僕を見据える。
そして言う。
「霖之助さん。このお話、断らせて頂きます」
「少しの間でも、一緒に店番して下さると言う条件を受け入れて頂けなければ」
僕は反応に困った。ただただ呆けて、結局最初にした反応は苦笑いだった。
このやり方は、人を一度落胆させる様なやり口は、間違いなく紫のやり方だ。
全くなんて事だ。彼女も紫と、霊夢や魔理沙と同類じゃないか。
人と触れ合う事が恐ろしいだって?そんな怯えた少女の姿なんて何処に行ったのか。
なんだ、この幻想郷においてか弱い少女なんて、それこそ幻想にすぎないんだ。
「ははっ!ああ、そんな条件だったら幾らでも飲むさ。
――ようこそ、稗田阿求。香霖堂は君を歓迎するよ」
▼―8
「ところで何で七日も間が空いたんだい?」
霖之助さんが訊ねてくる。確かに、悩むにしても少し長い期間だ。その疑問には答えねばなるまい。
「実はですね、あの後かなり悩んだんです。その内に頭に血が上ったのか、クラクラしてきまして。その後で倒れちゃったんですよ。良く考えれば当たり前なんですよ。体が悪いのにいつもより運動して、寒くて雨が降っていた中を少しとはいえ歩いたのですから。まぁつまり、風邪で寝込んでいたんですね」
そして夢うつつに、読んだ内容を思い出したり、楽しげに話す霖之助さんの様子が頭を過ぎっていたのだ。そんな事、恥ずかしいから絶対に言わないけど。特に後半。
「けれど、本当に悩んでもいたんですよ。今まで避けて来た物に、急に近づけと言われたんですから。だけど、そう、八代振りに積極的に触れ合っても良いかな、って」
もし霖之助さんと話したように、もっと多くの人とも楽しく話せたら。それは素晴らしいことだ。
しかし、まだ怖い。だって、それこそ八代振りなのだから。
だから――。
「だから霖之助さん。私の事、いっぱい助けて下さいね!」
少しずつ近づければいいなぁと、そう思った。
◆
「なんとか、上手くいったみたいね」
覗き見ていた小さなスキマを閉じながら、私――八雲紫は呟いた。
此処は何処でもない場所。幾千幾万のスキマの中の一つだ。彼女はその中で香霖堂の中を覗いていた。
私はこの結果こそを望んでいたのだ。阿求が、『自分の意思で人に近づく事』を。
私は、この幻想郷に於いて黒を白にする事が出来る。それだけの力が有る。
例え阿求が嫌がろうとも無理矢理人と触れ合わせる程度なら、ソレこそ朝飯前だ。
だが、それで阿求を人と触れ合わせて何の意味が有ろうか。
例えどれだけお膳立てされていようと、彼女には選択肢を与え、そして最後は自分で選んで欲しかったのだ。
彼女の生と死を八度も見て、ようやく私はそう思えた。
とはいえ、私がした事は大した事ではない。
霖之助さんが外の本に興味を持ったと聞いて、彼の周りに拾わせるために本を置いた事。
阿求が考え事をしながら歩いている内に、スキマを通して少し離れた所まで移動させた事。
そして霖之助さんの落とした本を阿求が拾うように配置した事。それで全てだ。
どうなるかは解らなかった。彼女がどう選択するのか、そして彼がどう応えるのか。
結果、彼女の賭けは彼女自身にとってとても良い結果だった。例えどれだけ冷淡に見えようが、九代も稗田の世話をしているのだから。
だが。
これから阿求は多くの人と触れ合っていけるだろうか?それは解らない。
心無い言葉に打ちのめされるかも知れない。人との触れ合いに飽きてしまうかも。ありとあらゆる可能性が存在する。
けれど、ここから先は全部彼女次第だ。お膳立ても、道筋ももはや作る必要はない。私が手を出すべきじゃない。
せめて、彼女が彼女にとって最善の選択をしますように。
そう思いながら、閉じたスキマをもう一度開いて二人を見た。
笑い合う二人の姿。
孤独な彼女にはそれはひどく眩しく見えた。
あれ分厚いですよねーでも本を読むことの喜びに関してはあの本の右に出る本はそうそう無いと思います。個人的にはですけどね。
そしてなんといっても人見知りあっきゅん可愛かったーご馳走様でした
人見知りする阿求も可愛いよ
この二人の組み合わせは初めてで新鮮でしたが、これはなかなか良いですね。
視点を交互に入れ替える事で話にリズム感が加わってさくさく読めました。
キャラの魅力も上手く出ていますし、オチも綺麗ですね。
もしよければ続編待ってます。
文章のブレが全く無く読みやすかったです
でもそんなゆかりんに魅力を感じました。
雰囲気も出てたし、次回も期待。
さぁ早く続きを書く作業に戻るんだ!(wktk
い、が一つ多かったのを発見しました。
話のテンポがよくてすらすら読めました。
確かにこのシャイな阿求さんだと求聞史紀完成させられず、
霖之助とも出会わないこともありそうですね。
孤独な紫に愛の手を!!
続編期待してます。
読み応えあって「読んでよかった」と思えました
代わりでは?
それはそうとじっくり読ませていただきました。
この二人は初めてでしたので、新鮮味があって面白かったです。