十年ほど前、私は初めて神様を見た。日差しの強いあつい日だった。
母の言いつけを守り、いつものように神社の敷地内で私は1人で遊んでいた。
私の神社には、ふとい木が1本、境内の横に生えていた。
それがいったい何の木なのか、今も昔もわからない。
ただその木が、きっとこの神社の守り神なんだと子供ながらに考えていた。
私はあつい日差しから身を守ってもらうために、その木の下で涼んでいた。
私はこの木にしなければいけないことを思い出し、落ちていた石を力をこめてにぎった。
自分の体よりもふとい幹に向かって立ち、手を頭に合わせる。
そしてその石を強く木に打ちつけた。
「う~ん、昨日とあまり変わってないなあ」
そう言って、うでを組んで私は悩んだ。当時の私の趣味は、この大好きな木に自分の成長の記録を刻みこむことだった。
それを毎日のように続けたものだから、すっかり幹は傷つき、彼に永遠に消えない傷跡をつくってしまった。
ふと境内を見ると、知らない人が2人いて、こちらを面白そうにながめていた。
私は、2人に近より、大きい方の人にたずねた。
「どうしておばちゃんは、鏡なんてぶらさげているの?」
大きい方の人は、私の質問には答えずに、黙って私の左のほっぺをつねった。
小さいほうの人は、その様子を見て、げらげらと笑っていた。
左のほほの痛みを手をそえることでいたわりながら、私は小さいほうの人にもたずねた。
「あなたはどこの小学校なの?」
小さいほうの人も、黙って私の右のほっぺをつねった。
やはり大きい方の人はそれを見て、げらげらと笑っていた。
私は両方のほほをそれぞれ片手でおさえて、痛みを和らげようとしていた。
強い日差しをあびて青々と輝く神社の守り神は優しい風の流れを受けて葉のかすれる音を立てる。
その音と神様たちの陽気な笑い声がまざり神社の沈黙が破れた。
私は1人でも、さびしくはなくなった。
神様を見たことを家族に話すとみんな喜んでくれた。
特に母がよろこんでくれた。
その日から修行はより厳しくなった。
友達とまったく遊べなくなった。でもさびしくはなかった。
あの場所に行けばいつでも私は笑顔になれたから……。
母の熱がこもった修行のおかげで、私はみるみる腕を上げた。
高校に入学するころには、母から教わることはすでになくなっていた。
そして私は、子供時代の時間をすべて費やして習得した奇跡の数々は、普段の生活にまったく役に立たないことを理解していた。
境内にいる2人の神様に向かって私は愚痴をこぼした。
「あ~あ、私が、がんばって覚えたことってあまり人の役にたたないですよね」
そう言うと、私は神奈子様にこずかれた。
そして神の奇跡がどれだけ多くの人を救ったのかを聞かせてくれた。
大昔の話だけれど。
「私も今の時代じゃなくてもっと昔に生まれたかったなあ、そうすれば私の力も、もっと活かせたのに」
まあこんなこと言ってもしかたないですよね、と付け加えた私に、神奈子様は真面目な顔をして、それは本気か、と言った。
神奈子様と諏訪子様はお互いの顔を見合わせてうなずき、説明してくれた。
その存在が本当に実在すると知ったのはその時だった。
「えっ……幻想郷……?」
昔、祖父に訊いたことがあった。
神様がいるのに、妖怪や物の怪がいないのはおかしい、天狗や河童はどこにいったのかと。
子供ながらの素朴な疑問だった。
「人が多すぎて、この国にはいられなくなったから、自分たちのだけの世界を作ってそこで暮らしているんだよ」
私はその答えに納得していた。
だがそれは子供だましぐらいにしか考えていなかった。
祖父の言ったことは正しかったのだ。
神奈子様は、すこし言いづらそうに、自分たちも幻想郷に移ろうと思っていると告げた。
そして私にも幻想郷について来て欲しいと付け加えた。
急な話だが、不思議と私は慌てることなくうなずいた。
まるでそれを自分が望んでいたように。
「私は東風谷、早苗、神に付き従うのがその使命です」
神様、2人は笑顔で喜んだ。
実は、ほとんど移動の準備は整っており、あとは幻想郷に私がついて行く意志があるのか確認するだけだった。
早苗なら一緒に来てくれると思ってた、と諏訪子様は言ってくれた。
神奈子様は、私が断ることが怖くて、なかなか言い出せなかったと恥ずかしそうに告白してくれた。
「断るなんてとんでもないですよ。神奈子様や諏訪子様の力が弱まっているのを巫女である私はいつも感じていました。むしろ私は、自分の力
を活かせる機会を与えてくれたことに感謝しています」
日はすでに落ちかけ、夕日の光りが神社を照らす。紅い風が、私の髪を優しくなでた。
その日の夜に移動することが決定した。私は、薄暗い神社の敷地を歩いていた。
今夜は満月だったようだ。月に浮かんだうさぎの模様がはっきりと見えていた。
「今夜であなたとはお別れね」
私は境内の横に生えているふとい木によりかかり、独り言を呟いた。
子供のころはあまりの大きさに驚いていたが、実際は普通の木よりも若干ふとい程度だった。
「ふふふ、当然よね、昔の私はこんなに小さかったんだから」
木につけられた傷跡を見ながら言った。
ふと思い立ち、落ちていた石を1つ拾った。
「早苗!行くわよ!」
後ろから神奈子様の声が聞こえ、私は2人の元にかけよった。
「やっぱり名残惜しくなった?明日にしてもいいんだよ?」
諏訪子様がたずねる。
しかし、私は首を横にふった。
「違うんです、挨拶をしてきたんです。私のもう1人の神様に」
2人は不思議そうな顔をした。
それを見て私はくすりと笑った。
今夜で東風谷早苗はこの世界から消える。
でも私の全てがこの世界から消えてしまうわけではない。
境内の横に生えたふとい木。
その木に刻まれた2つの傷跡。
この2つの傷跡の間が私の成長の証。
私が生きた時間の記録。
彼がいる限り、私はそこにいる。
「ばいばい、私の守り神様」
神奈子様の指示に従い、私は目を閉じた。
今までの私を彼に託して、これからの私はこの世界から消えた。
母の言いつけを守り、いつものように神社の敷地内で私は1人で遊んでいた。
私の神社には、ふとい木が1本、境内の横に生えていた。
それがいったい何の木なのか、今も昔もわからない。
ただその木が、きっとこの神社の守り神なんだと子供ながらに考えていた。
私はあつい日差しから身を守ってもらうために、その木の下で涼んでいた。
私はこの木にしなければいけないことを思い出し、落ちていた石を力をこめてにぎった。
自分の体よりもふとい幹に向かって立ち、手を頭に合わせる。
そしてその石を強く木に打ちつけた。
「う~ん、昨日とあまり変わってないなあ」
そう言って、うでを組んで私は悩んだ。当時の私の趣味は、この大好きな木に自分の成長の記録を刻みこむことだった。
それを毎日のように続けたものだから、すっかり幹は傷つき、彼に永遠に消えない傷跡をつくってしまった。
ふと境内を見ると、知らない人が2人いて、こちらを面白そうにながめていた。
私は、2人に近より、大きい方の人にたずねた。
「どうしておばちゃんは、鏡なんてぶらさげているの?」
大きい方の人は、私の質問には答えずに、黙って私の左のほっぺをつねった。
小さいほうの人は、その様子を見て、げらげらと笑っていた。
左のほほの痛みを手をそえることでいたわりながら、私は小さいほうの人にもたずねた。
「あなたはどこの小学校なの?」
小さいほうの人も、黙って私の右のほっぺをつねった。
やはり大きい方の人はそれを見て、げらげらと笑っていた。
私は両方のほほをそれぞれ片手でおさえて、痛みを和らげようとしていた。
強い日差しをあびて青々と輝く神社の守り神は優しい風の流れを受けて葉のかすれる音を立てる。
その音と神様たちの陽気な笑い声がまざり神社の沈黙が破れた。
私は1人でも、さびしくはなくなった。
神様を見たことを家族に話すとみんな喜んでくれた。
特に母がよろこんでくれた。
その日から修行はより厳しくなった。
友達とまったく遊べなくなった。でもさびしくはなかった。
あの場所に行けばいつでも私は笑顔になれたから……。
母の熱がこもった修行のおかげで、私はみるみる腕を上げた。
高校に入学するころには、母から教わることはすでになくなっていた。
そして私は、子供時代の時間をすべて費やして習得した奇跡の数々は、普段の生活にまったく役に立たないことを理解していた。
境内にいる2人の神様に向かって私は愚痴をこぼした。
「あ~あ、私が、がんばって覚えたことってあまり人の役にたたないですよね」
そう言うと、私は神奈子様にこずかれた。
そして神の奇跡がどれだけ多くの人を救ったのかを聞かせてくれた。
大昔の話だけれど。
「私も今の時代じゃなくてもっと昔に生まれたかったなあ、そうすれば私の力も、もっと活かせたのに」
まあこんなこと言ってもしかたないですよね、と付け加えた私に、神奈子様は真面目な顔をして、それは本気か、と言った。
神奈子様と諏訪子様はお互いの顔を見合わせてうなずき、説明してくれた。
その存在が本当に実在すると知ったのはその時だった。
「えっ……幻想郷……?」
昔、祖父に訊いたことがあった。
神様がいるのに、妖怪や物の怪がいないのはおかしい、天狗や河童はどこにいったのかと。
子供ながらの素朴な疑問だった。
「人が多すぎて、この国にはいられなくなったから、自分たちのだけの世界を作ってそこで暮らしているんだよ」
私はその答えに納得していた。
だがそれは子供だましぐらいにしか考えていなかった。
祖父の言ったことは正しかったのだ。
神奈子様は、すこし言いづらそうに、自分たちも幻想郷に移ろうと思っていると告げた。
そして私にも幻想郷について来て欲しいと付け加えた。
急な話だが、不思議と私は慌てることなくうなずいた。
まるでそれを自分が望んでいたように。
「私は東風谷、早苗、神に付き従うのがその使命です」
神様、2人は笑顔で喜んだ。
実は、ほとんど移動の準備は整っており、あとは幻想郷に私がついて行く意志があるのか確認するだけだった。
早苗なら一緒に来てくれると思ってた、と諏訪子様は言ってくれた。
神奈子様は、私が断ることが怖くて、なかなか言い出せなかったと恥ずかしそうに告白してくれた。
「断るなんてとんでもないですよ。神奈子様や諏訪子様の力が弱まっているのを巫女である私はいつも感じていました。むしろ私は、自分の力
を活かせる機会を与えてくれたことに感謝しています」
日はすでに落ちかけ、夕日の光りが神社を照らす。紅い風が、私の髪を優しくなでた。
その日の夜に移動することが決定した。私は、薄暗い神社の敷地を歩いていた。
今夜は満月だったようだ。月に浮かんだうさぎの模様がはっきりと見えていた。
「今夜であなたとはお別れね」
私は境内の横に生えているふとい木によりかかり、独り言を呟いた。
子供のころはあまりの大きさに驚いていたが、実際は普通の木よりも若干ふとい程度だった。
「ふふふ、当然よね、昔の私はこんなに小さかったんだから」
木につけられた傷跡を見ながら言った。
ふと思い立ち、落ちていた石を1つ拾った。
「早苗!行くわよ!」
後ろから神奈子様の声が聞こえ、私は2人の元にかけよった。
「やっぱり名残惜しくなった?明日にしてもいいんだよ?」
諏訪子様がたずねる。
しかし、私は首を横にふった。
「違うんです、挨拶をしてきたんです。私のもう1人の神様に」
2人は不思議そうな顔をした。
それを見て私はくすりと笑った。
今夜で東風谷早苗はこの世界から消える。
でも私の全てがこの世界から消えてしまうわけではない。
境内の横に生えたふとい木。
その木に刻まれた2つの傷跡。
この2つの傷跡の間が私の成長の証。
私が生きた時間の記録。
彼がいる限り、私はそこにいる。
「ばいばい、私の守り神様」
神奈子様の指示に従い、私は目を閉じた。
今までの私を彼に託して、これからの私はこの世界から消えた。
あと、加奈子じゃなくて神奈子ですよ。
でも個人的に、神奈子さんと諏訪子様が早苗のほほを黙ってつねった場面が好きです。
おばちゃんに小学生ですもんねw 素直な子供の言葉は耳に痛いもんです。
改行が多い方が読みやすいと思ってました逆効果でしたね(汗
神奈子でしたか、気付きませんでした。報告ありがとうございます。
ほほをつねる場面を好きになってくれましたか、うれしいです。
大きくなっても純真さを失っていない早苗が可愛いです。
改行は一文ごとにしてはいかがでしょうか?
面白いと言っていただけるのがなによりです。
なるほど改行を一文ごとですか。
もっと、読みやすい文章になるよう気をつけます。