Coolier - 新生・東方創想話

夏風ロケットブースター

2009/08/31 01:28:00
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 ある日、空から魔法が落ちてきた――。


◇ ◇ ◇


 アームスト蓮子。月へ到達することにかけて異常な情念を燃やし、夢見るルナティック乙女状態の蓮子をメリーと輝夜は密かにアームスト蓮子と呼んでいた。厄介なことにこの状態の蓮子はかつて月へ人類の第一歩を刻んだ男の信念が憑いてるとしか思えない挙動を繰り返すのだった。
 もう少し乙女らしい夢に想いを馳せても良いのになんてメリーは思っていたが、白馬の王子様を夢見る乙女蓮子なんて願い下げだった。だから、この夢はある意味、蓮子らしいといえば蓮子らしいのだ。他人を容赦なく巻き添えにすることも含めて、実に蓮子らしい夢だった。
 夏色に染まりかけた温い風がそよそよと髪をくすぐり、白銀の太陽が紫外線を吐き出して乙女の柔肌を傷つける。優雅なはずの昼下がり、土手に座っているメリーと輝夜の前でアームスト蓮子は熱弁をふるっていた。メリーは日傘の影に隠れ、輝夜は地面に生えた草をブチブチと毟っている。お互いに時折欠伸が混じる。可愛そうな犠牲者の2人は夢見る乙女の描く壮大で大胆なアポロ計画をこれでもかというほど聞かされていた。

「だからね、理論上は月まで行けるのよ!」

 メリーは蓮子の言葉を聞き流し、小首を傾げた。優雅な昼下がりだったハズだ。3人でお気に入りのビュッフェで昼食をとり、午後の講義に向けて軽くお昼寝をする予定だった。なのに今、秘封倶楽部は汗ばむ太陽の下で月面到達計画を練っている。正確に言えば、蓮子の演説を聴いている。蓮子の遥か高みには白昼の残月。いっそ消えてしまえばいいのに。せめてこのタイミングで蓮子の目に触れてさえくれなければ良かった。蓮子は思い出したように語り始め、今に至る。古来より狂気と女性の象徴だった月は、秘封倶楽部の宇佐見蓮子を狂わせたのだ。

「だいたいねぇ。そんな旧時代の、固形水素燃料のロケットを造ろうなんていう発想がそもそも古いのよ」

 手の中の野草をハラハラと風に流しながら輝夜がため息をつく。

「蓮子、種子島遺跡からロケットを飛ばすおつもり?」

 日傘をくるくるくるり、精一杯セレブ感を出しつつメリーが輝夜に続く。
 2人の言うとおり、21世紀初頭の水素燃料を使った極々一般的なイメージのロケットは最早、過去の遺物なのだ。数十年前のエネルギー革命。海水からエネルギーを精製する技術は今世紀最後の大発見と呼ばれ、あっという間に世界を席巻した。同時に、今まで不可能とされていた夢の技術がエネルギー革命を起に次々と実現されていったのである。2つの都を53分で結ぶヒロシゲ36号も、そんな夢の具現化だ。
 旧来の、石油や核を用いたエネルギー精製は縮小化の一途を辿り、未だに縋りつく中近東の国々を除いては、日本では東北人と、インド人とセレブくらいしか使っていない、極めて嗜好品に近い認識である。民間の空港から宇宙へ飛び立つのが常識となりつつある時代。水素燃料なんて危険な代物は勿論、ロケット打ち上げ台という大掛かりな装置も、カビの生えた技術へと成り果てていた。

「遥か昔、月は人々が思い描いていたユートピアだった。全人類が求めて止まない非想非非想天は月面にこそ在ると思うのよ! 例え旧式の技術だろうが人類が後ろ向きに前進しようが、秘封倶楽部にとって月面到達は偉大なる第一歩なのよ!」

 何からつっこんで良いのか輝夜には分からなかった。既に理解不能の域を超えている。どうしたらここまでポジティブになれるのだろうか、人体にはまだまだ不思議が満ち満ちている。

「実はね。もう試作のロケットが完成しているの」

 とんでもない爆弾発言が蓮子の口から飛び出した。メキ、と日傘の取っ手が音を立てる。メリーは微笑んだ表情のまま、固まっていた。ツナギを着てスパナを振り回す古風なエンジニア蓮子の姿がメリーの脳内にほわほわほわんと浮かぶ。いくらなんでもソレは無いでしょうよ、蓮子。と、心の中でツッコミをいれた。

「月面到達は保障するわ。間違いなく月まで吹っ飛べる代物よ」
「……本気なの、蓮子?」
「ええ、勿論! ただ、一つだけ問題があってね……」

 蓮子は神妙な面持ちで科白のトーンを落とした。秘封倶楽部の仲間だけにその秘密を打ち明ける。

「燃料が足りないのよ。だから行ったら帰ってこれない一方通行。片道切符」
「うげげ。いきなり致命的な問題じゃない。私は乗りたくないわよ、蓮子」
「輝夜が栄えあるパイロットを拒否するならメリーに大決定ね。おめでとう、船長。それと問題がもう一つ」

 ちゃっかり自分が抜けているところが蓮子の強かさ。勝手なことを言って蓮子は更に言葉を続ける。問題は一つだけじゃなかったのだ。きっと芋づる式に次から次へと出てくるに違いない。呆れたメリーは輝夜に促した。

「輝夜、午後の講義なんだっけ?」
「哲学。という名の暇つぶし。つまり昼寝の時間」
「じゃあそろそろ夢の世界へ行きましょうか。御免遊ばせ、蓮子」
「あっ。ちょ、ちょっと待ってよ2人ともっ! ロケットを見てよ! ホラ、見てコレ!」

 蓮子が取り出したロケットは見事なものだった。航宙力学に関しては素人である2人から見ても、完璧なロケットのデザインであると一目で分かる。大気を切り裂き、重力の呪縛から解き放たれるには十分な力を秘めていることは明らかだ。嗜好品に近い存在である固形水素燃料を研究室からくすねるの大変だったんだから、とピントのずれた自慢をする蓮子。確かに蓮子の言うとおり、このロケットなら月まで行くのは容易いだろう。
 蓮子の掌に収まる程度の大きさであると言う致命的な問題を除いては。

「で……、蓮子。どうするのよコレ? 私がいくらパイロット訓練を重ねても、このロケットに搭乗するのは、そりゃ無理ってもんでしょうよ」
「あ、あははは。やっぱり? なんならその不気味な眼球でも送ってみる? 何か良いモノが視られるかも知れないわよ」

 メリーは蓮子の猟奇的な提案に空を仰いだ。吸い込まれてしまいそうな青空に一条の飛行機雲。両翼から引かれた線がやんわりと溶けて消えていくのが見える。

「どんなホラー映画よ。いこ、メリー。蓮子に構っていてもこんがり日焼けするだけだわ」

 輝夜はメリーの手を引っ張り駆け出そうとした。が、メリーは動かない。

「メリー……?」

 メリーはぼんやりと真上を眺めていた。澄んだ青空を流し込んだ瞳が、空中のある一点を見つめている。蓮子の造ったロケットが月まで届く様を宙に描いているにしては少しばかり様子がおかしい。どうせまた結界でも見つけたのだろう。蓮子は自分の話の腰が折られたことで半ばため息混じりにメリーに問いかける。

「メリー。聞いてる? 結界に飛び込んだって月までいけるわけ無いでしょ。いいからメリーも考えてよ。できるだけ現実的に月までいける方法を」

 メリーにつられて空を見上げた輝夜は顔色を変えて声を張り上げた。

「蓮子、危ない!!!!」

 蓮子は輝夜の声で初めて危険を察知した。メリーと輝夜の視線の先を辿る。その光景を蓮子は入道雲みたいだ、と思った。先ほどまで抜けるように蒼い空が広がっていた。しかし今、自分の目の前は真っ白である。この季節には少しばかり早い、白い入道雲。それを純白のドロワーズだと理解するまでもなく、蓮子の意識は冥い闇に呑まれていた。


◇ ◇ ◇

 医務室の無機質な天井を見て、蓮子は落胆した。視界の隅で自分の顔を覗き込んでいるメリーを確認して、紛れも無い現実なのだと実感する。

「ねぇ、メリー」
「なによ、蓮子」
「メリー、貴女が居るからココは天国でも月面世界でもないわね。残念」
「何を言い出すかと思えば、貴女。生きてるのが不思議なくらいなのよ?」
「そっか、絶対安静?」
「凄い勢いでね」

 メリーのセリフで蓮子は自分の身体が負っているダメージを思い出した。全身が痛みに悲鳴を上げている。何せ空からドロワーズが落ちてきたのだ。直撃した自分が無事なはずが無かった。

「ってちょっと待て。何で下着が落ちてきたくらいで私は全身打撲なのよ!?」
「……」

 気がつかれてしまった。メリーは諦めた様子で蓮子のベッドの向こう側を指差す。誘われるまま寝返りをうった蓮子の目に飛び込んできたのは一際大きな黒い帽子。それと壁に立てかけられたホウキ。そしてベッドの上で寝ているのは黒と白のエプロンドレスに身を包んだ少女だった。メリーと同じ金髪の少女。年齢は自分たちよりも結構年下だろうか、まだ幼さの抜け切れていない、あどけない横顔。静かにスヤスヤと寝息を立てている。まるで絵本の世界から飛び出してきたかのような、蓮子が思い描く魔法使いのイメージそのままだった。

「魔法……使いっ……!?」

 空から落ちてきたものの正体。目の前に在る事実、蓮子は思わずベッドから跳ね起きた。

「蓮子っ! 絶対安静だって!」
「何を言ってるのよメリー。つまらない怪我で行動不能に陥っている場合じゃないでしょ!?」
「……もう。言っても無駄ね、蓮子には」

 やれやれとため息をつくメリーの表情は笑っていた。

「そんなことより魔法使いよ! 魔法使い!」
「ええ、そうね。魔法使いね。蓮子がメルヘンチックな解釈をしてくれるおかげで助かるわ」
「何、その言い方?」
「輝夜はコスプレ好きのオタク女だって言ってたからね」

 身体を大きく屈伸させて健康体をアピールする。メリーはこうなることが分かっていたのだ。例え全身複雑骨折していようが蓮子の知的興奮の前では路傍の石に過ぎないのだ。蓮子にとってアドレナリンは正に蓬莱の薬だった。
 ある日突然、空から落ちてきた魔法使い。まるで創られた物語のような展開に、蓮子の胸は高鳴りっぱなしだった。ふと、いつもなら真っ先に首を突っ込んでいる人物が居ないことに気がつく。

「輝夜はどうしたの?」
「蓮子とこの魔法使いさんが目を覚まさないから冷たいもの買いに行ったわ」

 きっと、輝夜がこの場に居たのなら、間違いなくこの子のおでこに落書きをしただろう。自分のおでこをゴシゴシと擦りながら蓮子は少しだけ安心する。何事も初対面の印象が肝心なのだ。額に大きくメケメケと書かれている自分は、いささかその場面に似つかわしくないと思う。備え付けられている流し台でシャバシャバと顔を洗っていると、メリーがなにやら騒ぎ立てていた。

「わわっ。ホラホラ! 見て見て蓮子! この子、ほっぺた柔らかすぎ~!」

 きゃっきゃと嬉しそうな声をあげて、メリーは気を失っている少女の頬を容赦なく引っ張っている。メリーだって興味が無いわけではなかったのだ。 常識の限界を超えた頬の伸びは、噂に聞くつきたての餅のよう。ふと、メリーが居ないほうがよかったかもしれないと、蓮子は少しだけ後悔した。

「しかし幼いわね。これは発育不良と言っても良いんじゃないかしら」

 メリーは意識の無い少女のスカートを摘み、ドロワーズが健在であることを確認すると全身をチェックし始めた。メリーの白い指が少女の身体を這う。

「ちょっとメリー、やめた方が良いんじゃない?」
「さっきは私が止めても聞かなかったじゃないの。それに、急に空から落ちてきた人間なんて本当に人間か分からないわよ。もしかしたら妖怪が化けているのかもしれないわ。私が毒見してあげる」
「なんか手つきがイヤらしいわよ」
「んー。乳周りもたいしたこと無いし、発育不良というより二次性徴がまだなのかしら……。あっ、もしかして」

 控えめ、と言うのも憚られるくらいの2つの丘をふにふにと確認した後、身体のラインに沿って指を滑らせる。瞳は悦楽に濡れそぼり、すべすべした肌に触れるたび、小さな吐息を漏らす。少女の寝込みを襲う秘封倶楽部のメリー。絵的にどうみてもアウトだ。蓮子があらゆる最悪の可能性をシミュレートしているうちに、メリーの暴走は遂に少女のドロワーズに到達した。

「メリー!!」

 今度は蓮子がブレーキ役だった。誰かに見つかろうものなら秘封倶楽部は幼女秘封倶楽部という不名誉な栄光を掴み取ってしまうに違いない。今更どんなレッテルを貼られようが怖くないと蓮子は鷹を括っていたが、これだけはやばい。社会的にも、道徳的にも。僅かに残る蓮子の常識は珍しく冷静な判断を下していた。そんなことを考えている間にもメリーは少女の秘奥へと攻め入る。クスクスと笑いながら少女のドロワーズを脱がせていた。

「こういう子にはね、未だに蒙古斑があったりするのよ、っと」
「んっ……」

 少女が小さなうめき声をあげた。人形のような可愛らしい顔に生気が戻り、長い睫をピクリと動かし、寝惚けた瞳を開く。

「なんか、すーすーするぜ……」
「あらま。おはよう、魔法使いさん」
「んぁ。おはよ、ゆかり。……ところでなんで私は下半身真っ裸で寝てたんだ?」
「そりゃあ、私が脱がせたからですわ」

 わきわきと手を握ったり開いたりしながらメリーがセレブの微笑を浮かべる。目を覚ませば自分の下着を脱がせた少女……考えうる限り最悪の初対面だ。蓮子は頭を抱えた。

「あ、は。はははは!!」

 突然、少女は愉快で堪らないといった風に笑い出す。

「うふふふふふ」

 メリーもつられて笑い出した。2人の少女が笑う和やかな風景。しかし、蓮子の嫌な予感は往々にして的中する。やがて、顔を真っ赤にした少女がメリーを睨みつけ、両手をかざし力一杯叫んだ。

「くたばれ隙間ババア! 恋符!!」

 少女の声が響き、ミシ、と医務室の天井が揺れた。カタカタと薬品棚が揺れる、机が揺れる、床が揺れる。ベッドのカーテンがはためき、少女の手のひらに光の束が収束する。
 異常な事態だったが蓮子の思考回路は正常に作動していた。目の前に広がる光景は、紛れもなく少女が魔法使いだと告げている。物理的な法則がどうとか、この際関係はなかった。あの小さな手のひらに集まりつつある光はメリーを狙っているのだ。蓮子はどうするべきか、答えはたった一つしかない。
 蓮子はメリーを思いっきり床に押し倒し、庇うように身体を覆った。
 メリーは笑顔を崩さず、少女をまっすぐ見つめていた。メリーの瞳には輝く魔法の光。宇佐見蓮子の最期の光景にするには、ちょっとばかり皮肉が利いている。蓮子は視界いっぱいにメリーを満たし、力強く抱きしめながら思った。

 それは遠い御伽噺。
 小さな子供が目をキラキラと輝かせながら聞くような、夢物語。

 人類の憧れ。
 誰もが一度は夢に見た光景。秘封倶楽部が追い求めていた幻想。

 歴史上、一度たりとも観測されなかった奇跡の事象。

 魔法の発現――。

「マスタァァァァァァァァァァ!!! スパァァァァァァァァックゥゥゥゥゥゥゥウウウウ!!!!」

 空気が激しく振動し、少女たちは光の奔流に包まれた。

◇ ◇ ◇

 窓の開け放たれた廊下を少女は駆ける。自慢の長い髪が暖かい風にふわりと踊り、リノリウムに射し込む日差しに影を落とす。少女の影はあるものを探して彷徨っていた。

「たしかあの辺にあったと思うけど」

 息を切らせて探しているのは四角い巨体だ。角を曲がると輝夜の視界に飛び込んできたのは、価値を具現化した硬貨と引き換えにつめた~いドリンクを交換してくれる巨体。通称、自動販売機だった。チャリチャリと硬貨を飲み込ませつつ、輝夜は先ほど医務室に運んだ少女のことを考える。黒と白の衣装にホウキ。姿を思い出す度に頭の奥がチリチリとする。

「会ったこと、あるのかな……?」

 少女は何もない空間から突然現れたように見えた。特別な力を持たない自分の瞳に映っていた事実は、本来ありえないことだ。コーラのボタンを押す。ガチャンと大きな音がしてお目当てのモノが受け取り口に落ちてくる。そうだ。あの少女もこうやって落ちてきたのだった。輝夜は右胸のポケットにコーラの缶をねじ込んだ。結露が蓮子のお下がりである白いワイシャツを濡らし、下着越しにひんやりとした冷気を伝える。
 ひょっとしたら、蓮子とメリーに出会う前。まだ自分が間違いなく自分だという確信があった頃。……つまりは、記憶を亡くす前の自分と、少女とは出会っていたのかもしれない。勿論確証は無い。けれども、何の関係も無ければこの頭の最奥で疼く熱の説明がつかないのも事実だった。ざわめく。どうしようもなく不安になる。

「まぁ……考えてたって仕方ないけどね」

 続けてもう一度コーラのボタンを押して左胸のポケットにねじ込む。太陽もいよいよ旺盛に、来たれ夏本番と言ったところだ。勤勉な学生たちは午後の講義に貴重な青春を費やしている。どうせ出たところで寝ている自分よりはマシか、なんて苦笑しながら廊下に足音を響かせる。静寂に包まれた廊下を一人駆けるのは言い知れぬ優越感を味わえる。いつもよりはだいぶ重たくなった胸元で、汗と冷たい雫とが交じり合う。窓から吹いてくる夏の匂いのする風に誘われて、輝夜は走る速度を少しだけ上げた。

◇ ◇ ◇

 ぷすん。

「はれ?」

 ガスの抜けたような音と同時に少女は間抜けなセリフを吐く。蓮子はその声に今日何度目かの生命の危機を回避したのだと悟った。高ぶる緊張感はすでに無く、さっきまでの雰囲気はなんだったのだろうかと不思議に思う蓮子だった。不意に、蓮子の下敷きになっていたメリーがクックックといやらしい笑い声を上げる。

「メリー……?」

 蓮子のおでこに軽くキスをしてありがとと告げると、スカートの裾をハタハタを軽く払い、嬉しそうに少女に話しかける。

「ひょっとして、コレ。お探しかしら?」

 メリーは懐から円盤状の物体を取り出した。

「あっ、私のミニ八卦炉!!」
「そう、ミニ八卦炉っていうのね。八卦八極、なるほどなるほど。陰陽を模した触媒なのね。念のために取り上げておいて正解でしたわ」
「肌身離さず持っていたはずなのに!」

 クスクスと笑う。メリーはミニ八卦炉と呼ばれる物体を見て確信していたのだ。魔法発動に必要な触媒。おそらくは先ほど、身体を舐めるように触りまくっていた時。油断も隙も無いメリーに蓮子はほっと胸を撫で下ろした。
 メリーはミニ八卦炉を少女へ放り投げた。大事そうに両手でキャッチする少女。

「大体ね、貴女。いきなりババア呼ばわりとは失礼極まりないわ。それに私の名前は『ゆかり』じゃなくて、マエリベリー。マエリベリー・ハーン。秘封倶楽部よ」
「ゆかり……じゃ、ないのか。いやぁ、今まで生きてきた中で下着ずりおろされて目覚めたことなんかなかったもんだからつい……」
「つい、うっかり。で魔法を使うのね。あなたは」
「それがスペルカードルールだからな。そう言うお前さんは?」
「蓮子。秘封倶楽部の宇佐見蓮子よ。ルールだかなんだか知らないけれど、魔法使いさん。いい加減あなたの名前を聞きたいのだけれど」
「ん、ああそうか。すまんすまん。私は霧雨魔理沙。どこにでも居る普通の魔法使いだぜ」
「魔法使いってトコは否定しないんだ」

 当然だろっ! と魔理沙は小さな胸を張った。

「蓮子に、ま、マエリー……。呼びにくいな。メリーで良いか?」

 一見して日本人には見えない魔理沙にさえ、マエリベリーと言う名前は発音し難かった。ひょっとしたらメリーの名前を正確に発音できる人間なんて、この世界には居ないんじゃないかと蓮子は思った。舌が上手く回らなくてメリーの本名を発音できない魔理沙は、結局、メリーと呼ぶことに落ち着いたのだ。謀らずも、宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンが初めて出会ったときのように。
 蓮子は堪えきれずに笑う。

「あはははははっ。やっぱりメリーはメリーよね。うん! 良いわよ魔理沙、私が許すわ!」
「れんこうるさいわよれんこ」

 魔法使いという神秘を目の前にしても、秘封倶楽部はいつもの秘封倶楽部だった。魔理沙は2人に問いかける。

「なぁ、2人とも。ココは一体、人里のどの辺なんだ? そもそも人里にこんな設備の整った施設なんてあったか?」

 蓮子はやれやれと言った風に首を竦めて魔理沙の質問に答える。

「日本のど真ん中、首都の京の都。ついでに言えば大学の医務室よ。更に言えば魔理沙、あなたが居るところはベッドの上」
「ん~?」
「何首傾げてるのよ」

 まさかこの娘も記憶喪失なんじゃないかと蓮子の脳裏を嫌な想像がよぎる。時間と空間の境界に記憶を落としてしまうようなまぬけなやつなんて、輝夜1人で充分だった。蓮子は、いまいち要領を得ない魔理沙の態度に苛立ちを感じる。

「ねぇ、魔理沙」
「ん?」

 蓮子と魔理沙のやりとりを眺めていたメリーが何かを確信したように口を開く。

「魔理沙。貴女こそ、一体どこからきたの?」
「どこって……博麗神社から全力で飛んで――」

 博麗神社、秘封倶楽部にとって聞き覚えのある単語だった。

「博麗神社ねぇ……。博麗神社ってあの博麗神社よね?」
「あの博麗って、他にどんな博麗神社があんだよ。あそこの暴力巫女を知らないやつなんて居るもんか」
「魔理沙。あなた何言ってるの……。博麗神社に、巫女? あんな廃墟に人間なんて住めるわけ無いじゃない」

 沈黙する3人を生暖かい空気が包み込む。歯車のかみ合わない、不思議な感覚。

「どういう、ことだ……? 状況が全く飲み込めないぜ……」
「もう一度聞くわ。普通の魔法使い、霧雨魔理沙。貴女が居た場所は、どんなところ?」
「お前たち……お前たちこそ知らないのか。幻想郷を……?」
「幻想郷……?」

 蓮子とメリーは未知の単語に思わず顔を見合わせ、息を飲んだ。

◇ ◇ ◇

 蓮子は魔理沙の言葉に肩を振るわせた。目の前の魔法使いは、魔法を使えるだけでなく、あろうことか結界の向こう側からやってきたと言う。幻想の郷の魔法使い、霧雨魔理沙。闇雲に振り回す腕の先に、幻想の尻尾が僅かに触れた気がした。

「まぁ……正確には明確な意思があってきたわけじゃないから、やってきたっていうより、弾き出されたって言ったほうが良いかもな」
「そんなのどっちでも良いわよ! 大きな大問題は、幻想郷は結界の向こう側に存在しているということ!」

 ずずいとベッドに身を乗り出し、魔理沙に近づく蓮子。驚きのあまり文法がおかしくなっていることに気がついていない。メリーは蓮子を咎める様子も無く、思案する。

「幻想郷……その、楽園を構築する結界が、博麗大結界。こちら側とあちら側に共通する接点は、博麗神社……」

 本当に魔理沙の言うとおりなら、あの廃屋のような神社こそが幻想郷とこの世界を繋ぐ接点だ。しかし、2人で見に行った博麗神社には、結界の裂け目どころか、人っ子1人見つけることができなかった。異界への門扉は固く閉ざされたままである。
 魔理沙は向こうの博麗神社は未だ健在であるという。博麗神社を管理する博麗霊夢。こちら側の博麗神社には存在しない、巫女。

「普通の結界と見え方が違うってこと……?」

 メリーは独り呟く。

「ねぇ、魔理沙! 結界の中、幻想郷ってどんなトコなの!?」

 蓮子は魔理沙に更に詰め寄っていた。最早押し倒していると言っても良いくらいだ。

「ペンにメモって……、なんだか蓮子は射命丸みたいだな」
「しゃめいまる? 誰それ、役者サン?」
「んにゃ、鴉天狗のブン屋」
「鴉天狗!!」

 蓮子は興奮冷めやらぬ様子で矢継ぎ早に質問を繰り返す。魔理沙は笑いながら蓮子の質問に答えていた。少女の問答は天狗の住む山から始まり、特に仲の良い河童の話、魔法の森に住むもう1人の魔法使いの話、本を貸してくれる気さくな魔女の話等等。話題は泉のように湧き上がり、間欠泉もかくやの勢いで噴出す。魔理沙の言葉の全てが蓮子にとっては未知のものであったし、また、この冥い街を彷徨い、追い求めてきたものばかりだった。蓮子が童心に還ったように瞳を輝かせるのも無理は無い。

「蓮子……興奮しているところ悪いんだけど、それでも一応魔理沙は怪我人よ、いい加減その辺に……」
「……っ!!!!」

 メリーの声で蓮子がビクンと肩を震わせる。そういえば、蓮子も怪我人だった。アドレナリンだけで傷口が塞がるだなんて非常識なこと、あるはず無い。蓮子の身体に蓄積されていたダメージは確実に彼女を蝕んでいたのだ。

「蓮子! 大丈夫!?」

 メリーは慌てて駆け寄る。

「コレだわ!!! コレこそ私たち秘封倶楽部の求めていた幻想! 未だ視ぬ不可知の世界!! シャングリ・ラ! ニライカナイ! 蓬莱! シャンバラ! エルドラドにザナドゥ! 世界各地に残る理想郷伝説の一端がココに在る! 幻想郷は確かに存在している! そしてそれは、この魔法使い、霧雨魔理沙が証明しているわっ!!!」

 勢いそのままに、盛大にこけるメリーだった。とうとう蓮子の興奮が爆発した。目を丸くして蓮子を見つめている魔理沙だったが、やがて顔をくしゃと歪めて笑った。その目は、蓮子と同じ未知への期待で輝いている。

「それは私も同じだぜ。幻想郷で生まれた私にとっちゃ、外の世界って言ったって全然実感なかったもの」
「似たもの同士ね!」
「まぁ、そゆこと。……よっ、と」

 魔理沙はベッドから起きると壁にかけられていた帽子に手を伸ばし、深く被った。帽子の縁から煌く瞳を除かせて、部屋をもう一度ぐるりと見渡した。

「改めて見ると、たいして変わらんような、全然違うような……」

 部屋の窓を見つけると駆け寄り、勢いよくカーテンを開けた。

「……!!」

 なんてことはない光景だった。少なくとも、秘封倶楽部の蓮子、メリー、輝夜にとっては。やや沈みかけた太陽が世界を黄金色に包んでいる。地平線を埋め尽くす無機質な建造物。コンクリートと強化セラミックで加工された箱型の住居。電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、箱と箱とを繋いでいる。人類が誇るネットワーク。景観を守ると言っていた人間の営みが作り出した風景。

「なぁ、もしかしてとは思うんだが……ひょっとして、アレの全部に人が住んでるのか?」

 魔理沙は振り返ると窓の外を指差し、2人に問いかけた。蓮子とメリーは何も言わず大きくうなずく。ぼそりと魔理沙は何かを呟き、再び窓の外へ視線を移した。

「そんなに感動する風景でもないのにねぇ、メリー。世界には20億を超える人間が居るんだもの。コレくらい、当たり前だわ。昔はもうちょっと多かったみたいだけどね」
「なぁなぁ、アレ! アレは何だ!?」
「って聞いちゃいないわね。アレは送電線、あっちのは高架橋、それに人が住んでるあの建物は高層ビル」
「おおおぉぉ!!」

 やんややんやと魔理沙が騒ぎたてる。魔理沙は窓から身を乗り出し、蓮子以上に興奮していた。

「なんでもない光景であんなに感動してくれるなんて、まだまだ私たちの街も捨てたものじゃないわね、蓮子?」
「そうね、でも――」

 普通の魔法使い、霧雨魔理沙。蓮子は先ほどのやりとりの断片から、彼女が眺めていたであろう光景を幻視する。妖怪の山、霧深い滝壺、河童の住む清流、魔法の森。幻想郷の方がずっと素晴らしいモノに満ち溢れているような気がして、目の前の魔理沙に少しだけ嫉妬した。

「……なんでもない」
「そ、蓮子のことだから私を幻想郷につれてって、なんて言うんじゃないかと思ってたけど」
「確かに興味あるんだけど、連れて行ってもらうのは趣旨じゃないわね」

 宇佐見蓮子だけが行っても意味が無いのよ、と蓮子は言う。遥か遠い幻想の地、その大地を踏みしめるのは、蓮子でもメリーでも輝夜でもなく、秘封倶楽部なのだ。連れて行ってもらうのではなく、自分達でたどり着くのだ、と。蓮子の力強い言葉に、メリーの頬が少しだけ紅葉する。

「蓮子、メリー! 私は決めたぜ!!」

 魔理沙はそんなやりとりをしている2人に振り返った。何かを決意したようだ。キラキラ輝いている魔理沙の笑顔。突然、鉄の筒が降りそそぐ。直線を描いた弾道にぴちゅん、と軽快な音を立てて崩れ落ちる魔法使い。片膝をつき、顔を伏せてダメージに悶絶していた。

「むぎゅ」
「なーにが魔法使い、よ」
「おかえり、輝夜。でも怪我人に缶を全力投球するのはどうかと思うわ」
「自分で自分のことを魔法使いなんて言うヤツを簡単に信じるのもどうかと思うわよ、蓮子」
「でも魔理沙はっ!」
「どうみてもコスプレ好きじゃない」

 ふん、と鼻を鳴らして蓮子にもう一つの缶をパスする。輝夜は魔理沙が放った魔法の光を見ていないのだからただのコスプレ少女と思うのも無理は無い。それに、なんだか魔理沙そのものが気に食わないようだ。

「いてて……。かぐや、……ん。輝夜?」
「何よ、オタク女」

 魔理沙はその名前に反応し、地面に落ちていた缶を掴むと立ち上がってまっすぐ輝夜を見つめた。
 
「輝夜……なのか。なんで外の世界に? いや、でも……お前は――」
「……」

 驚きに満ちた表情を浮かべる魔理沙。困惑する輝夜との間に蓮子が割って入る。

「魔理沙、輝夜のことを知ってるの?」
「いや、その……」

 言葉を濁す魔理沙。輝夜は乾いた瞳を魔理沙に向け、自らを嘲笑うように語る。

「知ってるわけないわ。魔法使いさん、私、私はね、蓮子とメリーに出会う前の記憶が無いのよ。輝夜っていう名前も、蓮子がつけてくれたもの。理解できるでしょ、魔法使いさん。もし、貴女が輝夜って名前の女の子を知っていても……」
「偶然、他人の空似ってこと……か。私にはそうは思えないんだけどな」
「だから――」

 輝夜の瞳に炎が宿り、顔が怒りに歪む。輝夜は魔理沙の前に拳を突きつけて親指を立てるとそのまま真下に回転させた。

「他でもない、私がそう言ってるのよ。私の知らない私の歴史を騙って惑わせるな、魔法使い!」
「はんっ! お前の名前を冠するヤツは揃いも揃ってみんな生意気だぜ、輝夜姫!」

 緊迫する空気が張り詰める。魔法使いに喧嘩を売る記憶喪失少女、まさに一触即発。ほんの少しのきっかけでこの医務室は跡形も無く吹き飛んでしまいそうな、恐ろしいまでの緊張感。破裂する寸前である。

――ぐー

 蓮子のおなかが、可愛らしく鳴った。

「ぷ」
「は、あははははは」
「くすくす、蓮子。貴女の空気の読めなさは何か賞を貰えるわね」
「不名誉な類の想像しかつかないわよ。そんなことより、おなかすいたー」
「そうねぇ、おなか空いたわねぇ」

 緊張の糸は、蓮子のおなかに根こそぎ巻き取られてしまった。

「悪かったな、とりあえず他人の空似ってことにしておいてやるぜ、輝夜」
「私も貴女が魔法使いってこと、一応信じてあげるわ、魔理沙」

 輝夜と魔理沙の間に、奇妙な友情が芽生えたのだった。 

◇ ◇ ◇

「さて、日も暮れてきたし、蓮子のおなかも風雲急を告げているわね」
「うるさいわよ、メリー。魔理沙、あなたはすぐ帰るの、幻想郷に?」
「うん? あー……、そのことなんだが」

 帽子を深く被り、表情を悟られないようにする魔理沙。あまり触れてほしくないのは明白だった。

「しばらく居させてくれないか?」

 まだまだこっちで見たいものもあるしな、とぼやく。

「だったら決定ね。蓮子、魔理沙を秘密基地までエスコートしてあげて」
「基地って、6畳2間にキッチンとお風呂までついた立派なマイホームよ!」
「秘封倶楽部の大事な活動拠点じゃないの。立派な基地よ」
「うぐぐ」
「なんだか知らないけど、いい響きだな、秘密基地。わくわくするぜ」
「今なら豪華な夕食つきで9割引、お買い得ですわ」
「よし買った!」
「タイムセールになってるっ! 魔理沙も即答しないでよ!」
「私は輝夜とおゆはんの買い物してから向かうから、それで良いわよね、輝夜?」
「そうね……。うん、良いわよ。今日のメニューはとっておき!」

 輝夜が作る夕食、蓮子には魔法の言葉だった。蓮子が作る晩御飯と輝夜が作る晩御飯には天と地ほどの差がある。どちらが天でどちらが地なのかは言わずもがな。だからこそ余計に期待も膨らむというものだ。

「ハッ! メリーさんの仰せのままに! 魔理沙、いこう! 今日はご馳走よ!!」
「あっ、ああ」

 ビシッと敬礼をすると魔理沙の手を引っ張って医務室を駆け出す蓮子。

「じゃあ、また後でね、メリー、輝夜」
「ごきげんよう」
「期待して待っててねー」

◇ ◇ ◇

「水平006、115、垂直に282、1151」
「なんで私はこんなことをしているのだろう……」

 メリーは双眼鏡を覗き込み、何も無い空を見つめている。蓮子たちが秘密基地へ駆け出すとメリーは輝夜を誘ってこの土手にやってきた。魔理沙が落ちてきた土手、メリーは特別製の瞳で結界を映す。

「黙ってて輝夜。距離2285、005」
「あいあーい」

 輝夜はメリーの言う数字をノートに書きとめる

「これで最後、組成、89099299074」
「……074っと。おっけーよ、メリー」
「ん、ありがと、輝夜」
「空間軸に時間軸……ってことはコレ、魔理沙が落ちてきた座標ね。流石はメリー観測員」

 輝夜は鉛筆の頭を齧りながらノートに羅列されている数字から答えを導き出した。 

「いつか戻るのなら……そのときのための備えをしておかないとね。結界ってものは留まり続けるものじゃないから」
「閉じるの?」
「閉じるときもあるし、風に流されていっちゃうこともあるわ。幸いにして魔理沙が落ちてきたのは特別みたいだから安定してるようだけれど」
「なんだか電線に引っ掛かったカイトみたいね、結界って。とりあえずしばらくは大丈夫そうなのかしら」
「そうね。……それにしても、蓮子だったらこうはいかないわよ。輝夜、貴女の演算能力はやっぱり凄いわね」
「数学なんて、元々9個の記号の組み合わせなのよ。1と2との距離は無限大。だから永遠と、須臾と、その概念さえ理解してしまえばたいしたこと無いわ。ちなみに9つの組み合わせだったはずなのに、10個目の記号、0を開発しちゃったインド人は只者じゃないわよね」

 弟子入りしても良いと豪語する輝夜。メリーは翼を生やした小柄な少女がヨーガを披露する姿を幻視した。

「輝夜、貴女に数学を教えた人は天才か、インド人ね。天才のインド人かもしれないわ」
「私が天才だという選択肢は無いのか」
「くすくす。おなかが空いたわぁ~」
「あからさまに誤魔化された気がするわ……」

◇ ◇ ◇

「なぁ、蓮子!」

 魔理沙と蓮子は黄昏に沈む街並みを歩く。クルクルと興味に惹かれるままあちらこちらに足を向ける魔理沙。缶コーラを片手に、完全にお昇りさんスタイルな魔法使いだった。

「あのねぇ、魔理沙。珍しいのは分かるけど、あんまりキョロキョロしてると転ぶわよ?」
「大丈夫だいじょーぶ! 私に限ってそんなことはないんだっ」

 蓮子の方を振り向き、余裕なところを見せようとする魔理沙。

「ぜっ! ぅぐっ!」

 電柱に、後頭部からつっこんだ。

「ってぇ……。何なんだよ、こんなところに御柱か? 神奈子のヤツめ……!」
「気をつけなさい、家出娘。あなたの知らない世界には、怖いものいっぱいあるわよ」

 蓮子の言葉に、魔理沙が青ざめた。

「家出って、なんでお前、それを知って――」
「そうね。帰るという単語に言葉を濁すところ、なのに幻想郷のことは楽しそうに話すこと。大方、友達と大喧嘩でもしたんでしょ?」
「っ!!」
「図星みたいね。頭に血が昇ってついかっとなって……ってところかしら」
「……ふん」
「まぁ、私としてはあなたにまだ帰ってほしくないし、メリーや輝夜には黙っててあげる。だから、頭が冷えるまでこっちに居なさい」
「……蓮子。お前、結構いいやつだな」
「今頃気づいたのね。魔理沙はニブチンだって言われない?」
「さぁな」

 2人分の、長く伸びた影法師。夏の匂いを運ぶ風が2人の間を駆け抜ける。

「蓮子。お前は……その、メリー達と喧嘩、したことあるのか?」
「んー。わりと」
「そっか、わりと、か」
「それでも、今ココにこうして、蓮子とメリーと輝夜が誰1人欠けることなく、秘封倶楽部で居るっていうのは、喧嘩した回数と仲直りした回数が等しいからだわ」
「……」

 魔理沙は蓮子をきょとんとした顔つきで見つめ、カラカラと笑う。

「そっか! そうだよな!?」
「そうよ」
「うんうん、やっぱり喧嘩したら仲直りだよなぁ……。霊夢のヤツめっ!」
「あれ、なんか話が違う方向に行っちゃったような……」

 ぷんすかと腹を立てている魔理沙。笑ったり、怒ったり、喜怒哀楽の激しい少女である。

「ちょ、ちょっと魔理沙? 仲直りよ? 平和的解決よ?」
「ああ、そうだぜ? アイツが謝ってくりゃまあるくおさまるんだ」
「……」

 呆れてモノが言えない蓮子。幻想の向こう側からやってきたのは自己中だった。こんなに自分勝手なヤツなんて蓮子は生まれてこのかた見たこと無かった。ふと、鏡を見たこと無いのかしら、蓮子。なんていうメリーの声が聞こえたような気がした。

「蓮子、いい加減足が疲れたんだけど、お前ん家ってまだ遠いのか?」
「歩いてあと15分ってトコね」
「なら」

 魔理沙は蓮子の前に立ちはだかる。逆光で表情は読み取れないが、口の端が嬉しそうにつりあがっている。

「私が魔法使いだってとこ、見せてやるぜ」

 風が不意に止み、魔理沙がホウキを地面に突き立てる。ホウキがざわりとゆれた。

◇ ◇ ◇

「あれ、そういえば……」

 郊外にある大型モール。生鮮スーパーに並ぶ合成肉を品定めしながら、輝夜はあることに気がついた。

「蓮子の家って、お鍋あったっけ?」

 棚の影から山ほどお菓子をカゴに詰め込んだメリーが顔を出す。

「さぁ、見たこと無いわね。聞いてみたほうが良いんじゃない?」
「そうねぇ。できればあってほしいけど」
「あっても無くても荷物持ちは輝夜なのにねぇ」
「だからよ! 私だって重たいお鍋持って家まで帰りたくないわっ」

 輝夜は怒りながら懐から携帯電話を取り出し、蓮子を呼び出した。

「蓮子蓮子、もしもし蓮子。あれ、魔理沙? 蓮子に代わって頂戴。あなたの家って、お鍋あったっけ。ううん、嫁入り道具じゃなくて鍋よ、お鍋。そう、良かったわ。手伝えること? んー。じゃあお鍋洗ってお箸とお椀準備して正座してテーブルで待ってて。他には手を出さなくて良いから」

 パチリと携帯電話を折りたたみ、メリーに向かってため息をついた。

「なんだか蓮子、とんでもなく興奮してたわよ」
「魔理沙に欲情したのかしらね」
「イカロス、モンゴルフィエ、ライト、蓮子だって叫んでた」
「ブラッドベリ……? 時々蓮子は意味が分からないわよねぇ。流石はアームスト蓮子ですわ」
「アームスト蓮子よね」

 2人は、2人にしか分からない合言葉でクスクスと笑いあうのだった。

◇ ◇ ◇

 大学から歩いて30分、桜並木を過ぎ、川を渡り、長い長い坂道をがんばって登った先に築180年の安アパートがある。国が提唱していた200年住宅の基準から言えば、そろそろお迎え時と言った所だ。リフォームにリフォームを重ね、ごまかしごまかし居住者を迎え入れてきた。今にも崩れてしまいそうなこのオンボロアパートの201号室こそが、秘封倶楽部の根城、蓮子の住まいなのだった。隣の部屋で殺人事件が起き、下の部屋で自ら命をたった者が居るという噂が、蓮子の眼鏡に適ったのだ。借りた直後にメリーを部屋に招き、隅から隅まで視てもらったが何も発見できなかった。不気味な瞳のお墨付きがついたのだ。蓮子にとっては激安の家賃に加え、隣の部屋を気にせずに暮らせる理想的な居住環境なのだった。

「あい! きゃん! ふらい!」

 重たい荷物を抱えて蓮子の部屋の扉を開けた輝夜は、その第一声に思わずビニール袋を投げつけてしまった。

「蓮子……」

 メリーは、可哀想なものを視る眼で蓮子を見つめている。

「ちょっと、痛いじゃないの輝夜! 私はテーブルじゃないわ!」
「どこに飛ぼうとしてるのよアンタは!」
「どこって……そりゃ、空よ! 空飛んだのよ!」
「そりゃ、魔法使いだからな」
「月にタッチするなんてワケ無いわ!」
「ん、それはムリ」
「ぇー」
「魔法にだってできることとできないことがあるんだ。なんでもできると思ったら大間違いだぜ」
「そうなのかぁ……残念だわ」
「はいはい蓮子蓮子。蓮子は少し興奮しすぎ。お鍋用意してくれたのは良いけど、少しおとなしくして待っててね」

 輝夜は蓮子を玄関から奥の部屋に追いやるとメリーにも声をかける。

「メリーも。台所狭いから私1人で充分だわ。精々異文化コミュニケーションしてなさいな」

 キッチン、と蓮子が呼んで憚らない小さな台所。輝夜は荷物を台所のテーブルの上に降ろすとエプロンを装着し、後ろ髪を縛り上げながら言う。まるで自分の家のように振舞う輝夜。それもそのはずだった。記憶を失った身寄りの無い少女は蓮子の部屋を間借りしていたのだった。間借りする者のせめてもの恩返しとして炊事洗濯、その他家事は全て輝夜が仕切っていた。蓮子がだらしないというワケではないのだ。
 部屋の隅に脱ぎ散らかされた下着も、蓮子がだらしないというワケでは、決して無い。多分。

◇ ◇ ◇

「命名決闘法案?」

 メリーはのり塩味のポテトチップスを箸でつまみ、優雅に口へ運びながら2人のやりとりを聞いていた。

「そ。別名、スペルカードルール。幻想郷で流行ってる遊びなんだ。ちなみに私もちょっとした腕なんだぜ」
「カードでスペルを宣言して弾幕を展開する……、弾幕ごっこ、か」
「面白そうね、蓮子」
「面白いぜ」

 蓮子は思いついたように、綺麗に整頓されているチラシの束を掴む。チラシの裏に書こうとしたが、裏面まで全て広告で埋まっていることに気がつき、ノートを取り出すのだった。中途半端なエコ宣言なんかやめてほしいわね、と毒づく。

「こんな、感じ?」
「ふむ、意外と良くできてるな」

 ぐるぐるとフリーハンドで螺旋を描く蓮子。

「できた。r = aθ、アルキメデスの螺旋。コレにセンス溢れる名前をつければ良いんでしょ?」
「蓮子のセンスの悪さは折り紙つきだからダメよ。私が考えてあげるわ」

 海苔を唇に撒き散らしたメリーが顎に手を当て、うーんと唸る。

「そうね……秘封『A-77』なんて、どうかしら?」
「ちょ! め、メリー!?」

 A-77、一見全く意味不明の単語に見えたが、それが蓮子の胸のサイズをあらわしていることは明白だった。魔理沙もなんとなく空気を察する。

「魔理沙にちなんで胸板『AAA-65』でもいいわよ?」
「っ!」

 魔理沙の顔が羞恥に染まる。空中でエアおっぱいをもみしだくメリー。にひひ、と親父臭い笑みを浮かべる。

「なぁ、こいつ、本当に紫と関係ないのか? 言動がそっくりなんだが」
「私は生まれたときから、マエリベリー・ハーンですわ」
「メリーみたいな人が2人も居るなんて考えたくないわよ」
「むぅ。ホントにそっくりなんだけどなぁ……」

◇ ◇ ◇

 まな板の上を包丁が踊る。口笛と共に心地よいリズムが蓮子たちの部屋にまで聞こえてきた。漂ってくる香りもいよいよ輝夜の料理が仕上がることを告げていた。

「あ。しまった」

 と、台所から輝夜の声がした。

「どーしたのー、輝夜ぁ?」

 蓮子は寝転がり、漫画を読みながら輝夜の名前を呼ぶ。少女たちはいつのまにか漫画の読書会を開いていた。多少の失敗で輝夜の料理の味が落ちること無いと分かりきっているのだ。

「蓮子ぉー、コンロ無かったっけ?」
「コンロ、かぁ。持たされた嫁入り道具の中にコンロは無かったわねぇ」
「だから嫁入り道具じゃないって。……困ったわね。そっちに持っていっても冷めちゃうかな」
「冷めなければ良いのか?」
「んー、そだけど。魔理沙、貴女何か良い魔法でもあるの? 焦がしちゃ嫌よ」
「私に任せろって、輝夜、持ってきな」

 魔理沙はテーブルの真ん中にミニ八卦炉を置いて軽く念じた。ポワ、と魔理沙の手から光が生まれ、ミニ八卦炉に供給される。静かな駆動音と共に、ミニ八卦炉は仄かな熱を放ち始める。

「はぇ~……。便利なものね」
「部屋の中で洗濯物干すのに便利そうね、蓮子」
「輝夜が喜ぶわ」
「すまんが、あんまり生活臭に溢れた使用法を言わないでくれ。蓮子にメリー。本当なら山一つ薙ぎ払えるシロモノなんだぜ?」
「雨の日に頭の上に浮かべておけば傘代わりよねぇ。そんな使い方しないと思うけど」
「ぅ……」

 言葉に詰まる魔理沙、どうやら思い当たるフシがあるようだ。

「はいはいはいおまたせー。どいてどいてー」

 ピンクの鍋つかみを装着してポニーテールな輝夜がててててっと部屋にやってくる。抱えた大きな土鍋をミニ八卦炉の上に置くとグツグツとした音が鳴り始める。

「今日はツキのモツ鍋よ」
「月?」

 聞きなれた単語に蓮子は首をかしげる。月を鍋にしてしまうとは、いくら輝夜でもありえない。鍋を覗き込むと真っ赤な何かが煮込まれていた。

「ツキかぁ。ちょいと臭みがあるけど、滋養強壮に良いんだよなぁ」
「魔理沙は知ってるの、月?」
「蓮子以外はみんな知ってるわよ」

 腕を組んでうむむと考え込む蓮子。モツがある以上、生物なはずなのだ。蓮子は紅い生き物を記憶の中から検索する。一昔前は肉といったら牛、豚、鳥という大枠がメインだった。ありとあらゆる動物の『合成肉』が手に入るこの時代。選択肢は数千にも及ぶ。そのなかから、蓮子は一つの答えを導き出した。

「……ちゅぱかぶらっ!」
「ぶぶー、残念。というか蓮子、それはUMAよ」
「ニッポニアニッポンなら、蓮子にもわかる?」
「ああ、朱鷺! そういえば昔はツキって呼ばれていたんだっけ」
「そそ。さばく必要も無いし、お野菜刻むだけだから楽チンだったわ。今時の子供は朱鷺が綺麗な朱い翼を持つ鳥だなんて、スーパーでパックされたお肉から想像つくのかしらねぇ」
「魔理沙、お酒は?」
「ん、ああ。いけるぜ」

 メリーがグラスに発泡酒を注いで言う。輝夜が髪を解き、空いている席に座ると蓮子が立ち上がった。

「さて、それではおなかが減ってはなんとやら。御託云々は兎も角。私たちの出会いに、乾杯!」

「「「かんぱーい!」」」

 チリン、とグラスが鳴った。

◇ ◇ ◇

「あら、意外と美味しい」
「自信作だって言ったじゃない」
「うん。んまい」
「おいしー」

 箸に口をつけ、朱鷺鍋をつつきあう四人。

「やっぱり輝夜の作る料理が一番美味しいわっ」
「ふふ、蓮子と違って輝夜はいつでもお嫁に行けるわねぇ」
「私だって実家から貰った嫁入り道具があるわよっ!」
「どこの世界に、嫁入り道具にスクーターと工具を持たせる親が居るのよ」
「はははは、よくわからないけど蓮子達は面白いな」
「あはははは」

 魔理沙は蓮子達のやりとりを眺めて笑う。自分の作った料理で笑う人を見て、輝夜も笑う。

「まったく。メリーはいつも私に厳しいわよね。ねぇ、輝夜……。ちょっと輝夜っ!?」
「輝夜、お前……」
「ふぇ?」

 輝夜は笑いながら、大粒の涙をぽろぽろと零していた。

「あれ、へ? おかしい、な?」

 自分でも、何で涙を流しているか分からないようで、不思議そうに首を傾げながら、しきりにおかしい、おかしいと呟いていた。

「こうやって4人でお鍋を囲むのって、なんだかとても懐かしくて、嬉しくて……あれ、あれれ」

 自分でも制御できない感情の波が輝夜を襲う。嗚咽が混じり始め、すぐさま子供のようにわんわんと泣き始めた。
 気まずい雰囲気があたりに流れる中、鍋の煮える音と、輝夜の泣き声だけがむなしく響く。
 メリーはただただ泣き続ける輝夜の背中を優しく撫でていた。

◇ ◇ ◇

「もう、ひっく。だ、だいじょうぶ……」

 しゃくりあげながら輝夜がポツリとメリーに呟く。メリーの鮮やかな紫色のワンピースは輝夜の涙と鼻水でグシャグシャだった。

「大丈夫、じゃないわよ。どうせしばらくしたらまた泣くんでしょう?」
「うん、多分」
「だったら、おとなしくしてなさいな。ホラ」
「ん」

 ハンカチで輝夜の顔を拭い、手渡す。メリーは紫色のワンピースを脱ぎ捨て、洗濯機に放り投げた。箪笥の引き出しを開けてゴソゴソとやると一枚の白いシャツを取り出す。やっぱり蓮子のはちょっと小さいわね、主に胸が、なんて言いながら着替えを完了させる。

「平然と私の服を着るのね、メリー」
「あら、平然では無くて当然よ、この部屋の居候が汚したのなら主に責任があるのは当然と言うべきよね」

 濡れたハンカチで顔を覆いながら、輝夜はまだヒックヒックと肩を震わせている。魔理沙は輝夜にかける言葉が見当たらず、ただ顔を伏せて黙っていた。

「ちょっと、そと……」
「ええ、いってらっしゃい、輝夜」

 優しく見送るメリーと蓮子。輝夜が突然泣きじゃくるのは何も一度や二度ではなかった。彼女の涙はきっと亡くした記憶への手がかりなのだと2人は確信していた。だから、蓮子はその様子を仔細にメモする。一日も早く、友の記憶が戻るように願いを込めて。

「魔理沙、どこ行くの?」
「ちょっと、私も外」

 魔理沙が立ち上がり、輝夜の後を追いかけるように部屋の外へ出て行く。

「輝夜なら、大丈夫よ。ああ見えて強い娘だから」
「……わかった」

◇ ◇ ◇

 夕食の後片付けを終え、照明を落とした部屋。蓮子は寝転がりながら窓の外を仰ぎ見る。蓮子の部屋には時計が無い。カチコチとリズムを刻むあの音が、蓮子にはどうしようもなく不安なものであった。たとえそれがデジタル表示の時計でも、自らの体内時計とのずれを許容できなかったのだ。満天の星空が蓮子に真実の時を告げる。

「メリー」

 自分と同じように寝転がっているメリーを見る。寝息は立てていない。

「蓮子……」

 薄暗い闇の中、結界を視る瞳が光る。

「加速、してない?」
「メリー……考えることは、同じね」

 蓮子は手帳を開いてメリーに投げた。

「年明けあたりから……ううん、正確に言うと、輝夜と出会ってから。少しずつだけど、不思議なことが増えてきてる」

 開かれたページには秘封倶楽部の活動の記録がグラフになって書かれていた。

「私たちが未知との遭遇を果たした回数と、時間経過」
「見事に右肩上がりの曲線ね。この分だと年末あたりには突き抜けそうだわ」
「突き抜けたら……その先には何があると思う。メリー?」
「私には分からないわよ」
「私もよ。でもね、偶然は偶然に引き寄せられるって言うのが最近の研究者たちの見解らしいわ。私とメリーが出会い、私たちと輝夜が出会った。そして今度は魔理沙。……もしかすると、本当に今年中に月へ行けるかもね」
「魔理沙がロケットブースターだとでも言うの?」
「あら」

 そんなことは無いわよ、と蓮子は言う。

「だって、ロケットブースターは燃料が切れたら切り離すのよ。自身の重みが枷にならないようにね」
「まぁ酷い」
「だから、魔理沙はロケットブースターなんかじゃなくて、私たちと同じ仲間、敢えて言うなら乗組員」
「相変わらずアームスト蓮子ね」
「本物の月へ行く計画はしばらく小休止だけどね……。って、何よアームスト蓮子って」
「何でもありませんわ」

 まいっか、と蓮子は月を見上げ呟いた。よいしょと起き上がり、お気に入りの帽子を被る。

「さぁ、メリー。日付が変わったわよ。今日の秘封倶楽部を始めましょう!」
「記念すべき日よね」
「分かってるじゃない、マエリベリー・ハーン」

 月の逆光を浴びて蓮子が笑った。

◇ ◇ ◇

 蓮子のアパートのすぐ前に、小さな原っぱがある。現代から忘れ去られたかのような空き地。崩れかけてちょうど1人分の横幅だけが残るブロック塀に輝夜が寄りかかっていた。

「こんなに綺麗な満月だもの。見上げれば、涙も零れないわ」
「……そうだな」

 ブロック塀を挟んで反対側に魔理沙が寄りかかる。

「ありがとうね、魔理沙。私を心配して来てくれたんでしょう?」
「そういうわけじゃないんだが……なんだかお前に言われるとくすぐったいな」
「うふふ」

 輝夜と魔理沙は頭上に輝く満月を見上げる。世界を静寂に染め上げる神秘の光、優しく、慈しむ月の光が、2人を照らしていた。

「不思議ね、月の光は落ち着くわ。全然記憶なんて無いのに、昔もこうやって誰かと眺めていた気がする」
「お前がそう思うんなら、きっとそうなんだろ」
「……うん」
「にしても、やっぱり微妙に違うんだな。幻想郷の星空と、ココの星空は。幻想郷のほうがずっと――」

 ん、と気がついて言葉を濁す。輝夜は魔理沙の意を汲み取って笑いながら後を続けた。

「ふふっ。そりゃそうよね。満天の星屑に届くにはちょっと濁り過ぎだわ。この空は」

「「でも……」」

 2人の声が重なった。

「私たちは、紛れもなく同じ星空を見ている」
「私たちは、紛れもなく同じ世界に生きてる」

 その事実だけで充分だった。その事実だけで2人は満足だった。幻想郷も、向こうに居る輝夜姫のことも。
 今はただ、星空と息づく生命を感じられれば言葉は必要なかった。
 ブロック塀越しに2人は手を繋ぐ。月下に並ぶ2つの影が揺れていた。

◇ ◇ ◇

「いたいた! こんなところでいちゃついてからに。蚊に刺されるわよ」
「べ、べつにいちゃついてなんか居ないぜっ!?」

 魔理沙が慌てて輝夜の手を離す。

「やっぱり蓮子は空気読めないのよね。もう諦めたわ。私」
「なんでメリーが落ち込むのよっ!」
「メリーと私は一心同体だもの。でもメリーが貶して私が落ち込む代わりにメリーが落ち込むのはどうかと思うわ」
「はぁ……アンタ達はいつもその調子よね」
「くすくす。分かりきったことを言わないで頂戴、輝夜」
「さて……みんな! 何を隠そう、私たち秘封倶楽部の活動時間よ! 輝夜、せっかくだからあなたに美味しい役、譲ってあげる」

 輝夜は蓮子の言葉に照れながら切り返す。

「もう……部長の蓮子でも良いじゃない」
「新人の特権よ、特権」
「分かったわよ。じゃあ……魔理沙」
「うん?」

 輝夜は魔理沙の方を向き、改まって言う。

「私たち秘封倶楽部は、この冥い街の中」
「幻想と結界と」

 メリーが輝夜の後を続ける。

「怪奇と魔法と」

 蓮子。

「そして永遠を求めて駆けまわるオカルトサークル」

 輝夜が魔理沙へ手を伸ばした。

「普通の魔法使い、霧雨魔理沙。貴女を、秘封倶楽部へ招待します」
「……」

 魔理沙は深く帽子を被りなおし、表情を隠す。輝夜からは魔理沙の感情が全く読めない。長い長い、沈黙。

「すまんが……」
「っ……!」

 拒絶の言葉と共に輝夜の手を払いのける。そして間髪居れずに叫んだ。

「答えはイエスだぜ!!」

 輝夜、蓮子、メリー。両手を大きく広げ、3人まとめて抱きつく。

「わっ、ちょ、たーおーれーるぅ!」

 弾みで勢い良く倒れこむ3人と1人。

「こんな面白い奴らとつるまない方が罰が当たるってもんだ。よろしくな!」
「メリー……重い」
「そんなわけないわっ! 私の上に輝夜と魔理沙が乗っかってるからその重みよ!」
「あははははは」

 夏色の混じる夜風が草木を優しく凪ぐ。
 夏の入り口に、秘封倶楽部は4人になった。きっとこれからも胸を躍らせるような出来事が自分たちを待ち受けているに違いない。
 3人分の重みを感じながらざわりと草木を揺らす風に、蓮子は確かにロケットの轟音を聞いたのだった。














-終-
秘封倶楽部へ、よおこそ。
沙月
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コメント



0.2560簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
これは続きが気になるw
面白かった
5.100名前が無い程度の能力削除
アームスト蓮子はすこし無理な気がしますな
一瞬何のことかわからなかった

さあここからどうなる!
気になって気になって気になって木に成ってきになって気になってキニナッテ気になってしかたない!!
7.100名前が無い程度の能力削除
続きキター!
読めて嬉しい作品があるって良いね。
そして輝夜が気になるなー。
魔理沙も秘封倶楽部に参加してこれからどうなるのか気になるぜ。
10.100名前が無い程度の能力削除
続きキタキタ!
いよいよはじまりそうな感じでワクワクが止まりません!
待ってます!
12.100名前が無い程度の能力削除
待ってました!
輝夜の設定は沙月さんの「蓬莱コスモナーフト」から引き継いでるっぽいですね。過去作品とのリンクでニヤニヤしてます。

それよりも

>メリーは翼を生やした小柄な少女がヨーガを披露する姿を幻視した。

お嬢様なにやってるんですかwwwww
15.100てるる削除
続き待ってましたぁ!!
このあとが気になるなぁもぉ!!
17.100名前が無い程度の能力削除
これは面白かった!
ようやくのプロローグ
これからどんな話が繰り広げられていくのが楽しみにしています!

しかしさりげなくいちゃついてんなよメリ蓮w
というかメリーが変態すぎるwwww
18.100名前が無い程度の能力削除
これはまた続きの気になる作品ですね。
面白かったです、次回も楽しみに待っています。
24.100名前が無い程度の能力削除
良かった
32.100名前が無い程度の能力削除
作品の雰囲気がすごくいい!

ていうかあんたインド人好きすぎるだろw
36.100名前が無い程度の能力削除
続編求む!
にしてもメリーが変態すぎるだろw
41.100名前が無い程度の能力削除
>夕食の後片付けを終え、証明を→照明

これは続きが気になるいい作品。過去作も読み直してきます!
44.80名前が無い程度の能力削除
幼女秘封倶楽部のくだりは吹いてしまったwww
45.90敬称楽削除
今後の話の転び方が気になる展開でした。
49.90名前が無い程度の能力削除
魔理沙の登場でますます続きが気になります!!
56.100名前が無い程度の能力削除
過去作を見つけて読み始めました。
面白い。ちょっと異色の秘封倶楽部もいいものですな。

ところで、
「本を貸してくれる気さくな魔女の話」
ここで思いっきり吹いた。流石は魔理沙だ。
彼女の頭の中の彼女はきっと快諾してくれてるんだろうな…
66.100名前が無い程度の能力削除
すばらしかったです。
68.100名前が無い程度の能力削除
「少女と少女の境界軌跡」、一気に読み返してしまった。
ええ、ええ、いつまでも続きを待ちますとも。