Coolier - 新生・東方創想話

憂鬱な雨

2011/06/27 01:42:51
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雨が降っている。不意に憂鬱になった。

香霖堂と名づけたこの店を始めてから毎日が大きく変化することもなくなった。
毎日はずっと続くただの「日常」でしかなくなり、新しいことが起きても何も変わらない。

だから今日も同じはずなのである。

それなのにどうしてこんなにも憂鬱な気分に支配されないといけないのだろう。

いや、毎日が同じと言っても、実際には多くの差異は存在する。
季節も天気もやって来る客だって毎日違う。

それでも、その毎日を「日常」と呼んでいる。
何故なら私が変わるわけではないのだからだろう。

だが、離れて見ればただの「日常」だが、今日という日は私が体感している間は今日でしかない

ことに気付かなくてはならない。

長寿の妖怪の血をひくがゆえに、視点が広すぎるのがいけないのだ。
毎日をもっと分析すれば、それなりに違うことが起こっているのだから。


よって、今日は「日常」ではあるが、憂鬱な日なのである。

読みかけの外来の本を読もうが、集まったがらくたを眺めていようが、店の中ただ客を待ってい

ようが、憂鬱なのである。

それが今日という日だ。


異変と俗に呼ばれる事件が起こっても、妖精がこの店に悪戯しにきたとしても、面倒だとは思っ

たことはあるが、ここまで気持ちが落ち込んだことはないように思える。

博麗の巫女が世代交代したと聞いても、昔世話になった人が亡くなった時も、こんな気持ちには

ならなかった。

それが私であり、私の「日常」である。

物事を中立の立場で見極め、周りの存在に対して平等に対応し、評価し、商売をする商人である



商人に感情は必要ない。
必要なのは商品を売ることであり、それはつまり、その商品が売れるかを選定する能力だけ備わ

っていればいいのだ。

だが、ただそれだけをするのでは味気ないからと、自分というものをもっと楽しむために、感情

をまるっきり捨てるということはせずに生きてきた。

だが、それでもなるべく感情に流されないように振舞ってきた。
それが平等だと思っていたからだ。

だが、今日降りかかったこの感情にはほとほと困ってしまう。

突然現れたかと思うと、私の心を乱し、離れず、ずっと胸をえぐり続ける。

痛く、そして冷たい。

憂鬱である。

原因はおそらくあれである。

私の今まで経験を考えれば別段珍しいことでもないはずなのだが、しかし、私を確実に傷付けた

のである。


私の店を一周するだけでも胸の痛みは強まる。
横になって寝ようとするだけで苦しくなる。


上を向かずとも、涙はこぼれ出てくる。


ああ、なんということだろう。


私は商人であった。


妖怪であった。


しかし、人間でもあった。


そして、何より・・・



霧雨魔理沙という存在を大切にしていたのだった。

それは恋というような人間らしい感情とは違う。
何より、赤子の頃から見ていた存在に、恋を芽生えさせろという方が無理だ。

ただ、彼女はそれでも私の中で大きな存在だったのだ。

そう、それはまるで妹のように。


一緒に見た流星群に喚起し、星の魔法を練習する姿も。

私の店にガラクタを持ってきて売りつけたり、
他の人間や妖怪や妖精との出来事を自慢げに話したり、
本当は困っているのに無理して笑っていたりしたあの姿も。

もう見ることはない。

それが辛いのだ。


彼女に昔プレゼントしたミニ八卦炉を眺めながらそう結論付けるしかなかった。



雨はまだ降っている。
こーりんはすごいドライ。
でも、やっぱり魔理沙は可愛いと思ってるんじゃないかなって妄想で書きました。
永智賢三
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コメント



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10.80!!削除
誤字報告?
霖之助さんの一人称って私じゃなくて僕だったと思うのですが、もし意図的に感情の変化を表すために使っていたのなら、差し出がましい真似をしてすいません。
16.20名前が無い程度の能力削除
日常→雨→魔理沙の死亡という要素の接点が物語として見えなくてそれが作品を面白くしていないように私は思います。
何故雨の「日常」が「魔理沙の死」に直結しているのかがちとこれだけだと分かりませんね