Coolier - 新生・東方創想話

獣は獲物に愛を知るの

2017/03/04 17:20:26
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 愛することと、そうでないことの”ちがい”が解らない。
 愛することが――いいえ、そうでないことが、理解でない。
 例えば、飢えた獣が、獲物をたまらなく欲するときに。それを捕えようと眼差しを向けるときに。痩せた脚が地を蹴って、獲物を追い駆けるときに。鋭い爪や牙が柔らかな肉を捕え、獲物を絶命せしめたときに。肉塊と化したものを見下ろすときに。
 そういうときの感情のそれぞれが、恋物語や詩人の紡ぐ言葉で語られている愛とどう違うのか。
 私には理解ができない。判別ができない。
 きっと他の誰かに言わせれば、その無分別は私が幼いからで――何かを、つまりどちらかを知らないからだと、私を嗤うでしょう?
 でも、そうよ。たとえそうだったとしても、その人にとっての事実がそうだったとしても、私にとっての真実は、そういうことじゃない。私が愛か愛じゃないものかのどちらかを知らず同じと見ているなら、必ずそれは同じもの。
 誰でも、知らないものを知らないと本当に認識することは難しいって教えてもらったことがある。知らないものを見たときに、知っているものの枠に当てはめようとするんだって。だから、長く生きるものは、”知らない”から逃げるために、色んなものを知ろうとする。知らなくてもおかしくはなかったときに知ったものの枠を少しずつ広げていく。
 知から逃げたものが無知なのではなく、無知から逃げた結果が知だと、確か教えてもらったわ。
 教えてくれたのが誰だったのかは、覚えていない。お姉様だったかしら、パチュリー? それとも、使用人の誰かかしら。
 どうでもいいことだけれど。
 だってもう、この知識は私のものだから。

 それで、何の話だったかしらね? ――――ああ、そう。貴方の顔を見たら思い出したわ、ありがとう。
 私はね。まだまだ色んなことを知りたいの。それは勿論、愛のことだったり、そうでないもののことだったり、新しい物語だったり、知識と呼ばれるものだったり。
 だから教えてもらうわ。遊んであげたんだから、教えて頂戴?
 今は私、新しい歌を聞いてみたいの。


――――――――――――


「神社の巫女が、”卒業”なさるそうよ」
 肘かけに置いた腕が、頭を支える。私と同じ小さな身体の筈なのに、転がる死体のどれよりも、それは大きく見えた。
「ふうん。コンティニュー、失敗ね」
「くっふふ、勝者側が敗者にもう一度戦いを挑むことをコンティニューとは言わないわよ。それは、弱いものいじめというの。最も愚かしいことね」
 お姉様の些細な言葉遊びに、心にささくれができたような気分になった。子供っぽいとは解ってるけど、お姉様を睨んだ。お姉様はふんと鼻を鳴らした後、愉快そうに私を見下ろす。
「あァ、お前の方から私に戦いを挑むのは、コンティニューでいいぞ。私は戦いに来たわけではないから、それで正しい」
 お菓子の家が罠だったと教えるときの魔女のような、気色の悪いドスの利いた声でお姉様は言う。その表情は、彼女が私と同じであった嘗てのそれに、よく似ていた。
 私は睨むのを止めて、床に転がる何かを腹いせに蹴る。まさに皮一枚で漸く繋がっていたらしい何かがバラバラになって、様々な方向へ散らばった。乾いた音がカラコロと鳴って、それが終わる頃に、お姉様は言う。
「ふふ、お前もやっとそんな顔ができるようになったのね。さぁ、月は朝が来れば姿を消すわ。自分のものだけにしたいのならば、湖の水を掬うだけじゃダメ――そう、教えてもらったわよね?」
 そんな顔。一体私は、どんな顔をしているのだろう。確かめようと両手で頬を撫でる。ぬるりとした感触が、乾いていた筈の手を汚した。自分の顔は、わからなかった。
 親指を舐めて味を確かめる。ああ、不味い。
 気付けば、お姉様は既にこの檻から姿を消しているようだった。空を見上げる。月は昇っていない。日々を重ねるごとに変わっていく見飽きた空が、両腕で抱えられる程に広がっていた。


 それから私は独りで時間を過ごした。何時間程経ったのか、何日程経ったのか。時計を見ることがなくなってから、時間感覚なんてものはなくなっている。何を考えているでもなく、いいえ、何を考えていようと変わりのない時間は、ある瞬間に終わりを告げた。
 私という存在をあらゆるものから遮る壁に向かって、いつの間にかは知らないけれど、私は立ち尽くしていた。そうしていた時間は長くはなく、短くもない。そしてそのある瞬間を迎えた途端。私の身体は、地を蹴り始めた獣のように跳ねていた。
 ドゴォ、という低い音を立てて、壁は呆気なく崩れてしまった。いつの間にか、私は花火のような美しさでも期待していたのだろうか。馬鹿馬鹿しい。
 煙のように舞い立つ埃が晴れかける頃、一つの影が現れた。いや違う、それは最初からそこにあったのかもしれない。私がこうして、動き始めるのを待っていたのかもしれない。草むらの中の雉が飛び立つ瞬間を待つ狩人のように。だとしたら、狩られる獲物は、壁と影と私の、どれになるのだろうか。
 影は、壊れてしまったのとは別の壁に背中を預け、片手でナイフを弄んでいた。
「咲夜」
「おはようございます、妹様」
 影は――咲夜は、暇を持て余しているかのような態度を取りながらも、一片の隙さえ認めない臨戦態勢を取っている。お姉様から私との会話のことを聞いているとしたら、警戒しているのだろう。そうでなくとも、彼女は私を警戒することだってあるかもしれない。
「止めにきたの?」
 咲夜の余裕ぶった横顔に、苛立ちの視線を刺す。しかし、表情どころか、その感情に触れることさえできていない。
「私に止められるのは、時計の針くらいですわ」
「じゃあ、忠告? お姉様から何か聞いたのかしら」
 よく見れば、彼女の両手に気障ったらしい懐中時計は握られていない。片方はナイフに、もう片方は何をするでもなくぶら下がっている。臨戦態勢に見えたのは、いつでも逃げ出せるようにしている姿だったのだろうか。
「それもノーです。お嬢様は何もお語りにはなりません」
 紅茶が不味いとだけ仰っていたかもしれませんわ。と咲夜が付け加える。そのとき初めて咲夜の表情は薄い笑みに変わった。
 生憎、私には他人の飼い犬に遊んでもらう趣味はない。だから、咲夜の態度は、唯々苛立ちを募らせるためのものにしか映らなかった。
「何をしに来たの?」
「私からの忠告……というのは、いかがでしょうか。不服なら、上申と言い換えますが」
「あっそう。聞きたくない」
 わざと右腕を大きく振り上げながら、一歩で咲夜との距離を詰める。咲夜は動かない。微動だにしない。最期くらい戦う素振りを見せたらいいのに。そう思いながら、意味なくブラインドしていた左手を、咲夜の腹部目掛けて突き出す。
 あらゆるものを破壊する筈の左手は、何の感触も捉えなかった。
「忠告しようとした忠臣が居た、とだけ覚えておいていただければ。給料も鰻登りですわ」
 ぞわりと背筋を凍らせるような気配が、私の背後に在った。声が頭に届く頃には、反射で後ろ蹴りを繰り出していた。今度こそ、虚空を切ることなく、その脚は確かに何かを掴む。壁を崩したときよりは軽い音がして、何かが吹き飛んだ。――勿論、吹き飛んだのは咲夜ではない。この部屋の中に、いくらでも転がっている亡骸の一つだ。
 一合、二合で咲夜に一撃を与えるのが難しいことはわかっている。だから、蹴ったのが彼女ではないことも直感できた。しかし、何かを捉えたと思ってしまった私の遅れは、消えてしまう程に小さなものとはいえ、確かに存在した。その遅れは、時を操る咲夜にとって、永遠のような間隙になる。
 拙い、と私は考えることを止め、ただ破壊するために破壊することを選ぶ。
「っぁああああああああああアアアアア!!!!!!」
 全身を乱暴に振り回す、ある種最強とも言える暴力。嵐には避け方などない。そういう種類の攻撃。その影響範囲下に破壊対象があれば、それは立ちどころに肉片となる。そうでなければ、敵は近づくことさえできない。どちらでも良かった。考えていた訳ではないから、メリットを秤にかけたのでもない。ムカついたから、私はそうした。気に入らないおもちゃを床に叩き付ける赤子のように。
「申し訳ありません妹様。館の外の方に、使用人の薄汚れた姿を見せるわけにはいきませんので」
「ッ……!」
 徒手空拳を止めて振り向く。気付けば、咲夜はずっと遠く。つい先程壊した壁の向こう側にいた。嵐が来るなら引っ越せばいい。そう言いたげな声だった。
「この服も替えがありませんし」
 ふぅ、と所帯染みた溜息を吐く咲夜。
 私は、悟られないように息を整える。身体から湯気でも上がっていそうだ。
「だったら、他の犬小屋に侵入なんてしてないで、洗濯でもしてくれば?」
「あら、申し上げませんでしたか。わたくし、たった今、主人からしばしの暇を申し付けられたところですの」
 時が止まった気配がした。それは、咲夜の能力としてではなく、もっと単純な比喩表現として。虚を突くための嘘、或いは咲夜一流の冗談。そのどちらかなのだろうか。前者だとしたら、効果覿面だ。後者だとしたら、面白くない。
「妹様もご存じの通り、私の雇い主様は気まぐれでして」
「私もそうなのよ、知らない?」
 お前なんていつでも殺せる、私の気分次第で。そんな意味を込めて、咲夜を改めて睨みつける。
「殉職よりは、休み中に死ぬ方がヒトらしいでしょうかね」
 顎に手を当てて、二つのケーキを前にした少女のように本気で考え込む咲夜。
「冗談です。お仕事でもお休みでも死ぬつもりはございません。それでは」
 私から一番遠いところに立ったまま、咲夜は顎に当てていた手を懐へ伸ばした。止めようとすれば――当然強引というか乱暴な方法にはなるけれど、止めること自体はできたかもしれない。しかし私はそうしなかったし、咲夜は自分自身でその手を止めた。
「なに? 逃げるなら今の内って言葉、誰かに教えて貰わなかった?」
「いいえ。以前こちらへ忍び込んだ方々とは、弾幕ごっこをしていらっしゃったんだなと思い出しまして」
「あなたはそれに幾ら出せるの?」
「生憎、私が持っているのはコインではなく銀のナイフだけですわ。そして、差し上げるわけにもいきません」
「そう。じゃあ死んで」
 最期くらいお望み通りにしてあげる。
 いつの日ぶりだろうか、私は咲夜に向かってできるだけ速い弾を、できるだけ沢山、できるだけ密度を高めて、できるだけ広く、撃ち放した。
「銀符 『シルバーバウンド』」
「遅いッ!」
 自分の弾の後ろに付いていくように、私は咲夜との距離を詰める。咲夜のナイフが八方に飛び始める頃には、私は咲夜の首元に手を伸ばせる場所に――居る筈だった。視線を上げた先に、咲夜の姿はまたも見つからない。初撃、いや肉弾戦から数えれば三回目の攻撃にして、私は咲夜を捉え、その肉体を消滅せしめた。そんな訳では、勿論なかった。
「弾は、何かに当たれば消えてしまう。避ける側からすればありがたいことですわ……あぁいえ、どこぞの魔法使いがレーザーとやらを撃っていましたか」
 その声が聞こえた方向は、下だった。咲夜は限界まで、それこそ床と一体となっているかの如く身を低くしていた。その程度で避けられる弾幕ではなかった筈。しかし、そう。咲夜の言葉。弾幕ごっこの弾の殆どは一度当たれば消えてしまう。
 ――咲夜が身を伏せるその場所には、死骸がある筈だった。
「この……残虐非道!」
「生ごみのままよりは有用かと」
 にやりと笑う咲夜。刹那、背後から殺意を感じる。咲夜は相変わらず目の前にいる。――そうだ、咲夜が放ったナイフ。咲夜が、『八方に向かって』投げたナイフ。
 私に向かってきたものは、私の弾幕の一部と打ち消しあっただろう。しかし、それ以外。私以外へ向かって飛んだナイフ。あれらが、決して無駄なもののつもりでなかったとしたら。
「小賢、っしい!」
 振り向きざまに、集弾など計算せずばらばらに弾を放つ。背後から、いや、側部からも上部からも私に襲い掛かろうとしていたナイフの全てが、殺意の正体が、ふっと姿を消す。
「あんた、弾は何かに当たれば消えるなんて、よくも自分で言えたものね」
「えぇ、味方を騙すには自分からと教わりまして」
 忘れてました。咲夜はけろりとそう言い放った。
 弾幕ごっこ一合目。相殺にて引き分け。
「妹様はスペルカードを使っていませんので、私の判定負けですわね」
 咲夜の言葉が頭の中を滑るように通り抜ける。私は、ただただ、引き分け勝負無しというその結果に、私の体内に巡る様々なものがすっと冷えた感触を覚えた。
「――あぁ、もういい」
 死んだら? 
 私は片腕を天に突き上げた。
「畏まりました」
「禁弾 『カタディオブトリック』」
 青色の、様々な形をした弾が飛び出す。向こうが反射をする弾を使うなら、私も使えばいい。向こうが時を超える程にすばしっこいなら、逃げ場をなくせばいい。それだけのこと。
 例えどれ程遠くにあろうと、それが捕えるべきものだと言うのなら。私はそれを捕えなくてはならない。

 ――それが、遊びというもので、狩りというもので、そして、愛というものなのだから。



 スペルカードによる波状攻撃を終えた後、咲夜の姿はそこにはなかった。予想通りすぎて、予想を裏切られた気分だ。飽き飽きする程に見た展開には、溜息を吐くことすらできない。
 ただ、三度目までとは違うことが、一つだけあった。咲夜の立っていた筈の場所に、慌てて千切ったような紙が一枚落ちていたのだ。
 今にも吹き飛んでしまいそうなちっぽけな紙屑に記された、恐らく咲夜からであろうメッセージを、それを拾い上げることもせず流し読む。
『You have known, The risen sun』
 そんな一行だけの、細い文字。意味を理解する意味などない。必要もない。
 次の瞬間には、紙屑だったそれが、欠片も灰も残さずに消えていた。

 ――やはり、咲夜はお姉様から何か聞いていたようだ。そうでなければこんなことを、つまり余りにも直截的な皮肉を詰め込んだ一文を作り出すことなんてできる筈もない。そもそも、休暇だろうがなんだろうが、あの食えない忠犬が態々私の前に姿を現したという点だけで、関与を疑う材料としては充分だ。
 ただ、やはり暇を出されたという話と、それからあっさり逃亡を選んだ事実については疑問が残るけれど、どうせ考えることに意味などない。
 私の目的は、ゴールは、行動原理は。咲夜でもなければお姉様でもこの紅魔館の何かでもない。根本的で絶対的な破壊と、運命的で狂気的な邂逅、そして享楽的で快楽的な余興。この広い館の何処にだって、それらは存在し得ない。あるとすれば、その反対のもの。私を食い止めようとするもの。
 邪魔だ。今目の前にないとしても、やがてもせず訪れるであろうそれらが存在すると知っているだけで苛立ってしまう。苛立ったなら、どうすればいい?
 苛立ちを解消してもいい。しかしもっと簡単なのは、苛立ちの原因を消し去ってしまうことだ。
 破壊衝動、という言葉がある。破壊欲求、という言葉ももしかしたらある。
 私の破壊に、そのどちらも必要としない。破壊は手段でしかない。
 そうだ。邪魔なら壊せばいい。眼前にある何もかもを、掌に握り込んで、屈服する間も与えずに凌駕してしまえばいい。
 地下牢から出るための階段を登っているだけでふつふつと沸き立つ、破壊へのエネルギー。誰かから見れば狂気的な私は、私から見ればいつになく冷静のつもり。それこそ、遊びに付き合う暇もないくらいには。
「……だれ」
 ふっと、何かの気配を感じた。咲夜ではない。咲夜の痕跡は、近くに何一つ残されていない。唯一残っていた紙屑さえも、あの場所から消えてしまった。
「こんにちは。お出かけかしら、妹様?」
「なに、アンタも邪魔しに来たの」
「いいえ、天気予報よ」
 パチュリー。パチュリー・ノーレッジ。七曜を操る、お姉様の友人。咲夜よりはマシな言葉遣いと、咲夜よりも腹立たしい上から目線。私はコイツが嫌いだと、過去か現在のどちらかが私に告げる。
「何処かの誰かさんが出不精でね。出かけない理由が必要らしいわ」
「あっそ。じゃあね」
 一発。赤い粒状の弾をパチュリー目掛けて放つ。威嚇以上の意味はない。まだ、私をムカつかせてはいないから。
パチュリーは、当たり前のように自身の前に最小限の面積で結界を発生させ、初撃をいなす。
「宣言無しは感心しないわね。英国の魔法使い達も挨拶が大事って言ってるわ」
「ちゃんとしたわよ? じゃあね、って」
「この屋敷の住人には、別れの挨拶を知らないか、正しく使えないかのどちらかしか居ないのかしら。教育不足だわね」
 喘息の火種にならないようにだろうか、パチュリーは控えめに空気を吸い込む。詠唱だ。なにか、大きなスペルカードを発動させる気なのだろう。
 だとすればそれで構わない。止めなどしない。どれ程長い詠唱であろうと、この一撃で全てを終わらせる腹積もりだろうと、受けて立つ。来るなら来ればいい。
 一番自信のある一撃。その攻撃ごと、対象を破壊する。それが最も恨みを残さず、そして確実に負け犬の最後の一噛みを封じる方法だ。
 途中で咳き込みでもされたら、そこで殺すけど。
「……おしまい。私の役目」
「じゃあね」
 数秒の詠唱の後、パチュリーの周りには、いや、私の周りには無数の魔法陣が張られていた。全方位攻撃、ではないと直感する。何かを待ち構えるかのような配置、恐らくは全てか殆どが誘発型。逃げ場を無くす、というよりも、逃げ場で殺す。そういう戦法だ。
 見え透いた陽動を回避させて、油断させた後にそこで要撃。普段の私にならば、かすり傷くらい与えられていたかもしれない。
 でも今の私は、いつになく冷静だ。まるで、体内から血液が全て失せてしまったかのように。
「禁忌 『フォーオブアカインド』!」
「『ウィンターエレメント』」
 パチュリーの宣言の直後、新たに水柱が足元で発生する。ただし、それは囮に向けて。私以外の私の一つが、水柱を避けるために跳ね飛ぶ。そしてその先で、愚かな雉が如く、新たな水柱の水圧に吹き飛ばされる。予想通り。余りにも、物語通り。
 残りの二つと本体である私は、それぞれ違う方向へ飛ぶ。パチュリーに向かって飛んだのが囮。一つ、二つ。罠が起動しては、分身を消し去ったことを確認する。私は、『ただまっすぐに』パチュリーから距離を取る。
 パチュリーが罠を張ったのは、私とパチュリーの間だけ。後ろは何もなく、罠が起動しても避ける隙は充分にある。何度でも思う。ああ、普段の私ならそれで正解だったろうに、と。思わず笑いが込み上げそうになった。
「禁忌 『レーヴァテイン』ッ!」
 何本もの真っ赤な槍が、放射状に飛び出す。一本一本が、何物をも貫く最強の矛。パチュリーの張った魔法陣が一斉に反応して、放たれた槍と相打つ。運が良ければそれさえ許さないかとも思ったが、パチュリーもそこまで低能ではなかったらしい。
 だが、足りない。
 そして、意味がない。
 私の攻撃は槍だけではない。よく訓練された兵士達のように、粒弾も一緒になって飛んでいく。もしパチュリーが避けることに集中していたら、その先もあり得ただろう。しかし事実はそうではない。パチュリーは防衛や罠のための多方面展開のせいで、隙だらけだ。
 時が違えば、読みが違えば、向こう側に居たのが私自身だったのかと思えば、余りにも哀れに思える。
 水柱を放出しきった魔法陣が、充分にその役目を終えて消えていく。私の槍や粒弾も、合わせるように消えていく。しかし、全てではない。足りない。足りない足りない足りない。魔法、そんな弱者の術が、数を武器にしたところで。強者が数を集めてしまえば、それに敵う道理はない。
 一本の紅槍が、丁度誂えたようにパチュリーの弱き肉体を捉えんと空気を切っていく。それを止められる魔法陣は、もう残されていない。粒弾のいくつかも、その周囲を防衛するように飛んでいく。防げない。そして、避けられない。つまり、パチュリーに、愚かな魔女に、裁きの槍から逃れる術は――

「ないッ!!」

 バァン。
 廊下の向こう側の壁にパチュリーの身体が衝突する音が聞こえた。咲夜みたいに消えることが、どうやらパチュリーにはできなかったらしい。次いで、胃の奥から血の塊を吐き出すような、大きな咳の音が聞こえた。
「死んだ?」
「……死んだ方がマシ。私はいつ死んでいたのかしら」
「魔女ってやっぱり、地獄に落ちるのね」
「ここが地獄って言ったの、聞こえなかった?」
 パチュリーの声はガラガラだった。死ななかったのね、魔法って素敵。
 瓦礫に埋もれた紫色の魔女の瞳は、火あぶりにかけられた哀れな羊のそれとは大きく違っていた。目の奥で燃えるのは、負け惜しみや勿論命乞いではなく、単純に痛みを与えたものへの恨みがましい色。
「あー……そう、さっきの『じゃあね』は多分正しい部類に入るわ。忘れ物を取りに戻るくらいでいってきますを取り消すのは面倒だもの」
「ありがとう。で、続ける?」
「言わなかったかしらね。私の役目はもう終わってるの。できれば追い打ちも勘弁」
「ふん」
 諸手を挙げて、あざとく降参を示すパチュリー。その手は灰色にくすんでいた。
「言う程邪魔もされなかったし、いいよ」
「それから、気が乗ったら立つのも手伝って欲しい。妹様」
「その呼び方、嫌い」
「ミス・F・スケアード」
「はいはい。パチュリー・ナリッジ」
 及第点。
 パチュリーの周りの瓦礫を適当に取り払って、降参のまま挙げた手を掴み引っ張り上げる。若干強引気味だったけど、パチュリーはなんとか立ち上がれたようだ。
「ありがとう……えっと、U.N.オーエン?」
「正解」
「忠告。私は暫く図書室に居るけど、文句があればレミィによろしく」
「忠告。次は殺す」
 同時に背中を向け合って、私は館の中心に向かって歩き出す。手を貸したときもそうだけど、こうして何の準備もなく背中を向けてしまったことも、流石に不用心すぎる。冷静だ、なんて嘯きながら、勝利の油断には抗えないとは。
 尤も、今のパチュリーに襲われたからと言って、忠告通りにするつもりはあるけど。

「あ、そうそう。もしレミィに会ったら私の分の文句もよろしく。それじゃあ」
「さようなら」
 その会話を最後に、意識の中からパチュリーを消し去る。
 パチュリーがそれに異を表することもなく、紅魔館の出口に向かって歩く。咲夜、パチュリー……次に邪魔が来るとしたら、門番か、図書館番か、或いはお姉様自身だろうか。妖精メイド達は例えいくら束になって掛かってこようとそれこそ一瞬で片がついてしまうだろうから、ノーカウント。
 それぞれに遭遇したときの対応策を練りながら歩く。地下牢はもうとっくに遥か後方。案外呆気ないものだと天井を見上げる。意味もなく高いそれが吸血鬼というものにとっての空だとしたら、その手にも掴めそうな低さが最強の妖怪を謳う私達を嘲笑っているような気がした。
 破壊目標、博麗神社とその巫女。
 第一戦闘、紅魔館のメイド長。冷静さをあまりに欠いた結果、判定負け気味の引き分け。
 第二戦闘、動かない大図書館。取り戻した冷静さと圧倒的な物量で勝利。
 ――それだけ。
 足りない。足りない足りない足りない。自分が吐いた言葉が、自分へ吐いた言葉に変わる。
 そう、足りない。少ない。博麗の巫女への手土産としては。狂気を、破壊を表現し、狩られるものを狩りあうものに書き換えるには。この紅魔館を霧の向こうへ消したとしても、それでもまだ物足りない。
 紅い霧如きでは、余りにも不十分だったのだ。この低い空の下、私一人に何ができる?
 できることは一つしかない。握り込んで、破壊すること。じゃあ、作り出せるものは?

「愛、よね」
 
 ――雨が降った。雨粒によってではない。弾丸の雨、そして嵐。待ち構えていたかのような、バケツをひっくり返したような殺意の雨。私は完全にそれを避けきることができず、右足の先と左腕に、それぞれかすり傷を負った。
「こんばんは。私の可愛い、幼い妹。今夜は満月よ、誰の仕業か知らないけれど」
 この雨を仕掛けた犯人であろう、紅い声が姿を見せる。
「天気予報の真似事だったら、先生を後ろに置いてきたわ。私の失礼で無礼で虚弱なお姉様」
「嗚呼、妹に自分の能力を覚えて貰えていないなんて」
「教育不足よ」
 七色の弾を、廊下の幅に合わせて水平に放つ。余裕を見せつけるように、お姉様は弾が届く直前になって、ぴょんと軽く跳ぶだけでそれを避ける。お返しに飛んできたのはばらばらの方向へ飛び出す泡のような弾だった。同じ避け方をしてやろうとその場から動かずに弾の行く先を見切る。
 一つとして、私まで届きはしなかった。
 解った。この忌まわしき姉は、私を舐めている。
 咲夜やパチュリーは、言葉の上でこそ暴れる幼子をいなすような態度だったが、戦闘そのものに対しては真剣でいてくれた。それがどれだけ有難いことだったか、この身の程知らずの館主を見て理解する。
「禁弾――」
「やめておきなさい」
 恐らく姉の持つ攻撃手段の中で最も速いであろう弾が、私の頬を掠めた。
「人から聞いた言葉は、とりあえずは覚えておくものよ。フラン」
 続けて、斜め上方に向けて同じ弾を放つ。ぱりん、と軽い音がして、天井に近い位置にあった飾り窓が割れる。その瞬間に、会話と戦闘以外の音のなかった廊下に、ある音が微かに混ざり始めた。
「……雨」
「スカーレット家の一番大事な家訓。先生の言うことは聞きなさい」
「勝てば先生ね」
「先制するが勝ちって意味よ」
 たん、とダンスの一番初めの音が響いて、お姉様は壁に張り付いた。何か仕掛けてくるつもりだ。恐らく、自らの肉体を弾にした突進攻撃。未だ見ぬ攻撃への回避を取りつつ、適当に弾幕を散らす。
「吸血鬼を狩るには銀と十字架。前時代的で永久的なことわざよ」
 蝙蝠に似た悪魔が、ニヤリと笑った。まだ、お姉様の攻撃は発生していなかった。
 二段目の回避行動の準備が整わない内に、お姉様が上から下へ、隕石のように降ってくる。それも、わざわざ私の弾へ突っ込む形で。
 何が、『姉の持つ攻撃手段の中で最も速いであろう弾』だ。最も速いのは、弾丸などではない。姉自身だ。
 私は未だ空中。着弾までにできるのは、精々最低限身を逸らすことだけ。
(間に……合えッ!)
 着弾の瞬間、衝撃波で聴覚を飛ばされる。同時に、視界も奪われた。
 ギリギリで自棄気味に重心を傾けたのが功を奏したのか、身を削るような痛みはない。ただ、初撃の際に受けたかすり傷に近いところに、僅かな熱を覚える。間に合いはしたが、完全ではなかった。心の中で舌打ちをいくつか重ねながら、視界を回復させる。
「お寝坊さんよ、お嬢ちゃん」
 一瞬だけ捉えたお姉様の姿が、消える。違う。消えたのではない。煙と蝙蝠にその姿を変えたのだ。
 私のフォーオブアカインドどころではない。本体を持たない幾多の小さな囮の群れ。一つ消しても二つ消しても、お姉様自身はびくともしない。
 勿論、それを全て破壊――いや、蒸発させてしまえば、致命傷を与えることができる。それを容易と言える手段が、私にはある。そしてそれを実行する余力も、勿論ある。
 だが、環境がそれを許しはしない。
 各方向へ飛び立った蝙蝠たちを全て消すためには、膨大なエネルギーが必要になる。それこそ、あの巫女を相手にしても一撃で勝敗を決することができるくらい。しかし、それだけのエネルギー量の発露を耐えきることができないのは、何もお姉様や蝙蝠や巫女だけではない。
 ――この紅魔館の壁、天井。それらは多少堅牢とは言え、何もかもを防ぐ最強の盾などではない。巻き添えに破壊してしまえば、外には銀に次ぐ弱点である『雨』が降りしきっている。その雨が、容赦なく私を叩きつける。
 やられた。この勝負が始まる前に、少なくともここまでは決まっていたという訳だ。まるで、決闘の前に互いの名乗りと健闘の祈りと挨拶があるように。
「ッ、鬱陶しい!」
 パチュリーに放ったのと同じ槍を一本、投擲用ではなく手持ち武器として振り回す。私の周りでばさばさと煩い蝙蝠達を薙ぎ払うために。運悪くその切っ先に触れた蝙蝠の一匹が、絶命の音色を上げることもなく、蒸発した。
「レッスンその一。左を庇うには左に跳ぶこと」
 それを合図にしてだろうか、蝙蝠達が一斉に私の背後へ集まる。慌てて振り返った先には、既に傷一つないお姉様が立っていた。
「あ、右も怪我してたのね」
「挨拶なしの弾幕ごっこは無礼、よ。お姉様」
「したわよ? 愛よね、って」
 苛立った。よくもまぁ、パチュリーはこんな混ぜっ返しを溜息一つで済ませることができたものだ。今の私なら、外の雨、いや雨雲ごと、周囲のもの全てを怒りで蒸発させることができるかもしれない。
「フ……ふふ、うふふ。可愛いお姉様に正しい挨拶を教えてあげる」
「ごめんなさいの言い方なら聞きたいわ。言ってみてくれる?」
「『ご機嫌よう』」
 一度目の――ではない。三度目の、別れを告げる。お姉様にではない。パチュリーに。遥か後方に未だまともに歩くことさえできない筈の、動かない大図書館に。
 手に持ったままの紅槍を、お姉様の方向へ、つまり私が歩いてきた方向へ、思いっきり投げる。お姉様はそれを避けることをしなかった。避ける必要が、なかった。それはお姉様を狙ったものではなく、その更にずっと後ろを目掛けて投擲されたものなのだから。
 数秒の後、激しい爆発音が聞こえる。それ以外の音は聞こえなかった。悲鳴も、そして、聞こえていた筈の雨音も、やがて聞こえなくなった。
「一対一でやりましょう、お姉様?」
「…………クッ、ハハ、カハハハ!」
「うふ、ふふふ、キャハハハ!」
 絶笑。響笑。
 跳んだのは、同時だった。空中での一合は、必然だった。
 最早、冷静がどうとか、そんなものは一片の価値もない。強さと強さのぶつかり合い。否、強さと弱さのぶつかり合い。敵を削り、制し、滅するための、純粋なる闘い。
 秒にも満たない交錯で、敵は右腕を失った。私は脇腹を抉られた。着地の後、二度目の交戦が始まる。私は地を一足で駆けた。お姉様は放物線を描いて跳んだ。初動は私の勝ち、速さは姉の勝ち。
「終わりだ、妹!」
 お姉様が最も高い位置に居るときに、私とお姉様は重なり合った。顔を見合わせた私達は同時に叫ぶ。
「神槍 『スピア・ザ・グングニル』!」
「禁弾 『過去を刻む時計』!」
 お姉様が呼び出した巨大な槍が、紅魔館の天井を貫く。私の展開した弾幕が、目につくもの全てに当たり散らす子供のように暴れ出す。
 解ってる。お姉様は私の右半身を狙う。理性ではない、本能がそれを知っていた。お姉様は、心臓を決して狙わない。その弱さが、冷静さが、私の判断を容易にした。避けきれる。よしんば避けきれないとしても、防ぐことができる。受けたっていい。冷静さとはこんなにも弱々しいものなのかと嗤えてしまう。
 反して私の弾幕は確実にお姉様を捉えるだろう。当然だ。襲い掛かる獣への対処を考える意味などない筈だった。取るべき行動はたった一つ、逃げることだけの筈だった。それをしなかったパチュリーは、二度も負けて瓦礫になった。同じ道を選んだお姉様がどんな姿になってしまうのか、見物にしてやろうと血が沸き立った。
 今、私の弾の幾つかと、お姉様の放ったグングニルが、同時に互いに触れようとした。
 この運命の決戦が、たった二合で終わってしまうなんて。少しだけ、惜しい気がした。


――――――――――――


「さて、どう出るかだな」
 レミリア・スカーレットは豪奢な椅子の背もたれに体重を預けた。その目の前には、従者である十六夜咲夜が跪いていた。
「それよりも、この姿勢はいつまで?」
「こういうのは雰囲気が出るんだよ。知らないか?」
『使用人は大事にするものよ、レミィ』
 椅子の横に置かれた水晶が、図書館からの声を届ける。
「私のお付きのクセに弱いなァ」
「乙女の柔肌は軟弱なものでして」
「そうか、じゃあ休暇をやろう。期間は私の気が済むまで」
「はぁ。お給料が保障していただけるなら」
 レミリアは顔を歪ませた。何かを企んでいる以外に考えられない表情に。水晶からは溜息が聞こえた。
「歩合給は出ないがな。副業なら許さないこともない」
「いつ出たんでしょうね。その分の貯金は使い込まないでいただけますか?」
「故郷は遠くに在りて思うものさ」
 床に素肌の膝は流石に耐えかねたのだろうか、咲夜はやれやれと立ち上がり、自らの主人に見せつけるが如く、その膝頭を手で撫でた。
『で、妹様が何をしでかすかの話じゃなかった?』
「それでもいいぞ。賭けるか、パチェ?」
『居候の身分ではとてもとても』
「なァ、パチェ」
 ふぅと小さな溜息を吐いて、レミリアは高い天井を見上げた。夕焼けの差す窓は、傷も汚れもなく、まるで換えたばかりのように輝いていた。
『なぁに、レミィ』
「犬が散歩に出たがらないのは、どんな理由だろうな?」
『そんなの飼い主と同じよ』
 ぷつん、という音がした訳ではなかったが、水晶による交信がそこで途絶えた。それを惜しむように、レミリアは目を細めて水晶を見つめた。
「さて咲夜」
「何でしょうお嬢様」
「休みは今からだ、好きなところへ行って来い。それからこれは単純な質問だが、お前、休みの日は何をする?」
「普段ならできないところのお掃除、でしょうかね」
「良い趣味だ。とても真似できない」
「でしょうね」
 咲夜の姿は一瞬で消える。部屋に残されたのはレミリアだけとなった。五百年を生きた吸血鬼にとって、その孤独な時間はどう映ったのだろうか。
「この歳になって、喜んで妹の子守りをする身になるなんて」
 誰も居ない空間に、レミリアの声が広がる。残響まで聞こえてきそうな静寂だった。

「愛、よね」


――――――――――――


「おやすみなさいませ、妹様。できるだけ長く」
 勝負を決する音は、聞こえなかった。
 あらゆる弾幕が動きを止めたかと思えば、等しくパラパラと砕け散る。
 ――何があった、と呆気に取られる間もなくその答えを身体に教え込まれた。
「失礼いたします」
 ガラ空きになっていた四肢を同時に取られ、そのまま床に勢いよく押し付けられる。流れるようなサブミッション。誰の仕業か、考えるまでもない。砕かれた床の破片が頬に刺さって、痛い。
「給料は出ないわよ、咲夜」
「雇い主が冷静さを欠いている、と思いまして」
 この先の給料を期待します。と咲夜。抑えつけられながら聞いた会話に、私は蚊帳の外。
「鎖から外れても犬小屋に残るなんて、ご立派な忠犬ね」
 ぐっと軽く力を入れて、私を拘束する咲夜を振り払う。もう少し力を入れて殺しておけばよかったかもしれない。
「っと……、すぐに餌を探す程空腹ではなかった、ということですわ」
「かはっ。もう少し食事を減らしておけばよかったよ。お前も、フランも」
 二対一。再戦と初戦。だからなんだ。ここに一緒に博麗の巫女が一緒に来たって、そのまま全員殺してやる。死んでしまえ。私の邪魔になるものも、私の愛の行く先も。
「まとめて来なさいよ。今度は容赦も小細工も無しにしてあげる」
「ほら見ろ。血気盛んじゃないか」
「健康に気を遣っているんですけどね、私の分は」
 私が振り払ったときに手首でも痛めたのか、手をひらひらと下に向けて振る咲夜。
 タイミングを図る。二人は、同時に攻めてくるだろうか。タイミングをズラすような小細工を選ばれたら興覚めだ。――いや、考えるのはよそう。そう決めたばかりの筈だ。
「ああ、おいフラン。何を勘違いしているのかは知らんが、もうお前とやり合う気はないぞ」
「カルシウムが十全だったようで何よりです」
「……はぁ?」
 思わず素の声が出る。館の主と、メイド長と称した戦闘員。その二人が私の前に立ち塞がっておきながら、ここで終わり? そんな言葉、信じ難いし信じたくもない。
「邪魔をするなら殺すんだろう? じゃあ、邪魔をしなければ殺されもしない」
「降参ってこと?」
「挨拶は長すぎちゃァ、旅立ちの邪魔だからな」
 にぃ、と口を横に開くお姉様。それは丁度、紅い三日月によく似ていた。
「咲夜、こういうとき正しくは何と言うんだったかしら?」
「いってらっしゃい、でしょうかね。私は言ったことがありませんけど」
 お姉様の口調が元に戻る。臨戦態勢の解除を示しているとすれば、なんて浅ましい。
「私が、そんな言葉で満足すると思うの? ヴァンパイアとヴァンパイア・キラーさん」
「お前を満足させるのは私じゃないだろう、ナイトウォーカー」
 さて、とお姉様は背を向ける。咲夜は動かず、その場に立ったまま私の動向を見張っていた。今度は、懐中時計を握ったままだ。
「咲夜、パチュリーの容態は?」
「さぁ。給料が出るならお見舞いに行きますが」
「私はこんな奴の横を通るのは嫌よ。反抗期と思春期でね、やりにくいから」
「通りがかりに見つけた怪我人を落ち着ける場所に運ぶくらいは給料無しでやりました、なんて格好つけさせてはくれないんでしょうね。めそめそ」
「したの?」
「きっと、物好きな悪魔辺りが」
 お姉様が背中を向けたままで肩を竦める。
「フラン、出ていくなら出口じゃなくて結構よ。入るときは門と扉からよろしく」
「言われなくてもそうするわ。弱虫」
「教育が行き届いてるわね、強犬」
 お姉様の背中を睨んだまま、紅魔館の壁に大きな穴を空ける。咲夜が本当にこのまま館から出て行ったら掃除の手が足りなくなるだろうから、瓦礫が外側に散らばったことを感謝して欲しい。
「そうだわ。『私はちゃんと、言ったからね』。それだけ」
「事が済んでから言うものよ、そういうのは」
「教育が足りてなくてね」
 歩き出す。お姉様は自分の居るべき場所へ。私は自分の向かうべき場所へ。咲夜は相変わらず、そこに立っていた。
 外は夜だった。なんとなく、知ってはいたけれど。そして空に浮かんでいたのは上弦の月。「うそつき」と私は小さくつぶやく。「いってらっしゃい」とお姉様が小さくつぶやいた気がした。



 道中は異様な程に静かだった。まるで、夜は誰しも眠る時間と言いたげに。時々生温い風が吹いて、水辺に生い茂った草達がざわざわとさざめくくらい。その静寂の中を、私の足が歩いていた。
 ナイトウォーカー。夜を歩く者。
 誰もが床に就く夜半を最も得意とする魅惑の侵入者、寂しい帰路を地獄へ繋げる孤独の襲撃者。それを恐れた人間達が、私達吸血鬼に付けた名前。夜を恐怖することの理由を知らない人間達が、私達妖怪に押し付けた仇名。
 人間達は知らないのだ。孤独が故の静寂が、いかに我が身を護るかを。
 人間達は知らないのだ。愛は夜にも往くのだと。
 だから私は、往かなくてはいけない。教えなくちゃいけない。孤独を恐れない人間に、愛を知ってしまった人間に、知りすぎる前に知るべきだった、本当のことを。私が本当だと思いたいことを、本当だと知らせるために。本当にするために。
 ガラスの靴を履けるだけの少女が、毒リンゴを口にしただけの少女が、眠り続けただけの少女が、英雄のように語られるのはもう懲り懲りだから。
「初恋は実らないんですよ」
 私の中の咲夜が囁く。二度目の恋にすればいい。
「妹様にあるのは嫉妬と呼ばれる感情よ」
 私の中のパチュリーが呟く。私を一番にすればいい。
「お前はそれをどうしたい、何と呼びたい」
 私の中のお姉様が嘯く。私がそれを、愛にすればいい。
 私の恋は実らない。私は嫉妬をしているのだろう。私は何がしたいのかわからない。誰にも方法は訊けなかった。誰にも育てて貰えなかった。誰も答えを教えてくれなかった。
 だからただ、確かめに行く。私の考えが正しいのか、私の本当は本当に本当だったのか。
 はじめに扉を開けた誰かが、一番それを知っている筈だから。

 博麗神社が、目の前にあった。妖怪と人、外と内の境にある、不思議な神社。私はそれを目にしたときに、心臓がたまらなく苦しくなった。苦しい筈なのに、心地いい気分だった。張られた弱い結界の目を握り込む。例え罠だと知っていたとして、それを壊さずには居られない。
 その先の石段の一歩目で、私は一つを思い出した。初めて見た日の地下牢を。
 二段目で、私は一つを思い出した。その地下牢を開け放った、一番愛しい人のことを。
 三段目で、私は一つを思い出した。何をかは言いたくない。
 そのまま立ち止まって、羽を広げる。これ以上歩くのが面倒だったから。たん、と靴の踵を整えるような音がして、私はふわりと宙に浮かんだ。そしてそこから最短距離で、階段の上を駆け抜いた。
「――久しぶりね、フランドール」
「あは、知っていたのね。霊夢」
 彼女が、私を迎えてくれた。背が、少しだけ伸びているようだった。その身を包むのは、戦闘用に仕立てられた、無駄のないデザインの巫女服。上半身を彩る白は、月光を受けて狂気の色に染まっていた。下半身を彩る紅は、闇の中でさえ愛おしい。そしてその顔は、いつか出会ったときよりもほんの少し大人になってはいたけれど、狂おしい程見たかったものと同じだった。髪の毛はつい最近切り揃えられたようだ。相変わらず、食べたくなってしまうような色の髪束は可愛らしいリボンで束ねられている。食える肉もなかった少女が、いつの間にかたまらなく甘そうになっていた。
 使われる色だけが似ている私のドレスが、くすんで見える。月の光も日の光も浴びない髪でさえ、彼女に比べたらゴミのようだ。
 たっぷりとした幸せを喰らった彼女の両目が、何もかもに飢えたみずぼらしい獣のような両目とぶつかりあう。
「大事なものならあげないわよ」
「あなたがあげたくなるのよ」
「ケチなところは直ってないことを教えておくわ」
「壊れたらあげたくなるでしょう?」
「紅魔館は新しい商売を始めたのね。ヤクザって呼ばれるヤツ」
 嗚呼、何年ぶりかの冗談が、ワインのように喉元を通っていく。口元に残るのは、無駄な甘みの消えたチョコレートの風味。私は、私が間違っていなかったことを知った。
「ねぇ霊夢」
「お断りよ」
 石灯籠の灯が一斉に灯された。幽かな炎に照らされた霊夢が、お祓い棒をぎゅっと強く握り直す。胸元の黄色いリボンが揺れた。合図もなく陰陽玉が霊夢の周りに召喚される。
「あくまで最後の妖怪退治ってワケね」
「やる気はあんまりないけど、随分金払いの良い仕事なのよ」
「私からも後でコインいっこあげる」
「結構よ。もう貰ったみたいなものだし」
「プレイヤーは私だったのね」
 一歩、霊夢との距離を詰める。霊夢は動かない。もう一歩、更にもう一歩。ここだ。ここが一番、最後に相応しい。霊夢の姿も、よく見える。
 霊夢の肉体の、能力の、霊夢という存在そのものの”目”を、掌に呼び出す。これを握り締めることができれば、ゲームクリア。できなければ、ゲームオーバー。どちらが表か決め忘れたコイントスよりも、ずっと簡単なゲームだった。

「終わりにしてあげる、霊夢」
「終わっているのよ、フラン」

 ――ピシ、とガラスに罅が入るような音がした。私の動きは、そこで止まった。

「終わったわ。紫」
「あらあら、終わらせたのは私の筈ですわ。それとも、これ以上終わらせる気?」
「しないわよ。妖怪退治の仕事じゃないんだから」
 何処かに隠れていたのだろう。スキマ妖怪、八雲紫が霊夢の横に姿を現した。なんとも緊張感のないことに、大きなあくびまで、私の方を向いて見せる。その時点で、ようやく私は、このゲームの仕組みを知った。
 最初から、終わっていた。誰しもに言われたように。
 私がここを訪れた時点で、或いは紅魔館を出る前から、全ての勝負は決していた。
 霊夢は私の来訪を知っていたし、だから結界を張った。神社の敷地を隔てる見せかけの壁と、私を捕える為の強力な網。今思えばここまでの道中も、不確定分子の排除や巻き添えの防止の為に、そういうものが張られていたのかもしれない。
 それを見破ることができなかった時点で、私は負けていた。
 私に訪れたのは、敗北感ではなかった。いや、私の感情の中で一番敗北感らしいと言えるそれだったから、やはり私は、敗北感を覚えたのかもしれない。
 ちゃんと話を聞いておけば、考えておけば。要するに、もう一回だけやれば勝てるのになぁ。そんなくやしさ。
 血が、醒めるでも沸き立つでもなく、あるべきところを流れていた。
「一つ教えてあげる。紅魔館の幼い吸血鬼」
「姉から、先生の言うことはよく聞けって教わったから。聞いてあげる」
 強がりを、私は言った。本当は、泣き喚きたかった。私と霊夢との、一対一ではなかったなんて。お気に入りの本のラストシーンを書き換えられた少女のように、私はその理不尽を何かにぶつけたくて、自傷行為に似た強がりが口を衝いた。
「良い家族ね。――『取り合いは早い者勝ち』。それだけですわ」
「因みに私から、っていうか早苗から。『フラグ管理は何より大事なんですよ!』だそうよ」
「お姉様にも教えておいてあげて欲しいわ」
 今にも倒れ込みたいのに、結界のせいでそれができない。僅かに動く口で、その思いを伝えた。
「貴方の先生役にはまだ不向きだものね。一緒に学びなさい」
「いやよ。お姉様と同じことを勉強するだなんて」
「呼び方から変えてみることね。お袋、なんて言葉がそろそろ幻想郷に参りますわ」
 拗ねた子供のように、私は口を尖らせた。それを見て、紫はにやりと笑った。霊夢の顔はよく見えないけれど、ふっと笑ったようだった。
「おやすみなさい」
「えぇ、おやすみ。また明日」

 私の意識は、そこで止まった。



「お姉ちゃん、私失恋したわ」
 肘掛に置いていた肘がずれ、ガクッとそれに預けていた体重ごとコントロールを失って、お姉様の体勢が崩れる。ドタドタとやかましい。余りにも勝ち誇った表情で堂々としているから、何を言っても動じないのかと思ったけど、どうやらその態度はハリボテだったらしい。
「待って。待ちなさいフラン。今あなた、お姉ちゃんって言った? お姉ちゃん? え? 私? 私がお姉ちゃん?」
「そうよ。ずっと前からそうじゃない。嗚呼、お姉ちゃんに自分の存在を覚えて貰えていないなんて」
 いつかのお姉様の言葉を真似する。お姉様は未だ動揺を抑えきれていないようだ。
「……巫女かスキマ妖怪の仕業かな。そんなことまでは頼んでないんだけど」
 失恋は、まぁいいとしてね。とお姉様はジト目で溜息を吐きながら椅子に深く座り直す。
 関係ないけど、王様みたいに段を作って、その上に王様みたいな椅子を置いて、王様みたいにふんぞり返る辺り、姉という立場、或いは館の主という立場は大変なのかもしれない。そこまでしても小さく見えるのだけど。
「それで、巫女は結局外の世界に行くことができたの?」
「さぁ。気付いたら地下牢に居たから」
「知ってる。霊夢がフルマラソンの後みたいな表情しながら、あなたをここまで運んできたのを迎えたの、私なのよ?」
「え、霊夢が? 霊夢が私をおぶってここまで運んでくれたの?
「おぶったっていうか……うん、まぁそうね」
 失恋の痛みなんて全然なかったけど、ありもしない傷が一斉に癒されていくような気分になった。素直に言えば、それは嬉しいという感情だった。なんで私はあんな簡単に眠ってしまったのだろう。途中で目覚めていれば、一撃で事が済んだのに。
「因みに、今の話で一番気にかけて貰いたいのは、私が直々に迎えたってところね。私、あなたと二人暮らしだったかしら」
 ふよふよと漂う妖精メイドの一匹が、自己主張するように私とお姉様の間を遮った。
『私もいるわ』
 水晶玉の向こうから声が聞こえる。図書館に繋がっている筈のソレが響かせるのは、眠そうなパチュリーの声。
「そのときは確か、休養なんて嘯いて、いつも通り本を読んでいたわね。咲夜は、普段と違うことをするのが休暇だって言ってたわ」
『いつもと違う本を読むのが私の休暇の過ごし方よレミィ』
 それに実験もお休み中、とパチュリー。年季の入った二人の会話は、私と霊夢が交わしたそれとは全然違う色をしていた。ふと、お姉様の言葉から気になる単語を見つける。
「そうだわお姉ちゃん。門番はともかくとして、咲夜が迎えるのが筋なんじゃないの?」
「よくそこに気付いてくれたわね。そこでスカーレット家の家訓その二。『気付いた人が片づける』」
『要するに、休暇終了を伝える手段がないことに今更気付いたから探してきて、って言いたいのよ』
「要するに、先に気付いたのはお姉ちゃんってことね」
 お姉様は慌てるように水晶玉を睨みつける。水晶玉の向こうから、『こいつが届けるのは声だけよ』と聞こえた。
「じゃあ家訓その三よ」
「『揉め事は拳で解決』?」
「『年上の言うことは絶対』、よ」
 その一と被ってるわね、と私は武器を取り出す。年下の先生も居るものよ、とお姉様も武器を取り出す。水晶玉からは『壊したら代わりは自分で用意してね』と聞こえた。

 私の、愛を探す旅は、愛を確かめる道は、まだ始まったばかりだ。


You are game over!!
Continue?

>YES (Insert a Coin)
NO (There will be nobody)
このSSを書くにあたり、様々な公式設定(原作会話、設定、スペル等)を掲載したサイト様や二次創作を参考にさせていただきました。
影響を受けたところが多すぎて一つ一つ名前を挙げることもできませんが、感謝を述べさせていただきます。
初めてのバトルもの?で至らない部分多々あったかと思いますが、ここまで読んでくださった皆様、ご読了ありがとうございます。

3/5 追記 コメントにてご指摘いただいた誤字脱字の修正を行いました。ありがとうございます。
歩く楽しみ
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コメント



0.150簡易評価
1.100さくらの削除
気のきいた文章で、この館の面子が好きな私としてはとても楽しく読ませていただきました。ご馳走様です。
2.100名前が無い程度の能力削除
洒落た会話の応酬にバトル描写、とても素晴らしかったです。パチェとレミリアの場面が特に好みでした
にしても虚弱なのによく二発も耐えたなパチュリー……
霊夢は外の世界でどう生きていくのか、少しだけ変わったフランの心持ちなど、その後が気になる余韻もたまりません。
楽しめました、ありがとうございます

脱字でしょうか↓
本当だと知らせるに→本当だと知らせるために?
それとどこかの行で「がが」と重複していました
3.100名前が無い程度の能力削除
霊フラよりフラ霊?
素敵でした。
4.90奇声を発する程度の能力削除
やり取りや雰囲気が良かったです
7.100名前が無い程度の能力削除
読み進めるにつれて引き込まれていきました
よかったです
8.100南条削除
面白かったです
戦いは熱くて心は温かい、そんな良い雰囲気のお話でした
9.100Qneng削除
交わし合うことば遊びのような言い様やキャラクターの立ち振る舞いに痺れました。
初恋にあった甘酸っぱさと狂い染みた吸血鬼の本質に対する描写が綺麗に書かれて、凄く読みやすく面白かったです。
10.100SYSTEMA削除
たいへんよかったです。。ありがとうございました!